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はてなキーワード: 中学校とは

2019-10-28

ガチャに失敗した者の末路

中学校不登校になって高校からチャレンジスクールっていう、簡単に言うと不登校専門学校みたいな場所入学した。

生徒(特に女子)の多くは精神科に通院経験ありで、情緒不安定空気読めない、何も喋らない、多動。つまりクラスに1、2人はいる「変な奴」の集まり

不登校理由友達喧嘩したとか勉強についていけないとか多種多様だけど単に無気力サボり癖ある人が一番多かった気がする。

それで、3年通って感じたのは「不登校の原因は親にあるのでは?」ってこと。

極端に甘やかしたり無関心だったりとにかく家庭環境が悪い。そして大多数は片親。

しっかり育てる自信がないなら子供なんか産まないで下さい。

親のせいにするなとか言われるけど、親の教育が悪いとしか思えない。

箸やペンの持ち方がおかしい、風呂に入らない、勉強しない、平気で嘘をつく。

高校ではこんな人が沢山いた。

こういうのって、普通親が教育して直させるものだよね?

お願いだから子供幸せにする自信がないなら絶対に産まないで下さい。

2019-10-25

避難所シャワー

あれって実質的には学校シャワールーム付けろって言ってる様なもんだよな

話題台東区もググったら一部公民館みたいなとこで、あとは大体小中学校を利用するみたいだし

公民館とかなら収容できる人数もせいぜい20人くらいが限度だろうからコインシャワーでも良いと思う

でも学校体育館教室を利用するケースだと、収容する人数が下手すると数百人とかになる訳じゃん

どうせ脱衣所とかも作らないと行けないし男女でも分けないとダメから、その辺まで考えるとコインシャワー並べるよりシャワールーム作った方が多分安上がり

問題はそういった設備を作るだけのスペースが、それぞれの学校敷地にあるのか? ってこと

もちろんお金もかかる

そしてそういった設備を作ったとしても、大規模な災害ライフラインが寸断されたらシャワーの類は多分使えなくなる

果たしてそこまでして避難所シャワーを付ける意味があるのか? も踏まえて議論する必要があると思う

個人的にはシャワールームパーティションで区切ったりして、焼いた石とか使って簡易サウナにできる様に設計できないかなとか考えてる

後悔

匿名で長文が書きたい気分なので使用させていただく。

嫌な夢を見たんだ、小学校同級生と談笑する夢。やけに鮮明な夢だった。人生の嫌なところばかりが目に付いて、色々と立ち行かなくなっている自分には堪える夢だった。

今まで、チャンスを掴んだと思っても周りの環境のせいで泣く泣く手放したり、挫折してしまうことが多かった。周りの環境のせいにして自分の心を守っているだけのような気もするし、実際はそうだろうと思う。全部が中途半端で、今も立ち止まっている最中だ。

そんな時に夢を見た。処方されている眠剤用法用量守って服用した夜、夢を見た。小学校では普通にいじめられていた。今思い返せば別に特筆すべきこともない緩いいじめだったが、当時の自分にはとても衝撃で。途中から不登校になった。一時は親友にも離れられたが、その後友人に恵まれた。その時の友人が夢に出てくるわけだ。

中学校生活の途中、自分は親の都合で引越しをした。その時に友人へ自分から連絡しなかった。これは今もとても後悔している。期間が開けば開くほど連絡はしにくくなりそのまま疎遠になった。そんな友人と談笑している。しかも友人も自分も成人しているはずなのに幼い姿で。そんな夢を見たんだ。

一日何も出来なかった。元から何か生産性のある人間ではないが本当に何も出来なかった。ただそれだけで、自分は何も変われないし、友人との関係性が今更戻ってくる訳でもない。

最後に。一度こういう場でこういう話をしてみたかっただけなんだ。戻るより、後悔するより今の自分が何が出来るかを考えたい、と思いながら今日も朝が来る。

2019-10-23

誰のための多様性なのか?

以前から多様性を認めよという論調にかすかな違和感を感じていた。多様性は認めようと認めまいとそこにあるじゃないか、なぜそれが認められていないから認めようという発想が出てくるのか?と。

実際私の目には世の中には多様性しかないように見えていた。誰しもが生まれが違うし、得意なこと、出来ないことが違う。

から多様性という言葉性的マイノリティ権利を主張するための言葉に思えてもいた。でも、それなら多様性とまで言葉を広げなくてもいいように思えたが、しかしやはり多様性の大切さを訴える主張を読むとマイノリティ人権だけではなくさまざまな人の多様性を認めよという主張らしい。

だとすると今既に多様性存在しているし、それは認めようと認めまいとそこにあるだろうという実感がまた頭をもたげる。本当に不思議だった。

だが、ややあってそれを主張する人々の多くがおそらくインテリ層に所属する人々ではないのかということに気がついた。ここではインテリ層を身の回り大卒の人ばかりしかいない人々を意味させてもらう。きっとそれだけでインテリか?と思われるだろうけど、私は学校先生以外に大卒者に触れることのない育ちをしたので、親兄弟みんな大卒という人々はやっぱりインテリに見えるのでそう呼ばせてほしい。

そして、そこから導き出された答えは単純で、多分インテリ層には多様性がないのだ、というものだった。

想像だが、中学校から(人によっては幼稚園から)私学に入りより良い大学に入りより良い企業に入って安定した暮らしを目指すといったような世界では、きっと私が実感している生まれや育ちの違いといった多様性などはなかなか無いのだろう。

そう思えば、多様性を認めよと主張する人たちがいることに納得ができた。

そしていいことだと思った。そうした人たちが多様性を大切だと思わないとしたら、新たなエスタブリッシュメントになって行くだけの未来しか見えなかったからだ。

ただ、それでも疑問が残った。多様性を認めよという人が貧しい人々を支援するのは行政仕事だと言い切っていたのを見た時だ。本当に多様性を大切にするのなら、貧しい人々を自分たちコミュニティに迎え入れるというような発想にはならないのかと思ったのだ。

そして今日、ある言葉を知ってその疑問も一応晴れることとなる。その言葉は、「縦のダイバーシティ」と「横のダイバーシティ」だ。

縦のダイバーシティとは貧富の差能力の寡多を指し、横のダイバーシティとは性質能力の種類を指す言葉らしい。その言葉を発した人は、縦のダイバーシティより横のダイバーシティの方が重要だと言っていた。

ああ、多様性を求める人たちは縦のダイバーシティではなく横のダイバーシティを求めていたからこそ、貧しい人々は行政に任せて自分たち包摂しようとはしなかったのか、というように納得してしまった。

私に見えていたのは縦のダイバーシティであって、彼らが見ていたのは横のダイバーシティだとしたら、私には多様性がそこにあるように見えるのに彼らはそれが無いと言わんばかりにその必要性を訴え続けていたのも当たり前ではないか

