はてなキーワード: 絵本とは
産後の恨みは一生という言葉があるが自分も「産後一緒に居なかった」と恨まれている。元々里帰り出産するのは二人で決めたし、今ほど男が育休をとる風潮でもなかったのもあって育休を取ってなかったが、毎週末は妻実家に行って世話をしてたし、毎日仕事して週末に世話しに行って睡眠不足になって帰って来るというのはなかなか大変なものがあった。が、妻側にはそういう苦労は伝わってない。子どもの世話は大変だし夜中に三時間起きにオムツ交換とミルクあげるのは睡眠不足になって大変なんで、そんなことを伝えたら毎日私はやってたと文句言われるのは明らかだ。
さて、産後クライシスだが、まるで妻側だけが不満を抱くように思われてるがそんなことはない。データでも示されてる通り男側も不満を抱いている。自分のやり方と違うと文句を言ったり暴言を吐いたり、自分が恨みを買うことは微塵も思っていないようだ。かくいう私も「あなたに愛情はない」、ロボット掃除機買おうかと提案したときも「あなたがいるから要らないわよ」、寝る前に勉強してたら「そんな暇あったら子どもに絵本読んであげて」などなど、酷い言われようである。
そんなこんなで、妻も私に恨みもあるようだが、私は私で不満があり、(そこら辺は妻はどう思っているか知らないが)お互い様かなと思ってやっている。子どもが大きくなったら離婚するかも知れないし、そうでないかもしれないけど、その時はその時の考えればいいかなと思っている。
面会の時に一緒に本屋に行って、欲しがった本はマンガだろうが絵本だろうが雑誌だろうが実用書だろうが文句を言わずに買う
親が良いものを選んで読ませてやろうと思わないこと
漫画は絵と独立した文章を追わないといけないから、もうちょっと年齢が上がらないと難しい。
絵本とか図鑑とかは文章が全く読めなくても挿絵だけで十分楽しめるからね。
あとは幼稚園入るくらいの年齢になるまでは本を破ったらいけないことを知らないし、理解もできなかったりするよね。
2歳なら本棚の本を片っ端から出していき、楽しそうに破る光景がまだ見られるか、もうやらなくなるくらいだっけか?
幼少期は知育絵本て言うのかな? こんな問題がたくさん載ってる本
https://www.honda.co.jp/kids/okeiko/
多分、知能指数の発達に寄与する。学校の勉強ができるできない、ではなく生活上の要領が良い悪いに寄与する。(仕事や種々の問題解決にあたっても同じく)
うちは貧乏で玩具や服は買って貰えなかったが、本だけは買ってくれていた。幼少期は知育絵本を与えられて、オモチャがないからそれを繰り返し解くわけ。俺は知育絵本で遊んでいたが、弟がそういうのを解いてるのを見たこと無い。
小学生の頃は、小学館の小学◯年生を俺は与えられていたが、弟は週刊少年マガジンとかを与えられてた。弟は知能が低いから親はその分甘やかして育てた模様。
小学生時代の弟は500円ぐらいのプラモデルを説明書通りに作る、てことすら出来ない。2次元の図形を3次元で想像する、ってのは知育絵本で頻発したと思う。
俺も弟もおっさんになった。
弟は知的障害や認知症を疑うほどの不器用で、まともな職歴もない。使えないのですぐクビを繰り返してる。最初は高卒で親のコネで入った会社を、3ヶ月で返品されとる。
家族にこんな不良品がおるから、俺は結婚できない。弟が犯罪者になったときのことを考えるし、血を分けた兄弟と絶縁を法的には出来ない。
月1で影響を与えたい、自分の信条を理解されたいというのはどうなんだろう。
増田がそういうものに触れ始めたのはいつ頃?小学校中学年とかだとすると、その頃はもう友達の影響が圧倒的に大きいと思う。
だから小さい頃から洗脳したい!でなく、ずっと会いたいと思ってもらえるように楽しく過ごす、ではダメなんだろうか。
あと母親(元妻)はどう思ってるんだろう?
