はてなキーワード: 自己評価とは
乙武の「五体不満足」がベストセラーになったのもそれだったな。
障碍者でありながら自己評価を変に低くしない。多少の不便を強いてでも、事故肯定感を優先した教育を受けられてラッキーだった奴の話だった。
ありがとういうのがめんどくさいとかいちいち言うのが苦痛とかのあの話だけどさ
あれ自己評価が低いんじゃない?
障碍者の僕なんて生きてる価値がないみんなに必要とされてない産まれてきてごめんなさいって感じでさ
みんなに有難い手を差し伸べてもらえる自分はみんなに大事にされてるみんなが自分を特別だと必要だとしてくれてるのに対して
自分はそんなもんじゃない有難いことなんかされるような身分じゃないって貶めてるからその差分を埋める気持ちがしんどくなってる気がする
してもらってありがたいうれしいたすかる だからありがとうっていうのは五体満足でもあるわけじゃん
自分ができないことをしてもらってありがとう それをいう頻度が高いってことはたしかにお前無能か?ってことではあるけど
それをしてもらえる、お金で解決してもらえる、そういうことって自分みたいな有難くもないやつにしてもらってそれなのにありがとういうのしんどいというのはもうメンタルが痛んでそう
コーヒー淹れることすらできねえのかって 100円でコーヒー淹れたてと交換しても「コーヒー一杯すら自分で用意することができないクズですう」って泣きながらありがとう言うわけじゃないしょ
道を譲ってもらったり席を譲ってもらったりしたら「ありがてえw」とさも得をしたように自分がその幸運を手に入れることがさも当然のように自然と「ありがとう」が出て来てるんじゃないのかな
あのJR騒動のありがとうをぜったいいわないマンは逆に「わたくしはみなさんがプルプルしながら全筋力で下から持ち上げ支えてくださって当然の身分でしてよ」って考えてるからありがとうがでてこないんじゃないかと思う
どっちにしてもさ 目線の高さを自分で勝手に他人と違うって みんなとは違うってそう見てるから出てこないんじゃないのかな
けどでもわかんないよな。
実家がちょっと太くて教育に金を惜しまないタイプだったので早慶上智を出た。
自分の他に姉妹いるが、自分と同じ中高なんだが色々あって引きこもりからの自殺チャレンジ(幸い未遂で終わった)とかやるような環境ではあった。余談だがその後何とか立ち直って今では既婚で子どももいる。嘘みたいな本当の話。誰かの希望になるかしらん。
現在三十代半ば、本気で子どもが欲しいならとにかく婚活で数打てとか言われるお年頃。子どもは欲しい。かわいい。面白い。
でも恋人とか伴侶とかができる気がしない。
言いたかないんだが、自己評価が低いのに変にIQだけ高いタイプの人間なので、大学出てからこっち「こんな私にさえできる/わかることができない/わかんないのかー」という失望と「アレがわからない/できないくせにそうやってイジりにくるのかーノッてやんないと面倒なことになる奴やなー」みたいなうんざり感を周囲の人間に抱くことに慣れすぎていて、恋人とか伴侶とか職場関係で作れる気がしない。言わんや婚活をや。容姿も良くないのに、それ以前の問題。
本当大学時代に恋人くらい作っとくべきだったのかね。勉強楽しすぎてド受身だったので当たり前に独りだったが。後悔はしてないしやり直せたとしても同じド受身ルート辿るのは目に見えてるんだが。
大学時代のバイトは塾とかは普通に全落ちして単発の試験監督とかでちまちま経験積んだあと卒業間際くらいにちっさい飲食に受かった。そこであまりにも仕事ができないというか、マルチタスクできないぶりが発覚。四苦八苦しつつ自分ハックの工夫スキルを模索するようになる。
ガールズバー?受けてないけど(当時そんなんなかった気もする)多分受からんし怖すぎるわ。絶対容姿コンプでズタボロにされて人格ひん曲がって終わる。実家が太くて本当に良かった。
卒業は2009年、リーマンショックの終わり頃くらい?始まりの頃だっけ?少なくともリーマンのせいにするにはちょっと無理のある時期で、普通に百何ヶ所くらい受けて一ヶ所しか受からなかった。いや、女性でもバリバリやりたいですみたいなこと言ったら「ウチは女は営業補助」とか言うんでこっちからお断りしたとかそういうのもあったけど。
その一ヶ所に十年勤めて、身体壊すレベルでいろいろ仕事したけど身体壊したせいで勤怠がガタつきはじめ、それを理由に昇進が一切なかったので付き合いきれなくなって転職した。
今の会社は小さめベンチャー、年齢的にあと2、3年で課長代理かなーとか言われたけどまあリップサービスだなみたいな状況。ガツガツやらしてもらってるのはありがたい。ただそろそろ電話番を他の人に代わって欲しい。男の子入ったやんワイより年下のが。そっちにやらせなよ。経験積まなきゃできるようにならないよ。
ときどき考える。男だったら実家継いで医者になっていたりしたんだろうか。少なくともそのプレッシャーは今の比ではなかったはずだ。
女で、諦められていたので、逆に自由にやれた。そういうところはあった。
そういう意味では女で良かった。自由、自由が一番だ。人から強制されるのは大嫌いだ。気が向かないとうまくやれないから。うまくやれないとみんな嫌な顔をする。
しかしじゃあ女で文句は全然ないか?そんなわけあるかい。少なくとも電話番は他の誰かにやらせるか電話番手当をつけろと思っているし、ワシよりデキないITエンジニアのキミは先方の要望表とシステムの仕様をガッツリ頭に叩きこんでワシと同レベルの聞き取りメモを作れるようになってから人をイジりはじめたまえよ。不愉快だよ。「不愉快だ」というのを態度に出すと「その言い方はやめた方がいい」とか言い出すのも何とかならんのかね上司殿。愛想良くしないでいる自由、ただ真顔でいる自由ってのはワシにはないのかね?
