「メンタリティ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: メンタリティとは

2023-06-16

anond:20230615183923

自分かわいそう」なメンタリティ持ってる人間結婚したがる者はおらんで。一番避けるべき物件自分問題社会や親のせいにしていいのは18歳までや。

2023-06-15

anond:20230615201832

男がなんの理由もなく好きになる描写特に違和感ない

人によっては目が合っただけであいつ俺に気があるってなるわけだし

その感覚ベースで女が主人公を好きになるやつ、あれは非モテおっさんメンタリティ同士で需要供給をしているのでやはり違和感はないし誰も傷つかず閉じた世界で素晴らしいと思う

誰かも分からない奴から好意気持ち悪いし怖いみたいな世界からの逃げ道は必要なんだ

あと、何か能力を身につければモテるという思考エクスキューズに使われるのも物悲しい

それは女でいうところのいわゆる穴モテであり、非モテ想像するモテはそこまでというモテとは何かを想像する際の材料不足の深刻さが見て取れる

2023-05-27

anond:20230526141354

秋葉路上にむき出しで裸おいとくメンタリティことならおれも同意だけど、

存在のもの否定されるとチーくんもっと怒りだすから注意な。

人を叱るとき人格を叱るのではなく行動を叱れっていうでしょ

2023-05-16

anond:20230514131437

こういう「長い物には巻かれろ」的な価値観の中で育てられたら、そりゃあジャニー喜多川にしゃぶられても掘られても告発できないようになるのも道理だ。櫻井翔もそうだろう。

「みんな我慢しているジャニーさん性的虐待洗礼を、チクっちゃいけません」

「みんな我慢しているのに、ひとりだけ抜け駆けして、恩義あるジャニーさんを裏切るのは評判が悪い行為です」ってわけだ。

進取の精神が皆無の中世ジャップ土人、心底キモチワルイ。小物感満載はお前らだよ。なさけない。みっともない。恥ずかしい。

おまえらメンタリティ北朝鮮の土民と同じだな。ちょっと文明人になれば?

anond:20230516125759

いやホントおっしゃる通り。そういう歪んだメンタリティを開放してるからある種の奴らにはウケたんでしょ

追記した】俺が「うっせぇわ」と「可愛くてごめん」を毛嫌いする理由と、そこから読み取れる現代若者劣等感

単刀直入に言おう、俺は「うっせぇわ」と「可愛くてごめん」が嫌いだ。

「可愛くてごめん」は最初気に入って何度か聞いていたが、しばらくしてからその歌詞から漂う人格だんだん嫌気がさしてきて、気づくと聞くのをやめていた。

その二曲の歌詞分析していこうと思う。

「うっせぇわ」について

初めて聞いた時、なんて痛々しい歌詞だと思った。この歌詞考えたやつ絶対黒歴史になるだろ。

高校生が考えた歌詞に違いない。と思ったが調べてみたらこ歌詞を書いた作曲家は25歳らしい。嘘だろ。じゃあ天才だ。

まずこの曲の歌詞の大意は、社会に出るまでに敷かれたレールに対する反抗というこれまでの音楽で幾度となく繰り返されたありきたりなテーマだ。

こういった思考中高生に多く見られるというのは同意してもらえると思う。

しかしこの歌詞には奇妙な点がいくつも見受けられる。

「うっせぇわ」における”大人”像

『ちっちゃな頃から優等生

気づいたら大人になっていた』

というフレーズを見てほしい。この時点でこの歌詞における主人公は”大人”になっている。

これはどういう意味大人か? 

俺の意見では、”社会のレールに乗ってしまった”という意味での”大人”だと思う。

精神成熟を示す”大人”では決してない。

精神的な成熟を示す”大人”という形容詞は”気づいたら”なっているものではないからだ。

さてここで作者の話に戻るが、作曲家は通常の社会のレールに乗ってなれるものではないので、この作者は仮想主人公を立てていると考えられる。

そう考えると歌詞の奇妙さが浮き彫りになってくる。

それは、この”大人”像があまりにもディティールが低いということだ。

・最新の流行は当然の把握

経済の動向も通勤時チェック

・純情な精神入社しワーク

社会人じゃ当然のルールです

・酒が空いたグラスあれば直に注ぎなさい

・皆みながつまみ易いように串外しなさい

会計や注文は先陣を切る

ステレオタイプ過ぎないか? 俺が最初高校生が考えた歌詞か? と感じたのはここが大きい。

俺の考えだと、この歌詞仮想主人公高校生くらいだ。というか社会に出た人間がこんなこと考えてたらヤバくないか? いくらなんでも幼稚すぎるだろ

俺の初めてこの曲の歌詞を聞いた時の感想は、

社会のレールに乗るくだらない社会人になりたくない、という中学生高校生の痛々しいメンタリティ表現した曲』

だった。

「うっせぇわ」から読み取れる肥大した自己承認欲求

現代は誰もが「何者」かになりたい時代だ、としばしば指摘される。「うっせぇわ」の歌詞は痛いほどその事実体現させていると思う。

一切合切凡庸な あなたじゃ分からいかもね』

という歌詞は、自分はほかの者たちとは違う、一切合切凡庸ではない「何者」であるという宣言に他ならない。

他にも、

・頭の出来が違うので問題はナシ

絶対絶対現代代弁者は私やろがい

・私が俗に言う天才です

自分特別だ、と思うことがどれだけ特別じゃないことかとかそういうことも気づいていない青臭い歌詞だ。

まりにも幼稚な自己承認欲求の発露だと言わざるを得ない。

「うっせぇわ」における”陰キャ復讐

はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ

あなたが思うより健康です

作曲者自身

自身お気に入り歌詞は「あなたが思うより健康です」というフレーズだという。syudouはまだネットシーンでのみ活動をしていた当時に、ネット音楽が「病んでいる」「暗い」というイメージで片づけられていたことに不満を持っていたといい、それに対してガツンと伝えたいという思いが上記歌詞に込められている”

と言っていたそうで、これはつまるところ”大人”に対する反抗というこの曲のテーマに加えてもう一つ、”陰キャ復讐”というものがあるということだ。暗い、根暗陰キャは実は強いんだぞ! というシンプルテーマだ。

「うっせぇわ」における”卑怯さ”

