はてなキーワード: cGとは
https://anond.hatelabo.jp/20190128220133
少し前に最近話題のバーチャルのじゃロリおじさんがMMD界隈に叩かれてたの思い出したから書く。
まず最初に、MMDで作られた映像やMMD映像の作家自体を貶すつもりはないとだけ言っておくし、破壊が言い過ぎならガラパゴス化と言い換えてもいいかもしれない。
日本で一番影響力のある(あった)動画サイトといえばニコニコ動画だと思うんだが、ニコニコでは「3DCGのキャラクタアニメーション = MMD」という図式が定着してしまった。だからプロが高いソフトで作ったような商業案件っぽい動画にも「MMDでこんなことできるんだスゲー」「これMMDじゃねえよ」みたいなコメントがよく付いてる。
それゆえ、3Dのキャラクターが歌って踊る動画だとかドラマみたいなものを観たいときに見るタグは「MikuMikuDance」になってしまう。BlenderだったりUnityだったり、あるいはCINEMA4DとかMayaみたいなガチガチに3DCGをやるツールで作られた動画はそもそも検索にヒットしない。
なんだかんだでネットで動画を公開する場合、再生数がモチベになるわけだからこれは致命的だ。
動画投稿者が再生数を欲しがるように、モデルデータの作者はモデルを使ってもらいたいのである。だから作者も基本的にMMD向けにしかデータを作らない。
魅力的なMMD向けデータを他のソフトで利用したい場合はインポートする必要があるわけだが、インポートしても正常に扱えないものが発生する。obj形式などで配布されたらどれだけのソフトで利用できたことだろうか。
そんなにMMDが有利なら、MMDで作ればいいじゃないか。そう思っていた時期が私にもあった。
死ぬほど不便だ。冗談じゃなく過去の遺物でしかない。Blenderなど一般的な3DCGツールの大半では、モデリングとアニメーションが1つのソフトで完結する。
もちろんモデリング向きなソフトとアニメーション向きなソフトのような分化は生じているから、ソフトを使い分けることもある。それでも、アニメーションを作るソフトでモデルデータのポリゴンをいじることができる。
一方、MMDはモデルデータを読み込んでアニメを付けるためのソフトだ。他の人のモデルを借りてくるなら手軽だが、自分でモデルから触リたい場合(通常の3DCG制作だとそうなることが多い)には非常に不便になる。モデルデータはMetasequoiaあたりのソフトで作成し、それをMMD用のモデル作成ツール「PMX Editor」に読み込む。そしてPMX Editor上でボーンを仕込んでエクスポートし、そのデータをMMDに読み込ませる。
一回やってみると分かるが、アニメーション作成中にモデルデータを修正したくなったらその手順をもう一度踏む必要がある。たった一箇所の色を変える作業でさえ、だ。
また、一般的な3DCGツールでは「レンダラー」というものが存在する。光や反射など物理な現象をシミュレートして通じて写実的な画を出したり、あるいは物理現象を捨象してモデルデータの境界線だけを抽出し、セルアニメ風の画を出したりといったこともできる。3DCGツールから出力される画像や映像の質はレンダラーが握っていると言っても過言ではない。
一方でMMDはDirectXが映し出す低品質な画像しか出力できない。2000年代のPC用ゲームがリアルタイムレンダリングしていたような品質である。
死ぬほど不便だがユーザーは多いとなると、ユーザーの中に存在する野良の開発者が改良を加え始めてもおかしくない。実際、何度か名前を出しているBlenderの方はオープンソースであるから、世界中の有志によってどんどん機能が向上してきた。
一方、MMDはこれほど知名度と影響力を誇るソフトウェアなのに完全にクローズドソースだ。MMD本体がクローズドならともかく、MMDのデータ形式であるPMDの仕様も元々はクローズドだったのである。現在はPMXという後継の形式が主流だが、これはMMD開発者ではない第三者(PMX Editorの開発者)が提案し、MMD側がこれを取り込んだものである。
現在、MMDの不便な点を補うような関連ツールも多数存在する。しかし、それらは開発者が多大な努力をして解析した結果である。
