はてなキーワード: がっかりとは
自炊でお手軽に野菜を摂取するために冷凍のミックスベジタブルを買ったけど、半分くらいがトウモロコシでがっかり。炭水化物は主食の白飯やパンで取れるからトウモロコシなんていらねぇんだよ。
日曜日、婚活パーティーに行ったのだけれども、残念ながらマッチングしなかった。仕方がないことだけれども、こちらが気になった人に選んでもらえなかったのはちょっと寂しい。そういうわけで、繁華街のツタヤで漫画でも買って帰るつもりで足を運んだ。
本当だったら地元の有隣堂で買うつもりだったのだけれど、持っていた歴史の本は読み終えてしまっていて、帰りの電車で手持ち無沙汰になるのが嫌だった。ついでに、部屋を掃除して見つけたクオカードを使いたかった。残念ながら、ツタヤではクオカードが使えなかったけれども。
買ったのは中村明日美子の短編集で、2冊買ったから、日曜日の帰りの電車と、昨晩の仕事帰りに分けて読んだ。この人はまず絵がきれいだから額縁に入れて飾っておきたいし、BLもGLも、感情がこじれてもお互いが本当に好き合っているのが感じられて素敵で、シリアスもコメディもうまくて、芸風が広い。何度読んでも飽きないし、いつの間にか全部のコマを覚えてしまうくらい読んでしまう。私の漫画の読むときはこんな風に短篇集を何度も読み返すことが多くて、本棚の漫画の数はそれほど多くはない。そもそも私の主食は活字で、漫画はおいしい食後のデザートみたいだ。なぜかあまりたくさんは読めなくて、お腹いっぱいになってしまう。
で、中村明日美子の作品を読んでいると、好き、以外の感情がなくなってしまう。わかりやすい話のときも、平凡さを感じさせないのはなぜだろう。起承転結、テンポの良さ、箸休めのギャグのせい? 絵が美麗だからそこに入り込んでしまっているから? 言葉にすると、なんだか普通のことでしかないようだけれど、普通のことを当たり前にやるのは創作では難しい、と元文学サークル所属の私は思う。
童話の翻案も素敵だ。あまり上手じゃない人が童話を翻案すると、全部似たような話になってしまうのに、中村明日美子はそんなことが全然なくて、切り口が私にはとても思いつけない。昔、兼部していた合唱サークルで、結局そことは喧嘩別れをしてしまったのだけれどもそれはさておいて、合宿で学年ごとに寸劇を出し物としてやることになった。でも、どの学年も童話のパロディで、凡庸だな、ってがっかりした(この感想にはきっと恨み言が混じっているから話半分に聞いて欲しい)。でも、この人の作品には全然そんなところはない。
読み通すと、美術館でだらだら、ぼんやりしたような幸せな気分になれるので、とにかくおすすめしたい。六本木でやっていたミュシャ展がすごくよかったときも、この間の浮世絵展も、こんな感じだった。だから、最高の帰りの電車だった。
美魔女を目指す必要はないけど、ある程度手をかけておかないと、ここまで差が出るのかと。。
例えば
ゆるっとしたおばさん服を着ない
アラフォー以上はまず艶。
パサパサなロングなら潔く切ればいいのに
顔の手入れ
20代の頃に教わって、毎日習慣になっていた、フェイスマッサージの成果を今実感してる
若い頃から、そして今もだけど、美容にお金をかけるほど、リッチではない。
ネイルサロンも高い美容液、高級ブランドの服やバッグなどとはずっと無縁。
肌や髪などの素材を大事に手入れ。
ドラッグストア勤務時代、出会った美容部員さんの多くがそう話してたのを実感。
その一瞬を豪華にいるか、そこそこを長くキープするか?は、個人の自由だけど。
お子さんを産んで、子育てが大変で、自分に構ってられないお母さんはもちろん仕方ない。
ただ、同窓会で会ったのが、独身メンバーだったから、おばさん化にはがっかりした。
自分のことだけ考えてればいいのに、その自分を放棄して、どうする。
当時あんなに鏡見まくってたのに、今は見てないの?
