はてなキーワード: ケアとは
増田さま
この度は、「1-Day小説大賞」についてお問い合わせいただき、誠にありがとうございます。
また、「1-Day小説大賞」の受賞作品の発表が遅れており、大変申し訳ございません。
今後ともアキュビュー(R)製品をご愛顧いただければ幸いでございます。
ご不明な点やお気付きの点等ございましたら、どうぞお気軽にお問い合わせください。
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ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社 ビジョンケア カンパニー
(C)Johnson & Johnson K.K. Vision Care Company 2017
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…と。
完全に憶測だけど、たぶんあと10年くらいでこの考え方ができなくなると思う。
うつ病の人の数が増えすぎてこれ以上切り捨てていくと社会が回らなくなってしまう段階になる。
学者から国会や政府に警告がなされ、政府やマスコミが主導してうつ病浸透キャンペーンを打つ。
一億総うつ社会というキーワードが頻繁にニュースで取り上げられるようになり、政府は各企業に対しメンタルケアの拡充を促すようになる。
うつ病を切り捨てる考え方は前時代的なものだという意見で世論を誘導され、管理職の中年男性は若い女性から時代遅れと影で罵られることを恐れるようになる。
うつ病は成人ならば誰でもかかる病気として社会に浸透し、学生は将来のためにうつ病保険に入ることを勧められるようになる。
オチはありません。
老人介護などのケアサービスは洗濯や掃除といった労働とくらべて自動化が難しく、人間が労働せざるを得ないという問題がある。
しかし、各家庭に労働者(家族含む)が赴いてケアサービスを施すのはたいへんコストが高く効率も悪い。
そこで、老人ホームなどの集約型ケアサービスがあるわけだが、これをもう少し大規模にして都市化したらどうか。
公営の都市では衣食住とケアサービス、医療サービスを集約的に提供し、規模の経済による効率化によってコストを圧縮する。
その都市への居住権を割合安価に設定し、国は年金支給に相当する金銭を回収する。
都市サービスでの労働者は若者でも良いし、体力のある市民の老人でも良い。
何もかもをコントロールする政策では上手くいかない可能性もあり、企業の参入を妨げたり入札制にするのもデメリットがあるので、
ただ単に公共集合住宅を大量に用意して、老人の入居とケアサービスの運営を優遇するだけでも上に挙げた状態に近づくかもしれない。
老人の居住選択の自由を奪うという批判はありそうだが、安価にサービスが受けられるという効用を求めて自由意志でやってくるという建前にしておく。
困窮する老人も出てくるなか、個人あるいは単世帯として生活するのはしんどいので、同世代のコミュニティを半人工的に形成して効率よく生活してもらうのも良いのではないだろうか。
Aちゃんは定刻通り迎えに来てくれました。
いい人だなーって思ってたけど、これがキモなんだな、きっと。
向かう道中、美顔器を買うつもりはない、体調崩して仕事を休んでいる状態で当分仕事はセーブするし収入はダウンする、主人は買いたければ自分のお給料で買うように言われたから効果な買い物は無理、ローンは嫌だ、でも化粧品は使いたい、とやんわり伝えた。
Aちゃんは「それでもいいよ。でも私に気を遣わないでね、無理しないでね」、と。
そして前回と同じラウンジへ。
前回とても気になっていた超美肌のスタッフさんとお話して、お肌を触らせてもらった。
吸い付くような美肌で、思わず「私もここの化粧品を使って(他社の美顔器使って←心の声)こんなお肌になりたいです♡」って言っちゃったよ。
ほんとうっとりするような美肌だった。
でもきっと何か裏があるはず。
それこそ他社美顔器を使ってるとか、もともと美肌の持ち主なのか、ストイックに肌をケアしているのか…
そう思った理由は、ここのスタッフさんたちの肌は年相応か、年齢よりも少し肌がきれいかなって感じ。
びっくりするほど美肌の人は、さっきの人だけだった。
だから、あんなに自信満々で売っちゃっていいのかしら、と余計な心配。
と、それはさておき。
今回はお肌の勉強だった。
もし私の推測通り派閥やグループがあるとしたら、きっと私の担当スタッフさんが所属するところのナンバーワンかナンバーツーと思われる人が説明してくれた。
知らないことばかりで、とても勉強になった。
ただ…すっごく鼻についたのがAちゃんの言動。
「へー、知らなかった!びっくりだよね」とオーバーアクションで私に同意を求め、「うわー、勉強になるわー」と無知を装う。
いやいや、きっと今までいろんな友人をここへ連れて来たよね?
その度にこの話を一緒に聞いてるよね?
ずっと覚えられないの?
