はてなキーワード: 経口補水液とは
喉が痛い(ヽ´ω`)
30代共働き在宅勤務。息子2才。年末年始の帰省なし。会食なし。追記:ワクチン2回済。フルチン。
やっぱり軽い咳がある。病児保育に預けることにした。この日増田はオフィスに行った。
↓
「息子くんの熱が急に上がって、乾いた咳が増えた。念の為検査したほうがいいかも。」
妻、手持ちの抗原検査キットを使う(持っててえらい)。
↓
線が2本でた写メがくる。
_人人人人_
> 陽性 <
 ̄Y^Y^Y^Y^ ̄
↓
会議中だった増田、会議を抜けるため秘技「俺、濃厚接触者(`・ω・´)」を使う。狙い通り追い出される。
↓
保健所にTEL。こちらの受け答えに「なるほどですね~」を返してくる人なので笑いをこらえながら指導を受ける。
まじかよ・・・
この後、息子の療養10日間+濃厚接触者の隔離2週間=24日の外出禁止生活・・・のはずだった。
俺たち「これマジ防疫無理」
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県からでかい段ボールが届く。災害備蓄っぽい一式。レンちんご飯と、赤いきつねとスーパーカップ。マルちゃん。
2日おきに冷凍の宅食も届く。ワタミの宅食。さすがワタミ、居酒屋が虫の息でもこういうところでしぶとい商魂を見せつける。宅食はうまかった。
↓
県庁の職員らしき人が直接パルスオキシメーターを持ってきた。
俺たち喉が痛くなる。めでたく全員陽性。
陽性者になると隔離は24日から10日間に短縮されるよ!フシギ!!
無。記憶がない。喉が痛すぎて悶え苦しむ。水も飲めなくて脱水しかける。
・こんな時にスーパーカップなんか食えるかボケェ‼︎と思ったら食えた。なんで?
・塩野義製薬が「治験者足りなくて困ってるワン」と言ってたのを思い出しTEL。審査は通るが「10日間の入院が必要だワン」といわれ辞退。すまんが治験のデザインが悪いぞ。
喉の痛みがつらいので「スナック バス江」を読んで正気を保つ。
息子、元気に部屋を荒らす。汚部屋ナウ。
〜fin〜
・「幼児の感染は家庭内感染がほどんど」と聞いていたが、息子がコロナを持ってきた。
・未だに「幼児の陽性者を隔離しつつ介護する方法」が確立されてないこと。小さい子がコロナになったらおわりの合図です。突然こんなこと言ってごめんね。でも本当です。
・濃厚接触者より陽性者のほうが隔離期間が短くなるライフハック。
・行政のコロナ窓口が色々あるが突っ込んだことを聞くと「それは保健所に聞いてくれ」となる。保健所の負担減らすためにこっちに電話しているんだが?
・何かと保健所に電話する/してくるシステムは一見効率が悪そうだが、直接声かけしてくれるのは精神の安寧に絶大な効果。
・医療保険が出る。
定番の食事は全滅。塩分、酸味、液体、ペースト状で喉に張り付く系はNGっぽい。
油があり、ツルッとしていて喉への摩擦がないのがポイントか?