なんかただ悲しかったわ。
同じく結婚はもう諦めてるけど、自分までは放棄したくないかな。
まだ40にもなってないんだよ。
とりあえず、お金をかけなくてもできる
前回はこちら
https://anond.hatelabo.jp/20200904203318
ビジネス本を根拠として、娯楽を健全と不健全に分けるのは余計なお世話とか、「人間」と「作者という存在」を同一視するのは不健康とか、コンテンツを精神的に健康/不健康で断ずる行為はよくないなどの意見をいただいた。
特に、「私自身が敵意を持って何かを貶めたい意図を持っているので、記事そのものが精神的に不健康である」という意見には唸らされた。
一般に販売されているゲームで、自分がクリアしたことのあるものに該当はなかった。
やはり倫理基準があるので、人権侵害をメインに扱ったゲームは審査を通りにくいし、そもそも売れないのだろう。
それに、私がここに書かなくても、「グロ 残虐 ゲーム」などの単語でググってもらうと、有志がそういうコンテンツを紹介しているページに易々と辿り着くことができる。
なので、今回はフリーゲームを取り上げたい。フリゲは主に個人が制作するものなので、その人の心の健康がありありと現れる。考察にはうってつけだ。
以下に紹介する。できるだけネタバレはしない。
見た目はほんわかしているが、中身はエログロ(特にグロ)。見た目はMOTHER2のような暖かい印象を受ける。
プレイを初めて1時間以内に、このゲームの異常性に気が付くことだろう。気持ちが悪いタイプの異常性ではなくて、続きが気になるタイプの異常性だ。
ネーミングセンスが独特であり、作中の随所に現れる。
どこが精神的に不健康なのかといえば、ストーリーの救いのなさだ。特に2。1と3は、グロ展開を挟みつつも笑えて感動できる物語なのだが、2はとにかく救いようがない。
特にラストステージ。人によっては恐怖で進めなくなる。ニコニコ動画の実況プレイ動画にも、「怖すぎて〇〇さんの動画に来ましたwww」といったコメントが並んでいる。
私自身も当時は震えた。深夜1時頃にクリアしたのだが、翌日にあった英語の演習でミスを繰り返したのを覚えている。
あの時の私は、恐怖を感じていたんだろうか?
違うと思う。あのラストステージというのは、ぱりぱりうめというキャラクターの抱える苦痛や嫉妬や絶望や愛や夢が、画面を通じてプレイヤーを殴りつけるとしか言いようのない展開だったのだけど、その感情に心を揺さぶられたのだ。だから涙が止まらなかったのだと今では思う。
大学生4人(男2女2)が旅行に行く。そのうちの一人が入巣(いりす)京子。旅行先で楽しんでいる途中、事件が起こって1人ずつ行方不明になっていく。
パズルゲームでの得点によって物語が分岐する。バッドエンドだと、いりすが友人を したのを示唆するEDになる。高得点を取ると、行方不明は友人たちによる仕込みであったことがわかる。サプライズな誕生日パーティーをしたかっただけなのだ。
プレイを続けていると、ゲームフォルダ内のデータが少しずつ置き換わっていることに気が付く。テキストファイルや画像データが現れたり消えたりする。
最後までプレイすると、いりすのキャラクター性や、旅行について考えていたことや、男側の主人公であるうーじの抱える闇が明らかになっていく。
いったいどこが精神的に不健康なのかというと、〇〇と見せかけて、実は〇〇でした!みたいな展開の連続であり、特にその裏側に残虐性(しつこいようだがネタバレはしない)が潜んでいる。
以前の作品である「愛と勇気とかしわもち」でもそうなのだが、プレイヤーを悪い意味でビビらせることに全力を注いでいる。
プレイヤーの心臓に冷たい何かが突き刺さって、心臓が凍り付いて、血管が破裂するような恐怖を味わわせることに作者は快感を覚えているのでは?と邪推せざるを得ないほどに、このゲームはプレイヤーを驚かせてくれる。
数あるフリーゲームの中でも最大級の――精神的に不健康な作品だ。
ゲーム冒頭の説明にあるように、精神疾患の人や未成年は絶対にプレイしてはいけない。一般の人にもおすすめできない。やっていいのは恐怖を快感に変換できる人だけだ。
体調がおかしいと思ったら、プレイしている最中でも中止すべきだ。例えば、2周目に入ったあたりで、「ここで止めたら負けだ」とか、「モニカ、てめーは絶対○す」などの感想を抱くかもしれないが、それでも途中でやめるという選択はありだ。
作者、特に2周目の恐怖演出を担当した人間の悪意が突き刺さってくる。どのような理由でも説明できないほどに悪趣味な演出だった。
「このゲームを作った人たちは、学生時代に苛めや虐待などのひどい目に遭って、社会に恨みを持つようになったんじゃないか? だから、こんな残酷なゲームを作って社会に復讐しようとしたんじゃないか?」
私はそう推測した。
「違う。このゲームは高い評価じゃないか」という意見もあると思うが、典型的な確証バイアスだ。別の言葉で言えば、コミットメントと一貫性。
プレイヤーは、恐怖と戦いながら数時間~数日をかけてゲームをクリアする。敵だと思っていた存在は、自分のことを(以下略)。ハッピーエンドではなかったけど、恐怖に打ち勝ってこのゲームをクリアできた。俺はチキンじゃない!