明らかに不健全なコミュニティだと思うのだが、それを批判する雰囲気はMMD界隈に見られない。作者である樋口M氏の姿勢を批判するMMDerは居ない。年齢層が低いこともあってか、過度に神格化されているようにすら思う。MMDを批判したのじゃロリおじさん氏が叩かれたのもそれのせいだ。
樋口M氏からすると、趣味で作ったソフトウェアがここまで大きな影響力を持つとは思わなかったのだろう。とはいえ、趣味で支えられる領域はとうの昔に超えているのだし、ソースを公開してコミュニティに委ねてもよかったのではなかろうか。
これほど多数のモデルデータが公開されたり、PMXが提案されたりといった現状を見て、作者自身が一番コミュニティの力を実感しているはずなのだから。
もちろん、MMDが3DCGへの参入障壁を下げたのは事実だ。Blenderは無料だよなんて言ったところであんなに難しそうなソフトを使ってみようなんて思う人間は少ないはずだ。そういう点ではフリーのモデルを読み込ませたり、フリーのモーションを読みこませるだけでアニメーションが作成できるMMDは画期的な存在である。
ただ、裾野を広げた存在に日本の3DCGは縛られすぎていると思う。例えるなら、インスタントラーメンのせいでラーメン店が続々と潰れていっているという感じだろうか。開発者の人には、「Scratch」が幅を利かせていると例える方がいいかもしれない。
MMDがオープンになって機能を大幅に向上させ、コミュニティベースの膨大なモデルデータを活かしてBlenderや商用ツールを追撃するような未来も面白いと思うが、現実はそうもいかないだろう。
同人活動の「あくまでファン活動であって利益目的ではない」という建前は様々な二次創作で利益を生み出すサイトやシステムでとっくに破壊されてるけどなんでほとんど言及されないの?
具体的には同人活動の要である同人誌、Entyやfantia、DLsiteの同人CG集なんかもそう。
別にそれならそれでいいけど、漫画村とかdropbooksが批判のやり玉に上がったときにしゃしゃり出てくるなよ。
他人の著作物で利益をあげてる奴が偉そうにクリエイター面して批判するんじゃないよ。(アニメのキャプ貼ったりしてるやつも同じだぞ)
大体そういうやつらは「同人活動は利益に与してる黙認されてるから良いんだ」っつってふんぞり返ってるけど、んなもんお前らが言うことじゃねえし、黙ってることを余儀なくされてるだけで認めてないケースがあることだって想像に難くないだろ。
二次創作の著作権と著作者の権利は別々に存在してるというのは理解してるし、真っ当なクリエイターに金が渡るシステムが構築されてきてるのは良いことだと思うよ。
でもそれ以上に、patronサイトや同人販売サイトを見ると公式に許可されてないコンテンツをダシに金儲けをしてる奴が多くて辟易するよ。
何もかも有耶無耶にされてる現状が我慢ならない。マジでコミケなんて一回潰れたほうがいいんじゃないかとさえ思う。
いやそんなことにならなくても、一回なにか、一度壁にぶち当たって欲しい。
満を持して作られた前作は、正直褒められる出来ではなかったと思う。
映像・CGや音楽は素晴らしかったが、それ以上にシナリオが駄目だった。
明らかに尺不足だったし、しっかり完結したとは思えなかった。
群像劇にしたことで話がとっ散らかっていたし、今まで大好きだったキャラクター達がシナリオのために動かされているように感じた。
素晴らしい部分はあったが、それ以上に不満点が残った。
続編も決定している。
続編こそは素晴らしい出来になってほしいと思っているが、前作を踏襲した続編に期待できるのだろうか?
今は続編が楽しみという気持ちよりも、大好きだった作品を嫌いになりたくないという恐怖のほうが大きい。
学生のころに必死にお金を貯めて円盤を買ったし、映画館にも何度も通った。
初めてパチ屋に行ったのは、この作品の台をプレイするためだった。
ファンを辞めることでその時の情熱まで全て否定された気がして怖い。
昔は「ポリゴンを動かすので精一杯です><」といった具合のが多くて、とにかく少ないポリゴン数でそれっぽく出来れば勝ちみたいのばっかでCGと言ってもコンピュータの知識は必要なく3Dをグリグリするセンスだけが問われてた。せいぜい「無駄にポリゴン数増やさないようにしないと怒られる」程度の知識があればよかった。
でも今はバリバリにプログラム使いまくって「実装したいのに合うような効果を持たせるにはどういう演算を組み合わせるか」を考えられない奴は一流とは呼べなくなってる。
時代は変わった。
うわ~!昔の俺がいる!10数年前の俺が!
