はてなキーワード: 絵本とは
玩具メーカーで商品企画をしていたことがあります。乳幼児向けの製品も担当していました。
どんなに愛情がこもっていようと、気を付けていようと、不完全な製品が大切な子供を殺してしまう悲しい事故が起き得ることを知っているので、私は自分の子供には5歳ごろまでは手作りの玩具は与えませんでした。
子供用の玩具の安全基準として、国内メーカーのほとんどが日本玩具協会のST基準を採用しています。
誤飲、指詰め、紐による鬱血や首絞め、素材の毒性、複数のマグネットの誤飲による消化器の損傷など、様々な事故のリスクをできるだけ低くするために守るべき基準が細かく定められています。
基準を満たす設計をし、試作品に様々な試験を実施し、時間も費用も知恵も振り絞って開発します。子供を傷付けることだけはどうしても避けたいからです。それでも、悲しい事故は0にはならないのが現実です。
https://www.kokusen.go.jp/soudan_now/data/kodomo_jiko.html
製品による子供の事故の事例がたくさん公表されているので、目を通してみてください。
https://www.jpeds.or.jp/uploads/files/injuryalert/0047.pdf
有名なこの事例(おままごと用の苺の誤飲)では、母親が見守っている目の前で事故が起き、脳死状態に至っています。
プロが考えて作った製品でも、こうした事故は起きてしまうことがあるのです。
インスタグラムで人気の手作り玩具の動画、とても魅力的ですよね。作ってみたくなります。
でも、ああいった情報を発信しているインフルエンサーの方は、玩具の安全に関する専門的な知識を持っているのでしょうか?本当に信頼できる情報ですか?
厳しいようですが、乳幼児向けの玩具を作ってみたいという気持ちが事故の恐怖よりも強い人は、我慢しておくことを強くおすすめします。
危険に対する想像力がある人は、怖くてとても作りたいと思えないものなのです。
私も物作りが好きなので、子供に何か作ってあげたくなる気持ちはすごく分かります。
そのエネルギーを、お子さんがもう少し大きくなってから楽しめるお洋服や絵本などの製作に使ってみるのはどうでしょうか?今から作りためておくのも素敵ですね。
「アンパンマンは君」っていう歌詞に対してやなせたかしが何を込めたのかを意識しない。
「いや、俺はアンパンマンじゃないんで」とその部分は済ませておきながら「かぁ~~~~何のために生まれて何をして生きるのか分からないまま終わる~~~~マジで深淵~~~~」とか言ってるの。
マジで恥ずかしいだろ。
お前さあ、自分はアンパンマンじゃないと言っておきながら「かぁ~~~~時は早く過ぎる光る星は消える~~~~分かるわ~~~~」とか言ってるのな。
マジでなんなの?
つうかアンパンマンって何か本当に分かってるの?
どうせお前は昔絵本かビデオかで見た「空から二つの星が落ちてきてどうたらこうたら、つまり地球外生命体なんだよね。クリプトン人やウルトラマンの亜種みたいなもんかな」ぐらいに思ってんだろ?
それはあくまで物語の設定であってさ、それによって表現しようとした「ヒーローとはなにか?」という概念からはかけ離れた部分だから。
換喩表現が行われたものに対して比喩表現の内容そのものに対してあーだこーだ抜かすような形で迷子になってる。
アンパンマンの本質を知りたいなら後付の設定じゃなくて作者の過去作を見ろって話なんだよねつまり。
そして、「アンパンマンは君さ」という歌詞が本当に歌っているのはこっちなんだよ。
バイキンマンをぶっ飛ばす腕力とか、空を自由に飛び見回る飛行力じゃない、そういった強大な力を持たせることで実現させたかったのは何かってことなの?
「強気をくじく」って部分はそのための手段でしかないのに、いつの間にかそっちにみんなフォーカスするようになってるけどさ、本当に大事なのは「お腹が空いた人にパンを配る」って部分なのよ。
もう分かるよな?
「アンパンマンは君さ」ってのは「お腹が空いている人にパンを配るような優しさ、それが君の心のなかにもあるはずだよ」ということを指してるんだよ。
ただのパン配りだったおじさんがなんで空を飛び回れたと思う?
