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はてなキーワード: 睡眠導入剤とは

2021-02-14

夜眠れないという親族

親族が夜眠れないと睡眠導入剤などを服用しているのだが、大変だと話聞いていたら、お前昼間めちゃくちゃぐっすり寝てるじゃねーか。

不眠の人に聞きたいのだけれどこれって不眠の範疇なの? 昼にぐーぐー寝たら薬飲んだって夜眠れないのはふつうじゃないの? 薬飲むべきものなの?

全然詳しくなくて教えて欲しい。

夜眠れなくて1日のサイクルが乱れるならば、昼間眠くなった時に色々対処すればいいと思う、というか本人にそうアドバイスしていいのか、どうなんでしょう。

散歩するとか、昼寝するにしても短い時間にするとか。

ちょっと黒い話をすると、不眠だから労って! 的なことを結構言動で示してくるので、どうにかしたい。

私も仕事私生活の動きがもちろんある。

昼間ぐっすり寝た上で不眠アピールは正直やめて欲しい。寝てはいるだろ。

まだ、生活リズムが乱れてしまっているぅぅぅぅーーー!!!! 的なアピールだったらいいと思うのだけど。

2021-01-29

うつ病になった人間備忘録

精神科になんとかかかり、鬱症状が見られるとされて服薬中の人間の備忘録。少しでも似たことがあるなら、早めに対処した方がリカバリーやすいのではないのかなという自戒も込めて。

まぁ記憶がやられているので時期とかは記憶違いない可能性もあります

異変その1:睡眠

以前の私は日付が変わる前に寝て6時から7時に起きる生活毎日繰り返していました。しかし、昨年ごろから異変が。眠れない。体は疲れているはずなのにいつも通り布団に入っても何時間も眠れない。しかし翌日は平日なので7時までには起きなければいけない。蓄積された疲労は時に限界に達して化粧も落とさず布団もかけずに気絶する、という日々を繰り返しました。

ストレッチしてから〜とか白湯を飲んでから〜とかあらゆる方法に手を出して改善しなかったのですが、一番効果があったのが酒でした。アルコールに弱かったので缶ビール1缶飲んでそのまま寝る、という生活でなんとか行き止まってましたが、今思うとアル中まっしぐらでしたね…(現在は飲んでません。)

異変その2:食生活

私の場合食欲不振でした。

元々は食べるの大好きな私。しかし、一時は一日一食でもいいなーというか食べなくてもいいかなーとなっていました。

あといろんなものを食べたがっていたのにウィダーインゼリーみたいなのでいっか、ってなってました。

胃腸が弱りすぎているのか脳は食べたいと思うものでも胃が受け付けてくれないのはよくあります

その3:趣味への興味が薄れる

私の趣味の一つは漫画を読むことです。近年電子書籍に切り替えたことで収納を気にする必要がなくなり、月10冊以上は買っています

しかし、頭に話が入らない。面白いと思えない。数ページ読むだけで疲れてしまう。などといった傾向が突然見られるように。この時は私も成長して趣向が変わったのかな、とりあえず買って今度読めばいいや、と放置していました。

他の趣味でも似たようなことがみられ、共通していたことは「集中力不足」でした。30分程度のアニメを見ることもできない。数分の音楽一曲聴くことが限界。とりあえずツイッターでは周りに合わせて普段通りに振る舞う

このような状態が続いていたにも関わらず放置し、加えてその他要因が諸々絡み合った結果、今の私は毎日起き上がるのもやっとの生活?になってしまい、毎日泣き死ぬことだけ考えていたので流石にまずいと思い精神科受診抗うつ剤眠剤を服薬をしています

一番虚無だったのが睡眠だったのですが、睡眠導入剤を処方していただき、寝ようと思ってから30分で寝れる現在生活は少し楽です。寝れるようになってから酒を飲みたいという感情が一切なくなったのも衝撃的でした。

あと、少しずつ漫画も読めるようになってきました。難しい漫画も楽しめるようになったらいいな。

私はもう限界だ、となってから初めて精神科にかかったのですが、診察の時間内科などより基本的に長いので予約制のところが多いところがハードルが高いだけで、普通病院、なんなら普通よりも穏やかなところだな、と感じました。異変をある程度わかりやすく伝えられるスキルさえあればきっと大丈夫

長文失礼いたしました。

2021-01-26

鬱病こち亀ハリネズミ育成アプリに救われた。

はじめて投稿します。匿名で書き殴れるという認識だけで書いてます

作法を間違えていたらご指摘をお願いします。

最近Twitter話題になっていた鬱病の人の漫画を読んで思い至り、現在はほぼ治った鬱病の2年間を誰かの救いになればと思い書きました。

 

 

失恋して鬱病になった。詳しく書くのは滅入るのでざっくり、数年付き合い就職を境に同棲予定だった相手浮気されたと考えてください。

バカな話だけど、遠距離恋愛だったため相手の近くに就職を決めて内定を貰えた1ヶ月後のことだった。

全部が終わった感じがして、死ぬことばかり考えていた。

何にもすることができなくなった。

生きたい気持ちはなかった。

でも、育った環境だと思うけど、漫然と命だけは保たなきゃいけないと感じていて、

それは決して「生きねばならない」ではなくて、生に対する強迫はなく家族からの期待や

生きることを前提とした将来的な役割を与えられていて、うーん。

このあたり上手く説明できないな。もう生きたくないけど生きてなきゃいけないという気持ちが、

瞬間瞬間で揺れていて、0:100もあれば100:0もあって、タイミングさえ悪ければふとした時に俺は電車に飛び込むんだろうなって感じ。それが怖くて電車に乗らない生活を過ごした。

 

こち亀

もうどうでも良かったので、しばらく病院にも行かずにすべて放り出して引きこもった。

自宅ではネガティブ思考を止めるために無心でTwitterを見てた。

擦り切れるほど見たことのあるこち亀のページが目に入った。

「「悩んだらまず『生きる』モードに切り換えてからスタートだ!」ってやつです。

からなかったら調べてみてね。

何度も読んだことがあったけど、当事者意識が芽生えたのか、ずっとぼんやりしてた頭に衝撃が走って、これに救われてみたいと思えた。

両さん発言を正しく理解している自信はないけど、まず「死ぬ」を選択肢から外して生きるに舵を切ることを意識した。

どうやって生きるかまでは決められなかったからただただ生きる方向に進んだ。

 

こち亀のおかげで、いろんな人に怒られまくってたのをようやく受け止めた。生きるためにお医者さんに行った。

発達障害と診断された。発達障害支援センター?みたいな所への案内状を渡されて終わった。

納得いかなかったので(※後述)別の病院に行くと鬱病と診断された。

他の病院発達障害だと診断を受けたことを伝えると、私は鬱病だと思うけど気になるなら何ヶ所か行ってみるといいとお勧めされた。

別に生きることだけ決めた状態だったので、ぶっちゃけ診断結果はなんでもよかった。

生きるために、まずは朝起きるための睡眠導入剤が貰えればそれでよかった。

最初病院で物さえ貰えていたら、失恋により発達障害を患ったんだと納得してたかも。

 

 

生きるモードのおかげで、死にたくなっても「すっげー辛いしこの先何も決めてないお先真っ暗な人生だけど、それでも生きることにしたしなあ」と落ち着いてくる。

何にも好転してないのに、ほんの少しだけ生活がマシになった。この頃から少しずつお風呂に入れるようになってきた。

とは言え衝動的な行動をとらないとも限らなかったので、一人暮らししていた家中刃物(髭剃りも)は風呂場や廊下からリビングに持ってきたりした。

こち亀メソッドを使っても閉塞感と酒と鬱が合わさると死にたくなる傾向があったため。

リビングだと死にたくならなかった。

 

