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2018-08-08

anond:20180808143006

バグってるね

ガキひりだしてから未婚で成人式来るヤンキー女と変わらん

普通の人が踏襲する順番が分からないんだから

まともな人は結婚した後に他に好きになった相手がいたら諦めるか別れるかしてる

2018-08-01

成人式振袖特典でペット写真が撮れる

早速犬持ちの友達に連絡し振袖撮影予約

当日、会場到着、すでに犬と待ってる友達

ここでトラブル、私犬忘れた、家戻らなきゃ

受付の男(中山秀征似)に予約時間変更できるか質問→無理 撮影後日にできないか→無理

さらトラブル、私犬の服持ってない

犬用の服レンタルあるか→ない、売ってるから今買え(9000円!)

犬服購入後、撮影時間までに犬を連れてくるため帰ることに

その時、気づいた

犬飼ってないんだった

小学生の時死んだんじゃん

で、夢が覚めた

同級生が亡くなった

中学同級生が亡くなった。

事故だった。

特別親しい訳ではないし、最後に会ったのはみんなで集まる成人式の時の同窓会くらい。

毎日会ったり定期的に連絡してた訳じゃないからなんとなくここにいて働いててみたいなことを成人式で知ってたまに中学同級生って何してるっけ?って時に思い出すくらい。

全然実感わかなくて、棺の中の顔を見て寝てるだけだって思った。

授業中に大胆に寝てた寝顔と同じだった。

なんの実感もなく日常生活に戻ってしまった訳だけど、葬儀に行ったら自分は泣いちゃうんだろうなと思ってたけど泣かなかった。

もちろん悲しかったけど胸を張って仲がいいって言える関係じゃなかったから、ここで泣いたら偽善なのかなとか思って泣かなかった。

また実家に帰ってアルバムとか日記とか見たら色々思い出すんだろうけど。

告別式手紙を書く?みたいな紙が用意されてたんだけど書けなかったからとりあえずここに書いておく。

中学の時はやんちゃいじられキャラで、でも意外にも字がきれいで。

字だけはきれいだよねーって言ったの覚えてる。

お菓子禁止されてた中学で大胆にもお菓子を食べていじられキャラだったかかいつも見つかって怒られてたね、自分の好きな部活のことはすごい饒舌に話してたね。

いつかみんなで遊んでた夜にいきなり家にきてすごいびっくりしたけどらしいなぁって思って笑ったなぁ。

私が関わってたのは実質三年だけだけれど1クラスメイトとしてこれからはたくさん思い出すことになると思うなぁ。

お疲れ様って言葉をかけるにはまだまだ早いから言わないけどいつかめっちゃ若い君と年老いたみんなで同窓会しようね!

だいぶ待たせちゃうけど待っててね!

2018-07-25

高校モンジャラと呼ばれていた女性モテモテになってた話

タイトル通り。

から十数年前、俺がまだ高校生だった時。ちょうど秋葉原とかがテレビにでてきてオタクブームにわかに騒がれていた時期。

3年間同じクラスにいた、言葉オブラートに包んで言えばふくよかで、少し暗めの女の子がいた。

彼女ヤンキーからモンジャラ」と隠れて呼ばれていた。まぁ、これでだいたい想像つくだろう。

 

そんな彼女が3年生のときクラスの真面目で趣味ランニング体幹トレーニングという柔道部キャプテンと付き合いだした。

誰もが驚いたが、彼女モンジャラと呼ばれていた原因の髪の毛をばっさりと切りショートになって、普通の真面目な女性(お硬い)ぐらいにまでなって卒業式を迎えた。

そこから自分地元の県を出たのだが、20歳成人式+同窓会に行くと、もうモンジャラと呼ばれていた彼女はそこにいなくて髪を茶色に染めた量産型大学生女子になって彼女がいた。

その時点でびっくりしたんだけど、その時はまだ元柔道部キャプテンと付き合っていたらしく、相変わらずだなという感じで終わった。

そのまま県を離れたところで就職して、地元にはお盆正月ぐらいしか帰らない人間となったんだが、24歳の時に元柔道部キャプテンと、元モンジャラ結婚するということで、結婚式に出席して、「は~、高校1年の頃の面影が全くねぇなぁ」と思いながら祝福をしたのを思い出す。

 

事件はその結婚から2年後に発生する。

柔道部キャプテンから離婚した」とメールが届いた。

原因は、元モンジャラが元柔道部キャプテン以外にも2人の男性交際をしていたことが発覚したからだ。

一人は、元モンジャラ職場上司、もう一人は元モンジャラ大学の頃の友人だという。

もうびっくりしたのね。元柔道部と一緒に酒を飲むと「俺には彼女しかいねぇのに」とワンワン泣いてた。

自分も、高校1年の時の彼女をみているから、まさか彼女浮気?、まぁ、成人式とき彼女を見ればそこそこ可愛いからからなくはないが…と思いながら聞いていた。

 

ここから予測になるけど、多分、自信がついたんだと思う。彼氏ができて。

柔道部キャプテンは細マッチョなんかじゃなくてゴリゴリマッチョで、中性的イケメンなわけじゃなくてまさに「漢」って顔のゴリマッチョだ。

中学校からの付き合いだけど、まぁムードメーカーで一人でいる人に積極的に声をかけてグループに入れてくるそういうナイスガイから女性からも好かれていたとは思う。

そんな男と付き合いだしたから、だんだん自信がついてきて、しかも何やっても褒めてくれるような男が相手からドンドン変わっていったのかな。

そして、大学生デビューもついた自信のおかげでしっかりできて、社会人になってもイケイケだったのだろう。

柔道部キャプテン彼女を愛したがあまりに、浮気の原因を作るとは…皮肉ものである

2018-07-19

当たり前だと思っていたことができない

幼い頃、両親が自分たち姉妹を育ててくれたこ

周りの大人たちが子供を育てていたこ

20代になり地元の友人たちから順に結婚して出産したこと

30代になり2人目、3人目を産み育てる友人もいること

会社の後輩が結婚して産休育休を取っていること

自分もいつか歳をとって当たり前にできると思ったことは30を過ぎてもできていない

うちは籍は入れていないが一つ屋根の下を同世帯と見るならば世帯年収は1200〜1300万ほどある

それでも結婚式を挙げて子どもを産んで育ててというお金が足りないのでは無いか不安に思う

それは相手も同じでもし入籍しても式を挙げないでおこうねとか

子どもは厳しいよね…この仕事自分時間全く無いしね

かと言って辞めたりパートにすると一気に辛くなるよねという話をよくする

また保育園に入れられなかったらどうなる?親は新幹線で数時間距離にいて頼れないし…などなど

周りもきっとそういう不安はあるにはあるんだろうけど普通に子育てしてるように見える

どうやったら思いきれるのか?割り切れるのか?

