はてなキーワード: ケアとは
学校の区切り(卒業など)がついたら、もしくは卒業に十分な出席日数が確保できたら入院することを勧める。
http://www.derm-hokudai.jp/jp/shinryo/atopy/index.html
皮膚の状態を正しく認識し、適切な投薬やケアを自分自身で出来る様になるプログラムだ。当然医師の指導のもとにだが。
ゾンビだったせいで就活全滅だった俺だが、3週間の入院で親が泣いて喜ぶ程に回復した。その後も極端な悪化はないまま13年維持できている。
サイコパスと言われたりするベンチャー経営者なのだけど、みんなサイコパスというのを誤解している気がする。
サイコパスというと、みんな「淡々と連続殺人を行う知的な人」だったり「人の感情を無視して、合理的に自分の利益ばっかりつきつめる人」だったり「善悪の概念がなく、悪いことを平気でする」というイメージを持っていたりするようだけど、そんなことはない。
誤解が多い。
そこで、サイコパスと言われる人たちはどういうふうに考えているのかを共有しようと思う。
あ、そもそも論として、自分は自分のことをサイコパスだと思っていないよ。サイコパスと言われる人がどういうふうに考えているか、を書いているつもり。
サイコパスは他人の感情がわからない、といわれますが、そんなことはない。
という感じでわけている。上位の層に関しては、感情の共感もあるし、ケアも行う。しかし、下位、たとえば三層以降に関しては、そこまで気を使ってられないというか、第一層、第二層のためには諦めるというのがある。
これはみんな同じだとない。たとえば、電車に飛び込んだ人がいて、電車が遅れた時に、どのくらいの人が、自殺した人や残された家族の気持ち考えてたりする?舌打ちをしたり「なんで遅れるんだよ」と思っているのではないか。
もっと過激な例だと、よく漫画でラスボスっぽい人に主人公が「なんでそんなに簡単に人を殺せるんだよ!」といったら「おまえは蟻や蚊を殺す時に罪悪感があるのか?次元が違いすぎて何も感じないのではないか?私にとっては人間なぞ虫けらにすぎんのだ。」とか言ったりするじゃん。あれに近いと思っていて。層が違う人間に対してもみんなそこまで何も思っていないのではないか。
余談だが、俺は自殺者に対して何か思うことは、みんなと同じでたいしてないが、自殺者を写真とったり、舌打ちしている人を見るのがすごい嫌な気持ちになるので電車にのらなくなった。人が死んでいるのに自分の会議が遅れることを心配しているのを他人に見える形で出す、という人が気持ち悪いからだ・。
と、当たり前の話だけど、全人類に対して感情を共感することなんて絶対に無理なわけで。どこかで線引を誰もがしているはず。
だから、たとえば社員がやめる、という時には、第三層から第四層に以降するわけだ。その瞬間に自分の中ではぱっと層が変わるわけだから、感情を共感することはしなくなる。
もちろん、パワハラとか退職時にきついことをいったりは絶対しない。会社のメリットにならないから。会社のファンでい続けてもらうために、円満で気持ちよく送り出し、退職者の利益になることをたくさんする。場合によっては、転職先の経営者に「あのひとはこういうところが素晴らしい」と伝えたりすらする。
ただ、それは相手のためを思ってかというと、そうではないなと。
まあ、でもこれもみんな同じだよね。たいして仲良くない取引先と話す時は、相手の感情よりも自分の利益を考えて話したりするでしょ?それと同じ。それができない優しい人がいることも知っているけど、なんだかなだいって、みんな社会でうまくやっているわけで、みんなサイコパスとも言える。
そもそも、サイコパスは人の気持ちがわからない、普通の人は人の気持ちを共感できる、ということ自体が間違っているのではないか。
