死が確実に自分に近づいてくるのを見るのは、とても不思議な気持ちだ。
今歩いている選ぶことの出来ない道は、選ぶことが「出来た」道であり、
選択を誤った過去の自分を、現在の自分がただひたすらに責めることしか出来ない。
とにかく色々な「ふるまい」の総体であり、
「きっとこうするべきだ」という数え切れないほどの選択を
意識の奥底の最低に住む知らないわたしが常に実行し続けている。
その知らないわたしの選択の無数の積み上げが自分なんだと思う。
選べるようで選べないし、引き返すことも出来ない。
振り向いた時にはいつも手遅れで、随分大切なものを失ってきた。
そして、上で言ったような考えに行き着くたび、自分ばかりを責めてきた。
それは、わたしが自分のプライドから、人に相談することが出来ずに
その方が楽だった。
そういうわたしを見て、周囲の人たちからは「能力が高い」「自己完結してる」「ちょっと冷たい」とか
わたしを少し遠ざけるようなことを言われることもあった。
彼らのそうした態度はわたしをますます孤立させ、気が付くと自分を責めることでしか前に進めなくなっていた。
誰とも深い関わりを持たず、関わりを避け、関わりを疎ましく思っている自分は
いくつになっても大人になることが出来なかった。
『手遅れになる前に、もう少し出来たことがあったよね』
その度に、わたしの中の知らないわたしに責められることにも疲れてしまった。
もしわたしが望むような道を進み続けたいと思うならば、
それでもwinding roadは途切れないんだよ?