はてなキーワード: 中学校とは
読み方は知らん
もう20年近く前の話。タクシーの配車センターでバイトをしてた。
俺は懐かしさもあってうっかり「やはた中学校の正門前ですね」と言ってしまった。
そしたらおっさんは「はちまん中学校前ね。やはたじゃないよ。はちまん」と言った。
他の会話で場所は俺の母校の「八幡中学校」で間違いなかったので、
おっさんの認識を改めさせる必要性も無いだろうし「失礼いたしました。はちまん中学校ですね」と返した。
それで電話は終わった。
本当にそれだけだったし、特別横柄な態度だったわけではないし、
場所の確認が取れてたんだから読み方くらい終始相手に会わせときゃよかった話なんだけど、
未だに数年おきに思い出してはイラッとする。
私は小学校入るぐらいにポケモンをやりはじめ、赤、青、ピカ、金、サファイア、エメラルド、ファイアレッド、ダイヤモンド、プラチナ、ハートゴールド、ソウルシルバー、ブラック、ホワイト、ブラック2、ホワイト2、X、アルファサファイアとポケモンを遷移してきました。
サンムーンを完全にスルーし、ソードシールドで帰ってきました。ゲームフリークがポケモンのリストラを発表したからです。
私が本格的に対戦に入ったのはサファイアからでした。当時は小学校高学年~中学生だったと思います。
私の小学校地区はPARが蔓延っていました。なにかの漫画雑誌に広告が出ていたと思います。一人が買って自慢すれば、当然買う人も出てきます。
私は買ってもらえなかったのですが、友達が買ったものを使わせていただき、確か当時の旅パーティを全員Lv100でステータスも999にしてもらったのを思い出します。過ちでした。
中学校に上がり、ポケモンをやっていた人と話をしている時に自然と対戦しようという流れになりました。
ここで私は改造されたポケモンを使い、対戦をしたのですが、いとも簡単に負けてしまったのです。対戦をしてくれた人は当時では珍しく3値を知り、相性補完や強戦術を知った人だったのです。
私は頭をガツンと殴られたような気分でした。なにせ間違いなく最強のポケモンを使って負けたわけですから。
そこからエメラルドを買って、様々な基礎をその人に教えてもらいながら、ポケモンにのめり込んでいきました。
ダイヤモンド・パールではDSでネット対戦出来ること、技がタイプで物理・特殊じゃなくなったことで対戦相手や戦術がグッと増え更にのめり込み、バトレボも当然書い、
ブラック・ホワイトはランダム対戦も完備しまさにポケモン熱の最高潮でした。
私の思い出のポケモンというのは「リザードン」「ゲンガー」「ギャラドス」です。3体とも赤の旅パからの付き合いで、ファイアレッドでリザードンに再会出来たときには「あ、ピースが揃ったな」と思いました。
この3体はちょうど3値を知りはじめた私の最初の育成ポケモンで何千体と卵から孵らせたのが中学生の時の思い出でもあります。
その3体は今、ポケモンバンクというサービスに眠っています。たかがデータですが、眠っているのです。
その中でもゲンガーを私はX・Yでも呼び起こし、卵を産ませてはまた眠らせました。なぜならそのゲンガーは理想のステータスを持ったゲンガーだからです。
数値を遺伝させる方法が多くなり、私のゲンガーは後続を生むために再び起用されたのです。
アルファサファイアでも、ゲンガーを呼び起こし、卵を産ませては眠らせています。
リザードンとギャラドスは思い出になってくれたのに、ゲンガーはいつまでたっても思い出になってくれないのです。
私の持ってるゲンガー、世代は違えど、すべてがすべてそのゲンガーの子なのです。
「いつこのゲンガーは思い出になってくれますか?」それが多分、今日の剣盾発売日だと思います。
ポケモンバンクと連動するという噂もありますが、断固やめていただきたい。
そもそも、過去のポケモンを連れてこれるという時点で対戦においてはスタートラインが新規顧客と旧来のファンで明確に変わってしまっている。
男子トイレで、床、それも小便器の横にトートバックを置き、そして小便器の手前側に張り出している部分に立て掛けている人がいた。
そして床や小便器側面の他人の小便飛沫を無償で拭き取り掃除。。。
使えない東大卒ってああいった人間として何か欠けた奴らのことなんだろうと思う。そして自分がそちら側ではないと思いたい。
ああいう常識や生活感覚がない東大生は本当にボンボンで小中高すべて国私立に通ったんだろうなあと。
高校はともかく公立小中学校でああいうレベルの発達持ってると間違いなくいじめられて不登校コースだから。
願わくは彼が理系でありますように。彼が研究者志望でありますように。あれは社会に出たら即死するタイプ。