どこかで見た考え込む前に若いうちに結婚出産しておけはその通りだなぁと思う

実家貧乏劣等感を抱きながら生きてきてしまたか

お金が無い足りないという状態が耐えられないのかもしれない

七五三成人式着物大学卒業式の袴も自分には無かったからな

2018-07-14

昔好きだった人の夢を見る

昔好きだったといってもおそらく今も気になっているのだろう。

好きになったのは小学5年の時、今から20年も前だ。自分でもなぜここまで引きずるのかわからいくらい昔の話だ。

何でか付き合ってるみたいな噂がたてられたりしたがそうなることを望んでもそんな事実はなかったという思い出がある。

クラス役員を一緒にやっていたりで割と付き合いは多いけどそういうのを冷やかされるような空気があったので男女で遊ぶようなことはあまりなかった。

好きになる前にその人の家でみんなで遊ぼうという話があったのだが男子自分以外全員ばっくれて非常に気まずい感じになったことがあるくらいか

その気持ちを伝えることができていればよかったのだろうけど、それができずに卒業して中学は別々。

その後別の人を好きになったものの深い関係を気づくことなく終わり、ある機会に再開することになる。

といっても特に話したりすることもなく終わったのだけれど。

それから高校専門学校女性とは無縁の生活を送る。

最後の再開が成人式の日である。つまり10年ほど前。

向こう側から声をかけてきた。その声に反応して見たらとてつもなくきれいな女性になっていた。

好きという感情抜きにしても今までで見た女性の中で一番きれいな人だっただろうと思うくらい。

少し話をして別の人に声をかけ始めたのでその場を後にすることに。正直とんでもないヘタレだなと。

連絡先を聞くくらいできていれば結果はどうあれ悩むことはなかっただろう。

それからしばらくして、ほとんど諦めている所に夢に見ることになる。

もはや顔も思い出せないくらいなのに、「昔好きだった女性」という属性けがついて出てくるのだ。

この夢を見た時はとても幸せなのだが夢であるという事実がとても辛い。

さらにしばらくしてからもたまにそういう夢を見たのだが何度か見るうちに夢という曖昧ものの中で

「好きな女性」というものが昔好きだったその人と強く紐づいているだけなのだろうと認識し始めた。

それからは「好きな女性」という概念として存在するようなものとなっていた。

はいえ今でももしばったり会えたらいいなとか考えたりするのだけれど。

そして今日、また夢をみた。今回は明確に「昔好きだった女性」という属性をつけて。

なぜか友達と遊ぶ中でしれっと告白して付き合うことになっているのである。辛い。

その女性のことを思い出すたびに、自分がこれから女性と付き合うことなく生涯独り身として暮らしていくのだろうと考える。

もはや呪いであるとすら考えている。忘れたくとも今も「好きな女性」というのはその人のことを指すのだから

後悔するのは小学卒業までにケリをつけなかったこと。成人式で再会した時にもケリをつけられなかったこと。

ケリをつけていれば何か変わっていただろうなと。生涯独り身なのは変わらなかったとしても。

2018-07-08

好きな人に「キモい」と言われると言うこと

中学時代に一目ぼれした女性告白した事があった

その時、相手は困ったような顔をして「少し考えさせて」と返答された翌日、生徒会副会長であり学年女子の中心人物であった女に

「○○があんたに告白されて気持ち悪くて困っていると言ってるの、もう○○に接触しないでくれる?」

教室しかも怒鳴り声に近い口調で言い放たれた・・・・あまりに勢いに驚いたけど翌日から奇異の目で見られるようになった。

その出来事以来、中学の3年間は「キモい奴」と言うレッテルが学年の女子だけでなく男子にまで広まり、黒板消しを投げつけられたり

後ろからいきなり蹴られたりして怒ると「キモい奴が口答えすんじゃねーよww」と中傷されるようになった。

今考えるといじめなのだが当時は「自分キモいから、そんな目に合うんだ」と何となく納得して・・・教室の隅で大人しく過ごしていた。


高校に入ってから人間関係リセットされたおかげで楽しい時期を過ごしたが、唯一できないことがあった。

それが「告白」だ、好きな人がいたけど結局遠くからたまーに眺めるだけ・・・生徒会役員にもなったし運動部でそこそこの成績を残した

影響で充実していたが「好きな人告白をする」が出来ないまま卒業した。

勇気を出そうとすると中学時代自分が頭の中で「おまえ、キモい奴と思われてるのに告白なんてしたらまたサンドバックにされるぞ?」と何度も何度も呟いてきて

どうしても想いを伝えるに至らなかった。どうしても勇気がでなかった。


大学に入ってから恋愛に至っては中学時代自分が頭の中で「おまえ、キモい奴と思われてるのに好きなんて言ったらまたサンドバックにされるぞ?」

と何度も何度も呟き友達以上になった女性は1人もいなかった

大学卒業してから今年で15年・・・・・彼女いない歴実年齢の童貞、もう青臭く「告白」で恋愛できるような年齢は過ぎてしまった。

大人対応を迫られるようになり、ビジネスで性を持ち出すことがジェンダー問題的にまずいと言われてから女性には気を使い男女の認識を消して対応している。

プライベートな話や内面に関わる話はセクハラと言われやすいので会社内では誰と話しても仕事仲間以上の感情は抱かないようにしている。



ふと、仕事の休憩中に好きな人に「キモい」と言われると言うことがなければ今頃隣に好きな女性が座っている人生もあったのかな・・・と思う時がある。

過去の亡霊に取りつかれているのは良くないと思いつつもやっぱり中学時代に受けた仕打ちは大きかった。

成人式中学時代の奴らと出会ったがお酒の力もあり最後は楽しく同窓会を終えたが、俺に「キモい」と言った女は結婚して子持ち、俺が一目ぼれした女性同棲している彼氏がいると

同窓会の席で隣で座っていた元クラスメイト女性に教えられた。なんとなく気になって自分が聞いたわけだがモヤモヤとした何とも言えない感情けが残った。


童貞であることに負い目を感じる事はないけど、1回くらい学生の内に恋愛経験していればよかったなと今更ながら思う。

2018-07-04

無趣味

したいことも欲しいものもない。会いたい人もいない。

捻くれた人、暗い人のように思われるかもしれないけれど、そのような特徴すらない。と思う。

営業職でそれなりに評価されているので(必要がある場合の)対人能力は恐らく普通学生時代は少ないながら友達もいた。

でも休日、家から出られない。したいことがなにもなくて家でスマホをいじり映画を観て過ごす。その映画Netflixが私にすすめるさして興味もないもので、観てすぐストーリーほとんどを忘れる。友人たちと疎遠になっていくのが怖いのに、結婚式の誘いすら断ってしまう。趣味をつくる努力をしてみたけれど熱中できない。

昔々買った服をずっと着ている。食欲もない。お酒も飲まないしたばこも吸わないしギャンブルもしない。恋愛体質でもない。安いアパートに住んで、貯金ばかり増えてなんのために生きているのか分からない、と時々思うけれど、なにか嫌なことがあるわけでも、なにか具体的に変えたいものがあるわけでもない。満足して(しまって)いる。

旅行もしない。人と一緒だとなおさら億劫修学旅行は仮病で休んだ。卒業式の後のパーティー成人式も行かなかった。後悔もしていない。

イベントごとは苦手、人混みも苦手で、でも知らない人と話すのは好き。でも数度会って話すとそれでもうよくなる。友人未満で自然消滅

行けば楽しいかもしれないと思って行った旅行は思っていた通りの楽しさ具合で、早く帰りたいと思った。仕事で行った海外も知り合ったたくさんの人たちも人生観を変えてはくれず、とにかく時間けが過ぎて、なにを得ているのか、なにを得そこねなにを失っているのか、よくわからずに漠然不安不安?退屈?さみしい?と、いつか思うことになる予感で不安

労せずに得られるインプットだけで生きている自分の浅さがいやなのかと考えた。アウトプットするものがなにもない。話したいこと、言いたいことが特にない。語るべき自分がない。

でもじゃあたとえば休日フットサルをするとして、そこでできた仲間が、その時間が、私にとって私のなにになるんだろう。ぜんぜんおもしろいと思わない。なにもそんなにはおもしろくない。

子供用のスピログラフセットを買った。

何度目かの、趣味づくりトライ

ももうすでに、自分幾何学模様を描きたいわけではないことに気づきつつある。

一体なにが好きなんだろう。小学生の頃は父親何気なく口にしただけの「将来の夢」を語って、中学の頃は誰のことも好きになれずつらかった。高校記憶ほとんどない。大学は楽しかったけれど、ずっと一緒にいなくても会えば笑いあって過ごせる「友達」ができて、その関係の気軽さと、学生という身分の気軽さと、それが心地よかったのだと思う。ずっと一緒にいなくてもいい友達とはずっと会わなくてもよくなってしまった。もう学生はいられない。

でも会えば笑いあえる。ときどき誘ってくれるし、友達だと思う。仕事に不満があるわけじゃない。不満さえない。なにもない。

2018-06-24

anond:20180624144205

今日より若い日はないので楽しんでくださいね

でも、もっとお年が行ってから、俺は40代学生時代のやり直しみたいなことして年相応の楽しみ方をしなかったなって言ってそうだけど。



浪人していきたい大学にいった友人がいってたけど

ちょっといいなー💝って思う人いても、みんな一才年下なんだよねぇ」

若ければ若い程、少しの年の差が気になる💦 そりゃそうだよねまだ10代だったし。

彼女5月まれだったので早い時期に誕生日だったので余計にそう思うんだろうな。

早生まれは損だという人がいるけれど(成人式を19で迎えたりするし)

そういうの考えたら、早生まれで良かったなって思う。(せこい)

2018-06-22

https://anond.hatelabo.jp/20180621174918

からフェイスブックで連絡取って浮気でもしたら?