でも態度に出すのは大人げないので、盛り上がりに乗っかっておいた。
そして、お手入れ。
同じお手入れをされ、メイクされ、終了。
その時にAちゃんが「大好きな友達だから言うんだけど、買うなら早い方がいいよ。一緒に幸せになりたいの!」と。
もうね、アスカが乗り移るかと思ったよ。
そこは迷う素ぶりを見せておいた。
ローンの金利見て卒倒しそうになったわ。
何これ?車ローン組んでもそんな金利にならないよ。
私がお金がないと言ったら勧められた長期ローン、金利26%って…
じっと見つめていたらAちゃんが「数字ばっかり並ぶとわかんないよね、でもおトクだから!」って。
そこで、やはり私には高価だということと、化粧品は使いたい旨を伝えて、終了。
帰りにAちゃんが、次回は帰りにランチしようね、いっぱい話そうよ!って。
あぁ、必死…
悲しくなるわ。
ADHD診断済の者です。
ここ最近、借金玉氏のブログ(http://syakkin-dama.hatenablog.com/)が立ち上がったり、そこでの記事が話題を呼ぶのを見て、にわかにはてな界隈でも発達障害に関する話題が盛り上がっているのかなと思っていた所、
http://anond.hatelabo.jp/20170206102543
↑こちらの中学受験の話と、それに付いていたブクマコメントが、あまりにも「そうッ!」という思いだったため、少し乗り遅れた感ありますが思わずキーを叩いてしまっています。
そのコメントとは、id:Outfielder 氏の
知能に遅れのない高機能発達障児は、中学で内申が出ないから高校受験で詰んでしまい人生終了がほぼ確定してしまうから少々無理してでも中学受験すべき、という体験談は聞いたことある
というもので、まさに自分がそれだった、その通りや…と瞠目してしまいました。
自分がそれ、と言っても結局中学は公立に進んだのですが、幸いなことに人生終了は(おそらく)しておらず、今は自分にとっては環境面・経済面でも充分有難い場所で働かせてもらっています。
でもそれはたまたま、運が良かっただけという気がしていて、振り返るとこれまでの人生の中で、ADHDのせいとは一概には言えないけれど、幾つかの「挫折ポイント」があったので、もしこれからの進路にお悩みの発達障害傾向のあるお子さんを持つ方などが居たら、参考になればと思いつつ振り返ってみます。
(多分あんまり参考にはならないですし、それよりも自分が整理して書き出してみたいというADHD的衝動によるものが本心です)
子供の時から、自分は周りとは違う人間だ、という自覚は多少なりともありましたが、それは割とポジティブに捉えていました。運動は苦手だけど、勉強はわりといいところ、そして休み時間や家ではマンガを書くこと、それを披露することでクラスで固有のポジションを得ていた覚えがあります。
(絵師の皆さんなどもどこかで記憶のあるような体験なのではないでしょうか)
問題のポイントが、中学受験。親の方針もあり、自分もなんとなく説得され特に断る理由もなかったので(通学が遠くなるのはめんどくさいなあくらい)小4くらいから中学受験に向けた塾通いをするようになります。
しかし、それがだんだんキツくなり、小6のいつ頃だったか、日曜も朝から夕方まで模擬試験、しかも提携してる友達も居ない知らない塾まで通っての体制になり、多分その環境に自分のストレス耐性がピークに達してしまった気がします。
と同時に、なぜ今の小学校の友達と離れてまで、遠い中学に通わなきゃいけないのか、さっぱり意味がわからないと涙ながらの突然の抵抗。自分が覚えている限りの自我の芽生えその1です。
結局、これ以上は無理と親も理解したらしく、中学受験は断念、塾も同じ塾内の進学コースから普通コースに移動しました。この時の迎えてくれた友達の安心感たるや今でも思い出します。
この公立中学が地域圏内では割と悪評の高い、まあいわゆる「荒れてる」と言われるような学校だったようなのですが、幸いなことに僕が入学する直前辺りから目立って悪い行いは無くなっていったようで、中学の3年間は気の合う(ヲタクな)友達も狭い付き合いながらも出来、全体的には、例えばいじめに遭うなどという特段嫌な思い出もなく平和に過ごせました…
が、
心境的には、中学2年辺りから周囲との違和感を強く感じ始めていました。
まぁこれは、誰にでもある思春期の訪れだとも思うのですが、良くないことに同時期に、インターネットに桃源郷を見出してしまいました。
テレホタイムは親のPCでこそこそチャットや掲示板に入り浸り…(なんとなくこれで年齢が分かりますね)
今思えば、このあたりもADHDの衝動性、過集中にフィットしてしまい、その後にやってくる虚脱によって学校を休むことが増え、やがて内申はどんどん悪くなっていきました。。
はい。ここで2度めのポイント、そして最大の「人生終了」感を味わいました。
中学での内申に引っ張られ、「お前はここにしか行けない」という公立校にヒィヒィ言いながら入りました。(試験の点数だけで言えば中の上レベルの人たちと張ってたのに…と今でも悔やむことがありますが、まあしょうがない)
なんで辞めたのか。今でも正直言ってこれといった理由が言葉に出来ないのですが、幾人かの「いやなタイプ」の人の顔、そして、排外的な雰囲気、それに合わせることの絶対できない自分の中の何か。
気づいたら高校に行けなくなっていました。僕みたいな人間は、居心地が良くないとマジで死ぬんだなあ、ということが身に沁みてわかりました。
多分この時ほど親は、上記のコメントと同じことを思ったことは他にないでしょう「少々無理してでも中学受験すべきだった・・・」
その後、半年ほど引きこもりをしてから、今度は底辺私立校に一年から入り直すことになります。
