はてなキーワード: 信号機とは
「不真面目なことをやりたいです」といってどれくらいの人がこの気持ちに共感できるだろうか
この気持ちを抱えたまま、私は上野駅周辺の大きい交差点についた。
私はここ最近、土日にやる事がなくて暇になっていた。暇になったのであれば外に出れば良いと言うが、完全なインドア派の人間だったので、外に出るのは極力避けたかった。
だが、家にいても何かやる事がなく無駄に時間が流れるのがわかってしまう。
外には出たくはないが、家に引きこもってるのもなんか嫌な気持ちなのだ。
そんな相談を会社の同僚にしたところ、帰って来た答えは実に真面目だった。
資格勉強、習い事、ボランティア活動、副業などなど。やる事は沢山あるぞと言われた。
実際いくつかは過去にやった事がある。だか、どうにも義務感を感じてしまうのか、楽しいと感じる事も無く辞めてしまうのだ。
暇をどうやって解消するのか、試行錯誤の上で出た結論は、私は自主的に無駄な事をしたいのではないかと言う事だ。
「人生の中で常に最善を尽くして来た」と言う気はさらさら無い。
ただ、心情として自主的に不真面目な事をやろうとか、無駄な事をしようとおもって行動した事が余り無い。
喉が渇いても、自宅に帰れば水分補給出来るなら自販機で買い物はしない。
映画を観に行って、ポップコーンが美味しそうに見えてもポップコーンは買わない。映画館のポップコーンは割高で、わざわざ高い所で食べる必要は無いからだ。
とりあえず、私は仕事の帰りにコンビニで特に飲む必要はなかったのだが甘い紅茶の飲み物を買ってみた。
飲んでみたところ結構美味しい。
そのまま、上野駅を探索してみた。
若い頃は視力が良かったのだが、最近急激に悪くなってしまいメガネを2年ほど前に買っていた。
別にメガネを掛けなくても良かったのだが、久し振りに掛けて見ることした。
一般の人からみればこれはただの交差点だ。自分も眼鏡をかけるまではそう思っていた。
だがここは宝石のように輝くビルに綺麗な色の信号機。それと一台毎に違うライトを放つ自動車が延々と輝き続けていた。
はてな匿名ダイアリー、私はアイマス系で知った口です。
越境とかライブのコールとか色々皆考えているんだなぁと見てましたが、最近自分で少し悩んでいることがあるので吐露がてら書いてみようと思います。独白に近いものですから読みやすさもクソもない、ただの思った事を書き綴ったものです。
「担当のイベ早く」
公式アカウントなんかのリプで見かけたりするこれ。
アイマスはどのコンテンツもアイドルが多いですから、順番の遅い子も早い子もいます。当然、自分の担当アイドルが早いに越したことはない……のかもしれません。
ただ、私の悩みというのがこの「もっと出せ」みたいなのを思った事がないんです。
私はミリオンライブで篠宮可憐P、SideMで華村翔真Pをしています。
ミリマスやエムマスをされてる方ならわかるかと思いますが、二人ともそう順番の早い方でも機会に恵まれている方でもない、と担当としては思っています。もちろん、異論はあると思いますが。
ミリシタのSSR追加や曲追加、エムステのSSRにしてももう少し、或いは当分かかることでしょう。
ただ、私はそれに文句がないんです。文句どころか、意見も何も。
「お前の担当アイドルは恵まれてるから文句がないんだ」という意見もあるでしょうが、そうじゃない場合を仮定して進みます。もしその意見の通りであれば、それだけの話です。
公式からの扱い、或いは私たちプロデューサーの中でも共通の認識ってあるじゃないですか。
何か新しいことやものが始まるとき、まず信号機の三人からってことが多いと思います。
で、その三人に続いて「まぁこのアイドルだろうな」みたいな流れがあるわけで。もちろんそこは人によって差異があると思います。
そうやって展開を考えていったとき、私は私の担当アイドルを自然と後ろの方に考えていることに気付くんですよね。
「うちのは当分来ないだろう」「いつも通り最後の方だろう」「最後は言い過ぎにしても早くはないだろう」みたいな。
もちろんそこには今までの経験、悪く言えば公式からの扱いの差を考慮してるんでしょうが、私が悩んでいるのはそれを自分が「当然」と思っていることなんです。
他の子に比べてグッズが少ない。出番が少ない。そう思っても「まぁ○○だしそんなもんか」と思っている自分がいて、最近それでいいのかと悩んでいるわけです。前提というか、最早諦念に近い物を自分に感じてしまって、プロデューサーとしてそれでいいのかと。
確か百合子の「透明なプロローグ」のMVが公開されたとき、怒りの声を上げているプロデューサーを見かけました。
