はてなキーワード: 広汎性発達障害とは
自閉症スペクトラムの中でも自閉症そのものと、アスペルガー症候群、広汎性発達障害(Developmental Disorder - Not Otherwise Specified)は区別されているとのことです
いや、それはDSM-4までの話だよ
The new diagnosis encompasses previous diagnoses of autistic disorder, Asperger syndrome, childhood disintegrative disorder, and PDD-NOS.
Wikipediaのここの内容はDSM-4における(いわゆる知的障害を伴う古典的)自閉症とアスペルガー症候群、小児崩壊性障害、PDD-NOS(特定不能の広汎性発達障害)は全部
自閉症の連続体概念が提唱されたのはDSM-5の正式公開の前で、
DSM-5ではアスペルガー症候群や広汎性発達障害と診断していたものは全てASDとして診断することになってるんだよ
だからDSM-5のドラフト公開時に既存の自閉症関係の項目がまとめられていることに衝撃が走って既存のアスペルガー症候群診断者がそうでなくなるんじゃないかという憶測が流れたわけだね…
その時期の混乱を書いた記事は日本語の記事にもいくつかあるし、自閉症概念の診断の統合についてはDSM-5の大きな変更点のひとつとして有名なのでググって見て欲しい
https://synodos.jp/society/4414
今でも診断書に「アスペルガー症候群」や「広汎性発達障害」と書かれることがあるのはなぜかというと、役所では国際規格のICD-10が使われているからそれに合わせている形だね
すみません、今調べたけど、自閉症と自閉症スペクトラムはやっぱり違いますね
https://en.wikipedia.org/wiki/Autism_spectrum#Classification
ASDはAutism Spectrum Disorder(自閉症スペクトラム障害)の頭文字で、スペクトラムの意味は「範囲」だとか「連続体」の意味でして
自閉症そのものではなく、自閉症そのものを中心として、その周辺の症状を含めた「範囲」をくくる言葉です
自閉症スペクトラムの中でも自閉症そのものと、アスペルガー症候群、広汎性発達障害(Developmental Disorder - Not Otherwise Specified)は区別されているとのことです
自閉系の発達障害ってのは大抵自閉症ほど極端ではないし程度も軽いですよ
大きなくくりでは自閉症の仲間です
こだわりがつよい、会話が広がらない(相手や他人に関心がないし感情が動かないし考えられない)、対人関係に興味がないとか
そういうのの程度が人よりひどいって感じです
広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)で社交不安のあるひきこもり当事者、支援を受けた当事者としての意見です
どうしたらいいか皆が考えはじめたじゃないですか
皆「行政が支援して就労移行支援施設にでもぶちこめばええやろ」とか思ってると思うんですよ
誤解しないでほしいのは、まったく無駄だというわけじゃないってことです
発達障害もなく健全なコミュ力がある人なら役に立つと思うんですよ
僕みたいに自閉系の発達障害と社交不安があっても、外に出る習慣がつくだけ、ちょっとはマシになるのかもしれない
こういう施設は「人に会えば人に慣れて、会話もできるようになって、普通の会社で普通に働けるようになる」って前提で動いてるんです
何十年も染みついた社会不安や、社会や他者への無関心や、コミュニケーション能力のなさが、そんな簡単に改善するわけないんですよ
個々の問題点に注目したボトムアップではないので、僕ら底辺の発達障害兼社交不安持ちにはほとんど効果がない
セーフティネットの網があっても、その網の目が大きいから、僕らはこぼれちゃうんですね
じゃあ、どうしようもないのかと言えばそうではないと思うんです
例えば、会話の実例や普通の人間の考え方、展開のさせ方を暗記すれば、ある程度のリアクションはとれます
その後に自分の考えを育てる方法(マインドマップ、アウトライン、ゼロ秒思考など)を学んで
実践の中で鍛えていくとかすれば、コミュニケーション能力をつけることはできます
もうちょっと考えてくれればいいだけなんです
それから、既存の成功モデルがおかしいので、いろんな「労働モデル」「社会とのかかわり方のモデル」を考えるべきだと思うんです
僕なんかはe-learningをしてプログラミングを学んだおかげで、テレワーク/リモート環境で作業できる仕事が見つかりました
社交不安やコミュ力がない場合、無理にコミュ力をつけなくても、こういう形で働くこともできるはずなんです
僕がその方法を知れたのは、施設のおかげではなくて、たまたまネットで見つけたからなんですが
もし施設の側がそういう仕組みを把握していれば、もっとはやい段階で社会復帰ができていたと思います
