はてなキーワード: 思い当たるとは
いろいろ思い当たる節があり 類似っぽい案件に最近巻き込まれそうになったのでなんとなく他人事ではない
こういうこと言いがちやりがちな男の子 けっこうめちゃくちゃなこと言ってるイメージ
Q:彼女いるんだよね?
Q.セフレになれってこと?
Q.ていうか浮気だよね?
Q.やっぱり浮気じゃねーか……
A.女性を口説くときは真剣。そんないい加減な気持ちじゃない。
Q.(どういうことだってばよ……)そもそもなんで誘ってきたの?
A.寂しそうだから。
彼女と仲良くしててほしいけど、こんなこと他の女に言うような男でいいのかと会ったこともない彼女が心配になってきてコメントしづらい。
優しくて、性的な関係の一切ない友人としてはいいやつだと思ってるんだけど。過去形にならないことを祈る。
身バレこわくなってきたので消すかも。とりあえず会ってすらいないので一切なんにもないです。ネット上でこういうやりとりがあっただけ。
半端な人に知ったかぶりのコメントされるとうざいので英語関係のスペック書いておく。TOEICは20年前に925点とってからあほらしくてうけていない(TOEICは英語のテストじゃなくて忍耐力のテストだ。今受けたらつまらなくて15分で寝る)。英検は十年前に一発で1級とった。教養のあるネイティブにくらべれば読む速度はかなり遅いが新聞も雑誌も読める。米在住合計7年でアメリカの現地企業で毎日英語で仕事している。その辺の「TOEICxxx点をめざす」とかいうブログとかは生暖かく見守るレベル。
普段は割と優秀な人とコミュニケーションしているのであまり問題ないのだが、ときどき教養の無さそうな人(店の店員とか)と話していて自分の発音がいっさい通じなくなることがあった。これはもう極端で、さっきまで他の人と世間話してたのに、その特定の人とは商品の注文でさえできなくて絶望する程。メキシコ系の移民の人と話しているときにも同じ傾向がある。そういうときは他の人が助け船を出してくれたりするから、他の人には自分の発音が通じているらしい。以前からこういう傾向はあって、英語の個人授業の教師に相談したこともあったんだけど、その教師は自分の発音を理解できる人なので「問題ないけどな」という反応で、てがかりなしだった。
それがこの前原因がわかった。
きっかけは家族(自分ほど英語がしゃべれない)に買ってあげたRosetta Stoneという英語練習ソフト。この中に、発音をコンピュータが判定するトレーニングがある。家族にはこれが難しいらしく、やってみてと頼まれた。自分がやると、90%は一発で通り、5%も二回目くらいで通るんだが、中ににいっさいクリアできない単語がある。なんだこりゃと思って、しばらく試して気がついた、こりゃRだ。しかも母音の後。
思い当たる節がある。初めて英語の発音をちゃんとならったのは米東海岸で、あのあたりはRの発音が適当な地域があるのだ(ボストンとか)。先生がその地域の人だった可能性があるし、東海岸の人たちはR抜きの発音にもなれているから自分の発音の欠点に気がつく機会を逃してしまったのかも知れない。当時自分の発音にはそれ以上の大問題が沢山あったから先生もこの比較的小さな問題は矯正しなかったんだろう。
そして現在。普段自分がつきあいのあるような教養ある人はいろんな発音の種類に触れているから、R抜きの発音も理解できる率も高い。R抜きの発音を知らない人にあたると「こいつ、何言ってかわがんねっぺ」状態になる。メキシコ人にはこういう人の比率が多いらしい。あー、なんだ、そういうことか。
その後Rの発音を気をつけるようにして、過剰なほど母音の後のRを強調するようにしたら、通じなくなる率が激減した。
追記書いた
Rの発音、追記
http://anond.hatelabo.jp/20151013015136
ちなみに、スペイン語は片言話せる。それだけになんかイライラしてた。
お前がレジの後ろでこちょこちょ喋ってること、こっちは半分くらいは理解できるんですけど、なんであんたは俺の言うこと1ミリも理解できないの?って。
http://anond.hatelabo.jp/20151005175917
の続き
「心が叫びたがっているんだ」を語るにあたって、最も欠かせない部分。それは学園パートではなく、家庭でのシーンにあると思う。
意外に思ったはずだ。学級会議で突然歌い出した成瀬に対するクラスメイトの人間的にまっとうすぎるリアクション。そしてそもそも成瀬のような生徒がいじめられていないクラスという環境。最初の印象は「やさしい世界」そのものだった。
しかし一方で、私はこのクラスの環境について、全くのファンタジーだとも思わない。私自身、近い環境は経験したことがあるからだ。私は高専という5年間同じクラスで学生が生活をし、工業系ということでオタクばかりが集まった中で学生生活を送ったことがある。それがちょうどあのクラスの環境に似ていた。いわゆるリア充やスポーツマン、根っからのオタクなどその中でもカテゴリは存在していたものの、それぞれに学園ヒエラルキーが適用されるのではなく、お互いに棲み分けを行うような形で折り合いをつける。結果、異分子的な存在に対しても特に働きかけることもない一方でいじめのような状況は発生しない(しなかったと思っていると付け加える)。
おそらく「ここさけ」の舞台の学校も、近いような環境、学力的にステロタイプに表すなら、偏差値が高いほうではある一方で、エリート校と言うほどではない奇跡的な案配といったところなのだろうと想像した。
ともかく、「やさしい世界」的に描かれた学校のシーンは、とても淡泊なものとなった。これはいじめ描写を除外することでその他のドラマに描写を注ぐためだったのだろうと思う。(本当は少し違うと思うのだが、後述する)
そのドラマとは当然青春ラブストーリーもあるが、それよりも重要なのは家庭のシーンだったと考えている。
まずは描写も直接的でわかりやすい成瀬の家庭について説明する。
まず、女手ひとつで子供を養うために母親が就いた仕事が「保険の勧誘員」というところ。ある程度年齢がいった女性が中途で採用される職業で、比較的安定しており生活が成立する収入を得られるものとして、典型的なものだ。彼女らの仕事は半歩合制であることが多く、望む収入によって仕事の量が変わってくる。夫婦共働きなら昼間だけつとめれば良いが、一般的サラリーマン並みを一人で稼ぐとなると残業は当たり前で、劇中のように帰りが遅くなることが多いだろう。
そして、母が在宅していない時、成瀬一人で自宅にいるときの「明かり」の付け方。あれもものすごく写実的だ。リビングのうちシステムキッチンの明かりだけつけて最低限の明かりを確保するだけ。ひどくリアルだと感じた。これは単に成瀬の暗い性格を表す演出というだけではなく、親が出かけており子供一人で留守番をしている光景として、典型的なものだと思う。電気代を節約して家計に貢献だとか、そういうことでは恐らくない。単に子供一人にとって、一軒家が広すぎるからだ。どうしても明かりは最低限となり、家全体で見たとき、点々と明かりがぼんやりとついているような状態になるのだ。何も片親だった人だけでなく、夫婦共働きの子供だった人なら思い当たるところがあるだろう。
