はてなキーワード: 睡眠導入剤とは
ストロングゼロ350ml x 6 を毎日飲んでるような人間が酒をやめるとどうなるか、の2週目。
8日目…発汗なし、脈拍は普通。ふくらはぎから下に冷えあり。酒はのみたくならない。特に飲みたくていらいらはしない。不眠は継続。食欲あり。
9日目…8日目と同じ。電気毛布を買って体温をあげる。
10日目…9日目と同じ。電車の待ち時間など若干のみたくなる、習慣飲酒による衝動だと考える。電気毛布よい。
11日目…10日目と同じ、でも少し眠い?食べる量は増えていってる、やさいたっぷりちゃんぽん(小)を食べてまんぷくにならずに驚く。
12日目…不眠が収まりはじめてる?昼夜逆転は起きてるが自然に眠気が訪れたことと睡眠時間(8時間~)で判断。
13日目…はらまきで体温をあげることをはじめる。模様替えを途中までする。コーヒーの量が増える。
14日目…身体的な離脱はなし。特にイライラ等もなし。コーヒーを飲みすぎなのが気になるが、特に身体や生活に支障がないので問題ないと考える。2週目はずっと風邪気味だったので寒気が離脱か判断がつかなかった。
反応もらったのでまとめて返信する。
通院はしている。アルコールへの依存状態の起因になった個人的な課題があったので、3か月前から心療内科で抗うつ剤と睡眠導入剤をもらいつつ、心理療法士によるカウンセリングに掛かっている。
先週あたりに課題をすこしクリアしてアルコールを休む気分になったので試している。
食事は1か月前位から高たんぱくに切り替えた(ギリシャヨーグルト、とうふ、豆乳など)。一日タンパク質を40~60gはとっている。
「一人では絶対に治せない」や「断酒」などの1ゼロ的な言葉についてリプライしようと思ったら、嫌な気持ちになり、ここまでで一番飲みたくなったので自分について理解を深める必要がある。
すごく疲れている。周りからはそう見えないかもしれない。でも、疲れてる。
1ヶ月くらい休みを取ったら良かったのかもしれない。でも、「仕事をしない」という状況にある自分を責めてしまいそうで、怖くてすぐに転職してしまった。
そう思って、家にある抗不安薬や睡眠導入剤の数を思い出そうとしている。そんなに大量にはない。医者も、一気に飲んで死ぬ量は出さないんじゃないだろうか。それでも、飲んで楽になれるならその可能性に賭けたくなる。
勤務時間中にこんなことを考えている自分が、大丈夫なのか、大丈夫じゃないのか、もうわからない。
とにかく、楽になりたい。何も見たり聞いたりしたくない。もう何もできない。助けてほしいけど、自分にとって何か助けになるかもわからなくて助けを求められない。とにかく、楽になりたい。疲れた。
よく仮眠の時の睡眠導入剤として、YouTubeやニコニコ動画で人の声が入ってない耳かき音声を聴いたりする。
お気に入りの音声はいくつかあるがそれらを繰り返し聴いても少し物足りなくなってくるので、他のものを漁ったりもするんだけど、よく適当にマイクガリガリやってるだけとか明らか鼓膜破れてるか突き破ってない?っていう音声が見つかる。
そういう音声もある程度需要があるのもわかるしそれ自体も聞いてる人も批判するつもりは毛頭ないけど、みんなよくああいう音でリラックスできるな……と思う。
ちょっと聞いた時は実際鼓膜を刺激されてるわけではないのにいてて…となったのである意味音作りは上手いんだろうな。
いっそ機材買って俺が最高の音声作ってやるぜ!ってなればいいんだけどね、宝くじの当たりクジが降ってくれればいいんだな。
いつもいい音を作ってくれる人たち本当にありがとう。
以下の記事を読みました。
わが子を「子ども部屋オジさん」にさせる親の特徴
DIAMOND online
https://diamond.jp/articles/-/206234?display=b
「子ども部屋おじさん」などという安易なレッテル貼りと意図のよくわからない問題提起に、適応障害を絡めるのは、絶対にやめてください。
私は以前、ソフトウェアエンジニアをやっていまして、開発チームの管理職を兼任しておりました。月残業はおおよそ40〜100時間超でした。持ち帰りの仕事を含めると、さらに10時間程度増えるでしょうか。
2017年の2月ごろから、激しい目眩、頭痛、嘔吐、不眠により、日常生活を送ることすら困難になりました。医者の診断では、仕事上のストレスによる適応障害とのことでした。
適応障害の症状を、ご存知でしょうか。
