はてなキーワード: 孤立とは
調子に乗った鉄道好きによる、鉄道野郎と鉄道ギャルの増加のおかげで、鉄道や鉄道好きは都市から嫌われている
車・バイク好きが出て来てもいいぞ
何年かかってでもあの雪辱を晴らす
ボロボロにしてやる
その執念を感じる
今の日本死ねはガチのマジでヤバイ。加速度的に悪化していってる。
国内に目利きできない日本人の意向が入ってるせいで国内が殆ど安定していない。
さらに、日本の宝たる鉄道が平成版ヤンキー人間を育てて日本人からそっぽ向かれている。
さすが終末国家の日本
日本人の鉄道愛が強かったから日本人がみんなしらけるから私が死ぬまで「鉄道=マイナスイメージ」でいいと思う
車バイク好きの鉄道好きに対する陽気かつ横柄な態度も大嫌い 1980年代あたりにC.R.A.C.みたいなカウンターデモしえいれば1990年代には暴走族絶滅できたくせに鉄道好きご愁傷様wwwとか云うな!
キ○チ・チ○ン・ケセ○キが程のコリアンにとっての最大級の侮辱語であるように、サムラ○・○クザ・障○者は日本人に言ってはいけない最大級の侮辱語リストに入れておこう。
バイク乗りの高校生は不良旋風のせいで2012年までの30年間も暗黒時代が続いていたからなw
日本の鉄道バッシングなんてたった2年、しかも国鉄時代の多数の事故についてはバッシングも皆無だったんだし
まだまだだよ
私も普通じゃない。ぎりぎり普通のふり出来ているだけで、注意欠陥については思い当たる節ありすぎる。
とんでもないミスはまだないからいいんだけど。人に危害がいくのではと思ったらカウンセリング受けようとおもう。
ほんと悪い記憶ばかり思い出すのも悪い癖だわ。
勝手に決めつけている。医師の診断が・・・と突かれるとそうなんだけど、あとで自分から言い出したのが数人いるんだ。
健常者の単に周りを振り回すタイプとはまた違うんだ。そういう人とは違うなにかがある。
体の動作や会話の中とか。
自分で言ってくれた人の中にはちゃんと病気と向き合っていて、とてもいい関係が築ける方もいたんだ。
だからみんながみんなそうじゃない。
他人をカテゴライズしてしまう癖これはほかの人にも言われたしもっと反省します。
本当に自分の人格がおかしくなってるのは理解してる。倫理的にもおかしい。
それをわかっていても、うまくやってこれなかったのが悔しいしやりきれないし悲しい。
一度コミュニケーションが難しい相手とずっと対峙していたらアレルギーみたいになってしまったのかもしれない。
相手と一対一で接しなくてはいけなくなり集団から孤立し、周りからいろいろ噂をされたのが思春期にはきつかった。
その後、そういう方と出会う確率の高いところに身を置いていたから、いろいろあったわけだけど・・・。
人を叩くより前向きになるよう頑張ろうと思う。
ちょっかいかける側の不良っ子とちょっかいかけられることをうとましく思ってる真面目っ子の百合ものね
好意の裏返しってことになかなか気づかない真面目っ子
でもあるときあるできごとによって真面目っ子の心境に変化があるの
それから少しずつ仲良くなっていくんだけど、いつしか自分の感情が友達を超えてしまっていることに気づくの
気づく主体はどちらにしようかしら
それで2パターン、いえ第三者も考慮すれば3パターンは考えられるわね
真面目っ子パターンなら、不良っ子が別の子と仲良くしてることに胸を痛める
不良っ子パターンなら、孤立しがちで自分の独占だと思ってた真面目っ子が不良っ子をきっかけに友達の輪が広がって自分との時間が少なくなってしまったことに対して嫉妬する
小学3〜4年の頃、いじめをしたことがある。俺がいじめていた「彼」は当時つるんでた仲のいい5〜6人の友人グループの一人だった。
友人グループとは言っても、一人のリーダー格とその取り巻きのような感じだったと記憶している。俺はそのグループ内ではNo.3くらいの立ち位置だった。
詳しい経緯やきっかけはもう覚えていないが、グループの中でもヒエラルキーが下の方だった彼には、普段の遊びの中で徐々に「リアクション芸」が要求され始めた。
特に彼に障害があるとか頭が悪いとかではなかった。何故彼がそうなったのかあまり覚えていないが、外で遊んでいる最中に転んだり、何かの拍子にボールが直撃したりした際に叫んだ言葉が面白かったとかそういう事だったと思う。当時見ていたテバラエティ番組の企画のように皆で公園で「ゲーム」をしたり、学校内で鬼ごっこや缶蹴りをする中で、彼には毎度のように何か知らの試練とリアクションが求められるようになった。
そのうち友人グループの間でどんどん遊びがエスカレートしていき、彼に対する仕打ちもどんどん過激になっていった。最もひどかったときはもはや単純な暴力だった。肩パンして痛がっているのを笑うような雰囲気になっていた。
そのなかで俺も、ヘラヘラしながら何度も彼に暴力をふるったことがある。所有物を隠した事もあった。多分もっと色々酷いことをしたと思う。確か良心が痛んだと思うが、その時は良心の痛みよりも仲間内で目立つことや皆が笑うことの方が大事だった。
今思っても本当にひどいことをしたと思うし、自分の中では凄く反省している。思い出すたび胸がズキズキする。
彼の母親が学校に殴り込みに来て、いじめは終わった(と思う)。
彼の母親はクラス全員の前で、息子が受けた仕打ちや家で落ちこんでいる彼の様子などを怒りを込めて話した。