それは空を飛び回りでもしなければ誰か一人の中に宿る優しさで皆を救うなんて出来ないっていう現実の厳しさを知っていたからだよ
やなせたかしはいつからかアンパンマンワールドという架空の世界の中に引きこもって現実を救うのを諦めてしまったけど、それでも最初に救いたかったのは現実の世界だったんだ。
戦後の貧しくてひもじい日々を救ってくれるヒーロー、それが心優しい空飛ぶパン配りおじさんだ。
「勇気や時間や余裕や力が足りないだけで、君だってもしも条件が揃えばきっと皆にパンを配って回れるような優しい人なんだぞ」って言いたいんだよ。
アンナチュラル、メインキャラの男女が恋愛関係にならないので、コンプラ/ポリコレ/フェミニズム的に素晴らしい!みたいにもてはやされてるけど言うほどそうか?
中堂はめちゃくちゃ口が悪いパワハラ上司で復讐殺人肯定派で規範意識が低く
ピンクのカバさんの絵本を描いてる茶髪ロングのゆるふわ~な女に惚れて少女漫画みたいな恋愛をしていた過去を持っている
これの何がフェミニズム的に正しいんだ??革新的でもなんでもなくよくいる古臭いツンデレモラハラキャラじゃん、で、結局女はこういう男が大好き
これを書いてから1年後。
妊娠が分かったのは1月の半ば。生理が遅れて、検査薬を試した。まさかの自然妊娠だった。元々卵巣機能が低く、第一子は不妊治療を経て出産し、その後いくつかのことを試したが結局授かることはなく。家族3人で楽しくやっていけばいいと完全に諦めていた矢先、妊娠したことが分かった。
最初は夫婦ともに戸惑った。子どもはもう5歳になって、生活に随分余裕ができた。夜は寝るし、言葉を話せて、気軽に旅行にも行ける。経済的にも子どもひとりなら安心して程良い生活ができる。そう高を括っていたところに0歳の存在が加わると。思い出される、寝ない、食べない、忍耐の日々。兄弟を望んだこともあったが、もはや5歳と0歳は多分一緒に遊ばない。仕事も責任のある立場になって、引き継ぎや調整にかかる労力は計り知れず、正直マジかという気持ちになった。
そもそもこれまでどんなに頑張っても妊娠しなかったポンコツの身体にぽっと出の命が宿ったとして、うまくいきっこないはずだ。最初はどうせ化学流産か子宮外妊娠が関の山だと思い込んだ。そうでないと、自然に授かれた喜びが爆発してしまいそうだったから。今さらマジかと思う一方、もう一度この手に赤ちゃんを抱けるかもしれないことが、子どもに弟か妹を産んであげられるかもしれないことが、本当は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
初期の検診は毎回、あまり期待せずに通った。子宮内に胆嚢が確認できたとき、リングのような卵黄嚢がくっきりと美しく見えた時、力強い心拍の音が病室に響き渡った時。涙が出るほど嬉しかった。期待しないように、期待しないようにと言いながら、毎朝毎朝、アプリで週数日数ごとの胎児の様子を丁寧に読んだ。第二子で、次の検診までがあっという間だとか、うっかり存在を忘れるとか、そんな瞬間は一度もなかった。ずっとずっと心配だったし、いつも赤ちゃんのことを考えていた。
私の心配をよそに、赤ちゃんはすくすくと大きくなった。検診の度に週数以上の大きさで、何の異常もなく、胎動も痛いくらい力強くて。深夜に目が醒めて、お腹に少し合図すると、もこもこと蹴り返してくる存在が何よりも愛おしかった。どんどんお腹が大きくなって、腰が痛くて、苦しくて、上の子に優しくできずイライラしたり落ち込んだ日もあったけど、元気な胎動を感じながら過ごす毎日は満ち足りていて幸せで、幸せで仕方なかった。
7月、何とか仕事をやりきって、気持ちよく産休に入った。体質的に上の子は早産だったから、もしかしたら近日中に産まれてしまうかもなとは思った。検診では何も問題なかったが、体感的にそれくらい身体が限界で、8月を乗り越えられる気がしなかった。早産はいつも不安だったけど、28週を過ぎたあたりで、もう大丈夫だと思った。かかりつけは家から近く、NICUのある大学病院で、例え早産になったとしても何の問題もないはずだった。
その日。
前日も当日も暑くて外出はできず、家でゆったりと過ごした。夜になり、脇腹辺りに痛みを感じた。陣痛のように収縮するような波のある痛みではなくて、何かズキズキした痛み。食あたりを疑いつつ、どんどん増してくる痛みに違和感を覚えすぐに病院へ向かった。深夜の救急外来で、すぐにエコーを当てられたけど、いつもなら聞こえるはずの力強い心拍音がいつまで経っても聞こえない。ドッドッドッとうるさいくらいのあの音が。死ぬまでずっと覚えていたいと思った音がいくら探しても聞こえなかった。
