はてなキーワード: 駄菓子屋とは
※駄文注意
妹が焼いてくれたチョコマフィンが、外サクサク中モッチモチで馬鹿みたいに美味しかったので爆食い。
その合計金額なんと千円分。
家族でひっそり食べたよ。
まずは茎わかめ
こんなに美味しい食べ物はあるのかと大興奮。
そういえば幼女時代は、お金が勿体なかったから甘いお菓子しか買ってなかったな。
地味な辛さに歪む家族の顔を見てご満悦。
そして前回ブコメの中にあった、セブンスター(ツインクルでした)も購入。
うずらの卵みたいなチョコエッグを割ったら、中からシャリザクのお菓子が出てきて楽しい♥
あとパチパチキャンディも買いました。口の中でパチパチして楽しい〜(バカの意見)
でも今年は増田に可愛らしいビール腹のおじさんの爪あとを残したり、個人的にパーソナルカラー診断に行ったりと色々楽しかったです。
長引くコロナ禍で商業でも活躍している有名作家がDL販売を開始した例が増える一方、パトロン系サイトに登録して本をあんまり出さなくなった作家も増えた一年でした。
単にエロいだけではない印象に残った同人について書き残しておきます。
なお同人音声は専門外です。
・嫌われ女を助けたらシリーズ 手つかずの青
パーティーの嫌みな女騎士が公衆便女になってたので買い取ったら薬で淫乱になってて献身的に介抱したらツンデレになった話。
もちろんこういう設定は罪悪感なくセックスするためのお膳立てでしかないんだけど、淫乱顔から固い顔から惚れ顔っていう表情の変化がとても良かった。
小悪魔未満の無邪気な女の子がノー天気にエッチしてて気持ちよさそうだからそれでいい。
・おまかせくださいご主人さま 2SAI
マグロじゃないけど表情固めのメイドが少しずつ緩んでいく感じが萌え。
射精のメタファーというか絶頂の視覚的表現としての母乳描写がエロくて、シリーズでも出色。
大河がキャラとして強すぎるので声が脳内再生される。電子版再販とかじゃなくて令和にとらドラ!の新刊出したのすごい。
この作者絵がすごく上手いわけじゃないんだけどアヘ顔がすごく良くて、その中でも一番よく出てるのがこの本だと思う。
ジャンプルーキーから追い出された倒錯インピオ漫画が吹っ切れて同人で帰ってきた。TSではなく性器交換というのは関係性萌えがすごい。
俺はゾーニング主義者ではないけど、やっぱこの作者にはジャンプという枠は小さすぎる。
関谷あさみ先生はやっぱり感情の機微がエロさに結びついててすごい。
快楽落ちした人間が他の人間も善意で落とそうとする、というシチュが素晴らしい。この本の場合機械姦なんで、人間関係を抜きに純粋な快楽に落とされる感じがすごく良い。
ただここ最近、下記のような事例をよく見る。
A:「ペットショップで猫飼いたいです」
B:「保護猫飼えよ」
上記のやりとりではインターネットでよく見る何の関係もない赤の他人である。
一見、保護猫活動らしきものだが、果たして本当に善意や本心でちゃんと考えているのだろうか。
こちらは基本的に手続きがとても大変だ。どれくらい大変かと言うと、それはもう大変である。
仮に「ネコちゃん飼いたい!!」と思い、保護猫を迎え入れようと連絡したら、あまりの審査の厳しさと手続きにかかる膨大な時間の損失にヘトヘトになるだろう。
確かに、彼らは「もう二度と猫ちゃんを悲しませたりしない」という強い信念のもとで活動なさっている方が多い。(残念ながら猫ちゃんを虐待するキチガイ野郎は後を絶たないので。猫がそいつらを虐待する立場になってくれればいいのに)
なので、「ヤバい奴に渡さないように」とても入念に審査する。家族構成(独身か、夫婦か、子供はいるか何歳だ、等)、年収、など猫を飼うに値するかどうか入念に調べる。
仮に審査を通ったとしても、ワクチン代金などの資金、また譲渡後にちょくちょく連絡したりと何かと縁が切れない。
ネコを貰ってじゃあさよなら、というわけにはいかないのだ。正直めんどくさい。(ただ本当に世の中ヤバい奴がいるのでこの対策は正しいと思う)
しかしちゃんんとした機関なので安心して猫ちゃんをお迎えできると思う。
費用や手続きについては、こちらは里親によるとしか言いようがない。
基本的に個人間の取引みたいなものだからだ。間にボランティアが入ったりするけど。関係図だとメルカリに近い。
サイトで「わーこの猫ちゃんカワイイー!」と選んでみたら、里親がめちゃくちゃ厄介な奴で弁護沙汰になった、なんて話結構あるみたい。
仕方ないよね。他人同士だし。
そもそも、成猫をサイトに掲載している人たち、わたしは結構身構える。(猫ちゃん悪くないよ、可愛いよ)
