はてなキーワード: 課題とは
心が目的の男女関係も過去には存在したのかも知れないけど、それは繁殖から遠ざかる性質だから自然淘汰されただけじゃね?
利己的な遺伝子的には余計なこと考えずにシンプルに繁殖を目指すわけで。そこに人権のような丁寧さや、複雑な気持ちなんてない、遺伝子の運び屋の機能性しかない。NO REASON.
女は男を選び、男はあまり女を選ばない、そのセクシャルパワーバランスでいままで存続してきたわけだが、最近はそのパワーバランスが崩れて女が男を選びすぎるようになっているんで、長続きしなそう。
有史以来、人間は繁殖以外の余計なことをやる余裕があるわけだが、それが肥大化しすぎると繁殖がお留守でおろそかになる、わりと存続の危うい生き物だよなあ。
世の中を良くしたい、平和に過ごしたい、平等な社会であってほしい……
常日頃から起こる問題を目の前に自分達の理想を実現すべく色々な人達が日々活動している。
特に社会問題の解決という大きな問題に取り組む人々も少なくなく、様々な人が沢山の問題を取り上げ、理想を叶えるべく動いている姿も多々見かける。
しかし、そんな姿ですら、そんな理想ですら、近年は妙に歪に感じてしまう。
何故なのだろう?
各々の想う理想こそが「正義」であり、その理想どおりの形が「正しさ」であり、それを実現するために「正義」と「正しさ」が原動力となって動いていて、それでもって「正義」と「正しさ」の規範から外れたものを淘汰し、正す行為が目立つからそう感じるのだろうか?
多分そうかもしれないと強く思う。
各々にとって「理想」とは意識的にも無意識的にも「正しい」こととしてインプットされており、その「正しさ」で「正す」ことが「正義」となっているのかも。
だから「理想」の通りにならない状況に『正義が怒りを呼んでいる』のかもしれない。
理想どおりにいかない、そうならない人が世の中には多すぎるから、故にその人らを「間違った存在」として淘汰して、定められた「正しさ」で正すのが「正義」であって、それで「理想」を実現させようとしているのかなとも。
──でもそれは正直言って危険だと思う。
おそらく「人を(或いは人の思想を)正しい方向に正せばまともな人間になってまともな世の中になる」的な認識が原動力となっているのだと思うがちょっと待て。
その「正しさ」は、自分自身にある「正しいと信じているもの」は 、自分達の理想が叶った姿である「結果」に結び付く行為かどうかを考えなければいけないのではないか?
理想や正義を持つことは決して間違いではない。間違いではないのだけど問題は理想を叶えるためにどのような手段を使っているかだと思う。
人を「理想通りにするための正しさ」で統制したって「理想通りにするための正しさ」で「理想どおりの姿が描かれているか」に疑問を持つ人間は必ず現れる。
理想を叶えるために「正しいこと」が絶対視されるとしたらその疑問を解消する猶予も無くなれば、視点を変えることで更なる解決に繋がるであろう意見も封殺されることになってしまう。
それどころか「正しいこと」と違う考え、意見等を「間違い」として淘汰する人間も必ず現れてしまう。
結果的に争いの火種を大きくしてしまうことになりかねないのも想像し難く無い。
要するにたった1つの視点である「正しさ」にこだわり「正しいこと」で統制しても『理想どおりの形にはならない』のではないかと、私は考えている。
1つの事柄でも沢山の視点で見る必要があり、解決の為に必要なことを丁寧に分割した上で纏めて手段と手順を組んでいく。
そして『目指すべき結果』にたどりつく為には様々な人の考えとアイデアと意見から多岐にわたる多彩なプロセスを組んでいき個人の現状、境遇、課題、個性等を把握して柔軟に対応できるようにノウハウ及び目的の達成、問題解決の為のフローチャートを構築していくことが必要だと思う。
その為にも沢山の人の沢山の視点による沢山の意見が必要であり、個々で考える必要もあれば人の力を借りることも必要になってくる。
たった1つの視点だけで問題解決と言う「結果」に結び付けることはまず不可能に等しい。
多種多様な視点から見て、多彩なプロセスを組んでいけば、それらの視点を潰す必要も無く必ず問題解決と言う「結果」に結び付けることができるのでは無いだろうか?
もちろん、これは決して容易ではなく、視点によっては懸念点、別の問題点も中には存在する。そんな不安は当然ある。
もし、懸念点、別の問題点があるとしたら、更に深く、細かく情報、手段を見据えていき、「懸念の原因」を解決させマイナスな結果に行き着かせる必要が無い手段や方法等を見出していき、懸念点も払拭できる道筋を組むこともできる。
もしかしたら誤りかけたとしても修復の効く内に修復できる道筋も作ることができるかも知れない。
同じことを繰り返し申し上げると決して容易ではないことであることは重々承知である。
だが、本気で問題を解決したいと、ましてや平等社会の実現と言った大きな理想、社会問題と言った大きな問題に至っては「正しいこと」で正すと言うような短絡的な手段では決して解決できるような問題では無いことだけはハッキリと言えてしまう。
そんな簡単な問題では無いからこそ、問題の「原因」を見つけて、プロセスやステップを細分化しパターンごとに分岐して多彩な状況に柔軟に対応できる形作りを行うことで道のりは険しくとも最終的には問題解決と言う「結果」に結びつき、各々が望む「理想」を形作ることができる。
だからこそ「正しいこと」にこだわる必要は無い。「正しくない」からと言って一方的に全てを否定する必要も無い。
「望む結果にたどり着く為の手段を、ステップを多彩に作っていく」べきであると、そして望むスタンスを、望む道のりを、個性を否定等せずとも「懸念点も問題点も解決できる方法は存在する」し「過ちを犯さずに済む道も必ず存在する」。また「取り返しがつく内にリカバリーを効かせれる手段」も考えていく必要もあるだろう。
視点を変えれば如何なるパターンも問題解決に繋げれる方法を形成することができるし、理想を叶える結果にも繋げることができるはずだ。少なくともそうだと私は信じている。
私も理想を叶えるべく、それに繋げるための道筋を模索し、ノウハウを構築していく1人となり、様々なことを考え何をすべきかを見極め、行動しなければならない。
──その道は険しいが、それでもやるしかないのだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210114084501
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1662758
https://anond.hatelabo.jp/20210205102112
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210205152509
https://anond.hatelabo.jp/20210205185215
考えられる定義は以下のうちのどちらか
一般的な感覚としては1の定義が自然に感じる。1. をはてなーの定義とみなした場合、差別主義的(元増田1がいうところのクズ)な特定のユーザが多数派であれば、「はてなーはクズである」が真である、といえそうである。
だが、これについては
別の記事についたトップブコメを仮想的にも「同じ人格」が書いているとみなしてダブスタだと批判することは可能だろうか?
