はてなキーワード: 孤立とは
http://anond.hatelabo.jp/20160927015612
現在:P196
瓜実は瓜実条虫症なのか、そうなのか
瓜実、甘露寺、佐薙
Hさんはひじりだろうが
瓜実先生、何やってんのよ
マッドサイエンティストか、あほなのか
ここで伏線回収
自家不和合性については、フタゴムシが自前の精子で受精しないことに掛かっていたと思われた
ここで、しゅーしゅくしゅが強く思い出されてきた
http://anond.hatelabo.jp/20160927012839
続き
現在:P160
最近伝言板についての記事がネット上に上がっていたように記憶している
もしくは、いつも行っている歯医者で、ニュースで見たのだったか
私の街、その最寄駅にも伝言板があった
バスターミナルの中心に近い所に、天井まであるような大きな伝言板
あれも昔は使われていたのだろうか
ところで、訳知り顔の評論家なら
「ソーシャルメディアの発達によって人々は本当の意味でコミュニケーションを取らなくなった
クリスマスに人を孤立させるウイルスによって、却って人が周りを見るように、つながろうとするようになるとは
これが寄生虫による本来あるべき共存の形だったのではないだろうか」
とでも言うだろうか
恋する寄生虫が売れた暁には、新聞の天声人語や書評にでも挙げられそうだ
くそくらえ
さておき
序盤でも思ったが村上春樹の影響があることはここで言うまでもないのだろうか
どうでもいいか
「でも、佐薙に汚されるのはどうしてか許せるんだ」
読み始めていたときから、私にとっての潔癖症なんだろうかと考えていた
以前も考えていたが、きれいは汚く、汚いはきれいなのだ
「堕ちよ、生きよ」である
つながるということは、生きるということである、たぶんね
こういうセリフを書かせるのが、げんふうけいだったと強く思い起こさせるセリフだった
自分が聴覚障害者で感動ポルノを描いてくれと言われたらこういう作品を描くと思う
ある日、主人公の通う学校にヒロインが転校し、そこから物語は始まる
ある者はそれに加担し、ある者は見て見ぬふりをする
しかしそのイジメがエスカレートし過ぎた結果、大人の介入を招き、主人公は一人全ての罪を背負わされる
ヒロインへのイジメはその後も続くが、主人公はクラスで完全に孤立する
仲の良かった友達に殴られ、上靴を隠され、イジメる側から一転、イジメられる側になった主人公
ある日、朝早く登校してみると、いそいそと自分自身の机への落書きを消しているヒロインを目撃する
やられるばかりでやり返すことのない、そんなヒロインを見て内心馬鹿にする主人公
自分はそんな事はないとばかりに、クラスメイトが上靴を隠す現場をおさえ殴り掛かる
ズタボロになって横たわる主人公、ふとそこへあらわれるヒロイン
「親切ぶるな!言いたいことがあるなら言えよっ!」
一ヶ月後ヒロインは転校する
明くる日の朝、机をみて主人公は気付く
あの日の朝、いやこれまでずっと、ヒロインが必死に落書きを消していたのは彼女の机ではなかった、自分の机だったのだ……と
行き場のない気持ちを抱えたまま、一月、一年と時はたち、主人公は次第に自分の殻へとこもっていく
友人もなく、楽しいことも、したいことも、自分にはただの一つも生きている意味がない
死のう……
死ぬ前に何がしたい?
そうだ、あの女の子に会いたい……
会って……俺は――
そこへ近づくにつれ、鼓動が高鳴る、トクントクンと
そんな自分に動揺しながらも、一歩、また一歩主人公は歩を進める
そして――
髪は少し伸びてる
身長も、いや、でも俺の方が高い
服は?制服か
良かった、学校に行ってるんだ
何か言わないと、何か……
そうだ……一体、俺は……何を――
成長したヒロイン、昔とは何もかもが違う
でも……
ただ一つ、かわらないもの……
そこにはあの頃と同じよう、ただ静かに、そしてやさしく微笑みを湛える笑顔があった……
「ともだちに……なれるか?」
はっと驚き頬を赤らめるヒロイン
心の内側を描く必要もない
ヒロインはただ一人孤独に頑張り、ただひたすらに耐え、ただひたすらに優しく、最後に主人公を受け入れるだけの人形で良い
そして障害というハンデを背負うヒロインが頑張る姿は読者の涙を誘う
障害者の人格を無視して、天使のように扱い、都合の良い部分だけを切り抜き
健常者が成長するための道具としてのみ使う
これが感動ポルノだと思う
ところで
ヒロインをイジメたことで孤立した主人公が成長した後、ヒロインと再会し救われる、そして恋に落ちる
こういう声がある
しかしそれは違うと思う
殆どの人はわかっていると思うが上述した物語は聲の形の導入部だ
しかし聲の形という物語はこの出会い、再会の部分から始まるのだ
そしてその後、感動ポルノでは決して描かれることはないであろうヒロインの内面、その葛藤
決して天使とはいえないようなどす黒い部分、それらが主人公含めその他の登場人物と共に描き出される
ヒロインは静かでやさしいだけの天使ではない、他人に迷惑をかけ、沢山の間違いを犯す
主人公はヒロインに救われるが、同時にまたヒロインも主人公に救われる
聲の形で描かれる主人公とヒロインは分かりやすい勧善懲悪のような関係ではない
脇を固める登場人物達についても同じだ
ただ、聲の形で描き出されるキャラクターはみな、はっきりいって変人ばかりだ
小学生の頃は他人に罵詈雑言やワガママをぶつけながらその自覚がなく、当たり前のように孤立していた。
中学時代にこの言動でトラブルを起こしてからは一転して徹底的にいい人を演じるようになった。高校生のときは自分から頼まれてもいないクラスの仕事をどんどんやって、聖人扱いされた。だけど受験前に心の余裕がなくなっていった。偏差値が上がらなくて泣いているクラスメイトに余計な言葉をかけて神経を逆撫でしてしまったこともあった。化けの皮が剥がれて、卒業するときは周りの人から話しかけられることも少なくなっていた。
