はてなキーワード: 早慶とは
早慶以上の大学院生の上澄み5%ぐらい、大学教員の上澄み2割ぐらいのは、
それなり以上に安定的に目立てる実力はあると思っている。
また、そのレベルよりもやや低め、あるいは結構低めのレベルの見識しかもたない人でもネット上で
「煽り」の言説に特化していけば、目立つことっていくらでも可能になっている、
悩ましいのは、
そこそこにちゃんとトレーニングすれば、将来、それなりにきちんと期待できるぐらいの20代前半ぐらいの子が
中途半端にネットで褒められたり、目立つ小技を覚えて、小さなコミュニティ内で目立っているのをよく見かけること。
あれって、どう評価すればいいのか、微妙だよなあ、と常々おもう。
ネットで評価されることがうまく自信につながって、本人の成長にうまく活かされるのならばいいのだけれども、
低いレベルで安定してしまって自己模倣をしてしまう人もけっこういるからなあ。
まあ、別にネットでの評価だけじゃなくて、仕事での評価にせよ、学会での評価にせよ、友人からの評価にせよ、
評価を得たところで満足してしまったら、そこで成長はとまる。もっとも、無限に成長しろと言いたいわけではないが。
だけれども、自分のある種の能力というのが、いまどのような状況にあるのか。
自分が本当に目指したい地平はどこなのか、ということを
何であれ、自覚的にきちんと自己評価をはっきりとするクセを付けなければいけないよな、としみじみと思う。
(これは半分は、自分への言い聞かせでもあるのだけれども。)
低いところでとどまると、せっかくポテンシャルがあるのに、ある水準以下にとどまる言説しか繰り出せなくなっていく。
若手論客的な人を横目にみていると、そういうことが頻繁に見受けられるので、ほんとに残念だよなと思う。
別に誰とは言わないけれども、まあ、若くて名前が出るような人はネット上で知ったかしてる有象無象なんかよりは
いくら馬鹿にされてても、たいがいはそれなりに教養もあるし、頭いいとは思うのだけれども
もっとも、知識人としてのキャリアでなく、実業家としてのキャリアに人生の途中で切り替えたいと思う人もいるし、
そういう人は別に、好きなように人生あゆんでくれればいいとは思う。
ある労働組合の団体がツイッターを通じて、ある大学の学部における募集を来年で停止することを発表していた
正直言って、大学全入時代に入ったことで大学の価値というのは、以前のものよりも落ちていることは確かだと思う
Fランと呼ばれる大学群が未だに残っている現状や入試制度の多様性により学生の出入りがより安易になってしまった
結果としては、金を払って卒業証書を貰えれば「大卒」を簡単に手に入れられるサイクルが生まれてしまった
自分も大学生ではあるが、大学というのは本来勉強すべき人間が集まって行う場所ではあった
それが約10年前から大学の増設の規制緩和、それに伴う進学率の上昇の影響でエリートを排出する場が問われるようになったと感じる
最近テレビでよく目にするようになった「東大生」や「京大生」、またはその学力と並ぶ大学群
メディアはどういった意図で紹介したいのか分からないが、その学生達を細かく見せる訳ではなくインタビュー形式で聞いておいて黙るのもどうかと思ってる
もう大学生というのは昔のような「エリートや秀才がなる者」ではなく、「社会的に一般的なステータス」に変化したと言ってもいい
http://news.yahoo.co.jp/feature/325
早慶の大学も放任というより学生に寄り添う存在になっていたとしたらこれはもう過保護というよりかは売り手の視点になっていると思う
日本の大学のランキングが他のアジアの大学に負けてしまった等もあったりしたが、その背景には学生自体の質ではなくその大学の方針ややり方に問題があるのではとも思っている
やったーーーーーーーーーーー!!!!大学生活最初の夏休み!!!!!!!!!!!
ということで、国立大学で理系学生ライフはじめた人の感想として、高校生のうちからこんなところ見てる人に向けて心得ておくといいことを色々書いてみます。今大人の増田さんにも昨今の大学生の一例として見て欲しいです。
これから書くことは個人の感想だし、高校時代の友人や先輩からの受け売りもあるし、さらにすべての大学に対してうまく当てはまるものではないことをお断りしておきます。というか高校生に向けた話なら今書かずに3月にでも書いたほうがいいとか、具体的な勉強方法については例えば"シケプリ"制度のある東大や横市医には全く当てはまらないとか、まあだめな所いろいろあると思います。ごめんなさい。
これ分かってないとだいぶやばいので一応書いておきます。大学入った瞬間すでに真っ白に燃え尽きてしまっててこの半期でリタイアしかけてる人を実際に見てしまってるので・・・。
1日が勉強と(睡眠OR風呂OR飯)で終わる日が何度もあります。受験の時は一応飯と睡眠は毎日とってたはずなんだけどなぁ。
これは失敗談なのですが、スマホ(もしくはSIMの刺さるスマートデバイス)は買いましょう。必須です。あなたがまだガラケーで親の承認得られないようでしたら合格直後に量販店に駆け込んでSIMフリー端末とプリペイドSIM買いましょう。ハイエンドである必要はないです。
今の大学生、コミュニケーションツールはほぼLINEの一人勝ちで、あとは若干のtwitterです。メールの時代は終わりました。私は頑なに(親の意向もあったのですが)ガラケー、しかも通話とSMSのみの契約だったのですが、そのせいでLINEを全くと言って良いほど使ってなく(一応PC上のAndroid仮想マシンとガラケーのSMSを使ってアカウントは作ってましたけど)入学直後の友達作りに完全に乗り遅れました。というわけで(別にスマホ持ってなかったのが主原因ではないですけど)今私には同学科の友人がいません。ココ重要。
