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2022-09-08

ボツ原稿供養〜昔話と中華ポータブルオーディオ(前編)〜

僕たちのiPod

中華ポータブルオーディオがすごい。
有識者に言わせれば、それこそ「何を今さら」な話題だと思うが、2000年代日本国内で興きたポータブルオーディオブームから数えて二十数年離れていた筆者からすると今の中華ポータブルオーディオは本当にすごい。

ここでさっそく筆者の年代を挙げれば現在30代であり、青春10代を振り返れば「iPod」が登場し、日本国内で大きなシェアを持っていた「MiniDisk(MD)」が徐々に斜陽化していっていた。
筆者も例に漏れMDプレイヤー、そしていわゆるiPod代表されるMP3などを中心に扱った「シリコンオーディオプレイヤー」という遍歴を辿る。
ただ、筆者と同年代であり同時期に青春時代を過ごした者であるならば、Webメディアで語られるポータブルオーディオ歴史とは些か違った遍歴を歩んだという者も少なくないのではないか?(※HDD搭載iPodは厳密にはシリコンオーディオプレイヤーではない)

世の成人したアーリーアダプターたち(主にAppleコミュニティの人たち)がiPod熱狂するそのとき日本青春時代を過ごした我々が熱狂したのは「Playstation Portable(PSP)」だったのだ。

しかしたら年代10前後離れているだけで当時のPSPの勢いを肌で感じることは難しかたかも知れない。
一部の成人ゲーマーなどは「モンスターハンターポータブル」あたりでPSPを頻繁に持ち出していた可能性はあるが、実はそのとき学生世代の間ではPSPiPodと肩を並べ、用途によってはiPod凌駕するポータブルデジタルメディアプレイヤーとして運用がなされていたと聞くと驚く人も居るかも知れない。

何せ「当時のPSPゲームソフトを持っていないのにPSP本体は所持していたという女子学生存在した」くらいなのだ
これは当時のiPodでは起き得ないことであり、陰鬱としたオタクというイメージ現在オタクイメージへ転換していく過渡期の中でPSPは少なからず影響を与えたハードウェアとして記録していく必要があるように思う。

ニコニコ動画PSP

筆者と同世代オタクであれば「2ちゃんねるニュー速VIPブームを経て、YoutubeからBANや動画違法アップロード祭りなど古今東西どう考えてもアウトな「ニコニコ動画」のローンチなどを経験したと思うが、怒られ叱られ叩かれ裁かれ逮捕者を出しながらも独自と言って良い文化形成できた。
当時の動画違法アップロードで一番の被害者であった角川書店ドワンゴが今では同じ会社になるとは時代の変化とは恐ろしいものだ。

そういった独自文化の中心にあったのは「東方」「アイマス」「ボカロ」のいわゆる「ニコニコ三大ジャンル」ではあるが、それらとほぼ同時期に萌芽するのが「歌ってみた」「踊ってみたである
そして歌ってみた踊ってみた興隆を後押しするのが「涼宮ハルヒの憂鬱」であり「ハレ晴レユカイなのだ

先に挙げたPSPが当時の若い世代に支持された理由MP3のほか、大画面でMP4動画再生できたからで、しかPSP動画プレイヤー機能コマ戻しコマ送りが物理ボタン可能だったこともあり、特に踊ってみたジャンル練習するためのハードウェアとして選択された。
更にPSPには別売のRCA(赤白黄)変換ケーブルによってPSPの画面をTVなどのディスプレイモニターへ出力することも可能で、アニソン電波ソングボカロソングゲームソング同人ソングなどの配信が乏しかったカラオケ店へPSPを持ち込んでカラオケ機材へPSP接続カラオケ配信楽曲以外を歌うという手法が現れた。
これへ呼応するように登場したのが勝手字幕を付けてカラオケ動画とする「ニコカラ」だ。
特にアニソンゲームソングでは無許可版権素材を活用した高クオリティで手のこんだニコカラ動画存在しており、JOYSOUNDがその需要に気付くまで人気を博していた。

稀に「なぜあんなにPSPが売れているのかわからない。モンハンだけじゃ説明付かない」というガジェット好きが居るが、ニコニコ動画を中心としたサブカルという背景があり前述したように「当時のPSPゲームソフトを持っていないのにPSP本体は所持していたという女子学生存在した」ほど売れていたのだ。
PSPは当時のSONY夢想したマルチメディア戦略の中でほんの一部界隈(ほぼサブカル界隈)でだけ成功を収めていた事実は周知されておくべきだろう(UMDPSP Goとかで失敗してるけど)。
そしてその需要iPod Touch、iPhoneが奪っていくというのは知られたとおりだ。

憧れのバランスドアーマチュア

多くの人々が音を聴くようになれば良い音質で聴きたいという需要が生まれるのは必然
iPod登場当初その付属イヤホン品質の低さが取り沙汰され、MD Walkman派やアジア系ポータブルオーディオプレイヤーから揶揄されるたびApple信者が「あのイヤホンは音が鳴るか確認するためのオマケ欧米ではそれが普通付属品にまでケチ付けるのは日本人だけ」などと言い訳擁護していたらAppleが競合他社と同等品質まで付属イヤホン品質を引き上げるというお家芸梯子外しがあったこともあり、その煽り合いが起きた前後で音の良いイヤホンへ注目が集まり始めた。

最初期に評価されたのはバランスドアーマチュア(BA)型ドライバー本家本元であるEtymotic Researchからリリースされていた「ER-4」だった。
BAドライバーは従来のダイナミック型ドライバー(DD)と比較して小型軽量に製造することが可能で、音を発生させる振動板の質量も小さかったため慣性の法則的に非常に反応が良く、iPod付属イヤホンの低品質さも相まって高い評価を受けることになる。

続いて注目されたのがマイクで有名なShureの「E5c」だ。
こちらもBAドライバーを何と2基も搭載したリッチモデルで、BAドライバーはその構造上音域が狭くなりがちなのを高音域〜中音域用と中音域〜低音域用に2基とすることで欠点カバーした製品だった。
更にER-4は現在主流の耳栓型イヤーチップとは形状が違う長めのイヤーチップ採用していたこともあり装着者を選ぶ傾向にあったが、E5cはSONYが売り出して大流行を果たす現在主流の形のイヤーチップ採用しており広い範囲の装着者をカバーできた。

しかしこれら評価の高いイヤホン学生の懐には大変厳しいという問題があった。
ER-4は約4万円、E5cに至っては約6万円でとてもとても学生には手が出ない高級品であり、着メロの打ち込みから端を発したDTM小僧だった筆者はなけなしのお年玉をはたいて有名ミュージシャンレコーディングでよく装着しているヘッドホンSONYの「MDR-CD900ST」を約2万円で購入し愛用していた(ちなみにこのMDR-CD900STは修理しながら今でも現役)。