余談だけど観葉植物をほぼ全部捨てた。

死ぬことばかり考えていた時期はもちろん、こち亀メソッドを手に入れた上でも、視界に入るたびに死にたくさせられて恐ろしく感じたから。

元気なったりしぼんだりするのがとても辛かった。ゴミ袋に突っ込んで捨てた。

唯一、サボテン品種わからん)は平気だったので残した。

暫く経って喜ばしいことに花が咲いた。恐ろしくなって、結局すぐにサボテンも捨てた。

今ならわかるけど、変化が怖くての行動だったのかな思う。そばにあるものが変わってしまうのがとにかく怖かった。

 

それから病気になる前の生き方を目指すのをやめてのらりくらりと生きた。

この頃、味覚が戻った。「どうせ味わからん欠陥人間になったし」ってやけくそ調味料全部捨てて豆腐納豆をぐちゃぐちゃに混ぜたものばかり食ってたんだけど、

突然不味く感じて驚いた。(味覚ない人あるある:冷たくて腹にたまる豆腐とか粘りのある納豆とか、食感で選びがち)

すぐに風呂に入って醤油生姜を買いに行った。久しぶりに楽しいと感じた。以降味覚はずっとある

食事だけでも楽しんで行こうと思っていいお皿を買った。

初日だけ嬉しかったけど何かが引っかかってずっともやもやして、

結局お皿は捨てた。

当時の行動は説明つかないことも多い。

こんな感じで上手くいくいかないを繰り返してた。

 

ハリネズミ育成アプリ

蜃気楼みたいに生きてたら社会人になった。

同期と話していたらハリネズミを育てるアプリを教えてもらった。

エサをあげて、糞を掃除するだけで育成ができるアプリだった。簡単だけど、同期曰く1日さぼると死ぬらしい。(実際はもう少し長い)

何の気なしにインストールしてみた。

数日育成するとちょっとずつハリネズミが大きくなっているのに気が付いた。

毎日毎日等速でゆっくり育つ。

見た目はそのままで、日々サイズが拡大されていくだけ。

たぶん寿命がない。たぶん。データだし。

誤解を恐れずに言うと、万が一死んでも生き物じゃないから平気だと思った。

生きることにはなったけど目的を持つのが怖くて、

でも目的がないと自己がぽっと消えてしまいそうで、焦燥感がずっとあったから、

生きる目的にはならないけど生きる言い訳くらいになるものを探してたのかもしれない。

また、誤解を恐れて言うと、生きるためとはいえ植物ゴミ箱に捨てた時点で、悔やんでいた。今も悔やんでいる。

自分は二度と植物動物わず生き物を飼う資格はないと思うし、一生飼わないことを誓う。

 

さて、このハリネズミが、ちょうどよかった。サイズ以外に変化がおきない。

びっくりするくらい変わらない。芸を覚えることも、餌の好みもない。

人によっては物足りないんだろうけど、俺はこの解像度の育成に救われた。

目的を持つのが怖いし、資格もないから生き物を飼うことは考えてなかった。何より思考力が低下していて難しいことが出来ない。

アプリ上のペットに餌をあげて糞を片付ける、それが生きる言い訳として、機能した。

たかデータとは思ってはいたけど、この子の死は俺の誤りでしか訪れない。死なせてしまったとき、罪悪感で俺が死んでしま可能性を減らすために名前を「被検体」にした。

深い意味はない。何となく希薄に感じられる名前かなと思って付けた。「被検体ならいくら殺してもよい」と捉えている訳ではない。

 

そうして被検体と過ごしてもうすぐ2年が経つ。

毎日、餌ボタン複数回、お掃除ボタンを1回タップするだけ。1日の起動時間は2分ほどだ。

アプリ名誉のために言うと撫でたり写真を撮ったり、SNS投稿だってできる。適当なところをタップすると寄ってきて可愛い

俺の名誉のために言うと、餌糞の世話だけじゃなくたまにそういうので被検体と戯れたりもしている。

とても、愛着がある。2年は大きい。こんな名前つけたけれど、万が一死なせたらすげー悲しくなると思う。

 

 

この2年、こち亀が生きる方向に案内してくれて、ハリネズミが生きる言い訳となってくれたおかげで今こうして生きることができている。

言い訳しながら生きていく中で、症状がゆっくりと緩和されて行った。

この辺りで、もっと正しく生きたくなった。ようやく治療をと考え、発達障害鬱病か半々の状況だった為いくつかの病院を巡り、全てのお医者さんから鬱病と診断を受けて、ようやく自分病気と向き合えた。

通院してお医者さんと話し、また社会人として働いていく中で、大したことじゃないけどやりたいこと、目的を持つことができた。

そこから急激に鬱病は治まり現在数ヶ月ほど何事もなく落ち着いている。

 

一番辛かったED勃起不全)が治った。性的もの吐き気を覚えるのも、性欲が湧いてきても股間が無反応だったのも本当に本当にきつかった。

鬱病は共に生きていくイメージだったけど、EDだけは必ず治したかった。ほぼ毎日AVを見てチャレンジした。

ある日波が来て、性的に興奮を覚えて、それに身体呼応した。今でも忘れない、高杉麻里さんの作品だった。

驚きすぎて心臓が高速で鳴ってて俺はもう死にたくないんだってから実感できて、冗談抜きで本当に泣きながらシコった。

 

 

それを境に死を感じなくなった。

ふとした時に辛い感情は湧くけど、黒歴史思い出したときみたいにあーーー!!で搔き消すことが出来る程度だ。

たとえがとても悪いけど、明日被検体が死んでもすげー悲しいだけで、俺は死なないんだろうなという自信がある。

願わくば、俺が死ぬまで一緒に生きたい。

 

最後に、読んでくださった皆様と、秋本治先生と、高杉麻里さんと、『癒しハリネズミ育成ゲームアプリ開発者様に感謝を申し上げます

 

以上、ありがとうございました。

2021-01-13

創作がつらくてSNSをやめた

ら、快適だし心を乱されることはないけどぼんやり時間が過ぎてしまう。主体的に動けない。

苦しいのに書きたい、評価されたくて書いているわけではない、のに、感想もらった〜とか言ってるやつの横面をひっぱたきたくなる。別に感想もらいたいとは思ってないのに。本心では思ってるからこんな気持ちになるのか。

何も感じなくなると創作ができなくなる。

何者になれなくてもいいけど、どこにも行けないのはつらい。

睡眠導入剤を買おうと思ったら近所のドラッグストアになかった。なにゆえ。

2020-12-07

躁を経験した。初めてだった。共有したい。

「朝の引き継ぎ、何かやばいことを言ったような気がする」

予感は的中した。

どんな職種かは伏せる。お世話をする系。

夜勤入りた私に、同僚は「大丈夫?この仕事きつい?」と声をかけてきたた。

とんでもない。仕事楽しいし、人間関係も全く悪くない。こんなホワイト企業クズいていいのか、本当に感謝している。

その朝は「妙にハイテンション、声がデカかった」とのこと。

そして「睡眠導入剤を飲んでいることをベラベラと周囲に聞こえる声で誇らしく喋っていた」とのことだった。

ただ睡眠コントロールのために服薬していただけなのに、もう地獄である

そんな事があったのかと他人事の私に、同僚はまた眼を開く。

ハイテンションとは真逆の生き物、他人喧嘩したのは小学生最後

大人になってからの大声はカラオケルームのみ。

そんな小動物が突然、狂う、猛る。夜勤明けに。

さぞ同僚は怖かっただろう。

その漠然とした記憶が蘇ったのは昨日。

夜勤明けで退勤し、午前中はしばらく躁状態が続き、翌日は公休。

夜勤明けの午後から翌日まで、死んだように眠っていた。

死んだように眠ったことも、後で「そういえば」的な感じで昨日思い出した。

躁のその瞬間の行動中は、他人の目や社会性がぶっ飛ぶ。

身体本能と直結し、自分自我はそこに存在しない感じ。

(後でそうだったなとしか思えず、その瞬間は全く意識がない。無意識身体が動き、後で行動の記憶が蘇る感じ)