俺もデザイン学んだし、描きたいものがないというのもわかるし、毎日上手い人の絵を見て絶望してる。
本気でマジレスするなら1秒でも早くやめるべき。自己否定でもなんでもない、10年後の自分はいまの自分とは別人になってる。なにより真剣に創作を続ける事は本当にキツイ戦いで、歳を取るほど激戦になる。歳を取ってからじゃ取り返しのつかない事も多い。老眼にもなるし自分の能力が自分を裏切る事も増えて絶望的な戦いになっていく。戦い続けられるのはその苦痛を感じない変人だけだw 絵をかくサイヤ人大杉。
未練が捨てきれず戦い続けるなら、即座にガチで基礎技術力を徹底的に習得すると良いかと。技術や知識は時代に(あまり)左右されない。デッサンや模写などの基礎訓練を侮らず大量にこなすべき。同時にデフォルメの練習も重要。こういったものは画風などを変えても役に立つから。CG描き方講座のTIPSは一過性の流行が多いのでさほど重要視しなくてもいい。
で、余力があれば苦痛じゃないところを徹底的に極めると後々色々武器になってる。あとフェティシズム本当に大事。作家性もセンスも自分で決めるものではなく作品を見た人が決めるものなので意識する必要はない。
デザイン業は絵とは違ったものなので仕事と割り切り辞める必要はないと思う。
絵を描くか描かないかは結局どちらでも正解だが、趣味でダラダラ続けるのは色々サボった俺のような半端者にしかならないのでお勧めしない。そんな暇があるなら婚活して結婚すべき。
現代では子どもと成人間の恋愛や性交渉が子どもの人権を侵害する行為とされている とあるが、
ロリコン・小児性愛の議論をする時は、年齢層を決めて行わないと話がかみ合わない。
小学生はグレーゾーンで、人により発育も違うし、男子が女湯に入れたり入れなかったりする。
中高生は一番性欲が有る時期で、むやみに性を規制するのは教育上悪い為、ある程度自由にすべきだろう。
恋愛に関して年齢で制限するのは、大人だけでなく、子供の人権も制限することになる。
「性自認や性的対象」を判断する事と「性行為への同意」を判断する事は同じでは無いが、性的対象を自己決定できるなら大人との性行為無しの恋愛も自己決定できるはずだ。
自己決定権が無ければ、心と体の性は一致しているとみなされる。
性的いじめは小学生でも起こる以上、「大人と子供のHは搾取だが子供同士は良い」という言説に説得力無し!
イラストやCGなど、被害者が存在しない児童ポルノを否定するのは、他者の権利の侵害をしていない以上。不当な権利の侵害だろう。
小児性愛者の想像による性的充足を規制するとなれば、思想統制の人権侵害に他ならない。
異性に興味を持ちだす10歳くらいの男子が、母親とプールの女子更衣室に入るのは気分が悪いという女性が多い
これって、子供を性的で邪な目で見ていて、10歳の子はエロいって認めていますね!
性交同意年齢が引き上げられたら、子供同士がHしても強姦なので少年院送りになりますね。
LGBTに理解を示しながら、ロリコン・小児性愛者を差別するのは頭おかしいレイシズム!どちらへの差別・偏見も無くそう!(セルフまとめ) - Togetter https://togetter.com/li/1151074
ロリコン・小児性愛者による小児性愛者嫌悪者への反論集(セルフまとめ) - Togetter https://togetter.com/li/1152063
1990年生まれ現在27歳のグラフィックデザイナーです。
絵を描くのを一度諦め、何年間か描いていなかったものの、
せっかく戻ってきたのであれば、今までのことを記録してみようと思い立ち記事を書いてみます。
ネット上で絵を描いていた人にはとても懐かしいかもしれません。
物心ついたころから既に絵を描いていて、幼稚園児のころには既に
「学年一絵が上手いキャラ」として周囲から認知されていました。
それは高校に上がる直前までの11年間、自らのアイデンティティとして確立し、
自分=絵を描く人間だという自己イメージは自身の中で確実なものとして定着していました。
幼稚園児のころから漫画が大好きで、地獄先生ぬ〜ベ〜やドラゴンボール、
赤ずきんチャチャ、折原みと先生の漫画、くりた陸先生の漫画をこよなく愛し、
よく真似て絵を描いていた小学校低学年。
高学年になるとテニスの王子様にめちゃくちゃにハマり、
その頃に同人という言葉を知るなど、順調にオタクとして育ちました。
ちょうど6年生になったあたりのころから、
自分でイラストサイトを作ったり、CGで絵を描き始めたのもこの頃です。
あの頃入り浸っていたのは、「ふみコミュニティ」というポータルサイトの絵板。
そこにはたくさんの同世代のイラストを趣味とする子たちが集まっていて、
同い年の子たちもたくさんいました。(「マウス書き。ペンタブほしい〜!」はもはや合言葉みたいだった…)