人により様々なパターンがあると思いますが、私の場合は、出社することを考えただけで脱水症状を起こすほど嘔吐し、文字を識別することすら困難になる無気力状態に苛まれていました。
思い通りにならない自身に絶望し、「まとも」でなくなってしまった自分を消してしまいたい衝動と、水を飲む事すら億劫なほどの無気力が繰り返し襲ってきます。
夜は寝付けません。仮に寝たとしてしても30分から1時間くらいで目が覚めるのです。そしてまた寝付けない。この繰り返しです。
処方された睡眠導入剤は効かず、強い睡眠薬も中途覚醒には効果がなく、意識が朦朧としたまま夜が明けるのを、何もできないで待つだけの日々でした。
さらに、唐突に激しい自殺願望が湧き、すんでのところで思い留まることを繰り返します。厄介なことに、SNRIなどの服薬で無気力状態を改善すると、希死念慮も強まってしまうようでした。
そして、最悪なことに、これらの症状は、ストレッサーから離れない限り悪化し続けるのです。つまり状況から逃げるしか方法がないということ。
最終的には医者からの「入院か、実家で療養するべき」との指示から、休職し、その後に退職となりました。
幸い私は、その後2年間の実家療養で症状をかなり抑えることに成功し、現在、社会復帰に向けてリハビリ中の身です。
しかし、現在でも何かの拍子に嘔吐や頭痛のフラッシュバックが発生するので、いまだ完治というわけではないのでしょう。現に、SmartNewsで流れてきたこの記事をうっかり読んでしまい、朝から嘔吐して最悪な気分です。
外傷がないから当事者以外はなかなか理解されないと思いますが、適応障害は心の負傷です。医者から入院を勧められることもあるほどの重症なんです。さらに、症状が治ったからといっても後遺症がないわけではないんです。
私の場合、暖かく迎えてくれる両親のもとでの実家療養というセーフティネットがあったからこそ、どうにか自死を選ぶことなく症状から復帰できました。
さて、「子ども部屋おじさん」ですか。なんとも酷い言葉ですね。そして、それを疎む親がいるという趣旨の記事ですか。反吐が出ますね。
あまり考えたくないことですが、もし私の両親が、この記事を読んで「子供部屋おじさん」は恥ずかしい、世間体が悪い、などと考えるような低俗な人間だったなら、私はすでに墓の下だった可能性があります。
交通事故で車椅子生活になり後遺症に苦しむ人に向かって、実家に頼るな、甘えるな、自立しろと言えますか? この記事は似たようなことを述べています。
もう一度、言います。
「子ども部屋おじさん」などという安易なレッテル貼りと意図のよくわからない問題提起に、適応障害を絡めるのは、絶対にやめてください。
以上です。
※この文章はダイヤモンドオンラインの「お問い合わせ」に投稿しようとしましたが、1000文字以内という謎の制限にがあったので、全文を増田に載せてリンクを添えて送信しておきました。
2月の上旬、仕事で限界を感じ、月曜日になる前の休日の間に精神科に行って、うつ病と診断された。
医師からは特にアドバイスも行動指示もされず、飲まない睡眠導入剤だけ処方してもらい、診断書の封筒を手に入れた。
以前の所属部署の仲間たちと飲みに行こうと誘われた約束の日だった。
くだらない話をしてお酒を飲みながら騒いだりしつつ、まるで自分ごとのように脳をフル回転して、私のことを考えて話をしてくれる人たちに囲まれていた。
時には身内が引きこもっていた暗い家庭事情の話を明かしながら、その人が復帰した話をしてくれたり。
「もっと人に迷惑をかけてもいい」という言葉をかけてくれたり。
そんな言葉に触れて、自然と元の仲間たちを仕事をしたいと願うようになった。
復帰すると約束したその人たちとの約束したことも守りたいし、逃げずにそうしたいと思えるようになった。
休んでる間、年老いた親の通院を共にしたり、家族と向き合うこともできたけど、
仕事がないと無限に何も残らない自分の空虚の大きさに気づいたような気がする。
昨日たくさん話して飲んでくれた人たちに感謝したい。
空っぽになりそうな自分を責めずに、そっと見守ってくれていた母にも感謝したい。
誰かの役に立って、自分が存在する居場所をそっと大切にして生きていきたい。
そう思って立ち上がろうと思える自分は、まだ幸せな方だと思う。
それができずに闇を抱えた誰かは、関わりの無い他人を殺めて苦しめてから自ら命を絶つかもしれない。
それができずに闇を抱えた誰かは、他人に迷惑がかからないように親に命を絶たれるかもしれない。
インフル以外で内科行ったことないからわからないんだけど、どの内科に行けばいいの?
