はてなキーワード: WOWOWとは
俺は典型的なフツメン。仕事も中小企業の営業だし、金持ちではないが貧乏でもない。未婚。アラサー。172cm。63kg。
趣味は映画。映画館で見ることもあるし、WOWOWとかネットのストリーミングで見ることもある。「普通」の代表みたいな感じだけど、職場の同僚で高嶺の花すぎる2人のどちらとも仲良くなれている。
「高嶺の花だからみんなアタックする前から諦めてしまい、彼女たちは意外と寂しくしている」というよくある説が正しいかどうかは分からない。
ただ、俺は特別な意識をすることなく話しかけたり社内のコミュニケーションツールで雑談したりしてたら、だんだん仲良くなれた。それ以上進みたいとは思っていないので積極的に何かをすることはないけど、ここまでは誰でも到達できるんじゃないかと思った。
もう40数年前だけど、J-COMになる前のCATV会社でマンションにCATVを導入する営業をやっていたことがある。
今はどうなのかは知らないけど・・
当時、集合住宅や戸建にCATVを入れると、従来のUHFは見られなくなっていた。なぜかというとCATVは民法キー局、NHK、UHFもすべえVHF帯域へ変換して流していた。で、UHF帯域はCATVの有料チャンネル帯域として利用していた。そのため各マンションのUHFチャンネルをVHFで受信させないと見られなくなったとクレームがくる為、マンションオーナーや理事会に事前に相談した上で各戸を回ることが必要だった。
自分は営業として各戸を回る際にCATVの有料チャンネルを見ることができるSTB(セットトップボックス)をいかに勧めるかを考えていた。何せCATVの収入源は公共の電波障害対策工事請負費用とCATV受信費用だった。当時はWIndows3.1の時代でインターネットすらも今の様に普及はしていない。そんな時代にお金を払ってまでテレビを見るという考えを持つ日本人は殆どいなかったからだ。
せいぜいグリーン・チャンネルくらいか。衛生劇場、KIDSステーション、WOWOW、スターチャンネル・・もあったがオンデマンドではなく同じ映画を時間をずらして何度か放送するというタイプ。今では考えられない。
会社立ち上げ当初のある日、そこでSTBをつけて有料チャンネルを見てもらうということを
その時に自分が
「マンションでのチャンネル調整時に一緒に入ってから試用期間1ヶ月でSTBを設置してそのまま加入してもらうのはどうでしょう」
「それがいい」「そうしよう」「オーナーや管理組合にも事前に承諾はもらってやろう」「騙したらと言われたら、謝る」
自分としては「いや、でも、法的にももう少し考えてみましょうよ」とは提案したものの、「それでいく」との上からの圧力に屈した。
当時は新卒で月収30万、ボーナス2.5ヶ月程度だったが査定をさげられるのが嫌だったこともあり強くは反発しなかった。
それからというもの、その営業スタイルが定着し、CATV導入キャンペーンとしてはチラシを巻き、マンションの加入率を上げていった。
高齢者の方には丁寧に説明し、クレームの内容に心掛け、管理組合の理事会にも出席して説明した。
こんな営業スタイルが当時の体育会系の親会社である住商役員にうけ、メジャーになっていったと思う。
もちろん、訪問商法なんて考えてもなく、CATVを推進するために手探りで営業していたと思う。
J-COMがもともとできる前はジュピターテレコムと大阪の住友商事が「これからのマルチメディア時代はCATVが儲かるんや」とゴリ押しのCATV導入を進める。そんな住友商事、住友電気工業(CATVなどのモデムやSTBを生産)、伊藤忠商事、NEC(住友グループでこちらもCATV製品を製造)、市、シャープ、パナソニックなどの在阪系企業がかなり力を入れて第3セクターで動いていたと思う。もちろんトップを仕切っていたのは住友商事、住友電気工業の住友グループ。CATVでインターネットを推進していたのも、J-COM設立以前に住商が「関西マルチメディア研究会」と称してプロジェクトグループを作り、同軸ケーブルと利用したネットを研究していた。
高校時代の青春をギターの練習にささげ、ヤング・ギターを読んで教則ビデオを見ては「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤に明け暮れる日々を送るギター・ヲタクだった現在40代の私にとって、
この4名が一緒のステージに上がって演奏するというライヴの情報を見たときはまさに目を疑った。仮面ライダーで言えば初代とV3とストロンガーとスーパー1が一緒に登場して戦うような豪華さなのである。
スタンディング席10,000円というチケット代に昨今の物価上昇の流れを感じながらも私は数ヶ月前からこのステージを心待ちにしつつ、ついに迎えた4/7、定時ダッシュの18:00で会社を上がり、そのまま一目散にお台場のZepp Tokyoへと足を運んだ。
これから綴るのはそんな私からの、ヒーローたちへの拙いラブレターである。
今回出演する5人の中では最も若く、私もインタビューで姿をチラッと見たことある程度の存在だったトシン・アバシ。当然音は一切聞いたことが無い。
8弦ギターを高く構えて演奏するスタイルを見て、「恐らくものすごいテクニカルで複雑な演奏をこなす人なんだろうな」と思っていた私の予想そのまんまの人だったので、何も新しい衝撃はなく、かと言って印象的なメロディがあるわけでもなく、ただただ早く終わってくれとしか思えなかった。
強いて言えば低音弦で鳴らすヘヴィコードがとても心地よく聞こえたくらいだろうか。
アバシの黙々とした独演会のラスト曲で共演したヌーノ。曲が終わってアバシが去り、残ったヌーノはユーモアあるMCで客席を温めてそのまま「Get The Funk Out」を畳み掛けた瞬間からもう会場は雰囲気が一転!「そうそうこれが聞きたかったんだよ」というオッサンオバサン大歓喜!