たとえば長く暮らした夫婦ですら、相手のことを10%も理解していないといったりする。そう考えると、他人の気持ちなんて絶対に100%理解することなんてできない。
他人の気持ちを共有できると思っているほうが恐ろしいのではないか。相手の気持ちを勝手に察することなく、言葉でのみやり取りをして、それを事実として動くほうが軋轢も少ないんじゃないの、と思う。そういうことばかりいっていると「サイコパス」といわれるのは、おかしい気がするんだよ。
わかった気でいて勝手に解釈していくより、誠実だと思うんだけどなあ。
ともかくサイコパスと言われること自体はいい。みんながそういういうならそうなのかもしれない。ただサイコパスのイメージが羊たちの沈黙とかMONSTERのヨハンとかのイメージで来られても困るっていう話。
今秋、人工知能による東大合格を目指していた「東ロボくん」がその目標を断念したというニュースがあった。AIは文章の読解(意味の理解)が苦手である、というのが大きなネックだったようだ。
このニュース自体は、現在の自然言語処理の限界という観点からはそれほど驚くにはあたらない。だが同時に一つの問題が提起された。
「AIの性能を上げている場合ではない」──東ロボくん開発者が危機感を募らせる、AIに勝てない中高生の読解力 - ITmedia ニュース
AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?(湯浅誠) - 個人 - Yahoo!ニュース
「文章の意味を理解できない東ロボよりも、得点の低い高校生がいるのは、どういうことだ?」
例えば「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている」という例文から「オセアニアに広がっているのは( )である」という文の空欄にあてはまるものを選ぶ問題がある。
文章をしっかり読めば、答えがキリスト教であることは明白だ。しかし、全国約1000人の中高生のうち、約3割が正答を選べなかったという。他にも問題文に回答が書いてあるような同様の問題で、文章を正しく読み取れない生徒が一定の割合で存在しているという。
複雑な論理関係や推論の必要ない、むしろほとんど同語反復に近いこの問題に、中高生の3割が誤答したという。
この問題は文中の語の意味を理解することを必要とせず、文中の語と語の関係だけから答えを導くことができる。すなわち"AIが解ける"レベルの問題なのに、である。
この事実は、ある種の人々にとって衝撃的なニュースとして受け止められたようである。
だが個人的にはむしろ納得のいく結果であると感じている。自分が公立の中学校に通っていた時の実感と合致するからだ。"そういう子"は間違いなく、そして少なからずいた。
この"実感"を言葉で説明するのはなかなか難しい。音読は(一応)できる。目で文字を追って発声することはできる、が、その文の意味が明らかに理解されていない。あるいは会話をしていて「アルファがベータをカッパらったらイプシロンした」くらいならまあ通じるが、「アルファがベータをカッパらったらイプシロンしたけどデルタがゼータにイオタしたからベータがデルタとシグマった」みたいになるともう通じない。時間をかけて一つ一つ説明すれば通じるのだが、とっさには理解されない。中学の段階でそういう子は間違いなくいたのである。
40人のクラスで3割と言えば十数人というになろうか、決して盛りすぎとはいえないと思う。
しかし、ある一定の層、特にある程度以上の学歴があって、社会でもリーダーシップを取っているような層の人にとってこの結果が衝撃的だというのは、つまりそのような人たちに"そういう子"の存在が見えていなかった、ということだろうと思われるのだ。
ある種の人達に、別のある種の人達の存在が見えなくなっている、それは社会にある種の分断を生んでいるのではないか?
