はてなキーワード: 銀の弾丸とは
「劇場版名探偵コナン 緋色の弾丸」を見てきたんだけど面白くなかった。
ザハ案っぽい競技場にリニアが突っ込んだときには「あれ、税金で作ったんだよね……また増税して作り直すのかな」と思ったり、犯人が動機を語ったときは「マスクもしないで何を言っているんだ?」と思ったりしたからオレが疲れてるだけなのかもしれないと思ったが、他の客の反応も「なんか微妙」って感じだった。
ちなみに東京の映画館で初日の夕方、客に子ども(と言えるほど小さい子)はいなかった。
1回しか見てない(2回見に行く気になれない)から細かい間違いがあるかもしれないが、初日に見に行く程度には劇場版も好きな原作ファンが「どうして面白くなかったのか」を考えてみた。
映画を見て「微妙」って思った人や映画を見に行こうかどうか迷っている人はぜひ読んでほしい。
●予告詐欺
予告を見たら「オリンピック会場でテロ事件が起こって赤井ファミリーが集結して解決する話」って思っても仕方ないと思う。
オリンピック会場はともかく、「赤井ファミリー集結!」ってキャッチコピーなんだからそこは期待して行くだろ。
けど、集結しないんだよ!
予告詐欺がひどい映画は面白くない。「業火の向日葵」も面白くなかった。
●情報が整理できていない
上映後、後の席に座ってたカップルが「将棋の人って誰?」って言ってたぞ。
初日の上映でさえ知らない客がいるんだから、ゴールデンウィークになったら知らない客でいっぱいになるぞ。
原作者や映画の制作スタッフが思ってるよりずっと「映画しか見ないファン」は多い。
「映画しか見ないファン」じゃないオレも公式サイトは見なかった。ネタバレを恐れてネットから離れていたからだ。
テレビアニメで赤井の出てくる回を再放送してたけど全然ダメだ。
むしろ、映画で描いているのが「いつの時点の話なのか?」がわからなくなって混乱するだけだった。
「コナン知ってるよ~子どもの頃にテレビのアニメを見たことがあるから~」程度のノリで映画を見に来た人が理解できるように「赤井=沖矢を知っているのは誰なのか」を説明しろよ。
来年や再来年になってこの映画見たら「原作のどの時点の話なんだ?」ってますます訳分からなくなるぞ。
最初に言ったが、「アメリカの証人保護プログラムがアレだから(意訳)」と犯人が動機を語ったりジョディがそれをカッコ良く論破したりしても、全然響かないんだよね。
「こっちは医療崩壊とか社会崩壊でそれどころじゃない」なんてことを見てる最中に思わせたら失敗だろ。
脚本家は「コナンでこんな玄人好みの設定をやっちゃうオレすごい」ってなってないか?
「リアル志向」って言われていい気になってないか? そもそも観覧者の上でファイトしたり公安がコストコで機密をしゃべったりする映画のどこが「リアル志向」なのかさっぱりわからないんだが。
犯人の動機がクソな映画は面白くない。「業火の向日葵」も面白くなかった(2度目)。
●クライマックスの作り方が間違っている
この映画のクライマックスは赤井が撃った銀の弾丸(シルバーブレッド)が犯人を撃ち抜いてコナンのピンチを救う……のはずなんだけど、「赤井が撃つ」と「犯人が撃ち抜かれる」にタイムラグがあるために映画としての盛り上がりに欠ける。
このタイムラグを伏線と伏線回収にしてうまく演出してたらこの映画はそこそこ面白かったと思う。でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ。
さらにこの後に2人目の犯人が判明してカーチェイスがあって、そっちの方がクライマックスっぽくなってしまった。が、こっちのクライマックスも盛り上がりに欠ける。
「あえてFBIをクライマックスに持ってくるオレすごい」になってないか?
ふたりの対決シーン、いったいどっちがクライマックスなのかはっきりして欲しかったし、クライマックスに赤井ファミリーとコナンが居合わせてほしかった。
例えば、犯人2(映画での2人目の犯人)を先に捕まえるのはどうだろう。コナン、メアリー、世良、羽田、由美タン、赤井で追いかけ、お互いの正体や意図に気付かずジャマをし合ったりするが最後には協力して捕まえる。
その後、コナン、メアリー、世良、羽田がリニアに乗り込み、「秀吉と秀吉の家族を助ける方法がない! どうすればいいの!?」と由美タンがパニック起こしたところで赤井が「そんな顔するな」(とは言わないだろうけど似たようなことを言って)シルバーブレッドを撃つ。犯人1(映画での1人目の犯人)が明かされ、コナンたちのピンチにシルバーブレッドが犯人を撃ち抜く……って順番の方が劇的じゃね?