しかし流石にいつでもどこでもMDR-CD900STを常用というのは辛くあり、当時評価の高かったSONYイヤホンMDR-EX90SL」を常用するようになる。価格は約1万円。
しかMDR-EX90SLはBA型ではなく従来どおりのDD型、無論MDR-EX90SLには評価されるだけの音質があり十分に満足していたのだが、BAイヤホンへの想いは募るばかりであった。

中華イヤホンに驚く

それから二十数年、社会人としてもそこそこ経験を積み、ちょっと頑張ればBAイヤホンも買えるようになりBAイヤホンをいくつか購入した後にポータブルオーディオから距離を置いていたが、何故かふと近年話題中華ポータブルオーディオへ興味を持った。
調べてみると本当にすごい。技術進歩大量生産により当時憧れだったBAイヤホンが当時のMDR-EX90SLと同等価格どころか下回る価格販売されているではないか
これはもう実際に入手して試してみる他ないとさっそく動いた。

KZ AS16 Pro

最初に入手したのがKZの「AS16 Pro」で、これは以前に「AS16」というイヤホンがありブラッシュアップして登場した製品価格は約1万円。

AS16 Proはこの記事を懐かしく読んでいて今まで中華ポータブルオーディオへ触れてこなかった読者は驚くはずだ。
なにせAS16 ProはBAドライバーを搭載しているが、その搭載数は片側8基、LR両側で合計16基というとんでもない搭載数を誇っている。
これが約1万円で買えるのが中華ポータブルオーディオ世界

その音の傾向はBAドライバーのみを多連装しているだけあり全音域がハイレスポンス、機敏に発声無駄な余韻なく消音する。音と音がよく分離しており違いをはっきりと聴き分けることができる。
低音域と高音域が少々強調された弱ドンシャリ型のチューニングがなされていて現代イヤホンでは派手な鳴りが好まれる傾向にありAS16 Proも例に漏れず弱ドンシャリの派手な鳴りだ。
ハイレスポンスで音の分離感が良いと言っても音楽制作用のMDR-CD900STのような分析的な鳴りではない元気でエネルギッシュ、タイトサウンドの多い電子音楽を聴きたくなる鳴りだ。

ただ逆に言えばレスポンスの良さは空間表現の苦手さにも繋がっており、MDR-CD900STでは継続する余韻がブツ切りするかのように消えてしまうことがあるのは気になった。
ホール残響感も音楽の一部と捉えるようなオーケストラなどは少々苦手な音楽ジャンルと言って良いだろう。

本当に鳴りがハイレスポンスタイトなので筆者はボカロソングが多数収録されるリズムゲームプロジェクトセカイ」や、電子音楽も多数収録される定番の「アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ(デレステ)」、なぜサ終してしまうのか「東方ダンマクカグラ」をプレイし、思った通りリズム隊がよく聴こえる事を確認
現代ポピュラー音楽リスニングに、リズムゲーム用のイヤホンとしてAS16 Proは非常にオススメだ。

TRN VX Pro

ハイレスポンスBAドライバーだが欠点がないわけではない。
その構造上の制約でBAドライバー単体ごとの音域が狭くなりがちで結果としてBAドライバー複数基を多連装することで欠点カバーしているのだが、音というものは低音域ほど大きく空気を動かす必要がある。
小型軽量のBAドライバーは小型軽量であるが故に低音域になればなるほど鳴らすのが苦手という制約を持っており、非常にタイトな低音域を持つが深く沈むような表現が不得意なのだ

それをAS16 ProとMDR-CD900STの比較でしっかりと認識した筆者が次に手に入れたのがTRNの「VX Pro」だ。
AS16 Proと同様に片側8基、LR両側計16基のBA型を多連装しつつ、従来のDD型を片側1基、両側2基を搭載する、全ドライバー18基ハイブリッド多連装という化物スペックイヤホンである
このスペックでVX Proも価格は約1万円。とんでもない価格破壊。

VX Proは高音域から中音域にかけてまで非常にハイレスポンスでありながら、低音域を担当するDD型のお陰で低音が発音する際に大きく空気を動かせてAS16 Proと比較して低音域がよく沈む。
耳が従来のDD型に慣れているというのもあるだろうが、この低音域の感覚は非常に好ましく、万人へAS16 Proとどちらをオススメするか?と言われると筆者はVX Proを推す。
AS16 Proのハキハキとしたタイトな低音域を好む人も少なくはないだろうが、迫力ある豊かな低音域のほうが万人に好まれる傾向があるのは確かだ。

VX Proも現代イヤホンらしく鳴りは派手、高音域と低音域が少々強調された音楽的な弱ドンシャリ型のチューニング
キラキラと分離感のある高音域と、しっかりと空間を感じられる低音域はあらゆる現代ポピュラー音楽を聴きたい衝動に駆られる。
昔話も絡めて話しているのだからココは様々な楽器音が飛び交って音域も広い「ALI PROJECT」はどうだろうか?もちろん最初再生するのは「禁じられた遊び」「聖少女領域」だ。

音楽制作ミキシング経験がある者ならばわかるだろうが、別々の楽器であっても担当音域が被ると両方とも目立ちにくくなってしまうことがある。
例えばそれが現代ポピュラー音楽では重要ボーカルと、そのボーカルを支えるバックで流れる楽器の音域が被るとボーカルも聴こえにくくなってしまう。ミュージシャンはそれを経験則的に知っているのでミキシングの時点でイコライジングして聴感上のバランスを取る。
それと同様にミュージシャンが例えイコライジングしていても音域の分離感が悪いイヤホンだと各々の大事な要素が被ってしまい聴こえにくくなるのだが、VX Proはそれがほとんど無い。
ボーカルボーカルブラスブラスストリングスストリングスとしっかりと"書き分け"ており、オーケストラサウンドフューチャーしたプログレッシブロックALI PROJECTが誇るバックバンドを聴かせつつ、宝野アリカ表現力のあるボーカルを損なうことがない。
特にDD型によるベースラインの深さは特筆に値する。底がしっかりしているおかげでALI PROJECT全体の音楽世界観が明確になる。単に目立つ派手な高音域ばかり推せば良いわけではないのだ。低音域の支えによる相対的コントラストが輝くような高音域を演出するのだとVX Proは教えてくれる。

