はてなキーワード: のりあとは
──日本電産といえば、買収した五十数社すべてをほぼ1年以内に黒字化させてきた会社ですね。
再建に向かう際、永守重信社長から真っ先に言われるのが、意識改革、企業カルチャーを変えろ、です。再建メソッドに対する受容マインドをまず上げておく必要がありますから。そしてA3の紙を1枚ポンと渡される。日本電産芝浦の再建のときは「1年以内の売上高倍増」、そしてたった1行「営業マン1人当たり訪問件数月100件」と書いてあった。月20件だったのを100件に上げれば、引き合いは増え受注件数は増え、売上高は上がる。従業員全員をやる気にさせる、そこを徹底するカルチャーにするのです。
日本電産のスピード感覚はハンパなものじゃない。会社全体にスピード感が行き渡り浸透している。見積もり作成に1週間もかけるな、より早く、ライバルよりも断然早く。他社なら1カ月かかる試作品も1週間で仕上げろと。ライバルはついていけなくなり次々脱落していった。最終的には精密小型モーター世界シェア80%を達成するわけですが、競合が消えても手を抜くことがない。会社のDNAとしてしみ付いているわけです、スピード感覚が。
そして会社の機関車は営業、開発・工場は支援部署。市場にいちばん近い部門が会社を引っ張れと。
──本書でもその営業強化策に紙幅を割いていますが、中でもフォローの重要性を強調されていますね。
川勝宣昭(かわかつ のりあき)/1942年生まれ。早稲田大学商学部卒業後、日産自動車入社。中近東アフリカ事業本部部長、南ア・ヨハネスブルク事務所長など歴任。98年日本電産にスカウト移籍。取締役経営企画部長(M&A担当)を経て、日本電産芝浦専務、日本電産ネミコン社長歴任。2008年経営コンサルタントとして独立。(撮影:梅谷秀司)
トヨタ自動車がなぜあれほど強いか。トヨタは「カンバン方式」などメソッドの宝庫です。でもそれと同等以上にフォローの強さがある。未達に対して徹底的な再発防止策を講じる。日本電産にも未達を許さないカルチャーがある。未達しないための準備を重ねる。売上高計画達成が微妙なときに、未達は不可というカルチャーが浸透してると、どうしたらいいか必死で考えますよね。既存領域でまだ拡販余地はあっても、新規客の訪問をかけようとか。あるいはまったく違う提案をしてみようとか。営業マンがどんどん考える営業マンになります。それが大事で、それがフォローの重要性なんです。
強化策のひとつに、週次管理があります。1週ごとに月末着地見込みをにらんで、未達の可能性があれば挽回策を練る。着地をブレさせない。
私がいた頃の日産自動車の年度方針発表会は、業績未達の説明に精緻な図表を作成し、いかに納得させる他責要因ストーリーを組み立てるかに心血を注いでいました。ところが日本電産では、過年度説明は1欄、○△×のみ。簡潔クリアに説明して、大半は新年度目標に向かってどう戦うかの作戦説明に割かれていた。経営者の「未達をしない体質にする」という決意とマネジメントスタイル、組織の中にどれだけフォローの仕組みを組み込んでいるかの違いを見る思いでした。
1週ごとに全社で行うフォロー管理の仕組みが、社員の日常業務管理力を向上させ、後戻りしない体質を作っていたんです。まさに日本電産の看板である「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」を体現している。言い換えれば、スピードの文化、必達の文化、フォローと徹底の文化が浸透していた。
組織体質を変える一番の早道は
その第一歩が、まず訪問件数を100件に上げろ、なわけです。整理・整頓・清掃・清潔・しつけの「5S」もしかり。まず実践の場で形、行動から入らせる。それを繰り返して固め、思考様式を変えていくことが、組織体質とカルチャーを変える一番の早道です。会社の改革は人の改革ですから、着慣れた服を脱いで新しい服に着替えてもらわなきゃいけない。それは着づらいし着たくないかもしれない。でもそれじゃ変化はない。韓国・中国のような、コピーも速い一点突破・集中型ガムシャラ経営が台頭するレッドオーシャン時代には、スピードと徹底を身につけないと蹂躙(じゅうりん)されてしまう。
そうです。本を書くに当たっていちばん思いを込めたのが企業カルチャーの変革についてでした。なぜ皆がこぞってトヨタをまねてもトヨタになれないのか。問題は企業カルチャーなんです。トヨタ流の「なぜ?」を5回繰り返すフォローの文化なしに、いくらカンバン方式を入れても定着しない。かつて日産も研究し尽くして導入したけどダメでした。GMもダメだった。どちらも苗が生き生きと育つための土壌改良をしていなかったから。それと同じことです。
どの会社にも必ず問題意識が高く改革に前向きな少数派の“火種社員”がいるものです。経営者は彼らをまず自陣に引き込みタッグを組んで、彼らを改革のモデルとすることでその他大勢のヒラメ社員に新しいカルチャーを浸透させていく。私の経験上この方法がベスト。社長がいくらガナリ立てても変わらない。
──明日から実践できる作戦満載の本ですが、特に重視した点は?