EXTREMEの「Pornograffitti」ツアーからかれこれもう25年は使い続けているであろうギター、WashburnのN4。無塗装で手垢だらけのボディ、もはや何回交換したのだろうか分からないネックの先に伸びた印象的なリバースヘッド、そのギターを腰の位置まで低く構え、細く引き締まった体で長い髪を細かく振り乱しながら、リアピックアップL-500特有のトレブルな音を、爪を黒く塗った細長い指を駆使してカリカリと弾き出すそのヌーノのスタイルは、25年前から全く変わっておらず、我々ギターキッズにとって永遠の憧れであり、ヌーノといえばそのN4を携えたスタイルこそがアイコンなのである。
ヌーノもおそらくファンのそういった思いをきちんと分かっているのであろう。ドラマゴッズの頃はほんの一時期だけ肥えていたこともあったが、昨今はさらなるワークアウトを続けてとても50歳とは思えない体型を維持している。
要は我々はそんなカッコいいヌーノが懐かしい曲を弾いてくれさえすれば良かったのだ。そしてそんな期待に100%応えてくれるかのように彼はEXTREMEの代表的なギターソロ部分をつなぎ合わせたメドレーで私を満足させてくれた。ありがとうヌーノ!
オジー・オズボーンの「no rest for the wicked」や「No More Tears」の頃は歴代オジーギタリストの流れを汲む印象的なリフとよく練られたギターソロで、私もよくコピーして練習していたザック・ワイルドの曲。
ソロ時代のザックといえば「Pride&Glory」こそが至高であり、その作曲センスとギタープレイがさらに輝きを増しているように私には見えたが、そこから何があったのだろうか、Black Label Societyなるバンドを組んでからというものの、知性がゼロのギタープレイヤーに成り下がってしまった。
かつての「Miracle Man」のようなスピーディかつメロディアスなギターソロは存在せず、適当にチョーキングしている以外はペンタトニックスケールをフルピッキングしているだけ。ダサい、ダサすぎワロタ。ZZTOPを意識してるのか長いあごひげも汚いだけだし、時折モニタースピーカーの上に立ってゴリラのモノマネをするのも「俺はこれだけアホになったぜ」と言っているようでかつてのザックを知る身としては寒くて痛々しくて仕方なかった。
彼に関してはとにかく「Pride&Glory」の頃のスタイルに戻って欲しいとしか言えない。よくあんな曲とスタイルでレコード契約が持続できるなと思うほどのダメダメっぷりである。
今回の5人のなかで誰が一番好き?と聞かれれば私は即座にスティーヴ・ヴァイと言う。中学3年生で「Passion And Wafare」を聞いて以来、未だに私のスマホの音楽ライブラリではこのアルバムがヘヴィローテーションしているし、私が今メインで使っているギターもIbanezのJEM7Vだ。
過去にヴァイ先生の来日公演は見に行ったこともあるし、ライブ・アルバムやライブDVDはすべてチェックしているうえに、YouTubeもかなりチェックしている。
したがってこれまでのGENERATION AXEのツアーでどんな曲を演奏していたのかについては知っていたのだが、そのうえで今回はどう私たちを驚かせてくれるのだろうというのが一番の期待だった。
ザックに「エイリアン」と紹介され、のっけからヘヴィな「Bad Horsie」という意外な選曲だったのが嬉しかった。しかし、使われているのはあのミラーギター。全弦1音下げ+6弦ドロップCという変則チューニングのこの曲にあのミラーギターを使っているということは、すなわち今日は「Building The Church」をやらないという意味でもあったのだ。これはちょっと残念だったが、ひとまず「Bad Horsie」の重厚な音を堪能することにした。
その後は「Racing the World」が続いたが、今回の短い時間で聞きたいのはコレジャナイ感は否めなかった。アメリカツアーでは「Now We Run」もやってくれたそうだが、そういうのが聞きたかった。
そして「Tender Surrender」。ライブでこれほど映える曲はない。何百回と聞いている曲だが、それでも聞くたびにブルっとくるものがある。そこからは「Gravity Storm」もやったがこの選曲もやはりコレジャナイ感があった。
あともう1曲やってほしいというタイミングでヴァイ先生はあっさりとラストのイングヴェイへとバトンタッチをした。最も思い入れのあるのがヴァイだっただけに、今回のセットリストはちょっと残念だった。
実は私、生でイングヴェイのライブを見るのは今回が初だった。ただ、古くはWOWOWのライブ中継や、DVD、YouTubeを通じてイングヴェイのライブはさんざんチェックしているので、どんなライブをする人なのかはとてもよく知っている。
まさに「王者」の呼称にふさわしい、自信に満ちた堂々たる立ち居振る舞いで、とにかくピロピロピロピロと弾きまくり、3秒に1回はギター回しをし、5秒に1回はピックを投げ、10秒に1回は片足上げをするイングヴェイの変わらないスタイルが私は昔からずっと好きだった。
冒頭から赤い照明にドライアイスのスモーク。そのスモークの中から登場するイングヴェイ。もう最高!
