はてなキーワード: 文系学部とは
無償の愛を求めないでくれ、と叫ぶ親の増田があったので、それを読んで触発された。
父が嫌いだ。
幼少の頃からまともな会話や相談事ができたことがない。何を話しても自分にはわからない彼なりのユーモアから導かれた軽口を返される。一つも面白くないし、こちらは真剣な話をするつもりでも茶化されるので気分が悪い。
昔ながらの父親、換言すれば情緒サポートをしようとしない人間。母に対しては亭主関白。礼は言わず、家事や育児は全て母任せ。
自分は私立大学文系学部の3年生。高校は公立の全日制だったとはいえ、塾やら予備校やら今の学費やら、自分の教育に多くの金がかかったことは知っている。家族の暮らしに加えてそんな高い金を高卒の父の稼ぎだけでどうにかしてきたのだから、父は頑張ったと思う。
向こうの気持ちもわからなくはないのだ。母に「子供が欲しい」とせがまれたから仕方なく作った子供を愛すのが難しいのだろうとか、彼自身も父からは愛されずに育ったから接し方がわからないのだろうとか、曲がりなりにも半分は彼でできているので、想像するのは簡単なのだ。
しかし、彼を憎む気持ちが日に日に増していてどうしようもない。
昔から、家族仲の良い同級生が妬ましくて仕方なかった。毎年家族旅行に行っている家庭とか、土日の少年野球の練習に父が顔を出す家庭とか、父が購読しているから毎週ジャンプが読める家庭とか。
片やうちの父は、毎日残業で帰ってくるのは22時過ぎ、家を出るのも早いからそもそも顔を合わせることもない。週に一度しかない休みの日曜日、遠くへ遊びに連れて行ってほしいなど言えない。たまに父から誘われて車に乗ったかと思えば連れて行かれたのは中年と爺さんしかいないスーパー銭湯か、興味のない海釣り(しかも自分とは面識のない父の会社のおっさんがいる)。
とにかく喋らない上、叱るときは無言で殴ったり蹴ったりしてきた。小学校低学年の時ショッピングセンターで迷子になって、不安ながらスタッフに呼び出しをお願いしたことがある。30分待ってやっと現れた父は、息子の延髄に回し蹴りを入れた。
とにかく喋らず、自分を愛していると確信が持てない、というか嫌っていないという確信を持つこともできない。機嫌を損ねれば言葉もなく殴られ蹴られる。この記憶のせいで、大人の男性はみんな怖い。幾つになっても苦手意識が抜けない。
父に対する不満を母にぶつけたことがある。母は「父の代わりにならなくてごめんね」と謝った。やるせない気持ちでいっぱいで、その場で死にたかった。
21歳まで育ててもらったことに感謝こそすれ、恨むなど筋違いだと人には言われるだろう。いつまでも無い物ねだりをしていないで、いい加減大人になれと。
けれど、刻まれた恐怖だとか、与えてくれなかった物や気持ちは、如実に自分の発達を阻害している。
大人の男が怖いから話すことができない。柔和な人ならまだしも、父と似た、鋭い目で見据えられると、抑揚のない低い声で語りかけられると、内容をすっ飛ばして体が拒否する。
父は自分を否定はしたが肯定はしなかったから、自分はこれであってるんだろうか、叱られはしないだろうかと、ありもしない視線に怯えて何もすることができない。もう、1年と少ししたら社会人なのに。
不幸を背負われて、呪いをかけて育てるくらいなら、最初から自分のことなど出生させないで欲しかった。
憎い父を今さら殺しても何にもならない。だから殺さないけれど。けれどこの捌け口のない感情はどこへやればいいんだ。
呪いに負けない、強い自分を作りたかった。呪いにかまけて、こんなかわいそうな自分なんだから、少しくらい出来なくても仕方ないじゃないかと、そんな開き直り方をする人間にはなりたくなかった。
もっと金があって、教養があって、心に余裕のある親の元に生まれたかったという気持ちと、生まれた環境ばかり憎んでうずくまっている自分が嫌いだという気持ちにはさまれ、どうしたらいいかわからなくなる。
(退職エントリってIT系の文化らしいけど、書きたいので書いておく)
大卒で文系学部を出た私は、就活当時公務員を志望しており、公務員に「準」ずる商工会は魅力的に思えた。(待遇が)
いや、待遇以外にも業務内容はきちんと魅力的だと思っていた。「地域のための商工会」という大義名分は当時価値があるように思えたのだった。
入職後は、数日間申し訳程度の社会人マナー研修をやり、7人やそこらの小さい職場に配属された。その7人で地域のお店を支えるというのだ。
といってもいざ働くと、7人で500近くの店を支えるなんて難しいわけで、会費の集金の時しか会わないような店もあった。
嫌味臭く「集金の時しか来ないよね」なんて言われることもあった。(そんなに不満だったら今すぐ商工会辞めろよ と思うのが本音)
しかも、経営指導員という経営指導を専門にする職員が居て、それがゴミだった。
けれど商工会組織の中では経営指導員は事務職より偉い という風潮があり、ゴミを尊重しなければならないという変な環境に3年身を置いた。
そして自分もひょんなことから経営指導員になったのが就職4年目。(ゴミを反面教師にコンサルしたいと思っていた)
