はてなキーワード: なだれとは
彼は自分の思っていることを一切言わなかった。というより何も思っていなかったので、主張して伝えることが一切存在しなかった。
お前の考えていることがわからんと口々に言われた。実際何も考えていなかった。
持ち前の勘の良さと運の良さだけでもって生れてから現在までの時間を流されてきた。
ある時オズの魔法使いの劇を観た。自分も何かが欲しいような気がしたが、何かを記憶するのは彼にとっては大変難しいことだったので、家路を歩いている間に劇を観に行ったことすら忘れていた。
彼は17の時に兄に連れられ風俗街で童貞を捨てた。と言っても、娼婦の思わず賞賛の拍手が巻き起こるほどの意地の力でわずかにそれに使える硬さを得た逸物を強引にねじ込まされ、そしてそのまま引っこ抜くついでに突き飛ばされただけだったが。
彼の仕事はといえば、市長の代理で議会の椅子に座らされ、だれが作ったかわからない台本に書かれたYESやNOやSUREなどのごくごく短い文字を誰だか知らない連中からの質問に対して上から順に読み上げていくことだった。なぜこんな役職についているのか彼自身も周囲の人々も知らなかったが、ただ彼の第六感が粛々とすべての運命を決めていた。
彼の22歳の誕生日の日、その茶番を終わらせるべく怒れる市民たちが議会になだれ込んできたが、その凶兆を10年前から受け取っていた彼だけはその日自宅で妹相手にカメムシの触角を使ってでっちあげた数学を教えることで免れていた。
30歳の春の日、彼は妹の結婚式の最中に、突然走って出て行って、町の西側にある断崖をよじ登り、そのままそこで暮らし始めた。誰にもその行動の意味は分からなかったが、とにかく何かの前触れだということで、町はそっくりそのまま断崖の上に移動した。
その頃ようやく彼の頭の中に記憶を留めておくための文鎮や何かを感じたり思ったりするための風見鶏が置かれ始めた。それをこしらえたのも第六感の仕事だった。
彼は言った。
「この崖は町の重さに耐えきれずもうすぐ崩壊する。皆必要なものだけ持ってできるだけそっと降りるように。」
そうして断崖は乗せていた家々もろとも粉々になった。崩れる土砂からくる風で、彼はオズの魔法使いのことを思い出した。夜になって家を失った人々が肩を寄せ合ってふて寝しているのを横目に、崩れた土砂を登って姿を消した。
私は不幸そうな男がとても好きだ。
不幸そうといっても仕事に忙殺されていて……とかものすごい家庭環境が悪くて……とかそういった類の不幸ではない。自力で不幸から抜け出せる力を持っているのも違う。自分で不幸だと言い回っている人は論外。
生来持っている人のオーラ?というかゆったりと香る不幸感とか、目が死んでいるわけでもなく生きている訳でもない少し疲れた目?の人がとても恋愛感情的に好きだ。
よく不幸そうな女が好きな男の話は聞くが、逆って見たことないな?ネットで検索しても出てこない。
ネットの記事で挙げられている不幸そうな女が好きな男の特徴に自分の感情を当てはめると
①守ってあげたい→思わない。
②幸せにしてあげたい、何とかしてあげたい→思わない。
③私がいないと生きていけなさそうな優越感を感じたい→微妙なライン。場合による。
こんな感じになる。
このキャラを見るとこの人とシたいってすごい思うしめちゃくちゃにして欲しいって思う。なんというかエロく感じる。一緒にいるとその人の不幸な匂いが移りそうな感じが堪らない。その人の家になだれ込んで半同棲したい、髪の毛を洗って乾かしてあげたい。やばいくらい欲望で埋め尽くされてしまうのだ。
特にエンジニア界隈で賛否両論喧しくやられているようだけども、おそらく話がだいぶ長く進んだこともあって途中から読んだり前の方の話を忘れたりで議論の流れがおかしくなった批判やコメントがいくつも流れてくるので、ちょっと整理したいと思う。
まず最初に、例のワニ漫画をきっかけに広くネットに認知された「100日後」フォーマット。本漫画もそのフォーマットを踏襲し、1日ごとに新作が投下される流れになっている。
この流れに沿っていくと、読者はその「100日後」に何かが起きることを想定した上で物語を消化していくことになるが、その「100日後」が設定されていることを「物語の中の世界」は全く知らない。それどころかその残り日数を無視したかのように呑気な展開を見せることすらあり、読者はそのコントラストも込みで翻弄させられるわけだが、当然この47歳さんの案件でも同じことが起きている。
この増田を書いている2021/10/05時点で残り18日。いわゆる退職の意志を通知する期限が1ヶ月前だの2週間前だの、その点を以って47歳さんの動きの鈍さをどうこう言うコメントがあるようでそうした世間一般における転職活動上の慣習と比較して述べる見解にはある程度同感はできるものの、最初に強く胸に留めておかなければならないことが一つある。「100日後」の期限は、読者にしか見えてないのだ。
そしてさらに言えば、47歳さんは決して転職活動をしているわけではない。
何度か自身から言及しているように、彼は決して現職を辞める意志は持っていない。
https://twitter.com/tome_ura/status/1440876591718940673?s=20
https://twitter.com/tome_ura/status/1444499320145731585?s=20
辞める意志を持っていない癖に短期間にこんだけ休みまくってるというのは、はっきり言って理解に苦しむ。いやいいのよ、休んでも。ただ、彼は転職活動ごっこを通じて他社から内定をもらい、その内定を現職経営陣にちらつかせることであわよくば賞与0円の評価を覆させたいという狙いをもって現状を展開させているのである。その前提条件がありながら、わざわざ現職経営陣に対してさらに自己の評価を貶めかねない行動を取ることにどれだけの合理的理由がある?というのは、当然あがってくる疑問だろう。何しろ、休暇をとってまで進めなければならないほど急ぐ話では本来ないのだから。「100日後」のトリックについ騙されてしまうが、(L社の都合さえ目を瞑れば)可能なペースでゆっくりやればいいのだ。