何故かって、「いっぱい産まれちゃいました!困ったから里親募集」みたいな子猫は分かるけど(まあそれが大半だし)、成猫って「飼いたくないから飼えなくなった」とか「新しい子迎えるから里親にあげる」みたいな頭おかしい殺人鬼馬鹿野郎クソがいるからである。お前は一生猫飼うな。ネズミに転生して猫にくわれちまえ。※実際に私の友人の友人に居ます、マジ在り得ないあのクソ女〇ね。
勿論、「祖父が飼ってたけど死んじゃった。でも家ではどうしても飼えない」というちゃんとした理由で募集する里親さんもいる。
サイトだからってやり取りするのは個人だから、例え猫ちゃん可愛くても里親バケモンだったらトラブルに巻き込まれるリスクを考えてほしい。
※そもそも個人的に家から一歩も出さなければ避妊手術はいらないと思っている(まあ粗相滅茶苦茶ひどくなるし、猫ちゃんのストレスが~とかいう奴いるけど、お腹裂いて内臓取り出したり局部ちょん切られるよりは可哀そうじゃない。これだって人間の都合だろ。全部人間の都合だよ。出来る限り自由にしてあげたい、自然にね)
ただ例外もあって、例えば家で飼ってる猫ちゃんは駄菓子屋さんで貰ってきた子なんだよね。
なんか駄菓子屋の爺さんの知り合い?が子猫持ってきたんだって。欲しいって言ったらくれたよね。
知り合いに譲ってもらうのが、一番リスク少ないし、楽だし、金掛かんないし、ヤバい奴に関わんないね。
ただ受け取り手の審査しないから、猫にとってのリスクはあって、絶対に幸せにしてやる、って人しか猫飼ってほしくない(これは何処でお迎えしてもそう)
しかも猫余ってる(って言い方アレだけど)知り合いって周りに居ないじゃん。
運命なんだよね、結局さ。
②ペットショップで売れなくなった子の末路を想像できているのか
この前、ホームセンターのペットショップで猫のおやつを物色していた時、ショーケースに入れられた猫ちゃんの値段を見てびっくりした。
一体、どんな経路をたどればこんなに高額なるんだろう。
因みにこれは都内で、田舎だと半額だったりする。都内には悪徳バイヤーでも潜んでるんじゃないか?
田舎はまだ買い手がつく値段だろう。実際うちの子の一匹はペットショップで一目ぼれで買った。運命的な出会いだった。15万円である。それでも高いわ。
まぁ、実際に、このくらいの値段の方がキチガイはわざわざ買おうと思わないし、経済的に困窮している人が飼って更に悲惨な末路に……ってなる可能性も低い。
ただ50万前後はやりすぎだろ。
他にも50万、100万ごえのペット君なんてザラにいるけども。
そいつら基本希少種だろ。ネコちゃんなんてブリーダー腐るほどいるし、供給過多の時代になんて値段付けるんだ。売る気ないだろ。
基本、供給>需要だと供給の値段下がるじゃん。でも儲けしか考えてない奴がいるから値段吊り上がるんだよね。ペット業界ホントおかしいよ。頭が。
買い手がつくわけないだろ。ネコちゃんなんて三か月くらいですくすく大きくなって可愛くふわふわになるんだから。
値段見て「保護猫にしよ……」って思う人いるから動物愛護団体はメシウマなんかな。
でも、彼らって売れ残るとどんどんお店をたらい回しにされた挙句、オーナーかスタッフのペットになるらしいんだけど、絶対あぶれるよね(実際もうあぶれてると思う)
供給過多で値段も高いのに、受け取り手がなくなったらどうなると思う? 悲しい結末に決まってるよね。
実際にペット業界は公にしないけど(したら大問題になって会社潰れるから)保健所にいってるだろうよ。それで保健所も受け取れなくて、殺処分だろうよ。
保護猫飼えって言ってる人は、この現実を考慮して発言してるのかな。
③ ②という意見なのでペットショップで買わないのが大事だと言っている脳死人間嫌い
結局保護猫引き取ればペットショップ無くせる!って考え方、浅はかだよね。
じゃあどうすればこの負の連鎖断ち切れるの?って考えると、もうブリーダー抹殺するしかないじゃん。だってこいつ等が繁殖させてるんだもん。元を絶つしかないでしょうよ。
そうすればペットショップ廃業するよ。代わりに闇市とかで猫ちゃん出回るかもね。マジで。
それか国が条例作るかだけど、今の政策だとやる気配全くないよね。
「フランスが~」とか言ってる奴いるけど、よそはよそ、うちはうちだよ。
他国と比べても何の解決にもならないのに理想論ぶちまけてんじゃねーよ。日本でできる事を模索していくしかねーんだよ。
そもそもそう言ってる奴ら保護猫飼えないような未成年ばっかじゃないの?