理解してくれるならいいけど、コッソリ洗脳しようとしてるなら最悪。
押し付けるんじゃなく、聞かれた時に何でも知ってるお父さんぐらいがよさそう。
ちなみにマンガを読めるようになるのって、絵本をたくさん読んできてなおかつ頭のいい子で年長さんか1年生ぐらい。もちろん1年生で読めない子もたくさんいる。
2歳なんて今後まだまだ何年も絵本の時期が続く。
離婚したワイ(40歳)、もうすぐ2歳になる娘がおるんやが、はてなの有識者に問いたい。
種々のわだかまりが残る離婚ではあったが、今となっては限られた機会の中で、娘にこの先何を伝えていくことができるかのみです。
ワイのつたない経験則として最も重視していることは、経験に勝るものは無いということです。
勉強ができるとその分、より多くの物事を吸収できるという側面もあると思うが、それよりもまずは百聞は一見にしかず、ジャンル問わず経験値を積み、そこから育まれる想像力の方が個人的には有意義だと思っている次第。
増田はあまり勉強はできないが、スポーツ・音楽・映画・読書・デザイン・ファッション・旅行など、勉強以外のカルチャーとも呼べる領域に特に未成年の間にそれなりに触れてきたお陰で、今を楽しく生きることができています。
特に音楽・映画・読書に関しては脳を大きく刺激され、とりわけ読書については多くの刺激を受けました。
そこで増田は、小さな子どもにとっては、まずは「漫画」が手に取りやすいのかなと思いました。
しかしながら増田はこれまで漫画にはあまり触れてきていません。
前置きが長くなりましたが、有識者の皆様にお尋ねしたいことは、小さな子ども(女の子)におすすめの漫画はありますか?(適齢期っていつぐらいなんだろう)
あと、こうしたカルチャー・経験値の積み重ねが最上位だよ、という増田の独りよがりに違和感を感じた場合、「***では?」といった包括的なご意見なども拝読したいです。
【追記】
子どもが内容を理解できるようになるまであと数年はかかると思いますので、趣旨としては「幼かった頃の自分に教えてあげたい漫画」といったご意見を頂けると有り難い限りです。
増田はこれまで面白いと思った漫画が、浦安・バガボンド・稲中くらいしか知らないもので、この機会に漫画喫茶などで読んでみたいという思いもあります。
【追記2】
たくさんのコメントを頂いてびっくりしています。ありがとうございます。
今の娘の年齢&月1回の面会では増田のことも誰か認識していないようなので、父親と分かるようになる頃合いにはぼちぼち漫画も読めるようになるかなといったニュアンスでした。
漫画一択という訳ではないのですが、読書体験というフィールドでご意見を頂きたかった次第です。
一緒に本屋に行くのは楽しそうですね。皆様のお陰でその時に候補をいくつか教えてあげられそうです。
絵本は同居していた際になるべく買ってはいたのですが、最近は渡していないです。
本人の希望を最優先にして、目的と手段を履き違えないように注意します。
【追記3】
ここまで伸びて驚愕です。
漫画という限定したフィールドに固執していた訳ではないのですが、気分を害された方には恐縮です。
ピアノでもバレエでも天体観測でも対象が何であれ、子が興味を持ってくれたことを応援するくらいしか増田はできないもので、今回いくつもの貴重な知見を頂けたことに感謝します。
ただ、増田も人間です。概念や存在すら知らないのであれば、せめて候補だけでも提示してあげられるようにはなりたいな、という程度の親としてのエゴはあります。
拒絶されてもなお押し付けるのは如何かと思いますが、こんなのもあるよ、くらいのテンションなら許してくれめんす。
ワイはウェブ方面で生活して10年以上経つので多少の免疫はできているが、これが免疫ゼロの子供だったら相当なトラウマになるな、
というのがある意味今回の一番の収穫かもしれない。
なんか年々攻撃的な要素がプンプンになっちまったインターネッツだが、リアルもネットも暴力的な要素が増えていくのは悲しい。
どうすりゃいいんだ、悟空。
(本文です)
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どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。
今は大学生だから何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。
私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。
私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。
父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。
最初は子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的なアプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。
父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。
※毎日というわけではありません
中3で私が他の男性の子を妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。
それからは、私がどんな男性の相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分のお仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。
それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。
今は、普通の大学生はしないであろう仕事(風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。
それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。
思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。
お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。
さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。
ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。
それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。
経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。
私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。
もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在の感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議な感覚になってしまう。
私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的な意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。
性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいからパパ活をしていたのかもしれない。
私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。
母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。
ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。
少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。
なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。
子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。
確かなのは、父が来てから、普通の暮らしができるようになったこと。
私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。
もしかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。
それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係。
そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。
母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。
私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。
思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。
それが性的虐待の兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。
今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。
「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメなことなんだ」という意識はあった。
いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。
でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。
私には疑問がある。
父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。
きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。
ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。
つまり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者に定義しやすいのかも。
「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。
でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。
母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さらに半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。
嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。
単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。
具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。
「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。
でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。
「おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。
そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性でしかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。
いま私は、風俗の世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。
精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。
そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。
身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通の女の子ではいらなくなったと
いう実感が体中に広がった。
でも。そう感じるのは自分がわがままだからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。
私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。
今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。
処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。
計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。
一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たちは言葉にしなくても通じ合っていた。
妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形・オナホ扱い。でも、ときに恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。
私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。
それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。
学校に行く前にされることもあった。
妹には絵本を読んでてもらったり、タブレットで動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔で学校へ行く。
口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。
父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。
嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。
心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。
同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。
そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。
思春期だから、友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。
私が父に相談すると、父はかなり積極的に担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。
正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。
これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。
ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。
それはきっと、主に性的なイジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。
中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。
正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。
実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。
表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。
でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。
回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初は抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為の時間が長くなる。痛いことだってあった。
でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。
でも、そのうちに気が付いた。自分から相手を気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要なものを買えるようになった。
子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。
その時、感じたことは2つ。
父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安。
後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。
でも、今思えば、今まで自分の役割だって必死に応えてきた、そんな自分が否定されるのがいやだったのかもしれない。
ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。
でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。
父はなんだったんだろう。
小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要な存在だった。
いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。
ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。
どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。
ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。
もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。
それでも。
繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。
「あれはなんだったの?」
って。
「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心を回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心はボロボロになるかもしれないし。
ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。
最後にまた、父について思い返してみる。
改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。
そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。
家庭内の性的虐待というと、どこか乱暴なイメージがあるかもしれないけど、私の場合は基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。
いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。
父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。
ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。
父は家事をほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。
生前、母がいくつか基本的な家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときはスマホで検索したり、学校で先生に聞いたりした。
とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。
端から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活の一種として。
すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体的虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。
もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも、経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。
「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。
正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーでしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。
ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵の存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。
今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。
私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。
妻が麦茶を冷やしていた
妻はボウルに熱いヤカン、氷、水道水をチョロチョロ流しながら冷やしていた。
なるほど無学なアホはそうやって冷やすのか、と思ったが口には出さない。
俺が冷やすときはボウルに氷を入れてそのままヤカンを乗せるだけ、流水は無駄
息子を見るとアホみたいな動画を観ている
タブレットとスマホを与えYoutubeだろうがゲームだろうが好きに使わせているのだが
タブレットで「ひみつのおるすばん」をやりながらピクチャーインピクチャーで攻略動画を見つつ、横のスマホでちろぴのを観ていた。最悪だ
パーソナライズドされたレコメンドの連続だから大人の目には触れにくいが
なんの意味も無い、いいねボタン、チャンネル登録を誘導するだけの詐欺動画。
「息子よ、キミが観ている動画は実にさもしい人生になんの意味も無い、教えも気づきも与えてくれない、ただ脳に刺激と快楽を与え小銭を稼ごうとする悪い大人が作った詐欺動画だ。6歳の分別、弁識能力ではわからんだろうが、父として教え諭す義務があるので一応は言うておく、観るのは構わんが愚かな時間であることを頭の片隅において、早期に卒業してほしい」
と言うたら
「パパ、ボク子供だからよくわからないけどスマホでたまご寿司の簡単な取り方を検索して」
だってよ。最悪だ
それにしても、育児において電子デバイスを一切許さず、絵本だの、せいぜい教条的テレビ番組、一日何時間まで、テレビゲーム?ありえなーい的伝統的環境を是とした方針の親御さんもいる。今日はピアノ、明日は体操教室、昨日の絵画教室の宿題を早くしなさい、公文は終わったの?的な
ウチと真逆なわけだが、どっちが正しいんだろね?
