はてなキーワード: 孤立とは
男性も子育てに参加すべきとかしようとか言われて久しいが、いざ参加すると想像以上に女性社会であることを実感する。
保育園に行く⇒ママたちは賑やかだが、男性には挨拶しないだけでなく基本的に無視。おばあさんたちに至っては、なんでこんなところに男がいるの、とばかりににらみつけて来たりする(実話。というか、待機児童がゴマンといるきょうび、祖父母が近くに住んでいる家庭は入園基準の点数が低くなるはずなのになぜかおばあさんたちの送り迎えは多い)。「ママバッグ入れ」とか書いてあるし、パパバッグ入れはどこよ。
リトミック等に行く⇒「ママと手をつなぎましょう!」と言われてもママじゃないし、「みんなで手をつなぎましょう!」と言われても(当然だけど)隣のママや女性講師の方と手をつなげないから一人で突っ立っていて間抜け。
病院・クリニックに行く⇒待合室に置いてある雑誌は女性向けか子育て物だけ。後者も女性向けの記事しかない。パパたちが来ることも多いんだぞ。
親の付き合いもママたちだけ。LINEのやりとりは参加させてもらえないから、子どもたちの交友関係もよくわからないし、流行っている病気などの情報も共有できないし、懇親会の誘いも来ない。
学校の説明会・懇談会・PTA会議⇒基本的に平日だから行けない。専業主婦かパートとか時間に余裕のあるママたちだけの集まりになるし、彼女らがPTA行事の日程を決めたりするから仲良しグループの集まりになるだけ。たまに行けても挨拶も話もろくにしてもらえない。
連絡網で電話が来る⇒いきなり「奥様はいらっしゃいますか?」とか「奥様に伝えていただいてもいいですか?」とか聞かれるし、ひどい時には「奥様いらっしゃらないんですか、それなら私が次の人に電話しておきますね」とか無能扱いされる。男じゃ用件がわからないとでも思っているのか。
自治体のパンフレットも「ママたちのお悩み相談」とか「先輩ママに聞いてみよう」とかそんなのばかり。女性相談員常駐とか。パパたちだって苦しんでいるし、先輩パパに相談したいんだよ。
それでも負けじとしつこく挨拶をしているが、結構折れそうになるし、正直鬱気味だ。パパたちは孤立しやすいんだ。何が職場での女性差別だ、女性だって男性を差別しているじゃないか。
今の(正社員の)仕事が嫌だから「そこそこ働く主婦」になりたい、ってのはパート主婦と言う意味だろうし
(今と同じような仕事ってなら「そこそこ」とは言わんだろうし)
知り合いがいない土地で子供がいるのに仕事するなら保育園使うのが大前提だろうし
子供を保育園入れる前提なのに正社員じゃなくてパートって事は、残りの時間は遊びたいんだろう
と推測しただけだけど
「ママ友とランチ」は別に他の遊びとか習い事とかでもいいよ適当に書いただけだから
せめて「専業になりたい」ならまだ分からんでもないけどねえ
あれ?
気付いたときにはもう遅い。ストレスのループにガッチリ嵌め込まれ、顔色を伺い右往左往。
モラハラを受けた身としてやり方を書いてみます。条件としては会社内での事です。
モラルハラスメントを行うにはターゲットの吟味が重要です。出来るだけ従順、素直、適度に無知な人を狙います。
きちんとした社会経験を積んだ人は、すぐに論理性の破綻に気付きます。また、自信がない人であればなお結構。
○モラハラに移行する前までの行動
段階は3つ踏みます。
①懐柔
②親和
③攻撃
①ではターゲットに優しく近付き、褒めたり認めるような言動を繰り返します。俺だけがお前の良さをわかっている、という事を染み込ませましょう。また、目線は下に落としてはいけません。あくまで上からです。
ここでは信用を得ることが目的です。