"そういう子"が見えなくなる背景には、中学受験の存在があるように思う。少なくとも都市部では、親に経済的余裕があって子どもの学力も一定以上なら中学受験は当たり前になっている。それも今に始まったことではなく、もう数十年に渡ってそうなのである。
中学受験してしまえば周囲は一定以上の学力の子ばかりになる。彼らはそれ以降"そういう子"とはぜんぜん関わらずに過ごすことになる。
もちろん中学受験組も、小学校が公立であればその間は読解力の低い子らと一緒くたに過ごすことになる。だが、小学生の段階ではそういう観点から相手を客観視するまでには至らないだろう。
そして思春期以降は一定水準以上の仲間たちに囲まれ、小学校の頃にいた "(なんとなく)できない子" の多くがその読解や学習上の困難を克服できぬまま中学を巣立っていくことも知らず、やがてそういう子らの存在を忘れてしまう、こういうことがひょっとして起きているのではないか。
もしそうだとしたら、それは社会的な分断以外の何物でもない。
学習に困難を抱える子どもをどうケアするかというのはもちろん大きな課題であるが、もし社会にかような分断が生じているとしたら、その克服も一つの社会的な課題だろう。
http://anond.hatelabo.jp/20161202172148
読んだけど、1が一番ハードル高いような。
でも、容姿についてかかれていないけど、この増田は案外そこのハードルが高そうな気がする。
逆に、女が男に求めるものは、
「大酒、たばこ、ギャンブル、借金、大声をだす、癇癪、清潔感のなさ、人をバカにする」
のいずれの要素もない人だと思う。
客観的にみれば「人としてまとも」な条件だと同意してくれると思うけど、全部満たす人って少ない気がする。
自称モラリストでも人の容姿にケチつけてたり、AKBはブサイク集団だって大声で主張したりする。
本当に容姿は清潔感(服装、スキンケア、髪を整える、歯のケア)程度を満たせばよくて、
ずば抜けたイケメンを求めている人は20代前半くらいまでじゃないかなあ。
大学教授だろうと教育者なんだから、もう少し学生のモチベーション保たせるような方針で研究室運営してほしい
今まで研究進めてきたのに、進捗も定期的に聞いていたのにしばらくして突然「それじゃあ院生レベルの研究じゃない」と言われても、困る
確かに努力の方向は間違ったけどさ
確かにレベル低いけどさ
言う言葉が悪いよ
ストレートにやる気へし折る言葉を投げかけられたら、こっちだって心折れるよ
誰しもタフな心持ってないよ
もう少し研究の楽しさや成長する喜びを教えてよ
自分が成長できた気がしないよ
アフターケアもなかったね
何度も自信を打ち砕かれ、ろくに褒められもせず、しばらく放置して時間なくなってからちゃぶ台返して
私の心を殺す気か貴方は
言うタイミングも遅いよ
中間発表もうすぐだよ
今更ちゃぶ台返ししないでくれ、もっと早くからおかしいと気付いていただろう
どういう考えでどんな方向に研究してたかはきちんと週一で報告していたし
聞いてなかったはずないよね、意見返してくれてたよね
ならば研究室とは何なんだ?
多分教員とはどこまで行っても打ち解けられないのだろう
忙しいことも抱える学生10人いてそれぞれ面倒見るのが大変なことも私なりに理解しているけど
もう少し一人ひとり見てくれてもいいと思うんだ
少なくとも後輩に「うちの研究室楽しいよ」なんて、今のままじゃ言えない
「来ないほうがいい、疲れるだけだよ」と教えて回りたいくらいだよ
現に不登校になった人もいるし……
私も疲れたよ
答えは出ないし道は見えないし、最小限のヒントすらもらえない
もう研究室が嫌だよ
心に鞭打ってるよ
制度的に無理かな
そして、どこに行ってもこんな教員ばかりなのかな
ああ、嫌だなぁ
消滅しつつあるサブカル業界の一端から、端正で繊細な文章に共感をもって眺めていた。
健康診断、というよりメンタル部分のケアなど碌々受けたこともないのだが
たぶん自分は鬱になってる。今までやってきた事の無力感、これから続けていくことの絶望感に包まれている。
メディアやSNSによって、自分の仕事が他人の目に触れられていると、
華やかに思われている、と感じることもある。でも自分の中ではとっくに絶望している。
なにも残せないと考えている。
雨宮さんの死への人々の反応が、自分もそうなったらこういう風に言われるのかなと、
自分の葬式の風景を見れないってことが、ブレーキのひとつになってると思うのだけど、
別にトランスジェンダーではなく身も心もおっさんだけど、最近何故か女装したい。
だって女性の服かわいいじゃん?別に姫系に限らず30代向けのでもさ。
デパートやショッピングセンターに行ったらレディースコーナーばっかでそれこそ様々な年代・層に向けた服が色々あるじゃん?
落ち着いた色合いのでも明るさあるし、すっげー羨ましい。
メンズコーナーってそもそも少ないじゃん?
で、そこからさらに系統を絞ると「あぁはいはい、こんな感じね」みたいになるじゃん?
