はてなキーワード: 成人式とは
「アホの子」についてブコメ等で宜しくない旨ご指摘をいただきましてありがとうございます。そして申し訳ありません。
言い訳をしますが、彼ら彼女らと私との間に、愛と信頼できる(と、こちらが一方的に思っているだけかもしれないが)人間関係がある前提で使ったのでした。読み返してみたら確かに気分の良くなる言葉ではないですね…。増田は聖人君子でもなければ天才でもないので言葉のTPOを間違える。申し訳ありません。
現在の仕事は教育関係ではありません。ごく一般の会社員。教員や教育関係に就こうとは思ったことはないです。あの仕事こそ増田なんかよりも聖人君子に近い人がなるべき仕事で、更に言えばもっと報酬と人手を割くべき仕事だと思っています。私にはとても無理。
あまり広くない世界で働いているので詳細はぼかしますが、口悪く言えば大人に対して同じようなこと「一緒に何が原因でこういう事態に陥ったのか考えましょう」という感じの仕事をしています。かなりダメ社員で成績は悪いし出世も遅いです。小さい細かい、そして金にならない仕事ばかりをやっています。その代わり長期間のお付き合いになる案件が多くて楽しくやりがいがありますが、それは会社にとっては更に宜しくない(割の悪い仕事をずーっとやっている)、というお荷物要員です。が、天職だと思っています。会社よ申し訳ない…
蛇足の手本のような追記を、元増田が思い立ったのは、この方法は、増田が開発したものでも、独自に気付きを得たものでもなく、増田の恩師から増田がしてもらったことを子供たちに返しただけなのだということを言わなくてはと思ったからです。ごく一部のブコメに天才とか良い先生だとか、大変気持ちが良く調子に乗ってしまう言葉もいただきましたが、ぜんぜん違います。重ねて申し訳ない。
そういう意味では、増田は凡人ですが、増田の恩師、K先生が天才なのかもしれません。
増田自身がまさに「アホの子」の元祖で、小5~6年の担任を持ってくれた恩師K先生との出会いがなかったら超ヤバかったのです。
増田は、小学校5年生の秋まで、掛け算九九を暗記しないまま素知らぬ顔でいました。
学校の勉強は良くできた方だったと思います。ペーパーテストなどでは基本的には98/100点などがずらっと並ぶ感じ、授業を聞いていれば大体頭に入り理解できる、先生の説明の途中で勝手に教科書の「応用問題」を解き始める感じの子供でした。そして、多動&注意欠陥の傾向が強い子供でもありました。今思えば先生からしてみたら割と厄介だったかもしれません。100点は取れないんですよ注意欠陥っ子なので。歴代の先生全てに「見直しをしなさい」「あとちょっと集中しましょう」と通知表に書かれ続けてきたタイプです。
で、小2で掛け算を習う時に「×の記号はその回数足すという意味です」と先生が言ったのを真に受けて、その回数足せばいいなら九九覚える必要なくね?と何故か曲解して思いこんだ。それから先は、分かりやすい2の段とか5の段とか以外は記憶せず「○回足す」で乗り切った。いや乗り切れるわけがないから、他の教科のテストは相変わらず95点とか98点とかだけど、算数だけ85点ぐらい。馬鹿だったわけじゃないのが災いして中途半端に平均的に点は取れていたから、当時のそれぞれの担任の先生も「増田さんは算数が苦手なのね」程度に判断されていたのだと思います。
ただ、九九を覚えていないと、3ケタ÷2ケタの割り算なんかを解くのが地獄なんですよ。あと倍数とか約数の概念が苦手というか、概念「しか」分かってなくて実践が全然できないという状態。正解できないから面白くない、面白くないから興味がわかない、という状態のまま、分数を学び、少数を学び、速度や割合を学び…、ちっとも理解できてないまま小5になっていました。完全にアホの子のできあがりです。
図形問題や証明問題のようなものや鶴亀算的な文章問題なんかは、式を作るところまでは合っている、が計算を間違う。それも理解できない間違え方をしている。割り算は勘を頼りに予想を立てた数パターンを足し算検証して合ったやつを正解としてみよう(足し算だけで最小公倍数や最大公約数をあてずっぽうで探す要領だったと思います。あんまり思い出せないし再現できる気がしない…)という超絶燃費の悪い解き方をしていたので、その時にイージーな計算ミスをしているだけなんだけど。そして間違わないときもあるので、先生からしたら何で算数だけ点数が悪いのか分かりにくかっただろうと思います。
ところが、K先生はなぜか(後に大人になってから種明かしをしてもらうのですが)、私が九九を覚えていないことを見破ったのですね。
ある日、放課後に一人で残りなさいと言われて、超絶びくびくしながら教室で待っていたら、教科書を山ほど抱えたK先生が、増田の算数嫌いを一緒に克服しよう、と言ってきました。クラスでも勉強ができる方の子供だったし、私より他に勉強を見てやった方が良い(失礼な言い草だな)子がいるのに!と、驚いて、そして腹が立ったのと同時に、凄く怖くなりました。
ばれたくなかったんです、アホだってことを。