終わり良ければ総て良しという言葉がある。悪趣味な演出にどれだけイライラしたとして、最後までクリアしてしまった後で、このゲームをプレイした時間が無駄だったと認めることはできない。
そんなことをすると自分は愚か者だったことになる。だからこそ、個性的なゲームだったね、just monicaだったねと高い評価を与えることで、自分の考え方と行動に一貫性をもたせようとする。それがこのゲームが高く評価される理由のひとつだ。
今までにないタイプのゲームだったのは間違いない。ホラーゲームが好きな人にとっては珠玉の一品だったと思う。私も、このドキドキ文学部!に評価を投じた。★4つだったと記憶している。
名前だけは聞いたことがあると思う。エログロかと言われればそのとおりだ。
この作品は、上下巻の約700ページ(しかも行間がほとんどない)に渡って以下のような展開が続く。
①ジュリエット(とその仲間たち)が乱痴気騒ぎを起こして一般人を強姦したり殺したりする
②騒ぎの最中かその前後のパートで、ジュリエット(とその仲間たち)による哲学論議が行われる
③ジュリエット(とその仲間たち)が不仲になって仲間を殺す。あるいは新しい仲間を作る
エログロ小説と世間では見られているが、実は哲学小説だ。作者であるマルキ・ド・サドは貴族出身でありながら、変態行為が露わになって逮捕→投獄というパターンで小説を書き始めたタイプの人だ。
この小説が有名になった理由のひとつは、サド自身が社会に対して抱いていた恨み(今でいう反社会性障害?)から生じるエログロ描写の反面、その知性や教養から精緻に描かれる人間社会に対する哲学的な理解の鮮やかさが奇妙なほどマッチしていることによる。
哲学的な描写の例として以下の例を挙げる。主人公であるジュリエットの序盤の師匠であるデルベーヌ夫人の科白だ。この小説のキャラクターは喋りの量が半端ない。ドストエフスキー並みだ。
※一部のみを抜き出した。この場面の文字数は引用箇所の軽く数倍はある。
「まあ!」とあたしはデルベーヌ夫人に申しました、「それではあなたは、御自分の評判などどうなったってかまわないほど、無頓着でいられるというのですか?」
「そのとおりよ、あなた。本当のことを言うとね、あたしは自分の評判がわるいという確信をもてば、ますます内心で愉快を覚えるの。そして評判がよいと知れば、まあそんなことはないでしょうけれど、きっとがっかりするでしょうね。いいこと、ジュリエット、このことをよく覚えといてちょうだい、評判なんてものは、何の役にも立たない財産なのよ。あたしたちが評判のために、どんな犠牲を払っても、けっして償われはしないのよ。名声を得ようと躍起になっている者も、評判のことなど気にかけない者も、苦労の多い点ではどちらも同じよ。前者はこの貴重な財産が失われはすまいかといつもびくびくしているし、後者は自分の無関心をいつも気に病んでいるの。そんなわけで、もしも美徳の道に生えている茨が、悪徳の道に生えている茨と同じほどの量だとしたなら、いったいなぜこの二つの道の選択にあたしたちは頭を悩ますのでしょう、あたしたちは自然のままを、思いつくままを、そのまま素直に信用していればよかりそうなものじゃありませんか? P.16
今時の心理学の本に載っていそうな感じではある。アドラーの『嫌われる勇気』に通じるものがある。
悪徳の栄えで論じられている思想はニーチェやハイデガーに通じるものがある。この世に存在し続けるものに重きを置いている。
私にとっては面白い小説ではなかった。万人にお勧めできるものではない。というのも、哲学的な論考はあるものの、残虐な場面や、人間的に醜い描写が多く登場するからだ。
今のコンテンツでいえば、『ダイナー』が一番近い。ダイナーを哲学的な内容にすると現代版の悪徳の栄えになる。
私が読むのをやめようと思いかけた場面のひとつを挙げる。ジュリエットが、師匠の一人であるノアルスイユという金持ちに気持ちを打ち明けるところだ。
※上を含めて、引用箇所を探して打ち込むのに2時間半もかかってしまった…いずれにしても引用が多すぎる。これで最後にする。
「おお、 ジュリエット、おまえはまだ全部を知ってはいないからそう言うが……」
「なら全部すっかり話してください!」
「おまえの父御さんや母御さんのことだがな……」
「どうしたと言うんです?」
「生かしておいてはおれのために都合が悪かった……息の根を止めてしまう必要があったのだ。で、二人ともばたばたと死んでしまったのは、おれが彼らを自分の家に招いて、ある飲物を飲ませたからだ……」
ぞっとあたしの総身に冷たいものが走りました。だがすぐに、自然があたしの心の奥底に刻みつけた、極悪人にふさわしいあの無感動な冷静さで、あたしはノアルスイユを正面からじっと見据えながら、「人非人! 何度でもこの名を繰り返してやりたい」と叫んでおりました、「あなたは見るも怖ろしい男です、でもあたしは、そういうあなたをやっぱり愛しております」