また、この手のe-learningとテレワークが普及すれば、いろんな障碍者にいろんな恩恵があると思います
ひきこもりはけっこう真面目な人が多いと思うので、個人的にはe-learningに力入れてほしいですね
1(中)知能に凹凸が見られ一般に知能を代表する知覚統合や計算が苦手である
3(遊)自閉症全体では平均知能が低く知的障害との併発も非常に多い
5(三)学校や社会での適応に躓いてドロップアウトする確率が高い
6(右)高機能や正常値でわざわざグループ分けするのはそうでないやつが多いから
7(左)研究対象や重度自閉症では低知能が多いのは本質と関連しているから
(継)発達障害者が成功者に発達障害のレッテルを貼っているだけ
(抑)天才や高知能者に発達が多いと言うのは一切のデータがない
「標準化された知能検査では、広汎性発達障害全体の半数弱において遅滞が認められる。」
https://www.msdmanuals.com/ja-jp
「自閉スペクトラム症は知的障害と異なりますが、自閉スペクトラム症患者の多くに知的障害が伴っています。」
https://www.pearsonclinical.com.au/files/TechReport3WISCIVClinical%20Validity.pdf
ギフテッド平均120
アスペ平均100
ADHD平均95
学習障害90
高機能自閉症平均90
ASD平均85
自閉症平均75
1(中)知能に凹凸が見られ一般に知能を代表するとされる知覚統合や計算が苦手である
3(遊)自閉症全体では平均知能が低く知的障害との併発も非常に多い
5(三)学校や社会での適応に躓いてドロップアウトする確率が高い
6(右)高機能や正常値でわざわざグループ分けするのはそうでないやつが多いから
7(左)研究対象や重度自閉症では低知能がずっと多いのは本質と関連しているから
8(捕)精神は段階的に発達していくがその高次の脳機能障害である
(監督)天才や高知能者に発達が多いと言うのは一切のデータがない
(中継)創造的で優れた洞察力・推理力を持っているような人が他人に想像力がないわけがなくイノベーションに向いているとかも嘘
(控)要は地頭である「問題解決力必要な問題・遊びの知能テスト・パズル・戦略ゲーム・数学・空間認識・とんちetc」が苦手
(GM)君たち発達障害者が成功者に発達障害のレッテルを貼っているだけ
(ファン)犬や猫ですら言葉を使わずに協調できるし主人の顔色を伺える
「標準化された知能検査では、広汎性発達障害全体の半数弱において遅滞が認められる。」
https://www.msdmanuals.com/ja-jp
「自閉スペクトラム症は知的障害と異なりますが、自閉スペクトラム症患者の多くに知的障害が伴っています。」
はてなの自称インテリの社会不適合者はなんで自分のこと馬鹿だと理解出来ないの??
仕事に慣れてからというものの、自分が広汎性発達障害のたぐいなのではないかという考えが消えない。
発達障害関連のまとめサイトによく行くようになって、MBTIをやって、INTJなのがわかり、まぁ広汎性発達障害であってもそうでなくても、生きにくそうな性分であるのかなとは思う。
発達障害の診断がおりたところで、業務が変わるような仕事ではないし、むしろコミュニケーションベースの仕事であるから、負の影響しかない。
障害を免罪符にするなと職場の人から言われることにもなりかねないだろう。
めんどくさいことがいっぱいありそうだ。
結局、社会になんか合わないなぁ…と思ったら、社会から逃れて生きるのか、社会に合うように試行錯誤しないといけないんだなぁ…。
「広汎性発達障害」というのは、アメリカ精神医学会(APA)の作成した診断基準 DSM 第4版 改定版(DSM-IV-TR)まで使われてた診断名。
アスペルガー障害というのは、広汎性発達障害の下位分類のひとつ。
広汎性発達障害の下位分類には、アスペルガー障害のほかに自閉性障害、レット障害、小児期崩壊性障害、特定不能の広汎性発達障害(過剰診断が問題になった、いわゆるPDD-NOS)がある。
高機能自閉症という用語はDSMにはない。後述するICDにもない。
高機能自閉症は、DSM-5の特定用語を用いて記述すると「自閉スペクトラム症 - 知的障害を伴わない」といったところ。
知的障害を伴うことが多い自閉性障害に、知的障害が伴っていなかった場合、高機能自閉症と呼んでいた(ただしこれは世界的な診断基準にはない用語)。
そしてWHO(世界保健機関)が作成した診断基準 ICD 第10版(ICD-10)。これは非常に古い診断基準だが、メジャーアップデートが遅れているため、「広汎性発達障害」という診断名や、その下位分類である小児自閉症やアスペルガー症候群などがまだ残っている(残っていると表現するのもおかしいけど)。
行政文書はすべてICD-10によって書かれるので、いまだにICD-10の診断名である広汎性発達障害(と下位分類のひとつアスペルガー症候群)という病名を使う医師がいるのはやむを得ないかなと思う。