成人式の時行動できなかったのも今の彼女がいたからだろうし

ただのないものねだりで自分に酔ってるだけだ

逆に考えたら小学生の時、顔も覚えてない彼氏持ちの女に好きだったんだって

言われたらは?ってなるだろ

今の彼女と別れたら元カノ思って泣くことになるぞ

2018-06-21

26歳、未だに初恋の子が夢に出てきて辛い

自分には高校生の頃から10年近く付き合ってる彼女がいる。

高校生でつきあって、大学就職と、楽しいことも辛いことも一緒に経験してきた。

今では同棲していて、自分相手もまわりもそのうち結婚するだろうと思っている。

彼女のことはとても大事だと思ってるし、彼女以外と結婚も考えられない。

でもたったひとつこの気持ちが揺らぐときがある。

小学生の時好きだった初恋女の子が夢に出てくるときだ。

の子は気が強く大人びていて、学級委員になるような優等生タイプだった。図書館に通いよく本を読んでいた。自分のあまり知らない世界をたくさん知ってる彼女にとても教養を感じていた。自分でも本を書いていたようで、それを見つけてからかったら、今までにないほどにらまれたこともあった。

男子人気はあったと思うんだけど、気が強く男子ともよくケンカしてたから、「あいはいいや〜、こえ〜し」みたいな感じで少し敬遠されてる節もあった。

自分はその子のことが好きだったけど、好きだから付き合うなんて発想もまだなく、ただその子のことを意識していただけだ。

中学進学。

の子結構裕福な家庭で頭も良かったので中高一貫私立にいってしまった。

そして自分はそのまま公立中に進学した。

それっきりだ。

お別れだっていうのは前々から言葉ではわかっていた。でも実際に中学生になって、本当にあの子とすれ違うことすらなくなってしまった。

そうして、自分気持ちに気付いた。

の子が好きだったのだ。

それからはずっと、悶々とした日々を過ごした。

の子は、自分の知らない私立中高一貫世界で、自分の知らない人たちと、自分の知らない経験をしてる。

かたや自分はというと、あの子がいない、ぽっかり穴の空いた世界毎日を過ごしてる。

会いに行くなんて勇気はなかった。

ただの小学同級生が会いたいから会いにきた、なんてキモいに決まってる。

からただ、その子の家の近くを通るたびにすれ違いを期待していた。

高校に進学しても、ずっと思い焦がれていた。

同じ街に住んでいれば、いつか会うこともあるかもしれないと思っていたけど、結局ただの一度もなかった。

中学3年間まるまる会わなかったのに、いきなり会いに行くなんて不自然だ。そんな勇気自分にはなかった。

大学生になって、県外の大学に進学した。もう万が一にもすれ違うことはないと思うと、この思いはますます強くなった。

この頃丁度Facebook流行った。

恐る恐る検索をかけると、でてきた。

死ぬほど可愛かった。ドキドキした。

あの頃の面影を残したまま大人に成長した彼女がいた。

彼女も他県の大学に進学していた。

今は大学生だ。お金時間もある。

会いに行けるんじゃないか

彼女を思う度にそう考えたけど、結局、会いに行くことはなかった。

そんな勇気はなかった。

ひとつ、チャンスだとおもっていることがあった。

成人式だ。

会えなくなった中学生のときから、このタイミングだけは絶対あえると楽しみにしていた。

の子は遅れてやってきた。

一目見たときドキッとした。

いる。

やっと会えた。

でも結局、なにも言えなかった。話しかけることすらできなかった。

何年も待ちわびた成人式で、昔と同じように何も出来なかった。

自然に話すことのできる最後のチャンスを棒に振った。

そこから、この思いはこじれた。

とにかく好きだ、と言いたかった。

好きだった、でも良い。

気持ちが大きくなりすぎて、別に付き合いたいわけじゃなく、この気持ちを吐き出したかった。

それくらい辛かった。

よく夢を見るようになった。

の子がでてくる夢。

いつも偶然の再会から始まる。

決まったパターンだ。

勇気を出して話しかけてみると、自分のことを覚えてくれている。

「あの頃好きだったんたんだよね」

しかけるとき以上の勇気を持ってそう言った。

ずっと言いたかたことが言えた。すごい満足感、充足感を覚える。

すると、はにかみながら、

「あたしもだったよ」

そう返ってくる。

その瞬間の幸せさったらない。

これより幸せな瞬間は、自分人生にはないってくらいだ。

そこからお互いの彼氏彼女の目を盗み、逢瀬を重ねる。

ただおしゃべりするだけなのに、馬鹿みたいに幸せな夢。

そして幸せ絶頂の中ふと目が覚める。

当然となりにあの子はいないし、会うことすらも叶わない。

さすがに普段は、なにもその子のことを考えていない。

なのに半年に一度、一年に一度その夢を見るたびに、その子のことを引きずってるんだってことを意識させられる。

夢の最中あんなに幸せなんだから

夢が終わると、吐きそうになる程気持ち悪くなるんだから

もう自分リアル彼女の姿をまったく知らない。どんな性格になっているのか、なにやってるのかもわからない。

自分の中の理想通りに成長した、存在しない幻想彼女がいつもいっとき幸福と、莫大な虚無感を運んでくる。

そんな女は存在しないし、実際会えたとしてもなにもかもが違うだろう。

歳を重ねるほどに、袋小路に迷い込んでいる。

どうやったって今更なこの気持ち

どうして忘れた頃に、またこんな夢を見せるんだ。

今日は一日中このことを考えていた。

もう疲れた

昨日、夢を見てる最中は本当に幸せでいっぱいだった。

でも現実には、もうあの子出会うこともないだろう。

あの夢を見ながら、死にたかった。




[追記]

思った以上に反響いただいていて嬉しいです。

ありがとうございます

実はこれ一カ月以上前に書いたものなんですがさすがにキモいかなと思ったのと、冷静じゃなかったんで寝かしておいたものです。

一カ月たってみてもなおキモいですが、まぁそのときの本当の気持ちだし埋もれさせとくのももったいないなと思って投稿しました。

本当に普段全然未練なんてなくて、彼女ともうまくいっているし、とても大切に思っています。この件も「自分が好きだと言えなかったから叶わなかった初恋」として、良い思い出に昇華できてると思います

でも、この夢を見るタイミングだけ、猛烈に上に書いたような気持ちに襲われるんです。

きっともうどうやっても叶わないことがわかっているからなんでしょうね。

これさすがにキモいって自覚はあるので誰にも話したことなかったんですけど、こういう気持ちを吐き出せて、さらに反応まで返ってくる、ここって良いところだなと思います

みなさん本当にありがとうございます

心にに荒波がたつのはこの夢を見たときだけ。

ただ、夢を見ないように祈るばかりです。

それにしても、これだけ反響あるなんてやっぱりよっぽどキモいんですね。

生活で誰にも話さなくて本当よかった。。。

底辺発達障害者の半生とは

新幹線ナタ事件前後、時期的なものもあって秋葉原事件も注目されるようになり、加害者発達障害が疑われて親の責任の有無だとか、事件の背景にあった加害者の養育環境等について語る人をちょくちょく見掛けるようになった。

どちらも他人を加害する時点で庇いようが無いのだけれど、「他人迷惑考えろ」なんて今まで社会(他人)からリターンを受けていない人間には全く響かないよなあと割と近しいポジションにいるつもりの私は思います

セーフティネットに引っ掛からなかった発達障害者は悲惨です。うちはみんな自覚がないけれど恐らく母親兄弟みな発達障害でした。

ひとつ底辺底辺逸話として幼い頃からの私の生い立ちを書くと、

・兄と父に性的虐待を受けていた上エロ本普通に転がっている家だったので奇矯発言が目立ち保育園小学校で仲間はずれ

・兄が万引きお小遣い貯金箱お年玉を隠していても探し出して盗み、母も「バレるところに置いておくから悪い」と咎めない。母に預けると生活費に消えて戻ってこない

・父は家に寄り付かず母は夜の仕事で不在。年の離れた姉と兄に世話を丸投げされていたが、二人が放棄したため小学校に上がったあたりから朝食抜きで学校で倒れ、先生から家庭に連絡

・髪はぼさぼさ、汚い身嗜み、ランドセルは空で家庭に連絡

・結果恥をかいた!と私が叱られグーで殴られ一晩フローリング正座

常識を知らないため発言がずれている&空気を読めないので保育園から全てのコミュニティ孤立小学校高学年からはいじめられる

中学校でもいじめられる。弁当を作って持っていけと言われるが冷蔵庫は空

・昼食を食べないので家に連絡→殴られて昼飯時は隠れるようになる

この頃から上の兄弟は自立したため夕食頃は一人に。冷蔵庫に何もないことを母自身自覚しておらず怒鳴られるため毎食卵と白米。学校はいじめられているので遅刻するようになり、家に連絡が入って母に殴られるの繰り返しが高校まで続く

児童相談所学校の勧めで通うようになるが、母が「うちの子障害者じゃありません」と行かなくなる

高校中退引きこもる

大検を取ったので進学したかったが、働こうにも人間関係での成功体験がないため働きたくないのではなく人間が怖くて働けずに引きこもる

ちょっとバイトするけれど緊張で頭が真っ白になってうざがられてまた引きこもる

・五年引きこもった末に家を追い出され遠方の祖母の家に預けられる

アルバイトで失敗しながら社会を学んで正社員になろうとしたが、ネックだったコミュニケーション改善された(黙っていること、差し支えない程度に人と関わらないようにすることができるようになった)のは二十代半ば、それ以降は注意欠陥の細かいケアレスミスで大問題を起こして終了