またごっことはいえ転職活動を始めるにあたって、普通のケースであれば「何のために転職するのか」とか「転職先で何を求めるのか」というような、エージェントとの面談でよく行われるような自己確認のプロセスを全く踏んでいない。ほとんど衝動的に転職活動ごっこになだれ込み、atcoderに没頭している。
https://twitter.com/tome_ura/status/1441237149269958659?s=20
正味の話、40代から上のしかも(マネジメント方面ではない)エンジニア志望の転職活動となると本当の本当に厳しく応募者を評価してくるので、若手の転職活動ですら生半可な応募は簡単に落とされるのにさらにこの年代の転職活動は鉄骨渡りかってくらいに肝を磨り減らす状況になる。それが何となくフワッと始まってしまったわけで、そりゃ見ている方は黙っていられなくなるってもんでしょう、という感想もある(その厳しさゆえ、経験者ほど語りたくなる心理をくすぐるという話も)。
そう。何もかもがフワッとしすぎなんよ。実際、あんだけご執心のatcoderというかコーディングテストも、それを持ち出したL社がどんな志望度合いかつ適性マッチングで、彼がどこまで本気出さないといけないか分かんないし。ここを「100日後」フォーマットの都合で説明するための分量は割けないとかって言うのは簡単だけど、流石に読者に丸投げしすぎだと思う。
でこの時点で会社側の47歳さんへの評価というのを振り返っておかないといけないが、ぶっちゃけ「いてもいなくてもいい」レベルになってると思われる。
もちろんその評価が一時的な気の迷いとか、社長お戯れをみたいな話もあることはあるが、そのくらいの意味を持つメッセージを47歳さんに与えてしまったことになる。
https://twitter.com/tome_ura/status/1440149422537543680?s=20
なぜかって言えば、賞与が0円になるということは、当人が転職をもし考えているなら「賞与支給時期まで待たずに今すぐ出ていっていい」ということになるからだ。まさしくIさんがそうしたように。
https://twitter.com/tome_ura/status/1437984013939929088?s=20
通常退職を考える場合、いつ退職するのが当人にとってベストかという考え方でスケジュールを設定することになる。多くの場合賞与が支給される時期まで待ち、しかるのち退職日となるよう調整を図る。それより前に退職してしまったら賞与が貰えないからだ、と言ってしまえば当然のように聞こえるが、逆に言えばそれまでは辞められない。早く新環境に移ってバリバリやりたいぜなんてケースでも、6月末なり12月末なりまで待たないと動けないのはかなわん、ということだってあるわけで。しかし賞与0円ということはそういったしがらみがなく、もう当人の好きなタイミングで辞めてしまっていいわけである。金銭的には痛さしかないが、転職活動をアクティブに行いたいと思えばこれ以上ないメリットとなる。しかも採用側も「即戦力が欲しい」とすぐにでも動ける人材こそ大歓迎と募集を掛けるケースもあることを考えると、実は結構有利なカードを47歳さんは持っている。
ただ、どうやら当人はそこを十分に理解しているとは思えない状況なのが実にもどかしい。まあ転職に関する経験値がある程度ないとこの辺は発想できないところではあると思うけど、ただその辺をケアしてくれるのがエージェントなんだよな本来なら。
ちなみに採用活動においてコーディングテストを課すケースが増えているのはその通り。分野や当人の志向性にもよるが、40代50代でも必要と判断されたらコーディングテストが行われるのは何ら不思議なことはないと思う。特に30-40代くらいからはテックリード系の募集が増えてくるのでそうしたポストを狙う際には大体必要になると思っていて間違いない。マネジメント系だと流石に減る。けど最終的には場合によりけり。
ただ、そうした募集形態はWEB系に多く、それらで需要の高いPHPやPythonやJavaScriptといった言語に比べて47歳さんの選択したC++はあまりお呼びでないケースが多い。ゲーム系なら多少はあるけど最近はC#の方が優位だし、現職で彼が担当しているようなサーバー側をC++でやるってのも(ないことはないけど)かなり限られてくるので、その点でもどうなんだろうね?という疑問符はつく(物語の必要上敢えて入れてるフェイクの可能性もあるけども)。まあやるならMMO系とかかな、かなり会社限られちゃうけど。他はMLや仮想通貨含む金融系、決済サービス、あとIoTモノもいけるか?どのみち選り取り見取りというわけにはいかないのでかなり長い期間腰据えて良いマッチングを探す必要が出てくると思う。
それにコーディングテストがあるかどうかは過去実績等で事前に知ることのできるものだし、応募する意志があるならその応募前の時点から準備をするようエージェントが促すことだってできたはず。準備に時間が必要と感じればその準備を先に47歳さんにやらせておいて、OKとなってから応募するのでも全然遅くないし、そういうふうに採用企業側に応募スケジュールを待ってもらえるよう、エージェントに交渉を頼むことだって十分できる。そう振り返ると、さっきも気になったけどこのエージェントも結構大概な輩な気がする。
賞与0円提示を受けるまでの物語前半から中盤にかけて休日も含めて連日連夜出勤しどおしだったわけで、おそらく有給も代休も溜まりまくりなはずだしその点での心配はないだろう、会社の制度に従って休む限りは思う通りにやればいいんじゃないかな。
