はてなキーワード: 敷衍とは
実際、社会では満点以外は認められていない。たとえばクライアントに資料を提示して、その内容を説明できないのでは話にならない。自身が持ち出した資料なのだから、その内容は完璧に理解している必要がある。
従来の学校教育では、そのための訓練が全く行われていない。
歴史の試験をして、100点中99点を取ったなどというのは、全く誇れることではない。ビジネスならば、顧客から質問を受けて答えられない―あるいは当てずっぽうで間違った返答をする―のと同じこと。人として羞ずべきである。
ほとんどの日本人は、「何かを理解した」という経験をしないまま社会に出る。
それでは、この「何かを理解する」とはどういうことか?たとえば、法律を学ぶことを念頭に置いた場合、最低でも以下のようなことができなければならないだろう。
このようなことを完璧にこなすだけでも相当な努力が要るだろうが、もちろん、これでもまだ「何かを理解した」とは言えない。
このような客観的かつ体系的な知識を前提とし、独自の観点からある理論を自在に再構成でき、それを敷衍できること。
これが、「何かを理解する」ということである。歴史用語をいくつ覚えたなどと言う次元では話にならない。ある時代の歴史について、出版できる品質の論考を書ける水準に至って、初めて及第点である。それ以外は、うろ覚えでクイズゲームをしているだけ。それでは社会に通用しない。
女性の乳房と男性の睾丸という全く対比の対象にならないものを無理矢理対比させているにもかかわらず、
それ以外の表現については全般的に「かわいい男の娘」という様式に見事に乗っかっている。
なので「ただのヘタクソ」で切り捨てられることなく「んー・・・推せる!」というステージに上がれてしまった。
それは素直にスゴい。画力の無駄遣い(褒め言葉)もいいところである。
キャラクターの生み出された背景ならびに作者のキャラに対するいびつな態度が、
今やすっかり定番となってしまった『愛のない毒親』を敷衍するに耐えるだけの強度を持ってしまっている。
このまとめは初めて読んだけど、為末氏ってかなり過激な競争主義者なんだね。
人間社会の話はどのような認識を持つべきかという話なのでそれは個々人が自由にやればいいとして、自然淘汰は自然の摂理なのでそれは事実としてしょうがないと思っている。
「自然淘汰は自然の摂理」「事実として自然淘汰によってエコシステムは支えられている」という考え方を、その後の文脈に出てくる「不健康に暮らす人」や障害者にも敷衍しているのなら、結構怖い発想だなと思った。blogのほうにある「世界の常態は競争である」は、陸上競技の世界で成功してきた人ならではの価値観なんだろうとは思うけど。
一方で、同時に「もちろん競争なのでうまくいかない人もいるので、それらは国家が補償すべきだと思う」とも言っていて、それはつまり「淘汰」というのは見捨てるという意味ではなのか? 彼はそもそも「自然淘汰」って言葉で何をイメージしてるんだろう? 単なるメリトクラシーなのかな。
飴と無知
映画のワンシーンのような写真、絵のような写真、写真のような映画のワンシーン、写真のような絵、映画のワンシーンのような写真のような絵、写真のような絵のような写真、絵のような写真のような絵
米ソよりお世話になっております
失敗の非嫡出子
流石にスタン
コラソンアキノ/リンゴスター/マリアカラス/アーネストサトウ/ナオミキャンベル/ベアテ・シロタ
キレる仏図澄「このブドチンガ」
テジロ猿/ヤジロベイ
湯担保
ニューカレドニアはク活用形容詞の補助活用の已然形ニューク+逆説のド+連語のニヤ
豚を陸フグと呼ぶ人
サーターセンダーギー
想起ソバ
ワイヤレスイヤホンを洗っても壊さないことを売りにしている洗濯機
アンタレス↔︎ワタシモア
見ざる言わざるdismissal
禿げたフッサール
豪遊型リゾート
看取るネーム
鷹の爪の垢
四角い頭を丸くする→頭を丸める
忙しくない/忙しない
りんご/フラミンゴ/日本語/喃語/マンゴー/単語/援護/縁語
セヴラック/セノビック
絶賛デッサン中
大きいエスカルゴ→Lカルゴ
銃は社会の癌だ、ガンだけに
よりどり緑
エーゲ海↔︎悪い天上
能し力(抑止力)
隠された鷹の爪
don’t こい
likely きらいがある
singing 呻吟
break order 無礼講
スケルトン 透ける
へしくらまんじゅう
崇めムノン
ベートーベンの答弁
Unboxing Day
めちゃくちゃ覚えておいて欲しい人「記憶の中心にでも置いて頂ければ」
焼き討ちを見た人「ひでーじゃん延暦寺」
めくるめくの久留米
選りすぐりのリス
上手くいった人「計画が表目に出た」
蛸の価値は如何ほどに?
