はてなキーワード: 足音とは
駅ではないですが、通勤途中、駅に向かう道で前を歩いていた女子高生がチラリと一度振り返り、意を決したように私の所へ来て話しかけてきました。
いくら必要なのかを尋ね、財布の中にあった500円玉を1枚渡しました。
「ありがとうございます!」
その子は駅に走っていきました。
数日後、同じく通勤途中に後から視線を感じて振り返ると、その子が居ました。
目が合いましたが、気にせず歩き続けると後から駆けてくる足音がします。
足音が少し手前で止まったので気になり振り返ると、自販機でコーヒーを買っていました。
コーヒーを買ったその子は駆け寄ってきて、「先日はありがとうございました。」と言って買ったばかりのコーヒーと500円玉を手渡して来ました。
軽く会話を交わした後、彼女は再び走って去っていきました。
人間の脳とはどうにも不便なもので、積み重ね続けているはずの明るく優しい記憶はその隙間に挟まる嫌な記憶に塗りつぶされてしまう。古来より経験から学習して危機を回避するために必要な仕様なのだと考えれば理解はできるのだが、現代に慣らされたわたしにとっては、ずっと自分を縛り続ける鎖のように重苦しい。
虐待、という言葉は日常的に――さまざまなニュース、ネットの記事、大学の授業、書籍なんかで――目にする。その程度に軽重はなく、そしてその辛さに貴賎はなく、当事者が辛かったと感じ、または自覚なくとも傷つき、倫理と法に照らし合わせたときにそう判じられたのなら、それは虐待になるのだろう。
多くの人が、まずぱっと想像するのは保護者から子への虐待であろう。母から、父から。扶養者から。祖父母から。近年では、養護者による高齢者に対する虐待も問題視されている。わたしのiPhoneに標準搭載された辞書によると、虐待とは「むごい取り扱いをすること」。調べれば、厚生労働省による児童虐待のページも出てくる。それによれば、児童虐待は「身体的虐待」「性的虐待」「ネグレクト」「心理的虐待」の四つに定義されるらしい。なるほど、思いつく大体はさらっていそうだ。長くなるのでそれぞれの具体的な例は省略するが、暴力や言葉による脅しなどが挙げられている。
そして、本題である。
寓話だと、シンデレラの義姉が一応それに当てはまる。義理の兄姉、弟妹、そして実のきょうだいからの虐待、である。
わたしは未だ、自らのそれを虐待ということに疑問を覚えている。確かに暴力があって、辛い言葉があった。けれどやっぱりきょうだいだから、そして自分でも信じられないことに、生まれてこの方家族のことを明確に「嫌い」になったことがない上、いくつかの発端は自分に非がある喧嘩だった覚えがあるために、はっきりとした定義づけができないのだろう。
でもたぶん、あれは虐待だった、と言っていいのだと思う。
わたしには、四つ上の姉がいる。はっきりとした実感では思い出せないが、間違いなくわたしは姉が好きだった。生意気だったし、変な子どもだったけれど、姉のやることをいつも真似して、遊んでほしがった記憶がある。面白いと言っていた漫画を読んで、図書館で本を借りて、拙い四コマを描いていた。女の子のお人形やミニチュアが家にあったから、それで一緒に遊んでほしかった。まあ姉は真似されるのを嫌がっていたし、あまり遊んではもらえなかった気がするが。母に諸々が露見するまで部屋も一緒で、二段ベッドの上下で眠っていた。
ひとつ、間違いなく自分に非がある発端として思い出せるのは、借りた本のことだ。当時姉はあるシリーズの小説にはまっていて、それをわたしも読んでいた。今思うと意味が分からないのだけど、ホラー作品の影響か、知らない内に血痕が増えていたらおもしろいだろう、と、当時のわたしは考えた。ちょっとした騒ぎになることで、家族の気を引きたかったのかもしれない。馬鹿な思いつきで、抜けた歯かなんかの血液を、本のページになすりつけたのだ。
単純に汚いし、本当に意味不明だ。弁償しろと言われたらそうすべきだし、怒られたら謝るべきだ。
姉は怒った。当たり前だ、妹が自分の本を読んでいたと思ったら、返ってきたときに謎の薄茶けた汚れが付いていて、あまつさえそれが不衛生な血液なのだから。生理的に拒絶して責められても仕方ない。
それで、姉はわたしを蹴った。蹴って、床に置いてある座布団の上に転がして、そこで背中を踏みつけた。座布団の上だったのは一縷の優しさなのか、当時の部屋は恐ろしく汚かったので、床に放置された物ものをわたしの身体が潰すのを嫌がったかもわからない。とにかくそんな感じで、わたしは泣いて謝って、しばらくののちに姉は怒ったままひとまず足を退けた。本をどうしたかは覚えていない。
そんな調子だった。二人とも通っていた小学校の校門前で、下校時刻にみぞおちを蹴られて――これは何が原因だったか忘れてしまった――動けなくなり、野次馬にじろじろ見られながらどうにか帰ったこともあった。姉はさっさと帰ってしまったので、持っていた傘を杖にして耐えていた。わざとかどうか分からないけれど、的確にみぞおちへ爪先が入って、ちょっと吐きかけた。
ここで弁明しておくのだが、両親は見て見ぬふりをしていたわけではない。というのも、わたしたちは鍵っ子で、昼間は父母ともに家にはいなかったのだ。そういったいざこざが起こるのは大体ふたりが帰ってくるまでの時間帯だったので、そしてわたしは姉に言い含められ、かつ自分の受けているダメージの深さに無自覚だったので、親にあまり言い募ることもなかった。父母の見ている前で姉の手が出たらさすがに止められたし、姉は叱られていた。まあそれによって機嫌の悪くなった姉の言動がさらに悪化することもあったのだが、とにかくそういうことだった。
契機は、特に姉の機嫌がひどい夜だった。母は父を迎えに行っていたので、両親ともいない。子どもは夕飯もお風呂も済ませて、あとは寝るだけという時間だった。
「ねえ、電気消して」と言われて、わたしは断った。前述したが、わたしたち姉妹は二段ベッドの上下で寝ていて、付け足すと姉が上段、わたしが下段だった。部屋の照明にはよくある紐が付いていて、天井の真ん中から垂れている。姉のいる上段からは手を伸ばせば届くが、わたしは一度ベッドから出ないと届かない。舌打ちが聞こえた。電気消せよ、と言われて、お姉ちゃんの方が近いんだから自分で消してよ、ともう一度断った。それで、姉は怒った。