内科・循環器科、とか名前が付いてたりするけど、循環器科に行くのは違うよね。内科・循環器科の病院の内科の方にかかればいいんだよね?
適当に近所の内科行こうと思ったけど内科がありすぎてわかんない。どこに入ってもだいたいオッケー?ダメなところもある?
引っ越してきたばっかりでかかりつけはないし、睡眠導入剤も貰ってたことないし、初診では貰えないだろうか。とても貧乏なのであんまり何回も病院行きたくないなあ。精神科に行った方が早かったりする?
っていうか病院って
病院に入る→受付→椅子に座って待つ↑呼ばれる→先生に「薬ください」っていう→先生が喋る→椅子に座って待つ→会計
たすけてください
以前心療内科で処方してもらってた薬はスコンと眠りに落ちれて楽だったなぁ。
「そろそろ寝ようかな」ってタイミングで飲むと30分くらいで抗いようのない眠気が来るのであとは横になるだけ。翌日も目覚ましでスッキリ起きれた。
市販の睡眠導入剤は気持ちの悪い中途覚醒の仕方をしたり、朝起きたあとも暫くは張り付くような眠気が続くことも多いんだよねぇ。
(個人の感想です)
寝つきが悪いロングスリーパー。
入眠までに2-3時間かかる。早く寝たくて眠くても寝れない事が週2度ぐらいあって、生活リズムが崩れるので困る。
布団の中で5時間ぐらい過ごしてしまう日は、流石に時間の無駄と思って、市販のドリエルとかカイミールとかを飲むんだけど、あまり期待するような効果はない。の割に、朝起きてコーヒー飲んでコンビニ行ってもなかなか眠気が取れず、一日中うとうとしてしまう。
食事の時間が不規則で、運動もしないし、13時から17時までしか学校がないのもあって、生活リズムがぐちゃぐちゃになってしまう。鳩時計やスマートスピーカーで改善を試みたが、うまくいかなかった。というか、ADHDの自分は生きてるだけでかなり手一杯でそこまで行ける気がしない。
病院で睡眠導入剤を貰って、入眠時間を管理できたらなあと、長年思っているんだけれど、睡眠の質を高める努力や朝起きる努力が足りない自分が薬を貰いに行くと、甘えと言われそうで怖い。
男が嫌いすぎて生活に困っている。男の大きい体が、低い声が同じ空間に在るだけで怖い。満員電車でサラリーマンに密着すれば朝から疲弊してしまい、通学もままならない。恐らくこれはミサンドリーで、性差別は悪だから、私はどうしたらいいのか分からない。行き場のない諸々をここに吐き出すので、よかったら聞いてほしい。
【男嫌いになるまで】
増田は大学生女だ。こうも壊滅的な男嫌いになってしまった原因は、父親・レイプ未遂・痴漢・セクハラ・パパ活・パワハラの6つが主だと思う。以下、時系列順に書いていく。
①父親
典型的な男尊女卑思考で、逆らえば殴られる。小さい頃、私の股間に頭を埋めて勃起しているのを見てしまった。今も不自然に体を触られる。
小6。仲の良い男子とトイレ掃除をしていたところ床に押し倒され、必死に抵抗したが力で全く敵わなかった。直に体を触りながら口内を舐め回された。この程度でレイプ未遂?と思われるかもしれないが、運が悪ければ挿入までされていただろうからレイプ未遂だと思っている。(脱線するが、山口達也のしたことをキス程度と軽んじた人は彼がキスだけで済ませるつもりだったのか考えてほしい)
③痴漢
中1〜高3。電車で女子校に通っていて、週に2、3回は痴漢に遭っていた。恐怖で体が動かない・犯人を特定できない等で泣き寝入りすることがほとんどだったが、犯人を捕まえて電車から下ろしたことも数度だけある。特に印象的なのは以下2件。
1.ホームで1人の男性が協力してくれ、無事逮捕に至った。犯人は痴漢の常習者で執行猶予中だったため実刑になった。懲役1年弱。
2.ホームで「もうしないから!」と叫ぶ犯人にしがみ付くも、力負けして逃げられた。改札を飛び越える犯人の姿が防犯カメラに映っており、後日逮捕してもらえるだろうと被害届を出した。警察は何の捜査もしてくれなかった。私の尻の価値は横転したトラック以下。(2018年の渋谷ハロウィン、犯人は山梨まで防犯カメラを辿って逮捕された)
④セクハラ
大1。クラス担任の男に性的な嫌がらせを受けまともに登校できなくなる。何とか単位は取ったが鬱で通院するように。両親の理解が得られず、今も欠席の多さを罵られながら自費で通院中。
⑤パパ活
大1〜2。バイト代のみで生活を賄っていたところ、トラブルで給料が絶たれる。おじさんと食事をしてお小遣いをもらう、いわゆるパパ活を始めた。次第に金に目がくらんでセックスもするようになった。レズビアンなので将来好きな人に処女を捧げたい、といった貞操観念はなかった。どのおじさんも相手を顧みないセックスをする人だった。(女を金で買う男が最低なのは道理だし、売る私も同じ穴のむじな)