『日本電産流「V字回復経営」の教科書』(東洋経済新報社/318ページ)上の書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします
課題を図表で「見える化」し実践メソッドを紹介すること。日本電産時代に、病巣はどこなのか、どうメスを入れるべきか、レントゲン写真が欲しくて、多様なパターンの図表や見える化マップを独自に創作し用いてきました。見える化することで、改善への切り口がわかります。自社の現実を図表化して見せるとみんな乗ってくる。たとえば市場構造に対し当社の顧客構造はズレている、というのが1枚の図表で明らかになる。
最初は中小企業の経営者を念頭に置いていましたが、だんだんとマネジメントの進化を求める管理職にも伝わる本がいいと思うようになった。それで改革メソッドを提案する章は、オリジナルの2面パレート図などを駆使し厚みを持たせました。営業に回るべき100件をどう選ぶかもきちんと分析・抽出できるようにした。自分で言うのも何ですが、見えていなかった部分の見える化をハンパなく提案したつもりです。
「ここまでやれば必ず変えられる!」がこの本の宣伝文句。日本電産時代の買収先の再建、独立してからのコンサル活動を通して、会社は変えられるという変なクソ自信がついちゃいましたね。独立する際に永守さんに書いた「たった7年在籍しただけの日本電産で学んだものは、三十数年いた日産の数百倍以上だった」というのは本当の気持ちです。
(1)はこちら。anond:20210212080317
好き。ただし、当時の人にしかわからないパロディやジョークが多く、というかこの本を通じてしか残っていないのもあるので、純粋に笑えるかどうかはわからない。とはいえ、わからないなりにナンセンスさは楽しく(「ぽっぺん先生」シリーズにも引き継がれている)、トーベ・ヤンソンなどいろいろな人の挿絵も楽しめるし、こじらせ文学少年・文学少女とも仲良くなれるかもしれない。大学時代の読書サークルは楽しかったなあ。
ドストエフスキーの小説は基本的に頭がおかしい。ドストエフスキー自身がギャンブル依存症でユダヤ人嫌いのヤバいやつだし。
登場人物は基本的に自己主張が激しくて感情に溺れやすく、数段落数ページにまたがって独白する。プライドが無駄に高くて空想癖がひどく、思い込みが激しくて人の話を聞いちゃおらず、愛されていないのに愛を語る。そしてそんな奴らが大好きだ。
ぜひとも増田をロシア文学沼に落としたいのだが、いかんせん「悪霊」を含む五大長編から挑戦するのはハードルがあまりにも高いので、「永遠の夫」か「賭博者」か「地下室の手記」か「白夜」からがおすすめ。ロシア文学はいいぞ。
ところで、高校時代の友人曰く「ドストエフスキーにはまるのは自己愛と自己嫌悪の衝突を必死にプライドで支える人間、言い換えるとモテない」とのこと。ひどい。
こっちはスマートなほうのロシア文学。一家が没落して家や土地を売らないといけないのに、家の経済状態をわかっておらず(認めず)すぐに物乞いに金貨を上げちゃう、現実の見えていないお母さんのキャラが強烈。ギトギト描写するドストエフスキーに対し、勘所をびしりと抑えるチェーホフ。
実家のお母さんと(特にお金関係で)うまくいっていない人におすすめ。
未読。怪作「木曜日だった男」は読んだんだが。ミステリはあまり読んでいないのでそのうち読む。
誰もが冒頭のマドレーヌの香りから想起されるママンとの思い出についてしか語らず、たぶんみんなちゃんと読んでないからなのだが、実は無職のマザコンが自分の性の目覚め(野外オナニーを含む)やソープ通いや失恋の思い出について延々と語っている話で、何度語り手に向かって「働け!」と言いたくなったことか。
