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2021-01-07

anond:20210107020607

「首を刈ってやる」という脅迫も……“8割おじさん”西浦教授がそれでも語る「第三波、第四波は絶対ます」(2020/8/4(火) 11:45配信

野球に例えると、まだ2回表で新型コロナウイルス攻撃している段階です。僕たち理論疫学研究者は強固な対策を行わなければ流行収束しないことを『メジャーエピデミック(大規模流行)』と呼んでいます。それを第二波だと定義すると、今は本当の意味分岐点にさしかかっている。数年間にわたる長期戦を想定した対応必要です」

そう語るのは、“8割おじさん”こと西浦博・北海道大学教授(43)だ。

第3波は「必ず来る」 第2波経験北海道の備え(2020年6月20日 11時30分)

札幌医科大の横田一教授(微生物学知事と同じく「見えないウイルスの動き」を危惧する。

札幌市でクラスター感染集団)が発生した昼カラオケと、同じような環境がほかにないとは言えない。ウイルス病院高齢者施設などに入り込んだとき感染が一気に拡大して第3波となるおそれがある」

一方、札幌医科大の當瀬(とうせ)規嗣教授細胞生理学は、国内地域間往来の自粛要請の解除や、今後、徐々に進むであろう海外渡航制限の解除を心配する。當瀬教授は「人の往来が復活すれば、感染拡大の危険性が高まることは避けられない。空港などの検疫体制を強化してウイルス流入を抑えることは可能だが、複数の国を経由してくる人など、把握が難しいケースもある」と警戒する。

北海道医療大の塚本容子教授公衆衛生学)は「条件さえそろえば第3波はいつ起きてもおかしくない」としたうえで、こう指摘する。「人の移動が活発化すれば、感染が広がるのは仕方がない。大きな波になるかどうかは、私たちの行動にかかっている」

から見れば、全て正しい提言だった。

なお、11月には「今が正念場だ。今の逃すと対策が手遅れになる」という警告が、更に多くの専門家から出ていた。これは検索すればすぐ見つかる。あなたこそ、情報の入手源が偏っているのでは?

2020-11-09

anond:20201109091843

年収5万ドル未満の低所得層では7ポイントくらい差があるけど、5万〜10ドル未満ではトランプが2ポイントリード10ドル以上では4ポイントバイデンリードしてるだけ。

それよりもジェンダーエスニシティ間での差や住んでる地域間での差の方がよほど大きい。

大卒大卒というような括りで見ても、大卒というくくりではバイデン10ポイント以上リードしてるはずなのに、白人大卒男性の中ではトランプの方が2ポイントリードしてるし。

https://www.npr.org/2020/11/03/929478378/understanding-the-2020-electorate-ap-votecast-survey

2020-06-27

anond:20200627111631

そもそもその「静岡県目線」というものがあるという前提が不自然というかなんというか。

静岡県民といっても大井川の流域とそうでない地域事情違うし文化も違うし

こないだ浜松住民県民扱いされずにひと悶着とかもあったしそれ以外の地域間でもいろいろあるだろうし。

2020-03-30

いま大震災とか来て体育館寿司詰めにされたりするとクラスター化するのか地域間移動できなくて終息するのか

2020-01-24

anond:20200124173922

読んでないんで知らないけど、

経済封鎖と地域間交流停止で、食糧不足遺伝から滅亡するんじゃないの。

2019-10-14

新潟市死ね

死ね」本当はこんな言葉使いたくない。

でも使わなければ、この国の政治家地方国会も)には届かないんだろうな…

何なんだ。この世の中…

今回の台風19、僕の故郷長野千曲川決壊した。

千曲川は、故郷の誇り。

心が痛い。悲しい。

昨夜のフジ系のMrサンデーを見ていた。

コメンテーターとして出演していた橋下徹さんによれば、「下流都市部を氾濫させないために、上流で川幅をあえて狭めて決壊させている…」

これが、いまの我が国の「治水行政」だという。

そして、この事実をきちんと公表していないという。

下流地域の人たちは犠牲になった地域の人たちへの感謝を忘れるなと。

海なし県で生まれ育った人間として辛い現実であるが、橋下さん、勇気を持ってこの国の闇にメスを入れてくださったことに感謝申し上げます

かに都市部で大災害が起これば、経済損失は大きいし、そうならないように対策をする。これは橋下さんの仰る通りその通りだと思う。

はい長野から新潟に住んで4年が経つ。

過去3回の知事選新潟市長選、参院選などを見てきた。

米山隆一、花角英世、篠田昭、中原八一塚田一郎、石﨑徹。

その中でも特に、花角英世、中原八一篠田昭、塚田一郎、石﨑徹。

この輩ども3人は、選挙の度にこう言う。

新潟拠点性を向上させる」「新潟冬季五輪を」「上越新幹線新潟空港延伸を」と…

これらの公約について否定するつもりはない。

しかし、彼等の口から一言治水行政特に上流地域への配慮言葉を聞いたことなど一度もない。

信濃川水系下流に当たる新潟市が水害の被害にならないように、我々長野県の県民行政は、上流にいる人間責任として治水対策について激論し、浅川ダム建設自分達の出来る範囲のことで努力してきた。