慰安旅行では酔った勢いでカラオケのマイクで頭を小突いてくるし、少しミスしたくらいで翌日からそれまでの態度が180度変わった。
精神的に参っている、とクソ上司本人に訴えたら急に態度が変わり、何度もメンタルケアと称した気持ち悪い面談を重ねさせられた。
私が精神的に参っているのは上司のせいなのに、上司本人は意図的に?勘違いしてトンチンカンな分析をしていた。
挙げ句の果てに、退職したいと申し出たら、「辞めるなら俺の言う通りに文章を書け」
と言ってきた。
しかもよくわからない文脈で「お前は配属された時からプライドが高い人間だと思っていた」とか意味不明な人格否定までされた。
プライドが高いのは、あんたの方だろ気持ち悪いナルシスト豚ゴミ野郎。
こう書くと辞めた原因が人間関係だと思われてしまうので書いておくと、商工会の存在意義ってものにも疑問を感じた。
経営指導、とはいうものの(自分のいた地域だけかもしれないが)やることは融資の斡旋(要はカネ貸し)、
税務書類の事務的な作成、効率の悪い集金(未だに生命保険とかの掛け金を現金集金している)、
あぐらをかいているゴミ役人どもの代わりに地域イベントの主催…
地域イベントに至っては、祭りに来る客は当たり前のように毎年イベントがあると思い込んでいるし、
田舎の商売人ってやる気ない奴多いし、大抵が数年であの世に逝きそうな後継ぎもいない人。そんなのを顧客にして食ってるのが商工会。
中にはやる気ある商売人もいるよ、という声があるだろう。そんなのごく一部なので例外的なんです。居ても意味ありません。
こういうことをやっている組織って何なんだろう。(意地でも生き残るんだろうな)
こんなことやって給料が新卒14万、四年経っても18万だったから辞めた。
今はお役所気分みたいな業種から離れて最先端技術に触れる仕事をしている。
将来は自分一人で商工会一つ潰せるくらいのコンサルタント になりたい。
ここに、骨になっても忘れたくない恨みを刻むため記す。
単純作業にミスが出る、人の話が頭に入ってこないことがある、寝る前に仕事が億劫に感じてしまうなど。
それでも私は一年目の若造であり、もともとそこまで集中力が長続きする方ではない。そして宝くじが当たれば仕事なんて辞めてしまう程度の愛着しかない現職なのでまぁみんなこんなものなんだろうと思いながら仕事をしていた。
ここで少し私について書いておくと、ある程度給料は欲しいし、優秀な方とも働きたい。
SIerにいる方には悪いが、あくまでスキルアップのために1.2年勤めたらもっと良い環境に転職するつもりで入った。
求めていたものは最低限のビジネススキルと、上流から下流までそこそこ学べる環境。
運良く両立出来そうな規模の会社を狙って入ることができた。
グループ会社の本体も内定を頂けたので考慮したが、配属リスクと上流限定で手を動かさせて貰えないような気がしていたのでお断りした。
4月に入社し、そこそこ楽しかった研修が終わり、プロジェクトに配属された私に待っていたのは、ひたすらExcelにテストのエビデンスをコピーアンドペーストする作業だった。
最初は振られた作業があまりにも簡単すぎたし、これでこんな給料もらって良いのか?と思うくらいだった。
ある程度同じことをやって日々を消化していくのは楽だ。何故なら新しいことをしなくて良いし、ただただ同じことを繰り返せばいいから。
しかし、私はあくまで上述の環境を求めて入ってきた(うっすいビジネススキルは研修で教えてもらったのでもういいだろう)ので、この環境に吐き気を催すのみだった。
プライベートで勉強会に出て、勉強したことを技術記事として書き、Courseraなどを使って新しい分野も学ぶ。
なぜみんな当たり前のようにこんなことでお金を貰えると思っているのだろう。
そう思わざるを得なかった。
1週間もしないうちに私はこの単純作業が嫌になった。
調べ物な全て紙か社内LANに置いてあるドキュメントから得るしかない環境、このような環境で何をすればよいのだろうか。
作業はすぐ終わる。しかし報告しても振られるのはまた同じような作業。
某プログラミング言語作成者が仕事を終わらせて自分の気になることを調べたりしていた、という話を講演で聞いたが、私の環境ではそれすらできない。
一度意を決して上司に他の作業をさせて下さいと言った。すると露骨に嫌な顔をされ、新卒一年目に出来ることなんてあるの?と馬鹿にしたような顔で言われた。
ムッとしたが、口論になって面倒くさいことになるのは嫌だったのでそうですよね、と愛想笑いをした。
そこそこの学歴とそこそこの資格、そしてそこそこの会社に勤めているだけあって、エージェントの方によく声をかけてもらえる。
しかし、エージェントから紹介してくる案件に対して私には絶対的に経験が足りていない、あと半年してから出直してねといったような返答が殆どだった。
じゃあ何で声をかけて来たんだと言いたくなるような気持ちだったがまあしょうがないかという気持ちにもなった。
考えてみればそれはそうなのだ。
情報系学部卒でもない文系学部卒、それも半年程度しか職歴がない若造をどうして面接に呼ぼうと思うだろうか?