「ああ、そんなことあたしに何の関係があるのでしょう? あたしはすべてを感動によって判断します。あなたの兇行の犠牲となったあたしの家族は、あたしに何の感動も生ぜしめてはくれませんでした。けれどあなたがあたしにしてくれたあの犯罪の告白は、あたしを熱狂させ、何とお伝えしていいか分らないほどな興奮の中へ、あたしを投げこんでくれました」 P.57~P.58
ノアルスイユはジュリエットの父母を殺している。そのせいで、裕福だったジュリエットは修道院に送られて貧しい生活を送り、やがては売春宿で働くことになった。
その原因を作った張本人であるノアルスイユに対してこのような言葉を出してくるところに、この悪徳の栄えの醜悪さを感じた。読者をダークサイドに送り込もうとしている。
物語の中で悪事を働く人間の基本になっている考え方のひとつに、「悪事をする人間は自然に有益である」というものがある。考え方自体はとんでもないのだが、文学者が翻訳を務めている関係でやたらと格調高い文章になっており、それが読者の心に響いてしまう。
年末年始を使って上下巻を読んだのを覚えている。今では読むべきではなかったと後悔している。
いわゆる鬱小説というやつだ。心が痛くなるコンテンツ。とにかく痛い。この本も読むんじゃなかった。アマゾンで高評価がついていたので出来心で買ってしまった。
この小説のいったいどこが精神的に不健康かといえば、「いたいけな少女をいたぶること」を主眼に置いているからだ。
アメリカの田舎町に暮らす主人公のデイヴィッド(12)。ある日、隣の家に住んでいるルースのところに、両親を亡くしたという快活な美少女メグ(13才以上)が妹のスーザンと一緒に引っ越してくる。デイヴィッドはメグに心を奪われる。ザリガニ釣りから始まって、次第に仲を深めて、お祭りの観覧車に一緒に乗る。花火が綺麗、みたいな描写だったのを覚えている。
という言葉が脳裏をよぎった。まだ未成年だった頃、某動画サイトにアップされていた『true tears』というアニメを見ていた。眞一郎と乃絵が仲睦まじくしている様子を見て、ほかのみんなが一斉にこのコメントを打ち込んでいたのを思い出した。
この小説は、読者に精神的な苦痛を与えることを目的として、メグに対してありとあらゆることをやってのける。
メグは何でもされる。肉体的な苦痛から精神的な苦痛まで、何でも揃っている。
巧妙なのは、このメグというのが優秀設定のキャラクターであることだ。
運動神経は抜群で頭がよく、そのうえ美少女ときている。いわゆる利発キャラ。例えば、虐待が始まってすぐの段階で地元の警察に相談に行っている。普通の子どもはこういう行動を取ることはできないだろう。
実際、一度はルースの家から脱出に成功しかけるのだが、障害持ちのスーザンを気に掛けるあまり失敗してしまう。
ルースやその子ども達からの虐待はさらに苛烈になるが、デイヴィッドはただ観ているだけだ。傍から虐待されるのを眺めるばかりで何もできない。親に相談しようとするも、恐ろしくてできない…
この小説を読んでいる間に心が相当削られた。品性下劣という感想を抱きながらも、最後まで読まないといけない気分になっていた。悔しいが作者の勝利だ。
今回の記事を書くにあたり、隣の家の少女について調べたところ、ネットフリックスに映画があるらしい。今度見てみることにする。
作者である上原善広の父を主人公に据えたノンフィクション小説。ということになっている。物語というよりは、作者が精神的に不健康な例だ。
あらすじとしては、牛の解体場で働く上原龍造が、自らの腕だけを頼りに食肉業界の経営者として成り上がっていくというもの。
昭和の時代の話なので、解放同盟や共産党や右翼にヤクザが出てくる。彼らと渡り合いながら、少年だった龍造は成長を遂げてゆく。
問題なのは、ノンフィクションと謳っておきながら創作であることだ。
作中では、実際に存在した人物の名前や経歴が書き換えられている(ex 作者の父の名前は龍造ではない)のみならず、解放同盟支部の結成年や支部名その他、多くの事実に誤りがある。
作者と新潮社は解放同盟から怒られた。出版元である新潮社はHPで謝罪文を出している。作者である上原氏もnoteで反省文を書いているが、はっきりいって反省していない。
巻末のところで実父に関連して、自分の来歴や、元嫁や兄について語っているのだが、なんというかもう、ツッコミどころが満載なのだ。本編を読む前にこれを読んでいたら、一生読むことはなかったと思う。
荷物の発送や受け取りができる集合ロッカー。各ロッカーにひとつずつしか荷物を収容できないため、駅のコインロッカーが埋まるように、マンションの宅配ボックスが埋まるように、利用者が多ければ空いてないこともある。PUDO受け取りだが空きがなかった場合、不在と同じ扱いになる。
