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はてなキーワード: 太宰治とは

2013-09-15

2014年W大文学部試験問題

グループAの各文章を著作した作家グループから選択して番号を記入せよ

(配点各1点)

 

グループA-1 [       ]

何が「私だって」だ。嘘も、いい加減にしろ

おまえは、いま、人間の屑、ということになっているのだぞ。知らないのか。

 

グループA-2 [       ]

おいおい冗談もいい加減にしろ」と、私もしまいにはたまらなくなって、言った。

人間が、蛙や膃肭獣じゃあるまいし、水に棲めるかってんだ。サアサア、早いところ本物をだしてくれ」

 

グループA-3 [       ]

愛の為に? 文学青年じみたお世辞は好い加減にしろ。僕は唯情事に躓いただけだ。

 

グループA-4 [       ]

「怒ってるの。」と此度は彼女の方から尋ねかけてきた。

「白ばっくれるのもいい加減にしろよ。」

「あら、どちらが白ばっくれてるかしら?」

「君の方さ。」

「御自分じゃあないの。人の手を握ったりなんかして……。」

「だからそのことを云ってるんだよ。」

私大嫌い、あんなでれでれした真似は!」

 

グループ

1 芥川龍之介 2 太宰治 3 小栗虫太郎 4 泉鏡花 5 三好十郎

 

どなたか文学に詳しい方いませんか?

作家の文章の特徴など、この試験問題の正答の出し方を教えてください。

(鉛筆コロガシはしない方向で) 

2013-09-01

彼の頭が良すぎて萎えて別れた

ちょっとちょっと。そこの通りすがりのお兄さん、お姉さん、おじさん、おばさん、学生さん、あたしのつまんない愚痴でもお暇なら付き合ってくれないかね。ちょっと特定を避けるために事実を少しぼかすけど、言いたいことは変わんないよ。

私、短大卒で契約社員派遣やったりして、今は某販売員で31歳。漫画アニメが好きで、ちょいとBでLな同人誌も買ったりする程度のオタクです。150センチFカップ。顔は剛力彩芽を横に太くした感じで、ちょいと目が細め。おっぱいの大きさだけが自慢です。

そんな三十路オーバーBBAの私に彼氏ができました。付き合うきっかけは、某漫画が好きという共通項があって、twitterで絡むようになり、住んでいるところもわりと近いってことで、何人かでオフ会しよっかー、って流れ。オフ会の時は他に何人もいたんだけど、彼ともちょいちょい話したら、彼のリアル友人の中に私の知り合いの知り合いくらいの人がいて、その人も含めて飲もうかー、って感じで仲良くなって、その後は2人で飲みに行ったりしているうちにセックスして付き合うようになったのね。

彼氏スペックは、地元で一番頭の良い高校卒業して、某旧帝国大学入学大学院まで行って、卒業後は誰もが知ってる某一流企業研究職。年収20代後半で650万。顔もちょいと濃い目だけど、好みのタイプセックスの回数は少ないけど相性が悪いわけではない。話も、最初に会った時から気が合うなーって思ってた。対する私のスペックから考えると超優良物件でお嫁さん切符ゲットでこのまま結婚まっしぐらだと思うでしょ?

でもね、付き合ってから2ヶ月ちょっとで、私の気持ちが離れてきた。

理由は、彼の頭が良すぎること。

彼、漫画アニメが好きだって言ってたけど、それ以外にもすごくいろんな本読んで勉強しているの。私が名前しか知らないような有名な作家(三島由紀夫太宰治夏目漱石など)も読んでて。私も、銀河鉄道の夜とか京極夏彦とか読んだことはあるけど、彼の読書歴には自分想像を超えてた。それ以外に、高校世界史勉強したようなジャン・ジャック・ルソーとか、ジョン・スチュアートミルだとかも読んでた。家に遊びに行った時に本棚に置いてあって、線引いたりしていたから、「なんでこんなの読んだの?」って聞いたら「大学一年生の時に教わった教授から勧められたら面白かったから他のも読んだ」って。自分世界が違う人だなーって思ってしまった。

あとね、彼氏友達も頭良かった。一回、彼氏友達(某大学講師だって!)と三人でカフェで話したことあったんだけど、彼氏が友人の専門的な話を聞いたりしながら時々質問して、「へぇそうなんだ。それはわからなかった、教えてくれてありがとう。」とか言ったりして知的で洗練された態度なのはわかったんだけど、あたしには最初から何の話なのかついていけず、ただ愛想をふりまくだけだった。

それに、短大はいえ、英文科卒の私よりも英語ができて、ペラペラ。「大学生の時に二ヶ月オーストラリア語学研修に行ったんだー」って言ってたけど、それでも別に自慢したりするわけでもなく、ごく普通に自分ができることを示していた。なにこれ旧帝大の人ってこれくらいのスペック普通なの?

なーんか、彼氏の優秀なところを見ていると(見せつけられていると)、萎えた。この理由はどこにあるんだろ。彼氏に非の打ち所はない。でも萎えた。彼氏は全く悪くないんだけど、私が引いた。なので、私から別れました。多分、彼には、私なんかよりもっと良い人がいると思う。彼は、私にはハイスペック過ぎた。はいBBAが一人でビール飲んで愚痴吐いてます。長文にお付き合いいただきありがとう。良い9月を過ごせよ。

2013-08-16

社内ニートのための時間潰し

http://anond.hatelabo.jp/20130815143841

2013-08-09

自らの意志で生きられなくなった人間

太宰治の『人間失格』を読んで泣いた。

さいころに父親から十分な愛情を注いでもらえず、それを大きくなるまで引きずってしまったために、主人公人間不信を極めて生きることに苦しんだ。

おぞましい人間界で何とか自分存在を維持するために、主人公は「道化」を用いて人間と通じようと試みるが、むざんにもその試みは打ち破られ、結局最後脳病院にまで入れられてしまった。

だが、最後最後に見られた主人公の心底からの笑いに、俺は心を打たれたようである


人間失格』を読んでいると、まるでその中に自分いるかのような気持ちになる。

自分も昔から他人に対して疑心暗鬼で、何か他人に喜ばれるようなことをしなければ、自らの存在が危うくなってしまうと無意識的に感じながら生きてきた。

から時には自分意志とは真逆行為をすることもあった。

中学のころ、クラスに悪戯をする男子がいれば、自分もその悪戯に必死追従した。高校のころ、周りの友達を喜ばせるために、友達の求めるままに自分の恥ずかしい姿の写真をわざわざ撮って、それをメールで送り、多数の人間に広まって孤立したこともあった。

本当は真面目で寡黙な自分なのに。


まり、俺は自分意志だけでは生きられないのである自分行為には常に他人の目が付随している。もし他人の目など気にせずに、自分意志で生きたいように生きて他人の顔色が悪くなるようなことがあれば、自分存在がどうなってしまうのかが実に恐ろしいのだ。

換言すれば、俺は自分に自信が持てないということになる。

自分自分を認めてあげることができないから、自分を認めることを他人に対して求めてしまう。

でも人間というもの普通自分のために人生を生きているもので、いくら他人に認めてもらうことを自分が求めても、現実にはそう思い通りにはならない。

他人が自分を認めてくれないとなれば、自分の心は不安でいっぱいになるし、そして他人が怖くなる。


他人が怖くなると、必然の結果として他人と接することを避けるようになる。

このため俺は働いて自活することにさえ及び腰だ。

若くて不器用自分正社員として働けば、毎日のように厳しく怒られるだろうし、仕事外でも飲み会などで深い人間関係を築かなければならないだろう。

それが怖くて怖くてもうどうしようもない。

自分にとって正社員として働くことは軍隊に行くのと何ら変わりないのだ。


こんな体たらくになったのは無論自分責任だけれども、親の育て方にも当然原因はあると思う。

小さい頃は、何か自分が失敗をしたり、わがままを言ったりすると、叱られるというよりも、小さな自分人間性を否定するような怒られ方をよくした。

「お前はダメだなぁ」、「はぁ」、「○○にそっくりだ」、もしくは、見下したように鼻で笑うか。

また、自分で決めた選択を泣いて否定されたこともあった。日常的な夫婦喧嘩に心を痛めたこともあった。

ああ、俺はなぜこんなところで親の悪口を書いているのだろう。親のせいにしてしま自分も嫌。

もちろん親には感謝しているし、親が親なりに一生懸命自分を育ててくれたことはよく分かっている。

親も自分に似たところを持っていて、人の目を過度に気にしているし、自己評価が異常に低い。

それはやはり育った環境に原因があり、その意味では彼らも被害者で、子供との健全な関わり方を知らなかったから仕方がないのだ。


いま小さな子供を育てている親御さんは、どうか、子供自分自身を大事にすることができるような育て方をしてあげてください。自分がかけがえのない存在であることを心から実感できるように。