どうすれば良いのかわからなくなっていく、そんな日々が続いた。
そして次第に冒頭の現象は酷くなっていき、最終的に体が動かなくなった。比喩ではない。
本当にベッドの上から動けなくなったのだ。
するとうつの可能性が高いと言われ、クリニックをいくつか紹介された。
次の日、クリニックにいった。
しかしそこでも同じことを言われた。うつの可能性が高いですねと。
確かに最近何も出来ない休日が増えていたし、何をしても楽しくない、常に平日がやってくる恐怖に駆られる感覚に陥っていた。
しかしそれでも鬱だとは思わなかった。というかまさか自分が鬱になるなんて思わなかった。
とりあえず服薬をしながら何もしない日は何もせず、動ける日は技術の本を読んだりプログラミングをしたりしている。
あの職場にはもう戻りたくはないので、転職を考えているが、当時よりも状況は悪化しているのでどうなるか分からない。
最悪バイトでもしながら勉強し、大学院に入って卒業後にひっそりとソフトウェアを作る仕事などに就くのも悪くないかと思い始めた今日この頃だ。
単純作業にミスが出る、人の話が頭に入ってこないことがある、寝る前に仕事が億劫に感じてしまうなど。
それでも私は一年目の若造であり、もともとそこまで集中力が長続きする方ではない。そして宝くじが当たれば仕事なんて辞めてしまう程度の愛着しかない現職なのでまぁみんなこんなものなんだろうと思いながら仕事をしていた。
ここで少し私について書いておくと、ある程度給料は欲しいし、優秀な方とも働きたい。
SIerにいる方には悪いが、あくまでスキルアップのために1.2年勤めたらもっと良い環境に転職するつもりで入った。
求めていたものは最低限のビジネススキルと、上流から下流までそこそこ学べる環境。
運良く両立出来そうな規模の会社を狙って入ることができた。
グループ会社の本体も内定を頂けたので考慮したが、配属リスクと上流限定で手を動かさせて貰えないような気がしていたのでお断りした。
4月に入社し、そこそこ楽しかった研修が終わり、プロジェクトに配属された私に待っていたのは、ひたすらExcelにテストのエビデンスをコピーアンドペーストする作業だった。
最初は振られた作業があまりにも簡単すぎたし、これでこんな給料もらって良いのか?と思うくらいだった。
ある程度同じことをやって日々を消化していくのは楽だ。何故なら新しいことをしなくて良いし、ただただ同じことを繰り返せばいいから。
しかし、私はあくまで上述の環境を求めて入ってきた(うっすいビジネススキルは研修で教えてもらったのでもういいだろう)ので、この環境に吐き気を催すのみだった。
プライベートで勉強会に出て、勉強したことを技術記事として書き、Courseraなどを使って新しい分野も学ぶ。
なぜみんな当たり前のようにこんなことでお金を貰えると思っているのだろう。
そう思わざるを得なかった。
1週間もしないうちに私はこの単純作業が嫌になった。
調べ物な全て紙か社内LANに置いてあるドキュメントから得るしかない環境、このような環境で何をすればよいのだろうか。
作業はすぐ終わる。しかし報告しても振られるのはまた同じような作業。
某プログラミング言語作成者が仕事を終わらせて自分の気になることを調べたりしていた、という話を講演で聞いたが、私の環境ではそれすらできない。
一度意を決して上司に他の作業をさせて下さいと言った。すると露骨に嫌な顔をされ、新卒一年目に出来ることなんてあるの?と馬鹿にしたような顔で言われた。
ムッとしたが、口論になって面倒くさいことになるのは嫌だったのでそうですよね、と愛想笑いをした。
そこそこの学歴とそこそこの資格、そしてそこそこの会社に勤めているだけあって、エージェントの方によく声をかけてもらえる。
しかし、エージェントから紹介してくる案件に対して私には絶対的に経験が足りていない、あと半年してから出直してねといったような返答が殆どだった。
じゃあ何で声をかけて来たんだと言いたくなるような気持ちだったがまあしょうがないかという気持ちにもなった。
考えてみればそれはそうなのだ。
情報系学部卒でもない文系学部卒、それも半年程度しか職歴がない若造をどうして面接に呼ぼうと思うだろうか?
どうすれば良いのかわからなくなっていく、そんな日々が続いた。
そして次第に冒頭の現象は酷くなっていき、最終的に体が動かなくなった。比喩ではない。
本当にベッドの上から動けなくなったのだ。
するとうつの可能性が高いと言われ、クリニックをいくつか紹介された。
次の日、クリニックにいった。
しかしそこでも同じことを言われた。うつの可能性が高いですねと。
確かに最近何も出来ない休日が増えていたし、何をしても楽しくない、常に平日がやってくる恐怖に駆られる感覚に陥っていた。
しかしそれでも鬱だとは思わなかった。というかまさか自分が鬱になるなんて思わなかった。
とりあえず服薬をしながら何もしない日は何もせず、動ける日は技術の本を読んだりプログラミングをしたりしている。
あの職場に戻りたくはないので転職を考えているが状況は悪化しているのでどうなるか分からない。
最悪バイトでもしながら勉強し、大学院に入って他の企ひっそりソフトウェアを作る仕事などに就くのも悪くないかと思い始めた今日この頃だ。
プログラミングとか機械学習が流行している最近において、私の機械科専攻という点は、少しイマドキ風ではないと思いながら通学している。
現役で文系学部を出てはいるが、もとより車が好きで、高校も理系で出てはいた。
のっぴきならない家庭の事情で、勉強時間をかけずに進学できる文系を消去法的に選んだのが正直なところ。