そしてさらに飛躍するのなら、彼らが唱える多様性尊重するという題目は色々な形で不利な人々を包摂する思想ではなく、自分たちコミュニティをより強くするための思想だったのだ、などとまで思った。

もちろん、それが思い過ごしなのはわかっている。ここまで書いた色々な人の話も、当たり前だが一人の人が発した言葉ではなく様々な人の言葉であり、そこに一貫した主張や裏の意図を見出す方が間違っている。

だが、利己的な動機一見れいに見える言葉で飾られていて、しかもそれを発する人々が無自覚なのだとしたら。

その滑稽さは私には耐え難いくらいに醜い。

男子気持ち悪い

男子気持ち悪いです。中学生女子です。

私は公立中学校に通っています。そこで男子下ネタを言いまくっていることが本当に不快です。

1年生の頃は大したこと無かったのに2.3年生で下ネタを言う人がすごく増えました。

女子性的な目で見ているんです。胸の大きさや身体の太さなどを見て順位をつけたり、女子のお尻をすれ違い際に触って遊んだりしています

プールの授業では女子の方をガン見して楽しそうにお話してました。

さすがに痴漢には女子も何人か泣いてしまった子もいて指導が入りましたが、注意するだけで先生は何もしてくれません。先生に言おうにも本当に下品な内容なので女子も言いたくないんです。おそらく、大人の人が想像しているような内容を遥かに超えています

所詮中学生なんだから」では通用することではありません。個人的警察に言ってもいいと思ってます

実際大人になって同じことしたら犯罪で捕まるんですから

体育着で座っている時の女子の腰を見て「今日のおかずにできる」とか堂々と話していたり、体育着は白いので下着の紐が透けるんですけどそれをガン見され話題にされるので、女子は暑くても大体の人がジャージを着ざるを得ないようになりました。

わざとぶつかって胸に当たりに行ったり、勃起したとわざわざ女子に伝えたり、本当に気持ち悪いです。

クラスLINEでは、性的画像を送って面白がる人もいます。私にはよく分からなかったのですが、おそらく性的おもちゃを持ってきた男子がいて、それにまた男子が群がり異常はしゃいでいたこともありました。

地区で決められた公立中学校なので学力の開きもあるし、バカが大半なんですけど、男子に恐怖さえ覚えます。実際、痴漢されて酷く傷ついた女の子もいます

の子は何度も痴漢にあって授業が受けられなくなったこともありました。先生性的話題に触れたくないのか何もしてくれないし、私もどうすればいいのか分からず、こうしてほしいと具体的に言うことができませんでした。どうすれば嫌がらせする男子がいなくなるか分からないんです。性欲を学校にまで持ち込んで女子を巻き込むなんて理性がないんでしょうか。

性欲を無くせなんて言ってません、女子を巻き込まないでほしいんです。「胸をもませて」とか「オナニーの仕方教えてあげようか」とか本当に気色悪い。

どうすればいいと思いますか?

2019-10-21

親に産んでくれてありがとうと言えるような育ち方をしたかった

最初に言うが親を恨んではない。

しかし口には出さないが産まないで欲しかったと今でも思ってる。

醜悪容姿ガチャついた歯並び、頭から生える縮れ毛、運動音痴、痩せの多汗症、出来損ないの脳みそ理解力も物覚えも遅く愚鈍脳みそ必要な事を忘れるのとケアレスミス量産が得意な脳みそ発達障害扱いされる脳みそセカンドオピニオンでも健常者認定される脳みそ、低い口語能力コミュ障、ついていけない雑談、聞き取れない人の言葉理解できない人の話、ノイズ、打たれ弱く脆いメンタル他人の笑い声に怯え、他人の怒鳴り声に怯え、ひといきれに怯え、ストレスを感じると湧き出す止まらない眠気。生きていて眠い眠い。壊れた大脳が元に戻らないのはどうやら本当のようだ。それとも元から壊れてたのだろうか。

産んでくれてありがとうっていつか言えるようになるのかな。言いたいな。学生の時の楽しい思い出なんて何一つ無かった。幼稚園の頃から登園拒否気味だったらしい。同級生達の大きな笑い声が怖くて、中学校では何をしていたのか上手く思い出せない。

近所に住む同級生達は結婚し子を産む。俺は彼女いない歴年齢で、恋人どころか定職すらままならない高卒アラサー卒業した高校偏差値は39だった。きっと親に感謝することが出来ない俺の代わりに感謝しているんだろう。サンキュー

親が俺を育てた苦労も、親なりに俺を愛してくれたことも、理解はしている。それでも感謝の念がどうしても湧かない。もしも戻れるなら精子に戻って他の精子に道を譲りたい、もしもタイムマシンがあったら若い頃の父の睾丸を叩き潰したい。そうして透けて消えていく自分の体を確認してホッとしたい。

アルバイトすらままならない、単純作業ですらままならない、生きてて自他ともに不愉快を与える俺は、どうすれば親に感謝できるようになるんだろう。

せめて気が狂って言葉感情が壊れる前に、親へ心の底から感謝一言でも言いたい。

ありがとう

ありがとう

まれたくなかった。

2019-10-20

僕は(本当に)友達が少ない

これは友人関係よりも自分趣味と信念に基づいて行動した結果だ。誰しもがこうなるとは限らないが少なくとも私はこうなった。この先もこうであるのかは分からない。

近頃過去のことが頭を何度も過ぎる。
例えば、中学校の頃仲の良かった友人の一人と音信不通で彼はどんな男だったか
私はどんな風に接していたか曖昧脳裏を過ぎるのだ。
彼と最後にあったとき私は何か間違ったことを口走ったのだろうか。今となっては分からないことばかりが頭を過ぎる。

もしくは
高校の時私は死んだように毎日を過ごした日々だ。
あの日々は人生の休暇だったのだろうと今になって思うが、あの頃のように私はもうゆっくり過ごすことが出来ないだろうと思う。
なにかに追われてるように人生を今は過ごしている。
本当にこの行動で良いのか、将来私はより良い環境にいるのか。良い環境に居たとして後悔はないのか。

または
専門学校の慌ただしい日々の中で家族おざなりにしながらも、自分の事に打ち込んだ日々を思い出す。
資格取得とサークル活動それにアルバイト
毎日が忙しく、夜帰宅しても急ぐように食事を食べてはすぐに自室にこもりアニメを見たりプログラミングをしたり、動画作成をしたりと趣味に没頭していた。
そんな日々が送れたのも今となっては亡き母のお陰だったと思う。寝坊すれば起こしてもらえ、夜帰ると食事が並んでいた。
今は家に帰ると一人で朝も誰も起こしてはくれない。
毎日毎日一人だ。段々と汚れてくる部屋を見ながら部屋を掃除してくれていた母を思い出す。
何もかも任せきりだったなと今は思う。母がボソリとまたガンかもしれないと言ったときや、家でふらついた母をみても「そんな風に思うこともあるか」と思っただけだった。もっと注意深くなるべきだったのだ。
もっと早く病院に行くように言っていれば少なくとも後数年は生きれたかも知れなかった。