しかし、実のところ登場人物の九割がLGBTという当時としては非常に先進的な小説で、さらに当時炎上していたドレフュス事件という両陣営を真っ二つに分断した冤罪事件をネタにもしているので(今でいえばMeTooやBLMに相当する)、実は差別反差別についていろいろ語っている増田たちにすごく刺さる内容だと思う。俺差別してないし~、あいつは〇〇人だけどいいやつだよ~、的な態度もぐさりとやられている。最高でしかない。
ちなみに、金に苦労しないボンボンがうだうだ恋愛で悩む小説が好きになったのはこの本のせい。「アレクサンドリア四重奏」とかね。
不条理ギャグすれすれで訳もわからずひどい目に合う小説。いきなりこの小説にチャレンジするのはしんどいので、まずは「変身」か岩波文庫の短編集を読んで、カフカのノリが気に入ったら読むといいんじゃないかな。
読んでいるとカフカがお父さんのことめちゃくちゃ苦手だったってのがびりびり伝わってきて気の毒(カフカは線の細い文学青年、父は叩き上げのビジネスマン。想像できるでしょ?)。お父さんとの関係がこじれている人におすすめ。
最高のダメ人間小説。精神勝利法なることばはどこかで聞いたことがあるんじゃないだろうか。作者は当時の中国人の意識の低さを批判したつもりらしいが、万人に刺さる内容。
ちなみに自分はダメな人間、情けないやつ、どうしようもないやつが大好きなので「指輪物語」のゴクリ(ゴラム)だとか、「沈黙」のキチジローだとかが大好きです。
さえないおっさんが妻の浮気を知りながら一日中ダブリンの町をウロウロするだけの寝取られ小説で(途中で女の子のスカートをのぞいて野外オナニーもする)、このリストの前に出てきた「オデュッセイア」のパロディでもある。
これだけだと何が面白いのかよくわからないのだが、実は当時の反英的な機運の高まっているアイルランドの空気を活写している。それだけではなく小説の様々な実験的手法の見本市みたいになっており、和訳もすごい。たとえばある章では英文学の様々な文体を歴史順に真似て英文学の発展をパロるのだけれど、和訳ではその章は祝詞に始まって漢文になり、漱石や芥川の文体を経て現代小説になるという離れ業で訳している。これがもっと無茶苦茶になると「フィネガンズウェイク」になるのだけれど、すでに言語の体をなしていないのでまだ読めてない。
上記の説明でドン引きしないでください。「ダブリン市民」をお勧めします。
結核療養サナトリウム小説。北杜夫ファンの間で有名な「ねーんげん的」の元ネタ。あらゆる知識を山のサナトリウムで吸収した主人公の運命やいかに! 「ノルウェイの森」で主人公が京都山中の精神病院にこの本を持っていくのは村上春樹なりのジョークか。
ただし、やっぱり長いので美少年萌えな「ヴェニスに死す」か陰キャの悲哀「トニオ・クレーゲル」にまずチャレンジするのがおすすめ。
はまったら「ブッデンブローク家の人々」や「ファウストゥス博士」を読もう。
洗脳エンドのディストピア小説なんだけど、増田で「一九八四年」が古いと言われてしまうんだったらこれはどうなるんだろ。読むんだったら他の「すばらしい新世界」とか「ハーモニー」とかと読み比べて、ディストピアの概念が現実の社会の変化に合わせてどんな風に発展してきたからを考えながら読むと面白いのかも。
未読。長すぎる。
未読。