俺は、少なくともグループ内で遊ぶときには彼は楽しんでいるものだと思いこんでいた。暴力を苦痛に思っていたことがショックだった。
俺はクラスの前で立たされ、怒鳴られて泣いて、涙ながらに彼に謝罪した。それまで人前で泣いた事が無かったのでそれもショックだった。
俺はそれ以降その友人グループとつるむのをやめた。怒られたのがきっかけでなんとなく空中分解したという言い方が正しいかもしれない。
彼の母親に怒られた日の帰り道に「これから人に優しくしよう」と決意したこと、帰宅してから事情を聞かされていた母親の前で大泣きしたことはよく覚えている。
今思えばこの経験がそれ以降の俺の人格形成に大きく影響した気がする。
中学に進学した俺はクラスメイトの中でも孤立している人や転校生と仲良くするようになった。いじめていた彼を同じ部活に誘った。そうすることが罪滅ぼしだと思っていた。
あれから20数年経っているが、俺がいじめていた彼は地元に帰ると必ず会う特に仲のいい友人の一人だ。
いじめていたことが良かったなんてこれっぽっちも思ってはいない。今でも思い出すと辛い気持ちになる。
他のトラバにある
というのはその通りかもしれない。
こういう「仕返し」でいじめをするパターンもあるのかもしれないけど、遊びの延長線上でいじめるパターンが多いのではないかと自分の経験から思う。
私は小中高大とすべて公立だったので、いわゆる(金銭的に)多数派を見てきたと思う。
大学及び大学院の同期の進学先は想像通りだった。成績や人柄などからある程度想像できると思う。
高校の偏差値は70弱のいわゆる進学校であったが、同期の就職先は小中学生の時に想像していた同級生像に一致していた。
逆に、小中の同期の就職先は当時では想像もつかないほど悲惨であった。
こうしてまとめてみると、小中が最もバラエティに富んでいると思われる。
首長族の風習などは、意図的に他部族と価値観を変えることによって防衛を行う戦略である。
女という一般的価値をそのまま受け入れれば、同様の価値観を持つ他部族と争いになるが、自部族には価値があって他部族には価値のない女(首長女)であれば、女を奪われる心配がない。
もちろん、その代償として首長族の村は他の村と女の交換という同盟戦略を行うことができず孤立する。
まあ保護貿易というかブロック経済のようなものかもしれないが、防衛戦略としては面白いと感じた(長期的には先細りだけどね)。
グーグルに逮捕歴削除命令=検索101件「人格権侵害」―福岡地裁
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161118-00000115-jij-soci
Googleで自分の名前を検索すると逮捕歴が出てプライバシーの権利に反するから削除しなさいという地裁判決が出た。案の定Twitterなどのネット民共は感情論全開で「逮捕歴なんてあるヤツがそれを忘れてのうのうと生きれると思うなよ。甘過ぎんだよ」とか「未成年の犯罪者も実名顔写真公開しろ」だのそういう意見が多数見受けられるんだよね。
中には犯罪者本人だけでなく「犯罪者本人だけでなく、親、兄弟、家族、子供、親戚まで生涯日陰を歩み幸せを感じてはいけない。犯罪者の一族は卑しい身分で生涯を終えるべきだ。」とかいう恐ろしい意見まで…まあこういった意見はネット利用者の1%にも満たない奴が声高々に言っているだけだろうが。
忘れられる権利はもっと認められるべきだ、もちろん犯罪者にも。それはなぜかって?犯罪者の社会復帰のためだから。名前で検索して犯罪歴が出ちゃうってのは前科持ちの人にとって就職や今後の人間関係を築く上で大きな障害となる。
犯罪歴がネットに出るからお前は雇わない、お前とは付き合えないと周囲から見放され孤立しどうしようもなくなり、また犯罪に手を染めるのを防止するため。忘れられる権利が広く認められれば冤罪となった人にも助けとなる。ネットで不当に炎上した人にもいい。
2ちゃんねるで八神太一というハンドルネームを名乗った人が、人生どうしようもない野球好きなゴミ屑野郎達に個人情報を特定されて4年以上にも渡り陰湿な嫌がらせをネット上で、更には実家にもされているということ。この人の本名でGoogleで検索すると40万件以上もヒットする。大半がその人に対する悪意に満ちた、偏向的なものばかり。これでは就職もままならないだろう。
テロ事件みたいな大規模な犯罪を犯したわけではないのにここまで酷いことされるのはおかしい。こういったネット上の不当な炎上に対しても一日でも早く忘れられる権利が広く適用されることを切に望む。
下手に自己分析とかし始めると
と無気力になって、貴重な10代を蔑ろにしてしまう可能性もあるよ。
まあ自分のことだけどね。
ルックスは、良くて三浦春馬(14歳の母とか出てて影のあった時代、全然顔は似てないよ)で、
大抵は実写版ちびまる子の藤木だとか言われるような陰気な感じ。
教科書なんて絶対開かなかったし、同級生に会うのが怖くて外出は極力避けた。
親から再三「不登校になると社会からドロップアウトする」と言われたからか通学はやめなかった。
進研ゼミを暇つぶしに解くだけで平均点+10点ぐらいは最低でも取れるというレベル。
学年順位で言えば240人中30位以内。増田と比べるとちょい下くらいかな?