この、沼とか田んぼの泥の中を、ぬっちゃぬっちゃと力尽くで歩いてるような。毎日積もっていく徒労感。
そんなわけなかろうな。人には人の地獄があるというやつだ。
どこかの世界線で男として生まれたわたしはどうしているんだろう。
プログラミングスクールは良くないって話が多いので、人それぞれだよねっていうのと、何もやらないよりは何かしらあるんじゃないかなっていうお話です。
フィクションのつもりで聞いてください。
私は地方で育ち、地元の女子中・女子高・駅弁大学を卒業し、地元のとあるテーマパークに就職しました。
比較的なんとなく生きてきたので、仕事って大変そうだからせめて面白そうな職場を選ぼう、くらいの気持ちでしたがすぐに辞めたくなりました。
toC接客、屋外での勤務、立ちっぱなし、友達と休みが合わない、覚える事が多い、職場が僻地、ダンサーチームの揉め事の仲裁、契約社員組みからの嫉妬、大学生組の惚れた腫れた、田舎特有の異様なゲストの図々しさ・馴れ馴れしさ、どれも好きじゃないやつでした。
まあゲストにイラつく事があっても、それはしょうがないと思ってます。仕事だから。
でもスタッフも、とにかく感情で生きてる人間が多すぎます。私よりずっと大人なのに。
華やかな表舞台とは裏腹に仕事はそこそこハードで、給料の水準も高いとは言えない環境のため、人の出入りが激しく、トラブルを起こしたり、恨み辛みを吐きながら辞めて行く人が多いのもメンタルにきました。
最初に威勢のいい人ほどすぐ腹を立てて辞めていくので、個人的に警戒して距離をとるようにしていました。
理想と現実のギャップが大きいからなのか、彼らの自己評価が高いからなのかわかりませんが、もしかしたら私のように、ドライに仕事はしんどいものだと思ってる方が、色々受け入れられるのかもしれません。
そんなこんなで2年ほど勤めましたが、最後まで職場にも業務にも慣れる事もなく、花形着ぐるみのポジションが空いた事によるダンサーチームの派閥争いの激化に伴って私の神経も擦り切れ、半ば衝動的に仕事を辞めてしまったのでした。
実家に住んでいたので、しばらくはニートしながら次に何をするか考える予定でした。
しかしそんな折、東京に住んでいる祖母が怪我をしてしまい、介護を要する状態になってしまいました。
私は昔から祖母が大好きだったので、喜んで同居と介護の役目を担うことにしました。
祖母とは小学校低学年くらいまで同居していた期間があり、その頃から私の唯一の理解者でした。
私が真面目で、冷めていて、興味を惹かれると他のことが目に入らなくなって、
自分のペースで物事を進めたくて、少し融通が効かずに周りの子達と馴染めなかった頃、
その事に両親はお手上げで「みんなと同じように」「普通に」「お願いだから」としか言わなかった頃、
「あなたはちょっとだけ人より心が大人なんだよ。それでいいんだよ。賢くて真面目なあなたが好きだよ。
でももし疲れたら、周りの子たちと同じくらいには、いい加減で、だらけて、失敗してもいいんだよ」
と、声をかけ、私が「もう大丈夫」と言うまで何十分でも抱っこしてくれた祖母。
祖母のその言葉と、帰ったら祖母が家にいるという安心感で、私は少しずつクラスメイト達と打ち解け、誰かに心を許したり、自分が失敗することも他の人が失敗することも許せるようになっていったのでした。
東京には別の親戚もいたのですが、ペーパードライバーで頻繁に祖母を病院に連れて行くのが難しかったり、仕事の都合だったりで他に候補者もいなかったので、私の立候補には関係者みな渡りに船という感じでした。
母に「おばあちゃんが好きってだけではできないよ。よくわかってないんじゃない?」とも言われたけど、私は祖母に関する事ならちゃんと理解したかったし、自分の想像が及んでいない事があるなら、それも知りたかった。
介護はまあ大変だったのですが、意外と祖母が元気で、怪我の経過も芳しく、家の中の生活においては一人で出来る事が多かったのもあり、私は徐々に暇になっていったのでした。
美術館や博物館が昔から好きで、最初は狂ったように行っていたのですが、お金もそんなにないし、周りに友達もいないので、やや時間を持て余すようになってしまいました。
そこで、一念発起して、噂に名高いエンジニアとやらになろうと思いたち、プログラミングスクールを探し始めました。
テーマパークで働いていた私からしたら、エアコンの効いた部屋で座って作業できて、toC接客をしなくてよくて、給料が高い(らしい)なんて夢の職業だと思っていたのです。
東京での普段は淡白ながら、楽しみ方の選択肢がとても多い生活も肌に合っていて、祖母の介護を終えても田舎には帰りたくなかったので、こっちで就職して帰らなくていい理由を作りたかった、というのもありました。
色々調べて、とあるオンラインがメインのプログラミングスクールに決めました。
祖母の家が都内とはいえ西の方で、交通費も出ないのに電車で都心に通うのは厳しかったのと、祖母の用事が最優先なので時間の都合がつけやすいようにと、グループでやる課題とかがきっと向いてないだろうなと思ったからです。
(今になって思えば、gitの実践的な使い方に慣れられるし、どうせ働き始めたらチームでやるんだから、グループ作業は経験しておくのをおすすめしたい)
ニート期間が短かかったので貯金があまり減っておらずなんとか料金を捻出できたのですが、貯金はなくなりました。
プログラミングスクールでは、まず卒業後どういう職種や働き方を希望するかを聞かれ、それにはどんなスキルが必要か説明を受けながらカリキュラムを決めていきました。