仕事はSier勤務で、文系ながらエンジニアになれるというその一点だけで入社を決めた。
まあ、配属は思った通りに行かず、ゴリゴリの営業部隊配属になってしまったが。。
ではなぜ、今になって夜間大学に、それも情報系ではなく機械系に進んだか。
Sier勤務で想定されるキャリアというと、PMだとかPLだとか常駐だとか自社開発だとか言われるものが主だろう。
そして私も、それを目指すために働き始めた。
もっというと、なんかちょっと仕事できるようになったら客先の情シスに転職でもしようと思っていもいた。
特に、自動車メーカーの情シスに行こう、という夢を抱いていたのである。
しかし、まあ、夢物語とも言えないキャリアパスでさえ、時の運みたいなもので簡単にあきらめなくてはいけなくなるのが勤め人の宿命ともいうべきか。
ゴリゴリ営業部隊の一員となった私は、入社から二年間、ひたすらサーバコンピュータとかネットワークスイッチとかマカフィーなんかを売り歩かされることになった。
順調ではないがまあ平均かそこらの働きをしていたが、気づけば二年目の終わり。
一般的な不満は抱きつつも、じゃあどうすればいいかも特に考えず、漠然と過ごしてきた二年間。
そこに突然の衝撃が走る。
なんのことはない、SEの同期が自動車メーカーに転職しだしたのである。
はて、どこかで見たことある光景か、いや、私が頭の中で妄想していたキャリアパス像が、すぐそこに現れたのである。
まさに衝撃とはこのこと。
ボタンを掛け違えたまま過ごしてきた二年間で、どうやら思い描いていた人生からだいぶ遠いところに来てしまっていると。
なんとか収まるとこにおさまるだろうと適当なことを考え、自分を騙しながら過ごしてきた二年間が、音を立てて崩れたような気がした。
と、そこまで大げさなことではないが、何かテコ入れしなくてはと思い、気づいたら願書を送って試験を受け、晴れて手元に学生証が届いたのである。
さて、ここからが本題。
まず時間が圧倒的に足りない。
機械科に限らずどこも同じだと想像するが、レポート/試験に向けた独学の時間の確保が厳しい。
理系というくくりでいえば、実験レポートがさらにのしかかってくる。
平日の日中は仕事をし、その後講義を受け、帰宅するのは早くても22時過ぎ。
夕食や家事を済ませ、24時には就寝しないと仕事に差し支える。
その間、予復習を最大でも1時間。
仕事が詰まっているときなんかは、帰宅後業務の場合もあり、勉強時間が取れない場合も多い。
通常、土曜夜~日曜はさすがに休息/遊びの時間にしているが、試験前となるとそうもいかない。
体力に自信はある故、体を壊すことはないが、周囲の社会人学生のなかには体を壊す人も少なくない。
困った。
正確には、明確になっていないわけではないが、社会人一年目のときのようなキャリアプランが、もはや描けなくなっている。
勢いに任せてここまで来てしまった。
幸いなことに成績はそこそこ取れており、仕事も順調とはいかないがまあ普通程度にはやれている。
旧帝大の文系学部卒業して、中堅メーカーに勤務している30代。男。
学歴は悪くないんだろうけど、コミュ障と非リアが祟って、就活は思うように行かなかった。
そんなご時世でも優秀な同期は商社やマスコミに行ってて、それを横目で見ながら、俺は唯一内定もらえた今の会社に就職した。
10年近く働いても、今でもゴミみたいな上司とゴミみたいな客に顎で使われてて、毎月だいたい40時間の残業(+許容範囲のサビ残)で年収580万円。
そんな俺の今の生活レベルが、学生時代に考えてた「普通に暮らせる」レベル。
会社から30分圏内の賃貸マンションの家賃払って、コンビニ飯で晩酌して、ときどきうまいもの食って、趣味(ゲーセン)に金使って、たまに風俗行って、ちょっとは貯金もできるくらい。
学歴だけで言えば「普通の人」以上だったはずだし、糞ブラックとまでは行かないまでも「普通に働く」よりはハードだなって思ってるし、それでやっとこの普通の生活レベルかよって思ってる。
これからあんまり出世も昇給もしなさそうだし、結婚とか子供とか考えるとゾッとする。
正直言って、俺にとって「普通の人」って思えるのは日東駒専卒業するくらいのレベルまでなんだけど、それ以下の人が、普通に働けば普通に暮らせる社会なんて本当に来るのか?
・経済学部には行かせたくない
せっかく息子にお金をかけて大卒にしたのに、経済学部に行ってしまうと高卒女性の一般職と同じ制服を着て同じオフィスや事務所で働くことになる
・外国語学部には行かせたくない
せっかく息子にお金をかけて大卒にしたのに、外国語学部に行ってしまうと単位のためとはいえ留学という渡航をさせることになる
しかも通訳なんか高卒どん百姓の仕事で、そんなものに関わらせたくない
※翻訳ばかりするならまだまし
・文学部には行かせたくない
そもそも話にもあがらない
・法学部には行かせたくない
息子がオタクなんかはずかしい
※お上に弱い人だと「県庁や財務省は法学系の学生を採用する」というと一発で寝返る
「みずほ銀行や大和証券は法学系の学生を採用する」というとかなりの田舎もんが寝返る
・教育学部ならOK
教育学部なら基本男が多く、先生とも結婚しやすいっぽいので、教育学部進学なら応援するわ
※芸術学部とスポーツ学部は別枠、ただし、芸術家差別を知ってる親は芸術学部を嫌う
モヤモヤが止まらないので書く。フェイク入れてるから違和感あったらごめん
独身アラサー女オタク同士、気が合ってちょくちょくお茶をする友人がいる。友子とする。
このあいだ友子と会った時、私が
「最近LGBTの権利の問題に興味がある。何か出来ることはないか考えてる」
という話をしたら、
「大丈夫だよ」
と言われた。
え?