自分のことを大事にしてあげられる人間は、必然的に他人のことも大事にしてあげることができる。

逆に、自分大事にできなければ、他人を信頼することができないゆえに、他人を大事にしてあげることなど決してできない。

さすがに万引きした子供を叱らないのは俺もおかしいと思うけれども、何でもかんでも頭ごなしに子供を否定することは、自分のような人間を作る原因になりうると思う。


偉そうにダラダラと書いてすみません

自分はまだ若いけれど、子供は持ちたくないと思っている。

自分子供を育てると自分と同じような人間を生み出してしまうと思うし、そもそも子供を育てる自信なんて全く無い。自分が生きることで精一杯。

からとにかく今は自分の自信をどうにかして育みたい。

大人になった今ではもう親に期待することができないし、いつまでも親のせいにはしていられない。自分がやるしかないのだ。

2013-08-06

はてなが何故嫌われるのか

はてなってワタミ以上に嫌われていると思うけど、なぜここまで嫌われるのか考えてみると、大まかに3つあることが分かった。


1. 社長が権欲・金に汚い

ご存じの通り株式会社はてなネットでの抜群の知名度に関わらず2012年まで上場意図すら見せていなかった。

これはひとえに社長である近藤淳也が株を自分の株を持ち影響力を保ちたいという守銭奴ならぬ守株奴的精神を持っていたからであろう。

一転して2012年には上場を狙っていることを発表したけど、おりしも現在はプチバブル期ドリコム内藤裕紀社長を超える20億以上の売り抜けを狙う様も見ていて痛々しい。

ま、それも近藤趣味自転車ってところで全て集約されていると思う。自転車と言えば、ランス・アームストロングアームストロングと言えば…。もうね。

ただ、両社ともアメリカ人はだましきれないようであり、サンフランシスコベンチャーキャピタルから金もらって豪遊プランは阻止されました。


2. 技術力・独創性が皆無

最近目を引いた新サービスはてなブログの開設だったってところでお察し。ブログって笑。10年くらい遅れているんじゃないだろうかこの会社

この十年で世間は、ブログに飽きて、mixiに飽きて、twitterfacebookに飽きかけているんですが、何を以てブログをし始めたのか謎にもほどが。

しかし、この企業はてなブックマークを生み出したってことで技術力があると勘違いされている。残念、それ、deliciousパクリですから(古い)。

ま、そこは割り引いたとしても、その技術は今は会社を去った元CTO伊藤直也のおかげでしかないんだよね。

唯一独創的であったぽい人力検索事業はもはやそんなサービスあったことを思い出せる人すら少ないんじゃないかレベルであり、この会社、正直何もありません。


3. ユーザー層が反社会的サヨク

人気芸能人も使うアメブロとかと違って、はてなダイアリーはてなブログの利用層で有名人なんかほぼ皆無。

ま、そこらへんでやばさがにじみ出てるんだけど、その皆無じゃない少数の有名人ってんのが小説家とかだから性質が悪いんだよね。

小説家っていえば、昔は太宰治ヒロポン中毒者かつマルキスト)、今は村上春樹ランナーズハイかつ金持ちなんて・みんな・糞くらえさでおなじみ)と

反社会的サヨク相場が決まっている。こうした少数の著名人代表される属性は、はてなユーザー層に共通しているものと思われ、はてサなんて呼ばれてたりする。



ってことで、技術力がなく社長権力・金に汚くて信者が臭そうとかそりゃ嫌われるのも納得ですね。

システム障害があまり起こらないのもワタミもびっくりなブラックさに支えられているのかもしれません。

京都東京それぞれのオフィスにあるTVの上に設置されているカメラが、365日24時間社内をモニタリングしています」とは、はてな公式HPにある語句。怖すぎます

2013-07-10

http://anond.hatelabo.jp/20130710232529

前回ここに書いたのが2007年で、ひさびさにふらりとはてなにやってきたので勝手がわからないんだけど、

今ここにこういうこと書くと、おっさん認定されてしまうのか…。

つーかこんなシチュエーション、わざわざ創作するってどんな創作意欲なのさ!

創作じゃないよ。

そこまで熱心に考えて打った文章でもないし。

自分でも嫌なくらい女なんだけど、おっさん臭いのは、まあ実際どこかおっさん臭いんだろうな。

つーか太宰治文体意識っていうのはちょっと噴いた。斜め上すぎて。

2013-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20130530234412

財布を女に預け、会計の際に払わせる

って、太宰治「グッド・バイ」の主人公田島周二みたいだな。

田島場合彼女を信頼してではなく見栄からそうしていたらしいが。

2013-05-08

村上春樹の新刊、「田崎つくる」のAmazonレビューをみていて思うこと

amazonレビューで、多崎つくるのレビューを、ほとんど疑いもなく星5つで記載し、圧倒的な「参考にならない」の評価をくらっているしがないレビュアーです。

ちなみに、今日2013/5/8現在、335人中101人が星5つの評価を加え、星4つの高い評価をつけた人を加えると、335人中182人の半数以上の人が星4つ以上をつけているにも関わらず、現在「最も参考になったカスタマレビュー」は、ドリーなる人物の書いた「孤独サラリーマンイカ臭妄想小説」という星1つのレビューで、9825人中、9502人が「参考になった」というボタンを押しています

ちなみに星1つの評価のレビューは、323人中、51人しかないにもかかわらず、この評価は圧倒的です。

感覚的にいえば、全体における星の数の比率に、各評価の中で「最も参考になった」というというレビューが、最終的に漸近していきそうなものですが、このドリーなる人物のレビューは、ある種ゴシップ的な面白さが加わり、NAVERとかはてブあたりから迂回してやってきた方々の支援もあったのだろうと邪推しつつ、圧倒的な支持を得、10000近くの人たちに「参考になった」とフォローされているわけですが、その内容は、読めば読むほど気持ちの悪いレビューで、村上春樹とりまマーケティング悲惨さを痛感するとともに、あらためて日本人文盲具合と、教養のなさと、その教養のなさをひけらかす露悪主義をみせつけられるようでした。

はいえ。

これも、ドリーなる人物の文章が悪いのかというとそういうのではありません。こういう気持ちの悪い文章は、本来放っておかれれば、そのまま情報の闇に葬りさられるだけであり、問題なのは、こういう情報を引っ張ってきて、「うーん、これはすごい」「面白い」と言っている人々の側に、前述した無教養さの礼賛であるとか、露悪主義のようなものがあるように思うのです。

それで、私は、この駄文が、そもそも情報の闇に葬りされること請け合いなのにもかかわらず、下記の数点の視点に絞って、村上評価およびその周辺のマーケティングの問題について論じたいと考えています

1.村上春樹の今回の新作の、アマゾンレビューにおける、公平な評価の基準軸(いったい星いくつが適切なのか?)

2.「村上春樹が嫌い」というヤツは、実は「村上春樹」よりも「村上春樹ファンのことが嫌い」という事実

3.村上春樹を100万部売ろうとするマーケティングの問題(そもそもこれエンターテイメント小説じゃないんですけど)

この3点についてです。

■1.村上春樹の今回の新作の、アマゾンレビューにおける、公平な評価の基準軸(いったい星いくつが適切なのか?)

