はてなキーワード: 銀の弾丸とは
今日も何もできなかった。昨日も、一昨日も、先週も、先々週も。
部屋は乱雑に散らかり、湿った匂いを振りまく。堆積する洗濯物と本。傍らにあるピアノは、厚い埃に覆われている。
風呂に入るのが途方もなく億劫に感じる。食後の歯磨きをする腰が重い。それだけじゃない。出歩かない日に着替えをしないのはもともとだけど、爪も伸びるままだし、日課の朝洗顔もおざなりになったし、ある日目についた眉毛は気づいてから2週間そのままだ。
やらなきゃいけないことはたくさんあるし、やりたいことはそれに輪をかけてたくさんある。先方へのメールとアポ取り、日課のピアノの練習、チームの作業、TOEICの勉強、部屋の掃除。勉強ならプログラミングもやらなきゃいけないし、他に溜めている仕事もある。全て進行していない。現状を鑑みてできないはずがなく、単純にサボっているだけとしか言いようがない。毎日惰眠を貪り、空いた時間起きることもなくゴロゴロし、ギリギリ体が動くとき思い出したように少しゲームをして、ただ夜が更けるのを待ち、空が白み始めた頃になって、今日も何もできなかったという後悔・自己嫌悪とともに眠りにつく。そんな毎日を過ごしている。どう考えてもサボっている。
そう。できないのではない。やる気になれない。もはや自分が頑張ることに意義を感じない。今の頑張りが明日につながるようには、到底思えない。今頑張ることは、明日の含み損を減らしこそすれ、すでに抱え込んだ大赤字を解消してくれるわけではない。雪だるま式に増える借金の、無限に膨らみ続ける利息に押し潰される人生としか思えない。
誰も助けてくれない。おそらく、自分の明日を気にしてくれる酔狂はどこにもいないのだろう。自分の過去に目をかけてくれた人もほとんどいないから。私はこの数年間、日々硬直と停滞が進む体と神経に抗いながら、ボロボロになっていく心を誤魔化しながら、それでもできる範囲で実績を積み上げてきた。だとしてもそういうことなら、その実績はハリボテだし、ひいては自らの人生も廃棄寸前の見切り品でしかなかったということだろう。そうではないと言える証拠は乏しいが、そうであると言える状況はいくらでもある。
どうしてこうなってしまったんだろう。どこかで道を間違えたことは分かっているが、どこかを修正してもこうなる未来から逃れられない気がする。
こんな状況だから……というわけでもないが、『恋する小惑星』というアニメを観た。『恋する小惑星』に登場するキャラクターたちは、与えられた問題に対して先送り的な解決法を見出しているシーンがいくつかあったように見受けられた。
正直、はっとさせられた。誰に限った話でもない、みんな明日に対する無力感は持っているし、それを根本的に解決する力を持っていない人だっている。でも、自分の周りにいる誰かが受け入れてくれるなら、明日に意味が生まれる。明日に何かあるなら、今日頑張れる。関係によって、問題をうやむやにしてしまうことで、多くの人は救われる。私にも、そのような光景があったならば。
いや、違う。私にも確かにあったのだ。単に選ばなかっただけで。選ばぬことを選んでいるうちに、一向に姿を見せぬ青い鳥を探し求めているうちに、褒め言葉や励ましは全ておべんちゃらに聞こえるようになり、損得勘定によって物事を判断するようになり、快晴の空に思いを馳せる心の余裕が追いやられ、やがて慈しみの関係が絶滅したのだ。それからのことは、語るに及ばず。私は、自分の逃した魚がどれほど大物だったかを、この段になって初めて悟った。
しかし。だからといって、だからといってどうすればいいのだ。もはや人と話していても言葉が通じている感触がない。失われた関係も、捨て去った機微も、粉々に崩れたパーソナリティも、もう戻っては来ない。軌道修正するにも、燃料の残量は少ない。気づいたところで、目の前にそびえる借金が消えてなくなるわけではない。
価値のない人間の行動に、価値は見出されない。価値のない人間の言葉は、空虚そのものだ。価値のない人間との関係は、価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない価値がない
詰んだ。来ないかもしれないかもしれない明日に、望みをかけて耐え続けることに何の意味があろうか。どうして誰かの代わりにもなれない欠陥品なのに生きていかなきゃいけないのだろう。これから何年、督促状でできた蟻地獄に耐え続けることになるのだろう。
みなさん、こんばんは。
「Merpaku Frontend Engineer Meetup」の時間がやってまいりました。
今夜は、著名フロントエンドエンジニアの方々にお集まりいただき、「2020年のフロントエンドJSフレームワークを考える」と題しまして、お話をお伺いいたします。
ま~、僕の場合はね、海外の技術情報をチェックしてるんだけど~
今のフロントエンドはさ~、なんちゅ~の?
あの、Frontend Engineerの友達がベイエリアとかにいるんだけどね~、いつもSlackで現地のトレンド情報を送ってくれるんだけど、よく調べると、ま~あの、銀の弾丸はない、結局はトレードオフ。
C:あ、ちょっちょっといい?
あのね、僕~はやっぱりjQueryが一番いいと…
A:でもね、僕なんかなんちゅうの、海外のカンファレンスに参加する機会がすごい多いわけ。ね?
この間もUSやUKまわってきたんすよね。
そこで一番感じたのはですね、銀の弾丸はないけど、結局はトレードオフというのが一番感じたなぁ~
B:う~ん、キミとはちょっと違うんだよね。
僕は英語がわかるでしょ~?