って思って、大丈夫って?と聞き返したら、
「LGBTの問題はちゃんとそういう団体が活動してるから増田ちゃんがわざわざ何かしなくても大丈夫だよ」と。
呆気にとられてしまって、何も言い返せないでいたら、
友子は難関国公立大の文系学部を出て、お堅い仕事をきちんと続けている。
隅から隅までと言わずとも新聞はざっと目を通すしニュースのヘッドラインに目を通すくらいはするだろう。
私は友子の反応として、以下のようなものを期待してた。
たとえばニュースへの言及。台湾で同性婚が認められたとか、GWのレインボープライドとか、まあちょっと前だけど一橋のアウティング自殺とか。
そうでなかったら、私も彼女もオタクなので、おっさんずラブとか、きのう何食べた?とか、青のフラッグとか。
もしくは、
「なんで急に?周りに当事者がいるの?それとも実は増田ちゃんビアンだったの?」とか、
「当事者でもないのに『何かしてあげたい』とかメチャ上からだよね」みたいなダメ出し、
それかもういっそ
みたいな反応の方がまだ納得できた。
友子は学生の頃から聡明で、きちんと考えて冷静な意見を言ってくれる子だったので、とても頼りにしていた。
そんな友子の口から、あさっての方向というか、言葉は悪いけど、どこか呆けたような、そんなセリフが飛び出して、なんだかものすごくショックで、
それで私は今、LGBTよりも友子のことが心配でたまらなくなってしまっている。
軽くスピリチュアルな発言をするけど私には人のエネルギー量みたいなものが見えるような気がすることがある。
別にオーラみたいに見えるわけじゃなくて、顔色・表情とかレスポンスの速さとかから何となく察するだけで
まあそんなことは誰もがやってることだろうけど人と会うときはその人がいまどんなコンディションなのか結構気にして見ている。
私が見る限り友子のエネルギーは、学校卒業以来、磨り減っていく一方だった。
友子の勤め先はきちんとしたまじめな職場だが、まじめな人たちの美しい自己犠牲を前提に成り立っているらしく
最近は出勤前と昼休憩と退勤後に逐一「無理」とツイートするのがお決まりになってる。
それでも転職するコスト/リスクと、息を殺すように我慢をしながらでも今の職場で着実にキャリアを重ねていくことを天秤にかけて
彼女は後者をとった、というか、現状を何か変えていこうというエネルギーを完全に削がれているようだった。
人はエネルギーを失うと、毎日を死なずにやり過ごすのに精一杯で、自分の現状をどうこうする気がなくなってしまうので、もちろん他人や社会のことなんかそれ以上にどうでもよくなってしまうんだろう(このへんは身に覚えがあるからよくわかる)。
もはや思考する力も残されていない友子に比べたら、
はてなやTwitterやYahoo!ニュースのコメント欄で偏った意見や不満を
ぐちゃぐちゃと書き捨てるだけの人たちの方がまだ精神が健康なのかもしれない。
友子が「無理」とツイートをするたびに私は、「大丈夫だよ」と言ったときの友子のうつろな目を思い出す。
友子は「無理」以外には大抵BANANA FISHの話をしている。
私にも不登校になった経験があり、私も友子も、オタク趣味がなかったらとっくの昔に「無理」の向こう側に行ってしまっていただろう。
私は友子の、健康に楽しく前を向いて生きる権利が侵害されている問題を本当にどうにかできないかと思っている。
同時に、今の私にできることなんて時々食事に誘って一緒に美味しいものを食べるくらいで、
友子の側に現状を何とかしようという気や周りの人の力を借りたいという気がない限り、何をしたところで無駄ということも分かっている。
私には求められてもいないアドバイスや「救いの手」なんかを友子に押し付ける権利なんかない。
だから友子が「もう無理」と、Twitterじゃなくて私に相談してくれる日をずっと待っている。
それまでBANANA FISH、どうか、友子の心を守ってくれ。
うつで高校行けてなかったので、18の時は受験できず、とりあえず宅浪の形をとって勉強できる時に勉強してました。完全に体が動けない日もあれば、昼に起きて午後からは机に向かえる日もあって、それでもまあ十分な勉強はできないまま乏しい受験の知識で適当な大学を2校だけ受けてみたところ、ちゃんと落ちてしまった。
とりあえずやってた科目は文系。高校通ってた時は数学得意だったので、文系数学で受験できる情報系の学部のある旧帝を受けようと思って過去問を解いていたけど、文系数学とはいえどふつうに苦戦してしまった。プラチカなんかもやってみたけど、過去問に戻ったところでうまく完答できる問題は少なかったです。
そこからすっかり数学に自信をなくして歴史科目にシフトしてみたけど、暗記はそもそも全然向いていないらしく、今年の受験は「数学の公式も覚えてない」「世界史の人物名さっぱり知らない」というダメっぷり。そりゃあ落ちるわ。
国語と英語は人よりできるので、いまは二科目で受験できる後期試験に申し込もうか迷っているところ。文系学部なので、興味ある経営学部だとか社会学部あたりかな。
もう一つの選択肢として、情報の専門とか楽しそうだなーとも思う。もともとパソコン触るのが好きでサイト制作を趣味にしてきたのもあって、充実した時間を過ごせるだろうなーと考えてる。
僕は、仲の良い友達と楽しい時間を過ごす、みたいな青春を送れなかったので、そこがわりとコンプレックスになってる。これを考えると必然的に、生徒数が多くてしっかり遊ぶ時間も取れるだろう私立大に行くべきだろう。
でもやはり、後期で受けようと思ってるような偏差値55くらいの私立文系(中堅ともいえないの?わからないけど)に行くなら、専門の方がよほど実践的で良いのだろうなーとも考えてしまう。こういう考え方はあまり良いものではないと考えてはいるものの、自分の将来のことになるといろんな心配をしてしまうものでしょう。