文学サークルの友人に勧められて読んだんだけど、とんでもない小説だった。あらすじとしては、野望に取りつかれた南部の人種差別主義者が自分の帝国を作るために理想の女性と結婚するが、その女性に黒人の血が混じっていたために離婚して別の女性と結婚することから始まる、二つの家系の因縁話なのだが、時系列がしっちゃかめっちゃかなのでとにかくその男の妄念とその子孫の不幸ばかりがじりじりと迫ってくる。あまりにもすごかったのでフォークナーの他の作品は読めておらず、黒人差別を扱った小説も怖くて読めていない。
未読。
読んだがよくわからなかった。うつ状態のときには時間の経過さえも苦痛で、それを救ってくれるのは音楽だけだ、的な話だったか。とにかく本を読み漁っていたころ、新潮文庫のサルトル短篇集を意味も分からず読んでいたのを思い出す。わけもわからないままヌーベルヴァーグを観ていた頃だ。さっき出てきた高校時代の友人曰く「フランス映画のあらすじはセックスして車で逃げて殺されるだけだ」とのことだが、起承転結に還元できない小説を楽しむようになったのはこの頃からだった。
未読。
短いのですぐ読める。ゴドーはいまだに再臨しないキリストのアレゴリーだという説もあるが、実際のところはよくわからない。意味の分からない話だけど、僕らの人生も結構意味不明だよね、みたいな感じか。
未読。「愛人」は読んだが記憶のかなた。まだ幼くて没落する富裕層とその爛れた愛を十分に楽しめなかった。
どうでもいいが自分が年上萌えに目覚めたのは「海辺のカフカ」のおねショタシーンです。
レムの作品の中では一番好き。たとえ出てくる科学技術の描写が古くなっても(SFだとこういうことはよくある)、理解できない対象として立ちふさがるソラリスという惑星の描写は古びない。
SFは考えうるあらゆる可能性を検討し、人類の達成しうることや宇宙の中での意味について想像力の境界をどこまでも遠くまで広げていく文学だ。中には人類がろくでもない理由で滅亡してしまったり、人間など取るに足りないという悲観的なヴィジョンに至ってしまったりするものまであるが、それでさえ美しい。なぜなら、想像力がヒトという種の肉体に縛られまいと羽ばたいた結果なのだから。
最近SFをろくに読んでいないが、元気が出たらまた読みたいものだ。
初めて読んだラテンアメリカ文学。起こりえないことが起こり、名前がややこしいので誰が誰だかすぐに混同され、しかもそのすべてが意図的である。混乱してもとにかく読み進めてほしい。目の前で起きる不可解な出来事をまずは楽しもう。
慣れてきたら、これが不条理としか言いようのない南米の歴史の縮図だとかそんなことを考えてみるのもいいかもしれない。この本のおかげでボルヘスに、バルガス=リョサに、ドノソに出会うことができた。
一説によるとこの本が文庫化されるとき世界の終末が近づくという本の一つ(未確認情報)。新潮社がなぜか頑なにハードカバーしか出さない。ちなみに「薔薇の名前」にもそうした風説がある。
インド独立の瞬間に生まれた子供たちが全員テレパシーの使い手だった! こんな話があの岩波文庫に収録されるんだから世の中わからない。
主人公は裕福な家で育つが、じつはそれは出産時の取り違えによるものであり、誤って貧しいほうで育ってしまった子供が復讐にやってくる。それも、真夜中の子どもたち全員を巻き込む恐ろしい方法で。
インドとパキスタンの分裂、人口抑制政策、そういったインドの歴史をちょっと頭の隅っこに入れておくと面白いが、昼ドラ的な入れ替わりの悲劇の要素のあるSFとして娯楽的に読める。権力を持った強い女性に対する嫌悪感がほんのりあるのが難点か。
ちなみに、「悪魔の詩」も読んだが、(亡くなった訳者には本当に申し訳ないが)こっちのほうが面白かった。あれは当時のイギリスのポップカルチャーがわかっていないと理解が難しい。
独自の神話的なヴィジョンで有名らしいんだが、邦訳あったっけ?
