2024-08-10

国家資格勉強に勤しむ薄給会社員男性35歳。妻と共に、団地で1歳の子を育てている。

 土日休みの私と、シフト制で共働きの妻は、休みが被らない。だから休みの日はワンオペで子の面倒を見ることはよくある。

 いつも遊んであげているからか、子は私によく懐いていると思う。

 だから休みの日になると、「だっこ」「読んで」と絵本差し出してくる。

 普段、なるべく子どもに構ってやりたい、と思って色々と連れまわしてあげていたりするものの、やはり試験直前期ともなるとそういう訳にはいかない。

 渋々子の希望に応じて抱っこをして、絵本を読み始める私の気がそぞろであることを1歳ながら子は鋭敏に察する。そして、スッと別の部屋に行って、一人で絵本を読んでいたりする。その背中が切ない。私が不甲斐ないばかりに、早く大人になることを強いてしまっているような気がして、「ごめんね。」と背中越しに声なく語りかけるが、そんなことを子は知る由も無い。

 

 私は頭が悪いから、きっと今年も試験には受からないだろう。

 結果は判り切っているのに、勉強なんてさも正当な理由があるが如く振る舞い子をおざなりにしてしまうことに罪悪感がある。そもそも勉強自体、好きじゃない。

 

 だけど、しかし……。

 冒頭で書いたように私は薄給なのであって、どうにかして現状を脱するには資格に依るしか途が無い。長い目で見たときに、この苦しみが結実することを祈る。そしてこれはイズムの問題だと自分に言い聞かせている。

 

 短期的に子を慈しみ、今の生活を良くしようとすることは妻がすればよく、今を苦しんで長期的に何とか生活を良くしようとする行いは、苦しみを飲み込む器のある側がやるしかない。

 子は父の心を知らず、私のことは嫌いになっても構わないし、妻が私のことを「役に立たない」と思い恨んでも構わない。しか勉強した世界線勉強していない世界線では、前者の方が(私自身は嫌われているものの)妻子の幸福寄与するはずだ。少なくともそういう姿勢暮らしていくことが、生活の全てにおいて溶け込んで良い方向に作用するはずだ。

 そして私は、家父長としてそれを受け容れなければならないのだ!

 

 とポエミーに語ってみたものの、どう自分の中で折り合いをつけたところで妻子の側からは、1年後、2年後の結果で私の行いを裁くのだろうなと思う。

 

 もう何千時間勉強してきた。全部がムダだったなんて思いたくない。何とか受からないと。

 

  

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