自分が追い詰められてくると他人の話やざわめきが全て自分悪口に聞こえるようになり逃げるように退職

・一週間続けてでさえまともに出勤できなくなる

・躁鬱の波に勝てない

生活出来ずに借金がある

・三十で転職十回、もう派遣でさえ紹介してもらえるところがない

沢山の方にここまでご迷惑をおかけしている自覚はありますが、働かなければ生きていけずどんどん深みにはまった気がします。私だって成人式振袖を着たり祝ってくれる親が欲しかった(上の姉は振袖を買って貰ってました)し、恋愛結婚普通にしてれば余程の事がない限りできるという書き込みを見て本当に胸が痛い。結婚とか子供なんて機会があっても怖くて無理です。私が殺しそう。

メンヘラ系の女の子職場いたことがあり、私に色々と打ち明けてくれたのですが人に言える不幸と言えない不幸があるよね。私のこれははずかしくて言えない不幸。

社会お金で助けてくださいと言わないので安楽死させて欲しいです。

2018-06-16

anond:20180616113412

田舎の小さめのとある学校の内情知ってるけどこっちもかなりやばい

いわゆる「ひまわり学級」の子の方が礼儀正しい。親も自分の子障害に向き合ってるからそそういう学級に入れてるわけだしな

何かしらの障害の診断を受けていて暴力的で口が悪くていじめっ子気質で授業妨害しまくりの是非とも隔離してほしいガキほど親や祖父母が自分の子害悪っぷりを認められなくて通常学級に入れたがる

昔は体罰ダメ絶対派だったけど現実のクソゴミガキの集団たらこいつら今のうちに殴って躾けないと分からないだろって思う

免許で車乗り回して事故DQN中高生成人式で暴れる20歳、爆サイに入り浸って風俗嬢を名指しで罵倒する底辺中年コンビニ店員に怒鳴り散らす老害の小さい版でしかない

2018-06-11

親に愛されたかった

虐待を受けて育ったわけではないが、親が私に対して愛情があるか懐疑的だった。

子供の頃から親に嫌われまいと振る舞っていたような気がする。心配させまいと我慢した。

それがいつしか、親に相談はできないに変わっていた。勇気を出して相談したことを無碍にされたからだと思う。

服の趣味バカにされた。自分お小遣いで買った服を見て、私の母は激怒しそのままその服を服屋に返した。

今ならこれが毒親だと分かる。

父は自営業をしていた。稼ぎはよくなく、毎日不景気から」と言っていた。

その割には毎晩よそで酒を飲みに行っていた。家庭から逃げ、お酒依存していた。

父との思い出は少ない。父親らしいことをしてもらった覚えもない。

キャッチボールや、就職相談や、成人式卒業式に何かをもらったこともない。

たまに電話したときに「さみしいなぁ」とボヤくような父だった。

私はそれがたまらなく嫌だった。

社会人になって数年が経ち、私はいつも虚無感に悩まされていた。

何をしても虚しく、心が動くことがなかった。恋人がいたときもあったが、どうしても愛し続けることができなかった。

そもそも私は自分も含め、愛することができないのではないだろうか。

結局、私は親に対して絶望し、縁を切ることになったのだが。

たまにふと、親に愛されたかったと思っては涙が出る。

もう限界なのかもしれない。

2018-06-10

同じ地区の幼馴染

小学生の頃はお互いの家を行き来して遊んだ

中学以降、疎遠になってしまったが

20歳成人式で会ったのを機会にまた連絡を取り始めた

彼女恋人が私の行っていた大学の方の地方の出だったとか、そんな縁だったと思う

彼女は私に男性を紹介しようか、と言ってくれたり

面倒見の良い振る舞いは小学生の頃の印象そのままだった

けど私の名前を妹の名前と間違えていた

電話口で何度も妹の名前で呼ばれた

自分名前の誤りを訂正するというのは案外難しい

私は妹の名前で呼ばれながら最後までそれを訂正することな電話を切った

それ以上彼女と連絡を取り合うことはなかった

彼女にとって私は名前すら妹とあやふやになる程度の友人であった

彼女はよく我が家に遊びに来てピアノを弾いていた

きっと彼女は私というよりは私の家と友だちだったんだろう

○○さん家の娘さん と友だちづきあいしている、という解釈なのだ、きっと 親御さん達目線

普通の人の記憶がいいかげんであること という理解もできるけどたぶんそうじゃない

彼女が私を私個人として認識していなかったと考える方が適切な認識だと思える

もう十数年前の出来事になるが、ふと思い出したので書く

2018-06-05

「AはBをする≠Bをする人はA」になるものがあることを嫁が理解してくれない。

嫁がネットで不良は成人式に行かないみたいなのを見たらしいんだが、

それに対して「私は不良じゃなかったけど、成人式行かなかった、成人式に行かなかっただけで不良扱いなんて失礼しちゃうわ!(プンプン)」という感想を抱いたらしい。

「不良は成人式に出ない=成人式に出ない人は不良」という意味にはならないことを説明して宥めてみたが納得がいかないようだ。

とにかく「AはBをする≠Bをする人はA」が成り立つ場合もあるってことが理解できないらしい。

数学か何かでこういう関係呼び方って習った気がするんだが思い出せない。

2018-05-28

小学校5年の時、同じクラスにしつこく意地悪を言ってくる男の子がいた

ローティーンのお年頃だからエロいことを言ってきたり意地悪っぽいことを仕掛けてくる男子、というのは他にもいたけれど、その子は、その種のよくある「実は仲良くなりたい媚的ないじわる」とは違う雰囲気があった。

なんか違う…?、と少しの違和感を感じてはいたが何せ子供から深く考えもせず、他のからかってくる男子と同様に「もーやめてよ!笑笑」と適当にいなしていた。

他の男子たちとはそういうつば迫り合いのような「からかいあい」を経て、一緒に帰ろとか一緒に遊ぼとかそういう感じで仲良くなっていったが、その子だけは仲良くなる距離感までは近づいてこずに、私に他に友達が出来ても遠ざかることもなく、ただ毎日、私が一人になった時を狙ってなんかちょっと腹の立つことを言ってくることをやめなかった。

そんなことをされて楽しいけがいから、「もーやめてよ!笑」→「は?」→無視、になるまでそんなに時間がかかることもなく、私はもう何を言われても反応するのをやめた。

無視し続けてても意地悪なことを言いかけてくることはやめないから、なんか気持ち悪いなこの子…と思ったが、しばらくして気が付いたらその男の子は似たような感じの男の子とくっついて、二人だけでクラスから少し孤立する感じになっていた。

二人組になってもその男の子は私をからかうのをやめなかったけど、もう一人の男の子は何も言ってこなかったのは不思議だった。酷いことを言っている友達を止めることも乗っかって一緒にからかうこともしないんだな、ちょっとした違和感を感じた。あと、もう一人の子からかってこないから、2対1(私)の構図ではあっても怖いとかいじめられてるとかは思わなかったのは良かったし、むしろ1対1で一人の時を狙って意地悪言ってこられてきた時よりはむしろ謎の安心感があった気がする。子供なりに「その男の子」の怖さを感じていたんだろう。