車の音やインターホン、他人や親の気配を感じてびくりと身構えるあの感じも、そのものを写し取ったかのような正確さだと思う。
片親の親、あるいは子。共働きの親なら胸が張り裂けるような描写であっただろう。
登場人物のうち、自宅の描写があるのは成瀬と坂上だけだが、坂上が昔ながらの一軒家の形式に対して、成瀬の家が異なっていることはすぐ気づくところだと思う。
彼女の家はいわゆる分譲住宅だ。幼少期の描写ではぽつんと一軒成瀬の家だけが建っていたところから、現在では周囲に家が立ち並んでいるところをみると、成瀬の父親は転勤族であり、新しくできた分譲住宅に飛びつくような形でやってきた新参者だったのだと想像できる。
そこでまもなく彼女の意図しない密告により、両親の関係は決裂してしまうことになる。母親は子供を養うために働きに出るしかなく、自動的にご近所づきあいは破滅的に。地域性というバックボーンがない新参者のために、塞ぎがちになった成瀬に対しても「近所のガチンチョ」だとか、「面倒見の良いおばちゃん」のようなケアは存在しなかった。
建物一つの描写をとっても、このように彼女が今に至るまでで、そうなってしかるべきであったという状況が、写実的に示されているのだ。
この状況は、成瀬本人にとってはもちろん、母親にとっても過酷だ。母は成瀬に対して辛く当たるひどい親として描写されてはいたが、彼女の立場に立ってみれば、同情を禁じえない境遇といえるだろう。
坂上家で成瀬の母が「娘がおしゃべりで電話代がたいへん」なんて見栄を張っている描写もあったが、恐らく彼女は仕事場でも同じ嘘をついている。
典型的な母親のつく仕事である「保険の勧誘員」という職場において、子供の話題というのは避けて通れないものだろうから。
「心が叫びたがっているんだ」という映画。うわっつらはありきたりで平和な青春ラブストーリーであるが、このように少し掘り下げるだけで緻密で残酷な描写がちりばめられている。
しかしこれだけではない。行間に隠されてはいるが、物語の読解に重要なもう一方。勝るとも劣らない残酷な描写がある。
それはもちろん坂上の家庭環境だ。
坂上は父方の祖父母の元で生活している。そこは父親の実家であり、本宅でもある。しかし父親は家には寄りつかず、事実上は別宅みたいな扱いになっている。坂上の両親も成瀬の家庭と同じく離婚しており、母親が居ない片親の環境。子供の世話は父の両親、坂上からすれば祖父母に任せっきりだ。
以上が物語上で語られ、描写された内容ほぼすべて。祖父母が居ると言うことで、成瀬の家とは異なり暖かい明かりに包まれており、表面上とても平和に描写されているし、事実、平和なのだろうと思う。
しかしこれらの「行間」には、特に現役の父親にとって、致死量のカミソリが仕込まれているのだ。
それは、直接的には描写されない坂上の父親の影を追っていくことで明らかになっていく。
まず、成瀬が初めて坂上の家を訪れたとき通された父親の部屋。あれで一気に、坂上の父親の像がはっきりする。
普通の一軒家に見える家屋の二階に突如出現する、完全防音の音楽室。典型的な趣味人の部屋だ。防音設備など普通のサラリーマンでは考えられないような出費を伴うものだ。そもそもがあの家自体、広大な土地がある北海道において「坪庭」など、まさに道楽者そのものだと言える。※坪庭というのは家屋の中に四角く切り取った庭をこしらえたもの。本来は土地の限られた京都などのような所でふさわしいものだ。
そこから推測できる父親像はつまり、かなりの収入を得ている人物。さらに推し量ると恐らく音楽関係の業界人。それも相当名の高い人物と考えられる。
坂上は幼少期いやいやピアノを習わされた。しかし次第に夢中になり、ピアノに専念したいから私立校に進学するのはいやだと母親の勧めを突っぱねることになる。彼を擁護する父親、反対する母親。それが坂上の両親の離婚の原因になったという。しかし言葉の上では確かにそうかも知れないが、少なくとも現代の日本において離婚はまだそこまで軽々しいことではない。子供の進路についてもめることはどこの家庭でもあることだし、私はそこまで致命的な問題ではないと思う。
恐らく坂上の母親は、その件がきっかけで堪忍袋の緒が切れたのだ。家庭を顧みず、父親ではなく趣味人としてしか生きない男に。
男の片親。子育てを彼の両親に一任して自分は仕事に専念する。頼れる両親の健在な父親にとって、至極妥当な選択かつ、リアルなものに感じる。恐らく音楽の業界人ならば、仕事は都心のことが多いだろうし、それは当然家庭にほとんど寄りつかなくなるだろう。それに、当人にしてみれば、苦言を言う妻という存在がなくなり、以前よりよりいっそう父親の任を感じることなく趣味の延長のような仕事に没頭できるようになったのだ。坂上の祖父母はとても温厚だ。孫相手だというのもあるだろうが、坂上父のこれまで推察した人物像から考えれば、彼もまたこの二人に甘やかされて育ったのだろう。
今の彼は、もう一度独身貴族を楽しんでいるような感覚でいるかも知れない。「お子さんいるんですかぁ?信じられなぁい」なんて言われたりして。
父親が習わせたピアノで、坂上は母親を失うことになった。少なくとも表面上の因果的には。
しかし恐らく、父はそれについて罪の意識は抱いていない。そもそも、ピアノを教えたことが正しかった、間違っていたの葛藤すら抱いていないと思う。
ピアノを習うことは彼にとって当然だからそうしただけのこと。彼は自分が息子に与えた影響というものを全く意識していないのだろう。そもそも、父親としての自覚が希薄だから。
息子の坂上自身について考えてみよう。公式サイトにおいての彼のキャラクター紹介はこうだ
まるで平凡で人畜無害な子供のような説明になっているが、本編を見れば明白なとおり、事実とは真逆だ。
まずクラスでの立ち位置。無口でエアー的に振る舞う様は説明の通りではあるが、実行委員に選抜されたあと、坂上は学級会議の司会を堂々とつとめている。それを受けてのクラスメイトの態度、そして平時からのDTM研での扱い。これはいわゆる「表立って目立つタイプではないが一目置かれてるタイプ」の生徒のそれだ。成瀬や仁藤を除いても、もう一人や二人くらい、彼を思っている女子がいてしかるべき立ち位置に彼は居る。これは上で説明した彼の家柄によるものと考えることもできるが、彼の振る舞いを観察すれば、なんとなく推測できるところがある。
まず、その人格が常軌を逸している。言うなれば英雄的なところ。
完全に異常者である成瀬に対して、彼は最初から一切、一ミリも物怖じすることなく接した。普通にできることではない。彼の異常性というか、異端、あるいは抜きんでた人格を表していると思う。
「やさしい世界」のクラスメイトも成瀬に対して差別的な態度はとっていなかったものの、進んで接触するようなことはそれまでしなかった。
そのハードルを素知らぬ顔で乗り越える。というより、彼自身の異常性のためその特別さに気づいていないだろうところ。彼が一般人とはかけ離れている描写だと思った。
そして音楽の才能。