だから勉強会なんか、登壇してくれって何度も頼まれてね、断ってるんだけど、まぁ、だいたいよく調べてみると、銀の弾丸はない、結局はトレードオフっていう。
C:う~ん、でもね、やっぱり僕はjQueryが…
そうじゃなくてさぁ、僕なんかは1日にね、1日に8時間コード書きまくって生活してるわけですよ。
そうすっと、すごいよくわかるのは、銀の弾丸はない、だけど、結局はトレードオフっていう感じだなぁ~。
僕はいいね数5万個だよ?5万個ついてんだよ?それも「先週いいねが多かった投稿ベスト20」ばっかりよ?
で、だいたいよく調べてみると、銀の弾丸はない、結局はトレードオフなんだよ。
C:あ、ちょっと言わせてもらうとね、僕なんかやっぱりね、jQueryがやっぱりいいなと…
A:あのキミ違うよ、だってさぁ、Watchのレポジトリ数なんか言ったら、8万ありますよJS。
それをさぁ、全部動かしまくって感じんのは、はっきり言って、銀の弾丸はない、だけど、結局はトレードオフ。
B:んはっ、僕なんかね、キミとはちょっと違うんだけどね、懇親会で質問したりとかね、ちゃ~んとフロントントエンドの話して聞くとですね、銀の弾丸はない、結局はトレードオフなんだよね。
C:っといいですか?
フロントエンドを理解するためにはさぁ、アーキテクチャと切り離せないと思うわけですよ。
ね?聞いてる?
ね、ほら僕は今、自作ライブラリ開発してますよね?TypeScriptの、ほら?
だから、そういうふうに、日常にアーキテクチャを取り入れることからね、フロントエンドを考えると、銀の弾丸はない、だけど、結局はトレードオフと言い切れると思うわけよね。
B:ちょっと待ってよ、は~キミとはちょっと違うんだけどね、技術顧問先なんか行くとね、全部僕がWebpackとか、CI環境とか、み~んなレビューするんだよ?ペアプロするんだよ?
そうやってコミュニケーションしてね、でフロントエンドは銀の弾丸はない、結局はトレードオフなんだよね。
C:やっぱアーキテクチャだったらね、Backbone.jsじゃな~い?
A:なんかおかしいんじゃないの~?
え~、今度Abema Towersでフロントエンドのカンファレンスの運営サイドもします。
ま、そういう世界にいてですね、はじめてフロントエンドがよくわかると言い切れると思うんですよね。
だから、そういう言い方からしてもね、銀の弾丸はない、だけど、結局はトレードオフと僕は思うわけなんですよ。
B:違~うちょっと、僕はね、キミとちょっと違うんだけどね、僕なんかね、今度フルタイムのOSS開発やんだよ?しかもWebAssemblyよ?
そうやって実際にOSSを作ってみてね、銀の弾丸はない、結局はトレードオフ。
A:…
B:…
A:ちっ
B:ちっ
A:だからさぁ!!!WebAssemblyがどうしたか知らないけどさぁ!!!
僕ね、今度Google Japanに頼まれて、六本木ヒルズでキーノートやろうかどうしようか迷ってる自分がここにいるわけ。
B:だけどね!!!
A:来場者は1万人だよ!!!
B:それはね!!!六本木ヒルズがいくつあったって1万人がね…
B:六本木ヒルズがね、どうやって…
B:jQueryが…
A:そういう真剣勝負をさ、実力を持ってるところから、もの見てごらん!?
B:違うんだよ!!!
B:ちょっと違うんだよ!!!
https://anond.hatelabo.jp/20191029132449 の補記
このまとめが私の言いたかったことに非常に近い。私自身が4ページ目で「線引き」という言葉を安易に使ったのは失敗であった。後述するが、線引きは必ずしも必要ない。
- id:Yagokoro バッカじゃねえのか。それこそ赤十字社が判断すればいい話。
まさしくそのとおりである。これは1ページ目に書いたとおり、赤十字には表現の自由があり、何を表現するかは赤十字が判断をすればいい。最終的には、赤十字にとってのコストパフォーマンスにより決定されるであろうと考えている。
- id:racebyrace 線引なんて出来ません。最終的には、違法かどうかしか無いのです。
- id:tomoya_edw 規制しようとしている側が規制の根拠を示せ。何かをやめさせようとするのに、無限に出てくる性嫌悪者のために配慮してとりやめるのかって話だよ。やるなら法のラインで全然いい。規制と反規制の落としどころなどない
- id:jun_cham その線引きはすでに終わっていて、法律で猥褻物という定義がすでにある。猥褻物にあたらないのであれば、公共の場で目にすることはあるものとして、正しく対処できるよう生きていくべき
- id:arrack 猥褻の基準はある(局部露出の有無等)けど、それを超えて過度に性的だの言ってるから、(どういう基準でそう言っているのかと)叩いているわけで。ゼロベースではないのに、増田含めて勝手にゼロベースに戻すな。
- id:ite 日本において猥褻の基準はしっかりとあって、裁判でも判例が積み重ねられている。それらを無視して思いつきで一方的に規制したがるやつらが馬鹿。
- id:meganeya3 「ポリティカルコレクトネス」ならきちんと法律にしろ。自主規制ってのはムラの掟なんだよ。そんなものを押し付けるな。説明は真摯でも結論がそんなところに着地されては困る
私は、表現の自主規制を行う上で、法律上の「わいせつ性」を基準とすることは不適切であると考えている。
世の中にはいわゆる「成人指定」あるいは「R-18指定」という仕組みがあるが、これらの規制は自主的に行われている。法的な「わいせつ物」はそもそも流通が不可能であり、一般に流通している「成人向け」コンテンツはすべて法的に「わいせつ物」ではない。では、どのようにして成人向けコンテンツのレーティングが行われているかというと、業界団体による自主規制ルールによる。もちろん、各都道府県系には青少年健全育成条例のようなものがあり、レーティングとゾーニングの実施を要求している。しかし、レーティングの主体は、あくまでも表現者である業界団体側に委ねられている。言い換えると、現在の日本においては、法的にわいせつ物であるかどうかを基準とした運用は、成人向けコンテンツに対してすら行われていない。
以上の理由より、私は、法律をベースラインと置く言説には説得力が乏しいと考えている。もちろん、「法律で認められているものはOK」と強弁すること自体は可能であるが、周囲の同意が得られるかどうかは別である。私自身はむしろ、件のポスターを擁護する上では、このような極端な言説を用いるのは悪手であると考えている。
- id:hanyan0401 R18以外で実際に運用されている基準なら、CEROのレイティングがあります。CERO-A(全年齢)の一つ上がCERO-B(12歳以上)で、ソフトの一例はこちらです。http://bit.ly/2JyAgbx 件のポスターってこのレベルで「性的」なんですか?