ちなみに、大学の方に進学できた場合も、きっと個人的にwebで情報を集めてプログラミングを学ぶんだろうな、という気がしてる。増田でバズったN予備校とかどうなんだろうね。
そんな感じです。短時間で適当に書いたので、あとで訂正する箇所が見つかるかもしれません。悪しからず。人生の先輩方に背中を押してもらう意味で書きました。どうぞよろしくお願いします。
バリバリの文系学部で英語から逃れられるものか?とも思うが、そういう入試もあるんだろう、多分。私学だし。
うちのお店は英語の商品も扱っている。彼はお客さんにもスタッフからも愛される性格で、商品に対して勉強熱心でもある。しかし、英語が読めない。
もちろん日本語版も商品としてメインなのだが、英語版も普通に併用される(他の言語はノーカンということで)。彼は英語が読めないので、いちいち日本語版でこれはなんなのかを尋ねる羽目になっている。
彼はその商品がとても好きで、よく勉強もしているけれど、英語を勉強しようという気はないらしい。一応、英語版が本家なんだけどな。
私がきちんと英語を勉強し始めたのは、高校生の時海外アニメとフリーゲームにハマったからだった。恥ずかしいことに当時はアニメの違法視聴をしていた(今は合法的な手段で見ている。一応)。日本語版が見つからなかったから英語で延々見ていた。日本語で二次創作が見つからなかったから、英語で小説を探した。オタク根性が勉強を支えていた。
今バイト先で扱っている商品だって、公式ストーリーを読もうと思うなら、いずれ英語の壁にぶち当たる。古いストーリーは日本語では読めないのだ。最新版のストーリーだって、翻訳はされるけれど、やはり一番早く読めるのは英語版である。
多分、海外作品にハマらなかったら私も英語をそんなに勉強していなかったと思う。意志の弱い高校生なんてそんなものだ。娯楽に関わらなければ勉強などしない。逆に言えば、好きなものに関わる事柄なら自然と情報を入れるだろう。そう思いこんでいた。その作品を好きだと思う気持ちが、言語の壁を乗り越える原動力になるのだと思いこんでいたけれど、そうでもない人種がいるらしい。
そこがミスマッチすぎるから遊びに行ってるのか!となるのだとは思う。
同じ学び方を学ぶにしても、意味のあることを学んだほうが良い。社会は様々な知識によって成り立ってるから、国文学も一部は必要だとは思うが、国文学はやはり縮小は避けられんとは思う。
一方で、文系学部でも役に立つ分野があまりに軽視され一面的に語られてるところがあるとは思う。
その一つが経営学部でもある。むしろ、安くて質のいいモノだったら売れる!的な思考で止まってしまってるから日本企業の弱体化につながってるとは思う。
うつも、医療だけではなく、認知心理のほうまで対処しないと対処はできない。
ただ、うつは社会福祉の方になるから、予算がつかんと職もないという事態になる。
文系学部でも役立つ学部は役立つんだよ。さすがに、法学部で運転免許のとり方?はふざけるなとは思う。
「数学の修得には時間がかかる」ことの概説 - Unhappy Go Lucky!
ただ、文系学部の「研究」や「卒業論文」の位置づけとかについて、過大評価していただいているような気がしなくもない。日本語とは縁遠い言語を話す地域を専門とする史学科卒の人間として、「ゼミ」や「卒論」の位置づけについて語ってみたい。
いやこれは本当に分野によるのだが、「研究」というよりも「勉強」をやっているところが多い。歴史学というのはまず史料に何が書かれているかを正確に読み解く必要があるのだが、その読み方を徹底的に叩き込まれる。場合によっては修士課程でもこれが続く。もしくは、研究文献の読み方を叩き込まれる。そもそも2・3年前まで高校生だった連中である。文系の研究書をどのように読むべきかよくわかっていない人も多いし、英語の本を通読なんてしたことないですという人がほとんどだろう。レベルの高い大学なら外国語文献の購読をし(何語なのかは研究分野や参加者による)、あまりレベルの高くない大学なら日本語の本・論文の読み方をゼミで躾けられる。
(「史料」ってのは要するに「昔の人が書き残したこと」。王様の勅令だったりお役所の行政文書だったりインテリの書いた思想書だったり過激派の撒いたアジビラだったり新聞記事だったり、色々である。公文書館に行って実物を見てくる場合もあれば、別の学者がまとめて印刷出版してくれたものを参照する場合もある)
何で学部の段階からゼミに分かれるか、というと、「歴史学とは何か」「史料批判とは何か」みたいな概念・方法論レベルの話や、「いやしくも歴史学を学ぶ者として最低限踏まえておくべき各地域・各時代の基礎知識」みたいなのを除けば、分野ごとに身につけるべきスキルが全然違うので。江戸時代の歴史なら江戸時代の古文書、明治期の歴史なら明治期の文書、中国史なら漢文、イギリス史なら当然英語の古文書……を読まないといけない。イギリスについて研究したい学生が日本の古文書の読み解き方を勉強しても時間の無駄だろう。逆もまた然り。
慌てて言えば分野による。
社会調査とかする分野で、自分なりにアンケート調査してみた、とかそういう論文なら、どれだけ拙かろうがオリジナリティはあるだろう。あるいは歴史学でも、オリジナルな史料を発掘することが可能な分野ならオリジナリティは出る。
ただやっぱり、学部4年の段階で大層な「オリジナリティ」は出てこない。そもそも外国史の場合、史料の読解すら教員の手助けを得てようやく、という人が多い。歴史学では一次史料が重視されるが、私の分野では卒業論文で一次史料を使った時点で優秀な学生の部類に入るだろうなと思う。二次文献、つまり他の研究書や論文をまとめて長いレポート(うちの大学では3万2,000字が下限だったかな)を書けたらOK、という運用をしている大学も多いのではないか。まとめるのにもオリジナリティは出るしね、という苦しい理屈だしそんなの査読つき学会誌に「論文」として発表できるレベルではないが、学会誌に「論文」として出せるレベルのものを要求していると4年では足りないわけで、多くの史学科の学生は修士論文で初めて学会誌に投稿できるレベルのものを要求されることになる。