ずーっとズルをしてきて、九九を覚えてないズルい生徒だとばれたくなかったし、分かってないのに何となくやり過ごしてただけで本当は何にも分かってないアホだってことも、絶対にばれたくないと思ったんです。K先生は生徒思いで自由なタイプの教師で私はとても好きでしたから、なおさらばれるわけにはいかなかった。なので家で計算ドリルやればいいでしょ!とか、じゃあ塾に通う!とか、お父さんに教わるからだいじょぶ!とか、忘れたけど色んな事を言って逃げようと思った。でも誤魔化されてくれずに、「ひょっとして九九を覚えてないだろう?」と当てられてしまい、号泣したんですね。恥ずかしいのと悔しいのと腹が立つのと色んな悪い感情が渦巻いたのを覚えています。凄く辛かったし恥ずかしかった。
そこから多分数回、K先生は放課後付きっきりで相手をしてくれました。まずは九九を覚えてきなさいと、絶対に役に立つんだから先生を信じてくれ、と言われました。K先生を信頼していたのでその言葉も信じることにしたんです。結果的に信じて大正解、あんなに苦労した計算がこんなに簡単に!と思いました。アホの子丸出しです。
まぁ勘で割り算解いてたわけで、7の段とか8の段とかの九九の深いところがあいまいな程度でうすらぼんやりとは覚えていたのだとは思います。母親に白状したら本屋さんで九九の表のを買ってきてくれたのでトイレと風呂に貼った、小5なのに。でも小5だから本気だせばすぐ覚えられる。
その後は、取りこぼしていた分数(九九が分からないと約分が厄介)、少数(分数が飲み込めてなかったので少数と割合の概念が全く理解できてなかった)、速度(以下同)などなど躓いていた個所を一通り先生と一緒におさらいをしたら、算数でも98点取れるようになった。100点はめったに取れません注意欠陥っ子なので。
一度、放課後に残されている私を同級生の男の子が数人からかいに来たことがありました。優等生と思われていた増田が!と面白かったんだろうと思う。ただでさえ劣等感に苛まれてべそをかきながら(実際に分からなくなるたびにべそべそ泣いていました)教わっているのにクラスメートにからかわれて死にたい気持ちでしたが、K先生が、勉強ができるようになりたいと頑張っているものを笑うな、と怒ってくれたことを鮮明に覚えています。
その後は、からかいに来た生徒たちも一緒に「K先生と算数をおさらいする会」がしばらく続いたように覚えています。最後はかなり大所帯になっていた記憶。ほとんどの生徒から慕われていたのです、K先生は。
大人になってもこのクラスの同窓会は続いています。高校卒業した年の同窓会で、ふと思い出してK先生にどうして九九が分かってないことがバレたんですか?と聞いたら、テスト用紙の隅っこにいつも消しゴムで消した計算跡があって気になっていたこと、ある日消しが甘い時があって見てみたらひたすら関係ない足し算をしている跡のように見えるが何故???というところから、観察をしてみたらひょっとして、と思ったということでした。掛け算を何度も足してたのを気付かれたくなかったし恥ずかしかったのか、証拠は隠滅していたんですね姑息なことに。筆算はそのまま解答用紙に書いてあるのになぜ別の計算が必要?そして何故消す?、というところから類推されていたらしい。本当に些細なことからだったし、それ気付かれてなかったら、下手したら高校にも行けなかったよ私…。
私自身がアホの子であり、アホであることを許して丁寧に付き合ってくれて、気持ちも分かってくれた(九九の概念を理解してたのは増田の良いところだと褒めてくれた、そしてそのあとを面倒がるのは増田のダメなところだと怒られた)K先生から教わったから、私が人を教えるときにそれを使うことができたんです。私が成したことではなくK先生の教えがあったから。
成人式の後に、K先生の家に同級生たちと一緒に押しかけ酒を飲んでいた時、私たちは酔ってゴキゲンで、先生をべた褒め(先生がいなかったら私ヤバかったとか云々)してたら、K先生は、親や教師や目上の者から恩恵を受けたと感じてくれたなら、それを俺に返そうと思わなくていいから下に渡してやりなさい、とおっしゃったんですね。で、それを実践しただけ。
K先生はとても個性的で自由で、保護者の中には批判的に見る人もいたような型破りなタイプの先生で、教わったことはこれだけではなく抱えきれないほどあります。K先生のそのクラスは良い年をした今でも同窓会をするほどのつながりが深くありますが、その中で小学校の先生になった人が二桁いる。割合で言うとクラスメートの2割弱が小学校の教師になりました。私のようなボンクラがならなくても、K先生に感銘を受けた優秀な先生が頑張っていてくれるので、学校の先生は大丈夫。
いや大丈夫じゃないよね…もっとお金と人を割いてほしい。教師になった友人たちもストレートで職に就けた子はいません。みんな1~3年程度、補助教員の仕事にありついてそこからなんとかポストを見つけて、という感じ。ホント酷いよね…。
増田が友人たちを観察している限りでは、学校の先生は「勉強を教える能力」だけじゃなくて、「クラスという集団を統率するリーダーシップ」「学校のスケジュールを考える企画力」「それをこなす運営力」「ケースワーカー」などのスキルが必要で、かれらはこれを一人か二人だけでマルチタスクでで行っています。
あくまでも口と性格と知能に若干の問題がある増田の私見ですが、今の日本はホントに馬鹿だと思います。何で教育予算増やさないでしょうね…。1クラスは40人でも良いけど(ある程度の人数がいた方がクラス内で多様性を許容しやすいと教師の友人が言っていました。少人数だと浮いた子の居場所を作りにくいそうです)、その代わり担任は3、4人居ても全然いいし(そうすれば学校内で個別指導塾的な役割も持てる)、何なら学校行事の企画運営なんかは更に専属で別の担当教師がいるべきだと思います。名古屋市だったかが小学校のクラブ活動を廃止というニュースがありましたが大英断だと思う。課外活動は地域SCなどで吸収できるとしたら理想の形なんですけどね…。