ただ最初に触れたように47歳さんは決して転職活動をしているわけではなく、辞める気は現時点ですら全くない。それを考えた時、すでに賞与なしというほぼ最低級の評価を食らってしまっている状況でしかも他社の内定提示を以ってあわよくば会社側にその評価を覆させようとしている戦略と、いかに就業規則上認められた範囲の休暇行為とはいえどこまでマッチしているのよっていう疑問は拭えんのですよ。
大事なことなので繰り返すけど、「休んでいいかどうか」で言えばどうぞどうぞ存分に、しっかり休んでリフレッシュしよ?制度は有効に使えば宜しい。ただ47歳さんの今企んでることからすると完全にマイナス方向にすっ飛んじゃってる。ここで認識のズレたコメントやレスバが何件か見えた。この辺の把握のしにくさは前後の流れを続けて追いにくい投稿形式故の泣きどころか。
しかし流石に今後もずっとこのペースの勤務状況が続くとは思えないけど、こんだけ会社側に心象悪くしてたら次回賞与も0円提示だよ普通に。
これは本当に難しい。
確かに物語前半のように来る日も来る日も目の前のことだけに忙殺されて一息つく暇もないような状況に置かれたままでいると、人間誰しもまともな判断がつかなくなる。それによって普通なら苦もなくできる常識的な選択すらもできなくなって、どんどんドツボにハマる。これが怖いからブラック企業みたいな環境には(できることなら)近づくべきではないのだ。
しかし、47歳さんの場合その理屈をどこまで通していいのか?という疑問もある。
明確な基準があるわけではない。しかし、物語前半で悩まされてきたデスマが終わり、例の0円提示を受ける前後くらいからは勤務状況にも余裕が出てきてそれまで黙殺してきた転職エージェントのアプローチにも連絡をとってみようかと思えるほどには余裕が出てきたところだった。今後の身の振り方を時間かけて考えてみるのかと思いきやいきなりそのエージェントの言われるがままに求人応募をし、さらに応募先企業の求めるがままにコーディングテストに入ってしまった。それに47歳さんには家族もいる。20代やそこらのまだ身軽な立場とは訳が違うのだ。ごっこではない本当の転職活動を考えたなら、真っ先に相談しなければいけない相手がいるのに、である。
そりゃないぜおい、と総ツッコミ状態になるのも頷けるというものである。
そう。この物語を読む上で大事な要素がもう一つ。ツッコミ役がいないのだ。
出てくる人間皆どこか呑気であっけらかんとしていて、ブラック企業然とした勤務体制の割にどこか抜けている。それがある意味、ブラック企業を構成するのは必ずしも悪意や力による強制とは限らないリアリティを帯びていたりして読む者を惹きつけるのだと思うが、物語上の要請としてはやはりツッコミ役がいるといないとでは、読者心理の安定感が違ってくる。
ツッコミ役が居らず終始ボケ倒すだけの物語進行は正直辛い。特に主人公が必ずしもヒーロー的ではなく、様々な出来事に戸惑い振り回されミスを冒したりしながら進めていくような場合、「そうはならんやろ」と物語中で言ってくれる存在がどこかにいないとなかなか人は安心できない。ツッコミ役とは、物語世界と読者世界をリンクしてくれるありがたい存在なのだ。
ただ本案件においては、このツッコミ役の不在が逆にそれらの読者のフラストレーションを活用してネットのバズを呼び込み、言葉は悪いが炎上マーケティング気味に成功した側面もあると思う。なので功罪両面から見ていく必要があるとは思うが、物語の消化、進行という意味では間違いなくデメリットとして記憶しておくより他はない。
さらに踏み込んでしまうと、この47歳さん、「自分が周りからどう見えているのか?」という視点が全くない。驚くほどに。
通常40代も後半となれば、どれだけ拙くてもいいからチームや会社からどのように自分が見られているかを把握し(ようとし)、その上でどのようにプレゼンスを高めていくかを戦略的に考えて行くことが求められる年代だし、それが会社からは給与賞与として反映される仕組みであるとかの理解として備わってることを期待されるし、転職採用側もそういった視点を強く求めて応募者を見極めようとすることだろう。
しかしこの47歳さん、(いくらブラック勤務疲れで思考力が弱まっていたとはいえ)ただただ賞与0円提示をひっくり返すためだけに転職ごっこをはじめ、その代償に短期間に有休消化を繰り返し、現職も辞める気はないとくれば、側で見ている方はただただ疑問符ばかりが並ぶしかないわけである。そんな他社からの内定があったからって簡単に会社の評価が変わるか?というのも疑問だし、万一それで評価を変えたところで、そんな易々と評価が二転三転する会社を信頼して居続けることを良しとするか?という疑問だってある。
そもそも他社の内定を糧に現職に賞与アップを迫るという構想自体が、47歳さんの中での完全なひとりよがりである。何かしら彼がそう発想するに妥当性を与えるようなエピソードがあったわけでもなく、経営側の視点も他社の評価やatcoderの成績がどうこう影響しそうな要素は微塵もない。せめてそこを何らか裏付けるような話の流れでもあればまた印象は違っただろうが、他者からの視点や評価を全く交えず完全に47歳さんの思い込みだけで始めてしまったギャンブルを、そう簡単に肯定的に受け止めることなどできないわけでして。ええ。
元々の話がその「自分の評価を上げるため」に始まったものだったはずが、その「上げる」人が誰であってその人は何をすれば「上げて」くれるのか、この戦略判断からして怪しいぞとなってくれば、読者も黙っていられなくなるのは必然。どう見てもこの展開で47歳さんが賞与もらえる未来線描けないもの。
それも含めて作者の狙い?バズ呼び大当たり?うーん、どうなんすかね。
わかんない。