敷衍できない人、プエン
いたわる/板割る
めんどくさくなったキリスト教徒「あーめんどくさい」
揺れ過ぎてシンドバットになった
しちめんどくさいから。
同時進行する川→長良川
千客万来→万客千倍
匈奴人「オルドスにおるどす」
呵呵大笑と笑うとと(父)
仏陀をぶった斬る
ディーテイル/ディティール
前半で感動させ涙で目をにじませることを想定して、後半は適当に作画しているアニメ
電子卓上計算機は「計算機」の部分が大事なのに電卓と略されている
追い詰められるトランプ→弾劾絶壁
ちょっとバズってる池→プチバズの池
アリペイにいえば...
ガラガラヘビで賑わってる店
イキリ寿司
コドモオオトカゲ
票取るピョートル
黙って物々交換
2寸の虫には10分の魂
教室に窓がなかったので、卒業生が集まっても同窓会が開催されない学級
どっちか分からない人。タバコは吸いますか?すいませんが吸います。
みんなやめる政党→辞任党
吸えず運河
シモニデセ/シモニデセ/シモニデス/シモニデスル/シモニデスレ/シモニデセヨ
ポジティブな朱熹「老人は年を取りにくく、勉強も大変にならない」
麓で行われる頂上決戦
死んだ草間彌生→草葉彌生
円の下の力持ち→日銀買支え
絵描きも女性絵描きは男キャラも女キャラも満遍なく描いてる人が多いが、男絵描きはおっぱいやお尻を強調したワンパターンな女キャラばっかり描いている。
女性と男性では性的に興奮する範囲に差がある、って説を聞いたことがある。女性はカタツムリ🐌の性交にも興奮する人が多いんだとか。
男性向きの絵が女性から見てワンパターンに見えがちなのは、狭い範囲に多様性が広がっているから。
一般男性は… 男性選手とか好きだし、その理由はゲイだからではなく関心の方向が似ていて共感できるからなど友情に近い感情で好んでる。
男性オタク同士でも尊敬の念をお互いに持つし、コメント欄などで即時的な同好会が結成されるみたいなことはよくある。男性 Vtuber や男性のゲーム配信者は、男性オタクによく見られている。これは男体に興味のない男性オタクでも人格には尊敬の念を抱いたり、共感したりするからだ。一般男性の振る舞いとなんら変わりない。
この仮説が正しいなら勝者男性は逆に必ず敗北者を蔑むはずだが実際はそうではないね?