医師によって診断名がバラバラ…の件だけど、DSM-5にメジャーアップデートされてから多少はマシになった。知的障害を伴わない自閉症(いわゆる高機能自閉症)とアスペルガー障害の区別は、臨床的にはほとんど意味のないものだったので、ぜんぶ自閉スペクトラム症としてまとめたのはグッジョブなの。
2017年1月、年が明けて3連休も過ぎた週末、私は宝塚大劇場へ月組公演を観に来ていた。11時からと15時からの公演を両方観る、いわゆる「マチソワ」である。本当は15時公演だけ観るつもりだったが、たまたまB席が空いていたので飛びついたのだった。
演目は、待望の再演と言われていたミュージカル『グランドホテル』と、日本初のレビュー『モン・パリ』誕生90周年を記念したショー『カルーセル輪舞曲』だった。
大変いい舞台を観たはずなのに、私は不快な思いをしていた。原因は11時からの公演で隣に座っていた女性の行動である。
その女性は「ただ今より開演いたします」というトップスター・珠城りょうさんによる開演アナウンスが流れたタイミングで着席した。
その後、彼女は上演中も一緒に観劇していた人と話をしていたのだ。開演前にも注意のアナウンスがあるように、上演中の話し声は非常に迷惑なものである。出演者の演技をちゃんと観ていたいのに集中力を削がれるのである。彼女の話し声のせいで私は観劇に集中できずイライラが募ってしまった。
終演後に劇場から出たところ忘れ物をしたので取りに行くと、その女性に声をかけられた。私は彼女に対して少し声を荒げてしまった。でも、「あなたはもう観劇に来ないでください!」と言わなかっただけ良かったと思った。彼女も観劇慣れしていなかったというか、初めての観劇だったかもしれない。そんな人に辛く当たったら「来なければよかった」と思われたらどうしようもないし、私も「そういうお前が観劇に来るな」と言われる。やりようがない思いを抱えたまま15時公演を観ていた。
その後私は地元に帰ってきたわけだが、以前から職場での就労環境や人間関係が原因でストレスを抱え込み仕事に出られない状態が続いてしまい、ついに2年間働いてきた会社を辞めてしまった。
私は、専門学校に入って就職活動をしていたが、卒業後も就職先が見つからず、その間アルバイトをしても失敗ばかりだった。このタイミングで「広汎性発達障害」の診断を受けた。
それからは、就労継続支援の事業所で2~3年ほど一般就労に向けて作業などに取り組んだ。そこから、職場実習をさせてもらったのがきっかけで会社に入ることができた。一応、株式会社と名乗っているが就労継続支援A型の施設である。前の事業所と比べて賃金が保証されている。一生懸命に働いて遠征費を稼ぐことができた。
ところが、去年から事業を拡大し始めたあたりで異変が起きた。少人数で捌ききれない業務量、他のメンバーのミスを訂正する手間、イライラを募らせる上司…。何度か職場に出られないことはあったが、今年に入ってとうとう壊れてしまったのだ。
それからは、もう一回観劇しに宝塚へ行ったりサカナクションのツアーに参加したりもできたけど、障害年金から3分の1ほど実家に入れるお金を差し引いた分しか使えなくなってしまった。
2017年12月、約半年ぶりに宝塚に来た。雪組・望海風斗さんのトップお披露目公演、ミュージカル『ひかりふる路』とショー『SUPER VOYAGER!』である。宝塚に来るまで、私はすっかり待ちくたびれてしまったし、心が何度か折れていた。
そこで私は隣りに座っていた女性に声をかけられた。彼女は大昔に観劇したことはあるが、宝塚歌劇ファンの方のお誘いで来たという。
私はショーの客席参加演出で使うポンポンを持っていたのだが、それを見て「こういうグッズがあるんですね」と声をかけていただいたのだ。「そうなんです!この公演限定ですけど」と答え、終演後も少し話すことができた。今まで一緒に観劇していた人と話をすることはなかったのだが、この時は「雪組さんありがとう!」と心から思えた。
私はまた来年春に月組を観に行く。それまではまた心が折れてしまうかもしれないし、どんな顔をしたら良いか分からないと思うこともあるかもしれないけど、またいろんな舞台を楽しみに生きていきたいと思う。
2017/12/5追記
反応があったので補足。
この記事を書いた理由は元記事のバッシングがあまりにひどく、「こんなの発達障害じゃない」という意見を多く目にしたためです。なのでできるだけ平易に書くことを目的としていて専門用語はほぼ出していません。そこが論点ではないからです。
・「広汎性発達障害って自閉症スペクトラムでしょ。情報が古い」
おっしゃる通りDSM-5ではPDDではなくASDという枠になりましたね。存じております。しかしこの記事の論点はそこではありませんし、この記事の対象は古い情報を持っている人向けですので旧名称を使っています。知識が正確で元記事の揚げ足取りをするおそれのない人に向けては書かれていません。
その通りです。発言は元記事においてただの例です。その発言のみを取り上げて「こんなの発達障害じゃないでしょ」というのは障害に対するレッテル貼りだと思うのですよ……
特性の一つをとりあげているだけですが、私はその女子中学生を知りませんし他にどのような例があったかなど推測で書く方がダメだと思うんですよ……