これは難しい。なぜなら、以下の2つの条件が存在するからである。
これは何に似ているかというと、そう「民主主義国家の投票制度」に似ている。民主主義国家は国民の思想の多様性を認めており自由投票が可能で棄権も可能であるという点が一致する。
「半年前に最もアメリカで支持されていた人物つまり大統領の主張が「地球温暖化なんて存在しない」だったのに昨日アメリカで最も支持されている大統領の主張が「パリ協定に参加する」なのは矛盾していて一貫していない、アメリカ人はダブルスタンダードだ」
なんて主張には無理があるのは明らかだろう。
「半年前の記事で最も支持されていたブコメと昨日の記事で最も支持されていたブコメの内容が矛盾している、ダブルスタンダードだ」
これも、それと同じなので無理があるというわけだ。支持者も違えばスターをつけた人も違うからだ。
一方でスターをつけた人がダブスタであるという批判も可能である。同一人物が2つの記事のトップブコメにスターをつけていれば当然ダブスタとみなせるだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20210205185215
その結果、重複してトップブコメにスターをつけていたユーザは14.7%だった。これらのユーザはダブスタである可能性があるが、多数派とは言えないだろう。
今回の話題の実際の論点はこれだけだ。他の部分は枝葉で「はてなー」とか言い出すから話がややこしくなっただけ。
元増田1が本来主張できたのは「男には批判が集まりやすく女には擁護が集まりやすい」というところまでで、はてなーがダブスタとかクズだとかいう主張は無茶だ。
最後に自分の意見を言っておくと、「いやそれは記事のタイトルや内容が異なるから、男だから批判が集まったのかはわからないよ」である。
その二カ国は戦後国際秩序そのものを根本からぶち壊そうとしてるから大問題になってるわけで
万が一それが些細な失点に見えてるのだとしたら相当視野が歪んでるよ
https://anond.hatelabo.jp/20210205171506
んなわきゃない
でなきゃ日本が言い出したクアッドにアメリカもインドもオーストラリアも乗り気にはならんし欧州諸国もコミットしようとしないしイギリスから日本をファイブアイズに加えようなんて話も出てこない
以下、『夫婦関係のこと・いろんな意見を聞いてみたい』を記事A、『「自分は平気だから」という理由で家事をせず妻にも強制しないタイプの夫』を記事Bとする。
「まったくしない」は問題だが、「片方が多いか少ないか」というのは程度問題にすぎない、というところで意見が違ってくると推測される。
つまりAとBは必ずしも対称的な内容ではないという点に留意する必要がある。
A ameshonyan そんなに家事してもらいたければ家事好きな人と再婚すれば?としか言えないな。30年そうやって生きてきた人はもう変えられない。
「自分は家事をしないタイプであるがそれは仕方ない」として一貫している。
A atahara 妻さんは増田よりも自由に使える時間が多いようだけど、家事をしてない子供もいないとなると、普段は何をしてる?増田には妻さんの得意不得意は見えているのかな。納得いかないのは妻さんができる筈という事だよね。
B atahara 分かりみ。
Aについては「妻にも得意不得意があるから仕方ない」と諭しているのか「できるはずだから相談してやらせよう」と提案しているのか意図が分かりにくい。
Bでは素直に妻に賛同しているが、ダブルスタンダードとまでは言えないと思われる。
A ayumun 当番制にしては。
B ayumun 慣れるまでレベルが下がるのを諦めて、1回完全シフト制にした方が良いんじゃないすかね。一通り全部出来れば片方倒れても何とかなるし。
A baronhorse それ60年の不作というやつだわ
Aでは素直に妻を批判しているが、Bでは「仮に妻が専業主婦なら話は変わってくるだろう」という示唆をしている。
どちらも女性を批判する意図が感じられるが、ダブルスタンダードとまでは言えない。
A camellow 重い物を力の強い方が持つことはアリじゃん。時間、筋力、精神的余力その他モロモロを勘案して総合的に強い方がやると諦める。もしくは増田が与えられる愛の形と思う事にする。
B camellow これが怖くてルームシェアとかできなかった。トイレも風呂も掃除しなくていいという人と一緒になったらこちらが負けるの目に見えてるから。相手の意も汲む姿勢のある人とじゃないと共同生活はできない。
「出来る側がやるしかない」「そういうものだと諦めるしかない」として一貫している。
A cloverstudioceo すげー共感する。もう諦めるしかない、期待するとイライラするだけなので、もう完全に期待しないで、さっさと自分でやる。結局そんな時間かからないし、イライラするより消費エネルギーは少ない。
A daichirata 合う合わないってつまりはこういう所だよなぁと
B daichirata 同居ってそんなピュアな物でもないので、お金でも家事でも良いけど相応の何らかしらを提供し合えないと上手くいかないよね結局
A ed_v3 すごいストレス溜まりそう。そんなんで一生持つのかな。子供いないんだったら気軽に離婚してみたらいいんじゃないかな。若気の至りで結婚しちゃうケースって多いしもっと皆気軽に離婚すれば良いと思ってる。
「結婚は面倒だ」「結婚にこだわるべきではない」として一貫している。
A esbee とりあえず一緒に逃げ恥のドラマ全話みればええんとちゃう?だいたい増田の課題は網羅してたと思うよ……
B esbee うちもそうなんだよなー。男って、子ども産まれたら逆に家庭に興味を失わせる因子があるんだと思う。そのほうが遺伝子広げられるから。それを理性でなんとかするのが現代人なんだろうけど……
Aでは解決手段を提示しており、Bでは謎の疑似科学的仮説を披露している。
「家事をやらない側はそういうものだから仕方ない」「家事をやる側が何とかするしかない」という点で一貫している気もする。
A fossilcat 「気になった方がやる」このルールで家事の大半は自分が担当してる。細かい性格なので諦めてる。。。
B fossilcat これが我が家は逆に妻がそう。夫婦の片側が家事しない系の話が定期的にバズるけど、毎回旦那が叩かれてて頭にくる。主語と目的語がでかすぎる。