今の学校は、子供も少ないからポストも少なく教師になりたくて夢と強い意志を持って教師になったという人がほとんどだと思います。増田が報告した塾での出来事なんて、彼らにもう少し余裕があれば増田の15倍ぐらいは良い結果を出すと思う。それなのに。
それはともかくとして、増田は、社会人になって初めて下に付いた先輩から「お前はアホで手に負えないが、唯一の取り柄は教わり上手なことだ」と言われました。K先生が小5の秋の夕方の教室で、私を壊してくれなかったら教わり上手に変化することはできなかっただろうと思います。
その他、耳に心地よかったお褒めの言葉などは、心の栄養にさせていただきます、ありがとう!。一方で、疑問や批判的なご意見で、増田にとって都合よく答えられそうなものにいくつか。
そうですね、増田にとって話しやすいことだけを、それもかなりボカして書きましたので仕方ないです。ごめんなさい。実際は大変でした。
adbが分からなかった子は初めて私が「開眼」した生徒なので思い入れも記憶も多いのですが、躓いた場所に気がついた後は、塾が用意しているカリキュラムや教材をほとんど使わずに、まずはアルファベット用の罫線が引かれたノートを拡大コピーして(形状の見分けがついてない疑惑があったので思いっきり拡大コピーして使った)、アルファベットをaから順番に10回ずつ、声を出しながら書き取り練習!をしました。
何よりも、大手のフランチャイズ塾だったのにもかかわらずカリキュラムを無視した指導をしてもいい、と許容してくれた教室長の懐の深さと"寺子屋愛"に甘えられたことと、先生バイト仲間の優しさ(教えるのが大変な子を私が見る代わりに、担当生徒数を減らしてくれたり、私の受け持ちの子を共有で見てくれたりのフォローをしてくれた)があったからというのはとてもとても大きいです。
あと、当然すぎるほど当然ですが、成績を上げてあげることができなかった子供もいました。元増田にも書きましたが、私は成績が普通の子の指導は得意ではなかったです。勉強にアレルギーがある子供の方が、悪い言い方になりますが、つけ入る隙が見えやすいと感じていました。なので、主に「すごく良くできる子」と「すごくできない子」の担当をしていました。あと、すごくできない子で、一人だけ、どうやっても引き上げられない子がいました。詳細は書けないですが、これは今でも思い出すと胸が痛くなる。
■そんなの誰にだって出来るだろー
増田もそう思います。なのでホテントってビックリしています。そして前段に長々と書きましたが、増田の手柄ではなくK先生のおかげだと思っています。
■生徒のプライバシーは?傷つくんじゃねーの?
浅慮だったでしょうか…アホです。問題が起こったら消すかもしれません。ただ連絡を取り合える子供もいるので耳に入って傷ついたと知ったら直接彼らに謝ります。一応最低限はぼかしているつもりです、ホテルはもちろんフェイクです。あとブクマのご指摘にもありますがabdが区別つかない子というのはそれほど珍しいことではないので…。
■学習障害があったんじゃない?
増田は現在でも専門ではありませんし、当時はアホの大学生だったので判断はできません。増田個人に関しては前記の通り「傾向」は確実にあるだろうなーと思っています。調べてはいませんが。苦労もとても多いがそれなりに個性的で愉快な性質だなと受け入れられています。長くなりすぎるので書きませんが、それを受け入れられたのも恩師K先生のおかげだったりします。
■なんでx=数学なのに英語出てきたむかつく!が察知できたのか
前段の通り、増田こそが元祖アホの子だったからだと思います。掛け算は足し算、なら覚える必要なくない?!という思考停止とその後の悔しさと恥ずかしさがヒントになりました。思いこんだことから一歩先に進むことの大変さ。
長くなってしまっていますが、あと一つだけ、とても興味を惹かれたので。
id:sarensongjing さん、ブログ拝見しました→http://xn--9ckk0f4c7781a7r3b.com/taihen.html
mustの意味と使い方が理解できなかった、とかすごい分かります!
増田の経験ですが、英語の理解には段階があったように思います。
私の教えた子はみんなこの辺からスタートでした。まずはアルファベットが呪文じゃなくなるようにしなきゃ、だった
第二段階:意味は分かってないながらも、音読は出来るようになる
音になる=過去に耳から得ていた情報を、英語の勉強に使っていいんだよと理解してもらった。呪文から、普段自分が使っている言葉と地続きの「情報」になるだけで、かなり気持ちが楽になるようでした
第三段階:たまたま知ってた和製英語から類推して、薄ら何を言いたいのか分かるような気がしてくる(気がするだけ)
夜やってるからナイター、でnightは夜!みたいなこと。既に持っている情報を使って新しい知的好奇心が湧いてきたということでもあるかなと思っていました。ただしほとんどの子が、頻繁に間違ったことを言ってくるので可愛くてしょうがなかったです。ダジャレか!