フリマアプリ「メルカリ」では「ゆうゆうメルカリ便(郵便)」と「らくらくメルカリ便(ヤマト運輸)」という発送サービスを用意している。ゆうゆうメルカリ便は郵便局・ローソンで、らくらくメルカリ便はヤマトの営業所・セブンイレブン・PUDOステーション等で発送できる。A4サイズ以下の荷物はそれぞれ「ゆうパケット」「ネコポス」として扱われている。
10/1正午に購入処理が行われた分からメルカリ便の料金が変わると発表があった。
改定前→後 | |
ゆうパケット | 175円→200円 |
ネコポス | 195円→175円 |
これは今まで料金が安いからという理由でゆうパケットを利用していた層が、一斉にネコポスに切り替える可能性を示唆するものである。ヤマトの営業所や対応コンビニそしてPUDOステーションの利用が増えるであろうことは想像に難くない。結果、PUDOステーションでの受け取りに支障をきたす恐れがある。
今夏、メルカリでは「メルカリポスト」の運用を開始した。一部のローソン等に設置され2月から運用が始まっている「スマリ」のらくらくメルカリ便バージョンといったところである。発送専用のスマリ・メルカリポストは大きなボックスに投函口がついたタイプで、とくにA4サイズ以下の荷物であれば数を気にせず扱えるという利点がある。しかしながら、私がこの記事を書いている2020/9/10現在、たった9か所しか設置されていない(https://www.mercari.com/jp/help_center/article/981/)。コロナで設置が遅れたのかもしれないとはいえ、10月の料金改定までに多少は増えるのだろうか? PUDOステーションは5000か所以上あるんだよね。追いつくまでにどれくらいかかるか分かんないな。
Q.備えるって具体的には?
A.再配達になってもがっかりしないとか、コンビニ受け取りを指定するとか。
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Q.メルカリとか使ってて恥ずかしくないの?
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A.メルカリ便だと匿名配送ができる。個人的には送り先の住所を書かなくていいのがものすごく楽だから匿名じゃなくてもメルカリ便使う。
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Q.コンビニや営業所でも発送できるのにPUDOステーションばかり混むの?
A.コンビニや営業所も混むようになると思うけど、店舗だと一時預かり最大n個みたいな制限はないから影響は少ないかと。小さい荷物でもロッカー1個埋めちゃうのは同じってところが肝なので。私はスマリでレジを通らない楽さを知ってしまったので、店舗よりPUDOステーションを使いたいと思ってる。
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Q.都会民め!
A.スマリがないエリアにもPUDOステーションはあるから使ってみてな。
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A.10/1よりネコポスで扱える厚さは最大2.5cmから最大3cmになり、ゆうパケットの最大3cmと同じになりました。つまりゆうパケットで発送していたそのままにネコポスで発送できるようになりました。だからネコポスに流れるであろうということ。
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Q.ヤマトは大変になるな。
A.それな。去年ゆうパケットプラスが始まって宅急便コンパクトの一部が流れたはずで、その分くらいはバッファあったのかもだけど、その後コロナ需要が爆発してるだろうしね。
そうだと思う。
とはいえ、かかりつけ医は手術担当病院でないと判断できない一点張りなので、弱ってる時に余計ぐちゃぐちゃさせてくれるなと思う。
自己判断であれこれよりは経緯や状況を連ねて伝える方が良いのかと思っていたけど、直接要望を伝える方が話が早いのかもと感じた(例えば、術後すぐに喉の違和感→咳をすると傷に響いて痛いから咳止めくれとか)。
7119も対応外な地域で、調べても「まずはかかりつけ医へ連絡を」としかなかった点も、そのかかりつけ医に聞いたら「町医者が対応できるわけない。責任逃れしたいだけだから救急車呼んで動けないって伝えろ」と言われた。
医師に限らず、まずは話を聞いて受け止めてくれってのは大きいんだと思う。
しかし今日の診察はその残念な医師が担当で行く前からダメージでかいが。
同業に厳しいのはあるあるかもだけど、まぁひどいのはひどいし、ひどいと感じたら伝えるしかないわな。
お心遣い、言及ありがとうございます。
つい最近起こった出来事ですらもよく知らないことがほとんどだろう。
例えばウイグル自治区でほんとにナチスドイツのやったような虐殺は行われているのだろうか?