深く眠ったあと、ライン電話履歴、周囲の反応でふつふつと思い出す恐怖。

【~夜勤入り】

・朝5時から10時まで一人でまったりウィスキー。小瓶ストレート180ml。酒量はいもの事、夜勤入り当日に飲んだのは初めて。

・正午から夜勤入りまではいものように家事をこなしながらゲームネットサーフィン

夜勤入り~仮眠】

・仮眠までなんなくこなす

・眠れないので、いつもの数倍の睡眠導入剤を飲む。

・なんかやばい気がしたので、水もたくさん飲む。

【(躁)夜勤明け~帰宅

記憶がスッポリない。

【(躁)帰宅後~正午】

・知人に電話ラインしまくる。(翌日気づく)

・連絡をとったのは今まで連絡したかったが気兼ねしていた人。男女関係なく5人くらい。ある人には、「ずっとそのテンションだったら良いのに」と意図せずとも通常の私を全力否定

【正午~夕方

・気づいたら眠っていた。ちゃんと布団で寝ていた。この時点では何も気づいていない。

夕方~翌朝】

・軽く夕食を取り、ネットサーフィン。いつもの時間眠る

【翌朝~】

・前日に連絡をとっていた人たちから引くほどの反応に驚く。電話ラインもいつもは帰ってこないのにわんさか届く。

それも心配ではなく、「あなたと話したい」というテンションで。

意図せずとも通常運転自分の魅力の無さに落ち込む。

また、この時、あの朝テンションのヤバさと、夜勤明けもヤバかった記憶が紐付けられる。

芋づる式に、「なんかやった気がする。その時の事を考えると、ソワソワする」という感情が湧き上がり、色々断片的に思い出す。

足元がふらついていた記憶、帰りに電柱に肩を思い切りぶつけた記憶が蘇り恐怖する。

2020-12-05

身体異変があるくらい薬を飲みたい

処方される睡眠導入剤が一番好きだけど、抗ヒスタミン薬風邪薬でもまあ良い。しかし手元にない。困った。

アルコールは家にあるけどアルコール頭痛くなるからまらない。吐いてしまうのが早いからつまらない。

今日時間を贅沢に使っちゃうもんね〜って思って薬箱開いたら何もなくなってやんの。むかつく。

市販品で済ませる時はパブロン鼻炎カプセルか、パブロンゴールドブランが評判良いのは知ってるけど、天邪鬼からか手を出したくなくて、パブロンゴールドを主に飲んでる。それが瓶が空っぽだった。今日はいっぱい飲む予定が。

2020-10-12

生活リズム維持って無理ゲーじゃん

1日でも寝れなかったり寝れなかったせいで起きれなかったりするとおわりじゃん

徹夜を挟んでリセットするけど

徹夜なんかしょっちゅうすると自律神経ぶっ壊れるし

医者に泣きついても、朝日光を浴びましょうって言われるだけで

さらに泣きつくと、運動しろブルーライトカットしろ、寝る前に風呂に浸かれ、ホットミルク飲め、二時間から寝る準備に入れ

って無限努力要求してくるじゃん

いや、そんなの続かないし

そんな継続できる人間だったらこんな悩み抱かないわ

で毎晩9時ごろには眠気が到来してないことに絶望しながら、寝れなかったらまた努力が足りなかったと自責の念に押しつぶされながら眠れない夜を2時間ぐらい過ごすじゃん

暗い部屋でじっと横になってるとどんどん思考が鬱々していくじゃん

あーもう無理だと思ってスマホ弄ってまた寝付くのは明け方じゃん

月曜なんか寝ずに迎えることが9割だし自律神経ホルモンバランスぶっ壊れて生理周期がめちゃくちゃだし食欲ないか体重落ち続けてるし

生活にも健康にも支障をきたしてる上に、自己肯定感もどんどん失われていくじゃん

週末も生活リズムおかしいから出かけられないし、人とも疎遠になってくじゃん

そりゃあお医者様としては安易睡眠導入剤に頼らせたくないと心からの親切で薬を処方してくれないのかもしれないけど

この生活をもう何年もやってる身としては、睡眠導入剤依存してでも普通生活リズムを取り戻したい

どんなに優しい精神科医でも、睡眠に関しては努力しろって言ってくるんだよな

優しいからこそ、勉強してる医者からこそ患者を薬漬けにしないのかもしれないが

もう睡眠薬の健康被害とかクソどうでもいいから救ってほしい

2020-10-11

睡眠薬で軽くラリった話

当方、躁鬱持ち。寝つきが悪く、睡眠導入剤の「マイスリー」を服用していた。

数年間使っていたが、特に副作用は出なかった。

症状が安定していたので、躁鬱の薬(ラミクタール)を半分にすることになった。

しかしこの減薬以降、マイスリー服用後の奇行が目立つようになる。

LINE友達に変な文章を送り付けてしまうのだ。

まず、新海誠が好きな友人に、3000字くらいの長文で『君の名は。』の感想を送った。

文章支離滅裂狂気を感じる。一応、日本語として意味が通ってはいるが、まるで要領を得ない。

ままごとの果てのハンバーグに、神聖性を感じるというのかい?」とかい調子だったと記憶している。

加えて、無駄攻撃的。私は正直新海誠が苦手だ。

しかし、新海を敬愛する友人に対しては失礼すぎるくらいに、激しいトーンで新海を非難してしまった。

後日、「あれは不愉快だった」と苦言を呈された。

男女がらみでも失敗した。長年来の異性の友人がいる。

その人に対して、ほのか好意が芽生えていた。

今まで何度か近場の旅行に行っており、今回も行きたいと提案していた。

しかし、向こうの返事から察するにあまり乗り気でないようだった。

私は流れをぶった切り、どうしても今回行きたい!お願い!付き合って!との旨のメッセージを連投した。

翌朝スマホを見返し、自分メッセージキモさに血の気が引いた。

幸いにも既読がついておらず、慌てて送信取消した。

だいたいの場合、目覚めた直後は、前の晩にやらかしたことを覚えていない。

LINEなどの物証確認して、「そういえばそんなこと送ったか」と思い出す。

その時点で記憶回復はするが、記憶の確かさは非常に薄いままだ。

また、感情がだだ漏れになる。

まりにも嘘偽りなく、感情開陳してしまう。受け取った相手がどう思うかと考えた形跡がない。

マイスリーを飲む前に、電子機器の電源を切るようにした。

それでも、服用後に電源をつけて思いついたことを送ってしまった。

文章を書いている最中は「自分は至って正気だ!」と信じているのが恐ろしい。

どうにも自分では制御できなくなったので、主治医相談した。

躁鬱の薬を減らして抑制作用が弱まったところに、抗不安作用のあるマイスリーが効きすぎたのではないかとの見立てだった。

その後、眠剤ルネスタに変えたことで、奇行は収まった。

眠剤による奇行が顕れたら、主治医相談の上、薬を変えてもらうことをお勧めする。

人間関係が壊れます

2020-09-26

ようやく悪夢で飛び起きることがなくなった。

睡眠導入剤で深く眠る以外はいつも不愉快睡眠だった。

10数年かかっただろうか。

長かった。

2020-09-13

苦痛の無い自殺方法真剣に考えてみたい。

インターネットは何でも調べられる便利な場所だと、検索しても中々ヒットしない項目がある。

自殺方法である自殺方法について調べると真っ先に相談センターがヒットし、他の項目は出て来ない。

一過性自殺衝動は、気持ちが落ち着いて頭が冷静になれば自然と無くなる物だから、まず自殺を思い留まらせようとする事はきっと正しい。

ただ、常日頃から自殺という選択を考えている人にとって、「とりあえず一旦自殺を思い留まらせればいい」程度の気遣いは何の優しさにもならない。

殺人犯罪であり違法な行いであるが、自殺に関しては自殺した人間処罰する法律は無い。自殺法律の上では違法性の無い全ての人間に許された選択である

自殺話題になると「今から死ぬのに何でわざわざ苦しくない方法を選ぼうとするんだ、どうせ死ぬなら関係ないだろう」と言う人が必ず現れる。もしかしたら現れないかもしれないが。