大学に入るときにはリセットしようと思って焦りすぎた。空回って周りと打ち解けられず、気づけばみんな仲の良い友達を見つけていた。周りが談笑しているときには何が面白いのかわからない。サークルの新歓でも私が喋ると空気が冷える。高校生のときよりずっと寂しいけど、もう取り返しがつかない。誰とも会話がかみ合わない。まともな人間関係が成り立たないのだ。
幸いなことに、長期休みごとに遊びに行くような友達は片手の数ほどだがいる。けれど、その人達にはもっと楽しく笑って遊べる別の友達がいて、私はお情けで一緒にいてもらっているだけな気がする。その友達が悩みを私に話すことがなく、息のあった会話もできないのは、私が自分のことで精一杯で人の悩みを聞いたり、その人の1番いってほしいことを言えるような人間ではないからだ。自覚はある。でも、どうすれば他人が気持ちよくなれるのか、私にはどうしてもわからない。頭でわかっていても実行はできない。
そして、私も遠慮と不信感が重なって本当の悩みは言えないし自分は出せない。心を開いていないことを悟らせないように、口から次から次へと薄っぺらくてつまらなくてひどい言葉が湧いてきて、止めることも誤魔化すことも下手だ。そのうちに話すことに疲れて、相手にも興味が持てなくなる。そのことを相手もわかっているから、お互いに心の扉は閉じたままだ。
もう20歳になるが、心から笑って話せるのは家族だけだ。精神的に疲れたときに甘える相手は母親しかいない。それ以外の人だと、相手の許容範囲がわからずに疲れさせてしまうから。
周りの同級生は、やすやすと人と打ち解け、スケジュール帳をびっしり埋めて、楽しく生きているように見える。彼らにも彼らなりの悩みはあるはずだ。でも、私はそこにすら到達できない。いたずらにだした話題を面白いと思っているのかつまらないと思っているのかわからない。相手の話題に素直なリアクションがとれない。何もかも壊れたあとで気づく。
こんな私でも中学のときよりはマシだと思う。結果が残せたとは言いづらいけど、それでもあのとき変われたのだから、とも思う。けれど、20年も続いてきた自分本位な考え方を変えたり、あるいは誰かに依存せずに済むように自分の足で立つことが、果たして社会に出るまでにできるのだろうか。
要領は悪かったけど勉強だけはできたから、そのことで自尊心を保っていたけど、大学に入った今、私より頭のいい人が星の数ほどいることぐらいはわかっている。それなのに自分の知識を無意識のうちにひけらかしてしまうこともある。技術も社交性もない私に一体なんの価値があるのだろう。頭でっかちで半端な知識を撒き散らす壊れたスピーカーだ。
幸か不幸かギリギリのところでレールからは降りずに生きているけど、そろそろ限界が見えてくる。いつまでも親に甘えて頼り切ってしまったら、いつか親が私を支えられなくなったときに共倒れだ。そのときに親を支えられるような人間になれるだろうか。そして辛いときに支えになる人を、大人の世界で私は見つけられるだろうか。そしてその人が倒れそうなときにも支えられるようになれるだろうか。その人を笑わせたい、悲しませたくないと素直に思えて、そのために心を尽くせる人はできるだろうか。
今すぐにでも動かなきゃいけないはずなのに、エラーしてでもトライしなければならないのに、さもなければもっと知識や技術をつけて強くならなければならないのに、そのどれも私はできずにいる。永遠に家で何もせず暮らせていけるものだと心のどこかで信じている。そんなことはないのに。
一体私という存在にどんな意味があるのだろう。ネットの海で痛みをごまかそうとしたけど、無数の「ふつうのひと」の言葉がますます無力感や自己否定を招くだけだった。こうしている間にも夜が明けて、私はまた1日を無駄にする。足踏みを繰り返す。頭だけが空回ってオーバーヒートする。なんの解決にもならないパニックを起こす。
頭で考えたことを実行するのがいつからこんなに下手になったのだろうか。
このまま消えてしまいたいけど、それも勇気がなくてできない。こんなの20歳の悩みじゃない。真面目なせいで単位は揃っているから、順調に大人の世界が近づいてくる。
いま思い返してもただただ悲しくなるが、
きっかけは、親が強制的に少年野球チームへ入団させたことだった。
野球そのものは好きだったが、ああいう「集団で何かをやる感じ」とか、
「ノリを求められる雰囲気」とか、とにかくああいうのが大嫌いだったんだ。
少年野球への入団は当時の自分にとって相当な精神的ダメージとなり、
周囲に大きな壁を作り始めた。
チームのやつらとは当然口を聞かなかったし、
なんかやばい気がしたんだ。
喋らなくなるとそれはそれで厄介な状況になる。
「無口」「無口」「無口」
周囲に罵られる日々。
表情もなかったし、あれは軽度の鬱だったろう。
小3まで遊んでいた友達とも疎遠になっていった。
ある日、ひとりだけいた友達と話しているところをクラスメイトに見られてしまった。
それでまた心を閉じてしまう。
まさに八方塞がりである。
それでも小学校卒業を迎えるころになんとか立ち向かおうと奮いたち、
中学校卒業を迎えるころには、高校ではもっと話せるように頑張ろうと奮起し、
相変わらず友達は少ないながらもまともに会話できるようになっていった。
今でも飲み屋で馬鹿騒ぎしたり旅行にでかけたりできるくらいの大切な親友ができた。
彼女もできた。
社交性を取り戻したといったけど、正直なところ今でも
人に壁を作る癖は治っていなくて、心を開くのに最低2年はかかる。
「グループ」に属するのも慣れなくて、
数人の心許せる同期と飲みにいくような具合である。
そろそろオチをつけたいわけだけど、
鬼監督には罵られるし、先輩にはボロカスに言われるし、
後輩には馬鹿にされるし、同期ともノリについてけなくて孤立して、
あの雰囲気はどうしても好きになれなかったけど、
野球は好きで、ずっと続けた。
そのおかげで半端ない体力がついたし、
高校野球をそれなりに厳しい環境で耐え抜いたみたいなところは、