前半は知らない曲もあったが、中盤からは「イングヴェイといえばこれでしょ!」という曲ばかりでうれしかった。お決まりのパガニーニからの「アダージョ」からの「Far Beyond The Sun」はもちろんのこと、なんと「Trilogy」も爆速で演奏してくれた。
途中、例の「バディヌリ」を演るも、キーボードのストリングスがまったく聞こえず、これでどうやって演奏を合わせるんだろうとそのあまりのアンバランス具合に思わず笑ってしまった。また、片足上げキックの高さが以前よりも随分低くなってしまっていたが、53歳という年齢を考えればそれも致し方ないだろう。イングヴェイはこれでいいのだ(笑)。
また、意外にうれしかった選曲がオーケストラとの共演曲である「Fugue」。当然バックにテープを回してのイングヴェイ独演会ではあるが、ずっとバンドの音が続いてきたうえでこのようなサウンドは良いアクセントだった。
ラストはヴァイ先生との共演による「Black Star」!個人的にはこの曲が今回のピークだった。まさかギターのハモリありの「Black Star」が生で聞ける日が来るなんて夢にも思っていなかったのし、その曲をヒーロー2名が一緒に演奏しているというのがもう感涙モノだった。
さぁ最後5人揃って…のはずが、最初はFrank Zappaの曲だろうか?知らない曲が始まり、弾いているギタリストもイングヴェイを除く4人だけ。あれ?イングヴェイは?このまま出てこないの?と不安になったところで「Highway Star」が始まり、ここぞとばかりにイングヴェイ様が再降臨。もう本人も分かっているんだね。どういう音楽なら自分が一番かっこよく振る舞えるかってことが。
しかし、リードギタリストが5人も揃って一斉に音を出してしまうと、聞いている方は「うるさい」としか言いようがない。とてもじゃないがじっくりと演奏を聞くのは不可能で、ただあの5人が一緒のステージに立って演奏しているという感動を味わうのが精一杯である。
かくして長い長い3時間半が終わり、会場を出たら時計は22:30前になっていた。足は棒のようになり、膝や腰にも痛みが来てしまったが、それでも私のギター人生において一生の思い出とも言える素晴らしいステージだった。この企画で来日公演を実現させてくれた全ての人々に感謝をしたい。
菊地成孔“ラ・ラ・ランド酷評”の動機を吉田豪が解説。「あれは菊地ジャズ警察による町山智浩への攻撃なんですよ」
吉田豪の見解は結構正しい。菊地成孔は世界を敵に回したかったのではなくて、町山智浩と戦いたかっただけだ。
上の記事だけだとなんのこっちゃな感じですけど、以下簡単な流れを解説。
背景: 町山智浩と菊地成孔が『セッション』(デイミアン・チャゼル監督の前作)を巡って喧嘩した。
町山智浩「『セッション』マジでヤベー。ボクシング映画みたい」
菊地成孔「チャゼルはジャズ好きとか言ってるがそのジャズ描写があらゆる点でクソ。業界でこれ褒めてるやつ皆無」
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1. 町山智浩が『ラ・ラ・ランド』をラジオで絶賛。「今回もすごくいいですよ。でも相変わらずジャズ警察(笑)の方々には叩かれてるらしいんですけどね」
*この時点では日本公開されていなかったため、『ラ・ラ・ランド』を叩いている「ジャズ警察」とはアメリカ本国の人たちを指している…‥ように見せかけて、前回の論争時の菊地成孔が念頭にあったのは明らか
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2. 菊地成孔が映画・音楽情報サイトに一回目の『ラ・ラ・ランド』叩きを掲載。論調としては『セッション』の時と一緒。
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3. だが、今回は町山側が沈黙。ラジオでも重ねて『ラ・ラ・ランド』を紹介し、褒めまくる。
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4. アカデミー授賞式で『ラ・ラ・ランド』が作品賞を逃す。この時の中継で町山が解説を務めていた。
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5. 菊地が補記としてさらなる『ラ・ラ・ランド』叩きを展開。
町山に無視されたのが応えたのか、「WOWOWの授賞式中継に出演していた映画評論家」とほぼ名指しで当てこすりみたいなことを書く。内容は「ホントはあんたも『ラ・ラ・ランド』が大したことないってわかってたけど、世論の流れに気圧されて本音言えなかったんでしょ???」。
山本一郎との抗争を見ればわかるように、町山智浩は売られた喧嘩はダースで買う人間なので、引きずり出す戦術としては正しい。
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6. が、やはり町山は無視。twitter で「(菊地のララランド記事を受けて)観客叩きはよくないよね」とコメントしている他の人を賛同RTしたりはしているが、直接菊地に対して言及はしてない。至現在。
とんでもない作品だった。とんでもない体験をした一週間であった。
それは原作が推理小説にカテゴリーされているからとか、原作者が江戸川乱歩だからとか、そういう理由じゃない。
私はその解説、および回答を以下に記すのだけど、それは完全なるネタバレです。