このようにして、新潟県、特に新潟市を始めとする下越地方の人たちの生命財産は守られている。

その裏では、我々長野の人たちは今回の決壊で、いろいろな意味犠牲を背負ったのだ。

これだけの災害なのだから、大切な人を亡くし、家族の大切な思い出を川に流された…

そのような人がいてもおかしくないと考える。

下流にいる人たちは、上流の人たちの犠牲の上に、安全生活環境や経済活動が保証されている…

今後、地価の低下や風評被害が何らかの形で表面化し、立ち向かわなければならない運命にあるのに…

話が反れるけれど…

新潟市は、これまで多くの地域犠牲の上に発展し、80万の政令市まで上り詰めた。

国鉄の大赤字オイルショック最中であったのに、上越新幹線は造られた。

大した苦労をする事なく、易々と手に入れたのだ。

浦佐駅や、上毛高原駅など明らかに利用者数が少ないのに、どの駅にも待避線を備えた2面4線の豪華に造られた。

ホームドアだってこの時代には熱海新神戸に既に導入されていたのに、わざわざ浪費をしたのだ。

そのツケが、国鉄解体民営化に繋がり、その後建設された整備新幹線沿線地域には並行在来線運営を押しつけられたのだ。

長野場合、あるパターンでは運賃JRだったら240円で済むのに、しなの鉄道になったことで同じ区間を350円払う必要がある。

学割適用されない。家計にとってはかなりの負担になる。

長野だけではない、北陸新幹線沿線の、上越糸魚川金沢など整備新幹線沿線地域では同じように値上げで悲鳴を上げている。

しかも、長野県ではフル規格にするのかミニ規格にするのか、時の情勢に引っ掻き回され、振り回され続けてきたのだ。

それによって、いくつも疲弊した地域地域間に確執が生まれたところも現実問題としてあるのだ。

そして、あえて言わせてもらえば、20年経ったいま、その影響が顕著に現れている。

今月、消費税10%に上がった。

この増税で、キャッシュレスサービスが始まっている。

JR東日本管内では、モバイルSuica鉄道を利用すれば、最大で5%、ポイント還元キャッシュバックされるようだ。

しかし、長野ではSuicaは導入されておらず、住む地域によって格差が生まれている。

随分話は反れてしまったけれど。

そう考えたとき選挙於いて上流地域治水問題に一切触れることなく、新潟拠点性の向上などとふざけた戯言をよく言えるよね。

中原八一も花角英世も塚田一郎もいつもいつも上から目線ですよね。偉そうに。

被災地出身の者からすれば、はっきり言って、新潟市、死ね!、ふざけんなよ!、なめんなよ!

あんたたちが、安全生活が送れているのは、上流の人たちの並々ならぬ努力結晶なんだからね!

感謝しなさいよ!

上流の人たちの犠牲や苦しみ、悲しみ、涙や汗が流れていると言うこの事実の上に、新潟市が水害に強く経済活動できているということを忘れるな!

感謝気持ちを忘れるな!

長野県の行政関係者にも一言言わせていただきたい。

今回決壊した箇所には少なくともスーパー堤防及び貯水池を、氾濫が確認された地点には貯水池を、国と新潟県及び新潟市に全額負担させる事を前提に早急に整備計画策定することを求めます

今回の決壊で、我々は犠牲を強いられたのだから、これは当然のことですよね…

長野県民も、下流地域首長がふざけた言動をしないように厳しく目を光らせ監視する必要があります

市民ファースト県民ファーストという意味でもこれは当然のことです。

新潟県や新潟市が、財政難からと言ってしらを切るようなことを新潟市の犠牲の下にある被災地出身の者として絶対に許すわけにはいかない。

勿論、新潟市の住民に痛みが伴うかもしれないし、財政破綻するかもしれない。

しかし、新潟県や新潟市は華々しい政令市妄想して無計画に市内の至る所に大型ホールなどの公共施設を造りまくり無駄であると指摘されている県立病院もきちんと見通しを立てることな建設され…都市高速並の8車線国道バイパス網が整備されていて…

長野には雀の涙程度の予算しか配分されないのに…

ホント、そんなにお金があっていいよね!新潟県と新潟市は。

のしっぺ返しとして、いまの財政難に陥ったのだから財政難理由補償支出は出せませんというのは、言い訳に過ぎないのである。当然だよね。

かに、花角知事中原市長は、財政再建に向けて給料ボーナス20%削減した。

しかしながら、所詮20%。知事市長にとっては、痛くもかゆくもないんだろうな!

加えて、ボーナス支出され、退職金支出される。

我々庶民目線被災地出身目線からすれば、よくもこんな、なめた真似が出来るよね!

これで、この人たちは身を切る改革をしていると言うが、皆さんはこの現状で本当に改革らしい改革努力をしていると思いますか。

財政難であるというのならば、ボーナス退職金のぐらい丸ごと返上してみろよ!

名古屋河村たかし市長みたいに、ボーナス退職金返上で50万とか60万とかにしてみろよ!

大阪府松井知事吉村市長みたいに努力しろよ!

新潟県の人口名古屋市の人口と同等である

当然出来ない事ではないですよね!

軽々しく身を切る改革などと言ってんじゃねーよ!

どうせ最後は保身に走るんだろ。

2019-10-02

グレタ・トゥーンベリさんについて

最初に、私は匿名ブログというものを使うのが初めてであり、勝手も分かっていないから、色々と不手際おかしいところがあるだろうことを謝っておきます

さて、本題。

世間を賑わせている(いやもうちょっと旬を過ぎたかな)少女についてだ。彼女の言っていることは、一理あるにしろ、手放しで肯定できるものではないだろうと私は思った。

まぁそんなことはどうでもいいのであって、私が慣れない日記を書いているのは、彼女の今後が心配からだ。余計なお世話に違いないけど、それでもどうしても心配で、こんな余計なお世話に心奪われていては私の日常生活に支障が出るので吐き出してすっきりしちまおうと思った。要するに自己満足だ。