なんの取り柄もない自分を評価してもらえる唯一のポイントになったりもしてる。
親も、息子にまともな社交性を身につけさせたいと思って入らせたらしい。
というわけで、今は親にも野球にも誰にも恨みもなにもなくて、
結局は自分の生来のネガティブな性格が根本的な問題なんだと思う。
ひん曲がった性格だけど、こんなんでも付き合ってくれる友人にはとても感謝している。
いま同じように学校で周囲に馴染めない子やもしかしたら話すこともできない子も
いるかもしれないけど、こんな自分でもまともに社会でやってけてるわけだからいまは耐えよう。
いじめの様子を目の当たりにして、僕は劇場に来たことを後悔した。
原作である漫画は全巻読んでいて、事の結末まで全て把握しているはずだった。
それでも、イラストだけでなく映像という形で視聴する事で、これが初めて観る作品であるかのような衝撃と胸が締め付けられるような感覚を得た。
いじめを招いてしまった当事者のみんなも、いじめに対し悪気は無かったのだと思う。
けれども、将也を中心とするいじめは次第にエスカレートし、植野はそれを一緒に楽しみ、佐原は辛くなり途中で逃げ出し、川井は見てみぬふりをした。
(川井の台詞は後の将也に対するいじめの決定的な理由を作った。)
高価な補聴器の紛失と故障がきっかけとなり、硝子は転校し硝子へのいじめは収まった。
ただ、いじめの矛先は将也に切り替わっただけで、硝子へのいじめが明るみになった事が、いじめそのものを無くす方法にはなっていなかった。
将也と硝子の自殺未遂に共通していた未遂の発端は、2人の弱さにもあったと思う。
作中、周りの生徒の将也に対する誹謗中傷の台詞は、将也自身の声が当てられていたが、卑屈で自意識過剰になった将也のメンタルが反映されていたと思う。
また、自分へのいじめは見て見ぬふりが出来たものの、想い人が嫌な目に遭っている事に、ついに耐えきれなかった硝子。
小学生の当時から生きやすいように、自分にとって都合の悪い部分から目を逸していたものの、それを直視せざる得ない状況になって限界を迎えてしまった。
決して2人だけが悪いという話ではない。
かと言って、誰が悪いというわけでもない。
コミュニケーションのぎこちなさが、微妙な噛み合わなさが、作中の登場人物が置かれたいびつな状態を作り上げてしまったと感じる。
ただ、2人に関わった人達が硝子の未遂と将也の転落事故をきっかけに少しづつ変化し、将也の通う高校の学祭を迎える事となる。
そこで、ついに将也の雨空のような視界が晴れやかとなった。「×」が付いていた周りの人達の顔から「×」が全て剥がれたのが、将也自身の心境に変化が生まれた証拠だろう。
硝子についても、植野に対して手話で「バーカ」と言い返していた。人に対し言いたいことをきちんと言えるような人に変化したのかもしれない。
物語終盤は、2人の未遂を乗り越えて成長した人たちの様子が描かれていたが、同時に視聴者である僕達の変化も期待されているのかもしれないと感じた。
この作品におけるいじめは、身体障害を持つ硝子の身にのみ起きたものではなく、健常者である将也の身にも起きた。
聴覚障害という硝子の身体障害がきっかけではあったものの、それが無いと起こり得ない話だとは感じられなかった。
作品の中で植野は「西宮が最初からいなければ良かった」と硝子に対して直接言ったが、後にその植野自身が手話を覚えたという事実だけで、硝子のネガティブな気持ちはだいぶ軽くなっていたと思う。
聴覚障害者、ひいては身体障害者が持つ障害という名のちょっとした壁を、たったそれだけをきちんと考慮し、周りの人が受け入れ取っ払おうと努力する事が出来れば良い話なのかもしれないと感じた。
それは身体障害者だけではなく、他の極一般的な人たちに対する差異の理解にも通ずるものだと思う。
万人がそういった感覚を持つことが出来れば、いじめは無くせると思う。
そういった理解を助けになったこの作品を視聴することが出来たことは良いと思えた。
もう当初の後悔は無い。
ブログとか増田とかでもよくある、女性が自分に言い寄ってきた男について語る話。
まぁ、きっとさぞかしモテる美人さんが投稿してるんだろうと思う。
だけど、いい加減一方的に過ぎるような気もしてるんだ。
そこで、いわゆる「モテる男性」である自分が語ってみようかと思う。
男性の側から周囲の女性を語るコンテンツは、驚くほど少ないと感じる。
それは、女性が自分をモテる女性だと自認することに対し、男性がそれを行うことには自他に大きな抵抗を伴うからだと思う。
自分でそう思うかどうかはともかく、複数の女性からそう言われるので間違いはないと思う。
基準になるかはわからないが、女性に連絡先を聞いて断られたことはない。
しかしオタクでもあり、女性への興味よりゲームやアニメへの興味が大きい。
そして、恋愛にはあまり自信がないというのもあり、あまり積極的なタイプではない。
女性は私に興味を持つ。
そして、話しかけたり、こちらの好みを尋ねたりしてくる。
私は、女性で言えば清楚なタイプでもあるため、少し地味なタイプの女性も声をかけてくれる。
声をかけられた私はしかし、あからさまにその女性に興味を示さないことが多い。
いや、女性が嫌いなわけではないのだけど、ファッションとかの話には興味ないですし、正直、深く仲良くなりたいと思う女性はなかなかいない。
私が興味を持たないと知るや、声をかけてきたその女性は、一気に私を否定にかかる。
具体的には、女性同士のコミュニティや他の男性に向けて、悪い噂を流しにかかる。
私が今回、この文章を書こうと思ったのもこのためだ。
男性から声をかけられた女性が、その相手が気に入らなくてそれを晒すような真似をする。
しかし、女性から声をかけられた男性がそれを晒すようなものをあまり見たことはない。
(内輪の会話では結構あるような気はしている。この辺男女の違いかも)
それなのに、男性に声をかけられて袖にされた女性は、それを笑い者にして社会的に否定しようとする。
アンフェアじゃないだろうか?