- id:yas-mal 過去の議論を無視してゼロから議論するのもアホらしいので、「男女共同参画の視点からの公的広報の手引」あたりを前提にすれば良いんじゃ無いでしょうか。日本赤十字社はどの程度公的広報に準ずるべきかも含めて。
- id:kumaponta 新しい価値観を提示したいなら何らかの基準を示さなければならないのは変化を求める側。具体的にはホワイトリストとブラックリストを併用したR12に近いレーティングを批判側が用意し検討の要望を出すのが筋だろうね。
これらのコメントは、現実的な自主規制ルールについての言及である。
「男女共同参画の視点からの公的広報の手引」は、多くの機関にとって最低限満たすべき基準となるであろうが、一方で、非常に概念的な内容にとどまっており、個別の表現に対する評価には使いづらいように思われる。そういう意味では、CEROのレイティングは、個別の表現を評価する上では、より有用かもしれない。ここで重要となるのが、CERO(や映論やビデ論など)のレーティング基準は、これまでの議論や社会的な情勢を踏まえて策定されており、ある程度の社会通念上の合意が得られたものとして運用されているということである。コメントには「落とし所など無い」という意見が散見されたが、多くのコンテンツは、すでに「落とし所」すなわちレーティングに基づいて運用されている。そして、想像ではあるが、このようなレーティング基準の背後では、規制強化派と規制緩和派の綱引きが常に行われているのではないだろうか。
赤十字がどのようなレーティング基準を採用するかは、赤十字の自由である。しかし、「法的にわいせつ物でなければOK」といった基準を採用しないであろうことは、かなりの確度をもって確実だと言えるであろう。
後半の指摘に注目されたい。いわゆる「レーティング基準」というほど明確なものではなくても、赤十字が内部的に表現基準を作ることは十分に有り得る(むしろ、すでにあるのではないかと思う)。このような内部基準は、過去の事例へのフィードバックを基に更新されていくであろうし、性的要素以外にも、ブランディングや多様性への配慮なども含めて運用されていくだろう。そして、内部の表現基準は曖昧に定義されることも予想できる。「各要素を勘案して、不要に性的に映らないようにすること」といった基準は、組織内部では問題なく運用される。担当部署で感覚が共有されていればよいだけなので、肌の露出割合といった、客観的な基準は必要とされない。言ってしまえば、まさに「ムラの掟」ならぬ「日赤広報部の掟」があれば十分である。
繰り返しになるが、このような内部基準は、表現の自由の問題とは直接的に関係がない。赤十字には、当然ながら表現の自由が存在する。しかし、赤十字が実際にどのような表現基準をつくり、どのような表現を外部に対して行うかは、赤十字の裁量に委ねられている。表現の自由を前提として、それをどのように行使するかの話である。
前述のような前提に立つ場合、この問題は「ポスター批判派 v.s.ポスター擁護派」の構図ではない。この問題は、「ポスター批判派 v.s. 赤十字」と「ポスター擁護派 v.s. 赤十字」という、個別の2つの問題である。両陣営とも、赤十字が自分の好みに合う表現基準を設定するように、赤十字にロビイングをするだけである。ここで赤十字に対して「あなたには表現の自由がある」と言ったところで、赤十字からすればそのようなことは既に自明であろう。赤十字にとっては、自由を前提として、どのような配慮を行うべきかこそが課題であり、「表現の自由」や「法的なわいせつ物」の話を引き合いに出されたとしても、あまり参考にはなりそうもない。また、ポスター批判派の言論を「お気持ち」と揶揄したとしても、赤十字が「我々はなるべく多くの人の気持に寄り添いたい」と方針付ければそこまでである(そして、赤十字の役割を考えれば、そうなる可能性はかなり高い)。「批判派は明確な基準を示せ」という意見も、赤十字には届かないであろう。赤十字の立場は、「皆さんの意見を参考にして、基準は自分たちで作ります」でしかないと予想されるからだ。
私自身は、ポスター擁護派である。しかし、一方で、ポスター擁護派の言論が非常に脆弱であるという危機感を持っている。わいせつ性の有無や表現の自由を銀の弾丸扱いしたり、「お気持ち」を軽んじる方向性は、現実世界において他者に響くであろうか。私にはあまりそう思えない。むしろ、そのような極端とも取られかねない言動は、単に無視されるか、悪印象とすらならないだろうか。もしも、わいせつ性の有無や表現の自由が議論において有効な武器であり、「お気持ち」を簡単に潰せるほどの威力があるのならば、ビールのポスターから水着の女性が消えたり、レーティングによる自主規制が行われているのは何故だろうか。私が、敬意をもって落とし所を(なるべく自分の好みになるように)模索するべきだと考えているのは、そういう理由である。銀の弾丸を持たない以上、100%自分の思い通りにはならないだろうが、「お気持ち案件」などと言って対話を打ち切ってしまえば、最終的にこちらが譲歩する度合いはさらに大きくなるであろう。