授業は、エンジニア経験のある人とskypeを使ってマンツーマンで、テキストを進めたり、課題をチェックしてもらったり、デバッグを手伝ってもらったり、わからないところを教えてもらったり、実際の開発現場の話を聞いたりしました。
私はなにせ女子校育ちだし、喪女だしで、女性の先生が良かったのですが、女性の先生は数が少ない上にみなさん大変な人気でなかなか予約が入れられませんでした。
平日の日中に授業を受けられるので、働きながらの人よりはずいぶん有利な立場にはあったはずなのですが、できれば同じ先生にずっと見てもらいたいと考えると、なかなか厳しい状況でした。
ですが、一人だけ比較的予定が空いている先生がいました。そう、後の彼女である。
彼女の予約が空いている理由は1回授業を受けたらすぐにわかりました。
早口だし、自分の言いたい事は最後まで言わないと気が済まないし、アイスブレイク下手くそだし、全然笑わないし、癖なのか10分に1回メガネを拭いてるし、説明が長いし、1回説明した事は完璧に理解するはずだと思ってるし、なんか顔が怒ってるし、なんか厳しくて答えをなかなか教えてくれないし。
顔は結構美人なのに、性格きつい人だなあというのが無遠慮な私がもった第一印象でした。
まあでも予約を続けてとれる女性の先生は他にいないし、私も生来かなり真面目な性分だし、授業が終わった時のやけに油断してホッとしてる顔がなんかちょっと可愛いし、実力をつけるには問題ないだろうという事で継続して予約を入れる事にしました。
しばらく授業を受ける事で、だんだんと彼女の態度は軟化していきました。
プログラムも楽しかったし、彼女については保護猫をだんだんと慣らしていくような面白さもありました。
授業は丁寧だし、彼女はフレームワークの細かい内部の挙動や、メソッドのオプションなんかにもかなり詳しく、それらの点では優秀な先生だったので、私の心からはいつしか懸念も不満も消えていました。
そんなある日、パソコンを買い換えたいと思っている話をしたら、意外にも彼女が付き合ってくれる事になりました。
(当時、なんか可愛いという理由で買った、やたらキーピッチのあるVAIOのノートパソコンで作業していたのですが、色々目が開いてきてMacに乗り換える事にしました)
買い物当日、MacとWindowsの違いから丁寧に教えてくれた彼女の私服はダサかったのですが、お礼も兼ねて新宿で居酒屋に行く事になりました。
主に、Windowsで使ってたツール類のMacでの代替品を教えてもらうつもりだったのですが、いつのまにか梅酒2杯で饒舌になった彼女の身の上話を色々と聞かせてもらっていました。
いい提案ができるように新しい技術を家でもたくさん勉強したこと、
いいシステムを作る為にプロジェクトの良くない点はきちんと指摘したこと、
それらを煙たがられて注意を受けたこと、
「女のくせに」って言われたこと、
自分が席を外したタイミングで夕会が行われるようになったこと、
「プロパー+αの人だけの飲み会」にチームの中で自分だけ呼ばれてなかったこと、
社内で待機している時、営業に「女でこんなに売れないのお前だけ」って言われたこと、
新卒もどんどん現場に出ていくのに自分は次のプロジェクトが決まらなかったこと、
「とにかく人が足りないから大歓迎です」って言われた案件でもチームの中で1番最初に退場になったこと、
業界が向いてないのは身に染みてわかったけどプログラミングが好きで今の職についたこと、
授業のリピート率の低さに会社からいつも小言をもらっていること、
SESが辛くて辞めたのに、多くの人が卒業後SESに行くプログラミングスクールの先生をしているということ、
自分のやってる事が人の為になっているのか信じきれていないこと、
SES以外の社内SEとかで転職を考えたけどどこにも受からないこと、
昔から人付き合いが苦手なこと、
親戚のおじさんに一人すごく嫌な人がいること、
成績は悪いが愛嬌のある弟ばかり親が可愛がること、
「いや、まだそんな重い話を聞く関係じゃないですよw」って途中まではいつ言おうかタイミングを見計ってたけど、とうとう言えずに最後まで聞いてしまった。
気がついたら私は泣いていました。それは気持ちがわかってしまったから。
小学2年の春、誰かに一緒に帰ろうと誘われるまで教室で本を開いて待ち、みんな連れ立って帰ってしまいひとりぼっちになった後、仕方なく開いていた窓を閉め、カーテンを束ねていた、その風景を思い出してしまったから。
ああこの人は祖母に出会わなかった私なんだな、と、どうしようもなく理解してしまったから。
私が優秀だと彼女の評価もあがるかもしれないと思って余計にがんばり、無事卒業を迎える事になりました。
プログラミングスクールの卒業生の主な就職先はSESです。(今はわからないけど)
SESについて彼女に色々聞いていたので、客先企業に常駐して、多重下請け上等で、使い捨てで、人売りと呼ばれていて、残業が多くて、無理なスケジュールを押し付けられて、仕様変更が頻発して、現場では肩身が狭くて、theITドカタっていうのは知っていました。(今はわからないけど)
でも私はなんでも知りたかった。彼女のことをもっと知る為に、SESについて身を以て知るつもりでした。
同じ時期に卒業を迎えた人の中には、断固SESを拒否する人も何人かいました。
下請けじゃなくて上流工程ができて経営が安定していてまったり働ける社内SEか、自由で先進的でフットワークが軽くて自社サービスのあるベンチャーがいいのだと。
