はてなキーワード: 求めないとは
ぼくはレズメガネです。ロコさんがここを見るというのは奇跡に近いことでしょう。でもあなたがぼくとの繋がりを絶ってしばらくしても、あなたとチャットした数日間は忘れられません。恋だったかもしれません。
何年か前のクリスマス前日、ヤケクソで女性利用者らしき人に片っ端から「出会わなくて良いし声も聞かせてくれなくて良いからとにかくクリスマスだけ付き合ってくれ。こっちは何も求めないんだからそっちにデメリットはないはずだ」と声をかけまくってた自分を、唯一まともに相手をしてくれたのがロコさんでしたね。
某大学(※1)の医学部入試の問題について、どうしてもぼやきたくなった。
あくまでも個人の意見ではあるが、随分と乱暴な意見だとも自覚しているので、その所予めご了承ください。
あと、これは個人の雑感なので、読み易さは期待しないで下さい(※2)。
最後に、二重括弧で脚注付くって言うからせっせとつけたけど何故か脚注付かないので、手打ち脚注を付けました。もしもミスを見付けても、この間抜けについてはどうか(鼻で)笑って許して下さい。
※1:伏せる意味は欠片も無いが、様式美だと思ったので付けた。他意はない
※2:(意訳)クソ長ェ意味の無い文章が続くけど素人の感想文だから許して下さい
基本的には親戚含め概ね一般家庭であるが、父親とイトコと義大叔父とがそれぞれ医者という、何故か不思議な縁がある。(※4)
タイトルの通り、本人の性別は女で、そして医者では無い。既に女子と名乗る年齢は過ぎたので、(元)女子<コメントへ一言
※3:七大都市圏外に生息。県庁所在地ではあるが、当県には新幹線が通っておらず、未だに女子は親元にいて当然、みたいな思考がまかり通る程度の田舎
「まぁ当然じゃない?何で叩かれてるの?」
※5:伏せる意味は欠片も無いが、様式美だと思ったので付けた。他意はない(二回目)
『入試を受ける許可が降りなかった』ので『医学部受験が出来ず』に『医者になれなかった』『元女子』である。
因みに偏差値は何とか足りてた。まぁ何とか、レベルだったのでもしかしたら国試に受からずに医者になれなかった未来もあるかもしれないが、そこは今は割愛する。
ただの自慢だが、高校二年の頃までは、随分と増田の成績は良かった(※6)。
高校一年までは、まだどうなるか分からず模試の結果にも志望校にも何も口を出さなかった親が、二年最初の模試の結果を渡した時、初めて話し合いの場、というものを設けられた。
結論から言うと、増田はその話し合いを経て『医学部を受けない』事を確定した、という話である。(※7)
事の次第はこうだ。
その模試の結果が返って来たその週末、『模試の事で話したい事があります』と親子三者面談が行われることとなった。
滅多に家に居ない父親がわざわざ昼から家に帰って来ての三者面談であったので、非常に緊張もしたし、内心『エライコッチャ』と思った。
先の通り、まだその頃(※8)は別段叱られる様な成績を取っていたと思っていないので、何故呼び出しを受けたのか分からない、という混乱もあった。
その時まで、得点や偏差値といった所について怒られるものとばかり思っていたから、返答が「へぁっ?」という間抜け極まった返事になった。この面談が何の為に行われているのか、全く理解が追いつかなかったのもある。
娘の間抜けな返答にに、両親は特に叱るでもなく、母は言葉を重ねた。
母の指先が示していたのは、志望校の欄に書かれた、地元の医学部の欄であった。
「いや、そういう訳では…」
それまでのほほんと『まぁ今の偏差値ならこの辺りの学部書いとけばいいだろ』と志望校を書いていた増田は、母親の言葉で『自分が本当に医者になりたいのか』という事を初めて、真面目に、考える事になった(※9)。
我が家は勤務医であったので『実家の病院を継ぐ為に、何が何でも医者にならなければならない』という家庭の事情も無ければ、『パパみたいにおいしゃさんになるのー!』みたいな可愛らしい夢も無く、『医者になりたいのか』という問いに悶々と悩んだが、すぐに答えが降って湧いて出る訳も無い。
いつまで経っても(※10)返答をしない増田に、母は再度口を開いた。
「じゃあ先に、私達の意見を、聞きなさい」
うろうろとテーブルの片隅に置かれていたコップの辺りで彷徨っていた視線をふっと上げると、母の強い視線に当てられた。残念ながらスローモーションにならなかったが、それでも随分と怖い顔をしていると思った。
それまでずっと黙っていた父親は、やっぱり黙っていたけど、母の言葉に追従する様にうんうん、と首を縦に振っていた。
※6:大見得を切った。自慢して歩ける程良くは無かったが、教師や親から叱られる程悪くも無かった
※7:(意訳)クソ長ェ意味の無い文章が続くけど素人の感想文だから許して下さい(二回目)
※8:何の反動か知らないが、この話し合いの後一切勉強をしなくなったので、その後当然成績は真っ逆さまに落ちた。高校二年の頃まで、と書いたのはそのせいである
※10:とはいえ、今考えても三分も経っていない。カップラーメンは待てても娘の返答は待てないらしい
両親の主張は、主に二点であった。
医学部、それも国立の医学部に入る、という事は、日本国民から借金をする(≒投資を受ける)と同義である
これは防大についても同じ事が言えるが、極論、医学部の学生というのは『将来的には国益になる』と信じられているから、通常よりも多く『投資を受けている身分』である。
原資は何か?当然、国民の血税である。その投資を受けた以上は、医者になったならば、労働を通して国民へ返さねばならない。