俺が最も気に食わないのは

『つっても私模範人間

殴ったりするのはノーセンキュー

という部分だ。

昔の有名なコピペを思い出す。

初カキコ…ども… 俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、 他に、いますかっていねーか、はは

今日クラスの会話 あの流行りの曲かっこいい とか あの 服ほしい とか ま、それが普通ですわな

かたや俺は電子砂漠死体を見て、呟くんすわ

it'a true wolrd.狂ってる?それ、誉め 言葉ね。

好きな音楽 eminem

尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー虐殺行為はNO)

なんつってる間に4時っすよ(笑) あ~あ、義務教育の辛いとこね、これ”

この最後のほうにある

尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)

という部分が「うっせぇわ」の歌詞めっちゃ似てる。すごい似てる。

結局、この曲の歌詞とこの曲に共感している人々は、自身社会のレールに乗ることを受け入れた”模範的人間”なんだ、という肯定的評価を(無理やり)することで、国家による法的な統治に安住している卑怯者に過ぎず、その自分が語る反抗もせいぜいSNSで(しか匿名で)文句を言うくらいしかする度胸しかない。

うわあ、まさしく陰キャって感じだ。

と俺は思ったわけだ。ああ、もちろん犯罪行為肯定しているわけではない。

「可愛くてごめん」から読み取れる凄まじい劣等感

この曲で最も頻発される「可愛くてごめん」という歌詞に関する俺の考察を述べておく。

まず想像してほしい、橋本環奈が「可愛くてごめん」と言ったとする。そんなことを言われてしまったら俺たちは何も返す言葉はない。「はい可愛いです」と答える以外の余地はない。

さてここで考えてみてほしい、

橋本環奈は「むかついちゃうでしょ? ざまあw」

と言うだろうか?

まあ俺の意見では、橋本環奈はそんなことを一ミリも思わないだろうし、言うわけがない。橋本環奈にとって自分可愛いことは息を吸うことと同じくらい当たり前のことだからだ。わざわざ自慢する必要がない。

そして本当に可愛い女の子は、自分のことを可愛いなんて言おうものならほかの女子から攻撃を受けるので、心のそこでそう思っていたとて口に出さなものだ。

まり本当の勝者は他者の僻みに迷惑をかけられることはあれど、そこから一転攻勢、「むかついちゃうでしょ? ざまあw」などとは絶対に言わない。ここに「可愛くてごめん」に秘められた興味深いメンタリティ表現されている。

この曲の歌詞の真のテーマも”陰キャ復讐”だ。

ここからは完全に俺の想像な。

この「可愛くてごめん」の主人公は、学校では地味な女の子で(確かPVでもそう表現されてたかな?)、周りの、いわゆる”一軍”女子に憧れ嫉妬し、ある種、僻みさえしている。

そして休日になると自分の好きな可愛い服を着て、メイクをして、”可愛く”なって街に出かける。そう――”一軍”女子と肩を並べるために。

主人公少女見えない敵と戦っているのだ。

可愛い自分嫉妬する誰かがいると思い込み(実際にいる可能性はもちろんある)、自分のことを僻む、顔の見えない誰かのことを意識し、自撮りSNSに載せて、自分可愛いことを証明することで、そうした誰かと一人孤独に戦っている。

その誰かとは実は、スクールカーストてっぺん位置する一軍の女子を僻み、コンプレックスを抱く自分なのだ

「可愛くてごめん」について考察してるとなんか可哀そうだなという感情がわいてきて、執筆当初にあった嫌いという感情が薄れてきた

俺もこんな風に匿名掲示板で嫌悪を吐き出すという陰キャムーブをしてるなと今思ったw ダブスタかもしれん

誰もが「何者」になりたい世界SNSの発展によってもたらされた。他人いくらでも比べることができる世界で、自分という唯一無二の存在が本当に唯一無二であるということを証明する必要がある。

俺もこんな記事を書いて「何者」になったつもりなんだろう。伸びるといいな。

追記

ありがたいことにたくさんのコメントを頂いた。

いくつか興味深い指摘があったのでその点をもう一度考察してみた。

「可愛くてごめん」と推し

この指摘は、「可愛くてごめん」の歌詞はほかの人からバカにされたりする自身趣味に対する偏見をはねのける少女精神性を表現したものだ、というものだ。

ではその観点からもう「可愛くてごめん」を考察してみよう。

そうした精神からこの曲の歌詞を振り返ると真っ先に浮かぶ疑問はこれだ

“なぜ自身趣味バカにされたり、見下されたりすることへの反抗が「自身可愛いこと」なのか?”

これはルッキズム少女価値観支配されていることを示していると言える。しばしば言われるように”可愛い正義”というやつだ。この価値観の元では”可愛い”者は強く、”可愛くない”者は弱いのだ。

「可愛くてごめん」の歌詞は、「うっせぇわ」の”あなたが思うより健康です”という歌詞精神性が完全に一致している。

からバカにされたり、根暗や変わっていると思われる蔑まれがちな趣味を持っている私(≒いわゆる陰キャ)の私でも可愛いぞ(≒強いぞ)! という主張だ。これは”陰キャ復讐”という文脈に回収できるのではないだろうか? 

そして、その精神性の内側には普段抑圧されているマイノリティコンプレックスがある。

そのコンプレックスが最も示されているのは、「可愛くてごめん」の歌詞すべてと言っていい。

「可愛くてごめん」と連呼することは、可愛くない自分を無理やり鼓舞するために必死に主張しているように見える。私は可愛いのだ! ということを全身全霊で認めようとしている。それは他者に向かっているように見えて、自分自身を納得させるために繰り返されている。

「可愛くてごめん」と何度も伝えることは、”可愛くない”自分をどうにか自身で騙し、”可愛いのだ”と自分で認めるために過ぎないと言える。

そうすることで「私は強いのだ!」と納得しようとしているように見える。


あと、「うっせぇわ」も「可愛くてごめん」も作詞者がそう考えている、と俺自身が思っているわけではないよ。正直ここまで若者に刺さる歌詞を詳細に書くことはマジですごいと思う。