男女逆転させても成り立つはずだが、ウマ娘などを愛好する女性も多いからそれもおかしい。
友情や尊敬の感情を持つ人は男性グループの中で勝利してきたことになるが、勝利経験がなぜ尊敬につながるのか。自己愛ではなく。敗者が勝者を尊敬する構図の方が自然に思える。
なぜか男性グループでの競争が、性的興奮および芸術の愛好対象を決めるほど重く見られているが、その根拠は省略されている。女性に敗北してきた男性は女体を忌避するはずだが、勿論そうはならない。
勝ってきた男ほど敵視をしないと考えるのはなぜだろう。私は麻雀を嗜むが、強いプレイヤーほど敵の挙動の機微に敏感だ。このシビアなゲームでは微妙な攻勢を察知できる奴だけが勝負に勝てるからだ。あなたの描いたナイーブな構図、敗北が敵視を生む、が正しいなら、敵への意識が少ないのはむしろ敗北経験の少ない「逃げた男」。男性オタクは「挑戦し続けた男」。そういうことになるだろう。
感情の内訳までわかるのは、あなたが男性オタクだからだろうけれど、しかし自分の例を敷衍して全体を決めつけるのは説得力を欠く。私は、多くの男性オタクは女体を敬愛していると考えている。侮蔑の感情は親近感を生まないからだ。ズーフィリアでない男は豚🐷のメスでは性的に興奮しないだろう。
はじめてやけど、ちょっと思い返した雑感をまずは......。
先日、23歳にしてはじめて小説一本書き上げた。
とにかく書き上げることで精いっぱいで、完成させるのが目的みたいなもんだった。
出してから二か月ほどたって、書いたものと距離をおけるようになった。数人の友人にも送ったけど、みんな途中で読むのやめちゃったみたい。みんなが最後まで読み通せるものを書けなかったのは悔しいね。
まあ、下読みの段階で落とされてるんだろうな。
ま、そんなんは今となってはどうでもいいわ。
実際に小説書いて形だけでも完成させてみて、得たものもいっぱいあってさ、
まず当たり前けど小説を書くむずかしさってのは身に染みてわかった。想像してたのとは違った。それに敷衍して、小説以外にも、曲とか絵とか完成させてどんな形であれ世に出してる人へのリスペクトがめっちゃ深まった。
どんなものであれ、とにかく作品ひとつ完成させるのにはすごい労力かかってて、それ自体がすごく尊いことだなって思えるようになった。
そんなこと考えてた時に、twitterでとある下読みの方が投稿されてきた小説に対してながながとツリーぶらさげてアドバイス(というか苦言)書いてるのを目にした。いっぱいRTされててトレンドになってた。
その内容自体は教本に書いてあるようなことで正論。下読みしてきてあったらしい悪例挙げて、「そんな書き方だとプロにはなれないよ」って批評してる感じ。まあ、その通りだと思った。
けど、なんか違うんじゃないかなって思った。なんか下読みっていう立場を利用してマウントとられてるような気がして、やな感じだった。
少なくとも、素人ながらも時間かけてなんとか作品を完成させた人へのリスペクトはみじんも感じられなかった。いや、そんなリスペクトしてくれってわけではないんやけどさ。
でも、下読みの人にマウント取られるような世界でものは書きたくないなって思った。
小説の公募新人賞の投稿作品のほとんどは箸にも棒にも掛からないような駄作、またはそれ以前の問題なんだろう。
けれど、そのごみ小説ひとつ書き上げることへの労力はかなりのものであることは確か。でも出来たものはごみ。けれど時間かかってるから、書いた当人には思い入れがある。気に入ってるところとかもある。このアイデアは独創的なんじゃないかって思って書いた場所もある。
ふと、京アニのあいつのことを考える。あいつも京アニの公募に時間かけてひいひい言いながら書いた作品送ったのかな。これはいける。このアイデアはいけるって思いながら書き上げたんかな。
そんで、公募投稿者の例に漏れず、賞とらねえかなとか期待しながら発表を待ったのかな。そして、選外。そんときは落胆したのかな。
どんな精神状態で待ってたんだろう。落選したあとは何考えてたのかな。不安だったかもしれない。
実際に小説を出してみて、あいつの気持ちが少しわかった気がする。
自分の書いたものが、どんな風に読まれて、どんな風に落とされたのかもわからない公募新人賞のシステムは、合理的だけどやっぱり多くの人にとっては不親切だ。そんで、今なんてTwitterで下読みにマウント取られさえする。別にそのシステムが悪いとかいいたいわけじゃない。才能を持った人はそのなかで当然のように選ばれるんだから、このシステムは正しいんだと思う。