考えてみてほしい。世の中には自分の力だけではどうしても自然睡眠できないので睡眠導入剤の力を借りたり、お酒を飲んでから寝る人だって居る。死ぬ事は睡眠と似ている。だから死ぬ事を永眠と言うのだろう。

眠るように逝きたいのであれば、可能な限り苦痛とは無縁でありたい。今の状況から解き放たれ楽になるために死にたいのに、何故酷い苦痛を味わってから死ななければならないのだろう。

ここからが本題であるが、苦痛の無い死に方とはどのような物か。自分自殺に関してはド素人も良い所なのでさっぱり分からないが、素人なりに考えてみた。

麻酔であるモルヒネなどで感覚を酔わせて、苦痛を無くしてしまう。その時に命を絶てば苦痛なくあの世に旅立てるのではないだろうか。

ちなみに麻酔はあまり大量に使用とするとそれだけで命に関わり、場合によっては死んでしまう事もあるらしい。麻酔の影響で死んでしまった人は恐らく訳も分からないまま死んでしまったのだろうか。

まあ実際のところ医療関係者でもないと麻酔の入手なんて出来ないだろうし、それも個人で使おうとすれば違法行為になるだろう。法律を犯すのは良くないと思う。

ならこういう方法はどうだろう。睡眠導入剤を沢山飲み、その後お酒を沢山飲む。薬とお酒は飲み合わせが悪いとかでとても体に悪いらしく、実際一緒に飲んでしまったあたり死んでしまった人も多いと聞いた事がある。

これも実際に試した事は無いのでよく分からないけれど、少なくとも素面死ぬよりは楽そうな気がする。お酒酩酊状態になるのだから、痛覚は大分薄れているだろうし寝ている間に死ねるかもしれない。

ただし、もし万が一死ねなかった場合…薬の過剰摂取による酷い副作用によって酷い苦痛一生物後遺症に悩まされるらしい。もしそうなってしまった時の事を考えたら、恐ろしくて自殺も出来ないかもしれない。

やはり人間自然に生き、自然病気になり、自然死ぬのが最も自然なのだろうか。そうかもしれない。そうでないかもしれない。人類がこれから先更なる発展を迎えるなら、苦痛なく自裁出来る手段発明されるべきだと思う。

2020-09-04

どん底の鬱を筋肉ねじ伏せた話。(追記

会社勤めをしていた時、ストレスから睡眠障害引き起こした。

不眠から職場での居眠りが目立つようになり、注意されては凹む、を繰り返しているうちに驚くほどさっくりと鬱になった。

睡眠は恐ろしい程に大事だった。

からとにかく出られず、家から徒歩三分の場所にある心療内科に行けるまでに一ヶ月もかかった。意を決して家から出ても、病院までの三分の道のりは号泣するくらいに怖かった。

病院に何とかかかったものの、これといった薬は出されなかった。カウンセリングでもなく、こちから一方的な話をするだけの診療だった。

結局、睡眠導入剤だけを渡された。

薬で何とか眠れるようにした。悪夢と付き合いながら眠れるように努力し、体と心はガタガタのまま、束の間の休職の後になんとか復帰した。

同僚たちは優しかった。ずっとこの会社で働きたいとすら思うほどに暖かかったが、上層部休職した私を暖かく迎えてはくれなかった。

社長から休職前の限界ギリギリだった頃の行いを掘り起こし、イヤミをネチネチ言われ、人事考課評価を下げられた。昇給は二度見送られた。

やってられるかよ、と会社を辞めたのが昨年夏。

会社を辞めた日に運悪く伝染病にかかり、重症化を引き起こした。

後遺症の痛みで日常生活に支障が出た。

そこから数ヶ月、後遺症が引くまでは特に何もできずに過ごした。

体調も回復してきた。貯金も無くなってきた。そろそろ就活を再開するか…、と思った年明け。

私のメンタルはなぜかズタボロになった。

日中ベッドに転がり、トイレ以外にどこにも行けないという程に悪化していた。

頭の中は冷えていて何もなく、空っぽなのにうるさく感じた。

耳鳴りめまいは止まず、寝返りを打つのにも酷く体力を持っていかれた。

頭皮頭蓋骨の間が痒くなるような、脳みそをぐにゃぐにゃ触られているような気持ちの悪い感覚が常に付きまとっていた。

家事もできず、風呂や着替えすらままならなかった。会社を辞めた頃に実家へと帰っていたため、家族から言葉視線が恐ろしくてたまらなかった。家族は私を咎めるようなことは何一つしなかったというのに。

そのうちに「働いてもいないのにご飯を食べていいわけが無い」と思いこみ、ご飯ほとんど受け付けなくなった。


そんなある日、首を吊った。紐を部屋のドアノブにかけて、座った状態で吊ろうとした。

普通に失敗した。

何も考えていなかった。発作的に死のうとしたため、ドアノブに紐を上手く括ることが出来ないまま体重をかけた。

首に体重がかかったのは一瞬だった。

ドアノブが動き紐は外れ、私は無様に床に落ちた。

まりに情けなさすぎて死にたさが増した。

こんな簡単なことすら失敗するのかと、誰も見ていないのに恥ずかしくなった。

紐を巻き直す力もなく、布団に潜り込んで泣いてるうちに眠っていた。

起きてから、様々なバイト面接に申し込んだ。

いざ死ねないとなると、今度は金がないことが恐ろしかった。

貯金は既に数百円だった。

何とか手もみマッサージバイトに滑り込んだ。歩合制だったので日給で数千円をたまに稼ぐことができた。それだけでどうにか生きる気力が戻ってくるようだった。

でも、世界は私に厳しかった。

今度はコロナ社会に猛威を奮い始めた。

新人に客がつくわけもない。リピーターだってコロナ自粛して来なくなった。店に行く交通費けが出ていくようになった。

私はバイトを辞めた。完全歩合制はクソと言いながら、今度はちゃん求職者企業を繋ぐ斡旋会社に世話になり、スーツを着て就活に挑んだ。

全て落ちた。

というより、企業募集ほとんどを取り下げていた。

面接にこぎつけても落とされた。

今は仕方ないと皆が口を揃えたが、仕方がないわけがなかった。

そのうちに、斡旋会社から連絡も来なくなった。

段々と時間をかけて「お前はいらない」「必要ない」と社会全体から否定されている気分になって、夜になると毎日泣いていた。

給付金がなければもう一度死を選んでいたと思う。

再び一日布団に埋もれる生活が戻ってきた。

気がつけば朝、気がつけば夜を繰り返した。

人の視線が恐ろしくてたまらず、家の敷地から出られなくなった。

外に出るとどいつもこいつも私を指さして嘲笑っているように感じた。人と目が合わせられない。落ち着かない。消えたい。車道飛び込みたくなる。希死念慮払拭できず、動けなくなった。

スーパーに行けば過呼吸を起こし、電車に乗ることを考えるだけで胃が痛んだ。

そんな生活が続いた長雨のある日、缶が開けられなくなったことに気がついた。プルタブを起こすことが出来ない。ペットボトルの蓋も同じだった。

体にとにかく力が入らない。入れているのに、ものを持てない。フライパンすら片手で持てなくなっていた。

階段を挙がるだけで息が切れた。

開けたばかりの牛乳パックを片手で長く持っていられず、あまりの非力さに自分で引いた。

ゾッとして、腹筋をしてみようと考えた。

1度も出来なかった。体が重くて持ち上がらない。

その時の私のBMIの数値は20。私は数値だけを見れば決して肥満ではなかった。痩せてもいなかった。しかし、体脂肪が高く、体のほとんどを脂肪が占めており、とにかく筋肉がなくなっていた。