⑥パワハラ
新しいバイト先でパワハラを受けた。上司の指示の矛盾を指摘すれば揚げ足をとるなと怒鳴られたし、人格を否定されたし、無賃での残業を強いられた。耐えかねて上層部に相談したところ異動してもらえ、今も勤めている。おかげさまで収入が安定し、売春からは足を洗えた。
【現在】
ギリギリ留年せずに大学に通いつつ資格の勉強をしている。抗うつ剤、抗不安薬、睡眠導入剤でおおむね安定しているものの、常に体が重く思うように動けない。理由もなく強い不安に襲われてどうしようもなくなることがある。
【増田を書いたわけ】
だらだらと半生を綴ったが、どんな事情があろうと差別は悪だ。被害者として同情してほしくはない。
私はこの世の男すべてを憎んでしまい、恐れてしまい、勝手に窮屈に生きている。本当は楽しく生きたいけれど、それが叶わないから死にたいと毎日思う。だから、男嫌いに折り合いをつけて(直すのは現実的でない)生きる知恵を貸してほしくてこれを書いた。痴漢とパパ活については話したいことがたくさんあるので、気が向いたらまた書く。
長い駄文を読んでくださりありがとうございます。助言いただけたらとても嬉しいです。
【返信 05/17 22:36】
・売春関連
成人男性でAVを観たことがない人はいないと思います。需要があるから供給する、それはどんな商売にも言えることで、私は自分の体を商品にしたことを恥じていません。何より趣旨は売春ではないのでお門違いです
・瞑想
性的指向とその人の考えは別物なので、好きな人としかセックスしたくないレズビアンは普通にいると思います。私も好きでない人とセックスをするのは不快ですが、お金と天秤にかければ諦められる程度でした。
【返信 05/18 17:18】
途中まで読んだことがありますが、未果子はすごくリアルなキャラだと私も思いました。セックスワーカー=①セックス好き ②生活困窮者のどちらかで語られがちですが、③男性嫌悪の裏返し、も多いです。私は②に③が軽く混ざっているのかと。
津島隆太さん『セックス依存症になりました。』第41話でも③が描かれていますね→https://wpb.shueisha.co.jp/comic/2019/02/15/108159/
・今のままでいいじゃん
冒頭に書いている通り生活に支障が出ているので何とかしたいと思っています。ミソジニーの男が嫌い→同類(ミサンドリーの女)になりたくない→男嫌いの自分が嫌い、という葛藤もあります。
今、残業中なんですけどもうデスクで涙をこらえるのに必死で何もできないので気をそらすためにも自分の話を書きますね それぐらいは許される職場なんです。いいでしょう。私がすべて悪いだけの、きっといい職場なんです。
私は小学校と中学校、合計で五年間ぐらい不登校(保健室登校)でした。原因はなんだろうな。今考えてもわからないんですけど、とにかく行けなかったんですよ。なんでだろうね。
面倒くさかったんです。たぶん。鬱かなってちょっとだけ思ったりもしたけど、でも、私は当時からオタクで、ネットで動画とかを見て笑ってたからただの甘えだったのかもしれない。徹頭徹尾、甘えているだけの人間なのです。小学校の三年か四年から二年ぐらい通えなくて、六年生で復帰したけど、中学校一年でまた行けなくなりました。勉強ができないわけでも無かった。昔から地頭は良い方で、ただ集中力は無かった。何事も長く続けられなかった。極度の面倒くさがりで、家事も何も一切できなかった。
両親は、学校に行きたがらない私を叱ることもなく、いろいろ考えてくれました。なんたらスクールみたいな不登校児の集まるところに連れて行ってくれたり、カウンセラーが居る部屋に週数回だけ通うように調整してくれたり。
結果としては、私は自分の中でなんで教室に行けないかわからないまま中学の三年間を過ごして、そのまま都立のチャレンジスクールっていう学校に進学しました。都立高校で、定時制。
そこには私みたいに理由もなく学校に行けなかった人って全然いなくて、病気だとか、働かなくちゃいけないから夜間で通うとか、親が離婚してから生活が変わって学校に行けなくなったとか、たくさん理由があったんです。私はなんで自分がここに居るんだろうってちょっと思ったりもしたけど、未だに仲よく遊ぶ友達ができたのもここでした。
でも高校はやっぱり三年しかなくて、私は大学に行くことにしました。良いなと思った大学を目指して、母がこのころ癌になったのに無理して私に英語の家庭教師までつけてもらったけど、受かりませんでした。その年だけ倍率が平素の三倍ぐらい高かったんです。なんでだろう。