彼は「作曲はできない」と謙遜してはいるものの、ミュージカルの曲目において、それぞれのシーンを象徴する完璧と言える選曲を行った。そして即興でクラシックのマッシュアップさえしてみせたのである。それも、もう一つの結末の案を成瀬から聞いてたった数秒の逡巡の後にだ。才能があると言うほか無い。
つまりそこに集約される。クラスから一目おかれ、常人離れした振る舞いをし、音楽の才能がある、彼はいわゆる「天才」である。
ここで先ほど挙げたシーンに立ち戻ることができる。
「あこがれのお城」での彼の涙の理由について。
彼はもちろん、彼が説明するとおりの理由で涙した。「坂上拓実」と連呼する彼女の言葉に聞き入りながら。
奇しくもミュージカルの最終幕の歌詞をなぞらえるように、音の上では名前を呼んでいるだけのそれが、「愛しています」と聞こえてくるその芸術性に感じ入って涙したのだ。
言葉はその意味を越えて話し手の気持ちを投影するものなのだと。
あの切迫した状況においてである。天才の感受性と言うにふさわしい。
さて、彼の父親は誰だったか。
音楽業界において有力な人物である。彼もまた、音楽の天才と言えるのだろう。こんな自覚が希薄な男でも、坂上にとって彼は間違いなく「父親」であった。
彼の影響下の元、彼と同じ家庭環境に育まれ、坂上は父親の人格をしっかりと継承しているのである。いくら自覚がなくても、子供は親の影響を受けて育ち、それらを継承してしまう。
ところで、ここまで一切触れることはなかったが、仁藤の人格についても考えよう。
チア部のリーダーで責任感が強い。ラストのミュージカルで急遽代役を務める事になったときの態度からも読み取れるように、背負い込み、気負いすぎる性質を持っている。
私には彼女がある人物に重なって見える。
それは成瀬の母親だ。彼女は頼れる両親がいなかったのかもしれないが、どちらにしろよそに頼ることなく、女手一つで子供を育てる選択をした。再婚もせず、もちろん育児を放棄することもなかった。
彼女もまた、責任感が強く、背負い込み、気負いすぎる性質を持っているといえるだろう。
一方坂上はといえば、父親としての役目を全うできない道楽者の生き写しである。
ここまで考えると想像せずには居られなくなる。
彼らが結ばれ、子供をもうけるようなことになったとき、待ち受けている結末について。
そうならないと信じたい。
交流会を通しての経験から何かを得、成瀬や田崎のように坂上もまたその業からぬけだすことができるのだと。
以下は蛇足になる。
ここまで残酷で緻密な描写ができる監督、脚本家というのは何者なのだろう?と考える。もしかしたら、彼、あるいは彼らもまた、過酷な家庭環境で育ったのではないだろうか。そうでもなければ、ここまで緻密な描写など不可能なのではと思えてならない。
そして劇中の「やさしい世界」としてのクラス。部活でもクラスでも一目置かれる坂上の立場。
彼は過酷な家庭環境をもつ一方で、その救いを学校生活に見いだしていたのではないだろうか。
さらに推し量るなら、彼の担任教師の高校教師らしからぬ立ち振る舞い。そして文化祭の主役という立場を、スケープゴートとしてしか捉えない大人びた生徒達。彼の原体験は、大学生活にあったのではないか(あるいは高専?)と想像してしまった。
そして家庭シーンの原体験は成瀬と坂上の家庭の合いの子。きっと彼は「坂上と仁藤」の間に生まれたのではないだろうか。
そして彼は「父」になることを恐れているのだ。
ここまで書いたが、実は以上の内容、ほとんど筆者である私が気づいたことではない。
私はこの映画を、友人たちと連れだって見に行ったのだけれど、そのうちの一人の境遇がまさに、「片親という家庭環境で育ち」「現在父親」というものだった。
彼はその境遇故に、この映画の行間に仕込まれた凶器すべての気配を感じ取り、とても傷ついていた。一方で私ともう一人の友人といえば青春ラブストーリーとしてみていたので平和なものだったが。
彼は「もう二度と見たくない」とは言っていたが、その理由を聞いていくうちに、「心が叫びたがっているんだ」という映画の全体像を捉えることができた。私はこのことにとても感動したので、彼にぜひブログポストするように勧めたが、とてもできないということだったので、許可を得てこの文章を書いている。彼の現在の家庭は幸いにして、父親である彼と母親、両方かけることない家庭を築けている。(今のところ)
しかし彼の反応を観察するに、とても子を持つ親に勧められる作品とは言いがたいのかも知れない。
下衆の勘ぐりが正しいとすれば、この作品はつまり「サマーウォーズ」対抗軸、家庭という環境、父、母という存在を否定し、子供は学校などの社会でその人間性を開花させていくものだと説いたものなのだから。
事実、子供である成瀬に対して救済はあったが、彼女の母にそれはなかった。ミュージカルのシーンは母への救済と取ることもできなくはないが、今の私には罪と向き合い自分の無力さに泣き崩れる母親に見える。
ともあれ、ここまで読み解いてみてつくづくこの映画の凄さ、恐ろしさを感じる。
「青春ラブストーリー」としても、「核家族ホラー」としても、核心の部分をすべて行間に潜め、合致する感性を持つ人、あるいは何度も繰り返し視聴した人が、ここまで深く読み解くことができる作りになっていることがだ。
「心が叫びたがっているんだ」は傑作というほかない。
縁を切られる2ヶ月ほど前に食事をして、次回会う約束もしてたのに縁を切られた。
なぜこの人から嫌われたのか?全っ然わからない。青天の霹靂とはこのことかと。
でも相手には耐えかねる何かがあったことは確か。
そうでなければ縁など切られないのだから。縁を切るって相当だよ。
せめて「あなたの○○が気に入らない」とか言ってくれればこっちだって改善の余地もあるし反省できるんだけど、ニコニコ楽しそうに振舞われて突然絶縁だから、…女って怖い。
ハロワで紹介される仕事がどれも酷く、かつやりたいと思える事も無いと。
彼女には本当はやりたい事があったそうだ。
だが専門の学校に行くのを親に反対され、専門的な勉強の経験ももコネもないのでそれになるのはほぼ無理との事だった。
話を聞いた限りだと、彼女は「好きを仕事に!」というフレーズを鵜呑みにしているような印象を受けた。
でも本命に挑戦するリスクが大きすぎるので諦めなければならない、でもでも諦めきれず、代わりになるような「好き」(=仕事)を探すけれど、心に決めた本命が居るので他は好きになれない、そんな感じ。
実際に職場を見たわけではないので本当に酷い職場ばかり紹介されている可能性はある。
同世代の子がなりたい職業に「歌手」とか「パティシエ」を挙げる中、一人で「キーボード打ちたい」と答えていた。「カチャカチャ…ッターン!」を最高にかっこいいと思っていたのだ。
なお若くして夢はかなえた。中二だったのでッターン!も思う存分やった。
「凄いね」といわれたけれど、全く凄くない。
夢は叶えたと言っても、ネタとして扱われるレベルだと思うんだ。
で、縁を切られた。
上場企業の正社員で、資格を持っていて、子供の頃からやりたいと思っていた事をやれている私に嫉妬している。よし、FA!