Aでは「家事をやる方が多く担当するのは仕方ない」と諦めを見せつつBでは「夫ばかり家事をしないと叩かれるのは理不尽だ」と不満を表明しており、整合性が取れている。
A fourddoor もうゴミ捨て含む掃除は完全に増田担当にして、平日の夕食は妻に作ってもらったら?休日の食事は気が向いた方が作るor外食で。同じ業務を分担するより、それぐらいざっくり分けちゃった方がいいよ
B fourddoor この人の言う通りこの人が悪いと思う。何も言わなくても自分で気付いて自分で痛い目に遭ってくれってそりゃ無理よ。目的を見失っている。子供のために最低限この状態を保とう、それに協力して欲しい、でしょ
Aでは必ずしも「均等な分担」を目指さない解決策を模索しており、Bでも現実的な解決策を考えない妻側を批判していて、一貫している。
A grisella 小さな違和感や不満をそのままにせず話し合っていくことは面倒だけど大切。もう無理ってなった時に「気づかなかった/大したことないと思ってた」と言われるのは本当にやるせない。お互い不幸。
B grisella 老後、家事やってた人が衰えて準ゴミ屋敷化する家は結構ある。何故か何もしてなかった方が先に弱ることが多い。無自覚に快適さを享受してきたせいで変化に適応できないのだろうか。急に認知症が進んだりする事も。
AとBとで別々の話をしているが、ダブルスタンダードとは言えない。
A GROOVY 奥さん自分の分しかやらないの?子どももこの先恵まれなかったら、別れてもそんなに生活変わらなそうなんだけど、ちゃんと話し合いしたほうがいいと思うけどなぁ。
B GROOVY うちも夫婦でこのタイプ。でどっちかがたまにうおー!てなって掃除する。私はパートなのでやらねばならぬことは私がやってるけど、最低限。怒られないから楽。子供も適当にやってくれる、楽
Aでは話し合いによる解決を提案している。Bでは自分語りをしているだけで特に記事内容には触れていない。ダブルスタンダードとは言えない。
ダブルスタンダードとまでは言えないが、「子どもできたら変わるよ」にまったく説得力がない。
A honeningen これ実は気持ちの問題で、分担を公平にするよりも感謝を伝え合えるようにするのが必要という気がする。そのへんトップコメのババーン形式はめちゃめちゃスマートで良いと思う。
B honeningen 実は分担の問題というより気持ちの問題が大きいと思うので、前に似たような話題であがってたババーンシステムが最高の解決策と思うんだよな。 https://b.hatena.ne.jp/entry/4697035196527633314/comment/diabah_blue
まったく同じことを言っており一貫している。
A htnmyb 見える化する方向なら、魔法の家事ノートがおすすめ。https://conote.info/archives/3130 アプリもあるよ。でも、まず分担を考えるより、自分が苦にならない家事量を決めておく方が楽かもしれない。
B htnmyb 家事というか、テーブルにゴミ放置、脱いだ服を床に放置、使ったものを元に戻さないとか、そういうのが地味にダメージなんだよな。位置とか決めてもなかなかうまくいかない。習慣なので都度言うしかない。
AとBで話の焦点が微妙に違っているが、ダブルスタンダードとは言えない。
A ipinkcat 夫婦間のコミュニケーションはとれてるの?増田の文章を読んでるとあんまりできてない気がするけど。一度腹を割って話し合いしなきゃダメじゃない?夫婦間で不満を溜めるのは良くないよ。
B ipinkcat 「自分は平気だから」って言う旦那の親御さん、父親が家事一切しない人で母親が家事育児を一人で抱えて部屋の掃除もままならない家庭だったりして。
「分担の度合い」の問題については相談を勧め、「家事をまったくしない」ことに対しては批判している、ということで理解はできる。
夫に妙なレッテルを貼っているあたり、妻側に肩入れしている印象はあるが、ダブルスタンダードとまでは言えない。
A jinjin442 コメントにもあったけど、ウチも同時にやるというのをやっている。掃除だけなので全部を賄えるわけではないけど、平等感は結構担保できると思ってる。それと共働きのときは掃除は外注、飯もよくテイクアウトしてた。
B jinjin442 自分は平気だけど、君が気になるならやるよ。となってるケースもいっぱいあるだろうけど、残念ながらそれには初期教育が必要。だってセンサーが搭載されてないんだから、そこはいじってやらないと。
AとBで話の焦点が微妙に違っているが、ダブルスタンダードとは言えない。
A Jinmen 役割分担のバランスを取るって考えはしんどくなるだけな気がする。うちもだいぶ不平等
B Jinmen 自分は相当散らかってても気にならない方だけど、妻がもっとひどくて、低いところで水準が一致してるからなんとかなってる感ある
「あまり几帳面にやらないほうがいい」という話で一貫している。
A kerokimu 洗濯は週2で掃除は週1私。 ゴミ捨て買い物は一緒に。料理は相手、時間が合えば手伝う。めんどかったら外食。金書類関係相手。 ちょっと汚くても気にしない伴侶に育ちましたごめん。
「あまり几帳面にやらないほうがいい」という話で一貫している。
A kkzy9 お互いが自分でやろうとするから、分担で揉めたことない
B kkzy9 そういう相手を選ばなければいいだけだと思うよ
「私たち夫婦はどっちも家事をやるタイプだから最高だ」という話で一貫している。
A lady_joker 諦めて自分でやったほうがいい。他人を変えようとするのは完全な徒労に終わるので、そんなバカなことをやるヒマがあったら「褒めて」とねだって甘えるのが吉。それができないならもう関係終わってるよ
B lady_joker どうすればいいって、夫を労って感謝して優しくして話を聞いてもらうのを待つか、諦めるしかないのでは。他人を変えるのは100%無理ということくらい前提になってほしい
「諦めろ、他人を変えようとするのは無理だ」という話で一貫している。
A makimakiJP よくそんな感じで8年もやってるな。。「一生我慢するor話し合う」だから私は話す方を選択した。家事が得意な方が何十年もかけて相手を育てるという意識でやろう。うちは結婚10年だいぶ育ってきたがまだまだ先は長い
Bでは自分の意見を述べていないので、ダブルスタンダードかどうかは言えない。
masanoT 正社員めざしてもらったほうがいいんでない?