繰り返すが、件のポスターの是非において、表現の自由はあまり関係がない。もし仮に、ポスター批判派の要求が、政府による規制を求めることを主体としているのであれば、話は別である。しかし、今回の議論に置いて、そのような意見はポスター批判派からもほとんど出ていないように観測される。
この視点はとても参考になった。確かに、公共の場で公的、あるいは公的に準ずる機関が二次元キャラクターを用いるようになったのは最近のことである。漫画やアニメに馴染みのない人にとっては、自分が知っている世界が、なにか別のものに侵食されていると感じられるのかもしれない。とはいえ、表現の自由を前提にすると、そのような状況を拒絶することは難しいように思われる。「あの手の絵」に過度に性的な要素が含まれていない場合、二次元キャラクターであるというだけで拒絶することは難しいであろう。この部分は、なんとかして各自が折り合いをつける必要がありそうに思われる。
残酷ではあるが、あえて言うならば現時点で「声が集まっている」のはあなたの周囲だけなのかもしれない。実際に、私の妻に今回の件の感想を聞いてみたところ「別にこれぐらいいいのでは」というものであった。女性であっても、人によってはこのような反応である。他の人から見ると、あなた(達)の声は、まだ小さいのかもしれない。
しかし、どうか絶望しないで欲しい。私は、あなたの立場を完全に理解することはできないし、今時点であなたのために提示できるものもない。それでも私は、あなたにとって、今回の件が重大な問題であることは理解するし、それを馬鹿にしようとは思わない。私にはあなたを助けることはできないかもしれないが、あなたが声を上げ続けることは尊重するし、あなたの仲間がどんどん増えてあなたの声が多くの人に届くといいなと思っている。もちろん、声を上げ続けること自体が容易でないし、辛いこともあると思う。大変ですが、お互いがんばりましょう。
- id:viperbjpn 人それぞれっていうと、多分ほぼいろんな表現はできない
- id:chintaro3 そうなんだよな。溜まってる時は女性の手を見ただけで勃起するもんな。
- id:kloud 黒タイツでもドキドキする人がいるんだぞ!
一部はふざけているようにも見えるが、重要な指摘である。性癖というのは個々人でバラバラであり、実際に私からすると極端に感じる性癖を持つ人もいるであろう。では、個々人で性癖がバラバラであるから、手も黒タイツも、あれもこれも表現として認められない世界になるかというと、少なくとも現在の日本においては、そうはならないであろう。これは単純に、社会通念上の合意が簡単には得られないからである。これらのコメントは、「だれかの気持ちのために1つでも譲歩したら、結局はあれもこれも譲歩することになる」という危機感を述べているのだと考える。1ページ目で述べたとおり、このような危機感には一定の妥当性がある。一方で、現在の日本において、そのような自体が実際に発生するかというと、そのようなことも無さそうである。実際に、既に存在している様々な自主規制ルールは、多かれ少なかれ問題はあるにせよ、先鋭化することもなく、案外まともに運用されている。ルールを正常に保つためには、各陣営の不断の努力が求められるだろうが、極端に悲観する必要は無いと考えている。
補記が続くのかよ
組体操をやめない理由を知りたがっているブコメが多かったので、現場より。
特定防止のため色々曖昧にはするが、組体操は百害あって一利も無い訳でもない。
「皆で目に見えて体感を伴って明確にして具体的な何かを完成させる」のは一定の心理効果があるようで、
それまで同級生と馴染めていなかった子が、良い笑顔で皆と交流できるようになった例はある。
勿論、そういうキッカケは生徒によって様々だし、必ずしも組体操である必要は無いが、
他のダンスや芸術活動等々と比べ、組体操は前述の可視化や体感容易性の点においては比較的優れている。
万人の子供に通ずる銀の弾丸でもないが、それで救われる子が比較的出やすい方ではある。
ただし、個人的な意見としては、そのために何処までの危険性を許容できるかは議論の余地がある。
組体操の難易度と、それによって得られる心理効果に相関関係があるのかは分からないが、
だとしても過度に高難易度の危険性を犯すのは賛同しかねるし、前述の心理効果は比較的安全・容易なものでも得られる。
逆に、高難易度の危険性を忌避するが故の、比較的容易なものも含めた組体操全廃論にも賛同しかねる。
組体操ばかりが悪目立ちしているが、子供が怪我をする要因はスポーツ等多々あるし、
怪我を“過度に”恐れていては結局「子供を外で遊ばせるな」という極論にしかならない。
何がその子にとって良いor悪い、嬉しいor嫌いは千差万別であるため、何かをすればそれを嫌がる子も出てくるものだし、
いじめ問題でも何でも、ある子にとっては正解の対応が、別のある子にとっては間違いであるケースも多々あるため、
全体で何かをしようとすれば、必然的にそれを良く思わない生徒も出てしまうが(当然そういう子のケアも求められるが)、
少数(や、自分個人の体験)に配慮して何から何まで全体を規制してしまえという、昨今の風潮には疑問もある。
もっとも、教育現場に限らず、人との関わりにおいて最後に大事なのは手法ではなく、それを実行する人間そのものである。