内心「ッターン!に嫉妬とかありえんだろアホか」と思ってるけど
そうでも思わないとやってられん。
歩いたり階段登ったり走ったり、まぁ普通の動きでふっ…と足の置場が無くなるというか。とにかく地に足がリアルに付かない時がとても増えた。
道を歩いていて特に段差があるとふっと感覚が無くなってふわふわして歩いてるのか止まっているのかわからなくなり貧血のような立ちくらみのような感覚があった。
疲れか、としばらく放っておいたが車も運転するし、なにかあってはいけないと思って近くの診療所に相談がてら行った。
ざくっと言われた。
「あー、鬱の手前で良くあるね。ストレスとか思い当たるでしょうが」
鬱か。
鬱かよ。
しかしなんか、納得もした。
とりあえず様子をみながらあんまり酒は飲まないことと早めに寝ることに釘を刺されて帰ってきた。
鬱かよ。
やだな。
これは現実社会で本当にこういう価値観が現役で生きていて、女性を苦しめているから。だから真剣に腹を立てている人が多い。当然批判も集まる。
この価値観を押し付けられる女性の苦痛を過小評価するから「どうしてこの件だけ批判が多いのか」なんて疑問になる。誰でもエントリーできるけど、エントリーしない自由は無い。後者を望む女性が多いから、批判が集まる。
元増田の意見に多くの批判が集まらないのは、現実においてその価値観で社会から厳しく当たられたりした経験が、当の男性に思い当たる節としてないからじゃないかな。嫌ならエントリーしなくていい。これが自由なのは素晴らしい事である。
大阪芸術大学教授・純丘曜彰氏の発言への疑問を述べた記事に、氏から応答があった。
元の記事
「五輪エンブレム問題についての純丘曜彰氏(大阪芸術大学教授)の発言」
http://anond.hatelabo.jp/20150903062450
純丘氏の応答
http://www.insightnow.jp/article/8644?page=6
もう佐野研二郎氏に関わるような話題は終わらせたほうがよいと考えているので、
議論がふたたび活発になるようなことは望まない。
筆者から疑問を投げかけ、氏がそれに答えてくれたので
パンチ一発ずつ(?)ということでこれ以上の応酬はやめようと思う。
なぜか筆者が「チャレンジャー」ということになっているが……
ただ、わざわざ返答をくれた氏に対してこちらからの感想とちょっとした考えを述べておきたい。
加えて、幻となってしまった佐野氏のエンブレムへの所感を残して旧エンブレムについては最後とし、
次のエンブレムについての思いを記そうと思う。
「ニーチェの綴りが2ちゃんねるでどうこう、ということだが、なんのことやら」(純丘氏)
炎上という非常事態に対してまさにこの「なんのことやら」という意識で臨み、
周辺に挙がっている言葉(火種)をそのまま拾って記事を作るということが、
■色の件
一般の人が読むことも考えて説明を加えたのだろう。
残念だがこちらの疑問に答えたものではなく、新たな論点もない。
この項を借りて…
氏の表象論などを用いたデザインに関する言説は(半分以上フィクションとしてだが)みな
■純丘氏の社会的影響力
非常にあったと考えている。
それは、(失礼だが)純丘氏の所論が正しく、力強かったからではない。
識者の言質さえ取れればいい、このフリップのこのスペースが埋まればいい、
そんなノリでコメントを拾っている。
8月10日、純丘氏のこの一文を読んでびっくりしたのをよく覚えている。
「このデザイナーがpinterest、その他、ネットのかなり奥深いところから
巧妙に素材を拾ってきていることが完全に明らかになってしまった」
Pinterest ついては、この時点では「完全に明らかになった」といえるような
証拠は出ていなかった(強く紐づけられるものがせいぜいニーチェの件で、
結局、最後まで確たる証拠といえるようなものは出てこなかったと考えている)。
しかし、この記事は一気に広まり、その後のムードを作っていったように思う。
純丘氏には、「佐野エンブレムを下ろしたい」というご自身の希望を
初見でロゴだけを見たときはあまりいい印象をもっていなかった。
が、明滅するアニメーションを見て選ばれた理由がわかった気がした。
その後は、騒動の最中ではあったものの見慣れていき、黒がよい主張と映ってきた。
CM でスポンサーロゴの両脇を固めたオリンピックとパラリンピックのエンブレムにはリッチで崇高な印象をもった。
黒のことがよく言われるが、プラス方向に見ればゴージャス、フォーマルな色である。
もちろん、この強い色の使用はチャレンジだった。
桜のリースのようなデザインもすばらしいが、今回の選考委員の半数はチャレンジを選んだ。
オリンピックでこれまでに使われたことのない「黒」も、
選ばれた主な理由だと考えられる「組み替えアイデア」も、チャレンジであったと思う。
選ばれることがすなわちよい結末になるとも限らない、そんな不安がある。
何か思い当たるふしなどなくてもだ。
コンペではよく「勝った」「負けた」という言葉が使われる。
新国立競技場のコンペについて伊東豊雄氏もはっきり「負けました」という言葉を使っていた。
「芸術も、学問も、勝った、負けた、の話じゃない。なにが本当か、
どうすればより美しくなるか。みんなで知恵を絞るにこしたことはない」
安倍政権が「人口1億人維持」を掲げたりしてるけど、そもそも日本に1億人もの人口がいるのは多すぎるのではないだろうか。
経済力で考えると、ドイツは人口8,108万人で1億人を下回っているが経済は好調だ。GDPは日本より2割程低いが、人口が日本の半分強くらいであることを考えると盤石であろう。
1億人いることで日本国内の内需は強いとされているが、逆にその環境がぬるま湯になり世界的なベンチャー企業・スタートアップが生まれないという意見もある。