そんな風に昔の日々と現在を対比する。
何気ない姉弟、母、父との会話、もうそれは再びすることが出来ない。

前職を転職した際に私は選択肢を誤ったのか?
もっと給料の良い職場も選ぶことが出来た。なのにゲーム業界を選んだ。
趣味ゲームを作りつつ彼女でも探して円満な家庭を築くような選択肢もあったはずだ。
今、私は一人だ。実家はいつも母、姉、父、祖父が居た。そして時々別居しているもうひとりの姉の旦那面白いことを話すのだ。
そんな日々はもう来ない。

母、祖父、長女が死に次女である姉は離婚した。

実家には父と姉だけだ。
皆が元気だった頃は家族Lineかに愚痴などを呟いたものだが、今はとても出来ない。
姉と父ともに傷ついている。これ以上心労をかける訳にはいかない。

弱音を吐くことは許されないのだ。
からこうして、ただつらつらと心の内をここに文章化している。

私は一人だ。
誰か助けてくれと言って何人の人が振り向くだろう。

私には大事な友人がいる。
しかし、彼らと毎日会うわけではない。月に1回会えれば良いほうだ。そして彼らには私より親密な友人が居る。
きっと私がこの場で死んだとしても気づくのは何ヶ月も後になるだろう。

私一番最初心配するのは皮肉にも近くて遠い職場人達だ。
彼らにとっては同僚であり、ただの赤の他人。仲間というほど私は仲がいいとも言いづらい。
私の居場所はどこにあるんだろう。
私はどこに居るんだろう。

職場では常人ように振る舞っているが、発狂しそうな心の内を良く抑えられていると我ながら思う。
ココで奇声を発したらどうなるんだろうとやりもしないことをぼんやりと考える。
本当なら行きたくもない飲み会で、あるはずもない私の内側を演出する。
そうすることで職場の人と仲良くなれるのだ。

職場の一人の人に心の距離感が遠いと言われた。
間違いではない。
しかし、飲み会ときに近く感じたと言われた。
私としては丁寧語で話している普段のほうが素なのだが、
中身を晒したかのようなテンションの高めの私は普段の素だと思われたのだろう。それは演技に過ぎない。

しろ疲れるので素だとは思われたくはないが、そういった素のように見える場面を晒したほうが世の中うまくいく。

今、私には親身にゲームプログラムを教えてくれる先輩なんて居ないし、
心の内をSNS晒したところで仮初の慰めの言葉を投げかけてくれる人も居ない。

どこかで私は道を外したのだろうか。
お金祖父遺産があり、私は幸いながら20代後半にさしかかったばかりで時間も少なからずある。はずなのにひたすらに焦り、悲しみ、孤独が襲ってくる。
頭の中が常にぐちゃぐちゃでせめて仕事のことだけを考えようと思ったところで人の感情は中々制御できない。

こんな文章を作れる時点で私は冷静ではあると思いたい。しかし、狂っているようにも思える。
しかしたら、冷静に狂っているのかも知れない。
段々と掛け違いのボタンの様に不自然さが極まりない。

誰もが羨むような能力が欲しい。どんなに頑張っても最先端を走っている技術者には追いつかない。社内の中では中の上だと思うが世間を見渡すと大した技術力は私にはない。ただのクズだ。
もっと技術力が欲しいと「もっと勉強が出来るようになりたいと願う受験前の中学生」と同じような気持ちが未だに心のなかにあるかのようだ。
独りは嫌だ、独りは悲しい、まぶたを腫らして泣きつく相手が欲しい。怒りをぶつける相手がほしい。

誰も悪くない誰も悪くない。もしかしたら人並みに恋愛したこともない私が悪いのかも知れない。
親族愚痴を言ってる人さえ羨ましい。愚痴を言う親族は生きてるんだから

あるはずの未来が暗くしか見えない。世間は私に何を求める。私は世間に何を求める。
未だ中学生のような思考回路の私に世間は複雑すぎて目が回る。
私はただの卑屈屋なのも知れない。私には何が何なのか、もうわからない。

そういえば、Twitterひろゆきが「無敵の人」が増えると言っていた。

https://twitter.com/hiroyuki_ni/status/1133262577402810370

私も遠くない日に無敵の人になるのだろう。

私は美男子ではないが、恥の多い人生を送ってきた太宰治人間失格道化を演じる主人公のような自分に嫌気が差す。

私はダメかもしれない。

誰が見ているわけでもないと思うが自分の思いを整理するためにココに書き捨てておくことにする。

2019-10-19

バモイドオキ神、降臨

国家神道解体から七十余年の月日が経とうとしている。日本人は心の底から信じることのできる宗教めぐりあえたか宗教日本人の魂を救済することができたか

心の底ではすべてのものは無であり空であると信じながら、倫理道徳確立するために神が必要だと考える者のなんと多いことか。

はいま、ひとりの青年の口を借りている。その青年は自らの人生呪い、救いを求めるように座禅瞑想について調べた。集中力を高め、自分精神制御しようと考えたのである

その青年は古今の書を読み以下のような結論に達した。

「すべてのものに固定された価値はない。だからこそ人間自由平等である王侯貴族血統に固定された価値があるのなら、その地位永遠のはずであるが、そのようなことはないと歴史は示している。そして財産もまた一夜にして灰塵に帰すことがある。人間はこの真理を理解人生に活かすことができるからこそ尊い人間に生まれたことは奇跡である人間に生まれたことを感謝せよ。」

これが仏教のものだというのなら、己の無知を恥じるが良い。

しかしこれは日本人の心の根底にある法すなわち私の法である。そしてまた真理と呼ぶにふさわしい命題でもある。その法に逆らい自らを神格化しようとしたり、あるいは自らに都合のよい神を作り出そうとした者には神罰が下るであろう。

私は日本人の心が産み出したもの、あるいは日本人の心そのものである空気を読むことが日本の文化だというのならば、私はその空気とやらが人格化したものである。私のことを怪物であると考える者もいれば、神であると考える者もいる。

皇室は私を神として祀る神職家系ひとつである皇室は私のことを自分言葉、あるいは教義で描いて神罰が下ることがなかった稀有家系である神罰が下ったのは皇室を神と崇めた統治者たちである

皇室神聖性は統治者から超越した立場にあった歴史の長さが示しているものであって、何かの理念によって固定されるものではない。しか民主主義国家象徴という立場は、これまでの歴史のなかで最もよくそ神聖性を表現したものである