ぶっちゃけ誰でも入れるような所で、周りを見渡せば一目瞭然の発達障害、ヤンキー、そしてほぼ知的障害とも言えそうな人まで、ワケアリな人種ばかりが揃った愉快な空間でした。
それでも、そんな所に高いお金を払って再チャレンジさせてくれた親には大変感謝しているし、また学校行けなくなるのではという恐怖も乗り越え再びやり直すことを決めた当時の自分も、割とがんばってたと思います。(引きこもってた時分は外に出るだけで怖かったです)
そしてこの私立校が、思いのほか自分には合い、割と気ままに過ごすことが出来、大人になった今でもLINEでくだらないことを言い合うような親友も出来ました。
特にその学校ではPCを使った授業に力を入れていて、もともとネットにハマってたくらいなのでPCに触ることは自然だったのですが、その中で自分の特性に合ったジャンルを先生が見出してくれて、「大学受験してみないか?」という運びになります。
その高校での先生たちの手厚いサポートのおかげで、(あの悪評高い)AO入試制度を使い大学への入学を果たします。
2ちゃん等ではFランと呼ばれるランクでしょうが、世間的にはそこそこ名だけは知られているところでした。
そして自分の学生時代を見返してみても、この大学時代が一番輝いていたように思います。
興味のある授業内容、自由な雰囲気のキャンパス、そしてどことなく普通じゃない人達の集まる文化系サークルに出会い、居場所と夢中になれることの両方が目の前に広がり、自分の人生が本格的に始まった感じがしました。
色々あったけど、特にここで語るべきことはこれ以上ありません。
就活は例に漏れず苦痛でしたが、それでも思ったよりあっけなく、自分に合いそうな所に内定を得ることが出来ました。
そして、光に満ちた4年間が終わり、ここから暗く長い旅の始まりです・・・。
といっても、第3のポイントは1年目序盤にあっさりと訪れます。会社に数日行けなくなりました。
体が動きません。会社のメールも見れません。連絡したくありません。何もかもから逃げ出すことしか考えられなくなりました。
それでもなんとか数日休んで、這うような思いで出社し、耐え、またしばらくすると行けなくなる、を繰り返しました。
メンタルクリニックにも行き、「抑うつ状態」の診断書を突きつけたりもしつつ、それでも時には自分に合った業務に携われる期間もあり、何より会社の人が良い人だったので、なんとか辞めたり休職したりはせずに、自分の心と身体を騙し騙し、一つの仕事に人より何倍も時間を浪費しながらも、続けられていました。
ADHD的に特に難しかったのは、やはり外部とのコミュニケーション、スケジュール管理、企画書作成といったところでしょうか。
これらを、自分を無理に奮い立たせながら乗り切っていたため、やがてそういった業務をすればするほど、図太くなるどころか気づいた時にはストレス耐性が全く無くなり、再びしょっちゅう休むようになりました。
それがここ1年ほどのことです。
再びクリニック通いを再開し、軽うつに対応するような薬を飲みつつも、相変わらず同様の環境で仕事を続けており、このままじゃどんどんダメになるのではという漠然とした不安と焦りが募っていました。
そして約半年前、同じクリニック内で医師が代わり、その医師の診断方針もあり状況を見直した所、「ADHD」という判断を受けました。
それまでもネットで色々情報は見ていたため、あ~やっぱり、という感じでした。
その後、自分はADHDであり、こういう業務はどうしても脳の形状的に難しいのだと諦めがつくようになり、まずは環境を変えなければどうしようもないと思い、同じ社内ではありますが異動を相談したところ、あっさり通り、そして始めのほうに記したような、落ち着きつつある現在の状況があります。
中学受験・高校・社会人と何度も「周囲との違和感」「やってみてはダメになる」「周りと同じような適応は出来ない」を繰り返してしまっていたのですが、それでも、親や教師の理解やサポート、たまたま巡り会えた環境に恵まれ、なんとか人生終了せずに、今は地道に日々の幸福度を回復させていけるようになりました。
中学受験に成功していれば全てが上手くいった、とは思わず、結局はどこかで周囲とのギャップ、そして挫折を経験していたと思いますが、それでももっと早くADHDという認識を与えられ、それに対応した生活の見直しや進路を定められていたら、もうちょっと楽に歩むことが出来たんじゃないかなと思います。
一歩間違えれば人生終了待ったなしだった気がするので、それを回避するためにも、もし自分が、そして自分の子供がちょっとあやしいなと思ったら、診断を受けてみたり歩み方を普通の人とは変える、認識を良くも悪くも諦めるようなタイミングが、必要なんじゃないかなと思うのでした。
起こってほしいと心から願い続けて30歳になってしまったんだが
いつまで歯科衛生士のおねえさん(年下)に「もうちょっと歯磨き頑張りましょうね…」と苦笑されなければならないのか
「自分ではちゃんと磨いているつもりなんですけど…」なんて言い訳は虫歯の前には無力である
自分みたいなポンコツじゃなくても、歯科医師や衛生士じゃない人が「十分気をつける」のにも限界があると思うの
デンタルケア業界には一刻も早く毛のついた棒をゴシゴシする局面から脱却してほしい
だって歯ブラシなんて江戸時代には(似たようなものが)あったんでしょ
洗濯板が洗濯機になり乾燥まで任せられるようになっているというのに、デンタルケア業界は何やってんですか
調べ方が悪いのかもしれないけど、これぐらいしか見つからなかった
まだしばらくは自分でゴシゴシしなくちゃいけなさそうだな…
しかもタフトブラシ?だのデンタルフロス?だの、何?なんで歯ブラシ1本で済まないの?欠陥じゃね?