まず、結論から断じて言いますが「多崎つくる」のamazonレビューを、現在日本文学における主要作品(村上龍山田詠美阿部和重平野啓一郎川上・・・などなど)と比較して星をつけるとするならば、星は5つ以外は考えられません。これらの作家の代表作と比較しても、時代的な価値、作品の主題、文体などにおいて「劣っている」という評価をしようがないからです。

もちろん、小説物語には個人的な共感を読み手の原動力にするという性質上、どうしても「共感できない」という人がいるのは確かなことです。しかしながら、そういう個人的な側面を度外視し、「文学」というジャンルにおいて、日本という国の文化歴史的に補足、説明する資料として、たとえば、文学作品ピックアップするのだとすれば、本作は1Q84までとはいかないにしても、近年日本代表クラスしかいいようがないからです。

2013年日本という国で出版された歴史的に淘汰を免れる文学作品をあげなさいといわれて、今年、これ以上に素晴らしい「文学作品」が登場するかどうか、私は甚だ疑問です。平野啓一郎の新刊がでればその可能性があるでしょうが、少なくとも、それ以外の作家には期待できません。

abさんご?無理です。

田中慎弥もっと無理です。

そういう意味において、本作は星5つ以外の評価はありえないと私は思うのです。

しいて別の視点で評価するならば、村上春樹作品全体を相対的に評価するということもできるかもしれません。これについて言えば、私の評価は、星5つに限りなくちかいものの、もしかしたら星4つをつけるかも、くらいのところです。人によっては3つという人もいるかもしれません。それはあくまでも村上春樹作品における相対評価です。

本作は、次につながる長編小説のための助走のような小説です。伏線の回収(村上春樹本人ならば、伏線の回収ではなく、全体を微細に描き切っていないと言いそうですが)、それが十分でないことがその理由です。

しかしながら、これが作品の評価を不当に低くするかというと別問題です。短編小説というのは、その行間物語前後や背景を滲ませ、読者に共感の余地を残すものです。これは本作が、短編小説的な位置づけにあるということを示唆しているのであって、村上春樹が手を抜いているわけではないのです。星を1つ減らす理由があるとすれば、「もう少しだけ短くてもよかった」という点でしょうか。短編小説というには、少し長すぎました。

本作は、あくまでも「短編」であり(この人の場合は、もはや「短編小説」がこの長さになってしまうだけ)、あえていくつかのプロットを読者に委ねたのです。これは、文学を読む側のリテラシーの問題です。趣味(つまり好み)の問題ではなく、読む側の技術(読解力)の問題です。

というわけで、個人的な村上春樹の読者として星をつけるならば4つもあり得るかもしれませんが、文学に全方位的に公正な評価をつけるのならば、星5つ以外にはないということをご理解いただけるでしょうか。

もし、理解できないのならば、村上春樹を読む前に、夏目漱石森鴎外と谷崎と太宰と三島大江健三郎と諸々読み直すべきでしょう。

それが嫌なら、伊坂幸太郎でも読んでればいいと思います稚拙な、読解力を十分に満足させるだけの文章にはなっています

■2.「村上春樹が嫌い」というヤツは、実は「村上春樹」よりも「村上春樹ファンのことが嫌い」という事実

私は、長年村上春樹の作品を読み続けてきて、周囲にもそのことを公言しているわけですが、最近困ったことに「ハルキストの○○さんは、新作もちろん読まれたんですよね?」とか「ハルキストとして今作はどうでしたか?」などと聴かれることが多くなりました。

この「ハルキスト」なる呼称最近よく聴くんですが、これって、わりと最近たぶんノーベル文学賞に毎年エントリーされるくらいになってテレビリポーターとかがテキトーつけたんじゃないかという気がしています。一体いつくらいなんでしょうか?

私思うんですが、村上春樹の読者を「ハルキスト」と呼称してしまう人は、はっきりと断言しますが、村上春樹を読んでいないか、全く読解できていないかのどちらかです。

村上春樹小説はどの作品でも読めばすぐにわかますが、組織共同体所属することにとにかくうんざりしています辟易しているし、場合によっては嫌悪感に近いものを感じていることもある。とにかくそういう人たちとうまくやっていくことができないし、やっていく自信もない。主人公の「僕」やら「ハジメくん」やら、「ワタナベくん」は、もう、所在なし、所属なし。

まりひとくくりに呼称できない存在なのです。

村上春樹の作品が世界的に受け入れられているひとつの理由は、その「孤独」性です。その周囲にうんざりしたり、なじめなかったりするその主人公のおかれた状況に、読者が少なくない共感を感じてしまうことが、世界的に受け入れられたひとつの理由なのです。

まり、「ハルキスト」などという「ひとくくり」の呼称を付与されることに、気持ち悪さしか感じない・・・というような人たちが、どちらかといえば村上春樹本質的な読者なのです。私も同様「ハルキスト」と呼ばれるたびに、冷笑を覚えたりするので、みんなそんなもんだろうなと思っていると、ときどき本当に「ハルキスト」を自称する読者にあったりします。こういう場合は、辟易するというかなんというか、ときどき困惑嫌悪感が入り混じった感情を抱いたりするこもあります

なんなんだこの違和感

と。この感覚は、村上春樹に星1つをつけて、「いやぁ、村上春樹とか読んでるやつ信じられねーな」とかいう人の感覚に案外似たところがあるかもしれません。(まぁ、とはいえどうでもいいことなので、あえてバッシングしたいとも思わないのですが。)この際、そのほんとに読んで言ってんのかよ!という方々を「ハルキスト」と呼称しましょうか、そのハルキストなる方々と、村上春樹の作品とはまた別の問題だと考えるべきです。

こう言うと、村上春樹小説はそういう勘違いした読者、その「ハルキスト」なる存在を生み出しており、村上春樹にはその責任があると捉えることもできます

アンチ村上春樹人間は、この影響力に村上春樹への脆弱性をみつけて、論考をぶつのですが、はてさて、この点はもういちど考え直してみたいところです。読み手の読解力の欠如がもたらした読者の勘違いを、書き手である村上春樹にその責任を求めることができるのか?ということです。

小説作品は、たとえば自動車エアバッグとか、緊急時備え付けの消化器とか、避難用のはしごだとか、なんでもいいけど、使い方を誤まったら命に別状があるというようなものではありません。

芸術作品です。

作り手の意思とは別に受け手勘違いしてしまうことに、作り手はどれだけの責任が持つ必要があるというのでしょうか。

それは、最後に後述するマーケティングの問題もあります

■3.村上春樹を100万部売ろうとするマーケティングの問題(そもそもこれエンターテイメント小説じゃないんですけど!)

村上春樹を批判する多くのレビューを読む限りにおいて、圧倒的な支持をえる論調は、

「こんなヤツはいない」

恵比寿でナッツを食べるたべにバーに入ったりしない」

「そんな簡単に女とセックスするヤツはいない」

孤独をそんなに深刻ぶったりしてこいつは、何様なんだ」

かいものです。

確かに、多数派ではないかもしれませんが、いないわけではありません。ホテルのバーでお酒を飲んだりすることは、普通にあることです。言葉でどう表現するかの問題はありますが、物事を深く考えすぎて、些細な問題で心を痛めてしまうということも、現代人ならよくあるはずです。セックスなんて論じる必要もなく、敷居が下がっています

主人公の行動や言動を自分比較して、「こんなヤツいないよ」とかいうのは、主人公を類型化して自分との共通点を見つけ出す作業なのでしょうが、確かに、村上春樹の作品の主人公を無理やり類型化して、多数派か少数派かで割り振ったとしたら、間違いなく少数派でしょう。(安易にこういう構図に分類するのは正しい方法ではないのですが)

本作、主人公多崎つくるのプロフィールをざっくりと書くと。

鉄道会社勤務。年収は、700万程度。都内にマンションを所有し、ローンもない。30代後半で独身女性関係特に困ったことはない。

なんというか、条件面だけ描きだせば、裕福で恵まれていて、どこかしらいけすかないととることもできそうです。そして、実際、この点を、アンチレビュワーの方々は、突いているのですが。

前述したとおり、村上春樹小説世界的に受け入れられたひとつの要素はその「孤独性」だと言いました。

みんなの中でわきあいあいとできない。上司にうまく媚を売ったりはできないし、意味のない日常会話を成立させたりもできない。会社終わりにみんなで飲みにいったりするくらいなら、ひとりで孤独音楽を聴きながら読書をしていたい。