これをしばらく単語覚えゲームとしてやってたら、自然と、接尾語の存在に気付いてくれました。言語は、それぞれ意味を持つ小さなクラスターの集合であるという「概念」が体に沁み込んできたという感じ。理解は、もちろんしていないんですが笑 こうなるともう呪文ではなくなる。
そういえば、nightをナイトと読むというのは、なかなか難しいとこではあるんですが、英語は比較的素直に音とつづりが連関しているので
無理やり読んでごらん?ニグフト!、なんか似てる言葉あるでしょ、えーとえーと………ナイト?!とか、そういう風に付き合いました。
アルファベットを音読できるようになりさえすれば、割とやりようがある。文法もシンプルですしね。
第四段階:文章はどうやら並び順が決まっているらしいと薄ら思い始める
おもしろかったのは、文法の発見よりも、接尾語の発見の方が全員早かったんですよ。単語同士の共通点を探したくなるのかもしれない。-fulとかね。fullがくっ付いたんだよー、だから○○がいっぱい!って意味になる、と言ったら目を見開いてた。
単語も、あるクラスタの集合体である、という理解ができたら比較的早く、文章もあるクラスタの集合体である=文法を発見してくれました。並び順って日本語だって決まってるジャン、と言ったらそれからはすごく教えるのが楽になった。
ここまで理解が飲み込めていないと、助動詞の大切さや意味や力が分からないだろうし、mustを覚えるのはイヤだなと思ってしまったのかもしれないですね…。
増田は、牛よりもゆるやかなスピードで付き合っていました。ある子供は、第三段階で中3の冬だった記憶があります。教室長はハラハラだったと思う…。受験校を決めなきゃいけない時期だったのですが、お母様に、担任の先生の説得をお願いしました。お母様はもっとハラハラだっただろう…、お願いだからあと1回次のテストの結果まで見てくれと。あとちょっとなんだよー!という気持ち
先週まで風俗をしていた。
就職の準備もあるのでそろそろだなと思い、社員の人に辞めますと伝えて後腐れなく最後の出勤を終えた。
家族にはもちろん、風俗で働いていた間に仲良くしていた大学の友人、風俗をしているとカミングアウトしてきた地元の友人にも誰1人カミングアウトはしなかった。そして可愛い部類の顔ではなかったので人気嬢になるわけでもなく、出勤を増やさせられることも無かった為に無理のないアルバイトとしてボロを出さずに続けることが出来て誰にもバレずにお金を貯めることは出来た。
これからも風俗をしていたという過去は誰にも明かさず、今まで通りの人間付き合いをしていこうと決意している。
ただ、風俗生活をしていた中で時々どうしても友人に見せたくなったものがある。
風俗のレポを読んでいると所謂「パネマジ」に騙されたという声が後を絶たない。全く酷い話である。
私が初めて風俗店の門を叩いたとき、私はお金に困っていた。しかしこのような仕事をしたところで実際にお客さんが来なければお金は稼げないし、ホームページで見た他の嬢の写真はとても可愛いのにこんな中でやっていけるのかと不安であった。ただ、その不安は社員の人に待機所へ案内してもらったときに吹き飛んだのを覚えている。
ホームページのパネル写真ではあんなに強い光に当てられて真っ白ですべすべな肌をしていた○○○さんが思ったよりかなり厚い化粧でタバコを吸いながらスマホを触り、少し恵まれた体型をしているのかな?とパネル写真で感じた○○さんは写真の数倍貫禄のある姿だった。
この方々の姿を見て私はパネルマジックは存在するんだと思った。
そして私も多くないながらも新人としてプレイをこなし、ついにパネル写真を撮影する日がやってきた。
撮影スタジオでお店のパネル写真で数多く見たセットが並ぶブースでとてもかっこいいカメラマンと2人きりで撮影をする。ありとあらゆるポーズをさせられ全身が筋肉痛になりそうなぐらいぷるぷると震える。しかし今思い返せばこの時が1番風俗生活で楽しい時間であった。かっこいい男性が下着姿であられもない体型の美人でもない私の写真を撮りながら、まるで私をモデルかのように扱い、褒め、写真を撮っていく。(成人式の前撮りでも似たようなことをされて気分が良くなった気がする)。ただ唯一死にたい気持ちになったのは寝転びながら三角座りのように足を抱えた時に股元から写真を撮られた際に(毛がはみ出ているかもしれないのに写真を撮られている……)と思ったときである。仕事としてプレイするときの死にたくなる気持ちとは違ったベクトルの気持ちであったが死にたい気持ちになったのは変わりない。
こうして色々ありようやく店に写真のデータが着く。そのデータを社員の人に見せてもらった感想だが
パネルマジックとは何だったのか。顔の一部は手で隠しているものの残りの顔のパーツがそもそも良くない。体も細くはないし胸も大きくない。これではパネルの時点で選ばれなくなってしまうと思っていたのだがここから修正を施してパネルにするらしい。他の嬢は自分でパネルにしてほしい写真を選ぶ子もいるらしいが、私はこれ以上冷静に自分の恥ずかしい写真(しかもブス)をまじまじと見返したくなくて社員さんに全てをお任せした。
そしてようやく届いた修正を施したパネル写真であるが、本当に驚いた。これがパネルマジックというものなのか。