コナンファンの間では「コナン×蘭(新蘭)」と「コナン×哀(コ哀)の間に激しくも醜い戦いが繰り広げられている……のはどうでもいい。
映画は両方に色目を使うな。
原作では新一と蘭が付き合い始めてこれまで以上にラブラブだけどな。
たぶん「最近の映画は主人公のコナンがないがしろにされている」って批判を気にしてコナンを立てようとしているけど、結果として、誰が何をする映画なのかさっぱりわからなくなってしまった……ってとこだろうか。
「赤井ファミリー集結」なんて嘘を堂々とチラシやポスターに書く時点で迷走している。
コロナだけじゃなく色々事情があるんだろうし、原作者が横槍を入れてきたり脚本が改竄されたりで大変なんだろうけど、金がかけられるし金が回収できる企画だからなんとかしてくれ。
赤井が意味ありげなことを言えばキャーキャー喜んで何度も見に行って「赤井を百億の男にする」とか盛り上げてくれると期待してるのか?
客を舐めるな。
※ネタバレ注意※
今年のコナン映画を早速見てきたので、備忘録も兼ねて感想を書くことにした。
ちなみに、増田はコナン映画の中では「時計じかけの摩天楼」と「ゼロの執行人」、「紺青の拳」が好きな一般人だ(つまるところ、その映画のカラーがはっきり打ち出された作品が好みである)。
◎良かったところ
・灰原が終始可愛い
この映画最大にして最高のセールスポイント。「緋色の弾丸」は灰原の可愛さを堪能するための映画と言っても過言ではない。今回の映画は最初から最後まで灰原がコナンの相棒でヒロイン。途中で襲撃された際もコナンの安否を真っ先に気遣い、随所で相棒らしいサポートを見せている。特にクライマックスで何度も「江戸川くん!江戸川くん!!」と叫ぶのはクールな彼女の可愛さや健気さが珍しく露わになり、普段とのギャップに悶えた。
将棋で鍛えた頭脳で犯人を追い込むシーンはまさに圧巻の一言。最後にジョディのもとに犯人の車が辿り着いたときには鳥肌が立った。犯人の車が横転して爆発したのには本当にそうなるかなあと唖然としたが、フィクションなので良しとしましょう。
◎いいところでもあり悪いところでもある点
秀吉と由美がラブラブしているシーンは単純に可愛くて良いし、見ていて癒やされる。紺青の拳で園子と京極さんのラブラブシーンを上手に描いていた永岡監督らしく、純粋に微笑ましく楽しめた。
が、二人のラブシーンが事件の解決につながることはなく、どうしても無理くり入れたシーンのようにしか見えなかった。櫻井さんはラブ要素の薄い作品では非常に面白い話を書かれる方(ゼロの執行人や純黒の悪夢は面白かったと思う)なので、ラブを描きたい(?)永岡監督とはうまく噛み合わなかったのだろうか?
題名からして秀一が主役なのかと思っていたが、蓋を開けてみると赤井家フォーカスの映画ということだった。そこまではまあそうか、勝手に期待したこっちが悪かったなと思えるが、秀一の目立った活躍がリニアを銀の弾丸で狙撃するだけというのはいかがなものか。
タイトルを「緋色の弾丸」と秀一を彷彿とさせるものにするのならば、秀吉のラブコメシーンを削って秀一の出番に当てた方が良かったのではないか?これならばまだ純黒の悪夢の方が安室との直接対決があった分格好良く見える。
世良に対しても不遇な印象が否めなかった。秀一とジークンドーで対決したシーンは沖矢昴=赤井秀一という気付きを彼女が得るのではないかと期待したが、そのシーンは単純なアクションシーン以上の意味を持たされないまま、世良がコナンと連れ去られた被害者を見つけるまでの繋ぎとして終わってしまい、肩透かしを食らったような気持ちになった。
特にクライマックスにおいては彼女はコナンの助手程度の役目しか果たしておらず、リニアに一緒に乗っている必然性を感じない。リニアを止める方法に関しては彼女の得意なジークンドーは何一つ生かされておらず、この映画における世良の役目はバイクに乗れる者であるなら誰でも代替できる(仮に彼女のポジションを服部平次が担ったとしても物語の進行には何ら支障を生じない)のが非常に残念だった。