欠点がないわけでない。
やはりDD型の宿命か、タイトさが求められたときフルBA構成であるAS16 Proの歯切れの良さが勝る。まさに得手不得手の問題だ。

KZ ZAS / CCA CA16 Pro

同時に2つ紹介しているのはKZの「ZAS」とCCAの「CA16 Pro」はハウジング筐体デザインが違うだけの姉妹製品から。CCAはKZのサブブランドのような立ち位置であるらしい。
実際に購入する場合ハウジング筐体デザインの違いや販売価格吟味して購入すると良いだろう。
ちなみに1万円以下8千円前後くらいの価格の安さも魅力だ。

筆者が購入したのはKZのZAS。
箱出しで早速聴いてみたが何と音がスッカスカ。事前のレビュー調査では低音域が非常に豊かであると触れ込みだったのだが・・・
実はZASには罠がありZASの性能を十分に発揮するには付属のイヤーチップが低品質過ぎる。これも多くのレビューで触れられているので筆者も先人の導きによって神奈川県所在株式会社Final販売しているイヤーチップ「TYPE E オールサイズ」を別途購入した。
ZASの優れたコストパフォーマンスサードパーティイヤーチップを別途購入することで少々損なわれるのは口惜しいが、自身に合ったイヤーチップサイズ感を調べるきっかけにはなったので良しとする。

Final TYPE Eイヤーチップへ交換し再度ZASで聴いてみると派手を通り越した大げさと言って良いチューニングだ!事前のレビューで読んだ通り低音域は前へ出ており深く深く沈んでいく。
ZASのドライバー構成BA型が片側7基でLR両側計14基、DD型が片側1基でLR両側計2基、合わせて16基ハイブリッド多連装構成で当然ながら低音域はDD型が担当し、BA型が高音域〜中音域を担当するという仕様だ。

前述した通り、もう本当に低音域がすごい。
試しにTVアニメアイドルマスター XENOGLOSSIA」のオープニング曲微熱S.O.S!!」を聴いてみる。
冒頭一発目から入る超重低音が特徴で、曲中もキックベースが非常に目立つのだがZASで聴くともうブルンブルンだ。
BA型よりも大きく重いDD型の振動板がこれでもかと震えているのが感じられ、そのせいで耳たぶも一緒に振動してるんじゃないか錯覚してしまいそうになる。これは笑うしか無い!
続いてはアニメ魔法先生ネギま!からオープニング曲ハッピー☆マテリアル」だ。
冒頭のバスキック三連打が気持ちよく、そして低音域だけど思われがちなZASだが14基のBA型がタイトにハキハキと高音域〜中音域を発音し、豊かな低音域を更に深めてくれるように感じた。ZASは低音マニアへ是非とも奨めたくなる非常に面白いチューニングになっている。

ボツ原稿供養〜昔話と中華ポータブルオーディオ(後編)〜へ続く】

2022-08-30

一日一時間投資ガチ時間

子供は親の背を見て育つ

門前小僧習わぬ経を読む

2022-08-18

つれづれと

有川ひろの作品に出てきたヤクザ者を見て心が締め付けられる気分になった。小学生の頃の僕の作文にそのヤクザから想起する一節があったのを思い出したからだ。

レンズ越しの世界はいつも他人事だ。テレビに映る世界と目の前で起きてる出来事なんて変わらない』

はいわゆる眼鏡小僧で、生まれつきの遠視から度の強い眼鏡をかけ続けることをずっと強いられていた。あだ名のび太だったことすらある。馬鹿だとかアホだとか見下されることが嫌いだった僕はそのあだ名がすごく嫌いだった。

思えば、その作文は厨二病一種だったのだろう。自分特別であるように言動するなんてありふれた話。王家の血を引いてるとか、邪眼を移植しているとか、そういうレベルの痛々しい妄想しかない。

でも、他方では思うのだ。心を締め付けられたのはその感覚を今でも肌で感じているかなのだと。

四年前、僕はADHDの診断を医者から受けた。

僕は小さい頃から自分が好きではない何かを始めるが苦手だった。レゴブロックを片付けないで叱られる。漢字宿題をやっていなくて怒られる。水泳習い事をサボって泣き喚く。とんだクソガキだった。

今も部屋のどこかで何かが腐ったような匂いが漂っていて、部屋の中を小さい無数の羽虫たちが我が物顔で飛んでいる。

きっと部屋の汚さは君たち常人が考える三倍どころじゃない。手元にある便利な箱で別のタブでも開いて「孤独死 老人 部屋」とでも調べるとすごく近い光景が広がっているから興味があれば調べてみてほしい。

ともかく僕の部屋は常識を絶するほど汚い。そして、僕はそんな部屋にへばりつく虫であることを許容してしまっていた。

腐臭に既に鼻は慣れ、物が置かれ過ぎて食事を作るに適さなキッチンではもう半年食べ物を触っていない。

から部屋に一番多いのは食べ物に関わるゴミだ。弁当の食べた空き箱や出前の使い捨て容器、パンの袋、カップ麺の器やかやくの袋。あとは酒の空き缶空瓶。目についたものを並べただけでこんな感じ。

よくもまあ、こんなに汚せるものだと自分でも感心してしまうほどだ。

閑話休題

話は逸れたけれどつまり何が言いたいかというと、そういう汚い自分でありながら、僕は日常生活が送れているように装っている。

駅弁大学所属する僕は三度目の三年生をむかえた。成績極めて不出来。春先からこの夏の終わりまで学校に行けてすらいないというのに、東京に住む遠距離恋愛彼女には学校にはきちんと通えているとなんでもない顔で言っていた。滑稽な話である

僕は嘘つきだ。嘘をつくことで生活している。嘘をついてしかまともであるように見せることができない。

何もうまくいっていない。辛い、苦しい、何もかもやめてしまいたい。死にたい。もう構わないでほしい。まともになりたい。

そんなこと言えるわけがない。

言ってしまえば自分おかしいことが露見するし、きっと一人であることすら許されなくなる。要するに病院送りか、実家への軟禁だ。

盆も過ぎた。また新しい学期が始まる。

親にはまだ「まだ僕が三年生をやっている」のだという真実は伝わっていない。先延ばしにする方法があったか先延ばしにしてしまった。

帰省した時は嘘をついて急場を凌いだ。

こんなに嘘をついても僕には罪悪感がなかった。嘘をつくことに欠片も良心は痛まない。かろうじて嘘が露見して起きるアレコレが怖いという気持ちが生まれるくらいだ。

彼女とのデートで久々に眼鏡を、ただの伊達メガネだったけれど、かけた時に思い出した。僕にはずっと現実感がなかった。眼鏡をかけたレンズ越しの世界スクリーン越しの世界区別をつけられなかった。だから眼鏡をかけることを嫌って、高校2年の冬に僕は眼鏡をかけることをやめた。目が見えなくなることなんてどうでもよかったのだ。ただ、現実感がない自分が嫌だった。現実感がないから、自分のことを自分のことのように思えないからきっと嘘を簡単につけてしまえるのだろうと思ったのだ。そんなことを思い出した。