子ども子育て支援法では、特定保育・教育施設として、認可保育所、地域型保育事業(小規模・家庭的・事業所内)、認定こども園、幼稚園(給付型)などがある。
運営事業者は、株式会社、社会福祉法人、NPO法人、個人(個人運営は、都市部だと、家庭的保育事業でもない限りないと思う)など様々だ。
また、運営している園の数もまちまちで、株式会社だから多くの園を運営しているというわけでもない。(割合としては多いけど)
子ども子育て支援法は、個人給付のため、園数が増えれば増えるほど収入が増える。
また、株式会社は人件費比率が低めな傾向があり、利益を上げる。
認可保育所ではこの利益を30%以上保持することは許されない。
(そもそも、そこまで余る設計にしていないし、余るなら職員の給与や施設充実などに充てろということ)
しかし、弾力運用という制度があり、自治体と協議することで、新設園の整備資金などに回すことが出来る。
(確か、地域型保育事業だと協議すらいらない。これが地域型保育事業の増えた理由ともいえる。)
その場合、多くの園を経営することで、規模のメリットを享受し、利益を上げ続けることが出来るという算段なのかもしれない。
そのため、現在、株式は有象無象の勢力がひしめき合って、新規開所を競っている。
【良いところ】
株式会社の園は、組織的経営をしていることが多く、園運営に対する費用対効果で効果の方が高ければ、費用徴収はするが、保護者へのサービスも結構してくれることがある。(例えばオムツの処理など)
そのため、保護者と園側のルールが明確で、延長保育料などの費用負担が明確なことが多い。
【悪いとこと】
・保育士不足になると一気に回らなくなる。
採算性の点から、各園の保育士の配置をギリギリにしている傾向がある。
保育所は子どもの大きさに合わせた狭い設備のなかで、大人が働いており人間関係によって、大量退職などが起きることがある。
そうなったときに、一時の赤字を被ってでも保育士を配置するということが出来ない法人が多い気がする。
たぶん、貯めた給付費を前述した新規園の整備費用に回していたり、事務費とか委託費とかいう名目で本部へ吸い上げているからだと思う。
拡大路線を取っている法人がほとんどのため、営業推進部隊はいるが、管理部門が脆弱だったり、前述の人材確保能力・資力がない本部のことがある。
特に子ども子育て支援新制度(H27)以降に、拡大しはじめた法人はその傾向がある気がする。
昭和時代から運営している事業者などは比較的、安定した経営基盤があり、また地元にも根ざした園が多い。
新しい法人も比較的しっかりしていることが多いが、余裕は無い場合がある。
東京近郊以外の法人(京阪神や九州・四国)、一部北関東の法人が都内近辺に進出しているイメージ。(社会福祉法人に限らないか。)
【良いところ】
・余裕のある考え方をしてる。
古くからある園では、運営が安定していることが多く、余裕を感じる。(特に単園または2~3園位を運営している法人)
【悪いところ】
・トップの考えが古かったり、組織として機能不全を起こしていることがある。(特に組織としてのコンプラ面)
福祉とはこういうものだという考えが強い園や、逆にビジネスライクを超えたルールへの厳格性を求めてしまうことがある。
その場合、雇われ園長や主任が問題であるならいいのだが、法人のトップや実務担当者がそういう考えだった場合に、修正することが難しい。(株式のように風評や採算などを超越することすらある)
複数の園を運営している場合、本部機能が脆弱なことがある。また、地方の法人は株式会社に比べてレスポンスが遅い気がする。
また、東京都近辺のニーズを把握しきれていないことがある。(例えば園のルール。株式だとそこは考慮してくる。)
ここで気を付けてほしいのは、株式だからダメ、社福だからダメということではないという点。
認可保育所と幼稚園が違うように、地域型保育や認定こども園も全く違うものであることを知ってほしい。
①幼稚園
一義的には教育施設のため、教育カリキュラムが充実しています。特に絵画や図工、音楽系は保育所などに比べると熟す回数の差だけの効果は期待できます。
一方でほとんどの幼稚園は私立のため、児童が付いていけなかったとしても、徹底的にフォローするということ点では認可保育所に譲る気がします。
これは先生のスキルというよりも、幼稚園はあくまで私立学校であり、出来なかったり、したくないのであれば、園に来なくてもいいですよというスタンスが見受けられるためです。
そのため、事前に保護者にも行事への協力や費用負担を求める園が、認可保育所に比べて多い傾向です。
なお、預かり保育を行っている園が多くありますが、夏休み期間中はやっていない園も多くあるので、働きながら幼稚園に通わたい場合は注意が必要です。