ただ、もし自分が精神的に不調で被害妄想気味になってて、自分の作品に対して距離をとれずに、落とされた意味が理解できずにいたとしたら、
そのあとに、自分が書いたものと似たような作品が自分の送った公募の運営会社から出たら、彼のようにならないとはいえないなあ。
私はこれからも小説を書こうと思うけど、10年後、20年後、自分がどうなっているかはわからない。
人知れず消えていく、多大な労力を掛けられた渾身の駄作たちは、それ自体が意味を持っていると思う。
だからその認識は間違ってる。「権威主義」と「科学リテラシー」は真逆。同じにはならない。「人」を重視するのではなく「科学」==実証主義を重視する考えなので。
「権威主義」がある種の科学リテラシーの一部に見られる可能性があるのは正しい。
が、「権威主義」が「科学リテラシー」に取って代わられることはない。逆は真でも偽でもない。
だからという理由で諦めて、「偉人が言ったから全肯定」が「権威主義」。
科学リテラシーは違う。自分の持ってるだけの知識と技術でできるだけ追求する「姿勢」が科学的リテラシー。
「偉い人」が言ってただけだが、科学的リテラシーに照らして、ある程度合致したなら、「とりあえず」否定しない。
完全に間違ってれば、「とりあえず」否定しておく。そもそも絶対な結論は得られないという覚悟も科学リテラシーの内。
判断基準はあるし、持つことが出来る。少なくとも、私はその程度の勉強はしてるし、知識もある。
なんで「他人が勉強してない」ことが前提なわけ?それはあなたが諦めただけ。他人に敷衍する理由はない。
別に辛くない。自分で理解できるまである程度は真偽をはっきりさせるから。
そもそも科学的リテラシーとは最初から物事を完璧に理解することじゃない。
科学というのは哲学含むんだよ。科学はシステムだけじゃない。科学と哲学は切っても切り離せないものだ。
科学リテラシーは、科学の土台としているので、どうしても定義を含まざる得ない。
だから科学リテラシーは「態度」も含む。検証できないからという理由だけですべて投げ出すのは「科学」ではない。
もしかして、科学というのを実験器具と同じものだと思ってないか?全く間違ってる。
ある実験をしてある結果が出る、ことだけを「科学」と呼んでるならそれ自体間違ってる。
存在自体知らない人が「科学的リテラシー」は「権威主義」と一緒だなどと言えるのは「ああ知恵が足りないんだな」としか思えない。
結論から言うと、note筆者の「88cmと8kg」氏は、小さい頃から学校や街中など、あらゆる場面で女性に「キモい」と言われ続けたそうです。
フェミニストのみなさん、「キモい」は本当に本当に強烈な抑圧の言葉なんです|88cmと8kg|note
弱者男性だけどもうフェミニストをやめたい|88cmと8kg|note
仕方なく街を歩けば「キモい」「あいつはナシ」だの定期的に言われた。みんなこれが妄想に聞こえるそうだけど事実だ。男性だってそういうことを言われる。言ってきたのはすべて女性で、男性からは一言もない。今でも。
そして中学を出る頃には、こういう一部の男性は、「キモい」という言葉に強烈な苦手意識を持ちます。自分の名前が呼ばれる10倍以上「キモい」という言葉が飛んでくるような環境では、自分の名前よりもすぐに反応する言葉になります。
ゼミでも、学部でも少し喋れば「異様な雰囲気の怖いキモ男」だった。基本、女性にモテたい男性は、キモ男を、一緒にいると「格が落ちる」から無視するか、マウンティングの道具として利用しはじめる。結局俺はここでは男性からも孤立した。ホモソーシャルは最悪だ。でも知ってる。ああいうことをするのはモテるためで、一部の女性はそういう人を喜んで持ち上げてきた。ドラマやゲームで人気の男性キャラの特徴を思い出してみればわかる。
ここからは個人的な話になりますが、自分は今でも道を歩いていると女性に「キモい」と笑われることがあります。2か月に1度くらいの頻度です
「キモい」は、身近な人間から直接、何千回も投げかけられる言葉です。もう一度言いますが、多くの場合は自分の名前よりも多く投げかけられます
こういう経緯から、88cmと8kg氏は「キモい」という言葉に対して、極度の恐怖心と抑圧を感じています。