ふみコミュの中にも絵がすごく上手い子、そうでもない子がいて、
本当に小学校6年生なの!?てくらい当時上手い人もたくさんいました。
私もそこに混じって絵を投稿したり、交流が楽しくてずっと描いてました。
そのころはまだ上手い人に対する、明確な劣等感は感じませんでした。
ドラゴンボールのファンサイトの管理人同士(年齢層高め)で意気投合し、
毎晩のように絵チャットに明け暮れていました。
そこに設置された絵チャットに、暇な人が入っていてそこにどんどんあとから人が集まっていく。
絵チャットは描いている過程が丸見えなので、下手だと思われたくなくて大人に混じって必死で絵を練習し、
一方で「9091P」という1990年生まれの絵描きを集めた同盟が立ち上がり、
同い年同士で交流したりお互いのサイトを見あったりと、創作活動も活発な時期でした。
その頃あたりから、ふつふつと、「世の中には自分より何倍も絵が上手い人がいる」と
中学校三年生あたりで、絵を描いて交流するような友達はいなくなりました。
いるのは、ネット上でも話したことのない、上手い絵描きさんだけ。
同い年なのに、どうしてこんなに差が出てしまったんだろう?
そんなことばかり考えるようになったと、今振り返ると思います。
絵を描かなくなる人生なんて想像もつかない私は、高校は美術を専門とした学校へ進学。
デッサンや油絵、水彩、彫刻、プロダクト、デザインといろいろなことを学べ、最高の環境で学び始めました。
課題で描く絵は本当に得意で、いつも良い点を取れるし、先生からの評価も高いのだけど、
その一方で「自分のために描く絵」というのを、この頃にはもう全くと言っていいほど描かなくなってしまいました。
それはおそらく…わざわざ点にもならない、要は目に見えた利益にならない絵を描くことに意味を見出せなくなり…
わざわざ描くのに、上手い人たちよりも下手な自分を目の当たりにするだけで、
なんのメリットも感じられなかったから。下手な自分を見るのが怖かったから。
課題ではいい点をとらないのに、コンクールでは金賞を取り続ける人。
同人活動で売れ始めた人。
絵画部で大きくて素敵な絵をたくさん描き続ける人。
成績や点数には現れない、素晴らしい魅力を持った人がたくさん身の周りにいました。
でもなぜだろう、仲良くなれなかった。劣等感で一緒にいられなかった。
絵の話だけするのはつまらなかった。
恋愛もしていたしバンドもしていた、いわゆるリア充タイプに属していた自分だからか?
そのために、どこかで「自分は彼らとは違う」と思っていやしなかったか。
一線を画すことでどうにか自分を保っていたのではないかろうか。
仲良くなりたかったんだろうか?それも甚だ疑問で、確かに話は合わなかった、
でも、絵を描いててなおかつ絵以外のことも話が合うひとなんて、この世に存在するのだろうか?
気張ることなく絵や萌えに没頭できた側面もあったのかもしれない。
相変わらず絵を描く親しい友達はできないまま、大学に進学する時期になり、
「せっかく高いお金を同じくらい払うなら、地方じゃなくて上京して東京の美大でデザインを学ぼう。」と思い、
絵を描く情熱が割と無くなっていたにも関わらず、真面目な性分ではあることと
点数を取る絵は得意ということもあったといえども今思い返すと本当によく入れたな…と思います。
絵ではなくデザインを選んだ理由は、少なくとも物を作りながら生きていきたいと思ったからです。
デザインであれば、就職率もよく、絵を生業にするよりはお金になると判断してのことでした。
ただ進学しても業種を変えても問題は変わらなかった。
デザインだって自主制作がとても大事なのに、大学生になっても自主制作ができない病が治らない。
でも課題はいい点を取れる…………と思いきや、さすがに大学はそうはいかなかったのです。
付け焼き刃では、太刀打ちできないほど周りが上手すぎるし、
そもそも大学は研究のために来る場所なので、自分で物が作れない人間は評価すらされない。当たり前のことですが。
そして最終的には就活で完全につまづき、希望の企業には就職できず、
かといって物作りも諦めきれずに、作家性のないグラフィックデザイナーとして現在働いています。
書きたい絵なんてのはもともとなかった。
誰かと描きあって、見あって、評価しあってというコミュニケーションの一つとして私はずっと絵を描いていた。
誰も居なくなって、誰とも話せないのに、一人で描き続ける意味はもはやなく、
コミュニケーションはできないのに上手い人を指をくわえて見ているだけで、
私にとっての絵は、物作りは、もう役目を終えたのではないか。
新しい、今までとは違う方法で、コミュニケーションを取る方法を探すのが賢明かもしれない。
なんのために絵を描くのだろう?なぜこんなにも絵を、作ることを、諦めることができないのだろう?