普段ファッション誌読まないしはやりとかわからんからショップの中に入ると
「うわぁうわぁ何の組み合わせが良いのかわかない、そもそも今の服ってショップに入店して良い服なの・・・?」とか
考えながら色んなモノをすり減らしてるけど、結局テンプレおっさんスタイルが出来上がる。。。
そうじゃねぇ、俺も「アレも良い、コレも良い、どうしよう…」みたいなショッピングして、
家の中でキャッキャッ良いながらファッションショーしたい。
でもお化粧とかいう毎日行う必要がある賽の河原のような無駄な作業は全力でお断りします。
※肌の寿命を延ばすとか肌荒れをケアするとかの基礎化粧品の類いは別
「化粧しないと失礼」みたいな謎の因習が世の中には存在するみたいだけど(※そのくせ何故か高校までは禁止されている)、
ハロウィーンだからって散らかさないで欲しいなって思うでしょ?
深い夜が明けて街が目覚めるほんの前までは、
いつでも散らかってるの。
そして、街がいよいよ機能しだす頃、
もうゴミはすっかりなくなって、
誰かが片付けているの。
ほんと、不思議な街SHIBUYA。
そして、夜が明けた頃、
私はいつも行くお店、
「大将!やってる?」
それも今はもう昔、そんなお店あったかしらね。
お店の前を、今でもたまに通ったりすると、
大将の威勢の良い声が聞こえてきそうだわ。
それ食べると故郷を思い出す。
キラリ。
ごめん、涙拭くね。
以前にも書いたかも知れないわね、
このお店のことは。
馴染みのお店がなくなってしまうことは悲しいわ。
街が目を醒ますころ
イージーズーダンス ポウ!
イージーズーダンス ポウ!
空で覚えているのを口ずさんで書いてみたわ。
触った瞬間、ベタベタと。
この白い粉は???
ペロっ!!!
これは!!!
表はサラサラなのに、
すごい!!!
それはそれですごいと思うんだけど、
だから、とほほ的な感じで、
朝ご飯にってわけよ。
赤だしと一緒に、優雅な朝食でしょ?
でも、海苔には罪はないしね。
ホッツジンジャーね。
温まるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ググると革の栄養だの呼吸だの疲労だのエセ科学っぽい言葉が沢山並んでいるが大別すると革靴に塗るものは5種類。
油脂:保革油とも。革を柔らかくし、水分を保つ。塗りすぎると細かなひび割れの原因になるらしい。
顔料:色を付ける。黒なら黒を使うが、茶色など他の色の場合は革の色よりも少し薄目のモノを使う。
蜜蝋:革の表面に蝋で保護膜を作り、革本体を保護する。もしくは革の表面のでこぼこを蝋で埋め、なだらかにすることで鏡面磨きや傷の補修を行う。
それらの要素を複合した商品を革に塗る。
オイル:ミンクオイルなど。油そのものだが、ワセリンを多く含んでいるらしい。
乳化性クリーム:油と顔料。油性ワックスより水気がある。絵の具のよう。
デリケートクリーム:乳化性クリームより水分が多く、蝋が少ない、もしくは全く含まない。その名の通りデリケートな革に剥いている。
つまりオイル、乳化性クリーム、デリケートクリームを塗るだけで良い
使用によって汚れが付着したり、油が劣化すると皮を痛めるので半年に一回くらいはリムーバーやシャンプーで掃除する。
「シン・ゴジラは311の経験を前提にしないと外国人には理解し辛いのでは」というコメントを何度か見かけて、
911の後に出されたアメリカ映画が、911を前提に再生とヒーローを必要としているような映画が多かったことを思い出す。
あれこれそのものズバリな映画もあったけれど個人的に印象的だったのは
割と近いタイミングで久々に「スーパーマン」を復活させ…にも関わらずひねりの全然ない王道的ストーリーだったのが、
これはいまそういう王道アメリカン魂が必要だと思ったから作ったんだなという気持ちになった。
あとコミックの方でスパイダーマンが911を見下ろすのとかも、公式が日本では避けられがちな時事ネタやってたことに驚いた。
たくさん渡ってきた米映画の数々に傷みはたくさん残っていて、けれどそれはお昼の映画特集では窺い知れないものだし
…っていうことをつらつらと考えていたら、ふと思い出して。