①が済んでターゲットが心を許してきたら、②の段階です。二人の間柄がよほど親しくなったと錯覚させるため、プライベートの情報を握るようにしましょう。介入するのも大変よろしいです。①程褒めたりしなくて結構です。悪いところを指摘し、自分がダメな奴だとターゲットに思い込ませて下さい。褒めると叱るを繰り返して、信用を崇拝に変化させて下さい。自信がない状態となれば、他人からの誉め言葉にも懐疑的となります。俺は認めてるんだけど周りはな……と優しく慰めてあげましょうね。
この状態で関係が続けられるのであれば、③攻撃にまで手を出す必要はありません。
①と②の段階ではひたすらに金をつぎ込みます。ここで恩を着せまくる事が攻撃段階で生きてきます。金はターゲットに我慢させる薬です。諦めるな。
相手に非を見付けたら粘り強く糾弾します。どんな些細な事でも構いません。大事なのはお前が悪いという一点です。
利用するべきワードをいくつか上げますので、是非利用してみて下さい。
「大人になれ」「お前の感覚はおかしい」「お前の事を買っていたが裏切られた」「信じていたのに」
周囲には自分は悪くない事をアピールしましょう。自分の非は一切認めてはいけません。しかし周囲にお前の方が悪いのでは?と言われるような事柄であれば、ターゲットへの攻撃は隠れて行いましょう。
②の効果でターゲットは周囲から孤立、もしくは一番仲が良い人は自分というポジションになっています。否応なしに自分が悪いという問題に目を向ける事となります。
ターゲットは絶対に逃がさないで下さい。誰かに相談させてもいけません。こんな小さな問題で周囲に迷惑をかけるのか?と縛り付けていく必要があります。この縛り付けにはダブルバインドが効果的です。あまり心理学には詳しくないのでググってどうぞ。
とりあえずは要求や命令に対してどのような反応をしてきても否定する、という事を覚えていて下さい。例えば「覚えてる?」a覚えてる b覚えていていないという反応の場合、aならば「自分に都合よく覚えている!」bならば「ごまかすな!」といった具合です。
疲弊したターゲットが自分から離れようとしたら「ではこれとこれはもうしないで」等と周囲に迷惑が掛かる要求を行います。周りを人質に捕られたターゲットは、再びモラハラの中に身を沈めます。
○被害者になったら
まずは周囲に相談しましょう。全くの孤立無縁状態社内戦線味方無しであっても、誰かに相談=モラハラへの抵抗です。
牙を抜かれた子犬ちゃん状態では全くお話になりません。相談することは戦う力をつけることです。大概のところあなたは悪くありません。自分が悪いのループから抜け出しましょう。
モラハラがメールや文書で行われたものであれば、コレクションしましょう。誰かに見せて笑い飛ばしてもらうのも良いものです。モラハラはポエミィなメールを送ってくれたりするので、酒の肴にするのも一興です。
反抗しないからターゲットにされたのです。反抗出来ないようにターゲットにされたのです。抗う力をゆっくりと養いましょう。
この問題の根幹には、「勝手にやる連中がしっかりやったとして、準備は参加せずイベントだけ参加するフリーライダー問題」が存在し、
世間は(教授と名のつくクズまで)、「子供の権利」を盾にフリーライダーを擁護する。
やりたくないなら良いから、困った時だけすがるな。
田舎のイベントで、町内会にも参加せず、青年会にも参加せず、会費も払わずに、「なんでうちの子がー-----」って火病る馬鹿居るが、
知るかよ、テメェのための祭りじゃねぇんだよ。
勝手に引き籠ってろ。
世の中はな、ギブアンドテイクなんだよ。
誰も助けてくれない?
当たり前だ、ボケ。
テメェが他人のために動かんのなら、他人もテメェのためには動かねぇんだよ。
それで、子供が不明になったりしたら、「村社会は冷たい」とか言っちゃうんだろ?