もう知らなかった頃には戻ってこられない、作品を殺す系のネタバレ。
なので、未観劇の方には本当に読むことを勧めません。
本作は素晴らしい完成度の傑作だし、舞台演劇でここまでのミステリーを作り上げるのは絶対に容易じゃない。
また、私はエグいほど容赦なくネタバレしていますので、正直自分ももう二度とミステリー演劇は鑑賞できない脳になってしまったのでは…と震えております。
(なので、読んでほしい気持ちがあって増田に書いているものの、観劇済みの方も生半可な気持ちではネタバレを読んでほしくない。六道の辻で迷い不幸だと感じている方にだけ、光が届けば良い。)
つまり未観劇でネタバレを読むということは、人生の楽しみを自らの手で一つ潰すということ。尋常じゃない損失です。
本作はDVDの発売が決定しています。
公式DVD予約サイト:http://www.shop-ep.net/east_park/shopping/a04020102/iid/0000000001746/
(発送日未定。予約は3月末まで)
めちゃくちゃ好評だったので、あなたの周りにも購入している人が居るはず。そして恐らく「見せてほしい」と頼めば喜ばれるはず。布教したくなるタイプの作品なのです。なので数ヵ月後DVDを鑑賞してから、是非また読みに来てください。
「数ヵ月なんて待てねーよ!」って方は、妥協点として2015年に他の演出家さんで上演されたものを見ることができます。
こちらは未観劇のためなんとも言えませんが、おそらく2015年版は絶対解けない「超ハードモードの『ミステリー演劇』」か、『ミステリーではない普通の演劇』の可能性が高いと予想しています。でもまぁ全く観ないでネタバレ読むよりは絶対良い。
たぶんDVD売ってるし、3月になれば我らがdアニメストア殿が配信してくれます。
https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/CP/CP00000660
高いチケット買って劇場に行くか高いDVD買うかしか選択肢がなかった時代を生きてきた作品の取捨選択にすごい苦しんできた勢なので、dアニさん月額400円でこんだけ見れるとかマジ神過ぎ。最初目を疑った。(WOWOWさんにも感謝していますが、うちTV無いから見れないんですよ…そもそも家にあんま居ないし。お金なら払うのでスマホでもWOWOW見れるようにしてください。)
原作「孤島の鬼」を読むのも手ですが、本作はある意味では『原作の本質を描いている』けど、ある意味『原作とは全くの別物』です。だから舞台版のネタバレは、舞台版を観てから読んでほしい。
そして、せっかく未来の楽しみを潰してまでネタバレを読んでしまうのだから、その前に『ミステリー演劇』の推理に挑戦してほしい。
一人で解くのは超ハードだと思うので、できれば仲を深めたい方と一緒に。(私が今回の回答に至るのに協力してもらった友人の数は4人です。内1人は原作を読み込み一緒に推理してくれました。)
ぼっちの方も安心してください。本作はめちゃくちゃ面白かったので『2017年版の感想』も、ネットの海に転がっています。そこから辿り着くことも不可能じゃないはず。鮮度のいい印象論の良さも、一晩寝かせた感想の良さもあるので、いろいろ漁ってみてください。
あと私は推理した一週間の思考ログをほぼすべて残しているので、トリックがわかってからログを読み返してみたら翻弄されている自分がめちゃくちゃ面白かった(当時は睡眠不足の神経衰弱で瀕死でしたけどね)。間違ってはいないけど騙されている。そんな楽しさもあるので、ぜひ推理に挑戦してみてください。
そして私がまだ解いていない謎の答えを見つけられたら、ぜひ教えていただきたい。
また、運良く本作を劇場でご覧になられた皆さま。感想はもう書き残しましたか?
公式がwebでアンケート回収もしています。送ると抽選で非売品舞台写真もらえます。私もとても欲しい。
本作は、『感想を残す』ところまでを含めて作品です。せっかく運良く観劇できたのだから、140字で良いから書き残しておきましょう。
できれば思いの丈をすべて書き出しておくと良いです。『他者に感想を伝えようとした人だけが、謎解きの後に得られる感動』があります。(※個人の感想ですが!)
この感動を、本作品が本当に素晴らしい江戸川乱歩の原作舞台化であったことを伝えたくて、読んだら作品を殺すことになるようなネタバレを恥を忍んで書いています。
私はソワレ観劇後、徹夜で翌昼に感想書き上げました。これが私の沼への一歩だった訳ですけれども、これを書き残しておいたお陰で、謎が解けた時に私の回答を出すことができました。
一度ネタバレを読んでしまうと、もう観劇で感じた感想書けなくなると思いますので、本当に一言で良いから感想書き残しておいてください。ついでだから公式アンケートに答えて非売品写真当てましょう。当たったら私にも見せてください。
最後に公式各位。
ネタバレにあたる部分は私の個人的なミステリー体験なので、これが公式解とは主張断言しません。
と言うか、理由なき見落しと、自分の能力ではどうしても咀嚼できなかった部分(言葉がスムーズに脳に入ってこなくて読解しながら観劇することができなかった原作には無いシーン)があったので、私のネタバレは不完全です。他にも拾い損ねている箇所がポロポロ出てくる。逆転する可能性が大いにある、お粗末な推理。
ですが、キャストの皆さまが最後までネタバレに配慮されていたのに、ネタバレを公開し誰かに読んでほしいと願うことが、浅間しいようにも感じています。