もしも私がもう少し人生を棒に振ることが出来て勇気のある人間ならビフォーアフターを匿名ではなく実名ダイアリーで載せたいぐらい美少女であった。
目は自然に大きく修正されていて何となく全体的にすらっとしている。足がとても長く我ながらもしかしてとてもスタイルが良いのではないか?と錯覚してしまう。肌はとてもすべすべしていそうで少し実際よりも白い。若干自分の要素を残しつつもこれは誰が見ても美しいと感じられるようなパネルであった。
ようやく冒頭の話に戻る。私はこのパネルを友人に見せたいのである。それほど、このパネルのモチーフが自分であるという感動を共有したい。ただ私は今の平穏な生活を崩したくはないし、このような仕事をしていたという過去は友達を増やすものではなくむしろ減らすものであると分かっている。しかしこのパネルの変わりようは感動である。
男性にとってパネルマジックがとても迷惑なことは分かっているし私もテンション下がられた事は勿論あるので良いものではないということは理屈ではわかる。ただ、この感動は一度パネルマジックをされた側でないと共有できないと思う。
何か下着姿で修正をかけられた自分の写真を上手く言い訳して友人に見せる方法ないですか?誰かに見せたい。凄いという気持ちを共有してほしい。
今日はてなを巡回していたら、アイマス関連の記事で、アイドルが「プロデューサー」に呼びかけるから、「ファン」として見るのはダメなのかなと悲しくなった、というような話題を目にした。
それを読んで、ここのところ毎朝感じているあることを言葉にしたくなった。
ゆっきーが、ファンの呼称が「ゆきすと」に決まってから、「ゆきすとの皆さん、おはようございます!」とツイートするようになった。
これを見ていつも、ゆっきーはゆきすとではない人には言っていないのだなと寂しく感じている。
例えば、「先生、おはようございます」と言ったら、それは先生に言っているのであって、周りの友達には言っていない。それと同じ。
ゆきすとという呼称はFRESH!の生放送で決まったらしい。それを見ていないのでわからないが、イメージとしてはそのリスナーや、一部のコアなファンを「ゆきすと」と呼ぶ印象がある。
これも喩えるなら、ラーメン二郎に1、2回だけ行った人をジロリアンとは呼ばないのと同じ。
ゆっきーの中での定義はわからないが、少なくとも自分はその放送も聴いていないし、成人式イベントにも行けなかったし、次のライブも行けないし、ゆきすとを自称できるレベルのファンだとは思っていない。
だから、今まで自分にもかけられていた「おはようございますっ!」が、突然一部の人にだけ言われるものになってしまって、とても寂しい。
もしかしたら自分は「ゆきすと」の端っこくらいにはいるのかもしれないが、単にフォローしているだけのフォロワーもきっといて、そういう人は完全に「おはようございますっ!」の対象から除外された。
ESDを辞めたことで、より大きな世界に羽ばたいていくのかと思ったら、今のところより小さな世界に目を向けているように感じる。
まあ、でも。
そんなことを書きながら、1月25日の、呼称がゆきすとに決まった報告ブログを読んでいると、なんだかとても楽しそうだし、思わずにっこりしてしまう程度にはゆっきーのことが好きだし、ゆっきー可愛いし、元気だし、可愛いし、好き。いっぱい好き。
FRESH!の生放送も気にはなっているが、月額1,080円は安月給の身にはとても高い。
ゆっきーは高い。
次のライブの特典会、握手会が物販2,000円、チェキ会が物販4,000円とのこと。ESDの無料ライブや、1枚540円の『開運!招福!炎天歌』のことはもう忘れよう。一度安売りすると、なんでも高く見えてしまうのはマクドナルドと同じ。
数日前にはてなーがファンクラブの話題で盛り上がっていたが、「お金を持っていない小中学生のファンは置き去りか?」みたいな意見には、個人的には「そうです」と思っている。
慈善事業ではないのだから、何にしろお金がかかるのは当然だし、お金がない人は、自分の出せる範囲で楽しむのはすべてにおいて同じ。
高校のとき付き合っていた彼氏とは、恋に恋して「オツキアイ」を楽しんでいただけだって、今なら思うけど、真剣だった。
私が受験に失敗して、私だけ浪人したのが歯車の狂い始め。先に大学生活を始める彼と、支え合うとか微塵も思いつかなかった。一年間会わなかった。それでも机に写真置いて、待ち受けにして、我慢して我慢しての最低限のメールで必死に恋してた。
一浪して予備校に行って、志望校が変わった。滑り止めに東京の大学が入った。それが二つ目の歯車。結局また第一志望に落ちて、上京することになった。そこで気持ちがぷつんと切れた。一年間彼を心の支えにしてたはずなのに、遠距離という現実を前に、一年間会わなくても大丈夫ならそんなに好きじゃなくなったんだと思い込んだ。お互いに、納得のいかない別れ方をした。まだ浪人生という中途半端な心のままの私と、もうすぐ大学二年生になる心の彼は、理解し合えていなかった。
東京に出ると、人が多くて、慌ただしくて、華やかで、楽しいことも苦しいこともたくさんあった。それで彼との別れは押し流されていった。でもたまに地元に帰ると、彼から連絡があって、復縁の話も度々出たかど、そんな気になれなかった。いつからか、「帰省するよ」ってSNSで言わないようにして、友だちだけに個別にLINEした。彼の大学の一年目を私のために棒に振らせたとか、私が二回も受験失敗したせいで別れることになったとか、変な負い目で、会いたくないのに直接会ったときは良い顔してしまった。どんどん彼からの連絡が負担になった。