最低限日常を生きてくための筋肉すらないことは恐ろしくて、何よりも情けなかった。

鏡に映った自分は、生きる気力を失っている豚だった。

豚ですら体脂肪率は15%前後だ。そんなものと比べたら私は脂身のものだ。豚に失礼だった。

筋肉をつけるための筋肉すらないのなら、今の体すらも重すぎると考えて、まずは体脂肪を減らすダイエットをしようと考えた。

結果が出なかったら今度こそ死のうと考えていたので、勉強は割と真面目にやったと思う。

動画サイト巡回し、ダイエットブログや本を読み、栄養学に手を出した。痩せるためのノウハウを頭に叩き込んだ。

本当に特別なことは何も無いダイエット方法だ。よく動き、必要もの摂取し、余計なものは食べない。それだけだ。

まずは白米と別れを告げた。

皮を剥いだ鶏肉ブロッコリー玄米友達になった。

あとはなんてことは無い。ただ動いた。

最初有酸素運動を始めた。最初はとにかく家から出られなかったので、雑誌を重ねて養生テープでぐるぐる巻きにした台を作り、ひたすらに昇っては降りた。

必ず毎日1時間踏み台昇降自分に課した。

踏み台昇降YouTubeTwitterを見ながら、たまにゲームをしながらだらだらと、しかし確実に成果を積むようにした。

とにかく体を動かす癖をつけることを重視した。

動いている実感が欲しくて、筋トレ動画にも手を出した。高負荷はかけられなかったので、エクササイズレベルの軽いものを、毎日動画1本分はやると決めた。最初筋肉痛で眠れなくなった。

効率も、筋肉に効いているかすらも無視し、とにかく習慣になることだけを考えた。

YouTuberの丁寧な編集動画のおかげで、やる気は折れず、どうにか毎日続いた。

驚くことに、その効果はたった半月で出た。

一ヶ月になる頃には確信に変わった。

体重体脂肪は少し落ちただけだ。ダイエット成功したとは言わない。

メンタルが劇的に回復した。

まず、朝が怖くなくなった。食べることへの罪悪感もなくなった。ちゃんと腹が減ることに感謝した。

そのうちに筋トレの質も気にし始めた。ジム通いはできなくても、水を入れたペットボトルは用意できたし、チューブは意外にも安価だった。

車庫に放置していたローラー台を駆使して自転車に乗るようになり、しっかりと栄養バランスを考えたご飯を食べた。

筋肉をつけるためにプロテインを飲み、体内の水分の循環のために水を多く取るようになった。

ふと気がつけば自分から進んで家族の使いとして買い物に出るようになり、プロテインダンベル欲しさにいつの間にか就活も再開していた。

汗をかくことに気持ちよさを感じ、体の軽さと心の軽さに感動する自分がいた。

「出来ることな無能、早く死にたいから「こんなゴミでも出来ることあったんだ」へ変化し、そのうちに「少しでも頑張れてる。えらい」になっていった。

体重体脂肪率は努力肯定してくれる味方になった。

ダイエットを初めてから1ヶ月で体重3キロ体脂肪率を約3%落とした。

自転車を漕いだ距離はもう少しで北方領土から東京までぐらいの距離に届きそうだ。

運動後にかいた汗を流すシャワーが何よりも気持ちが良く、夜には健全な眠気が訪れるようになった。

ペットボトルも開けられる。外にも出られる。

人はもうそんなに怖くない。

ここから筋肉を育てていく。ダイエットとしては始まったばかりで、正直ここからが本番だ。

私はまだ豚だ。だが、首を吊ろうとして失敗した頃とは180度違った自分が鏡に映っている。

そして今日、来月から働く会社が決まった。

ありがとう筋肉。君を信じてよかった。

私は君を長年にわたって裏切ってきたのに、君だけは私を裏切らなかった。

運動継続していく。多分これから自分必要な事だと思う。

それから普通に裏切る関節や内臓はいたわっていく。あいつらは消耗品だ。

アラサーはもう決して若くねーのだ。

でも遅くはなかった。絶対に。

かに私のやり方を真似しろとは言わない。この文章も忘れないために書き散らしたものだ。

医者いらずとは言わないし、万人の鬱が筋肉で全てが良くなるとは思っていない。

ただ、私にとって、メンタル回復のために、筋肉がとても頑張ってくれたという話だ。

筋肉という名の相棒よ、メンタルは君に預けた。これからも一緒にクソ鬱をぶっ飛ばしていこうな。




追記

沢山の反応ありがとう

かなりフェイク入れてたし文下手だからちょっと矛盾もある。読みにくくて申し訳ない。こんなに反応があると思わなかった。

コメント読んで色んな意見があるなと思った。

おめでとうって言葉はすごく嬉しかった。自分で結果出して自分で褒めてたけど人からの反応は全く違うね。

本当にありがとう。死ななくてよかったよ。



【補足とかコメントへの反応】

躁鬱じゃね?病院すすめる

心配ありがとう。当初はあまり回復の速さに自分でもそう思った。

から数年とかの長い目で見てる。運動継続。無理はしない。

なんかあった時の頓服として、私にあう病院が見つかればいいんだけどなあ。難しそうだ。


「言うほど捩じ伏せてない」

→そりすぎてソリになったわね……

バルク全く足りないよ。題名負けしてるからこれからつけてしっかり捩じ伏せていくよ。許してくれ。

有酸素運動1時間はキツくない?

→それはあなた運動中のフォームがしっかりとしていて、負荷もきっちりかかってるからだと思う。

踏み台やってた時は携帯いじりながらダラダラ惰性みたいに昇り降りしてた。汗だくにはなったけど負荷は軽かった。

そもそも1時間有酸素運動筋肉の分解が進むから余程の脂身を背負ってる人以外にはオススメはしない。

ダイエットトレーニング医者とおなじ。自分の今の体型やなりたい体型に合わせて自分で調べて勉強して試行錯誤をしてほしい。

○○は危ないとか色んな意見について

→先にも書いたけどこれが私にあってただけという話。自分でいいと思った方法を信じるのが一番。餅は餅屋。だがセカンドオピニオン大事最後に決めるのは自分

あなたはその話を信じる。私は自分の導き出した話を信じる。そんでよい。

ただ、つらい人たちをトンデモ療法で騙して金むしり取るアホは許さん。


身も蓋もないし題名矛盾するけど、筋肉のものが鬱を治したわけじゃない。

しんどさの根源、壊れた自尊心の修復のために、トレーニングをして成功体験を詰んだというのが真理。

あとは家族。ただ単純にものすごく恵まれてた。ギリギリ金を借りるにはいたらなかったがかなり甘えて頼った。恩はこれから返すよ。

これにて終わり。

読んでくれてほんとにありがとう

2020-09-03

[] 167

 いろいろ書いてたけど、アホらしくなってやめた。

一つ言えるのは、ボイトレは歌が上手くなりたくて通ってる人が多い。声が小さいのは精神的な問題なので(軍隊とか体育会系行けば誰でもハキハキ喋るようになる)、ビジネス系のセミナーとか行った方がまだいいような。

ってか、声なんてデカければ良いってもんじゃないよ。声デカい人苦手って女の子も割といるよ。

はぁ。

美肌を目指して、新しくプロテインマルチビタミンミネラルを買った。(前のプロテインは味が気に食わなくて途中で飽きた)