・平熱なのに熱が出たような症状がでる。頭痛とか、だるさとか。
・COCOA陽性登録したのに、一番の濃厚接触者である妻のスマホに通知がこない。いらない子。COCOAログチェッカーではばっちり検知してた。
その条件やと経口補水液と飲み比べたら負けるやろな
ちなみにコロナ関係ない肺炎に以前なった時は酸素飽和度が安静時で88〜85くらいだったと思う
つか去年もどうしようもない投稿あったな
[ブクマカ]さん、文責なしネット医療情報で死ぬぞ
割と真面目にいつかね
肺炎が悪化すると、徐々に呼吸困難になります。 すると酸素が体内に十分に..(anond:20200224214750)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200224214750
チアノーゼがーとかいってるけど、出なくても(見てもわからないも含む)、
そしてショック状態でも別に意識を失わない、ワイはタクシー乗って普通に受診しに行ったぞ
だがショック状態になるまで放置するのは愚か者のすることなので
家には、
汗ふきシート、
水、塩サイダー、経口補水液、はちみつ塩レモン、塩ライチ、レモラ、
などなどがある。
今のところ何もない。
今日は部屋の鍵かけないで寝るよ。
死んだら追記するわ。
24:00
ちなみにこれは追記じゃないけど、
持病はないけど体力もない。
1回目は、翌日軽い頭痛が出ただけ。
2回目は今日10日の17時頃にうって、その時の体温は36度3分。
日が変わって、いま37度。
おう、あがっとるやんけ。
25:30
そういえば、水けっこう飲んだのに19時からトイレ行ってないな。
26:00
翌07:30
起床。36度4分。熱は下がったけど、なんか熱っぽい感覚は続く。
ただ、練馬区の気温がニュースになる程暑いらしいので、そのせいかも知らん。喉は乾く。
下がっちゃったからなんか終わった感があるけど、仕事どうしよう。辛かったら休む気でいたけど行けちゃいそうだ。
翌11:00
翌11:30
悪化に備えて、歯を磨いて、枕元に薬と水を用意しようとしていたら、
乱用を避けるためもう少し後で飲む気だったのだが。はい、うっかりさん。熱のせいじゃない。
翌16:00
バナナ、ヨーグルト、プリンなどを食べて、3度目のイブプロフェン投入。
水しか用意してないときは喉が渇いている感覚もなく、あまり飲もうって気がしなかったのが、
グリーンダカラをコップに注いでみるとごくごく飲める。無自覚に渇いていたようだ。
なんか喉が痛い。飴は買ってなかった。グミと羊羹ならあるが、、いけるか?
翌17:00
上がってる。38度5分までは胃腸炎で経験しているがそれ以上は未知。
ロキソニン、耐性がつくとか聞いて怖いので、老後のマジやばい痛みに備えて、飲んだことないんだよね。
翌20:30
37度3分。38度手前で引き返せたようだ。
そろそろイブプロフェンは切れてると思うけど、熱はあるものの辛さは無くなった。
勝利の予感。
翌22:00
37度6分。なぜ上がるの。もう寝りゅ。
翌25:30
眠れない。37度6分。もう一度イブプロフェン投入。
翌々07:30
36度5分。気分も良い。回復した?
翌々12:00
36度4分。
完。
朝起きたら水分が足りなくて1L以上水を飲んで塩飴をなめたのに、まだ水分が不足していたらしく、電車の中で頭痛と吐き気がした。さすがにおかしいと思ったので最寄り駅で下りて駅員さんに救急車を呼んでもらったが、車中で嘔吐。診察後、少し休んでから退院して無事帰宅した。
久し振りに後輩とオンラインで雑談していたが、妙に眠気を感じたので早めに切り上げて10時ごろに就寝。冷房は弱めにして扇風機はつけていた。比較的すぐに寝入ってしまった。