以下その自己満足を延々と綴っているので読みたくない人はここで引き返すことを推奨する。

今度こそ本題。

彼女国連でのスピーチを雑に要約すると「大人たちは環境問題真剣に取り組んでいない、そのせいで私たち若い世代が損害を被っている。よくもまあそんなことを!」である

これはある一面において真実だ。環境問題において世代間、あるいは地域間格差というのは無視出来ない問題で、彼女非難した大人たちも頭を悩ませていたりする。

そしてある一面において、彼女スピーチはまったく馬鹿馬鹿しい戯れ言である

なぜなら「How dare you!」と叫んだところで二酸化炭素は減らない(むしろ普通に呼吸をするよりわずかに増える)。

それに環境を傷つけないためにヨットで海を渡る、そのヨットが開発されたのは経済発展の賜物であるし、飛行機びゅんびゅん飛び回るおかげで今日もモノや人が運ばれて豊かな暮らしを送れる人、貧困に殺されずに済む人がいる。

まぁこんなことは偉い人とか素敵な大人とかが散々言ってると思うので匿名の偉くもない人間がうだうだ言ったところで字数酸素無駄いであるのだが。

で、私が心配なのは、これから彼女大人たちにさんざっぱらに馬鹿にされ、こき下ろされ、さらには信じていたものからも裏切られ、しか環境問題はちっとも良くならないであろうことである

環境問題は一夕一朝に解決できるものでもなく(何もしてないはずもない)大人たちはこれからもこれまで通りにこの深刻な問題解決するべくあくせく働く。

まり、何も変わらない。

彼女の涙ぐましい努力は、学校ストライキは、飛行機を使わずに海を渡って国連スピーチしたことは、彼女の望む世界をもたらさない。

たぶんこの事実は(彼女が憤り絶望している)大人たちに彼女の行動を悪く言われることよりも、よっぽどこたえると思う。

から私は心配で、そして彼女を励ましたいと思う。

彼女の行動は彼女の望む未来をもたらしたりはしない。少なくともすぐに結果は出ない。

だけど、彼女の行動が世界中に広まり話題になったことに、確かに意味はあったと思うのだ。なぜなら、彼女活動は、環境問題に興味をもつきっかけとして充分すぎるほどに有名になった。

彼女賞賛共感するひとも、否定し或いは非難するひとも、他にやるべきことはいくらでもあるのにこんな自己満足文章を書いている私も、彼女言葉に動かされて行動しているのだ。

彼女ストライキスピーチきっかけに環境問題に関心を持った無数の人のなかの何パーセントかは学校に行って環境問題を学ぶだろうし、さらにそのうちの何パーセントかは環境問題専門家になって、その専門家の中から地球を救う人間が、もしくは地球を救う専門家を育てる教授か何かが、出るかもしれない。

それはひどく迂遠な道だし、たぶんグレタさんが学校を休まずに勉強して環境問題専門家になったほうが手っ取り早いんだけど、でも彼女は確かに活動家」として環境問題に大なり小なり貢献していると思うのだ。

から今後彼女絶望することがあったとして、今私が言ったみたいな意見(既にいくらでも言ってる人がいるかもしれないけど)を誰かから聞いて、それでちょっとでも元気になってくれたな〜と思って、そう思ったことを日記にして公開しようと考えた。

あわよくばバズって英語か何かに翻訳されてグレタさん本人の目に止まらねぇかななんて目論んでいたりもする、まぁそんなことはまずありえないのでやっぱりこれは自己満足だ。

これで大きなお世話自己満足は終わりです。自分のことをやろうと思います

駄文長文にお付き合いありがとうございました。

2019-09-10

東北は今苦しんでいるのに関東過去の話をする

トリクルダウン理論の嘘の一種なんだろうな。

金持ち自分が一週間前にしたすり傷の跡は気にしても、召使い今日骨折したことに対しては気にも留めない』みたいな現象がさ、同じ国の地域間で起こっているんだよ。

泣きそうになる。

こんな国が自分たちを美しいと言い張るのが醜すぎて泣きたくなる。

自覚のない悪、愛を知らぬことの自覚を持たぬ自称人格者

なんて恥ずかしい国なんだろう

2019-05-08

神奈川に20年住んでるけどどこが何部とかさっぱりわからん

自分が住んでる横浜近辺が何部なのかすらわからん

無知だと地域間対立にも参加できないので平和

2019-01-31

anond:20190131020640

英語みたいに一つのアルファベット複数音韻いか発音楽やし頑張っていこう

地域間での訛がやばいとか地域次第で挨拶間違うと事故るとかは忘れておこうな

2018-05-13

戦争をなくすにはどうすればいいのか

小学生課題のようなものを、まじめに考えてみた。主権国家同士の交戦権行使に基づいた戦争戦闘行為について述べる前に、分かりやすい身近な例で考えてみたいと思う。

仮定の話として、私はとある一軒家に住んでいるが、隣の家と土地境界線を巡って紛争状態にあるとする。私も相手側双方も、土地境界線ラインが外側にあると主張していて、どちらも譲歩や妥協をする気が一切ない。そこで、現実社会の中であれば、裁判所に頼めば双方間の調停をやってくれるが、国際社会にはこの裁判所のような存在がない。なので、問題当事者となったら自分の力だけで解決しなければならなくなる。

私一人だけで解決するのが難しければ、隣近所の人たちと徒党を組む(=同盟・協商)ことによって、紛争相手に譲歩を迫ることもできるだろう。それでも話し合いや圧力相手が折れなければ、最終的には武力行使によって解決するしかなくなる。それが「戦争である

戦争が起こる原因について考えてみると、突き詰めてみると「話し合い」で解決できないか戦争が起こるのである。隣近所との境界線(=国境線)の話でも何でもいいが、「話し合い」で解決することができれば、最初から戦争紛争は発生しない。それは自分紛争相手が譲歩するからである

