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2018-01-30

絵を描くのを諦めきれず出戻ってきた話

1990年生まれ現在27歳のグラフィックデザイナーです。

絵を描くのを一度諦め、何年間か描いていなかったものの、

最近になってまた戻ってきた話をします。

せっかく戻ってきたのであれば、今までのことを記録してみようと思い立ち記事を書いてみます

しかすると1990年生まれで2002年あたりから

ネット上で絵を描いていた人にはとても懐かしいかもしれません。

しかすると、知り合いだったかもしれません。

アイデンティティが「絵を描くこと」になった幼少期

物心いたこから既に絵を描いていて、幼稚園児のころには既に

「学年一絵が上手いキャラ」として周囲から認知されていました。

それは高校に上がる直前までの11年間、自らのアイデンティティとして確立し、

自分=絵を描く人間だという自己イメージ自身の中で確実なものとして定着していました。

幼稚園児のころから漫画が大好きで、地獄先生ぬ〜ベ〜やドラゴンボール

赤ずきんチャチャ折原みと先生漫画くりた陸先生漫画をこよなく愛し、

よく真似て絵を描いていた小学校低学年。

高学年になるとテニスの王子様にめちゃくちゃにハマり、

その頃に同人という言葉を知るなど、順調にオタクとして育ちました。

ちょうど6年生になったあたりのころから

インターネットが家庭に手軽なものとして普及してきて、

自分イラストサイトを作ったり、CGで絵を描き始めたのもこの頃です。

あの頃入り浸っていたのは、「ふみコミュニティ」というポータルサイトの絵板。

そこにはたくさんの同世代イラスト趣味とする子たちが集まっていて、

同い年の子たちもたくさんいました。(「マウス書き。ペンタブほしい〜!」はもはや合言葉みたいだった…)

ネット上の友達ができたのもふみコミュのおかげ。

ふみコミュの中にも絵がすごく上手い子、そうでもない子がいて、

本当に小学校6年生なの!?てくらい当時上手い人もたくさんいました。

上手い人が降臨するともう大人気でコメント欄は大賑わい。

私もそこに混じって絵を投稿したり、交流が楽しくてずっと描いてました。

そのころはまだ上手い人に対する、明確な劣等感は感じませんでした。

劣等感が現れ始める中学校時代

中学校に上がるとドラゴンボールに大ハマりして、

ドラゴンボールファンサイト管理人同士(年齢層高め)で意気投合し、

毎晩のように絵チャットに明け暮れていました。

ファンサイトの中でも特に人気だったサイトがあり、

そこに設置された絵チャットに、暇な人が入っていてそこにどんどんあとから人が集まっていく。

チャットは描いている過程が丸見えなので、下手だと思われたくなくて大人に混じって必死で絵を練習し、

その時に人生で一番画力が上がったように思います

二次創作ドラゴンボールにどっぷりでしたが、

一方で「9091P」という1990年生まれ絵描きを集めた同盟が立ち上がり、

同い年同士で交流したりお互いのサイトを見あったりと、創作活動も活発な時期でした。

その頃あたりから、ふつふつと、「世の中には自分より何倍も絵が上手い人がいる」と

劣等感が湧き上がるようになってきたと思います

しかったコミュニティもいつか衰退し、

中学校三年生あたりで、絵を描いて交流するような友達はいなくなりました。

いるのは、ネット上でも話したことのない、上手い絵描きさんだけ。

同い年なのに、どうしてこんなに差が出てしまったんだろう?

そんなことばかり考えるようになったと、今振り返ると思います

課題のための絵しか描かなくなった高校時代

絵を描かなくなる人生なんて想像もつかない私は、高校美術を専門とした学校へ進学。

デッサン油絵、水彩、彫刻プロダクト、デザインといろいろなことを学べ、最高の環境で学び始めました。

課題で描く絵は本当に得意で、いつも良い点を取れるし、先生から評価も高いのだけど、

その一方で「自分のために描く絵」というのを、この頃にはもう全くと言っていいほど描かなくなってしまいました。

それはおそらく…わざわざ点にもならない、要は目に見えた利益にならない絵を描くことに意味を見出せなくなり…

わざわざ描くのに、上手い人たちよりも下手な自分を目の当たりにするだけで、

なんのメリットも感じられなかったから。下手な自分を見るのが怖かったから。

課題はいい点をとらないのに、コンクールでは金賞を取り続ける人。

同人活動で売れ始めた人。

絵画部で大きくて素敵な絵をたくさん描き続ける人。

成績や点数には現れない、素晴らしい魅力を持った人がたくさん身の周りにいました。

でもなぜだろう、仲良くなれなかった。劣等感で一緒にいられなかった。

絵の話だけするのはつまらなかった。

恋愛もしていたしバンドもしていた、いわゆるリア充タイプに属していた自分からか?