猛烈なのどの渇きと共に目を覚ます。すぐさま枕の脇に置いてあったペットボトルの水を飲んだがそれでも足りず、もう1本分を続けて空けた。朝食を普通に食べ、念のために塩飴をなめて外出。相変わらずのどが渇いていたので鞄に水を補給したペットボトルを忍ばせた。
ホームで電車を待っていると軽い頭痛がする。明らかに脱水していると思い、さらに塩飴と水を飲む。車内は冷房が効いているので少しは楽になるだろうと踏んだが、電車の中で本を読んでも内容が頭に入らない。10分から15分で急に息苦しさが悪化し、マスクをつけているのが非常につらくなる。水もほぼ飲み干したが吐き気までしてくる。これはただごとではないと思い、最寄り駅で下車した。
外の熱気で具合が悪くなる。ひとまず、キオスクでスポーツドリンクをもう1本買って飲み干す。ついで経口補水液はないかと外のコンビニに当たるが無いとのこと(後で調べたら薬局併設の所でないと売っていないらしい)。飲食できるコーナーがあったので席を借りてスポーツドリンクを飲む。そこで買ったものではないので申し訳ないと思いつつ過ごす。しかし、吐き気はまったく収まらない。スマホで検索すると、熱中症を防止するサイトやスポーツドリンクの会社のページに、吐き気は熱中症がだいぶ進んでいる状態なので受診が必要と書いてある。職場に遅れると連絡し、家族には病院に向かうと伝えた。
駅員さんに事情を話し、救急車を呼んでもらう。おおよそ5分から10分で到着するとのこと。みんなのトイレのベッドで横になることをすすめられるが、間が悪く空いていない。代わりに車いすに乗せてもらい、氷嚢を借りた。駅員さんの目の届くとこにいたため、少し暑かった。
救急車が来ると車いすから1、2の3でストレッチャーに運ばれる。ストレッチャーで運ばれるとこういう景色なのか、とぼんやり考える。ここで駅員さんに氷嚢を返す。よく考えればそのまま持っていればよかった。
子どもの頃に一度だけ救急車で運ばれたが、その時に比べると車内は狭く感じられた。
搬送されながら、向かう先の病院名を説明され、氏名や住所、服用している薬などを質問される。それから、家族に電話するのでスマホでかけてほしいとのこと。通話して渡すと、緊急隊員さんが病院名と住所を伝えた。車内は冷房が効いていたがやはり暑さを感じた。氷嚢はもらいっぱなしにするべきであった。
ところで、意識ははっきりしていたので会話に支障はなかったが、それを文字で書いてくれと頼まれると途端に具合が悪くなった。仕方がないので口頭で説明する。救急車に入ったときに、腹の上に洗面器を乗せてくれたのだが、そこに二三度嘔吐した。病院までの道がでこぼこしていて酔ったせいもあるかもしれない。本当に嘔吐するとオロオロとうがいのような音がするのだなと妙な事に感心した。そのまま吐瀉物を抱えたまま病院の緊急用入り口に入っていった。洗面器が吐瀉物で8割ほど一杯になったので、運ばれる中たぽたぽしてこぼれやしないかと気が気でなかったが、意外と段差が少ないので平気だった。
吐瀉物が持ち去られてから、病院でも改めて氏名を確認され、腕に指名の書かれたシールを貼られる。嘔吐して楽になったせいだろう、もう自分で症状を説明できる程度に回復していた。内科の検診のように胸や腹に聴診器を当てられ、舌の裏を見せてくれとか、上下左右に動くお医者さんの指先を目で追ってとか頼まれたりした。これは脳梗塞など脳や神経の病気ではないことを確認するためらしい。診断によれば、入院が必要な病気ではないらしく、熱中症・立ちっぱなしによる疲れ・混雑による体調不良などの複合要因らしい。
ベッドに運ばれ、横になって家族の到着を待つ。席を立つときはナースコールを押す必要がある。一度排便のために立ち上がったが、ここでも個室に鍵を掛けないように頼まれた。また、ベッドに戻るときにもトイレの呼び出しボタンを押すようにと指示された。