未読。
卒業旅行でパリに持って行った。たぶん時期的には最高だったと思う。とにかく血だとか死だとか堕落だとか退廃だとかそういうのに惹かれる人生の時期というのがあり、まさにそのときに読めたのは幸せだった。もっとも、所詮自分はそれらを安全圏から眺めていただけだったが。
同じく卒業旅行でパリに持って行った。残念ながらフランス語はわからないのだが、フランスのサンドイッチは最高だった。当時はまだピュアだったのでキャバレーやフレンチカンカンは見に行っていない。
未読。
未読。
ドストエフスキーの作品がカーニバル的、つまり一斉にいろんな出来事が起きてしっちゃかめっちゃかになって、日常の価値観が転倒する、みたいな内容。確かにドストエフスキーの作品は爆弾抱えた人間が一か所に集まってその爆弾が一斉に大爆発、的な内容が多い。
ただ、これ以上のことは覚えていない。実はあまり文芸批評は読まない。
未読。
疲れたので続編をやるかは不明。日本文学や哲学・思想は海外文学ほど読んでないし。まとめてみて、遠ざかっていた文学に久しぶりに手を伸ばしたくなった。
思ったことや心のモヤモヤを書きたい事、あるよね?勿論俺もあるし、書いてる
しかし結果としてそれが意図のわからない増田となることもしばしば、ぶっちゃけ俺のコレだって怪文章の類なんだしさ
バンダイナムコゲームス、一部の派生作品はそこにCygamesも加わり運営され続けている「IDOLM@STER」という割と息の長いメディア・ミックス作品におけるユーザー(以下、作中での呼称に合わせ「プロデューサー」と表記する)のお気持ち怪文章がソレにあたる
あいつが好き、あいつが嫌いはまだしも、総選挙なる一大イベ時にはマイナーキャラ好きを貶めるメジャーキャラ好きや、踏みにじられる現状にブチ切れるマイナーキャラ好きプロデューサーの怒りの叫び、ヒネた長文等まあ色々投稿される
因みに当方は全くと言っていい程アイマスだのデレマスだのがわからない、分かることは去年の総選挙とやらの間すごい荒れてた(プロデューサーとやらが)事だ
彼らの叫びを聞く限り「夢見りあむなるちょっとメンヘラっぽい子は歴史も薄いのにトップ3に入りそうなのが許せない」「本田未央なる子が1位になるのだけは絶対に阻止したい」という意見が多かった気がする
で、その後の結果がそのりあむとやらと未央やらがトップ3に入ってたわけで
ちょうど諸事情でしばらく増田をその時期に見られなかったのだが、おそらくそのりあむと未央とやらへの怨嗟の叫びが凄かったのではないかと思う、上に挙げた様な増田を書いたプロデューサーがいたら彼女らの受賞時にどんな気持ちだったかお聞かせ願いたい
ソレがきっかけでアンチ化したとか、その後についても俺は知りたいからだ
余談だけども、白雪千代なる少々口のよろしくないクール系お付き人キャラへの憎悪、敵意、憤怒を向ける増田も去年の総選挙とやらの時期に定期的に見た、多分同一人物じゃないかなと思う
「あんなクソキャラ演じる声優のキャラなんて全部クソ」だの、「声優へ殺害予告送ったりライブ時にあのクソ声優のときだけ席立ったりしてやる」だの、「どうせ枕で得たポジション」だの言っていた、怖いよあなた
3月から今に至るまで常時テレワークになり、気が付いたら生活が充実してた。
充実といっても、布団やシーツを干す回数が増えたり、マメにゴミ出ししたり、
床掃除をよくするようになったり、棚に物がちゃんと収まってたり、そういう些細な家のこと。
仕事先で心身を崩した数多の同輩たちよりかなり恵まれた環境にあったと思う。
そんな中で始まったテレワーク期間も、当初は機材の持ち帰りが面倒だったり
まず家で働ける環境を作るために出費が増えたりと散々な気持ちだった。