腹痛を感じてから約45分、病院到着から約15分で帝王切開が始まった。にも関わらず、全身麻酔から目が覚めたとき、赤ちゃんは生きていなかった。診断名は子宮破裂、常位胎盤早期剥離、胎児機能不全、子宮筋腫核出後、子宮内膜症性嚢胞合併。要は子宮が15cm裂けていて、そこから胎盤が脱落し、赤ちゃんは仮死状態で生まれたものの、蘇生に反応しなかった。
産まれた姿は大きくて、体重が1950gもあった。まだ体毛がたくさんあって、眉毛が立派だったけど、私と、上の子が産まれたときにそっくりだった。手足はむっちりと太く、小さな指もそれぞれ5本ずつしっかりあった。小さなお口が三角形に開いていて、かわいくてかわいくてしかたなかった。目が開いたら、どんなお顔だったんだろう。どんな声で泣いたんだろう。何が好きで、何が嫌いだったんだろう。もう冷たくて、ところどころ固まって、点滴や機械の痕が痣になって痛々しくても、かわいくて愛おしくて悲しくて、泣きながら何度も何度も名前を呼んだ。
どんなに寝なくても、食べなくても、元気に生まれてくれたらそれでよかった。ふにゃふにゃの体で、息をして、目が合うだけで、どんなにかわいかっただろう。こんなことなら、1日でも早く、早産になればよかった。子宮が破裂する前に、お腹から出してあげたかった。3日前の検診では何の異常も無かったし、子宮破裂の可能性なんて考えさえしなかった。あかちゃんは私のせいで亡くなった。子宮さえ丈夫だったなら、元気に生まれてきたはずなのに。
手術から1週間後に退院して、夫の運転する車で家に帰った。信号待ちで車が止まると窓の向こうに、大きなお腹で上の子と手をつないで幸せそうに帰り道を歩く自分の姿が、お腹をおさえてふうふうと息をつきながら頑張って坂道をのぼる自分の姿が浮かんで涙が止まらなくなった。家についても、しばらく中に入れなかった。新生児用の抱っこ紐も、ベビーベッドも準備していた。上の子のおさがりも整理して、みんなで楽しみにしていた。名前もたくさん考えて、一番良い字画を選んでつけたのに。自分だけ家に帰ってきてしまったことが悔しくて悲しくて死にたいと思った。ごめんねといくら言っても言い足りなくて、自分に拳を叩きつけながら叫ぶように泣き続けた。
あれから2ヶ月が経った。納骨はせず、毎日お線香と小さな哺乳瓶でお水を供え、遺骨に話しかけて暮らしている。泣かずに過ごせる日が増えてきた一方で、妊婦さんや小さな赤ちゃんを見かけてはひどく落ち込む日もある。最初の数週間はとにかく出産前に戻りたい、戻りたいと思いながら過ごした。前日でも、当日の朝でも、何とか時間を巻き戻せたなら、先生に懇願してすぐにでも帝王切開をしてもらう。赤ちゃんはしばらくNICUで過ごすけど、上の子の時のように、きっと元気に退院できた。
1ヶ月くらい経つと、この悲しみが死ぬまでずっと続く気がして、妊娠前に戻りたいと思った。そもそも授からなくても、私達は十分幸せだったから。子どもは一人と納得していて、他人を妬ましく思う気持ちもなかった。大好きな夫と子どもがいて、決して不幸ではないはずなのに。失ったことが悲しくて、足りないものを嘆き続ける毎日ならば、授かる前に戻りたいと思った。
そして2ヶ月経った今、子宮破裂について考えることが増えた。子宮破裂は極めて予後が悪いもので、8割の赤ちゃんが亡くなり、例え救命できたとしても、寝たきりとなる可能性が高いそう。私は子どもに一生、経管栄養の寝たきりで意思の疎通が全くできなくても生きていてほしかったとは思わない。もちろん結果的にそうなったなら大事に世話して必死に生かそうとするに違いないけど、それが死よりベターだとも思わないから、唯一そういう意味では今回の結果に納得できる気もしている。
でもやっぱり、失った未来を想うと悲しくて、もう一度取り戻せないかと思ってしまう。もう一度妊娠できたなら、今度は無事に産むから。亡くなった子と新しく生まれる子を同一視してはいけないとか、そういう話はどうでもいい。ただただ、もう一度授かって、今度こそ元気な赤ちゃんを抱きたい。これはもう、女としての私のエゴだ。止血のために両側の卵管を結紮したから、自然妊娠はできない。また次の妊娠は医師から真剣に止められている。本来なら子宮摘出すべきところ、小腸と癒着して摘出できず、仕方なく残しているだけです。妊娠しても無事に産める確率は極めて低く、次もまた同じか、それ以上に悪いことが起こります。本当にお母さんと赤ちゃんの生命に関わります。そう言われても、じゃあもうきっぱり諦めて、次の子は二度と望みません、とは思えない。