医学部に入って6年、専門を決め、安定した独り立ちをするまで更に数年。
10年近く投資を受けるのだから、同一年数は働かないと、その投資に見合った返済が出来たとは言えない。
最低でも46歳、そこまで働く気がないなら、税金泥棒になるのだと自覚しろ、と締め括られた(※11)。
『どこでも眠れる』『すぐに眠れる』『すぐに起きれる』『寝溜めが出来る』の何にもかすっていない増田には向いていない。増田はどれも欠落しているから資質が無い。とばっさり切られた
何を想定しているか?無論、当直時、あるいは緊急時に即戦力として対応出来るか否か、という事である。
尚、緊急時には『有事』も含むからな、国立大卒なんだから当然、とも言われて、己の命の使い方も本気で考える羽目になった。
※11:据わった目で『国益』という単語が出た時に、九州系女性の腹の括り具合怖ェ、って思いました(感想文)。尚、両親は特定の党も支持していなければ、右の話も左の話もした事が無かったので、余計ビビりった
→最低限の国資を通った以上、四十歳半ばで辞める優秀な医者よりも、定年まで働く普通の医者の方が国益に勝る
→総数比を考えろ。数が少ないという事は、医師一人に対しての負担は看護師の比率分だけ上がると自覚しろ
・別に定時で帰れる様な小さな病院に勤めれば良くない?例えばアルバイト医師(※13)とかさぁ
→甘 え ん な 阿 呆 (※14)
※12:自分がドベの成績で国試に受かるかもしれない、という思考を持たない愚かな小娘の僅かばかりの抵抗
※13:その当時、我が家の父は副業で日勤のアルバイト医師もしていたのでそういう発想に至ったのだが、若い頃はアルバイト医師として当直ばっかりしていた為、余計家に帰って来れなかったそうである。そりゃ人が居ない時間を埋める為のアルバイトであるんだから当然である
※14:地雷を踏んだ
さて、以上の話は全て母親が話をした。
父親はずーっと『そうだぞ』とか『お母さんの言う通りだ』とか、合いの手しか入れなかった。
口下手、というのもあるが、彼は『父親ではない』というのが大きな理由である。
一行で起こったこの矛盾であるが、彼は『生物学上における父親』であるが『家族構築関係上における父親』でない、という人なのである。
私が幼い頃、まだ医局という所は随分と力があり、若手医師の勤務先は医局の鶴の一存で決まる様なレベルであった。ペーペー医師である父は一週間の大半は家にいなかったし、弟は帰ってきた父親が父親だと理解出来ず、抱かれた瞬間火の点いた様に泣いた、という古典的なエピソードまである程、家に帰ってこなかった。
ペーペーを脱しても主流医師でない(※15)父は、時には単身赴任も交えながら、随分と家から遠いあちらこちらの病院を転々としていた。
結局、父親が我が家を根城に出来る様になる頃(※16)には子供達は反抗期を迎え、ちっとも父親として接していなかった父親は、子供とどんな話をして良いのか分からない、という状態に陥っていた、そんな時期がこの事件の頃合いである。
所謂、『仕事人間で家族と関わって来なかったお父さんが定年を迎え、家族との接し方が分からない』という状態になっていた為、結果娘に何と言えば良いのか分からなかった、というやつである。
彼がそうなった原因の一つに『田舎の医者が少ない』という点がある。
圧倒的に『全体数が足りて無い』が故に、『一人当たりの当直数が多く』なり、またそういう人数が少ない病院ばかり転々としていた(※17)のも相まって、父親はいつだって『住まいは病院です』みたいな生活を送っていた(※18)。
たまに家に帰って来て『今日はお父さんが帰ってきたから、家族四人で外食に行こう!』となっても、たった二時間もしない食事の最後に彼のポケベル(※19)がけたたましく鳴り、家族団らんが解散になった事は数えきれない程あった(※20)。
当然、盆暮れ正月も関係無く、少なくとも我が家は帰省や冠婚葬祭も含め父親を交えて一泊二日以上の旅行に行った事が無い(※21)。
そういう訳で、我が家は常に『母子家庭』と同等であった。何せ基本的な家族行事に、父親はいつだって居ないのである。入学式も卒業式も発表会も、父親がいた記憶が無い。
幸いにして母親は専業主婦ではあったが、代わりに田舎ならではの『旦那(=増田の父親)実家の面倒』を見るという仕事はあり、最近流行り(?)のワンオペを当時より当然の如く強いられてきた。
別段その事については特に思う事は無かったそう(※22)だが、そういう母を間近に見ていながら『私の仕事の穴を他の人が埋めてくれれば良くない~?』みたいなニュアンスの発言を娘が行った(※23)のは、流石に看過出来なかったらしい。
という事で、此処からは若干説経と、あと当初の想定通り偏差値について幾ばくかの説経が入ったので、ここで一端幕を降ろす。
※15:と父親本人が言っていた。本当の所は知らない
※16:医局の力が弱くなってきた事と、勤務先について本人の希望を汲んで貰える程度には中流層に入った頃合い
※17:「していた」のか「させられていた」のかは、今はもう分からない
※18:一度だけ父がインフルエンザに罹った時に、『入院していい?』と聞いたら、師長さんに『(いつも病院で生活してるんだから、)病気の先生の面倒まで見たくありません』と断られ、そのまま家にいた母親に迎えの要請の電話が来た(実話)
※19:少なくとも、私が小学校を上がる頃まではポケベルが主流であった
※20:とある店に行くと、なぜか謀った様に毎回毎回鳴るので、仕舞いには弟と『今日はポケベルが鳴るか鳴らないか』という賭け事(掛け金:翌日のオヤツ)をやっていた(※現金の絡む賭博行為は違法です)