実際こうやって俺が嫌いになっているという事実こそがこの曲の歌詞が素晴らしいものであるということの証左でもあるしね。

あと、「それを嫌うお前の中にそういう精神性がまだ少し残ってるからだろ」的な指摘があって笑ったwww

その通りだ

2023-05-11

まだ若いのに敗戦処理みたいなメンタリティになってしまったのなんでだろー

2023-05-10

anond:20230510141914

折角盗んだブツをわざわざ駅の構内に置いて立ち去るって行動をとってるメンタリティもわけわからんよなぁ。なんで自宅に持って帰らないの? って。

anond:20230509181908

コーヒー缶爆発と来たら業務用洗剤ちょろまかしによる爆発に決まっている

 

いや、何でだよ。そこ説明してくれよ。コーヒー缶と爆発と業務用洗剤と窃盗に関連性はねぇよ。

かに報道によると「コーヒー缶の中身は“強アルカリ性洗剤”で勤務先から液体持ち出した」と中国籍の49歳男性供述してるけど。

洗剤をコーヒー缶に入れて輸送するメンタリティわかんねぇよ。

2023-05-05

慰安婦、WBPCに通じる人権犯罪ビジネスBLM

これってヒューマンライツナウやColabo、ぱっぷす、BONDプロジェクトSpring安田菜津紀、全てに通じる。

影にネオコン民主党がいる

🇺🇸 🇯🇵Blah

@yousayblah

#BlackLivesMatter って結局何?スレッドです。

大坂なおみ嬢やワイドショー報道で、「黒人差別撤廃」を訴える運動かな?くらいに推測していると思います

今回、ろくでなしこさんの質問に答える形で、マスコミや支持者が教えない事実も含めて解説します。

🇺🇸 🇯🇵Blah

@yousayblah

·

2020年9月19日

1: 組織設立代表

BLMは2013年黒人への警察の横暴に抗議する3人の黒人女性人権活動家により結成。

彼女達は「我々はよく訓練されたマルクス主義者」と公言ベネズエラ独裁者マドゥロ氏や、国内極左テロリスト達との親交も。

カラーズ女史による「我マル」発言

https://twitter.com/yousayblah/status/1307065325855346689?s=20

2: BLMの意外な理念

BLM公式サイトより

「…シスジェンダー特権を解消しトランス地位向上。同志との学びと共感核家族から脱却、共同体による家族形成子育てヘテロ基準を捨てクィア肯定…」

「同志」は共産風呼びかけ。核家族否定マルクス主義の特徴。

https://twitter.com/yousayblah/status/1307065327889657857?s=20

3: BLMのゴール

警察組織廃止資本主義からの脱却、黒人達への賠償など、彼らの要求は多岐に渡ります。個々に見ていきましょう。

↓「国が我々の要求をのまないなら、システムを‘燃やし尽くして‘置き換える、わかるな?」と憤るNY支部長

https://twitter.com/yousayblah/status/1307065329999327232?s=20

#日本場合有識者海技など警察を乗っ取る方向です

また、ブラック校則などと言って学校の秩序を崩壊

なんでもパワハラにして子供努力させず堕落させる

🇺🇸 🇯🇵Blah

@yousayblah

2020年9月19日

3-b: 脱資本主義

共産主義の色が濃いBLMは、資本主義社会白人至上主義であるとして脱却を目指します。資本主義象徴であるNikeApple大企業から莫大な寄付を得ていますが、それは「富の再分配」として奨励されます

クリスマス商戦白人至上主義という主張

#日本では困難女性けが大儲けできるにしま

🇺🇸 🇯🇵Blah

@yousayblah

2020年9月19日

3-c: 核家族から社会共同体

77%以上の黒人赤ちゃんは未婚女性のもとに生まれます。「父親不在」は黒人社会へ対する大きな批判の一つですが、共産主義的な体制を目指すことで打ち消せるでしょう。個人による私的財産の所有を阻むこともできます

日本語の参考記事

https://twitter.com/yousayblah/status/1307065336206942209?s=20

#ある程度必要ですが、これは洗脳目的です。

🇯🇵Blah

@yousayblah

2020年9月19日

3-d: 黒人への賠償優遇政策

奴隷の子である黒人賠償せよ」論。試算によれば総額は12ドルにもなります。その一環としてBLMは黒人への土地住宅教育医療中絶費用などの無償提供黒人犯罪者保釈免除要求

↓ 各黒人家庭に80万ドル(約9千万円)

https://twitter.com/yousayblah/status/1307065339713388544?s=20

3-e: トランプ辞めろ

カラーズ女史がCNNに答えています。「我々のゴールはトランプを追い出すことです」…つまりこのBLMによる大規模な抗議活動は、アメリカ大統領選を見据えた政治運動だということです。

BLMが民主党への投票示唆する #WhatMatters2020 もその例です。

🇺🇸 🇯🇵Blah

@yousayblah

2020年9月19日

3-f: その他の要求

無数にある“BLM demands”の例として、ワシントンDCでは、刑務所増設反対、売春合法化学校内での警察配備禁止逮捕された暴徒達の無罪釈放、stop&frisk (警官不審者尋問武器所持の有無を触って確認)の撤廃などが叫ばれました。

#これ本当にやっています

#この場合売春合法化犯罪組織が儲けるので日本売春合法化と違います学校内の警察配備禁止ブラック校則です。

4: 影の支援者

GAFA含むあらゆる企業大口ドナーセレブエリート富裕層一般人もこぞって多額の寄付をしていますが、注目すべきはジョージ・ソロス中国共産党バックアップでしょう。

ソロス政治介入

https://twitter.com/mei98862477/status/1294433890354860032?s=20

↓ CCPの関与は最近明らかに

https://twitter.com/meguchan203/st

🇺🇸 🇯🇵Blah

@yousayblah

2020年9月19日

5: 寄付金の行方

莫大な寄付金、不明瞭な用途保守派のみならず左派から批判対象です。BLMのスポンサーはサウザン・カレンツというNGO役員にはスーザン・ローゼンバーグという極左テロリストが名を連ねます。仔細な会計報告が出されることはありません

🇺🇸 🇯🇵Blah

@yousayblah

2020年9月19日

6: 暴動メンタリティ

「BLMは平和的なプロテスト!一部の無関係な暴徒に乗っ取られただけ」などという言い訳擁護から聞こえます。これは真っ赤な嘘です。彼らは「黒人過去に略奪されたのだから、今後はこちらが仕返しするべき」と考え、略奪を正当化しています