遺体焼却用らしき『電気炉』の話をする、なんとか協会のウイグル人副理事をyoutube動画で見たけど、証拠は一切ない。話をよく聞いているとどうも噂レベルの話のようである。
私個人はウイグル人の弾圧はあっても、大量虐殺などはどうも胡散臭くて信じがたいと思っている。
そもそも中国共産党にウイグル人虐殺をする理由がない。とは言え、事実はまるでよく見えてこない。
最近の事象ですらこうなのだから、昔のことになればなおさらだと思う。
私でももちろん知らないことはいっぱいある。私などは不勉強すぎて、日本の戦時中の話ですらどうなっていたのかまるでよく知らない。
だから、はてな民のような平均的ネット民に比べれば多少はリテラシーのある人達でもホロコーストのことをよく知らないという事実は、過剰な期待をはてな民にしてはいけないという意味で、ある程度は致し方ないことだと思う。
記事の中にさえきっちり書いてあるのに、何が「ドイツ」なんだろうか?
id:haru-k 自国の辛い歴史を正面から見切るドイツに敬意。
id:kanose 『アウシュビッツ 死者たちの告白』の書き起こし。番組を見たけど、地中に埋められていたメモが発掘、しかし解読不能だったのが、やっと解読できて、内容がわかってきたというドイツの執念がすごかった
この人達が、アウシュヴィッツ(博物館)がドイツではなくポーランドにあるという事実を知らないのも恥ずかしい話だが、もっと恥ずかしいのはこの2つのブコメにスターがたくさん集まっていることである。
それを知らなくてもアウシュビッツ強制収容所がドイツにあると誤解しているのは珍しくもないので別にしょうがないとは思うけど、記事の中に書いてあるだろ、
とはっきりと、しかも冒頭近くに。研究してる人も下記の通りである。
「ゾンダーコマンドに関する公式資料は、実は一切残っていません。ナチスは大量虐殺の目撃者だった彼らの存在を知られたくなかったからです」(アウシュビッツ博物館 資料部部長 ヴォイチェフ・プウォサ)
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所・絶滅収容所は、アッパーシレジアと呼ばれるポーランドの南、スロバキアとの国境近くにある。行った人なら知ってるかと思うけど、結構遠くて辺鄙なところにある。
元々はポーランド軍の兵舎だったところで、1939年9月1日にナチスドイツがポーランドに侵攻して始まった第二次世界大戦で、要するにポーランド軍を追い出したのである。
そしてこのアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所がこれほどまでに有名になったのは、戦争期の後半にはビルケナウこそがユダヤ人虐殺絶滅政策の要になった収容所だからだ。
戦後すぐから冷戦末期まで、旧ソ連が適当な推計計算を行ったがために四百万人のユダヤ人が虐殺されたとされていた。ビルケナウの遺体焼却炉の火葬率を大幅に過大に評価したためである。ちなみに、冷戦時代からそれはあまりに多すぎると西側研究者は言っていた。だって、ユダヤ人移送記録からかけ離れているし、精度の高いユダヤ人人口計算から言ってもアウシュヴィッツだけが突出して多いために計算が合わなくなるからである。
しかしそれでも、百万人も工業的にユダヤ人を虐殺し得たのはビルケナウしかなかった。
アウシュヴィッツ以前は、ソビボル、ベウジェツ、トレブリンカ、ヘウムノといった絶滅専用収容所でユダヤ人工業虐殺をやっていたが、こっちの方は、もう一つある絶滅収容所の機能を持つマイダネク以外、全てナチスは破壊処分して証拠隠滅されて残っていないのである。なお、アウシュヴィッツ以外の絶滅専用収容所トータルでざっと二百万人のユダヤ人が虐殺されている。
何故か。極秘裏にユダヤ人虐殺をやったからである。またポーランドは鉄道網が発達していて、効率的なユダヤ人大量輸送を行うことが可能だったのである。
ナチス親衛隊は、ユダヤ人虐殺を徹底的に隠蔽し、「ガス室」や「処刑」といった言葉ですらも文書記録にほぼ残さずにやったのだ。
ナチス親衛隊のトップ、全国指導者であったヒムラーは、部下にヤバい言葉の訂正まで命じている。
あのユダヤ人問題最終解決を話し合った有名な身内以外いないヴァンゼー会議ですらも、処刑だの虐殺だのという言葉は使わずせいぜいが「適切な処置」だの「特別な処置」というような曖昧な言葉しか議事録には残さなかった。
殺される側のユダヤ人にしても「シャワー室に入れ」である。ガス室の周りには「消毒はあちらへ」などの騙すための看板まで掲げられていた。
こうした徹底的な隠蔽工作(つっても、完全な隠蔽は無理で、虐殺を明示的に示す文書はたくさん残っているが)は、戦後の否認論者に付け入るすきを与えてしまったのである。否認論者に取っちゃ証言など「信用できない」で一蹴できるので、どんなに膨大な証言記録があっても全部ウソにされるからね。
『否定と肯定』という映画を見た人も多いと思うが、あのデヴィッド・アーヴィングの背後に一体何人の歴史修正主義者・否認論者がいると思うだろうか? もちろん推測でしかないが、アーヴィングの応援者は何万人もいたに違いない。
アーヴィングの主張にしたところで、彼が否認に用いた主張のほとんど全ては、お仲間の否認論者のものばかりである。フォーリソンであったり、バッツであったり、ロイヒターであったり。
彼ら否認論者の主張は、知っている人にとっては噴飯ものでしかないのだけれど、無知な人を騙すことにかけては絶大な高価を発揮するとてつもなく狡猾な主張である。
例えば、マルコポーロ事件でおなじみの日本の代表的な否認論者である西岡昌紀が一番良く使う否認論を紹介しよう。
さて、これを言われてあなたはどう思うだろうか? 答えは敢えて言わないでおくが、この懐疑論に即座にきちんと答えられる人はきっと少ないに違いない。あるいは、こんなのはどうであろうか?