もちろん友達作りだけでなく、「いつでもどこでもすぐググれる環境」を作っておくことはとても良い勉強の見方になります。もちろん重要な情報は本読んだほうがいいですけど、ちょっとしたことを最小の時間で解決できるという点において本当に便利です。
これも失敗談です。新学期が始まった直後は、サークルを宣伝するのを主目的とした(と今となっては感じます・・・)"履修相談テント"がキャンパスにたくさん並びます。履修相談とは読んで字のごとく履修について相談をすることで、例えば学内で使うwebサービスの使い方とか、要項に載ってない暗黙の了解とか、どの授業はテストが難しいだとかこの時間はこの授業をうけるといいとか、そういうことを先輩が教えてくれるらしいです。
しかし入学当初の私は、忙しいはずの先輩たちがそんな自らの時間を割いて後輩のためにいろいろ教えてくれるなんて虫のいい話があるわけ無い、全部宗教勧誘だと勝手に思って近づきもしなかったのですが、本当にいろいろ教えてくれるそうです。さらにメインの目的であるサークルの宣伝もそこまで押し売りみたいなものではないらしいです。
私は理想的な時間割を作ることに失敗し、本来1回生で終わるはずの第2外国語を2回生でもやるはめになったようです。あの時履修相談テントに行っていれば・・・!と常々思います。どうにかまだ留年条件は満たしてないと思いますが・・・。
自分用のノートパソコン持ってないなら買いましょう。必須です。入学直後ガイダンスで偉い人に「学内備え付けのパソコンが沢山あるから買わなくてもいい」みたいなこと言われましたが嘘でした。学内パソコンはたくさんありますが基本的に自分のパソコンを毎日持ち運んで毎日使います。授業の内容まとめたりレポート書いたりとかちょっとした空き時間にできます。後述するコンデジとICレコーダーの母艦としても大活躍します。
個人的にはB5サイズ程度でキーボードが打ちやすい、(自宅にデスクトップ機があるので)CPUは最重要というわけでもない、みたいな基準でアウトレットの型落ちThinkPad X250買いました。
別途PC用の手持ちバッグ持ち運ぶのが手間でなければB4サイズでもアリですし、生協で20万円とかするLet'snoteとか売ってますが、Let'snoteに期待されるであろう軽さ電池持ち頑丈さに加えて生協の手厚い補償とかを考えて価値があると思うならそれもアリだと思います。今のところ非Windowsで困る場面もあまり無い感じなので、Macでドヤリングも悪くないです(でもUSB typeCしか付いてないアレはどうなんでしょうかね)。surface持ってる人意外といますが、大学の机は得てして特に前後方向に狭いのでキックスタンドのせいであまり奥に置けないことを考えたほうがいいです。高い買い物なので、よく悩んで、量販店で実機触って、満足できるもの買いましょう。
なおOffice付属のものを買う必要はありません。まっとうな大学ならDreamsparkもしくは何らかの包括契約とかで実質タダみたいにOffice使えます。
これは私が文字書くのがすごい遅いせいでもあり、またノート写してくれる友だちがいないせいでもあり、また大学の授業というのはまあ本当に教授によって様々なので一概には言えないのですが、スライドをぱっぱっと切り替える人とか速記みたいなスピードで(でも読める)文字書いてすぐ消す人とかいるので、ノート取るの追いつきません。ただただ文章書く・話すだけの人ならパソコンやポメラでメモ取ればいいのですが、図とか数式とかいっぱい出てくるとそうも行きません。そういうとき現代の学生はすぐスマホで写真撮ったりするのですが、運悪く後ろの席にしか座れなかったりするとデジタルズームしかできないスマホのカメラだとどうしても文字が潰れて読めないことがあります。光学ズームのあるデジカメはそういう時の強い味方です。1万円前半くらいのでもいいので持ってると便利です。もちろんシャッター音は消しましょう・・・。
教授はとんでもなく重要なことを唐突にしゃべります。そういう時ちょっとでも眠くなったりボーッとしてるとアウトなので、授業中は常にICレコーダーで録音してます。万一なにか聞き逃しても後で確認すればいい、というのは精神的な余裕も生まれるので良いです。スマホで代用もできなくはないとは思いますが、専用ハードウェアは便利ですよ。PCと接続してデータ移せる機能は必須だと思いますが、外部ストレージが刺さるとかマイクが動いて指向性変わるとか電池交換が可能とか薄いとか、そこらへんは個人の好みで。
この手のものは操作感が命なので、ソフトの作り込みが良い主要3社(オリンパス・パナソニック・ソニー)が鉄板です。
紙で配られた資料はスキャン(してOCR)しましょう。電子データで配られた資料はプリントアウトしましょう。紙には紙の(直接書き込んでメモしやすい/切り取ってノートに貼れる)、電子データには電子データの(なんといっても検索性)良さがあります。
スキャナー持ってない場合、Office Lensなどのアプリで代用もできます。これはなかなかの優れもので、カメラで四角いもの撮ると自動で四角いもの検出して正面から撮ったように伸縮してコントラスト調整して読みやすくする、まで自動で行ってくれます。Microsoft純正アプリだけあってOneDriveへのアップロードもできますし、そうすればOCRも行ってくれます、これがスマホで完結する時代になったのですから恐ろしいものです。ただ自分の場合はハードオフのジャンクコーナーから動きそうなフラットヘッドスキャナ見極めて500円くらいで買いました。