※21:いわんや海外旅行をや
※22:父と結婚するにあたり、ワンオペ育児を行う事になると重々言い含められ、了承の上の結婚だった、と後に語る
※23:自分の穴埋めをしてくれる人(=他の医師)を全力でバックアップする人間(=その医師の家族)に対して軽視し過ぎであり、礼を失した態度である、というお怒り
その後、別日ではあったが、もう一度話をされた。
その時に言われたのは、
・増田が本当に医者になりたくて且つ子供も欲しいなら、孫(=増田の子供(※24))が一人で留守番が出来る年齢になるまでは私がフォローする。私の体力が追いつかなくなったらシッター代も出す。だからそれも踏まえた上で、自分が『医者』になりたいのか、『母親』になりたいのか考えろ
・ただし、その場合は増田の就職は(地元)県一択になるだろうから、そこを前提に考えろ
・田舎から出ていきたいと思うなら、専業主夫になってくれる男性と結婚か、或いは子供を持たない夫婦二人暮らしを選択する事になるが、家事労働を金で買うかのどれかだが、そういう考えに賛同してくれる相手は数が少ないと心得よ
・医者になる幸せと、(増田)の人生の幸せ(※25)と、よく考えてから志望校は決めなさい
そういう話をされ、『そこまでして医者になりたいか?』と考えた結果、以降増田は志望校欄から医学部の名前を書かなくなった。
※24:結果として、母親の想定年齢を超えても増田は一人身だし当然の様に孫も産んで無い為、このくだりを書きながら無駄な気苦労をさせてすまない…、という気持ちで一杯である
※25:生活力の無さを見抜かれた上での発言であり、別に子供を産むことを推奨はしていない。30歳を超えたある日、電話口で母に『孫いなくてごめん』と謝ったら『子供なんて、居たら居た形の幸せがあるし、居なきゃ居ない形の幸せがあるんだから、比較も出来ないし、(母)に謝る事ではない』と叱られた。本当にすみません…
此処まで書いてこんな事を言っても信じて貰えないだろうが、別段増田は『女性が医者になるな』と主張したい訳ではない。
ただ、医者になりたいのであれば『自分が誰に投資をされたのか』という事を忘れないで欲しいし、その投資に対して最低限ペイをする気が最初から無いならば、その道は他に譲ってくれないだろうか。(或いは、現場医師ではなく、研究職といったルートを選択するとか、兎角ペイを出来る道筋を立てて欲しい)
そして、医者の総数が少ない以上、途中で辞めてしまう優秀な医師よりも定年まで働いてくれる平々凡々な医師の方が有難い、と思う程に、医師の少ない地域があるのだ、という事実に少しで良いから目を向けて欲しい。
産休・育休をしても尚女性医師が長く働ける職場を、と言うならば、お互い様精神で、男性医師だって同じ様に休ませて欲しい。女性医師の休みは認めろと声高に叫ぶならば、同じ様に男性医師にも同じ期間だけ育休を取得する権利を声高に叫んでくれ。
『女性は妊娠・出産するから優遇されて当然でしょ!』ではなく、女性であろうが男性であろうが同じ様に当直を行い同じ様に休みを取り同じ様に昇給して同じ様に家族との時間を持てる様にと主張して欲しいだけである。
が、現状、当然比較論ではあるが妊娠・出産を機に投資に見合ったペイもせぬまま医者を辞める女性は多く、その穴埋めを男性医師が当然の如く行っている以上、男性に下駄を履かせたり、女性を少なく取ったりしたって『当然だよなぁ』と思うのである。
少なくとも、医者になりたいし母親にもなりたいの!と思うならば、実家のフォロー/パートナーのフォロー(※26)/民間(例:シッター)のフォローなど、両立出来るだけの道筋を立てられるかどうかを、一度考えてみて欲しい。
※26:我が家の場合は『奥さんに丸投げ=パートナーのフォロー』なので、真面目に女医を成立させるならで自分の代わりに家庭を全て回してくれる人を探す案をおすすめしたいし、現状それで男性医師の家庭は回っているのだから、女性医師が真似ても上手く回る例なのでは?と本気で思っている
まずは一人一人が己の健康を顧みて、医師の負担を減らす事で、医師の仕事量の総数が減り、結果男女共に産休・育休を取りやすくする事を目指しませんか?
具体的には
・日々歩く、と言った最低限の健康管理を行う(成人病のリスクを下げる)
・(今のシーズンだと)熱中症予防をきちんと行う(急患の数も減らし、重篤な熱中症患者を出さない)
・予防接種を受ける(風疹騒ぎ、よもやお忘れではあるまいな…?)(※27)
・健康診断を受ける(数年に一度脳ドッグオプションを付けたり、市町村区でフォローしてくれるガン検診を受けたり、早期発見早期治療を目指す)
みたいな。
少なくとも、そういうフォローの仕方もあると思うので、ご一考頂ければ幸いです(※28)。
※27:予防接種については、医学的に受ける事も出来ない人(例:妊婦の風疹ワクチン)もいるのだから、少なくとも飛沫感染・蚊を媒体にした血液感染系の予防接種は医学的に問題が無いなら受けて欲しい。接触型感染である子宮頸がん、みたいな類のワクチンは医師家族相談の上自己判断で良いと思うけど、少なくとも不可抗力で他人にうつしてしまう可能性があるならば、皆で予防する、というのは基本的な事ではないかと
※28:これ、医者に限らず例えばサービス業に対しても同じだと思うのですが。と申し添えておく。お金も払わずにサービスだけを求めるのを止めて、サービスに見合った対価を払うか、或いは対価を払いたくないのであればサービスを求めないとか。まずは等価交換が基本でしょう?