ネタバレ注意喚起に約2000字程裂きましたので、どうか堪忍してください。
p.s.オリジナルマグボトル購入しました。作中に赤い色が無かったのでデザインも綺麗だし購入したのですが…紐解いてみるとなかなか意味深なグッズですね。とても良い記念品になりました。
それでははじめます。
無人の屋敷に風が吹き込む
暗転
まったく光のない深い暗闇から男性の声が聞こえる
「不幸ということが、私にもよくよく分って来ました。本当に不幸という字が使えるのは、私だけだと思います。遠くの方に世界とか日本とかいうものがあって、誰でもその中に住んでいるそうですが、私は生れてから、その世界や日本というものを見たことがありません。これは不幸という字に、よくよくあてはまると思います」
暗転明け
無人だった屋敷に白髪の男性が立っており、書物を音読していた。
彼……『私』を語り部とした、物語がはじまる。
http://anond.hatelabo.jp/20170206104211
ミステリーとして解いた今読み返すと相当ブッ飛んだ納得の仕方をしている。自分の妙さについて今までなんとなく感じていた部分が浮き彫りになりすぎである。こわい。
当時も気持ち的にスッキリはしたけども、<もやもやした原因が『認知を歪められている感覚』だったのに、「それは作者の願いだよ!」という犯人と動機の『妄想』では、『論理的解決』にまったくなっていない>ので、悶々とはしていた。
作り手側は演劇を魅せるプロだが、観客は演劇を観るプロだ。伊達や酔狂でやっているわけではない、こちとら真剣に観ている。
『認知を歪められている感覚』なんて中途半端なものは見過ごせない。
そこからずるずると私は沼に嵌まっていき、推理のためにガチで眠れない一週間を過ごすことになる。
そもそも、舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」の何がミステリーなのか。
それは、本作品が叙述トリックを駆使し、とある『真意』を隠しているということにある。
しかし私の目下の推理動機は、トリックを逆手に取った『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』にあった。どうしても二人を幸せにしたかった。
そのために以下のことを行った。
そしてひたすら二人が相思相愛ではないという可能性を潰し、相思相愛である可能性を見つけ出す作業。
二人の愛の一番の障害は、箕浦の白髪化=「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」という点。
これが諸戸が箕浦の前にあらわれることがなくなった原因だと思う。彼がどんなに誠意を尽くそうとも、これだけはどうにも覆すことができない。
しかし、実は原作では白髪化したタイミング=直接的な原因が諸戸に襲われたことのみだとは明記されていない。
そして舞台でも、実はめちゃくちゃぼやかされている。
冒頭、語り部である『私』が自身の体験した恐怖について語ろうとする。その時にまるでトラウマが呼び起こされるかのように喉元を掻く仕草をする。
後半井戸の奥、深い完全なる暗闇の中、水位が増して死の恐怖に襲われた時。『私』佐藤箕浦も、諸戸と石田箕浦と同じマイムを行って移動し、水位が増しだすと喉を掻いて苦しみ悶絶する。
これは、白髪化するほどの『生理的』な恐怖が、諸戸に襲われる前から強烈にあったという解釈にできる。
では逆に、諸戸に襲われた後の恐怖はどうだろう。助八さんの救助が来て、生死の恐怖は去った。丈五郎の恐怖も去った。では諸戸に犯される恐怖はなくなるか? 普通に考えれば、自分を襲ってきた相手が側に居るなんて恐怖しかない。第三者が居るから安心だなんて暢気になれる訳がない。(学術的根拠を略していることは恥じています)
箕浦は、諸戸に襲われた時にあれほど恐慌したのに、襲ってきた相手が側に居てもケロっとし過ぎなのである。脱出できた時なんて笑いあっていたりする。
これらによって、「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」ということを否定できる可能性が、十分にある。
『生理的』に受け付けられない訳じゃないのなら、箕浦の同性愛への拒絶はどこからくるのか。
諸戸が触れるままにさせ遊戯を楽しんでいたと言っているが、これってちょっとエッチではないですか? 私は『もてあそぶ』というよりも、遊廓でのお戯れみたいな印象の方が強かった。エロかった。
ましてや「あつい手だね」というセリフは、諸戸と佐藤箕浦の両方が同時に口にする。
これは原作では諸戸が言い、簑浦も『私も同時に、火のような相手の掌を感じた』とある。
あの夜、諸戸と箕浦は、本当は同じ気持ちであったのではないか。
しかし大人になった箕浦…いや『私』佐藤箕浦は、頻繁に同性愛を拒否する。
そして井戸の中、「今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」と請い願う諸戸を「あさましい!」とはね退ける『私』佐藤箕浦。
実はこのセリフ、原作には無い。そして学生時代のあの夜は諸戸の方が言っていたセリフなのだ。
「君は浅間しいと思うだろうね」と。
箕浦に『同性愛を持つ者は異人種』だと一番最初に植え付けたのは、他ならぬ諸戸であった。
そしてあの夜、「『私』は諸戸との関係はこれで終わったと思った」。
もし、もし諸戸が、自分で自分の気持ちを否定してしまわなければ、二人が結ばれていた可能性もあるのではないか?