本当に飼える奴はわざわざSNSとかで噛みついたりせず自分で保護猫カフェとか見せ開いたり、引き取ったりしてるからな。
未成年だから保護猫飼えないなんて言い訳する奴いたら出てこい。他人に「保護猫飼え」なんて言うくらいなら一人暮らししてでも里親で猫ちゃん貰って自分で飼え。そんで幸せにしろ。
大人になってもグチグチ行ってる奴については論外だよ。他人に噛みつくぐらいなら署名運動でもなんでもしろよ。クラファンでもよ。
④総括
わたしはペットショップで買っても、保護猫施設や里親でお迎えしてもどっちでもいいと思ってる。
だって繁殖元絶たないとこの連鎖は終わらないんだから。ペットショップの子は遠からぬ未来殺処分される可能があるんだから。
それでもごちゃごちゃ言うんだったらもう猫飼うなんてシステム自体廃止したほうが良くね?
運命的な出会いでこの子を幸せにすると決めたなら、一生幸せにする。
猫と人間はどうあがいたって不平等なんだよ。悲しいけど。でもこれ悲しんだら、牛や豚なんて食べられるために殺されてるんだから、猫も一緒じゃん。違いなんてあるの扱いに。
好きな猫選んでいいじゃん。こっちは選ぶ側なんだから、残念だけど。割り切れよ。猫に選ばれたらそれはそれでもう神よ。一生大切にしてね。
冬休みの寒い日。近所の駄菓子屋さんに兄妹3人分のアイスを買いに行った。バニラのソフトクリーム。
田舎のまっすぐな道。アイスが溶けない距離。失敗しようがないコース。
3人分ケースから選んで、小銭をお店のおばあちゃんに渡して、ここまでは完璧。あとは帰るだけ。
そこに難敵が現れた。駄菓子屋の、放し飼いにされている犬、ユキだ。
その日のユキはアイスを狙っていた。後をついてきて、袋にまとわりつく。無視しても前に立ちふさがる。なんだか怖い……。
この状況を打開する作戦として思いついたのが、アイスをひとつ犠牲にして、あげてしまうこと。ユキが食べている間に逃げ切ろう。
フタを外し、ユキにソフトクリームをあげる。予想したとおりベロベロ舐めている。今のうちだ。そーっと歩き距離をとる。
ところがである。ユキはひとつを食べ終わる前に、走ってきて、また前方でハァハァしてきたのだ、え、食べ終わってないのに。ずるいよ。
ここで思いついたのが、アイスをもうひとつ犠牲にすること……。これで最後だよ? パトラッシュ。
とにかく時間を稼いで、帰路を急ぐ。
と、ところがである。二度あることは三度ある。ユキはまたしても、前をふさぎ、最後のひとつをほしがるのだった。
パニックである。もうしょうがないのである。最後のひとつをあげるしか手段は残されていない。
そのあとの記憶はあいまいだ。とにかく泣きながら逃げて、顔をぐしゃぐしゃにして、おとうさんとおかあさんに一部始終を話したような気がする。
こうして、はじめてのおつかいはしっぱいに終わった。駄菓子屋さんの飼い犬に300円分を回収されるという、苦い思い出だけが残った。
たまに帰省すると田舎の景色はまったく変わっていない。でも人は減って、空き家か増えた。駄菓子屋さんはもうないし、ユキはもういない。
そうか…(この時、俺はとても悲しそうな表情をしていたと思う。 多分、増田はこの胸チラしてくる少女と将来的に結婚は愚か周囲に近づく事すら出来なくなるだろうな、と想像してしまったからだ。 きっと、増田はこれから先成人した少女に「駄菓子屋のおじさん、私、大人になったよ。だから結婚して」と言われる未来を待ち続けるのだろう。 季節が巡る度に、あの日の約束を思い出していくのだろう。 しかし、少女はそんな増田のことを忘れて大人になるのだ。 ある日、増田という大人がどういう目で自分を見ていたのかを理解して嫌悪感が身体中を這いずり回って子供の頃行った駄菓子屋に近づけなくなるのだ。 思い出さなくなるのだ。 だけど、増田は待ち続ける。 いつか大人になった少女が待ち侘びた増田に新たな春を告げることを待ち続ける。 二度と来ないその少女を想いながら。 そんな無邪気で残酷な約束を想像して悲しくなってしまった。 気持ち悪さと悲しさが同居した不思議な気持ちだった。 八月はまだ半ばのことだった。)
『クイック・ジャパン』『ロッキンオン・ジャパン』以外で、小山田がいじめ自慢していたとされる『月刊カドカワ9月号』の掲載記事について、
メディアが偏向的な切り取りで掲載して拡散され続けているのがずっと気になっていたんだけど、
案の定これを利用して、拡散の元凶となった件のブログが『 小山田圭吾がいじめを語る理由 - 孤立無援のブログ 』という記事で外山恒一氏のnote記事に反論している。
また変な扇動をしかねないので、記事の冒頭から関連する箇所(幼少期から高校時代)までをまるっと書き起こした。
なお、カドカワの記事はフリッパーズ・ギター3rdアルバム「ヘッド博士の世界塔」の発売直後に刊行されたもので、
アルバム発売を受けて、音楽への姿勢を掘り下げるために幼少期から振り返させた全19頁のインタビュー記事のようだ。
月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)P348〜P352
きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。
幼稚園のときに、巨人の土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初の記憶ですかね(笑)。土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビで土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。
すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵かきを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。
普通の子だった、おとなしくもないけど。すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪口を陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会も普通にこなしてたな。インディアンの歌を歌うその他大勢の役をやった。
小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど、もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにKという知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校は身体障害者の人が多いんだけど、特別にクラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校のときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。
小学校のときは成績は良かった。運動会のリーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣の消しゴムも流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲の消しゴムも流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャでカプセルを出すと効率悪いのね。
ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分でスーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして・・・ジャーン!!(笑)
小学校のときって、足の早い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田くんの嫌なこと」とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集はみせられなかった。ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)。まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃんと印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部かけて復習した(笑)。
運動会のリーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったていうわけじゃなくて。
音楽は幼稚園から。アニメとかのコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのとき『イナズマン』のLPにサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)
超テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。アニメの再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。二十位から十一位まで久米さんが早口で言うんだけど「『いい日旅立ち』山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャートが信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方別チャートだとフリッパーズ・ギターは四国が全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。
あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。鉛筆のジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターでボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。コント55号はもう欽ちゃんがソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフの志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。『天才バカボン』の第二巻もすごかった。
中学になると、人当たりが悪くなって。クラスに友達があまりいなくて、すぐにイジケるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達とクラス出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としか話さなくなった。
Kはね、体がでかくて、小学校のときは突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。