この間、実家に帰ったら父親にぼそりと『(増田)を医学部にやれば良かった』とか言われた。
オメェ、あの時散々反対したじゃねーかよ。と殴ろうかと思ったけどやめた。
『属性:医者』をようやく辞める事が出来た彼は、ようやく『属性:父親』の練習を始めたばかりであり、目下家族との対話の練習中なのであり、まだまだ足りない日本語(※29)をフォローし、行間を読む日々は続きそうである。
おっしゃるとおりだと思いますよ。メディアは自分たちの正しいと思ったことを報道し、間違いがあれば批判される。
ただ当事者以外の人はそれが正しいか否かの判断が難しい。興味のないニュースであれば多分調べることもないでしょうし。
さらにLGBT当事者で権利を求めない人は「あれ?」と思っても、自分以外のLGBTの中にはそのような権利を求める人もいるのだなと解釈してしまう。
逆に権利を求める人は今回のように猛烈に批判するみたいですね。
だからメディア側も権利を求める人側の意見が多くなってしまう、求めない人からの批判がないわけですから。
今回LGBT当事者で杉田水脈氏の文章に賛同している人は、生産性云々以外のところに賛同していると思っています。ただ当事者以外の人には伝わりにくい、それだけです。
友達とハメ外して、恋愛して、朝まで飲み歩いて、っていうことをしたかったらアイドル辞めてほしい
アイドルも1人の人間、アイドルのプライベートまで口を出すな派もいると思うがこれはプラベに口出ししてるのではなく、イメージを売る仕事を選んだ以上は生活を制限するべきである
家族構成、出身地、出身校、友好関係、外出すれば遭遇情報まで簡単にインターネットで調べられる時代。
そのことを理解した上でアイドルという職業を志して、続けているのでは?
彼氏の家で撮った写真インスタに上げたり、マイナスイメージを与える動画が流出したりするアイドルは心から辞めろって思う
最近は地下アイドルも増えて、有名一般人の延長線の上でアイドル活動している子も多いと思う
ちょっと売れて、知ってる人は知ってる有名人とも繋がれると思う
それでもアイドルである自覚を持って夢を与える仕事を全うしてほしい
プライベートを犠牲にしている人がアイドルであり続けるにはお金で解決するしかない
いい家に住んで、美味しいもの食べて、いい車にでも乗ってほしい
依頼されたものを打ち合わせして作り上げて、日にちと数字が間違ってた。
依頼主のチェックは経ている。
依頼主「やっちゃったね。今日中でいいから刷り直して!はあーなんで気づかないかな。僕も見落としたけど、君も気をつけてよ。」
なんでだよ?
なんで俺が気を付けるんだよ?
コトノハ〇×(http://kotonoha.cc/)において、現在問題となっている大量の複垢を用いて大量連投を行うユーザー(以下:複垢連投オヤジ)と闘って感じた支離滅裂な理論に関して言及していく。複垢連投オヤジに関してはanond:20180217203415の記事を見てもらえれば詳しく分かるはずである。
私は、このコトノハ〇×において、複垢連投オヤジから最も個人攻撃を受けてきた被害者のひとりである。
迷惑なことに、複垢連投オヤジは自分の理論は押し通すのに他人の理論には常に批判しかしない。
ここで、私に対しての批判、暴言に対して言及していくことにする。
記事が長くなり、字数制限が厳しくなったのでPart.2を作成。
それくらい、複垢連投オヤジの思考が言い出したらキリの無いくらい滅茶苦茶であるということであるが…。
私はボランティアを趣味のひとつとして挙げているが、これに対する複垢連投オヤジの一方的な批判や暴言に関してである。
複垢連投オヤジは私の行ってきたボランティア活動に対し、「公民館レベルのボランティアで良い気になっている奴」というような内容の投稿を行ってきた。
最近は平成30年7月豪雨(西日本豪雨)が起こったこともあり、その水害ボランティアに行っていないのに、ボランティアを趣味と言っている、要するにやるやる詐欺ではということでそのような旨のコトが相次いで投稿されるようになったが、勿論それに賛同する〇側に回答するのは複垢連投オヤジのアカウントだけである。
更にはとある俳優がこの豪雨の被災地でのボランティアに参加し、Twitterで称賛されたとの内容のコトも投稿された。
複垢連投オヤジは全くボランティアをするということは無く、以前は自身がやっている献血が凄いと投稿し、私のボランティア活動を馬鹿にするようなコトも投稿してきた。
ここで考えてみる。
そうではなく、実際は様々なボランティアがあり、私が行ってきた地域清掃や地域のお祭りにブース出展するボランティアや伝統的なお祭りのボランティア以外にも、子どもと遊ぶボランティアや老人ホームのボランティアなどもある。
しかし、復興支援はタイムリーなものであり、ニュースで取り上げられることが非常に多いため、ボランティアに関心が無い人でも情報として入って来やすいため、これだけがボランティアだと思っている人も少なからず居るようである。
次は、複垢連投オヤジが今回の豪雨の被災地に住んでいるであろうユーザー名を出し、コトノハフレンズ(複垢連投オヤジが運営を名乗る時に使うアカウントのひとつ)が対策委員会を立ち上げて全力支援するというようなコトを投稿し、そのコトのコメントでその活動の一環で私(この記事の筆者)を派遣するという内容を投稿したことに関して言及する。
まず、その名指しされたユーザーもこのコトの内容に対して全否定しているため、コトの内容は捏造で出鱈目である。
ボランティアは、基本的に謝礼金は出ず、個人の意思で行う慈善事業、奉仕活動である。
見返りを求めるというものではなく、徴兵のように本人の意思に反して無理矢理派遣するという性質のものでもない。
それなのに勝手に上記の内容を投稿しているので、もう滅茶苦茶であり、複垢連投オヤジはボランティアとは何かを理解していないのも同然である。