7: プロテスターの心構え

ジョージ・フロイドの死後、大勢若者がBLMに共感プロテストに加わりました。当初は平和な行進をする者が大半でしたが、香港プロテスターやANTIFAに触発され、コロナ自粛鬱憤も手伝い、彼らはすぐに危険な暴徒へと変貌を遂げました。

🇺🇸 🇯🇵Blah

@yousayblah

2020年9月19日

8: 暴動がもたらした被害

暴動に巻き込まれ子ども達を含む多くの黒人が命を落としました。家屋が焼け店を失い路頭に迷う人達が続出しました。多くの人たちが昼夜問わず街を練り歩き、難癖を付けてくる集団を恐れるようになり、思想を語り合うことは自殺行為になりました。

9: 暴動の果てに、恐怖と喪失感の下で絶望する市民

保険会社の試算によれば、アメリカ全土における暴動の損害額は200億円にものぼるようです。個人商店家屋が受けた損失、心理的被害は修復できません。

#当然黒人被害者です。

10: 終わりに

トランプ大統領が繰り返し「これは極左との戦いだ」と言っていますが、その通りです。BLMの目的は「差別撤廃」ではありません。彼らの革命思想近代アメリカ左傾化進歩派リベラルの台頭、若年層の社会主義盲信、歴史黒人問題…これらの予備知識無くしてBLM議論は出来ないです

2023-05-03

anond:20230503045325

お前が書けよ、という話

まあそうやってネガティブ話題にばかり惹きつけられるのは

お前自身メンタリティの表れだから無理だろうがな

2023-05-01

映画BLUE GIANT感想

映画は終わったはずなのに、心の中にまだ音楽が鳴り響いていた。帰り道の高揚感はまるでライブ会場から帰るときのようで、音楽に包まれ世界で息をするような感覚からずっと抜け出せない。映画BLUE GIANT』は、感情を奏でる演奏で観客の心を掴む、最高の音楽ライブだった。

公式サイトhttps://bluegiant-movie.jp/

予告編YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=h1I116oS_Lk

今年の二月から上映している本作は、同名の漫画原作としたアニメーション映画だ。音楽人間物語を楽しみながら、ジャズ界の独自価値観や挑戦についても理解を深めることのできるものになっている。

主人公宮本大は「世界一のジャズプレイヤーになる」という大きな目標を抱え、故郷仙台を飛び出し、単身上京する。東京出会った凄腕のピアニスト・沢辺雪祈や、高校同級生素人ドラマー玉田俊二とジャズバンド「JASS(ジャス)」を結成し、それぞれが音楽に向き合いながら、壁にぶつかりつつ、夢の実現に向けてひたむきに取り組む一年半が描かれる。

原作の「東京編」を中心にエピソードを厳選し、上映時間の四分の一をライブシーンに充てるという大胆な構成採用されていたが、まずこれが見事な成果をもたらしていた。上原ひろみピアノ)、石若駿(ドラム)、馬場智章(サックス)の演奏はとにかく圧倒的で、音楽アニメーションコラボレーション最高峰と言える。また、その魅力を余すことなく味わうことができたのは映画館という環境存在が大きく、Netflix支配力が高まる現代において、専用施設役割可能性を示すことにもなっていた。

今回は、そんな傑作の魅力を紹介すると共に、宮本大の「ジャズを信じる」信念の問題点や、JASSの「So Blueに立つ」という目標物語性質に与えた影響について考えていきたい。

(以下、ネタバレを含みます。)

アニメーション技術を活かした音楽の魅力表現

映画BLUE GIANT』のテーマは「演奏者と音楽関係性」だ。宮本大、沢辺雪祈、玉田俊二は、それぞれ「演奏すること」について異なる意味見出している。その違いゆえに彼らの人生は巧妙に交わり、そして必然的に別れを迎える。

演奏である彼らが「音楽に向き合う」ということは「自分自身と向き合う」ことを意味しており、この作品において演奏技術を高めることは、自分自身真摯に向き合うことと同一に描かれる。自分自身対話を重ねて演奏力を磨き、ライブを繰り返しながら音楽との関係性を深めていく若者たちの姿が、本作の大きな見どころだ。

ライブシーンはどれも素晴らしかったが、中でも僕が心を奪われたのは「汗」に関する表現だった。演奏者たちの身体から吹き出る大量の汗や、そこからこぼれた大粒の一滴が、アニメーションならではの表現で美しく描かれる。それは、音楽空気振動させて生じる運動の結果であることや演奏者の存在再確認させるばかりでなく、自己探求の試みを象徴しているようにも思えた。落ちてきて弾け飛ぶ汗を見たとき、その背景にある身体的な研鑽精神的な苦悩に思いを馳せてしまうのは、物語音楽映像が見事に組み合わさって感情を揺さぶからだろう。

ライブシーンでもう一つ印象深かったのは「凄まじい演奏に目が釘付けになる」という描写だ。特に終盤の人々の目が幾重にも重なって演奏に引き込まれていく表現が印象的だったが、これらは音楽演奏聴覚だけでなく視覚も惹きつけるものであることを効果的に示している。実際に音楽ライブに行くと、音楽は「耳で聴くもの」というよりも「目で見るもの」「肌で感じるものであることを実感するが、この映画ではアニメーション技術アイデアによって同じ体験をもたらしていると言える。

また、脚本として素晴らしかったのは、この映画が「沢辺雪祈の物語」として完璧に仕上がっていたことだ。漫画版では交通事故によって最後ライブに参加できなかった雪祈だったが、映画版ではアンコールで大や玉田と共にSo Blue舞台に立つというシナリオ改変が施されている(最高だ!)。怪我を負った雪祈は片手で演奏することを余儀なくされるが、その姿が大が初めて雪祈のプレイを見たときに片手で演奏をしていたシーンと重なり、呼応することになる。手を抜いて片手で演奏していたプレイと、片手でしか演奏できない状況で全力を尽くすプレイの対比があることによって、映画版はより一層雪祈の精神的成長が強調されるものになっていた。

ジャズを信じる」大の信念の問題

本作はジャズライブ世界を美しく表現しているだけでなく、コミュニケーション人間関係のあり方についても、ジャズプレイヤーたちの世界文化を伝えるものになっている。素晴らしい取り組みである一方、その描き方にはついては大きな問題がある。それは、彼らの世界をただ単に肯定的に、あるいは美学さえ伴って、無批判に描いてしまっているという点だ。