単純にまとめると、「男性も女性も、男性が嫌い」なだけじゃなかろうか、それ。
男性保育士が女児のおむつ交換をするのは良くない、というのは、自分達が「ケアされる」時がやって来た際に「男性ではなく女性にケアしてほしい」と潜在的にあるいは無意識的に思うことや父親が世話することの延長として捉えられていないこと等に由来するのではないかと考えた。
まるで「父親が世話することの延長として捉えられていないこと」が悪い事だと言っているように思えるけど、
そもそも悪い事じゃないだろそれ。父親じゃなくて赤の他人なのは事実だろ。
男性保育士が女児のおむつ交換をするのは良くない、という話題にて、良くない、という意見を持つ要因とは何か考えた。
そこで、山田昌弘さんの『モテる構造―男の女の社会学』(ちくま新書、2016年、以下本書)の【第7章 ケアは女の役割か―男が触るといやらしい?】(p194-p203)で述べられている、ケアに関する男女の非対称性が関わってくると考えた。
本書は、【男性は人前で泣いてはいけない】をはじめとする性別の「らしさ規範」や女性における【できる女はモテないのか】問題をはじめとする「男女の非対称性」について分析・俯瞰した本である。
第7章は「ケア」における男女について書かれている。
介護従事者や保育士など、人の身体をケアする仕事についている大部分が女性であり、「女性が男性をケアしても許されるが、男性が女性をケアすることには心理的抵抗が伴う」という男女の非対称性が見られると書かれている。
次に、介護における性別の抵抗感に関する調査では、「男性から見た抵抗感:婿・嫁が最も高く、女性から見た抵抗感:"息子>娘"・"婿>嫁"・"若い男性介護士>若い女性介護士"・"中年男性の介護士>中年女性の介護士"」という結果になったことが書かれている(p.198【図表7-4 介護における性別の抵抗感】より一部抜粋)。よって、看護という多少専門的な分野であっても、男性であっても女性看護師の方が好まれ、女性の場合は、男性看護師は避けたい対象なのであるということが書かれている。
そして、「ケア」労働が本来持つ性格として、ケアが相手の気持ちを考えながら行う労働であること、そして、ケアは体に働きかけ相手を気持ちよくさせる労働であることから、前者が、ケアの担い手として女性がより好まれる理由であり、後者がケアの担い手として男性が避けられる理由なのであるとされている。そうして、二重のジェンダーにおける差異があるために、家庭内でも、家庭外でもケアの担い手が女性になりやすい理由なのであるともされている。
続いて、ケアの身体性に関連して、ケアは相手を身体的、精神的に気持ちよくさせる行動なのであり、言葉にしてしまえば、性的コミュニケーションと同じ意味を持っているため、身体的ケア行動は性行為を連想させてしまうという。よって、ケアでは、配偶者や恋人以外の家族や他人に裸を見られる恥ずかしさを減少させ、性行為を連想させないことがケアの現場では重要であり、女性がケアした方が、性行為が連想しにくいのであるという。しかし、父親が子どもの世話をするのが一般的ではなく、同性の間に親密関係がなかなか築けない文化であることを一因となって、男性はそうはいかないという。その上、性行為においては、男性が主導権を握るイメージが定着していることから、男性が、優しい手つきでにこにこしながら、女性を触って気持ちよくさせるということは、どうしても性行為を連想させてしまう、だからといって、男性がケアに向かないことや女性がケアして当然であることをを導きたいわけではなく、男性がケア労働に進出するためには、「恥ずかしさ」という感情を何らかの形で克服する必要があると結んでいる。
これらを踏まえて、男性保育士が女児のおむつ交換をするのは良くない、というのは、自分達が「ケアされる」時がやって来た際に「男性ではなく女性にケアしてほしい」と潜在的にあるいは無意識的に思うことや父親が世話することの延長として捉えられていないこと等に由来するのではないかと考えた。
面接の練習を受けに来た際、講師から「○○○○(会社名)どうだった?」と尋ねられた。
○○○○(会社名)の最終面接を受けたばっかりだった。最終面接だったこともあり、手ごたえを聞いていると思い、こう返した。
「たぶんダメですよ」と、しかし講師は面接の内容を聞きたかったようで、「ごまかして、教えがいがない」と切れられた。
そして無駄と言われ、予約した面接の練習を見てもらえなかった。
その一週間後、別の用事で塾に呼び出されたので、その講師に「あの時見てくれたら受かったかもしれないのに」と私は軽く言った。
嫌味のつもりではなく、純粋に見てほしかった、それだけを伝えたかった。
しかしその言葉が気に障ったようだった。「人の上げ足を取って。二度来るんじゃねぇ」と大きな声で逆切れをされ、その後もひどい言葉を言われた。
ショックだった。それは普段、理不尽に切れるような講師ではなかったからだ。どうやら学生は塾の対応に、客として不平を言ってはいけないようだった。
私はそれから、塾に通わず、謝罪の言葉をずっとずっと待っていた。毎日メール、電話のチェックは欠かさなかった。先生なら謝るだろうと信じていたからだ。
しかしそんなことをしているうちに、二週間が立っていた。そして薄々感じていたことが確信に変わった。どうでもいいのだろうな。
しかし帰ってきた言葉は「学生のことを考えて」「就職活動をなめているから」と的外れな言い訳だった。
さらに追い打ちをかけるように「二度と見たくない」「二度と来てほしくない」などといった言葉をメール、電話で何度も何度も言われた。
就活がうまくいかずに悩んでいる時に、信じていた塾に、自分の存在まで否定され続けた。
それからというもの、説明会、お風呂、電車と場所を問わず、毎日毎日、その講師から言われた言葉を思い出し、涙が止まらなかった。
七月から今日まで一日たりとも、塾に言われた言葉を思い出さなかった日はない。
おかげで体重が10キロ減り、走ることや子供も産む事もできない体になった。
毎日死にたいと考え起床し、死にたいと考え就寝する。そんな生活がこれからもずっと続く。