などという人間を描いて、そこに世界中の多くの人間共感しているのです。きわめて個人的に。

そして小説というのは、個人的な共感によってはじめて読み進めることができる形式の芸術です。

たとえば、ソフィア・コッポラ映画は、同じように「孤独」を描いていますマリアントワネットなどはその最たる例で、多崎つくるくんなどとは比較しようもないくらい恵まれている。にも関わらず、彼女は圧倒的な孤独に苛まれている。そして映画を観る者は、そのマリーの孤独共感して、胸を痛める。いや、映画小説と違うのは、マリーの孤独共感しようとしまいと、映画自体は2時間後に終わるということ。

しかしながら、小説というのは「なんだよこいつ、むかつく奴だな」というのがあったら、読み進められない。別の言い方をすれば読み進めなくてもいい。村上春樹は、この社会において孤独を感じながら生きざるを得ない、もしかしたら比率的には少ない側の面々の生き方肯定しながら、その顛末を見守るというようなプロットなのだから、読んで「むかつく」人が多いのが、当たり前といえば当たり前なのです。

もともと多くの多数の人間共感されることを、書いてる本人も視野にいれてはいない。(それを望んでいないわけではないにしても)

にもかかわらず、売る側は必死です。

それはそうです。売る側は、本の内容は関係いからです。出版不況時代です。本が売れません。黙っていても売れる時代なら、売る商品を選ぶこともできます。「こんな根暗作家が書いた本は、ひっそりと奥に並べておこう」とか。でも今は、売れる商品が限られています。小さな本屋から、大きな本屋まで、こんなにまとまって本を売ることができる機会は、年にそう何度もあるわけではないのです。

だもんで、売る側は、まったなし。「村上春樹の新刊!?長編平積みだよ、平積み!」

と、なって当然です。で、買い手は買い手で、村上春樹なんて共感できない人が数多いて、そのことを半ば自覚しているにも関わらず、「またぞろ、村上さん新刊ですか?」などとうがった態度で、1700円も払って買って帰ったりする。

本来、孤独に静かな時間を過ごしたい人(それから社会自分との繋がりを確認したい人)のために書かれた本であるにも関わらず。

帯にこんな風に書いておけばいいかもしれません。

「この作品は、日常違和感を感じることもなく、日々を謳歌している人間には読む必要のない小説です。それと孤独を描いてはいますが、自分自身の孤独が解消されれば、他人のことも社会のことも、どうでもいいという人にも不向きです。自身の孤独社会との関係において改善されることを仄かに信じている人のための作品です」

もちろん、そんなことは絶対書かれることはないのでしょうけれど。

本来静かに出版されて、求める人がそこに救済を得るという仕組みであるべき作家と読者の関係が、資本主義論理によって蹂躙されている。それだけのことにも関わらず、本来、村上春樹に対して苛立つ必要もなかった人たちまでが、駆り出されて、勝手に苛立っているのです。

嫌なら読まないということが可能なのにも関わらず。

この「作り手」と「市場」との悲劇的な関係というのが、アンチ村上春樹を作り出し続ける最大の要因という気がしてなりません。

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随分長くなってしまいましたが、最後に結論というかなんというか。

こういうことも言えるかもしれません。

昔、三島由紀夫は、太宰治が大嫌いで、直接会いにいって「私はあなたの作品が嫌いです」と言ったそうです。

すると太宰治は返す刀でこう答えました。

「でもこうやってわざわざ来たんだから本当は好きなんでしょう?」

三島由紀夫は、なにも言い返せなかったそうです。

まり、みんな本当は、村上春樹が好き(もちろん、断固として認めたくない)なんだけど、作品の主人公同様、素直になれず、好きさゆえに星1つつけちゃって、あんなヤツ嫌だよ、いないよ。むかつくよ。とか言ってるだけっていう可能性もあります

ん?あっ、それって、実は一番村上春樹主人公的?な気がしなくもないですね。

この長文を書いている間に、少なくとも「私は、ハルキストです」とか言ってる人より、星1つつけて、村上春樹なんか嫌いだよとか言いながら、毎回出版されるたびに買っちゃってる人たちの方が、なんだかよっぽど共感できる気がしてきました。

おしまい

2013-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20130419093831

桜庭一樹が好きでよく読んでるんだけど、ほとんど家族物だな

しろ橋本紡さんが言う大人を描いた小説が売れてた時代を教えてほしい

夏目漱石森鴎外太宰治カフカカミュも、全部読んだわけじゃないけど代表作は若者しか描いてなくない?

2013-04-13

童貞いか死にたい

27歳でいまだ童貞です。童貞です。童貞というのは、生まれて今日まで女性性交渉をもったことがない男という意味です。書いておかないと誤解されると思うのであらかじめ断っておきます同性愛者ではありません。よっぽど美少年なら抱きたい/抱かれたいというのは正直あるけど、現実にしたいとは思ってません。女性の小陰唇を直に見たことがありません。生身に女性の裸を見たことがありません。当然触れたこともないわけです。

なんで死にたいか順を追って説明してみたいと思います。結論から言うと、春になったからです。春になると、突然、街行く女性の服装が華やかになる。露(あらわ)になる白い二の腕女子高生くらいの女性が太ももで僕を誘惑する。ショートパンツからにゅきっと生えたバターのように白い太もも、どこまでも白く透き通るような女性の肌の色。雪のように白いというけど、僕はややピンクがかった白い肌に興奮してしまうのです。実を言うと、昨日、あまりにも肌の露出が多いため、深刻な頭痛に苦しんでいました。緊張性頭痛というやつで、精神のものです。地下鉄に乗ろうとしたのですが、西遊記孫悟空を縛る緊箍児(きんこじ)のように頭をギューギュー締め付けるのです。会社にいくつもりだったのですが、吐き気がして、自宅に返って風呂のなかに籠っていました。なぜ風呂に入ったかというと、先生が、リラックスすれば頭痛は消えると教えてくれていたからです。

女性実体のものはなんてことはないと思っています。それを男の脳というフィルターを通してみたときに、ひどく魅力的なものに見えるにちがいありません。いま、あなた私に「風俗行けよ」って言おうとしませんでしたか風俗なんていやです。絶対に行きたくないです。お金に困って嫌々働いている女性は、女はカネで股を開く浅はかな生き物だと勘違いしている男を一日何人も相手しているんです。しかも、恥垢のたまった、悪臭放つデブ男のチンコをしゃぶらされ、精液を飲まされるのです。想像しただけで吐き気がしてきました。僕にはそんなことできません。もし、「1万あげるから、洗ってないチンポしゃぶって精子飲んでくれる?」と言われてできますか?イケメンならまだしも、おっさん風呂に入ってなさそうな引きこもりのチンポしゃぶれますか?もしできるって人間風俗に行けばいい。俺にはできない。自分がしたくないことを他人(ひと)にはできない。僕はなるべくこのルールを守って来たつもりだし、これからも守っていきたい。だから風俗には行けない。行ってもいいけど、相手は僕を人間として見てくれない、扱ってくれない。「オマエもそういう奴なんだな」っという目で、侮蔑眼差しで見られる辛さ。僕は人間でありたい。だれも僕を人として扱ってくれないけど、僕は人間だ。人間でありたい。誰が何を言おうと人間だ。でも童貞には、そう発言する権利はない。

童貞というのは、人間として失敗したということだ。欠陥商品だ。本来ならリコールされるべきなのに、人権団体が俺の人権のために俺を苦しめる。童貞というレッテル前科三犯よりも重い。シンナー吸ったり、Sやったりする奴よりも重い。だって、薬やってもテレビ復帰できるんだろ?日本中の人間が見る番組に出られるんだろ?父親がやくざであったとしても。でも、童貞童貞というだけで、人間としての資格なしだ。人間失格という本は読んだことはない。太宰治はすぐ女ができるんだろ?