結局私は担任の先生の勧めで、少し遠いけど私なら絶対入れる私立大学の文学部に入ることになりました。試験はびっくりするほど簡単で、これなら中学生時代の私でも入れるな、と思いました。教科は現代文だけでした。
でもこの大学で、私は今でもたくさん遊びに行く友人ができたし、その一人は先日入籍もしました。おめでとう。
大学は面倒くさいこともたくさんあったし、さぼったりもたくさんしたけれど、たぶん楽しかったんだと思います。バイトを始めたのも大学に入ってからです。最初は友人の勧めで飲食で働いていたんですが、給料未払いで数か月で辞めました。
次に私が応募したのは、カードゲームのショップでした。ちょうど流行ってたんです。シャドバなんて出る前で、ハースストーンは一部の人しかやってないし、MTGはオンラインが全然無かったころの話です。私はろくすっぽカードゲームなんて知らないままそこに面接に行って受かりました。
仕事はたぶん楽しかったです。結局二年半ぐらいやったのかな。みんなオタクだったし、嫌な客もいたしわかんないこともいっぱいだったけど、それでもバイトって責任もなくて気楽だったし、本当に楽しかったと思う。
その時直属の上司だった男の人とは今でもなんだかんだ年に数回会って、二人で飲んだり二回ぐらい日帰り旅行したり誕生日ディズニーしたり一緒にコンサートいったりします。私たちの関係は何なのか、こうやって書きだしても未だによくわかりません。良い友人なのかな。友達以上恋人未満の関係、結構好きです。気楽だし。いい関係ですよね。
そして私はバイトと遊びと勉学と文化コンテンツで日々を過ごしました。三人しかいないゼミでひいこら卒論を書き、その間に就活をしました。
私の父は大きな会社でそれなりに能力もあって、管理職ではないけれど責任感のあるポストについています。そんな彼と日々話をしたりしているうちに、私もこの業界にしたいな、と漠然と思っていたので、そこを受けてみることにしました。一応ほかにも数社受けました。
受かったのは二社。もう一つは金融系の会社で、少し怖くて辞退しました。その時私は卒論が楽しくて、就職の方がたぶん大事なのにそんなこと全然考えてなかったんだと思います。
そうして弊社に決めました。もうゼミ以外には大学に来る予定なんてなくて、バイトばっかりしていて、オタク趣味にお金を使いたかった。早く就活を終わらせたかった。
もともと視線恐怖症なのもあって、沢山の人がいる中で自分をアピールしたりすることが怖かったのかもしれない。
私は卒論を頑張って(学部で優秀賞をもらいました)、大学を無事卒業して、弊社へ入りました。
入ってから、ああ、結構体育会系というか、業種のくせに古臭い企業だな、と思った事は事実でした。けど、父が言うにはこの業種の中小はみんなこんなものだという話だったので、特に気にしませんでした。自分にマメさが求められる事務職は向いていないと思っていたからです。
それでも今の部に配属されて、訳の分からない言葉はいっぱいだし、教えてくれる先輩の一人は私に教える片手間ずっとグラブルをやっていた。もしかしたらグラブルをやっている片手間私に色々教えてくれたのかもしれない。
今のオフィスは、弊社の大口顧客(元請け)がほぼほぼ占めているビルです。
私は二年間、同じプロジェクトで、ワーカーホリックの上司の下で仕事をしました。
上司はイエスマンだから無茶な仕事をいっぱいもらってきちゃうし、自分がワーホリだからほかの人も同じぐらい働けるとか思っていたし、謎に有り余る体力で飲み会とかにも大体参加していましたが、怒らないし、わからないというとある程度は聞いてくれたりするし、たぶんとってもいい人でした。私が生意気言っても怒りませんでした。ただ彼自身は毎月残業60時間とかいってるワーホリでした。いまでもそうです。
それでもそのプロジェクトは楽しかったです。つらいこともたくさんあったけど、愛着もありました。
なんだか身体がおかしいな、と思ったのは去年のどこかぐらいからだと思います。去年は忙しい月が数回あって、残業が40時間を超えるぐらいの月が飛び飛びに数回ありました。
昔から起きるのが早くて、朝五時とかに起きちゃっていたんですが、三時ぐらいとかに起きちゃうようになりました。
私はスマホ依存症に近いものがあって、何かあるとすぐスマホを見ちゃうんですが、それのせいもあったのかもしれません。睡眠の質がきっとどんどん悪くなっていきました。
プロジェクトは今年の春が大詰めで、みんなピリピリしてたし、急な雑務も増えました。