「うちの担当アイドルじゃあ力不足だって言いたいのか」と憤慨していたわけなんですが、私はその情熱に感心してしまったんです。
当然そのプロデューサーさんの担当アイドルを百合子に劣るとか言いたいわけではなくて、私が「百合子か、そうだろうな」と受け入れてしまったところに抗議の声(?)を上げていることに驚いてしまいました。私は可憐と百合子、或いはそれぞれのLTP曲を比べたときに「MV公開なら百合子だろうな」としか思えませんでした。可憐じゃ力不足だって言いたいのか、なんて微塵も感じなかったんです。
先のミリシタMV然りタイトル然り、私がそうならないそう思わないのは単純に自分の担当アイドルが恵まれているからなのかもしれません。その場合はそこで話は終わりです。
ただ、もしそうじゃないとして、それなのに私が憤慨も異論もないのは担当プロデューサーとしてどうなんでしょうか。
声を上げたプロデューサーさんのように(もちろん過激な発言は慎むべきだとは思いますが)、待遇の改善を求めたりするべきなのではないでしょうか。
或いは現状から脱却すべく、広報なり布教なりなんらかの行動を起こすべきなのではないでしょうか。
「担当プロデューサー」を名乗る手前、こういうった現状に不満を漏らす――漏らさないまでも、少しは考えとして抱くべきなのでしょうか。
浴室の電球が切れた。
前回、船舶用の耐振電球に換えてから10年くらいはもったのかな。
きわめて優秀であった。
とりあえず今回も耐震球を探したのだけれど、見つからなかった。
しかし困ったことにこのLED電球とやらは、湿気の多いお風呂場では使えないらしい。
また、築40年のこのアパートの照明器具が密閉型であるわけもない。
どうしようかなー、ネットで信号機用の電球とか注文しちゃおうかと思って調べていたら
菊やイチゴなどで、開花時期をずらして栽培するのに使われているらしい。
高温多湿なビニールハウス内でも耐えられる防湿設計なのだとか。
よし、今回は電照電球にしよう。
そう決めて送料無料のヨドバシを探したが、お取り寄せ品になっていてすぐに手に入らない。
なんとなく日数がかかりそうな予感もした。
暗闇でのお風呂は嫌だし、どこか売っているお店はないかなーと思案していて
ということは、もしかするとイオンにあるかもーと期待して出かけたら、大正解。
しかもイオンの盆得クーポンもあるから10%OFFで買えちゃった。
よろしくお願いします。
メガネが我々低視力の視覚障害者を健常者にしているように、健常者に近づけさせるための道具は実に素晴らしい。
メガネがなければ、きっとなんの仕事にもつけてないし、そもそも今に至るまで生き延びているかどうかも謎だ。
メガネは素晴らしい。低視力でも健常者と同じにしてくれる。メガネありがとう。メガネ大好き。
だが、未だに盲目の人を見える人と同等にすることはできていない。
だから、街中はうるっさい信号機や見苦しい点字ブロック、ピンポーーーンとなる駅の案内板、点字図書館などの目が見えない人のための道具で溢れかえっている。
これらは目が見えない人のためだけに日本中に、世界中に存在する。
彼らは特権階級といってもいいだろう。点字ブロックは彼らのための道路であり、自転車や車を置いてはならない。
盲導犬は犬嫌いがいようが、犬の毛が入って欲しくないような飲食店だろうが、彼らの役に立っているがためにあらゆる場所での存在を許されている。
その優遇され具合は貴族のためにレッドカーペットを全国の道路に敷いているのとなんら変わりがない。
もう、彼らのために尽くすのはやめよう。
今すぐ全国の盲人のための設備を全廃して、そのためのお金を全て盲人が健常者と同様に見えるようになるような機械あるいはIPS細胞を使った人工眼球の開発に全投入しよう。
そうすればあの注意を引かせるためにある不快な音を聞く必要がなくなる。
何より、彼らが健常者と同等の生活を送ることができる。これに勝るものはないだろう。
映像も我々と同等に楽しめる。生活することで誰の手を煩わせることもない。
自転車だって路上においていい。杖をカチカチさせながら歩く必要もない。
盲人にとってのメガネを作ることが一番彼らのためになるのではないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20140507012359
えらい昔だが、オススメエントリーにあがっていたので、なんか思ったこともあってこの人のように上手くは書けないが書いてみる
生まれ育ったところは、地方県の電車も通らない山の中で、バスも1日に朝と夕方に2本づつ程度しか出ていない。
スーパーも広大な村に2件しかなく、売れないから新鮮なモノはほとんどなく