本気出せばもうちょっといけるはずでそれが強みになると思ってた。
だから2年生の2学期からはテスト対策だけはそれなりにするようになった。
それ以上あれば文句なしに頭が良いと言えるはずで、当時の俺にとって絶対的な指標だった。
提出物を全くといっていいほど出さなかった俺の評価はズタボロだ。
三者面談を重ねる中で偏差値60以上の学校はまず無理だという現実を突きつけられた。
自分の決めたあの偏差値のラインは、俺が頭が良いという長所を有するための最低条件だったのだ。
それをクリア出来ない以上、唯一の長所を手に入れることは叶わない。
その時はそうとしか思えなかった。
なんの取り柄もないゴミである為、誰からもまともに相手にされずぞんざいに扱われるのが相応な人間なのだ。
そんな人間が努力したところで何もなさないことぐらいは俺でもわかる。
そんな風に考えていた。
俺は自分がなんの取り柄もないゴミであることが確定してしまったと思い込んだのだ。
勉強もろくにせずに挑んだ受験でちょうど偏差値60の高校に合格した。俺は嬉しいはずもなく、周囲のねぎらいは嫌味にすら感じられた。
高校受験で自分を開花させることができなかった俺は、自分に降りかかる不快な体験は全て自分のせいなのだとし、終始無気力で情緒不安定な鬱屈した高校生活を過ごした。
高校は地元町からそう離れていないので同じ中学からの進学者は二桁以上になる。
彼らが中学時代の俺について有る事無い事広めてくれたことおかげで、中学時代に塾や部活動に関わることが少なく他校生との交流がなかった俺は瞬く間に孤立した。
幸い部活や学外で友人はできたが、終始教室内では嘲りの対象で、「こいつがいるとその場が陰気臭くなる」「こいつさえいなければいいクラスなのに」と後ろ指をさされながら十代後半の3年間を過ごした。
ゴミだなんだと卑屈になった俺はやはり勉強に身が入らず、先生の助力のおかげで留年もなく、なんとか大学への進学を決めて卒業した。
今思えば入学時にそこまで卑屈にならなければいけない所以などなかった。馬鹿にされるところはあったにせよ、こんな俺にも魅力となるところもあったろう。
そんな自分を愛する心を、おぼつかない中学生の思慮で排斥してしまったのだ。
俺が中学生に何か言えるとすれば、下手に自分を分析なんかするなと言いたい。
自分が思っている以上に社会には様々な価値観や世界があって、君たちが見て来たものだけで自分を規定してしまうのは勿体無いと。
君たちの間でまかり通っていることが必ずしも正しいわけでないとも言いたい。
分析ということは他人にわかるよう簡潔にまとめあげるということだ。
自分のことは自分しかわからないし肯定もできないのにそんなことしていいのか?
分析なんかしなくていい、ただ自分の気持ちを自分で否定することがないよう努めればいい。
中学生ができることは、今じゃなくでもいいから、自分の気持ちに素直に行動できるように、卑屈にならないように、前に向かって進んでいくだけなんだ。
そして大人は10代の初々しい感性を傷つけないよう、挫けそうなときに優しく彼らの気持ちを受け止めてあげなければいけないのではないだろうか。
35歳になりいじめの記憶を辿るという、かなりどうでもいいことをなぜかしようと思ってしまった。そこまでハードないじめのではなかったのかもしれないがまぁ思い出してみよう
自分の中でいじめだったという認識があるのは保育園、小中?高の4時代、中学はそこまででもないが順に辿ってみる
▼保育園
保育園にはいじめっこが2人いた僕はジャイアンとスネ夫に見立てていたがさながら僕はのび太だった。
ジャイアンと僕は同じ女の子のことが好きだった。彼はいつも「女の子ちゃんは俺のモノだ」と言って誰も近寄らせようとはしなかった。多分、彼女も当時はまんざらでもなかったのだと思う。とてもうらやましかったのを覚えている。(これは嫉妬)
保育園に通っている間は、ほぼその2人に毎日殴られ、泣かされて帰った。これは保育園ながら結構辛かった。ジャイアンとスネ夫は僕とは違う小学校に入った。救われたと思った。
人間失格のくだりではないが同窓会などで保育園の時の話をすると、当時の僕を覚えている人がなぜかいない。存在感が薄かったのだ。写真にはよく写っているようで不思議がられる。
▼小学校
小学校は山側に住んでいる人と、谷側に住んでいる人にわけられた。小学校は20人で1学年1クラスしかない小学校だったが、僕は山側に住んでいた。山側に帰るのは僕ともう1人だけ。残りの18人は谷側に帰る人達だった。おかげで、登下校時の話題に乗り遅れ、ブームに乗り遅れた。また、下校後に山側と谷側で遊ぶ交流もほぼなかったし、おまけに僕はピアノを習っていたため女のようだと言ってからかわれる日々だった。
そのうち成長してくるとクラスにはボスが誕生した。もちろんボスは谷側の人であったため、しもべのような人を数人従えて必ず僕はのけ者にされた。ドッヂボールや鬼ごっこ、サッカー・班決め。チームになるような何かの時には必ずヒエラルキー通りのチームわけになった。なので、勝ったためしがない。多数決では、彼の意見にみんなが賛成したのでかなり不条理な決定がまかり通っていた。先生もなぜか不条理なことを受け入れていた。
あるとき、集団相撲というのが流行っていた。チームで分かれて全員をなぎ倒したら勝ちというルールで、特に土俵などは存在しない遊びだった。教室でやっていたらロッカーの角に頭をぶつけて頭から大流血した僕はすぐに病院に運ばれた。
手当をされて戻ると「あれ?生きてるの?」と言われた。後になってわかったが、僕が病院に行っている間に先生の指導のもと、黙祷されていたようだった。今でも信じられない。