ただ言えるのは、縷々この記事で述べた通り、狙ってることとやってることがチグハグすぎてどうしようもないなというのが正直なところ。元々は転職する気がないのだから、ごっこ遊びなんぞには目もくれず全く別の戦略が必要だったかなというのもまあまあある。ただ、会社の体質として問題があるのは確かでその点は転職は不可避なんじゃないかと思える一方、その現職になんだかんだでよく適応してるのも確かなわけでどうしたらよかったかと言われると正直わからん。というか47歳さん自身、どうすべきか以前にどうしたいかのところでわけわかんなくなってないかい?知らんけど。
一方で今の状況じゃ転職活動としては踏み込みが甘いし、冒頭に述べたように「100日後」なんてリミットは彼には本来ないわけだから、転職に向けた自己分析とatcoderの練習とを諸々仕切り直しつつ毎週の週末に少しずつ進めていけばいいのだ。そしてしかるのちスケジュールをぐにゃっと変えて残り-30日か-60日ぐらいのタイミングで転職する47歳さんあたりがまあまああり得る妥当な展開かな。
L社のテスト?本気なら待ってもらうしかないっすね。他の候補者がどういう状況か次第だけど、本気で交渉すれば結構融通きかせてくれますよこの手の締切は。待ってもらえないなら巡り合わせが悪うございましたってことで。
起きたら11時25分で、そのまま布団で二時間ごろごろしていたら、かつてこの地で一緒に学生生活を送り、遠くに住んでる友達からLINEが来た。
しまむらオンラインと一部店舗で、ちいかわのピアス3組セットがゲリラ的に販売開始したらしい。
オンラインはすでに品切れ…ピアスをあつめていてちいかわが好きな友達はずいぶん悔しがっていた。
いま住んでる県内に「一部店舗」もないそうだが、調べてみたら、私は自宅から自転車で30分くらいのところに「一部店舗」があるらしいので、急遽出かけることにした。
ちいかわのピアスの在庫の確認に行く、予定にない一日がはじまった。
ごろごろ至上主義者なので、本来なら生まれるはずのなかった一日が生まれたのだ。
しかしまたがった瞬間、前輪の空気が全ぬけしていることが発覚、慌てて家の斜め前の自転車屋さん(私の自転車の故郷でもある)に空気を入れてもらう。
ここにこの自転車屋さんがなければ、はじまったばかりの私の一日は終了していただろう。
「半年のらないと空気もぬけちゃいますよね」と言いながら、放置状態が長くて汚れていた私の自転車をクリーナーで拭いてくれ、大変恐縮する。
出際には「気を付けていってらっしゃい」と言ってくれた。
予定になかった一日の、予定になかった言葉で、とてもうれしくなる。
縁あってここに住んではいるけれど、地元ってわけでもないので道がよくわからない。グーグルマップを頼りによろよろと自転車をこいでいく。
行ったことがないところにグーグルマップ頼みで行くと、めちゃくちゃ唐突に着いた感じがすることがあるが、今回は最上位のそれ。
ほんとうに唐突についたので、友だちに「なんか着いた」と、ナガノ的な言い回しで到着を報告した。
普段は地下鉄のエスカレーターにばっかり乗っているので、その遅さに驚く。高齢者や子どもがよく乗るからだろうか?
予定にない一日の、予定にないエスカレーターの遅さだ。
ちいかわのピアスは売り切れていた。ピアス売り場の広告の品のポップの下がごっそり空いていて、ああ、ここにちいかわがいたんだな…と感じられたけど、
念のため、モップ掛けをしている店員さんがいたのできいてみようと後をついていく。
しかし彼女、しまむらの通路を予測不能な経路設計で進んでいくのでなかなか追いつけず、期せずして謎のダンジョン感が出た。予定外のダンジョン。
やっとおいついた店員さんに、申し訳なさそうに「ちいかわもうないんです」と言われ、友達に「ちいかわもうないんですって言われた」、とLINEで報告したら
することもなくなったので、そのままイオンモール京都五条に行ってみた。ミリオンタウンのすぐそばにある。私は行ったことがなかった。
自転車をとめて入口に向かっていると、入口のそばにいきなりステーキがあるのが見えた。
まったく予想してなかったので、ちょっとはっとした。店名に恥じないいきなりステーキぶりだなと感心する。
中に入ったら今度はカルディがあった。今日は22時からオン飲みだからここでお酒を買って帰ろう。オリジナルのチューハイがおいしいとちいかわの友達が前言っていた。
カルディの前には生ジュースのスタンドがあって、カラフルなジュースの広告がキラキラしている。
これもいい、あとで買ってみようと思いつついったんスルー。なにも食べてないのでお腹がすいている、まずはごはん。
大学生だったころ、一回だけ北大路ビブレのバ~ミヤンに行ったことがある。それ以来だ。
予定外のバ~ミヤン。思い入れもなにもまったくなく、とてもすがすがしい。オーダーはタッチパネルで非対面ぶりが徹底されている。
どれも、びっくりするほどおいしいわけでもなく、顔をしかめるほどまずいわけでもなく、とても安らいだ。
ドリンクバーのオリジナルウーロン茶(冷)は、ちょっと茶葉を煮出しすぎたときのあの雑な渋みがあってとてもいい。
わたしはこの、煮出しすぎた茶の雑な渋みが好きなんだ…と気づかされて感慨深く、気持ちよくごくごく飲んだ。
予定外のいい発見があった。
食後には、凍頂ウーロン茶と仏手ウーロン茶を、それぞれポットでゆっくり飲む。
そんなことをしていたら、一階の生ジューススタンドのことがどうでもよくなってしまった。あるあるだ。
せっかくモールに来たんだしなとそのまま一周することにする。
イオンカードのポイントが、専門店で買い物すると10倍とあるのにつられて、秋の靴下を6足買った。3足いくらのやつを二組。
鞄屋さんで、地元にいる母が好きそうだなと思いながら赤い革の鞄を眺めていたら、控えめに「あててみてくださいね」と店員さんが言ってすぐ離れていく。