ああ女性は美しい。その存在が僕に平安をもたらす。水平線の彼方のように、さざ波ひとつもない、真っ平らな水平線を僕を連れて行ってくれる。僕はいまそこに行こうとしている。すべての絶望の淵は驚くほど安寧の地だ。あらゆるものが美しく見える。ベルリオーズ音楽が聴こえる。もうそろそろMBAの電源が切れそうだ。できるなら女性いかにすばらしいそんざいであるか、僕自身の言葉で書いてみたかった。彼女たちは天使だが、天使という言葉では決して語り得ない。

最後に書いておきたい。世界うつくしい。僕は幸せだった。日本に生まれてしあわせだった。願わくばあなたにも、あなたのたいせつなひとにも幸福が訪れますように。みなさまのご幸せを心よりお祈り申し上げます

2013-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20130212225644

学生時代最底辺にいた元いじめられっこ女で、大学に入ってから仲良くなった友達も元いじめられっ子が多いけど

その知り合いみたいな女性は見た事ないしちょっと信じられない

DQN嫌いで煙草喫煙者は嫌いな人がほとんどだけど

リア充はノリが合わないとは言っても敵意を剥きだしにする人はいないし

オサレ純愛映画も嫌いではない

だいたい中学の頃イジメをしてたような層は、ほとんどが高校も卒業してないようなのが多いから、大学にいるリア充中学の頃のイジメっ子達は層が違う

ちょっと斜に構える傾向はあるけど、ロキノン系を聴いたり単館上映の映画を観に行ったり、太宰治共感するくらい

その友人は、メンタリティが男っぽいような気がする

脳内名誉オタク男性みたいな

ネット上でよく見かける屈折した男性心理を自分の中に取りこんでしまった悲劇みたいな

2012-12-04

あなたはてサを理解するための13のキーワード

最近はてなサヨク通称はてサ)がブームになっています

そこで、「私もはてなサヨクになって

http://anond.hatelabo.jp/20121201092424

みたいにとりあげられたい!」

という人のために、はてサをてっとり早く理解してしまおう!

のコーナーです。

基本的にははてなサヨクも通常の「サヨク」と呼ばれる人と同じく、

護憲平和人権尊重、日朝友好、日中友好、低負担高福祉

を目指す集団です。

でも、はてなサヨクはそれだけではない独自の文化を形成しています

さあ、みんなもはてサを知ろう!

キーワードごとに解説していくよ!

南京大虐殺

日中戦争日本南京占領する際に付随して起こった一連の捕虜民間人に対する殺害、強姦放火窃盗のこと。

はてサ登竜門

これを理解しないまま下手なことをつぶやくと大やけどをするので注意すること。

疑問に思うことがあれば、

ダイアリーに書くのは最低でも

南京事件FAQ http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/

を読んでからにしよう!

できれば笠原十九司著「南京事件」も読もう!

太宰メソッド

自分が「~が嫌い」とか「~を許さない」と思っていることがらを、

「~は許されない」とか「社会から~は嫌われる」とか表現する卑怯な方法

太宰治人間失格」の一節

「それは世間が、ゆるさない」

世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?」

「そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ」

世間じゃない。あなたでしょう?」

「いまに世間から葬られる」

世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?」

に由来する。(類義語:主語がでかい

自称中立

はてサの敵(右翼自民党軍国主義者など)の味方をするわけではないが、

はてサ意見にも全面的に同意するわけでもないこと。

多くの場合真正からはてサに敵対するより自称中立の方が嫌われる。

過激派が国や右翼と戦わず共産党や他の過激派との戦いを優先するようなものだと理解しておけばいい。

なお、「自称中立」という名前であるが、「自分は中立です」と自称する必要はなく、

はてサから「こいつは自分らに完全には同意していない」と判断されれば「自称中立」は発動する。

(類義語:妖怪どっちもどっち

トリアージ

緊急時、けが人の数に対して医者の数が圧倒的に足りない時、

患者優先順位をつけて「助かる見込みの無い人」「軽傷な人」

治療を後回しにすること。

ナチスの考え方なので、絶対にやってはいけない。

反日上等

不法入国強制送還されたフィリピン人夫婦の娘カルデロンのり子さんを

はてサが応援したときスローガン

「のり子さんって反日なの?」とか

「そんなキャッチフレーズ、のり子さんに迷惑じゃない?」

とかは絶対に考えてはいけない。

防犯、病気予防

してはならない。

肥満予防のため、野菜を多くとろう!」

「それはジャンクフードばかり食べて肥満になった私を責める行為

 セカンドレイプ!この人でなし!」

エア御用

直観的、感覚的な放射能原発に対する恐怖に対し、

科学的な根拠を持って否定すること。

藁人形論法

議論において相手の意見を正しく引用しなかったり、誤解したり、誇大に解釈して、その歪められた内容に基づいて反論する論法

(例)

A「妊婦の体は大切にいたわるべき。」

B「そうは思わない。Aは妊娠しない女性に生きる権利は無いと言うが、日本国憲法により誰にも生きる権利は保障されている。」

エスパー合戦

はてサがよく行うお互いの心を読み合う競技。

ルールは簡単で、相手の深層心理をより悪意にとったものが勝ちとなる。

あなた本心は『自分に簸向かえないよう被害者をより失意の底に落とそう』です」

みたいなことをいきなり言われたら、この競技が始まった合図なので、

くれぐれも「は?そんなこと思ってないけど?」なんて言わないこと。

差別内面

せっかくはてサ弱者に対して差別を指摘してあげているのに、

当の弱者同意しないこと。

ミソジニー

「私はお前の人格が気に入らない」の意。

女性男性人格を否定するときしか使えないので注意すること。

ヘイトスピーチ

「私はお前の行動が気に入らない」の意。

外国人日本人を否定するときしか使えないので注意すること。





さあ、はてサのことが少しは分かったかな?

はてサを知って、あなた今日からLet'sはてサライフ

2012-09-28

http://anond.hatelabo.jp/20120928223403

女の上昇婚志向が強いのは、「男のプライド」を傷つけるとまずいからって理由があるように感じる

「男のプライド」のほとんどは配偶者より高い収入に依っていて、

カップルの女が出世したりして意図せずに男よりも高い収入を得てしまうと男が去っていくという話が五万とある

太宰治「金の切れ目が縁の切れ目」のような話

上昇婚志向のあまりない諸外国だとどうなのだろう

2012-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20120810222722

太宰治の「世間が、じゃない、お前がそう思うんだろう?」(うろ覚え)を思い出した。

2012-01-04

とりえの無い障害者って守るべきなの?

乙武さんは福祉の手借りなくても自力で稼げて地位を築いているし、

発達障害が疑われている人間レオナルド・ダ・ヴィンチガリレオ・ガリレイ、グラハム・ベルビル・ゲイツアインシュタイントーマス・エジソンなど)も自力で稼げて成功していて、

人格障害が疑われている人間フリードリヒ・ニーチェフランツ・カフカヘルマン・ヘッセ太宰治三島由紀夫尾崎豊中原中也など)も自力で稼げて成功していて、

結局ほかにとりえがあれば障害ってカバーできるということだよね?

社会保障の手を借りなきゃ生きていけない障害者って、障害をカバーできるとりえが無いってことで、そういう奴って守る必要あんの?

とりえがない健常者と一緒にのたれ死なせればいいと思うんだが。

それこそが「障害者差別のない世の中」なんじゃないの?