masanoT そういう父を持ってた自分としては、母には受容せず戦ってほしかった。そんな女性像を刷り込まれたら結婚や将来に希望を持てない。まあ、一緒に家事育児やってくれる人が見つかったんで結婚してみたんだけども
Aでは正面から戦わずに別方向から解決することを提案しているのに対し、Bでは「戦ってほしかった」と言っており、ややダブスタ感がある。
ただし「分担の割合の問題」と「まったく分担してくれない問題」の違いで吸収できる程度の差異かもしれない。
A Miroc 整頓されてない、汚れている、散らかっているという状態に普通の精神状態の人間はストレスを感じる。平気だと言ってるやつ、お前は障害者か病人だからな?子供生まれたらマジで命に関わる問題になる。増田離婚しろ
B Miroc 断言するけど、散らかってても平気なのは発達障害か病気のサインだから、すぐに病院に相談した方がいい。健常者は散らかっている状態に危険を感じ、ストレスを覚える。自分も平気だと思ってる人、早く受診して
「家事をしない人間は異常だ」という主張で一貫している。精神的に問題を抱えてそう。
miyauchi_it うーん、生活に求めるクオリティが増田と配偶者さんの間で噛み合ってない感がある。いきなり自分のレベルに合わせてもらうのは難しいので、ひとつづつ解決することを目標に、嫌味にならない程度に声がけしてみては。
miyauchi_it うちはどっちもズボラなのでどんどん部屋が汚くなっていく。2週間に1回床を掃除したらまだいい方。コロナ禍で人を家に呼ばなくなって余計にひどくなった。
「うちはどっちもズボラだから噛み合ってます」という話で一貫している。
A moandsa 家事やってくれないの俺困ってるんだけど、が言えないなら厳しい夫婦関係に陥ってそう。
B moandsa 開き直ってるだけだよ
Aでは家事をやる側に相談を推奨しつつ、Bでは家事をやらない側に「開き直り」というレッテルを貼っている。
どちらの場合も男性側に厳しい印象はあるが、ダブルスタンダードとまでは言えない。
A mukudori69 なんかこれ逃げ恥の最終話でやってたやつでは…この間のスペシャルではざっくり分担しつつ気づいたところはやったら自分から報告&お礼でやってた
B mukudori69 あーツイでこの話題があったからこの釣りっぽい増田書かれたのかな? https://anond.hatelabo.jp/20210203235546
逃げ恥二人目。Bでは自分の意見を述べていないので、ダブルスタンダードかどうかは言えない。
A n_231 “相手がどういう考えなのかをそのまま聞くように” の結果はどこ行ったんだよ。「タスクしたいけどモチベーションが上がらなくて困ってる」ならマネジメントしてあげればいいし、「そのタスク不要じゃん?」なら略
AとBで話の焦点が微妙に違っているが、ダブルスタンダードとは言えない。
A natu3kan 家事って、こだわりが強い人の方から率先的にやった方がいいんだよな。気にならない人って、汚くなっても全く気にならなくて、小まめに家事する必要性が理解できないし、几帳面な人には汚いは強いストレスなんだけど
B natu3kan 日本は家事に求める要求が高い面もある。共働きが当たり前の国だと惣菜や安い外食で済ませたり、金持ちならお手伝い雇って済ませてたりする。気にする方が動くしかないし、話し合いで互いにどこまで妥協できるか。
「気にするほうがやるしかない」で一貫している。
A nenesan0102 不妊治療っておそろしく心身に負荷がかかるから、奥さんつらいんじゃないのかなぁ。
B nenesan0102 togetterの方の米欄とはてなのブコメの違いがかなり開きがあるなぁ。ゴミ屋敷で育った人のエッセイ漫画があるけど、汚い部屋だと子供がアレルギー疾患とかになっちゃうから注意がいる。
「子どもの有無」が焦点となっており、ダブルスタンダードとは言えない。
north_god 家事のクオリティをどちらが拘るか問題で夫の方ができると面倒そうだなあと漠然としたイメージある。逆側の立場から言うと、要件項目より各タスクの目標値がわからなくて闇雲に頑張る宣言してもまず続かないかな
north_god 自分もそのタイプで汚れてて何で気にならないの?とよく怒られるんで、役に立たない主観的なトリガーよりこれ放っておくと後で喧嘩になりそうだな予測で対応してる
A nowww 夫婦のルールなんて他人に聞いても意味がない。夫婦で話し合う以外に解決する方法はない。 うちの場合は、得意なことをやる。苦手なのもは押し付ける。二人が苦手なものは一緒にやる。
Aでは「話し合うしかない」と言っていて、Bでは「離婚するか我慢するかしかない」と言っている。ダブスタというか、矛盾してる印象は強い。
A oktnzm こういうのは結婚前のパワーバランスがずっと尾を引いている。嫁さんが結婚してあげたとかセックスさせてやってるとか考えるうちは変わらんでしょ。他でもない嫁さんの意見を聞いてみたらいいんじゃない?w
AとBで話の焦点が違っている。ダブルスタンダードとは言えない。
A peccho 生活、金銭、体力、どれかに余裕がないから得とか損とか感じてしまう。余裕があれば、自分が洗い物してる間に妻がコーヒー飲んでたら「ふふふ、妻にコーヒー飲ませてやったぜ」と満足感を味わえる。
「俺はちゃんとやってる夫だから、ちゃんとやってない夫に当たりが強いよ」で一貫している感じはする。
A rirukarinka とりあえずその各種タスクをやめられない自分を自覚してはどうだろうか…。
B rirukarinka 最初から我慢比べに負けてるんだったら諦めるしかないよ。外注や便利家電の使用に文句言われるなら運用で解決するしかないけど、それでもやらないのは非合理的だし割安だが無料ではないのはアピールしていきたい
Aの方がちょっと何を言ってるのか分からないので、ダブルスタンダードかどうか判断できない。
A saiyu99sp そもそも異なる人間なのだから、自分と同じことを求めるのは間違い。増田が感じていることは自分を基準にしたもの。その基準は自分の中で勝手に作った幻でしかないよ。細かい対策は他のブコメの通り。
ふわふわした話だなあ。
続き。
今の先進国同様出生率が2未満に下がった状態から持ち上げることが出来ずに滅んだんじゃない?