赤ちゃんとたくさんお散歩がしたかった。上の子が絵本を読み聞かせる様子を動画に撮りたかった。寝顔を見て、上の子と同じ顔だねと夫と一緒に笑いたかった。泣き声に、イヤイヤ期にうんざりしても、熱が下がらなくて大変でも、くたくたになりながらもう一度家族で赤ちゃんを育てたかった。全部、あと少しだった。もう少しだったのに、全部失ってしまった。悔しくて悔しくて、このまま終わることができない。
何のために授かったのか。どうすれば失わずに済んだのか。
自分のエゴで家族に迷惑をかけてでも、もう一度リスクを承知で子どもを望むか。足るを知り、諦めて日常を受け入れるべきか。
どんなに答えが決まっていても。
迷うことをやめられません。
『よつばと!』でよつばが、絵本『しろくまちゃんのホットケーキ』をもとにホットケーキを作るシーンから。もちろん絵本も小さい頃から読み聞かせてた。娘で良かったと思った。
映画『クレイマー・クレイマー』で妻に逃げられた主人公が子供とフレンチトーストを作るが焦がすというエピソードから。
映画『激流』で、犯人にバレないように親子で意思疎通をするシーンから、子供と簡単な挨拶程度の手話を覚えた。学校の発表会の時などに手を振るだけじゃなくて少し意思疎通できるのはすごい特別感あるのでおすすめ。
みんなもなんかありますか?
2人ともオムツが取れない。
長男はできるのにしない。
少し前は、オムツを履いてない時はしぶしぶトイレに行くので、フルチンで過ごさせてたが、オムツを探して自分で履いてからおしっこをするということを覚えてから、またトイレに行かなくなった。長男は綿の下着はガンとして拒否。
オムツを拒否するボケ老人のように、パンツなんか履けるか!という雰囲気。
次男はちょっと前まで、トイレやオムツ以外でしちゃいけないということをわかってなかった。
長男がオムツを探して履いてから用を足すのをみて、フローリングでおしっこしちゃいけないことをようやく学んだ。ところが、今度は用を足したオムツを脱ぐことを覚えて大変。オシッコならとにかく、うんこの後の汚れた尻で布団にダイブはホントに嫌になる。おしっこやうんちは汚いという認識がゼロ。
長男は2歳前から、フローリングで漏らしちゃったときや、うんちがオムツから落ちた時にはパニックだったのに、次男ときたら平気で触る。
でも次男のほうが希望が持てるところもある。長男はガンとして自分からは脱がないし、綿の下着は拒否するが、次男は「すごーい!おにいさんパンツかっこいい!」と煽てるとニコニコ。
そろそろオムツが取れないと本当に困る。長男なんて4月から小学校だ。たぶん支援学校なんだろうけど、それでもトイレと着替えくらい自分でしてくれないと困る。
長男は賢いが空気は読めないし読まない。知的障害なのに賢いというのも変な話だが、認知能力とかは普通の子よりも進んでるくらい。
数字が書かれた箱に、その数だけ玉を入れるとかは出来るのに、「おもちゃを3個ちょうだい?」と指示しても理解できない」言語とか、相手の表情を読んだりとか、そういうのが壊滅的。
言葉掛けなどから学ばないし、煽てても無駄。しかられてもあまり響かない。説明書の図の通りにおもちゃを組み立てるのは出来るのに、順番を待つとか、じっとしてるとか、その簡単な社会行動もできない。発語レベルは2歳児。YouTubeやゲームから覚えてる部分が多いせいで、半分くらい英語。言語理解は3歳くらい。字はかなり読めているみたいだ。画面の字を読みながら勝手にテレビゲームを進める。社会性ゼロのくせに、人懐っこい。自分の「喜の感情」を共有したがる。相手の都合などは完全無視。性格は温厚で、次男に叩かれたり蹴られたら、妻がつい手を出してしまっても、反撃したりしない。おもちゃは奪い返すが、おもちゃを引っ張るだけで、相手を叩いたり蹴ったりはしないし、奪取したあとに追撃したりもしない。目的さえ達せればどうでもよく、怒りとか嫉妬という感情と無縁。自分は自分、他人は他人を徹底してる。
次男は長男よりかなり空気が読めるが、賢さがまったく見えてこない。怒られるとすぐ泣く。何を叱られてるかはわからないのに、叱られてることは敏感に察する。これは長男と全く違う。イライラすると、嫌なことがあると、すぐヒトやモノにあたる。長男に比べると感情で生きてる。これでも初診で自閉と即答されるくらい典型らしいが、長男のような異星人感は薄い。年長さんの真似をしてリュックを背負ったりパンツを履いてみたり、長男が遊んでる玩具には、難しすぎて遊べなくても触りたがるし、背伸びや嫉妬や劣等感といった複雑な感情が見える。次男の言語レベルは全くわからない。音声は叫ぶ以外に使われず、言葉には遠い。「お風呂」とか「ほいくえん」とか「でかけるよ」とかは理解してるけど、理屈先行の長男と違って、相手の表情や雰囲気で理解してる風でもある。字を読めないのに絵本が好き。