冷凍販売じゃないものも冷凍されて売られている(賞味期限が切れる前に冷凍される)
かといって、針葉樹林で紅葉もせず、景色が特別良いわけではない。
噂話が大好きで、隣の夫婦はけんかが多いだとか、あそこの家はしつけをしっかりしていないとか、公民館の会議に出てこないだとかの噂話ばかり。
隣町にいくにも峠を越えていかないとたどり着けない。
そんな村にある中学校は、1学年2クラスで70人くらいしかいなかった。(案外多い?とにかく面積は広大な村だった)
友達というのは都会だったら気の合う人と自然と仲良くなっていくのだと思うが
例えばこんなこともあった
「カネ持ってこないと殺す。明日XX時にXXへ来い」と電話をしてきたこともあった。
(姉はいじめられていたわけでもなく、手当たり次第電話していたのだと思う)
(その不良は僕が25歳くらいの頃に交通事故で亡くなった)
僕が小中学校の頃に一緒に登下校をしていた同級生は、暴走族に入り高校を中退
その後、その彼は19にして某事件を起こし逮捕され,懲役4年となった。
(彼の力を借りたこともあった。18の頃予備校の同級生が街で暴走族に囲まれてリンチされた。
彼に相談すると、その暴走族を特定し、その集団を集め謝罪と今後手を出さないことを誓わせてくれた)
(その事件の半年くらい前に会ったのが最後で、二度と会っていない。消息不明)
そんな村で育った割りにその頃の僕は、中学ではトップクラスで成績も良く普通の人だった。
偽善かも知れないが、どちらかというとクラスのいじめを撲滅することが生きがいだった。
同学年の不良も僕に手出しをしてこれないことを、ここぞとばかりに活用した。
(中学の頃の庇護もなく、クラスの人からは、3年間無視されるという闇にもはまった。
これに運良く耐えられたことがストレス耐性を得ることに繋がったのかもしれない)
(ちなみにいじめられたきっかけは、授業中居眠りしている前の席の人に、先生にあてられそうになっていることを伝えようと、消しゴムのカスを飛ばしたことが発端だった)
それでも1浪して学費のかなり安めの関東の3流私立大学に、返済ありの奨学金で通うことになった。
3流大学あるあるだと思うが、入学するとみんなモチベーションが低い
狙って入ったというより、滑り止めで本当はこんなところに来たくなかったとみんな文句を言う
専門学校のように技術力を高めるような講義が多かったが誰も真面目に講義を受けていないし
飲み会だの、サークルだのが中心となっている。大学院に入るやつなんて全然いない。
そして卒業後の就職も、びっくりするぐらいの3流企業のリストが軒並み勢揃いしていた。
僕の悪いところは、そんな中、大学にも通わず、遊び続け2年も留年した。
クラブに通ったり、ホストをやってみたり、絵に描いたような堕落具合だった。
本当に親に迷惑をかけた。
そんな中、ようやく卒業した。
そこで僕には、変な能力があることに気付いた
(前述:高校の時に培われたモノかも知れない)
僕はバカなのか、これを2年も続けた。(1周すると、部署を変えて何度でも電話をかける)
3ヶ月ほどやると、1日にアポが1件か2件とれるようになった
1年ほどやったら、案件が2本くらい取れた。
精神的にけっこうくるので、後で入社した人はみんな2週間ももたずにやめていったが
こんなことできるの自分しかいないと思い頑張った。それだけがモチベーションだった。
その後のどの会社に行っても、業種・業態の違いから発生する課題やポイントの把握が得意になった。
また、徐々にではあるが、堂々とプレゼンすることができるようになった。
会社としても、使えない新卒をこきつかって潰してやろうくらいの感じだったと思うが
思いのほか戦力になったことで喜んでくれたようだった。
しかし、何の才能も技術もない、期待もされてないで、当然給料も安かった(年収240万程)
その後、冷静に考えた
どうせ今の僕ではどこへ行ってもさしたる技術もなく使えないし、給料は安い
30歳までにいろいろ給料は安くても広告界隈の経験と知識を積み
30歳をスタート地点にしようと
そして、1社でキャリアを作るのではなく、いくつかの仕事をしっかりステップを踏んで総合的なキャリアを作ろうと考えた。
例えば:デザイナー→デザイナー→デザイナーみたいなキャリアではなく
営業→デザイナー→エンジニアみたいな感じでトータルでしかできないキャリア
やはりほとんど給料は上がらないが、専門的な知識と技術が身についた。
過去の友人などはほぼリセットしたといっていいほど会わなかった
というか会えなかった。
まず遊ぶお金をそこまで工面できなかった。