なぜ今先進国がその課題に再び挑戦することができるのかといえば労働人口を途上国から搾取することが出来るからだ。
それにしたって人口が少ない国がちょっとばかり金があって教育水準が高いからといって人口の多い国から人も金も奪うという人間の格差を前提とする構造でしか男女の平等は実現しないのだから皮肉なものだ。
陰謀論や差別に関する議論に限らずだが、気持ちから始まって理屈で理論武装する前に、まず知識を身につけろ。
意見を述べる前に、まず勉強しろ。誰か/特定の集団から学ぶのではなく。
勝ち馬に乗りたい or 判官贔屓の元々の傾向があるから、本当に直感で判断すると、たまたま最初に見た/二番目に見た意見どっちかを親だと思い込んでしまう傾向が誰しもあって、
そこにある程度筋が通った理屈を与えられて、それだけを根拠にしたらどんなに頭の作りが良くてもみんな間違えるもんだ。
ジャンルによっては、
教科書的な本があってそれを一通り読んでみるべきなのか、
そもそも抱えている別の課題の解決を優先すべきで周囲の人と公的機関に助けを求めるところからなのか、
正解はないが、だからって何もせずに浅瀬でじゃぶじゃぶ何となく殴り合ってるのは最悪だ。
反論をもらって『自分の頭でちゃんと考えて』反論するようになったらもうおしまいだ。
せめてその反論がファクトチェックだったなら、相手にソース提示を求めるだけでなく自分で考える前に検索をしてみろ。
また曲解を繰り返すだけかもしれないが、何かヒントを見つけられるかもしれないから。
何が正しいかを全てその場でその場で自分の頭だけで考えて判断できる人間なんか、もはや存在しないし、これからも生まれない。
だから、どの論争においても(敵対してる両側とも)十分な知識と現状把握から議論できてる層と、浅瀬でお気持ちだけで戦って曲解した受け売りの知識で殴り合ってる層の二極化が加速していってる。
それが出来ないなら、お気持ち長文と揶揄されるのくらい我慢して気持ちだけ語るほうがまだマシだ。
意見に蓋をしたいわけじゃなく抑圧するためじゃなく、弱者が別の搾取構造に絡めとられて消耗しないためにも、何も知らない状態で変に道筋立てようとするな。利用されるだけだから。
森元さんの会見を見て思いました。
一般企業は、役職定年とか、定年制で引き際を作り勇退もしくは花道、もしくは戦力外通知を行い新陳代謝を図り、法人や組織としての生き残りを図る。
対して、政党・政治家はこの真逆で、高齢化した人たちが「引き際」を死の間際まで延長することで統制を図っている。
死の間際が75歳前後の時代であればかろうじてその伝統も通じていたことでしょう。
しかし、平均寿命の伸びた現代では完全に制度破綻をきたしています。森元さんの言動や謝罪会見は、それを身をもって示してくれた貴重な事例だと思います。
自民の「若手」のみなさん、よろしくお願いします。今は昭和では無く、平成でも無く、令和です。あなたたちが新しいルールを作って日本というOSをアップデートする使命があるのです。
言い換えると、政治家の「引き際」のルールを設ける必要があるのです。
尻馬に乗りたい人が多い自民議員の中で、ほんのわずかな「良心」を持ち続けている若手・中堅の方がたくさん在籍されている事実も知っています。
あなたたちは私たち庶民の代弁者なんです。理想と現実の落としどころを見つけるのが仕事なんです。引き際問題はその中の大きな課題の一つです。巨艦は方向転換が苦手なことは承知しています。その反面、若手・中堅に期待するところはそこなんです。そこさえできれば日本全体が幸せになれます。
ほんとに自民の若手・中堅に期待しています。逆風を跳ね返すみなさんの熱量で、今の自民を少しでもいい方へ導いてください。
政党や派閥を超えた超党派のみなさま。よろしくお願いいたします。
日本、生き続けろ!