しかし、小6の頃革命が起こった。クラスのリーダー格の女の子が隣の席になると一気に仲良くなった。
その女の子と仲良くなることで女子陣が味方につくようになった。無論、男子たちとは更に距離が開くことになったが、初めて友達ができた感じがして救われたのは間違いない。
▼中学校
中学校では走り出しは順調だった。新入生代表挨拶を自分が読んだためだ。
(とはいえ、新入生代表挨拶は、小学校の時誰もやりたくないということで、ボスが僕を指名したために決まったものだった。誇れるものではない)
入学して3ヶ月頃までは普通だった。しかし、突然風向きが変わった。それまで仲の良かったと思っていた人達が僕を外し始めた。僕が小学校時代の弱者であるという認識が広まったのかもしれなかった。そして、若干名の無視を受けていたものの、そこからいじめが発展したということは特になかったが、中学時代はそのくらいだったので、平穏無事に終わったと思ってもいいだろう
▼高校
高校も走り出し1ヶ月は順調だったが、クラスの人間関係では最悪の高校生活だった。少しづつ友達が増えてきたと思ったら1日にして孤立してしまった。
きっかけは、前の席に座っていた1人の男子だった。ある授業中、居眠りをするととても激怒する先生がいたのだが、彼は居眠りをしていたので、起きなさい的な意味で、冗談まじりに消しゴムのカスを後ろからなげつけた。そんなに深い意味はなかった。起きて振り向いたが、殺すぞくらいのキレ方をされた。
そのことにおいては僕も悪かったのかもしれない。
それからだった。何日もしないうちにみんながよそよそしくなって、気付いたら完全に無視される状況が出来上がっていた。これは高校3年の夏くらいまで続いたので、2年半くらいだろうか。
初期の頃は本当に1日が長くて辛すぎた。特に辛かったのは修学旅行だ。3泊4日の沖縄は最悪の思い出だ。オール無視されながらの班行動。これはいじめ人生の山場だった。
高3の夏に何が起こったかというと簡単で、ターゲットが俺ではなくなっただけだった。そこで、そのターゲットをハブるため、俺に声をかけてくるようになったのだ。しかし彼らと仲良くなろうなどという気も一切なく、うれしくもありがたくもなかった。新しくターゲットになった彼はとても辛そうにしていたが、僕の2年半にくらべたらどうってことないだろうと思ったし、そしてその2年半無視していた仲間がターゲットになったところで、どうでもよかった。
長年無視をくらって、それでも頑張ってくらしているととてもタフになる。もう全然1人でも楽しめるような自分が完成していた。暇さえあれば、写真を撮ったり、美術室で絵を描いたり、学校を抜けて映画館に行ったり、本を読んだりしていた。おかげでちょっと人とは違う感性の高校生になっていたのだと思う。
そして、予備校・大学と進んだがそこはなかなか良い友達ができた。
▼その後
23くらいの頃、高校の同窓会が1度あったので参加してみた。既に俺のことを忘れてしまっている人もいたが、よく参加したものだと自分でも思うがまぁよい経験だろう
きっともう同窓会はないと思うが、あったらまた参加すると思う。おかげさまで強くなったし、自分の感性が活きる仕事にもついた。結婚もしたし、今はよい友達もたくさんいる。
こうやって記憶を辿るのはなぜか自分はわからないけど、今はとても幸せだから、なんか見返せたような気がする。それを実感したくて書いたのかもしれない
東京の大学出たら東京で就職するだろうけど、地方出身女は東京で子供産んでも孤立無援でドロップアウト率高い
でも地元の大学出てそこで就職すれば子供産んでも実家サポートがっつりで働ける
まして東大なんて一般職でお茶濁すなんて事も出来ないだろうし(職場で浮くわな)
東大卒に相応しい職と出産育児を実家サポート無しで両立なんて無理ゲー
出産しないで仕事に生きるもいいけど、高校生の時点でそんな事決められないよねえ
東大入れる学力あっても地元に旧帝があるならそっち行くか(旧帝あるならそこそこでかい都市だし)
電通でずっと週100時間以上残業させられた女性が苦痛のあまり自殺した。
担当上司から徹夜で作った広告をボロクソに言われたらしいと聞く。
私も似たような目にあって、心を壊されて病院通いにさせられた。
物書き、編集、企画という仕事なんてその時いた会社ではノウハウがなかったので、誰も教えてくれない。だから自分で探したり、売り込みに来て知り合った人の技を盗んで五年くらいかけてやっと自分なりの文章を書けるようになった。それを武器に人の紹介などで1〜2ページながら連載の企画を持たせてもらえるようになった。
ゆくゆくはフリーになりたかったから、会社の仕事以外にも外部のライティングからデザインまで寝る間もなく引き受けて納期は必ず守っていた。
するとどんどん欲が出てくるのは当然のことで、それら実績とオリジナリティで勉強のためにととある会社に所属することにした。
面接と作品を見た人は偉そうな態度で嫌な感じはしたが、仕事を覚えたたらやめるつもりだったので我慢して入社をすることにした。
「修行に専念することにするんでしばらく休業すると言って、それまで外注で受けてT仕事を休むことにした」
それまでに書けるだけ書いて、使ってくださいと納めた。
そして新しい日々が始まったんだが、面接の時の評価とは手のひらを返したように重箱の隅をつつくことから、来客の挨拶の仕方まで上司とその下にいた先輩は批判するようになった。
それは仕事まで及び、短文からマンガの原作に至るまでここはいけない、こうすべきだ。これっておかしい。などと徹底的に否定された、