いやいやいやと、社内SEがそんなにいいものなら、学業が優秀だった人か、SESで優秀だった人から順番に行くでしょうと、
ベンチャーがそんなにいいところなら、すごく優秀な人たちの少数精鋭なんでしょうと。
課題でサンプルのプログラムをいくつか作っただけの私たちがどうしてそんなとこにいけるでしょうかと。
修行のつもりでありがたく、いろんな現場や業界で実戦経験積めよと、1行でも多く実務でコード書けよと、色んなプロジェクトのドキュメントとかプロジェクトマネジメント見て勉強しろよと、SESでもないと逆にそんな機会も無いぞと、そんなことを思っていました。
私の就職先は、2回面接をしただけで、スクール推薦のSESの会社にあっさり決まりました。
祖母は、私が平日フルタイムで働いても差し支えない程度まで回復していました。
彼女とは頻繁に連絡をとったり、遊びにいく友人の間柄になりました。
しかし、実際SESで働いてみると、覚悟していたような環境とは少し違いました。
基本的に自社のリーダーとしか話さない(プロパーが直接メンバーに指示を出すのはダメらしい)し、スケジュール変更や仕様変更もちょこちょこあるけど、その分の残業代もちゃんと出るし、なんだか全体的にいいところでした。(テーマパークと比較するとなおのこと)
彼女が最初に働いた企業が、現場が、時代が、運が、悪かったのだとわかりました。
でも、「あなたのおかげでエンジニアになれて、人生が変わって、嬉しいよ」って、彼女に伝える事はできました。
数年はそのまま穏やかに、繁忙期には激しく、時が流れていきました。
祖母の怪我は完治し、私はそこそこのスキルを身に付け、転職と引越しを検討し初めていた頃でした。
そんなある日彼女から東京を離れるつもりだという連絡が入りました。
彼女は私の卒業後もスクールで先生をしていたのですが、それがあまりうまくいっておらず、だんだんと稼働が下がり、収入も下がり、公共料金や生活費も滞納しかかっているような状況だったそうです。
そして、そのことが親御さんに伝わり、帰ってくるように言われたそうです。
私は彼女の唯一の理解者だったので、私が彼女を幸せにしようと思いました。
彼女に引越し先でのルームシェアと、当面の生活費の負担と、その代わり家事をしてもらう事を提案しました。
しかし問題はお金です。彼女はお金がぜーんぜんないし、私も引越し料金(2人分)とルームシェアできる物件(2LDK以上)の敷金礼金・初期費用を払うのは苦しい状況でした。(実家とかに頼ると、生活できないならこっちに戻ってこいと言われてしまう)
折り悪くコロナの影響が、転職市場や私の現職の稼働に影を落とし始め、「やっぱり私実家に帰るよ」などと彼女が言い出して、これはいよいよヤバイなと思い始めた頃、
事態は急転して、なんとお金問題と転職問題が唐突に片付きます。
みなさまPayCareerさんをご存知でしょうか。企業と面談するごとに3万円もらえる転職サイトです。
そこで数件のスカウトが届き、多額の臨時収入を得られ、トントンと内定を複数頂く事ができました。
みなさま是非PayCareerをお使いください。求職者に寄り添うお心をお持ちの採用担当者のみなさまも是非PayCareerをお使いください。
その後物件探しにも散々苦労するのですがなんとか新居が決まり、私たちはルームシェアを始めることができました。
ある土曜日の晩、ブラックスワンという映画がどんな内容かをよく知らずに、なんともなしに見ていた私と彼女の関係は、日曜日の未明に友人から恋人に変わりました。
私は女子校だったので、女性同士でお付き合いしている人たちを長く近くで見ていた事、彼女は過去の経験から男性に恐怖心を抱いてしまうこと、ここ数年似たもの同士の2人がお互いを助けあって生きてきた事、要因はいくつもあったと思います。
多分お互い、本当のところは男性の事が苦手ないしよくわかっていないだけで、もしかしたら男性と付き合おうと思えば付き合えるのかもしれませんが、この上なく安心できて、優しさを掛け値なしに注ぎあえるパートナーを得られた時、それは問題になりませんでした。
人の寝言って今まで聞く機会がなかったのですが、彼女はすごいはっきりと寝言で喋るので驚いています。
私は転職する時に、自社サービスを持っていて、担当者の裁量で業務委託の採用や発注ができる企業を探していました。
2.自分の頑張りが空回っている
容姿もこぎれいにしていて向こうからのイイねがないとかマッチング1桁とかはありえない。
俺はもっと家事をしたい。家事労働はヒトを幸せにする。掃除や洗濯や修繕や調理を通じて、また、傾聴や会話やスキンシップを通じて、妻や子どもに尽くしたい。それこそがヒト(俺に限らない)の幸せに直結することだからだ。
ヒトは群れで生活する動物だ。他の構成員をケアし、食べ物を分け合って一緒に食べることに幸せを感じる。これは本能だ。また、ヒトは子育てする動物だ。同じ性質を持った他の生物と同様、子育てに喜びを感じるようにあらかじめプログラムされている。
ベンジャミン・フランクリン効果(助けた相手のことを好きになるという認知的不協和)も無視できない。手がかかる子ほどかわいい、という結果は、手をかけたという事実が生むものだ。家族に尽くせばつくするほど、家族への愛着は深まる。
幸せというのは、受け取った愛情で決まるのではなく、与えた愛情で決まる。愛されているから幸福なのではなく、愛しているから、愛を表現しているから幸福なのだ。実際に手をかけて、家事をし、話をし、食卓を囲むことで、そのように愛情を行動に移した者の幸福度が上がる。家事はその担い手を幸福にする。