視界が一瞬真っ白になって、風呂場の椅子に座りこんだと気が付いたときには、身体のいろんなところが強くしびれていました。特に強かったのは手で、勝手に力強く握りしめられていて動かせませんでした。
母を呼びました。母は全裸で浅い呼吸をしながら手を強く握りしめている私のことをひどく心配してくれました。父も風呂場の外にはいてくれて、状態を調べたり、スポーツドリンクをくれたりしました。
その日は固まった手で何とか飲み物を飲んで、少ししたら回復しました。
でも、結局数日たってからも体調がすぐれず、午前半休を取って病院に行きました。
あのしびれの正体も知りたかったからです。結果は「抑うつ状態から過呼吸を引き起こしたのでは」ということでした。
お医者さんには産業医面談を受けるように言われました。私は素直にワーホリ上司へそのことを話して、午後に出社しました。
休憩スペースで面談をしました。診断の詳細、そして産業医面談というものを受けるかどうか。
受けるなら俺から上に言うよ。そういわれて、少し困りました。プロジェクトが本当に大詰めだったからです。私はその時まだ二年目のぺーぺーでしたが、そんな私でももしいなくなってしまったら困るかもしれないと思ったからです。結局上司はそのあと産業医面談の話はせずに、春からの仕事の話をされて終わりました。
その週の金曜日、私はどうしても体調がすぐれず、うまく動けなくて、会社を休みました。
私自身が、どうしてこんなにストレスを感じているかがわからなかったからです。それが仕事のせいなのか、無意識にプライベートでため込んでいたのか(その時ちょうどフォロワーとちょっとトラブルがありました)、単純に満員電車がストレスなのか、わからなかったからです。
翌週、私のところにやってきたのは課長でした。
「別に産業医面談を拒否するわけではないし、受けたいなら調整するんだけど」彼の言葉はこう続きました。「俺たちの権力より上だから、部署移動とかを指示されたら逆らえないしなあ……」
課長は私が部署を移動することになってしまった場合の人間リソースの低下を懸念していたのです。
「とりあえず、今月は今のプロジェクトを頑張って、春以降もう一度相談します」私は言いました。
もしかしたら、本当に私が居なくなったことでこのプロジェクトにクリティカルな何かが発生してしまうかもしれない。それが嫌だったのです。課長が明言してしまうことで、それが私のせいにされてしまうのも嫌だったのです。
薬を飲んでいれば出社はできました。なぜか倒れたときから咳が止まらないけれど、風邪が長引いているのだろうと思いました。
私は抗不安剤と睡眠導入剤を内科でもらっていたので、薬がなくなった時についでに咳止めの薬をもらいました。
咳止めとして飲んだ抗生剤と私の相性が悪かったのかもしれません。私は朝の満員電車の中でお姉さんに助けてもらい、途中の駅で降りて、でも歩けなくて、駅員さんに車いすに乗せられて詰め所みたいなところの長いすに横たえられ、母親が来るのを泣きながら待っていました。
母は病気です。私が高校の時からずっと治療しています。手術もしました。私なんかよりもずっと大変なのに、毎日ご飯を作ってくれて、こうして迎えに来てくれるのです。私は親不孝者でしたが、母が迎えに来てくれたので、駅から外に出ました。その日は散歩をして、会社を休みました。
体調の悪化が治りません。毎日薬を飲まないとうまく動けません。
それでも日は回るので、春から新しいプロジェクトに参画することになりました。すでにある程度進んでいるプロジェクトは初めてでした。
私はわからないなりに、以前の経験と知識を使って頑張ろうと思いました。そのプロジェクトの上長は先日面談をした課長でした。
参画してから一週間ほどした日、私は唐突に課長に仕事の依頼を受けました。
この業種において、一から自分で作ることは大して難しくはありません。今のプロジェクトの様子確認も兼ねて、大丈夫です、やります、と言いました。
どうやら課長のその認識が根本的に間違っていたらしいと知ったのは、その週末のことでした。
どうやらそれは、私が触ったことのないソフトを触って、すでに動いているシステムに「絶対にミスをすることなく」仕様追加をするというものでした。
私は困惑しました。だって自分が触ったことのないものを「ミスなく」と言われても困ります。練習ができません。経験もありません。
しかも、それは私一人でやるという話でした。ベテランの技術者が後ろについてくれると言いましたが、彼は他の仕事で忙しく、週に一回、数時間様子を見てくれるだけでした。