なので例えば、駅のホームで待っている時、女子高生たちが「キモい」という言葉を使って笑っている時は動悸がしますし、レストランで女性の友人と話している時相手が「キモい」という言葉で同級生を笑うとき、それが延々と続く場合は笑顔を作って席を外して心を落ち着けます
そして、一部男性に対する抑圧を象徴する端的な表現として「キモい」という言葉がある、という認識に到っています。
今の社会では女性は抑圧され、社会のあらゆるところに抑圧を象徴するものが転がっていますが、一部の男性にも似たような構造があります。そして数あるそれの中で、最も一般的で、最も象徴的な言葉が「キモい」なんです。
ここまではOKでしょうか。88cmと8kg氏は、主に女性に「キモい」と言われ続けてきて、そのことを強い抑圧と感じて苦しんできました。ここまでの話では、フェミニズム/フェミニストは出てきません。88cmと8kg氏の主張がフェミニズムとつながるのは、以下の文脈です。
フェミニストのみなさん、「キモい」は本当に本当に強烈な抑圧の言葉なんです|88cmと8kg|note
「女子高校生に「きもい」言われ立腹 傷害容疑で県立中央病院職員を逮捕|事件・事故|徳島ニュース|徳島新聞」
記事タイトルではまるで女子高生が見ず知らずの人にキモいと言って殴られたのように見えますが実際は全然違います。この記事によれば、
・突然あらわれた男が「家に来ないか」と声をかけ、
・「キモい」と言われ逆上し、逃げたところをしつこく追跡してきて、
という本当に酷い事件です。女性であるというだけで声をかけられ、断ると逆上され暴行されるという、ヘイトクライムそのものの事件です。 そして、こういった事件は現代では見逃されないし、勇気ある人たちは沈黙しません。「夜未成年がうろついてたから悪い」だとか、「キモいと言ったから暴力されても仕方ない」だとかいうセカンドレイプそのものの意見も、現代では正当化されず批判されます。自分はこの空気が救いです。強盗が起きて、強盗された側が悪いなんてことは決して絶対にありません。しかし、たくさんリツイートされたフェミニストのみなさんの意見の中にこういうものもあります。
として、以下の「フェミニストのみなさん」のツイートが挙げられます。
これに対して、88cmと8kg氏は、こう言います。
私はフェミニストでありたいと思っている男性です。弱者男性といったほうが多分すぐわかると思います。なので言いたいです。
今回の件は100%加害者の男性が悪いと言い切れます。しかし、「キモい」という言葉の致命的な力を絶対に忘れないでください。本当に強烈な抑圧の言葉なんです。汚い言葉を引用しますが、「ブス」とか「クソマンコ」や、「ニガー」などよりも強いかもしれません。なぜなら、一部の男性は、小学生くらいの幼少期から、女性の集団に1日何十回もその言葉をかけられ続けて尊厳を奪われているからです。それは一般的なことなんです。しかも、誰も真剣にそれをとらえません。こういったいじめが記事になったことが何度ありましたか?男性から女性はシャレになりませんが、逆は男性が「みっともない」からなんです。もしくは、自分が「キモい」から悪いんです。告発しても女性は無罪放免、怒った自分が先生に怒られるなんてことはよくあることです。席替えで「キモい」生徒の横に来た女子生徒が泣く行為が怒られた現場を見たことがありますか?
つまり、このnoteで88cmと8kg氏がフェミニストのみなさんに対して批判的なのは、
からです。だから、88cmと8kg氏はそうした「フェミニストのみなさん」に対して「「キモい」は、身近な人間から直接、何千回も投げかけられる言葉です。もう一度言いますが、多くの場合は自分の名前よりも多く投げかけられます。そして、多くのフェミニストはそれを正当化してしまうんです」「お願いなので、「キモい」という言葉を過度に正当化することはやめてください」と訴えています。「過度に正当化する」というところに含みがありますが、つまり、この言葉を何か/誰かを批判するときに普通に使うこと自体が、「キモい」という言葉とそれがもたらす差別を正当化しているんだ、という主張だと思います。
そして、このことが敷衍されて、弱者男性差別は存在するから知ってください、フェミニストはこれ以上差別しないでください|88cmと8kg|noteでの主張につながっていきます。
例えば「女は黙って朝飯作って帰りは正座で待ってくれてないと」のような差別的な言葉と「無職の男とか絶対無理キモい」のような差別的な言葉は同じくらい重い、そう言えます。特に後者の言葉は実際に人を殺せるヘイトスピーチなんです。