しかし、もし譲歩して紛争解決したとしても、例えば隣近所との境界線の例でいえば、自分の家の敷地面積が狭くなってしまうわけだから実質的敗戦と同じである

相手安易に譲歩して自分が損をするくらいなのであれば、リスクを取ってでも武力行使を仕掛ける方が合理的である

※今、北朝鮮の核問題において東アジア戦争寸前の状態になっているが、北朝鮮立場からすれば核をすべて放棄する(日米に譲歩する)ということは、自分自身の自衛能力をすべて放棄することに等しい。なぜなら、北朝鮮国民生活や通常攻撃能力配備犠牲にしてまで、核開発に全てを注いできたかである安易に日米に譲歩するくらいなのであれば、先制攻撃を仕掛ける方が合理的ではないのか。

ここから本題に入るが、戦争をなくすためには、主権国家の仕組みそのものを無くして新しい仕組み(世界政府と常設国連軍の軍備独占)を作るしかない。

世界には多くの主権国家存在していて、それぞれの主権国家暴力警察や軍備)を独占している。その主権国家同士が紛争解決手段として武力行使を行うから戦争が発生する。

ならば、世界中の主権国家をすべて廃止して、世界で一つの主権しかない「世界政府」を作る。そして世界各国の軍隊警察は、世界政府が独占する。これによって世界から戦争はなくなるであろう。

地域間紛争が起きたら、世界政府が作った調停裁判所解決することになる。

世界中の国家廃止するというのは荒唐無稽な話に聞こえるが、世界政府の礎となる組織は既に存在している。それはG7のことである

国連については、拒否権問題などで既に機能不全になっているので除外する。

アメリカ日本カナダイギリスフランスドイツイタリア経済大国7カ国が、最初統合して一つの国家となる。7カ国が保有している軍隊自衛隊は、全て統合して一つの国連軍を作り上げる。そして、近い未来に起こる第3次世界大戦によって、ロシア中国中東列強崩壊したのち、それらの国々を世界政府に吸収してさら勢力を伸ばす。

その後は、残った世界各地の小国を吸収していくうちに、世界統一が完成するという流れ。

2018-03-29

anond:20180326145822

なるほど。資本移転自由になれば、経済格差を解消する布石になりますね?

ドル、円、ポンドといった国別の通貨を、共通化する電子貨幣代替していく必要がある。

それだと地域間および地域経済格差が進んで、さら物理精神国境同士の壁がより厚く高くなる反動もある、現在トランプvs周近平のような。

富の偏在問題からむと、簡単はいかないよ。

2017-12-03

中国在住3年の雑感

最近中国アゲサゲ論が盛り上がってるので、せっかくだから上海在住3年の自分の実感をだらだら書く。

屋台含めて普通に生活してて使えない店はまず見ない。上海以外の地方でも普通は使える。上海コンビニ飲食店だと利用率は95%以上という印象。公共機関運営してる観光名所とかはたまに使えない。さすがにホームレス投げ銭もらうのに使ってるのは見たことない。「財布無しで生活できる」という話をよく見るけど、実際は身分証社員証、交通カードとかはカードタイプなので、それを収納する財布を持ち歩くのが普通(これらがカードタイプなのは財布を持ち歩くことが前提の時代の名残なのでこれから形状変わると思う)。中国国内銀行口座と紐づけないと事実上使えないのだけど、去年から外国旅行者銀行口座開設が難しくなったので、外国人が使うのはかなり困難だと思う。これは外国人排斥目的ではなくマネロン防止の観点から政策理解している(日本では外国人旅行者銀行口座作れるのかな?)ちなみに日本とか中国国外alipayとか使える店増えてるけど、これは中国人旅行客専用サービス日本人中国アカウント持ってても使えない。国として完全にモバイルペイメントに依存するのはヤバイという自覚はあるらしく、店が現金払い拒否することは禁止されてる。

携帯で支払済むのはまあ便利。セキュリティが…って話も日本人からよく聞くけど、携帯端末ロックパスワードと支払パスワードの2つあるので、少なくともスイカみたいに落としたら終わりっていう支払方式よりは安全な気がしている。

現金信奉してる日本人は未開人過ぎ」みたいな言説も多いが、中国で普及した理由は、まず何よりも店側の手数料がめちゃ低いからどの店でも使えるようになったこと。それに加えてalipaywechatが1番ガチ戦争してる時に死ぬほど割引バラまいたてた。モバイルペイメント使うと10%引きとか普通だった。またalipayアカウントチャージしてる残高に対して銀行金利の数倍の金利を付けてたから、使わないけどとりあえずアカウント作ったっていう中高年も多かった。もちろんこんなのでペイするわけないのだが、アリババテンセントが先行投資として根性入れて血流しまくって頑張ったからみんな使ってるだけ。日本だって普及期にここまで根性入れて金燃やしまくるプラットフォーマーがいたら普及すると思う。

もともとモータリゼーションの急速な進展で利用率が低くなった自転車専用道がたくさんあったこと、GPSバッテリー価格低下、モバイルペイメント普及による低コストの料金回収スキームという各種資源現実的パッケージとしてまとめ上げ、駅間移動のだるさというニーズ社会レベルで解消したのは、まさにイノベーションのお手本とも言える快挙だと思う。素直にすごい。

ただ本当に経済性があるかというと微妙で、モバイクCEOも「どうやって利益をあげたらいいかからない」と正直に発言してるような状態しかも、結局今は駅間のバスタクシー、徒歩移動が多いから便利なんだけど、中国都市部は今ものすごい勢いで地下鉄建設が進んでいて、東京並みのネットワークに近づいていくと、雨だと使えない自転車の優位性はどんどん下がっていくのは確実。時代の徒花で終わる可能性は否めないと個人的に感じる。