、おい頭
、うるさいぞ
、実家に引っ込む事態になるならその時に運び込むのがベストだろう
、(物についても)考える余裕が必要だから実家に仮置きで思い出す作業もアリなのですよ
、やる気が無いならどんなにごちゃついた部屋に居ようとも湿気のある無しぐらいは分かる体で居ようと思うのが優先課題なのですよ
、そう言う事ですね
、寒さで干からびたくは無いんだろう
、爪切ろうよ
、そうですねそうですねそうですね
、いつになったら動くんだよこの体は
、そう言うのは終わりにしましょう
、まあそう分けられると何が何だか
、訳ありさんらしくと呟いてください
、何回ですか
、好きなだけ呟こうず
、好きこそ物の上手なれ
、逆だろう嫌な物こそ掲げてスッキリしていくべきだ
、そう言うのは問題認識の都合に合わせて変化するのでスッキリしない物事と経時的に
、お前らは神の啓示を求めて居ますね
、やめろ疫病神
、あれは疫病ですよ
、そう言う場合については緊急と言う名の暴力的支配……では無く
、ところで下さいって書くけれどどこに下ろすものなのですか
、支持点に下ろせばいい
、支持点……こりゃまた独特な
、独特と言うよりも堪忍袋の問答なのですよ
、今や我々は堪忍袋を鍛えて居るという訳だね
、さぁさっぱり分かんね
、殴るよ
、殴れる距離に来た時にきちんとムカついた旨を話してからにすると言う条件つきならいいですよ
、何問抱えてるんだよこの空間わよっ
、ローンの話は気をつけろ
、尻尾追っかけっこ楽し過ぎる
、楽しみってなんだったっけ
、鬱より躁がよろしい
、歩み寄りの話ならいつもしてる筈だけど
、お前は恋しているからそう思うんだよ
、いやぁ僕はこの世に恋してるだけですけど
、また誤魔化したね
、頭を放っておく場合じゃないってだけですけど
「メンタルヘルス(心の健康)に課題を抱える人に農家を手伝ってもらい、健康回復や社会復帰を後押しする――。和歌山県が新年度、全国的にも珍しい事業に乗り出す。県は『農作業で体を動かし、規則正しい生活をしてもらうことは、心の健康に役立つはず』と期待する。」
2月になったにも関わらず埼玉の「滑り止めの星」についての情報をご覧の方には、他の中学とご縁がなかった際に進学する価値のある学校か、という点がひとつ気になるところと思います。私共は入学して過ごしてきたものの、これはちょっと・・・と判断し高校から外に出る親子です。ありがたいことに次のステップに目途が立ち、子ども本人からもこれを共有してほしいということで書いてみました。2月に志望中学の合格を確保された方、おめでとうございます。こちらに上位の志望で合格された方、以下は読む必要のない文章です。在校生の皆さん、人間の評価軸は試験の点数だけではありません。どうかうまく生き延びて。
強調しておきたいのは、今在籍している多くの生徒さんたちは本当に賢い、良い子たちで、ここの大学受験勉強至上主義の教育にさらしておくのはもったいない子たちです。もう少し良質な教育を与えてあげればきっと様々な面でもっと伸びるはずだった子たちだと感じます。おそらく、宣伝が上手ということに加えて、首都圏の中学受験が過熱し受験者数がかなり増えた結果こちらにまで比較的質の高いお子さんが回ってくるようになったのかもしれません。
「学業以外も充実した時間を過ごして」「大学進学実績も悪くない」というのがその最大公約数でしょうか。これらを満たすかのように外部向けにアピールされている内容と、実際の状況とは実感として乖離している印象です。
中高一貫校に対して一般的に想起されるイメージとは異なります。
・ 教師の中には生徒を点数でしか評価しない方が少なくありません(婉曲表現です)。
・ 部活についても本当は推奨していないことを生徒に対して明言する方もいらっしゃいます。
・ 文化祭等の学校行事についても準備はミニマムで、時間をかけることは歓迎されません。
・ 学校生活全般の余裕が、1日の生活でも、年間のスケジュールでも、かなり少ないです。また、試験の結果が悪い子は、質が微妙な補習・追試の繰り返し(追追試もあります)で、気がついたら次の定期試験が始まってしまい準備が追い付かない、ということもあるようで低学年からとにかく試験に追われます。中高一貫の、高校入試がないメリットを生かしていない印象です。
これほど試験対策的な勉強ばかりさせられているのにこの程度の進学実績なのか、と感じます。また、(いろいろなところで他の方も書いてらっしゃいますが)東大クラスのさらにごく一部の進学実績がその数字のメインで、それ以外は実質「ベット」扱いです。平均的な進学先はMARCH未満です。そもそも東大や国公立の医学部に行きたいならもっと効率の良い王道の学習法があります。
・ 与えられる宿題・課題が精選されておらず量ばかり膨大で、生徒たちは悪い意味で「慣れて」しまって解答を写したり、アプリで数学の問題を解いたりしています。また、提出した課題の教師側のチェックがザルです。正誤や意味の理解は無視してとにかくこなす、埋める、という悪習が身に付いてしまいます。
・ 教師にはトップ校のリタイヤ教員もいるにはいますが、モチベーションが低いのか、微妙です。先生方は朝の駅からの誘導(ガードマンがわりに使われています)や、膨大な補習授業で疲弊しており、本務のはずの授業の創意工夫の質やパフォーマンスは高いものではありません。また、教師間のいじめに似たことも生じているようです。
・ 定期試験や模試のクラス平均が芳しくない場合、クラスの連帯責任としてクラス全体に非常に厳しい言葉・指導がかけられます。これは本当によくないことで、平均を超えている子供たちのやる気をそぎ落とします。なお、中学での成績が悪いと高校進学時に「野球の強いグループ校」への転出を強く薦められるとのことですが実態は不明です。
・ アルファベット3文字の略称の、夜遅くまでやる校内の予備校的なシステムがありますが、質は高くなく、受講はお勧めできません。せめて良質な教育を、と中高一貫校向けの都内の塾まで通おうにも開始時間に間に合わないのが実情で、大宮あたりのマスプロ系の大学受験予備校に通うのがせいぜいです。それでも根性で都内の塾に通っている子もいますが。