実際問題、自分はフェミニストのみなさんが入っているTLを見ると、自分に「有害な男性らしさ」が激しく発生していることに気づきます。それは「彼女も作れない人間はセクシストで、そのような人間の悲鳴はすべてミソジニー」というような意見をフェミニストが多くするのが原因です。男らしくならなければジェンダー平等を訴える人たちの間でさえ人間扱いされないどころか、セクシスト扱いされるのです。自分はミソジニストになるのを避けるために定期的に表アカウントからは離れています。だからインセルのようなろくでもない連中が、フェミニストが増えた後増える理由も正直わかります。いかれた差別主義者がわめくのは無視できますが、社会的正義の名のもとに差別を正当化される苦しみは無視できないのです。
嘘だと思うのなら、最も弱者男性が差別的なことを言っていて、かんたんに論破できるような「女をあてがえ理論」に対するフェミニストたちの反応を見てください。「弱者男性とかキモい無理。女性の人権を侵害している。」、「その考えが差別的。特権意識から降りろ。」、その他諸々。なぜ、「女性が誰と結婚するかは個人の自由なので社会や国家が介入するな。」とだけ言えないんですか??なぜ、弱者男性をトランス女性とかアジア人のゲイとか入れ替えた時に、極めてグロテスクな差別発言になってしまうことぐらい差別を訴える人ならわかってくださいよ!「トランス女性とかキモい無理。男性の人権を侵害している。」「アジア人のゲイが他の人種と同程度に愛されたいと思うのは差別的」。そういう言葉なんですよ??「非処女とか汚い無理」とか森元総理でも言いませんよ?障害や貧困や差別で苦しんでいる中で、誰か一人にでも愛されたくても無理で絶望して今も首をを吊っていってる人たちに、無理とかキモいとかお前の孤独感さえ差別の証だだとか、それはもう加害欲求が暴走している、差別が楽しくてやめられない、としか言えないじゃないですか。おそらくは相手を人の言葉の通じないゴブリンか何かだと思っているのでしょう。ミソジニスト、ネトウヨ、白人至上主義者、その横に並ぶのが上の発言をした人たちです。最近も一緒になって車椅子の人の人権を訴えた人たちだったのに!!差別主義者の気持ちがわかった良い授業だったと思いますよ?
そもそも、ゲイも、トランスジェンダーも、在日コリアンも、ハーフも、黒人も、障害者も、相手を「キモい」と言って正義の名のもとに糾弾する光景をあまり見ないですが、フェミニストだけは例外です。先程もその光景を見ました。「キモい」なんて感情にしかよらない侮蔑語は、マジョリティの規範に依存する言葉です。上記の属性の人々を攻撃する最悪の矛として常用されているし、だからこそ理性による人権という盾で身を守ってきたのです。実際キモいからしょうがない、口をふさぐなと言うかもしれません。しかし、上記の人達は人権を訴える場所でその言葉は使いません。マジョリティにその言葉を使われる苦しみを知っているからです。性犯罪について裁判などで男性が同情されやすい特権があるのように、女性には差別しても批判されにくい特権があると言わざるを得ません。そして悲しいことに、差別と戦う人たちでさえそれを濫用してしまっているのです。
88cmと8kg氏にとっての弱者男性論の根幹は、長年にわたって女性から自分に投げかけられ、自分を傷つけてきた「キモい」という言葉への被抑圧感情と問題意識と、彼の観測するフェミニストのみなさん達が、女子高生暴行事件の犯人を批判するときや、その他の文脈(これについては直接の引用がないので、「弱者男性とかキモい無理。女性の人権を侵害している」という発言が実際にあったかどうかはわかりませんが)で、「キモい」という言葉を普通に使っている、という認識にあります。その文脈で読めば、88cmと8kg氏の訴えがなぜ「女性とフェミニスト」に向かっているのか、より具体的に理解できると思います。
https://anond.hatelabo.jp/20210407201659
これなどうまくまとまっていると思うが、おれ自身もどうかと思っていた通り、やはり一部フェミニストの言動はダメダメだったと思う。色んな人が一部フェミを批判していた。うなずけるものも多かった。
そう、君の批判はおおむね正しい。
なので君はそうならないよう、一部フェミの言動をちゃんと反面教師として、そうならないようにしてくれるんだよな。信じていいんだよな?