pixivに「日本頑張って」のタグで投稿され未だ残っている3323件をぼんやりと見ている。
賛否両論。当時の自分はむしろ憤る側で投稿も閲覧もしなかったけれど
投稿している本人を含めて何かのケアになったのなら、創作の力というものがそれこそゴジラを描くような力が自分にはなくても
当時積み上げられていく数字の一部になっていたらもっと違うことをいま思っただろうか。
などと思うけれど、やっぱり当時のひりつく…通り越して熱い温度を思い出すと恐怖しかわかないし自分は同じことしかしない/何もできない気がする。
シン・ゴジラの中に「いまの温度」が込められているのと同じぐらい、三千件の中にあのときの…ぐちゃぐちゃとしたいろんなものを思い出す。
男性ならノコギリヤシのサプリとか、性別問わずでハルンケアなど飲んでみるとかね。
寝る前にトイレいっても夜中に目が覚めるのがずっと続くなら、
タイトルの通りのことを書く。結論から書けば、高橋まつり氏は「そんなに電通の仕事が辛いのなら辞めたら良いのに」「休んだら良いのに」というアドヴァイスを受け取っただろう。だが、その言葉は彼女を今後の新たな可能性に導く「希望」としてではなく「絶望」として聞いたかもしれないという憶測である。それを証明するために私のことを書く。
私はメンタル面で問題を抱えているので、彼女のように長時間の労働条件で働いているわけではない。むしろフルタイムで働いている人間よりもゆとりを持って働かせていただいている方だろう。そんな人間が彼女のことを我が身に引きつけて書くなどちゃんちゃら可笑しいことは分かっている。実際に「ワープア気取りのパラサイトのクズ」と罵倒されたこともある。
そんな私だが、仕事面で厳しいことがあった。詳しいことを書けば身バレが生じるので書かないが、職場でそれなりに経験を積み仕事の実績が認められ高いポジションまで昇進させていただいたのだ。だが、上司が変わって職場の空気が変化し、不器用で仕事をロクにこなせない私の成長は頭打ちで止まってしまい厳しい環境に置かれることとなった。パワハラにも遭った。
そんな私に対して、「辞めたら良いのに」というアドヴァイスをしてくれる方が現れた。私の場合は「仕事内容があなたと向いていないのなら辞めたら良いのに。あなたはそんなに大企業に勤めているのだからあなたが居なくなっても代わりの人間はすぐに補填される。されなかったとすればあなたは余計な労働力だったということなのだ」と。
それに対して私は「辞めても良いんだ」と「希望」を得ただろうか。逆である。私は「自分の代わりなど幾らでも居るのか」という「絶望」を感じたのだ。
高橋まつり氏に対して転職を薦める方は多かっただろう。私は大企業と言っても本当に末端なのでこの年齢に至ってもロースペック、転職などにっちもさっちも行かないという有り様である。彼女は「電通」という大手広告代理店で責任あるポストを任されて働いていたのだ。「第二新卒」としての転職は容易だったかもしれない。
だが、彼女が尋常ではない精神状態に追い込まれていたとしたらどうだろうか。転職するゆとりを心理的にも物理的にも持つことは不可能だったのかもしれない。だからこれはあくまで可能性、「自分語り」の延長上で推し量るということになってしまうのだが(それがどんなに汚らわしいことかも分かったつもりで敢えて書くが)、彼女が同じ「絶望」を感じなかった可能性はないだろうか。
彼女は真面目であったことは多くの証言が示す通りである。だからこそ、パワハラやセクハラに耐えながらも「自分はこの仕事に耐えなければならないのだ」と意志を固めていたことは想像に難くない。だが、その「意志」が脆くも崩れ去ってしまうようなことが生じたとしたら? 「辞めたら良いのに」という言葉がその致命傷になる可能性はなかっただろうか、と書きたいのだ。
むろん、私は一介のネットユーザーに過ぎない。だから全て「想像力」に頼った上で書いている。まるで頓珍漢なことを書いているかもしれない。そのあたり、語弊があればお詫びする。ブログを「自分語り」で汚したくないので敢えて増田で書くが、必要なら名を明かそう。それくらいの覚悟は出来ている。容赦ない意見を頂戴出来ればと思っている。