学生時代、明らかにこちらに好意を持って近寄って来た女性たちは、こちらが興味を持たないと知るや、私についての噂をあることないこと流し、コミュニティから孤立させようとした。
最近、デートの誘いをしてきた女性に対し、食事してそのまま普通に帰ったら、その後で私の友人たちに「あいつはクズみたいな男だ」と吹き込まれ、面倒くさいことになった。
思うに、自分が魅力的だと自覚していて、その魅力を以てイケメンを落としたいと考えている女性が、その相手に自分のその魅力を否定された時、自分のアイデンティティを守るためにそういう行動に出るのだろう。
もちろん、世の中の大半の女性がこういうタイプではないのだと思う。
が、こういう場で「自分に声をかけてくる男」を腐している女性と、イケメンに声をかけて相手にされなかったらその相手を腐す女性は多分、重なっているのだと思う。
まぁ、ナンパとかする男が、声をかけた女性に相手にされないと「お高くとまってんじゃねぇよブス!」なんて負け惜しみを言ったりするのはよくあることなので、それと同じ心性なんでしょうね。
みんな忙しいのに集まってもらって、ごめん。でも、もう限界だったから。
まずは、ねえ、青森ちゃん。青森ちゃんってさ、私が想うほど私のこと意識してくれてないよね。知ってる?青森ちゃんってさ、私にとって日本の中で唯一のお隣さんなんだよ。でもさ、青森ちゃんにとってはお隣さんが二人もいる。秋田ちゃんと岩手ちゃん。しかもきちんと地続きになってる。
だからさ、青森ちゃんは私のことお隣さんって認識してくれてないんじゃないかな?って不安になっちゃうんだよね。山形ちゃん、宮城ちゃん、福島ちゃんとも東北っていうひとつのグループになってるみたいだし、もう完全に私の入り込む隙間なんてないんじゃないかなって…。
グループって言えばさ、日本をブロックごとに分けたとき、一人ぼっちになるのって私だけなんだよね…。東北、関東、中部、近畿、中国・四国、九州、沖縄…。えっ?沖縄ちゃんも単独だよって?うん、いや、そうなんだけどね。…ほら、沖縄ちゃんって、たまに『九州・沖縄地方』って分けられてるじゃん。…ずるいなって…。
え、ううん、そんな。沖縄ちゃんのせいじゃないよ!悲しい顔しないで、沖縄ちゃん!私、実は沖縄ちゃんが一番気持ちを分かり合える相手なんじゃないかなって思ってるんだから!ほら、通販で『※北海道・沖縄・その他離島は送料が異なります。』って書いてあったとき、ガッカリする気持ちとか。
日本の中でも最北と最南で、端っこ同士通じ合うものがあるっていうか。ね、だからもしも、都道府県の中でペアを組むことになったら、沖縄ちゃんは私と組んでくれるよねって信じてるの。
え?嫌だなみんな、そんな顔しないでよ。もしも。もしもの話じゃん今のは。待って。本当にペアを作れって言ってる訳じゃないから。ねえ。ひそひそ話しないで!みんなも分かってるでしょ。47都道府県。奇数。ペアを組んだら誰かが絶対余ることになるって。私怖いの。もしその時が来たらって。誰とも地面が繋がってないから、不安なの。
同じく地面が繋がってない沖縄ちゃんも、さっき言ったみたいに九州グループと親密だから…。九州は7県、奇数だよね…。だから、沖縄ちゃんを入れてうまいことペアを完成させちゃうんじゃないかなって…。
でも、でもさ、面積が大きいことで有名な私だから、逆に面積の一番小さい香川ちゃんと組むのもありかなって!ねえ、香川ちゃん。徳島ちゃん高知ちゃん愛媛ちゃんとくっついてないで、ちょっと聞いてよ。私、面積以外にも全国一位なものがあるんだ。何だと思う?それは、小麦の生産量。
あ、その顔はもう気付いた?そう。小麦ってさ、うどんの原料なんだよね。だから、私と組んでくれたら、いくらでもうどんが作れちゃうかも、なんて。
冬は雪が降るから、水不足になることもそうそうないし。もちろん、組んでくれなかったら小麦あげないなんて意地悪は言わないよ。言わない、…はず。忘れないでね。小麦だよ。こ・む・ぎ。
東京さん…、いや、東京ちゃん。なんか、東京ちゃんってみんなの憧れだし、やっぱり首都だから、別格って感じがして近寄りがたいけど、同じ日本の仲間だもんね、ちゃん付けで呼んでいいよね。東京ちゃんと私にも、みんなとは違う共通点があるんです…あるんだよ。
それは、唯一の『都』と『道』ってとこ。府は大阪ちゃんと京都ちゃんで二人いるし、県なんて43人もいるけど、都と道はそれぞれ私たちだけ。私達のためだけに用意された呼び名っていうか。その辺がやっぱり、私とペアを組む理由に…、あ、それだけじゃ弱い?うんとね、じゃあ他にはね…あ、埼玉ちゃん神奈川ちゃん千葉ちゃんと一緒に行っちゃった…。
あとは、あとは、うーんと…。どうしよ、他の子はあんまり分かんないよ…。え?知らなすぎるって?ちょ、ちょっと待って、そんなに責めないでよ…。
…ひどいよ!だってしょうがないじゃん!みんなは隣りあった子とか近くの子について詳しくなってくだろうけど、私はそもそも隣の子が青森ちゃんしかいないんだってば!
地理の授業で都道府県を埋める問題だって、みんなは北海道と沖縄と自分の場所は普通に分かるから最低3点は取れるんでしょ!?私はその最低点がそもそも2点のとこからスタートするの!不利じゃん…。
はあーあ、いいな。『隣県』なんて言葉、私も使ってみたかったな。いいよねみんな。場所によっては電車で隣の県に行けちゃったりさ、何なら徒歩で行ける場合もあるんだもんね。私なんて道内を移動するだけでもとんでもない時間がかかるのに、徒歩で出たりなんかしたら海にドボンだよ?分かる!?