プリントアウトはコンビニでもいいですが、最近は新品のレーザープリンタでもローエンドは1万円しないとかとんでもない安さになってるので、突然レポートをプリントアウトしなきゃいけなくなったりする時とかに備えて1つ家においているとほんとうに便利です。ただしこの手のローエンド品はドラムが交換できないようになっているので、つまりドラムの寿命が来たらその時点でプリンタの寿命なわけです。でもそれでも何万枚かはプリントアウトできるらしいので大学生が一人で使うぶんには全く困りません。交換用トナーもリサイクル品なら高くありません。レーザープリンタ、おすすめです。
理系と言ったら英語です(誰でも英語必須だと思いますが)。英語は何世紀にもわたって世界的なブームが続いてるので、絶対色んな場面で英語使います。東工(予定)や横国などみたいに院の授業は全部英語というのは極端な事例ですが、英語しか資料がないという場面はこれから何度も出くわすと思います。
授業で教えられるものだけでは足りないと思ったので、自ら英語に触れていくことにしました。これは私が個人的に合っていると思うやり方で、効率性とかよりも楽しさ・挫折しにくさ・"英語が嫌いにならないこと"が重点です。ちなみに海外渡航経験はゼロです。
リーディングは自分の興味ある物のネット記事とか読み漁るといいです。googleのニュース検索の中から適当にチョイスして読むとかいい感じです。
日常的に英語に触れる、という点ではブラウザやスマホやゲームやPCの言語設定を英語にするのが最高です。
つい最近ですが、持て余してるパソコンにUbuntuを英語設定でインストールしてみました。変なことするとエラーメッセージとかが英語でバンバン出るのでLinuxと英語が一挙に勉強できてヤバいです。Reboot even if system utterly broken!!
リスニングはラジオのAFN。あっBGMほしいな~といった時にちょくちょくかけます。AMの放送局とかありますがネットで聞けます。英語の冗談で笑えた時本当に嬉しいですよ。
ライティングはたまに海外の掲示板にチョロっとなにか書いたりとか、スピーキングはスマホにOKGoogleしたりとか、その程度です。
私は以上4つの定番ingに加えて、基本的な英単語について瞬間的にイメージをするというのも大事だと思ってて、P-Study systemをやっています。簡単な単語集を制限時間1.5秒とかで4択からパッパッと答えていくのが好きです。
これはおすすめするか迷ったのですが、Wikipediaの「Unicode6.0の携帯電話の絵文字の一覧」をぼーっと眺めることもあります。これも基本的な英単語を瞬間的にイメージする練習です。
Unicode6.0の携帯電話の絵文字の一覧 - Wikipedia
センター本番の英語は8割とか散々な結果で辛かったのですが、今の成績を見る限りどうにか帰国子女グループの次くらいにはできるようになってるみたいです。
レッドブルとかモンスターエナジーとか、エナジードリンクキメると本当に目が冴えますよね。でもただでさえ生活バランス崩れるのにそこにさらに追い打ちをかけるようなことはこれからはやめたほうがいいと思います。エナジードリンクは体力が増えるのではなく体力を前借りしてるだけです。生活リズム・体調が一番大事。18過ぎたら老化始まりますよ。野菜食べましょう。
運動しましょう。ネタではないです。ポケモン捕まえるためにランニングとかでもいいと思います。北大とか筑波とかだだっ広いところだとキャンパス内の散策だけでもいい運動になりそうです。体動かさない日が何日も続くと結構ダウナーになったりします。
個人的な経験になるのですが、体動かした後というのは疲れるというのよりも先に学業が捗るというのが来ます。高校までは通学に1時間とかかけてそれがそこそこの運動になってたわけで、大学のすぐ近くで一人暮らし始めて一気に運動量減ってたんですね。それで今まで運動不足という状況に陥らなかったわけです。
残念な話なのですが、学部学科にかぎらずチャラチャラした見た目・生き方の学生が存在します。ウェイはみんな早慶に行って国立のましてや理系の道に進めばもはやそういったのに出くわすことはないかと思ったのですが、大きな教室に1~2グループとか、ウェイは存在します。これは個人的にすごいカルチャーショックで大学に入ってからの悲しみランキング堂々トップなのですが、そういった生き方の人間はどこにでも一定数存在するということを高校生のうちに知っておけば、もう少しショックは減らせたのかなという思いです。
多くの講義は最後の日に試験があるわけですが、過去問を持っていると本当に捗ります。もちろん試験対策にもなるわけですが、普段の授業でも過去問を見ながら授業を受けるとどこが重要なポイントかがよくわかります。過去問なんて受験までの話だと思ってたのですがどうやらそうではないようです。
過去問の入手方法ですが、もうこれは同じ学科の知っている友人や先輩に頼むのが一番だと思います。残念ながらわたしにはそういった頼れる人がいないので、次点の手段であるインターネットを使います。
なんたるインターネットリテラシー欠如の無頓着かという話なのですが、例えばtwitterで鍵もかけずに学内でしか知り得ない情報を話すような学生というのが若干数いるので(プロフィールに大学のことが書かれてなくても、学内で起こったちょっとした出来事とかをキーワードに検索すると釣れます。教室内での出来事なら確実に同じ授業を受けている人になります。もちろんそこからフォロワーを芋づる式にたどっていくこともします)、そういったアカウントを監視して何か試験に関する情報をつぶやかないかどうか待つわけです。