一応ウチも友達に負けるの悔しいと言い出し公文をねだられて通わせているが
ひらがなカタカナなんぞ小学校に入ればタダで教えてくれるのになぜ毎月1万4000円をドブに捨てて数ヶ月早く習得する必要があるのだ。ゆえに一度でも宿題が間に合わなかった即座に退会な、とは申し伝えている。いつも宿題が完成するのは5分前。
はぁ情けない。
パパなんて小学校4年生以降夏休みの宿題は一度も出したことが無いぞ
二学期始まって未提出だと叱られるが、なぁに1週間ものらりくらいしのげば向こうも諦める
両親、教師、誰一人無理やり最後までやらせようと指導する敵は現れなかった
ありがたや
息子にもそういう処世術を身につけて欲しい
最高やん
これは買いやね
https://www.amazon.co.jp/dp/B0DC7H2H21
特集によせて トランスジェンダーの権利擁護と、開かれた議論のために 塩野谷恭輔
「焚書」のレトリックに踊らされないために 『トランスジェンダーになりたい少女たち』宣伝手法の問題について ベンジャミン・クリッツァー
トランスジェンダリズムとは何なのか? 白井聡
[書面インタビュー]笙野頼子 女消しに抗して、世界権力に異議を
自由に対する左からの脅威 アビゲイル・シュライアー本をめぐる諸問題 森田成也
インタビュー よだかれん トランスジェンダー当事者の可視化で広げる人々の理解
[鼎談]子ども向けのLGBT入門絵本から読み解く日本の性的マイノリティ運動の歩み 前田和男×尾辻かな子×沢辺均
身体改変的性別越境主義について 「性別」破壊論・序章 阿部智恵
在りたい私、私が決める メタバースとトランスジェンダー 蘭茶みすみ
土日休みの私と、シフト制で共働きの妻は、休みが被らない。だから休みの日はワンオペで子の面倒を見ることはよくある。
いつも遊んであげているからか、子は私によく懐いていると思う。
だから休みの日になると、「だっこ」「読んで」と絵本を差し出してくる。
普段、なるべく子どもに構ってやりたい、と思って色々と連れまわしてあげていたりするものの、やはり試験直前期ともなるとそういう訳にはいかない。
渋々子の希望に応じて抱っこをして、絵本を読み始める私の気がそぞろであることを1歳ながら子は鋭敏に察する。そして、スッと別の部屋に行って、一人で絵本を読んでいたりする。その背中が切ない。私が不甲斐ないばかりに、早く大人になることを強いてしまっているような気がして、「ごめんね。」と背中越しに声なく語りかけるが、そんなことを子は知る由も無い。
結果は判り切っているのに、勉強なんてさも正当な理由があるが如く振る舞い子をおざなりにしてしまうことに罪悪感がある。そもそも勉強自体、好きじゃない。
だけど、しかし……。
冒頭で書いたように私は薄給なのであって、どうにかして現状を脱するには資格に依るしか途が無い。長い目で見たときに、この苦しみが結実することを祈る。そしてこれはイズムの問題だと自分に言い聞かせている。
短期的に子を慈しみ、今の生活を良くしようとすることは妻がすればよく、今を苦しんで長期的に何とか生活を良くしようとする行いは、苦しみを飲み込む器のある側がやるしかない。
子は父の心を知らず、私のことは嫌いになっても構わないし、妻が私のことを「役に立たない」と思い恨んでも構わない。しかし勉強した世界線と勉強していない世界線では、前者の方が(私自身は嫌われているものの)妻子の幸福に寄与するはずだ。少なくともそういう姿勢で暮らしていくことが、生活の全てにおいて溶け込んで良い方向に作用するはずだ。
そして私は、家父長としてそれを受け容れなければならないのだ!