2人の紹介はそんなとこ。
性格真反対だし、協調性がないから、2人を連れて出掛けるには大人が2人いる。
スーパーに買い物とかも1人じゃ無理。
なんかもう、書いてていろいろな感情が湧き上がる。金銭面は補助があるからなんとかなるんじゃないかと楽観してる。そうしないと発狂するので。
市の発達支援センターでの療育が週1、小児神経科の診察が2ヶ月に一度、作業療法が隔週、これを2人分、別々の日。長男は今月から言語のトレーニングも月1、ガリガリ平日が削られる。
今は2人とも同じ保育園だから送迎は楽だが、来年は長男は小学校。
妻が長男と小学校、自分が次男を保育園に送ることになる。朝から着替えをフルアシストなのが辛いから、着替えはマスターしてほしい。
風俗だって高級店はフルアシストみたいだし、やっぱりしてもらうほうが楽チンなんかな。オムツも。保育園じゃ自分で靴履いてるし、出かけたい時は嬉々として自分から履いたりするから、着替えだった靴だってやる気になればできるくせに、しない。
送りは分担でどうにかできるとして、迎えが問題。小学校に毎日3時に迎えに行くのは無理だ。
預かって貰おうとしたら発達障害や知的障害だと学童保育ではなく放課後デイサービスというやつになる。事業所ごと、預かる児童の程度が違うみたいで、どこも個別相談して大丈夫か聞くしかない。定型児だって学童保育が見つからなくて大変とかいうのに、これだもん。
放課後デイで預かってもらっても、2人別々に病院、やっぱ今より楽にならない。キツくなる。
妻に専業主婦になってもらうと、次男が保育園に預けられなくなる。これはこれでつむ。次男を平日預かって貰えるところがないと、長男の通院に差し障る。今無料の保育料が一時保育は有料なのになるので避けたい。
とりあえず、小1の壁をどう乗り越えるかだ。
来年は長男が小1、次男が保育園の年中、自分は仕事をやめずに頑張る。妻はとりあえず次男が退園にならない程度に働いてるアリバイを作っててもらう。再来年、長男が小2、次男が年長、いよいよ俺も辞めないとダメかもと思う。そのとき、だいぶ手がかからなくなってたらいいんだが、次男の成長が読めない。長男が同じ月齢だったときと比べても、言葉も行動も成長が遅いから期待できない。
妻も自分も保育園や小学校にすぐ駆けつけられる場所でバイトを探して、週3働くみたいな生活がベストに思える。
バイトになるとして、1100円/時の6時間を週3で4.5週で8万。
月収8万が2人で16万、特児が2人で7万、児童手当が2人で2万、しめて25万。税はほぼゼロとして、健康保険と年金と払って手取り22万、手取り年収で260万、いけるか?いけないよな。住宅ローンと光熱費と通信費で12万くらいは飛ぶしな。4人暮らしだと手取り30万、手取り年収で360万はないと無理そうな気がする。ググったら4人家族の生活費は平均30万なんだってな。やっぱりそんなもんかって思ったら住居費が18411円ってなんだよ!やっぱ毎月40万要るじゃないか。
https://www.navinavi-hoken.com/articles/family-of-four-living-expenses#d1b52593f84537bb
つうと、やっぱり年間に手取り480万相当を捻出しないとキツいってことかよ。控えめに月35万で回しても、420万。うへえ。夫婦で16万しか月収がないと、特定児童扶養手当と児童手当があっても年間で160万足りない。
なんとか捻出できても、貧しい生活になるなあ。
毎年160万取り崩すとすると、下の子が18歳になるまで取り崩し続けたら2000万くらいなくなるわけだ。いつまで持つか。
ベーシックインカムの構想が1人毎月7万円だったっけ?その代わりあらゆる手当が無くなるとか。
それにしたって4人で28万、これを毎月か。これなら、夫婦で月収15万でも障害児2人余裕なんだけどな。ダメだ、考えると発狂するってのに考えてしまった。障害児だからといって金がかかるわけではないが、働けない。子育て以外なんもできない。
障害児産んだら、住み込みの家政婦を恒久無料とかしてくれませんかね?