といちいち上げていったらほんとにきりがないほどの細かい否認論がある。これらもいちいち回答は言わない。問題は、無知な人はこうした否認論に容易に騙されかねないということであり、実際に大勢騙されているという現実である。
未だに、あのクソみたいな西岡論文を信じている奇特な人たちも存在するのである。
ちゃんと教えといてあげるわ、ユダヤ人人口は当時、ポーランドはドイツの大まかに言ってざっと十倍はいたんだよ。
追記:
ほんとに何も知らない人が多いなぁ。
id:deep_one ガス室の謎の一つに「チクロンBでは毒性が低すぎる」っていうのがあるのだが、ガスの種類は明記してあるのだろうか?別のガスを使ったんじゃないのか。一酸化炭素中毒の方が簡単って話もある。
まさかチクロンBの毒性を疑う?(普通の否認論者は毒性が強すぎるという疑問を言うのだが……)HCNって化学式なんだけど、知らないのかな? 「青酸」とも言われる猛毒だよ。当時は広くシラミ退治用に使ってたんだ。シラミは不衛生な上に当時大流行していたチフスを媒介してしまうからね。だけど、人の場合シラミより遥かに低濃度かつ短時間で殺害可能なんだよ。チクロンBっていうのは珪藻土に青酸を染み込ませてあるわけよ。これが空気に触れて26度以上になるとガスを放出する仕組みなんだ。ガス室に裸にした人間をぎゅうぎゅうつめに押し込めて、壁の上や天井からチクロンBの缶を開けて、その珪藻土の粒を部屋に落とすんだ。ぎゅうぎゅう詰めだから26度なんて超えてるしね。あっという間さ。阿鼻叫喚の中10分程度で死んだそうだ。
別の場所では一酸化炭素も使ってたよ。アインザッツグルッペンは現地でガス車を使ってたし、T4作戦でも使われた。ソビブルやヘウムノなどの絶滅収容所でも使われたよ。
おっしゃる通り。影響は何に比例するのか。そもそも本当に悪影響なのか。ポルノに触れないことによる悪影響はないのか。検証しなければいけないことはたくさんある。
そもそも子供でもスマホから簡単にポルノにアクセスできるようになったのがこの10年くらいのことで、それに関する研究はほとんど進んでいないんじゃないかな。
それでも、全てが明らかになるまで何もしないというわけにはいかない。現時点では悪影響があるという研究結果がでている以上、何らかの対策をしないといけない。
だから「とりあえず」ゾーニングという手段をとっている。範囲や方法は今後も考えていかないといけないし、後年になって間違いだったと言われる可能性も当然あるけどね。
あなた自身が「本屋の18禁コーナーとかは流石に行かない」と言っているとおり、機能しているゾーニングもある。
同じように、「18歳以上です」のボタンを見て諦める人もいるんじゃないかな。どのくらいの割合で、というのは見つけられなかったけれど。
あなたが実際にポルノに触れていることは、手段がまずかったことの根拠にはなるけど、ゾーニングという目的を否定する根拠にはならない。
手段の話で言えば、スマホやPC自体のほうにそういうコンテンツに触れられないような制限をかけることもできる。
あなたの保護者の方が本気で制限をかければ、twitterにすらたどり着けていないかもしれない。
あの漫画にはゾーニングが必要ない、あなたにゾーニングが機能しなかった、ということと、ゾーニング自体が必要ない、ということは全然関係ないことだ。
ゾーニング自体を否定するには、ポルノが青少年に悪影響を及ぼす、という先行研究を覆さなければいけない。
まったくもってその通りだと私も思う。件の漫画についても稚拙な反応が多く見られ、がっかりしたり怒りを覚える気持ちもわかる。
ただ、大人は何十億人もいるが、それでも時間は無限ではない。そして解決しなければいけない大小の課題は何百億も何千億もある。
「今日の晩御飯どうしよう」「何のおかずで抜こう」「友達と仲直りしたい」「餓死する子供を救うには」「人類を永遠に存続させたい」
大人も子供も、サボっているように見えてもそれぞれの課題に取り組んでいる。
18禁やゾーニングもそういう課題の一つだけれど、ほとんどの人にとって優先順位は低いじゃないかな。
私自身、それらの課題について今まで真剣に考えてくることはなかった。
私が興味を持ったのは増田に長文を書く高校生の投稿で、これにまともな返答がないほうがポルノよりよっぽど悪影響だと思ったのでこの課題に取り組んだ。