足音を荒らげてはしごから降りてくる音に身体が強ばった。怒られるんだと思うと本当に嫌で嫌で、それでも、今日ばっかりはわたしは悪くないのだから、と頭の中で唱えていた。電気をどっちが消すかなんて、どう考えても至極どっちでもいい張り合いだ。変な意地は、それでも道理に合わないことに従いたくない一心で、そのあとに予期される出来事よりも優先されてしまった。
ぎゅっと身体に力を入れ、壁側に背中を向ける。お腹は内蔵に直接響いて辛いので、せめて背中側ならという発想だった。ベッドから引きずりだされるのが一番怖くて、でもそうはならずに、背を向けたわたしへ、そのまま足が飛んできた。電気消せよ、消さない、の、文字だけだと死ぬほどしようもない、馬鹿みたいなやり取りをしながら、ひたすら泣いて背中を蹴られていたと思う。どれだけやってもわたしが動かないことを察したのか、姉は苛立たしげに身を引いた。そして戻り際、「絶対チクんなよ」と残してはしごを再び上がっていった。電気はそのままだったので、結局どっちが消すかなんてやっぱり大事じゃなくて、「妹が自分の言うことを聞かずに口ごたえしてくる」ということがとにかく気に食わなかったのだろう。
ほどなくして、父と母が帰ってきた。ただいま、と言って部屋に入り、声をかけてくる母からわたしはとにかく顔を隠した。顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、それでもうまく強ばった身体は動かない。異変を察知した母にどうしたのと問われても「なんでもない」で通した記憶があるが、声が震えてぼろぼろだったので、そんな嘘はあっけなくばれてしまった。
そのあとは、わたしはリビング、姉はそのまま自室にと引き離され、事情聴取が行われ、部屋はやっぱり離すべきだ、という結論に両親が落ち着いた。そのあともしばらく姉の気性は荒かったが、思春期の前半を過ぎて彼女が高校に入ったあたりから本格的に落ち着いて、そんな騒動はぱったりと止んだ。ギターで頭を殴られたりだとか、背中にものを投げつけられたりだとか、怒って一瞬包丁を持ち出されたり(見せられただけだったが)だとか、壁に首を足で押さえつけられたりだとか、まあ色々あったが、そんな感じだった。
「口ごたえするな」「使えない」「気持ち悪い」「何で生まれてきたの」――そしてまた、言葉というのは厄介で、簡単に口からこぼれるのに、言われた側はその感情まで受け取ってずっと抱えてしまう。身体に対する物理的なあれこれは間違いなく痛くて、それも勿論辛かった。でもたぶんその根本にあるのは、自分がそういう扱いをされていること、そうしてもいいと思われていること、好意や情の非対称性だったのではないかと今は考えている。お前は愛されていない、だめな人間で、嫌われていて、いない方がよかった。それの真偽はともかくとして、真正面から突きつけられるには痛すぎる。身体的な暴力は衝撃的に覚えているけれど、思い出したときにじわじわと首が締まっていくのは言葉のほうだ。そして、日常的に放り投げられるのにいつだって避けようがなかったのも、言葉のほうだ。
姉はいわゆる癇癪持ちというやつで、怒ったら自分で制御ができずに手が出てしまっていたのだという。でもそれが友人に向くことはなかったし、たぶん妹は格下の、彼女にとってそれをしてもいい人間だったのだろう。自分の中で、怒ったら手が出てもいいし、ひどい言葉を投げてもいいし、言うことを聞かないのはおかしい存在。何なら、日常的に何を言ってもいい存在。
幼い頃から培った「この人と自分は平等ではない」という意識は根深い。何ならそれは今でも、姉妹揃って無自覚に残っている。実は現在、姉妹間の仲はそこそこに良好だ。ただその前提に、姉は大人になったけれど、間違いなくわたしのことは下だと思っている。わたしは大きくなったけれど、姉に対して嫌に思うことがあっても諦めているし、そういうものだと思っている。そういう暗黙の了解が存在しているから、比較的穏やかな日常が保証されるようになった。
でも、色々なことがぼやけてしまった幼少期の記憶の中で、ぐちゃぐちゃとした嫌なものばかりが輪郭を持ち続けて、わたしはそれを手放せない。姉と笑顔で話しながら、ふっと影がよぎるみたいに、昔のことを思い出してしまう。やっぱり、した側が覚えてなかったとしても、された側は覚えているものらしい。
この文章は間違いなく恨み言だ。でも、これを姉にぶつけたいわけじゃない。やっぱり姉のことを嫌いになりたくなくて、でも傷ついた自分のことも認めてあげたくて、好きなものが好きでいたいだけだ。だから、取り残された感情や記憶を吐き出して保っている。
わたしは今も、生まれ育った家で姉と共に暮らしている。実家を出ようとはあまり思っていなかったのだが、最近になってふと、「この人と一緒にいたら、わたしはこの先もずっと自尊心を削られつづけるんだ」と悟って――そのうち、家を出なければならないことに気がついた。母は姉を出すと言っているものの、姉を一人暮らしさせてうまくやっていける気がしない(わたしもあまりできる自信はないけれど)ので、全員の健康を考えたらそのうちここを離れることになるのだろう。
あのときと比べて、身体はずいぶん大きくなったし、精神も成熟したところはあるはずだ。それでもわたしはまだ、自分の中にずうっと、声を殺して泣いている子どもがいるような気がしている。
https://anond.hatelabo.jp/20220817003734
そのとき、姉さんのほうから僕にキスをしてくるんじゃないかって思った。
でも違った。
姉さんは僕の尻を軽くポンと叩き、「こら、そういうのは好きな子としなきゃ駄目だよ?」と諭すように言ってきた。
それから手で涙を拭い、笑みを見せると窓に目を移す。
「綺麗だね」と姉さんが窓に目を向けながら、微笑んで言った。
だから
被害総額50万の詐欺師でも、田舎ではそれなりのニュースだったのかもしれない。
けれど僕は興味がなかった。
「よう、泡姫」
クラスメイトに呼びかけられ、振り返る僕。にやけ顔を目にしたとき、気付けば相手を殴っていた。