氏ねよ。
https://twitter.com/goeland_argente/status/825881166334996481
Cinq idées reçues sur le “nouveau” Front national
フランス語はそんな上手くないし、フランスの政治には全然詳しくないのでひどい訳です。
どんどん誤りを指摘してください。補足してください。何ならもっといい翻訳をつくってください。
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モンペリエ大学とパリ政治学院の政治科学の助教授であるアレクサンドル・デゼは、『問題になっている「新しい国民前線」』の中で、ステレオタイプに反して、国民戦線については、新しい点よりも昔から変わらない点の方がはるかに重要であることを示した。
2014年の選挙での国民戦線の戦績が良くなったことは否定すべくもない。しかしながら、そのことを過大評価してはならない。アレクサンドル・デゼは次のことを思い出すように促す。地方選挙において、国家的レベルと結びつけて考えるなら、1995年のときのように、票の4.7%しか獲得していない。これらの結果を、2012年の大統領選挙の時の人口10000人以上の都市におけるマリーヌ・ル・ペンの結果と比較してみよう。そうすると、今回の地方選挙の結果は、票数に関してはいくらか劣っているものだと言える。ヨーロッパ選挙に関していえば、かつて聞かれたように、29.4%のフランス人が国民戦線に投票したのではない。棄権を考慮に入れるならば、有権者の10%だけである。
奇妙にも、県の選挙の結果は、彼らの前進を示している。ただ、世論調査での高い予想のせいで、この結果は過小評価されている。国民戦線の候補者は43の県で1位であり、1107の小郡(canton)で、降りずに留まっている。
これらの結果というのは、国民戦線を彼らのスローガン通りの「フランスの第一党」とするには不十分なものである。アレクサンドル・デゼは、国民戦線の存在感というのは、市町村レベルでは副次的なものであり、地域圏(1880人の議員のうち118人、議長は1人もいない)・県(4108人の議員のうち62人、議長は1人もいない)・国会(577人の代議士のうち2人)のいずれのレベルでも甚だ不完全なものである。党員の数について言えば、国民戦線には42000人の活動家がいるが、その数は依然共和党と社会党よりも少ない。
2011年1月にマリーヌ・ルペンが国民戦線の党首に選ばれてから、「脱悪役(dédiabolisation)」という戦略が実行されるようになってから、エリゼ宮(※大統領官邸)への道のりは既に引かれたのだ、という声がしばしば聞かれるようになった。しかし、全くそうではない、とアレクサンドル・デゼは静観している。「この読みはメディアの大多数によって共同でつくられ引き継がれたことによって認められているのだから、政治的なフィクションの領域に属するような話である。」
国民戦線は、国政の責任者に至るまでには、おそろしいほどに枠組みを欠いている。他の党との「融和」を誇示するような最近のいくつかの手がかりのうち、いくつかはあまりに短い間であったし、あるいは、内部で問題視されていた。さらに、権力の扉は国民戦線に対して無情にも閉じられたままであるだろう。選挙制度上の理由で、今まさにそうであるように、国民戦線は政治的に孤立したままでいるだろう。「この孤立は、2回に分けての多数決投票が影響力をもつ政治システムのうちでは、権力への道を妨げる最大の障害物になる。」
国民戦線は他の党と同じような党になったのだろうか? マリーヌ・ル・ペンによってなされた刷新というのは、本当に党の顔を変えてしまったのだろうか? アレクサンドル・デゼによれば、これらの疑問への答えは改めて否定的なものである。マリーヌ・ル・ペンの就任の前と後での国民戦線の戦略、プログラムとその支持者を比較して語るところでは、「マリーヌの国民先生とルペンの国民戦線の間には、新しくなったところよりも十分多くの変わらないところが多い」のである。脱悪役? 国民戦線の歴史は、絶え間なく更新される脱悪役の試みの歴史である。したがって、右派へと国民戦線が差し出す手のうちに、あるいは、立派な風貌を打ちだすことによって新しい支持者を集めているとされている周辺的なさまざまな手段のうちに、新しいものは何もないのである。