・「医師だけが発達障害を診断するんだ! 定型発達はただ寛容であれ! 発達障害についてググれ! 無理でしょ」
診断はともかく後者二つは現状無理でしょうね。でもこういう意見があった方がいいでしょ。「発達障害者は誤解されるんだから我慢しろ!」とでも言えと……? 机上の空論かもしれませんが誰か読んで刺さったらそれでいいです。いるかもしれないじゃない。私が十代のころなんて発達障害のハの字も知りませんでしたよ。でも知ってたら何かちょっと変わるかもでしょ。それから定型発達のひとにただ寛容になれなんて一言もいってないじゃないの……定型発達のひとだって何も知らずに発達障害者と関わったら「!?!?」ってなるけどある程度知識があれば「ああなるほどこれがあれか」ってなってストレス減りますよ、多少。
他
2017年12月5日時点で「広汎性発達障害」について調べることを勧めるのは愚策である。「自閉スペクトラム症」について調べることをお勧めしたい。
そして、この元増田はおそらく当事者か当事者に近い一般の人だからなのであろうが、正しい理解をと言いつつ、書いてる当人も発達障害とは何かや精神科における診断について根本的に理解できていない。
なので、この人の主観的かつ感情的な意見を鵜呑みにする必要はないです。
正しい知識を得るために必要なのは、ポジショントークではありません。
広汎性発達障害の「障害」とはdisorderの訳語で、障害者や障害年金というときの「障害(disability)」とはまったく別の意味です。双極性障害、大うつ病性障害、不安障害、強迫性障害などと同じくdisorderとしての「障害」です。
この増田のように「障害」の意味を誤解する人が後を絶たないため、今はdisorderの訳語は「障害」ではなく「症」とされる流れになってきています(たとえば発達症、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症というように)。
この記事について
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171203-00010000-yomidr-sctch&p=1
きちんと理解していない人が的外れな意見で炎上させているの、見ていられなかったので書きました。
できる限りわかりやすく平易に書こうとしていますが、そのために誤解を招く表現が生じた場合は適宜修正を加えます。
三点あります
③やめてほしいこと
まずそもそも発達障害かどうかというのは医師にしか「診断」できません。臨床心理士がそうでない人間がそうかもしれないと思うのはあくまで「推測」です。そして発達障害に理解のない人間が「あの人発達障害なんじゃない?」と言うのは悪口になります。
発達障害であると「診断」されている場合、その人あるいはその人の保護者は困っている可能性が高いです。どちらかでも困っていなかったらわざわざ医者にいって診断などしません。困っている原因が発達障害であるとわかれば対処法がわかってうまく付き合っていくことができるかもしれません。この診断はレッテル貼りのためのものではなく、今後「発達障害によって困っていること」をうまく対処していくためのものです。
くだんの記事は決してレッテル貼りをしたいわけではなく、単にケースの話をしています。
「発達障害でない人間」は通常、他者への発話の際に波風をたてない言い方を把握しています。また、相手によってもそれを変化させることができます。「めんどくさいから一人で行くわ」という発言に嫌な気持ちにならないグループもあるでしょうし、仮に思うことがあっても相手を攻撃しないグループであれば、同じ内容の発話であっても話は全く違うでしょう。しかしこの記事にこの事象がケースとして乗っているということは、この女子中学生はこの発言の後「仲間はずれにされて部活にいづらくなって」います。
・その後女子中学生は仲間はずれを受けて困った
この場合、怒るべきはこの記事を書いた人ではなく、「めんどくさいから一人で行くわ」という発言に対して許容せず排除するような環境がつくられていることではありませんか? また、この女子中学生でない他者が似たような発言をしてそれが許容されるかどうかは、この女子中学生には全く関係のないことです。
その発言をしても許されるかどうか判定のできる人間とは違い、このこの女子中学生は仲間外れになりました。「なじみたい」のに「なじめない」という時点でこの女子中学生は困っています。これがエスカレートするといじめに発展する場合もあります。女子中学生って、異端に対して厳しいですよ。「自分は別に平気だった」という人もいれば、平気じゃない人もいます。平気だと主張する人は平気なのでしょうが、それを当事者に押し付けるのはおかしいんじゃないかと思います。
誤解しないでほしいのは、私はいじめの原因が発達障害者にあると言いたいわけではありません。いじめをするのはいじめる側が悪いです。そしていじめを許容する社会の歪さを表しています。しかし、女子中学生が「発達障害」であることによって「一般的な社会性に欠けた言動をすることがある」「その相手がどう思うか気持ちを考えられないことがある」ことで女子中学生が不利益を被っている場合、純粋に支援するべきです。