年金や高齢者福祉の問題があるから人口を減らせないという話もあると思うが、既に2030年には1.8人でひとりの高齢者を支えるという話もあり、年金制度・高齢者福祉制度は破綻してる。これは人口を維持して解決するのではなく、制度自体の見直しをする必要があるのではないだろうか。
人口が多いことで優秀な人材が生まれる割合が上がると言う人もいるかもしれないが、それだったらインドネシアやパキスタンのあたりから世界的に著名な人物が現れていると思うがあまり思い当たる人はいない。単純に割合で考えたら中国には日本より優秀な人が10倍いるという計算になるがとても10倍もいるようには思えない。
労働力不足の話は、今後の技術革新でむしろ人余りが加速していくように思える。自動運転車が実用化すれば、トラック・バス・タクシーの運転手は廃業に追い込まれるだろうし、汎用ロボットの普及で工場労働者の多くが失業することになるだろう。彼ら全員がホワイトカラーに転職できるとは思えないし、そのホワイトカラーですら人工知能の進化という危機が待ち受けている。
他にも論点はあるかもしれないが、人口1億人を維持しなければならない理由は正直ないように思う。むしろ、人口減を前提にした社会のあり方をいまから模索することの方が重要なのではないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20150816173001
繰り返し(以下、同じ)
自分で時間を制御したいと考えている。時間は延ばしたり縮めたりできる。それは、今それをやるか、後回しにするかだ
興味のあることには爆発的な発想が出る。自分が天才かと思うくらい。誰もが予想する以上の成果が出る
詳しく知らんが脳内麻薬なんかのドーパミンが出てるんじゃないか
しかし興味がない、または発想が浮かんでこない場合は後回しにする
納期、締め切りが迫る、そこでようやく取りかかるわけだが時間がない
で、つじつまを合わせるために、オーバーワーク、体に無理をさせる
そこでまた、爆発的な発想が出る。どん底が着火剤、起爆剤になるのだ
精神的、体力的に追い詰められて、発想、アイディアが爆発する。自分が天才かと思うくらい。誰もが予想する以上の成果が出る
芸術家タイプとでも言えばいいのだろうか。独自の視点、力強い知性、発明力、創造力
熱意を持って問題を独自のユニークな発想で解決する、自分が持つ非凡な潜在能力が発揮できる環境さえあればいい、日常の作業には興味がない、どうでもいい
ここまで書けば何か思い当たるところは無いだろうか?
第一に、その爆発的な発想は本当に必要なの?普通の答えでいいんじゃないの、あなたのアイディアは凄いけど誰もそこまで求めていない
第二に、精神的、体力的に追い詰められることが続くと、メンタルも体も疲弊して取り返しがつかないことになる
第三に、その独創性が発揮できない環境だったら相当のストレスになる。この発想を理解できない人を私は理解できない。しかし社会、学校、会社など規則が無い環境は無い
多分、その性格は、性分は一生直らない
小学生から夏休みの宿題は8月31日ならまだしも、9月1日の夜にやっていたのではないかな
性格は直らないけど、その方法を知識として学習できるし、その知能は十分にある
その方法とはコツコツやることに達成感を感じる訓練をすること
ごめん、ここで力尽きた。このネタで本が書けそう
お前はオレか
自分で時間を制御したいと考えている。時間は延ばしたり縮めたりできる。それは、今それをやるか、後回しにするかだ
興味のあることには爆発的な発想が出る。自分が天才かと思うくらい。誰もが予想する以上の成果が出る
詳しく知らんが脳内麻薬なんかのドーパミンが出てるんじゃないか
しかし興味がない、または発想が浮かんでこない場合は後回しにする
納期、締め切りが迫る、そこでようやく取りかかるわけだが時間がない
で、つじつまを合わせるために、オーバーワーク、体に無理をさせる
そこでまた、爆発的な発想が出る。どん底が着火剤、起爆剤になるのだ
精神的、体力的に追い詰められて、発想、アイディアが爆発する。自分が天才かと思うくらい。誰もが予想する以上の成果が出る
芸術家タイプとでも言えばいいのだろうか。独自の視点、力強い知性、発明力、創造力
熱意を持って問題を独自のユニークな発想で解決する、自分が持つ非凡な潜在能力が発揮できる環境さえあればいい、日常の作業には興味がない、どうでもいい
ここまで書けば何か思い当たるところは無いだろうか?
第一に、その爆発的な発想は本当に必要なの?普通の答えでいいんじゃないの、あなたのアイディアは凄いけど誰もそこまで求めていない
第二に、精神的、体力的に追い詰められることが続くと、メンタルも体も疲弊して取り返しがつかないことになる
第三に、その独創性が発揮できない環境だったら相当のストレスになる。この発想を理解できない人を私は理解できない。しかし社会、学校、会社など規則が無い環境は無い
多分、その性格は、性分は一生直らない
小学生から夏休みの宿題は8月31日ならまだしも、9月1日の夜にやっていたのではないかな
性格は直らないけど、その方法を知識として学習できるし、その知能は十分にある
その方法とはコツコツやることに達成感を感じる訓練をすること
ごめん、ここで力尽きた。このネタで本が書けそう
( ゜Д゜)!?
内診の結果、PCOSの診断基準を満たしていないのでPCOSであるとは言えないとのこと。
えー・・・不妊専門の病院で、複数の先生が代わる代わるPCOSだから云々言ってたのにそんなオチ?
注3)多嚢胞性卵巣は,超音波断層検査で両側卵巣に多数の小卵胞がみられ,少なくとも一方の卵巣で2~9mmの小卵胞が10個以上存在するものとする.