点滴はされなかった。体温も高くなかったので、その必要がないと判断されたのだろう。
寝ていると家族が来て、再度お医者さんからの説明があった。それから、もう少し休んだら退院してもよいと言われた。意外と早かった。最近は具合がよくなったら早めに退院するのは本当らしい。
それから、ベッドから降りて廊下のソファで休んでいる間、家族が病院の診断書を作ってくれた。保険証を常に携帯していてよかった。
ところで、妹が持ってくるべき荷物を手早くまとめてくれたらしく、経口補水液だけでなく着替えまで準備してくれていた。おかげでゆったりした服で帰宅することができた。これが非常に楽だった。妹は冷静沈着である。それから、帰宅したら父が大量のスポーツドリンクを準備して待ってくれていた。
その後、一日中横になっていた。夕方には読みかけていた本を読み終えるほどには回復した。
大したことなかったのに救急車を呼んでしまってよかったのだろうか、という反省もあるのだが、呼ばかなったら悪化していた可能性もある。
元々私は片頭痛持ちであり、半年に一度くらい猛烈な吐き気を伴う強さの頭痛に悩まされる。今回の熱中症はその時の症状によく似ていて、ほとんど区別できなかった。もしかしたら、片頭痛と熱中症に同時に悩まされたのかもしれない。
普段から定期的に運動しているのにもかかわらず、比較的熱中症にかかりやすい体質のようで、この時期少し外出しただけで頻繁に頭痛に襲われる。単純に微妙な体調の変化に気づきやすく、敏感なだけかもしれないが、今後も直射日光は避けたい。調べてみると、暑さに慣れるには運動だけでなく湯船につかることも大切らしい。私はシャワーで済ませがちなので、案外原因はそこかもしれない。
また、お医者さん・看護師さんの動きには無駄が一切なかったのも心強く感じた。
ところで、母は危うく別の病院に向かいそうになっていたらしい。救急隊員さんが住所もきちんと説明してくれたおかげで、行き違いになることが防げた。確かに○○総合病院、〇〇労働病院など、似た名前は多い。
妹から聞いたのだが、最近のスマホはログインしなくても個人情報や緊急連絡先を表示できる機能があるそうだ。万一私が倒れてもこれで家族に連絡できるそうで、さっそく登録した。アンドロイドの場合は以下の方法で設定できる。
https://support.google.com/android/answer/9319337?hl=ja
以上。
msukasuka ShareNEWSなんか読んで溜飲下げてる人らに言っても無駄かもだが、ジュース飲んでる件も含めてハンストしてる理由は読んでから言いなよ。
あのガンジーでさえ、ハンスト中は、塩も舐めたしオレンジジュースぐらいは飲みました。
1 ガンジーの顰にならい、ナトリウムとカリウムは補給します。当然、水分補給もします。すなわち、水を飲む、塩をなめる、オレンジジュースを飲む、スポーツドリンクや経口補水液の類いを飲む程度のことはします
ガンジーの映画では
少し気になったのが(どうでもいいシーンだけど)断食後にオレンジジュースに一切れのパンが欲しいと…先ずは水、そしてスープなど(身体に優しい物)でしょ(笑)
山田風太郎『戦中派虫けら日記』の昭和18(1943)年3月3日は、まだ満21歳の若者に過ぎない山田が、いわば当時の日本人全体を代表して、インド独立運動の指導者であり、欧米列強と闘うアジア人の代表でもあるマハトマ・ガンジーを激しく軽蔑した内容である。
ガンジーが「2週間の断食を終了し、快くオレンジ・ジュースを飲みほした」という新聞記事を見て、「日本人は呆れ返ったろう」と記す。
断食中に飲んでいたものを、終えたときにわざわざ書くはずはない。菅野完は(断っていたオレンジジュースを飲んでいたと決めつけることで)ガンジー氏の名誉を傷つけていないだろうか?