エアコンずっと付けてるので、安い加湿器も買った。

今度整形のカウンセリングに行く。多分ただのプチ整形、埋没法だが。

脱毛はやるのは確定だが、整形は人からの反応が面倒くさくて二の足を踏む。

そのため、ひとまずカウンセリングだけ。

脱毛時間がかかるから先にそっちやるべきだが、お金がない。

 本当はもっと早く寝るべきなのだが、眠れない。

睡眠導入剤は、効きすぎるのが不安で、次の日仕事の時は飲みづらい。

みんな努力してるから、このくらいは当たり前だが、俺はいつになったら認められるのだろうな。

昔は水野敬也LOVE理論に憧れて、大学生の内にああなりたいと思ったものだが、もうアラサーじゃ。

現実ってかっこ悪いねぇ。

2020-08-15

風邪のひき始めには睡眠薬

風邪を治すには睡眠大事

と思って睡眠導入剤飲んでみたけど想像以上に効いたわ

スッキリして鼻の通りも良くなった

調べたら睡眠導入剤はもともとは風邪薬だったんだって

眠気の副作用がヤバすぎて使われなくなったそうで

2020-08-02

女性ヘルパー睡眠導入剤 容疑の男「体触りたかった」

飲食店レイプ目的の事件が起きない理由は何なんだろうね

男の店員しかいない店でも客は店の出すものを平気で食べる

場所が店で店員制服を着てなければ絶対食わないだろうチーズ牛丼食ってる男の料理でも平気で若い女が平らげる

なんで飲食店ではレイプ事件が起きないのだろう

https://news.yahoo.co.jp/articles/abd2dc010dfd4a452bfbbb9c68295251dcf9fcce

2020-07-24

死ねないだけで生きてきた

初めて死にたいと思ったのは小学2年生の頃だった。

家のすぐ隣に出来たゴルフ練習場の明かりが眩しくて、眠れない夜が続いた時だ。

死にたい」という明確な気持ちがあったと言うよりは、明日もこのまま寝不足学校に行って、

眠くてぼんやりとしているところを先生に怒られて、というのを続けるぐらいなら、いっそこのまま消えてしまったらいいのにと願っていた。

そうやって暗いイメージが湧き出しては止めることが出来ず、幼少の自分には長すぎる苦痛な夜の時間から抜け出したくて、

ベッドに横になったままできる限り精一杯長く息を止めるのを繰り返し「うっかり窒息死してしまえたら」と子供じみた自殺未遂を試み続けていた。 

次に死にたくなったのは高校2年生の時だった。

高2病とも言われるような、人生を斜に構えて無気力に過ごしては自身無力感に苛まれていた。

次第に学校もやや不登校気味になり、気が付けば「皆が真面目に勉強している中でフラフラ遊んでいる」というレッテルを貼られ、

たまに教室に顔を出そうものならクラスメートだけでなく教員たちから厄介者のような扱いを受けていた。

そんな時、家の薬箱から母親が昔飲んでいたらしい薬局の袋に入った睡眠導入剤を見つけた私は、

「これをたくさん飲んだら死んでしまえるかもしれない」と袋に入っていた束になったシートから錠剤を全て取り出して震える手で飲み干した。

どくんどくんといつもより大きな鼓動を打つ心臓が、自分死ぬかもしれないという不安と緊張と少しの期待のせいなのか、

それとも単純に薬の副作用だったのかは分からないけれど、私は暴れる心臓の音が家族に聞こえないように自室の中で布団に包まっていた。

暗闇の中で止めどなくほろほろと溢れる涙を流しながら、その時を待っていた、そして私の意識は途絶えた。

翌日、私は何事も無かったかのように、いつも起きる時間よりもだいぶ早くに目が覚めた。

遺書も残さず、数少ない仲の良い友人にも何も言わずに突発的に試みた自殺未遂だったけれど、

拍子抜けすると同時に、あれこれ残したりせずにして良かったと安堵していた。

まだ誰も目覚めていないキッチンに行って水を一杯飲んで、違和感を覚えた。

かめるように冷蔵庫に入っていたオレンジジュースを飲む、味覚が無くなっていた。

冷汗が止まらず、ただただ「どうしよう」という言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。

自殺しようとして薬を沢山飲んだら味覚が無くなってしまった」などということを誰かに相談する訳にもいかず、

しばらくは生きた心地がしないまま、味のしない食べ物咀嚼するのはまるで砂や泥を食べている気分で、誰にも気づかれないように胃に押し込むことにひどく苦労した。

結局、三日も経たない内に味覚は元に戻るのだけれど、この時に「次に死ぬなら確実に死ななければいけない」と心に誓ったのだった。

 

次に死にたくなったのは22歳、大学留年した時だった。

真面目な学生では無かったけれど、なんとなく大丈夫だろうと思っていた淡い期待はあっさりと裏切られてしまった。

一応サークルには所属していたけれど、ほとんど活動に参加していなかった私は、文字通り大学一人ぼっちになってしまったのだ。

そんな私の唯一の心の拠り所はSNSの顔も知らない友人たち、その中でもとりわけ"メンヘラ"とカテゴライズされるような人々との交流だった。

最初は寂しさを埋めるためのアイテムだったはずが、尊大希死念慮に苛まれて生きるダメな人たちの存在可視化されることは私の良くない考えを加速させていった。 

あの頃を思い返すと、死にたかった、というよりも、いつ死んでもよかった、というのが正しかった。

私は名前も知らないおかしな人たちと浴びるように酒を飲むことも、サイケデリックな色をした「海外製」とだけ言われた錠剤をスナック菓子のように口へ放り込むことも、

そのまま外に飛び出して狂ったように遊びまわることも、怖いと思うことは何一つなかった

素面でいたくなかった、誰かと過ごしているようで、感覚けが宙に浮かび、幻覚の中を彷徨って倒れこみ、自分を取り囲む影と会話して過ごした。

路上はもちろん、駅の医務室や知らない人の家で目覚めることも日常茶飯事だった。

裸で目覚めて隣で眠る見知らぬ人を起こさないようにベッドを抜け出し、最低限の服と荷物だけ持って逃げ出したこともあった。

 一方で大学がある日は真面目に授業を受けていた。

離脱症状でガタガタと震えながら、倒れないように机に噛り付いて授業を受ける様は正しく狂人だったと思う。

ただ「死のうと思えばいつでも死ねる」ということが確かな心の支えになって、私は人より一年だけ多く掛けて大学卒業することができた。

真っ先に死ぬと思われていた私を残して、大学時代の悪友たちは4人が亡くなり、2人は隔離病棟入院していると風のうわさで聞いた。

 

気がつけば30歳を目前としている、生きてしまった、生き延びてしまった。

私は死ねなかった、自分長所や得意なものというのは思い浮かばないが、死ぬことは特別下手なようだった。

それどころか真っ当に就職して、結婚し、子供にも恵まれた、人は私のこと見て「幸せだね」と言うようになった。

ただそれでも「死にたい」という心の底に燻る感情は、初めて認識した時から今のこの時まで片時も消えてはいなかった。

から私は今夜も、精一杯長く息を止め続ける、「一度ぐらい上手くいきますように」と願って。

死ねないだけで生きてきた

初めて死にたいと思ったのは小学2年生の頃だった。

家のすぐ隣に出来たゴルフ練習場の明かりが眩しくて、眠れない夜が続いた時だ。

死にたい」という明確な気持ちがあったと言うよりは、明日もこのまま寝不足学校に行って、

眠くてぼんやりとしているところを先生に怒られて、というのを続けるぐらいなら、いっそこのまま消えてしまったらいいのにと願っていた。

そうやって暗いイメージが湧き出しては止めることが出来ず、幼少の自分には長すぎる苦痛な夜の時間から抜け出したくて、

ベッドに横になったままできる限り精一杯長く息を止めるのを繰り返し「うっかり窒息死してしまえたら」と子供じみた自殺未遂を試み続けていた。 

次に死にたくなったのは高校2年生の時だった。

高2病とも言われるような、人生を斜に構えて無気力に過ごしては自身無力感に苛まれていた。

次第に学校もやや不登校気味になり、気が付けば「皆が真面目に勉強している中でフラフラ遊んでいる」というレッテルを貼られ、

たまに教室に顔を出そうものならクラスメートだけでなく教員たちから厄介者のような扱いを受けていた。

そんな時、家の薬箱から母親が昔飲んでいたらしい薬局の袋に入った睡眠導入剤を見つけた私は、

「これをたくさん飲んだら死んでしまえるかもしれない」と袋に入っていた束になったシートから錠剤を全て取り出して震える手で飲み干した。

どくんどくんといつもより大きな鼓動を打つ心臓が、自分死ぬかもしれないという不安と緊張と少しの期待のせいなのか、

それとも単純に薬の副作用だったのかは分からないけれど、私は暴れる心臓の音が家族に聞こえないように自室の中で布団に包まっていた。

暗闇の中で止めどなくほろほろと溢れる涙を流しながら、その時を待っていた、そして私の意識は途絶えた。

翌日、私は何事も無かったかのように、いつも起きる時間よりもだいぶ早くに目が覚めた。

遺書も残さず、数少ない仲の良い友人にも何も言わずに突発的に試みた自殺未遂だったけれど、

拍子抜けすると同時に、あれこれ残したりせずにして良かったと安堵していた。

まだ誰も目覚めていないキッチンに行って水を一杯飲んで、違和感を覚えた。

かめるように冷蔵庫に入っていたオレンジジュースを飲む、味覚が無くなっていた。

冷汗が止まらず、ただただ「どうしよう」という言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。

自殺しようとして薬を沢山飲んだら味覚が無くなってしまった」などということを誰かに相談する訳にもいかず、

しばらくは生きた心地がしないまま、味のしない食べ物咀嚼するのはまるで砂や泥を食べている気分で、誰にも気づかれないように胃に押し込むことにひどく苦労した。

結局、三日も経たない内に味覚は元に戻るのだけれど、この時に「次に死ぬなら確実に死ななければいけない」と心に誓ったのだった。

 