新宿のサザンテラスにあるスペイン料理を、東京で出会った男の人と食べに行こうと二人で歩いていたとき、彼から珍しく電話が入った。男の人とデートするなんてほとんどないことなのに、なんで今?!ってすごくびっくりした。新宿にいるのに地元の元彼から電話がかかってくることが、すごく不自然で、気持ち悪い、おかしなことのように思えた。全く別だと思っていた物語世界が、実はつながっていたような気持ち。歩きながら電話をとると、なんにも緊急の話題はないようだった。なんの話だったか全然覚えていない。私が何を言ったか全然覚えていない。変な罪悪感を感じてすぐに切ったことだけ覚えてる。それで、ご飯食べて、家に帰ったら、元彼は事故に遭っていた。今ならそれが最初の自殺未遂だったと分かる。
自分と電話した後だったことに変な気持ち悪さはあった。でも考えないようにしていた。ある日高校時代の彼の友人で、ほとんど面識のない相手から「付き合ってる彼氏が事故にあったんだから、遠距離でも見舞いに来いよ」という旨の連絡が入った。心底ゾッとして、私は彼と彼の友人のLINEを両方ブロックした。
それからは彼と関わらず、大学生活を過ごして、二年生で人生二人目の彼氏ができて、卒業して、就職して、そして婚約した。
その間も、成人式や同窓会、高校の友人と会うたびに、ちょこちょこと彼の近況が耳に入った。「事故のあと大学に来ていない」「単位が足りなくて留年した」「大学を辞めた」「引きこもり」「バイトをしてる」「入院してる」……。
考えないように、考えないようにしていたけど、ずっと心の奥底に黒いものが積もっていた。
婚約してから仕事を辞めて、結婚までの間たびたび地元に帰ってくるようになった。ある日実家に帰ると、元彼から電話があって母親が話したと聞いた。実家に帰ってくる日を教えたと。その日の夜に彼は実家までやってきた。
彼は全然元気そうだった。気まずかったことにはまったく触れずに、高校のときに戻ったみたいに話した。不思議なくらい、あの頃のままで変わっていないと思った。もう10年近く経つのに。それで、「なんで今地元に帰ってんの?」という質問に、「専業主婦で暇だから」と答えた。「結婚したの?おめでとう」「まだ婚約だけどね、ありがとう」多分こういう会話だった。
その日のうちに彼は首を吊った。でも死ななかった。
そのあとは色んなことがあった。私の両親と元彼の両親が互いに土下座している姿を見た。高校のときに元彼の両親とは面識があった。制服を着たまま彼の家で彼の母が作った晩御飯を食べた。あのときのおじさんとおばさんが、すっかり老けて、痩せて、小さな身体を丸めるように土下座して、私と会えないと息子が死んでしまうと、助けてくれと言った。おばさんは泣いていた。
私は眠れなくなって、婚約者の待つ家にも帰れなくなって、元彼のお見舞いに行くこともできなくて、何が何だか分からないうちに婚約破棄をした。私が望んだことだけど、望んだことじゃない。
それから何年かたって、元彼のことを本当に死んでくれればよかったのにと恨んだこともあった。でももし本当に死んでいたら、私はもう重みに耐えかねて生きていけなかったかもしれない。私の人生の歯車が決定的に狂ったのはいつだったのか、今でも分からない。どこからやり直せばこうならなかったのか、何が正解だったのか。誰が悪いのか。
やっとまた地元から引っ越すことになって、昨日荷物を整理していた。元彼から貰ったものは全て捨てていたけれど、唯一受験の時にもらった学業成就のお守りだけは捨てていなかった。というか元彼からもらったことも忘れていて、単に捨てちゃいけないものとして保管していた。何を思ったのか、ふと魔が差して、お守りの中を開けて、それで元彼からのプレゼントだと思い出した。「頑張れ👍絶対受かる!」という汚い字のメッセージが入っていた。どこで誰が間違えたんだろう。
モバゲー版sideMの今のイベントの衣装があまりにも殺生丸すぎるという話なんですけど
最初は「ちょwwwおまwww殺生丸様wwwwwww」って思ったけど
見てるうちにモヤモヤしてきた
なんだよあれは
毎年成人式シーズンになると私と同世代の人が殺生丸様だーってキャッキャするのは恒例だけど
だからって許されると思った??
あまりにも、あまりにも酷い。酷似しすぎている。久米田や畑や椎名がパロディすることになってもここまで似せないだろうってくらい似ている
両肩に左右対称に平べったいもふもふのアレを掛ける成人式の着物ですら殺生丸って言われるのに
片方の肩に立体的なもふもふをモッファァって担いで背中まで伸びてるのは
殺生丸以外で見たことない、そもそも男キャラであんなもふもふ装備してるのあんま見たことない
硲さんなんか水色髪で眼鏡オフで長く伸びた爪を強調するようなポーズでお前!!!!!!
白を基調とした着物で紫が入ってるところとか袖の、なんていうんだあれ?振袖部分?袖のヒラヒラしたところだけ色が変わってるところとか片方だけの鎧とかあああああああ何もかも殺生丸様、偶然の一致では済まされない
すっっっっげえ堂々とパクってんなおい!!!!