幼稚園と認可保育所のいいところどりのような位置づけですが、結構曲者です。
確かに教育をしつつ、保育も行うという高い理想があり、それを実践している園もあります。
気を付けなければいけないのは、認定こども園は昔は幼稚園だった園が多いということです。(認定こども園は民主党政権時代に高い理想と待機児童解消に生まれた制度です。)
①で書いた考えの法人が認定こども園になった場合、産休を取るときに、実質的な退園勧奨をしてトラブルになったりしています。
今は下の子が生まれて育休を取ったとしても、育休が終わったら復帰するんだから、上の子は育休中も継続して同じ園に通えるというのが現行制度です。
しかし、3歳児神話でもないのに、「一義的には子どもは親が見るべき」という考えのもと、トラブルになったりします。
…何考えているんだろうね、こういう法人。そんなことしても少子化が加速するだけで、最終的には園が運営できなくなるのに寄与するだけなのに。
(この考え、保育園の運営法人でも持っている人がいて、考えを変えるのは大変なことなんだなと思うことがあります。)
いわゆる保育園です。入所可能年齢が低く、預かる時間が長いこともあり、一義的には生活の場であり生活を覚え、人とのかかわりを経験していく場と考えられています。
そんなの当り前だろうという人がいるかもしれませんが、例えば育休明け1歳児で預けたとして、一日12時間くらいいたりするのです。
しかも、大人のように社会のルールや、人との会話・接し方、食事の仕方、靴の履き方…
(もちろん一日の食事のうち2回は家だからとか色々ありますが、働いている親が土日にしていることを毎日保育士がしているわけです。)
そのため、教育(幼稚園のところに書いた絵画や音楽とか)という点では、どうしても熟す回数に差があります。
近年はそこに力を入れる園も増えましたが、一日12時間いる中で、そういったことを行うには、子どもも慣れる時間や訓練が必要ですし、保育士側にも相当なスキルや経験が求められます。
ということは、登園前やお迎え後、土日の保護者にもそれなりの余裕やスキルが求められるという点に注意してください。
(幼稚園は保護者に対して、元々求めています。保育園だけでやれば幼稚園並みの経験、教育が出来るというわけではないということです。)
つらつらと書いてしまいましたが、要は保育所や幼稚園を申し込むときには口コミや友達の話だけでなく、ちゃんと見学に行くんだよ!ってことです。
私は公立の中学校に通っています。そこで男子が下ネタを言いまくっていることが本当に不快です。
1年生の頃は大したこと無かったのに2.3年生で下ネタを言う人がすごく増えました。
女子を性的な目で見ているんです。胸の大きさや身体の太さなどを見て順位をつけたり、女子のお尻をすれ違い際に触って遊んだりしています。
プールの授業では女子の方をガン見して楽しそうにお話してました。
さすがに痴漢には女子も何人か泣いてしまった子もいて指導が入りましたが、注意するだけで先生は何もしてくれません。先生に言おうにも本当に下品な内容なので女子も言いたくないんです。おそらく、大人の人が想像しているような内容を遥かに超えています。
「所詮中学生なんだから」では通用することではありません。個人的に警察に言ってもいいと思ってます。
体育着で座っている時の女子の腰を見て「今日のおかずにできる」とか堂々と話していたり、体育着は白いので下着の紐が透けるんですけどそれをガン見され話題にされるので、女子は暑くても大体の人がジャージを着ざるを得ないようになりました。
わざとぶつかって胸に当たりに行ったり、勃起したとわざわざ女子に伝えたり、本当に気持ち悪いです。
クラスLINEでは、性的な画像を送って面白がる人もいます。私にはよく分からなかったのですが、おそらく性的なおもちゃを持ってきた男子がいて、それにまた男子が群がり異常はしゃいでいたこともありました。
地区で決められた公立中学校なので学力の開きもあるし、バカが大半なんですけど、男子に恐怖さえ覚えます。実際、痴漢されて酷く傷ついた女の子もいます。
その子は何度も痴漢にあって授業が受けられなくなったこともありました。先生も性的な話題に触れたくないのか何もしてくれないし、私もどうすればいいのか分からず、こうしてほしいと具体的に言うことができませんでした。どうすれば嫌がらせする男子がいなくなるか分からないんです。性欲を学校にまで持ち込んで女子を巻き込むなんて理性がないんでしょうか。
性欲を無くせなんて言ってません、女子を巻き込まないでほしいんです。「胸をもませて」とか「オナニーの仕方教えてあげようか」とか本当に気色悪い。
どうすればいいと思いますか?