あの夜の後、箕浦が大人になりSK商会に勤める場面から「過去の『私』」石田箕浦が登場する。
大人になった『私』佐藤箕浦は同性愛嫌悪の感情を見せるが、石田箕浦は同性愛を嫌悪していない。
諸戸が自分に恋していることを頭では理解しているが、そもそも同性愛をわかっていない。だから諸戸からの熱視線(性愛アピール)をまったく感知できないし、諸戸からの接触に応えること・握手を求められた手を握り返すことができる。
(スポットライトが当たらないところでの石田箕浦と諸戸は、まさしく「諸戸と簑浦は何か変だ」状態。熱視線を送ったり触れようとしたり羞恥の色を見せたりする諸戸に、石田箕浦はまったく気付かない。A.T.フィールド固すぎ)
原作の簑浦とはかなり印象が違うそう(私は一度推理完了するまで未読を貫く主義のため世論であるが)。
簑浦と箕浦、原作とは名前の漢字が異なるし別人か? いや、そうじゃない。無意味な改変は絶対に起こらない。「虚偽の事柄を事実として書くことはアンフェア」だからだ。印象が違うなら、『変えた理由』と『変えても原作の簑浦を成立できる理由』がある。
石田箕浦が登場する前。佐藤箕浦が諸戸との関係は終わったと思ったあの夜。諸戸が泣きながら請うた内容は以下だ。
「君は分っていてくれるだろうね。分ってさえいてくれればいいのだよ。それ以上望むのは僕の無理かもしれないのだから 。だが、どうか僕から逃げないでくれたまえ。僕の話し相手になってくれたまえ。そして僕の友情だけなりとも受け入れてくてたまえ。僕が独りで想っている。せめてもそれだけの自由を僕に許してくれないだろうか。ねえ、簑浦くん、せめてそれだけの……」
諸戸が願った内容、これまんま石田箕浦じゃん……
石田箕浦は諸戸を友人として深く信頼しているし、井戸の中でなんて一緒に死ぬことすら受け入れている。諸戸の願いを、字面通りに叶えている。
しかし周知の通り、諸戸が心の内で望んでいたのは、彼の『死にもの狂いの恋』を受け入れてもらうことだった。
諸戸は自身について怖れている描写が多々あった。それは自分の素性と性愛対象が『普通と違う』ことでもあったし、『父に命じられたから行っていたはずの不気味な研究にいつしか諸戸自身も不思議な魅力を感じはじめていた』ことも大きいと思う。
我と我身を醜いと卑下すればするほど、美しいものを強烈に求め、美しくあるべきだという観念に囚われる。
諸戸の心の内の葛藤が『手記の秀ちゃんと吉ちゃん』そのものに見えた。諸戸の望み(イド)と願い(超自我)は大きく解離している。
箕浦が写し取ってしまった『同性愛を持つ者は異人種』という価値観、『親友という姿』は、諸戸が持つ美意識の刷り込みだった。箕浦にとって諸戸は、本当に「美しい青年」だったのだ。
石田箕浦は本当にクセのない、まっすぐな好青年だった。諸戸の理想とする『普通』がそこにあるように見えた。そして原作の簑浦とは印象が異なる存在…
これはつまり、簑浦のイドと超自我のようなものが、『私』佐藤箕浦と石田箕浦に分かれて表現されているのではないか。一人の人間を二人で演じ、二つの存在(語り部の『私』と、簑浦のイド)を一人が演じているのではないか。
彼らの箕浦の分担は、紀州の孤島に着いてから大きく変動し反転してゆく。
井戸の中で諸戸に襲われ、完全に石田箕浦から佐藤箕浦に替わったのは、諸戸が望んだ存在が友人ではなく恋愛対象としての箕浦だったこと、そして諸戸の手によって「諸戸の理想とする『普通』」が壊されてしまったこと…『私』になった石田箕浦にも諸戸の姿は獣のようだと評されている。学生時代のあの夜に諸戸が否定をしてしまったこと、それの繰り返しだった。
そして秀ちゃんへの恋心を諸戸に恥ずかしいものと責められる場面。実はあれは原作だと簑浦のモノローグによる言い訳タイムとなっている。諸戸はそもそも丈五郎に捕まって、島に到着して以降会っていないというのだ。正確にセリフを覚えていないが、原作未読の私でも、最初に秀ちゃんから手紙を受け取ったシーンに諸戸が居ることに強い違和感を感じた(そして友人が原作では諸戸が居ないことを確認してくれた)。
よくよく考えれば変なのである。箕浦に恋慕を寄せる諸戸に責められる筋合いはない。初代に操を立てるなら諸戸の恋に応えることも恥ずべきことだし、諸戸に気を遣う必要だって本質的には無いのだ。(まるで『アイドルは恋愛しちゃいけない』理論だ。)
ではなぜ超自我のポジションである石田箕浦ではなく、諸戸が責め立てるのか。
箕浦の美意識は諸戸の影響を強く受けているから諸戸の姿をしていたとも捉えられるが、それ以上に、常識的な葛藤だという以上に、箕浦の心の中に諸戸を慕う側面も幾ばくかあったから、秀ちゃんに恋する自分と、諸戸を慕う自分で対立したことを表現していないか。
佐藤箕浦はもちろん初代にも秀ちゃんにも惹かれているが、彼が箕浦のイドのポジションであるならば、諸戸のことも結構好きだった。(イドでなく単なる『私』なのだとしても、諸戸を見つめる視線に愛憎のような熱が込もっていたし、)諸戸との会話に深山木が入ってきたとき「早くないですか!?」と驚くのは二人の箕浦で、石田箕浦一人だけが言うと単純に時間が早かっただけに聞こえるが、佐藤箕浦も合わせて言うことで「諸戸との会話に邪魔をされた(もっと諸戸と話したかった)」かのような邪推ができてしまう。
そして諸戸が握手のために差し出した手を『箕浦が握り返さなかった』時。諸戸は驚愕の表情で『私』を見る。見つける。実は、物語の始まりを告げる運命が廻りだすような音楽が流れて以降(犯人だと疑って諸戸の家を訪ねて以降)、諸戸が『私』を初めて見たのが、この『箕浦が握り返さなかった』時。
握り返さないのは、握り返すことに意味が生じてしまうから。石田箕浦は諸戸の恋をまったく感知しない。そんな石田箕浦が握り返さないわけがない(実際に、諸戸に見つかってしまった『私』が顔を背けた瞬間、石田箕浦は手を握り返す)。つまり学生時代のあの箕浦が、心の中にまだ居たということ。
諸戸にとってはそりゃあ嬉しいことだろう。彼はそれ以降箕浦に話しかける時、佐藤箕浦を見てから石田箕浦を見る。ここからどんどん、『箕浦』の行動を表現するのが佐藤箕浦へ移行してゆく。