同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子にテープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマン・ブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときにウォークマンⅡを買った。ボディが青くてヘッドホンがオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、二台目はアカイやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二のときのクイーンかな。
その頃、初めてエルヴィス・コステロ『インペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・クロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌のグラビア見るのも好きで、"イアン・マッカロクのお部屋"とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーッと並んでて、いちばん前にアズテック・カメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチ・シングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっちの方面の音楽にどっぷりいった。
そういうふうにして中学生のときに洋楽を聴いてると、みんな馬鹿で自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていた。
ギターは中一から。いとこが弾いてて、クイーンとかディープ・パープルを教わった。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテック・カメラは弾けない、コーが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命した。だから我流で、コードの名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。
高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスになっちゃった。そうしたらKが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)。クラスにいるときは、Kとしか話さなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくと、ペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドルの写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」。それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は・・・」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。ギャグだとしたらすごいじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外の小説を読みながら歩いていたという話をきいた。
ぼくは浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭の打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校の友達とかいたから。
変な高校でさ。普通、レベッカとかBOØWYのコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭で体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンク、ニューウェイヴ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスのコピーやって出てた。授業中はウォークマンのヘッドホンのコードを袖に通して手のひらに隠してきいてたりね。
小沢は中学だけ同じ学校だったんだけど、別に仲良くなくて。高一くらいのときにたまたま友達の家で一緒になって、ぼくの持ってた編集テープ聴いてからそういう音楽を好きになったみたいで電話かかってきた。それから学校の帰りに待ち合わせて、お茶の水のジャニスって貸しレコード屋に行ったり。そこはイギリスのインディーズとかヨーロッパものが置いてあって、泊まって、学校行かないでレコードを全部テープに取って、返しに行って・・・そういう生活してたな。その頃の経験てでかいかもしれないな。エスカレーター式だから大学の試験はそんなに難しくないんだけど、遅刻とか欠席が多かったから一年生の時点でダメだとわかってた。だけど小沢は学校に行くの。ぼくは小沢の家で寝てたり(笑)。
※このあと、音楽の話からフリッパーズ・ギター結成までのエピソード、アルバムに対する思いなどが語られるが、問題となっているいじめに関係する箇所は上記だけなので以降は省略。