また、発達障害に対して理解が進んでいないことについては、ケースの女子中学生の発言に対して仲間外れを決行することからもわかります。記事に対するネガティブな反応が仲間外れをする側でなく発達障害のケース自体に向いていることも「ああ理解がすすんでいないんだな」という印象を深めました。発達障害者でないならこの記事のケースに自己投影するのはおかしなことです。
基本的に前提として発達障害者、またはその保護者が困っている以上、支援する必要があります。
この症例においてはすでに女子中学生はおそらく発達障害と「診断」されていています。あなたが医師でもなんでもなく、女子中学生の他の言動をみたこともないのであれば、あなたが彼女を発達障害であるかどうか決めることではありません。そして女子中学生の発言の一つのみを見て「自分もこれぐらい言うしこんなの発達障害じゃないじゃん」と思い込むのは、発達障害に対する偏見を表しています。
もしもあなたに発達障害者は奇声を発したりブツブツ言ったりするものだという思い込みがあるのだとしたら、それは数多くある例のうちの一つでしかないと言わせてください。
→あなたが発達障害でないなら発達障害と言うのは絶対にやめてください。冗談だとしても迷惑になります。この記事はあなたが発達障害であるかどうか診断するものではありません。あなたが普段このように言うことがあることと、記事の女子中学生がこのように言うことは別の事象です。あなたが本来憤りを感じるべきはこの発言をしたことでその女子中学生がその後いじめられたであろう環境にあるべきだと私は思います。
・職場でいじめを受け、発達障害だとレッテルを貼られ退職に追い込まれた。しかし診断結果は発達障害ではなかった。
→大変な思いをされましたね。しかしそれはその職場の人間があなたに対し行ったことであり、この記事はあなたがに対してレッテルを貼るものではありません。同一視してまるで自分がこの記事によって攻撃を受けたように言うのはやめてほしいです。
この世界でのコミュニケーションはだいぶ部分が「発達障害でない人間」で構成されています。そのため広汎性発達障害の人たちがコミュニケーションの場にいるとき、発達障害出ない人間らしく発話や行動することによって「発達障害でない人間」から異質なものに受け取られることが多々あります。「発達障害でない人間」がコミュニケーションをとるときにはある程度相手がどこまで許容するのか何がアウトなのか把握し、会話のなかで「相手を傷つけないであろうと思われる語彙」を無意識に選んだりすることが「できる」ことがほとんどです。場面などによって「できるがしない」場合もあるでしょうがそれは「できない」ではありません。
ここが一番重要なのですが「本人または周囲が困っていること」「対処法がわからずうまく付き合っていけないこと」がトリガーですので我々が「え~〇〇ちゃん/くんは別に発達障害っぽくなくない?」などというのは本当に的外れです。この手の発言はむしろ迷惑であることを知っていてほしいです。あなたにとってそれは発達障害者に対するいわゆる「誉め言葉」なのかもしれませんが、本人がそのことについて本当に困っている場合、無理解を悟って悲しくなります。「○○ちゃん/くんって発達障害なんじゃない?」というレッテル貼りと同等にやってほしくないことです。本人が困っていることについて、主治医でもなんでもない他者が判断することではありません。
もしもあなたがこの記事に対して疑問に思うことがあったなら、まず広汎性発達障害についてきちんと調べてみてください。なぜそれが「障害」だと言われているのかについて考えてください。当事者が困っていることについて、「障害じゃない」なとどいうのはやめてください。当事者が困っていなければ、それが「障害」と定義されることはありません。
2017年10月11日、NHKEテレで放送したハートネットTVを見終わった。
吃音のある大学生の就職活動だった。番組は「私たちの就活 —吃音とともに生きる—」
>http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/program/index.html?id=201710042000>
今年もスタートした就職戦線。社会に出る期待と不安に揺れる大学4年生。近年、売り手市場が続くなか、取り残されそうな若者たちがいます。吃音症のある就活生たちです。吃音症とは、発声の際、第一音が出ない、繰り返す、引き延ばすなど言葉を円滑に話せなくなる症状。全世界の人口の100人に1人が吃音者であり、日本では120万人以上の吃音者がいると言われています。吃音は、その場の状況によって不規則に変化していき、家族や周りの人も理解しづらい上、本人すらもいつどこで吃るのか、わからないといいます。医学的にも、その原因や本態は分からず、完治も困難というのが通説です。多くの吃音者が、自分の障害と正面から向き合わざるを得ないのが就職活動の時。言葉によるコミュニケーション能力が要求される面接は大きな壁となっています。言葉が円滑に話せないことで、コミュニケーション能力が不足していると判断されることも少なくありません。夢を抱くことよりも、吃音による障害が頭をよぎり、話すことの少ない職業を選ぶ吃音者も多くいます。吃音への理解が乏しい状況で、生きづらさを抱えながら、社会に旅立とうとする姿を追いかけました。<<