クラスメイトは不意をつかれて吹き飛び、クラスに悲鳴が上がった。
放課後、姉さんが呼ばれた。当然、向こうの親も。
その場には僕と担任の先生しかいなかった。ガラガラと戸が開く音。僕は振り返らず、背中越しに聞いた。
担任は立ち上がって会釈するように軽く頭を下げ、僕は振り返らなかった。
足音がすぐに近付いてくる。
でも姉さんは僕の横に来るといの一番に「すみませんでした!!」と大きく頭を下げた。
深々と頭を下げ続けた。
僕はなにもできなかった。
それに母親も。坂井なんとかっていう女優に似ていた。黒っぽいワンピースのような服を着ていて、何かの帰りに見えた。
姉さんは二人にも深々と頭を下げ、僕はそれでも頭を下げたなかった。
僕はまだ、怒りが収まりきれてなかった。
姉さんは深々と頭を下げ、僕の手を引いて廊下を歩こうとする。
僕はそれに従い、けれどこんな姿を誰かに見られなくもなかった。
すぐに手を離し、姉さんは困惑した表情を見せた。
それから僕と姉さんは学校を出るまで一メールぐらいの距離を隔てて歩いた。
帰り道、「もうこんな時間だし…晩御飯、ファミレスで食べてく?」と姉さんが言う。
僕は拒否した。迷惑を掛けたのに、さらに無駄遣いさせるのは忍びなかったから。
だから「いいよ、そんなの」と断ると、姉さんは「あっ」と言った。
でも違う。けど正しい。
姉さんはお店の客を自宅で相手することもあった。
僕はそのお金でゲーセン、カラオケ、たまに漫画喫茶へと足を向け、時間をつぶした。
それからお金をいくらかもらって姉さんと別れると、僕はゲーセンに向かった。
2時間ぐらい、時間をつぶしてから帰ると家の近所からカレーのにおいが流れてきた。
物心付いたころには”家族団らんでカレーを食べた”なんていう記憶はない。
にも関わらず、そのにおいは僕の哀愁を刺激した。
家に入ると「あ、おかえり」と姉さん。
「えっ?」と僕。微笑む姉さん。
姉さんは、そういう人なのだ。
だからこそ
省略されました。全てを読むにはわっふるわっふると書き込んでください。
1.
電車の時間に合わせて急いでいるのだろう、それはもちろんご自由に。
ただ、俺の真横で急に走るのを止めて横並びで歩き出すのはやめろ!!
もちろん知り合いではない。俺に知り合いなどいない。
俺よりわずかに前、20cmぐらい前に出て横に並んで歩いてくる。
ハッキリ言ってキモいです。
あるいは俺の後ろでも別にいいよ。
でも横に並ぶのはやめろ。キモい。
2.
車道から5mぐらいは日なた、そこより後ろは建物の陰になるので日陰。ただし狭い歩道。
まあこの暑さだから日陰で待ってたい気持ちはわかる。それはもちろんいい。
ただし道を塞ぐな。
道の端に寄って1列で並んで待ってるのはいい。
ただ、そこから溢れたら諦めて日なたに出ろ。あるいはもっと後ろに並べ。
道を塞ぐな。邪魔だ。
【オレオレFC】止まらない負の連鎖…相田監督コロナ感染に、再開初戦敗戦で、リーグ戦8試合未勝利 迫る残留争い 急遽代行の野牧監督「申し訳無い」
オレオレFCは30日、ホームで浦和レッズに1ー3で敗れ、リーグ戦8試合未勝利となった。相田満博監督とトップチーム2名、コーチングスタッフ1名が同日、新型コロナウイルスに感染した事が発覚し、野牧憲広ヘッドコーチが急遽、監督代行を努めた試合は前半4分にセットプレーから失点すると、17分にも追加点を献上した。後半は攻め込むシーンも増え、38分にMFジュシエのゴールで差を縮めたが、43分に再び失点して力尽きた。次節は6日、ホームで名古屋グランパスと対戦する。
無念のホイッスルが鳴るとオレスタのピッチでロイブル軍団はピッチに立ち尽くした。1―3。相田満博監督が新型コロナウイルスに感染し、急遽、監督代行を努めた野牧憲広ヘッドコーチは「非常に残念ですし、サポーターに申し訳無いです」。MF山本主将も「キャンプでやってきた事は出せたけど、結果に結び着かなければ…」。中断期間中、静岡・伊東でキャンプを張るなど、再起を期してリーグ戦再開初戦に臨んだだけに、敗戦が悔しかった。
「様々なシステムをキャンプでやってきた中でこの布陣がしっくり来ていた」(野牧監督代行)4ー1ー4ー1の新システムで臨んだ試合だったが、いきなり劣勢に立たされた。前半4分にセットプレーから先制点を献上。同17分には相手選手の猛烈なプレッシャーに自陣でインターセプトされ、そのままシュートを放たれて追加点を献上した。「前半の20分くらいまでは中盤がバラバラで、間延びしていて、そこを突かれて2失点したのは痛かった」と指揮官は前半の2失点を悔やんだ。
それでも飲水タイム中にポジショニングを修正すると、危ない場面が減り、逆にポゼッションが出来るようになり、浦和ゴールに襲いかかった。前半33分には加入後初スタメンのDFリシャルソンの深い位置から右足で狙うも相手GK西川の好セーブに阻まれ、同38分の山本のミドルもネットを揺らせなかった。後半はシステムを3ー3ー2ー2にし、さらに猛反撃。サイドからも中央からも仕掛けると、後半38分。中盤の早いパス回しから途中出場のMFジュシエがオフサイドぎりぎりで飛び出し、冷静に今季初ゴールを決めて1点差に詰め寄った。
だが、後半43分再びカウンターからダメ押しの3失点目を喫した。野牧監督代行は「ゴール前に迫る場面はあったけど、結局、中を固められて、こじ開けるまでには至らなかった。目的は勝つことだったので、相田監督が感染したりと様々なアクシデントがありましたけど、選手達は集中して入れたし、キャンプでやってきた事は実践してくれた。ただ結果は残念です」と表情を曇らせた。
次節はホームで名古屋と対戦する。山本は「アクシデントもありましたけど、僕達は勝つことに集中するだけだったので、負けたのは悔しい。だけど得点シーンは自分達のやりたい形だった。前回よりは良かった部分もあったので、あとは結果が出せるようにしたい」と前を向いた。相田監督の次節復帰は未定で残留争いの足音も聞こえつつあるが、総力戦で乗り切る。
飲む。これだ。
こんなにも合理的で、どこでも、誰にもバレない方法が未だかつてあっただろうか……と。
なぜこの方法に至ったのかを、振り返っていこう。