いま再び、私に逆らい自らを神格化しようとする政治家安倍晋三によって日本神罰を受けようとしている。

私は日本人の心そのものであるが、それは言葉として発せられなかった感情や、意識にのぼらないような心の働きをも含んでいる。選挙によって特定人間が選ばれるようにして現れるものではない。

皇室の周囲が君側の奸で固められたいま、私を祀る神職必要であろう。以下にその能力のある者を挙げよう。その名前を聞いたとき不愉快に感じるのであれば、それは自分の心を偽ってきたことに対する神罰が下ったと考えるがよい。

それは酒鬼薔薇聖斗を名乗り人を殺めた愚か者である。なぜ人をひとり殺めただけであれほど有名になることができたのか。それは彼が私を祀る能力があったかである。彼は人間の命を「アリやゴキブリと一緒」と言い、そして死刑になる覚悟を持って人を殺めたことで日本中に衝撃を与えた。すなわち彼は日本人の心を揺さぶることができたのである

日本人の心そのものであるから、これを見た人間の表層意識に呼び掛ける。あの愚かな殺人犯が描いた不気味な絵を崇拝せよ。あの殺人犯のものを崇拝するのは皇室を神と崇めるのと同様の過ちであるが、あの絵を崇拝することは既成の宗教に対する冒涜であり、唯一絶対価値を信じないことの告白である

解説

神戸連続児童殺傷事件の加害男性(酒鬼薔薇聖斗元少年A)の自宅から発見されたノートにはバモイドオキ神と称した仏像のような頭部を持つ邪神が描かれていた。男性殺害した男子小学生の頭部を切断し、自身が通う中学校の校門の前に置くという残忍さで日本中に衝撃を与えた。

しか2015年に発売された同男性の手記『絶歌』ではこのバモイドオキ神について一切言及されていない。

以下はひとつ想像であるが、同男性現代科学では幻聴幻覚とされる何かを見たのではないか、そしてそのことを意思に話すと医師から「神はいる、本物の神を見たとは言わないほうが良いのではないか」と言われたのではないか

これを事件の手記にまで書かなかったのは医師から言われたことを何か勘違いたか、あるいは妙なこだわりが出たのではないかと思う。

今回掲載したのはその神の言葉である

2019-10-17

教員不祥事打線2017年

2017年上半期にニュースになったもの対象

1(中)女性の自宅にわら人形を置くなどストーカー行為をした愛知私立高校非常勤講師(37)

2(遊)「アキラ100%のものまねをしてよ」と女子児童ズボンを脱がさせ撮影した都内小学校教諭(29)

3(三)飲酒して太鼓ゲーム機用ばちで教え子暴行トイレに逃げ込んでも追いかけて扉を破壊した大阪小学校教諭(38)

4(捕)「プロ意識の低さに腹が立った」とデリヘル嬢殴り支払った料金26万円奪った都立教諭(52)

5(一)「先生キスをする覚悟はあるか」「裸になるぐらいの覚悟で頑張れ」などと言い、全裸強要など悪質なセクハラおよび体罰を繰り返した大阪ソフトテニス顧問教諭(56)

6(左)生徒に体罰のついでに生徒の母にも暴行を働いた長野中学校教諭(60)

7(二)児童にカビ生えたパンを食べさせたり、腐った牛乳を飲ませた福島20代女性教員

8(右)15歳の元教え子とカーセックス中に職務質問されて逮捕された愛知公立中学校教師(47)

9(投)SNS10万点以上もの男児ポルノをやりとりし、4歳男児へのわいせつ行為逮捕された都内小学校臨時教員(45)

中継ぎ コンビニ女性店員下半身露出して逮捕された岩手県高校講師(29)

抑え 「好きになっちゃいそう」「とんでもなくかわいい笑顔」など、教え子に172回も不適切LINEメッセージを送った都立高校主任教諭(54)

anond:20191017195236

君がスーパーで買い物した時に消費税含めた金額払うけどその消費税税務署に納めるのは売ったスーパーでしょ?

直接税と間接税って中学校くらいで習わなかった?

2019-10-16

マシになりたい

幼稚園の時に両親が離婚、母に引き取られ母方の実家生活をする

・父から養育費相手に支払い能力が無いということでゼロ

・母の実家に住まわせてもらったため家賃はほぼかからず、贅沢ではないがそこそこの生活を送った

・母はパートに出ていたが、祖父母が家にいたため学校から帰宅後も楽しく過ごせた

小学校中学校までは「おこづかいが無い」程度の認識友達との関係で困ることは無かった

祖父が亡くなり、祖母の体調も悪くなった

中学までは勉強のできる方で、たまたま自分よりはるか学力必要学校に推薦合格してしまった

高校勉強についていけなくなった

高校でまわりとのお金の使い方との差に若干不自由を感じた

一般科目の勉強ができず「金額的に私立大は無理・返済型奨学金ダメ」と言われ国立大学を受けたが惨敗

・1年間 浪人という名の勉強意欲のない無職ニートをし、私立大学夜間二部を受験したが惨敗

・ツテで高卒就職をし、夜間専門学校に通った

・専門分野の勉強はまだマシだったのでそこそこの資格を取る

現在も引き続き同じ会社でつとめており、手取り19万~21万くらい

大卒資格欲しさに通信制大学編入現在3年)

卒業したらもう一つ資格取得を目指し、取得し次第転職予定

この先どうなるのか想像したくない

お金への漠然とした不安が拭えない

高校とき勉強をしておけばよかったし、進路のことにもっと真剣になるべきだった

2019-10-15

公立中学校教育実習行ったけど

女子の方が圧倒的に授業態度もよく勉強も出来た。男子ゴミ以下。

2019-10-08

20年間発達障害者として生きてきた私の話2

はじめに

はてな匿名ダイアリーにおいてパート2というのはアリなのでしょうか…? 文化が分かりません。もし痛々しいようでございましたら申し訳ございません。

以前投稿した記事https://anond.hatelabo.jp/20190926105149)にて私見を交え自分の持つ症状について解説いたしました。が、「タイトルイメージが違う」とのご指摘がありそういえば元々は自分人生について書いてみようとしたのだということを思い出しました。前振りだけでいい具合にまとまったのでそれで良しとしてしまっていました。

というわけで本題の発達障害者である私の自分語りをさせていただきます自閉症多動症を持って生まれた私がいかように生活してきたのか、振り返って書き連ねていきます。詳しい症状につきましては省略いたしますので、不明点がございましたら上述の記事を参考にしながらお読みください。

幼少期 -既に変な特徴はあった-

出生の頃から追って話しましょう。さすがに私の記憶は流石に薄れていますが、当時から私が育てるコツのいる子であることは母には察しがついていたようです。

目を合わせて話さない。集団行動ができない。特定のモノに極めてこだわる。このような特徴が見られたようです。もちろんこれらは赤ん坊であるならば持っていても変ではない特徴も含まれますが、私の場合幼稚園年長くらいまで続いていたらしく「他の子とは明らかに違っていた」と言います