本当に優れた教育者なら、組体操なんて用いずとも優れたクラス作りができるだろう。
上位2割の層のみが実行可能な手法を残りの8割に強要したところで、皆が不幸にしかならない。
まして教育者の権限や立場が失墜した現代の教育現場では、熱心な教育者ほど我の暴走した現実の壁に潰されて辞めてしまい、
批判で満たされる世界で生き残るのは、往々にしてそれを覆す優れた人間ではなく、それを適当に受け流せる図太い人間が大半である。
そんな訳で、確かに理想ではないかもしれないけれど、そんな世界で妥協を模索するならば、組体操はそう悪い手法ではない。
この五輪の費用は3兆円超えるらしいが、その金は生産年齢人口の質と量を増やすことに全振りすべきだった。
3兆円有っても薄く広く撒くほど効果は期待できなくなるので、特に効果の期待できそうな部分に、具体的には出生前から25歳くらいまでの養育・教育プロセスのうち、入り口と出口に的を絞って予算を配分するのが良いと思う。
入り口では出生率を上げることと未就学児童の知育が肝心だ。例えば地域ごとの人口動態を見据えつつ、育児施設の質・量の拡充などに予算を回す。
出口では国の今後の稼ぎ頭に成り得る産業を担う人材の育成と定着。例えば、ナノテク、バイテク、ロボティクス、情報技術などの産業で知識労働者になることを目指す優秀かつ低所得の高校生、大学生に限定して給付型の奨学金を提供するとか。高度な人材を国内に定着させる施策は難しい。低予算で効果的な銀の弾丸のような対策は無さそうだが、なんとか知恵を絞りたいところだろう。
そうだな。銀の弾丸はないってこと
タイトルを見てピンと来る人は、おそらくは由緒正しきソフトウェアエンジニアなのだろうと思う。
言わずと知れた、ブルックス先生の「人月の神話」に収録された1つである。
結論から言うと常に銀の弾丸はないと言われ、これから先しばらく銀の弾丸は現れないと言われていた。
以下に現役ITエンジニアとして今日までに感じた「銀の弾丸の近況」をメモする。
その一方で、とても喜ばしい1つの風潮がある。
大手SIer各社における「オーダーメイド型」から「既製品提供型」への移行である。
何故か、を話す前にとても大雑把な「銀の弾丸などない」の個人的な解釈をすると「無駄なものを作るな」が本質的な話であると思っている。
語弊があるかもしれないけど、作らなければプロジェクトの炎上リスクは大きく低減するはずである。
そして、大手SIerは人月型商売に限界を見出し、前述のような風潮にある。
これは歓迎すべきことなのだろう。
これに限らず、概ね、あの論文で触れられた内容な実現されそうな雰囲気がある。
銀の弾丸は未だにないけど、銀の弾丸の完成に確実に1歩ずつ近づいている様子はある。
まだ、IT分野への希望を捨てないで生きていこうと思う今日この頃である。
そう感じている私は、いわゆる元請とか、大企業とか言われるような場所のゴリゴリの技術職である。
それと、もう1つ重要かもしれない点は私はどちらかというと「既製品を作る側」にいる点。、
だから歓迎している側面もあるのかもしれない。
最後に
「これに限らず、概ね、あの論文で触れられた内容な実現されそうな雰囲気がある。」と書いたものの、
実現される雰囲気がないことが1つあるとしたら、それは間違いなく要件定義に関する部分である。
話が面白くない、つまらない、という話じゃなくて、倫理観がやばい。
「異なる世界から来た存在なので、価値観や倫理観が違う。それをどうすり合わせるか、理解するか」という話は、過去の戦隊でもいくつか出ている。
でも、リュウソウジャーはそれを、話の中で丁寧に描かず、雑に扱っている。でも、擁護の人たちは「違う世界から来てるんだから違って当然だ!」「批判する人はおかしい!」と熱くなっているし、「戦隊であることに意味がある、戦隊に文句を言うな」「楽しんでる人たちに水を差すな」と、完全に盲目になっている。
「子供が楽しむのが一番なんだから、大人が文句を言うのはおかしい」という声も見た。
しかし、破綻している話、説明されない倫理観で、子供は本当に楽しんでいるのか?子供って、単純に格好いいおもちゃのギミックだけで騙されるのか?
今どきの「子供向け」アニメなどを見ていても、そこまで脚本が「子供だまし」とは思えないのだ。
また、戦隊は「子供[だけ]のもの」とはもう言い切れないだろう。大人向け商品も普通にバンバン出ていて、大人だって立派にターゲットにいると思われる。そんな中、「子供受け」は銀の弾丸にはならないと思っている。
新戦隊だから〜というのも、もはや、言い訳にならない。もう9話を終え、もう5分の1が消化されてるのだ。
なんていうか、「好きなものを否定されるのは悲しい」じゃなくて、ちゃんと良さも悪さも語られてこそ、良いコンテンツは作られるのではないだろうか。別にリュウソウジャーに限った話ではないが、特「子供向けだからこれでいいんだ!」「戦隊は戦隊だから悪くてもいいんだ!そもそも悪いというのはないんだ!」という思考停止な意見を見て、危機感を覚えた。子供向けだからガバガバな倫理観でも許される、「価値観のズレ」という大きなテーマを雑に扱ってもいい、というのは、子供向け作品への侮辱ではないか?