でも、現実を見た。

僕は変わらず嘘つきで、今も親を騙し金を毟って生きる寄生虫。いわゆる社会ゴミだ。

生きている価値なんて冷静に考えて本当にあるのだろうか? 誰かに好かれるだけの何かを持っているのだろうか? 甚だ疑問で一杯だ。

から騙し取った金で少し前に有川ひろの『キャロリング』を電子書籍で買った。この本は有川ひろが書いた作品の中で僕の読んだことのない数少ない作品だった。今見たら読み進めた場所は85%のところまで、結末までは読まずに本を閉じたことが明白だ。

残りを流し読みで適当に読み進めていくとヤクザ者は仲間と共に警察に連れて行かれていた。

救いのない話だった。物語の中では自分が一番共感した人物幸せになるとは限らない。

僕もきっとこのヤクザ者のようにいつかどこにも行けなくなる日が来るのだろうと思った。そして、そんな日が来たときにまた僕は嘘をついて取り返しのつかないことになるのだろうと思う。

つらつらとどうでもいいことばかりを書いてきたけれど、結論なんてものはない。適当なところで適当な気分で読むのをやめてほしい。

感想も書きたくなったら書く、書きたくなかったら別に何も言わなければいい。偉そうに自分勝手に目を通したくせにクレームをつけるタイプの人がここには沢山いるらしいことは知っている。なんであんなに傲慢に暮らせるのか、なんで傲慢に気付かないのか。正直、彼らってなんであんなに薄っぺらに生きれるんだろうね。

もっと適当に生きた方がストレスなくていいだろうに。

この文章だって氷菓子を齧りながら適当気持ちで書いた嘘っぱちだ。今だって目線は沢山の小説雑然と置かれた本棚を見て目を彷徨わせている。

次は何を読もうかな、なんて。僕は本棚の、推理小説で固められた段に手を伸ばした。

2022-08-09

anond:20220809120604

自分の子供達をとても可愛いと思うけど、子供達の赤ちゃん時代写真を見返してみると、あの頃に感じた天使のような神がかった可愛さはなく、ただの洟垂れヨダレ垂れ小僧が映ってるのに笑ってしまう。

今も子供達はとても可愛く見えるけど、他人からすればさして可愛くもなんともない、ふつーのクソガキなんだろうな。

2022-07-22

どうしても国葬をやりたいというなら俺と麻雀で勝ってからしろ

ツモ天和役満

役は国士無葬だ!

出直してくるんだな、小僧

2022-07-21

轢き逃げ事件(?)の被害者になった

非常に微妙な感じの事故被害者になったので記録しておく。

起きたこ

10時頃に右側の歩道自転車走行ライト点灯・ヘルメット着用)

  ↓

道路右側の駐車場から出ようとした態勢で静止している車(以下加害車)と対向車を視認

  ↓

対向車がいるので駐車場からすぐに出てくることはなかろうと判断しそのまま走行

  ↓

急に加害車が駐車場から頭を出してくる

  ↓

避けようとして急カーブし、バランスを崩して縁石にぶつかり転倒

  ↓

加害車の右側前方座席に座っていた人がこちらを一瞥する無視して走り去る

  ↓

後続車の運転手が「大丈夫!?」と声をかけてくるも「擦っただけです」と言ったらそのまま走り去る

  ↓

カムカしたまま帰宅しようとしたけど、ズボンの膝が破れてたのに気づいて俺の怒りが有頂天になり交番に駆け込む

被害

掌の擦過傷(痕跡はほぼなし)、膝の擦過傷(そこそこ目立つ痕跡あり)、購入数ヶ月のモンベルズボンが破れる、購入数ヶ月のモンベルの革靴が痛む

捜査

「それは警察領分じゃないですね……」と言われるのを覚悟してダメ元で交番に駆け込んで出てきた婦警さんにあらましを説明したところ、婦警さんが少し考え込んだあと上官と思しき男性警察官に「……これ轢き逃げですよね?」と報告し、捜査が始まることに。なんか本署から交通課の人とかも来た。

ただ、「現場」に痕跡がちっとも残っていない。「現場」は店舗事務所が立ち並ぶ一角駐車場なのだが、いかんせんたいして血の出てない擦過傷や膝小僧が破けたズボンくらいしか被害がないので、本署の人からしても見つけられないようなのだ。これはもう仕方ない。

その時間帯に開いていた店舗飲み屋だけだったので、男性警察官が飲み屋に聞き込みに出向くも、有力な情報は得られなかった。

実は「後続車」が重要で、なぜかといえば増田は加害車の特徴はおぼろげにしか覚えておらず、右側前方座席に座っていた人の特徴も覚えていなかったのだが(女であるという直感だけは強く持っていたが、ロン毛の兄ちゃんですと言われたらそうだったんですねとなる程度の解像度)、後続車の車体にデカデカと「○○運転代行」と書いてあったのは覚えていたから。

そのときは何も考えてなかったのだが、冷静に考えたら、加害車を運転してたのは運転代行業者なんじゃないか? 飲み屋駐車場から運転代行業者の車を引き連れて出てきたんだから、そう考えるのが最も自然だろう。

問題増田が「○○」の部分をまったく覚えていなかったこと。そして飲み屋は「店として運転代行を手配したことはない」と主張し、市内にある運転代行業者はどれも「今日この時間にそこに派遣した車はない」の一点張り。隣の市から呼んだのか? ヤミの代行業者営業してたのか? それともシラを切ってるのか?