しかし現実、俺の家事負担は小さい。週にわずか6回、土曜の昼食から月曜の朝食の調理(買い出しと後片付けを含む)を担当しているのと、家や家財や車や自転車などの修繕全般を担当しているほかはすべて手伝い程度で、家事らしい家事は何も担当できていない。俺が長時間の賃労働に縛り付けられているためだ。
家事だけではない。育児も限定的だ。子どもの世話をしたり、子どもとともに食卓を囲んだり、さまざまな話をしたり、勉強や料理やスポーツを教えたり、宿題を手伝ったりといった、育児にかかわる時間の大半を賃労働に奪われている。これもまた、俺のヒトとしての幸福を大いに損なっている。
本邦の男女には世界一の幸福度格差(女性の幸福度が高く男性のそれは低い)がある。これを男性の視点で説明するなら、賃労働負担の大きさと、家事参加の少なさという両面が原因だ。とりわけ家事の少なさは重大だ。我が国の男性は世界一家事をしない。多くの男性は幸せを賃労働に奪われているのだ。
我が家も結婚当初は、夫婦両方がフルタイムで働きつつ、平等に家事を分担し、夫婦の両方が幸福を感じていた。だが子どもができて夫婦で話し合った結果、俺がフルタイム労働でさらに残業を増やして家計を支える中心となり、妻はパートタイム労働の兼業主婦になることにした。
俺がパート主夫になる案も真剣に検討したものの、却下せざるを得なかった。理由は、当時30代前半だった俺が昼間にパートまたは時短で働けて、家から近い職場がないことだった。ジェンダー不平等を実感したのはこのときだ。オッサンが兼業主夫になるのは非常に難しい。
結果、俺は大半の家事を妻に任せ、ごく一部しか担当できなくなってしまった。うちの場合、家事全般について妻より俺のほうが得意である(あくまで自己評価だが)にもかかわらず、だ。逆に、賃労働の能力は俺よりも妻の方が高い(と俺は思う)にもかかわらず、彼女はフルタイムの労働を失った。
俺は、この国のジェンダー不平等を恨んでいる。俺を賃労働に縛り付け、家事や子育て(つまり俺の幸福)を奪ったからだ。
また、ほどよく分担できていれば、家事労働はそれをする者を幸福にする。だが、過分に割り当てられてしまえばそうも言えない。俺の妻はそれほど家事全般が得意でないにもかかわらず大半の家事を負担しており、せっかくの家事労働の多くが単なる面倒なタスクになりがちだ。これは幸せなことではない。
ジェンダー・ギャップ、幸福度格差、不公平な家事負担、結果としての男女の賃金格差などはすべて、要するに労働問題だ。男女で賃労働と家事を公平に担当しにくい現行制度に原因がある。なので以下のようなことを強力に推進すれば、諸問題はすべて(少なくとも我が家が抱えているものはすべて)解決する。
俺は「意識のアップデート」だの「意識改革」だのというものには期待していない。そんなものに期待していたら、ジェンダー・ギャップは永遠に解消しない。なぜならジェンダー・ギャップは、制度的な介入をせずに放置していれば自然に拡大していく性質を持っているからだ。
これは良い悪いの話ではない。生物としての自然な本能と、適応の結果に過ぎない。
まず女性の上昇婚志向がある。これは世界中のどんな社会にもあるものだそうなので、生物としての本能と言える。より多くの資源を獲得する能力を持つオスに魅力を感じることは、生物としてまったく自然だ。そして、ヒトのオスがそれに適応しようとするのもまた本能であり、生物としてまったく自然なことだ。
ただし社会全体でこの本能に適応すればするほど、ジェンダー・ギャップは拡大する。女性の上昇婚志向に適応した男性たちは、すべての資源を男性たちだけで独占し、資源へのアクセス権を女性から剥奪する。前世紀まで、まさにそのような社会が世界中で構築された。
このようにヒトの本能はジェンダー・ギャップを拡大し固定化する方向に作用するため、ジェンダー平等が自然に実現することはない。相手は無意識下の本能だ。意識改革では解決できない。制度改革でしか実現できないものだ。
現実的な解は、強制的なクオータ制の導入だ。繰り返すが、意識で本能は変えられない。だから制度を変えるのだ。クオータ制は、結果平等の観点で厳格なものであればあるほどよい。
政治家や企業役員はもちろん、あらゆる職種で男女比が1:1なるように枠を設け、罰則付きで厳格に運用する。外科医も、看護師も、消防士も、保育士も、研究者も、レジ係も、漁師も、助産師も、土木作業員も、歯科衛生士も、自衛官も、すべて男女同数にする。当然、仕事内容も拘束時間も賃金も男女平等にする。
当初は各職業における職能水準の低下が問題になるだろう。しかしそんなものは、ほんの20年か30年もすれば解消される。学齢期や新卒時を見ればわかるとおり、平均的な女性の能力は平均的な男性のそれを上回っている。クオータ制の導入で一時的に起きる職能水準の低下の問題は、ほどなく時間が解決するだろう。
賃労働も家事労働も、男女がどちらか一方に押しつけることなく、平等に負担し合う。夫婦のそれぞれが週に20〜30時間ほどずつ賃労働を負担し、あとの時間で生物として家族としての幸せを追求できる世の中になるのが理想だ。
こうなるともはや、主婦(主夫)という概念は崩壊だ。だがそんな概念は産業革命以降にでっち上げられたもので、男性を賃労働で使い倒すための便利な、そして非人道的なジェンダー・ロールだ。こんなものは徹底的に破壊し、すべてのヒトがヒトとしての幸福を追求できる社会を目指したい。