ジャズバンドには「独立した個人たちが自分自身活躍や成長を目指して組まれる」という文化的な特徴がある。作中のセリフにあるように「ジャズロックバンドみたいに永遠に組むもんじゃない。互いに踏み台にして名を揚げていく」ということだ。そのため、良くも悪くもバラバラ状態肯定され、自助基調としたコミュニティ文化が成立している。

例えば、玉田俊二や沢辺雪祈はそれぞれ大きな課題に直面するが、大はその苦境に共感したり、手助けをしたりはしない。それどころか、雪祈が玉田を、玉田が雪祈を心配しても「自分自身問題から、おれたちに出来ることは何もない」と、その配慮無用ものとして切り捨てる態度を取っている。

しかし、自分自身問題であることと、周囲がその解決サポートすることは決して矛盾しないはずだ(でなければ、カウンセリングという仕事は成立しなくなってしまう)。むしろ人間が抱えるあらゆる問題は究極的には自分自身問題しかない。それでも人は、他者の悩みや状況を想像し、共に心を痛めることができる(=エンパシー)。そこに人間の素晴らしさがあり、そのような想像力に支えられることで、僕たちは日々の問題に対して継続的に立ち向かうことができているはずだ。

ところが、ジャズプレイヤーとしてあまりに完成されすぎている大のメンタリティは、そのような想像力を必要としない。自助を当然とする大の態度に、玉田は大きく動揺し、雪祈でさえ戸惑いを見せ、二人は困難に直面しても「助けてほしい」と言うことができない状態に追い込まれしまう。大は「ジャズを信じている」と口にするが、これはジャズという音楽の良さが理解されることだけでなく、「ジャズバンド的な人間関係コミュニケーション方法が通じる」と信じていることを意味しているのではないか。つまりジャズを信じる」大の信念が、JASSの「助けてほしい」とさえ言えない人間関係を強固にしているのだ。

「信じるだけ」の大は、いわば「仲間のために戦わないルフィ」だ。彼の言動からは、人の弱さを認めず、自分が出来ることはみんなも出来ると思い込んでいるマッチョワンマン社長のようなパワハラ気質が伺える。もしかするとそれは「お互いを追い込みながら、最高のソロを引き出し合う」というジャズ性質を、人間関係アプローチ転用したものなのかもしれない。だとしたらそれは、今日ではあまり受け容れられないスポ根的なスタイルが、文化系の皮を被ることで見過ごされているだけなのではないだろうか。

この映画では、周囲の人々に助けを求めず、自分自身を追い込んで課題を克服しようとする姿を肯定的に描いている。しかし僕は、それらをもう少し批判的に捉える視点があるべきだったと思う。あれほどまでに深く自己と向き合うことができるのであれば、そこで培った想像力を活かして他者の心に深く寄り添う可能性も求められるはずだ。自助圧力高まる世の中だからこそ、自分自身に向き合い、自分自身問題に取り組みながら、他者に対しても理解し、助けることができる人間関係を築く、そんなジャズプレイヤーたちの関わり方を提案して欲しかった。

権威に認められようとする挑戦」の物足りなさ

この作品にはもう一つ、物語性質に関わる問題がある。それは彼らの立てた目標、あるいは権威との関わり方の問題だ。

大、雪祈、玉田の三人は「JASSの目標」として、十代のうちに日本一ジャズクラブ・So Blueステージに立つという目標を掲げる。もちろん大きな目標であり、大胆かつ困難を伴うチャレンジではあるのだが、僕はこの目標によって彼らの物語が「質的に」小さいものへと制限されてしまったと思う。

ジャズマンにとってのSo Blueは、野球甲子園ラグビー花園に相当する憧れの舞台だ。ただ、その性質は大きく異なっている。甲子園花園は「勝ち上がる」ことで立てる舞台であるが、So Blueは「認められて」立つことができる場だ。つまり、そこに辿り着くためには権威を求めなければならない。このことから権威に認められなければ成功しない」という価値観が生まれるのだが、それが(若者たちの挑戦を描くにしては)物語を物足りない方向へ導いてしまっている。

JASSはSo Blue支配人・平にライブを観に来てもらうというチャンスを掴むが、雪祈のプレイ否定され、夢への道が閉ざされてしまう。このとき「縁がなかったということで」と断った平だったが、後に彼が自戒したことで雪祈へのオファーが生まれ、それがJASSのSo Blue出演へとつながっていく。雪祈のソロ克服という要因はあったものの、もしこの権力者凡庸人格の持ち主であったら、JASSはSo Blueに立つことはできなかっただろう。若者たちの挑戦に重きを置くには、権威的な存在が過剰である

また、中学生の頃からSo Blueに立つという目標を持っていた雪祈には、権威主義的な性格が定着してしまっている。自分評価していないギタリストと共演しても、相手一定プレゼンスを持っているとお世辞を言ったり、自分ソロについて大から指摘を受けたときは反発しつつ、平から叱責を受けると素直に聞き入れたりする。葛飾ジャズフェスティバルへの出演が決まった際には「フェスとなればジャズ業界人間もたくさん集まる。駄目バンド烙印を押されたら、もう一生どこにも呼ばれない」とまで言い切っており、妄想の中で権威肥大化し、視野が狭くなっている様子が伺える。これらは、挑戦する若者というキャラクターの魅力を損ねる要素だ。

若者たちの挑戦を描くのであれば「権威に認められようとする挑戦」よりも「権威を打倒しようとする挑戦」のように、もっと質的に大きなものを期待したいが、ジャズプレイヤーの挑戦である限り、権威に対する依存は避けられないのかもしれない。

それでも、映画演奏世界を美しく表現している―――問題をかき消す「音楽の力」

映画を通じてジャズという音楽の魅力は十分に伝わってきたが、僕は大がジャズを信じる姿に共感する気持ちにはなれなかった。映画BLUE GIANT』は、ジャズ美学を称えるはずの作品でありながら、同時にジャズ的なもの自助を前提とした人間関係コミュニケーション権威に認められることで成功するという価値観)が抱える課題も浮き彫りにしてしまっている。