ここで被害の話になってくる。死亡事故ならいざしらず、あるいは直接の接触があったならともかく、増田と加害車とは直接接触していない。加害車を避けようとして増田が転んだだけだ。そしてその傷も、病院での治療を要さないであろう擦り傷だ。

そんなわけで、捜査の進捗がまったくなくて微妙雰囲気になってきたところで、本署の捜査から「その~、処罰感情とかはどんな感じなんでしょう」という質問があった。加害車の挙動と転倒との関係をどう捉えているか? とも。

「加害車が単に車体を歩道側にはみ出した状態で静止しているだけなら普通に避けることができた。私が転倒したのは加害車が急に前方に進出したのが原因である。そこに疑いはない。ただ、駐車場から出ようとするときに少し車体を歩道側に出して進出の準備をするというのは普通動作であり、特段マナーが悪い行為でもない。問題は転倒した私に声もかけずにそのまま行ってしまたこである。私の方にも非があり、運転自体は悪質とはいえなかったので、たとえば職場をクビになるというようなことは望まないが、しかし私を無視して走り去ったことは納得がいかない」

という趣旨のことを伝えた。本署の人は、一応捜査はするが加害者特定は難しいということを伝えられた。現場検証が終わったときには日付が変わっていた。頭を下げてお礼を言ってその場を離れた。

感想

リベラルはてな民としては国家暴力装置たる警察への警戒感というのは当然あるわけだが、それはそれとして、こんな小さな事故でも捜査してくれるんだ……というのは驚きだった。やっぱり基本的に真面目で熱心で使命感に燃えた人たちなんだなぁというのを実感した(問題はそれが違法な職質などに向けられる場合があることだが……)。率直に言ってすごいありがたかった。

そして、人間記憶いかに不確かで目撃証言がどれだけアテにならないかを身に沁みて理解した。増田接触しそうになった車のおおまかな特徴を話すことはできたが、あやふや記憶だった。運転手(正確には、右側前方座席に座っていた人。増田ハンドルまでは視認してないので)の特徴もろくに思い出せなかった。

自分当事者になったらパニクってこの程度の記憶しか発揮できないというのは、数々の冤罪事件について色々読んで知識を蓄えてきた身からしても衝撃だった。何度も質問に答えるうちに,あやふやだった記憶証言に合わせて「定着」していくような気がするのは恐ろしかった。

この状態で「それっぽい人」と面通しされたら、間違った人を告発してしまうかもしれない。しか警察質問しないわけにはいかない。冤罪が生まれる仕組みの一端に触れたと思った(もちろん、人質司法とかそういう目撃者とは無関係問題もあるわけなので、あくまで一端である)。

推理小説はやはりフィクションだ。あんな理路整然とした目撃者ファンタジーだ。

教訓

「なんかあったらまずナンバーを見ろ。その4桁を脳裏に焼き付けろ」

ナンバーさえ覚えてたらこんな手間のかかる捜査は要らなかったんだよな……

2022-07-19

上司残業の中で家事育児をやる方法もあるはずだ。それを探せ!」

実家遠い子持ちフルタイム共働き勢「あるわけないだろ」


共働き勢「なぜそうも簡単仕事を増やすんだよ、死んでしまえ!」

共働き勢「上司!お前は残業意思を生む源だ、生かしてはおけない!」

共働き勢「上司!お前は人を不幸にする!」

共働き勢「僕のもろい心が、上司の強烈な意思に負けたんです……それだけです」


共働き勢「貴様のようなのがいるから、仕事が終わらないんだ!消えろ!」

同僚A「俺は貴様ほど、無理スケジュールを組んじゃいない!」

共働き勢「こんなワークイフバランス……嬉しいのかよ? 満足なのかよ? 誰が……誰が喜ぶんだよ!?」

常務「生の感情を丸出しで働くなど……これでは人に品性を求めるなど絶望的だ。やはり人は、よりよく導かれねばならん。指導する絶対者必要だ」


同僚B「でもね、社畜さん。あなたが死んでも、会社の誰も泣いてくれないんじゃない? それでいいの?」


共働き勢「貴様!人が離婚したんだぞ!いっぱい人が離婚したんだぞ!」

同僚C「お前もその仲間に入れてやるってんだよ!」


共働き勢「家庭は……家庭は力なんだ。家庭は、この出生率(そら)を支えているものなんだ!」

共働き勢「それを……それを、こうも簡単に失っていくのは、それは……それはひどいことなんだよ!」

共働き勢「何が楽しくて残業をやるんだよ! 貴様のような奴はクズだ。生きていちゃいけない奴なんだ!」


共働き勢「お前だ! いつもいつも、脇から見ているだけで人をもてあそんで!」

常務「帰れると思うな、小僧!(差し入れたい焼きを配る)」

共働き勢「分かるまい、配偶者に家庭を任せている常務には。この俺の体を通して出る力が!」

常務共働き勢、働け! 共働き勢、なぜ働かん!?」


・・・なんてな。仕事は減らんし、残業続きでワンオペ続きの妻は切れるし、お互いフルタイムだし、落としどころ見つけんといかんね

2022-07-03

[]一色まこと花田少年史

昭和ベタベタ人情アニメ平成初期にちょっとすっきりした絵柄でやった感じ

ちょー久しぶりに再読

たまーによむといいもんだなって

本編中はなんとも思わなかったけど、番外編のネコの話でちょっとうるっときしまったわ

いたずら小僧なのに言い換えると結局陽キャなんだよなー

小学校の幼馴染クラスの男勝りのかわいい女の子大学出来ちゃった婚とかまじで

大工っていうのも親がそうということをさしひいてそういうタイプ人間だもんなと思うし

腹いせにその女の子エロ画像でもさがそうとしたけど主人公のクソガキのショタ画像ペットの子犬のエロ画像しかみつからないというとんでもねー魔境だった

まあアニメみてもエロ画像かくとかそういうタイプマンガじゃねえことはわかるけど

ライジンオーとかはわりとみつかるのになー

世界名作劇場はいっぱいある

マンガの話戻すと、表情の書き方ふくめてマンガがすげーうまいなって思った

ピアノの森だとストーリーとかキャラに合わせたんだとは思うけど、

みんな同じような顔してていまいち感情移入しにくかったんだよなー

個人的にはこっちの読んでてこっちも同じ顔になっちゃうくらい表情豊かなマンガのほうが好きだな

ベルセルクギャグシーンのデフォルメギャグ顔みたいなの、ほんと昭和平成初期あたりの特徴だよなーと

2022-06-16

もう認めようぜ、子無しには子供への愛は理解できない

このエントリ題名でカッとなって覗いた人へ先ず言うことがあるからよく聞いて欲しい。
経験のない感情を君は理解できるのか?」

推測は出来よう、想定は出来よう、でもそれは実際に経験した感情でなく君は結局のところ物語他者の語り口から聞いた情報によって親心理解した気になっているに過ぎない。
これを否定するのは無理だ、仕方ないじゃないか君には子供が居ないのだから

君たちは子供のままなのだ
もっと具体的に言えば「子供という役割しか経験したことがなく「親の役割」を経験したことがない。
君たちは子供心を実によく理解できるだろう、子供役割の中で人と人とが繋がる愛をよく知っている。君たちは決して愛を知らないわけでない。

たがしかし、親として子供へ愛を注ぐ経験したことがない。
更に言えば親として自身の子供へネガティブ感情を持ってしまった経験がない。
驚くことなど無いだろう?ネガティブ感情が行き過ぎて子供虐待し殺してしまう親も居る。