たまたま土曜日だったので色々と調べて書いたが、明日以降も同様のモチベーションをもって取り組むことは正直難しい。
ほとんどの課題は自動的に解決することはなく、興味関心を持つ個人個人が努力する以外に解決の道はない。
この作品はヒーロー系。ヒーロー系の醍醐味といえば能力を持った敵とのアクションシーンなんだよね。ここを期待して見始めたんだけど、結構がっかりしたことがあった。現実世界にも通じるような正確な裏付けはしていなくても科学的な根拠で打ち勝つみたいなシーンは欲しいと思っている派なんだけど、フラッシュさんはだいたいの敵を根性で倒してしまうのだった。全体としては黒幕が喋りすぎるところがちょっと気になったが、全体的におもしろかった。あと、ヒロインはあまり可愛くないけどなぜかモテているという謎の文脈は未だに納得していない。それから、サムネイルから出てくるスイパダーマンのパチモン感があるけどストーリーはちゃんと考えられておりいい意味で裏切られた。
こまったなぁ。
うちの妻の鬱がひどくなってきているよ。
明日からまた仕事だからだな。話が所々噛み合わないし、話し合ったことも何度も確認してくる。
いっぱいいっぱいなんだな。
妻の職場(学校)はブラックで本当に管理職にも何度もがっかりさせられている。期待はしていない。
それでも頑張っていこうとする妻をみているのは本当につらいな。
一番つらいのは本人なんだろうけれども。
あぁ、つら。
Twitterでもはてなでも掲示板でも、コンテンツへの不満を語ったやつが「嫌なら見るな」「not for you」でボコボコにされるのをすげーよく見るようになったけど、作者と鑑賞者の関係として歪んでると思うわ。
そりゃね、こじらせアンチになって叩くためにそのコンテンツに粘着してるやつは、他の趣味の方がいいぜ、下手すると犯罪になるぜって感じだけどさ。
追い続ける程度に好意は持ち続けてる人間であっても、この売り方は不快だとか、新展開に納得できないだとかの不満を持つことは当然あるわけじゃん。
ジョジョの二部四部七部が好きだが三部八部は面白くないだとか、龍が如く極の演出やストーリーはいいけど戦闘がだるいだとか、1st2ndアルバムは名盤で3で落ちたが4で盛り返したと思ったら新しく出た5枚目はがっかりだとか、Switchで遊ぶのは面白いがコントローラーの誤動作はマジで何とかしろとか、ランダム特典商法エグすぎとか、Twitterに面白い奴もいるがクソうざい奴もいるとか、あるだろ。
でもその不満が語ったやつが「じゃあ見るな」「not for youだっただけ」「黙って去れ」みたいに言われまくるようになってるのは、労力をかけてコンテンツを作った側と、金と時間を払ってそれを買った側の関係として、だいぶ不健全だろ。
不満や批判に対して、腰据えて再批判するならいいよ。「お前の批判内容は間違ってる」は健全だよ。
でも昨今は、「批判という行為をすべきでない。ファンなら全部褒めるべき、文句は口に出すべきでないしそれができないなら消えろ。全肯定ファン以外はファンにあるべからず」って風に切り分けたがる感覚が広まってるように感じる。切り分けが言いすぎなら住み分けでもいいけどさ。
なんか、それを鑑賞する者たちの空間ではほめることしか許さないのって、コンテンツ制作者もしくはコンテンツ自体を偶像・崇拝対象として扱うのが常識になりつつあるみたいで、居心地よすぎて居心地悪い。
こう地方議員がさ、別の地方の公共団体のやってる施設でやったコンサートに
とか口を出してそれがその地方の発展に寄与した名士の逸話に関わる民謡だったりしたらすごい大恥になるじゃんか。
なんでアニメやマンガや周辺イラストについては一切読み解けない状態でえらそうに一席ぶっても大丈夫っていう認識なんじゃろ。
「健全で快活なキャラを演出するスポーツ用のスパッツであり、見せても良いものでなんならスカートが余計。ただしこの女の子キャラは自分の服装に動きやすいだけでなくカワイイも求めており、短いスカートに合わせている。女の子による女の子のための服装で、男受けはそれほどよくない。なんだよハニワかよというがっかり感を男性キャラは持つ」
なわけです。
この程度の教養も持ち合わせてないのにわーわー口出しできるってすげえな、勇気なのか雑なのかわかんないけど勢いだけはすげえなって感じ。