長くなりましたが、結局私は七月という面接の多い大切な時期に、言われたことにショックを受け、その時の気持ちを引きずりながらずっと就職活動をしてきました。
その後、謝罪してもらいましたが、「いい会社じゃなかったかもしれない」「大切な時期がどうかは塾が決める」などと開き直った対応をされました。
勿論その後、塾からのアフターケアはありません。そしてそのような大手就活塾が、現在も「就活に失敗しないために」などと掲げて、学生を集めています。
その講師も、後悔のない人生を選んでほしいという思いから、学生の就職活動に向き合っているらしいです。悲しいことに、私はそこに含まれていないみたいですけど。
就職活動は自分の人生に関わる大切な岐路です。就活塾と聞くと、悪い噂も聞くので心配で、実績のある有名な塾を選びました。それがこの結果です。
看護学生してて思ったこと。
もちろんプライバシー保護は大切なので、掘りいったことは書きません。
・教員陣は怖い人が多い
・ヘタレ
・きらいなことは行動計画発表
まず、大学でのこと。
1年の頃からフルコマでびっしりと勉強が始まり、医療のことなんてちんぷんかんぷんながらも頑張って覚えた解剖生理学。
途中に挟まれる技術演習。血圧測定のテストではダブルステートで教員と聴いた。よくできていた人にも粗探しをされ、文句しか言えないのかと思った。
2年くらいになると文系大学で現れる〝全休〟。そんなものはなかった。「起きたら2限始まってたあ〜」なんて有り得ない。1限すら落とせない。絶対に、這ってでも1限に行く。単位を落とすことさえ許されない。実習が始まるから授業どころではなくなってしまう。わたしの大学はナース服を着る時は黒髪でなければいけなかったので、大学生活はほぼ黒髪。夏休み染められるのが嬉しかった〜。
教員が鬼に見えた。
朝病棟へ行き、行動計画を指導者に見せる前にまず教員チェックが入る。
「なんで?」
「は?」
「あなたは昨日の夜何をしてきたの?」
教員の言葉が痛かった。わたしを見る視線も痛かった。逃げ出せるもんなら逃げ出したかった。
毎日2時間くらいしか睡眠時間が取れないくらい、必死に受け持ちさんの疾患と症状を見比べて立てていた行動計画。こんなに必死にやっても褒められることはなかった。
それがやっと終わっても次にやってくるのは指導者への行動計画発表。指導者2人+教員2人VSわたし、なんてこともあった。実習の中でいちばん嫌いな時間だった。グループメンバーがズタボロに言われてるのを見て、ああ……わたしもこうなるんだ……と毎日思ってた。
アセスメントも看護計画も教員からのコメントが心に刺さるものが多くて毎日泣いていた。甘えかもしれないけど、もっと言葉の棘をなくしてほしいと思った。
唯一実習で癒されるのは患者さんとの時間。本当にありがとうと言いたい。ベッドサイドが病棟でいちばん落ち着く場所かもしれない。まあそれでバッ!とカーテンが開いて教員が現れた時はもう\(^o^)/こんな感じだけど。
そんな患者さんだけど、アセスメントして計画を立てるためにこんなこと聞くの?みたいなことまで聞かなければいけない。根掘り葉掘り聞かれて患者さんは嫌じゃないかな?とか、わたしだったら聞かれたら嫌かもしれないな、、なんて考えながらお話をしていた。聞いてきたことをアセスメントに加えても、不足があって指摘される。ここ聞かなきゃ!って思うけど、どうやって聞けばいいんだろう…とかなり悩んだ。病態よりもコミュニケーションに悩むことが多かったかもしれない。御家族から聞けることは御家族が面会に来られた時しかチャンスがないからもう必死(笑)きっと変な言葉になってただろうな〜。
指導者への報告の仕方とか、ケアの手順とか、調べてきてもやっぱり実際の病棟とは違う。仕方ないけど悔しかった。
あとは、ナースステーションの居心地の悪さ。記録部屋を用意してくれる病院ならまだいいけど、それがないところはナースステーションにいるしかないから頑張って看護師さんたちの邪魔にならない場所(隅の方)を探して居るけど、邪魔じゃないかな?ここ使うかな?といつもら気にかけていてナースステーションは好きな場所ではなかった。実習に来てごめんなさいといつも思ってた。
あと、やることがなくなる、もしくは何をやればいいかも分からなくなると始まる病棟散歩(笑)教員と指導者に見つからないように病棟をうろうろした。だって何したらいいかわかんないんだもの。聞くにも「なぜ私に聞くの?」って言われるから1度聞いたらもう聞けない。うろうろするしかない。
領域別実習が終わって卒業研究。いわゆる卒論のようなもの。3年生の2月とかから始めて、国試勉強とか就活しつつ10月に完成させる。文系大学と比べるのもおかしいけど、わたしは同時進行でやることが多いから、卒論くらいでなんであんなに文系大学は騒いでるんだろうって思った。
最後に。
鬼の教員だらけで大変だったけど実習は休まず行ったし、単位もひとつも落とさなかった。普通のことだけど。なんとかなるもんだと思った。寝れなくても、病棟で泣いても、怒られても、なんとかなる。大学生だけどあまり大学生らしい生活はできないからそこだけ覚悟必要かな。
で、今は国試直前。
こんな時間に起きてることも、こんなの書いてることもあまりよろしくないです。でもなんとかなることを信じて頑張ります。
追記です。
インフォームド・コンセント(事前に説明し許可を得ること)ぜったい!と教えられているので、何をするにもまずは「次にこれしたいのですが、いいですか?(簡単に言うと)」と聞かねばなりません。
それもきっと患者さんからしたら、いちいちうるさいなあってなりますよね。でもそれをしないと、教員や指導者(学生指導の看護師)から「え?許可とってないの?ならできないよ」と言われてしまいます。なかなか難しいことばかりで……。
受け持ち患者さんに受け持ち開始の時に「毎回許可をとらねばならないため、何度も聞いてしまいます。すみません」と聞いたりしたらいいのかもしれません。ただ、全く余裕もなく毎日焦って不安でぐちゃぐちゃになっているので、できないだろうなっていう思いもあります。もうわたしは実習が終わってしまったので、就職してから学生を受け入れる側になったときに気をつけていきたいと思います。学生が受け持たせていただくときの患者さんへの説明が、「嫌なことは断っていいです」スタンスなのであまり説明のことは説明されてないと思うんです。やらなければいけないですね。