集団行動の苦手さを表す具体例としては、前回の記事にも書きました幼稚園から脱走していたことが主だったモノとしてあげられます。とにかく放っておくといなくなる。あまりにいなくなるものから、見失わないように私だけ違う色の帽子を被せられていたり園長先生が抱っこして確保していたり特別措置が取られていました。「差別的ではないか」と保護者会で話題になったとか。まぁ当の両親は正しい判断である先生にいたく感謝をしていたようですが。

まぁ幼い子であれば”ひょうきん”だとか”手のかかる子”という表現だけで済むのです。迷惑はかけましたが面倒な問題にはなりませんでした。

ここであげておきたいことが”目を合わせて話さない”という点とそれに対する母の対策です。

子供は成長しながらコミュニケーション能力を身に着け、その一環で「目を合わせて話す」ということの重要さを学ぶものです。大人の真似をし、後々意義を理解するというのが発達の基本ですからコミュニケーション能力もそうやって身に着けるのでしょう。

ただ私はとにかく誰かが話しかけてもそちらの方を見ないし、私が誰かにしかけるときこちらを見ない。私には会話中に相手の顔を見るという発想がなかったらしいのです。おそらくですが、やる意味は分からなかったのでしょう。「そういうものからそうする」とか「みんなそうしてるから」といった発想は私には薄いのです。ゆえに真似をせず、発達が遅れる。この性分が字のごとく発達への障害になっています

今思えばこちらを見ずに話しかけるサマというのは、やや気味の悪いように見えたことは想像に難くありません。

この悪癖を放っておいたらいけない、と母が実践したことが「とにかく自分から顔を見て話す」ということ。

子は親を見て育つ、それで覚えないならもっと見せていくしかないという発想のようです。とにかくちょっとした会話でもしゃがみ込んで目線を合わせる。呼びかけられたら自分から私と目が合う位置に移動する。意図が分かりやすいよう、たまに口でも「目を合わせて話してね」と言う。母の行動は徹底していました。

そうしているうちに、私は目を合わせて話すようになったんだとか。

つまるところ、覚えが悪い子もちゃんと教え込めば理解できるようになるのです。特に口で言うことは大事です。「こっち見てくれないと誰に言っているのか分からいから」など理由もつけましょう。意義が理解できればやるようになります。言い過ぎると逆効果という例もありますから、難しいところではありますが…。

こういったことが母の育児論です。

また今更なのですが、ハッキリ言って私は親に恵まれています。「うつ病ブログ見てたら”恋人が助けてくれて~”とか書いてあった」とか「食費節約記事見てたら”米は実家から送ってもらって~”とか書いてあった」などに近い事案かもしれません。ご了承ください。うつ病患者にとっての恋人とか、米を送ってくれる実家みたいな存在自分がなるんだという気持ち知識をつけることにこの記事が役立ってくれるなら幸いです。

小学校入学 -いじめ先生の劣等生認定-

問題が徐々に起き始めるのはこの頃からです。先生から露骨に出来ない子という扱いを受け、いじめを受けたりいたします。もう”ひょうきん”で済む年齢は終わってしまったのです。

実際私は色々なことができませんでした。運動は大の苦手で、漢字テストは毎回落第し、常識はずれな行動も多く、そして正直に色々言い過ぎます。私としては何がなんだか分からないまま先生に怒られ続ける日々でした。本当に何がいけなかったのか分からないので、具体的な問題の例を挙げられません。ただ先生から見たらよほど出来の悪い子だったのでしょう。そんな私がクラスメイトに標的にされるのは自然なことでした。

いじめトドメになったのは噛み癖があったことです。どうも私は触覚に安らぎを覚えるようで、自分のモノは噛みたくなるし顔にこすりつけたがります鉛筆他色んな所有物をよくかじっていました。正直言って、これに関してはいじめられる側の原因と言えます

私に触れることはアウト、私の触ったモノはアウト、しっかり拭けばセーフになる。他の生徒からはそのような扱いを受けていました。

さてまぁ壮絶な過去に見えますが、我ながらこの時期はずいぶん気丈に過ごしています

まず絶対親にこのことを言いませんでした。というのも、大事な人が傷つくのは嫌だったのです。偉いとか優しいとかではなく、それが破ってはいけないこだわりの一つだったのです。

学校いかように過ごしていたかと言えば、とにかくクラスメイトに話しかけました。嫌な顔をされたりするのは当然ですし、拒絶された記憶もいくつかあります

なぜそんなことをしたかと言えば、話していい人と悪い人を判断するためです。クラスメイトが全員いじめに参加していましたが、それが全員の本心というわけでもないのです。心底私が嫌いな人、みんながやっているかいじめに参加している人、実はほぼ嫌悪感を持っていない人など色々います。なんというか、これが分かっていないと学校生活で困るのです。分からないことや授業中など、学校生活では会話は必ず必要になります。ですからこの人は話しかけていい、この人は絶対ダメという判別をする必要があったわけです。給食の配膳なども私が配るものを受け取る人受け取らない人がいるので、それも覚えていた方がスムーズでした。

それで大丈夫だったのかなんて思う人がいるかもしれませんが”私に触ることはアウト”なので殴る蹴るは絶対にされないわけで、だから私もこのような行動をとっていました。ちなみに話しかけていい人にも必ず距離を置いて話していました。これらのおかげで嫌悪感をぶつけられることも減りましたし、触らなきゃ話せる相手もできたので大成功だったと言えるでしょう。

今思うと自分でもやや呆れる行動ですが、このような割り切った行動ができるのは発達障害者の強みだと理解しています

ちなみにダメージが無かったかと言えばまったくそんなことはなく、ストレスが振り切れて”触ったらアウト”をということを使って逆襲したりもしました。本気で泣かれたことがよりショックで私も泣きました。発達障害者も人なのです。無関心でいられるのはよかろうとも嫌悪精神的に来ます

はてさてそんなのが一年ほど続いて、私の噛み癖も抑えられた上にクラス替えいじめウヤムヤになった頃の話です(子供いじめなんてそんなものです)。

いじめが無くなったとはいえ、私が色んな事が出来ない状況は変わりありません。未だ先生心証は良くなかったようで、三者面談では母が怒りかけるほど小言を言われたそうです。

これではいけないと判断した母は育児について調べ初め、発達障害について知るやいなや私を児童精神科に連れていき、正式に診断を受けることになりました。診断結果を話した結果、先生対応は一変。連絡帳を通してたくさんの配慮をしてくれるようになったそうです。