彼がとっても忙しいのは知っていました。だから仕方ないとは思いました。上長に聞いていた話と全然違っても、もう請けちゃったと言われたら若手にはどうすることもできませんでした。
元請けからはことあるごとに「絶対にミスは許されない」と言われました。私は状況の調査から始めました。
手順書や設計書は用意されていました。ただ、前任の会社が中途半端に撤退していたため、それが正しいかどうかの調査から始めなければなりませんでした。
けれど、私が触ったことのないソフトウェアの設計違いを、どうやって見つければいいのだろう。それはとっても疲れることでした。
上長はいつもなぜか忙しそうで、私が疲れたとか、産業医面談の話についてを問いかけることは憚られる雰囲気でした。半分炎上していたのかもしれません。プロジェクト未経験が私含め半分以上を占めていた上に、その中で唯一構築経験があった私が一人での仕事に回されてしまいました。
ポテンシャルって便利な言葉ですよね。とりあえずそう言っておけば良い感をひしひしと感じます。絶対失敗できない仕事を依頼されたなら、失敗しない人を連れてくればよかったのです。
私はそれでも何とか資料を調べて不明点を上げ連ねて、ベテランと上長との進捗報告に参加しました。訳が分からないことだらけでした。たくさんのことを言われましたが、すでに集中力が平時の半分ほどしかなくなっていた私にとって、それは呪文のようでした。半分ぐらいわかりませんでした。わかったふりをしました。
産業医面談に行けなかったので、有名な精神科のある病院の予約を取りました。その時にはもう、睡眠導入剤がないと眠れない生活になっていました。
新しい病院で、紹介状は無いんですとだけ伝えて診察を受けました。睡眠導入剤のほかに睡眠安定剤をもらいました。でも、睡眠安定剤を飲んだら昼間もものすごく眠くなってしまったので、二回しか飲めませんでした。結局抗不安剤と睡眠導入剤だけを今でも飲んでいます。飲まないと眠れないし、仕事に行けないからです。
このころから、ホームで電車に不必要に近づいてしまうようになりました。(私が使っている路線は都内なのにホームドアがないのです)無意識でした。私は死にたいのかな、と思うようになりました。
転職をすればいい、とか、周りの友人は言っていましたが、どう客観的に見たって私のメンタルが弱いだけの甘えなので、私が悪いのです。昔から私が社会や親に甘えているだけなのです。その自覚があったし、転職はとっても怖いもののように思えて仕方がありませんでした。だって自分には実力がないのです。転職活動で落とされることも怖かったです。評価されないことは、訳の分からない仕事を一人でやらされることと同じぐらい怖いことでした。
今日も偉い人たちを交えての打ち合わせがありました。私はやっぱり、「絶対にミスできない」ということを念押しで言われました。それならなぜ、ソフトウェアに触ったことがないたかが三年目の私がその仕事をしなければならないのかがわかりません。他の人にも仕事内容の相談ができません。調べても全然出てきません。他のメンバーはいろいろみんなで相談しながら前に進んでいるのに、私は自分が一つわからないことがあるだけでそこに立ち止まってしまいます。解決策がわかりません。どうすればいいかわかりません。集中力がなくて、どうすればいいかもよくわからなくなってしまいました。
少し、辛いな、と思いました。
別に残業が数百時間だとか、あまりにも激務だとか、そういうことはありません。家族はとっても優しいです。私はきちんと笑えています。両親はたくさんのことに関して理解もあります。母は自分の身体も悪くて病院に通っているのに、私が精神科に行くとき一緒についてきてくれました。
部長も課長も主任もワーホリですが、きちんとしてはいると思います。中小ですが、それなりに長く続いている、頑張っている会社です。
だから、私があまりにも社会に甘えているだけなのです。私が弱くて、今まで甘やかされてきたから、ちょっと普通なぐらいのところに来ただけで耐えられなくなっているのです。
それは悪いことだと思っています。だって私が弱いのが悪いんです。甘えなのです。でも、強くなる方法がわかりません。
どうしてこうなったんでしょう。生まれたときから弱かったのでしょうか。私はどうすればいいのでしょうか。何が悪かったのでしょうか。仕事ができないことが悪いのでしょうか。
薬を飲んでいるとお酒が飲めません。友人との飲み会も、友人が気を遣って飲み放題プランを外してくれます。気を遣って一緒にソフドリを飲んでくれようともします。
優しさが申し訳ないです。私が弱いだけなのに。私が弱くて薬を飲んでいるだけなのに。