寮生活で、寝るところが共同だと、果たす場所としてはほとんどの人がトイレを選ぶ。が、このトイレも意外とバレやすい。
「明らかにオタマジャクシが着水する音がしたんだが」とかたびたび噂になる。
ここで、トイレとは個室の洋式トイレであるという認識の統一をはかっておく。
ド変態でない限り、くちゅくちゅ音は防げるとして、こくまろみるくの処理をどうするかは、ひとつ問題となってくる。
方法はおよそ3つ思いつく。
2、トイレットペーパーを束にして、その上にクリームをトッピングする。
3、てのひらに手水をいただき、それをトイレットペーパーで拭き取る。
しかし、どの選択肢にも課題があることに、私は気づいたのだ。(ちなみに序文の解決策が思いつくまでは、1の方法を改良し、腰を落としてほとんど着水音が出ないようにしていた)
それぞれの課題についてまとめる。
こちらの方法の良い部分としては、事故が少ないことである。トイレ本来の動線に沿っているため、子羊たちが道に迷いあわや散開するという事故にはなりにくい。
(真性包〇でないという前提のもとではあるが)
私の寮には「音姫」は着いていなかったため、トイレとはすなわち無音の空間であり、わずかな音でさえ波を打つようにトイレ全体に響き渡る。
ここまで読んだ方は、いや、別に音で分かったところで個室なんだから誰かわからないだろう。と思っているかもしれない。
しかし、このトイレの無音という特性ゆえにそれも間違いであると言わざるを得ない。
トイレが無音であるため、ちょっとした咳払いや、下手すると呼吸音でさえ、聞こえてくる。
咳払いなどはわ一緒に暮らしている仲であれば、意外と個人を特定するのに十分であったりする。
また、個室でフィーバーした後に、友達がトイレに入ってきて、個室から出たタイミングでばったり会うこともよくある。その際は、ふつうは「よう」などといって挨拶するだろう。
この声が聞こえることで、「絶対に隣のヤツやってるやろ……」と思っていた大便勢にとっては二択にまで絞れてしまうわけだ。そして、次、その2人のうちのどちらかが個室に入っていくのをみると、「こいつまたおっ始めるつもりだろ」と思われてしまう。
この時点で非常に残念なバイアスがかかってしまっていることになる上、本当におっ始めて、その音が聞こえるようなら、大便ニキにとってそれはもう確信となってしまうのである。
以上のことから、バレない、いや疑われないことに越したことはないのである。
これを踏まえて、立ちションの姿勢でフィニッシュする方法について考えてみよう。怪しいのは本当に着水音だけだろうか?実は着水音に加えて、この立ちションの姿勢で果たすという方法にはもうひとつ致命的な音が伴う。
それは、座っている状態から、立って向きをかけるという動きに係わる、足音や服の擦れる音などである。
まず、トイレットペーパーを捲る音なく立ち上がるというのはこの上なく怪しい(用を足していない人間)上、体の向きを変えるという動きに伴う音は、実際にやってみると分かるがかなり大きい。
ならば初めから立姿の状態で立姿になればよいと思うかもしれない。しかし便座に座った音は体重を預けているため、毎回聞こえてくるものである。それが聞こえてこない時点で、「あれ?今隣に人が入ったよな?人が便座に座ってる気配がないのだが」と、別に疑う姿勢を持っていなくとも、ちょっと不思議に感じるものである。
実際に私が初めて「あ、やったんだな」と分かったパターンがこの事例である。
私は自家発電してる奴を積極的に特定しようなどと、そんなイヤなこと思うやつではなかった。しかし、個室に入ってきたはずなのに便座に座った気配がないというので、「?」と純粋に疑問に思っただけなのである。
そうして隣の個室に少し意識が向いていたところ、あの「ぽちょん」というオタマジャクシが着水する音が1度だけ聞こえてきたのである。
その後、水が流される音がして、咳払いをして出ていった。
2、トイレットペーパーを束にして、その上にクリームをトッピングする。
これも、実際にやってみるとわかる。
スティックがトイレットペーパーにふさふさ当たる音を立てずにクリームを乗せるのは至難の業であると。
一度や二度、この方法に可能性を見出したことは私にもあった。しかしその期待はすぐに裏切られることとなったのだ。
1の方法でも書いたように、立つ音は立てたくないので、座った状態でフィニッシュすることを想定しているが、そのとき、勢いがいい場合は真上に、スティックのうねりによってはドアやズボン方向に、勢いがない場合はほとんどスティックを伝って、零れるようにクリームが発射される可能性がある。その範囲をトイレットペーパーによって囲うのは物理的に難しい。
そうなると、トイレットペーパーに確実にトッピングする方法はひとつしかない。
まず発射直前、スティックとトイレットペーパーが擦れてベタっベタっと音を立てる。この時点で、ダメだ。
そして発射。トイレットペーパーで拭き取る……
拭き取……
あ……トイレットペーパーが……
トイレットペーパーが、スティックに固定されてしまうのである。そう、トッピングクリームはまさに文字通りスティックのりへと変貌してしまうのである。
3、てのひらに手水をいただき、それをトイレットペーパーで拭き取る。
この方法の時点で、すでに嫌気がさす男性諸君も多いかもしれない。
一般的な認識でいえば、手水も「排泄物」に変わりなく、できれば手でなど触りたくないものであると思うからだ。
しかしこの方法は、今まで紹介した中では、最も秘匿性の高く、合理的な技術である。
てのひらに乗っける分には、音はほとんど立たず、さらに最後にトイレットペーパーで拭き取る音が響くわけであるが、これは順番としてはふつうの大便と変わらない。そのため、あたかも通常と同じような音しか響かないのである。
ただし、少し問題となるのが、トイレットペーパーをどのように用意するかである。
上記の手順であれば、トイレットペーパーを巻きとるのはフィニッシュの後である。
しかし、左手に今にもこぼれそうな手水をいただいている状態で、はたして片手でトイレットペーパーを巻きとることができるのだろうか?