物作りから離れることは、自分の人生を否定すること、アイデンティティが崩壊することという思い込みが、
未だに私に絵を描かせる。物を作らせる。本当はもう、とっくの昔にうんざりしているのに。
やっぱり諦められなかったけど、30歳を目前にして、
これからの人生において「物を作るか」「作らないか」に一旦決着をつけたいと思ったのです。
どちらに転んでも、もうこれ以上このことで悩まないように。
これまでの話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」序話
先ず、原告がどういう人物かについて書いておこう。
原告の名前を仮に「K」としよう。
Kは、高校卒業後アニメの専門学校のCG科に通い卒業時に就職が決まらず、工場の従業員・コンビニの店員等になるがどちらも試用期間でクビになり
自宅(実家)でアフィリエイトブログを立ち上げて収入を得る事にした人物だった。
原告の立てたアフィリエイトブログはネット上で拾った記事を載せて一行二行の感想を書く程度の更新を毎日続けるだけの内容で
開設から余り日が経たない内に、とある匿名掲示板にヲチスレが立つという様(さま)だった。
ヲチスレを立てられている事に気付いたKは、ブログでヲチスレの住民を煽る記事を書き始め更にヘイトを集める。
そして、ヲチスレ民の突撃を受けたKのアフィリエイトブログは閉鎖に追い込まれた。
この時のKの年齢は30歳を過ぎたばかりだった。
それから数年、Kは名前を変え小説ブログを立ち上げ、小説投稿サイトに小説を投稿していた。
ブログの小説の文体から「これはKではないか」と疑った元ヲチスレの住民により調査が行われた結果、その小説家はKである事が容易に判明した。
その小説家がKである事が判明した経緯はこうだ。
①Kは小説投稿サイトの主催のオフ会に参加していた。
②そのオフ会で出会った人物にKはアフィリエイトブログ時代の名前を名乗っていた。
③Kが名前を名乗った人物はKのアフィリエイトブログをヲチしていた人物だった。
という流れだ。
ヲチスレ民は、その人物の仲介で小説投稿サイトのオフ会に参加した人物数名に手分けして接触する事になった。
小説投稿サイトのオフ会でKは他の投稿者に対し上から目線な発言を相当にしていたらしく、
それが理由でオフ会参加者からKは随分と嫌われていた。
また、小説投稿サイトの管理人もKのアフィリエイトブログ時代の数々の悪行を知っており
「同一人物である以上、この小説投稿サイトには置いておけない」とKを小説投稿サイトから追放する方針を決めた。
結果、小説投稿サイトのオフ会の参加者と小説投稿サイトの管理人経由でKの本名と住所が容易に判明した。
①小説投稿サイトのオフ会の参加者経由でKの住所が判明。
②小説投稿サイトの管理人経由でKの本名が判明。
という形だ。
この時のKの年齢は、30代後半になっていた。
Kの本名を突き止めたのが(小説投稿サイトの管理人と接触を持ったのが)私だった。
次回に続く。
ちなみに自分はこの業界に足を踏み入れる際に具体的な業務内容など知らなかったので、特に自分が驚いたことを書く。
はじめて話数担当になった時は、先輩からアニメーターの連絡リストをもらって片っ端から電話だった。L/Oと原画作業のいわゆる営業。その後に信用を得て交流をもって、自分のキャパを拡げる。
この話数は出来がいいな、という時は制作進行の実力も大きい。
制作会社で拘束していたり、プロデューサーや制作デスクからの紹介もあるので、一概に制作進行の力だけではないけれど。
これは一般に有名かもしれない。