かにみんな未来を楽観視していて、借金してでもバンバン金を使うし、それがますます経済好転させてる。正直羨ましい感じはする。金盾情報統制されてるのは事実だけど、普段生活別に影響ないし、GoogleFacebookと遜色ない中国製サービス(本当に遜色ないんだよ。全く困らない)を使えるから何の不満もないのが実態治安も良いので、沿岸都市部に住む限りは、日本を超えていると感じられなくはないかな。

じゃあ中国日本に完勝してるかというと、個人的には全然そう思わない。結局都市部人間が便利な生活を送れてるのは農村部の人から搾取してるから。各種Webサービスも、結局最後人海戦術で回していて、農村から出稼ぎ労働者ものすごい低賃金で頑張ってるから成り立っているのが現状。貧富の差はとても大きくて、地域間収入格差は最大6倍くらいあるんだぜ。日本でいうと平均月収10万円以下の県があるということに近い。それでも中国日本に完勝してると思えますか?これだけの国内格差に本当に皆さん耐えられますか?

色々と書いて来ましたが、勢いがあって面白いなのは間違いない。LCCなら三時間数万円で来れるから、しのごの言わずに一回見に来たほうがいいと思うよ!

2015-09-10

ローリングガールズと言うアニメ

政府道州制強制施行した事で各地の自警団永田町に集結する騒乱から10年後。

東京大決戦と呼ばれるその騒ぎの後に発布された「ツインタワー宣言」では、

地域間トラブル対話による解決が出来ない場合

各自警団の代表である団長同士の対決で決着を付けるように定められている。

アニメ本編の主人公となるのは特殊能力を持つ自警団団長、作中ではモサと呼ばれる者たち、

ではなく、なんの能力も持たないモサに憧れる普通人間モブ少女

アニメ序盤で負傷してしまったモサの代理人として旅に出た彼女たちは、

道中で「月明かりの石」と呼んでいた石が手にした者の潜在能力を極限まで高める効力があることを知る。

ここまで書いておいてなんだが、ストーリーが進むにつれ、

モサと呼ばれる能力者の強い思いに引き寄せられるだけで実はその石には何の効力もない事が判明する。

からこのアニメはよくあるように、

ストーリーの途中で主人公らが石の力で都合よく戦士覚醒したりもせず、

モブのまま、普通少女のまま、少しだけ成長して、旅を終える。

「夢中で転がる者たちがなんやかんやで生きている。人はその輝きを明日と呼ぶ」

最終回物語はそう締めくくられる。

子供の頃と言うのは誰しも大きすぎる夢を抱いたり、自分には特別な才能があると信じたり、または特別な力を手に入れたいと願う。

それはこのアニメの作中で主人公らが抱いていたモサへの憧れと同じものだろう。

だけど、誰しもが歳を重ねていくと同時に、仮面ライダープリキュア実在しない事を理解する。

生きていく間に妥協や諦めを重ねて普通人間は前に進んでいく。

ドラマのような人生ばかりではないけど、普通に生きている人間だって夢中で転がっていれば輝く明日がある。

普通=無力ではないと言う事。

ローリングガールズは世の中の大多数である普通人間に向けられた等身大の「がんばれ」だと自分は思う。

大きすぎる夢を抱いて無鉄砲になるのでも、自分には才能がないからと卑屈になるのでもなく、普通に、平凡に生きる。

そう言う生き方だって美しさはあると教えてくれた。

何年もこんなに見応えのあるアニメはなかったと思う。

あと御園千綾役の花守ゆみりさんは可愛かった、いい匂いがした。

2015-02-15

よみがえれ!アトランティスしぐさ

かつて栄華を誇りながらも一夜のうちに大西洋に沈んだアトランティス

その繁栄を支えたアトランティス人の心性。文明を引き継いだ我々は学ばねばらなないだろう。

①ピピャールェメントスピェかしげ

ピピャールェメントスピェ(または地域によってはパイピャールウエメトスパイェ、あるいはポポ)はアトランティス人の雨具であり、アトランティスの雨季であるアトランティスはしご月~鷲犬月に用いられた。アトランティス海岸付近以外は広大かつ起伏の少ない大地であり人口は散住していたため雨季に人々がピピャールェメントスピェを互いに用いてすれ違う、という事態まれである。そこですれ違う際はたがいのピピャールェメントスピェの右の裾を重ね合い、出会いの悦びを表現した。これをアトランティス語でモリモリオカ(地域によってはアオアオモリ、あるいはポポ)という。

②ソンプナップエロウィンペッチョルひきしぐさ(肩ひきしぐさ)

ソンプナップエロウィンペッチョルは西部アトランティス方言の古い言葉で「肩」を意味する。地域によっては「肩」はショルディアスだとかあるいはポポだとか呼ばれており、地域間言語差異の激しいアトランティス事情考慮し、ここでは日本語で肩ひきしぐさと表記しよう。先述のとおり、アトランティスでは人とすれ違うことは稀であった。『クリティアス』の記述の通り食料供給は十分である。人々は牧歌的であり争いを好まない。たまに仕事旅行で出歩いた時遠くに人を見かけたとしよう。大抵の場合出会いの嬉しさでお互いに近づき、わざとすれ違う。一度では飽き足らず、この擬制的なすれ違いを何度か繰り返す。これがアトランティス流の肩ひきの仕草である地域によっては儀式化しているところもあり、遠方からの来客をもてなす際に、この「すれ違い」で出迎えるという奇妙で誤謬的な風習があった。