モールはキラキラしてるし、靴下も買えたし、ひとりでに「たのし~」と口から出てきた。予定にないことはなんでも楽しい。
京都も田舎だけど地元はもっともっと田舎で、イオンモールがもっと身近だった。どこのイオンモールも構造は同じ、期せずして故郷を感じる。
母と二人で行くと、思わずきゃっきゃとしてしまって楽しいんだよな。ゆっくりお母さんに会いたいなあ、などとしみじみ思う。
実家から離れて暮らす多くの人たちが、そんな気持ちでいる連休なんじゃないだろうか。
レモンのお酒と、白ワインのサングリアを買うつもりで並んでいたら、5倍希釈のレモネードのもとが並んでるのをみつけて、ついついそれも買ってしまう。
この前NHKの「ストーリーズ 事件の涙」で、バス停にいた路上生活者の女性が急襲されて亡くなった事件を扱っていた。
そのとき、生前、すでに路上生活者となっていた彼女、大林さんが、ショッピングモールのエスカレーターのそばでキャリーバッグを持ってうなだれている写真が出てきた。
今日とても楽しかったから、帰る前に振り返ってもういちどモールの中を眺めていたら、頭にその写真が浮かんできた。
彼女は私だと思う女性はたくさんいて、私もやっぱりその一人だ。
今は買い物をしている側だけど、結婚も仕事もしているけど、それで安定しているというわけでもない。
大林さん、何かひとつボタンを掛け違えていた自分なんだ、あるいはこの先の自分なのかもしれないな、そういうことを思いながら自電車を漕いで帰路に就く。
もう夕方になっていた。
古い美容室の前を通りかかったら、女性のお客さんが出てきて、そのあと店内の明かりのトーンが少し下がった。
ああ彼女は最後のお客さんだ、髪色が明るく、ぱりっとしたパーマがかかったご婦人。彼女のリニューアルした髪の毛を、美容師以外で最初に見た他人は私だ。
これも、ほんとうならなかったはずの今日の、全然予定にないことでちょっとうれしい。
わたしなんかでよかったのかなあと思いながら、似合ってますよと心の中でいって自転車をこぎ続ける。
ガソリンスタンドの前を通りかかる。私が通ろうとしているので、スタンドから出ていこうとする車を、店員さんが手で制している。
今日私がちいかわ探しにいかなかったら、この車はここをすんなり出て行ったんだろうなと思いながら、店員と車に会釈をして通り過ぎた。
ガイドブックにも載ってない、小さな神社の舞殿が、橙色の献灯で照らされいて美しい。
いつも電車の中から裏側を見ている整骨院の、表側を通り過ぎて行く。
「○○施術院」とだけ看板の出ている普通の民家、「どんな施術を…」と、なぜかちょっとエロい妄想をしてしまう。
空気を入れてもらった自転車屋はまだあいていて、お礼が一言いいたかったけど、店員さんは奥にいたから声をかけるのはやめて通り過ぎた。
元パチ屋店員で自分自身も10年間くらいスロットにドハマリしてたことがある。
店員というか社員で、スロットの設定もやったことがあるので、当たり前に利益とか設定の内容とかも知ってる。
勝てないことなんて頭からわかってて、それでも娯楽だと割り切って遊んでた。
まぁ多分10年で数百万負けたと思うよ。
1年数十万、一ヶ月数万円なら、独身の趣味としては普通だと思うけど。
周りの社員もだいたいそんな感じ。
で、本題。
ゾーンに入るって話をしている人がいたので、その補足みたいな内容です。
パチンコもスロットも、いつもはとんとんだったり数万円の勝ち負けみたいなのを繰り返してるんですけど、突然10万とか勝ったりするんですよ。
やったことない人は、それだけお金儲かってよかったね(トータルでは負けてるだろうけど)。って思うと思うんですけど、違うんですよね。
自分は数時間でこれだけの大金を生み出せるんだっていう謎の万能感が沸き起こってくるんですよ。
人生で普通に働いていて、数時間で10万円を超える大金を手にする機会ってあります?
あったとしてもほんの一握りの人か、普通の人なら数えるほどだと思うんですよね。
ガチャに例えれば、10連ガチャ引くたびに最高レアをぽんぽん引けちゃうような状態って言えばなんとなくわかってもらえるんじゃないかな。俺、今神です。みたいな感覚。
しかも運というものは面白いもので、それが一週間に何回か起こったり、何日も続いたりすることもある。
そうするともう万能感がやばい。
道路の真ん中でなんか自分だけ光っちゃってるような気分になるわけですよ。
10年間で人生最大の勝ちは1日で20万円だったんだけど、その時ですら凄まじい万能感だったのに、以前お笑い芸人が競馬で100万円当てた話をしてたときに、自分が神になった気分で周りの人間が全員ゴミに見えるって言ってたの見て、20万でこれなら100万も勝ったらどんだけだよって金額以上に羨ましく思ったことがある。
それと、パチンコ・スロットも勝ち負けって言い方をするんだけど、要するに目の前の台とその向こうにいるパチンコ店と戦ってるわけですよ。
で、10万とか勝つと、相手から勝ち取ったっていう気持ちがまた万能感を刺激するわけです。
ましてや負けが込んでるときなんて、奪い返した感がやばいわけですよ。
どうせ負けるなら定期で貯金して溜まってから一気に使えばいいのにってよく言われるんですけど、やっぱりこの勝ち負けの部分が全然違うんですよね。
よく言われるパチンコ・パチスロの演出による射幸性が問題って話があるんですけど、自分にしてみればあの演出は勝ち負けの演出というより自分が神になるための演出なわけですよ。
ビカビカ!って光って、激しい音がなって、画面が暗くなってからの、、、、当たり!(ドカーン!)みたいなやつ。はい!今この瞬間、私神になりました!っていう降霊の儀式みたいなものなわけですよね。
そう考えると派手な方が派手な神様になれたような気がするからやっぱり規制が必要なのかな?
