2021-07-21

ルックバックは別に創作賛歌ではないのでは

京本が死んでひたすら悲しい、その悲しみを消化しきれていない、ラスト以降藤野は悲しみから立ち直れるかわからない、強い喪失感が描かれている、という風に読める。というか私はそうとしか読めなかった(ただ後述するように、創作賛歌とも読めるのでタイトルは言い過ぎなんだが)。よくできたマンガだとは思うけど、これを読んで心を折られたりやる気をだしたりするのは違和感が強い。人生を共にした友は理不尽に失われたけど主人公は立ち直って自分の好きなマンガ描いていくんだ!とだけ読むのはポジティブシンキング過ぎるんだよな。

そもそも作者は私の読みも可能なように描いているとは思うが、強いてその根拠を挙げるなら、

1.京本の部屋で泣いて以降藤野の表情は描かれていない(ので、ラストでもどんな顔で机に向かっているかからない。漫画を描けているかすら不明)。

2.ラストコマ藤野のうなだれ方が他の同じ構図のコマと比べて大きい。悲しみに沈んでいるように見える

3.ラストコマは同じ構図の最も近いページのコマに比べて大して景色が変化していない(なので、事件後の藤野未来が描かかれていない)

といったところ。

作者は創作賛歌とも読めるようにこのマンガを描いている(例えば、2.はより深くマンガに集中しているともとれるし、3.は明確にどれくらい時間がたったか描写されていないので、立ち直ってしばらくたった後、ともとれる。1.は立ち直ってマンガ描きの日常に戻ったことを意味している、ととることは可能)というのはわかるんだが。まあ、解釈の幅を残すように描いているとは言えるだろう。悲しみを乗り越えて生きていくんだ!よりも悲しみとともに生きていくしかないんだ、人生は決定的に変わってしまったんだ、の方が私は好みなんだよ。

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