何度も言うようにこれは分野による。地味に重要なのが、「その言語は大学で第二外国語として開講されているか、あるいは教養科目で講義が受けられるか」という点。朝鮮史やドイツ史やフランス史の場合、韓国語やドイツ語やフランス語は文系の学部ならたいていは必修の第二外国語として教えられていることが多いので、卒論でも韓国語ドイツ語フランス語の論文は読めて当然だよなあ? というハードモードになることもある。中国史なら「高校から漢文やってるんだしゼミでも読んでるんだから卒論でもちゃんと漢文の史料は読めるよね? 現代中国語の論文も読んでね」ということになるだろう。英語? そんなの読めて当然でしょ? 第二外国語ではなくとも、たとえばトルコ語やアラビア語なら多少気の利いた大学なら教養科目とかで開講されているから、イスラーム史やりたいなら学部1年のうちから履修しといてね、という話になると思う。逆に、マイナー外国語が必要な分野だと、せめて英語の本くらいは読んどいてね、くらいにまでハードルは下がる。アイスランド史を勉強したいです! と言われても、日本でアイスランド語の授業がある大学がいったいいくつあるのか……という話になるわけで。まあ東大の某ゼミではゲエズ語購読とかやってたらしいですけどね。雲の上の世界すぎてまったく想像もつかない。
なので、大学に入った段階で既にどの分野に進むのかなんとはなしの道筋がついていないと厳しい。第二外国語で韓国語を選択して、やっぱり私ドイツ史がやりたい! というのは不可能ではないが難しい。第二外国語選びの段階である程度進路が決まってしまう、というのが史学科の特徴だ(まあ、英文学科とかは、学科選びの段階で専門地域が決まってしまうわけだが……)。イスラーム史やるなら第二外国語はフランス語にしないとね。そんなのついこないだまで高校生だった連中にわかるか! もちろんこれは大学による。西洋史に進学した者にはドイツ語とフランス語双方の習得を義務付ける大学もあるそうである。これならヨーロッパのたいていの地域に対応できるね! 史学は語学と言われる所以だ。
あとは西洋以外の地域だと、「史料に書かれている言語」と「論文に使われている言語」が違うことが結構あって、何でかといえば近代以降に西洋諸国に植民地支配されていたりすると「オランダ人研究者がオランダ語で書いたインドネシア史についての先行研究」みたいなのがたくさんあるので。つまりいくらインドネシア語やアラビア語が堪能でもそれだけでは片手落ちで、オランダ語やフランス語ができないと先行研究が読めないので勉強せざるを得ない(付け加えるなら、植民地支配されてたということは、お役所では宗主国の言語が使われていたり宗主国のお役所に植民地統治を担当する部局があったりしたわけで、それらの史料は当然宗主国の言語で書かれている)。さらに前近代史だと、「昔使われていた言語」と「現在使われている言語」が異なっていることが多く、典型的には古文とかラテン語とかである。現代日本語の論文はスラスラ読めても古典日本語はチンプンカンプンという人も多かろう。前近代非西洋の征服王朝なんかだと大変で、現地語+支配階級の言語+植民地支配してたヨーロッパの言語、をやらなければいけなかったりする(アラビア語+オスマン語+フランス語、みたいな感じ)。いやー、西洋現代史はヌルゲーの領域っすわ……その国の言語ができれば用足りるからなぁ。現地に行けばネイティブスピーカーがいるから勉強も簡単だし(アッカド語みたいなネイティブがいない言語を習得してる人ほんと尊敬する)。もちろんここで少数民族とか国際関係史とかに興味を持ってしまうと語学沼に引きずり込まれるわけだが。イギリス史なら英語だけでいいだろうと思っていたらうっかりウェールズに興味を持ってしまいウェールズ語を勉強することになりました、とか、ドイツ語だけで通そうと思っていたら枢軸国の外交に興味を持ってしまったせいでイタリア語も読んでます、みたいな。とはいえこれらは院に進学してからの話(あるいは院への進学を希望する学部生の話)だ。院に進学しない学生の卒論レベルなら日本語+英語or中国語でじゅうぶん、という運用の大学がほとんどだと思う。
(ヨーロッパの植民地についてしか述べていないのは、日本の植民地の場合宗主国の言語を習得する困難はほぼ存在しないからであって、日本は植民地支配をしていなかったと言いたいわけではないので念の為。もちろんこれは日本語母語話者である学生の話で、韓国や台湾の学生あるいはそれらの国からの留学生は植民地時代の自国史を勉強しようと思ったら日本語を読まなければいけないわけであり、なんというか申し訳ない)
でもまあ、卒論書くのは大事ですよ。たとえそれがレポートに毛の生えたレベルのものであっても、院に行かない学生にとっては専門家に指導されしっかりと文献を読み込んだ上でこんな長文を書かされる機会はこの先の人生でなかなかないし、それを経験するというのが大学に行く意味だと思う。院に行く学生にとってはもっと長い修論や博論書くんだから当然このくらい書けなきゃ話にならんわけで。
これも分野によるのだけれど、たいていどっかに留学する。中国史なら中国や台湾、フランス史ならフランス、みたいに。留学先で大学のゼミに参加したり史料を集めたり現地の専門家に指導を受けたり、あるいは分野によっては語学の勉強をしたりする。もちろん複数国に留学してもいいし、研究対象国以外に留学することもありえる。アフリカ史を研究するためにポルトガルに留学した人がいたり(イエズス会士が書いたものを読みたかったらしい)。で、帰国してから博論を書く(たまに留学先でそのままPh.D獲っちゃう人もいる)。