君は、一部フェミのようにダブルスタンダードに陥らないよう気を付けるはずだ。君は、一部フェミを非難したその言葉が、そっくりそのまま自分にあてはまるような、そんな愚かなことはこの後しないはずだ。
君は、あれという弱者の問題には最初から同情心をもって接しながら、これという弱者の問題には冷淡にならないはずだ。君は、弱者一般に優しくなるはずだ。
君は、男性という敵一般を設定して、それらをすべて丸ごと強者や抑圧者とするような、雑なカテゴライズをしないはずだ。君は、自分が批判するべき層がどういうものなのかを、きちんと精緻に考えるはずだ。
君は、とある言説のなかの最も極端な部分を、つまり弱者男性問題であれば「女をあてがえ」という部分を、全体に敷衍しないはずだ。君は、「とある言説の周りにはいろいろなグラデーションがあって、そこには賛同できるものもあれば、できないものもある」という冷静な視点をもったはずだ。
君は、「フェミニストと敵対しそうな意見だから、絶対に反対する」というふるまいを醜いと思ったはずだ。君は、ちゃんとどんな意見でも公平に、バイアスや色眼鏡なく、まずはきちんと接するという前提でいられるはずだ。
君も、おれも、他人の言動がダメダメだとわかったのなら、そこは他山の石として克服していこう。
一部フェミを批判する君たち、それにスターなど賛同の意見をつけた君たちは、その後、ちゃんと反面教師として自分を律してくれると信じている。一部フェミへの批判は、要するに君がよくないふるまいだとするものなのだから、それを君はまさかやらないよな――少なくとも、やるまいと努力するよな。
>「嫌い」であることを言えない世の中より、お互いの「嫌い」という意見を許容しあえる世の中のほうが自由だと思います。
これは互いの関係性によって決まってくることでは?
(多くの人は、親しい人からでも見知らぬ人からでも「嫌い」と言われたら、不快を覚えると思う。)
もっともと言えばもっともな意見に聞こえるが、ちょっと実際的ではないと思うな。
>コメントでもいくつか見られるように「嫌いと言われるのはかまわないけど、言われたら反撃する」という考えが許容されていることにどうしても疑問が残ります。
疑問を敷衍した方が良いぞ。
「反撃」の定義についても述べてほしいな。
>社会的多数派に対してであれば「嫌い」と公言する自由は制約されないのでしょうか。
誰に対しても、法令等に違反しない限り、または判例に示されない限りは制約されないと思うが。
>究極を言えば、差別的イメージによって「嫌い」と言われることも許されるべきだと思うんです。
>もちろん、表明するだけで、それによって不利益が生じることは良しとしないとした上で。
それは無理だと思うよ。それって、ある意味、コミュニケーションを放棄してるのではないかな?
お前の考えが、他人に何ら批判されたくない、何ら反撃されたくないとする考えであるならば、それは、俺は間違ってると思うよ。
>わたしがいいたかったことは、どちらの立場であっても、お互い心理的安全を約束した上で、「嫌い」という言葉を堂々と言い合える世の中のほうがいいよねということです。
それは、記事の冒頭に掲げるべきことだったな。
あと、先にも述べたが、理想論としては結構だが、実際的ではないと思うよ。
「嫌い」という言葉の意味が変わるか、人間同士の関係性が変わらないと、それは多分実現しない。
>お互いにどこが「嫌い」なのかを素直に言い合うことによって、はじめて異なる存在自体が歩み寄れると考えているからです。
それは、お互いの関係性が深まって、親密になった先にある段階じゃないのかな?
>わたしが犬を怖がっていると、飼い主は決まって「この犬は噛まないから大丈夫だ」という。
>「そんな保証はない」とわたしが言えば、飼い主はまるでわたしを悪人のような目で見てその場を去っていく。
俺はそうは思わない。誰もが見て、そうであると考えられなければ、
それは社会的・客観的には、明らかな差別であるとまでは言えないのではないか?
>差別の本質を見ようとせず、迫害された人間を擁護することが差別問題の解決だと思っている。
>「嫌い」と表明することは差別ですか?
>「嫌い」と表明することはあなたに反撃の正当性を与えますか?
反撃の正当性とやらがあったり無かったりすると、どうにかなるのか?
>こちらは存在を否定しないのに、「嫌い」と表明する存在が否定されるのは、それこそが差別ではないでしょうか。
あと、存在を否定されたと感じるか否かは、「嫌い」と言われた人の受け取り方によるものであって、
お前が決めることではないよね?