最後にもう一度強調しておく。家事労働を制限されることは、幸福を制限されているに等しい。より多くの賃労働を負担している者は、幸福度において劣後する。
しかし、現行の制度の中で各家庭が個別に部分最適化を進めれば、多くの家庭では、夫は賃労働の奴隷、妻は兼業主婦、という形をとることになる。これは不幸なことであり、制度そのものを改めるべきである。そして、ここまで述べてきた制度改革の過半は、すでにアイスランドなど北欧諸国において実施されている。
女性はモテ男性に接するように非モテにも接するべき、平等にしろという意見を見たけどちょっと納得がいかない。
男性同士でも人懐こい人間とまともに会話の出来ない人間となら態度は変わらん?。前者は会話が続くけど後者は続かない的な。
弱者女性はみんなパートナーや結婚など諦めている、というのは無理があるだろう。
男性の中には弱者(一般的にはそんなことないのに自己評価しての弱者を含む)で
とっくにパートナーや結婚をあきらめている人だって多くいるし、
女性の中にはいわゆる地雷要素モリモリでも白馬の王子様を求め続けている人だっている。
独身だった頃「私は結婚なんてもう諦めて一人で生きていくからあんたも早くこっちにおいでよ。楽でいいよ」
と言ってくる元同期がいたが、結婚の報告をした瞬間からフェードアウトしていったぞ。
(俺だけじゃなくて、ほかの同期も連絡が取れなくなったらしい)
要するに、どこまでは傷ついてもいいが、どこまではこの希望を叶えたい、
仕事をやめてまもなく1年が過ぎる
1年たつと、去年の感情も風化して、昔の私は真面目に働いていたんだなという風に自己評価をする
んで、ゆとりの時間を作って、もう一回就職のことを考えている夜中な訳です
キャリアプランとかってなりたい自分をイメージとかしたりするじゃんよ
オフィスカジュアルでパソコンに向かいながら、業務に追われてるけどなんかキラっとしてる感じとかあこがれの職種とか
最終的に人のためになっているだろう仕事とか
けど、イメージするだけで、今私がやりたいことって何か、という問いになるととたんに固まるのね
将来、家族が欲しい。子育てをしてみたい。そうすると、お金もそれなりに、でも育休や復帰しやすいところに。
あれ、キャリア断絶するだろうから、30代の経験はガタガタになるのかなとか。
仕事に追われて子どもとの時間がなくなるのも、それはそれで嫌だな、とか。
これからの人生が、未知すぎて固まってしまう。というかやってきた。まじで人生のライフステージ激動の時期ここに来たわ、ってなっている。
私だけで生きるんじゃない場合、私はどうやって生きるの、とか考え始めたんよ。
もし、つーかまだ結婚もしてない身だけど、今後結婚して、子ども出来てってなった時に、おそらく私は家族のために働くっていう目標にした方が生きやすいなって思っている。現時点で。
子育てが落ち着いたら、その目標がなくなって働く気力が失せたり、何をやってきたんだとか絶望するんだろうか。
自分がどうありたいかを大事にしてねって言われてるご時世だけど、近くにいる誰かのために働くって、今の私にとってはすごく原動力なんだよね
んでそういう目標を据えると、自然とこの仕事で頑張ってみようって決意ができるようになるの。
再び、家族のためという目標を除去した場合、あなたにとって仕事は何になるの?っていう声が聞こえてくるんだけど
私が選択した仕事は、自分の関心と家族をかけあわせた最大公約数みたいなところにあるから、まあまあな納得はできるんだと思う、と考えている
前の職場は、あまりにも向いてなかったと思う。また働いてみないと、向いてるか向いてないかなんて分からないかもしれないけど。アラサーだからね。厳密に分析しながら仕事先選ばないとかな。
なんていうか、仕事仲間も大事だし、友達も大事だし、支えになってくれる存在って感じるけど
なんかなぁ、暮らしを共にする人がいれば、もっと頑張れるって思うんだわな。
こういう年ごろなのかな。
学生時代は一人でも大丈夫って思ってたのに、最近は家族が欲しいって思う。細胞から語り掛けられてる感じ。
仕事の話を書いてたつもりなのに、なんか家族が欲しい話になっちゃった。
でもつらつら書いてみた結果、私は自分の気持ちが少しだけ明るみになったのであった
夜中に長文でごめんね、みなさんおやすみなさい。
当方30歳、女。
特定派遣という業界に思うことのある人は多いだろうが、私にとっては良い会社だった。社員の距離感が自分に合っていたし、基本給は高いとは言えないが福利厚生は十分に揃っていた。
家庭の事情で引っ越しが出来なくなり、派遣として働くことが難しくなってしまった。やむを得ない退職だった。
化学というものは自分には向いていないような気がして、全く違う業界から転居が不要な場所にある企業を片っ端からブクマし、気が向いたら応募していた。
通勤はさほど大変ではない。完全年寄り相手の事業内容には一切興味がなかったが、業務内容には興味があった。
面接はトントンと進み、あっさりと就職が決まった。「○日から来てください(その電話の5日後の日付)」って、普通いいですかとか了承を取るもんなんじゃないかと思った。
職歴に間があくと、年金とか保険とかの手続きを自分でやらないといけないことが面倒。
来てほしいって言われたし……
とかなんとか、押しに弱い性質が響いたのか、まあいいか……とここに決めてしまった。
電話が来た日は不安で、普段しない親への電話などをしてしまった。
入ってみて。
風通しの良い社風だとは聞いていた。確かに社員間の風通しは良い。