在籍期間は約2年。これは組織に所属する期間として短いものかもしれない。
たった2年である。されど2年。鬱憤が溜まるには十分すぎる時間であった。
新卒採用ページの初年度年収は嘘である。個人的に一番不満のあった点なので最初に触れておきたい。
ヤフーの新卒採用ページを見ると以下のように書かれている(修士の場合)。
(2019/08/01 時点で修正されていました)
私の「初年度」という言葉に対する解釈「4月〜翌年3月の12ヶ月間」が正しいのであれば、この内容は誤っていることになる。
実態から言うと、初年度年収は468万ではなく410万あたりなのだ。
重箱の隅をつつくような指摘と捉えられるかもしれないが、私としては見逃し難い点であったので深掘りしていく。
これが誤りだと主張するに足る最も大きな理由として、初年度の社員は年2回ある賞与のうち1度しかもらえない事が挙げられる。
ヤフーでは4月と10月が賞与月であり、それぞれ基本給の約2.5ヶ月分の賞与(評価によって多少変動するが初年度の変動はなし)となる。
ただ、新卒社員は4月にもらうことはない(仮に6・12月タイプだとしても、通常6月にもらえるのはいわゆる寸志だろう)。
つまり、
(242,000 + 47,266 ) × 12 + 242,000 × 2.5 × 1 = 4,076,192
いかがなものだろうか。主観ではあるが、60万前後の差額は無視しがたい。少なくとも当時の私にとっては大きな額だ。
ではここで、上文に書かれている「賞与等」の解釈を変え、残業時間を考慮している路線を考えてみる。
条件として、最初の4〜6月は全体研修で残業が許されていないため、7月から3月の9ヶ月でできる残業時間が対象となる。
また、残業時間が45時間を越えていいのは年6回まで、かつ上限は80時間である。
加えて、初年度の1年間での昇給は基本的になかったので、1時間あたりの残業代は固定とする。
これを踏まえた上で計算してみる。
「25時間相当分の固定時間外手当47,266円/月」とあるので、残業は1900円/時となる。
80時間残業を半年間続け、残りの3ヶ月は45時間の残業をしたとする。
1900 × ((80 - 25) × 6 + (45 - 25) × 3) = 741,000 円/9ヶ月
これを先程の4,076,192円に加えると、4,817,192円である。
なんと、468万を超えた。失敬。
「新卒採用ページの初年度年収は嘘である。」と冒頭で言ってしまったが、嘘つきは私のほうだった。
さて、これを読んでどう感じただろう。
こんなことはよくある、で済ませていいとは思わない。
(「残業80時間を年6回なら別に苦ではない、むしろこの業界なら当たり前では」といった類のコメントは一旦跳ね除けさせてほしい)
それに45時間を1度でも超えれば上長から指摘を受けるし、6回も超える事例が実際にあるのかと言われれば極めて少数派である。
このような書き方がされていれば新卒1年目にもらえる下限年収のように感じても不思議ではない。少なくとも私はそう感じていた。
これはいつだったか転職ドラフトで炎上していたときと同じ流れだ。
[転職ドラフト経由でY社の内定貰ったけど](https://anond.hatelabo.jp/20160925170021)
正しい情報をミスリードなく伝えるのが企業としての在り方ではないだろうか。
最初の2週間はビジネス・エンジニア・デザイナーの3職種合同で様々な研修を受ける。研修の内容は多岐にわたり、当然ビジネスマナー研修もあった。
研修中初期はPCを開くことを許可されておらず、みんな紙にメモをとっていた。自分はメモをとらなかった。
6人で1つの机にまとめられ、座学の合間にやたらと個人ワーク・グループワークを要求される。特にグループワークが苦で苦で仕方がなかった。
グループワークは、都度いくつかのグループが話し合った内容を発表するよう当てられる。
話し終えると「はい、拍手!」と司会役を務める人事の方が声をかける。そして拍手。
約300人が回答者に向かって一斉に拍手するのだ。時代錯誤も甚だしい。
この研修を通して、付箋とペンに対してアレルギー反応を示すようになった人も多いと思われる。
今年度でもその形式が続いているのであれば退職希望者を増やすだけなので早急にやめたほうがいい。
そして、全職種合同の研修を終えた後はエンジニアのみに用意された研修が続く。
内容は外部講師によるLinux研修・Java研修・チーム開発と
先に言っておくと外部講師による研修は残念すぎた。不要。不毛。不服。
まずはじめにWindows PCを貸与され、それで戦うことを強要される。
一方で、ヤフーでの業務に使う貸与PCはエンジニアならMacのみである。なんということだろう。
そして外部講師企画のチーム開発は「雑に集めたメンバーでハッカソン」というタイトルが正しい(ここでもまだWindowsのまま)。
Linux・Java研修で学んだ内容を活かせる場面は決して多くなく、チーム内の優秀な人がひたすらにリードする形式だった。
チームによってはリードされる側は「なんかすごいのが出来上がっていく(が仕組みはよくわからない)」、リードする側は「この時間に意味があるのだろうか」と誰得な雰囲気が出来上がる。
その後、チーム開発研修についてもフィードバックする機会があったのだが、
とある同僚は
チームメンバーにgitの使い方を教えないといけない場面があった。gitコマンドに初めて触れるような人をエンジニアとして採用するのはどうなんだ
というコメントを残していた。
なかなかに攻めているなと思ったものの、振り返ってみれば全くそのとおりである。
gitコマンド触ったことない=初心者、が必ずしも成り立つわけではないがWeb系業界のエンジニアにはある程度当てはまるのではないだろうか。
同僚のコメントも受け、採用サイドに苦言を呈するのであればクックパッドの方の言葉をそのままお借りしたい。