とポエミーに語ってみたものの、どう自分の中で折り合いをつけたところで妻子の側からは、1年後、2年後の結果で私の行いを裁くのだろうなと思う。
もう何千時間も勉強してきた。全部がムダだったなんて思いたくない。何とか受からないと。
全部同時に飽きた
7月頭に早めの夏休みを取り、夏休みだし何か新しいことをするかと考え、最近流行りのゼンゼロをスタート。
ゼンゼロの進行がプレイヤーレベル依存でストップしたので、気になっていたスタレも開始。
同じくスタレもプレイヤーレベル依存でストップされ、原神、鳴潮と始めていったが流石にしんどくなってくる。
鳴潮開幕の「いやあ、ホントよかった。もうちょっとしたら私の十八番、初級巡尉必須応急スキル――心肺蘇生法!を使うところだったよ(原文ママ)」がキツすぎて思わずストーリーを全部スキップしてしまった所で限界を覚える。
もうちょい根性があったらエーテルゲイザーなんかもやってたと思う(ちなみに崩壊3rdは結構前に第1部だけ全部やって、第1.5部がうわキツで投げたよ)。
とにかく思ったのが、どのゲームも同じすぎるなってこと。
似たようなゲームばっかダウンロードしておいて何言ってんだって思うかもだけど、俺のゲーム選びの条件が「PCでも出来るクロスプラットフォーム基本無料一人プレイゲームで、知名度が高いものを順番に」だったんだよね。
・3人制ならアタッカー/攻撃的サポート/守備的サポ(ヒーラー)、4人制ならアタッカー/攻撃的サポート×2/守備的サポ(ヒーラー) のテンプレパーティー編成
・ボタン1通常攻撃 ボタン2特殊攻撃 ボタン3回避 ボタン4必殺技のテンプレボタン編成
・基本的にはデイリークエスト+素材周回用スタミナ消費でプレイヤーレベルアップ
スタレだけはちょっと違うんだけど。
なんかね、ほんまに一緒過ぎる。
ソシャゲが出たばっかの頃にどれもドリランドだなーとかどれもモバマスだなーって感じた頃の感覚が蘇るわ。
スマホゲーの方は結構分岐が出てきたけど、PC向けってなるとネトゲ以外はアクションRPGに収束し終えたんかなと。
色々同時にやって思ったのは、スタ消化が放置ポチーで終わるスタレがマジでありがてえってこと。
つうか戦闘もアクションだろうと最終的にはボタンポチポチするだけなんだからもうコマンドでええやんってのは正しいかなと。
ただ演出多目で戦闘テンポが若干重めだからいざ普通にやるとなんか長ーなとはなる。
ブレイク値や支援攻撃システムのおかげで戦闘の展開がマンネリしてないのは評価出来る。が、最終的にはポチポチと同じことするだけでイマイチ張りがない。
推奨レベル下げて雑魚がバシバシ死ぬようにするとテンポよくなるけど、そうなると今度はこっちが強すぎて退屈ではある。
敵が硬すぎるんだよな―結局のところはさ。
ブレイク溜めた後にカリンでガリガリ削りまくってもなかなか減らないんだよなー。
でもなーんか最終的にはそこまで世界が広がらないっていうか、ご近所で起きた事件をインターネット上で解決っていうグリッドマンやパスワード探偵なノリなんよね。そこ含めて30年前のノリなのは流石に古いなあ。
さっきも言ったけどスタミナ消化がオートなの嬉しいね。
つうかなんでPC対応のゲームは頑なにスキップ入れないのかね。
SF的世界観構築は悪くないしキャラも魅力的なんだが、ストーリーが凡百すぎてしょっぱかったかなあ。
皆がヘルタペロペロの話ばっかしかしなくなるのも納得のピンとこなさがあったぜ。
まあスタレだけはもうちょい続けるつもりだから何とかたどり着けるかな―。
マ ジ で し ん ど い 。
いやまあ素材調達が凄い早く終わるからガチのネトゲと比べるとテンポはいいんだが、それにしても全体としてヘビーというか変な意味で噛みごたえがあるね。
育成についてはアタッカーと草主人公さえいればあとは飯食わせておけばどうにかなるから最終的には軽いのかもだけど。
何が重いってフィールド移動だよ。
なんでこんなスタミナないんだろうなコイツら。
初期の2倍近くまでスタミナ伸ばして刻晴引けてリネットも貰ってで動きやすくなってもまだまだ「うっわー移動に時間かかるわー」って感じる。
戦闘後にアイテム手動で拾わされるのもしんどいし、スタミナ消化のテンポも悪いし(濃縮樹脂手に入れたけど、これ5回使い切るだけでも毎日はダルくない?)。
なーんかもうマジで重いよコレ。
んでまあストーリーもまだ岩の国までしかやってないが、つ ま ら ん。
なんだよ「折り紙のカエルさんを追いかけ、気づいたら折り紙のリスさんや折り紙のキリンさんをお手伝いすることになりました」ってなんだよ。
確かにスマホゲーのパズルが知育テストって言われることはあるけどストーリーまで絵本のレベルは凄すぎるだろ。
パイモンが可愛い以外に続ける要素が思いつかないぐらいしんどかったが、パイモンは凄い可愛かった。
SEKIROみたいなのを期待してたんですが、結局は回避して攻撃ボタン連打じゃないですか。
ポケモンみたいにモンスター集めて戦わせるって聞いたんですが、結局はバフ効果のつくモンスター呼んでバフかけてから必殺技撃つだけじゃないっすか。
さっきも言ったけどストーリーは翻訳がコケているのか元がエグいのかとにかく見てられないぐらいにアレ。
独自用語っぽく出してくるけど要するにそれって「魔力」「モンスター」「怪奇現状』『適応者』ぐらいの意味しかないっすよね?