が、パートのお局2大巨頭が強大すぎた。挨拶するだけマシ、しないギャルババアもいる(本当にギャルみたいなのだ、見た目はどう見ても40代後半だが)。
雑談には一切乗らない。挨拶をしないやつが世界で一番嫌いな私は既に毛根が死にかけている。
近くにグループがあるのに、「自分だけ会話に加われない」という状況がとてつもなくストレスになるらしい。
それらしいトラウマ体験に心当たりは、あるようなないような、という具合だが。学生時代の記憶が本当にぽろりと抜け落ちてしまっているのだ。
ただし、こういう話をしようとすると、感情とは関係なく涙が出てくる。今も書きながら涙が出ている。自分の中でなにかの防衛機能が働いているのだろうとは思う。
つまり、すぐ近くにパートのお局がいるのに、自分だけ(同時に入った社員も同様なので、自分だけではないのだが…)が会話に入れず、ハブられているという今の状況は、非常にストレスになっている。
給与が低いのは別に構わない。前も高くはなかったし。と思っていたが、思ったより見合っていないと荒むものだ。それなりに良い大学は出ている。
将来性がないのはまあ構わない。こんなところいつでもやめてやるという気持ちになれる。
とにかくずっとモヤモヤし続けていて、まとまっていないのだ。
よく考えないで就職するからだろカスと言われたらまったくそのとおりである。
自分のやりたいことがわからないし、何が向いているのかも未だにあんまりわかっていない。
とにかく自己評価が低いからこういう行動をしてしまったんだろうな、とは今にして思う。
いつでもやめてやるぞーーーーー
ガキの頃から、母親からブサイクブサイク言われて生きてきたので、さもありなん。
マスクが標準装備の世の中で、目の形を褒められることがちょいちょいある。
いやいや私は不細工です、一度たりとも顔の造形に関して褒められたことは有りません、と始めは言っていたが、何度か言われて、実は目はカッコいいんじゃないか、と思いたかった。
何度見ても不細工です本当にありがとうございました。キモいし怖い目です。他の部分もキモいし歪な形です。目も例外ではありません。
でも目はカッコいい、眼鏡も合ってると言われます。眼鏡はそうね、俺のコダワリポイントです。999.9の眼鏡はカッコいいし、機能性も抜群で最高。4本目も夏のボーナスが出たら買います。
何回も言われるから、久々に鏡と見つめ合ったけど、どうやっても不細工。何が不細工とか説明はできない、ブサイクのイデアとしか言えない目です。気持ち悪い目ですね、それは俺だからです。ブサイクですね。
マスク付ける世界になって、鼻も口も評価軸に入らなくなって、目が良いと褒められても。俺の顔はイビツでブサイクなんです。ブサイクのイデアなんですよ。何やっても自己評価はブサイクです。辛いね。
当たり前だけども当事者になるのと報道されているのを見るのとは全然違った。
事件被害者になるということは、ただただマイナスのことしかなく、失うものがすごく多いということがよくわかった。
この情勢になって誰かに話しを直接聞いてもらえることもなかなか難しいので、余計辛い。
家族に話せばいいと思われるかもしれないが、ただでさえ心配かけているのに「死にたい」なんてとても言えない。
死にたいが死ぬわけにはいけないので、仕事はやらなくてはならない(というか稼がなければならない)。
こちらはただの被害者なのに会社に正直に話したら仕事を干されてしまった。
今後迷惑をかける可能性もあるだろうと思って正直に話をしたが、失敗だったかもしれない。
もし従業員が被害に会って、その報告を受け、その従業員を大切に思うのならどうしたいかきちんと話を聞いてあげて欲しい。
休ませたほうがいいだろう、仕事を減らしてあげたほうがいいだろうと勝手に判断して仕事を取り上げるようなことはしないほうが良いと思う。
もちろん会社にとって重要な仕事を任せていたら、難しい判断をしなければいけないこともあるとは思う。(本業とは別に個人事業もやってるので少しはわかる)
ただその場合は(嘘でも)「あなたのことが大事だから、そのような判断をした」ということが伝えわらないと、(なにかあってもこの会社は助けてくれないんだな)と思われてしまうと思う。
ある事件被害者は迷惑がかかるから退職を申し出たところ、「(事件に立ち向かうには)働いているということが重要だ」と強く引き止められたらしい。
会社はカウンセラーではないので、従業員のプライベートのケアまでする必要はないようにも思うが、被害者の心をより傷つけるようなことはしないで欲しい。
あと家族も被害者がどんな心理状態にあるのか考えて行動してあげて欲しい。
被害者は自己評価が地に落ちている(少なくとも私は)ので、ちょっとした言動で酷く傷ついてしまう。
薄氷の上にいるような状態なので、あとで後悔をするようなことがないように。
たぶん家族や会社が事件被害者にどのように接すればいいかは、インターネット上や本が出ている気がするのでまずはそれを読んでみるのがいいんじゃないかなと思います。
報道されるような事件の被害者になったひとは想像を絶する目にあっていると思う。
自分が被害にあった事件は大したものではないのにも関わらずこんなに死にたくなるのに、ちゃんと生きてて本当に尊敬する。
最初はただ事件にあったことに呆然としたというか恐怖しか感じていなかったが、小さなことだけれども二次被害にもあって、加害者への憎悪が湧いている。
こちらは死にたくなっているのにのうのうと生きてるなんて許せない。