アニメーターは主に日中作業なので、回収は夕方~深夜。翌日演出さんに見てもらうために朝までに素材をスキャンしたり演出に素材入れしたり、というのが自分のスタイル(スケジュールに余裕がある時は別にして)。日中はデスク業務などを片付ける。これを基本に、演打ち・作打ち・作監打ち(総作監打ち)・CG打ち・色彩設計背景打ち・撮影打ち・カッティング・アフレコ・マーキング・ダビング・ラッシュチェックなどが入ってくる。
話数掛け持ちしてると忙しい。
生活が不規則になるので睡眠時間のマネージメントが必要、外回りの運転もあるので用心がいる。
休める時は就業時間中であっても休むのが鉄則になる(というより就業時間はほとんど意味を成さない)。
キツいとは認識していたが、味わってみるとホントにキツかった。はじめの頃は、納品出来ないんじゃないかという恐怖もあって気が休まらなかった。
もう二度とやるものか〜!という気分になるけど、終わってみると達成感で高揚。気がつけばまた戦場に赴いている。ハート・ロッカー。
キツいから辞める、という理由がほとんどかと思うが、2~3年くらいで他社に移るという人も多い(渡り鳥のように1年毎に居場所を変える制作進行もいる)。とにかく流動性は高い。
翻って、周りが辞めていく中で同じ制作会社に残り続けることで制作デスクへ昇格!ということもままある。SHIROBAKOの主人公のように入社2年目でデスクというパターンもあながちウソではない。
演出家志望の若者が制作進行をやっている場合が多い、という事を自分は入るまで知らなかったのでとても驚いた(みんなプロデューサー志望かと思っていた)。
自分が今まで一緒に仕事をした監督のほとんどは制作進行出身だった。
たまにアニメーターになる制作進行もいると聞くので、アニメ業界は良い意味で大らかだなあと思う。
○○さんが××制作会社に移ったらしい…という噂が風のように広まったりとか。
知り合いアニメーターの友人が実は自分も知り合いだったりとか。
三鷹、荻窪、井草辺りで深夜にご飯食べてると、隣が他社の制作だったりとか。
他社作品を観ていると大抵一人二人は知ってるアニメーターがクレジットされていたりとか。
意外とある。狭い。
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ざっくり書いた。働いてみて、キツいけど楽しいというのが自分の所感です。
ときたま話題に上がる賃金問題については敢えて触れなかったけど。
あと人狼制作日誌とかくろみちゃんとか妄想代理人とかSHIROBAKOとか、業界内幕モノはこの世界に居たら一層面白いと思う(ハケンアニメ!は掛け離れ過ぎてるけど)。
(ついでに言うと、ダウンロード形式の場合についても、macPCに対応していない専用ビューアを使っている所そろそろ滅べという気分になってきている。DLsiteとフランス書院お前らのことだよ)
もしかしてDLsite Playをご存じない?DLsite PlayならそもそもWindowsでもMacでもスマートフォンでもブラウザで読めるのですが。
ダウンロードでは専用ビューアを使う作品もDLsite Playでそのまま読めます。
電子書籍のブラウザビューアについて語るにあたって、DLsite.comへ言及するのにDLsite Playを知らないのは流石に不勉強すぎるのでは。始まったのもう3年近く前ですよ……?
(ブラウザビューアがあってもあくまでダウンロードして読みたいって話ならすみませんが、でも全体の論調的にはそういう話でもないよね……?)