そこまで水害ボランティアに重要性を感じるならば、人に押し付けず黙って自分が行けば良いのではと思う。
見返りを求めないので、前述したTwitterでの称賛や表彰は求めていないので、これを過度に推すのも正直どうかと思う。
複垢連投オヤジは、最近私が東日本大震災の復興支援ボランティアに行けなかったことに対して言い訳だということを投稿したが、非常に腹立たしいことである。
私は学部時代は理系というのもあり、通学時間が長いことと授業で忙しいこととで中々バイトに就けず金欠で復興支援を含むお金が掛かるボランティアに行けず諦めてきたのである。
そんな中、唯一行けた復興支援ボランティアが4年生後期の熊本地震の復興支援ボランティアであり、東日本大震災の被災地となった各県(福島県、宮城県、岩手県)は一人旅で訪れたという事実がある。
しかし、これを言い訳と言われても困る。
人には人の事情、時間があるということを全く考慮しておらず、一方的に批判するために繋ぎ合わせただけの支離滅裂な理論そのものである。
複垢連投オヤジが、私がボランティアを趣味だと言っていることを売名行為だと言ってきたことに関して。
これも、なぜそのように言うのか根拠は全く不明である。前述の通り、複垢連投オヤジにとってのボランティアは「被災地の復興支援」だけであり、それをやっていないのにやっていると言っていることに対してなのだろうか。実際は様々なボランティアがあり、ボランティアを趣味と言っている方は大勢居るはずだがそれらも売名行為であると言えるのだろうか。
ボランティアを始める目的は様々であるが、少なくとも売名目的で始める方はほとんど居ない。私の場合は浪人中、新しいことを始めたくて友人の勧めで始めたことが一番最初のきっかけであるが、活動を続ける中で、ボランティアチーム、また周りのボランティアラーも様々な目的でやっているが、売名が目的という人にはひとりも会ったことがない。多くの方は社会経験や交流など、または子どもが好きなど純粋な理由からである。
ボランティア関連全ての項目に対して言えるけど、複垢連投オヤジは全くボランティアをやったことがない、浅いどころか無に近い知識で語らないで欲しい。
複垢連投オヤジが「就職活動などでの経歴で有利になる為に、自称ボランティア活動をしていると思う」と言ってきたことに関して。
勿論、これが理由でボランティアをやっているという人も多く見てきたので、上記の「売名行為」とは異なり、これが理由で活動しているボランティアラーが存在することは否めないが、ボランティアを始める理由、する理由は十人十色であるため、これはあるひとつのパターンに過ぎない。
この記事を他の項目も含めて読んでいただいたら分かる通り、複垢連投オヤジは常に自分の考えが正しいとして押し通そうとする性質がある。
そのため、それが100%だとして私(筆者)もそうだと思って決め付けて言っているとしか思えない。
そもそも、私は浪人生だった頃から大学院生である今まで、ボランティア歴は7年を超えているが、単なる実績目的だけの人がそこまで長く続くだろうかよく考えて欲しい。
今まで数回体験で来ただけの人、実績や単位目的だけでインターンシップで来た人など短期だけだった人は多数見てきた。
何も知らない浅はかな知識で、これ以上ボランティアについて語らないで欲しい。
2018年9月上旬、台風21号で近畿地方が被災、その数日後に北海道胆振地方で震度6強の地震が発生した。
この中の「北海道地震」に関して複垢連投オヤジが地震関連、ボランティア関連のコトを複数投稿したことに関して。
前述の通り、被災地の復興支援だけがボランティアではなく、ボランティアは原則的に人に強制して行わせるというものではなく、自分の意志で行う慈善活動であるが、複垢連投オヤジは何度言っても聞く耳持たずなのでそれを理解する脳は無く繰り返し機械的に投稿しているようである。
特に自然災害に対してこのように書くことは、被災地や被災者への冒涜とも取れる。
もう、言いたいことは上記で言い尽くしたので言うことは無い。
何も知らない浅はかな知識で、これ以上ボランティアについて語らないで欲しい。
複垢連投オヤジが「〇〇(私のユーザー名)は尾畠春夫を冒涜していると思う」と言ってきたことに関して。
これは、北海道地震発生後に複垢連投オヤジが投稿されたコトであるが、上記のTwitterでの称賛等に関する内容のコトだと思われる。
まず、今までの経験上、ボランティアラーが他のボランティアラーの活動を馬鹿にする、批判するという人に会ったことがなく、友人やボランティアでの友人から聞いた話でもボランティア活動に関して批判する人は自らボランティアをやっていない人ばかりである。言葉を少し付け足すとすれば、ボランティアラー、チームの活動交流会において意見交換や討論をすることはよくあり、そこで出た悪い意見(改善点等)のことを「批判」と言うかもしれない。複垢連投オヤジの意見をこの「批判」と考えると、内容はもってのほかであり、全く理論として成立していない。勿論、尾畠氏は活動が評価され、表彰されており、それだからと言って他のボランティアラーや活動を一方的に批判するようなことはまず考えられない。特に尾畠氏は「スーパーボランティア」として新語・流行語大賞にノミネートされたとき、自分の行動は当たり前であり、スーパーではないという旨で辞退したほどである。
複垢連投オヤジは懲りずに「公民館レベル」とか「生ぬるい生活」とか色々言っているが、自分がボランティアを全くやっておらずボランティアのイロハの「イ」も知らないのに知った気になって出鱈目を語るのはいい加減もう止めてもらいたい。
私は男性ながらあんさんぶるスターズ!(以下あんスタ)をプレイしており、その中で可愛い系のキャラを推していることに対し、複垢連投オヤジが「ホモショタ (ショタコンなホモ)」であると決めつけていることに対する言及である。
まず、考えて欲しいが、男性があんスタをプレイすることがそこまで不自然で可笑しいことなのだろうか?