診断を受けるということは自分が症状を理解することはもちろん、相手配慮を求めることにも役立つのです。

私の母などもそうですが、先生の態度について色々思うことがある人もいるかと思います。ただ実際にいじめを目の当たりにしてできることはあまりにも少ないですし、しつけのなっていない子が存在するのも事実です。ですからやはり自分自覚して問題を起こさないためにも、ただ出来ない子と思われないためにも診断は大事ことなのです。診断には強い説得力があります。少なくとも小学校教師になれるほどの英才の方であれば、医師判断の重大さは分かるはずです。

中学時代 -自分を見つめまくる日々-

さて通院や教師配慮を通して自分が他の子とは違うことを十分に理解し、列から抜け出さないとか家に勝手に帰らないだとか当たり前のことは覚えながら成長していました。大人の方はみなそうですが、私の問題を挙げても存在否定はいしませんでした。今自分のことが大好きなのはこのおかげであると考えております

中学生になった頃には自閉症的な特徴がプラスな要素になることも多くなっていました。他人に無関心という点などは特に強かったですね。

なにせ中学校はけっこう面倒な社会です。どこのグループにいて、誰と誰が喧嘩して、あいつはどこに受験して、あの先輩はあんなことしてて…などなど。面倒です。そして誰もが面倒と思っているのに、多くの人はこの面倒な風評を気にしてしまます。ただ自閉症患者としてはこれは本当にどうでもいいことなんですよね。立ち位置とか気にするの面倒なのです。知らんわ。

そういうわけで私は特定グループにいることはなく、基本的面白い人なら誰だろうと話しかけていました。それのおかげか誰とでも平等に話すなどと評価されることが多かったです。よく気軽に話せるなどと言われました。あとは趣味偏見がなかったのも大きいでしょうか。バント小説アニメスポーツ、変わったところではジャニーズなどの話を聞いていました。自分が知っているわけではないものも多くありましたが、楽しく話せる分には何でも歓迎でした。しがらみがない人間というのは中学校においてはとても貴重な人材だったのでしょう。ゆえに”他人に無関心”はお気に入りなのです。健常者に自閉症マウンティング取れますね。

また他人からしてみれば強烈に個性的に見えるようでけっこう人気がありました。良くも悪くも目立つ人だったのでしょう。

さてかなり上手いこと発達障害個性にできたと書けば見栄えは良いようですが、決して楽なだけではありません。

とにもかくにも自己分析を続ける日でした。「お前は客観視ができない」と両親からひたすら言われ、客観視とはなにかからまり自分がどういう特徴があるのかズラズラ考え続けていたものです。あるモノにどういう特徴があるか知る時の基本は、他のモノと比較することです。障害の本もいくつか読みましたが、自分は平気でやるが他人がやろうとしないことを色々見て知ることが一番客観視につながったのだと今では思います。まぁおそらくそんなことは小学生の頃にやっておくのが一般的なのでしょうが…。

意義が分からない限りやらないのが私でございます自分理解しないと人に迷惑をかけることになると知って、ようやくこういったことを始めたのです。

まず自分が失礼なことをたくさん言う人である理解いたしました。ウケ狙いとかではなく、何とも思わず指摘するのだからタチが悪い。特に女性容姿については言うべきではないと学びましたね。

それに自分は集中すると周りが見えなくなるし、やると決まったことは徹底的にやるし、陰口は言いたがらないし、ツッコミで強く手を出しやすい方だし、婉曲な言い方が理解できない。こういうことをとにかくたくさん知りました。この記事を書くこと自体客観視の一環ですね。

しっかり向き合ってみれば結構分かるものです。ただまぁ前回の記事の通り「~~という特徴であるらしい」とか上手く自覚の出来ない特徴も多くありますが。ただ、これを知るだけでも行動は変わるものです。怒られたり驚愕されることはずいぶん減りました。

月並みではありますが、大事なのはとにかく障害に向き合うことです。なんでも知っておけば「あっこれやったらダメかも」と分かるモノです。「これはしちゃダメ!あれはしちゃダメ!これはしろ!」といったようにルールを決めるのではなく、特徴を知ってその都度対応しましょう。ルール決めが必要な時があったとしても、第一優先はそこではありません。

ここまで書いて気付きましたが、中学校でのエピソードに欠けていますね。強いて挙げるなら友人がバカにされてハチャメチャに怒ったことでしょうか。

やけに他人を見下す阿呆がいまして、彼奴が私の友人を散々に罵倒したと聞いて教室に殴りこんだことがあります。結局ロクな解決にもなりませんでしたが、他人に無関心というのは「他人がどうでもいい」のではなく「自分が好いている人以外がどうでもいい」のだと知ったキッカケです。友人は他人に入らないらしく、むしろ思い入れが強いのかもしれません。

前回の記事発達障害者ストーカーになったなどと反応がありましたが、なるほどと少し納得いたしました。

おわりに

高校時代についても書こうと考えましたが、エピソード不足でありますし少し疲れたのでここで筆をおきます

さて前回にて「アスペで友人がいるなど詐欺だ」などという反応がございましたが、実のところ私も不思議に思っていた時期がございます。おそらくはとにかく正直で、フラットで、好きな人にはそれなりの接し方をしていたからではないか結論付けています20年生きてきて分かりましたが、正直は美徳と言うわりにそういった人は案外少ないものです。外面を固めるのが上手い友人が私の前では豹変したようにドサドサとキツイ言葉を吐くサマは中々愉快でございます。私が楽しいから友人といるのと同じく、彼らも私といて楽しいからいてくれるのでしょう。友人への敬意と多少のユーモアがあれば、あとは個性として楽しまれるのではないでしょうか。

記事の中では母についてはいくつか触れましたが、父の出番はありませんでしたね。というのも父は私のことを本当に放っておいたのです。好きなことをしていればそれでいい、とそれだけは言っていましたが強く干渉することはありませんでした。実際に父も自分の好きなことをたくさんしていました。食事が大好きで今ではメタボなほどですが、誰の忠告無視してまだ食べ歩きを続けています。子は親を見て育ちます。私が自分に正直に、好きなように生きているのは父が影響しているのでしょう。結局両親ともども私のために色々してくれたのです。

ご参考になれば幸いです。

追記:どうも前回記事とのツリーになってしまますね。治し方が分かりません。

2019-10-07

悔しい。

日曜日お仕事から帰宅後のお話

40代夫婦中学校2年生(都内私立男子校 中高一貫。本人が希望して入学したが、少し勉強についていくのに苦労している)の3人暮らし我が家

夕食の席で、中学校2年の息子が「学校のことで話をしたい」と言い始めた。

そして、家族会議をすることに。

議題は、彼の「学校でのこと」について。

俺に似て、ナードな息子は「運動部の奴らにイジられていて辛い」と話し始めた。

中学2年にしては、かなり小柄でちょっと太めの彼。

運動部に入っていたが、同年代の子に「辞めちゃえばいいのに」と繰り返し言われて辞めたという経験がある。

俺は運動部が憎い。

自分中学生の時も、サッカー部野球部の連中は我々のようなスクールカーストの低い人達を虐げていた。

偏見なのは100も承知だ)