プログラムに関していえば、国民戦線は常に自らの基礎に立脚している。反体制的批判、国家の特恵、国家の防衛、欧州連合の拒否、ユーロ圏からの離脱、失業と不安の原因と見なした上での移住の拒否である。反リベラルへの再定位は1992年に遡るが、マリーヌ・ル・ペンの社会的な演説は、連続性を担っている。
リーダーシップに関して言うと、マリーヌ・ル・ペンは、彼女の父親のイメージとの対照によってそのメディア上のイメージが形作られている。「このような対照性が推測されていることは、国民戦線に新しく投票するようになった人が、自らの投票を正当化するために持ち出されるような、最先端の議論になっている」とアレクサンドル・デゼは語る。しかしながら、言説における一連の相同性や、マリーヌ・ル・ペンが自分の父親について反対を示さなかった機会を列挙するこの研究者によれば、マリーヌ・ル・ペンと彼女の父親との差は、思われているよりも微々たるものである。例えば、2014年5月に父ルペンが「エボラ殿下」の介入が「人口爆発」と移民の問題を解決しうると主張した時、あるいは、彼が2015年1月に「私はシャルリーではない。私はCharlie Martel(※イスラム教徒のヨーロッパへの進出をイベリア半島までで食い止めた8世紀フランク王国の王)だ」といったとき。これらはいずれも、議員の免責特権の恩恵を被ることはなかった(「人種的憎悪の扇動」として彼女を追及することは、現在進行系で行われている)
最後に、その組織図に関して、「粛清」という幻影を生み出しながら、党によって過激すぎると判断された特定の諸個人を排除した。しかしながら、アレクサンドル・デゼが述べるところでは、「国民戦線は過激な極右のグループや活動家たちと、緊密な関係を維持している。」コゴラン市(Cogolin)の国民戦線の市長は、GI(Génération identitaire)の共同創設者であるジュリアン・ランゲラ(Julien Langella)を広報担当として2014年に起用した。ボーケール(Beaucaire)の国民戦線の市長は、GIのスポークスマンであるダミアン・リュー(Damien Rieu)を、市の広報部長補佐として任命した。二つの例を挙げれば十分だろう。
アメリカは元々キリスト教文化でボランティアが根付いている&子供の為に親が動くのは当たり前、って文化があるから
熱心にやりたがる人が多いってだけ。
んで、何だかんだで何もやらない=変な家庭と思われるから事実上強制だという話も聞く(つまり日本と変わらない)。
増田の家庭がそういう輪から外されてるとしたら、そりゃ「ガイジン」だからだよ。
日本のPTAだって「ガイジン」は最初から輪から外されている事が多い。
知り合いの、アメリカ人と結婚した日本人妻は皆熱心にやってるなあ。
ただでさえ母親がガイジン、子供がハーフで他より浮きがちなのに
更にアメリカ人社会に溶け込む努力もしないとなると孤立するんだってさ。
PTAだけではなくママ友付き合いなんかも日本より遥かに濃くて大変そう。
彼女は高学歴。地元の進学校を主席で卒業し、いい大学に入り、いい企業に就職して頑張って働いている。
俺は低学歴。Fラン私立に入るも、在学中に父が亡くなり、お金が無くなって就職した。高卒だ。
家族のために必死で働き、妹を大学に入れたが、そこで会社が潰れた。無職でいるわけにはいかないと就職活動の傍らバイトを昼夜入れた。そのバイトで出会ったのが彼女だ。彼女が大学2年の時。
それ以来付き合いは続いている。続いてしまっている。
さっき、つまり夜の11時に、彼女の友達との飲み会から帰ってきた。なんで俺は行ったんだ。なんで俺を誘ったんだ。
彼女の友達は要するに高学歴で、いいところに勤めているわけだ。そりゃもう震えが来るくらいの大企業だ。俺はもうその企業について「あそこは駄目だな」とか言えねぇ。俺のようなクズがな。完全に借りてきた猫状態だったよ。借りも借りられ、宮廷に迷い込んだ呑百姓という風情さ。人の世に 生まれしころより 呑百姓…な俺だし、とにかく金がないから、着て行くコートも…なんだろ、これ、もう5年前に「こんな感じのコートが良かった気がする」みたいな感覚で選んだものを、ひじのあたりがだいぶん貧しいことになってるやつを、着て行くしかなかったしな。来年は妹の成人式だ。女の子の成人式ってすげぇよ。着物だなんだかんだで80万とかするんだぜ。妹はそんなのいらない、行かないって言ってくれてるが、何かしら写真くらいはあるべきだろうしな。それでも10万だぜ。俺の…年代物のコートは3980円だしな…無常を感じる。