http://anond.hatelabo.jp/20170105111342
食洗機に興味あるけどどーしよっかなー↑でみんな不評だしなー。って思ってる方を対象とします。
共働きで夜遅く帰宅したら旦那が残した夕食の小洒落た形の皿がシンクに残ってて、それをシコシコ手洗いする事で喜びを感じる方は対象外なので読む必要無いと思います。皿洗いなんつーなんも産まないもののために小洒落た皿を使いたいとか全く意味がわからんけどアホなのかなあって思うわ。
据え置き型食洗機について明らかな誤り・誤解・無知があるので以下に記す。なお、パナソニック食洗機利用歴6年(ビルトインだとどうなのかは知りません。)。
私の立ち位置:食洗機が無い生活は考えられないが据え置き型の選択肢がパナソニック一択となっており、競争が働いて無く、また撤退されると困るため、食洗機普及の願いを持っている食洗機信者であること記しておく。
これは明らかに嘘・誤り。または古い機種を使っていた人の昔の情報。
食洗機では水温を60度から70度と、油分を溶かす事が可能な温度で洗浄を行う。
また、専用洗剤は素手で触れると手荒れ確実な成分となっており、高温で使用する事で汚れを溶かす事が出来る。
人の手で洗うより確実にキレイになる。手荒れもしないし。
揚げ物やったあとの鍋とか、軽く拭いてから入れれば油なんて名残も無いぐらいですわ。
これは考え方の違いになるんだけど、手を動かす時間は食洗機の方が短いよね。
食洗機に皿を放り込む時間はわずか5分程度であり、完了後、骨や皮など大物がフィルターに残るのでそれを掃除するので+数十秒ぐらい。
なお、たしかに導入当初はうまく皿が入らないとかあるんだけど、入れる順番とか位置にちょっとしたコツがあって、しばらく使ってると慣れてきてかんたんに放り込めるようになります。
あと、手で洗うのが面倒な特殊調理器具は隅々まで洗えるからとても衛生的ですよ。ミキサーの刃とか。
ビルトインはメッチャクチャ高いし別のメーカーを検討する事も出来ないし、せっかくのキッチンの収納スペースが使用頻度が低い物体に取られてしまうのがデメリットです。(まあ、今はパナソニックしか据え置き無いから別のは無いんだけどね。。。)
躊躇なく複数回、回しましょう。調理後の中程度のサイズのフライパンとかブレンダーの刃とかめんどくせーもんは隙間が空いてても放り込んで適当に洗っちゃえばいいんです。
メーカーから↓のようなアタッチメントが発売されていて、狭い場所でもなんとか置けます。エレクターの一段を食洗機用にする手もあります。
http://panasonic.jp/dish/p-db/category/install-parts/lineup.html
洗うのは食洗機にまかせるからシンクが狭くなっても大丈夫です。
食洗機=食器棚と考えるのです。洗った皿をそのまま次回の食事の際に使おう。
米粒ぐらいなら高温モードは水温がめっちゃ高いので大体落ちますよ。さすがに残飯をそのまま放っておいて層になって固まった皿を入れたらしらんが。
熱を加えることで変性する食材は落ちないときがある。マヨネーズが皿の済にベッチャリしてたりすると、半固形化してそのまま残ってたり。
他には海藻みたいな薄っぺらい奴は水流の抵抗を受けないせいか皿に張り付いてたりする。
この辺も、食材による対処方法が段々とみについてきますのんでいうほど面倒じゃないですよ。シャツの首筋の油汚れ対策で襟そでケア塗るようなもんですよ。
はい。入れづらいし、木製のもんとかは洗うとボロボロになっていきます。
ここは考え方だと思うんですよ、シルクのシャツとか、手洗い専用の浴衣とかってめんどくさいから普段着ないでしょ?
ハレの日にそういうお皿使って普段はヤマパンの祭りでもらったのっぺりした皿で過ごすのも別にダサいって事は無いんじゃないですかね。
そーなんだよね。レンチンのための、パッキンの蓋とかがよく底に落ちます。そういうものは皿の下に重なるように置くとあんまり飛びません。
本当はすべての皿・コップをヤマパンの皿とかイケアの皿とかおんなじ製品で統一すると、スタックもしやすいし入れるときに悩みも減ると思うんだけど、そういうのはなんか嫌(妻)なんだってさ。
そしたらもう、自分の体臭がやばいの。最終日あたりは自分のワキガにキレる始末。
記録としてここにいつものケアを書くから、気にしてる人はいったん試してみてほしい。
あと、同じ悩みを乗り越えた人はあなたのオススメも教えてください。
■柿渋ボディーソープ
https://www.amazon.co.jp/dp/B0056WQOP2
これは、全体的な汗の匂いを止めるため。ワキガにコレだけだと弱いかな。
あとね、非常に普通のボディーソープだから、パートナーや子供が臭いけど言い出せない人にまずオススメ。
この「柿渋」って書いてあるボトルは非常にテンション下がるんで、無印の透明ボトルに詰め替えてる。
ちょっと乾燥しがちなのが欠点かな。自分は風呂上がりにニベアをガシガシ塗り込むよ。
■ジャムウソープ アダルトグッズ売ってる店だから気をつけてね。
http://www.lovecosmetic.jp/stat_search/itcd90031_list3.html
これは、ワキガ用。
柿渋でいったん脇まわりを軽く洗って流して、脇にコレを泡立てたものを塗って、放置しつつその他の部分を柿渋で洗ってる。
とにかく、これで笑えるくらい匂いが収まった。なんでだかは知らない。
現在恋人がいないので、サイトのラブラブエピソードがつらいのが最大の欠点。
よく売ってるやつ。上までやったあとだと、自分はデオナチュレでおさまった。
もっと高いやつとか、ケアめんどいやつとかはたくさんあると思うけど、
風呂上がった後に塗るだけでOK!みたいなのだけでは自分はおさまらなかったんだよねー。
なので、風呂場できっちり色々するようになりました。
言いたいことも分かるが、この人は生活保護をどういう制度だと思っているのか?