それはおいておいて。
そういう万能感に満たされることをゾーンに入ったというならたしかにそうで、自分はアスリートじゃないのでそっちのほうでゾーンに入ったことはないんですけど、格闘技の選手とかが闘志に満たされて負けることなんて一切イメージできないみたいになってるところを見ると、似てるのかなって思いました。(元記事ちゃんと読んでませんでした。あっちはトランス状態のことを中心に書いていたのね。すんません。)
ここから先は個人的な見解でしかないんですけど、ここまで読んでもらうとお分かりの通り、パチンコ・パチスロにハマる人って、普段の生活であんまり輝けない人なんですよね。
夫に虐げられた主婦、うだつの上がらないサラリーマン、ろくに努力もせずちょっとの才能だけで夢を追う若者、、、。
そういう自分には何もないのにこんなはずじゃないみたいな人が、数万円を稼ぎ出してしまったときに、それが本来の自分だって思ってしまう。
まぁそうなると、負けるのが当たり前な世界において、本来の自分(と思い込んでるもの)になれないことのほうが当然多くて、借金こさえてまで本来の自分(と思い込んでるもの)になりたがってしまうのも無理はないなって思います。
ホストから抜け出せない女性とかもそうなんでしょ?知らないけど。
ここからはポジショントークと思われても仕方ないんですけど、パチンコ屋としてはそういうお客さんには本当は来てほしくないんですよ。
借金までしちゃったらこっちがさせちゃったみたいで悪者になってしまうじゃないですか。
本来人生の輝ける瞬間なんて感じることのないようなどんな人でも、運が味方すれば人生の輝ける瞬間を体感できるものって考えたら、それ自体は悪いものではないと思うんですよ。
問題は、それがあなたの本当の姿ですって騙してしまうことでそれってどの業態でも起こりうる危険性であって、全てのパチ屋がそんなことまで望んでいるわけではないです。
そういう依存状態になりやすい人って、アルコールとか別のものにも依存してる場合が多くて、そうなるともうパチンコが悪いとかって話ではなくなってくるんですよね。
家庭環境だったり、先天的な問題だったりってなったら、解決するのは福祉の仕事でパチ屋の責任じゃないだろうって。
そういう人から搾り取らないでも十分に営業はやっていけるので、程よく距離をおいて、娯楽として楽しんでください。
こういう話をすると駅前ギャンブルガーがでてきて面倒くさいのでこれくらいにしておきます。
パチンコスロットは、目の前のビカビカ光る演出に騙されて猿のように金を突っ込んでるんではなくて、短時間で大金を手にしてしまったときの運を自らの実力と勘違いしてしまうことによって得られる万能感が気持ちよくてやめられないものですよ。(※個人的な見解です。)というお話でした。
京本が死んでひたすら悲しい、その悲しみを消化しきれていない、ラスト以降藤野は悲しみから立ち直れるかわからない、強い喪失感が描かれている、という風に読める。というか私はそうとしか読めなかった(ただ後述するように、創作賛歌とも読めるのでタイトルは言い過ぎなんだが)。よくできたマンガだとは思うけど、これを読んで心を折られたりやる気をだしたりするのは違和感が強い。人生を共にした友は理不尽に失われたけど主人公は立ち直って自分の好きなマンガ描いていくんだ!とだけ読むのはポジティブシンキング過ぎるんだよな。
そもそも作者は私の読みも可能なように描いているとは思うが、強いてその根拠を挙げるなら、
1.京本の部屋で泣いて以降藤野の表情は描かれていない(ので、ラストでもどんな顔で机に向かっているかわからない。漫画を描けているかすら不明)。
2.ラストのコマで藤野のうなだれ方が他の同じ構図のコマと比べて大きい。悲しみに沈んでいるように見える
3.ラストのコマは同じ構図の最も近いページのコマに比べて大して景色が変化していない(なので、事件後の藤野の未来が描かかれていない)
といったところ。
作者は創作賛歌とも読めるようにこのマンガを描いている(例えば、2.はより深くマンガに集中しているともとれるし、3.は明確にどれくらい時間がたったかは描写されていないので、立ち直ってしばらくたった後、ともとれる。1.は立ち直ってマンガ描きの日常に戻ったことを意味している、ととることは可能)というのはわかるんだが。まあ、解釈の幅を残すように描いているとは言えるだろう。悲しみを乗り越えて生きていくんだ!よりも悲しみとともに生きていくしかないんだ、人生は決定的に変わってしまったんだ、の方が私は好みなんだよ。
みんなワニみた?
「意外とよかった」 とか「紙芝居だ」 とか…
じゃなくて今日は、ワニの話。
「ワタクシも一人の表現者として…!」みたいな堅苦しいのはいいからさ
そろそろみんな見てるでしょ?
だから、映画を取り巻く"社会のアレコレ"は差し引いて、映画自体の話。
ネタバレはある。
でもさ、ネタバレ読んだから劇場行かないなんてやつは、ネットの藻屑になって死んじゃえばいいんだ。
そう、ワニの話ね。
みんな知っての通り、ワニは 100日で死ぬ。
そこから 100日前に巻き戻って、朽葉の冬から桜咲く春へと進んでいく。
そう、進んでいく。
進んでいくと、どうなる?