ごく一部に限りますが、試験問題をアップロードしている非公式サイトなども存在したりします。むしろtwitterではそういうサイトの情報を得ることのほうが多いかも。
実験したらレポート書きます。おそらく(あなたが高校生ならあなたが思っている以上に)大学生活のうち大部分をレポート書くのが占めると思います。
「学生実験 レポート」とかググると章立ての仕方とか出てくるのでそれに従います。もしかしたら教授からなにか指定されるかもしれませんがその場合はそっちを優先します。
多くの場合目的→原理→手順→実験結果→考察→参考文献みたいな章立てで書いていくのですが、最初から順番に愚直に書いていくのはお勧めできません。実験が終わった段階で手順と実験結果は終わっているようなものですし、多くの場合教授が最重要視するのは考察です。まず原理を書いて自分が実験でなにをしたかったのかを再確認し、適当な関連しそうな事項が載っていそうな本を図書館で探して参考文献リストを埋め、本をパラパラめくりながら考察を考えていきます。次に自分が原理や考察を書いて何を学んだのかを目的の項でさもこれから学ぶかのように書き、最後に手順と実験結果を適当に埋めます。
もしWordでレポートを書く場合、"スタイル"を用意しましょう。スタイルとは段落や文字列などに個別にフォントなどを一括設定できる機能です。例えば「目的」と打ったあとその行にカーソル合わせたまま「見出し(自作)」とかいったスタイルを選択するとその行がMSゴシック12ptで「1. 目的」となってそこで改行するとスタイルが自動的に「本文(自作)」とかになってフォントがMS明朝10.5ptに変更されたりします。めちゃくちゃ便利。またページ番号も自動で入力されるように設定します。実験ごとに指定される書式とかあると思うので、それにそってスタイルを自作してテンプレートとして保存しましょう。スタイル機能、Wordにおける超超超重要機能なので絶対使いましょう。
また、とにかく何かしら文章を書いてページを埋めてレポートを書いた気分に浸りたい場合、"=rand()"と打ってみましょう。数段落の文章が自動で挿入されます。自分の場合何も書く文章が思いつかない時にこれをすると、なんだか自分がすごく文章をかける人間なんじゃないかと錯覚して結構書く文章を思いついたりします。
明るい青春、楽しいキャンパスライフなどというのは理系学部生には無縁の話です。実験・レポート・課題・自習の毎日です。もちろん自分が専門にしたいことを中心に学べるのはとても良いことなのですが。
そんな中でも趣味が1つあると、誇張でなく「生きる希望」になります。私は受験勉強に本腰を入れてから一切の趣味活動(上のリンクでバレバレです)を控えて、いざ合格した時に解禁してみると随分とそれを取り巻く環境が変わっていたのを知って戸惑ったのですが、それでも学業とは切り離して好きなものを持っていることに大きな大きな安心感を持っています。
以上、こんな感じです。まだまだ効率化しなくちゃいけないところはいろいろあると思いますが、どうにかほとんど単位は取れそうです。
彼スペック
・思慮深く、博識で尊敬できる。
・身長は175cm以上。
・そこそこイケメン。
・年齢は〜50歳程度。
・おしゃれ。
・メンタルが安定している
女のスペックは
・年収無し
・メンタル安定だが甘えんぼ
・両親は中級以上
・容姿は得上
現実はこう
自分が考えていたネタのどちらかをここに納めようと思ったが、そのうちの一つだけ愚痴らせてもらう。
まだ大学生という身分ではあるのだが、大学自体に行くことそのものを疑問に感じながらも結局のところ親が主導権を握っていることをいつも思ってる。
今日はそんなことを書き留めたい訳ではない。
自分は20代であるものの、「いつまでも絶えない30~50代くらいが想像する若者のレッテルは何故生まれてしまうのか」を最近無駄に考えていた。
しかし、「若者」とはいってもどこぞの綺麗な表紙で飾られているような清楚な若者ばかりではないのだ。
喋りや風貌からして融通の利く有能そうな奴もいれば、明らかに口だけは達者で具体的な中身がボロカスみたいな奴だっている。
そこで自分が見ている部分では、性格が合わなさそうな相手だとしてもどのような意見を持っているのかを確認している。
今の就活状況は某アニメーション映像みたく、グループディスカッションを行いながら共同で作り上げることが多くなっているかもしれない。
自分も何回かやってみたが、正直言って他力本願で他人に頼り、その内容をまるで自分がやったように自己満足している状況しかなかったように思える。
そういった経験から感じたのは、「若い人で限定した場合に集団の中で使えそうな駒がいれば、そいつに全て人任せにして得た利益を同じく貰おうとしている」という考察に至った。
何故若い人がマスコミによってあたかも中身のない無能な馬鹿みたいにされているのかがなんとなく理解してきたのだ。
「若者が馬鹿だと玩具にされる→あまり具体的なプロセスまで組み立てる思考を停止させている→そのことから現実問題に置き換えると、できそうな奴に全て用件を投げ捨てて楽をしている」ということであるのかもしれない。
これはあくまで自分がそういった人物としか当たらなかった運の悪さなのかもしれない。
だが、もしこれが1つの講義として成り立つのであれば、日本の教育は先進国の中で遅れていると言われたらその意見に同意するだろう。
大学自体がこういった双方で行う講義を積極的に盛り込むのであれば、学生側がただの談笑するレベルで進むようなことは時間と金の無駄だ。
前期でもグループワークの授業を取ることになったが、選考の仕方がコンピューターで分けただけという馬鹿馬鹿しい話だったし、志望動機は長々と打ち込めずたった1コースごとに3,4行程度だけというこの始末。