吐き出せばちょっとは気持ちが薄れるかなと思いましたが、やっぱりまだ死にたいです。
いままで少しづつ積み上げてきたものが他者によって簡単に壊されてしまうなんて想像もしていませんでしたが、まずは「死なない」という選択を毎日し続けて、時間が解決することを願っています。
事件被害者でなくても、こんな情勢で死にたいと思っているひとはやっぱり増えていると思うので、死ぬ前に(繋がりにくいらしいけど)いのちの電話でも増田でも「死にたい」と吐き出して欲しいと思って書きました。
いや、社会人修士入り直せよ。大学は何歳になっても入れるだろ。
勉強や研究がしたいんじゃなくてランク付けが欲しいだけなら大学向きじゃない。
2.5流ってのはMARCHクラスの大学の事だ。佛教大学は4流か5流かわからんが大学にカウントしてもらえるだけありがたいと思った方がいい。
前略、冬季鬱。とにかく冬場は気分が落ち込む。肩こりが夏場よりひどくてほぼ毎日頭痛に悩まされるし、雨や雪の日の頭の回らなさはひどい。ぼーっと一日何も思考せずに過ごす日が多くなる。
なんとなく毎日ぼーっと過ぎていく。頭が回らない。ただただ無気力に、できることならスライムみたいに溶けてなくなりてえ〜、と思いながら惰性で毎朝起きている。やること、やらなきゃいけないことを考えるのが嫌になって、毎日同じでいたくなる。毎日同じことだけやっていれば生きていける生活、羨ましいかもしれない。
「やれと言われたことだけやって、それ以外のことをすると怒られる」環境下だったから、誰かからやれと言われないなら何をしていいか分からないし、「自己判断でお願いします」とか死刑宣告だ。自己判断して怒られて育った人間は自己判断できねえよ。
根底にある自己肯定感的な何かがかけてるんだと思う。この場合の自分が言いたい自己肯定感ってのは「俺すごい!俺最強!俺が天下!」みたいな感じではなく、うまく言えないけど、「何をしてもされても自分の評価が揺らがない」みたいな感じを言いたい。
自分の過去を恨んだり、自分の育った環境を恨んだってどうにもならないけど、恨んでいないと真っ直ぐに生きられている人間と比べて惨めで仕方ない。自分はゴミだと自己評価して自分が傷つくことで、やっと居場所を許してもらえてるような心地がする。精神的リストカットだ。
どうにもならない。どうにもならないから早いところ液体にでもなって急に消えてしまいたい。もしくは明日の朝が来ることなく、知らないうちに地球ごと滅んで何も悩まなくていいようになってほしい。
かと言って、もう理想の人生っていうのも思い浮かばない。これを目指せば頑張れる!みたいな指針もない。何も目標がないから、ただ泥みたいに生きている毎日が辛い。数日先の未来に希望を持てない人間が、自分の死に様に理想なんかあるわけない。
死に様といえば、自分の葬式でしてみたいことって何かある?自分は(一旦費用のことは考えないことにするなら)自分と全く関わりのないエキストラ俳優を雇って、自分のことを全く知らない人に大泣きしてなんかいかにもしんみりした雰囲気にしてほしいな。全部嘘の葬式、面白そうじゃん。でっち上げの弔辞とか読んでもらうのもいいかもしれない。面白くないのは、自分の葬式でそれをやる「おもしろ」を自分で見れないこと。不謹慎。
草々。
おい貴様ぁ!
■異性からの誘いは恐怖。極力話し掛けられるような場面を避けて生きているが、かなり押しの強い人に出会ってしまった場合、断り切れず結婚、出産という可能性はあると思う。
これはなんだい?
化粧とか全然せんでも「異性からの誘い」が発生しうるような人生を送っていると読むことが可能だと思うのですが、そう読んでもいいですか?
→お前は「敵」だ。そうやってよ、モテを被害みたいに扱いやがる、実際そうなのかもしれないが、やっぱこう、お前が当然のように享受し、嫌がってすらいるものを、どれだけ渇望しても得られず、狂っていった人間たちが沢山いるってことを意識して欲しンだわ。
貴様にとってモテはまったく望むものではなく、むしろ避けたいもので、それに文句を言われるのは心外かもしれない、しかし、しかしですよ、貴様はそのモテによって、一切の益を得ていないと断言できるのか?
「私は黙っていてもモテるような魅力のある人間だ」というのは事実としてあるわけで、それが自己評価にまったく関わらないってことはないだろう。
俺みたいな奴はよ、中学時代、廊下ですれ違った女子が「いまの人キモかった」なんて囁きあってるのを聞くというような体験により、自尊心を大いに傷つけられているので、貴様のような態度の人間には敵愾心を抱かざるを得ない。
モテないだけなら自尊心がプラスゼロなだけで済むけども、負のモテが存在する人間もいるんだということを意識していただきたい。
貴様が当たり前のように被害者ヅラして受け入れているそのモテは、俺にとってはどうあがいても手に入らない、得難いものなんですよ。
つうか、「モテようとしなくても、自分に猛アタックしてくる人が現れるかもしれない」なんて想定をマジメに語っちゃうって事実が貴様の人生遍歴を雄弁に語ってるんだよな。
俺はそんな可能性、いっさい想定したことがない。ありえないからな。
あまりの気持ち悪さに職場の人間全員にメチャクチャ嫌われて、ハブられたらどうしよう?みたいな可能性しか想像しない、できないわけ。
どうなんですか?全然モテようとしなくても、猛アタックしてくる存在がポップする人生……
普通に嫌だな。
キショい女がバンバン寄ってきたら俺は胃潰瘍になりそうだ。男なんてほぼキショいのしかいないし、さぞかし嫌でしょうな。