家柄や育った環境など、本人の能力とは関係なく人生が始まった時点で決まってしまうものは確かに存在するし、それらが学歴や年収と言った人生の成功のバロメータと相関があることもちろん理解している。
いわばRPGにおける初期ステータスや初期装備みたいなもんだ。
ただ、「成功者は運が良かっただけ」「環境に恵まれていただけ」とひとまとめに言われると、初期ステータスがボロクソな状況から自力で成功(だと思っている)を収めた私はイラっとしてしまう。
・実家は電車で東京から1時間半ほどかかる駅から徒歩20分の田舎
・その実家はバブル末期のアホみたいに金利が高い時期に頭金0で買ったせいでローン地獄
・父親は再就職するもギャンブルでの浪費と家のローンで家計は火の車のまま
・親の年収が無駄に高いせいで利子無し奨学金や学費免除は通らない(ただし家のローンと父親のギャンブルのせいで学費など出してもらえないという最悪のパターンの)ため、大学/大学院の学費と交通費は自分でバイトして稼ぐ
・学業でも研究でも成果を上げ、大学推薦で業界一位の大手企業に就職
・父親を反面教師にしギャンブルは一切やらず、リスクヘッジで副業を始め成果を上げる
・持ち家あり/既婚(こども1人)
こんなことを書くと本音や嫉妬で「そんなんで努力とか成功とか言ってんの?レベル低くね?w」と言う人はいるだろうし、
実際私の何倍も努力して何倍も富や名誉を得ている人もたくさんいると思う。
ただ、私は満足のいく成功を収めていて、それは運が良かったのではなく自分の努力の結果だと自負している。
もし「お前は運が良かっただけだ」というならば、どこに運要素があったのか是非教えてほしい。
もちろん「家に隕石が落ちなかった」とか「通り魔に刺されなかった」みたいな「極端な不運が起きなかったこと」を運が良かったと曲解するような言いがかりは無しだ。
私と同じような思いを抱いている人がいると信じているが、リアルでこんなこと言ったらただの痛い奴だから、ここで吐き出させてもらった。
仕事の関係で中学校に訪問することが多々あるのだが、近ごろの学校でよく見かける光景が職員室の前や廊下などで、若い男性教諭が女生徒数人に囲まれながら楽しそうに話し込んでいる光景だ。
まぁ別に問題がなければそれでいいのだが、若い女性教諭が男生徒数人に囲まれながら楽しそうに話し込んでいる光景は逆に見ないし、この話している内容も勉強のことならまだしも、近くを通りかかってみると「先生、付き合っている人いるんですか~?」とか、そんな内容ばかりだ。
何でも話しやすい先生もいいのだが、これでは先生というよりかは少し年の離れた友人ではないのだろうか?中学校の教諭なのだから、もう少しデレっとしないでビシっとしてほしい。
自分はあまり賢くない受験生だが、その自分ですら、民間試験といい、新テストといい、永田町の人たちは就職氷河期ならぬ進学氷河期でも起こそうとしているのか、と疑いたくなるほどの出来である。
自分は英検、GTEC、TEAPと受けたが、かなりレベルに差がある。どれがどれとは明言しないが、こんな簡単なのか、というものからセンター試験より難しいものもある。
そんな差がある中で、どうやって共通の成績を出せるのか。一応、CEFRというものがあるらしいが、能力が変わらない自分一人でも試験ごとにズレが生じた。
能力に差がある人が受ければ、自分の実力以上もしくは以下の成績になってしまうだろう。それを「公平」と呼べるわけがない。
そして、首都圏の人たちはまだいい。自分に合った試験もしくは簡単な試験を選択できる。だが、地方の人たちはどうだろうか。地方の人でも受けやすいように受験会場を近くに設置するとあるが、それはすべての団体が同じような場所に設置してくれるのだろうか?