日本で生活保護を受ける人の割合は、もっとも比率の高い大阪ですら1%に遥か届かない(0.3%程度)。一方、日本の大学進学率は依然として60%を越えない。
筆者は、その0.3%レベルの子に、全体の半分以上のレベルの教育を受けさせないとヒンコンノレンサガー、というもの。ごくごく一部の実例だけをみて、しかも各種奨学金制度の話などを全部すっとばして制度設計を語る。そういう思い込みで制度を作るほうが危険。
まず大前提として、育てられないんだから妊娠すんなというのがあるが、退学については「そういう学校もあるしそうでない学校もある」としか。たとえば、2000年以降に全国でわーっと作られた単位制高校(昼間定時制)なんかは、成人が通うことを想定してるんだから当然「妊娠したら退学」なんて校則あるわけがない。障害をもった生徒も可能な限り普通科高校でともに学ぶ環境をつくることが、社会全体としては将来的に重要という観点から、いまインクルーシブ教育の推進が全国で進められようとしており、それに伴ってまた全国の高校の「校則」は大きく変わっていかざるを得ないと思う。「筆者の知り合いの文科省関係者」はずいぶん頭が悪いようだが(文科省関係者は現場を知らないから仕方ないが)「全国の教育関係者」は当然考えているし、筆者が騒がなくても変わるべきことは勝手に変わる(変わったからと言って筆者の手柄ではない)。
その他、児童手当の問題、学費以外の費用の件(制服や高校なら教科書代の問題は、地元利権の問題があるのは事実だが、安いメーカーが参入することによって発生する問題もある(「高い」制服を着られる生徒と「安い」制服しか変えない生徒間の差別感の発生等)ので一概には言えない)、医療ケア児の問題についても、いろいろ言いたいのは分かるが、最大の問題は役人に文句言って解決すると思うなということ。だって、それほぼ全部金があれば解決する(金がないから解決してない)問題だからね。じゃあどうやって金を回す?予算をつける?法を通す?
三権分立習ったでしょ、中学校の公民で。行政に文句がある場合、役人に文句言っても徒労感しかない。だって仕組みを決める権限は彼らにはないんだから。彼らは法に則って、政治を「執行」するのが仕事であって、仕組みを決めるのは法であり法を作るのは議会なんだから、議員に陳情に行きなさいと。そんで選挙に行きなさいと。今ある仕組みを作った議員や政党はどこで、そんでそれに反対しているのはどの党で、ってちゃんと調べたのか君ら?
別に、その党が議会で多数派を握らなくてもいいんだよ。委員会で発言権があり、役人に物言える程度に力のある議員なら仕組みを作る程度の力はあるんだから、資料を整えて陳情に行きなさい。ネットで与太記事書きとばしてそういう現実的な部分を他人任せにしてちゃ、あなたの言う何事も変わりゃしないよ。
2017年にはぶっ壊したい、こどもの貧困を生みだす日本の5つの仕組みとは
http://bylines.news.yahoo.co.jp/komazakihiroki/20170104-00066222/
http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/komazakihiroki/20170104-00066222/
http://anond.hatelabo.jp/20161227172441(この増田な)
ググったらどんな歯ブラシか見たら分かると思うんだけど、
ドリルみたいな細いブラシで歯を1本1本ちまちま磨く感じ。
が、これが効果絶大。
先に欠点を挙げておくと、
だけど、いままで犬歯の裏の諦めてたザラつきも、
一切磨き落とすことができたので自分にとっては超新発見な歯ブラシ。
今までの自分の最終最強はブラシは、
もちろん、これも面に対しては磨き上げる力は弱い、
歯と歯茎の間、そして歯の面に対する最強の構えだと思ってた。
だけど、
犬歯の裏のザラつきの残りはこんなもんだと思ってた。
もちろん、歯ブラシの使い方を駆使して、
縦に向かって犬歯を磨くって方法もあるんだけど、
解消磨ききれなかった。
一歩上行く歯を磨き上げるブラシに加わることになった。
口腔ケアをこだわってて、
ワンタフトブラシ知らない人がいたら、
もうぜひ使って欲しい!
しっかり磨いて健康を保とう。
歯磨きにこだわりのあるヤツはぜひ試して欲しい!