・犯人の動機が犯人の目線からしたら真っ当に思えるものだが、映画の視点がFBI側にフォーカスしているせいで犯人がかなり自分勝手に見えてしまう
今回の犯人は男女二組のぺアだが、どちらも偏った情報でFBIを恨んで犯行に及んだ。話を聞いていると、「そりゃそれだけの情報しか与えられていなければ恨んで当然だろうな」という気持ちにさせられる背景事情だが、視点が終始FBI側に寄っている為「逆恨みしたお前らが悪い」といった印象にさせられてしまったように感じ、釈然としない部分があった。
・主題歌と内容が合っていない
主題歌を担当したアーティストが東京事変でハード系の歌詞だったため、純黒の悪夢やゼロの執行人のようなかなり殺伐とした内容を期待していたが、実際見てみると少年探偵団が活躍するシーンや秀吉と彼女のラブシーンがこまごまと挟まれており、主題歌と内容の雰囲気が合っていないように感じた。
一言で言うと「永岡監督と櫻井さんの良さが上手く噛み合わなかった映画」といった印象。リアル・ハード志向を得意とする櫻井さんを脚本に起用するなら、ラブは削って事件のみに集中させてあげた方が面白かっただろうし、永岡監督に任せるならラブに振り切れる脚本家さんを呼んであげた方が「から紅の恋歌」や「紺青の拳」のような女子ウケする作品になったように思う。
キャラ的には秀一ファンが行くと肩透かしを食らうだろうが、秀吉、灰原ファンは一見の価値あり。というか灰原ファンは全員行け。とにかく灰原の出番がてんこ盛りで、ツンとおすまししたシーンからコナンの相棒としてクールに決めるシーン、犯人に襲われても健気に頑張るシーンまで全部詰まっていて最高に可愛い。灰原の可愛さに心臓を撃ち抜かれる。「灰色の弾丸」に改称した方が良い。それぐらい灰原の出番が多い。灰原ファンは今すぐ劇場にレッツゴーだ!
元々、夫婦同姓については法律が無かった。別姓でも法令上許された。夫婦同姓とする民法が出来たのは1898年だ。
https://news.yahoo.co.jp/byline/takeuchiyutaka/20180226-00082045/
この1898年、同時に禁止された習わしがある。一夫多妻制だ。
https://www.mc-law.jp/rikon/19508/
つまり夫婦同姓と一夫一妻(一夫一婦)制は、日本の家族文化としてはまったく同じ期間を有する。
選択的夫婦別姓の推進理由に「夫婦同姓は120年程度の歴史しかない」というものがある。この理論は一夫一妻制にも同じく適用できる。出来なければダブスタだ。
だから、選択的夫婦別姓とする民法改正と同時に、一夫多妻制を復活させるべきではないか。少子化解決の銀の弾丸はこれしかない。
イスラム教では一夫多妻制が通常だ。国によって同時に結婚できる人数は上限があるが。
感染力激強の変異株、まあ日本の隔離がザルなもんで水際作戦は既に失敗&今後も日本人帰国者がバラ撒く見込みで。今なんとか減りつつある感染者数も4月5月にはまた大幅に増えてるんじゃないかな。
それに対抗する唯一の銀の弾丸らしきものがワクチンだけど、まあそもそも来んわな。EU内ですら醜い争奪戦になってんのに、黄色い猿にくれてやるワクチンなんぞある訳もなく。
大幅に遅れて届いたと思ったら、副反応をあることないこと煽りまくるマスゴミvsワクチンへの一欠片の疑念も赦さないお医者様方の不毛極まりないバトルの傍ら、そもそも体制が遅々として整わず接種がロクに進まないのも容易く想像できる。
Android版COCOAが昨年9月から通知を一切しない電池食いのゴミと化してたけど、COCOA開発委託先のパーソル、ワクチンの接種管理システムも開発中だってさ。死亡フラグじゃないこれ?