「何をそんな当たり前のことを」と言う者も居るだろう。
子供役割しか経験したことがない君たちが知らないのは大抵の親は若いってことなんだよ。

大抵の場合20代30代の小僧小娘が一端の大人のふりをして子育てしていることを君たちは真の意味理解することが難しい。
君たちが幼少期から見てきた大人とは自身の親であり、車をビューンと走らせて動物園に連れて行ってくれた存在なのだ
幼少期の君たちは大人はすごくてなんでもできて、自慢の大好きな大人だった。

実際のところそうではないと気付くのは中学生くらいだろうか?遅い子は高校生か?
しか中高生が想定できる大人の無力さなたかが知れていることを成人した君たちは知っているはずだ。
中高生が想定するよりも大人もっともっと無力であることを今の君たちは知っている。

中高生にはまだまだ自身よりも大人への期待感がある。
何だかんだで自分よりも優れている部分があると思い込んでしまっている。
そりゃそうだ経済力人生経験も親は自分より上なのだから何だかんだで凄いのだ。

君たちはその期待感が今でもまだ続いてる。
中高生よりは人生経験を積んだ君たちの大人への期待は薄れているが、親なのだから子供を上手く教育せよと思うし、親なのだからしっかり大人の振る舞いをしろと思ってしまう。

今の君たちは大抵の大人大人のふりを、大人の演技をしていることに気付いているだろう。
しか子供立場しか経験したこと無い君たちは親という存在を見た瞬間に演技ではない正真正銘大人である認識し、演技ではない正真正銘大人であることを期待してしまう。
子供がするような大人への期待感を未だに持ってしまっているんだ。

大人への期待感を未だに持ってしまっていることを証明しよう。
はてなでは「責任が持てないのに子供を作るな」という主張を見るだろうが、その主張は「親の視点なのか?子供視点なのか?」と問おうではないか

親の視点では愛おしい自分の子供を想って責任を持てないならばダメだと言う。我が子を不幸にしてはならないという感情が裏に潜んでいる。
子供視点では自分を不幸にするな、他人である自分迷惑を掛けるな、親なのだからという期待の感情があるんじゃないか

何故ここまで子供が居ない君たちの感情へ寄り添えるか君たちは察することができるだろうか?
その理由は至極明快で「親は子供役割経験済み」だからであり、逆に言えば「子供は親の役割経験するとは限らない」のだ。
君たちの役割経験してるからこそ君たちの感情へ寄り添える。

君たちは中高生の時点で親は経済力人生経験が上だから何だかんだで大人はすごいと期待感を持った。
ならば、子供役割と親の役割の双方を経験した人物へ心の何処かで期待感を持ってしまっているのは否定しにくいんじゃないか

君たちは大人への期待感から親が持つ子供への愛を想定し推測する。
それは所詮、想定であり推測であり、実際のところ複雑になっている親が持つ子供への愛はわからない。

だって君たちは20代30代の親が青年期の若者人生80〜100年のうち半分にも満たない未熟な者だって心の底から理解していないじゃないか
君たちは未熟であり、そして若い親もまた未熟なんだ。

から許せとは言わない、期待するなとは言わない。
しかし親もまた人間であり、それぞれの感情を持つ者だと再度考えなければならない。

理解なんてしなくたって良い、考えるだけで良いんだ。
考えて、考えて、その上で結婚子供を作ろうとなってくれたら一人の親としてはそう思うように育ってくれた君に心から感謝を述べたいと思う。

2022-06-12

静岡間伐間伐じゃない件

これ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/3a1987d18442c5c94ba14e29c6ea166fab1bc42b

報道も含めて適当批判が多いので素人解説する。

今回の作業目的

まず第一に多分多くの人がイメージする間伐目的とした事業じゃない。

先行するこの記事によると、これは静岡県の「森の力再生事業」によって実施されている。

https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1053943.html

事業はこのようなものだ。

http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-610/mirai/mirai-index.html

要綱から事業の内容を見てみると、

第5 事業内容には次のようにある。

(1) 人工林再生整備事業

第7(1)に定める対象森林のうち荒廃した森林について、針葉樹広葉樹との混交林へ誘導するための森林の整備であって、伊豆地域森林計画富士地域森林計画静岡地域森林計画及び天竜地域森林計画(以下「地域森林計画」という。)に定める「特に針広混交林化を推進すべき森林」の整備・保全の方向に即した整備並びに簡易な道及び構造物の設置等を実施する。

とある。((2)は竹藪の話。)

 「間伐」という言葉でよくイメージされる、質の悪い木を選んで切っていい木をよく生育させるとか、間引き的に切って林床を明るくするとかそういう話ではない。報道でも触れられたように「森林公共的な責任が果たせていない」植林地を広葉樹林混じりの山にすることで、山の機能回復させようという事業だ。

 間伐をしないと木の下が裸地化したりして山の水源涵養機能が落ちたり生息する生物が減ったりといいことがないのだが、補助があっても経済的に見合わず間伐できないところが今問題になっている。そういう山をもう植林を減らしてしまって広葉樹混じりの状態にすることで、山の機能を低コスト回復させようという考え方だ。静岡県も他県と同様に間伐補助がある(http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-630/zorin/hojo.html)が、その事業では間伐ができなかったのだろう。私の県でも、少々の補助をもらって間伐しても割に合わないという声は聞こえる。

 国の森林総合研究所が研究結果からまとめた「広葉樹林化ハンドブック」を出しているように、この方向性全国的ものだ。

http://www.ffpri.affrc.go.jp/labs/bl_pro_1/

 なので「間伐」じゃないという批判についてはそりゃ間伐事業じゃないよ、という話になる。しかし、報道の感じでは権利者の人は以前やった間伐事業イメージを今回の事業にも持っている。

 報道に写っている書類は「森の力再生事業実施に関する協定書」だと思われるが、その最初にはこのように書いてある。(R3年版様式)

http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-610/mirai/documents/jisshiyoukou_youshiki.pdf

第1条 静岡県 農林事務所長 (以下「甲」という。)、権利者 (以下「乙」という。)及び整備者 (団体名称及び代表者名)(以下「丙」という。) は、第3条に掲げる森林針葉樹及び広葉樹の混交林又は多様性のある広葉樹林等へ誘導することにより、土砂災害の防止、水源の涵養など森林が発揮すべき公益機能回復させるため、その事業の速やかな実施事業実施後の適正な管理三者が協力して確保することを目的に、次の条項により協定を締結する。

また、協定書の2枚目にはこのように書いてある。

2 前項の丙が実施する整備の内容は、次に掲げる整備であって、要綱等に定める整備計画書に基づくものとする。

(1) 環境伐(広葉樹自然発生目的に、対象森林のおおむね40%にあたる本数のスギヒノキの人工林を伐採するものをいう)