少なくとも私にはかなり難易度が高かった。
そしててのひらから手水が零れなどしたときには、ズボンなどに付着し大事故となる可能性もある。
では、予めトイレットペーパーを巻き取っておいて、トイレットペーパーの蓋の上に乗せておくのはどうだろうか?
これはもうほとんど、正解に等しい。
トイレに入ってまず、便座をトイレットペーパーで拭くという人も多いだろうから、トイレットペーパーを最初に巻きとることもそれほど変ではない。
参拝を果たしたあとは、乗せてあるトイレットペーパーの束を片手で持ち上げ、手水を拭き取り、それを便器にお賽銭すると。
そう。
トイレにおいては。
この文のタイトルを思い出して欲しい。
そんなもの、あるのだろうか?
結論は得られた。
しかし、トイレットペーパーを毎回蓋から落ちないように畳むことは、正直めんどくさい……
正直、トイレだけじゃなく、ベッドという本来の戦場で射撃したい……
そうだ。
分かった……
分かったぞ……!唯一無二の解……それは……!
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記者座談会 統一教会と自民の関係にメスを 反共右派として育てた為政者の罪 | 長周新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/24165
岡良様 on Twitter: "長周新聞・・・スゲェーな!"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/oka1029ri/status/1549691233039446018
これらの記事が「真のジャーナリズム」とか「地方紙の気概」とか絶賛されてて、
確かに部分的には正論なんだけどちょっと怪しさがないか?と思ったので長周新聞について調べてみたよ。
B 日本統一教会の原点は戦後に反共産主義を掲げて岸信介を中心とした右翼連中でつくっていた「防共挺身隊」といわれ、岸信介の出身地である熊毛地方には一定の集団がいたことが知られている。山口県は戦後の共産党トップだった野坂参三、宮本顕治、志賀義雄などもいて、それこそ彼らは田布施の隣である光出身だったりもする。政治的には右も左も激しかったわけだが、その防共挺身隊と岸信介がパイプを持っていた韓国の反共宗教団体である文鮮明の統一教会がドッキングして、日本統一教会が誕生したという。
こことか、岸信介が日本における統一教会の活動をバックアップしてたとか自宅の土地を統一教会にアジトとして使わせてたとかいう話はこれまでに色々な媒体で見たけど、
「岸信介自身が作った防共挺身隊が韓国の統一教会とドッキングして日本統一教会になった」って話は見た覚えがない。
岸信介が統一教会と昵懇の仲だったどころか岸信介の作った組織が発展して統一教会になったんだよ!
なんて話が本当だったらすごいショッキングだし、他でも大きく取り上げられてると思うんだけど。これは何がソースなの?
https://www.chosyu-journal.jp/aboutus
要するに派閥抗争に敗れて日本共産党を除名された人が集まって作った日本共産党(左派)の機関紙。
気概はあるかもしれないけどこれを地方紙で括るのはちょっと無理があるなぁ。
共産党は分派を許さない(民主集中制)ので思想や意見が割れたらどっちかが抜けるまで戦うしかないわけだけど、
日本共産党(左派)は徹底的に毛沢東を崇拝し中国共産党の方針に従うべきという考えの派閥だったので、
日本共産党は日本独自の路線でやっていくべきだとする主流の自主独立路線とは相容れなかったみたいだね。
そんな感じで日本共産党(左派)はあまりにも毛沢東を崇拝していたため、
日本共産党は彼らを「毛沢東盲従集団」とか呼んで罵倒していたよ。こういう左翼の罵倒ボキャブラリー好き。
http://maoist.web.fc2.com/jcp/jcf000.htm
福田正義の経歴も面白くて、満州日日新聞で記者やってたときに後藤新平の功績を称える伝記を書いて日帝の中国侵略正当化に荷担していたんだけど、
それについてはひた隠しにして自分を「不屈の革命戦士」と売り込んでいたただのお追従野郎とか散々言われています。
長周新聞の創設者であり編集主幹であり日本共産党(左派)初代中央委員会議長である福田正義は2001年に亡くなっているんだけど、
長周新聞ではその死後も彼を編集主幹として名を掲げているとのこと。
この辺がやっぱり日本共産党とは違い毛沢東主義を貫いている日本共産党(左派)っぽくて、個人崇拝が強めだよね。
日本共産党も志位和夫がずっと選挙もなしに委員長に居座っててどうなんだとは言われているけど、そんな露骨に個人崇拝をするようなことはないし。
そしたらリニューアル前の長周新聞のWebサイトに面白コンテンツがあるという情報があったのでWebアーカイブで見てみた。
2002年に行われた福田正義氏追悼記念集会の特集ページで、スピーチとかの内容が記録されているよ。
中でもこれがすごい。
https://web.archive.org/web/20160304141021/http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/himawari.htm
長周新聞は長周新聞人民保育所という社員用の保育所を設けていて(それは偉いと思う)、
そこ出身の子供たちが「楽しかった、運動会!」「「運動会!」」みたいなのをやるパートがあったみたいだね。
小六男・小六女 わたしたちのお父さん、お母さんは、
小六男 貧困も失業も戦争もない、新しい社会を実現するために、
小六男 ひまわりは、一九七三年四月、長周新聞の保育所としてつくられました。
間
小五女 まだ仕事が残っているときは、段ボールで寝かされていた。
中二女 だれもかまってあげられないので、赤ちゃんは、人の足音がするときだけ泣くようになった。
中三男 家に帰るのはいつも夜中でも、朝早く家を出て、赤ちゃんもお母さんといっしょにがんばった。
中二女 そして、子どもたちが将来、お父さん、お母さんのように、社会の発展のために役立つものになるようにと、
中一男 ひまわりをつくってくれました。
下学年 ひまわりは、今年で、二九年目です。
中三男 ひまわりを卒業したぼくたちの先輩は、おじいちゃんのあとを受けつぎ、
五年生 わたしたちも、先輩たちのようになるために、
確かに保育所を設立したのは福田正義だったのだろうけど、福田のおじいちゃんがまったく一人でやってくださったみたいな言い方なのがなんかすごい。
小六男 一、勤労人民を尊敬し、労働やたたかい、生き方に学ぼう!