進んでいって終わる、進みだして始まる。
はたまた、繰り返す?
死を描くのってむずい、きっと。
MOTHER3 のドアノブ、覚えてる?あ、また話がそれちゃう。
電話越しで息子の近況を聞くワニのかあさん。
かあさんが送ってくるみかんが、作中ずーっと出てくるの。
冬も春も、夏もだよ。確かめたわけじゃないけど、確かそう。
みかんの旬っていつ?冬だよね、きっと。
何でダメかって?そういうの自分で考えるのが映画鑑賞でしょ、バカチンめ!
じゃなくって、今日は俺がみかんのこと、みんなに伝えたかったんだ。
ひどいこと言ってごめんね、うらまないで。
『未完』
あー、言っちゃった、はずかし。
穴があったら入りたい、でも、探したってみっかんないね。
そう、春も夏も秋も冬もさ、季節はめぐってる。
ワニたちは勝手に「次の夏は」とか「来年も」なんて区切るけどさ。
ワニが死んだ後の 『未完の世界』
言い過ぎ?言い過ぎ?
説明しすぎはダサいけど、今はそういう時代だって庵野も言ってたもんね。
「100日間生きたワニ」
タイトル変えたのはきっと、死ぬのがオチじゃないよってね。多分そういうこと。
「身近な友人のあっけない死と、その後の変わったようで変わらない日常」
みたいな、きくちゆうき本人の体験をもとにしてるんでしょ?
なんかそんなこと聞いた気がする。確認はしてないけど。
「100日後に死ぬワニ」 も本当はさ
"死んだワニを偲んで、一瞬だけれども、欠けた想いの SNS のみんな"
なんか変な炎上のせいでそうはならなかったけどね。
じゃなくてほら、みかんだよ。
みかんにね、点数がついてるの。
おいしかったよ、どれぐらい?なんて話してて
「うーん…98点かな…」
とかって、超高得点なのに、わざと不満げに。茶目っ気あるよね、ワニ。
98点ね、覚えといてよ。
でさ、舞台は進んで…
ワニがとあることから勘違いして、片思いの先輩に嫌われちゃったとブルーになるの。
するとねずみ君はバイクでワニを連れ出して、夕日のきれいな丘へ連れて行く。
「これ、持ってきた」
「おう、みかんなんて持ってきたの」
んで、パクっと食べたら
「102点だね」
「その 2点は何だし」
なんて、二人の他愛もない会話。
"102" 引く "98" で "4"。
きれいな夕日かな、仲良しの友達かな、4点足しちゃうかわいいワニ。
でもそんなワニは、普通に死んじゃう。
映画版に足された死後の話はまあ、ワニの死をそれぞれ乗り越えていく、みたいなよくある話だ。
でもね、それの描き方がよかったよ。
仲良し五人組 (引く "1" で今は四人組) の座る位置が少し替わっていたり、とかね。
みかんの話に戻るね。
ワニが死んでもなお終わらない物語は、カエル君っていう新たなキャラの登場でようやく先に進む。
なんか新エヴァの"いい女"みたいだね。違うかな。
このカエル君がまた難しいやつなんだけども、それは置いといて。
新しい街でなかなか友達のできないカエル君に、やっとこさねずみくんが手を差し伸べるシーンがあるの。
そう、夕日の見えるとこね。
「101点だな」
て、ねずみ君が。
ぼそっと言って、それで、泣き出しちゃう。
泣いちゃうよね。
誰か一人死んだくらいでは終わらない世界、ねずみ君の中にだけある一人分の穴がさ、元とは違う形で修復されつつあるの。
それって、101点なんだ。
そういうところで、『100日間生きたワニ』は救いの映画だった。
で、そういうの初めてだから、扱いに困っていたんだ。ゴミ箱に捨てていい気持ちじゃないだろう?