(2) 整理伐(適正な立木密度への誘導や樹種の転換を図るために、竹林広葉樹林等を伐採するものをいう)

(3) 倒木又は倒木の恐れのある立木の処理

(4) 伐採木竹等の林地外への流出を防止するための集積、破砕、搬出等の林内の整理

(5) 広葉樹の植栽

(6) 土砂の流出や土壌の侵食を防止するための簡易な木竹製構造物の設置

(7) 整備作業安全性効率性を確保するための簡易な作業路の設置

(8) その他、知事必要と認めるもの

混交林または広葉樹林に誘導するための事業ですよと最初にきっちり書いてあり、作業内容としても間伐ではなく40%伐採して広葉樹自然発生を目指すことが書いてあるわけだが、書いてあってもご理解いただくのは森林組合の役割だろう。

実際、その後の調査でも説明不足が問題視されている。

https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1073631.html

権利者の人は間伐でないと主張しているので報道もその論調だ。荒らし放置するくらいならいっそ山での針葉樹生産を縮小しませんか、という重要な転換の話なので、丁寧な説明がとても重要だろう。

(なお、今回のような手法を帯状間伐と主張する事例もあるようで、その場合はこんなもの間伐じゃない、という議論になる。)

手法の適切性

さて、事業としてこの実施手法は適切だろうか。

 報道にあるように、県は15m幅の伐採提案している。帯状の伐採自体は全面の皆伐を避けつつ搬出を容易にするために、次にまた針葉樹植林する場合でも使われている手法だ。帯状伐採とか帯状皆伐とか言う。形状に注目しなければ小面積皆伐一種と言えるだろう。また、目的によって誘導伐、複層林化を目指す複層伐とか、言い方はいろいろある。私の行動範囲内でも50m幅で皆伐し50m幅に植林を残した縞々の斜面が見えるところがある(Googleマップ航空写真で見るとよく目立つ。)

森の力再生事業の要領にも、このように記載されている。

(ア)環境

広葉樹自然発生目的に行う、対象森林のおおむね 40%にあたる本数のスギ

ヒノキ伐採をいう。(略) 伐採手法は、全伐採本数の8割以上を列状又は群状に伐採するものとし、それらを補完するために単木的な伐採施工することができるものとする。 列状伐採場合の1列当たりの伐採幅(伐採区域の短方向の両端に位置する残 存立木列の樹幹間の最短距離)の基準は、おおむね5m以上かつ残存林分の平均

樹高のおおむね2倍未満を原則とする。(後略)

なお、樹高の2倍未満というのは帯状の伐採に関する資料でよく見られる。広すぎると全面的皆伐に近くなるが、狭すぎると日当たりが悪く次の木が育ちにくくなる。

 今回の件について、50m幅のところは事業基準を満たしていないと言える。しかし「ゴルフ場のような」帯状の伐採自体計画通りだ。

 今回の伐採手法に対する批判は、混交林化という目的に対して、列状間伐などによる強度間伐などと比較されるべきものだ。県の判断には動物被害が大きいことを挙げており伐採後をシカネットで囲っていたが、それらの対策やすさなども考慮に入れる必要があるだろう。

木を多く切ったこ自体に対する批判はあたらないと思う。広葉樹林化を目指すならどこかで切らなければならない。災害発生リスクとしては確かに帯状伐採でも表層水が増え災害リスクが多少なりとも上がることがわかっているが、じゃあいつ切るんだ、間伐もできない山を放置しておくのか、それとも個人財産を育てるための間伐さらなる補助をしていくのか、などの論点があろう。

(素人考えだが伐採部分より残った植林の幅の狭さが気にかかる。50m幅の問題といい、区画取りがちゃんとできていたのだろうか。)

さら技術的な論点

 今回の報道で多く見かけた批判はこのように的外れだが、もう1つ重要論点がある。それはこれで本当に広葉樹への更新ができるのかという技術的な疑問だ。(そもそも広葉樹林化で本来目的を達成するのかというさらに難しい論点もある。)

 ここまでは資料を読めばわかる話だが、この先は議論がある部分に分け入るので、2つのことをご了承いただきたい。まず私は林業に関して門前小僧どころか出入りの三河屋程度の知識しかない。もう1つは、このように強引にでも広葉樹林化を目指している背景には既存の補助で間伐できず、ただでさえ貧弱な下層植生が今度は鹿に食われて裸地化するような山がたくさんあって、とにかくなんとかしないといけない状況があるということだ。

 帯状に伐採して跡地に再び木を植える場合は、幅に応じて明るさの問題はあるものの、皆伐跡地に植えるのと同じように考えることができる。これまでの林業のサイクルに近い。全面的皆伐してしまうよりは山としての機能もましだろう。広葉樹林化を目指す場合でも、適切な種類の木を植えるとその木が育ってくる。問題は何も栽植せず自然に任せる場合だ。今回の写真を見ても、これで事業完了後とすれば新たな栽植はせず鹿ネットで覆うことで終了のようだ。

 スギヒノキに覆われている期間が長くなるほど埋没していたタネの発芽は期待できなくなる。風で飛んだり鳥に運ばれたりするタネ供給源との距離問題もある。ササなどが地表を覆って高木が育たなくなってしまうこともある。また、これは栽植する場合も同じなのだが、まだ弱い木を鹿がかじってだめにしてしまうことはとてもよくある。先ほどの広葉樹林化ハンドブックでも、条件の見極めについて記述されているし、他の混交林化、広葉樹林化の資料でも、人工的な植栽前提、あるいは十分な量のタネ供給源となる木や稚樹の存在を前提にしたものが多い。

 しか静岡県による皆伐後の天然更新についての調査結果では、かなり楽観的だ。再造放棄地(植林を収穫して全て伐採した後に何も植えていないところ)を調査した結果、県内の多くの場所で天然更新が順調に進むと結論づけている。

https://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-850/ar613.pdf

静岡県のR4年度の森林計画書では「天然力を活用した」混交林への誘導が整備保全方向性として挙げられている。難しそうなところは別途「植栽によらなければ適確な更新が困難な森林」として指定するようだ。

 天然更新のできるできないについて、素人が今回ざっと資料を読んだ限りでは可能な条件はかなり限られるように思えたが、しかしこの静岡調査に基づくと、鹿ネットだけで天然更新を目指すなんて無謀だとも言い切れない。歯切れの悪い終わり方で申し訳ないが、この文章目的は、説明不足の報道に対してより詳しく状況を説明することだ。正直今回導入された手法の良し悪しは現地を見た専門家でないとわからないだろうと思う。