私があんスタをプレイすることに踏み切れたのはあんスタをプレイしている男性のニコ生主やYouTuberがきっかけである。
また、ゲーム内の公式掲示板やTwitterでもあんスタの男性プレイヤーは見掛ける。
それらも不自然と言えるのだろうか?
あんスタに限らず、男性が男性アイドルゲームや男性キャラ中心の育成ゲームをプレイすることを批判する人に言いたいことがある。
これに対して誰もが納得できる回答が出来るだろうか?
出来ないだろう。
女性のラブライバーは多いのに、男性のあんスタプレイヤーは少ない、また批判されることもある、これは正直可笑しい話であるので、これを書かせて頂く。
もし、男性のあんスタプレイヤーがホモであるなら、女性のラブライバーもホモということになってしまう。
経験則であるが、あんスタ、アイナナを始めとした男性キャラ育成ゲームをプレイしている男性を批判する女性を全く見たことがなく、寧ろそのようなゲームをプレイしている女性は、男性プレイヤーを歓迎する傾向にある。
それ故、女友達に勧められて始めたという男性プレイヤーも多いそうである。
私もリアルで女性プレイヤーとあんスタの話題で盛り上がったことは何度かある。
あんスタ等の男性プレイヤーを批判する人は偏った価値観を持った男性が多数を占めるのではと思う。
私にとって、あんスタの男性プレイヤーをすぐにホモだと決めつける人は短絡的で世界が狭い、頭が固い人だという評価を下さざるを得ない。
最近は複垢連投オヤジが私に関して過度な粘着、ストーカー行為を働いており、ホモと思われるような発言も見られることから、複垢連投オヤジ側がホモであると見られており、新たに「ホモオヤジ」という蔑称で呼ばれるようになった。
複垢連投オヤジは37歳、私は26歳であり、私が複垢連投オヤジ等と言った軽蔑した発言をすることに対し、複垢連投オヤジが年上なのだから敬語使えと言ってきたことに対する言及である。
まず、年上ならば必ず目上なのだろうか?
それは間違っており、上司が年下、部下が年上ということはよくあり、私は浪人していた時期があったことにより、私が4年生の頃の研究室の大学院生は私より年下であった。
このように、年齢は必ずしも位に一致しない。
コトノハの一般ユーザー間においてこのような位は存在しないため、本人の人間性や評価による部分が非常に大きいと言えるが、複垢連投オヤジは私を含む他のユーザーにとって信頼される存在だっただろうか?
全くそうではなく、大量のアカウントを用いて尋常ではない量の連投を行う、更にはそれを批判してきたユーザーのアイコンを盗用し、小学生レベルの低俗な落書きを加えたアカウントを作成して使用するなど、多くのユーザーにとって極まりなく不快な存在であった。
それ故、コトノハでは「複垢連投オヤジ」や「連投バカ」、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)のコトノハスレ界隈では「漫湖」等と言った蔑称で呼ばれるようになり、多くのユーザーに嫌われてきた。
私や一部のユーザーに関しては趣味や価値観を全て否定されて嫌がらせを受けてきた。
果たしてそんなユーザーを尊敬し、敬いたいと思うようなユーザーは存在するだろうか?
全く居ないはずである。
複垢連投オヤジはそんなユーザーであるので、幾ら年上でも軽蔑すべき要素しかない。
年相応に扱ってほしければ年相応の態度で居て欲しいものである。
増田的には旬を逃してしまった感があるけれど、改めて寝る前に。
先日のはあちゅうしみけんのあれはなんとなくおさまるところにおさまった感があって見ている分には非常に面白かったけれど、
しかしあれだね。こういうことも大っぴらに発表できるようになったのは、なんというか人の生き方がホント多種多様になった時代のおかげだと思う。
自由な生き方、上昇志向・キャリア志向・大手企業偏重・大艦巨砲主義などを優先的には求めないフリーダムな暮らし、そんな言葉が巷に溢れるようになって二、三年だろうか。
その考え方がはびこるのを横目で眺めつつうっすら感じていたけれど、皆がそうなってしまうのはある種ドラッグに溺れるようなもんだとこの件で改めて思った。
婚姻にしても就職にしても進学にしても、自由な生き方をする為には自由に生きれる能力がないと、その先に待っているのは破滅でしかないのではないかな。
最初に挙げた彼らにしても、かたやなんだかんだ慶応卒で良くも悪くもブロガーとして名を馳せて色んなビジネスにちょっかいだして、まぁ不自由なく暮らしている才女、
かたやどんな業界であれトップに上り詰めた腕一本(○ニス一本、と書くか迷った)で生きている芸能人。
この2人だからこそ周りを気にせず自分たちの好きな生き方をできたわけで、目立った才やキャリアや貯蓄や各種のギフトがない人達が「自由な生き方」をして、
いったいどれだけの数が報われるのだろうか。
そのまま自分の偏差値にあった進学・就職をすれば地元でまったり過ごすくらいにはなれたのに、自由な生き方を求めて東京に出てきて何者にもなれなかったり、
そのままお見合いすればまぁまぁ平和な縁談で平凡な家庭を作れたのに、自由な恋愛を求めてハードルを上げすぎて独身アラフォーになったり、
そういう身近にあるセーフティーネットを投げ捨てて「自由な生き方」を選択できるほど、皆は自分の能力に自信を持っているのだろうか?