それでもこの映画は、音楽の力とそれを支える視覚的な表現力で観る者を魅了してしまう。そこに問題があったとしても、圧倒的な恍惚によってどうでもよくなってしまう。それこそが、この映画の正体なのだろう。最高のクリエイターたちがもたらす感動が、自助強要する主人公や助けを求められない人間関係、挑戦の質による物足りなささえもかき消すことで、「音楽の力」を証明することに成功したのだ。物語パートで引っかかることがあったにも関わらず、あまりに強すぎるライブシーンが全てを帳消しにした結果、鑑賞後の僕の心にはただ音楽けが存在していた。大、雪祈、玉田たちにとって演奏することがそうであったように、まさに、最高の演奏によって数々の問題を乗り切った物語だったと思う。

anond:20160108202230

ハッキリ言って行列させる店が全て悪い

まずもって、店側が明確に行列ルールを設けないからこういうトラブルが生じる。だが、問題はそれだけではない。

そもそも行列とは、一種飲食契約の予約である。要するに、紙に書いてその辺で待たせても本来問題はない。紙なら「グループの1人が早く来て人数書いて仲間を待っていても全然問題ない」ことは明白だ。たとえば電話で予約を受けるときに「全員分お声いただけますかー」なんていう馬鹿飲食店はまずない。時間までにメンバーが揃えば店は何も困らない。

行列」は、そういった対応を店が面倒がって、客に無意味負担をかけて紙で済む順序を可視化し、何なら「店の人気を通行人に見せつけるアピール手段」にする卑劣行為だ。道路という公共財勝手に店の待合に使うだけに更にたちが悪い。なのに、客は真面目に並んで、何なら「長時間我慢したご褒美のように食事をいただく」という、まるで配給に並ぶ窮民のような卑屈なメンタリティーで店の非道に唯々諾々と従い、返す刀で客同士批判し合っている。控えめに言って阿呆では?

増田が長時間並ばされた理不尽、そして丼に髪の毛が入っていた理不尽を、店にぶつけることなく、客や巡り合わせに向けているのは、極めて残念だ。 店を批判しない自分の卑屈さが惨めにならないのか? 行列に入る人がいたらあなたは「店」にジャッジを求めればよかったし、丼に髪の毛が入っていたら「店」にそれを訴えるべきだった。それはめんどくさい人ではなく、客として当然の権利だった。 あなたは店に搾取されたのである。というか、不快感を持ち越している今も搾取され続けているのである。腹が立たないか

まあ、なんだ。二度と行列に並ばないというのは、それは見識だと思うよ。さっさと潰れろそんな店。

(念のため、「店にも都合が……」とか店側に立って色々言い訳いたことを述べる人もいると思うが、そう思う人は行けばいいしそう思わない人は行かなければいい、それだけの話である。そして前者を「随分卑屈だ」と思うのは私の単なる感想だ。それ以上でもなければ以下でもない。強いて言えば、私は増田の「もやもや」に、ある方向性を与えたかっただけである。)

2023-04-26

自分の子どもが欲しい人って、だいぶ初期からそういうもの?なんだろうか。

いや、なんていうのかな、子ども苦手なのはそうなんだけど、それ以上に「子どもほしい」と思ったことが全然なくて、そういう気持ちってどこでわいてくるものなんだろう?と思って…。

子どもが身近にいなかったからでは?みたいな話もあると思うんだけど、きょうだいはいる。

ただ発達障害(自閉スペクトラム)で、小学生くらいからはずっと邪魔しか思えず、こんなのが産まれてきたら死ぬしかないという恐怖には、たしかにつながっていると思う。とにかくコレが存在することが嫌だみたいな気持ちがあり、弟2号はぜっっっったいに要らない。

そのうえ自分自身にもASD傾向があって(診断は出てない)、自分みたいな子どもは死んで欲しいし自分死にたいので、自分血筋と全く関係ない子ども障害がなければ頑張れる可能性はほんの少しある。

でも自分で産むとそうはいかないし、こんなメンタリティでひとの家から引き取った子どもがまともに育つと思えず、子ども欲しいと感じる道が塞がってる感じなんだけど、他の人はなんかこんなことは考えてなくてただ欲しいって感じなんだよね。

そういう根源的な欲求って、ずっと子どもの頃からあるものなの?正直子供の時からまりそのような気持ちがないので、そういう人ってどういう経緯・きっかけで子どもが欲しいって思うようになったんだろうなと単純に興味がある。

2023-04-15

少しは日本人進化してるんだなって思った。

5.15テロときメディア(筆頭最右翼朝日新聞)にノセられて無抵抗の犬養を射殺した海軍

義士愛国心に応えよう!」と派手に助命嘆願運動して署名を集めて減刑させたんだけど、今回は山上助命を訴えるメディアなかったっぽいし。

勝手連でせいぜい100万ちょいの寄付が集まったくらいで終わってる。

かつては5.15や2.26のテロリストたちを賛美してるカスもも自分たちがなにをやってたのか思い知ったみたいで、そこは良かったかなと思います

抵抗できない犬養や是清、晋三を殺したクズを「よっしゃよっしゃ」と持ち上げてたゴミのようなメンタリティ、そろそろ引導を渡していいのでは。

2023-04-12

anond:20230411235422

自分好き嫌いが唯一にして最大の根拠なのに法律根拠を求めるのはなんなんだろうね。

子どもの頃のズルい奴を先生に言いつけるメンタリティから来てるのかな。

2023-04-08

anond:20230408195441

いや、そのメンタリティだと未婚は貫かないだろ

結婚するって決めるんだから

anond:20230408184510

女性マジで貯金しねーの多いぞ

ソースは嫁

どうせ30までには結婚するからって給与を使い切る勢いな層が多くて嫁も貯金0円だった

そのメンタリティのまま未婚貫いた層は大変だろうなって思ってる

2023-04-06

から私は公式


これはなんてことはない「オタク独り言」を試しに書こうとしているだけである

そこに高尚さも思慮深さも無い。そう言うものを求めてきた方はここで閲覧を終了して欲しい。

なんの話かと言うと、アイドルマスターの話だ。

結論から言えば、私はもうバンダイナムコの出すアイマス公式だけを喜んで飲み下すことをやめた、さらに言うならアイマス公式絶対的ものと考えなくなったという話である

そこに至るまでの思考感情の整理の書き捨てがこの記事だ。

私がアイマス出会ったのはミリオンスターズだった。

当時まだ10歳を超えて数年の人間にとって、彼女らは衝撃的に眩しく映った。

まだガラケーを使っていた時代に、よく分からずに触れたのがそのアイマスシリーズだったのだ。

当時は結局多少触れた程度で終わり、数年が経ってデレステリリースされた。

友人の勧めもあって試しに触ってみるとこれが存外面白く、何より、3次元少女というものに当時虐められていたトラウマがあった私は2次元少女ならその想起をしなくて済むことに驚きのめり込んだ。