読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田は外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身を自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。
そして問題の記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、
自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。
まず第一に、これは小山田氏が、自分がいかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまいますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。
ーーー(省略)
それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりとエスカレートの過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的なことなのではないかと思うのです。このことはむしろ、世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身のイジメ加害経験と真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそもの最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます。高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からのことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオン・ジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。
また、件のブログの反論としては、”自分の判断で「障害者を虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである”ということだけど、
フリッパーズ・ギター解散前にそんなリスクの高いブランディングを行う必要はないでしょ、と。
下手したら、「障害者虐待をアピールするから小沢に捨てられた」というような負の印象を残しちゃうわけで、ダメージの方が大きいことは想像できるし、いくらなんでも無理筋すぎる。
その大学で知り合った口先だけのギター弾きと付き合ったのをきっかけに
ご両親と何か気まずくなっちゃって実家になかなか帰れなくなるのね。
まぁお父さんからはなんだかんだ良いマンション借りてもらってるし、
彼氏が家からは金銭的に自立しなきゃホンモノじゃないとか言う主張に感化されて
学生課の前に貼ってある求人なんか見ちゃったりするけど、やっぱりしっくり来るものはないんだよね。
そんな中、夏休みの研究室で教授の本棚を片付けるお手伝いに来ていた怪しげな先輩の紹介で
週末に電車に乗って貧乏くさいビルにある会社のスタジオに行くのね。
そんなとっても綺麗な人が、子供の頃から鍛えてきた演奏の技術と
おばあちゃんの遺品の大切なお琴を駆使して
涼しげに奏でていると思うと
少し涙ぐんじゃうんだよね。
万引なんてしなさそうなやつがなぜか盗むからリアリティあるんだ
ビックリマンに興味もない姉がいきなりビックリマンシールを盗もうと提案したという馬鹿力の投稿ネタがいまも忘れられない
小2の時仲のよかったHと悪ガキの柿崎の3人で僕の家で遊んでいました。Hはたくさんビックリマンシールを持っていて、その日もたくさんビックリマンシールのあるアルバムを持ってきていました。Hが熱心にファミコンをしているときに急に僕の小5の姉が部屋に入ってきて、僕と柿崎を廊下に呼んで「あいつのビックリマンシール、ぬすまねえ?」と言い出しました。柿崎はすぐに了承に、僕もHのビックリマンシールは魅力的だったので、こっそり抜き取り山分けしました。その後のHtono関係は結構普通でした。今不思議に思うのは、なぜビックリマンシールに何の興味もない姉があのとき悪魔のようなささやきをしてきたのかのみです。
小学校6年生の頃、その頃はよく甥っ子の年下のR君の家で遊んでいました。その日R君の家で遊んでいるとその頃大流行だったビックリマンシールが大量に出てきました。僕が「へえ、こんなにたくさん持ってるんだ。あ、僕の持っていないヘッドもある」というと、「ヘッド以外だったらダブってるやつあげるよ」と言ってくれ、僕の持っていない天使・お守り・悪魔などをもらいました。そのときはそれで家に帰ったのですが、しばらくしてどうしても欲しいヘッドがあり、必死でチョコを買いシールをゲットしていったのですがどうしても出ません。少ししてR君の家に行くと僕の欲しかったヘッドはそこにあります。その夜R君のおばさんから電話があり、「ビックリマンのワンダーマリアとやらがないんだけど知らない?」と言われました。僕は「知らない。ワンダーマリアなんて見たこともない」と言ってその電話は終わりました。ワンダーマリアはいまだに僕の宝箱の中に大切に入っています。ちなみにR君の家とはいまだに交流があり、R君はこの番組をきいています。R君、本当にごめんなさい。本当に。
(イクオさん)