>世の中の人は嫌いと言われることに攻撃的な意識を感じるのだと理解しました。
大体の人はそうだと思うよ
お前はそうじゃなかったの?
コロちゃん唯一にして最大の功績、「リアルワールドで人がたくさん集まる」の価値を反転させたところにあると思う
かつては渋谷スクランブルだとか、東京のライブハウスだとかがすし詰めなのを見て「東京ってすげえな、人メチャクチャいるな!」と羨むような気持ちになった
今は違う 真逆
「ウワ、"密"じゃん キッショ エンガチョ!」
この感覚が敷衍されて、東京全体が不潔感染魔都みたいなイメージになってきた
「オシャレなオフィス街に暮らすハイソな東京人」ってイメージが、「意味もなく高い家賃を払って狭苦しい病巣都市に暮らす哀れな土竜人」って感じに変わってきた
ただ可哀想だと思う
都市の暮らしは快適、埋没できるから!とか言って田舎を見下し、自分たちの方が進んでいてイケているって自己暗示をかけ続けながら生きていくんだろうな
東京で、消耗して行くんだろう…w
でも自称だったり医者や学者が事実を調べての発言だったら許されるよね
それは「勉強したかどうか、発言に責任があるかどうか」で判定されるんだよ
「デブは早く死ぬ」、という言い方は許されないが、医者や勉強した人が「メタボリックシンドロームになっている人は成人病リスクが高く平均余命も短い傾向にある」、と発言するなら事実として許容される
森氏も「女性は競い合うように発言する傾向があるが、内容には傾聴すべきことがないわけでもないから、会議時間をゆっくりとって全員に発言のチャンスを与えるか、事前にアンケートで議題をとりまとめておこう」
というのなら文科省の指示に対して責任をとろうという態度にみえたので全く結果は違っただろう
おまえがやってるのは単なる言葉狩りだがそうやって辞書から言葉を消してもなにもおこらない、不毛なだけ
本当に推進するべきなのは各個人がネットに踊らされないリテラシーの習得と敷衍
終わり
この記事は、合衆国の動向に関して発せられたあるツイートを、私なりに敷衍したRT的なものである。リツイートしようと思ったら、この年寄りにはソフトの勝手がわからず、上手くできなかった。せっかく書いたものだから、ここに投稿する。
十一月初めの米国大統領選挙投票日以来、今日までのことを顧みて、次のことが明らかになりつつある。
ビッグテックやメディアは、特定の政治勢力と密接な関係にある。例えば合衆国ならば民主党やDSとの蜜月状態にあると言えるだろう。もし日本について言うならば、野党、中国共産党、そしてチュチェ思想のグループとなろうか。
ビッグテックやメディアは、特定の政治勢力の欲するところと同一歩調をとって、その政治勢力が実現を目指すところに有利となるように、虚実織り交ぜた情報を拡散報道し、その政治勢力の意図を補強する主張や見解の宣伝を行なっている。
ビッグテックやメディアは、言論や報道のいわゆる「公平性」を称するため、第三機関によってファクトチェックがなされるという体裁を取るが、その実態はファクトチェッカーもまたビッグテックやメディアと同様のバイアスがかかっている。
あるいはビッグテックやメディアは、自らと同じ視線の者たちの判定のみを、「第三者」の判定として採用する。だがときには、ビッグテックやメディアと密接な関係にある政治勢力に属する人たちがファクトチェッカーの仮面をつけ、ファクトか否かの認定を下している。
つまりは、自らの望むところに、人々の言論と見解を統制するよう努めているのである。
この時ビッグテックやメディアは、彼らの言論統制を乱すような不利な事実の指摘やそれを含んだ意見は、「嘘」であると認定する。彼らはまた、それらはフェイクである、幻想である、単なる願望であると言う。
ビッグテックやメディアは、自らが広く浸透させた意見を、信用と権威あるものと位置付ける。これによって、異なったことを指摘し、主張する人たちは信用が失われ、その見解の意義は否定されていく。異なった仕方で物事を見ようとする動機が、人々の心の中から押し潰されて、消されていっているのである。