アトランティス平家がに歩き

アトランティス海岸沿いには34種の蟹が生息していたと言われるが、その最大勢力かつ、もっとも著名な存在アトランティス平家蟹Atlantikós Heikeopsis japonica だろう。源平合戦の悲哀のエピソードも伝わるこの蟹は、現地語でウベシヤマグチだとか、地域によっては単純にポポとも言われる。アトランティスの港では人々は頻繁に往来するが人々は元より温和で、すれ違う際も細心の注意を払うし、たとえぶつかっても謝罪するし、ぶつかられた側も怒りもしない。先述の儀礼的な二つのしぐさを除けば、すれ違うことにわざわざことさらなる意味は見出さな成熟した人々であった。アトランティス平家蟹歩きはただの平家蟹に映った平敦盛とか二位尼モノマネで、顔を顰めて源氏を恨んでカニ歩きすることで人々の笑いをさそうものだ。笑いで生活に潤いをもたらしたアトランティス人の心性を示す好材料である

2014-11-29

http://b.hatena.ne.jp/entry/chizuu.hatenadiary.jp/entry/2014/11/28/212022

本日ホッテントリ勝手に突っ込んでみる。

年寄り女性ボランティア訪問育児とかさせるNPOとかどうかな?生きがい作りと地域間交流になると思うんだけど。

有償ボランティア(1時間数百円程度)であるファミリーサポートでさえ常に人不足なのに、ましてタダでなんて誰がするものか。

あと生後二か月の子なんて素人が預かるには危険すぎる。何かあったら数億の賠償金払えるってなら別だけどな。

あと、なぜ姑と同居って話になるんだろ。嫁の両親と同居って選択肢はハナからないもんなのか。

嫁の両親と同居は男にとって「ハナからない」。嫁を自分の親と同居させるのは当然だけど自分がそんな目に遭うのは嫌だ、と言う男が多いから

あと嫁の親側も嫌がる事が多い。息子の妻だったら「嫁」として自分が上の立場で好きなようにこき使える(と思ってる)年寄りは多いけど

娘の夫には強気に出られず、自分が娘の夫に気を遣う生活しなければならないから

(因みに「嫁」だとしても自分が気を遣わなければならない、と考える年寄りは「嫁」とも同居したがらない)

妻の親が近居、夫の親は遠距離、が一番無難

ショットで頼める信頼のおけるベビーシッター比較安価に頼めれば、虐待とか育児ノイローゼとか減って、育児に対する不安も減ると思うんだけど。

から、二か月の子無資格ベビーシッターなんて無理。

保育士であっても危機意識無い人でなければ躊躇するんじゃないか?

更に、嫁と姑の関係を殊更に煽りたて、核家族化を誘導した、この世界の何者かに呪い

核家族化は都市化と職住分離化の結果であり、嫁と姑の関係煽り立てられたからではない。

っつーかそんなに大人になってもママと同居したいのかねこいつら。「ママと嫁が仲良くしてくれれば万事解決」?アホか。

完全なる甘え。普通にこなしてる人も多くいるし、これをやりながら仕事をしてる人だって腐るほど多くいる。

仕事してたら保育園入れられる=その間子供預けられるからもっと楽でしょ。

赤ちゃん育児若い女性限定だしね。上手に伝える言葉技術も持ってない

何歳だと思ってるんだろうか。

実家を頼りたくても、定年延長&共働き化&介護問題放置で見えて来るのは、実家すら人が出払っていて頼れない未来

現在進行形どころか数十年前からそうだと思うけど。

都会はとっくに核家族化で実家は遥か遠い田舎というのがデフォになってたし、田舎はむしろ嫁が育児も姑の分の家事も全部やる、がデフォだし。

今の方が楽になってるわな。

因みに育児ノイローゼという言葉が生まれたのは70年代


0歳時から預かれる幼稚園政府が作るべきじゃないのかと思う。

保育園じゃ駄目なんかね。

ついでに六か月以降だと一時保育の選択肢が色々出てくる。安い公的なもの地域によっては埋まってて無理だろうけど

高い金出せばそこそこ空きはあるんじゃなかろうか。

地獄の沙汰も金次第

昔の人は、同居の義母に面倒を見てもらった。なのに今の人は、自分で「姑はイヤだ」と言って、姑に協力してもらうことを拒んだんでしょ?

どうでもいいが、何故そんなに姑=暇だと思ってるんだろうかこいつらは。

ママはボクの為なら他の用事なんて全部すっ飛ばして協力してくれて当たり前!という認識なんだろうか。

実際はボクの為じゃなくて嫁の為な訳で、嫁の為にそんな事したい訳ない。

ボクの為であっても無料家政婦兼シッターとしてこき使われるなんてやなこった、暇で気が向いた時に孫と遊ぶだけの立場になりたい、って姑が殆どだと思うけど。

2014-10-24

5人の差は大きいと書いた高校教諭増田です

http://anond.hatelabo.jp/20141023160653

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141023160653

増田でこれほどブクマついたのが初めてで興味深く読ませていただきました。ブコメTwitter での言及も。

せっかくなのでそれらを見てまた感じたことを軽く書いてみようと思う。

自分で読み返して

数々のコメントの内容の前に。

HR(ホームルーム)での違いについて

そういれば学級経営についての言及がなかったなと。自分担任経験がなく感じたまま書けることが授業くらいなものだった。

自分のこれまでの経歴では職員数の多い高校での勤務しか経験がなくそこでは一人一分掌的に、担任か、それ以外(総務、教務、進路など)といった組織体制だった。当初は常勤講師としての勤務で担任は持たせてもらえず、教諭となった今、前任校で経験のあった同じ部署仕事をしており、次年度の分掌として学級担任希望しているという次第。

また後でジョブローテーションなんかについても述べるが、今の勤務校が教育困難校である不安も大きいが自身教員としての力量形成キャリア形成として早くに学級担任を持ちたいと思っている。ちなみに年齢的に言うと大学卒業してから一般企業に務めた経験があり、ぎりぎり若手というくくりに入れてもらえるかなというところ。