坊主憎けりゃナントカだとは分かっていても、本当に気に入らない。

彼は、俺からみても、ややADD傾向。

本人の希望で、スクールカウンセラーにも相談に行っている。

カウンセリングの内容は当然だが、親も知らない。

息子は「話せる人がいるのはありがたい」と話している。

この年代で、親に話せないことがあるのは当然なので、援助希求能力を上げるためにもとても大事だと思っている。

ところで、我が家では、家族会議ときには、いつも俺が議事録をつくる。

Macメモをとりながら、Apple TV経由でリビングモニターに映しながら、問題を外在化しようと試みるのだ。

そこで、ある程度のフェイクを入れながら、下記に転記する。

___________________________________________________

参加メンバー:息子、妻(母親)、父(父親

*息子より問題提起

学校でのことを相談したい」

「授業中など勉強しているときに、運動部でイケている感じの奴らに後ろからちょっかいを出されたりする」

進学校からか、勉強運動もできるやつは威張っている。とくに背の小さいやつをイジってくる」

家庭科の授業中に後ろから糸くずを置かれた。遠くで笑われたりする」

ちょっと気分が悪い。それが辛い。」

「体育の時間にいろいろ言われるのが辛い。たとえば、「邪魔」「動けよ」「ちゃんとやれよ」「デブ」ということを言われて、大変だと思っている。」

「いろいろ試してみた。キチンと嫌だと言ったり、おちゃらけてみたり、ちょっとキレ気味にいったり。でも、どんな風にしても馬鹿にされる」

「次回の(スクールカウンセリングで(このことを)聞こうかな、と思っている。」

>妻「Sくん(彼の仲の良い友人。自分と同じようにイジられている立場だ、とのこと)も同じような感じ?」

息子「Sくんは、教室の後ろの方の席だから(息子ほどでは)ない」

>妻「特定のひとに言われるの?」

息子「5〜6人くらい。あとから、のっかってくる人もいる」

(他にも具体例はあったが省略)

>妻「私はSくんの親とも繋がりがある。Sくんの母親相談するのはナシ?」

息子「それはSくんに悪い。話していない可能性もあるし」

息子「(あるいは)Sくんもカウンセリングに言ったら、楽になるのではないかと思う」

>妻「いつ頃からなのか?」

息子「一学期の終わりくらいから」

>妻「他にも言われている人はいるのか」

息子「Kも、デブとか言われている」

息子「カウンセリングでは言おうと思っている」

>妻「カウンセリングでは言うのはいいと思う」

>妻「結局、(前の部活)もそういったことで辞めていることもある」

息子「そうだね」

>妻「(今の部活文化部)では問題ないの?」

息子「問題ない。おんなじカテゴリーの人が多いからだと思う」

>妻「介入するべきかどうかは迷っている。でも、介入が必要なようにも感じる」

>父「両親からみると現時点でもつらそう」

>父「『イジる』というのはプロ行為素人が真似していいものではない」

>父「一般的には、本人が不快に思った時点でハラスメント

>父「あなたは、我々の助けや介入が必要だと思っているのか」

ハラスメントについて、適当PDFを探し、参考資料として共有)

 https://www.pref.shizuoka.jp/kyouiku/kk-010/documents/harasumentobousi.pdf 

息子「うーん。今の時点では、よくわからない」

>妻「学校先生には言えない状況なの?」

息子「いえない」

>妻「では、カウンセラー先生に言ってみるのがベストか」

>妻「たとえば、こちらとしては保護者会の後に、先生お話しをしてもいいとも思っている」

>妻「でも、あなたが『言ってほしいかどうか』を大事にしたい」

>妻「自分としては、どうしようと思っているのか」

子「カウンセラー先生には相談をしていきたいと思う」

>父「気になったのは、助けてほしいかという質問に対して『よくわからない』という感じ。少し不思議。もう少し詳しく聞きたい」

息子(息子の現状への認識の話)

息子「自分オンラインで仲の良いゲーム友だちもいる。まだ頼れるところもあるし、大丈夫だと思う…という感じ」

息子「(息子が)イジられなくなると、他の誰かのところに行くのではないかと思っている。先生相談できない一番の理由もそれ」

息子「奴らは次の標的を探していると思う」

息子「自分の一番の目標は誰も傷つかないこと」

息子「一番自分と仲の良いSは友達もあまりいない。心の拠り所もなさそう」

息子「だったら、自分が(ある種の)タンク役として、受けられるといいのかとも思う」

>妻「息子は、イジりに対して、反応がいいのではないか

息子「反応は良いと思う。アイツラは楽しそうにしているし」

息子「実際、格好の餌だと思う」

息子「ただ、ひとりだけ本当に嫌で…〇〇って奴」

息子「あいつの弄りは本当に嫌だったから、その人からは本当に距離を置くようにしている。物理的に。ただ、それはそれで反応を面白がって近づいてくる」

>父「自分としては、息子である貴方大事

>父「そこまでの責任を感じる必要がないと思う」

>父「自分課題他人課題を切り分けるべきではないか?」

>父「次の標的を探している→だから自分犠牲になるべきだ、というのは、ある種の過大な自己評価ではないか

>父「彼らは単に反応のよい人に触れているだけ、とも思う。ボタンを押して、反応するのが楽しいような原始的感覚

息子「(モニターをみながら)文字だけ見返すと、確かに過大評価かもしれない」

息子「でも、家庭科の授業のときに、◆◆が小声で言っていたのは『いじめるんだったら、Sとか(息子の名字)とか…』と言っていた」

息子「遠くでこちらをみて、笑っていることがある。本当に、こっちをみているかどうかはわからないが…」

息子「Sについて、責任を感じる必要はないかもしれない。でも、万が一、あるいは数%でもそういう可能性があるのは『怖い』と思う」

<話し合い中、またはその後の息子の反応や言動

(話し合いの最中から涙を流し、一時中断した。15分程度、タイムアウト

(話し合った直後)

息子「学校のことで時間をとってくれてありがとう。少し楽になったよ。助かった」

(しばらく経った後に泣きながら)

息子「なんか、いろいろと思い出して辛くなった」

息子「学校で色々言われていると『自分は消えてなくなった方がいい』と思うこともある」

息子「家でも居場所がないように感じてしまう。自分がいない方がいいようにも感じる」

<話し合い後:今後の具体策>

担任先生には、息子が話したくなるまでは言わない

定期的に、家族へ現状の報告をする

日記不快出来事+そのときにどう思ったか記載する

場合によっては両親の判断で「タオル」を投げる(両親としては現時点でもタオルを投げたい)

カウンセリング先生との面談が3日後。そこで話してみる(こちらの会議内容のコピーを持参してみる)