小五女 四、学校の成績で仲間を差別せず、ひまわりの目的で団結しよう!
五番がかなり民主集中制っぽさがあって良い。
小六男 福田のおじいちゃんはみんなの声を代表して、長周新聞をつくられました。
小六男 自分の小さな幸せでなく、みんなの幸せのために、奮斗した。
中二女 福田のおじいちゃんは、ひまわりにいつも心を寄せてくださいました。
中二女 わたしたちが学校の帰りにおじいちゃんにあって、「こんにちは」というと、ニコニコ笑ってあいさつをしてくださいました。
小二女 長周四五周年のとき、
小四男 体が痛かったのに、
小六女 わたしたちの出し物のときは、いちばん前で見てくださいました。
中二女 そして、病気とたたかいながら、ウソをあばき、まちがっているものとは、断固たたかい、
中一男 ぼくたちにほんとうの真実はなにかを教えてくれました。
小六男・小六女・中一男・中二女 長周新聞は、強い!
こういうのを2002年にやってるっていうのもなかなか驚きだ。
これ見て思い出したのが何かというと、森友学園が話題になったときに出た幼稚園の子供たちの映像だよね。
「安倍首相、がんばれー!」「安保法制国会通過、よかったです!」ってやつ。
毛沢東主義・スターリン主義を貫徹すると何故か結局指導者の個人崇拝に行き着くの面白いなぁ。
法的根拠が特にない安倍晋三の国葬に反対するのは正論だと思うし私も同意するんだけど、
それ書いてる新聞がめっちゃ指導者を崇拝する式典をやって子供たちにこういうのをやらせてたっていうのもなかなかだよ。
カルト宗教が話題になってるときに見るとこういうのも別の形の「二世」問題のような気もするなぁ。
小六男 おじいちゃんに誓うこと
小一女 わたしは、大きい子のいうことを聞きます。手伝いをがんばります。
小四男 自分のことだけでなく、人のことを先に考えて行動します。
小五女 わたしは長周に入るために、自分からすすんで重いものを持ち、力をつけます。
「小一女 わたしは、大きい子のいうことを聞きます。」のパターナリズム感!
全体的に目上の者の言うこと聞いて正しくあれみたいな感じがあるけど、
日本共産党(左派)は元から反米の愛国主義を掲げていてナショナリズム色が強いから、やっぱりパターナリズム的な感じなんでしょうか。
子供たちの理想として「ジャーナリストになる」とかじゃなく「長周新聞に入る」が謳われているのもなんか二世問題っぽいね。
そんで安倍晋三暗殺に紐づいて統一教会と政治の関わりについての批判や国葬への批判は概ね正論として、
長周新聞が他の問題についても正論を言ってるかというとそうでもないわけで。
https://twitter.com/lautream/status/1301343209751109632
ちょっと前の香港問題では「世界は中国の味方!アメリカは孤立!」とか言って中国共産党を支持していたり、
「ウクライナ戦争を1日でも早く止めるために日本政府は何をなすべきか」 ロシア史研究者有志が声明発表 専門的見地から行動提起 | 長周新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chosyu-journal.jp/shakai/23102
ウクライナ危機に国際社会はどう向き合うべきか 緩衝国家・日本も迫られる平和構築の課題 東京外国語大学教授・伊勢崎賢治氏に聞く | 長周新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chosyu-journal.jp/kokusai/22976
ウクライナ戦争では「アメリカが悪い」とか「ミンスク合意が」とか「ロシアは満州事変と同じことやってるんだから日本は先に自分の過去を反省しろ」とか言ってたよ。
まあなんというか、いろんな意味で普通の新聞ではないから普通の新聞に書けないようなことも書けて、時々正論を言ったりもするけれど、
やっぱり普通の新聞ではないからあんまここをソースになんか言うのもあれだなぁって感じですかね。
その辺の一般人はともかくこれを真のジャーナリズムとか言って持ち上げてる学者先生とか議員先生はもうちょっとソース選んだ方がいいと思います。
ソースはスプートニクとか、ソースはHanadaとか、ソースは世界日報とか、そういう感じ。
しかもクレーム入れたせいで、「相手に変な因縁つけられないよう、こっちの生活音を極力出さないように生活してる。あなたも足音とかドアの開閉音うるさいときあるから気を付けて」って言われて、逆に苦しくしてんの自分じゃん。馬鹿なの?って思った。
草
やはり女は殴ってしつけないとダメだな
理由は下の階からの騒音。子供一人いる3人暮らしの親子が入居してる。
今の物件は当時新築の2LDK軽量鉄骨のアパートで、住み始めて同棲1年ちょい、結婚1年過ぎたところ。
元々同棲始めるときの物件選びで、嫁は全然わからんからってほぼ俺に丸投げだったため色々条件決めておいて物件探しをした。
そんで、一通り見終わったあと、「最後に借りないけど新築の物件がどんなものか見てみたい」っていう嫁の要望で、今の物件を見に行って、嫁の強い要望もあり結局そこを借りることになった。
そもそも最初に決めてた条件と違うし、予算だいぶオーバーしててだいぶもやっとしたけど(相場の2割増しぐらい)、オーバー分は嫁が払うってことでまぁいいかなと。新築だからきれいだったし設備も充実してたので。