女の子を狙ってぶつかって歩く動画を見て、あの男の子のことを思い出した。あの男の子あんな感じになってたりするかもなぁと思ったのだ。

近所で見かけない(引っ越しはいないことはおかんネットワークから知ってる)し、地元友達からも噂を聞かない、成人式でも、何年か前にやった同窓会でも見かけなかったが。

2018-05-24

anond:20180524010331

ICレコーダーこそが武器であるということを義務教育で教えれば良い。

というか成人式プレゼント定番にしたら良い。

何個あっても困らないよ。

2018-05-12

見られない快楽、見られる快楽

男性で楽なのは見られないことだと思います

ジャージ上下のままどこまでもいける。

寝癖も平気、目やについてても平気、チャックがずっと開いてても平気。

汚い、気持ち悪いとは思われるのはわかってます。ところがこれ当人はびっくりするくらい平気。

これまでに注目されたことがないし、他人になんと思われようとほぼ平気。たまに面と向かっていわれるとき屈辱を感じますがそれもダメージはさほどでもないです。

だけど女性はそんなことはないですよね。

逆に私にはわかりませんが着飾ったりしているとき容姿を称賛されることはなににも勝る喜びだと聞きます

たとえば成人式など着飾ったときに親にそういうことをいわれたことはありますが、それに関してはなにも思いませんでした。

このような経験を踏まえ、外見を気にしたり反応があるこを喜ぶのは女性的なものではないかと推測されます

だとするといわゆる露出するおじさんが露出するのは女性的だからということになるのではないか?と思うのです。

局部をみせることで反応をもらう喜びは着飾った女性が称賛されるときのそれに近い。

ということは着飾るという行為露出することと同じ。

それならば最初から露出していただいたほうが助かるなと思います

ぜひともご検討くださいますよう、お願いいたしま

2018-05-03

キレイですね」という社交辞令を真に受けてしま

中学生くらいまでは

「ブス」

オタク

キモイ

などと言われて過ごしていたので、自分はブスでキモいオタクなのだと思っていた。

アニメ漫画が好きだし、運動はできなかったし、オタクってほどではないと思っているけど、そういうところがきっとオタクなのだろう。

高校に進学する時、メガネからコンタクトにした。

ボサボサだった髪に気を使うようになった。

化粧を覚えた。

他人から評価が変わり

かわいい

キレイだね」

と言われるようになった。

お世辞でもありがたいな、嬉しいな

と思いながら過ごした。

成人式中学同級生と再開した。

めっちゃキレイになったね!」

「なんか雰囲気変わったね!」

と言われて、複雑な気持ちだった。

嬉しいやら、悔しいやら、気持ち悪いやら。

もうすぐ30歳になる。

さすがに中学生の時から見ると顔つきも変わった。

髪にも肌にも気を使っているし、まあ見れない顔ではないと思う。

でも特別美人じゃないし、かわいくもないし、かわいいって年でもない。

エラは張っているし、痩せ型ではあるけどそのせいで顔の大きさが際立つし、目の大きさも左右で違う。

笑顔練習を何年もしているのに全然上手に笑えない。

昔よりはマシだけど全然自信はない。

それなのに

キレイですね」

美人さんですね」

めっちゃかわいい

なんていう言葉を真に受けてしまう。

大人になって、面と向かって他人に「ブス」とかいう人はあまりいない。

社交辞令で「かわいい」「キレイ」って言葉をとりあえず言うのはわかる。

わかっているのに、最近はどこに行っても初対面の人に顔面を褒められる。

から勘違いしてしまいそうになる。

もしかしてキレイな人になれているのかもしれない

もしかしてかわいいって沢山の人に思ってもらえるのかもしれない

そんなわけないのに。

鏡を見て現実を突きつけられる。

美人を見て現実を知る。

顔面を褒められるのが辛い。

社交辞令を真に受けてしまって、勘違いして、恥ずかしい思いをするのではないかと怯えている。

私の顔面を褒めたあの人も、本気で褒めたわけでなくて、社交辞令なんだろうなって。

その人のいうことがアレもコレも信じられなくなってしまう。

みんなどうしてるんだろう。

繰り返される社交辞令をうまく自分の中で処理できるようになりたい。

2018-04-26

自分が変に感情的だったので、自己分析をした。

家庭環境が主な原因だった!!

そりゃそうだ。当たり前。

大学生活で書いてきたもの抜粋した。

書きなぐった物そのままなので、非常に読み辛いけれど、

こんな人間も居るということを、ここに垂れ流しておく。

言いたいことはこの後に書いてあるので、

面倒くさくなったら飛ばしてください。


まれから今まで、直ぐに感情的になる癇癪の権化みたいな姉を持つと、

こういう人間が家庭にいなければ、もっと余裕のある生活を送れたのになあと思ってしまう。

女ばかりの家で、説得しようにも長い話ができず、本当に辛い思いをしたので、上のような性格人間は苦手すぎる。

というか、自分に伝染して変に感情的になってしまった。

本当に家庭は選べねえなあと思った。

仕事漬で鬱になり家にいる父、姉妹の長女で人の話を聞かない割に偉そうにする母、

人間関係がうまく行かなくてストレスが常に溜まり、母とよく衝突する姉。

せめてまともな男がいればなあと思ったが、そういう人間は足早に出ていくもんだろう。

普段は同じ空間にいるだけで、たまに母側の親戚が来る。

高卒姉妹が固まり田舎田舎による超閉鎖的な噂話をする。

何が楽しいのか分からないし、行きたくなかったが、

その場に行かないと飯が出なかったので仕方なく行ってた。

周りのように旅行に連れていけという姉が言う。

金は無いが時間があるので、結局車で大型ショッピングモールに行く。

姉は一時的に満足するが、しばらく経つと金がない、旅行に行きたいと同じように繰り返す。

自分のせいではないものを指摘することで、自分の弱さを隠している。

女の口喧嘩というものは絶えない。

毎日同じようなこと、くだらないようなことを言い合う。

翌日には忘れ、繰り返す。

家に”離れ”というものもなく、この拷問休日もなく毎日浴びせられる。

女の女による感情的な場からは、逃れられなかった。

感情的で閉鎖的な家庭で育ったことが、いか自分精神に影響し、

自分の進路に影響して、今の今まで悩ませていると思うともう嫌になる。

小学校3年までは小説子供向け科学雑誌学校でよく読んでた。

将来の夢は科学者だった。物質が小さい粒のようなものでできていることに感動した。

そんなことを親や先生に言っても取り合ってもらえず、科学者なんて無理と言われた。

から肯定されないし、好きになっても、役立たないものだと思えてきた。

小説も読まなくなった。誰も読まないし、話題にならないからだ。

そして何より現実味がない。あっても雑学程度にしかならないと思えてきた。

感動するものもあったが、自分環境見直しとき絶望感が怖くなった。

誰も何も誰しも自分気持ちなんてわからない。他人理解しようとしない。

そうなった子供はどうするかというと、周りに頑張って迎合しようとする。

文脈が薄い一時的な笑いと理解しつつ、こうしなければ普通になれないと自己暗示をかける。

この頃から訳もわからず泣くようになり、泣き虫扱いされる。

中学まで続けると割と周りが自我が芽生えてきていることに気づく。

自分はどうなったかというと、自己暗示を解けきれなくて、自我が地中に埋まってしまって、

ぼーっとすることが多くなった。何をやっても楽しくない。

小説を読んでいたせいか地頭は少しは良かった。

自分本位の行動なんて肯定された経験がない。夢なんてない。

全てがくだらない。

成人式とき自分宛てに送る手紙は、

絶望的な気持ち査読する先生に気づかれないように書いたのをよく覚えている。

地元工業高校に進むことになった。

何か面白いものを求めていた。

現実から離れられ、実用的な技術を身につけようとした。

でも、周りと馴染めなかった。

勉強も何が面白いのかよくわからなくなった。

資格勉強のような授業。適当に過ごす。

高1の冬、高校を辞めて勉強して大学と親に泣きついても、

何いってんの、うちには金が無い。高校卒業したら働くって行ったでしょ?

人間の考えが変わらないと思いこんでいる親に対しめちゃくちゃ腹を立てる。

勉強をしても大学なんて行けない。大学に行く人間なんて、

自分より頭が良くていい環境で育って塾とか行っている人間なんだろうな。

うちに生まれた時点でそんなものできないことは決まっていたんだ。

満足できない思いを反芻しながら、納得行かない家庭から与えられたことを無理やり正当化しようとする。

そんなことをしながら、何のために勉強しているかからなくなったまま勉強を続け、高3までそれなりの成績をおさめる。

その後突然大学に行きたくなる。少しは希望を持ったらしい。

勉学というよりは社会に出る前に、自由な身と力を手に入れられると思った。

難しい話は通用しないことはわかっていたので、

から出て、高校の延長線上の分野で、大学しかできない勉強をしたいというが、反対される。

金がないから、心配から不景気からあんたのために言ってるから

は?結局オメーの都合だろうよ。俺の何を見てきた?

大学卒業してから年収を見ろと返す。

大卒就職率が低いってニュースでやってたし、高校卒業して安定した職を付けたほうが良いんじゃないと言われる。

お前、45年間、何を見て生きてきた?本当にいってんの?

ニュースで得た情報自分身の回りを見て、適当に集めた情報から意見を言っているだけじゃん!と返す。

めちゃくちゃ怒って、お前は社会の何もわかっていないと返される。

お前じゃい!