もちろん優れた人がより優れた生活を求めて色んな自由な選択をしていくのは良いことだと思う。けど、ネットに溢れるこういう生き方の表層だけを見て
自分もこうするべき、古いライフスタイルは可能性を殺す、って判断してしまう人って、どちらかというとその選択をするべきではないような人が多いように見受けられる。
多様化結構、働き方改革大いに結構。でもその風潮が下から上まで広まった結果待ち受けているのは、優れた人がより自由になって、優れていない人が
既存のセーフティーネットよりも更に低いところでも手に入るような薄っぺらい自由しか選べない、格差がより広がるディストピアな世界だけだよ。
自由な生き方はあなたの将来に対して驚くべき効果を発揮します。ただ中毒性がございます。体調家庭環境学歴キャリア能力収入をよく考えて、用法・用量をお守りください。
実際には作業A,B,C,D(拡張可能)が可能な優秀な労働力と作業A,Bしか実行できない劣後な労働力があるわけ。
企業で作業Aの需要があって従業員を募集するとき、実際には前者でも後者でも問題はない(作業Aは両方できるから)。でも後々のことを考えて、同じ人件費だったら前者を雇用するよね。そのほうが別作業にも対応できるわけで。こうして優秀な労働者はそうでない労働者の席を奪う。
好景気で需要が強い今、前者は現在の作業Aしか求めない(故に給与水準も低い)企業を退職してよりよい条件の職場に移るべきで、そうなればこそ後者労働者の席があくわけだけど、日本ではそういう人材流動性が低い。待遇が悪くても辞めないっていうのがコレ。
まず、投票することで変えられるという幻想を捨てないといけない
日本は、実質的には民主主義国家ではなく、官僚や公務員によるアリストクラシー国家だと認識するところからはじめないといけない
選挙では、誰かを選ぶことが重要なのではなく、あたかも国民の総意があるように見せかけることが重要なのだ
日本における選挙とは、アリストクラシーにお墨付きを与えるためのツールなのである
カレー味のウンコとウンコ味のカレーの片方を選ぶことに意味はないのだ
選ばないという選択肢があることを忘れてはならない
そして、選ばないという選択肢こそが最も力強く、最も民主主義的な行為なのである
投票率が下がれば、もはや公務員たちが国民を支配する根拠が大きく失われる
国民の大多数が政府を無視してしまえば、国家運営など出来なくなる
納税申告を誰も行わず、投票にも誰も行かない、国民が政府の行うことに対して悉く無視を貫くようになれば、ようやく公務員たちは目が覚めるのではないか?
いやいや、今さら何言ってるんですか。
ポーランド戦の戦い方によって日本代表は宣言したじゃないですか。「我々は敗退に価値を見出さない。我々は結果しか求めない。我々はルールで禁止されてないならどんなことでもする。我々はサッカーをプレーすることを放棄してでもワールドカップで勝ち残ることを目指す」って。
である以上、いまだに日本代表を応援している人が「勝とうと思うな、のびのびプレーしろ、思い出作りになればいい」なんて言うのはおかしいでしょう。日本代表にしてみればそれらの主張は寝言でしかない。
応援するなら「何が何でもベルギーに勝て。負けるなんて許さない。どんな見苦しいことをしてでも勝て」と言うしかないはずだ。
あれはなんで?
馬鹿なの?
生きるか死ぬかほど追い詰めてて、
せめてまとまった金額包んで謝るのが誠意なんじゃないの?
人間レベルが平均以下のお前の言葉に許すほどの価値があると思ってることが信じられない。
それとも、お前みたいないじめられっこにこうやって謝ってる事に感謝しろって?