ていうかさ!いつも気になってたんだけど、みんなって私だけに距離置いてる感じだよね!…とぼけないでよ!私のことだけ!呼び捨てにしてくれないじゃん!石川県は石川!福井県は福井!なのに!私のことは北海って呼んでくれないじゃん!あ、ごめん二人とも、人の名前っぽいから例として出しちゃっただけ…。とにかく、みんな私を北海って呼んでよ!誰も今まで呼んだことないから、とか関係ないの!
ほら、試しに呼んでみてよ島根ちゃん!あ、ご、ごめん鳥取ちゃんか…。二人ともよく似てるから…。なんて、こういう風にセットでいじられるのもすごく羨ましいんだよ。双子みたいで。私も誰かと間違われてみたかった。でも二人と同じ中国グループの子たちはさすがに見分けがつくんだよね?山口ちゃん、岡山ちゃん、広島ちゃ…広島ちゃんはお祭り騒ぎでそれどころじゃなさそうだね。
誰かいない?私とペアになってもいいよって子。ペアになってくれれば、触らせてあげる。そう。北・方・領・土。自分の一部だけど、デリケートだから簡単に触っちゃだめみたい。でも、組んでくれるなら特別に…。
…やめよっか。なんか悲しくなってきちゃった。こうやってみんなを集めて、自分勝手に喋ったりなんかして、ますます孤立するだけだよね…。ううっ…。
…え?そんなことないよって…?「食べ物が美味しい」…「梅雨がない」…「観光地として人気がある」…「ごで始まるあいつがいない」…そ、そんな…。みんな、ありがとう…。そっか…。私、一人で勝手に仲間外れにされたような気になってた。そうだよね。47人みんなで一つだもんね。ありがとう!元気出た。
また年末にでも集まろうよ。私、得意の美味しい料理でもてなすからさ!「年末に北海道は勘弁して」あ…。そ、そっかあ…。
<終>
躁うつ病は、一度発病してしまうと“体質”に近いところがあるので、高血圧やコレステロールの薬と同じ感覚で薬を飲み続ける必要があります。躁うつ病を再発させずに生活している人は服薬を怠りません。
配偶者でも上司でも両親でも構いませんが、ライフスタイル全般に手綱を握ってくれる人がいると心強いです。一人では躁鬱の気分に流されてしまう人でも、キーパーソンになる人が制御してくれるなら、症状も社会的問題も軽減できます。
躁状態になってしまうと他人のアドバイスをあまり聞かなくなるものですが、それを差し引いても有利です。反対に、唯我独尊の人は医師の勧めにも周囲のアドバイスにも耳を貸さないので、何度も何度も再発を繰り返して身を持ち崩すことが多いように見受けられます。
逆に言うと、社会的に孤立してしまった躁うつ病の患者さんの再発防止は難しい、ということです。
ほかの精神疾患にも言えることですが、不規則な生活リズムや寝不足はリスクファクターです。再発を防止している患者さんの多くは、生活リズムが狂ってしまわないよう注意深く暮らしています。
仕事を失うと経済的に困るだけでなく生活リズムも乱れやすくなってしまうので、仕事、とくに規則的な生活を約束してくれる仕事はあったほうが有利です。好きな時に働ける職業の場合も、ワークスタイルを規則正しくできれば対処できます。
……といった特徴をおおむね揃えているように思います。
これらの条件は発症して間もない頃は成立しやすいものですが、長いこと病気を放置し、人間関係や社会的生命を脅かされるにつれて難しくなっていきます。だからこそ躁うつ病は早期発見・早期治療が望ましい病気なのです
http://www.tm2501.com/entry/Dokusin_man-no-Bad_life
シロクマさんは、青二才はもう手遅れだと言いたいんですねわかります
http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20160510/1462865729
ネタバレあり
・前半は似たような展開が続いてちょっとだれた。からくりとかうしとら読んでなかったら読むのやめてたかも。
・青い鳥→雉も鳴かずば→宮沢賢治→かぐや姫のあたりが一番面白かった。ちょっと長いけど。
・孤立無援から一転、それまでのキャラが加勢する展開は、うしとらと似てるけど、王道展開で熱い。
・ラストはなかなか良い。
・からくりにしてもうしとらにしてもなんで主人公をハーレムにするんだろ。
・打ち出の小槌その他の便利グッズが便利すぎて、なんでこう使わないの?っていうところがあってもやもやする。
キャラを北極に隠すのに使うより、話を信じさせるために使って、他の便利グッズも使えたり、アイテムを借りたりできるようにした方が良かったんじゃないの。
異性との交際歴は多分まだない。
ずっとひとり離れたところでiPhone覗き込んでラノベ読んでる。
人の輪に入るのが苦手っていうか嫌いみたいで
正月に家族が揃ったりする場でもひとり部屋に閉じこもってラノベ。
母親とUSJに行ったり、母親の職場に付いていったりしてるらしい。
何度かそれとなく進言したんだけど、自信家の姉にとって
息子は唯一の泣きどころなのか、何か言おうものなら
もすごい剣幕で言い返してきて手の打ちようがない。
「ママにも言えない悩みとかあったら言えよ」って送ってみたけど
何件か送って全部既読スルーだった。
そんな甥っ子が満面の笑顔になったのが、知り合いの娘を抱っこした時だった。
5歳の女の子に異常なほど興味を示して
「俺が抱っこしてあげる!」って聞かなくて
「じゃあお願い」って預けたらもう離そうとしない。
頬ずりまでしてずっと薄ら笑顔浮かべて
「ありがとうございました」とだけ言って
やんわりと自分のもとに戻したんだけど
その時の寂しそうな顔といったら。
いつか幼女誘拐とか監禁とか、大きな犯罪を起こしそうで気が気じゃない。
人それぞれの成長の速度があるんだからほっといてくれの一点張り。
どうしたらいいんだろう。
事が起こってからでは遅いんだけど。
置き去りにされた歴史というのは小野田さんら残置諜者となった残留日本兵の扱いも同等に扱われるべきだろう。
彼らは日本が敗戦を迎える可能性が高いことを、当時の実際の戦況情報を提供された上で予め知らされたが、
表向き降伏をするが軍部は潜伏して存続するという間違った情報を与えられた上で、
孤立無援の状況になるが、現地でできる限り長く生き延びてゲリラ戦を展開し、
本当に敗戦していたことを知っていて勝手にゲリラ活動をして人を殺していたわけではない。
日本は国として被害に遭われた方々と小野田さん以下の残留日本兵に対しても謝罪をして当然で、
残置諜者として戦後もゲリラ戦を展開させた責任を、フィリピンに正式に謝罪するべきだったところを、
その曖昧な幕引きの結果として、ルバングで起こったことが残留兵が勝手にやったことのように受け取られ続け、