そう思うと教員はそこまで学生を見る暇もないし、説教や反省させるような態度を取るようであれば、そのようなリスクを生まないよう選考することが一番の回避策だったはず。
こうなるとバブルの時に大学を作り過ぎてしまったツケがだんだん悪化しているのかもしれない。
学歴として早慶クラスの学士博士を取得したとしても、Fランク大学で教授としていること自体に意味があるのか。
そもそも研究機関である大学なのに特に文系学部に関しては研究成果が公開されないのだろうか。
個人的な意見としては、大学として本当に機能しているのは理系の学部と十分な研究費用や材料が存在する上位の大学であると思う。
そして、一番の問題として進学することが当たり前の世の中で、何故小さな頃から勉強以外で自信の持てる個性を身につけさせないのかということである。
日本は同調、集団社会であること自体変わらない。欧米や欧州のような確立されたシステムの中で自らのキャリア構造を若いうちから立てられるチャンスが存在する。
しかし、今の日本は子供を産んだ時点からレースが始まっている。それは「受験」である。
小学校から始まり、幼稚園ではしつけや漢字を読ませるなどのことを徹底している。
このことから子供たちにとってはそれが当たり前の日常ではあるが、逆に親はどういったものを彼らに与え、何を見せているのだろうか。
最近朝のニュース番組を見ていたら、親がある日本古来の物語の一部分を子供に向かって言うと、残りの部分をスラスラと答えていた描写があった。
日本では教育施設、機関に行かせることが中学まで義務付けられている。
そして最終的な目標が受験とされている世の中で、学校に対して縋っている、甘えているのかもしれない。
学校に行けばやりたいことが見つかるのであれば、子供がが成人になるまでに彼らのやりがいが感じられる選択肢を助言することも一つの教えではないのか。
神経質な感じではあるが、自分としては金と空気を読む力さえあれば生きていけるのならそうしたい。
世の中は理系>文系です。答えはシンプルで、理系出身者が文系仕事を出来ても、逆はほぼ不可能です。なぜ、こんな簡単なことを誰も声を大にして言わないのでしょうか?
1) マスコミ
マスコミは早慶文系出身者が多く、自分たちの存在意義を否定したくない、っということがあるのではないでしょうか?彼らも人間ですから、身びいきになるのは当然です。
また、私立大学は彼らのお客さんであり、私立大学の多くが文系学生の学費によって成り立っている事実があります。そのため、マスコミが声高に文系がエリート以外にまったく意味がないことを言えません。
2) 大学の収支
文系にかかかる費用はほんの少し、理系にかかる費用は天井しらずです。文系は場所を提供して、講師を雇い、マスプロ授業、教材を配布し、試験をして、採点して、単位出し、卒業させるだけで、ほとんど費用がかかりません。もっと言ってしまえば、本さえあれば自習可能であり、誰かに習わなくとも、必要な知識を会得できますし、それ以上の専門知識は学者以外には不要です。
理系は広い場所を確保、高い設備を買い、実験できるのは少数です。専攻によって違いますが、設備が億超えるような強烈に高いものも珍しくなく、その設備を使って教育させるだけでとんでもない費用が発生します。そうして、得た経験、知識が実社会で要求されますので、まさに実学です。
医学部が典型例です。私立は込み込みで卒業までに1億円かかるといわれる大学があるにもかかわらず、国立大学医学部の学費は年間60万円程度に過ぎませんし、寄付金なんて当然要求されません。この差額は国が負担しているのです。多かれ少なかれ理系は税金によって勉強させてもらっているのです。
3) 日本の習慣
官僚の東大文Ⅰ信仰と結びついている節があるのではないでしょうか?技官が力を持つことはなく、事務官が各省庁のトップ、事務次官になり、最高のステータスを誇ってきました。
また、バブルの頃に東京の私立文系をもてはやす習慣が出来て、特に目的はないが、早慶全学部を受験する、といった意味のない受験の仕方が何の疑問も持たれずに未だに行われています。私は日本以外にこういった受験の仕方をする国を知りません。
■ まとめ
今までは安易な文系選択も問題になりませんでした。なぜなら、日本企業の事務効率は世界最低レベルだったため、大量の事務方が存在したので、非エリート文系の受け皿が存在したからです。それが日本経済が落ち込み、ITが文系仕事を駆逐していくことになると、文系学生の就職難はどんどん激しくなるでしょう。
この記事を読んだ高校生の皆さんは安易に文系を選ばないでください。東大京大にいけるなら、それもいいですが、早慶文系の就職ですら、すでに思わしいものではありません。私がどれだけ言っても信じないなら、大学のホームページで進路状況を確認してください。理系がほぼ100%就職に対し、文系は20%程度は進路不明です。
集団的自衛権の容認をはじめ、なんだかんだ安倍晋三ってそれなりに政策の実現を図ってきて、
それなりの支持率をもってそれなりに成果を上げてきているんだろうと思うんだよね。
多分、それなりの成果を上げた総理大臣として歴史に残るんだろう。
それが良いのか悪いのかはとりあえず置いといて。
その一方で、安倍晋三って人には、あんまり教養は感じられないし、
文化人のお友達は、百田尚樹とか、そういうレベルしかいなそうだし
ちょっと自分に都合の悪いこと言われると、興奮して元々の早口がさらに早口になって、
何言ってんだか良くわからなくなるし、
あれで、たとえばプーチンとかと差しで対談して、あおられたらボロとかださないのかなあ?