なぜ、一般枠の就職活動で吃音があることをカミングアウトしているんだろうか。自殺行為だ。吃音のある人を採用できない理由になってしまう。はっきり言って多くの採用側が不採用決定するだろう。もちろん宝くじに当たるような確率でどんな障害をもっていても障害者手帳は必要ありませんという事業者もいるだろう。だがそのような奇跡に巡り合うのは就職活動期の短期間ではありえない。新卒という大事な時期を逸してしまうだろう。もしも吃音や障害などをカミングアウトしても大丈夫という企業名や団体名が存在するならインターネット上でリスト化されているはず。逆に名称を教えてほしいくらいだ。
病気や障害があることは隠し通せるなら隠してよい。どうして正直に話してしまうのか。職場で配慮してほしい事なんて告白されれば、配慮の必要ない人を採用したいと思ってしまうのが本音だ。採用側としても法定雇用率にすら計算できない状態の人を採用すると吃音のある学生達は本気で思っているのか。
障害者手帳を持っている状態で吃音がありますとカミングアウトするならまだ理解の余地はある。吃音のある就活生は障害受容が足りないと感じる。障害受容をしないで吃音がありますとカミングアウトをするのが逆に怖い。職場内の環境を整え配慮をする採用側はその分、法定雇用率にも計算したい。ウィン・ウィンの関係だ。吃音のある学生は正直にカミングアウトしてくれるわけだから、採用側の考えはカミングアウトをするなら障害者手帳をを持ってきてくださいだ。あとでコピーを提出してくださいだ。今ここで正直に吃音のある学生に告白します。
吃音のある人の発声練習、面接練習をしている場面がハートネットTVの放送内であった。どこかの就労移行支援事業所だろう。
だが。はっきりいってこれは無意味。面接のときだけ運良く何事もなくても、結局社会人として働くことになってからありとあらゆるコミュニケーションがある。仕事や業務のみではなく、お客様や取引先と友好な関係を構築維持する。理不尽な要求に対応することもある。社内でも決まりきったルーチンワークだけではない。イレギュラーもある。面接のときだけ上手く乗り切ってやろうという魂胆もいただけない。面接のときから嘘をついているのは評価できない。そのまま絶対にバレないなら問題ないが吃音は必ずわかってしまう。素直に障害者手帳を持ってきてほしい。そしてどのような場面だと吃音がでるのか。どういう人と話す時に吃音がでるのか。どのくらいの時間吃音になってしまうのか。吃音になった場合どう配慮をしてほしいのか。そういうことを面接で教えてほしい。発達障害学生が提出してくる私の取扱説明書という障害特性や苦手な部分を表現した資料も必要だ。こういったことも吃音のある学生には就労移行支援事業所で学んでほしい。
例えば、発達障害のある就活生なら障害者手帳(発達障害の場合は精神障害者保健福祉手帳が交付される)を取得して新卒障害者枠で応募をしてくる。社内でも発達障害のある新卒学生で入ってきて新人として働いている。とてもいい子たちばかりだ。本当に発達障害があるのだろうか?と思うくらい大人しい真面目な子もいる。最初はちょっと???な部分が多かった子もいる。障害者就労支援職?ジョブコーチや就労移行支援事業所スタッフなど外部の人間が間に入って、お互いの距離感を埋めてくれる。邦人と外国人が文化や考えの違いによって驚くようなこと最初は理解し難いことを通訳してくれる感覚だ。入社してきた新人さんに教えてもらったことだが、新卒就職活動は一般枠と障害者枠を両方やったそうだ。一般枠でもいけるかもしれないと頑張りつつ、障害枠もしっかり考えて人生設計をしたという。
そしてこの放送をみてわかったこと。吃音を持った発達障害の人もいる。あの放送に登場したどこかの就労支援施設で訓練していた訓練生達、男子学生、女子学生、彼彼女らの特徴的な喋り方話し方、微妙につまる間が有る、時間が停止し沈黙をする場面。これらを持った発達障害の子が社内に存在する。会話をする時に視線が合わないところ、首や頭を不自然に動かすところも酷似している。瞬きが多いことや、あのー、そのー、えーっと、うーんと、なんであの、などなどを話す時に使う子もいる。障害者雇用セミナーで吃音が発達障害者支援法に含まれており、軽度でも精神障害者保健福祉手帳を取得できるという説明を受けた。その際、アスペルガー症候群や広汎性発達障害、ADHDやLDなどの発達障害と一緒に吃音を持っている場合もあるとのことだった。