数日前なった。経口補水液とスポーツドリンクを大量に飲み事なきを得たが、もうなりたくない。
取りすぎは良くない、という。
がしかし、ここ数日の気温。自らの体調。一日の行動や汗の量を考慮し、少々多くとったところで平気であると考えた。
結果的に言えばラーメンを食べるといいことが分かった。野菜も肉もとれるし、糖分も塩分もとれる。スタミナも抜群だ。
ラーメン屋の店主はきっと灼熱の中毎日ラーメンを作っているが、毎日倒れているわけではないだろう。
グーグルで調べてみたらラーメンブログでは多くの人たちがそれを推奨している。
腹が痛い腹が痛い腹が痛い
ってことは病院行っても良くて補水のために点滴されるか、整腸剤出されて終わりな気がする
今日は先週抜いた歯の経過観察と抜糸で歯医者の予約があるから近所の休日診療の内科にも行けない
本当に自分が馬鹿なんだけど抜歯後の痛みがひどくて1週間ずっとゼリーとかヨーグルトだけで過ごしてて、痛み止めもずっと飲んでて、さすがに胃が痛くなってきたからちゃんとしたご飯を食べようと思っておとといの夜に近所の中華屋で唐揚げと小籠包のセット食べてからもうほんと信じられないくらい腹が痛い
ほとんど絶食みたいな食生活だったんだからお粥とかうどんとかから始めろよって話なのにどうしても唐揚げが食べたくて我慢できなかった
今思うと後悔しかない
唐揚げ食った夜から7度台の微熱が続いてて昨日の夜は38.4度まで上がって毛布かぶって震えてた
朝起きてから薬局で経口補水液を買ってきて飲んでみたら普通に美味くて一本飲みきってしまったから腹痛じゃなくて熱中症かもと思いかけたけど結局腹が痛くて眠れなくてかれこれ30分はトイレに座ってる
無理だよほんと無理
なんだよこれ腹痛い
こういうのって大体一回下痢したらケロッと治るもんじゃねーのかよ
あー無理ほんと無理
夜間救急探そうか迷うくらい無理
先週熱中症にかかったので感想を述べようと思う。文章まとめるのが下手だからなんかあれば直す。
かかったのは病院の検査でその日は絶食絶水だったから。
検査を終えたときに頭痛を覚えた。夏場に水を飲まなくて頭が痛むことが去年もしばしばあったので今年も来たかと思って、自販機でいちごオレを飲んだら落ち着いた。今思えばここで大事を取って水分をたっぷり摂ったり診察を受けたりすれば良かった。
家への帰りしな、バス車内で次第にぼーっとしてきてほてりも覚え始めて流石にやばいと分かった。
家に着いてすぐさまエアコンを最強にして保冷剤を頸動脈にあてて横になる。
だけど冷えない。むしろ体の表面がどんどん熱くなっていくのが分かる。
気づけば汗を書いていない。熱いくらいなのに肌さらっさら。
この頃は頭が痛くてあまり記憶に無いけど((たぶん意識薄らいでたと思う))、熱が発熱と違うように覚えた。
発熱したときは芯から熱いように感じるけど、今回のは皮膚の表側のあたりがじりじりと熱く感じた。
“発熱と鬱熱は違う”と前に聞いたことあるから「あー熱がこもるとこんな感じなんだー」ってどこか遠くのことのようにぼんやり思った記憶がある。
あとエアコンの冷風が寒くて辛かった。
体が熱いからちょうどいいように感じるかもしれないけど、顔や胴体は熱いのに手足が異常に冷えて凍えそうなくらいだった。
熱いはずなのに寒くて寒くて身震いをしていた。
足を布団に突っ込んでいたものの手がどうにも冷風に当たって辛かった覚えがある。
いつのまにか家族が来てくれて、なんとか頭痛が引き始めて歩けるようになったのでタクシーで病院へ向かうことにした。
体温と血圧を測定して、CTスキャンをして別の病気じゃないことを確認。
「はたらく細胞」で輸液が天の恵みのように描かれてるけど、かかった先生いわく水分の吸収は消化器経由のほうが効率いいらしい。
点滴や内服はなかった代わりに「経口補水液を買え」との先生のお言葉をもらって病院を後にした。(ここまで検査当日の話)
その日と次の日は歩けるレベルではあったものの頭痛とめまいがひどくて家のこともまともにできなかった。
ようやく良くなり始めたのは翌日夜からのこと。
