2022-04-21

「見たくない表現に触れない権利」と聞いて、ずっと言えなかったこ

例の「見たくない表現に触れない権利」、新しい世界の潮流だという声もあり、わかるようなわからないような

このことで、とてもももやしてきたことがある

それは、私が見たくないのは「子ども」であり「子どものいる家族」だということ

新聞広告どころか世界呪いたくなるくらいそこらじゅうにある風景

少し結婚の遅かったわたしは、同世代の夫との間に子どもがとても欲しかった

自分のためにも、夫のためにも自分たちを育ててくれた両親のためにも子育てをして社会にも貢献したかった。

人並みの子育ての苦労もしたかった。自分の血を分けた子どもというのが、どれだけかわいいのか、小憎らしいのか、育てることが大変なのか、わたし経験してみたかった

でも、結婚後しばらくして始めた不妊治療の結果、夫婦関係も壊れそうになるくらい、長い間つらい思いをしてお金も使って、それでも最後子どもあきらめざるを得なかった

子どもが欲しかった。でも、どうしようもなかった。結婚が遅かった、備えてなかった自分たちにも責任はある

でも、両親に孫を見せられなかったことも、自分子育て経験できなかったことも、もう終わったこ

そして、残りの人生

少子化というけど、街を歩けば子どもはい

最近入った集合住宅も、子育て世代が多い

上の階にも元気な子供たちが暮らしていて、日中は賑やかな足音が聞こえてくる

羨ましい

妬ましい

みんなの家にはいるのに、なぜうちには子どもがいないのか

あなたたちとわたしたちは、なにが違ったのか?

子どもが出てくる表現すらいや

広告寄付募集で、ご飯お腹いっぱい食べられないかわいそうな子たちがいると言う

なぜ、彼や彼女たちはうちに授からなかったのか

そんなことは言えない

あさましい考えなのかなとも思う

から夫にも言ったことは無いし、だれにも言ったことはない

一度、子どもがいない高齢の方に相談してみようとしたこともあった

でも、最後まで自分気持ちをいうこともできなかった

わたしだって「見たくない表現」はある

いま世間話題になってることとは意味が違うかのかもしれない

でもわたしだって「ふれない権利」は欲しいよ

間違ってるかな

「見たくない表現に触れない権利」なんて、あるのかな

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