最悪、年末頃には変異株感染大爆発&ワクチン接種の大幅遅延で死に体の日本が、なんとかワクチンで感染を抑え込んだ欧米と強権的に新型コロナを封じたアジア諸国からハブられて一人負け状態で沈没してるかもね。
いまのところ オーシャントリコの クレイだと ドライすぎて オーバードライブだと油がきつい
メインにはエッジをつかっているが やはり クレイのほうがいいかもしれない どれだけ油揚を吸って封じ込められるかだからな
当然もっていけるのはポケット程度 グランジマットの200円が限界だが
まだ油がきつい だが1つちがうのは
何度もいうがおれはジャニーズじゃない ウェザリングをしてくれ 銀の弾丸には先にあいつらがあたる
一見 人命軽視に見えるけどよ 命を持って1つの命を とどけることはある
たとえ僕たちが死んでも 振り返る時間で1秒でも早く 現場にたどり着いてください そういう願いがある以上
命を持ってまもってくれた礼は振り返らないで前に進む
ヘアスタイルがみだれていないかしら?と鏡を見ながらきにするやつもいる
だがおれには
1についてだけ。
>分かるけれどこれでどうやって動画や音楽のエンコードをしたり画像処理をしたりするソフトウェアになるのか
エンコードに関してはプログラムはエンコードの理論に従って作られているだけ。大事なのは研究者の考えた理論
画像処理は定型の処理の塊でこれも代替やり方は決まってる。"python 画像処理"とかでググれば多分出てくる
>あるいはWordとかExcelとかがどうやってこんなので作られているのかが分からない
まず基本的な、ウィンドウシステムがどのように実現されているかをWin32アプリベースでも
よいので理解するべき。ユーザーのマウス操作、キーボード操作をどのようにプログラムが認識し、
処理するかが理解できる。この仕組みは基本的にすべてのアプリで共通と思われ。
>プログラミング入門書を読んでも、一般的に知られているソフトウェアの作り方みたいな事が書いてない
多くの人が共通的な作り方に挑み敗れているわけで、プログラムは10個あれば10通りの作り方がある。
また、クラスレベルで抽象化してソフトウェア構造を整理しようとする、オブジェクト指向(最近は
クリーンアーキテクチャに昇華させる流れもあり)もあるけれど、オブジェクト指向に向かない
対象領域があったり、なんでもクラス病にかかる等して、銀の弾丸とは言い難い。
また自説だが、順次処理を基本とする、手続き型言語はデータと処理が入り乱れることになるため、
全てを設定しきることが極めて困難なため、きれいにすべてを設計するのであれば関数型言語を使う必要が
あると感じている。
>だからそのフレームワークがどういう風になっているのかって説明からして欲しいって思う。
そのフレームワークが内包するベストプラクティスの量を鑑みれば、中身を意識せずに
>つまり言いたいことは、実際に動くアプリケーションというのを作りたいのにも関わらず
>プログラミング入門書は、これで判定と繰り返しという基礎ができますと言うだけ。
>これがもう滅茶苦茶イライラする。
天才的な人はコードを書きながら、考えられるけれど、常人はまず詳細設計と言われる
フローチャートを書けるようになったほうがよい。
次に"抽象化"を覚える。"抽象化"を使うことで少なくとも、処理は全体をざっくり設計できる
>つまり完成しているプログラムを参考にしようと思っているにも関わらずそれがないのでよく分からない。
githubに山のように転がっている。
ただそれを見て理解できるかは別問題。モチベーションを保って継続学習可能な形に
消化できる人間の登場が待たれる
zone+ingという綴りから分かるようにゾーニングは「区分する」という意味である。
にもかかわらず、ゾーニングを求める人たちの多くは「隔離・隠蔽」のことをゾーニングと認識している。
たとえばCERO Zのゲームはそのシールが貼られていればコーナー全体が隠されていなくともゾーニングされている。
たとえばコンビニのエロ本は「成人向け雑誌」として区切られていたのでゾーニングされている。
たとえば「ラブタイツ」はツイートにハッシュタグが付いていたのでゾーニングされている。
しかし、それらを「ゾーニング」とみなさず、「何の規制もなく放置されている」と考える人たちがいるのである。
ゾーニングとは「ここに何があるかは明示するので、あとは各自で行動を選択してくれ」という理念だ。
「不快なものを私の視界にいっさい入れるな」とはむしろ反対の概念であって、だから話が食い違うのである。
では「隔離・隠蔽」の意味でのゾーニングを推し進めるとすればどうか。
もちろんそれは非常に難しい。
誰が何を不快に思うかは千差万別で、しかも運営する側には窺い知れないものだからだ。
インターネット上でなら上手くいくだろうか?