鬼ならせめてラムちゃんにしろや!!!!!なぜ!!!!なぜ鬼でそうなる!!!!なぜ犬の妖怪が出てくる!!
夜桜温泉の時の牙崎漣も普段の銀髪金目&おさげに加え首まわりモフモフでなんかすげえるーみっく感あるなって思ったけど今回はあまりにもひでえ
まさか貴様、天下のアイマスに衣装丸パクして貰えるなんて相手も喜ぶだろwなどと思っていないだろうな
ふざけるなよ……ファンをギスらせることに余念のない地獄の弱小ジャンルsideMと留美子神を比べることすらおこがましいんだけど……余裕の格下だろ……
放送当時犬夜叉がどれだけ人気だったと思っているんだ……世界的にどれだけ人気があると思っているんだ……
留美子がどれだけのヒット作を世に生み出した天才漫画家だと……カメントツのインタビュー漫画見なかったのか……
留美子はコミックスでおまけ漫画やおまけコメントとか全然書かない人だしサンデーの巻末の質問コーナーでも淡々としてて
藤田和日郎ですらやってるツイッターもやってないし青山剛昌みたいにファンとの交流イベントもやらない
だからって
あいつは殴っても殴り返して来ない相手だからへーきへーきとか思ってるんじゃないだろうな……
sideM、アニメはつい最近トレパク騒動あったしモバの方もフォントの無断使用があったとかなんとか聞いたけど
好きな子のほとんどがセカライ組でただでさえずーっとガン萎えしてるのに
あ~~~~~クソ……担当に出会わなければこんなことには……会いたくなかった……でも会った以上完全に足を洗うことはできない……もう駄目だ……記憶を消したい……
こんな程度で親元から離れるなんてガキ思考の親不孝者だけれど。
出て行ったらもう関わるつもりはない。
もしかしたら離れることでそこそこの関係が保てて連絡くらいは取り合うかもしれない。
とにかく、まずは家を出たい。
不細工と言われて育てられた。
全ての行動が遅くて、よく鈍臭いと言われた。
鏡を見るのが嫌になった。
少しでももたもたするとすぐ怒られた。
よく出される夏休みの宿題。
初めてのりんごの皮むき。
よく見るマンガのようにつらつらと長い皮なんてできるわけない。
以来、台所には立っていない。
手伝えと言われて行くことはあったが、分からないことを訪ねても教えてくれなかった。
分からないままの私は手伝いが出来ずに怒られた。
料理以外のことも、次第にやらなくなった。
母親に何かをしているところを見られるのが嫌になった。
でも、コソコソしているのがバレると機嫌が悪くなる。
隠れてやるくらいならするな、が口癖の時期があった。
今も隠れてたくさんのことをしている。
自室にこもって絵を描くのも楽しみの一つだ。
誰に何も言われない空間は気を遣わなくていい。
今まで幼かった精神が成長してそういったものに気づけるようになったか。
ある程度の自我を持ち始めた娘にはもう隠す必要はないと思われたか。
父親が帰ってくるなり舌打ち。
父親が出て行った後、加齢臭が臭いと家中をアルコールで消毒してまわった。
まるで思春期の娘のようだ、と思春期真っ盛りの私は感じていた。
それよりも、汚物、邪魔者扱いの父親を見るのがいたたまれなかった。
たまにこちらに飛び火が来ることもある。
隠れてやるくらいならしなければいいのに。
消毒の件に気づいているかは分からないが、父親が何か反発したところを見たことはない。
対する私もこの頃が一番嫌悪感があった。
痛いほどに掴んでくる母親の手を必死にふりほどこうとした記憶がある。
虐待で訴えられてもいい。お前を育てずに済むならそれでいい。
母親は姑を嫌いだった。
私からすれば、母親の母も姑も同じ祖母なのに対応の差は歴然だった。
成人式の写真。元々乗り気じゃなかったが、おばあちゃんのために、と泣きじゃくる母親を見て撮ることとなった。
撮ることには文句はないが、母方の祖母にはアルバムを送ったのに、父方には何もしなかった。
母方の祖母が言うには、あっちには何もしなくていいと本人が言ったそうだ。
家に帰ればご飯があった。
私は恵まれている。
だけど、母親に感謝する気になれないのは、この状況が当たり前だと思ってしまう、ゆとりの子供だからだろう。
私は親不孝者だ。
この程度のいざこざで家を出ようとするのだから。
育ててもらった恩よりも、ほんの少しのワガママが勝つのだから。
私は鏡が嫌いなくらい自分の姿を眺めていたくはない。
撮影後、家でまだ化粧の取れていない私の顔をこっそりケータイで撮った父親。
このアルバムを渡せば、あの時感じた心苦しさを消せるはずだ。
あと一年。
就職先を早く決めて、バイトで貯金を増やして、早く自由になろう。
一人の家なら、料理を始められるかもしれない。
あと一年、頑張ろう。
例の倒産事件から派生して、そもそも成人式で振袖を着る事自体が分不相応なんじゃないか、見直すべきなんじゃって言う人を少数ながら見かける。
華やかでお金がかかり過ぎて、お金が無い子がバカにされたりミジメな気持ちになるんじゃないかって理由だった。
私はまさしくお金が無くて振袖が着たかったけど着られなくて、少ない給料なんとか貯めて写真だけ撮ろうと思って写真館予約したら予約が漏れてて(店側のミス)、