上述のような事情があるので、歴史学を専攻している人はたいてい4年以上博士課程に在籍する。ちゃんとした大学で3年で博士号獲るのは一部のバケモノだけです。たまにいるんだよそういうバケモノが。日本史なら楽勝かというとそういうわけではなく普通に4年以上かかってることが多い。留学期間とかもあるので、博士課程の先輩に学年を聞いても即答できないことが多いから気をつけよう。29歳でドクター? 夢物語かな? まあ本当に文系の大学院なんて資産家の子供か養ってくれる配偶者持ちか自殺志願者以外は来ない方がいいです。男性歴史学者が書いた研究書のあとがきに奥さんへの謝辞が書いてある場合、もちろん本当に純粋な感謝の念であることも多かろうがけっこうな確率で一時期ヒモ生活を送っていたことへの感謝だったりする。奥さんの実家でチクチクとイヤミを言われた経験を聞かせてくれた教授もいらっしゃる。これ有名大学の教授様になれたから笑って話せるだけで、なれなかったら悲惨だよな……。まあでも、研究者の不遇っぷりは文理問わないか。
はてな匿名ダイアリーにポツポツと現れる院生の記事を読むたび、自分と同じ不安を抱えている人たちを見つけた気分で、安心する反面、
誰か知らない人からどんな風に見えるのか知りたくなって、自分も悩みを書こうと思う。
自分は大学院進学を決めた文系学部4年生で、すでに来年度分の学費も支払っていて、修士生活2年間が待ち受けている。
こんなことを書いたら、人格が分裂しているんじゃないかと思われそうだが、
相変わらず届く就活サイトのメールや、インターン応募のサイトを巡回してしまうし、修士後に就活するための資格や勉強を始めようか逡巡している。
学部3年のときからずっと迷っているが、自分がどうしたいのかわからない。
大学に入学する前から自分の専攻分野が勉強したかった。専攻分野の授業や教授の充実度・カリキュラム編成を調べて、いくつかあった受験合格校から迷いに迷って決断した。
大学に入ってから、専攻分野の授業を受けるのは基本的に楽しかった。基礎ばかりを繰り返す授業ばかりだった学期は本当につまらなかったけど。
1年生の頃から、できるのなら、研究の道に進みたいと思っていた。
留学をして、院進学を志望する学生や院生とも出会った。その人たちは口を揃えて、「今やっていること(勉強や研究)が好きだから進学を決めた」と言っていた。
留学先で勉強をしたり、そういう人たちと出会うたびに、自分もそうだなと思っていた。
帰国してみたら、周りは就活で、会えば苦労話とか憧れの社会人像とかを話すようになっていた。
同期の就職先の話を聞くたびに、笑顔が引きつってしまう。「卒業後は?」と聞かれるのがその時期からだんだんと苦痛だった。
自分だけ別の道に外れているような気がしたのと、やっていけるのかどうか不安な気持ちを友人とは共有できないと感じたからだ。
自分の不安を話したとしても、学校での成績がある程度良い方だったせいか、「XXならなんとかなるよ」と励ましてくれる人が多かった。
優しい声をかけてくれる友達を大事にするべきだと思う。でも、正直その励ましが一番辛い。自縄自縛のような気分に駆られる。
研究は学部生の成績評価とはまるっきり違う。課題や出席なんか研究の本質とは関係ない。与えられたものをこなすだけでは実績はつかない、と自分は思っている。
高校の同級生には「研究をして、どんなことができるの?」と尋ねられ、言葉に詰まった。
「まだ決まってない」「よくわからない」と笑ってごまかす度に、少しずつ体の中に水が溜まっていって、そのうち溺死するんじゃないかと思う。
研究室の先生にも自分の悩みは相談していた。でも、先生のアドバイスはもうすでに研究の道でしっかりとキャリアを積んだ後なので、その言葉ばかり信じていられない。
知り合いの博士課程の人に「引き返すなら早めがいい」という言葉ももらった。
親は修士後に就職するものと考えているようで、ときどき就職の話をされる。
もう、自分が本当にしたいことがよくわからない。自分はどうしたら幸せになれるのだろう、と漠然と考える。
さらに、将来の不安で頭がいっぱいになるうちに、どんどん自己肯定感が無くなってきた。
研究室にはよくできる先輩がいて、その人と自分を比べてしまう。もちろん、数年の違いはあれど、自分が同じように研究を引っ張っていけるような院生に数年後なれるとは思えない。比べて、凹んで、ことさら自分が選んだ道は違ったんじゃないかと不安になる。
頭の弱く薄志弱行な奴が、研究者を志望することなんて、恥ずべきことじゃないのかと思う。
上には上がいるのだから、覚悟のない自分はアカデミアには必要ないんじゃないかと思う。
しばらくして死にたくなるほどメンタルがやられて、悩みを抱えながら普通を装うのが辛くなって、研究室にいけなくなった。
でも、これでは親の学費も無駄になるから、と自分で分岐するタイムリミットを決めた。
これから数年の修士のうちに、自分はやっぱり研究に向いてないと思ったら、見切りをつけてもうすっぱり何もかも忘れるつもりだ。
こんな風になると数年前は思っていなかった。昔の自分に謝りたい。期待して応援してくれた友人や両親に謝りたい。
申し訳なく思うのは、院進する前からこんな真っ暗闇にいる人間は研究者なんてやっていけないんだろうと正直諦めているからかもしれない。
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このクソ長いエントリーを読んでくれた人の時間を奪ってしまって申し訳ないです。
何かかける言葉があったらコメントください。同じような状況の方あるいはそれを乗り越えた方はどう考えている/いたか、お教えいただけると助かります。