また、私はなんら代案を示せていない。「ではどうしたら良かったのか」という肝腎な言葉には答えられない。私に言えることと言えばせいぜい「働き方のあり方が早急に見直され、悲鳴を上げる労働者にメンタル面でのケアを」と言った凡庸なことに過ぎない。その批判も甘んじて受け容れる。
最後に、このような「自分語り」でその死を貶める結果となってしまったことに対して、特にずっと諦めずに戦い続けていた高橋まつり氏に深く謝罪する。その上で――白々しく響くのを承知の上で――敢えて書く。
電子書籍といえばkindleというのが相場であろうが、楽天ポイントを代金に当てることのできる楽天koboも
捨てたものではない。楽天はヘボいかもしれないが、Amazonも案外クソである。まあどっこいどっこい。
普段購入するのは漫画ばかりの電子書籍の中で、たまに文字ばかりの書籍を買うことがある。文字が多い本は
実は紙の方が読みやすかったりするのだが、紙の本はとにかくかさばる。知識を得ることが最大の目的と考え
るなら、よほど思い入れのあるものを除いて、検索機能のある電子書籍で買うことにしている。
ここで問題は文字が中心の本なのに「文字の拡大縮小ができない」などとほざく商品がある。
要するに紙面の画像データが本になっているやつ。ダブルタップで一定範囲の拡大はできるとはいえ、これは
読みにくい。
当然ながら検索もできないし、蛍光ペン機能(ハイライト)もできない。付箋も貼れない(ページの角を折る
「文字の拡大縮小ができない商品を読む際のアプリの仕様」に関する要望は次の通りである。
(koboアプリ for Androidの現状を基準としている)
このような内容をkoboのお問い合わせフォームから送ってみた。
kindleにこのような機能があるならすぐ乗り換えるのだが。
追記
回答 メール送信担当者(M.Takashima) - 2016年10月09日 09:38
お客さま
Koboカスタマーケアへ貴重なご意見をくださり、まことにありがとうございます。
フィックス型の書籍(1ページが画像で構成されている形式)への
ご指摘・ご要望につきまして、
一応内容は読んでたみたいだし。
期待はしないけど。
text.ssig33.com - 俺が糸柳和法に関して知ってること
ドワンゴは糸柳を雇用した時点で、異常者であることが分かって採ったんだから、その辺ちゃんとケアすべきでしょ。ここで解雇したら「障害者を障害を理由にクビにする会社」ってイメージ持たれることになるよ。障害者を雇ったのだからそれは責任を果すべきだ。
↓
はてなブックマーク - kawango のブックマーク - 2011年3月14日
今回の件で糸柳を解雇するか/できるかは置いといて、障害者だからといって企業がいくら害をなされても面倒みなければいけないなんて主張を認めるなら、どんな企業も障害者は絶対に雇うべきじゃない。
いろんなものくれるし、送り迎えしてくれるし、ちょっと便利だなって思ってた。
でも運動神経悪すぎるし、見た目も良くないから恋人としてはちょっとなあと思ってた。
多分むこうはそれを察してるけど、それでも私のことが好きらしく、いろんなことをしてくれた。
そんな中、私はうつ病になった。
私は自分が嫌いで嫌いでたまらなくて、死にたいし、死ぬしかないと思っているし、死ねば救われると思っている。
おかげで今はなんとか生きていて、書いた遺書は押し入れにしまってあり、まだ読まれることもない。
そんな彼を私は好きになってしまっていた。
でも好きになったら逆に辛いんだ。
彼のスペックがとかではなくて、私のこの死にたい状態が回復しないことに責任を感じるようになったからだ。
私が辛くなれば彼も辛くなる。
私が自分を嫌いで辛くなることで迷惑をかける人が1人増えてしまったのだ。
今までは家族に申し訳ないと思っていたが、その対象が増えたことで、さらに生きているのが辛くなる。
死にたいけど、生きなくちゃいけないんだ、、、、
迷惑をかけない人間はいないというが、それでもその項目が多くなると私は苦しく思ってしまうんだ。
最初は恋人になんてなりたくなかったのに、今は別の意味で恋人になりたくなかったと悔やんでいる。