(中略)
「少なくとも一方の卵巣で2~ 9mmの小卵胞が10個以上存在」してませんでした。むしろ少ないほうとのこと。
不妊専門の病院では「たくさんある」とは言われたけどいくつあるかは教えてもらったこと無かった、そういえば。数を数えてもらうのは大事なようです。
クロミッドやフェマーラが効いてないことから、視床下部-下垂体性月経不順の可能性があると。正常だと脳からの指令が排卵を起こすのに、脳が働いてないらしい。
原因について思い当たること…今はほぼ標準体重の私も昔BMI17程度の頃がありました。
高校や大学だと普通にいるけど(脳が働くのをやめて)無月経になってもおかしくないレベルの痩せです。
私の場合、無排卵ではないけど正常までにはならなかった、と理解しました。
クロミッドやフェマーラ(レトロゾール)は脳をだまして働かせますが
だましたところで脳が働かないから効果ない(=卵胞育たない)。
納得。
FSHとLHが両方多くなって始めて卵胞が「脳から指令キタ」と認識するそうで
つまりFSHだけの注射だと卵胞成長指令と認識されなくてスルー。
卵巣に穴空けたら脳が働き始める・・・わけない。
もっとも、PCOSならラパロは効果あるもののなぜ効果があるのかはわかってないそうです。参考:PCOに対する治療の基本的な流れ (5)LOD
脳の代わりに注射で増やそうという治療法だそうです。
脳が出すパルスは高頻度ですが注射は1日1回でも効果あるそうです。
元の不妊病院行っても怒りでストレス溜めそうだから、転院してみようかな…
子どものとき裸の大将の映画を親が見てたのを横で見てて、なぜかすごく怖かった。
いい大人がすごく無邪気ににこにこしてるのが怖かったのか?
うーんたとえは悪いけど、氏賀Y太のマンガで似たようなのを後々読んで、やっぱりやばいよなあと改めて思ったんだよな。
氏賀Y太のマンガで裸の大将みたいなのが出てくるやつがあってさ。
あと思い当たる点といえば、親が知的障害児施設で働いてたんだけど、たまに子どものときに職場に行ったんだよ。
あいつらみんないいおとななのにニコニコしてて子どもみたいで不気味だったんだよな。
もちろん親にはそんなこと言えなかったけど。
だからいつも距離置いてたわ。何されるかわからん怖さがあったから。
あー似たような話といえば、小学校低学年のときに同じクラスにダウン症のやつがいたんだけど、そいつが遊びのときにルール守らないんだよ。
そんでそれを親に愚痴ったら、○○くんは病気だからねえみたいに困った顔で笑いながら言うんだよ。
だから俺はそれを聞いて、あ、これは言っちゃいけないやつだったんだって思って、慌ててあからさまに「そういう遊びのルールは守れないけど、すっごくピアノとかうまいんだよ!」みたいにフォローしてさ。
子どものときからすげー気を遣ってたから今ひねくれてんのかなあ。
最近っていうには結構前だけど、乙武さんのレストラン事件もあったし、やっぱりどこかしら怖いって感じはある。
言い方は悪いが、得体の知れない不気味さみたいな。
お金が無いのと、興味本位なのとでなんとなくな気持ちで出会い系に書き込んだ。
今まで友達と釣りで出会い系掲示板に通話アプリのIDを投げては食いついてくる脳内ちんこ男たちの必死さに笑っていたのに、今度はこっちが必死だ。
「○○駅で△時から話のわかる人で会える人」と呼びかけると釣りの時よりメッセージを送ってくる人は減った。
そりゃタダマンできないもんね。
送られてきたメッセージは色々だった。
○○駅でと言ってるのに遠い駅で会う前提で話を進めてくる人、
5時間生外出し目隠しレイププレイを条件にする人(7万円とか言われたけど流石に怖かった)とか印象に残っている。
結局あまりにも年上は嫌だと思い写真を見た感じほんとに普通っぽい29歳の会社員の人に通話アプリのIDを送った。
すぐに詳しい待ち合わせ場所、条件が決まる。
私はこの知らない人に2万円で処女を売ることになった。
駅で待ち合わせをするときが一番後悔していたし一番迷った。
本当にこういうことするのが悪いことなんて分かり切っている。
今なら連絡もせずすっぽかして何もなかったように家に帰っても遅くない、そうだ今すぐ派遣の仕事を探して面接に行こう。
それぐらい全身に汗かきながら迷った結果待ち合わせの時間までその場で動けなかった私は服装を教えてたのもあってすぐに声をかけられた。
軽く自己紹介して話しながらホテルへ、高校生の時ぶりに男の人と手を繋いだ。
道中名前とか大学とか色々聞かれたけど適当にフェイクを入れた。
口からでまかせみたいにぼろぼろ嘘をついてたら自分が自分じゃないみたいな気がしてきて、ここではもう嘘で作り上げた「女子大に通ってるけどサークルにもほぼ行かず、バイトしてるけどお金が足りない、エッチなことにちょっと興味があるみゆちゃん」になりきろうと思った。
実際きっかけは間違ってないし全部嘘ってわけではないけど。
ホテルでどの部屋が良いか聞かれたけどどれがどうとか分からなかったから普通のところでって言ったら、赤いベッドの部屋を選ばれた。
狭いエレベーターに乗り込んだら緊張してる?とかエロ同人で見たようなセリフを耳元で囁かれてものすごく逃げたくなった。
ドアの前のランプが光ってる部屋に入ると想像よりも狭い部屋だった。
小さい机とソファー、その隣にダブルサイズ?のベッド。あとシャワールーム。
そりゃセックスするための部屋だからそれ以外の機能が必要ないのはわかるけどちょっと怯む。
ドリンク1杯無料だったみたいで棚っぽいところを開いたら冷蔵庫がすっぽり入ってて感動したけどその上にオモチャの自動販売機まであって台無しだった(それまでラブホの自販機って概念がよくわからなかったからスッキリした)。
服は私と相手と同時に脱いだけどもう勃起してたし「好きにしていいよ」ってまたエロ同人で読んだようなこと言われたけどそんなこと言われてもどう触ったら良いかわからなかったし恐る恐る握ったけどどう触ったら正解なんだろう。
シャワーで風俗ごっこみたいに洗いっこして一緒のお風呂に入る。
こっちから今までの援交歴について聞いてみたところ、本当かどうかは知らないけどサクラとかとばっかり当たってて素人と当たったのは初めてらしい(これ2chまとめでみたやつだ)。
ベッドに入ってからは執拗に前戯された。乳首舐めるだけじゃなくて足舐め、アナル舐めまでされて内心キスしたくないと思ったけど諦めた。膣に指突っ込んでGスポット刺激しながらクンニとか執拗に私をイかせようとしてたのが分かったけど全然イけそうな感じがしなくて相手も疲れてきてるっぽかったから人生初演技をした。その人の名誉のために言っておくとちゃんと気持ちよかったけど、自分でするオナニーのほうが楽だなって感じがあった。挿入はほんとに痛くて演技する余裕もなくしばらく腰を振られてたけど、結局相手がイかないうちに「今日はもういいや」みたいなこと言って穴から抜いてくれた。なんかよくわからない申し訳なさをなぜか感じた。そのあとは初めてのフェラをして結局相手も発射しないまま終わった。