圧倒的な身分の違いを感じながら俺は楽しく・・あろうと、なんとか、やっていたんだよ。でも自然、無理だろ。俺の良く知る企業の話しか出てこないのに、俺の全く知らない、口の出せない会話内容だぞ?酒…飲むしかないけど、料理も食べるしかないけど、ひたすら飲んで食べても、呑百姓ぶりを晒すだけだろ(農家の方やご先祖様、両親を悪く言うわけじゃないよ)。彼女の同級生の男の彼女の超優しく恐ろしい視線を俺は忘れられねぇ。料理は死ぬほど美味かった。でもきっと味はわかってなかった。
彼女は言いたいことをはっきり言う性格だ。聞いていて痛快だし、今日の集まりのメンバーも、彼女の鋭い意見を聞きたかったみたいな顔をしてた。みんな社会人2年目くらいだし、ちょうど鬱憤もたまるころだろうしな。7年目の俺は「なるほど」「すごい」「それはつらい」「そうだったんですか」で3時間しのぐしかねぇ。いったい俺が何を言える?バイトから社員になって家と職場を往復してベッドに倒れ込むだけの生活だ。家事は母親と妹に依存している。何かを学ぶこともない。どこかに通うこともない。話題が、知識が全くないってことを突き付けられたよ。
そんな飲み会だから、俺はトイレでしのぐしかないだろ。トイレに立ったら5分は戻れねぇ。はてブのホットエントリーはすべて読みつくしたぞ。ブコメで偉そうなことをかける心理状態じゃなかったけどな。っていうかブコメに高学歴高収入多くね?彼らのほとばしる上流オーラは俺のMP削るよ。俺に効くよ。トランプ万歳に転じるしかねぇよこのやろー。
で、俺がトイレに行ってる間に会計が済まされるだろ。驚くべきスマートさだよ。こういうところからしてすでにモノが違う。店を出るとき、俺はこう言うわけだ「あ、え、お会計…あ、うん、ありがとう…」てな。わかっちゃいたよ。彼女の友人Bがすごいスマートさで会計から戻ってきたのを俺は見たからな。かっけぇよ。わかっちゃいたけどどうすりゃいいんだよ。俺の二倍、下手すりゃ三倍稼いでる彼らにさぁ。何をしてもアウト感あるだろ。神は俺に何を望んでいるんだよ。
二次会は無理だろ。「明日も仕事なので」で退場だろ。酔った彼女に「えーーーーなんでーーー?」と絡みつかれてもそこは、丁重に彼女のことを託して去る。
イケメンBが会計から戻り、「何、何の話?」と個室に戻った時のことを思い出してみろよ。俺はすぐに戻るとイケメンBの気遣いを台無しにするかと様子をうかがってたんだよ。イケメンBにイケメンA応えて曰く「なんで(俺の彼女)はあの人と付き合ってるのか聞いてた」だぜ。カウンターにいる店員さんが俺を憐れんだ目で見ている視線を感じたよ。彼女はなんて答えたんだよ。「うわ」とイケメンBがおどけながら興味津々に扉を閉めたからな。聞こえねぇよ。この場合、どうすべきなんだ?何より恐ろしいのがイケメンABの彼女たちだな。俺はもう、あんなやさしいもてなしは受けたくない。
まぁ言えばな。彼女はあんまり男に好かれないタイプなんだよ。美人てわけでもないしな。俺は好きだけど。それも自信がなくなってきた。彼女、すげぇ威勢がいいんだよ。威勢っていうか、勢いっていうか、すごいポジ。で、本人は気づかぬままに相手の男のコンプレックスを刺激してしまうタイプ。付き合い始めたきっかけも、バイトの中で完全に孤立した彼女に俺が近づいたのがきっかけだし。一般的に「バイトの女の子」には媚と愛嬌を求めるからな。彼女はそれを全部はねのけ、結果孤立するもそれを意に介さない人だ。付き合い始めてから彼女が高学歴だと知った。多分あれ、店長は彼女の学歴のことに含みがあって孤立を誘導してたな。まぁその気持ちもよくわかる。自己防衛みたいなものだからな。
俺はもはや彼女と別れるべきなんだろうな。ずっと前から思ってたけど。
なんでかっていうとさ。
学歴の釣り合わなさとか、圧倒的な経済格差とか、家庭環境とかというよりは、俺が持たないからなんだろうな。なんか、このままだと、復讐のために彼女を拘束して結婚しそうだしな。俺と付き合い、結婚することで、彼女は友人家族から「なんであの男と?」とずっと言われるわけだろう。それに喜びを覚え始めていると気づいてしまったからな。そりゃ俺も彼女にふさわしい男になりたいよ。しかしどうやら俺は、年に100万貯金するのがやっとな人生がこびりついてしまった。5年前の398のコートを着て彼女の友人に会いに行く男であってしまった。つれえ。マジでつれえ。泣きてえ。