変装スキル・終奏スキル・共鳴解放あたりの意味が最初ごっちゃになるのもマジで分かりにくかったな。
移動が快適だった所だけは評価したいんだけどね。
壁登りがダッシュでできるとか、平地をダッシュする分にはスタ消化しないどころか回復するとか、原神を遊んでからコレを体験するともう原神には戻れないぜ。
でも最終的に「終奏スキルでバフつけたアタッカーが共鳴開放して、あとは共鳴解放貯まるまで適当に通常攻撃連打する」みたいな戦闘は原神未満じゃねとも思う。
売りだったはずのパリィが「たまに敵が光るからタイミングよくボタンを押してね」ってブレイクチャンス以上でも以下でもないとはガッカリすぎたよ。
って感じかねえ。
コマンドRPGなんて今時やってられねーと舐めていたが、結局ソシャゲのアクションなんてボタンポチポチするだけになるんだから漫画やアニメでも見ながらコマンドRPGでええわってのが俺の結論かもですわ。
全く電車なんて興味ないし、小さいころからビデオとかもすぐ飽きたのに知らない駅に行くとつい
窓が大きいのとか見た目がかっこいいのとかボロいのとか色々あるんだな〜って
車だって興味はそれほど無いけど、信号待ちとかで隣に見た事ない車がいると眺めちゃう
特に理由もなく、親に連れられてオートサロンとかモーターショーとかも行った。楽しかった
ずっと素敵な大きくてかっこよかった
普通によく出来てたりしてびっくりする
現代は、かつてないほど多様性が認められているけれど、一方でルッキズムは強くなる一方。
LGBTも障害者もキラキラしたイケメン美女であることを前提に許されてる。
さまざまな属性や能力による差別を良くないものとした結果、一番プリミティブな外見による評価が残ったということだと思う。
社会が悪いんじゃないんだよ。子供の絵本だってシンデレラは美人でイジワルな継母や姉はブスにかかれてる。誰しも美しい人は良い人と認識してしまうのが自然なのだから仕方がない。
しかし、ここで「ブサイクだと人生終わりじゃん」って卑屈になってはいけない。
見方を変えると、一昔前は人間未満の存在とされていた人たちも外見が良ければ許されるようになったということでもある。
実は、外見を良くすることというのは他のマイナス属性をどうにかするよりは比較的簡単にできる。
頭や性格が悪いのは治せないが、顔が悪いのは治せる。
「単純に見栄え良くすれば生きづらさがマシになるのになんでやらないの?」というのが「清潔感を作れ」ってやつだ。
若い女子はそれを「垢抜け」と言ってる。清潔感と聞いて「風呂には入ってるし洗濯もしてるのに何が悪いのかわからない」勢は、垢抜けって言葉を聞いて必死にアカスリタオルで身体こするような努力をしてるみたいなもの
清潔感とはノイズをなくして黄金比に近づけることだと考えればいい。
肌を綺麗にして、髪や眉を整えて、体型も標準体のバランスに近づける、メイクやヘアスタイル、服装の選び方でバランスは調整できる。そういうことを言ってる。
一方、なぜオールドタイプのフェミがルッキズムを嫌い、メイクやハイヒールを忌み嫌うかというのは、かつて、女には外見以外のプラス属性というのが認められていなかったからだ。
女も男みたいに外見以外のプラス属性を評価してくれってことで声をあげてきたんだと思う。
しかし、男も外見が悪いと平等に足切り対象になる時代になってしまった今では、そういう主張も古臭いものに思えるし、外見をどうにかするのも能力のうち、ってことになりつつある。
あるゲームの創作漫画を投稿している(ファンアート)人、すっごく好きなんだけど、だからこそ気になっててもったいないと思ってることがある。