また実際の被害者に謝罪もお見舞いも行き渡らないということに、とても憤りを感じる。
思うところあって増田を書きたいと思う。
http://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2016/07/19/223314
子供のころ、なぜ自分のお母さんだけがずっと布団に寝ているのかいつも不思議に思っていた。
友達のお母さんはハキハキしていて元気そうに笑っているのに、どうしてうちのお母さんは寝てばかりいるのか。
うちのお母さんは夕飯の用意もできないほど弱っていたので近所の家におかずをもらいに行くのが日常だった。
近所の人は案外優しくて良くしてくれた。
当時の母は弱り切って、いわゆる炊いたコメが食べられなくなっていた。
だから食パンを牛乳に浸して柔らかくなったものをちぎって、すするようにして食べていた。
母がいわゆる普通の御飯を食べられるようになったのはしばらく経ってからだった。
===
我が家は子供が3人で、全員が発達障害に産まれてしまった。おそらくだが父親も発達障害の可能性が高い(たぶんアスペ)
上に兄がいて、下に双子が産まれてしまった。簡単に書くと兄が自閉症、妹(双子)がアスペ&ADHDという組み合わせだ。
母に言わせると兄が大変に手のかかる子供で、尋常でなくつらかったらしい。
兄は2歳くらいのときに自閉症と診断された。母はものすごくショックだったようだ。
母が言うには、兄はまずアイコンタクトというものが通用しない。母が困った顔をしていてもまったく目に入らない。
とにかくこちらの気持ちが通じないのだ。自分の子供のはずなのに、昆虫かなにかを相手にしているような感覚になる。幼児なのに、である。
兄は極端に神経が繊細で、少しでも気にそぐわないことがあると暴れたりかんしゃくを起こしたりする。当然ながら寝ない。ちょっとでも物音がすれば起きる。
母側からはコンタクトが通用しないのに、兄は極度な甘えたがりで母と一瞬でも体が離れると泣いて暴れる。
そんなことの繰り返しだったが、下にまた子供が出来てしまった。
双子育児はただでさえしんどいのに、この双子はまた発達障害だった。
(※注 当時はまだ診断基準がなく、増田自身の発達障害がわかったのは30すぎてからです)
===
今でもくっきり記憶に残っているのだが、物心ついた時、母は家におらず入院していた。
母が言うには、とにかく子供の世話に追いまくられ、父は仕事が忙しくて育児を手伝ってくれることは皆無、
親戚や実母なども事情が重なって手伝いに来られず、気づいたら骨と皮ばかりに体が痩せていたという。
トイレへ行くのも床をずるずると這って行ったが、それすら無理になったときほとんど本能的に電話に手がいって救急車を呼んだという。
(母が言うには、本当に体がダメになったら尿はほとんど出ないらしい。)
最後に自分で測った記憶があるのが34キロ、病院で測ったところ32キロだったそうだ。(母の身長は155センチ)
母は子供を産むまではフルタイムで仕事をしていたので、すごく体が弱いというわけでもない。
ただ以前あった増田のように編集者レベルでタフかというとそうとも言いがたい。
いわゆる核家族だったが手伝いにきてくれる人が残念なくらいいなかったのだ。
当時は今のように自閉症児に対する工夫などの情報がほとんどない。ネットもない。
その後、母は極端に病弱な体になり、基本的には家で寝ていた。
兄をみる余裕がなくなった母は、まだ幼かった兄を母の実家にあずけた。
半年ほどして母が様子を見に行ったところ、祖父と祖母はげっそりと痩せていた。
とくに祖母は気疲れがひどく、10キロ以上痩せてしまっていた。
兄の相手をすることや兄の要求を聞くことがとんでもなく大変だったらしい。
困り果てた祖母は、兄を霊能者のところへ連れて行ったことがあるらしい。
すると、兄は親戚中の悪いところをすべて引き継いで産まれてきてしまったのだと言われたそうだ。
だから親戚の他の子には悪いものはいかない、なぜなら兄がすべて悪いものを引き受けてくれたからだと。
娘の存在は、母にとってはやすらぎとなり、母は兄よりも娘といることを好んだ。
兄は私が覚えているかぎりでは幾度となく親戚の家に預けられていた。言い方は悪いが兄は「たらい回し」にされていた。
長期間預けるとトラブルを起こしたり、その家の人が寝込んでしまったりするので、半年くらいで親戚のあいだをぐるぐると移動していた。
今でもよく覚えているのだが、兄が家にいないと母はとても嬉しそうにしていて、花を飾ったり凝った料理を作ったりしていた。
料理に対して「わぁ〜!」と反応すると本当に喜んでいた。
これ、これなのよ、私の望んだ家族の姿って!これなのよ!というような。その瞬間だけはまさに母の夢が開花していた。
兄がいないと父も穏やかな表情になって、母もそのことを嬉しがっていた。
私たちは、まるで兄がもともとからいない家族であるかのように食卓を囲んでいた。
兄がひどく育てづらい子供だったことで母は疲れきっていた。
だから、兄が家からいなくなると、気持ちが晴れ晴れして小康を取り戻すのだった。
下の子たちもADHDがあるため、忘れ物も怪我もひどいし学校に呼び出されたりそれはそれで面倒だったが「気持ちが通う」という点で、母のしんどさは桁違いに違ったらしい。
自分の記憶では、兄は4〜10歳くらいまで、ときどき家にいたがときどきいなくなっていた。母の実家、父の実家、親戚の家…あちこちに預けられていたと思う。
===
その後も兄関係でゴタゴタがいろいろありましたが、いま40歳目前になる兄が社会適応できることはありませんでしたとだけ書いておく。
そしてそういう子供が一定数産まれてしまうこの世の不条理というかなんというか。いや、社会のほうが未熟なのかな。私にはわからないですけれども。。
読んでいただいてありがとうございました。
http://mamashizue.hatenablog.com/entries/2016/07/20
冒頭「怖くて聞けない」とか書いているのに、結局中盤で「聞いてみた」とはどういうことだ。
延々と「私も悪かった」節が綴られているが、また派遣さんを手配するのはやめたほうがいいと思う。
ご本人もしんどいだろうが、派遣さんもつらい。孤立無援なところこに産前女性のご機嫌ウェーブタイマンは
自分は非正規やっていて引継ぎ受けたのはほぼ男性社員だったからそこは想像でしかないけれど、
産前女性はデリケートだから、その辺りの事情を把握できそうな在籍社員へ引継いだほうが平和じゃないかな。
「明日からは色々休んでもらおう」という考えがもうこのひとに派遣さんつけたらあかんよって確信させてしまう。
ここまで思うならコメントに書き残せよって話だろうけれど、イライラしちゃうんでしょ?