少ない小遣いを考えて課金してみたり、イベントでどこまで行けるか試してみたり、上位勢の「大人」たちの崩壊加減を見て尊敬1割恐怖2割戸惑い7割の感情を抱いたりと、私の青春の隣には少なくともアイマスがあった。

やがて大学生になる前後のことである

Twitter総選挙話題を調べているときに、自らの担当アイドルデカデカと掲げながら負の感情を撒き散らしている一団を見てしまった。

別段何かしようとも思わなかったが、運営はもちろんのこと他のアイドル悪口まで大っぴらにして嘲っている姿に、彼らは何と戦い、何のためにアイドルマスターに触れているのかと疑問に思った。

私はその時点で公式との間に溝を感じてしまったのだろうと思う。

それは、彼らを見て感じた違和感というのが「ゲームユーザー」の愚痴を「プロデューサー」が言うというものに起因していた。

その時点で、言葉たらずではあるがもはやアイマスゲームとして消費するメンタリティは私の中に存在していなかったのだ。

私は幼い頃から、モノの設定を考えたり物語を紡ぐことが好きな人間だった。

私の視点から見れば、アイドルマスター公式ゲームあくまひとつの窓のようなものに過ぎず、私の窓やその他のたくさんの窓からたくさんの並行世界を覗けること、それが許される土壌があることこそがアイドルマスターというブランドコンテンツの魅力だった。

そういった中で、ひとつの窓でしか無い総選挙固執し、あまつさえ他のアイドルプロデューサーを貶すまでに凝視するのは気味が悪かった。

私にとってアイドルマスター公式は最も大きな窓であるにすぎず、もちろん声がつくだとか様々な特典はあるにせよこだわるものと思えなかった。

先んじて述べた想像創造への好奇心、そしてその原動力となる小説をはじめとする活字媒体との触れ合いは私の中で彼女らの声を勝手に合成して再生していたし、やり取りを目を瞑れば感じいることもできた。

彼らは皆で共有したいという思いなのだろうか。しかしそうであればあんなことは言わないだろう。私は声をつけたい、声が欲しいという意味がわからなかった。

声がつけば露出が増えると言われても、その露出公式での露出という意味であって、つかなくても「プロデューサー」が物語を作っていけばいいのでは無いか?

ソロ曲がもらえると言われても、まあ確かにこれは聞けたら嬉しいものではあるのでなんとも言えない。熱狂する意味がわかるのはこの理由だが、もらえるのもかなり遅れるという印象がある。

彼女らの声が聞きたいという意見もっとからなかった。先にもいったが、聴こえていたわけだから

さて、これがマイノリティであることはしっかりと認識できていたので、この一般とのズレに蝕まれていくのにそう時間は掛からなかった。

そんな折に、今回のような話が出た時期があった。

公式営利企業であって、アイドルマスターというコンテンツは近い将来たたむ可能性もある。

その時に一緒に自分までアイドルマスターを捨てるような真似をする気はなかった。

公式一次創作者として尊重はすれど、その創作が発表された時点で観測される世界は爆発的に増え発散する。

何が言いたいかマルチバースというか、並行世界がその時点で無数にできるということを言っているわけだ。

私が観測するアイドルマスターは私にとってのアイドルマスターで、それは誰かに邪魔されるものでは無い。

そして、その中で公式の受け入れ難い幾つかの変更や終了或いは新規開発を見た。

から私は、私の中のアイドルマスターを尊ぶことに決めたのだ。

営利企業から営利だけを求めるという決断一見正しいが、その姿勢を貫きステークホルダーユーザー無視すれば営利より得難い「信用」はなくなる。

私の中でバンダイナムコという企業への信用はもはやつゆほども残っておらず、そしてそれを相手に伝え改善してもらおうと考えるほど彼らに熱心ではなかった。

なんかここまで書いて思ったのは、自分読み手も煙に巻こうとするような書き方をするとまあ某アイドルっぽくなるし私が彼女担当に見えるのではという不安である

安心して欲しい。確かに可愛いとは思うが担当では無い。そもそも可愛く無い子がいるか?いねえよなあ?うん。

クソ眠い中で数年自分の中で渦巻いていた感情をなんとか言葉にしようとしたのでまるで分かりにくいのは自分でも理解している。

結局何が言いたいかというと、公式が全てでは無いということだ。

公式が紡ぐのを手放したなら自分が紡げばいい。どんな形であれ。

形骸化した公式を追うことほど心を蝕むことはない。

さらにこれを一般化すれば、「こちらを裏切ると分かっている人を信じてついていくほど我々は暇でも優しくもないのだ」ということなである

これは最近の流れになんとなしの不安があるタイムラインを見て、そういってみたくなった戯言である

2023-04-03

anond:20230403160439

「よふかしのうた」はラジオテーマソングではなくてそのまま同名アニメEDだし、

深夜アニメ好きと深夜ラジオ好きって別にメンタリティとしてそんな離れてないだろ

と思ったけどごめん、これ曲が先にあって後からアニメEDになったんだな知らんかった。

じゃあやっぱラジオテーマソングではあるんだな。お前があってたわスマン。

2023-03-28

anond:20230326141628

今まで元増田場の空気がめちゃくちゃにならないようにアレコレ気をまわして議論議論たるようにしてきてたんだろうなぁ。

ただ、こういう「最悪な状況にならないように、少しでも有意義になるように」って心遣いって、まーーーーーじでホントこれっぽっちも褒められもせず、何だったら気がつかれすらしないことばっかだよな。