俺は、医者だけど、医者っていうのは別に時間を金に換えてるだけでなく、「他人の寿命を延ばしている」から。
「他人の延ばされた寿命」でこの世に生産性なり、元増田の言うような「英知の世界」なりがこの世に生み出されていく。
そういう意味では、教師なんかより、遥かに価値があると思うわ。
あとやっぱ、医学の場合は、日々の診療、新しい知識による治療を行うことが、そのまま医学の発展につながる。
医学が発展するためには、臨床でのデータや知見が不可欠だからね。あと薬とかも販売することで医学全体が潤うからね。
医者の場合は、元増田の言うような、「英知の世界」に常に直結した職業だから、何も恥じることがない。
そういう英知と確実につながってるからこそ、単に自分が生きることが滅茶苦茶価値があるから、自分の生活も十全にケアされている事に神経注げる。
そういう意味で、成金趣味だの、金で贅沢だのってのがそのまま合理になっている。
今まではノーマルだと思っていたけど、どうしても異性の好みについて同性と話が合わないことに悩んでいた。
ところが昨日のクリスマスパーティーでのこと。
たまた席が隣になったビアンの人と妙に話が盛り上がって、話し込んでいるうちに妙に納得できる言葉を言われた。
異性に媚びるような姿をみるとそれだけで腹立たしかったし、むしろ憎らしくも思っていた。
それに対して、今までお付き合いした女性は大体年上であるし、憧れてきた人は全て自分を引っ張ってくれるような人だった。
周囲からは化粧っ気がないなんて言われることが多いような女性ばかりで、実際に化粧の濃い女性よりもすっぴんに近い女性ばかりに憧れていた。
セックスの最中は義務のように責める言葉を口にしてはいたが、本当は相手から優しい言葉をかけてもらいたいといつも思っていた。
腕枕するよりも、背中から抱きしめられることのほうが何倍も嬉しいのだが、それも口に出来ずに悩んでいた。
今まではそれをマザコンが原因だと思っていた。なのに、母親に抱きしめてもらいたいとも思わないし自分でも矛盾しているとは思っていた。
思い当たるフシがないわけではない。
思春期の頃、同性からも異性からも性的暴力を振るわれたことがあった。詳細を書くことは憚られるがいわゆる痴漢行為だ。
それも一度ではなく、内容も電車内での軽いものもあれば、見知らぬ相手に逃げ場のない場所で触られたり触ることを強要されたこともあった。
同性からも異性からも、見知らぬ相手から性的なアピールを受けることは恐怖でしかなかった。
いわゆる一般的なイケメンとは程遠い風貌であるし、何かにずば抜けた才能を持ち合わせているわけでもないのだが、何となくふとした仕草や言葉の一つ一つにトキメキのようなものを感じてしまったのだ。
それはまだ思春期を迎える前で、なんとなくそのことがおかしいことだとは思っていたが、その相手に会うことが楽しみで仕方なかった。
ただ、そんな気持ちも性的暴力に遭ってからと言うもの、芽生えると同時に嫌悪感で黙殺されるようになってしまった。
女性とはじめておつきあいしたのは二十歳を過ぎてからで、はじめはお付き合いをするつもりもなかったのだけど相手の一方的な押しに負けてしまった。
セックスに好奇心があったことは否定しないが、相手に気を使わせまいと教科書通りの言葉を並べてみながらも、終わってみても自慰行為との違いがよくわからなかった。
それからもセックスの楽しさがわからないまま数人の女性とおつきあいをしたが、凛とした姿に憧れて付き合い始めた女性が、ベッドで猫のように唸る姿を見るたびに幻滅を繰り返した。
でも、昨日の夜は違った。
話の流れからお互いの好奇心が一致したことで、ビアンの女性とセックスすることになったのだ。
その人はいわゆるタチで、こちらの気持ちが高まるのを待ってくれているかのようにやさしく、それでいて頼もしくリードを続けてくれた。
挿入を嫌がるわけでもなく、最後はこちらが果てるのに合わせるように絶頂を迎えていた。
事後のケアも男性の仕事だと思いこんでいたのに、その女性はそんなわたしの行動を制止すると急にわたしのことを優しく抱え込んできたのだ。
今までは性欲を処理するための義務的な行為だっと思い込んでいたセックスが、これほどまでに愛情を交わし合う事のできる崇高な儀式であるということに気付いたのだ。
「わたしもいい経験ができたよ」と、その女性は去っていってしまった。
もともとが同性愛者なのだから、わたしの一方的な想いだけで拘束してしまうのは悪いような気もした。
だけど、今までずっとずっと心につかえてきたわだかまりは、すっかりと溶けて消えていってしまったように思えた。
もう色々なことで重く辛く悩む必要がなくなったのだ。
今まで付き合ってくれた女性には申し訳ないと思う気持ちで一杯だが、きっとわかってくれるだろう。
自分がマイノリティであることを受け入れることは恐怖かも知れないが、自分を騙して生き続けることの苦しさに比べればきっと小さなことに違いない。
本当のわたしを好んでくれる人は男性と女性のわたしのどちらを気に入ってくれるのだろうか。
フェミニンな格好に興味がなかったわけではないが、それによって男性から性的な視線を送られることを考えると恐怖が勝ってしまっていた。
これからの格好はそんなことをもう少し悩んでから決めたいと思う。むしろ相手に合わせて変えられる自由があると考えると、わくわくした気持ちでいっぱいになった。
トラウマがもとで性的マイノリティのコミュニティを嫌悪するように避けていた自分にとって、本当の自分を発見することはとても困難なことでした。
だからもし同じような状況で悩み苦しむ人がいるのなら、ヒントになってくれれば何よりと思って文字にしてみました。
自分を見つけられずに悩んでいる人にとって、素敵なクリスマスプレゼントになりますように。