5時間くらい残業して何日もかけて書いたものを上司に見せると、これおかしいから手を入れるからと原稿を受け取って「こうなるんだ、見比べてみろ」とアイディアだけ残った全然違うものにされて返された。
挙げ句の果てには短文の紹介文の文体が気に入らないのか、こんなのなんなのとヒステリックにまくし立てリテイクを何回もされた。それは写真のキャプションにも及んで「これと書いてあること違うじゃない」「見たとおりで膨らませるように書いただけです」と言っても全部ダメだし。
原作や創作文章もいくら時間をかけて書き上げても、上司からはボロクソに言われてダメだしやアイディアを盗まれたりした。挙句は一読して「あんたの頭の中はどうなってるの? これで伝わると思ってるのと文句しか返ってこない」こんな状態だから会社でもだんだん話す人がいなくなり孤立していく。
もう自分のスタイルも何もわからなくなって、何をどう書いたらいいかわからなくなっていた。
書けば「頭がおかしいんじゃないの?」など人格を否定するようなことまで言われるようになっていった。
思うに文章の書き方が、私の未熟さもあるが、そこの上司の統括する本に合わないから否定してぶち壊す。しかもそれまで私の書いてた文が、外部では評価されていたことが気に食わなかったのだろう。
だから徹底的に壊してそして上司と意地悪な先輩の考える「型」にはめ直そうとしたんだと思う。
これは「自己」を「破壊」して「新たに植え付ける」ある種の「洗脳」だ。
もうこの時にはPCに向かってもまったく文章が出てこないばかりか、頼みごとを同僚にしても何か文句を言われてるような気がして、ますます萎縮し会社にいるのが辛くなった。もう会社じゅう敵だらけのような気分だった。
もうできるものなら死んでもいいと思っていた。
その頃、ある本を読んで自分は「うつ状態」じゃないかと思って、メンタルクリニックを受診した。もちろん会社には内緒で。そこで処方された薬のおかげで少しは仕事ができる状態になった。でも毎回のイビリで精神が元に戻ることはなかった。
それでもなんとか死なずにしがみついて入られたのは、婚約者がいたからだった。彼女といる時が唯一の癒しだった。
しかし、いい加減イビリ倒してもブラックシープはホワイトにはならないと思ったのだろう。ある日上司に呼ばれて「もう今月で君には辞めてもらうから」と言われた。解雇通告だ。
ようやくこの地獄から解放されると思う反面、無職になるということである。私には婚約者がいる。
もう、休業期間が長引いて外部ライターをやってた時の担当はどこにいったかわからないし、わかっても仕事を頼めるほど力がなかった。
運よくその前後に、以前の会社の出入り業者がデザインやMACを使える人を探していた。その会社の副社長とは顔見知りだったので、電話してみたら一人くらいなら入れられるとのこと。
二つ返事でその話を受けて、面接をしてその会社へ転職することになったのは運がよかった。
新しいフィールドだったから教わることやミス、怒られたりもしたが、同じ部署の個性的な仲間がフレンドリーで居心地はよかった。
映画もやっているし、知っている人は多いと思うが意外に読んでいない人がいる。
なんでも、集団いじめをテーマにしてる漫画と聞いて、重いと思ってしまうらしい。
なんてことだ!!こんな面白い漫画を読まないなんてもったいない!!!
というわけで、ネタバレを極力避けつつ、読んでみようかなと思わせるレビューを書くことにした。
この漫画は、一言で言ってしまえば、障碍者と前科者が社会に居場所を見つけるまでに直面する、人と人が分かり合うことの難しさ、尊さを描いた物語である。
硝子は聴覚に障害のある少女で、障害ゆえスムーズなクラス運営を妨害してしまう彼女は、転校を繰り返すがどこに行っても疎まれいじめらる。
将也の学校でも同じように疎まれ、将也を中心にいじめられるようになる。
将也のいじめは後にクラスで問題になり、逆に彼がクラスの集団いじめの標的になる。
このようにして、自分の犯した罪の重さを知った将也は、高校生になって硝子に謝りに行く。
将也が過去の罪を償うべく、硝子やその周囲で奔走することで物語が動いていく。
それを重く感じる人もいるだろうが、むしろ子供のころいじめられがちだった人こそ、この漫画を読むべきだと思う。
いじめや障害といった要素は主題ではなく、この漫画の本当のテーマは人と人が分かり合うこと、「聲(こえ)の形」なのだから。
手話は声を目に見える形で伝えてくれる。
しかし、それだけでなく、この漫画には本当に様々な「聲の形」が描かれている。
気を付けなければ見落としてしまうような、表情、しぐさ、間、すべてが「聲の形」である。
だから読み込むことで、「この人はこういう時、こんな顔をする」というのが分かってくる。
声が伝わってくるようになる。
誰が何を伝えきれず、見落とし、どうすれ違って、最後にどう和解するかが分かってくる。
優しいというのは、人の持つ人格を、その人はそういう人なんだと受け入れることである。
好き嫌いは別として。
強いというのは、人に向けた好意は、必ず好意と伝わると信じることである。
好意を返してくれるかに関わらず。
彼らが小学生の頃、誰も優しくもなければ強くもなかった。
本当なら、優しさや強さを教える立場の教師達も、それができなかった。
皆が傷ついた。
高校生になり大人になりつつある彼らは、やはり不器用に傷つけあいながらも、本当の優しさと強さを手に入れていく。
人は不幸にも、人生のどこかで人を信じないことを覚えてしまう。
人と真剣に向き合っても損をするだけ、表面上だけ合わせてやり過ごすことを覚えてしまう。
自分も人を信じて、向き合ってみようか?