とか心配になるんだけど、
なんというか、器が小さくって見ていられない時があるんだよね。
小学校か幼稚園から慶応か学習院に入れちゃえば、大学まで保障されるだろうに
成蹊に通わせたのは、たぶん、親は東大に入れようと思ってたからなんだろうけれど、
東大はおろか早慶に進むこともなく、そのまま大学まで成蹊に通っちゃったのは、まあ、その程度の成績だったんだろうし、
いわゆる受験勉強ができるってことと、本質的な頭の良さは別なんだろうけれど
直接会ってみるとまた違うのかな?
野田佳彦とか、演説とか討論とかみると、それなりに上手だなあと思うし、
小泉は、やはり演説とか世論を味方につける手法とか見事だなあと思ったし
ちと古いところだと、橋本龍太郎あたりは、
なんか女性を引き付けるルックスの良さとかもあったし、喋るとそれなりの重みがあったし、
アメリカの通商代表に「タフネゴシエーター」と呼ばれたこともあるらしいし、
思いつくのは「岸信介の孫」ってことだけで、話の内容以前に、滑舌なんとかならんのか?とか
そんなことばかり気になる人だ。
なんだろう。
結局「神輿は軽いほうがいい」ってことで、なんだかんだ官僚がやりたいようにやれて、
それを阻止するほどの頭も力もないから、それなりにうまく回っているのかな?
豚まんって今本当に26歳なんだろうか。どう考えてもロスジェネの35歳すぎのおっさんの非モテ語りなんだが。
99.99%の男は汚い。汚いから、女の子がやると官能的だったり、幼さが際立つことも、男がやると不愉快なだけ。だから、男は女の子が化粧とダイエットに力入れるぐらいには面白い・頭いい・すごいにステ振りして殴りつけないと幸せになれない
こういうこと書くと、ネトフェミから「男だってイケメンになったらモテるんだから、女の子みたいにキレイにする努力をしたらいいじゃないか」と言われそうだけど…男のキレイ枠ってもっと狭き門だと…いや、説明しなくてもわかるだろ?そんぐらい
合コンで高学歴以外に「女子大」といえば、お株があがるけど、男は東大・早慶以上じゃないとお株が上がらない。(しかも、文系でお誘いをウケる程度に見てくれがいい人しか上がらない。)キレイ枠の狭さをそこからも感じ取ってほしいと思う限り。
いい意味・チヤホヤする意味での「○○女子」は多いけど、「○○男子」はものすごく少ないことからも、「女子の枠の方が多い」ことをいい加減に理解して欲しい。
(99.99%の才能があるわけでも、キレイ枠でもない男は)みんな死ぬしかないじゃない!
年齢が上がった時にしんどくなるのは女性の方なんですよね。(若いころに「枠」に救われる人が多かったとしても、中身をつけるか、争いから上がらないとしんどくなるのは女性だから、そこはとっても難しいですよね…)
男の場合、「結果」がお金のことになるから趣味の先駆者・名人は人間扱いされづらいんですよね…。頭がいい人、ニッチな分野ですごい人はいるけど、その位置だと、社会的にもモテ的にも報われないのが難しい所。一方で、「モテ」に関しては、お金を貰わなくても、何十人に評価される必要もないから抜け道がある。女性の場合は「男だらけの趣味・仕事・学問に行くとモテる」とか。ただ、女性特有の難しさはその後。モテてるうちにあがるか、実力をつけないと積み上げたものも失う危険が。
しゃべってるうちに気づいたけど…これって男の場合は受験とか試験の年齢と同じような競争・序列の世界に生きてるしんどさで、女性の場合は寿退社の時代のしんどさ(ゴールは自体できるけど、ゴールは強制。タイムアップ=ゲームオーバー)という別のしんどさなんでしょうね…
結婚しない選択・そういうことに配慮がないぐらい女性が少ない場所にいたら、男並みに仕事を求められていきなり、男的な競争に巻き込まれてしんどそうな気が…。うーん…
言葉足らずだったから補足。年を経るごとに競争に慣れたり、逆に競争に勝てばいくつになってもチャンスがある男にはない辛さが、「いきなり男並みの競争に投げ込まれるか、モテてあがるか」の二者択一になることなんですよね…そこを配慮した言い回ししないとダメだなぁ…僕が
ガチのヤリマンは男に依存してるから、男にやさしい&優しくされると一時的に本当に転ぶ心のやさしい人がいるけど、ヤリマン気取りは経験を振りかざして「ゲスな話できる私、素敵」とかやります。実際のところ、後者は「いい肉」ってだけ。前者は共依存して両方ダメになる程度には魔力がある
<取り違えられた男性A>3歳時、育ての父親が死亡→貧困→中卒で働く→(血縁の無い)兄を介護しながらトラック運転手 <もう片方の男性B>小中学校時代から家庭教師→大卒→不動産会社の社長 ※弟達が男性BをDNA鑑定→血縁無し→取り違え発覚→病院「謝罪しない!」 #NTV— さくや@Japan (@sakuya7) 2013年11月28日
60年前、生まれた病院で「取り違え」貧しい他人の家庭で育った 男性の人生を考える 実の親は裕福だった いまはトラック運転手 いまさら「真実」が分かっても… | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
はてなブックマーク - データえっせい: 都道府県別の大学進学率
都内有名大、増える首都圏高卒 30年間で1.4倍に:朝日新聞デジタル
地方高校生に「東京離れ」 仕送り負担、地元志向強まる:朝日新聞デジタル
NEWSポストセブン|早慶が関東ローカル大学に!? 地方出身者減で学生レベル低下
最近なんちゃらのなんちゃら歳以下のなんちゃら人に選ばれたらしい新進気鋭の企業家が進めているネットを使った教育系サービスがあるけど、あれはもう終わりだ。
まず、企業の頼みの綱である学生バイトの時給を3分の1削った。
別に削りたきゃ削ればいいが、雇っている相手は、東大(医学科までいる)東工大、早慶、全国の有名私立に国公立医学部の生徒だらけだ。
そんなやつらの中に、時給600円で働いても良いよってやつがいるならいいが、俺はごめんだ。
あと、最近給与振り込み先を強制的にイオ○銀行に変えさせやがったが
その口座設立へのリンクをクレカも勝手についてくるアフィリエイトにする時点でこの会社の程度が知れる。
沈む船からは俺は逃げる。
フェミニストと言っても、色んなタイプのフェミがいて、それぞれ言っていることが違ったりします。そんなタイプがあるんでしょうか?