ちなみにDLsite Playは数ある電子書籍のクラウド管理・閲覧環境の中でも使いやすさ、動作パフォーマンス共にピカイチだと思っています。
フランス書院の方は知らなかったけど、こっちもブラウザビューア(Mac対応)あるみたいですね。
メロンブックスでは電子書籍を購入しても専用ビューアでしか読めないようになっている
そんなことないよ!?って書こうとしたのですが、調べてみるとこれはちょっと根が深い問題でした。
自分が「メロンブックスDL」(同人ゲームとかCG集とかも売ってるサイト)で買った同人誌・CG集はすべてDRMなしのPDFだったのですが、それとは別に「メロンブックスの電子書籍サービス」でも同人誌が売られてるんですね。こっちは確かに専用ビューアが必要そうです。
ただDLsite.comでは数百ほど同人誌・CG集を買ってますが、同人で専用ビューアを利用しているのは非常にレアケースです。ざっくりとした印象ですが1%に満たないと思います。
同人誌のダウンロード販売はやはりDLsiteが最大手ではないかと思います。少なくとも、同人誌の電子版を読むのに専用ビューアが必要というのが支配的な環境ではない点は強調しておきたいですね。
前述のDLsite Playもあって、DLsite.comに関しては同人誌のデジタル管理・閲覧環境としてはかなり最先端を行っていると思います。
僕は好きなものは「所有」しておきたい人間で、それは紙媒体であろうとデータであろうと気にしない(というか火災とかに備えて両方で持っておいてクラウドにバックアップしておきたい)んだけど、サービス独自の著作権保護フォーマットの電子書籍って全然所有してる感が無くて大嫌いなんだよね。専用ビュアー必要でサービス潰れたら読めなくなるし。まあ、Kindleについては潰れないだろと思っているけど、今度はエロ描写があると消されそうで不安になるし。同人誌とか同人CG集とかは割と生の画像ファイルとかPDFで売ってくれるサークル多いからDMMとかBOOTHとかで喜んで買うんだけど。
僕は違法ダウンロードサイトを利用する人の一部には同じようなモチベーションで「所有できるデータ」を手っ取り早く入手するために使う人がいると思っているんだけど、どうなんだろう。
映画のレビューで「映像は素晴らしかったがストーリーが」とか「最高の感動ストーリー」とか「人生の学びが」とかを見るとコイツら頭おかしいだなと確信する。
アバターに対して要約したら「最新技術を使っていることは凄いがそのためだけに雑な舞台設定をしていて映画界の未来に絶望すらした」となるようなレビューをしてる奴が10人に1人ぐらいいたけど、ああいう人種は何しに映画館に来てるんだろうか。
あれか?アイドル声優の良し悪しは演技力じゃなくてルックスで決まると熱弁して年何十回もサイリウム振り回してるような人種の同類か?自分じゃ全く正反対だと思っているんだろうが、俺から見りゃ全く一緒だね。ペッ
1236.ジャパリパーク来園者 2018/01/01(月) 16:53:56 ID:c3YTYzOD 返信
↓
角川映像事業局(の役員)、自分たちが関与できない書籍扱いのアニメが大ヒットしてしまい焦る
(細谷Pの「最初の頃はとても親身にしてくれてたのに人気が出てきたらおかしくなった」はコレ)
↓
↓
角川映像事業局、プロジェクトを乗っ取るためサンライズで朝アニメにできると製作委員会に提案
(ヤオヨロズのままでは角川C&C局が主導権を握るため)
テレ東で8月、試験的に子供向け朝アニメとして放送し、好評を得る
↓
角川映像事業局、上記の結果を受けて自分たちに第二期をやらせてくれと製作委員会を説得
(ケロロ等の子供向けにした場合の関連商品売上高データも提示)
「ばすてきを映像特典に、同人誌を設定資料集として販売していれば大きな利益になった」
かねてより子供向け長期アニメを強く希望していたことを利用され
ヤオヨロズとの板挟みから中立として沈黙(これをたつきがどう思ってるかは不明)
これによって製作委員会も押し切られ、担当部署変更&路線変更となった
↓
(ファミマ等の製作委員会のほとんどは、たつきにここまで影響力があるとは知らなかった)
(映像事業局は理解していたので、計画が引き返せないところまで隠しておくつもりだった)
後に引けない映像事業局はヤオヨロズに責任を押し付ける怪文書を公表
↓
反応を受けて井上専務とヤオヨロズ継続派が再度製作委員会に提案するも
「ツイートでプロジェクトに大きな損害を出した奴を戻すわけにはいかない」で拒絶
1241.ジャパリパーク来園者 2018/01/01(月) 17:35:25
※1236
それだとヤオヨロズ側から降りたっていう公式発表と整合性とれなくない?