また裏切られるのかもしれないけれど。
でも、その時が来るまでは優しさにあふれた世界を信じてみよう。
それが、自分を良い方向に連れて行ってくれる。
これは、そんな気分にさせてくれる物語。
さあ、読もう。
ああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!西宮!西宮!西宮!天使!天使!天使!かわいいよ西宮!西宮かわいいよ!!!!!1話目の隙を見て逃げ出そうとしてる唇とがらせた顔がかわいいよおおおお!!!!母親が投げ捨てた筆談ノート取ろうとして、勢い余って川に落ちるときの絶望の表情がかわいいいよおおおおお!!!!いじめられてにへらっとしてる表情がかわいいよおおおおおお!!!!!!!進路をどうするか聞かれて、うんうん頷きながらどや顔してるのかわいいよおおおおお!!!!!!!!!ショーちゃんのおててをしゃぶしゃぶしたいよおおおおお!!!!!ショーちゃんの感情表現の手段、大事な大事なお指をなめ回したいよおおおお!!!!!そしたら舌ったらずな声で「い、いあ……」とか言ってくれるのかなあ!!!!!泣きそうな顔で「りゃ、りゃえて……」とか言うのかなあ!!!!!涎でぬめぬめでろでろになったおてて、これも聲の形だよね!ショーちゃん!!!!!
そしたらいいタイミングで通りかかった将也にぶん殴られるのかな!!!!「西宮ッ!!!大丈夫か!?」とか言いながらさりげなく肩とかに手を置いてなぐさめてあげたりするのかな!!!そして次の日に「昨日は殴っちゃってごめんな。お前はお前なりに考えがあったのかもしれないのにな」なんてメールを送ってきてくれたりするのかな!!!!!ごめんね!!!!世の中にはそんなに深く考えこまなくてもいい事があるんだよ!!!!!!
でもやっぱり植野が一番かわいい!!!鬼のような形相で西宮の髪ひっぱる姿がかわいいよ!!!!ちょっとした小動物なら心臓発作で殺せそうな顔面で永束君罵ってるところかわいすぎるよおおお!!!!!罵って!!!もっと罵って!!!!そして恐怖のあまり失禁したい!!!!失禁する姿を底冷えするような冷たい蔑みの目で見られたいよおおお!!!!!!!そのくせ一途に将也を想ってる所がかわいすぎるよおおお!!!!走る時の「したたたたた」って効果音がかわいすぎるよおおおお!!!!!走れ!君はどこまでも行ける!!!!
永束君ぼっちなの納得いかなくね!?オタク友達それなりにできるでしょ!こういうタイプ!佐原さん強い子!川井は、こいつだけは好きになれない。真柴君ほんと蚊帳の外!ザ傍観者視点!
島田ってもう将也と仲直りしてるよね!?あとはきっかけだけだよね!?遊園地で再会した時の「ふっ」って笑顔、1話目で母親と将也がじゃれてるの見て笑ってる顔と同じじゃん!なんかもう、途中から引っ込みがつかなくなってたの気にしてたんだよね!「ずっと気にしてたけど、なーんだ、楽しそうにやってるじゃん」って顔だよね!あれ!
勢い余って告白しちゃう西宮かわいいよおおお!!!結絃の何気ない「石田彼女つれてたぜ」って嘘ずっと気にしてたんだね!!!そんで植野のこと彼女だと勘違いしたんだよね!!!「やっぱり普通にしゃべれる女の子がいいのかなぁ」なんて悩んでたりしたのかな!!!かわいいな!!!!
西宮と再会するとこの植野も最高にかわいいよね!!!!西宮の補聴器取って「ぶん投げて遊ぶ?」って言ったとこ、すごいグロテスクだったよ!!!子供の残酷さって本当に怖いね!!!!トンボの羽をむしって遊ぶのと同列に、西宮のこと見てたってことだよね!!!怖すぎるよ!!!!だけどそれが幼心というもの!!それに気づかせてくれてありがとう!!!!人に共感する能力って、年を重ねながら学習する能力なんだね!!!
自分が何もしないでいるうちに、将也と西宮が手話で会話する仲になっているのを知った時の泣き笑いたまらないよお!!!完・全・敗・北!!!って感じだよね!!!笑いながら泣くしかないよね!!!成人式に婚約指輪もらったフリまでして将也の気を引きたいのに、まったく裏のない笑顔で祝福されちゃうのもかわいいよ!!!!
植野、容赦なく人の事ぶん殴るくせにいい子だよね!!!人に敵意や悪意を見せるより、曖昧に笑顔で流しちゃうのが楽だし傷つかないし、大人の対応だよね!!!だけどあえて、そうしないのは、心の底で人の善性を信じているからだよね!!!嫌いな奴だから、社会から抹殺してやろうとか、陥れようなんて考えないって、信じているんだね!!!
佐原、芯が強い子だよね!!!植野が西宮殴りまくってる時の罵り合いのさなかで「友達だよ!」って叫べるのすごいよ!!!植野と西宮母、拳で語り合いすぎでしょ!?平手打ちもコミュニケーション!これも聲の形!!!男前!!!!好きすぎる!!!!
でも一番好きなのは竹内先生と将也が再会するところ!大人にとって自分の間違いを認めるのは、難しいこと!!!ハズレを引いた、自分の責任ではなかった、それでも自分は反省している善良な人間、そう思って、それで終わりにしたいよね!!手話をマスターして、それで償いになったって思いこみたいよね!!!そこにかつての教え子がやってきて、過去の罪をまるっと認めて、そして向き合ってる姿を見せられたら、そりゃ認めるしかないよね!!!かつての教え子に、逆に教えられる!最後に「立派になったじゃないか」って言うところ、将也達は廊下に出てるんだから、慌てて職員室の入り口まで追いかけてきて言ってるんだよな!!!最高すぎる!!!!