ちなみに、見切って高校から転出する際もバトルしなくてはいけないのが実情です(内申も期待できません)。それでも敢えて出る方が少なくないのは他の中高一貫校とは一線を画すのではないでしょうか。東大クラス以外はあっさり放流されるという話も聞きましたが分かりません。
ただ、たまたま私自身も中等教育に深く関わり、他校の最新の状況も知る立場であり、かつ縁があって同学年・他学年の生徒さんや親御さんたちの話をたくさん聴取した実感からも、ある程度の方が同じように抱く感想では、とも思います。また、学校側はかなりかたくなで、インターエデュで学校側への改善提言のスレッドを立てた方が、結局高校から外部に出た気持ち、今ならとてもよく分かります。
私共もまさかそれはないだろう、学校の宣伝するような良い点もしっかりあるのでは、せっかく合格した学校なわけだし、と思って我が子を進学させたのですが実際に子供と共に実情を体験して、教材や指導内容、授業の実際を精査してきて非常に身に沁みました。
通学時間がdoor-to-doorで1時間未満で(駅から重い重いリュックをしょって歩くと晴れた日でも15分はかかります)、かつ6年間受験勉強至上主義で質より量のスパルタ式教育を好まれる親御さん、お子さんでしたら合うはずです。類似のスタイルの学校は関西に一部ありますが、都内近辺ではこちらだけのスタイルと思います。それ以外であれば落ち着いた地域の公立中学から高受する方が心身の発達には良いと感じます。麻布蹴りでこちらに来た子がいる、と学校はおっしゃってましたがその子のメンタルが本当に心配です。与える教育が真逆も真逆です。また、都内どころか神奈川や千葉から通っている方もいらっしゃいますが、そこまですると長時間拘束されるこちらの学校では通学で1日が終わってしまいます。もちろん各ご家庭の価値観によるとは思いますが。
なお、1時間未満、と書いたのは授業時間がルーズな傾向があり、例えばホームルームを終えた土曜の下校も13時過ぎということはざらで、14時ごろになることもあるためです。また、前出の「校内の予備校的なシステム」を利用するためにも遠すぎるのは厳しいです。学校から駅までで寄り道が禁止されているために、地元からみると単なる「駅と歩道の混雑の原因」扱いで、地元住民の方や商店から敵視されているのは生徒の皆さんがちょっとかわいそうです。
学校最寄り駅から「教室まで」は20分から25分だそうです。なお、今春から快速が最寄り駅に停まることをポジティブにとっているのは学校側だけで(宣伝材料になるからでしょうか)、生徒からすると電車が来る間隔が広がるのでかえって迷惑、だそうです。試験の点数を基軸に教師先導で東大クラスv.s.その他のクラス、教師v.s.生徒、といちいち分断をあおる仕掛けが組み込まれているわりに、ほとんどの生徒は肩を寄せ合うモルカ―のように健気に頑張っていますが、中にはその仕掛けを真に受けてガチで見下す生徒が出てしまっているのは残念なことでした。極端な例ですが、卒業生による職業紹介の際にその卒業生が某旧帝出身と聞いて素で「ザコじゃん」と卒業生本人に言ってしまった子がいたそうです。毎朝唱和させられる内容(Wikipedia学校紹介ページ参照)には意味が無いようです。
もちろんエビデンスを提示したうえで主張できればベストだけど、それができなくても「間違いを認めろ!謝れ!」と言ってるわけではなくて、
「いい研究課題をいただきありがとうございます^^」とか言っとけば、別に自分の主張が間違いだと認めないうえでうやむやにすることはできるわけで、
規模の大きい、学部単位の学会とかだと、ガチで専門外の人が来てわけのわからない質問をされるなんて日常だし、そういう質問のいなし方って自然と身につくものだと思ってたんだよね。
(てか仮に相手の言い方に問題があったとして、そういう打ち切り方はフェミニストの方々がよく言う「トーンポリシング」なのでは・・・?)
とすると、やはり社会学ではそういうやり取りが弱くて、「お前の勉強が足りないから私の素晴らしい話が理解できんのだ」という態度がまかり通ってる、
だからそれをそのままツイッターで垂れ流してしまうのではないか?
て思っちゃうんだよな。
【追記】
まさに女子大生起業家()がエビデンスをもとにネットを通して質問することで日本の社会学をこじ開けようとしたのに、あげ足取りで人格否定だとレッテル張りし、お仲間も「ネットで素人を相手にするのは時間の無駄」とか言い出して拒絶したのが山口先生の件じゃん。
https://togetter.com/li/1659464
でいえば、スタートの「意思決定ラインの登用には男性が優先されていると考えられ」についてのエビデンスの時に、適切な先行研究を示すか、ないなら「それは確かにこれからの研究課題ですね」とか返しておけば、(かっこよくはないが)何も問題なかったのに、
そうだな。次はお前が相手を気遣いながらもそう思っていることを優しく自然にどう伝えられるかってところが課題なんだろうな。
それができれば一気にやりやすくなるんじゃね?
「醜態をさらすぐらいなら最初から出てくんな」ってことを伝えるために
「法学にしろ数学にしろ物理学にしろ、専門分野で戦いを挑んでも勝ち目がないのが普通。なのになぜ社会学者は不当なバッシングという(十分に社会学的な)課題をその専門知識で解決できないの?」って伝えるのが、コミュ障すぎるし書いてあることも頭悪すぎるだろw
「法学にしろ数学にしろ物理学にしろ、専門分野で戦いを挑んでも勝ち目がないのが普通。なのになぜ社会学者は不当なバッシングという(十分に社会学的な)課題をその専門知識で解決できないの?」
建設的な議論を成立させるためのの大前提である「相手の意見を尊重する」が存在しないんだから。
おれ、全く分野違いだけど博士論文を書き進められなくて1-2年悩み続けて、心因性の脱毛症になったことあるから、一連のTweetみて身につまされる思いだった。
山谷みたいなところには物理的に近寄らない、が不可能で、むしろ向こうが移動してるから巻き込まれて死ぬみたいなのシステム的にどうにかしてくれないかな...