その流れならコンプライアンス違反があったから降ろしましたで良いと思うけど
委員会でもテレ東、ジャスト(おそらくミレニアムも)はたつきの影響力分かってたわけだから
そこにC&C局さらに角川取締役が加われば角川映像局の一存がすんなり通るかなぁ
細谷Pの言葉にある通り「たつき監督続投がビジネス面でも望ましいのは百も承知」状態なわけだし
並みの頭があれば少なくとも角川、テレ東、ジャスト、ブシロもその辺の認識は共有してる
子供向けにしたいといってもたつき版でも子供受けするのも実証済みだし
1260.ジャパリパーク来園者 2018/01/01(月) 19:52:47 ID:c3YTYzOD 返信
※1241
ヤオヨロズ側から降りたっていう公式発表はそもそもヤオヨロズ発表と整合性が取れてないよ。
ヤオヨロズ側から降りたんだから自分たちは悪くないよとアピールする必要があった。
>委員会はたつきの影響力分かってなかったというけど委員会でもテレ東、ジャスト(おそらくミレニアムも)はたつきの影響力分かってたわけだからそこにC&C局さらに角川取締役が加われば角川映像局の一存がすんなり通るかなぁ
プリキュアとか調べればすぐにわかると思うが、通年通しての朝アニメが成功すればその経済規模は深夜アニメ大成功の比じゃない。
それにヤオヨロズは1クール制作に500日かけていたことからわかるように、通年通してのアニメ制作なんてとてもできない。
どうしても新規CGモデルの制作に半年~1年単位の未放送期間ができてしまう。
ファン相手ならともかく、興味が移りやすい子供向け番組では致命的。
データを見た一般企業や自社で朝アニメをやっているブシロなんかは、こちらの方が儲かると映像事業局の説得に乗ったわけだ。
たつきの影響力がわかっていなかったというのは、この大きなプラスの利益よりも降板のマイナスが少ないだろうと踏んでいたこと。
実際、監督交代は業界ではよく見られることで、過去ここまで騒動になったアニメはなかったわけだしね。
>映像特典や公式資料集を発売すれば大きな利益にって出版は角川の分野だから他の委員ほとんど関係ないし
無関係な権利ならいざ知らず、利益の算定できる専門の分野で好き勝手にやらせたのは背任行為だって。
ここで重要なのは実際の利益じゃなくて、管理能力の有無による主導権の奪取なのだから
日本アニメではなぜ徹底的に電線が描かれるのか?を海外メディアが推察
https://gigazine.net/news/20171225-why-anime-power-lines/
アニメにおいて背景・風景として電線が描写されることはエヴァ以前からもちろんあった。
そういった時代の記憶を引き写した風景の中であくまで添え物として、
あるいは便利なオブジェクトとして最低限の作画で描かれていたのが、電柱と電線。
鳥が電線にとまっている、ゲイラカイトが電線にひっかかった、犬が電柱に小便、電柱に隠れて尾行。
エヴァとは何か。
エヴァの深夜再放送の高視聴率が深夜アニメのパイロット版として働いた。
その後、エルフを狩る者たちから深夜アニメ放送の歴史が幕開ける。
異様なこだわり作画と作画崩壊との背中合わせも既にしてその内に秘めていながら自身は夕方アニメ。
一人のユダヤ教徒でありながら死して新しく宗教を作ったイエス!福音だね。
そのこだわりの一つに電線がある。
電線、無くてもいいですよね、そこ描く手間と映す時間をキャラに割きますよね普通。
そうじゃないのが、庵野。
ただの背景以上の電線。
2015年第3新東京市のツイッタラーは、揺れたら「電線」ってツイートするから。
そう、1995年に描かれた20年先の近未来、2015年の日本を描いてあの電線。
エヴァより先を生きている私達は知っている。
まだ相当に電線してる。
怪獣とスケールが合うのは高圧送電線の鉄塔、架線に接して火花散るインスタ映え。
なんて、俺が語るより本人がいろいろ語ってるし。
「庵野秀明の世界」トークショーレポート2回目 「電柱は積極的に残すべきだ」「特撮もやりたい」
http://neweva.blog103.fc2.com/blog-entry-3368.html
庵野「同じ電柱はないんですよね CGでコピペしても違和感がある ナナメになっているのもいい」
氷川「エヴァ以降、電柱を描くアニメ作品も増えているが 垂直な電柱が多いですね」
庵野「電柱に対して愛情が足りない 表層だけ真似ても魂が入らない」
冒頭の無人漂流船内に残されていた本は、宮沢賢治の『春と修羅』。
「わたくしといふ現象は假定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」
『注文の多い料理店』所収の「月夜のでんしんばしら」も電柱モノのハシリである。
文明開化で産まれた、すき焼きやカレーライス、あんパンが現代日本の食文化であると言えるならば
日本最後に電気が来たのは宮沢賢治の故郷岩手の「タイマグラ」。