一緒に住んでいる友人はフリーターだったが、自分より給料も良かった。
服も、ルームシェアしている友人からのもらい物で過ごして、服に興味が無いと自分に言い聞かせた。
そんな友人は毎日楽しそうに遊んでいた。
フリーターの方が稼げるという友人を見ても
いつか絶対に自分の学んだことの方が、今後絶対に活きるのだと言い聞かせた。
かろうじて会う人も仕事に活きるような人との接点を深めた
仕事ができる人の考え方や話し方などあらゆるものをマネをした。
上流の広告関係の会社に転職することができた。(年収500万程になった)
それは、僕の出身大学では、新卒では逆立ちしても入れないところだった。
その後3年ほど働き、現在では年収は750万くらいになり、ようやく結婚もした。
地元の人とは違う華やかな世界に身を置きたいという欲求もあったと思う。
しかし、学歴に失敗した僕は20代は死んだが、30歳にゴールを置いたことで今もここにいられるのだと思う。
もうとっくの昔に実家に帰っている。
自分の出身や学歴にコンプレックスがあっても、成功の仕方はあって
学歴の高い人が、新卒入社して勝ち組と誇らしげにしているのは本当に羨ましかった
もちろん失敗してしまう人もいるのかもしれないが
就職の失敗なんてまだまだやり直しできるはずだと思う。
それは自分のツケで苦しんだだけ
どこかで見通しを立てて20代を過ごして
まだまだ英語もできないし、やらなければいけないことは多いので
「現状」と銘打ったエントリの割に今更?という話が大半だし的外れな部分も多いと思います。
>数ヶ月ごとにSRとして出番をもらうアイドルと年に一回R、よくて強くないSRとして処理されるアイドルが同居している
数ヶ月ごとにSRとして出番をもらうアイドルって誰でしょうか? 最近で言うと島村卯月が該当しますが、総選挙ガチャ→CG記念ガチャの流れですぐ再登場するのは第2回あたりから恒例の流れなので今更な話です。
高垣楓のように総選挙上位常連でも半年に1度ぐらいしか出番がないアイドルもいるし、最近のイベント上位の傾向を見たらむしろこれまで上位SRにならなかったアイドルを抜擢しようという流れがあると思うのがフツーでは。
>さらにはデレラジがスタートし、メンバーが渋谷凜、島村卯月・・・そして城ヶ崎美嘉だった。NG揃いかと思いきやまさかの除外である。
せっかくNGという信号機ユニットがあるのにラジオで起用できなかったのは理由があると思いませんか?
>結果はなんと総合5位。圏外からこの順位は今も昔も本田未央のみである。
>確かにガチャによる順位の大きな向上は見受けられるが伸び幅があまりにも桁外れ。NG揃っての月末だから未央にも入れたプロデューサーが今まで以上に多かったのかもしれないが・・・真相は闇の中である。
この後で第4回総選挙ガチャの人選があからさますぎてドン引きしてる割には総選挙ガチャの力を過小評価しすぎではないでしょうか? 身銭を切って投票した未央Pや未央を応援していた人々に失礼なので撤回してほしいぐらいですね。
>それなのに総選挙すべて圏外のアイドルの抜擢をするのは理解に苦しむところである。しかも声付けただけでその他展開がない&遅いでは声が付いたアイドルの立場もない。
アニメでむやみやたらに抜擢しすぎという点は同意できます。まぁ「その他展開がない」っていうのはSTARLIGHT MASTERがあるのでそうでもないと思いますが。
>余談だが第4回総選挙期間でのボイスなし3人の月末ガチャという運営の声を付けたいアイドル押しは本当にドン引きだった。
この項目はだいたい納得できるしおおむね同意見です。卯月の泣きの演技力が低いという点は同意できませんが、まぁ私の主観なので。
こちらもだいたい納得できますが、
>このような積み重ねの結果、「運営というプロデューサーによる百合営業を眺める」コンテンツになろうとしているのである。
これはそうでもないのではないでしょうか? 『Love∞Destiny』のようなアノマリーはありますが、まだP-アイドルという関係性が保たれている部分が大きいと思います。アイドルコミュには他のアイドルが登場しないし、イベントコミュやストーリーコミュでもまだ「百合」の域に踏み込んでいないコミュの方が大勢だと思います。
>「運営のやることが一番!文句があるならやめろ!」というプロデューサーもどきもかなりいるものだから性質が悪い。
その通りだと思います。
アニメ以降の話はわりと納得できる論点も多かっただけに、前半のエアプっぷりが少々残念に思えました。もう少しシンデレラガールズのことを信じてモバマスのイベントをやったりデレステのコミュを読んだりしてみてはいかがでしょうか?