意識が変わったのは、テレワークが始まって1週間後くらいのよく晴れた日。
天気が良かったので仕事前に布団を干して、昼休みに取り込んでそのまま横になった。
ほんのりあったかくて表面サラサラで、平日昼間から寝っ転がってる高揚感もあってか
なんだかすごくぐっと来たんだよね。
それまで布団干すのは数か月に1回あるかないかで、あとは年1でコインランドリーに放り込むくらい。
朝干しても、帰宅までに天気が変わらないかと不安だったから平日にはほとんど干せず
休みの日もたまった他の洗濯物優先で布団はなかなか洗えなかった。
それがテレワークだと、平日昼間も家にいるから日が出た時にはさっと干して
日が陰ってきたらすぐ取り込める。すごい。家にいると家事がしやすい。
それから仕事中の息抜きに、数分で終わる家事を意識してこなすようにした。
床掃除とか、棚に物を戻すとか、皿洗いとか。
家事も仕事だし、仕事の合間に仕事では気が乗らない日は平気で放り投げるので
頻度はばらばらだけど以前より確実に部屋が片付いた。
出勤時間がなくなって朝の時間が増えて、苦手だったゴミ出しの失敗が減った。
これまでは異臭がする前に燃えるゴミを出すので精いっぱいだったのに、
燃えるごみは毎回だせるし、他のごみの日も毎月コンスタントに出せるようになった。
それまでは「みんなに迷惑かけないため」と思い込んでなんとか毎日風呂に入っていたけど、
今は「みんな」にほとんど会わない生活なので、日々は汗かいたら軽くシャワーだけで
頭や体は2・3日に1回洗うだけになった(人に会う用事があるときはもちろん洗うよ)
今月に入って1週間ほど出勤する用事があったんだけど、
せっかく晴れてるのに洗濯物が干せなくて勿体ないなあとか、
やっぱりゴミ出しに失敗したなあとか、ちょっとかなり気が重い1週間だった。
そういう自分の杜撰さを見込んで、管理がしやすいよう広めのワンルームに住んでたけど
もしこの生活がこれからも続くようなら、寝室と仕事場が分かれた家に住みたい。
弊社がまだ原則テレワークなんだが、地元の他社は出勤も増えてきてる。
これどうなるんだろうなあ。
オタクのみんなー!わかってるなー!?一緒にぶち上がっちゃおう!!せーの!」
…夢見りあむは地下アイドルのオタクなので、オタクの好きなものが分かる。
よっしゃシンデレラ!
キュート!クール!パッション!ピンク!ブルー!オレンジ!ジャージャー!」
…私は地下アイドル知識はあまりないがMIXというやつなのだろうか。地下アイドル現場でこのコールをされているのはありふれた光景なのだろう。
「全力ダンシン 喉枯れシンギン
…りあむの思う尊いアイドル像。全力で踊って喉が枯れるくらい歌って、そしてファンとチェキ会などの交流。
「無茶振り上等 繋がり退場」
繋がり退場→りあむはオタクとの繋がり(恋愛)をする地下アイドルも見てきたということだろうか。尊くないと憤るのが目に浮かぶ。
…地下アイドルはバイトもしなきゃ生きていけない。そこも含めて頑張っている推しが尊いという意味だろうか。
…自分のファンに対して言葉。尊くないアイドル(りあむ自身のこと)を応援しているファンなんて推し変するしDD(誰でも大好き)だしどうせこんなもんと思っているのが透けて見える。
「どうせ僕に No No人権
…尊くない自分にはアイドルにおける人権はない。人権欲しいな。という言葉。
人権=尊いアイドルであるということなのだろうか?それとも人権=本物のファン?
「BURN BURN みんなが燃やせば
…炎上で注目を集めて、今の地位まで上り詰めたりあむ。りあむは尊くなれはしないが、注目を集めてチヤホヤされたいのも事実なのだ。ワンチャンをもう掴んでいるのでは?