1) 極フェミ
強烈に偏ったフェミニスト(女尊男卑)であり、何に関しても女性が優遇されていないと気がすまないタイプです。
男性に対して嫌悪感にも似た感情を持っていて、その一方で自立する気の無い女性に対しても批判的です。
学歴エリートの社会学者、マスコミ関係の独身女性、バツイチ女性がほとんどで、戦後の男女平等教育を受け、男女雇用機会均等法、高度経済成長の波に乗っかってきた人たちです。
時代がイケイケであり、女性解放先駆者だというプライドにあふれています。
一方、バブル以降に就職をしている女性は就業機会に苦しんできているので、このタイプはほとんどいません。
早慶文系出身でも専業主婦、一般職に就くのが珍しくなく、同年代の男性がもがき苦しんで仕事をしている様子を見ているので、自分もそれをしたいと思わないからでしょう。
極フェミにとって、バブル世代以下の女性の考え方にイラついて仕方ないように見受けられます。
今の若者には信じられないでしょうが、団塊、ポスト団塊世代にとって左翼こそがファッションだったんです。
マルクスだ、レーニンだ、と小難しい子と言うのが格好良く、女の子にもてるし、闘争のリーダーともなればセックスしまくれたのですw
今で言うところのバンド活動みたいなものであり、ちょっとした有名人になれば、ファンの女の子を食いまくれたみたいです。
そのため、「インテリたるもの多かれ少なかれ左翼思想を持っているべきだ!」っとバブル以前の世代は刷り込まれており、その延長で、「フェミニストは進歩的でかっこいい!」っという根拠も無い思い込みをしている人もいます。
これは女性に限らず、男性でもこの手のタイプはいて、1)の極フェミに媚びるような思想を持って、「進歩的な俺ってかっこいい!」っという自己陶酔に浸っている人も珍しくないです。
この手の人は在日朝鮮人問題、部落問題などの人権問題とセットにして取り組んでいたりします。
3) ダブスタ
時と場合によって基準を変えて、自分の都合のいいように解釈することを指しています。
例を挙げると、クソスペックしかもたない女性がそこそこのスペックを持つ男性をバカにするってのはダブルスタンダードです。
バブル期以降の女性はキャリア志向はあまりなく、夫に生活基盤を整えてもらい、自分は華やかで、やりがいのある仕事をして、嫌になれば辞めてもいいっていう気楽な立場を望みます。
この手の女性にとって、仕事は生活のためにするのでなく、自分の遣り甲斐のためにするので、苦しいことはしたくないのです。
マスコミ、アナリスト、マーケティング、専門職w、というように名前がかっこいいものを望んで、
あれも違う、これも違う、と畑違いの業種、職種を点々とするカススペック女性の言うことは日本は女性差別をするっと吼える一方で、
男たるもの家庭を支えるのは当然!っと平気で言えるのです。
こういった人たちはフェミですらなく、単なる超自分勝手な最低人間であり、
女性の嫌らしい部分が前面に出てしまっているゴミクズどもです。
他人に要求するなら、まずは自分がやるのが当然って言う、男女問わず当たり前のことが守れないのです。
■ まとめ
1)は時代錯誤なんだと思います。高度成長期、男女雇用機会均等法の産物であり、無駄に気負って生きてきたけど、後ろには誰も付いてこなかったっていうのが現実です。学園闘争の闘士たちも同じことで、本当は間違いがわかっていけど、今までの自分の人生を否定したくないから、目を背けている哀れな老人と言っていいでしょう。
2)はほとんど存在しません。最大の原動力であるセックスが出来なくなったので、若い男性が左翼思想に傾かないからです。
フェミがどうだって言っている男より、バンドで自分でも意味わからない英語でも叫んでいるバンドマンとセックスしたい時代なんです。
3)は人間のくずだと思います。この手の女性は親になると、自分を棚に上げて、異常に高い要求したり、自分の人生のリベンジを強要します。
また、夫に感謝することも無く、歪んだ女尊男卑思考で子供に夫の悪口を吹き込んで家庭崩壊させることもあります。
ダブスタ型が女の中では最低ではなかろうかと思います。従来のフェミ(団塊とそのポスト餓鬼)にもダブスタは勿論います。
フェミの下っ端は兎も角、洗脳する側の上層部はどうしても女尊男卑をしたいので、確信犯です。
確信犯であれば、理論的に反論して相手の矛盾を論破するのも可能です。
一方、バブル以降のダブスタは、なんだかよくわかんないけど、自分が楽できるからフェミとかよくわかんないけど、
なんか都合のいい風潮があるから、とりあえず賛成かな、みたいなノリです。
この連中はフェミではありませんが、単なる馬鹿なので余計に厄介なことは間違いないです。