5・6年前の小学校ンのとき、ビックリマンが僕ら小学生の間で再びブームとなっていました。休み時間の話は「ビックリマンのスーパーゼウスがでない」や「帰りに駄菓子屋で協同で箱買いしよう」という話。しかし興味もお金もなかった僕はその話についていけませんでした。ある日教室にはいると男子の人だかりができています。なんだろうと見てみると、貧乏でそんなに目立たないS君の手にきらきらしたものがもたれています。そう、それはめったに出ず、店に行くと高額で取引されているスーパーゼウス。僕とS君は貧乏仲間で「俺たちはあんなブームには流されない」と言っていたはずなのに。S君はたまたま母親のお遣いでいった買い物のお釣りでかったビックリマンで1発ゼウスを引き当てて一役ヒーローになっています。それにくらべて僕はちょろちょろはえてきたチン毛を風呂場でそったりそらなかったり。そりゃ体育の時間に「腹痛いからトイレいってきます」というフリをして忍び込んで盗みますわ。その後帰りの会で僕が疑われましたが「あいつはビックリマンを集めていないから違う」という理由でシロと断定されました。
(フランケンさん)
私は、両親のお金に手を付けた事はありませんが、強いて言えば私が小学校低学年の頃、当時の私の頭の中はビックリマンシールで一杯でした。友達と話す事もいかにたくさんの種類のビックリマンシールを持っているかでした。
しかし、1個30円とはいえ小学生の私のお小遣いなどで買える数はたかが知れていました。
そこで結成したのが『ビックリマン盗賊隊』。友人2人とコンビニに入り、パンツの中にビックリマンチョコを忍ばせて出てくる、これを繰り返すおちゃめな隊でした。
運がいい事に半年ほどやって1度も捕まった事はなく、気を良くした私たちはいつしか大胆になっていきました。
そんなある日、家の近くのこども銀行のお札を「毎度どうも」と言って受け取る老人のお菓子屋さんで、私はいつもの行動に出ようとしていました。
これまでも何度かやった事がある通り、その老人の目を盗み、いつものように物色。パンツに5個のビックリマンを入れ、出口を出ようとしたその時、老人が静かに言った言葉。
「お姉ちゃん、今日はいくつパンツに入れたの?今日は見てなかったから教えといて。あとでまた、お母さんの所にお金もらいに行かなきゃならないから。」
みんな知ってたのかぁ…。
次の瞬間、老人の前でパンツからビックリマンを出すと、涙をポロポロこぼしながら「でもね、私にも色々あるから…。」と訳の分からない事を言い、近くのほら穴で泣きました。
あれは私が小学校2、3年生ぐらいの時です。当時私たちが集まっていたら、それはビックリマンシールの交換会でした。学校の男子生徒のほとんどが集めていましたが、私とそのT君を含む6、7人ほどのグループが一番熱狂的でございました。
ある日、緊急招集がかけられ、私は弟を連れてその公園に行きました。そこでT君が皆に見せたのは伝説と化した『お守りシール』でした。その『お守りシール』はうちの学校では誰も持っていない物で、もう船橋市にはないと言われておりました。
「手、手にとって見せて。」と言う僕に「ああ、いいよ。」T君は迷わず貸してくれました。
手に取った瞬間、これまでの苦労が走馬灯のように甦りました。バカな噂に流されて隣町のガードを越えたデイリーストアーのレジの横に置いてある箱の右の列の後ろから5番目のチョコを買ったり、そういった事でした。
そしてその苦労と同時に私の中に1つの考えが浮かんでしまいました。
「何で、何であんなに苦労した僕が手に入れられなくて、Tは手に入れられたんだ。」
逃げおおせて、アパートの階段の下に隠れて、改めてそのシールを眺めました。と同時に凄い事に気が付きました。
明日学校に行ったら、T君や他の皆に出会ってしまうじゃないかということです。この疑問は幼い僕を悩ませました。
そして5分後、今日の夜12時までに取り返されなければ時効だと自分を納得させました。つまり今日1日安全な所にいればいいんです。
私は家路を急ぎました。
家まであと数mとなった時、後ろで叫び声が。
「いたー!追いかけろー!」
なんと、私包囲網が出来ていたのです。
後からわかったのですが、その包囲網はT君達5、6人がクラスの皆に声をかけ、この時既に20人ほどに膨れ上がっていました。
1時間ほど逃げましたが私は逮捕され、窃盗品は押収されました。
しかしT君は泣いていました。僕も自分が悲しくなったのでしょう、涙を流して「ゴメン、もうしないから、もうしないから」と謝りました。それ以来、「もう人の物は盗らない」と心に決めました。
僕は心晴れ晴れと家に帰りました。
しかし、「ただいまー。」元気良く家のドアを開けると、なぜか母親が閻魔様の乗り移ったような顔で仁王立ちです。
「あんた、T君のビックリマンシール盗ったんですって?」と言います。
僕は「お母さんがその事を知ってるわけはない、お母さんがその事を知ってるわけはない」と思い、
「知らないよ。」
そう言った瞬間、私は玄関に倒れていました。
「本当の事を言いなさい。盗ったの?」
母親の顔はマジです。もし「盗った」と言ってしまったら、もう1発、今度は正拳が飛んできそうな雰囲気でした。幼い僕はもうシラを切りとおすことを選択しました。
「違ーう!T君のシールを宝物ということにして、皆で軽ドロ、軽ドロをしてたんだ!」
「違うよ、クラスの人達が言ってたよ。お兄ちゃん盗ったんだよ。」
私は倒れました。
「あんたウソまでつくのかい!あたしがいつこんな事を教えたの?今から一緒にT君の所に謝りに行くんだよ。」
私はつい20分前に泣いて友情を確かめ合ったT君の家に、また泣きながら謝りに行くという惨めな思いをしました。