最高と言えば成人式の同窓会に西宮と手をつないで入っていく将也ほんといいよね!!!かつて取れなかった手を取って歩いていく姿!!!最後に度胸試しした橋で西宮と会うようになる展開も最高だし!!学園祭の見開きで顔から×取れるシーンも最高だし!!小学生のころの度胸試しとか広瀬のなにげない一言を後々生かすのも最高すぎるし!!!永束君の映画酷評してる審査員、お前もチャップリンみたいな髭生やしてね!?!?!?島田バイトばっかりして、もしかして留学資金自分で貯めてるし!!!西宮視線でみんなが変な声でしゃべる世界の回想も最高の感涙だし!!!そっか、西宮が生きてる世界って、こういう風に見えてるんだって、感涙だし!!!将也が目覚めてから橋で奇跡的に再開する時に、じっと将也の顔を見る西宮かわいすぎるし!!!将也と西宮がいつも二人して同じこと考えてるの最高だし!!!将也と植野は似てるようで似てないし!!!もしかしたらもしかして、西宮と将也の物語が、植野次第で将也と植野の物語になってたかもしれないのも最高の最高の最高だし!!!!!とにかく最高な漫画だった!!!
死が確実に自分に近づいてくるのを見るのは、とても不思議な気持ちだ。
今歩いている選ぶことの出来ない道は、選ぶことが「出来た」道であり、
選択を誤った過去の自分を、現在の自分がただひたすらに責めることしか出来ない。
とにかく色々な「ふるまい」の総体であり、
「きっとこうするべきだ」という数え切れないほどの選択を
意識の奥底の最低に住む知らないわたしが常に実行し続けている。
その知らないわたしの選択の無数の積み上げが自分なんだと思う。
選べるようで選べないし、引き返すことも出来ない。
振り向いた時にはいつも手遅れで、随分大切なものを失ってきた。
そして、上で言ったような考えに行き着くたび、自分ばかりを責めてきた。
それは、わたしが自分のプライドから、人に相談することが出来ずに
その方が楽だった。
そういうわたしを見て、周囲の人たちからは「能力が高い」「自己完結してる」「ちょっと冷たい」とか
わたしを少し遠ざけるようなことを言われることもあった。
彼らのそうした態度はわたしをますます孤立させ、気が付くと自分を責めることでしか前に進めなくなっていた。
誰とも深い関わりを持たず、関わりを避け、関わりを疎ましく思っている自分は
いくつになっても大人になることが出来なかった。
『手遅れになる前に、もう少し出来たことがあったよね』
その度に、わたしの中の知らないわたしに責められることにも疲れてしまった。
もしわたしが望むような道を進み続けたいと思うならば、
専門学校に入学して、入学式の前のオリエンテーションで同じ部屋になった4人組でずっと一緒にいました。
専門学校に行くぐらいだから趣味も一緒だし、何かと気が合ったので。
全員コミュ障だったけど、はじめまして!と話しかけてどうにかこうにか友だちになれました。
私はこの歳まで引っ込み思案で、小中高と同じクラスの幼馴染がいたこともあって友達が本当に少なくて専門学校に入ったら自分で話しかけて友達作るぞ!と息巻いていたので
だからこそ、偶然同室になり学生時代をずっと共に過ごして卒業してからも遊びに誘ってくれる友達が大好きです。
話は戻り学生時代、そろそろみんなでご飯を食べに行こうかというぐらいの仲になった頃、
突然Aちゃんが私に「あっちのグループで孤立してしまったから、こっちに入れて」と言ってきました
まあ、端から見れば女の子が集まっているからグループなんだけれど、私含め全員が何となくグループという言葉に違和感を感じましたが
もちろん拒否する理由もないので、ちょうどお昼の時間だし一緒に食べようよーと答えました。
Aちゃんは素直で天真爛漫で可愛らしく。そこは長所ではあるのだけど、とにかく自分勝手でお子ちゃまでした。
まだ19歳、私も人のことは言えなかったが自分の思い通りにならねばすぐに拗ねる。
エレベーターが重量オーバーで乗れず、全員一緒に行動できなかっただけで拗ねる。
「何で私を一人で残したの?一緒に降りて、全員一緒に行きたかった」とずっと頬を膨らませるという具合。
物を貸したら返さないし、人が持っているものをすぐ「ちょうだい!」
インフルエンザで寝込んでいて「大丈夫?」とメールをもらったのですが(当時はLINEがまだ主流でなく、メールでした)
熱で朦朧としていた頭では返信もできず。
数分後「どうして返事返してくれないの!!私の事、嫌いなの!?」とお怒りのメールが来たときは、
正直、私は疲れ果てていてあの時、一緒にお昼食べようと返事しなければよかったとさえ思ってしまいました。
Aちゃんはとにかくグループ行動を好み、遊びに行く際自分がドタキャンしても「私がムリだから、今日の予定はなしね」と言います。
Aちゃん抜きで遊びに行ったことがバレると、次の日学校で号泣し私達が宥めるはめになるのが心底面倒で
どこでばったり会うかわからないので、その子の都合で私たちは遊ばねばならなかったのです。
いま就職して思うことは、毎日学校に行くだけで友達に会えるのって奇跡だということ。
もっと学校帰りの買い食いや、友達とのおしゃべりをしたいときに、自由に楽しみたかったなぁということ。
多分一生後悔すると思います。
就職してからも友達には会えますがやはり機会は減りますし、どうしても仕事の話になりがち。
箸が落ちただけで笑えるような年頃に、周りの人が聞いたら首を傾げるようなくだらない話で盛り上がることができるというのはとても尊いことだと思います。
その子は正義感が強く、クラスで孤立している(ように見えるだけで、一人のほうが気楽だと言っていたけど)女の子Bさんを連れてきて
今日からこの子、うちらのグループに入るから!!と鼻息を荒くしました。