中学受験が大変とか言ってる連中が憎い。好きで苦しんでるだけだろと。
仲良しグループの中で初めての結婚・出産なので、そりゃあもう皆で喜んでいろんなものをあげた。
「はしれディーゼルきかんしゃデーデ」
があった。
なんでも四六時中「はしれディーゼルきかんしゃデーデ」を手放さないらしい。
女の子だから奥さんは子どもにもっとかわいいものを身につけて欲しいのに電車電車と言うせいで奥さんのヘイトが「はしれディーゼルきかんしゃデーデ」へ、我々へ、そして旦那である友人に行き毎日つらいと連絡を貰った。
「このままでは俺は◯◯(絵本をあげたやつ)を殺さないといけなくなる」
とまで言っていたので、誰か「はしれディーゼルきかんしゃデーデ」を越える何かがあれば教えて欲しい。
7:00 妻・子供起床。子供のおはようのハグをする。癒される。
8:00 私は軽めの朝食を済ませ、外出準備をし、子供と戯れる。癒される。
11:00 近所のカジュアルフレンチのレストランでビールを飲みながらショートコースをいただく。
15:00 個室サウナに行き、整う。
17:00 平日は行かない高級スーパーでちょっと奮発した食材を買って帰宅。夕食準備に取り掛かる。
18:30 家族で食事。今日なにをしたか会話する。癒される。
20:00 子供とお風呂。お風呂でジュース屋さんごっこをする。癒される。
21:30 子供たち就寝。
22:00 妻の背中を流す
22:30 体中にキス
22:45 妻の髪を乾かす
アメリカにおける男女平等に大いに貢献し、2020年に死去したギンズバーグ最高裁判事という人がいる。
アメリカのリベラルからは一種のイコンともなり、彼女の人生に焦点を当てた絵本があるくらいだ。
そのギンズバーグ判事だが、彼女がとった戦略はこのようなものだ。
女性を阻む壁、一つ一つ解体した 米最高裁判事、故・ギンズバーグ氏の足跡
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14670822.html
功績として評価を受けるのが、70年代に弁護士として率いた米自由人権協会(ACLU)の「女性の権利プロジェクト」だ。当時は、男性には認められるのに女性はだめ、逆に女性には認められるのに男性はだめ、という法律の規定が多くあった。そうした性差に基づく差別を問題とする訴訟を次々と最高裁に持ち込み、4年間で5件の違憲判決を勝ち取ったのだ。
当時、最高裁の9人の判事は全員が男性。その理解を得ようと、ギンズバーグ氏らは「男性が不利な待遇を受けている」という法律をあえて問題とした。「男女は同じ待遇にすべきだ」との理解が広がれば、女性の地位向上にもつながる。かつては「男性優先」といった批判もあったが、今ではこの方針は巧妙な戦略だったと評価されている。
「男性差別」とされるものも同時に問題とし、それを是正することが結果として女性差別の解消にもつながる。
ギンズバーグ判事はこのような戦略で女性差別の解消を勝ち取ってきた。
「男性差別」と言われたものについて、「これは差別ではない。なぜなら...」と差別性の否定に心血を注いだり、「こんなことに一生懸命になってるのかよw」と冷笑したり、そういうことを繰り返している。