2015-09-10

ローリングガールズと言うアニメ

政府道州制強制施行した事で各地の自警団永田町に集結する騒乱から10年後。

東京大決戦と呼ばれるその騒ぎの後に発布された「ツインタワー宣言」では、

地域間トラブル対話による解決が出来ない場合

各自警団の代表である団長同士の対決で決着を付けるように定められている。

アニメ本編の主人公となるのは特殊能力を持つ自警団団長、作中ではモサと呼ばれる者たち、

ではなく、なんの能力も持たないモサに憧れる普通人間モブ少女

アニメ序盤で負傷してしまったモサの代理人として旅に出た彼女たちは、

道中で「月明かりの石」と呼んでいた石が手にした者の潜在能力を極限まで高める効力があることを知る。

ここまで書いておいてなんだが、ストーリーが進むにつれ、

モサと呼ばれる能力者の強い思いに引き寄せられるだけで実はその石には何の効力もない事が判明する。

からこのアニメはよくあるように、

ストーリーの途中で主人公らが石の力で都合よく戦士覚醒したりもせず、

モブのまま、普通少女のまま、少しだけ成長して、旅を終える。

「夢中で転がる者たちがなんやかんやで生きている。人はその輝きを明日と呼ぶ」

最終回物語はそう締めくくられる。

子供の頃と言うのは誰しも大きすぎる夢を抱いたり、自分には特別な才能があると信じたり、または特別な力を手に入れたいと願う。

それはこのアニメの作中で主人公らが抱いていたモサへの憧れと同じものだろう。

だけど、誰しもが歳を重ねていくと同時に、仮面ライダープリキュア実在しない事を理解する。

生きていく間に妥協や諦めを重ねて普通人間は前に進んでいく。

ドラマのような人生ばかりではないけど、普通に生きている人間だって夢中で転がっていれば輝く明日がある。

普通=無力ではないと言う事。

ローリングガールズは世の中の大多数である普通人間に向けられた等身大の「がんばれ」だと自分は思う。

大きすぎる夢を抱いて無鉄砲になるのでも、自分には才能がないからと卑屈になるのでもなく、普通に、平凡に生きる。

そう言う生き方だって美しさはあると教えてくれた。

何年もこんなに見応えのあるアニメはなかったと思う。

あと御園千綾役の花守ゆみりさんは可愛かった、いい匂いがした。

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