A地方はGTECしか受けられません。とか、B地方はTEAPだけです、とかになればどう考えても地域格差が出るのは目に見えてる。そうでなくとも、首都圏の生徒のように日帰りで受験する事ができない生徒だってでてくるだろう。少なくとも、地域によって格差が生まれるのは明確だ。
折角、地方創生大臣なんて役職作ったのに地方を忌避させるような事をしてどうする。もはや呆れや怒りを通り越して滑稽としかいいようがない。
そして試験の中身もグローバルとは程遠いものが多い。特にスピーキングはガバガバである。
GTECは機械でスピーキングテストを行うが、各問に与えられる解答時間はかなり短い。何回か考えている間に解答時間を過ぎて解答出来なかった。だが、実際の会話で制限時間などあるだろうか?流石に何時間も黙るというのはダメだろうが、流石に十数秒話さないだけで話を聞かなくなる人などおるまい。重要なのは少し時間がかかってもいいから内容をちゃんと伝えられるかが重要であろう。コミュニケーションとはそういうものではないだろうか。
英検とTEAPは試験官とのテストであるが、当たり外れがひどい。英検は受けてから久しいので忘れてしまったが、TEAPは日本人のおばあちゃんだったが上手い下手の前に声が小さくて聞こえなかった。聞こえなければ会話なんてできるわけない。大きくと何回かお願いしてやっとだ。(というかそもそも、日本人同士で英語能力をテストするのに意味はあるのか。グローバルとは何なのか。)
リスニングはICプレイヤーでなくスピーカーである。スピーカーだと座席位置によって聞こえ方が違うし、だれかが咳をしようものなら、耳に入ってくるのは英語ではなく咳の音である。
これを避けるためにセンターではICプレイヤーを導入したが、民間試験が採用する気配はない。なぜわざわざ劣化させようとするのか。
極めつけは、グローバルな人材育成のための導入だと言っているくせに、英語しか選択肢が無いことだ。グローバル化とは、世界中の人たちとコミュニケーションをとる事ではないのか?
であるとしたら、何故、英語以外の外国語の試験が導入されていないのか?