で、HRについてだが、担任経験者にこういった人数についての話を聞くと、自分の近くではこんな感じだ。

学級経営としては大きな差異を具体的に感じるわけでもなさそう。ただやはり教室に5人増えるだけで教壇で感じる圧迫感が強いのは共通している。

中学校について

これも高校範囲しか書かなかったので。ここに書くことは教育業界にいる人間の、現場から聞いた話と少しの憶測である

例えば高校なんかは義務教育でない上に、多少近い傾向を持った生徒が集まる。それに対し義務教育である中学校は、公立校には基本的地域から選り分けられることなく生徒が集まる。で、ここで短絡的に「小中学校学校による差は無く幅広く多様な生徒が集まる」とは言えない。地域による差があるからだ。

柄の悪い地域というのはどこにでも存在する。よく「団地の多い地域中学校での教育は大変」なんて言ったりするが、比較生活水準が低く、片親であったり家庭環境が複雑であったりする家庭の多い地域がある。そういった地域では、家庭でも子供幼児教育初等教育に割く余裕がない分、ちょっとした勉強の躓きから ADHDLD などの障害までが見過ごされたまま子供が育ちがちだったりする。他方では経済的に余裕があり子供教育にも家計を割くことができる家庭の多い地域があり、そういった地域間教育格差が生まれるのは必然である

そういった「落ち着きのない騒がしい小学校」「柄の悪い中学校」を経験した人も多いのではないだろうか。

そんな中で、高校教員自分が言うのもなんだが小中学校教員の方が激務だ。これは残業時間などのデータにも出ている。まず小学校は言うまでもなく担任ほとんどの授業を行う。また高校教員は大体の授業数が週 12〜18 コマであるのに対し、中学校では多い場合 20 を超える。まして人格形成高校よりもなされていない中学校でそれだけの授業をこなさなければいけない。またその上、子供達の部活動には高校よりも張り付いて監督していなければならないし、部活動が終わり職員室へ戻って授業準備でもしようとした所に近所のショッピングモールから万引き通報が入ったりする。

まとめると、小中学校は平均的とは決して言えず、自分が前記事で書いたような教育困難校は小中学校でもちゃんと存在し、そんな中で上述のような業務をこなさなければいけないのだ。高校自分が前記事のような主張をしたくなるのだから、小中学校は尚更であろうと思う。

ブクマTwitter 等でのコメントについて

思いの外応援や労いの声が多く嬉しかったです。ありがとうございます

大変な5人の隔離について

コメントに多かった声。「5人を隔離すればよいのでは」から「また別の5人が発生」まで色々。

まずその「大変な5人を隔離」については、習熟度別学習もそれに近い性質もあるように思う。試験などの成績でクラス分けを行うことが多いが、それで低学力の子が少人数で集まると、そのチームで学習が行き届くようになるケースは往々にしてある。ただそれで学級一つを作るとなるとそう簡単ではないだろうなとも。

以前は特別支援教育についてもそういう生徒を分けて特別教育をという考えがあったけれど、今は健常な生徒から課題を抱える生徒まで包括して一人ひとりに良い教育をという(理想論に過ぎる)方針に転換しているので(インクルージョン教育)、そこは今の教育の目指すところではないのだろうなぁ。

120人クラスにして、正担任1人、副担任2人の3人チーム案

単位制みたいなイメージだろうか。特定の小規模な学級を持たず自由化ということだろうが、まずもっと教員必要だろうと思うけどそれにしても現実的ではないだろうなぁ。

特に自分の勤務校にいるような生徒は自分で正しく判断していく力が乏しいし、持続的な集中力が乏しく激しい私語などで授業を引っ掻き回すような生徒はその場の楽しさだけを求めて集団で固まり結果授業が崩壊しそう。そこへのサポート案でもあれば。

30人が35人になっても同じ理屈でぜんぜん違うとか言い出すんだろ甘えんな

甘えだと言われても詮ないのだが、実際ぜんぜん違うだろうし、似たような原因から似たような事も起こる。ただしどちらがいいかは別問題。後述するがそこにいる生徒たちによって理想的な人数はそれぞれ違う。それが現実的でないのもお分かりであろうが、自分の中ではこれ以外に具体的な案はない。

その他人数について

自分は少なければ少ないほど良いとは思わない。集団生活能力関係形成能力客観的意識の育成のためにもある程度の人数の集団必要である。そのための場が生徒にとって、30人前後の学級なのか、10前後部活動なのか、15人の特別支援学級なのかはわからない。またこれまでの授業経験でも学級の経営一つで25人の授業が30人になった後でも良くなるケースだってある。生徒たちが自身にとって最も有用集団に属するのが良いと思う。

生身の教師が直接授業する意味ってあるの?

http://anon.isc5.com/2014/10/kyousi.html

記事にいくつかの事が書かれているけどそれらについて。

通信もあるし教員免許のない塾講師にも指導はできるし学校意味はあるのか

通信制高校全日高校も同じ学校だし、それらと塾もまた別だし混同しすぎ。

まず通信制全日制など様々な学校があるのは当然生徒たちに適した学校教育が受けられるため。

あと教員免許状について誤解されているようだが教科指導技術だけで免許を取得しているわけではない。教科指導のみでなく発達心理を学んだ上での生活指導カウンセリング自己実現のための進路選択指導、全てが学校での教育活動でしょう。