一度は友人として、諸戸と共に死ぬことも受け入れた箕浦。
しかしその結末を自らの手で潰す諸戸。
逃げながら箕浦は吼える。「死んでたまるか!」と。箕浦は白髪化するほどの生死の恐怖を体験したばかりだ。
諸戸に襲われるも未遂に終わり、命が助かることに深く絶望する諸戸。
井戸を出た二人は笑いあう。諸戸は箕浦が白髪化するほど生理的に同性愛を受け付けないのだと認識したように、箕浦の白髪を見て泣いているように笑う。
そして箕浦の前に現れなくなった諸戸は、気持ちを遺して逝くことで最期にまた箕浦へ大きな傷を残す。
先述の通り、私の推理動機は叙述トリックを逆手に取った二人が相思相愛であったことの証明にある。
からくりが解ってみると、どうってことない・ただ上演されているものそのままに過ぎないのだけど、ここに辿り着くまで本当に一週間ひたすら睡眠時間を削って悩んだ。二回目に観劇した時などは、とにかく正確に推理するためにありのままを最前列からガン見してきたのに、どうあがいても悲恋という現実に心が折れそうになった。マジで。実は二回目に最前列で観測した時よりも、初見H列サイドから観劇した時の方がイイ線いってたよな(納得の仕方はブッ飛んでるけど)と思う。
で、共に推理していた友人が先に原作の叙述トリックに気付き、簑浦と諸戸のBLは成立しているという解を出してくれたので、二回目の絶望した記憶で観劇を終えるのもなんだし推理はやめて初見のつもりで観劇しようと思って向かったのが三回目の観劇。最後尾辺りの補助席。
しかし驚くほど新たな発見がまたどんどん出てきたうえ、深山木のセリフによって私は舞台も叙述トリックを使ったミステリーなのだと確信してしまう。
これは原作にもあるセリフらしいのだが、深山木がトリックについて思わせ振りなことを言うシーン。そのセリフが完全に『叙述トリックの説明』になっていたのだ。聞いた瞬間、震えが走った。
本作がミステリーであると気付けるように、最初から以下の違和感と解法が提示されていた。
さて。ここで疑問に思われることがあるだろう。なぜ叙述トリックを使用しているのか? 隠したいものは何なのか?
この件について私は非常に貴重な体験をする。
本作の大好評っぷりと、推理に明け暮れ神経衰弱している私を心配して、友人が本作を観劇してくれた。三回目観劇の日、偶然スケジュールが合って友人2人(友人Aと友人Bとする)と一緒に観ることができた。終演後、私はわくわくしながら二人に感想を求めた。
友人A「箕浦殴りたい……不快過ぎて体調悪くなってきた……」(※意訳)
当時、箕浦殴りたい勢は最大勢力に感じた。過激箕浦擁護派も0ではないが、大多数が箕浦(おそらく『私』のみ)に不快な感情を持っていた。冗談ではなくガチで友人Aが苦しそうにしており、私も初見後は物凄くモヤモヤしていて苦しみがよくわかるので、少しでも気が晴れないかと友人Aと対話することになる。
不快感を分解していく。
友人Aは非常に言いに難そうに、しかし押しかかる不快感から助かるため、意を決して打ち明けてくれる。
友人Aも不快の対象は『私』にあり、その根源を追ってゆくと友人自身が「『拒絶』されるのが本当に無理」だから、諸戸を拒絶しているのに側に居た『私』を悪だとした。
増田「拒絶することを『悪』だとするなら、今『拒絶を拒絶』している友人Aも悪だということになるでしょ? 友人Aは悪なの?」
結局友人Aには私の初見感想を読んでもらい、加えて私の心の闇()もひっかかった話をしたことで、とりあえず翌日出社できるレベルには不快感が晴れたと言ってもらえた。良かった。
さて、私は友人Aと対話して思った。「もしかして江戸川乱歩のやりたかったことってこれでは?」
感想を書いた方ならわかると思うのだが、感じたことや思ったことの根拠を話そうとすると、自身についての話、しかも心の闇()の部分を語らないとどうにも説明できなくなってしまう。
私も推理ログ含め大量に書き残したが、心の闇()を除いても、暗闇マジ怖い体験とか、無意識下の生理的拒絶は実在するよ体験とか(思えばこいつが二人の恋の一番の障害だった)、とにかくネガティブな体験談がバンバン出てくる。
共に推理し原作解読した友人も、舞台の感想を書こうとしたら闇にぶち当たって、書くのを控えようとしていた。( Permalink | 記事への反応(0) | 22:47
2016秋→http://anond.hatelabo.jp/20161026012850
・銀と金
★★☆☆☆
借金取り立て系
主演俳優の棒具合がやや気になる
・大貧乏
★★☆☆☆
軽めに見れるけどそんなに面白くない
会社の裏金がどうのって内容だけどタッチが軽すぎて合ってないな
★★★★★
今後に期待
・楽園
★★☆☆☆
と思いきや人の記憶が読める超能力とかいう設定が出てきて突然チープに
・嘘の戦争
★★☆☆☆
過去に似たような話が多いので展開予想が容易
☆☆☆☆☆
1話途中で視聴断念
悲劇のヒロインをやるなら主役に超美人を持ってこないと格好がつかない
★★☆☆☆
そのことを仰々しく取り上げすぎてて違和感
★★★★★
息子が就活生で、父親は大企業務めだったがあらぬ疑いからクビになり就活を始める
このまま行くと娘と妻も就活するのかなと思う
★★☆☆☆
・バイプレイヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~
★★★☆☆
企画内容が面白い、パロディや実際のドラマの名前出されると笑ってしまう
本筋はまだそんなに面白くないが今後に期待
☆☆☆☆☆
途中で視聴断念
周囲の人間は父親を何だと思っているのか、妻の態度に非情に腹が立つ世界観
★★★★★
スピーチライターという職業自体が物珍しく、ストーリーも面白い
今後に期待
もこみち演技上手くなってた
特別枠
★★★★★
他にも見たら追記するかも
本当にアホすぎと思う。
どんどんライブやったらいいじゃん、って思う。
転売屋もなくなるだろ。
小さいところで頻繁にやるライブ?