正直、何でも打ち明けられる友達の輪に全く話したことの無い子が入ってきて、とても戸惑った。
連れてこられたBさんは「いや別に、グループとか入りたくねえし」という感じで戸惑っているし、
別に友達なんていらないという考えだったのかただたんに私達が嫌いだったのか私達が話しかけてもつん、と無視をしていました。
挨拶をしても返ってきません。
ただ、BさんはAちゃんには気を許しているのかAちゃんとだけは喋っていました。
挨拶をしても無視するような、そんな相手と仲良くなろうと思えるでしょうか?少なくとも、私は全く思えませんでした。
無視をする子なんて私は死ぬほど嫌いです。悲しいことに私は今でもBさんのことが嫌いです。
前述のように、Aちゃんは遊ぶときに自分がいなければ発狂するのですがそこにBさんが加わりました。
6人もいると、さすがになかなか予定が合いません。
もう、予定合わない人がいれば、とりあえず予定が合うメンバーで遊べばよくないか?と話し合いをもちかけましたが
私は全員一緒がいいのっ!!と机を拳で叩いていたので、話し合うことも諦めました。
そのおかげで、学生時代最後の1年間はほとんど友達と遊びに行けませんでした。
ひっそり合流して遊ぼうにも、私は県外から通っていましたし、
皆バラバラのところから通学しているのでなかなか隠れて会うこともかないませんでした。
どうしてそんな子と卒業まで一緒にいたのか?と疑問におもう方もたくさんいらっしゃるかと思います。
グループを抜けるだとか、何人で行動するのか?ということが一番大事だという空気が流れていたのです。
どうして、よそのグループの子と話すの?とか、そっちのグループに行くの?だとか、そんなことで騒ぎになるような雰囲気だったのです。
私たちは皆気が弱かったのか、誰もAちゃんの行動を咎められなかった。
いや、咎めたのですがAちゃんはどこ吹く風、何も改善されなかったのです。
話し合いの途中で泣いてしまえば、私達が折れて宥めるのがわかっているから。
結局、卒業してから皆四国や、関西、関東へと散り散りになりましたが
卒業して2年ほどで全員がAちゃんと大喧嘩し絶縁してしまったとのこと。
ある人は仕事中にLINEが来て、返せなかった所「どうして返事くれないの」と電話がかかってきて怒っただとか
ある人は会いたいから今すぐ私のいるところまで来てと言われ、
県外なので「二人の中間地点で会わない?」と提案すると「いや、私の定期券そこまでないから」と言われキレただとか。
学生時代、誰かが今のようにキレてAちゃんといい加減にしなさいよ!!と大喧嘩でもすれば状況は変わったのかもしれない。
だけど、誰もそれができなかったし、多分今の精神状態であの頃に戻ったとしてもAちゃんにはかなわないと思います。
そんなくだらないことだけれど、私はAちゃんを許せない。
こんばんは。
以前「ハゲてしまった」と増田に書いたらホッテントリ入りしてしまったハゲです。
結論から言いますと、とりあえずはハゲで悩むのは中止し、延期となりました。
以下その要因です。
8月上旬より、個人輸入サイトで買ったノキシジル+フィンペシアを飲んでいました。特に副作用はありませんでしたが、8月後半~9月前半は抜け毛(初期脱毛)がひどかった。洗髪すると抜け毛がびっしり手にこびりつき、前髪全体がスカスカしてきてこの上ない恐怖を覚えました。
ですが、あるときふと気づくと、前頭部の深いМ部分にうぶ毛が生えてきていました。
また、おでこ前線の5mmほど下部に、1本だけ孤立してずっと耐えていた髪の毛があったのですが、現在その毛のもとに救援が続々と到着してきています。まだその援軍の一本一本は頼りないうぶ毛であり、全体的な見た目はほとんど変わっていないと思いますが、心理的効果は抜群で、抜け毛も落ち着いてきたので正直もう戦争に勝った気でいます。
2)美容院に行った
これまで毎度1000円カットで、しかも短髪によるハゲ露見が怖くて4か月くらい行っておらず髪が長かったのですが、ブコメなどのアドバイスを見て意を決し、エグザイル的な人がいる3200円の美容院に行きました。
インテリアや観葉植物が充実したオシャレ空間に気後れしながらも、エグザイルメンバーに勇気を出して「あの…さっぱりさせたいんですが、ちょっとデコが…広くなってしまって…」とかおそるおそる言ってみたら、「ア? ソッスカネエ? あらよっと」という感じで軽くハゲがごまかされるいい感じの短髪(坊主ではない)にしてくれました。
「1、2か月で切ったほうがいっすよ」といわれたので今月もいきます。
前回あれを書いたのは、2chのハゲ判定スレで前髪画像を晒したら「ここまで来たら薬飲んでも手遅れ」「よくこれを晒せるなwwww」とか書かれて絶望したからなのですが、
うぶ毛が増えたとはいえ、現在もそのころと比べて毛髪量はそれほど変わっていないであろうし、実際まだ同年代よりもだいぶハゲてるにもかかわらず、悩みはかなり軽くなりました。
てめぇが人の作品に格付けして描く手(書き手)を順位でづけしてるからじゃねーか。
自分の常識を他人に押し付けて勝手に一人で憤慨してる人間に近づきたいと思わないのは普通のことだろうが。
私はお前の悪口なんて何も言ってないし、なんならやられたことだって共通の友人にも言ってねぇよ。
お前(とお前が認めた人間)を持ち上げるためのアフターに誰が好んで参加したいって思うんだよ
貴方に友人がいないのは、ずっと合同やってた人の裏垢教えてもらえないのは、私のせいじゃない!!!
自分の協調性の無さとかにじみ出るプライドの高さとか、無意識なんだろうけど人を見下した態度とか、都合の悪いものに目を逸らして少し揉めただけの私のせいにしないでほしい。
どこにも誰にも吐き出せないのでここで。
しんどい。