放送の中で吃音のある学生がマスコミとかメディア、システムエンジニアになりたいとか語り一般枠で吃音をカミングアウトしながら就職活動していた。発達障害のある障害者手帳を持った学生は障害者枠でスムーズに希望する業界で内定が出ている現状を知ったらどう感じるのだろうか。もちろん障害者枠のためできる仕事は一般枠と比較すれば限られている。ただ、新卒として社会人になることの重要性と意義は気付いてほしい。障害者枠でもいいから新卒でブランク無しの状態で社会に出てきてそこから成長してほしい。障害者枠でも新卒で入社できれば新人教育プログラムを受けてどこに行っても通用する最低限の知識を得られる。その後、会社や職場で幅広い年代の人と仕事をする。これを経験する方が圧倒的に重要だということを気付いてほしい。就活に失敗して非正規やフリーターになってしまうとこういった貴重な機会すら巡り会えない。
今回の放送を見たところ吃音のある学生は吃音を障害者ではないと思ってこだわっているように私には見えた。吃音のある人達は吃音以外の障害がある人を低く見ているのか?自分たちはそうじゃないよアピールをしているようにも見えた。繰り返しになるが発達障害のある学生は障害者枠で就職活動をし内定もらってマスコミやメディア業界に、システムエンジニアになっている子もいる。学生側有利と言われている2017年現在で内定が無い、新卒で就職失敗して履歴書に空白ができるのは長い人生で見て大きな損失だ。障害者枠でもいいから社会に出てこいとしか言えない。おそらく吃音のある人たちは障害者枠イコール給与が安いとか考えているんだろうけど、弊社は違う。仕事できるならチャレンジできる。さらに元々いた社員にあとから発達障害があることが判明し障害者手帳を取得した立場の後輩もいる。発達障害によって発生するかもしれない部分は対策をして今まで通り働いている。その後輩もパッと見、発達障害があるとは思えない。ただ独特な価値観やセンスがあるのは知っていた。たまたま普通の人が絶対にしないであろう事を失敗したのがキッカケで発達障害がわかっただけだ。
話をもとに戻す。
吃音のある人が障害者に障害者枠に偏見があるならなおさら障害者手帳取って社会に出てきて結果を出して吃音のある自分のためにも後輩のためにも道を切り開いていけばいいじゃないかというのが正直な気持ちだ。そういう道が既に存在していればそもそもハートネットTVで取材対象に選ばれることもないだろう。なぜなら就職活動で困らないからだ。そうなっていないからハートネットTVで放送されるようになってしまっている。今回ハートネットTVで吃音のある人を取材対象にしたのは吃音のある人以外にも吃音を知ってもらう意味もあったのだろう。NHKも障害受容の難しい発達障害もあると伝えたかった意図もあるだろう。私も思い切ってここに書こうという後押しをハートネットTVにしてもらった。吃音のある学生は素直に障害者手帳をもって就活してみなさい。そして社会に吃音のある人も仕事できるじゃん!と思わせてもっと一緒に働きたいと思わせなさい。吃音のある人側が障害者だと思われたら嫌だからという理由で一般枠にこだわって就活を頑張り続けるのは自由だけど発達障害学生がどのような就職活動をして人生計画を考えているかも知ったほうがいい。障害受容のできた発達障害学生と吃音のある学生はどんどん差が開いていると思う。発達障害のある人の雇用事例や合理的配慮事例はたくさん考えられている時期。吃音のある人も雇用事例がどんどん集まってくれば就活が少しやさしくなるかもしれない。発達障害のある人の雇用事例、発達障害のある先輩の声コーナーの中に吃音が全くないから採用側もどうしていいのかわからないということもあるだろうけど今がその時だと思われる。吃音のある人、吃音のある学生はどのような合理的配慮をしてほしいのかどんどん情報を発信してほしい。
2018年から精神障害者保健福祉手帳をもった人(発達障害も含む)の雇用義務化が開始される。
ここで人事業界、採用側は新卒で入社してしまうと流動性が無い身体障害者で法定雇用率を達成するのは難しい。知的障害のある人も流動性が無い。
精神障害者はどうかというと勤怠が安定しない場合がある。そこで発達障害者が出てくることになる。
発達障害がビジネスチャンスと認識して発達障害者を扱う職業訓練所も乱立している状態だ。発達障害向けの就労移行支援事業所はピンキリ。発達障害のある人、発達障害のある学生はK社経由の発達障害の人が多いのではないか。
法定雇用率の引き上げ。ダイバーシティやサステナビリティ、CSRというワードが報道で消費者に触れる機会が多くなっている。
そのため採用側も障害者雇用を積極的に行うところも増えてきている。
そこでちょうど障害受容ができている発達障害者が重要視されている。
障害者雇用関連のイベントやセミナーでもそもそも発達障害とは何か?の説明から発達障害者の特性を学ぶことも多くなっている。
広汎性発達障害、アスペルガー症候群などの自閉症スペクトラム、ADHD、LD、トゥレット症候群、吃音などは厚生労働省や内閣府も発達障害の説明として具体的に明記している。採用側の人事採用担当も障害名、病名や特徴を把握している。
そんな中で私は吃音があります。と一般枠でカミングアウトされてもその後の展開が良い方向に行かないこと、難しいことを吃音のある人にはよく理解してほしい。