次に死にたくなったのは22歳、大学留年した時だった。

真面目な学生では無かったけれど、なんとなく大丈夫だろうと思っていた淡い期待はあっさりと裏切られてしまった。

一応サークルには所属していたけれど、ほとんど活動に参加していなかった私は、文字通り大学一人ぼっちになってしまったのだ。

そんな私の唯一の心の拠り所はSNSの顔も知らない友人たち、その中でもとりわけ"メンヘラ"とカテゴライズされるような人々との交流だった。

最初は寂しさを埋めるためのアイテムだったはずが、尊大希死念慮に苛まれて生きるダメな人たちの存在可視化されることは私の良くない考えを加速させていった。 

あの頃を思い返すと、死にたかった、というよりも、いつ死んでもよかった、というのが正しかった。

私は名前も知らないおかしな人たちと浴びるように酒を飲むことも、サイケデリックな色をした「海外製」とだけ言われた錠剤をスナック菓子のように口へ放り込むことも、

そのまま外に飛び出して狂ったように遊びまわることも、怖いと思うことは何一つなかった

素面でいたくなかった、誰かと過ごしているようで、感覚けが宙に浮かび、幻覚の中を彷徨って倒れこみ、自分を取り囲む影と会話して過ごした。

路上はもちろん、駅の医務室や知らない人の家で目覚めることも日常茶飯事だった。

裸で目覚めて隣で眠る見知らぬ人を起こさないようにベッドを抜け出し、最低限の服と荷物だけ持って逃げ出したこともあった。

 一方で大学がある日は真面目に授業を受けていた。

離脱症状でガタガタと震えながら、倒れないように机に噛り付いて授業を受ける様は正しく狂人だったと思う。

ただ「死のうと思えばいつでも死ねる」ということが確かな心の支えになって、私は人より一年だけ多く掛けて大学卒業することができた。

真っ先に死ぬと思われていた私を残して、大学時代の悪友たちは4人が亡くなり、2人は隔離病棟入院していると風のうわさで聞いた。

 

気がつけば30歳を目前としている、生きてしまった、生き延びてしまった。

私は死ねなかった、自分長所や得意なものというのは思い浮かばないが、死ぬことは特別下手なようだった。

それどころか真っ当に就職して、結婚し、子供にも恵まれた、人は私のこと見て「幸せだね」と言うようになった。

ただそれでも「死にたい」という心の底に燻る感情は、初めて認識した時から今のこの時まで片時も消えてはいなかった。

から私は今夜も、精一杯長く息を止め続ける、「一度ぐらい上手くいきますように」と願って。

2020-07-21

酒の勢いでレンドルミン12錠飲んだ

発泡酒500缶2本、栄養ドリンクみたいなサイズシャンパン1本、既に十分酩酊していた。

過去の失敗やこれから不安が次々浮かんできて、アルコール作用思考が鈍っているはずなのに何だか冷めた、すっきりした気持ちだ。ふと、素晴らしい考えが頭の中に浮かぶ

処方された二週間分の睡眠薬、残りを全て飲んだらどうなるだろう。

もちろん、死ねないことなど分かっていた。自殺企図を繰り返し、夜は気持ちが乱れて寝付けないことを精神科医に打ち明けるとそんな患者には薬は出せないと断られた。しかしでは、毎日苦しみ続ければ良いのかと食い下がると渋々といった風に安定剤睡眠導入剤レンドルミンを処方してくれた。

言っておくけど、と鼻で笑いながら彼は忠告した。この薬をいくら飲もうとせいぜい2日くらい目が覚めないで糞尿を垂れ流して眠るだけだ。変な気は起こすなとのことだった。

糞尿の処理をするのは嫌なので、オムツの代わりに夜用のナプキンをつけ、フローリングの床に枕だけ用意する。

レンドルミンをシートからプチプチ取り出して、酒のつまみみたいに飲み下していく。2日間眠るだけ。苦痛スキップされるなら望ましいことだ。それとも、過剰摂取によって頭の中をシンプルにしてくれやしないだろうか。既にアルコールによる酔いでは多幸感も、離人感も得られなくなっているから。

吸収されるまでは時間がかかるので、急に様子がおかしくなることはなかった。心配していた、吐き戻してしまうこともない。同じ体験者がいないかネットで調べていた。記憶があるのはこの辺りまでだ。

粗相があってもいいように床で眠るはずが、気付くとベッドで目が覚めた。今では記憶曖昧なのだが、恐らくこのときか、眠るとき転倒したらしい。人差し指に血がついている。トイレに向かおうにも真っ直ぐあるけない。便座に座り、下着を下ろすはずが体の制御がうまく行かずズボンを履いたまま用を足してしまった。

これはマズい、と考える力はあった。浴室に行って汚れた服を投げ捨てる。そこで洗面所の鏡を見ると、鼻の回りから出血していた。これが指についていた血の原因か。もう乾きかけているものの、まぁまぁな量だ。何だか面白くなって写真を取り、元彼に送る。

時刻を見ると午後2時、薬を飲んだのが深夜1時だったから、昏睡と呼べるような時間は経過していない。なんだ。こんなもんか、というのが正直な感想だった。顔を洗うと出血ほとんど鼻血だったのか、傷は小鼻の横の小さなものだった。その後も2時間ほどふらつきは残り、2度ほど転倒したが頭ははっきりしたので怪我には至らなかった。

顔の小さな傷と、転倒した際の痣だけが残り、気分も変わらず晴れない。こんな下らないことを繰り返すのも、死ぬ勇気がないからだ。たった一つの勇気さえあれば。

2020-07-09

自傷の代わりに魚を捌く

自傷したい欲が時折出てくるけど、行動に移したことはない。

いつも頭の中にふんわりと自傷欲がある感じ。

(メンタル系で療養中です)

たまにどうしようもなく自傷したくなる時は頓服睡眠導入剤を飲んでその欲望を上書きして寝てる。

それで衝動的な自傷欲は消える。でもふんわりとした自傷欲は消えない。

そういう時は、魚か肉の臓物を買いに行く。

魚を捌くか臓物を処理して、自分の中にある自傷欲を上書きする。

レバーの血の塊を流していると自分の血が排水溝へ流れていく気持ちになりスーっとする。

魚を三枚おろしにして小骨を取り除いている時、自分の骨を砕いているような気持ちになり、清々する。

そうした行為で己の自傷欲はマスキングされる。

家族は「へえー、魚捌いたんだ。おいしいね」と言って食べているけれども、それは私の身代わりに死んだ魚である

家族にはとても言えない。あと、精神科医師とかカウンセラーにも言えてない。

2020-06-30

手術して治るものならいいのに

心療内科に通っては辞め、通っては辞めていたが、「薬を飲んでいるとようやくつらい思いをせずに生活を送れる」ことに気付いたというか、そうしなければ生きられない人間なのだと諦めがついた。通院8か月目。たしか