そのために、どこかで「自分は彼らとは違う」と思っていやしなかったか

一線を画すことでどうにか自分を保っていたのではないかろうか。

自分は違う」。「自分は比べられる土俵そもそもいない」。

仲良くなりたかったんだろうか?それも甚だ疑問で、確かに話は合わなかった、

でも、絵を描いててなおかつ絵以外のことも話が合うひとなんて、この世に存在するのだろうか?

ネット上では自分リア充的な側面は一切見えないために、

気張ることなく絵や萌えに没頭できた側面もあったのかもしれない。

物作りを職業にするため、グラフィックデザインの道へ

相変わらず絵を描く親しい友達はできないまま、大学に進学する時期になり、

「せっかく高いお金を同じくらい払うなら、地方じゃなくて上京して東京美大デザインを学ぼう。」と思い、

頑張って受験し、一浪の末美大進学を果たします。

絵を描く情熱が割と無くなっていたにも関わらず、真面目な性分ではあることと

点数を取る絵は得意ということもあったといえども今思い返すと本当によく入れたな…と思います

自主制作はもはや高校時代にはほぼしなくなっていたため、

絵ではなくデザインを選んだ理由は、少なくとも物を作りながら生きていきたいと思ったからです。

デザインであれば、就職率もよく、絵を生業にするよりはお金になると判断してのことでした。

ただ進学しても業種を変えても問題は変わらなかった。

デザインだって自主制作がとても大事なのに、大学生になっても自主制作ができない病が治らない。

でも課題はいい点を取れる…………と思いきや、さすがに大学はそうはいかなかったのです。

付け焼き刃では、太刀打ちできないほど周りが上手すぎるし、

そもそも大学研究のために来る場所なので、自分で物が作れない人間評価すらされない。当たり前のことですが。

そして最終的には就活で完全につまづき、希望企業には就職できず、

かといって物作りも諦めきれずに、作家性のないグラフィックデザイナーとして現在働いています

もうコミュニケーション手段として、絵はいらないのかもしれない

書きたい絵なんてのはもともとなかった。

誰かと描きあって、見あって、評価しあってというコミュニケーションの一つとして私はずっと絵を描いていた。

誰も居なくなって、誰とも話せないのに、一人で描き続ける意味はもはやなく、

コミュニケーションはできないのに上手い人を指をくわえて見ているだけで、

劣等感けが募る毎日になってしまった。

私にとっての絵は、物作りは、もう役目を終えたのではないか

新しい、今までとは違う方法で、コミュニケーションを取る方法を探すのが賢明かもしれない。

なんのために絵を描くのだろう?なぜこんなにも絵を、作ることを、諦めることができないのだろう?

物作りから離れることは、自分人生否定すること、アイデンティティ崩壊することという思い込みが、

未だに私に絵を描かせる。物を作らせる。本当はもう、とっくの昔にうんざりしているのに。

やっぱり諦められなかったけど、30歳を目前にして、

これから人生において「物を作るか」「作らないか」に一旦決着をつけたいと思ったのです。

どちらに転んでも、もうこれ以上このことで悩まないように。

から、一旦最後区切りとして、ちゃんと絵を描いてみよう。その取り組みを、今年は頑張りたいと思っています

2011-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20110219183205

集英社コバルト文庫のころですね。

折原みと(今も現役)、氷室冴子(故人)、藤本ひとみ(現役)懐かしい

氷室冴子さんにはもっと長生きしてもらって各シリーズ完結して欲しかったし、もっと沢山書いていただきたかった。

セカチュー」が話題の時にこれって折原みとの「時の輝き」とか恋人が不治の病で亡くなってしまう内容を男向けにした内容だと思ったよ。

 
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