お偉いさん方は、英語さえ話せれば世界中で会話が可能だと思っているのか。そんな訳ない。
英語以外は学習指導要領外だから採用するわけない、という人がいるかもしれないが、この試験に採用されている英検1級やIELTSはどう見ても、高校の指導要領外のレベルである。英語であれば要領外でも許されるかと言われればNOであろう。なおかつセンターでは外国語は選択できる。
私にはグローバル化云々と語る文部科学省のホームページが胡散臭いものに見えてしょうがない。
どんな商品であれ、実験であれ、試行と修正を繰り返して完成するのは自明だろう。試行を一回行っただけで、精度が完璧になる事は奇跡に近い。
だが、もうプレテストは行わないという。それでどうやって精度を向上させるつもりか。まあ、「1~2年は精度向上の期間」と言っているので、来年整った試験ができるのは望み薄だろう。
内容もこれまた酷い。解いてみたが、ほぼほぼ文章を抜粋しろというものだが、小学校と中学校とやってた「~に当てはまる部分を本文中からn字で抜き出しなさい」を思い出させてくれる出来であった。要するに、思考力などほぼいらない。そして、おそらく言っている事は同じでも、言い回しが特殊だという回答も出てくるだろう。それを対応できるかも問題だ。
おおよそ50万人が受験する試験を20日程度で採点しなくてはいけないので、学生バイトを採用するといっていたが、学生バイトに公平かつ適切な採点をしろというのは無理な話だ。
彼らは素人である。たとえ明確な採点基準があったとしても、それと全く同じ言い回しの解答とはいかないだろう。そういったときに彼らの採点は公平と言えないだろう。
また不正や贔屓も横行するのでは、という心配もある。自分の後輩に受かってほしいと思う先輩もいるし、受験する側も大学生にいい点が取れるように「お願い」するだろう。そうなると、もはや公平云々など言っていられない。
数学は単に数式を書き込むので、採点ミスというものは少ないだろうが、それならなぜセンターのままにしないのか甚だ疑問である。
そして大学入試とは本来、独立行政法人の仕事、すなわち利潤追求を目的としない事業ではないのか。何故、事業を請け負っているはずのベネッセに対策講座などという、あからさまに利潤追求を目的としたものがあるのか。
受験者も大学も得をしない、得をするのは一部の企業だけだ。そんなことは既に分かっている。様々なところから不満や怒りの声、中止を求める声が上がっている。(当然だろうが特に高校から)
どうして、この問題の当事者であるはずの学生の声を政府は聞いてくれない?教育は国の繁栄の最重要課題のひとつではないのか。
大学での教育が重要なのは、ご存じだろう。なのに、なぜさらに実力とは違う部分で門戸を狭めようとするのか。
ここまで長々と書いてきたが、詰まるところ、改善なき改革はやめていただきたい。もし、どうしてもというのなら、きちんとした整備された状態になってから、いつに実施するというのを決めてほしい。受験生は数か月で新しいものに対応できるほど万能ではない。中止すると混乱するなどとおっしゃるが、混乱するのは我々高校生ではない。学生をおざなりにしてきたあなた方だけだ。
最後に、
この日記を書いてて、懐かしい言葉を思い出した。子どもを保育園に入園させられなかったお母さんが放った、「保育園落ちた日本死ね!」という言葉だ。
自分たちの努力ではどうしようもできないほどの壁がある、しかもそれが国民の代表であるはずの行政によるものであると感じている今、あのお母さんの言葉が重く響く。
以前は保育。そして今度は教育。
だれからも「入試落ちた日本死ね!」という言葉が出てこない結末を迎えられる事、そしてこの日記がしがない高校生の戯言で終わる事を祈る。
ツイッターに流れてきたのがきっかけで、それまではタイピングが得意どころかパソコンはyoutube専用機と化していてキーボードも寿司打をやる前までは人差し指で打っていた。
自分は大学にも行ってないし、出た高校は工業高校でもちろん勉強ができなかった(別に工業高校にも頭がいいやつはいた)。なので今流行り(?)の教養なんてこれっぽっちも持ち合わせていない。日本史なんて勉強してなんになるの?と思っている人間の一人だった。
けど、寿司打をやってちょっとそういうことにも興味を持ち始めた(暗記などは相変わらず苦手なままだが)。寿司打をやっているとたびたび意味、読み方のわからない単語が出てくる。その中には有名なお菓子源氏パイもあった。さすがに商品自体は知っていたが恥ずかしながらずっと「げんしパイ」と読んでいた。そのセットのタイピングが終わった後、「そもそも源氏ってなんだよ」と思い「源氏」について調べてみた。するとなにやら昔のお偉いさんらしい。源氏物語というのも検索候補にでてきたので調べてみたら、日本最古の長編小説(!)と出てきた。こんな事実周りにいる人は知らないだろうと当時は本気で思っていたので、妻にそのことを自慢げに語ったら「いや小中学校でやったじゃん」と返された。え、まじ・・・?なにも覚えていない・・・。図書館においてあるだろうから読んでみたら?と本人は冗談のつもりで言ったらしいが、なんかくやしかったので人生ではじめて本を借りに行った。人生で本を借りたことなどなかったので正直とても緊張してしまった。