その後担任との三者面談をしたり、大学説明会に足を運んだりして、

なんとか格安の寮がある国公立受験することにした。

勉強は続けたが、やはり高1のとき高校をやめればよかったと言う思いが引っかかる。

何より自分大学進学を許した親に対して、姉が私も家を出て学校生活送りたかったと毎日激昂し、

感情的空気ヒートアップしていた。

何をやってんだかわかんなかった。家にいるのは人間じゃないとわかってていても、

ストレスを感じてしまう。

そんな生活を送っている中、父がなんの前触れもなく自殺する。

家に自分と2人で居たときに突然自殺。その第一発見者となる。

もうなんだかよくわからなかった。救急車警察も呼ぶ気になれなかった。

30分ぐらいしてから、ようやく呼ぶ気になる。

パニックと言うか、この状況に対して自分は何を考えているのか、全くわからなくなった。

恨み積もった家庭にどう抵抗してやろうかと思っていた矢先の理解できない死。

もう何がなんだかわかんなかった。

自殺した父に対して、苛立ちが積もりに積もって吐く。血も吐く。

悪気がなく、自然法則のように動く肉親に腹が立って仕方がない。

だんだん気分が落ち込み、抑うつ状態になる。

自分が違うのか?田舎に生まれ自分田舎に埋もれなければいけないのか?

精神科に行ったが本当に自分が何を言っているのかさえわからなかった。

自殺したのはもちろん原因だったが、そればかりを話すだけで、

自分の育ってきた環境問題があることを分析できなかった。

正直父が死ぬ前に、無理やり不登校になって、心療内科に行くべきだった。

もちろん今まで書いてある期間は絶え間ない感情を浴びせられている。

どれもくだらないものだ。居場所もない。捌け口もない。

周りの人間が信頼できないこともあり、相談できないことがどれだけ苦しいか身を持って感じた。

子離れできない親から親離れできない。

何をしたらこ気持ちが収まるかがわからない。

なんとか大学合格し、家から出た。

試験会場でも途中退室したくて仕方なかったことを思い出す。

大学生活は最初から精神を病んでいた。

毎日感情的な刺激を受けてきたせいで、隣の部屋の騒音などの刺激に反応してしまう。

頭の血管が触ってわかるほど浮き出て、ズキズキして、眠れなくなる。

さら自殺した父の死体をよく思い出して、生理的に気分が落ち込む。

実家を出て数年経った今でも、文を書きながらこの症状が出ている。

講義課題をこなすのが精一杯である文字も読めない。

あーもう何もしたくない。考えたくない。

人の気持ちを考えるってことはこんなにもよくわからないものなのか。

こうも時間無駄なのか。

悩まない人間にとって悩んでいる人間気持ちなんかわからない。

逆もまた然りだ。一生分かり合えない。

本来人間はお互い抽象的なもの部分的しか理解できない。

自分は具体化しすぎなのだ人間とか今見える環境とかを具体化しても、精神が辛くなる。

記憶を消し去りたい。

せめてこの性格学問に向けられたらと何度も思う。

他人理解できない。他人なんているのか?

自分理解できる他人なんているのか?

からある不満が積もるとこうも気分が落ち込むのか。

降り積もる不安は階差数列のように増え、それが積もっていく。

この問題解決するのか?本当はどこか解決策がわかっているんじゃないか

わかっているけど、この先の未知の刺激に耐えられるか不安で仕方ないんじゃないか

本能的に楽しめるものをまだ知らないだけじゃないか

なんでこんなこと考えるようになったんだ?


最近になり、かなり昔から、閉鎖的実家からの膨大なストレスが、

自分性格にかなり影響しているということが、かなり明確に示すことができた。

自分にとってこの問題が、

いか無意味不快で人に相談しにくく、

時間精神無駄に消耗し、

自分を納得させるためのものしかないとわかってても、

納得いく解釈を探しつつけてたのは、

親との思想が合わなかった事実をどうにか納得したかっただけである

生来性格と言うのは恐ろしい。

でもこうするしかなかった。

こうしないと、その場に居なくても襲ってくるからだ。

自分気持ちを書いてそれを見直し、また書く、という生活を数年繰り返してわかったのは、

早々に自分気持ちに蓋をして、自分気持ちに嘘をついてきたということだ。

頭の中身をタイプしたり、図に書いたりして、ようやくわかった。

くよくよする性格は、自分本位で動いていないからだ。

気持ちが落ち着いてくると、文字をよみ、抽象的なものも冷静に理解できる様になる。

他人が書いた物語を見て感動する。専門知識が頭に入って感動する。

俺はここまで何も知らなかったのかと落ち込む。

でも、今までよく生きてきたと、無条件な自己肯定感が芽生えてくる。

そんなことが少しづつできるようになることが、大学に入ってからの生きがいである。

自分本位で生きたことがない」人が、心から人に好かれるということは難しい。

皆どこかで「他人に従ってもどこか違う」と思い、自分表現をするのだ。

それが自我形成というやつだ。

それを乗り越えてこなかったことが十分、身にしみてわかる。

素粒子でできている肉体に、生きる意味なんて無いってことは十分わかった。

からこそ本能が指す、好きなことをしていいと思えるようになった。

ほどほどに好き勝手に生きていいと思える。

自分のことを文字にする行為は、できて妙である

結局こうするしかなかった。

よくもまあ何日もこんなに長くて下手な文章を書き連ねられたもんだ。

最近落ち着いてみると、なんで落ち着いていなかったんだろうと思ってしまう。

その場しのぎで余裕がなかった。

焦りからくる選択ほど後悔するものはない。

後ろを見ると後悔した経験しかない。

自分の焦りに気付けることなんてあっただろうか。

いや、なかった。あっても解決策がわからず、もとに戻る。

これに関しては納得行くようになってきた。

自己欺瞞を重ねるほど自分がわからなくなる。

自分本位で行動していない。自分がないのと同じである

不安から行動するが、結局疑問を感じストレスを感じる。

書いてみると1ページで終わるような話を、どうしていままで耳にしなかったんだろう。

これは終わったことだし仕方がない。



見直すと、気が合わない肉親と18年間いたことが原因だったと今見返すとよくわかる。

原因がよくわからない鬱と診断されて、4年経ったが、

はじまり小学生からだよなーと思う。

自分が書いたことは超悲観的だが、これまで経験してきたこと全てではない、

と納得できるのは、自分自身に対する姿勢が変わったからだと思う。

最近ようやく治る兆しをみせている。

何度か兆しを見たが、今度は本当に、今までになく楽になれそうな気がする。

学校も肉親もただランダムに振り分けられた人間が配置されていただけと、やっと、心から解釈できた。

漫画とか映画とか小説かには本当にお世話になった。

本を読むのを辞めてしまったのがいけないなあ。


あれもこれも、過ぎたことだと思えるようになれた。

自分気持ちを書き表さないと立ち止まってしまうことも、よくわかった。

やっと人間らしさを取り戻した気がする。

今までどこか、頭を何かのタイミングリセットできると期待していた。

まあ解決しようにもできないもんな。

からいから。でも、もがかないと、掴めるものがあっても見逃してしまう。

放置するほど、もがく力が弱くなり、流されてしまう。

自分に近しい人にアドバイスするなら、誰もいない、静かなところで正直な気持ちを書きなぐるということかなあ。

自宅が嫌なら喫茶店でとかでいい。

環境が用意できたら、書き始める。媒体は紙でもPCでもなんでも良い。

初めてみると止まらなくなって、気がついたら4時間以上立ってたということも珍しくない。

時間がもったいなかったとは思えない達成感がある。

見直すと何に悩んでいたかよくわかって、どこか整理できていないことが悩みの種だっとことに気づく。

苦しいとは思うが、自分内面で見てこなかったことに対して、対面することだ。

対面して初めて分かるもの自分だけの発見であり、自分で掴んだものから信頼できる。

こうしてどうにもならないことに納得し、物事への姿勢は変えられる。

あと、外部の情報に目を向けるべき。

漫画喫茶で見たことのないジャンル漫画を手にとって、一日過ごすのも悪くない。

まあとにかく、映画館や図書館など、場の空気を感じられるところに行く。

そうすれば外部に注意が向く。

そこで他人創作したものを見て、視界を広げて、

自分一人がこんな思いをしているというわけじゃないということ、

他の人の、物事への解釈理解しようとする。

そうすると、だんだん自分に近しい物がわかってくると、信頼できる著者という対話相手が出てくるので、どこか楽になれる。

結局他のことを考えてもいいということ、その行為自体自分のためになっていると思うこと。

そんなことで、案外心が落ち着いて、人間そんなもんだと思えてくる。

とにかく、今の気分がずっと続くことはなく、

人は変われるということを知るには、自分の頭で行動することだ。

書きなぐるだけでも、十分自分の頭を使っている。考え方も変わる。

そのことを忘れないでおきたい。

(追記)