いや、どんなにブロックやミュートを組み合わせても、見たくないものは見えてしまう。
「不快なものを見たくない」という願いを実現することは不可能だ。
我々は、不快なものを排除する力ではなく、不快なものに堪える力を身に着けなければならない。
だからこそ「見せない」のはなく「見せた上で対応を選ばせる」――ゾーニングが求められるのである。
もちろん、完全には無理でも、部分的に「隔離・隠蔽」が成功することはあるだろう。
そのときはどうなるだろうか。
コンビニのエロ本は18禁ではなく、18禁に該当するような描写を避けた「マイルド」な代物だった。
にもかかわらず、あれらが「18禁」と認識され、批判にさらされたのは、
「隔離・隠蔽」によって「それが彼らの目に映るなかで最も過激な本だった」からではないか。
過激なものを隠していけば、過激さの上限はどんどん低くなっていくのが道理だ。
長年肌を隠してきたイスラム教国では生足ですら過激なエロスとなる。
いまあなたが抱く「常識的に考えてこれはNGだろう」という基準も、
既にして「さまざまなものが規制されてきた」結果として生み出されたものである。
コンビニのエロ本は、様々な譲歩をしていたにもかかわらず、あっさりと撤廃されてしまった。
「隔離・隠蔽」という形で譲歩をすれば、そのぶん相手がこちら側に踏み込んでくるだけ。
譲歩をするばかりではただ消滅するまで縮小していくだけなのだ。
「エレガントな構文ガー、生産性ガー、人月ガー、銀の弾丸ガー、巨人の肩ガー」
「それでプログラマの言うことを聞くとどうなる?」
「プログラムされた指示書を読んで派遣社員が人力で作業します」
ヤレヤレ、それはプログラムの力じゃなくて「指示書に従わなければならない」という暗示や思い込みの力だよ。
Amazonのようなアメリカ企業がすごいのは例えばハイテク倉庫や電子書籍端末、クソデカサーバールームのように抽象化されたものを現実化する部分なんだ。
そうとも最後に物を言うのはプログラムの力なんかじゃなく物質的な力なんだ。
そこを思い違えて「ソフトウェア軽視」などと言っているようではお話にならない。
だから日本のプログラマはたとい腕前が優れていても年収バトルしかできないんだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/matsumotory/status/1274654682598608896
「職業柄、若い経営者とよく会う。彼らはみなスティーブのクソなところばっかりマネをする。天才のところを真似することは誰もできない。」
と言っていたのを思い出した。
本人たちにとっては、「バグを憎んで人を憎まず」とか「マサカリは発展に必要」とか「これに耐えられないやつは業界から去れ」くらいに思ってるのかもしれない。
この業界、「エンジニア・プロフラマ・経営者として優秀」と「口汚い」が揃っている人間が結構多い。敢えて名前を挙げることはしないが、皆さんが頭に浮かべた彼や彼女やあのグループとかだ。
こういう存在(便宜上、「クソなエンジニアのThey」と呼ぶ)に憧れを持つと、
しかし、Theyが優秀であることとクソであることには全く因果が無い。優秀なエンジニアにクソな人間とクソではない人間がいるのと同時に、クソなエンジニアにも優秀な人間と優秀ではない人間がいるのだ。
似たような例は、「稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか」という文章を見て、「長財布を使うと、稼ぐ人になれる」と勘違いするものがある。
非常にセンシティブな話題になるが、要は、ある種の発達・人格に関する障害の影響で、他人に対するコミュニケーションに問題が生じているということだ。
もちろん、この文章は特定の個人の特性や人格にレッテルを貼るものではない。個人のレベルでは、
といったことが考えられる。当然、業界内の「クソな人」全員がこれに当てはまるとは言えない。
コミュニケーション上の問題が多く目立つ理由は、「人格的にクソな人間を排除するルールがこの生態系に存在しない」というのもある
前述の分類の仕方をすると、
の2軸で分けたとすると、この業界という生態系でまず排除される(生き残れないのは)「人格的にクソであり・かつ技術的に劣っている」個体であろう。
では、次に誰が排除されるかというと、「人格的にクソではなく・技術的に劣っている」者と「人格的にクソであり・技術的に優れている」」者である。
この二択に対して、前者が排除されつづけた結果、現在の状況となっているのではないか。
正直わからない。ただ、上述の3つの悪影響を可能な限り排除するのであれば、
であろうか。
前者はいわゆる「優しい独裁者」モデルだ。言い方を変えると、「そのコミュニティに属する限り、クソである部分も含めて特定の人物の価値観に従う」ということを全員で合意する。
つまり、「クソであることを否定することを許可しない」ことである。当然、このコミュニティにおけるすべての責任は、その「特定の人物」が負う。
後者は、「クソな振る舞い・発言を定義して、それを厳しく戒める」ものだ。つまり、「クソであることそのものを否定する」」ことである。