彼女が高校の同窓会から帰ってきて、俺に言った愚痴がいてえ。「いい大学出ても、人の気持ちを察せないならそれはだめだよね」みたいなことを暗に言われたんだと。でそれに対して彼女が思うには「努力して得たものをバカにして、見下して、『人間として』とかいい気になって説教とか、お気楽な娯楽を楽しめてうらやましいわ」ってな。俺はなんて答えりゃいいんだろうな。彼女は努力して手に入れた。俺は努力してない。俺も楽しんでしまうかもしれない。いや、すでに楽しみ始めている。
俺は家事もできないからな。母と妹に頼りっきりだ。専業主夫ってわけにもいかんしな。なんか、何もできねぇな。金稼ぐっても、病気でもしたらそれで終わるしな。俺は何なんだろうな。彼女でなく、もっと、こう、普通の、いや普通なんて高望みじゃなく、女の子と付き合ってればよかったってわけでもないんだろうな。生きてて、働いて、年に100万貯金する…。もう不安でしょうがねえよ。
人と違うこと、劣っていること、知らないことをネタにいじめられる。いじめている側はそれをいじめと思っていない。普段の会話で友達と話しているのと変わらない。テレビで芸人がしていることと変わらない、楽しい遊びの一環だ。するといじめられる側に何が起きるか。自分を出そうとしなくなる。本当に仲の良い友達と何を話せばいいかわからない。自分がコミュニティのどこにいるかわからない。何を言えば傷付けず話すことができるか。一般的なこと以外は何を言っていいのか。自分を知らせないので相手も何を話せばいいかわからない。故に孤立する。人とのコミュニケーションに楽しさを見出せなく、他人に興味がなくなる。更に孤立する。これは学校のいじめだけに限らない。親からの「自分を出さないように」と解釈される教育がいじめと同じ結果を生み出す。いじめは相手に辛い思いをさせるだけではない。若い時分にいじめられたときに顕著だが、その後の人生を大きくマイナスの方向に向けられてしまう。後遺症の残る怪我を負わされるように、精神の病に近いものを負わされる。いじめた側はその病に対しての責任を取ることはできない。こうした場所にしか書けないことも、自分がどこにいるかわからないことと関係する。自分が言っていることが正しいのかわからない。かつて自分をいじめた人間に自分の人生の責任を負わせるようなことを他人に押し付けていいのかわからない。どう考えても結局は自分の責任という結論しか導かれず、その事実は一層私の精神を圧迫する。自立した心がわからない。自分の心に従ったことを表に出すほど、近くの人間から咎められる。混乱と怠惰が私を蝕む。
本当にくっそ長いな
子ども三人(しかも末子はまだ幼稚園)で知り合いもいない土地つまり孤立無援なのに
働きながら育児するなんてクッソ大変だろ、って意味で言われてるんだろ
しかも夫の都合如何でいずれ仕事辞めなければならない、つまり「ここで頑張れば長期的に見たらキャリアを積める」という希望もない仕事
実家近くに定住して実家の助けを借りながら正社員として働いてキャリアを積みつつ子供は保育園と公立校、ってな
「希望も持てない仕事をしながら5時起きで一人で家事育児とか無理」と言われてるのに
それを「働きたくないでござる」と解釈してそうだなお前
保育園はそもそも教育機関ではない。保育園児は幼稚園に通えないが、かと言って全く教育しないのは問題だ、と言う事で
んで小学校入学前の教育が必要とされるから幼稚園があるわけだし、幼児教育が重要視されてるのが最近の世界的な傾向。
幼児教育を受けた子と受けてない子では将来の成績も得る収入もそれに伴って納める税額も違うんだとさ。
更に大きくなってから教育するより幼いうちから教育した方が全体でかかる教育費用が少ない、ってのも統計的に出ていて
それに日本だと(海外でもあるだろうが)、ろくに幼児教育を受けてない子が
勉強以前に「授業中に大人しく座って静かに先生の話を聞く」事すら出来なくて授業中に遊び歩いて授業妨害したり
「同世代の多数の友人と無難な人間関係を築く」事が出来なくて孤立して不登校になったりするというケースが起きて社会問題になってる。
小1からつまずけばその後立ち直らせるのは大変だし、学級崩壊が起きれば他の子にとっても迷惑となる。教師が疲弊して潰れる原因にもなる。