その人、絵は普通に上手いのだが、効果音が多すぎる(「ごくん」「コロコロ」とか)。それに感情表現もオノマトペにして書きすぎている(「アセアセ」とか)。引っ張る、引っ張られるという描写では→とか←とかが添えられ、がっかりには↓、テンション上がるには↑など、感情を図式で表現するのも多用してる。
漫画で普通にやることだけど、それにしても多すぎる。絵の表現力が不安だから絵ではないものに頼ってしまっているようにも見える。
でもこの人絵が上手いので、そんなの入れなくたって伝わる。だから、要らないよ!って言いたい。
私は伝わらないとは感じてないので変えてほしいとも思ってないが、もし入れないと伝わらないかもと不安なら、効果音やオノマトペを足すんじゃなくて、絵の表現を変えてほしい。
そのゲームは言葉を発しないキャラクターでしかも架空の生命体なので、言葉をしゃべらせずに絵だけで感情表現をさせるのが難しいのは分かる。
しかし私は、この人のイラストの表現力に感動したのだ。イラストには言葉が無かった。それでも十分伝わったし、心にうったえるものがあった。
一回、絵だけでやってみません?そもそも絵本って絵だけじゃない?って言いたい。
言って心を折ってしまって「もう投稿しません」と宣言されたら悲しすぎるので、絶対直接言わないけど。めっちゃいいね押してるけど押すたびに「効果音だけが惜しい~~~~~~!!」って思ってる。
【追記】
「理想の死に方は何か」という定番の話題がある。雑談は性癖を披露する場ではないので適当なことを言って流すが、本音を言えばゾンビに噛まれて死にたい。
『さんかれあ』最高です。ブコメで教えてくれた方ありがとうございました。
2015年5月16日 ゾンビ映画 ナース とかで検索すれば出ると思う(一応検索除け)
自分がそのゾンビに噛まれることを妄想すると股間に違和感を感じた。
戦隊モノは、味方が敵に捕まって洗脳された場面。ドラえもんは、スネ夫が寄生生物に操られたところ(ドラえもん のび太と銀河超特急)。
ここで俺は法則に気付いた。洗脳・感染で自我を失うシーンを想像するとちんちんが大きくなるんだ!と。
確かに、ヴァンパイアに噛まれる絵本を読んでいた時にも同じ感覚だった。
その後は詳しく覚えていないが、初めて性的な気持ちよさを感じたのを覚えている。白いのが出て焦ったとかいう記憶はないので、射精はしていなかったのかもしれない。
しかし、あれは確実に、初の絶頂だった。精神的精通はゾンビお姉さんによるおねショタによって起こった。
以降、思春期を通じて性癖は生生流転したがゾンビお姉さんだけは常に活きていた。
【余談】
ゾンビAVはハズレが多い。俺は上記の理由でゾンビを愛しているので、力のある男がゾンビになった女性を好き勝手するとか、男のゾンビが女性を襲うとか、単純なグロテスク趣味は好みではない。
より精神的に海綿体に語り掛けるものが好ましい。例えば、愛していた女性がゾンビになり、自分も共にゾンビになることを選び、彼女に噛まれながら辛うじて意識を保って行うセックス、これが至高である。
ということで、余談とは書いたがここからが本当の目的。以上を読んだうえで俺の好みに合いそうな作品を教えてほしい。ゾンビに限らず感染・洗脳なら何でも良いし、もちろんAVでなくても大歓迎だ。
【蛇足】
将棋で抜いたことがある。以上を読んでくれたならその理由はわかると思う。
これに関しては思春期特有の性癖で個性を出そうとする行動な面もあったかもしれないが、将棋はエロかった。チェスはエロくない。
さっきまで仲間だったやつらが、こちらの王を狙って攻めてくる。当然その逆もある。