子供の頃に見かけた覚えは無いのだが、駄菓子屋トークや「だがしかし」などで愛されっぷりは垣間見ていた。
引っ越し先のスーパーで売っていて、おおこれが、と買ってみた。フォークは売り場に置いてあったので、気分を味わいたくてもらってきた。
開けてまず、ギリギリまで入っていて面食らう。値段は下げたいが満足させたい思いが溢れそう。
においがチープでふふってなりつつ湯を注ぐ。あ、これ「ベビースターラーメンってお湯に入れるとラーメンになるんだぜ!」って聞いて想像した麺だ。よくある平たい麺とは違って、まんまるで食べ応えがある。
スープが思ったより本格的で驚く。チープなにおいはどこからきたんだってくらい、ちゃんととんこつ。ゴマがいい。嬉しい。
想像よりしっかりした味で、見た目よりしっかりした量で、なんかすごい。子供のための企業努力の恩恵に預かってしまって良いのかという気持ちはありつつ、たまに湧くカップ麺欲はこれで満たせそう。
今ではすっかり常備して、フォークで蓋を留めたりなんかしている。待ちながらサイトを見て、ほぼベビースターとこれだけの会社なのかー、とか、チキンラーメンよりも先に即席麺を作ったのかー、とかを知ったりもした。
その片隅の、さほど大きくない団地に育った。
団地とともにできた集会所の中に、小さな図書館の分室があった。
学校の教室一つぶんよりも小さいそこに、子供のころ足しげく通った。
児童書コーナーにあった本はおそらく全部読んだと思う。
漢字がわかるようになると、鉄道ファンの積みあがったバックナンバーをひたすらに読み漁った。
身長が伸びてくると、本棚の上の方にあったソノラマ文庫に手が届くようになった。
コバルト文庫やソノラマ文庫の並んだ中に、いつごろかロードス島戦記と風の大陸が入った。
いつしか小さな図書館の蔵書では物足りなくなり、自分で本を買いそろえるようになると、徐々に足は遠のいていった。
やがて団地そのものから引っ越すことになり、最後に行ったのはもう二十年も前になるだろうか。
その分室が、閉鎖されると知らされた。
団地から丘一つ越えた向こうの別の団地にある、大きな図書館がリニューアルされたというのが主な理由。
実際のところは、あの古い団地に人が少なくなっていたのだろう。
私が通った小学校も、もうすぐ統廃合されると人づてに聞いていた。
最終日の今日、いてもたってもいられなくて、車を飛ばして行ってきた。
商店街も半ば消滅していて、子供だけでなく人がいないのだとわかった。
かつて私たちが群がって、キン消しやビックリマン、カードダスを買った駄菓子屋はとっくに閉店していた。
入口を封鎖するように机が立てられて、司書さんが返す本を受け付けるカウンターになっていた。
そこに、子供たちがいた。
司書さんとも顔なじみなのだろう、本を返しに来た幼稚園くらいの子供たちの姿を見た。
見れば図書館の入り口のドアには、近くの保育園の子らから寄せられた寄せ書きが飾られていた。
私が来なくなって二十年以上経ってしまったこの図書館に、通ってくれていた子供たちに、心の中で礼を言った。
ただそこにいて、居続けることができる場所だった。
私にとっては、そういう場所だった。
入れないのは仕方がないが、司書さんにお願いして入口から中を覗かせてもらった。
あの手前にはトーマスが並んでいた。
何十年も前の記憶がひと時に蘇った。
たぶん、私は泣いていたのだと思う。
そこは、私の故郷だった。
いままさに、失われようとする、私の心の故郷だった。
あそこで教えてくれた数々を胸に、今の私がある。
ちょっと昔ブログ副業でしようと育ててた時の記事ネタにSNSとかでイカれた主張を繰り返すフェミ系とか集スト対策集会みたいなのに怖いもの見たさで潜入したことあったけど
ここやTwitterで狂ったように男はおぞましいとか男性性がとか女性性の押し付けがとか男女別姓がとか喚き散らしてたキ〇ガイ女とかキチ〇イババアとか、俺が架空身分で慶〇出身で一流企業に勤めて起業したベンチャーエリート経営者ですみたいな身分を装って話てたらさ、今までの男社会により女らしさの押し付けで苦しんで死にそうだとか喚いてたのは何だったんだとばかりに
リリカルなのはのシュテルみたいな貞淑さと女らしさ丸出しな仕草に変わってて、あまりの変わり身の早さにそっちの方が異常さを感じて戦慄した思い出がある
あと、集スト対策系とかは、全員が全員お前は〇〇のスパイだ!とか言って罵り合うだけの不毛な場がほとんどだったけど
女とかがきた途端に、今までお前ノルマン人みたいなアルミ鉄兜着て電磁波攻撃ガーとかスパイガーとかシャッターアイランドみたいなこと言ってたのは何だったんだとばかりに
途端に常識的になってトイレから出てきたらティンホイルハット外してやたらなれなれしく女を二人きりにして連れ出そうとしてたのがマジで吹いたわ
そういう経験を実際に見てきたので、本当のキチガ〇なんて、精神病院にinされて駄菓子屋のラムネ菓子一気食いみたいな量の向精神薬で無理矢理大人しくさせられて
薬の副作用で3~4年後くらいには「ウッ」とか言いながら心不全で静かに息を引き取るみたいなレベルの人間以外では、大体詐病なんじゃねえの?って思うんっスよね
まぁ〇チガイと言っても一言に医学的に色々あるから、そうじゃないのも基地外の範疇に入ったりするんだろうけど
ちなみに辞めた理由ははてなが誇るスーパーキチ〇イの低能先生がhagex刺殺事件を起こしたから
ここまで書いたらピンと来たキチガ〇に襲撃されちゃうのかな?って思ったけど、あんなレベルのキ〇ガイそうそういないだろうし、狭いはてなをピンポイントで見てるのなんていないだろうなーって思う