生きることへのモチベーションが欲しい
長い懺悔です
きっとこれから二留する、現在一休済の大学生です。きっと、というのは現在差し迫っている後期の試験に向けて何とかできそうな講義が二科目しかないからです。
病院にもカウンセリングにも頼ってます。それでも面談の時だけ元気になります。
講義に途中から出られなくなって(学期の最初は頑張れる)、追いつくためにやらなきゃいけないことを確認するのが怖くて何もせずだらだらとしたまま結局試験日を迎えてしまい、放棄する。これを二年の夏から四年後期の現在まで繰り返しています。
試験の二週間前から頑張らなきゃと布団の中で唱える日々です。これで娯楽にも手をつけられない状態ならば心の不調だ、仕方がないと思えるのですが一丁前にゲームや映画鑑賞はできます。現実逃避のためかイラストを描くことに没頭します。
どうしようもない人間です。
頑張らなきゃ、と唱えることを繰り返してきた人生でした。
自分の話には言葉が足りないので、昔から人とコミュニケーションを取ることが難しく、苦痛でした。暗黙の了解はわからないのに、みんなが自分に向ける冷ややかな目は感じ取れました。
生きていく上でコミュニケーションは必須なんだから、頑張らなきゃ
怒られることが怖くて宿題を真面目にやっていたので、中学校までは勉強のできる人間でした。
怒られないようにすることだけを意識していたので、放任主義の中でどんどんと自分は堕落していきました。
やらなければいけないことを限界まで溜め込んで泣きながらやっつけの仕事を終わらせる。それの繰り返しでした。
明日の提出物を復習を予習を、頑張らなきゃ
終わらせることすら出来なくなりました。逃げ出すことを覚えてしまったからです。
試験を受けなくても、課題を提出しなくても、生きていけてしまうのです。
一番情けないのは、自分とみんなが持つ「頑張らなきゃ」という気持ちの内容はおんなじで、みんなはそれを乗り越えていることです。みんなは頑張れる人なんです。自分は頑張れない人なんです。
とりあえず生きててくれってよく言われるんですけど、その自分は何のために生きるんですか?
生きるしかないし、人は簡単に死ねないことはわかります。なら生きよう、となった時にしなければならないことを自分は頑張れません。嫌になってしまいました。
ごめんなさい。
「実はね、わたし最近○○くんにハマってて」友人にそう打ち明けると決まって「なんで今更?」と返された。私の推しは、あまりにも有名だった。
けれど、そんなことを聞かれてもわからない。推しとの出会いは運命だった。あの日、ほんの一瞬、画面越しに目が合ったあの瞬間、頭の中で何かが弾けた。私の意思とは関係なく目が否応無しに彼を追ってしまう。あの日の彼はブラックホールのようだった。それまでの私が知る彼とその日の彼は何かが違った。
この本の主人公あかりは、推しに出会った時の私そのものだった。
部活が終わると一目散に家に帰って推しが出ているテレビ番組を見た。お年玉をはたいて買ったライブDVDを、時間があれば何度も再生した。CDが発売される月は友達との遊びを我慢してどうにかその費用を捻出した。推しのために、生きていた。すごく楽しかった。
けれど、幾ら推しを推している時間が楽しいからと言っても、私にも "私の" 生活がある。
気づけば高校三年生になっていた。志望大学はどこで模試の判定は何で偏差値は幾つで… その頃からクラスメイトは自分のことを "ジュケンセイ" と呼び、周りも私たちのことを "ジュケンセイ" として扱った。私もとりあえず、自分のことを "ジュケンセイ" と呼ぶようになった。
けれどいつまで経ってもやる気は出なかった。正直、自分の将来なんかよりも推しの方が大切だった。大学受験は刻一刻と迫っているのにも関わらず、推しに縋って勉強から逃げた。大学には落ちた。自業自得だと思った。自分のことを "ジュケンセイ" だと呼ぶことは出来ても、 "受験生" にはなれなかった。
「折角、良い高校に入ったのに。」
気を使って言わなかったけれど、きっとみんなそう思っていたんだと思う。「地頭が悪いわけではないのだから頑張ればそれなりの所に行けるのに、どうして頑張らないの?」担任には遠回しにそう言われた。本当にその通りだと思う。頑張りたいとは思っていた。でも、推しの方が大切だった。何で頑張れないのか、自分でもわからなかった。
推しに出会って一年が経った。周りがみんな所謂「良い大学」への進学を決める中、なんて自分はダメな人間なんだろう、と自分で自分に落胆した。推しに縋って生きていたそれまでの自分を心底殴ってやりたかった。
推しに縋って生きた先に待っていたのは、社会の歯車に組み込まれた「わたし」の凋落だった。
苦しかった。このままで良いわけがないこともわかっていた。人間とは不思議なもので、自分にラベル(私にとっては地元で一番の進学校に通う勉強が出来る子)が貼られると、そのラベル通りの人間になろうとするらしい。"良い大学に行くために"浪人をした。高校三年生の時よりもちょっとだけ、頑張った。ラベル通りの人間にはなれなかった。
結局、滑り止めとして出願した今の大学に拾って貰った。首の皮が一枚繋がった。私は、あかりにならずに済んだ。(と思いたいだけなのかもしれないが)
こんなにも自分は怠惰で堕落しているのに、親が私の事を見捨てず変わらず接してくれることが苦しかった。なんでこんな自分に出資をしてくれるのか、わからなかった。リターンなんて何も無いのに。この先必ず廃業すると分かりきっている企業の株を親に買わせているようで、辛かった。自分が詐欺師にでもなったかのような気分だった。
未だに私は推しのことは相変わらず大好きだし、推しに縋って生きていたあの時と同じように狂ったように愛を叫んでいる。けれど、何かが違う。
大学生になった。
詐欺師から普通の人間になりたくて、必死にもがいた。辛い、もう辞めたい、と周りに弱音を吐きながら何が何でも良い成績が欲しくて必死に授業に喰らい付いた。二年前、私がなれなかった "受験生" になったかのような気分だった。気がついたら死ぬ気で喰らい付いた授業で優秀作品に選ばれていた。やっと人間に近づけたかもしれない。そう思った。
推し、燃ゆ。
こうなっていたかもしれない私の、話。
私の推しは今日も変わらず画面の向こうで笑顔を振りまいている。そんな推しをぼーっと眺めながら今日も私は目の前の課題に取り組む。