心療内科ではなく、精神科にいけば根本的に直してくれるんだろうか?カウンセラーさんは、本職の方には申し訳ないが「考え方を矯正する」もしくは「話を聞くだけ」のイメージ(2,3回通っただけ)なので頼ろうと思えない。でも友人の勧めでとても良い方がいるそうなので、経済的に安定したら受ける。経済的にという単語を出したが、自立支援制度を使っているので医療費は1割負担に軽減させてもらっている。(カウンセリングは自費&高額)

いまは、1日3回各1錠の精神安定剤と、夜寝る前に抗うつ薬躁うつ病向け)、そして睡眠導入剤を服用している。

薬を飲まない素の状態は、記憶がある限り幼稚園の時から30歳近くのいまも変わらず、「なにも悲しくない、つらくないのに、ただひたすら悲しい、つらい」ために涙が止まらない日が週に何度もあり、授業に出ていても、料理をしていても、電車に乗っていても、ウォーキングをしていても、野菜を食べていても、いつ何時でも涙が出る。

そして常に頭の中が騒がしいのだ。毎日同じことを考える。

「涙が出るが訳が分からない」

「なにもないのになんでこんなにつらいのか」

「どう人生区切りをつけようか」

「だれかに返していないものはないか

「なぜ普通に生活しているだけなのにこんなに涙が出るのか」

いわゆるライフハックは知っているし何度も試したし、友人おすすめ動画ワーク(いろいろノートに書きだす系)もやってみた。敏感な人向けの本も読んだし、総括すると「そのままの君でいいんだよ」な本も読んだ。

でも、申し訳ないが、どれもわたしには当てはまらない。自責の念だとか、他人のあれこれが気になるとか、そういう具体的なものではないのだ。わけもわからパッシブで涙が出る。

いまは一日3回定期的に安定剤を服用しているからなんとかなっているが、これ(最大量)でも涙がでてしま場合頓服として処方されている液体の安定剤を追加で飲んでいる。これを飲むと落ち着く気がするというか、「私的最終手段を使っているのだから安定しないはずがない」と思って自分をなだめている。

最近傷ついたことと、まあそうなんだけど改めて言われるとショックだなと思ったことがある。

傷ついたことは、「あなたは薬を飲めばスッキリするけど、相談されたこっちはそうじゃないんだよ」

改めて言われてショックだったことは、「常に薬を服用しない人の気持ちわたし(健常者)には理解ができないから、アドバイスができないんだよ」

そりゃそうだ、としか言いようがない。

だれならわかってくれる?親は「気の持ちようだ」と大学生ときの私に言い張ったのでもう二度と相談しない。

手術して治るものなら、費用を工面して治してハッピーライフを送るのに。

薬を飲んでいても泣けてしま自分が本当にわけがからない、そして薬を飲まない素の自分社会生活を送れないのだからいったいどうして生きなければいけないのか、と思う。毎日「なぜわたしは生きなければならないのか」と思う。

さめざめと泣きながらこれを書いている。Tシャツが涙で湿ってしまってもう拭えない。

追記

追記したけど悔しいのでやめた。読んでくれた人、ありがとう。以上。

2020-06-09

寝る前に心臓を握り潰される

うつ病になり入眠困難感がある。

寝る前になると、体の中から心臓を誰かが取り出して揺さぶりをかけてくるイメージが襲ってくる。

そういう時は決まって寝付けない。

から早めに睡眠導入剤を飲む。

今日もそんな日。

ハルシオンを飲んで寝る。おやすみなさい。飲んだらきっと寝られる。

2020-06-01

anond:20200601131309

睡眠導入剤と軽めの抗不安薬処方されて終わりとかじゃないかなー。

初診ですぐ予約取れるんだ?

anond:20200601131309

睡眠導入剤と軽めの抗不安薬処方されて終わりとかじゃないかなー。

初診ですぐ予約取れるんだ?

2020-05-13

夜は夜らしくしていればよかった

仕事柄、毎日のように深夜の会議に出席していたら睡眠導入剤がないと寝付けなくなってしまった。

仕事がヤマを越して深夜の会議に出る必要がなくなっても、薬に依存気味になり、やめられなかった。いちど飲むのをやめてしまうと、離脱症状のせいで夜に目が覚めてしまって辛かったので、飲み続けるしかなかった。

だが新型コロナウイルス流行を期に、最近は薬を飲まなくても寝られるようになっている。

精神の不調を抱えているわけではなく、睡眠導入剤を処方してもらうためだけに心療内科に行って感染リスクさらされるのは割に合わないので、自然と足が遠のいた。

さらに、一言でいえば、夜に夜らしくしていれば寝られることがわかった。

まず夜でも電灯が明るい繁華街から郊外引っ越した。日が沈むと周囲が暗くなった。

また室内でも、日が沈んだ後は明るい照明をつけるのをやめた。すると、その明るさでできることは限られてくるので、夜に目が覚めるような活動はせず、自然と早めに寝るようになった。

日の出時間が早くなるにつれて起床時刻も少しずつ早くなり、朝の時間を余裕を持って使えるようになった。

大げさに聞こえるかもしれないが、コロナウイルスのせいでようやく人間らしい生活に戻れた気がしている。

2020-05-11

どうにもならない夜には

どうにもならない夜には、身近な男を呼んで軽くエッチしてそれでよかった。

から揉めることも多かったけど、後悔なんてしてない。

どの相手も最高に良かったし、男の数だけエッチってあるんだなって思ってた。

今、なかなか気軽に男に会えない。

18時を過ぎると心がざわざわする。みんなが「これたのしい」って言ってることやってみてもちっとも楽しくない。

たばこお酒もやらないし、もちろんギャンブルもやらない。

ほんとに男遊びだけだったの。

どうにもならないこんな夜は。

お気に入り香水をいつもの倍の量つけて気持ちを華やかにする。

そして「どうしてもの時だけね」と言われている睡眠導入剤を飲み下す。

わたしはもうすぐ何事も無かったかのように眠ると思う。

だけどこの渇きは癒えることはないし、一生つきあっていかなきゃいけない寂しさだってこともわかってる。

誰とも結婚しないって決めたのはわたし

決めた瞬間からモテ始めたのにはおどろいたけど。

結婚を迫られるのがそんなに怖いの? 今言い寄ってきても無駄だよ。

ああ、だんだんいい気持ちになってきた。

香水香りは好きじゃない人が嗅いだらむせるように強いかもしれない。

でも今のわたしにはこのくらい必要なの。

どうにもならないこんな夜は。

早く日付が変わって新しい一日を始めてしまいたい。

明日になったら、このどうしようもない気持ちが消えてなくなっていますように。

おやすみ

2020-03-02

家で一人が好きだけど、コミュニケーションとったほうがいいのかな

仕事ストレスが大きい。

仕事内容もそうだし、上司との人間関係も。

ちなみに同僚はいないも同じ。

 

自分は一人で楽しむ趣味が多い。

外に出るのも面倒だから必然、家が好きになる。

そして、それはストレスで加速する。

一ヶ月以上、休日は家から出ていない。

 

友達はいないわけじゃないけど、頻繁に連絡をとったり遊んだりはしない。

地方で働いてる友達が多いのもある。

親が毒系統だし、姉弟にもそれほど興味がないので、家族とも疎遠。

 

でも人とコミュニケーションとったほうが、ストレスはまぎれるのかな?

仕事ストレスで、長期休み以外は不眠の症状がひどいんだけどまぎれるんだろうか?

睡眠導入剤は飲んでない。飲んでたことあるけど効きが悪いし、強い薬は副作用離脱症状が強かったから)

 

若いわけじゃないから友人と会うと食事するぐらいだけど、楽しかたこともあれば、家で趣味してたほうが良かったと思うこともあったんだよね。

時間お金もかかるわけで、自分にとっては大きなコストなんだ。

まあ、友人と会って楽しくないときがあるのは、自分自身がそんなに愉快なタイプじゃないのもあるんだろうけど。

そもそも人間あんまりきじゃないのかもなあ。

 

なんて考えてるうちに、もう2時。

今日もよく眠れないんだろうなあ。

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