いわゆるピロートークをしてたらまた会いたいとか言われて、会うつもりはないけどいいよと返事をした。
流石に彼女になってほしいって話はそれはちょっとwと流したけど全く会うつもりもなくそのまま2万円もらってホテルから一緒に出て、駅の近くでお別れした。
ただ、人間は一度そういうことをしたらタガを外して繰り返してしまうんだと思う。
一回目で絶対もう援交しないという気持ちはあっという間にどっかにいき、それなりに気持ちよくマグロしてるだけで1万5千円はやっぱり楽だと思い2回目の約束をしてしまった。
今度は相手の家ですることになった。
特に面白いことは無かったけど今度は私がアナルを舐めさせられてその状態のまましごかされられた。
無心でやってるとイきそうになったみたいでストップ!って言われた。それと初めて電マを使われたけど刺激が強すぎて逆に気持ちよくなかった。挿入はまだ痛かったけど色々な体位を試された。唯一バックだけ気持ちよかったけどいくわけでもなくそのまま相手だけ射精して終了だった。一回目よりもむちゃくちゃされたから穴周辺がすごく痛かった。
そのあとは晩御飯をご馳走になってお金をもらって駅まで着いてきてもらって帰った。
多分また繰り返すんだろうなあと漠然と思った。
多分援交を繰り返してしまうのが最低時給に近い飲食バイトで悪い客層相手に走り回って得た、だいたいフルタイム2〜3日分の給料が3時間寝てるだけでもらえるお金と変わらなかったこと、
それと結局どんなお世辞でも褒めてもらえるのは嬉しいし気分が良いことだから可愛いねとか身体のあちこちを褒められた私は調子に載ってたんだと思う。
ただ2回目の行為のあともう死ぬかと思うぐらいに陰部の痒みに襲われた。
こんなに痒いことがあるのかと思うぐらい日中も夜中も掻き毟りたい欲を抑えながら耐え忍んだけどあまりの痒さにデリ○アなどの陰部の痒みに効く薬を塗ろうとした。
鏡で陰部を見て初めて異変に気付いたけど半端ないおりものが出ている。痒いしグロい、検索してやっと膣カンジダにかかったと気付いた。
幸い膣カンジダは感染というよりは自身の抵抗力の低下でも発症しやすい病気らしくて産婦人科で薬をもらえば一週間ぐらいで治るとネットで読んだ。
生理が来たら治療を中断しなきゃいけないらしいから生理が終わってから病気に行こうと思った。
そこから2日間は生理が来るまでの辛抱と思いがんばって耐えた恥ずかしい話だが誰にも見せないからとヨレヨレのパンツを履いていたらヨレヨレすぎて陰部と必要以上に擦れて余計に痒くなったからカンジダにかかってるときはピッタリサイズのパンツを履くべきです。
思い当たること全てで妊娠の可能性を検索してゴム有セックスで妊娠した人の体験談を読んで必要以上に怖がった。
そうこう怖がってるうちに下腹部が重く痛くなり体調も良くない気がする、頭も痛いしイライラするし生理前みたいな症状が出た。
これで生理が来たら安心だと思っていたのにその状態でさらに2日ぐらいなにも来なかった。
怖いし吐きそうだし夜も寝られないし、そういう症状が妊娠初期の症状とも当てはまると知って余計に恐ろしくなった。
彼氏相手での妊娠ならまだしも本名も知らないような人相手に援交で妊娠なんてどうしようもないし誰にも相談できないしと苦しんだ。
バイトの高校生が妊娠して辞めたり、生中出ししたけど大丈夫でしょwと話していたのを思い出す。
全然大丈夫じゃねーよ。
そうすると少し勘違いしていたのか28日周期で実際の予定日よりも1日過ぎただけだったと知った。
そしてその前の生理の日を見ると思いっきりズレていて、ここで初めて自分の生理が32日周期だと知った。
いつもだいたいでしか把握してなかったから周期を知ったのは初めてだった。
なので実際は生理予定日3日前で全然遅れてもなんともないことに気付いた瞬間スッと気分が楽になって吐き気も頭痛もお腹の重さも全部収まった。
嘘みたいな話だし自分もびっくりしたけどよくよく考えたら私はお腹が痛い気がすると思い込めばお腹を壊すし、試験当日には必ずお腹を壊すタイプの人間だったことを思い出す。
完全な想像妊娠だった。
実際にはそれでも不安で妊娠検査薬を整理予定日当日に使い陰性、その後結局3日ぐらい遅れたのでまた妊娠検査薬を購入しトイレで検査をしようと思った瞬間に生理になった。
安心と同時に毎月こんなめんどくさくて誰にも相談できない思い込みをしなければいけないなら援交しない方がマシと思って今に至る。
ボロが出る前に辞めれて良かったと思うけど、多分喉元過ぎれば熱さを忘れるからこうやってメモをしておく。
19歳のみゆはこんなしょうもないことで数日間ストレスで苦しんでこんな思いするなら彼氏もいらないと誓っているんだ。
実際彼氏は本当に欲しいとこだけどそれは置いておく。
今は生理が終わり知らないうちに治ったと思い込んでたカンジダが再発したので病院にいき薬を貰い飲んでいる段階だ。
援交をして分かったけど、援交してそのまま少し崩れたメイクのまま帰っても親になにも感づかれないし家族でしょうもない話をしながら晩御飯を食べれるし、友達とも普通に彼氏が欲しいと話ができる。
自分が何も知らない顔で援交してるように隣にいるあの子も裏では援交しててもおかしくないと考えるようになった。私がそうしているように。
今日も友達と昔の友達が出会い系で彼氏を作った話をネタに出会い系使うなんてあり得ないと話すし、親とニュースで出会い系がきっかけで事件が起きたら出会う神経がわからないと言うだろう。そうやって一生家族にも友達にも将来いつかできたら嬉しい彼氏にも言えないことをここで吐き出させて貰った。
でも援交なんてもう絶対にしないと宣言できる自分はいないし、何より貰った計3万5千円がかなり助かってることも事実だ。
小学3年生の時、変質者に遭った。
その日は友達と学校のすぐ側にある神社の公園で、おばあちゃんと孫ごっこと言うよく分からないごっこ遊びをしていた。
友達に借りたテニスのラケットを持ちながら、大き目のブランコに乗ったりもしていた。
すると、長髪で金髪の当時で言えば今風の若い男の人が私達二人に話しかけてきた。
昔過ぎてよく覚えていないが、要約すると、最近体調がおかしい。特に下半身がおかしい。しかし病院に行って看護婦さんに見せるのは場所が場所だけに恥ずかしい。だから君、見てくれないか
と言う事だった。そしてその変質者は私の友達に見てほしいと指名した。
大人しめだった彼女はビクビクしながら、いや、でも、と渋っていた。するとその変質者は「じゃあ友達も一緒でいいから見て」と、私を妥協策として友達に提案した。今思えば完璧なる貰い事故である。そして失礼極まりない。