なのでここでひっそり書き残しておく。
絵を描くことから始まって、ペーパーを作った。
お金に余裕が出来た頃には、地元のイベントに参加をして段々大きいイベントにも参加した。
今は年も落ち着いて、オンリーイベントだけ参加している。
参加回数減ったけど、絵を描く事や新刊を楽しみにしている声が嬉しくて、
描きたい物を書き続けている。これだけでも凄く幸せなことだ。
けど、未だに課題なのは「サークル参加におけるコミュニケーション」だ。
この10年間、サークル参加は隣人同士挨拶をするのは定番(マナー)だ。
「おはようございます、こちらこそ宜しくお願いします」こんな感じに。
今はどうだろう。挨拶をしない人もいる。
若い人の参加が増え、待ちに待ったイベントに参加できてワクワクしているのも分かる。
机についたら目を合わせずいそいそと準備をする。こちらから声を掛けても会釈程度。
これではコミュニケーションが取れない。
また逆な事もある。
とてもコミュニケーションがあり、明るく元気な声を発する隣人もいる。
こっちも元気にはなるが、明るい子の周りに沢山の友人知人が集まり、ジャンルの話に黄色い声がとぶ。
正直うるさい。
おかげで、自分のスペースで買い物してくれる人の声が聞こえないこともある。
こんな時、あなたはどうする?
気にしない?黙ってる?注意する?
標題の件の「同人におけるコミュニケーションって?」はこういう事だ。
でも、これは前半に過ぎない。
縁があって、いろんな人にお出かけの声を掛けてくれる。
好きな物を好きなだけ話し、こうあって欲しいとうCPについて語り合い、繋がりのある話をした。
それはさぞかし楽しい一時を過ごした。
だが、その話は半分もなれば話を尽きる。
この後、何を話したらいいのか分からない。
わからない。
私はそれしか思いつかないのだ。
以前、頑張って出したネタは「最近買ったアニメグッズは?」だった。
それは間違いだった。
正直、その情報がどんな物が具現化できず分からないのと、私は金銭的に困難な生活をしていたため、
グッズを数十個買うというは出来なかった。
だから「え?買ってないんですか?」って言われると解答に困った。
この気持ちは子供の頃、流行だったオモチャを自分だけ買ってくれず、仲間はずれになったときと同じだ。
話について行けず、孤立した。
要するに、本名も知らずその場でばったりで仲良くなった人に
どこまで話を掘り下げていいのかわからないのだ。
そして、そのような話を振ったとして不快な思いをして別れるのは避けたかった。
それが気になって、どうも話を掘り下げる事に躊躇してしまう。
最近、SNSやイベントで知り合った人と食事や料理、ライブなど行く姿を見掛ける。
羨ましいことだか、そこまで仲良くなるのは凄い事だし、これからも仲良くしてほしい。
人にもよるのかもしれない。何でも話す人、抵抗のある人、色んな人がいる。
その中で、気の合う人や一緒に制作物を作る人を見つけ出すのは奇跡に近いとも思うほどだ。
でもその人の「好きなこと」「嫌いなこと」は読めない。
何をしますか?