2011-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20111220013034

太宰治正月おせち料理も食わずにずっと小説書いてたくらいの努力家だし、

絶大な権力を誇っていた川端康成志賀直哉喧嘩売るくらいの度胸の持ち主でもあるから

そこもなくさないとだめ人間ではないだろ

http://anond.hatelabo.jp/20111220012720

太宰治メンタルよわよわだが色気のあるイケメンだったし文学の才能があったからそれなりにちやほやされた。

文学の才能をなくしてブサイクにした太宰治は正直さっさと入水して欲しい存在

2011-10-08

太宰治とか芥川龍之介とかの小説は、日本の男のあほさ加減をよく表しているし、それは今の時代も変わらないな

2011-10-05

小説を知らない人への小説の売り方

http://anond.hatelabo.jp/20111005092209

文学賞

直木賞芥川賞本屋大賞など。文学賞を創設してこれというものを選んで授賞する。本屋大賞なんか一番わかりやすくて「書店員が一番売りたい本」を選んで授賞してるんだよね。ある意味で一番効果的なプロモーション。上に上げた3賞以外ではノーベル文学賞が有効。世界大家でも日本では無名作家が一気に売れるようになる。

映画化ドラマ

普段本なんか読まない賞にとって、これも有効なプロモーション俳優陣は勿論、脚本家監督も実績のある人を採用すれば効果的。観客動員や視聴率のために原作からの改変なんて当たり前だけど(中年男の主人公が若い女性になったり、殺人の動機が単純になったり)、それでも原作が売れるようになる。ただしやり方を間違えると元から原作ファンが立腹する可能性あり。ラノベアニメ化もこれに含まれる。

企画本

「小節は読まないけどビジネス書は読む」「雑誌新聞は読む」という人には有効。「もしドラ!」「チーズはどこへ消えた」「GOAL」など。ただ、これ「小説を売る」じゃなくて「書籍というパッケージを売る」というものだけど。難点はブームが去ればあっという間に著者が一発屋化すること。

新訳、新装

ここ数年の流行夏目漱石太宰治小畑健の絵をつけたり、サリンジャーチャンドラー村上春樹訳で発売したり。これもやり過ぎると陳腐化する。

芸能人作家デビュー

去年辺りまで流行ってた。小説と言うよりもタレント本といったほうがいいのかもしれない。ただあれだけ話題になった劇団ひとりが2作目は全然売れてないし、水嶋ヒロも2作目が出る気配がない。その後も作家として活動しているのは辻仁成(辻はブーム前に出てきたけど)、川上未映子など少数。

一見すると効果があるように思われて、実は効果がないもの

2011-08-20

【追記】「人生を楽に生きる8つの方法」は半分ウソだと思う。

人生を楽に生きる8つの方法

http://chaos2ch.com/archives/2982681.html

これを読んでいたらもやもやしてきたので書く。



4つだけは本当だということじゃない。

8つすべては「真実」に近いと思う。

実践できれば楽に生きれると思う。

それがいいとか悪いとかいう問題じゃない。

ただ、この理論だけでは結果的に不十分だとおもう。



いったいなにを欺いているのか?

この方法には2つのウソが隠されていると思う。

リンク先で語られている内容よりも

語られなかった内容に注意してほしい。




上のリンククリックした人は、それだけでかなり頭がいい。

つの方法を抜き出してみよう。


1、今に生きる

過去を悔やんでたらればを繰り返したり、起きてないことをあれこれ憂いたりするのは時間と労力の無駄遣いで非生産的

今の自分の状況や気持ちに行動原理をおく。


2、人や社会に期待をしない

求めたり「こうあるべき」とイメージを持ったりすれば、現実との差異にがっかりすることになる

基本は人生自己責任


3、他人は自己投影

自分が見ている他人は、他人という物質に反射して映った自分だと考える。

それが心地よくないものなら自分が変われば良い話


4、事象を引き寄せている(選んでいる)のは自分

その出来事を通して味わいたい思いや学びたいことがあるからそれを引き付ける。

災難ととるのではなく自分の選んだものと思って構える


5、自分がいなくても世界は回る

自分が思うより他人や社会自分を見ていない。

こうしなきゃ、こうでなきゃ、というのは自己満足であって、大抵の場合は不必要


6、ワクワクするものごとを選ぶ

自分の選択で他人が困っても、それは他人が対処すべき問題。

選択の連続人生で、自分の心がワクワクする方を正直に選ぶのが一番スムーズ。これができないと葛藤ジレンマに苦しむ


7、自分の行いは必ず帰ってくる

自分の行動は、空へ向けてボールを投げるのと同じ。

きちんと受け止めないでぶつかった時に、痛いと言って責任転嫁しようとしても事は進まない。

自分が受けたい言動をとればそのまま返ってくる。


8、物事は全て中立

「悪い出来事」「縁起の良い場所」なんてのは本当はなくて、全て中立な物事に自分意味付けをしてるだけ。

たとえば同じ場に居合わせ災害にあったとしても、ある人はたまたま見舞われたと感じるし、ある人は自分宗教の教えを遵守しなかったからと捉えるかもしれない。

自分の見方で世界が変わる。





方法自体はほとんど正しいとおもう。

ぐうの音もでない。

いろんな本を読んだり、テレビを見たり、人と話したりすれば

わりと納得できる考え方だなーと。

(というかこれがわからないとしんどい)




しかし、正しいということとそれが妥当であるということはまた別の問題だと思う。




でも、とりあえず

この方法実践することで人生が楽になる

ということはほぼ間違いないと思う。


世界じゅうの人がみんな

この方法を身につければ

きっと生きやすい世界が目の前に広がると思う。






ちょっと想像してみよう。



  • 過去のことは水に流してくれるし未来絶望しなくてもいいし(今に生きるから
  • あーしろこーしろとうるさく言われないし(人や社会に期待をしないから)
  • 相手を責める前に、まず自分の非を疑うようになるし(他人は自己投影から 以下略
  • 現状を肯定できるようになるし
  • 構ってもらえなくても大丈夫だと思えるし
  • 楽しいことを選ぶことを肯定できるし(仕事は厳しくあるべきなんてことも言わない)
  • 相手のことを慮ることが、自分をいたわることだと気付けるし
  • いいとか悪いとかい価値観に縛られなくなるし





現在あなた人生をおびやかす何者か

(親、兄弟、親戚、同級生、上司、同僚、社会のしくみ、政府日本テロリスト、なんでも)が

もし、これらの特性を身につけたならと考えてみよう。

こりゃパラダイスだ!

ぼくたちはお互いがお互いを認められるような

真に寛容な社会を実現できる!

誰と遊んでいようが楽しい

よーし!あの丘の上まで競争だ!




少なくとも2011年の今現在

これらの方法に従うことで楽に生きられると思う。





でもそれは「従うことができれば」の話。





つの方法としてまとめられた人生訓は

実際、どこの場でも目にする。

人生論」でも、「大往生」でも、「論語」でも、「エセー」でも、「徒然草」でもなんでもいい

長く広く読まれている「人生の教え」的な本を読んでると

最後にはだいたい前の8つくらいに収まる

(代わりにどっかの社長の話を聞いてもいいし、テレビ美輪明宏さんの話を聞いてもいい)。

昔の人は偉いなあと思う。




そういう感じの本はいろいろ読んだ気がする。

もちろん、まだまだ読み足りない。

なにせぼくはまだ今年から活字に触れはじめたばっかりだ。

きっと死ぬまで読んでも読み足りないのだけど

個人的には、ぼくの考えを

そういう本が「間違っている」と指摘してくれることを期待して

かばうんざりしながらもそういう本を読んでいた。




今のところ、ぼくの考えを「否定してくれる」本は見つからない。

いや、正確に言うと、否定してくれはするけども

それが納得できないのだ。

ぼくの読解能力がないだけならそれでいいんだけど

もしヒマならちょっとぼくの考えを聞いてほしい。






まず1つめのウソ

ぼくが言いたいのは

すべての人間がこれらの方法を実行するのは不可能だということだ。






古今東西のえらい人がみんな同じ結論にたどりつくなら

さっさとそれを実行すればいいのに

なんで同じ内容の本ばっかり書かれていくんだろう。

なんで大昔の本が現在ぼくらの胸に響くのかと聞かれたら

それが人間全体に広くみられる普遍的な問題だからじゃないかなあと思うけど

じゃあ、なんでその普遍的な問題が

大昔から今まで解決されないままなんだろう。




般若心経の新訳を読んだ。

あれもやっぱり8つの方法の言い換えみたいなもんだ。

聖書だってそんなに変わらないかもしれない。

ぼくらはなんで2000年も前の真理がいまだに実行できないの?






そりゃあれじゃないの?

本などの論理的なものほとんど触れないような

感覚で生きている人がすごく多いからじゃないの?