私が一緒なら、と承諾した友達と、なんだよコイツ、と内心思っている私達を尻目に変質者はズボンを下ろした。そしてお尻を私達に向けながら、お尻を突き出す形で体を折った。私達が見えていたのは変質者のお尻である。
そして「この辺、この辺」と言いながら不調を訴えるのだが私達にそれが分かるはずもなく、ただしばらく変質者のお尻を見せられていた。
するとテンションが上がった変質者が「今、今どんな感じ?どんな風になってる?」と私達に答えを求めてきた。そして私達は見たままを変質者に伝えた
「なんか、白いのが出てます。」
「出てる?出てる?」そう言いながら辺りに白い物を撒き散らした変質者は満足そうにズボンを上げいそいそと帰っていったのだ。私達は一瞬何が起こったのか分からず、ぼうっとした。
そして、変質者だったのだとなんとなく気付いた。
その後友達の家へ戻り先ほど起こった事を彼女の親に話した。父親に話しながら泣いていた彼女を見て、こういう時は泣くのが正しいのか、と驚いた。私自身一ミリも涙が出そうではなかったからだ。
怖かったね、なんて言いつつ内心では何も感じていなかった。ただ心臓だけがバクバクとしていた。私も家へ帰り起こった事を姉に話した。姉はなんだかよく分からないと言う表情をしていた。私はとりあえず友達の真似をして泣こうとした。けれどなんとか一滴だけ絞り出した以外は出なかった。
母が帰宅する。一連を話すが眉を少し下げ笑っただけだった。友達が親に掛けられていた「怖かったね」なんて事も言われず、とりあえず色々な人に話しては困ったように笑っていた。私はこんなものか、と思った。
そしてあれから数十年経った頃私の性癖に異変が出た。それは異様に男性の自慰に興味があると言う事だ。興味があるどころではない。自慰をしている男性を見たいのだ。どうしてだろう?と漠然と考えていたがその頃は一切答えが出なかった。しかし最近気付いたのだ。あの変質者は自慰を私達に見せていたと言う事、出ていた白い物は俗に言う精液だという事が。
俺は交際している女性に、「私を一個の人間として見れていない」だとか、「内面を見てくれない」だとか、とそういったクレームを入れられてしまうことが多い。
思い当たる節はある。俺のコミュニケーションはカードゲーム方式だ。
相手がA属性の発言すれば、それに相応しいとされるB属性のカードを切る。相手がC属性の振る舞いをすれば、それに相応しいD属性のカードを切る。適切なコミュニケーションをとるために、相手の発言や振る舞いを相手のステータスと関連づけしながら、経験から得た知識を参照して適切なカードを選択する。そういうコミュニケーションの在り方は、悪く言って仕舞えば相手を一個の人間として見れていないということなのかもしれない。内面を見れていないのかもしれない。
とはいえ、そこになんの問題があるのかいまいちわからない。もちろん、相手を何のステータスというより一般化された何かと関連づけることなく一個の人間として見ることが、振る舞いや言葉からデータベースを参照することなく相手の内面を直に見ることができたなら、それはとても素晴らしいことなのかもしれない。すくなくとも、チョロいコミュニケーションではあると思う。だけれど、そんなことができるのは神様だけだ。人間にできる技ではないと思う。正直、『一個の人間』や『内面』なんていう当人の主観の中にしか存在しないフィクションの共有を他人に押し付ける行為が上等とは思えないし、はっきり言ってしまえば愚かだとも思う。
で、ここにきて恋愛工学批判だ。恋愛工学はナンパからセックスに持ち込むまでのプロセスを徹底的にメソッドに落とし込んでいる。セックスを得るために必死になっている人間は他人からするとかなり滑稽なので、俺もゆびをさして笑ってはいるが、彼らを真顔で非難するつもりはない。というか、非難する資格が俺にはないように思える。
俺だって女性との、というか他人とのコミュニケーションはメソッド化しているからだ。というか、そういうことをせずに無意識にコミュニケーションをとれる人間なんているのだろうか。いるとしたら、羨ましいし、彼ら彼女らには俺たちを非難するのではなく自分を誇るということを覚えていただきたい。その恵まれた才能に感謝をしていただきたい。
人間の内面を、一個の人間としての何かを、生身の人間が見て、愛することなんてできはしないと俺は考えている。そういう尊い愛が欲しいなら、有限の存在である人間に頼らず、素直に神にすがればいいと思う。
俺は交際している女性に、「私を一個の人間として見れていない」だとか、「内面を見てくれない」だとか、とそういったクレームを入れられてしまうことが多い。
思い当たる節はある。俺のコミュニケーションはカードゲーム方式だ。
相手がA属性の発言すれば、それに相応しいとされるB属性のカードを切る。相手がC属性の振る舞いをすれば、それに相応しいD属性のカードを切る。適切なコミュニケーションをとるために、相手の発言や振る舞いを相手のステータスと関連づけしながら、経験から得た知識を参照して適切なカードを選択する。そういうコミュニケーションの在り方は、悪く言って仕舞えば相手を一個の人間として見れていないということなのかもしれない。内面を見れていないのかもしれない。
とはいえ、そこになんの問題があるのかいまいちわからない。もちろん、相手を何のステータスというより一般化された何かと関連づけることなく一個の人間として見ることが、振る舞いや言葉からデータベースを参照することなく相手の内面を直に見ることができたなら、それはとても素晴らしいことなのかもしれない。すくなくとも、チョロいコミュニケーションではあると思う。だけれど、そんなことができるのは神様だけだ。人間にできる技ではないと思う。正直、『一個の人間』や『内面』なんていう当人の主観の中にしか存在しないフィクションの共有を他人に押し付ける行為が上等とは思えないし、はっきり言ってしまえば愚かだとも思う。
で、ここにきて恋愛工学批判だ。恋愛工学はナンパからセックスに持ち込むまでのプロセスを徹底的にメソッドに落とし込んでいる。セックスを得るために必死になっている人間は他人からするとかなり滑稽なので、俺もゆびをさして笑ってはいるが、彼らを真顔で非難するつもりはない。というか、非難する資格が俺にはないように思える。
俺だって女性との、というか他人とのコミュニケーションはメソッド化しているからだ。というか、そういうことをせずに無意識にコミュニケーションをとれる人間なんているのだろうか。いるとしたら、羨ましいし、彼ら彼女らには俺たちを非難するのではなく自分を誇るということを覚えていただきたい。その恵まれた才能に感謝をしていただきたい。
人間の内面を、一個の人間としての何かを、生身の人間が見て、愛することなんてできはしないと俺は考えている。そういう尊い愛が欲しいなら、有限の存在である人間に頼らず、素直に神にすがればいいと思う。