んでこういうのを自宅保育だけで身に着けるのは困難だから、幼稚園(もしくは幼稚園並みに教育する保育園)の必要性があるわけ。
義務教育として国民全員に幼児教育を施す、と言うのが本来の理想だけれど
貧困家庭 毒親 機能不全家族 発達障害 孤立 対人恐怖症 醜形恐怖症 難病 回避性パーソナリティ障害 自律神経失調症 睡眠障害などに優先的に悩むわけで ジェンダーなんて眼中にないよ
同性内格差を目の当たりにしてるわけだし
2chの負け組板や人生相談板やメンタル板や難病カテゴリでジェンダーについて語ってる人間なんてめったにいない
弱者男性は「同性内格差を無視するミソジニストなんてこっち側じゃないよ…」
弱者女性は「同性内格差を無視するミサンドリストなんてこっち側じゃないよ…」と思ってる
社会人2年目。
就職で田舎を離れてよくわからない地方都市へ行ってから、人間関係は完全にリセット。
勿論周りには学生時代の友人なんて全くいない。
つい最近クリスマスで恋人いない自虐をうざいくらい耳にしたが、今の自分には恋人どころか友人すら1人もいない。
社会人歴1年と8ヶ月くらい。この社会人生活の中で仕事上の事務的なやりとり以外の人と会話した記憶がお母さんとの電話くらいしかない。
そんなに友達が多い方ではなかったとはいえ、小学生→中学生→高校生→大学生での人間関係のリセットに対応できなかったことは多分一度もなかった。
なんやかんや数ヶ月中には友達と呼べる存在はいたと思うし、自宅に招いて一緒にスマブラするくらいの関係は築けてたと思う。
ただ社会人生活で友達を作るというのはそれらとは比べ物にならないくらいハードルが高いみたいだ。
このままの調子で人生を勧めてたら死ぬまで増田と2ちゃんねるだけが心の拠り所な孤独死一直線の未来しか見えない。
陽キャな方々は同期の人達と飲みに行ったり合コンしたりしてるものなのだろうか?
その場合同期が少ない部署に入ってしまった場合等はどう対応しているのか。
うーん、謎だ。
普通の弱者は 貧困や失業や毒親や発達障碍や鬱病や自律神経失調症や醜形恐怖症や機能不全家族や社会孤立や対人恐怖症や回避性パーソナリティ障碍など が苦悩の中心だが
教員免許が国家資格なのは、子供を預かり教育することがどれだけ重要なのかというのことを表している。
それなのに国や各自治体は何食わぬ顔で教育現場未経験の新卒を担任にする。
昨日まで学生だった22、3歳の彼らは突然30数人の子供を預かることになる。思春期反抗期に入った子供は実の親ですら分からなくなる時がある。それなのに国はそんな子供達をまだ何も知らない若者に放り投げる。若者は若者なりに考えてやるものの、ベテランと同じ仕事をできるわけがない。普通の会社ならここで「すぐにベテランみたいになれるわけがないんだから失敗しながら頑張れ」と自分を慰めることができるかもしれない。しかし教育現場ではそうはいかない。学校というのは子供にとって大きな影響を与える場所である。大人になっても学校での良い経験、嫌な経験を覚えているように感受性が豊かな子供の頃は、学校ひいては教員の存在は大きいのだ。つまり大人にとってはただの失敗でも子供にとっては数十年経っても忘れないトラウマになることだってありえるのだ。
そんな大事な仕事する新卒のために、多くの自治体では事前研修などをしない。
4月1日になると現場に放り出され、6月7月になってからやっとクラス経営や指導方法といった研修が行われる。おせーよ。
周りの教員も忙しい年度始めにきた新人など相手にしている暇がない。嫌がらせではなくそこまで心の余裕が持てない。孤立する新人、思春期の子供、忙しさで苛立つ同僚、おなざりになるプライベート。そりゃ死ぬわ。
国や地方自治体の人が見てるならどうか分かってほしい。研修は事前にやらなければ意味がないということ。土日の部活をすると週7勤務になること。新卒は副担任から始めるように義務づけること。
物の値段に文句付けることを覚えると、あたかも自分が万能の採点者にでもなったかのような達成感が得られてしまい、そういう物言いが口癖になってしまうと、気づいた時には他人から孤立し、冷めた目で見られるようになる。
まあSNSでそんな奴が見えたら即リムブロ、気分的にはバニッシュっていうか異世界から出て来んな、って感じ。
だいじょぶ、俺がお前の存在を見えなかったことにしても、お前はお前の世界で生きていけるから。
これも社会階層の断絶っていう奴なのかな?