 自分は6/8の記事でこの件を知ったが、県が獣害状況などから15m幅の伐採手法として提案し、それ自体は間違いではないような対応であることからこれは「間伐事業ではないのでは、と疑問を持った。一次産業に関しては誤解や考え方の違いによる非難が発生しがちなので、素人自分にも誤解とわかる部分は書いた。そして検索して分かったのだが、プロ解説しても考え方の違いが発生するだろうなとも感じた。混交林化の是非そのものにも様々な考え方の違いがある。

 また、感情面では、植林あくま経営主の持ち物なので、本来きちんと管理する責任は持ち主にあるんだという気持ちと、そんな不利益があるから山なんか絶対相続したくないんだという相反する気持ちも、田舎者なので持っている。

 これは公共機能があるもの個人が所有することの問題とも繋がっている。

 話が広がってしまったが、ともかく、「これは間伐ではない」という単純な話ではないのだ、ということを理解してほしい。

2022-05-22

私としてはとても良いものを読めたと感じました。

別にどちらを選んでもいいけれど、よくよくご自分で考えた上で発言したり行動してほしい。

私にとって今までの石川さんの印象は、「その場その場の気分で動きすぎていたり、周りに振り回されすぎていて、本人にそのつもりはなくても狼小僧みたいになってた」というものでした。

なので、失礼ですが私は今まで石川さんツイートは読む価値がないと感じていました。どうせ次の瞬間には言ってること変わってるし、何よりちゃんと本人が考えて発言してるように思えなかったから。簡単に言うと、誰かに操られてるロボットのように見えてました。でも、今回の一連のツイートを見ると、ある程度人間らしさを感じられました。本当に自分感情と向き合おうとして困惑されているような感じ。リベラルありがちな結論ガチガチに固定されていて無理やり理屈を合わせる」といった感じがなくて好感が持てるものでした。

石川さんは致命的にTwitter向いてないなと思った

今回のツイートを見る限り、石川さん矛盾した感情を抱えながらそれに向き合おうとすることができる人なのだと感じます

ただ、そういう状態Twitterで垂れ流しにするとろくなことがない。例えばゴンのような人間によって都合の良いところだけ切り取られて晒される。そして、すでにTwitter上での石川さんイメージはそういう切り取られたものがメインになっていると思います。そういう思考の整理はTwitter上ではなくブログなどで行った方が良いと思いますブログなら、ゴンのように都合の良いところを切り取って仲間からいねをもらおうとするあさましい人間は逆にその恣意性を問われますが、Twitterだとやりたい放題です。

そして、その切り取りに対してまたいちいち弁明したり対抗して・・・それってあまり無駄じゃないかと思います。「ブログだと読んでもらえない」「Twitterだと切り取られて不愉快」と思うならそれはただの甘えでしょう。いい加減なんでもかんでも自分の思い通りに受け取ってもらえると思うのはやめて、自分気持ちを正しく伝える場を選んだり、伝える方法ちゃんと考えてほしい。そういう努力すら嫌だというなら社会運動リーダーをやろうとなんかしないでほしい。

今回の判断石川さんの周りの人間がどう受け止めるのかよく観察してほしい

石川さんの周りのお仲間が石川さんのことを本当に大事だと思っているのであれば、石川さんの「よく考えたい」「どちらにも居場所がない」と感じる気持ち尊重してくれるだろうし、我々に賛同しないならお前に価値はない」と言い出すようなら逃げ出したほうが良いと思う。

2022-04-28

anond:20220428125806 anond:20230523093338

職場じゃなくておうち(プライベート)でやろう

職場セックスは持ち込まないで欲しい

おうちでやろう ( 参考画像 東京メトロマナーキャンペーンポスター)

 

ちなみにセックス恋愛だけじゃなくて、過剰なセックスアピールも含む

いつも合コンみたいな格好の人ら、女女女女女アピールの激しい人ら

鳥みたいななんかベンチャーにいがちな襟立て民族

聞いてもいね武勇伝業務中に語るヤツらも

みんなまとめて隔離しといて

 

この人らは好き嫌いで1円の利にもならないクソくだらない感情トラブル起こしがちだから

そりゃ凡人だから上司なら「スゲェ」「羨ましいっス」「マジっすか」ってやるけど

職場セックスを持ち込む人々は例外なくゴミ

 

※俺私素敵さん

グラマラスでもゴージャスでもクールでも○○美女でも○○イケメンでも○○女子でも○○男子でも

美容ヲタでも服ヲタでもオシャレ小僧でも呼称はなんでもいいのだけど、俺・私の魅力を理解しないヤツは許さんな方々

とにかく 俺/私に注目して注目して注目して注目して注目して注目して注目して注目して注目して注目して注目して

なにか 俺/私にリアクションしてリアクションしてリアクションしてリアクションしてリアクションしてリアクションして

 

無意味感情トラブルを起こしがち。上司だったら悪夢。力関係が上なら「は?」って雰囲気で威嚇して黙らせる

 

プライベートはそういう人に近づかない。死ぬほど面倒だから

金くれるなら幾らでも拝むがそうじゃないなら1ミリもお前に興味ないよって看板ぶら下げたい

でもセレブじゃない限り、無理だよな、完全に避けるのは

2022-03-14

門前小僧習わぬ経を読む」って

正式に学ばなくても身近に触れていれば自然知識が身につくって意味だけど

なんか「ニワカ知識で語る奴」みたいな意味で使われてない?

2022-03-13

anond:20220313154522

財界だと60歳ははなたれ小僧っていうのが印象深いすねw

2022-03-03

ワットアバウトイズムは長すぎて流行らない

ダンマリ小僧とかキャッチ―な名前にしたほうがいい

2022-02-03

SMBC日興社員「ボクが一番、相場をうまく操縦できるんだ」

「見事だな。しか小僧自分の力で勝ったのではないぞ。その大引けにかけた買い注文のおかげだという事を忘れるな」

2022-01-29

ホイ小僧♥️相手パンティをつけはじめたぞ♥️

さぁ、どうする小僧♥️

2022-01-27

ジブリ短歌

一本じゃ花束なんて言えないわお誕生日バラ貰えども

祖母が焼き濡れた少女が運びしも私このパイ嫌いなのよね

黙れ小僧お前に不幸が癒せるか哀れで醜い可愛い我が子を

この坂をお前を乗せて登りたし役に立ちたき君に押される

メイのバカもう知らないと怒れどもつらきは我も同じなりけり

故郷のたどり着きたる玉座の間ここはお墓よ私とあなた

おはじき舐める幼き妹にかしわも卵も買って帰れど

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