父ちゃんは「男はつらいよシリーズ」が好きで

こないだシリーズDVDツタヤで片っ端から借りてきて

大笑いしながら観ていた。



その中の一作で寅さんの「おいちゃん」が

実は若い頃は文学をやりたいと思っていたと話すシーンがある。



おいちゃんは父親にこう言われたらしい。





「団子屋に文学なんか必要ない」





男はつらいよシリーズフィクションだけれど、

しかに団子屋に文学はべつに必須ではないとおもう。

団子屋は文字より数字数字より団子が読めればいい。

団子屋が文字を読む必要がないなら、

本なんてまったく読まない人がいてもおかしくないんじゃないだろうか。





これは団子屋だけの問題か?





勉強するくらいなら技術を磨けと教えられた人は

かなり多く存在してるんじゃないのか?

それでなんの不自由もなく生きていけたなら

感覚だけで生きていくことを恥じることもない。

それどころか、論理的なことをバカにさえするかもしれない。




ぼくのお父ちゃん電気会社に勤めている。

難しいことはわからない。

バック・トゥ・ザ・フューチャーを何十回も観てるのに

なにがどうなっているのかいまだに理解できてない。

過去に戻ったり未来に行ったりすると

物語の内容がつかめなくなる。



でもそれがどうした?

父ちゃん電気会社に勤めている。

たんまり儲けている。家族を養っている。

バック・トゥ・ザ・フューチャー理屈がわからなくてもなんの不自由もない。




熱心な仏教徒

敬虔キリスト教徒のうちで

その「教え」に追随する人はいったい何人いるの?



わかりにくいな…。

例えば新興宗教信仰者なんかだと

ただ一つの「救われた経験」を足がかりにして

熱心に信仰する場合があるみたいだけど

その最初の救いを信じていたら

つのまにか犯罪者の仲間入りをしていたことだってあるみたいだ

オウム真理教の元信者のそういうエピソードを読んだことがある)。




大昔の日本の百姓のいったいどれだけが

仏教意図を理解していたんだろう。

念仏を唱えれば救われる」って

そそのかされただけじゃないのか?




文学がわからない団子屋。

バック・トゥ・ザ・フューチャーがわからないお父ちゃん

教えがわからない「熱心な」信仰者。

念仏を唱えるだけの百姓。

そういう人たちがいるかもしれないと思ったことは?




まり、ぼくが言いたいのは

人生を楽に生きる(たった)8つの方法でさえ

読めない人がいるかもしれないということだ。

読んだ人に待ち受けているのは

やるかやらないかの差でしかない。

でも、読んでない人はどうすりゃいい?

つの方法論理的にほとんど正しい気がする。

で、その論理を理解できなかったら?ほったらかし?



ぼくは8つの方法を否定したいわけじゃない。

くり返し言うけど、これらを全ての人間が理解して実践できたら

そりゃあもう素晴らしいことになるとおもう。



でも、現実はそうじゃない。

つの方法をはじめとする人生訓が何を語っているか、よりも

何を語っていないかをもっとよく考えたほうがいい。

この人生訓がなぜいいのかということを

絶望的なまでに理解できない人がいる。

そういう人たちは人生訓が提示されるたびに足場が少なくなっていく。

要するに勉強ができない、感覚で生きている人たちをないがしろにしているのだ。

このたぐいの人生訓すべてが。

掛け算までしかからない子どもに、方程式の素晴らしさを説いているようなもんだ。

上から目線で「こうしたらいいのに」と言ってしまってることになる。

いつまでも掛け算のところでつまづいて

文句ばっかり言ってる子どもはほったらかして先に授業を進めるべきなの?

掛け算のところに戻って教えなおしたほうがいいんじゃないの?




やっと言いたいことの一つが終わった。

冗長になりそうだけど

もうひとつ言いたいことがある。

更に絶望的な想定だ。






理論としては正しいのに極少数の勝ち組しかトクにならない?







さて、こんな文句をどこかで見たことがあるだろうか。

  • 時間は戻ってこない。目の前のことに集中しよう。(今に生きる 以下ry
  • 現実は甘くない。
  • 人のせいにしない。自分の態度を改めよう。
  • 自分ごまかさない。自分うそをつかない。
  • あなたがいなくても代わりはいます
  • 他人の選択で自分が困っても泣かない。
  • 責任を取りなさい。
  • 運、不運のせいにしない。





つの方法をもうちょい過激に言い換えてみた

(まちがってたら言ってください)。

なんかさぁ…

内容自体はそんなに変わらないのに

急にうっとうしくなった気がしない?



どこかで見たことあるなあ…

これどこで見たんやろう…

ああ、そうか






就活の時の企業パンフレットに載ってたわ。





「これ、うちの経営理念やわ」っていう人いる?

こういうことを上司先生や親に言われて

「だから頑張れ」で締めくくられて説教されたことある

その時どんな気分がした?

殺したくなった?

泣きたくなった?



人生を楽に生きる8つの方法

その2つめのウソにして、絶望的な想定はこれである

正義づらした誰かに強制されるのだ。

それが「楽に生きる」とは真逆の事態を連れてくる。

底辺を鼓舞搾取)するための大義名分になってしまう。

ぼくみたいなゴミクズ人間はそのことがよくわかる

(このたぐいの説教は何回も何回も聞かされているから)。

から近づきたくないのだ、こういう人生訓には。

うんざりするのだ。自己嫌悪するのだ。



この想定のたちの悪いところは

その大義名分が「間違ってない」というところだ。

誤解なら間違ってると指摘することはできるけど

これは単に曲解しかない。

各々の解釈の違いでしかない。



冒頭に述べたとおり、8つの方法

ほぼ正しいと思う。楽に生きるためならね。

え?

間違ってないなら実行できない人が無能怠惰なんだから仕方ないって?



wikipediaによると2009年の時点で日本ニート総数63万人

しかだんだん増えている。

彼らがみんな死んでしまえばいいと思うの?

賢くて強い人だけ生き残ればいいと思ってるの?

ニートだけじゃない。実際働いている人でも

これらの大義名分に苦しめられている人はいると思う

(実際これだけの説教レパートリーがあれば人格破壊するには充分すぎるとおもう)。


1つめのウソで挙げた、感覚で生きている人を合わせると

この方法に従えない人はかなり多いんじゃないかと思う

統計を出すつもりはないけど)。




1つめのウソで言及しているような

感覚で生きていて、なおかつこういう人生訓に苦しめられている代表選手

DQNとか低学歴低賃金職人とか派遣社員とかだ。


2つめのウソで言及しているような

搾取され支配され無能呼ばわりされている代表選手

ニートとかひきこもりとか普通会社員とかだ。



こういう人たちはまとめて死ぬべきなのか?

損する人のほうが多くないか



そう考えたら、「人生を楽に生きる8つの方法」が最後の答えだと思えない。

この考え方を否定してもらいたくてそういう本を読んでいた。

でも納得できない。

これでは救いにならない。

でもいつまでも状況に進展がない。

だれか否定してくれよ。

「おまえ間違ってるよ!」って。




1つめのウソについては別の解決策が見当たらないし探そうともしてないけど

(ぼくは感覚で生きる人間ではないからあまり真剣になれない)

