2019-09-27

組体操について

組体操をやめない理由を知りたがっているブコメが多かったので、現場より。

特定防止のため色々曖昧にはするが、組体操は百害あって一利も無い訳でもない。

「皆で目に見えて体感を伴って明確にして具体的な何かを完成させる」のは一定心理効果があるようで、

それまで同級生と馴染めていなかった子が、良い笑顔で皆と交流できるようになった例はある。

勿論、そういうキッカケは生徒によって様々だし、必ずしも組体操である必要は無いが、

他のダンス芸術活動等々と比べ、組体操は前述の可視化体感容易性の点においては比較的優れている。

万人の子供に通ずる銀の弾丸でもないが、それで救われる子が比較的出やすい方ではある。

ただし、個人的意見としては、そのために何処までの危険性を許容できるかは議論余地がある。

組体操難易度と、それによって得られる心理効果相関関係があるのかは分からないが、

だとしても過度に高難易度危険性を犯すのは賛同しかねるし、前述の心理効果比較安全・容易なものでも得られる。

逆に、高難易度危険性を忌避するが故の、比較的容易なものも含めた組体操全廃論にも賛同しかねる。

組体操ばかりが悪目立ちしているが、子供怪我をする要因はスポーツ等多々あるし、

怪我を“過度に”恐れていては結局「子供を外で遊ばせるな」という極論にしかならない。

何がその子にとって良いor悪い、嬉しいor嫌いは千差万別であるため、何かをすればそれを嫌がる子も出てくるものだし、

いじめ問題でも何でも、ある子にとっては正解の対応が、別のある子にとっては間違いであるケースも多々あるため、

全体で何かをしようとすれば、必然的にそれを良く思わない生徒も出てしまうが(当然そういう子のケアも求められるが)、

少数(や、自分個人体験)に配慮して何から何まで全体を規制してしまえという、昨今の風潮には疑問もある。

もっとも、教育現場に限らず、人との関わりにおいて最後大事なのは手法ではなく、それを実行する人間のものである

本当に優れた教育者なら、組体操なんて用いずとも優れたクラス作りができるだろう。

ただ、世界カリスマ人材のみでは満たされていないし、

上位2割の層のみが実行可能手法を残りの8割に強要したところで、皆が不幸にしかならない。

まして教育者権限立場が失墜した現代教育現場では、熱心な教育者ほど我の暴走した現実の壁に潰されて辞めてしまい、

理念も熱意もない事なかれ主義教育者の方が生存率が高い。

批判で満たされる世界で生き残るのは、往々にしてそれを覆す優れた人間ではなく、それを適当に受け流せる図太い人間が大半である

そんな訳で、確かに理想ではないかもしれないけれど、そんな世界妥協模索するならば、組体操はそう悪い手法ではない。

数ある学校行事の中でも、比較的高い効果を得られやすい部類であるし、

少なくとも「やめてしまえ」の一言で片付けられるほど、そう単純な話ではない…と、個人的には思っている。

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