クックパッドでは、新卒であってもプログラミング未経験者は基本的にエンジニアとしては採用しません。
なぜか?というと、学生のうちにプログラミングやソフトウェア、あるいはサービスを作る事に興味を持ち、それを仕事にしたいと思っているのに、手を動かさない理由はないんですよね。
[クックパッド 星氏「新卒でも技術力を重視、尖ったエンジニアはエキスパート枠として採用」《新卒エンジニア育成カイギ その5》 |](https://blog.codecamp.jp/engineer-training-cookpad-part1)
また、ヤフーが「世界に通用する tech company を目指す」と謳っていることも踏まえる。
今でも不思議でしかたないのは、私の知る極めて優秀な後輩2名がエンジニアとの面接に行く前に落とされてしまったことだ(当時の面接フローは人事→エンジニア)。
もちろん、最初の面接で受け答えがうまくいかなかったのかもしれないが、それならそれで持っている技術の良し悪しをはかる以前に「面接うまい人材」が重視されていることにほかならない。
技術さえあれば、コミュニケーションができなくていいと言っているわけではない。
一方で、面接で落ちたからと言ってコミュニケーションがとれていない、とも思わないが。
ことエンジニアの採用に関して言えば、GitHubやホワイトボードコーディングで見られる技術に関する蓄積や瞬発力、
リサーチャー寄り(機械学習エンジニアなど)であれば関連領域の論文実績等に比重を置いてもよいと思う。
もちろん、採用する側が手を抜いているわけでないことは重々承知している。
ヤフー含め、多くの企業が採用に苦戦していることを鑑みると、採用そのものがとても困難なプロセスであることは明らかである。
加えて、GitHub等を見たとしても応募者の技術力を正確に測ることは難しい。
ただ「世界に通用する tech company を目指す」 のであれば、まず人材の技術力ありきではないだろうか。
ヤフーにはヤフーの採用戦略があり、一個人が偉そうに言えるものではないので(十分語り尽くしているけれど)このあたりで大人しくする。
研修の虚無さについて書いているつもりが、いつの間にか採用云々についてヒートアップしてしまった。
無理やりまとめるならば、研修・採用において間違った方向に舵が切られていると感じた次第である。
ただ多くの人が納得のいかない評価制度は直ちに改善されるべきであり、決して惰性で運用されてはならない。
ここではこの4月に廃止されることになったバリュー評価に触れる
(採用ページからもバリュー評価に対する言及が消えていることは確認済み)。
廃止されたからこそ、この場を借りて言いたい放題言わせてほしい。
ざっくり言えば、ヤフーのもつ5つのバリューに沿って360度評価、である。
Japanese Traditional Big Company の実施する年功序列よりは億倍まともだし、360度評価といえば聞こえはいいが、
このバリュー評価がきちんと機能していたかと言われれば疑問符が浮かぶ。
[Yahoo! JAPANのミッション・ビジョン・バリュー - ヤフー株式会社](https://about.yahoo.co.jp/info/mission/)
謎だ。
やはりわからない。
重複しているようにも感じるし、「やりぬく」あたりはもう一つのパフォーマンス評価(説明は割愛)が担っているようにも感じる。
各々によって解釈も異なるはずである(もし社員で認識が合っていたのであれば今すぐに全力で謝罪する)。
加えて、昇給額の上限がある程度決まっており、いくら成果を出そうと結局のところ全社的にはそこまで大きな差がつかないようになっていた。
本当にとびきり優秀でなければ従来の枠組みを越えることはない。
先輩社員も口をそろえて言っていた。
給料を大きく上げるなら転職したほうが早い、そして数年経ったら戻ってこればいい、と(実際、自分の場合は550万 → 700万の転職となった)。
これはおそらくヤフーに限った話ではなく、転職による給与ハックがWeb界隈全体に蔓延っていることに起因するので仕方ないともいえる。
閑話休題。
いろいろな経緯のもと、この4月より廃止となったバリュー評価。
今ではパフォーマンス評価のみになったが、やはり評価に対する不満の声はいくらでも聞こえてくる。いくらかマシになったのかもしれないがやはり難しい。
世はAI時代。院卒の新入社員は、多くがデータサイエンス部署なるものを志望していた。
学部卒でも志望している人は少数ながらいた。
しかし蓋を開けてみると、ほとんどはデータサイエンスに全く関係ない部署に配属となった。
データサイエンスの部署に限って言えば、一番必要なのは東大もしくは京大を出ているか、そうでなければ運である。
学歴である程度決められていたように感じるデータサイエンスに焦点を当てたが、ミスマッチという点でいえば他の領域でも多少は起こっていた。
1ファイル数万行のphpファイルを運用しているようなレガシー極まったハズレ部署に配属される可能性もある。
こればかりは巨大な企業なら日常茶飯事かもしれないが、現実を受け止めるにはどうしても時間がかかる。
最後に、社外の人から見れば些細なこと、しかし多くの社員が日々思っていることであろう不満で締めてみたい。
毎朝絶えること無く形成される長蛇の列、まさに地獄絵図。阿鼻叫喚とも言える。
ヤフーでの出勤の定義は「執務エリアに入り社内Wi-Fi下で打刻アプリを起動しボタンを押下」である。
これを10:00までに行わないといけないのだが、入り口のエレベータまわりでは9:40あたりから徐々に変化が現れる。
気づけば、建物に入ってから執務エリアに着くまで10分以上要することになる。
つまり、この行列の待ち時間も計算に入れて通勤しないといけないのだ。
これを毎日経験するのは気が滅入る。ただでさえ電車通勤で疲弊しているというのに。