だるさ・熱・頭痛のトリプルコンボで食欲が本当に無かったけど、カロリー切れで治らないんじゃないかと思ってウィダーインゼリーのハイカロリーなやつを何本か吸ったら少し調子が良くなった。
これで確信を得たので、食欲が引き続き無いもののおかゆを食べたりして半日ぐらいかけて治っていった。
翌々日には汗をかけるようになってきてようやく安心したのを覚えている。
汗をかくには水分のほかにカロリーが要る。カロリーを摂らないと体に異常が起こったときに対応できない。暑い季節ほどカロリー大事。
カロリーも要るけど水分が第一。なおポカリスエットは甘ったるくて二日目に突入するぐらいの頃からしんどくなってくる。
食欲なくても即席で食べられるものはあったほうがいい。
適宜使い分ける。
保冷剤は5つ以上あったほうがいい。使うときは直だと辛いのでタオルに巻いて。
みなさまもお気をつけて。
こんな話な。
学校 ポカリはジュースなので禁止です ポカリは経口補水液かジュースか問題 - Togetter
汗をかくから水分だけじゃなく塩分補給も必要だ! なのにポカリスエット禁止なんてひどい!! という話なのだと思うけれども。
水筒に水なりお茶なり詰めて持っていく代わりに、ポカリスエット500mlのペットボトルを1本持って行ったとして、それに含まれる食塩は0.6グラム。
ラーメン1杯スープまで飲めば6グラムだし、みそ汁だって1.5グラムくらいの塩分は入ってる。0.6グラムの塩分を期待して子どもにポカリを持たせることに必死になるぐらいなら、朝ご飯のみそ汁を多めにすれば済む話のように思える。
ソース:
ラーメンの塩分の量!スープを残すと摂取量はどれくらい? | ニュースと共に生きる
ていうかいくら汗かいたって風もない教室の中じゃあまり効果もないだろうし、水分塩分補給だけで熱中症が避けられるわけでもないだろうしなー。
昔のブコメは知識が多かったんだけど、本当に大衆が集まったなぁ。
https://togetter.com/li/1248036
xinsg こんな風にどうでもいいルールを作って議論して消耗するのが実に日本らしい。しかし、こうしてお上には逆らわない体質を国民に植え付けるのは国(=政治家とか?)にとっては大事なのかな?…って思う。
そんな事も分からん親と、基本アホである子どもとでガブガブいくわけですか。
自己責任で片付けてもいいと思うけど、救済するなら禁止が手っ取り早いわな。
生涯に一度くらい「WHO 糖分」でググってみようか。
kotobukitaisha 子供が死なないことが大事なのであって、死なないために必要な飲み物がジュースならジュースを解禁するしかないだろ。子供を殺すためにジュースに禁止にしてるのか?
湯〜園地に行ってきた。
新聞テレビネットニュース、多くのメディアが取り上げ、初日には指原莉乃も来園。
収支の部分はわからないが、動画が再生されたら実現→再生されたので本当にやります→地元のさびれた遊園地を活用して実現しました、というストーリーはもちろん、露出・評判ともに素晴らしく、大成功といっていいと思う。
実際、行ってみてとても楽しかった。
アトラクションは古い遊園地のそのままだけど、ちょっとの工夫で「湯〜園地」ナイズドされていたし、
1000人規模のボランティアスタッフはおじさんもおばさんもいて、めちゃくちゃに親切だった。接客に慣れていない人も多かったけれど、とにかく楽しんでもらおうという気概であふれていた。
薬剤師会の腕章をつけた人たちが経口補水液を沢山配っていて、熱中症予防につとめているのが伺えるし、
そもそもの別府のコンテンツ力、コンテンツを活かす発想力、発想をかたちにする実現力、すべてが備わった地域活性の手本となる好例だったと思う。
別府市長の自治体を動かす力は知らないけれど、彼自身のキャラクターも素敵だった。
でも、湯〜園地が成功した理由はやはり、クラウドファンディングで支援した人、事前に公式サイトで購入した人だけが入園できる仕組みだったからではないだろうか。
これから書くことは私の偏見だし、決して自分のSNSでは書けないようなことだが、はっきりと感じたことなので残しておきたい。