終わりに

自分体験から言えることは、

カウンセリングや薬だけで完治するものではないということ。

薬は脳内流れる伝達物質の取り込みなどを制御し、

カウンセリング患者気持ちを引き出す手助けをしてくれる。

風邪薬のように特定の菌を殺して治るもんじゃない。

カウンセリング適当にしても治るもんじゃない。

内面気づきを報告するとフィードバックを貰えるのは非常にありがたい)


全体を見ると、自分内面にあるものがわからなくなっているという状態に対し、

気になるもの自分の中で見つけ、解釈し、納得していくかということをひたすら繰り返していた。

ネットや本にあるものは参考にはなるが、それをすっぽり当てはめて自分が治る。というわけじゃない。

他人にとっては経験談で、参考になる手法しかない。

趣味などの気分転換でやっていけるなら、その対処法も良いと思う。


湧き出てくるものは人によって違うし、参考になる意見も人によって違うし、考え方も違う。

これを理解するのは、自分のような人間にとって難しかったし、これが頭になかったから病んだとも言える。

どういう形であれ、このような考え方を獲得することは、生きる上で重要だと思う。

2018-04-14

書きなぐりたくなる稀によくある話。

私は性格はとてもネガティブ。頭も顔もスタイルは中の中といったところだ、決して美人ではないがブスでもない。キツめな顔立ちだがそれなりに告白もされたし結婚を申し込まれたこともある。ごくごく平凡だ。そしてとても親不孝者だ。

父は既に他界した。

記憶にある限り父は働き通しの人だった。成人式一般的な家庭では記念に家族写真を撮るだろう、我が家でもそうだった。しかし私は写真を撮るとき笑顔が作ることが出来ない。どうしてかいからかは分からない。自分が醜いと心の底から理解したときなのだろうか。他人からの世辞も鳥肌が立つし告白言葉友達言葉もどうせ嘘だろうと受け止められない、そういう捻くれた心のせいなのか自分笑顔吐き気を感じる。当然のように「ハイ、笑って」と言われる写真は心底苦手なものだ。振袖を着て、ドレスアップした家族写真館に連れて行かれたとき私は笑顔を浮かべることがどうしてもどうしても出来なかった。頬が引き攣り動悸が激しくなり涙が溢れた。一生に一度の記念写真を撮ることすらままならない。写真館のスタッフ家族困惑したことだろう。写真が嫌いなことを知っている母でさえそれ程とは思っていなかったのだろう、自分まで涙を浮かべていた。本当に申し訳ない。どうして笑えないのか、どうしてそんなことも出来ないのか。そんな当たり前のことも出来ない自分に情けなさと悔しさと悲しさと全てで苦しかった。結局安くない代金を支払い、記念となるはずだったそのアルバム家族の誰も受け取りに行っていない。もし私が普通の子たちのようにカメラ普通に笑うことさえ出来れば普通撮影を終えることが出来ていたのなら、仕事ばかりであまり写真のない父の遺影になっていたかもしれない。遺影写真を母と探したときにひっそりと申し訳なさで涙が出た。仲が良い家族とは言えなかったが大きくなってから家族写真は本当に一枚もない。

両親どちらの祖父祖母も既に他界している。

親の兄弟含めても私が初孫だった。だから一番に甘やかされさぞ可愛がられたことだろう。姑に少しいびられていた母から私がどんなに祖父祖母から甘やかされ放題だったかという話を思い出話とセットで昔よく聞いた。みんな私の結婚式に出たいと孫の顔がみてみたいと言っていた免許を取ったらドライブに連れていって欲しいと言っていた。私が心配だと言っていた。最後を看取ることは出来たがみんな意識が戻らぬ状態のまま亡くなったので誰とも最期言葉を交わすことはなかった、父とも。もし言葉を掛ける時間があったとして、私に何か声を掛けることが出来ただろうか。父の遺品整理ときに常に持っていた財布から私が子供の頃に書いた手紙を見つけた。頭が痛くなるほど泣いた。なんて親不孝者なんだろう。

母はまだ元気に笑っているが私は彼女申し訳ない気持ちしかない。

彼女は賢くはないが明るくよく笑い周囲に気を使うことが出来る。カウンターで隣り合わせになった相手ともすぐに打ち解けられ店員とも友達になるようなタイプ。そんな彼女子供が大好きだ、から彼女自身も早くに結婚して子供を産んだ。私にも学生の頃から貴女の子供が出来たら可愛い子供が出来たらいつでも面倒見るからねとあれがしたいこれがしたいと話をされ、同級生の誰ちゃん赤ちゃん産んだみたい抱っこさせてもらった可愛かったよと笑顔で話をされる度に私は子供きじゃないからと嫌々と返していた。申し訳ないが本当に苦手なのだ、小?中?学時代の子供の頃から既に例え結婚したとしても子供は産まないだろうとずっと思っていた。私は自分自身が大嫌いだから自分の子供も愛せないだろうとその事実子供の頃から気が付いていた。しかし成人をとうに過ぎ三十路を迎え婚活必要性を友人に説かれたとき、ふと自分が好きなところを見つけて結婚に至れる相手の子ならば愛せるかもしれないと思った。母が大好きな子供を、初孫を抱かせてあげえることも出来ると思った。それが唯一出来る親孝行のような気がしたのだ。結果として婚活は中断しているが、きっとこの先も独身のまま天災に巻き込まれるかどこかで孤独死するのだろう。結婚相談所に入会することを母が気付いたとき彼女は喜んでいた、退会を伝え孫はもう無理だろう諦めてほしいと伝え面と向かって謝罪したとき彼女は泣いていた。ある日、母の友人に孫が産まれたという話を聞いていると「もし私に子供出来てももう丸一日面倒見てあげることは出来ないね、私も取ったんだなぁ」と言われた。前は孫とどうしたいと理想を話してくれた、近年はその度に申し訳ない気持ちでごめんねと返していたが段々とそのやり取りもなくなってきた。きっと自分が娘を産んだ時から私のウエディングドレス姿や孫を抱く日のことをそれはそれは楽しみにしていたんだろう。それすら叶えることが出来ない不出来な娘で親不孝者で本当に申し訳ないという気持ちで苦しくて、突然涙がこみ上げる夜がある。

SNSを眺めていると頭がおかしくなりそうになることがある。鳥肌が立ち吐き気に襲われることがある。

どう見ても可愛いと思えない子の自撮りした笑顔が流れてくることがある。どうしてそんな笑顔写真に写ることが出来るんだろう。その写真を見て気持ち悪いと思われるとは思わないのかその顔が周りを不快不愉快にさせるとは考えないのか。もし私がその顔に生まれていたら即整形している。その姿でどうして幸せそうなのだろう。わからない。

どう見ても可愛いと思えない子が母になり子供との笑顔が流れてくることがある。性格が良かったんだろう料理が上手かったんだろうもしかしたらその顔が好みだったのかもしれない。そうだろう理由なんてそれぞれに山とあるのだろう。どうして私にはそれすら叶えることが出来ないのだろう。どうしてどうして。マウンティングという言葉を聞いたときなるほどなと感じるが私のそれはもっと根本的で病的なものだ。あの子不細工からというところに強調がつくのではなく、そこに劣るほど自分が駄目な人間であるというところに強調をつける。私はどうしようもなく醜く駄目な人間なのだ

明るく社交性が飛びぬけている母とは違い不器用な人だった父。

私たち家族は仲の良い家族ではなかった。みんな帰宅してもそれぞれの部屋に籠るような生活になっていたし父が死ぬ前数年間は言葉も交わすことも少なくなっていた。父が倒れる前の晩、最後に声を掛けられた私が返した言葉は「なんでもない」だ。本当にどうしようもない。それでも血縁者であり家族であることに変わりない。父に似ているとよく言われたことが多くある。どこでこうなったのかわからない、不器用な人だった父もきっと生きるのは大変だっただろう。それでも一般的恋愛結婚仕事を貫いた点で彼は私と比べるまでもなくまともな人間であったのだろう。もし私が母に似て愛嬌たっぷりになっていたのなら人生は違っていたのだろうか。私には愛想笑いすらとても難しい。笑顔での接客対応ですら必死仕事終わりには顔が痙攣することもある。いつも笑顔の母とは似ても似つかない。

両親の兄弟を思い返しても血縁を切ったような相手しかかばない。もしかせずとも我が家家系はここで途切れるのだろう。かもしれないと別の可能性を見出すことすら出来ない。私が母と出掛けねば手入れされていないお墓を想像がつく。祖父祖母申し訳ないと思っていた、両親に申し訳ないと思っていた。ほんとはそれだけではなくもっともっと多くの人に申し訳が立たないんだろう。私はどこまでも親不孝者なのだ

先日母に頼まれ年金保険というものに加入したが受け取る日はこないだろう。痴呆が始まるようになった日には自殺しようと心に決めている。吐き気がするほどネガティブな私にもいまが幸せだと思う瞬間はあった、それを忘れてしまうくらいなら自分で幕をひく。家系的にそう長生きするタイプではないか平均寿命いかないだろう、きっとあと40年もない。30年程とすればゴールまで折り返しだ。憎まれっ子世にはばかる渋柿の長持ち論で性格の悪さから長生きする可能性もあるが、それを上回るメンタルの弱さで心からまれているのでことわざ効果は大いに打ち消してくれていることだろう。人生死ぬまでの暇つぶしに過ぎないという言葉を聞いたときほんの少しだけ心にある澱みが軽くなったような気がした、そのまま日々ゆるりと死に向かっている。最近体調がすぐれないこともあるが無性に眠い。抗えない虚脱感と眠気に襲われるときこのまま死ぬのだと毎度感じる。いつの日か本当にそのまま死ぬのだろう。何を産み残すこともなく継がせることもなく。誰に何を返すことも出来ず。本当にごめんなさい。

どこかに書きなぐりたくなった。

2018-04-12

着物スーツの手触りの違い

分かるもん?