もっと余裕をもって出勤すればいいのでは、という声もあるだろう。ごもっともである。
しかし、時間をずらせばずらすほど電車の密度は増加してしまう。
これもできるのであれば避けたいし、個人的にはエレベータ行列の方が鉄の箱にすし詰めされるよりマシであった。
では、徒歩圏内に住むというのはどうだろう。
これも金銭面で相当にきつかった。
仮に自転車圏内だとしても、私の求めた最低限の生活(風呂とトイレに行きたいときにいける)を送るには80,000円を軽く超える。
家賃は手取り月給の1/3程度が目安とよく言われているが、就職を期に上京してきた自分の金銭感覚からすると家賃に80,000円を払う決断は最後までできなかった。
そして近くに住んでいたとしても、電車通勤から解放されるされるだけで、早く出ないのであれば結局エレベータ行列に悩まされることになる。
ということで、この惨憺たる状況に対する企業側の動きにも触れておきたい。
結論から言うと、行列に対する直接的なアプローチは何一つ無かった。
社内チャットツール(≠slack)のどこかで議論されていたりもしたが「待ち時間に何か楽しめるものがあればいい」というのもあり、根本を解決できそうにない。
うまくたとえられているかわからないが、「料理が不味い」ときに「美味しく感じられるよう空腹にする」というものが近い。
唯一の救いは、月5回まで利用できるリモートワーク制度である。
が、ヤフーはリモートフレンドリーであってリモートファーストではないし、みんながみんなリモートワークに慣れ親しんでいるわけでもない。
加えて、エンジニア・デザイナー職だろうとマネジメント業務を担い始めた途端にリモートワークは難しくなる。銀の弾丸ではないのだ。
話が発散しているが、エレベータ行列は悲惨であった、言いたいことはただそれだけである。
当然である。がポジティブな面は調べてもらえればいくらでも出てくるので割愛する。
様々な制度はメディアで幾度となく取り上げられているし、給与についてもvorkersや有価証券報告書をみればだいたいわかる。
優秀な社員もたくさんいるし、サービスの規模的にもやりがいを感じられる場面は多いはずだ。
そして、悪いところをずっと放置し続けるような企業でもない(と信じている)。
勝手にジョークぶちあげて揚げ足取られたら話の筋道をそらすのは如何な論法かと思うけどね、ジョークならジョークで完結させろよと言いたいが、「それはジョークだじゃあ話を元に戻そう」、これでいいのでは?それとも子供に対してCPUのことを計算してくれる装置ですよと語りかけるが如く丁寧懇切に連立方程式の解き方からBLASの存在まで説明しろとおっしゃるのかな?
それは筋が通らない話だと思うし議論する気があるなら最低限・・そうだな大学がならう数値計算とか並列計算機の授業のレジュメをさらっと目を通すぐらいはしたらどうでしょうか?
https://www.cspp.cc.u-tokyo.ac.jp/hanawa/class/sp20180925.pdf
うーむHPCに対するアプローチは二通りあって情報工学的に計算機科学の一環(つまりスパコンを作る側)として見るか、1科学者としてのシミュレーションを行う場、仮想実験場(スパコンを使う側)としてる見る場合の2つのアプローチがあると思うのだけど・・・PEZY-SCを搭載したシステムに関しては前者、計算機科学の成果としてみるべきシステムだと思うのよ、これの成果としては「非GPUで超メニーコアシステムを実現すると共に高効率なシステムを構築することに成功した」って言う一つの事実に集約されると思う。
でここで高効率なシステムの基準はなんなのかとというと「HPL」と言うベンチマークですわな、HPL=LINPACKと言う認識で話を進行させるけど、HPLは本来連立方程式の求解を行う速度を競うベンチマークであって、これを皆が手放しで賞賛してるのはおかしいと言う批判が存在する。
これは一理あってすべての科学技術計算の性能向上に寄与する指標とは言いがたいからだ。
じゃあなんでこれが推されている居るかというと理由は何個かあるけど連立方程式の解を求める必要のある技術計算はとても多いから、昔からやっててデーターが揃ってるから
ここまででHPLが重要視されている理由がご理解いただけると幸いなんだけど・・じゃあ具体的に連立方程式を使用する場面を示せよと言われると腐るほどあってどれを示せばいいのかわあらんのですが・・
http://www.cs.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2012/07/05hori.pdf
まああんまり人様の研究をあれこれ紹介して間違った説明しても申し訳ないので中身には触れないでおくけど実際に連立方程式は最もシェア率が高い問題であると言う認識は持ってくれると
話が早い
まあさっきのXeonでいいじゃんって話も一理あって性能が低くてもx86_64時代のコードそのまま使いまわせるし、さっきあげたユーザー側から見た時楽ちんであるのは事実だ。
なによりintel C++/Fortranコンパイラと言うクソ便利なものがあってライセンス料払うとある程度勝手に高速化してくれたりするし使いまわせるコードも多い
まあPEZY-SCよりXeonのほうが計算機を研究してるわけじゃない物理学者とかの各種研究者エンジニアからすれば魅力的な点が多いのは事実だと思う
だからと言って計算機科学としての計算機の純粋な性能向上を主とする研究・開発成果を邪険にしていいわけないしまた別の問題、確かに商業ベースで考えたとき
これらの問題をどうにかしないといけないのは事実だし改善して行かねばならないのはPEZYやエクサスケーラーの各位に残された課題であるのは間違いない。
だが少なくともまだこの世に銀の弾丸となりうる万能システムは存在しない。
もしあるなら俺にくれ あといい加減なこと言ってたらゴメン、強いひとに殴ってもらうと筋トレになる