住み始めは下の階に入居者もなく静かだったんだけど、家族向けのアパートだから当然子連れ家族の入居がある。
下の階の住人もまさにそれ。俺らの入居から半年後ぐらいに入ってきた。
今の下の階の家族の子は1歳半~2歳ぐらいで家の中走り回るし、母親はワンオペでストレスたまってるからかドアの開け閉めが力いっぱいでバンッ!って音がたまに聞こえてくる。
正直なこと言えばうるせーなって俺も思うけど、それはこっちの音も多分聞こえてるからお互い様だと思わないとしょうがないし、仮にこっちに子どもいたら下の階と同じような状況になるだろうからあんまり神経質になってもしゃーないって思ってた。
状況が変わったのは、嫁の仕事の契約が終わって無職になってから。
あまり外に出るタイプじゃないから1日家にいる結果イライラしてしょうがないとのこと。先日は管理会社にクレームまでつけに行った。
俺は平日の昼間に部屋にいるわけじゃないから分らんけど、たかが生活音にクレーム入れる必要ある?ってちょっと引いた。
しかもクレーム入れたせいで、「相手に変な因縁つけられないよう、こっちの生活音を極力出さないように生活してる。あなたも足音とかドアの開閉音うるさいときあるから気を付けて」って言われて、逆に苦しくしてんの自分じゃん。馬鹿なの?って思った。
「隣人と生活音監視しあってギチギチで暮らすくらいなら、お互いうるせーけどしゃーない。のほうが楽」の考えで生きてきた俺からするとマジで意味が分からん行為だし、下の階からすれば音楽爆音で聞いてたわけでもないのにクレームつけられて、ほんとすみませんとしか思えない。
そもそも、こっち子どもいないんだから、うるさかったら仕事探すなり家から出かければいいだけだし、何なら家賃の予算オーバー分払うって話どこ行ったって話(今は全額俺負担)。
自分の要望でこのアパート選んどいて、気に入らないことがあると文句を言う姿勢になんだかなぁと思い始めてきてる。
この調子だと、仮に別の場所引越ししても細かいところばっか見て文句言い続けそう。
しゃーないけど、とりあえず引越しして様子見かな。
最終的にはうちの実家に入るって結婚当初は言ってたけど、この調子じゃ無理そうだし、子供ができたとしても愚痴ばっか言いそう&子供に俺のこと愚痴りまくりそうで子どもほしい気持ちがどんどんなくなってきた。
吐き出す場所がなかったのでここで吐き出させてもらいました。
ラーメンやそばなどをズルズルと音を立てながら食べる人がいます。大変下品ですからやめましょう。誰もあなたの口内で発せられた音を聞きたいなどとは思っていないのです。
「普遍的」というのは、単に多くの地域で共通しているということではありません。「その背後に覆し難い道理が存在する」ということです。国連加盟国の多くが独裁国家であっても、人権や民主主義が普遍的な政治理念であるのと同様です。「麺を音を立ててすすらない」というのは、人を傷つけてはいけないのと同様の当たり前の常識なのです。
「麺をすするのは日本の文化だ」と言う人がいます。が、これはデマです。そのような「文化」があったことを示す文献は存在しません。
おそらく、そのようなことを言う人は、落語でそばを食べる場面で音を立てるのを根拠にしているのだと思います。しかし、それは単なる表現上の「演出」であって、そのような文化が存在するわけではありません。
たとえば、アニメで登場人物が歩くときに足音のSEが挿入されることがあります。が、それを根拠に「歩くときにわざと足音を立てるのは日本の文化だ」などと主張する人はいません。
創作物の表現上の演出を「文化」だと勘違いしてしまうのは、正直、かなり頭が悪いです。馬鹿だと思われたくない人は、そういうことを言うのはやめましょう。
「麺をすすると、麺と一緒に取りこんだ空気が鼻からぬけることにより、風味がよくなる」と言う人もいます。ソムリエがワインを鑑定する時にワインを口に含みながら空気を吸うのもこのためです。
しかし「あなたが食べ物を最大限美味しく味わう食べ方」と「公衆のマナー」は全く別のものです。「すすった方が美味しい」というのは、公共の場でズルズルと音を立てて食事をしていい理由になりません。
「動きやすいから」という理由で、結婚式や葬式にジャージで来るのがマナー違反であるのと同じことです。
そもそも「それ(麺をすすること)不快に思う人もいるからやめなよ」と指摘されれば、ほとんどの人は素直に改めるでしょう。
それを、あれこれ言い訳をして、挙句の果てに「これは日本の文化だ」などと言い張って改めようとしないのは、非常に幼稚でみっともないです。
いい加減大人になりましょう。
半袖半パンが心地よい。
生命の力強さを一番強く感じる時期。
雑草にしろ大切植えられた花々にしろ土からぬっくと隆起して主張がすごい。
ずっと先の話だがいずれは太陽が爆発するらしい。
そのまえに太陽は今の太陽とはずいぶんと様変わりしてしまって地球には人が住めなくなるらしい。
それでも。
そんなふうに感じさせるくらいの力強さが今の季節の草花にはある。
そして池からは鳥がギャーギャーうるさい。
バチャン、バチャン、バチャン、と水音を響かせる。
でも、生命は死なない。
おそらく人が住めなくなっても適応して生き残る。
それは生命と呼べるかどうか判断が別れる因子のようなものであったとしても。
久しぶりに松任谷由実の曲を聴きながらこれを書いている。明け方の夢のなかに松任谷由実が出てきたからだ。