違いがあれば教えて欲しい。手触りだけで判断できるのかも知りたい。

着物なんて成人式いらい着てないか全然からない。

2018-03-22

高学歴になったけど幸せじゃなかった

大学生男。

受験勉強して高学歴になったら幸せになれると思ってた。

かにそこそこモテるし、自尊心も満たされるけどそれだけ。

中学受験たか地元に知り合いはいないし、成人式も出てない。

親友もいないし彼女出会い系経由。

地元根付いて仲間と楽しくやってるマイルドヤンキーの方が楽しそう。

就職したら幸せになるとはもう思ってない。

多分収入貰うようになってもこの喪失感は消えないんだろう。

2018-03-21

振袖と成人と親の話

明日、正確には今日、私は振袖姿の写真を撮る。成人自体はとっくに数ヶ月前にしているので、後撮りということになる。

世間一般ではめでたいことだろうが、私の心中は穏やかではない。ここに少し書かせてほしい。

そもそも私は写真を撮ること自体まりきじゃないのだ。みんなで遊んだ時の集合写真は大体写らないか、写っても目立たないように端にいる。カメラを向けられたら逃げてしまいたくなる。そんな人間だった。

から成人の写真も、最初は断った。写真は嫌だし、何よりめんどくさい。

ただ私は成人式に出席しなかった。だからせめて写真だけでも、と母に言われたのだ。正直乗り気ではなかったが、母の機嫌を損ねると面倒なので渋々撮ることにした。

振袖を選びにAとB、二つの店に行った。どっちも同じビル内にあり、最初はAに行った。

どんなデザインがいいか、など聞かれたので、私はどうせ着るならシンプルなやつがいい、柄が少なめか、なんなら無地でも良いと希望を言った。まあどのみち希望を言ったところで意味はなかったけど。

私の選ぶ振袖はことごとく母に却下され、かなり揉めたけど最終的にBの店で母が選んだクラシカルで華やかめものになった。私は絶望した。

たか振袖くらいで、と思うかもしれないが、私にとっては絶望という文字が相応しかった。それくらい嫌な気持ちになった。

私が選んだものは、単純に母の好みではなかったのだろう。本当に真っ向から「そんなものはやめて」と言われた。

「一生残る写真なんだから」「そんなの絶対に後悔する」振袖に限らず、今回の成人イベント全体でこのような言葉を浴びせられ続けた。

一生残る写真なんだから、変な道に走らず普通にいってほしいのだろう。おそらく母から見たら私の普段の服の趣味絶句ものだろう。

でもそんなのただの好みの問題だ。どうしてそれを否定する権利があのひとにあるのか疑問で仕方なかった。

「でもこっちの振袖の方が良い」と言っても「金を払っているのはこっちだから言うことを聞け」の一点張りで、まったく希望は通らなかった。正直イライラした。

振袖が決まってレンタルについて話しているあいだ、私は店を抜けてトイレで泣いた。めちゃくちゃに号泣した。本当にあん全然好みじゃないやつを着て写真を撮るのか、考えると、涙が止まらなかった。日頃から母に否定的なことを言われることはあったけれど、今回のことでそれを目の当たりにして耐えられなかった。二十歳にもなって情けないが、遠慮のない暴力に襲われた気分だった。こんな気分は本当に子どもの時以来である

ようやく泣きやみトイレから出てくると、さっき行ったAの店の店員(Mさん)が声をかけてきた。Mさん若い女性だった。

もう既にBの店で振袖が決まってしまたことを伝えると、私はまた泣いてしまった。しかMさんの目の前で。

だがMさんドン引きもせず優しく慰めてくれた。Mさんも昔、成人の写真の件で親が選んだ着物を来て機械的写真を撮ったという。自分では選べなかったと言っていた。だから自分で選んでた友達が羨ましかったと。その時撮った写真は未だに見たくなくて見ていないらしい。

Mさんは私に名刺をくれた。何かあったら連絡してね、と。女神か。

まあ振袖が決まれば次は髪型なわけだが、ここでも私と母は揉めたのである

私は「前髪を下ろして、顔の横の毛を出したい」と言った。しかし母は「そんなの絶対に辞めて」の一点張りである。なぜダメなのか問いただしても「とにかくダメ」「言うこと聞け」。わけがからない。母曰く「みっともない」らしいが、何がみっともないのか。

私の母は、機嫌を損ねると非常にめんどくさい。それは家族のなかでも周知の事実だ。ちょっとヒステリックなところがあるのだ。

例を挙げ出すとキリがないけれど、正直言って疲れるし、一緒にいたくない。あと人のことをよく馬鹿にする。私も散々馬鹿とか空気読めないとか脳の病気から病院行けとか言われた。「馬鹿」は本当にしょっちゅう言われる。母自身医療関係の人だから、多分私の馬鹿さは特に目に付くんだろう。

もちろん産んでここまで育ててくれたことには感謝している。母からの愛を感じることだってたまにある。ただ、最近はそれすらも嫌になってきてしまった。母に対して感謝はしているけれど、あまり母のことは好きではない。むしろ嫌いになってしまえたら楽なのに、と思う。でも母を嫌いになってしまったらそれこそ終わりだ、と思う自分もいる。まあ今はそんなことはどうでもいい。まあ細かくは書かないけど要するに「めんどくさい人」なのだ

「金を出しているのはこっちなのだから言うこと聞け」理論に関しては、そもそも私は写真は撮りたくないと言った。つまり母がやりたくてやっていることに勝手に母が金を出しているのだ。なのになぜか「金を出してやっている」と恩を着せられている。私は一言も頼んでないし、そんなに嫌々金を出しているのならやらなくていいよ。(ちなみに、このことを母に言ったらキレられた。)

「一生残る写真なんだからちゃんしろ理論は、まあ分からんでもないけれど、でも一生残るならなおさら娘の好きにさせようって気持ちは少しくらい湧いてこないのだろうか?

散々喧嘩しまくった挙句「親の圧力」で決めた振袖。散々揉めて私の妥協の末に買った髪飾り。明日もきっと、髪のセットのことで散々文句を言うのだろう。少しくらい折れてくれてもいいのに。

別に楽しくもないのに無理やり作った笑顔写真を撮らされるんだろうな。

そして出来上がった写真を見るたびに、嫌な思い出が蘇るかもしれない。そして後悔するかもしれない。あの時妥協せずに押し通せばよかったとか。たとえわがままと言われてもこっちを選べば良かったとか。

一生残る写真なのに。

二十歳なんて親から見たらまだまだガキかもしれないが、でも一応二十年は生きてきた。確かに私の服の趣味は少数派だけど、でも撮ってから後悔するなんて絶対にない。断言できる。それだけ好きなものなのだ。それに、社会では大人として扱われるんだから少しくらい任せてくれてもいいのに。

どうしてこんなにストレスを感じてまで、「一生残る記念の写真」とやらを作らなくてはいけないのか。私はまだ疑問に思ってる。

別に今回のことだけでここまで嫌な気持ちになったわけじゃない。

今回のことを通して、過去の母に関する嫌な思い出や気持ちが蘇った。そして今まで積み上げた「嫌だな」って気持ちがいよいよ溢れてしまった。そんな感じだ。

たかがこんなことで、とか思うかもしれないけど、今まで母の圧力に耐えてきたんだし、少しくらい愚痴を言ってもいいだろう。写真取り終わったらピアス増やして派手髪にしてやる。

あーここに書いたら少しスッキリした。はてさて、明日はいったいどうなることやら。

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