なぜかというと最悪な状況にならない努力というのは非常に見えづらいから。

観測されていない事象」に心を向けられる人間は少ないんだよ。

そして、最悪の事態を想定、想像できてないからこそその同僚は不機嫌をいつも表出させてて、多分直す必要性も感じていない。

こういう手合いは非常に好ましくない状況になったとしても「別に俺悪くないし」と思っていられるメンタリティでしょ。

そういう時にまた元増田みたいな人がどうにかしてくれるし、おおかた最悪は回避される。

ただ、議論なるたけ有意義にしたいと腐心してる側の人間にはそういうくそみてえな鈍感と甘えの構造理解できても、同僚みたいな戦略は取れない気持ちも、現在感じているであろう「人間を落としてる」と感じる気持ちもものすごく分かる。

不機嫌になると黙る人間にまだまだ寛容なとこあるよね。他の国はどうか知らないから何と比べてる訳じゃないんだけどさ。

議論に強くなりたい(決して口喧嘩で勝つ話ではない)なら、最低「キレない」「泣かない」「黙りこくらない」くらいは一般的に周知されて欲しいね

とにかく損な役回りだよ…

上司みたいな風見鶏がいると余計萎えるのもめちゃくちゃ分かる。

不機嫌になって黙りこくるやつらを一堂に会してデスゲームして欲しい。

みんな自分不快感言語化できずに黙りこくって死んでいくのかね

2023-03-24

ネトウヨが「衰退ポルノ」という言葉流行らせようとしている

衰退しているのは数々のデータから事実である

日本が衰退している現実直視したくない一定の層が、そういった話題揶揄して封じようとしている動きに見える。

いつまでも日本栄光ある先進国であると思いたい彼らの耳には、こういった事実は痛くてたまらない。

都合の悪い事実を指摘されると激怒し認めないのがこういった層の基本メンタリティである

まともな精神構造をしていれば、日本を30年もの長期衰退に導いた自民党を支持し続けられるはずがない。

2023-03-23

理解ができない

誰が見てもDQN丸出しなスーパーパワハラクズ上司奥さん自殺未遂させ2度目の離婚をした

上司自体人間には理解できないチンパンジーなのはともかく、それ以上に元奥さん理解できない

というのも、こんなゴミ男と結婚できるのは同程度のDQN女か危機を察知できないアスペ女かどちらかなのだと思うが、そういったメンタリティの女は自殺未遂なんかしないと思うんだよね

結婚相談所で知り合ってという経緯らしいが、どういう思考回路をしていたらこんな男と付き合って弱るんだろう。殴り合うなら全然わかるが。

生活保護をもらうための偽装自殺未遂か?それなら計算高い(見え見えの浅知恵だが…)クズ女ということでわかる


それにしても底辺層の男女のすごいところは、この上司が3度目の結婚をしたところ

どういう感性をしてればこの男と結婚する気になるのか普通人間には欠片も理解ができない

2023-03-15

10代のころ、なんであんなに彼女が欲しかったんだろう

とにかく欲しかった。誰かが好きになるというかは誰かを彼女にしたかった。

ただ積極的ではないので、空から美少女が降ってくれればいいみたいな夢想をしていた。

あと、積極的モテるようなファッションをするというのは負けとおもっていたのでそんなモテたい素振りをしないようにしていた。今思えばどうしてそれをしなかったんだと思うが…

高校生の頃、彼女ができる夢を見た。特定の誰かではなく、架空人物、その時僕はついに「ついに僕にもできたぁぁ!!」という気持ちで、今でもその高揚感を覚えている。そして目が覚めた時にそれが夢だと分かったときの落胆ぶりも覚えている。

好きな人と付き合いたいではなく、誰かと付き合いたいだった。

90年代は、何かと恋愛文化重要視されていて、ドラマ恋愛ものほとんどだったし、やらずに二十歳を超えることを「ヤラハタ」と言われて童貞は恥ずべきものというのが男どもの共通認識であった。

今ほど多様性が許されてはいなかった。

彼女ができるというのは、その社会での一つ上のステップにいけるという気持ちだったのかもしれない。

いわゆるトロフィーってやつ。

19のときに初彼女ができた。しかし1か月で別れた。それでもなお僕は「彼女いたことがある人間だぜ。20歳前にできたんだぜ」という気持ちになった。

大学合格したときみたいな気持ちだった。

完全にトロフィーだよね。何を勉強するかではなく偏差値大学を決めている人間と同じだったわけだ。

彼女と別れた後も、付き合っている状態じゃないとダメだという気持ちになった、フラフラし始めてしまったが、

その後いろいろあって大人になって、大学時代にできた彼女と(前述の人の次に付き合った人)そのまま卒業と同時に結婚した。

ステータス世間体じゃなく人として見るということを教えてもらったんだね。なお妻は大学生ではなく、自分の周りとは違った価値観を教えてくれた。年もだいぶ違ったし。

19歳の頃初彼女ができなかったり、今の妻に出会えなかったりして、あの頃のトロフィーを求める気持ちをもったまま今の年齢になっていたらどんな人間になっていたんだろうと思うことがある。

ある時から諦観していたと思う。僕を選ばない側が悪いと思っただろう。それには根拠があって、こじれていた16くらいの頃はでも、チャラい男を選ぶ女が目がないという気持ちになっていたからね。

勉強ができる僕のような人がいいだろうとも思っていた。

その気持ちはおそらくずっと増幅されることになっただろう。

あと、当時のスクールカースト上位の男子たちを疎ましくも思いつつも、どこかあこがれているところがあった。

僕は本当はおしゃれしたいけれど、気恥ずかしさがあってできない。それをやすやすと越えている連中はすごいという気持ちもあったが、鬱屈しているメンタリティは素直になれない。

当時の僕は連中がなんでモテるのかの分析もできていなかった。

強そうだからモテるとか、イケメンからもてるとか、はやりのファッションをきているからだとか、体育会系からとか、表面的な分析しかならないわけだ。

から、連中のことを嫌だと思いつつ、自分にないものを持っていて社会に認められているとも思っている。つまり強さとか男らしさというモノの価値を逆説的に認めちゃっている状態だった。

このまま僕があのまま年を取っていたら、男らしさというモノへの羨望と恨みで鬱屈した感情を持つかもしれない。

「僕は男らしさを持てなかった。男らしさは低俗ものだ。粗暴だ。だからあえて持たなかったともいえる。でもそれでは女からは見向きもされない。女どもは男らしさを無くせというが、その結果が俺みたいなもんなんだぞ」と思っていそうだ。

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