仕事が嫌いなわけじゃありません。色々考えて、正解を導き出せたときや、トラブルを解決できた時はとっても楽しいです。
ただ、たぶん、もう一人だけいたら、こんな気分になっていなかったのかな、とは思います。自分にとって、「絶対にミスできない」一人きりの仕事が、案外つらいのでしょう。ゆとりなのです。弱いのです。世間様に甘えているから仕方がないのです。責任を一人で負いたくないのです。「わからない」と隣に相談する環境が欲しいのです。
会社の最寄りの駅にはホームドアがありません。今は想像するだけだと思ってはいますが、段々と黄色い線の向こうを歩いていってしまって、いつか飛び込んでしまったら、と思うととても怖いです。それも、私が弱いからなのでしょう。
生きたいです。オタクは楽しいし、ちゃんと毎日笑っているし、友人もいい人がいっぱいいます。でも、いつまで生きればいいのか、よくわかりません。勝手に涙が出たり、ベッドから動けなくなってしまいます。
私よりもっとつらい人はそれこそ数えきれないほどいるはずなのに、どうして自分はこんなにも弱いのか。どうしたら強くなれるのか。
なんで生きてるのか、わからないのです。
それを吐き出したかっただけなのです。
うーん。まず、休学するのは悪い選択ではないかもしれない。そういう事情があるのなら、1年学年をずらすのも悪くないだろう。ただし、2年も3年もずらすのは良いとは思えないがね。そこから逃げるため、と思わずに、周辺の主に人間の関わる関係を再構築するため、と前向きに考えておくべきだと思う。
あと、自分でも認識していると思うけど、うつ病かどうかは別として、抑うつ状態にあることは間違いないかもしれない。(うつ病を含む)抑うつ状態になった場合、それまで当たり前にできていたことができなくなることが多い。入浴、掃除、ゴミ出しなどは典型的な例だ。ちなみに私の知っている例では、ギターマニアがうつになったらギターの弦を張り替えるのが異常にしんどくなって、ギターを弾かなく(本人の意識としては「弾けなく」)なってしまい……ってのがあったな。電車や風呂の話はまさにそういうサインだと思う。
先日も書いたんだが、精神科もしくは心療内科に受診する気なら、どこに行くかは結構重要。怖いのは、受診して状況聞かれて「はいじゃあこれ」と、複数種の薬をてんこ盛りにされるケースな。うつ病の場合に処方される薬としては「抗不安薬」「抗うつ薬」「睡眠導入剤」の3点セットであることがほとんどなんだが、初診であるにも関わらず、各々のカテゴリーに入るものを複数種、あるいはそれに更に加えて本態性振戦(いわゆる身体の震え)に処方される薬(βブロッカーなどが多いんだが)を一気に処方してくるケースがあったりする。こういうところに通ってしまうと、複数種の薬でメロメロになった状態で、生活改善どころじゃない状況に沈んでいくことになりかねない。5ちゃんとか口コミサイト的なもので情報を拾うのが手っ取り早いと思うかもしれないが、治療を受ける側の主観にかなり寄った情報だったりすることが多い。お薦めは、地元の保健所を探して相談に行くこと。保健所は自立支援医療の窓口になっているので、病院に関する(治療実績を含む)情報が集まるから、怪しい病院は紹介候補から外して教えてくれるはずだ。そしてその上で通院して、コミュニケーションなどでしっくり来ないなら、そこで病院を替えたって構わない。無秩序なドクターショッピングはお薦めしないが、患者は複数の意見を聞く権利があるので。
あと自殺について。まだ本当にうつの底に沈んでいないときが、実は一番危険なんだよな。うつの底に沈んでいたら、厭な言い方だが死ぬ気力も出ない。しかしそこそこ元気なときに精神状況の揺れがあると、そこでふーっと行動してしまうことがあるので。本当にやってしまう人達に共通しているんだが、「死にたい」って言わないんだよな、大概。皆さん「消えたい」「消したい」と仰る。でもな、この21世紀に、ゲイだからって何故自分を消さなきゃならないんだ? 消す必要ないだろ。胸張って生きていいんだぞ。世間のアホな輩の中には「えーゲイだったら俺にも暴走的に来るんちゃうのー」とか言う奴もいるんだろうけど、これは、男性が女性に対してやったとしても許されることではない。単なる性暴力だよね。つまり、ホモかヘテロかなんて、実は何も関係ないんだ。アンタは必死でエロビ買ってるんだろ。なら性暴力にはしっていないんだろ。それでいいじゃん。何を世間に恥ずべきことがある。何故自分を消さなきゃならないんだ。そんな必要はない。胸張って、少し休んで、必要なら医者やカウンセラーの助けを借りて、堂々と生きていっていいんだよ。