2つめのウソはぼくにとっては生死に関わるまさに死活問題だ。

そして、その解決策をこの場で披露することを許していただきたい。




働きたくない働きたくない働きたくない

枠組みを作ろうと思う。

ぼくみたいなクズ人間ものほほんと生きていける枠組みだ。

ほとんど働かなくてもいいような枠組み。

楽観的な言い方をすると、これは収益を生み出せるかもしれない。

そうして、口やかましい人たちを黙らせる

(ぼくはこれが実現できないとリアルに死ぬしかなくなる)。

http://auauai.tumblr.com/post/9080858048

幸せものさしの種類がもっとあってもいいと言うのなら

生き方の種類だってもっとたくさんあってもいいはずだ。




これはブログでも書いてるけど

やりたいことはphaさんのギークハウス構想に似てると思う。



クズ人間を数人集めて家を借りよう。

クズ人間がお互いのクズ性を認めあう場所だ。

クズであることを糾弾されないリアル空間だ。

リア充は入っちゃいけない。怖いから。

ネットのような優しい空間であることを目指す。

優しくて閉鎖的な空間だ。

個人的にはなるべく一人でいたいんだけどそのためのコストが高い。

でも家の外にはクズ人間の敵がわんさかいる。

そういう人と連帯を組むことはしたくない。

じゃあ、ぼくが怖がらずに近づけるのは

同じ穴のムジナであるしかいない。

落伍者うつ病患者社会不適合者、怠け者…

そういう人たちととりあえずお互いを認め合う。

自信を少しずつ取り戻す。

まずはそこからだ。

だって生きていていいんだという相互理解をつくることだ。




心底、世の中に絶望していた。

人生訓の本にはそうあるべき人の生き方が載ってたけど

どれも納得できなかった。





太宰治とかの救われない小説

共感をもたらしてはくれたけど

やっぱり現実はしんどいままだった。





鴨長明吉田兼好良寛みたいに

山の中に草庵でも建てて住もうと本気で思っていた

(いまでもその選択肢を考えてる)。





いくら本を読んでも

現在の恐怖と、わずか数年後の不安を解決してくれるものすらなかった。






でも最近考え方が変わった。

それもやはり本を読んで変わった

(次に挙げるだめ連の本とはまた違う本だ)。






だめ連の本によると

一人の時に負うコストリスク労働量も精神的負荷も、

連帯すると分散される(当たり前か)。

家賃10万円の家を10人で借りたら一人1万円だ。そういうことだ。

だめ連はけっこうハチャメチャなことをやってたみたいだし

近隣の人の援助もあったらしい。

それはちょっとできるかどうかわからない。

でもぼくらにはインターネットというツールがある。

それもだめ連の時よりも更に強力に整備、普及されたものだ。



ニコニコ動画の「歌ってみた」からプロデビューする人がいたり

レゴ作って2chスレ立てるだけでプロビルダーになる人がいたり

自分の顔を毎日撮って繋げただけの動画Youtubeで何万再生もされたり

「ありがとごじゃいます」って歌って動画として公開するだけでテレビに出演できたり



要するに「好き」とか「やってみた」とかの

草の根レベルのちょっとしたアイディアを発表するだけで

負け犬から注目される人になる可能性がぐんと高くなっている。

ということは

そういうしょーもないアイディア収益化する可能性があるのだ。



リスクコストのかからなくて

ちょっとでもおもしろそうなことはなんでもやってみりゃいいのだ。

社会不適合者が集まっているということだけでもちょっとおもしろいかもしれない。



誰が許さなくても本当は関係ないんだよね。

自分が感じる心苦しさより欲求が勝てば、そっちの選択のほうがワクワクするものなはず



冒頭のまとめスレにはこんなレスもある。

心苦しさを飛び越えるほどの、欲求があればぼくらは動ける。

外にある楽しいことに手を出すのは怖いしめんどくさいけど

ネトゲくらいならちょっとやってみようかなーなんて思える。



とりあえずヒマならその家に集まってみて

生きるのに向いてない人がリラックスできる場をつくる。

なんかちょっとやる気出たり、アイディアわいてきたら

そういう人たちの「好き」とか「アイディア」を片手間でネットに発信してみる

(ぼくもいくつかアイディアがある)






奇しくもこの考え方は

人生を楽に生きる8つの方法の6つめに従ったやり方だ。

楽しいことだけを追い求めて生きていくことが可能かどうか確かめたいのだ。



収益化ができてしまえばあとはどうとでもなる。

しかし、生きるのに向いてない人がラクになれる場所

SNSでの付き合いで世界のツラさを「ごまかす」だけじゃない場所だ)

これができるだけでも意味はあると思う。



もうだから早く家借りよう。

とりあえず、ツイッターmixiメールかなんでもいいから連絡をください。

http://twitter.com/yukkun1986/

http://mixi.jp/show_profile.pl?id=25533767&from=navi

breed0902@gmail.com

ぼくは幸運なことに個人情報晒すことはあまり怖くない

(悪いことをまったくやってないってことじゃないけど)。

これが実現できないと絶望するしかない。

ぼくにとっては個人情報なんか出し惜しみしてる場合じゃない。



ぼくらクズ人間同士でつながろう。

もうイヤやねん。働きたくないねん。怖すぎるねんこの世界

たすけてくれよ。「私も怖かった」って言ってくれよ。

怖いよねー(*´・ω・`)(´・ω・`*)ネーって慰め合おうよ。

別に住まんでもいいのよ家には

慰めとか遊びとかアイディアの拠点にするねん。

もう疲れた。

もう待てない。

もう泣きたくない。

誰かが泣くのも見たくない。

ぼくが許せないのは自分と誰かが死ぬことそれだけだ。

きみは死ぬな。

どんなに腐ったような人間でもかまわんから生きてよ。

ぼくだって生きててもなんの価値もない。

それでも生きれるようにしたいのよ。

ぼくもきみも。

これがぼくらの「楽に生きるための一つの方法」じゃないかと思うんだ。




追記

コメントに返事を書く!


なげーよ。

ごめんなさい。短くしようともしてませんでした。

短く的確に書ければいいなと思います

書いていくだけでその練習になればいいななどと虫のいいことを思ってます


誰も強制してないし、できない奴を馬鹿にしてもいない。自意識過剰自分以下を眺めて満足したいだけでは?/「5. 自分がいなくても世界は回る」の「自分」は語り手を選ばないからこそ「楽」につながる

途中で途切れてしまうのでトラックバックとして書きます

2010-12-19

高校の休憩時間には教室で1人座り、夏目漱石太宰治の本を読んだ

http://anond.hatelabo.jp/20101219200313

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101217-00000630-san-soci

斎藤容疑者は「友人のいない孤独な男」 取手駅・無差別襲撃

産経新聞 12月17日(金)22時46分配信

 「友人のいない孤独な男だった」。殺人未遂容疑で逮捕された斎藤勇太容疑者(27)と小学校と高校で同級生だった男性(27)は斎藤容疑者のことを振り返る。

 茨城県取手市内の県立高校の卒業アルバムクラスメートたちは手をつないだり、肩を組んだり、同じポーズレンズ笑顔を向けていた。斎藤容疑者はただ1人笑わず、ほかのクラスメートとも絡んでいなかった。

 高校の休憩時間には教室で1人座り、夏目漱石太宰治の本を読んだ。小学校卒業文集に私の宝物を「本」、趣味を「本よみ」と記し、将来の夢を「小説家」と書いていた。

 高校で副担任によく「声が小さい」としかられるほど、物静かな青年だった。男性は「容疑者名前を聞き、すぐに、あいつだと思った。おとなしい男なのになぜ」と絶句した

 

友人もいなく、休み時間に太宰を読んでるようなのも犯罪者予備軍として後ろ指をさされるようになるのですね。

2010-12-11

ゲーム芸術か?

奇妙なことかもしれないが、僕はゲーム世界勇気だとか愛だとかを教えられたと思う。

一般的に言えば本とか映画とかが高尚な芸術であり、ゲームはどちらかと格下に見られるだろう。

でも中学・高校のころの僕にはそういった高尚なものがピンとこなかった。

普通であれば太宰治だとか夏目漱石などの文学を読んで人生を考えるような年頃に、

僕はほとんどの時間(と言ってもいいだろう)をファイナルファンタジードラゴンクエストに割いていた。

友達もいなかったし親とも仲良くなかったし、楽しい時間と言えばそれぐらいしかなかった。

ゲームが僕の全てだった。

孤独だったし、現実世界はどこまでいってもつまらいものだった。

それに比べ、ゲームが作るファンタジー世界は皆キラキラ輝いていた。

どの主人公も勇気に満ち溢れ、悩み挫折するのだが必ず、最後には勝利する。

たとえどんな凶悪な敵であっても仲間と力を合わせ、そして勝つのだ。必ず。

僕は逃避していたのだと思う。

何もできない、しようと思わない大嫌いな僕から

しかし、ゲームに対する感情はいしか憧れに変わっていった。

ゲーム世界キャラクターのようになりたい

悩みを共有する仲間がほしい、困難に立ち向かう力がほしい、と。

そして僕は変わろうとした

運動をして友達をつくって服装をかえて。

そして変わった。

友達ができて彼女ができて、そして結婚した

ゲームをする時間もずいぶん少なくなった。

たぶんもうなくても、大丈夫から

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