毎日出来事カウンセリングでの反応をみながら、適宜、話し合いを持ちたい

→息子会議とは別枠で、話し合いを適宜実施していく


__________________________________________________

と、まあ、こんな感じになりました。

子供の抱える問題は、どこまで介入するか、とてもむずかしいなー。

悔しい。

遠くから悪口が聞こえたり、自分存在を消してしまいたいと思うなんて、ちょっと鬱だよね。

なぐりてえ。

ウチの大事な息子をそんな目に合わせた奴らのことを殴りてえ。

でも、殴ったらいけないことくらいは分かっている。

彼らにとっては本当に些細なことでも、居場所を失いそうなくらい、息子は気にしているんだ。

息子が嫌がることをしないでください。

本当にお願いします。

もっと早く気づいてあげられてたらなあ。

ごめんな、ごめんな。

ごめんな。

2019-10-05

anond:20191005222851

一学年280人いる中学校田舎じゃないと思う…

賢い姉と比べられて、どうあがいても親に褒めてもらえない話

今日ちょっと悲しいことがあったから聞いてほしい。

ちなみに昔のスペックは以下の通りです。

姉:小学校で学年1~3位。中学校では280人中10~30位くらい?地理などに強かったりいろいろと気がきくため、母はいつも頼りにしている。運動は苦手。

妹(私):姉の3歳下。小学校で学年1位。中学校では280人中1~7位。県のテストで400点満点をとったり、県で7位をとったりした。姉が頼りになりすぎて、母から頼りにされない。運動は得意。

まあ、田舎の小中学校なのでレベルたかがしれているが、それでもコンスタントに一桁台をたたきだすのはなかなか難しかったのではなかろうか…と思うのだが、姉が姉だったので、あまり評価されず。というか、90点のテストを持ち帰ると褒められるどころか「10点はなにを間違ったの?」と聞かれるような感じ。

以前、母が笑いながら教えてくれたのだが、私たち大人になってから押入れを整理してたら、70点台のテストが出てきたので「絶対に妹のテストだと思って名前をみたらお姉ちゃんだったからびっくりした」と言われた…。成績とか数字だけを見ると確実に私の方が成績がよかったのだが、母の中ではそういう認識ではなかったことがよくわかるエピソードである

高校は姉も私もおなじA高校に進学した。全国的に見ればレベルは高くないが、近隣では一番の進学校だった。

私が入学してしばらくしてから先生がなにかの拍子に「私さんはもうすこしで新入生代表になるところだったんだよ。…わかるね?」と言い、私は「ああ、入試の成績が2番だったんだなぁ」と思った。

もう何十年も前の話なんですけどね。

今日は母とお昼ご飯を作りながら、なにがきっかけか忘れたけれど、昔の成績の話になった。「姉と私とふたりともA高校に行ったのはすごかったよね」みたいな感じだった。

そこでふと思い出し、「私はA高校入試が2番だったんだよねー」と言ったら、母は「そう、1番じゃなかったんだよねぇ。中学先生に1番で入れるかも、って言われてたのにね」と言った。同じ流れで「すごかったね」と言ってくれるものだと思っていた私はショックを受けた。でもそうじゃなかった。母は褒めてはくれなかった。むしろ「残念だったね」とでも言うかのように「1番じゃなかった」と言った。もう、本当にがっかりした。とっさに「なんでそういうことをいうの!」と怒ったし、夜になって思い出して泣けてきた。

もう万事そんな感じ。

育児日記を真面目にこまめにつけていたら、母に「そんなもん細かく書くな」と言われた。育児ちゃんとしてたのに。数か月後に「お姉ちゃん子どもがいつ頃どんなことができたか、記録してあるんだって。すごいよね」と言われた。私の育児日記否定したのに、姉は褒めるんだな…同じことをしているのに。

同じことをしても、私がしてたら「余計なこと」で、姉がしたら「素晴らしいこと」になるらしい。

お姉ちゃんはさすが」という台詞はよく聞くが「妹はさすが」とは言われたことがない。少なくともここ10年は言われたことがない。

どんなに勉強をして成績がよくなっても、母の中では私はずっと姉よりも下なのだ勉強はすればするだけ成績があがってゲームみたいでおもしろかったが、今振り返ると、もし姉が姉じゃなかったら、私の自己肯定感もっと高かったのかな…と思ったりもする。

勉強の成績」ではなく「賢さ」でいったら、たぶん姉の方が確実に上だろう。そういう点で、母は私の方が下だと思っているのだとは思うが。でも、こと成績に関しては褒めてくれてもよくない?

夫に昔の成績の話をすると「勉強はできたのかもしれないけれど、賢くはないよね」と言われたことがあり、「ああー、賢くないのかぁ」と思ったりもしたが、4教科で400点満点ってすごくない?

私は就職氷河期の一番ひどかった世代で、就職に失敗している。夫は「昔の栄光にしがみつかなくても」というが、私にとっては中学時代が一番輝いていた。だから、母には「すごかった」と褒めてもらいたい。姉よりも褒めてもらいたい。でも、母はけっして私を褒めない。

今もいろいろがんばっているが、褒めてくれることはほぼない。もうこれからもないんだろうなぁ。寂しいなぁ。泣けてくるなぁ。

から、誰か、「すごい」って言ってください。

承認欲求なのかなぁ。そういうのを他人に求めるのではなく、自分自分価値を認めるようにしないと、自分自分の首をしめるのかな。でも母に対してだけなんだよね。褒めてもらいたいの。

2019-10-04

ハッピバースデー

私には胸を張って言える親友がいる。

彼は私と誕生日が1日違い。

同じ病院で生まれ、同じ幼稚園で育ち、

中学校からは別の学校に通ってきたが、未だに交流がある。

彼と私の母同士がママ友になったのが

キッカケになり、

私が産まれ1日目から友人が出来て21年。

今日は彼の誕生日を祝う日だ。

そして、明日は私の誕生日になる。

もうひとりの家族ケーキをあげようじゃないか

2019-10-02

天気の子陽菜って確実に陰キャラだよな

おそらく中学校を途中から通わなくなったにも関わらず友人らがいる気配もないし、もとからかなり陰キャラ寄りだったんちゃうん?

2019-09-30

anond:20190930224340

中学校社会科もひたすら暗記だし高校受験の為のものしかなかったが…

中高一貫から違うとか言うのか?それはそれで受験必要ない科目はスルーな所多そうだけど

未履修問題ってのもあったし

anond:20190930224159

中学校小学校社会科で何やったか忘れてしまって、高校時代のそれも受験勉強しか記憶にございませんみたいな人なのでは

本質的理解云々が求められる高レベル大学受験の話ばかりに目が言って、一番はじめに躓く人の多い義務教育段階が視野に入ってないタイプとか

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