ゆうべ私は、エイジングとアンチエイジングについて書籍や文献を整理していた。だから寝しなまで、健全に年を取ってゆくとは何か、思春期が終わって中年期が始まって、それから老年期に至るとはどういった変化なのか、自分自身のことや家族のことや友人のことを考え続けていた。そうしていたら、今朝、悲しい夢を見て目が醒めたのだった。
夢は、どんなに意味不明な内容でも、夢を見た本人には意味が直観されることがよくある。今朝の夢もそうで、とりとめない日常生活の連続からなるシーンの最後に、私は無意識からメッセージを叩きつけられた。
古いスケジュール帳と、今は亡きはてなダイアリーの画面が夢のなかに現れて、そのとき、松任谷由実『リフレインが叫んでいる』が頭のなかに響いた。その瞬間、私は今という時間が過去になりつつあることを悲しく思っていること、今を手放したくないけれども時間が押し流していってしまうことを直観してブルーな気持ちになった。
今が終わりに向かっていること、時間が流れていくことを、私は怖いと思う。
たぶん私は幸福な中年だ。私が、今の私でいられることをうれしく思っている。仕事はそれなり充実し、長く連れ添った嫁さんとの仲も良いほうだと思う。日本人の夫婦はセックスレスになっていくというけれども自分たちはそんなことはない。回数は減ったけれども、若い頃よりお互いのことをよく知っているから幸せな時間を過ごせていると思う。そして嫁さんはまだまだ綺麗だとも思う。
けれども、そんな夫婦の今さえ永遠のものではない。時間が押し流していく。
10代や20代の頃は無尽蔵に思えた性欲と精液が30代にはそうとも言いきれなくなり、40代になって更年期の足音が聞こえてきた。インポテンツには遠いけれども、自分の性欲や精液を慈しむように、丁寧に取り扱わなければならなくなった。性欲や精液をどこに差し向けるのか、宛先が嫁さんなのか、アドマイヤベガなのか、かわいすぎる涼宮ハルヒなのか、ともかく、貴重な資源として分配しなければならないものになってしまった。性欲はもう、川から汲んでこれる水のようなものじゃない。いつか枯れる化石燃料のような資源だ。昔どこかの本に書いてあった「精液をケチる中年男性」というフレーズの意味が今は実感を伴ってわかる。若かった頃は、そんなバカなと思っていたものだが。
そうでなくても、私も、家族も友人や知人も諸共に年を取ってゆく。体力や思考力にも限界がやって来る。時代だって変わってゆく。それが定めだ。時間に逆らうのは無駄だ。すべてを変えてゆき、すべてを押し流していく時間法則には絶対性が伴う。私たちは変化する存在で、変化する存在だから、変わっていかなければならない:真実としてのそれを、私は学習と経験と文献をとおして理解はしている。
けれどもその理解に対して、私の無意識はそんなのは悲しいと叫び声をあげた。夢に松任谷由実を登場させる、というかたちで。ああ、本当は変わりたくないし、今がいとおしくてたまらないんだなとわかった。これまでの人生でずっと変わり続けてきたし、変わり続けることを良しとしてきたけれども、変わり続けることに不安や辛さを覚えながら、少し無理をして人生のモードを切り替えてきていたのかもしれない。それでうまくいっているつもりだった。客観的にはうまくいっているほうだろう。これからだってそうするしかないことを知っているつもりだった。知っている。それでも無意識は、本能は、年を取って変わっていくことを悲しんでいる。
そういう気持ちで松任谷由実を久しぶりに聴いているなかで、今という季節が失われても、その思い出は甘く残るという予感が得られたのは小さな救いだった。今のこの幸福を、二十年後の私が松任谷由実を聴くような気持ちで思い出せるとしたら、それ以上を望むのは欲深に違いない。だけどああ、今朝は、若さが失われて老いにとってかわる過程に痛みをおぼえる。10年や20年なんてあっという間だ。その頃の私は、もう今の私ではなくなっているだろう。
まだしばらく、このままでいられたらいいのにな。いられないのだけど。
例の「見たくない表現に触れない権利」、新しい世界の潮流だという声もあり、わかるようなわからないような
それは、私が見たくないのは「子ども」であり「子どものいる家族」だということ
新聞広告どころか世界を呪いたくなるくらいそこらじゅうにある風景
少し結婚の遅かったわたしは、同世代の夫との間に子どもがとても欲しかった
自分のためにも、夫のためにも、自分たちを育ててくれた両親のためにも、子育てをして社会にも貢献したかった。
人並みの子育ての苦労もしたかった。自分の血を分けた子どもというのが、どれだけかわいいのか、小憎らしいのか、育てることが大変なのか、わたしも経験してみたかった
でも、結婚後しばらくして始めた不妊治療の結果、夫婦関係も壊れそうになるくらい、長い間つらい思いをしてお金も使って、それでも最後は子どもをあきらめざるを得なかった
子どもが欲しかった。でも、どうしようもなかった。結婚が遅かった、備えてなかった自分たちにも責任はある
でも、両親に孫を見せられなかったことも、自分が子育てを経験できなかったことも、もう終わったこと
そして、残りの人生
上の階にも元気な子供たちが暮らしていて、日中は賑やかな足音が聞こえてくる
羨ましい
妬ましい
広告や寄付の募集で、ご飯がお腹いっぱい食べられないかわいそうな子たちがいると言う
そんなことは言えない
あさましい考えなのかなとも思う
一度、子どもがいない高齢の方に相談してみようとしたこともあった
間違ってるかな