洗脳している人間は確信犯なので、論破可能ですが、一般的に自覚のないバカほどたちの悪い人たちはいません。
自分の言っていることがダブルスタンダードだという自覚がまったくなく、あたかも当たり前のように女尊男卑を世に求めるのです。
なんの根拠もなく思い込んでいる人間を論破は出来ません。都合が悪くなれば泣き喚いて手がつけられなくなるだけですから。
俺も埼玉県民だが、
「さいたま」っていう音が色々なものをダサくさせるパワーを秘めているのかもしれない。
全国の色んな所にあって、首都圏だと、東京、神奈川、千葉、山梨にある(日大は栃木、茨城にもある)のに埼玉にはない。
(日大芸術学部は所沢にあって、東海大高輪台のグラウンドはさいたま新都心にあるのに)
なんとなく他のところに比べて全てが弱そうだ。
「所沢」「春日部」が他の県の市町村名だったとしたら、それなりにしっくりきていたかもしれない。
しかし、どちらも紛れもなく埼玉であり、「さいたま」という音を連想せずにはいられないから、日大も東海大も来てはくれなかったのだろう。
祖父、祖母たちを恨まなければいけない。
自分は父方のぼってりとした顔や、すぐに禿げ上がる頭皮や、祖父の茶色の肌や、どちらも持っている一重の小さい目やら大きな顔やら、陰毛みたいなくせ毛やら容姿の欠点はほとんどもらった。
というのも、父親は優秀なので普通の家よりも金を大量に稼いでくれる。そして、東京の中心でまだ品良く生きていける。
そして、自分は京都のゴミみたいな大学の3流学部に通っているけど、それでもまだ父方の家では高学歴なのだ。東大やら京大やら早慶、その他もろもろの人が聞いたら爆笑してしまうだろうけどそうなのだ。
高卒で頭が良くない父の弟の子供の容姿のいい1歳年上の従兄弟がいるのだが、高認、大手予備校、福祉の専門学校で自分よりもゴミだから許せる。というよりも自分はバカにしている。
その従兄弟には姉が二人いる。あばずれだ。
どちらも一重で父方のぼってりとしたひどい顔の女なのだが、どちらも高卒だ。
そして、片方はブッサイクな一重の解体工と結婚して、ブッサイクな子供を量産している。
自分はこの子供たちが不憫でならない。助けたいかといえば、助けたいとは思わないし、何か強制的に助けなければいけない法令みたいなのがあっても極力助けたくない。
しかし、かわいそうだ。
顔が醜くて、家も金があるかといえば無く、少なくとも母親は経済的な事情など一切ないくせして高卒で、しかもそれで満足だと思っている。
どんどん、世の中が求める人間というのはハイスペック化しているなかで、金が無くてどうやって彼らは生きていくのだろうか。
可哀想でならない。
そして、自分は両親がセックスする前から美しく生まれることがないということは父方、母方の家、双方の写真を見ればわかっていたのに、身勝手に産んだのには呆れるばかりだ。
おまけに健康でもない。
しかし、まだ父親の金と地位でプライドが保てているのだからまだマシなのかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20150830025616
http://megalodon.jp/2015-0830-0414-34/anond.hatelabo.jp/20150830025616
後日ブログでまとめて書くけど…こんなオツムで30代前半までサラリーマンできてるそいつの人生ってどんだけ運がいいの?こいつよか頭いい自信があるだけに、コイツよりも病んでいる人生、金銭的には報われてない人生送ってる僕ってなんなんだろう?
一体俺が何をしたっていうんだ感ですよ。自分よりアホな人が生きて行けてるのを見てると、自分が相手のいいところを見つけられないような人からしたり顔で物を言われたりすると。…自分の評価が絶対とは言わないけど、言われもない理不尽に晒されてる感はなんなのかと悶々としない方がおかしいよね?
すっかり母親の熱心な教育の賜物として「なんかができないのは自分が悪い」と思い込まされてた結果として悪い時には自分ができないことが悪いと思い込まされた人間ですよ。その結果として、向いてない職種の仕事をしてしまったり、得意を伸ばすよりも苦手を責められることに慣れて人生に出遅れた
発達障害にあと10年早く気づいていたらしょっぱなから早慶狙いか、可能な限り科目数が増えないような方法で国公立狙いしてたし、その後にADHD寄りの僕が正確性の求められるようなアルバイトをしなかったし…あー今から死んで残りの寿命の半分でいいから強くてニューゲームさしてくれないかな?
向いてない能力を求められたり、できるべきだと言われ続けて病んだ人間だから自分の子どもは絶対に発達障害の検査をやると決めてるし、精神科行くことに理解のない女と結婚することになるとしたら…まぁ、考えたくもない。