教育効果管理能力は違う

目が届くようになるという意味で使っているケアというのは教育でなく管理ではないのか、ということだと理解したけど、その初動からの全てがその生徒のための教育活動。仰る通りだが、教室に座って念仏を聞くだけで教育とは言えない。実際、前記事に書いたような情緒の安定しない課題のある生徒だって、そんな状態で授業を受けなさいといったところで知識・理解なんて深まらない。じゃあどうするのかというと、この場にはいない方が良いと判断した場合、例えばとりあえず付き添いをつけて保健室や職員室の担任の元へ行かせたりする。そこでその場のケア、そしてその後情報交換をし、その子のアフターフォローについて話し合う。その授業一つ一つだけでなく、組織で取り組むのが教育活動である

教室という空間自体に疑問を持っておられそうだが、当然、そこにいることが有用でないのであれば通信制高校などで高卒資格を取得すればいい。現任校のような全日制課程に所属する生徒に対しては、その学校高校生活を送り卒業することを希望したと判断教育を行っている。もちろんそこには保護者も介在しそんなシンプルな話ではないが。

単に、分からない授業を受けるのは退屈なだけなのでは?

突っ込みを入れられている前記事の事例が極端だったので良くなかったかもしれない。年間を通して指導をしていると、教室にいる・いないの問題だけでなく、成績にも環境による差異は現れる。数人人数の減る科目だけ授業に取り組み、結果その科目のみ伸びるというようなことだ(もちろんそんな単一な要因であることも多くはないが)。あとこれについてだけは無いが大きな要素として理解していただきたいのだが、勉強学習けが教育でなく、特にうちのような困難校ではその生徒がいかに健全学校生活を送れるかが大事。そのためには人数を含め教室環境というのは大きすぎる要素だ。その上にあって生徒が負担を感じることな教室にいられる環境を敷くことができるのであればそうしたいだろう。

人数が少ないほど良い?!

人数については前述したので割愛。この記事への返答は終わり。

ここに書かれた状況は教員仕事なのか?

そうだと思ってやっています。教科指導生活指導進路指導、全て教員仕事です。

レベル低い高校に赴任する教諭は、指導能力が乏しいか

結論から言うとそこの相関関係は無い。地域による違いもあると思うけど、一応教員の力量形成のためのジョブローテーションは存在する。

まず基本としては、様々な学校で勤務をすることが教員経験・力量にもなるし、さらに言うと管理職候補も養成しなければならない。そのために普通学校だけでなく、工農商の実業高校定時制単位制高校進学校など様々な環境学校を出来る限り経験しましょうというような方針がある。その上で自分の勤務経歴は、まず常勤講師は力量関係なく空いた枠に入るしかない。そして正規教諭になり、まず最初経験を積むという段になっている。そのため、自分も数年後には異動することになる。優しいコメントもあったけどその異動までは現任校で頑張る所存。

ただ実態としてそうもいっていない現実もある。例えばある都道府県は初任者はちょっとした郊外田舎に勤務することが割合として多い。何故かと言うと都心部から中堅教員が動きたがらないから。そこには持ち家を持っているとかそういう事情もあるが、なんせ勤務年数の長い教員わがままを言う。都心部通勤が楽、その上学校が中堅進学校であったりすると居心地がよくなる。進学指導に躍起になることもなく生徒指導も手がかからないからだ。初任者は数年で異動させる慣例があったりするが中堅はそうでもなく、異動希望を出さなければ長年在籍することができるので、そこにつけいって、なかなか異動しない。自分は割りと本気で様々な問題の病巣がここにあると思っている。

またそんな中にも、様々な問題のある定時制高校でも勤務時間仕事量の少なさから長い間在籍する変わり者もいる。定時制なんかには変な教員・使い物にならない教員が多いなんて声を見たことがあるが、自分はそこまで極端な話ではないとは思いつつも、組織の中で周りと上手くやっていくことが苦手で職員数の少ない定時制に在籍する教員もいるので、まぁねぇ、というところ。

エビデンスは?

個人の感想です

そういう趣旨記事じゃないです。

義務教育じゃないんだから放置

教育困難校は本当に、高校生はいえその時その時の刹那的感情に素直な生徒ばかりなんです。そんなわけにいかない。

高校を出て就職をする。そのために就職試験がありその中では「高校数学なんて世の中で使わねーよww」なんて言っていられない。就職試験因数分解三角比問題を解くことが就職につながる。

そんな、教科教育の意義・理想論なんて話以前の、これ以上なく現実的なことでさえ、生徒たちは自分判断学校生活を過ごすことはできない。数学なんて知らねーよ。約数ってなんだっけ。分数って上割る下だっけ。あーもうやだ数学嫌い。ツムツムしよ。

感覚として、今授業をしていて、まだ大人しい1年生の教室の中で、集中してついてこれている生徒 4/5 ,残りがちょっと厳しそうというところだ。そこで自分が授業中、注意や指摘など、教科指導以外のことを放棄したとしよう。怒られない。喋る声で授業聞こえない。あ、LINE きた。そんなこんなで授業を聞く生徒は 3,4 人になるだろうなと思う。

そうなると学校経営破綻する。ただでさえ入学から卒業までに数十人が転退学するような学校だ。進級・卒業就職と進んでいける生徒がいなくなるだろう。そしてそこに「義務教育じゃないんだから」は酷だ。生徒の声に答える事だけが我々の職務でなく、そこには子供自己実現を願う親がいる。それを求める地域社会がある。そのために学校存在する。

最後

繰り返しになりますが、多くのコメントの中様々な視点があり本当に面白かったです。たかだか学級人数の話から少し広がりすぎたが、まぁ面白く読んでいただければ幸い。

皆様の生活があり自分仕事があることも事実であり、そんな社会に少しでも還元できればと思って働いてまいります仕事が楽になればとも思うけど、それ以上に生徒たちが少しでも良くなればとお祈りして、今回の件についての記事を締めます

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