いやいやクオリティー下げたくないからとかって、言うんじゃないよ
もう、ドリカムとかユーミンとかアルフィーとかテーマパーク化してるから、
なんか、新参者とか行きにくいし、
それなら、小さいところならちょっと行って見れる・聞けるかなってささやかさがいいんじゃん。
デカくやるなら大阪万博会場跡地で6000万人規模のライブでもやったら!
TMレボリューションの人みたいに風が強い日でもライブやったら!
どうしてもデカい規模やりたかったら、WOWOWでもいいやん!
バカですか!
便乗してもうすこし昔からたどると、エヴァのあとTVアニメがイケるってんでTVアニメのクオリティ(深夜ではなかった)をガンガンに上げてみたのはWOWOWだと思う(エスカフローネとか)このころはまだ夕方だった。
で、さすがにそんなの作れないけどコア層に売ってみよう、深夜でもう少しお手軽にやろう、ってな感じで、エルフを狩るモノたちぐらいから深夜でそこそこのクオリティでセルビデオ(DVD)を売るスタイルが始まってきた。
そうこうしているうちに深夜でもハルヒあたり(というか京アニが下請けじゃなく元請けになったころ)から短期TVアニメのハードルがんがん上げた印象はある。
とはいえ深夜TVでそんなにクオリティ求められたって!って短編シリーズモノ劇場スタイルってのが出てきているんじゃないかと思う(やたら劇場版増えたし)
さらに昔に戻ると、シリーズモノOVA(TV放映せず最初からセルビデオで5~12話ぐらい、1話5000円ぐらいで売る)時代にキチガイじみたクオリティ+劇場作品では難しいボリュームでOVAのハードルをメチャクチャに上げたのはトップを狙え!とかガンダム0083とか。
反動でそこそこのクオリティで安定して売れるというパイオニアの天地無用シリーズあたりで今の短期深夜アニメスタイルに近いものが確立されてきたと思う。(1話 美少女と出会う、2話 美少女のライバル登場、3話~4話 グダグダ温泉回(水着回)、敵ライバル登場等、5話シリアス展開、6話 大団円のパイオニアLDCスタイル)
小さく始まる→成功例が出る→ハードル上がる作品出る→違うスタイル模索
OVA時代 と WOWOW時代、深夜アニメっていう「作品そのものを売る」タイプのスタイルはだいたい似ていて時代が繰り返している感はある。
Huluに加入したのは海外ドラマ(特にクリミナル・マインド、CSI、BONES)を見たいのがきっかけだったけど
ここのところ立て続けに海外クライムドラマがシーズン単位で削除されてて、見るものがなくなってきた。
CSI NYのシーズン5は残るのかなと思ったら消えてたし。ダニーとリンジーどうなったのよ。
追加されるものといえば、昔のドラマやら、日テレのドラマやらアニメやら。
というか、日テレに買収されてから、かなり方向性が変わったと思うのは穿ち過ぎ?
正直、日テレオンデマンドに金払う気はないので、日テレ個別にやってくれよと思う。
dTVに乗り換えようかとも思ったけど、こっちも一時期よりごっそり洋ドララインナップ変わってる? みたい。
なのでNetFlixには期待してたんだけど、今のところオリジナルドラマしか推してない気がする。
やっぱり海外ドラマ見たい勢はCSなりBSなりで見てるから、優先度低いんだろうか。確かにCSとBS契約してるけど。
NetFlix契約する予定の人は、なにを決め手にしてるんだろう。乗り換え予定の人は結構いるのかな。
追記。BSはWOWOW。DLifeも見てるけど、遅いからダラ見。
WOWOWのチーズ!チーズ!チーズ!をイメージしてください。
10代~26歳まで数をこなすためにセックスをしていた。
まさに、
な日々を送っていた。
いい女とやりたい
ではなく
ただ数をこなしたかったので
一回やってやりすてた女がたくさんいた。
実家住みだったが
ラブホ代が月5万を越えた辺りで
伝手を頼って
ヤリ部屋を借りた。
壁が薄くないのと角部屋であったことが利点だった。
26でできちゃった結婚し、しばらく妻相手にセックスをする日々となる。
お互いの両親が金を出してくれて、
都下に一戸建てを買うことができた。
妻は別れたくないと言ったが
良い家のお嬢様だったので、他人にセックスレスの話を聞かれるのがいやだったのだろう。
セックスレスになってからすでに会社の女のこと不倫していたので
セックスには困らなかった。
その時、数よりも質を重視するようになった。
調教していく楽しみに目覚めていたのだ。
そして、数人の性奴隷を飼うことになった。
全員年下だったので、ずいぶん無茶なことをしたと思う。
いまだったらすぐに写真を取られてSNSで拡散されて人生終了なんてこともありえたかもしれない。
そして35歳になり
また、質より数を求めるようになっていた。
学生時代はいろいろな手をつかって女の子と知り合ってセックスしたものだが
いまはSNSで簡単にやれる。
短期間ですぐに別れたりくっついたりする女の子。
付き合ってるアピールの強い子。
などは落としやすい。
偽名を使っていたので
もちろん、車のナンバーも極力隠して会った。
ラブホなどでも、ナンバーが見えないよう、見えないようエスコートしたりして。
ここまで書いて質問なんだけど
35歳を迎えてふたたび乱射するようになったのは
種の保存という
オスの本能が働いてるのだろうか?
よく花などは散る間際に種を残すという。