そんなことができるのはまともじゃないから。普通の人間じゃない人。
だからもし過去にイジメられて同窓会なんぞで再会して謝罪を受けても、気を使って許す必要は一切ない。
本気で謝罪したいのならそんな適当に見繕った場で、再会ついでの謝罪で終わらせない。
もしくは再会後日にまた約束して誠意の形を用意する。
許す許さないの返答まで求めない。お詫びの場ならそれが当たり前。
夏になり同窓会も増えると思うけど、ふざけた謝罪パフォーマンスをする馬鹿も多分いる。
人格形成失敗の精神底辺な人間。いじめという下劣な事をやってきた結果、年を重ねても謝罪方法一つまともに知らない気の毒なアタマで人生を歩む人。
関わらない事が最良。
「幸色のワンルーム」は許されるのか~誰が彼女を監禁しているのか? - レインボーフラッグは誰のもの
「漫画の内容は実際の誘拐事件とぜんぜん違うし、むしろ誘拐ですらないし、事件と作品の発表時期もズレてるけど、誘拐犯は私たちひとりひとりの心の中にいるから恐ろしいね」みたいな主張をしていて、最初に読んだときは漫画を擁護しているのかと思ったくらいだが、どうやらこれで批判をしているつもりらしい。
一つ。
悪く言えば紋切型であり、ラフ画に近い素人の作品がこれほどまでに話題となったのは、実際の事件と人々の無責任な憶測が追い風になったと言われている。
どこで言われているのだろうか。
この漫画はTwitterに投稿されたあとの数日で1.7万RTされるほどの話題になっている。
https://twitter.com/koukakunopandor/status/778664647121448960
その最初期(2016年9月中)に作者へ寄せられた300件以上のリプライのなかで「実際の事件をモチーフにしているのでは?」という点に触れているのは数名(自分が数えたかぎりでは4名)だけで、もちろんそれは「作品から事件を想起する人がいる」ことの傍証ではあるけれども、「事件を想起させるから話題になった」とは言い難い。
作家・瀬川深が「実在の事件を元ネタにしている」と批判をし(たけど反論されて下手な言い訳をして逃げ)てバズったのは年が明けて2017年1月。
https://togetter.com/li/1070377
瀬川深のツイートを受けて書かれたこちらの批判記事も1月である(はてブでバズったのは3月だが)。
http://blog.livedoor.jp/kudan9/archives/50445222.html
二つ。
さて漫画の内容は、「事件を揶揄した無責任な発言」に、「寺内被告の責任逃れ」に、本当に似ているのだろうか?
当時、寺内被告に同情的な言説で圧倒的に多かったのは、「家出少女が寺内被告の家に転がり込んだが喧嘩別れして誘拐犯の汚名を擦りつけた」という邪推であった。
https://wadainews.hatenablog.com/entry/2016/03/31/230041
要するに「ストレス解消で痴漢冤罪を被せるクソ女」に似た妄想であって、幸色のワンルームで描かれる「誘拐犯と被害者は本当は愛し合っていたんだ」というラブロマンスとは随分と毛色が違う。
被害者に「君は家族から見放されている」と言い聞かせたのは、両親に助けを求めないように仕向ける洗脳であると同時に、両親から「隔離」させるための処置だったと見るべきで、寺内被告が被害者に共感していたり、被害者を助け出したと思っていたというようなものではない。
「自分と同じく社会から隔離された人間を観察したかった」といった供述は、「誘拐して社会から隔離した女性がどうなるかを観察したかった」というサイコな文脈であり、「誘拐前から被害者が社会から隔離されていた」と思っていたわけではない。
「女子中学生か女子高校生を誘拐、監禁して社会から隔離し、その変化を観察したい」
冒頭陳述などによると、寺内被告は遅くとも平成24年2月ごろからそう考えるようになり、過去の誘拐、監禁事件や洗脳に関する記事や書籍を読み、犯行のイメージを膨らませていった。
https://www.sankei.com/affairs/news/160927/afr1609270019-n2.html
「昔から誘拐願望があった」と素直に認めているし、「被害者と面識があったわけではない」とも言っている。
「寺内被告の脳内では誘拐ではなく自己再生のドラマだったかもしれない」などというのは明らかに邪推のたぐいだ。
事件後に寄せられた被害者バッシングのコメントや身勝手な人々の妄想、寺内被告の弁明を寄せ集めれば、確実に「幸色のワンルーム」的なドラマがひとつ出来上がるということである。
つまり、事件への揶揄や寺内被告の供述を繋ぎ合わせても、「女性を拉致監禁したいと思っている危ない男の部屋に家出娘が転がり込んでさんざん世話になった挙句に犯罪者として通報する」という殺伐とした話になるだけで、幸色のワンルームは決して出来上がらないのだ。
おそらく私は私の子供が嫌いだ。
自分のやりたいことの方が優先で子供と触れ合う事自体タスクの一つと思ってしまうほど。
元々は子供好きで他人の子供の面倒を見るのは嫌いではなかったはずだが、
子供が出来てからの妻の私への思考と態度が変わったことが大きいと思う。
今までの彼女の中ではお互い依存するレベルでの付き合いであったが、
お互いがそれを望んでいたしこれからずっとこのままだと思っていた。
その結果、妻と触れ合う機会がなくなった。
正確にいえば拒否されるようになった。
日頃の子供にくっつかれてるのに夜は旦那にくっつかれるのは苦痛だと。
これにより私の中で子供に妻を取られたという思考が形成されてしまったのではなかろうか。
依存体質な妻は子供にスイッチしたため、私は依存先をなくしてしまったため趣味に逃げた、下手して他の人間に拠り所を求めないために。
妻が私を拒否する以上仕方ないことだとおもう。
妻に話そうにも自分のやりたいことをやる時間と妻と触れ合う時間が欲しいなど自分のワガママを通したい主張をいうのもエゴだとわかっているので口が開かないし、伝えたところで父親としての責任をみたいなことを言われてる終わりなのが目に見えている。
これが私が自分の子供を冷たい思考と態度をとる理由なんだと思う。
もはや子供だけでなく、妻や同僚、周りの人間すべてに対しても同じ対応をしている気がする。
どうすればいいんだろうか、誰にも相談できないのでここに記しておきます。
父親と夫と彼氏っていう立場と責任の狭間で自分のやりたいこと望むことへの葛藤を世の中の人たちはどう克服しているのだろうか。。