しかもその時最初に対応した店員がとにかく最低な対応をしてくれたせいで成人式は本当に最低な思い出になった。
当日なんて色々思う所あっておんおん泣いた。式はおろか一歩も外に出なかった。
でも、だからってこれから成人する子達に振袖を諦めてほしくない。
勿論着たくない子が着ないって選択をするのはかまわない。そういう子に振袖を強要するのもやめてほしい。
でも着たい子には着てほしい。惨めな気持ちになる子が居るからって、できるのにやらない選択肢を取らされるなんて可哀相だ。
人生が不公平なのはどうしようもない事だから本人が割り切るしかないんだよ。それを他人に押し付けるなんてそれこそ成人の振る舞いとして相応しくない。
だけど、いつも自信を持って「女性です!」といえない。
ずーっとその理由を考えていたのだけど、
身長170cmの25歳。
ちなみに某大学の工学部を卒業してエンジニアとして働いている。
このスペックだけで女性の中でニッチな存在であることは間違いない。
会社には文句言われない程度に女性っぽい服装を着て通勤している、コスプレだと思ってる。
とひとり鼻息荒く意気込んでいた。
作業服を着れるだけで幸せだし、電動ドライバで自分の身長くらいの金属板に
やればやるほどコツを掴んで効率よく仕事できるようになっていった。
あれ、性別変わっとるやん。
もう一度冷静に考えてみた。やっぱりおっちゃんになっている。
あれ、私って性別どっちだったっけ?
結局そのもやもやが消えなくて、
私が女性らしさを押し殺すことになったのは
人に頼らなくても実際なんとかなることが多かったからだと思っている。
それに、群れるのが苦手でひとりでふらふらするのが好きだ。
あと、祖母がおらず、
成人までの生活環境に女性らしい女性がいなかったことも影響していると思う。
でも、これから年を取れば取るほど、
社会的な女性としての役割を求められる機会が増えるのは間違いない。
仕事では社会人として女性らしさを求められる場面も増えてくるだろう。
プライベートでは「結婚まだ?」という親戚プレッシャーも迫ってくるだろう。
そんな私にも、彼氏ができた。
彼氏ができれば自分が女性だと認められるようになるかなあなんて
思ったけど、そういうわけでもなかった。
もちろん、彼氏のことはすごく好きだし一緒にいてすごく心地よい。
だけど、女性として好きでいてくれている人にこんなことは相談できない。
何が足りないのだろうか。
またしばらく考察が続きそうだ。
確かに報道の重点がずれてる感じはしますよね。あくまでも「詐欺に遭った」ことが問題であって、別の服でも良ければ成人式には出席できたんだから。
ずいぶん昔の話になりますが、自分は中学時代の友達にどうするか聞いた結果、レンタルの振り袖で出るのが一人だけで、後は洋服ということでスーツで出ました。要するにつるんでる仲間の多数派が洋服だったら、そんなにつらくないんですよ。
母方の祖母に「着物より現金がいい」といってかなりの額のお祝いをもらい、父方の祖母に「せめて写真だけでも」と言われて成人式とは別の日にレンタルの振り袖を着て写真を撮ったぐらいなので、レンタル振り袖あたりで成人式に出ようと思えば出られたはずですが、確か当時容姿コンプレックスのピークで、「私が振り袖なんか着てもどうせキレイじゃない」的な発想だったような気がします。写真館の写真も祖母が友達に見せて歩くので恥ずかしいから止めてほしいと文句を言った記憶があります。
今思えばとりあえず若い日の記念で写真撮っておいて良かったというか、お金が欲しいなんて言わないで安い振り袖でも買ってもらえば良かったとかいろいろ思いますが、あまりにも振り袖は着る機会がないので、まぁレンタルで良かったかと。成人式の写真なんて実家のどこに埋もれてるか分かりませんが。
まぁ夏のお盆の時期でもお正月でも仕事や学校を休んで帰省しやすい時期に成人式を設定するのは親切だと思います。でも振り袖で着飾りたい人の夢を壊すのはちょっと大きなお世話かなと思いました。
はれのひ事件で、お金を払ったのに、振袖が着れなかったのはかわいそうだと思う。詐欺だもの
詐欺にあったということよりも、「成人式に振袖で出られない」ことがとてつもない悲劇、娘は苦しんでいる!
一生に一度の晴れ舞台なのに!的な扱いをけっこう見ていて、複雑な気分になる
成人式に振袖で出られないのは、結婚式でウェディングドレス着れなかったのと同じレベル、とでも言わんばかりの扱い
なんでかっていうとさ
もしかしたらこれを見て、同じ市町村だって思った人いるかもしれない
昔は冬に成人式があったんだ。でも、振袖!振袖を着るべき!着なきゃ!着れないなんてかわいそう!!!
その子は振袖が用意できなかった。お金がなかったのか、親がそういうタイプじゃなかったのか、事情があったのかはわからない。
だからその次の年から成人式は夏になり、市が、「だから、振袖とか用意しなくていいから、スーツでいいから」って言ったの覚えてる
無理をしないでいい、振袖用意できないからって苦しまないでいい、ってそんなことをオブラートに包んで言っていた