先ほど私が書いた「成功した理由」とは、報道やソーシャルでポジティブな反応がほとんどで、来場者の満足度が高い理由を指す。つまり開催中にうまくいった要因である。
こういったイベントは、大々的に開催が報道されることで、興味を持ち始める層がいる。
イベントを開催するまでのストーリーや努力を知っている事前購入者とは情報格差がある。思い入れや支援の想いが違う。
端的に言えば、前者は往々にして民度が低いんだろうと私は考えた。
湯〜園地の中はゴミなんて全く落ちていなかったし、ボランティアスタッフにいちゃもんを付ける客や、トラブルを起こすような客、列をきちんと守れない客がどこにもいなかった。
頭の悪そうな人はおらず、理解のある人ばかりだったと思う。
スタッフのオペレーションが悪いだの、待ち時間が長すぎるだの、衛生面が気になるだの、MAPがわかりにくいだの、別府駅-ラクテンチ間の誘導がよくないだの、悪いことを言おうと思えばいくらでも言える。
でも事前購入者は、どれだけ別府市民ががんばって、工夫を凝らしてくれたものだかはよくわかる。
ちょっと至らなくても、かなりの手づくりでも、ただただ実現したことに驚くし、嬉しいし、なんだって目をつぶれるのだ。
当日券を求めるような層は、他の遊園地と同じようなスムーズな対応、洗練されたおもてなしを求めるのではないだろうか。
クラウドファンディングを触ったこともないようなリテラシーの低い層は、正直なところ民度も低いのではないか。
うちも認知症の祖母結構な期間介護してたから気持ちは良くわかる。2年くらい前に死んじゃったけけどね。
経口補水液のゼリーとか、赤ん坊用の離乳食とかイヤイヤって拒否する祖母の口に流し込んでた。
トイレも出来なくなってるから、家で介護してた時もそこらじゅうに糞尿垂れ流してた。
普段下ネタ嫌いな母が片付けながら「これがホントのクソババアだわ」って言ってた。
食事を与えたり着替えさせたり世話するたびに、なんでも嫌がってよく助けて助けてってわめいたらしい。
自分が誰なのかも、目の前の娘たちのこともわからないし、何故自分がこんな状況になってるのかも
本当に何もわからない。
晩年の祖母を見舞った時の印象はとにかく不安そうでおどおどしてて
怖い目に会いたくないからかずっと愛想笑いみたいに引きつった笑顔をしてた。
自分はというと、その時期もう実家出てたし年に数回帰るくらいだった。
母は、もっと帰ってきてくれとか、今の仕事辞めて実家に帰ってこいとか無責任なこと言ってたな。
それだけ心身ともに母もキツかったんだろうけど、それでも自分は往復8時間かけて帰省する機会を増やす気にもならなかったし
ただ生き長らえさせられてる祖母に会うのも嫌だったし、あってもどうせ祖母は自分のことは分からない。
だから当時はそういう時間を自分の生活のために使ったし、今もそのことを後悔したりとかは特にない。
比較的近くに住んでいた弟は頻繁に帰ってたみたいだけど、俺のいないところで薄情野郎って思ってたろうな。別にいいけど。
とはいえ、必死に祖母の世話をする母たちにもうやめなよとはいえない。
何故なら、母たちにとって祖母だけが本当の意味での肉親だからだ。
祖父はもう10年以上前に死んだが、その祖父の無茶に振り回されながらも必死で子どもたちを祖母は守り続けてきた。
どんな時も味方であり続けた。その無償の愛の重みは他の人間には分からない。俺ら家族でも全部は分からない。
やっと終わったんだなって、当事者でもないのにホッとしてしまっていた。
最後に棺桶閉める時も手を合わせて、今まで大変ご苦労様でしたってそれだけ言った。
葬式は生きて残された人のためにやるってよくいうけど、終末介護も同じだよ。
今まで散々苦労かけて育ててくれた親だもの、最後くらいは自分の好きなように世話して、
寝たきりでもなんでもいいから生き続けて欲しいって思っちゃうんだよ。
もはや祖母の自我とか意思とかどうでもいいんだよ、ただ死んでほしくないから世話し続けるんだよ。
理屈とか合理性とは全く逆の判断だよね、でも人間だから最後は感情で動くんだよ。
今の自分なら子どもを育てることが最優先になっちゃうな。薄情と言われても自分の妻子の方が守りたいもの。
でも20年後ならまた違うんだろうなあ。