前のほうに書いたが、本当に発達障害があるの?ってくらいの人も障害者手帳を持っている。吃音も障害者手帳を取得してから就活戦線に来てほしいと思う。
ハートネットTVの冒頭でどこかの合同就職説明会でどこかの会社の人事採用担当者がコミュニケーション能力の重要性を解説していたように。その要求水準に吃音のある人が応えられないならば
障害者手帳を持っていてほしいというのが本音だ。何度も繰り返し書いているが、これが採用側の本音だ。吃音のある人よ。吃音のある学生よ。採用側は法定雇用率に計算したい。このような背景があるわけだから一般枠で病気や障害があります!とカミングアウトしても不採用通知の来る可能性が高くなるだけなのでそこの部分をよく考えて行動してほしい。
だから知的障害のない自閉症をわざわざ「高機能自閉症」と言ったりする。
アスペルガー症候群は自閉症と並ぶ広汎性発達障害の下位分類のひとつで、知的障害を伴わないものを言う。
高機能自閉症やアスペルガー症候群は知能が高いものを指すのではなく、単に知的障害がないものを指す。
高機能自閉症とアスペルガー症候群の臨床経過はほぼ同じ(高機能自閉症はアスペルガー症候群と違い、幼児期に言語発達に遅れがあるが、成長するにつれてその遅れはなくなる)。
経過が変わらんものを細かく分けるのって臨床的意味に乏しいよねってことで、DSM-5からは広汎性発達障害の病名も自閉症やアスペルガー症候群などの下位分類もなくなり、「自閉スペクトラム症」に統一された。
人生の助走期間と本番
https://anond.hatelabo.jp/20170725215558
少しだけカチンと来たので書かせて。うまく言葉にできんが。
なんともまぁ、典型的な社会的強者のモラトリアム的なナニカですなぁ。なんとも羨ましい、羨ましい。
日々を精一杯この人は送っているんだろうね。
そしてそんな自分を尻目に、日々を必死で生きて、それでも「普通の社会人」にすら届かない人々のことを、あなた達は無数のうごめく虫か何かだと思っているのでしょうねぇ。
常識に日々心身ともに殺されている広汎性発達障害やADHD、学習障害者
社会から明示・非明示に関わらず文化的な生活を阻害される身体障害者
まともな生育環境に育てず、まともな社会に受け入れられなかった反社会的勢力ルートを半強制的に選ばされたアウトロー達
理不尽なパワハラ、追い出し部屋配属により心身を殺された挙句放り出されたホームレス達
国際比較で圧倒的な有形無形の経済的資産を持っている日本の中だけでも、これらの人々はまだまだ挙げられるだろう。
つまり、元増田が「本番を全力疾走しようかどうか」とクヨクヨ悩んでいる間に、社会とその構成員からの扱いに、疲労と憎悪を積み重ねて、それでも必死にそれをごまかしながらなんとか日々息をしている人間達は。
良かったですね。
あなた達強者が自身の中にある、絶対に形になることのないであろう何となくあるもやもやモラトリアムちゃんを持て余している中
あなた達強者のすぐそばで、絶望的な未来を必死で見ないふりをして、なんとか日々を生き抜いて、
「ああ、今日もなんとか生き延びた」
そう言って、足りない睡眠の中、健康的とはいえない睡眠時間の中で、取れない疲労を少しでも削っている人々が、足元で、虫のようにうごめいておりますよ。
「虫だなんて思っていない!」と言うのであれば、そうですね。
「あなた達とは関係ない(と思いこんでいる)人たち」とでも言っておきましょうか。
そうですよね、あなたとその人達は違う人間なのだから、違う人生を歩いていくのは当然ですよね。
古代ギリシャに存在した各都市(ポリス)で言う、あなたは市民で、私達は奴隷で、それぞれ違うのだから、それを社会問題にしたってしょうがないですよね。そうですよね。
これだけは書いておくぞ。
その圧倒的な格差から、絶望と憎悪を増幅せざるを得ない境遇の者たちが、世界には星の数ほどいること。
そして、こちらの世界へ引きずり込もうと、時に手をこまねいて、時にいつでも引きずり込めるように闇夜に潜んで、常に待ち構えていること。
ゆめゆめ忘れることのないように……
知らないふりをして、忘れてもらったほうが、こちらとしては都合がいいですけどね。
あなたの腕や足が欠損したり、脊髄損傷で体が動かなくなったりしないかなぁ……
主人公に感情移入するって感じがイマイチ掴めない。だってそれ自分じゃないし。
入り込んで見ようとすると「こんなんこうすりゃいいじゃん?」(←周囲のキャラや主人公の気持ちを無視した突飛な解決策)とか思ってしまうことが多くなる。
そういうズレが続くと「なんでしないの?甘え?共依存?アレ?もしかして俺また何か失敗してる?どこで間違えた?」とパニクってしまうから楽しみづらい。
あとは、主人公が感情を露にするシーンで、その感覚やそういう行動をとる理由が全くわからなくて、ついていけなかったりする。
混乱を避けて楽しむには、やっぱり感情移入を試みずに人形遊びを第三者視点で観察している気分で見てるのがラク。
ちゃんと、話がまとまったら「よかったねぇ」って思って楽しんでるよ。