「大体ここにいるみんな本気で愛してるぞー!」
…愛してるぞー!とは言うものの尊くないアイドルを推しているファンをりあむは本気で愛しているのだろうか。それとも何もせずともチヤホヤしてくれるからやっぱり愛してるのか。
「お願い死んでくれ!夢は夢で終わってくれ!」
…お願いシンデレラパロディ。死んで欲しいのは夢見りあむ自身。尊くない自分は死んで欲しい。
お願いシンデレラで言う"夢"とはトップアイドルのことだろうが、ここで言う"夢"とはなんだろうか。
「誰もが死んでくれ 夢から今目覚めたくない」
…夢から目覚めたら新たなストーリーが始まってしまうので目覚めたくないのだろう。りあむはなんの夢を見ているのだろうか。尊くないのにファンがたくさんいるこの現実=夢?
「なりたい なれない あの子も あの子も あの子も うん CALLーーーーー!!!」
それとも"あの子"は自分の立場になりたいだろうけどなれないということか。後者だとしたら悪趣味過ぎるな。あの子は尊いアイドル。自分は尊くない。でもファンが多いのは…?
手首をかけて ゆびきり(げんまん!)」
浮気、されるんだろうなぁという諦めも感じる。
責任とってくれるんだろうなー!」
…ファンのおもちゃとしての振る舞い。尊くないアイドルである自分はファンに媚びて繋ぎ止めるしかない。
「ガチ恋をすればいいじゃん 最前管理すればいいじゃん どうせぼくを全然見てない」
…ガチ恋ですら自分を全然見てないと言い切れる、りあむの自己否定感。りあむにとって自分にガチ恋している時点でオタクとしてアウトなのだろう。理想の夢見りあむ像を押し付けられたくもないように聞こえる。本当のりあむを見つけられる人間はいるのだろうか。
…アイドルじゃなくともぼくを愛して欲しい!というりあむの傲慢さが垣間見える。アイドルとかアイドルじゃないとかじゃなくて本当のぼくを愛して欲しい!チヤホヤしてくれ!
「会いたい」って願ってくれて
…ワンチャン=何もせずとも尊いアイドルになるということなのか。あんまり努力はしたくないけど尊いアイドルにはなりたい!
なれないよなぁ。
「もし思うことができたなら…そう、できたなら…
ー自己嫌悪」
…そんなことはりあむが1番分かっている。尊いアイドルにはなれない。そういう考えがよぎる自分に自己嫌悪する。
「お願い!死んでくれ 夢は夢で終わってくれ
…こんな自分はもうアイドルじゃない…というりあむ特有のやみモード。尊くない…尊くない…死んでくれ。
「誰もが死んでくれ 夢から今目覚めたくない
なりたい なれない ぼくだけ ぼくだけ ぼくだけ うん CALLーーーー!!!」
…尊いアイドルにぼくだけなれない。シンデレラガールズは夢見りあむ以外全員尊い。
(ガチ恋口上略)」
…ガチ恋しているファンでも、ぼくを見ていないと言い切った後でのガチ恋口上は悲しさすら感じてしまう。
期待なんてしないけど ハニー(ハニー)
甘やかして」
…尊くないアイドルの自分を否定し続けるとりあむ自身が壊れてしまう。尊くない自分を受け入れることにした。成長。
「チヤホヤ チヤホヤヤ チヤチヤホヤヤ チヤホヤヤ なでなで×5
チョローーーーイ!!!」
…だからオタク!ぼくをチヤホヤしてくれ!清々しいまでの尊くなさ。最高で最低の尊くないアイドル夢見りあむの完成。
「お願い!死にたくない 夢は夢で終わらせない
みんながぼくのアイドルだ!
…死にたくない=好きなことをしている自分を否定したくない。尊くないことを受け入れたりあむはこれから何を夢見るのだろうか。
尊くない自分を推してくれるファン。自分のことは見ていなくても、ぼくを肯定してくれるオタク達がぼくのアイドルだよ。というメッセージ。
「(お願い!死にたくない!)
(夢は夢で終わらせない!)
(だいすこ!クッソすこ!)
うんCALLーーー!!!」
…オタク歌唱、りあむコール逆転部分。尊くないアイドルとそれを応援するオタクの集大成。
よっしゃみんなでー!