結果・・・とても面白かった。なにがどう面白かったのか語彙力がないなりに書きたいが、ツイッターに感想をツイートしたらここ間違っていますよと指摘されてしまって(とてもありがたいことだが)、それがこわいので今回は書かないことにする。なにより、自分がこんなに長い物語を読み切ったことが一番衝撃だった。読み終わった後は、同じコーナーにあるものを読み漁るようになり、妻に「なに?最近はやりの教養ってやつ?(笑)」と言われてしまった。正直教養の意味はよくわからなかったのだが、古いものを読むことなんだろうと勝手に自分の中で決めた。
高校でも古典なんてものはやったが、内容は何も覚えていない。こんな面白いものなら授業をまじめに受ければよかったと少し後悔もしている。皆さんもタイピングゲームをして源氏物語をよんでみてはいかがであろうか。
中学校で不登校になって高校からはチャレンジスクールっていう、簡単に言うと不登校専門学校みたいな場所に入学した。
生徒(特に女子)の多くは精神科に通院経験ありで、情緒不安定、空気読めない、何も喋らない、多動。つまりクラスに1、2人はいる「変な奴」の集まり。
不登校の理由は友達と喧嘩したとか勉強についていけないとか多種多様だけど単に無気力でサボり癖ある人が一番多かった気がする。
それで、3年通って感じたのは「不登校の原因は親にあるのでは?」ってこと。
極端に甘やかしたり無関心だったりとにかく家庭環境が悪い。そして大多数は片親。
しっかり育てる自信がないなら子供なんか産まないで下さい。
親のせいにするなとか言われるけど、親の教育が悪いとしか思えない。
箸やペンの持ち方がおかしい、風呂に入らない、勉強しない、平気で嘘をつく。
高校ではこんな人が沢山いた。
あれって実質的には学校にシャワールーム付けろって言ってる様なもんだよな
今話題の台東区もググったら一部公民館みたいなとこで、あとは大体小中学校を利用するみたいだし
公民館とかなら収容できる人数もせいぜい20人くらいが限度だろうから、コインシャワーでも良いと思う
でも学校の体育館や教室を利用するケースだと、収容する人数が下手すると数百人とかになる訳じゃん
どうせ脱衣所とかも作らないと行けないし男女でも分けないとダメだから、その辺まで考えるとコインシャワー並べるよりシャワールーム作った方が多分安上がり
問題はそういった設備を作るだけのスペースが、それぞれの学校の敷地にあるのか? ってこと
もちろんお金もかかる
そしてそういった設備を作ったとしても、大規模な災害でライフラインが寸断されたらシャワーの類は多分使えなくなる
果たしてそこまでして避難所にシャワーを付ける意味があるのか? も踏まえて議論する必要があると思う
個人的にはシャワールームをパーティションで区切ったりして、焼いた石とか使って簡易サウナにできる様に設計できないかなとか考えてる
嫌な夢を見たんだ、小学校の同級生と談笑する夢。やけに鮮明な夢だった。人生の嫌なところばかりが目に付いて、色々と立ち行かなくなっている自分には堪える夢だった。
今まで、チャンスを掴んだと思っても周りの環境のせいで泣く泣く手放したり、挫折してしまうことが多かった。周りの環境のせいにして自分の心を守っているだけのような気もするし、実際はそうだろうと思う。全部が中途半端で、今も立ち止まっている最中だ。
そんな時に夢を見た。処方されている眠剤を用法用量守って服用した夜、夢を見た。小学校では普通にいじめられていた。今思い返せば別に特筆すべきこともない緩いいじめだったが、当時の自分にはとても衝撃で。途中から不登校になった。一時は親友にも離れられたが、その後友人に恵まれた。その時の友人が夢に出てくるわけだ。
中学校生活の途中、自分は親の都合で引越しをした。その時に友人へ自分から連絡しなかった。これは今もとても後悔している。期間が開けば開くほど連絡はしにくくなりそのまま疎遠になった。そんな友人と談笑している。しかも友人も自分も成人しているはずなのに幼い姿で。そんな夢を見たんだ。
一日何も出来なかった。元から何か生産性のある人間ではないが本当に何も出来なかった。ただそれだけで、自分は何も変われないし、友人との関係性が今更戻ってくる訳でもない。
最後に。一度こういう場でこういう話をしてみたかっただけなんだ。戻るより、後悔するより今の自分が何が出来るかを考えたい、と思いながら今日も朝が来る。