そう、死なれると困るのはさ、その後更新されないこと。
生きてると、102点のやつが 110点になったり、はたまた 40点まで落ちたりする。
だからなんか、会いたくなったり、もう会いたくはなくなったりする。
けど、死んだやつの 102点はもう変わらない。
ハイスコアボードに残ったままの記録。見るたびに悲しくなっちゃうの。
だからさ、ねずみくんはきっとこれから先も 102点はつけられないよ。
まあでも、そしたら 101点でいっか。
離れていても仕事が成立するのは、これまでに築き上げた人間関係や信頼関係があるからである。つまりテレワークとは、これまで積み上げてきた「信頼貯金」を切り崩しているだけなのだ。信頼貯金は減っていくと関係性が怪しくなっていくので、どこかの段階で実際に会う、雑談する、プライベートで遊ぶ、飲みに行くなどして、また「信頼貯金」の残高をチャージするしかない。
ところが最初からリモートで入ってくる新入社員に対しては、もともと貯金がゼロである。これは新入社員側にとっても、先輩に対する信頼貯金がゼロであることを意味する。そうした信頼貯金を積み上げるチャンスもないまま業務になだれ込んで、成立するのか。そういう心配である。
こればかりは、IT知識OKです、だけでは解決できない。その人が信頼できるかどうかを、どこでどう見るべきなのか。
プライベートで仲良くなった相手は、そこそこ信頼貯金がデカいのではないかという経験則はあるものの、じゃあ具体的にこうすれば信頼関係が高まるみたいな方法論は、経験則+精神論みたいな、意識高い系みたいなものしか存在してないのではなかろうか。いやそもそもテクニックで築き上げた信頼は、欺瞞(ぎまん)ではないのか。
米国企業のように、成果主義で雇用・解雇がスパスパ決まるような社会ならテレワークも難しくはないだろうが、日本の雇用制度は労働者の保護に手厚い。いったん雇い入れた人材は、アルバイトであろうと簡単には解雇できない。そうなれば、雇い入れる時点に全てがかかってくる。
面接すらもリモートになる中、採用担当者はITリテラシーだけでなく、信頼性の問題までも責任を負うことになる。これから能力が試されるのは、むしろ企業側ではないだろうか。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2107/14/news079_2.html
エアコンを切って窓を開けて、夜風にあたった。梅雨がちょっとだけ湿らせた、夏の始まりあたりの風が好きだったことを思い出した。
それはライブでスベった日だったり、ベースの子に彼氏がいることが分かった夜だったり、とにかく酒を飲んだあとに吹いていたと思う。
八王子のクソ田舎山道を千鳥足で下り、先輩の下宿になだれこむ。エアコンないんすか、とか聞いてもケチだから外で涼んでこいとしか言われなかった。俺は部屋でくすねたわかばを取り出して、ライターをくすね忘れたことに気がついて、先輩にライターを寄越すように言って、怒られて、結局吸ったんだっけか。
クソまずかったなぁわかば。外の箱燃やして吸ったほうがマシ。
モラハラの夫が今日キレた理由は、俺様の買ってきたコンビニスイーツを食べる時に皿を要求したら、コンビニスイーツが入っていた容器で食べればと妻に言われて、こんなもんで食えるか!!!!(ちゃぶ台返し)でした。
お皿がほしければ、自分で取りに行けばいいのでは?
コンビニスイーツでそんなに「俺様の買ってきたコンビニスイーツ」と恩着せがましく言われましても。
もうすぐ成人の娘に、なんで結婚したのと聞かれたけど、そんなん結婚するような時期はお互いよく見せようとしてるかりそめの姿に決まってるじゃないですか。
じゃあ私は結婚なんてしない、って言われてしまって、結婚に夢見させられなくてすまない...とうなだれたけど、結婚に夢見たせいでこうなってるのかと思うと、まあ別にいいかなって。
この内容について弱者は結局救われないだの、これは弱者男性ではないだのとうだうだ書いているバカ多すぎなのはなんでなん?
引っ越ししたり、オシャレしたり、運動したって誰ともかかわらないんじゃモテるわけないし友達できるわけもないやろ。中学生でもわかるわ。
それでうなだれているとか馬鹿かよ、こりゃ多数のマジレスが飛んできてるんだろうなとか思ってたら、だれもそのこと言わないとかお前ら本当にカスだな。
アホなうんちくばかり蓄えてマウントとってないで、もっと現実的なことに脳みそ使えよ。
いつまでも弱者男性同士でお手々繋いでで傷舐めあったり、自分は弱者男性だからしょうがないんだからとか逃げ道作ってるから弱者男性は救われない。
さらに、同時に車の後ろから走ってきたバイクに急ブレーキを踏ませてしまったのだ。
バイクに乗っていた人に少し驚いた顔で「大丈夫ですか?」と言われたので、大丈夫ですと答えると、そのまま走り去って行った。
自分は彼に「すいません!」と謝ったが、もはや彼の怒りは頂点に達していた。
「ちょっと考えればわかるでしょ。なんで後ろ確認しないの?」と続けざまに怒られた。
先の一瞬の安堵は地獄の底に叩き落とされた。
恥ずかしくて憤死しそうだった。
よくよく考えなくても、自分のミスに対しての至極当然の怒りである。
あわや事故になるようなミスをしでかしたのは自分だから、怒られるのはもっともだ。
しかし、恥ずかしさはそこではない。
30近く年下の男に怒られたのだ。
すべてが、この怒声で改めて思い知らされた。
そんな彼の怒っている顔を見て、申し訳ないという気持ちは生まれなかった。
ただただ自分が情けなくて情けなくて仕方がないという気持ちと、先輩に対するタメ口が許さないという気持ち、そして、なにより普段クールに演じている自分が、こんなことで怒られるのをローラに見られたことがつらかった。
しかし、彼は人生の先輩に対してあるまじき怒声で怒鳴ったのであり、これは許されることではない。
そこはローラも自分に対して気の毒に思い、心配してくれるはずだと思い込んだ。
優しい心の持ち主の彼女なら、自分の些細なミスよりエグザイルの無礼な態度のほうが許せないと思うはずだし、自分に肩を持ってくれるはずだと信じた。
彼女はきっと、心配そうな顔で自分を見ているに違いないと、そう信じて、彼女の顔をちらっと見た。
この期待はあっさり崩れ去った。
彼女の顔はまったくの「無表情」だった。
おそらく、いや、間違いなく「怒り」を表しているのだろう。
彼女も自分のどんくささと勘違いに怒っていたということに、やっと気が付いた。
そして、うなだれながら自宅に帰った。
そもそも彼は自分に対して敬意があったからいじらなかったのではなかったのだ。
だから、いじるほど関心すらなかったのだ。
無関心だったのだ。
そしてそれはローラも同じだった。
あそこの塾にいる人間みながそうなのかもしれない。
自分など、いてもいなくてもどっちでもいいのだ。
むしろいないほうがよいのだろう。
10年以上も司法試験の勉強を続けたのは、皆を見返してやりたくて、女にもてたくて始めた。
しかし、何年頑張っても結果をだせなかったら、このざまである。
女にもてないどころか、関心すら寄せられない。
クールに気取っても、何の関心も抱かれなかったのだ。
そう思い、いつものように塞ぎ込んだ。