これもやはり話し合いが大事で、辛い部分は負担し合う。楽になる努力と工夫を怠らないこと。
仕事や親や親戚の状況にもよるが、どんなに悪くたって孤立無援の母子家庭よりも何倍も楽なはずだ。
うちの家庭は、いきなりおれが死んでも嫁が死んでもなんとかなる自信があるくらいにはお互い一通りのことはわかっている。(気持ちはともかくね)
家事は当然全てできるし予防接種のスケジュールから、上下の服のサイズが多少違っていることも靴のサイズも、人参の斬り方の好みまですべて共有できている。
それでもって大変なのはわかっているからとお互いに積極的に手伝おうともする。
だから少しでも体調が優れないときは遠慮なく休んでもらうことが可能だ。
お互いがしっかり理解しあえていて愛しあえていて、子供のことも愛していれば全く大変なことなどない。
ディズニーの話があったが、ちなみにうちはだいぶ前(といっても体力有り余るほど若くない頃)に子供と3人で行って運転は全部おれ、
園内では抱っこ食事トイレ全部おれやってその代わり何回か一服させてもらい飯を死ぬほど食わせてもらって夜は子供寝た後セックスして寝たよ。
スクールカーストを最も最近まで、もしくはその当事者として経験している彼らに集団的自衛権や安保法制の危険を訴えたとしても無駄だ。
身近にいる暴れん坊から我が身を守る最良の手段は、理性的な話し合いでも名誉の孤立を守ることでもなくより強いグループに身を置くことだと知っているから。
料理は手間が掛かるのに利益率を上げるとユーザーから理解を得られない(比較対象、牛丼)
一方料理は食ったら消化しきるまで食えない。満腹中枢というブレーキがある。
底がない酒を主力にするのは当然。
ちゃんと考えろボケ、クズ、負け犬、低知性、低教養、能無し、ゴミ、貧者、貧困層、低モラル、物知らず、白痴、キチガイ、クソ、邪魔、不快、キショい、ブス、指しゃぶり、チビ、デブ、くっさ、幼稚、コミュ障、メンヘラ、無自覚、イナゴ、引くわ、精神的に赤ん坊、便所飯、金無し、誰からも頼られない頼まれない、孤立、反省しない、客観視できない、親離れできない、痴ほう症、Fラン出、東大無職、高学歴役立たず、仕事できない、勉強できない、利益率低い
生きるってなんでしょうね
死ぬってなんでしょうね
若いうちに自殺する人って、友達とかいなくて、孤立してて、なんとなくはぶかれてたり、”そういう人”だっておもってました。勝手に。
あきらかにうつになってた、とかね。
そんなんじゃなくても死んじゃうひとは死んじゃうんですね。
地元を離れみんなよりも一足早く社会人になった彼は、大変だわーとは言っていたけれど、大変だよねーくらいにしかおもってなかった。
いま考えたら、とか、彼のSNSを遡ったりすると思わせぶりな言動はたくさんあったけれど、どれも半分冗談のようにも見えたし、職場の友達をつれて飛行機に乗って地元まで帰ってきたりしていたから向こうで孤立していたわけでもなさそうだった。
あのときこうすればよかったのかなぁとか、ふとした時に思い出したりする。
そんなとき、みんなと話しても必ず結果はどうしようもなかったんだよ、私たちがどうにかできることではなかったんだよ、ってなる。
お葬式もほんとうの近しい家族だけで行ったようで、そもそも亡くなったこと自体を私たちが知ったのは三か月ちかく経ってからだった。
お参りに行っても帰ってくるわけじゃないし、会えるわけじゃないし、彼の好きだったビールもたばこもお菓子も彼のもとに届くわけではないし、お花が似合うような奴でもなかったし、私たちはどんどん彼よりも大人になっていく。
「おれは永遠に若いけどお前らはどんどんジジイババアになってくなwww」って笑ってそうだなぁっておもったり。
残った人ってこんな気持ちなんですね。
あっけないですね。
病院で働いてるけど、最近延命の話とかたくさん聞いて、病気になってから何十年も胃に通したチューブに栄養をいれて寝たきりのひととかたくさんいて、人生ってなんだろうなぁと思います。
飲み込む機能とか正常なのに、本人が食事をしたくないから胃に栄養を流し込んでいたり
持って帰ってきた仕事進めないとなあ。
大手AV会社と違って、権利関係も曖昧だからどんどん転載され続けるぞ。
まともなAV会社と違ってギャラもだいぶ安いらしいし、全然得しないだろ。
あの北海道のCMタレントの子も、人生の前半で人生詰んじゃっただろ。
その子はホスト狂いだったし、周りの評判聞くと社会的に孤立しかけてる子だったし。
とある低年齢層向け(いわゆる女児アニメ)のアイドルアニメが好きになった。
それまで子供向けアニメというのは子供だった当時も含めて殆ど見たことが無かったが、
その濃い内容に釘付けになった。
丁度仕事もキツくて精神的にも肉体的にも限界だった時に出会ったそのアニメは、
出会うちょっと前から始めた絵を描くという趣味に彩を与えてくれた。
楽しくて楽しくてしょうがなかった。
何せ、描けば描くほど同好の方々が集まり、各々の絵を見せ合って楽しんでいるのだ。
それまでグレーだった人生が一気に色づいた。
評価されることの無い人生に、数字という形で少しずつ自分を上げてくれた。
とはいっても多くてツイッターのfavが10。絵描きとしては下の下。それでも楽しかった。
知り合いも増えて、同人誌も出した。自宅製本から印刷所へ持ち込む位まで努力した。
それとは反比例するように、あることが起きた。
孤立。
あるときを境に、それまで仲良くしてくれていた友達からの反応が一切無くなった。
理由は分かっている。
疲れるとネガティブなツイートをしてしまったり、自分の考えをポンポン言ったりしていたからだ。
きっとミュートされたんだなと、すぐに分かった。
1人2人と反応が無くなる人が増え、最終的には今そのジャンルで活動している絵描きさんからの反応が、
ほぼ一切無くなった。
一時期は頑張ってfav20くらいまで行けるようになったが、今では多くて5。
イベントでお品書き告知をしても、RTが一桁。favはギリギリ二桁。
反応の無くなった友達からは、他の人たちのお品書き告知が40,50とRTされていく。
今年の春あたりから、徐々に辛い辛いという気持ちが大きな部分を占め始めた。
絵を描くのは好きだし、そのアニメも好き。それは今だって変わらない。
今だって描き続けている。描くのが好きだ。技術を磨いて、今まで描けなかった事が描ける様になる。
楽しい。嬉しい。
そして自信作が仕上がってアップロードする。
最高に可愛く描けた!
同じくらいのクオリティでかつてfav30は行った絵も、同じジャンルの人からは総スルー。
1人で壁に向かってはしゃいでいたという事実と、
(呼ばれてないなぁ。)
そう思いながら、スっと笑顔を消して、イベントに出すための本の編集を続ける。
そういうアドバイスを受けた。もうとっくにやっている。
「数字なんて気にしなくて良い」
そういうアドバイスを飛ばす人は、絵を上げればラフであろうとポンと100fav行くような連中ばかり。
「もう絵を辞めてしまえば?」
何度も言う。絵を描くのが好きだし、作品も好きなんだ。
そして自分が嫌いになった。
どうしようも無くなって、好きに描いて、アップロードしては沈む毎日を過ごして。
絶対可愛く描けている。だから見て欲しい。見て共感してもらいたいから描いている。
誰も見てくれない。
一体どうすればいいんだろうか。
聞いたってムダだ。