まるで穴の開いたバケツに水を入れるようなことを、私は周囲にさせてしまっている。
それがすごく辛い。
なんかおかしい。
わかるよ、ネットニュースでしか見てないけれど、電車が止まったかなにかで客にクレームつけられたかなんかした車掌さんが制服脱ぎ捨てて、線路に飛び降りて、それがテレビでは奇行として笑われているらしい、それに対してネットでは「車掌さんは悪くない」気運が盛り上がっているのは。知ってるし、車掌さんお気の毒やなあと思うし、笑いごとじゃないよなあとも思う。
けどさ、どうして会社に嘆願書を出すの。「処分じゃなくて心のケアをしてくれ」って会社にお願いしてどうするの。それは新しいクレームなんじゃないの。
近鉄からのなんらかの反応を期待してるわけでしょ、この動き。それは、あまりにも勝手すぎるんじゃないの。社員の処遇について、外野がどうこう言うことはおかしいんじゃないの。善意だからって、勝手に突き進んでいいわけじゃない。
なんでいま「車掌さん守れ」って会社に文句言うほうにみんな向いてるかっていうと、クレーマーが誰かわからないからでしょう。もし、この「数人から暴言を浴びせられていた」とされる「数人」が誰だか特定されていたら、その人たちが血祭りにあげられていたでしょうね。
この一連の出来事(人身事故→電車止まる→客怒る→車掌さん飛び降りる→テレビで笑われてるらしい)は、たしかに感情をゆさぶってくる。クレーマー最低、そんなのに詰め寄られたら地獄、それを笑いものにするワイドショー低俗、満員電車に乗らなければいけない働き方がおかしい、いやそもそも消費者が王様になってる今の日本は変だ、とか、いっぱい思いが湧いてくる。
でもさ、そのいやーな思いをさ、誰でもいいから顔が見えている登場人物にぶつけて、手っ取り早く解消しようとするのは違うよ。たとえば、この署名活動が無事実ってさ、「車掌は悪くありませんでした、彼のケアにあたります」ってことになって、なにになる?「『悪質なクレーム行為から職員(大切な社員)を守る』といった強い態度」が見られれば、クレーマー減るとでも思ってるのかしら。車掌さんよかったね、ってほっとするのかしら。
違うでしょうが。「クレーマーに傷つけられた社員を守るよう、会社にお願いする」ことでは何も変わらないんだって。これがもし「クレーマーに困っている駅員さんがいたら、代わりに話を聞いてあげましょうキャンペーン」とかならわかる。実際にクレームが発生したその場で、問題をなるべく小さくしようとしたい、という思いならとてもいいんじゃないかと思う。
けど、このキャンペーン、結局自分は名前を書くだけで何もしないで、「この人かわいそー、よろしくー」って言ってるだけに見える。そういう人たちが5万人いるように見える。たとえば明日会社から帰るとき、駅でよっぱらいが駅員さんにからんでて、そこに割ってはいって「なあなあおっちゃん、ちょっと飲みすぎやで水買うてくるからそこ座っとき」って言える人が5万人いたら、状況は違ってたはずだ。
なにか不都合なことを見つけたときに、「せんせー、すずきくんがザリガニいじめてまーす」って言いつけるところから変わらなきゃいけないと思うのよ。
自分じゃないえらい人がどうにかしてくれるから、自分は何もしなくていい、ってそのままだとできることが署名集めることになっちゃう。学級会じゃないそれ。「そういうことはしちゃいけないとみんなおもってます」って。
たぶん署名に参加した人たち、ただ、腹立つし、なんかやだから、できそうなことをしたくて、ここに名前書いたんでしょう。クレーマーを特定して叩きまくるのでもいいし、車掌さんを笑い者にしたテレビのコメンテーターを袋叩きにするのでもいいし、なんでもよかったけど、「車掌を守れ」っていうのは善意っぽいし、これなら胸張ってできるしって。
何かで読んだけど、「火事だ!」の一言で、善意の人たちがバケツを持って押し寄せてきて、家に水かけて、水浸しにするっていうイメージのとおりだ。その「火事だ!」は誰が言ったのかもわからなければ、ほんとかどうかもわからない。火事らしいという噂だけが広まって、言い出しっぺはどこかへまぎれて、バケツの人たちが帰っていったら、最後はたぶん、家を水浸しにされて立ち尽くす住人だけが残されるんだろう。