にわかミニベロ乗りだけど、今回ロードがめっちゃ賑やかなことになってて、動揺している…
学生や高齢者の自転車マナーも大概だと思うんだけどね。やっぱりロードやなんかってマイナーだからなんだよね、きっと。
味方は少ないし、これだからロードは、みたいな行動が目立ってしまうし。
(これがママチャリなら、ひどいヤツいるよね(≒自分みたいにそうじゃないやつもいるけど)程度で済んでしまうんだろう)
公道で乗り物に乗る限り、それが自動車であれ自転車であれなんであれ、誰しもがルールは守るべきなのにね。
最近は警察が信号機で通学とか通勤かな?の人に指導していることも多くて、いい事だと思う。
知っている側からしても、「知らなかった」じゃ通らないのがルールだし、知る機会は多い方がいい。
スタンドつける・つけない議論は私はあまり関係がなさそうなので、特に何も言えることはない。
(自転車買って最初にしたのが、防犯登録・ライト・鍵購入・スタンド取り付けだった。逆V型スタンド超便利!)
ただ、ミニベロに乗り始めて気付いたけど、置き場所については、街中ですら駐輪場少なすぎだと思う。
これはママチャリとかロードとか関係ないはず。道に置いてある自転車の大半はママチャリだしね。
違うのは、盗難に対する恐怖度の違いじゃないだろうか。
私は管理が甘くてママチャリも3回位盗難された事あるけど(奇跡的に毎度戻ってきた)、今回ばかりは持ってかれやしないかってすごく気を遣っている。
だから乗り始めてからやっと、ちゃんと地球ロックできる場所が少ないのに気付いたし驚いた。
これ、整備すれば普通の自転車にもちゃんと恩恵あると思うんだけどな。せっちゃり減るよ、きっと(私がいうのもなんだけど、みんなもっと自分のママチャリも大切にしてあげてくれ!)。
まぁ、それを税金使ってやれ!っていうのは確かにマイナーのくせに勝手なことほざくなと私でも思うんだけど。
駐車場じゃなくて駐輪場増えたらいいのにな。でも今まで適当にタダでその辺に置いていた人には駐輪料金が受け入れられないだろうなぁ…
街中で買い物したら、提携駐輪場の割引券とか金券もらえるとかならいいのに。車だけの制度じゃなくてさ。いいじゃん自転車、エコだし。場所取らないし。
なんかまとまらないけど、とりあえず終わる。
直立する赤井の下で斉木が左膝をついてしゃがみ、
「どうも〜赤色青いなあいうえお『信号機』です!」といってから漫才を始めるのがお決まり。
コンビ名は病的に顔色の悪い斉木と赤面症の赤井が並んだ姿を信号機になぞらえて命名されたらしい。
長らく先輩芸人であるチャンチャカチャンス高橋が名付け親だとされていたが高橋はこれを否定。
なお2人とも酒に弱く、飲むと斉木はより青白く、赤井はより赤くなっていくらしい。
語彙に乏しい。「腰巾着」と言いたいところを「ぶら下がり野郎」と言ったり、
「五臓六腑」と言おうとして「十二指腸」と言い、周囲に呆れられることもしばしば。
読書家として知られる又吉とのギャップをネタにすることもある。
そんな彼だが実はICU卒でアタック25に出場したこともある。
テレビ番組の企画などで度々対面しており、互いの連絡先を教えあう程に親交がある。
その信号機は自宅から500m程離れた片側4車、計8車線という大通りに位置し、その大通りを交差点で横切る方向の通行車両を制御している信号機になる。
最近は矢印信号で進行方向を示して文字通り青にならない信号も増えたが、その信号機は少し違う。
直進・右左折全方向の矢印が信号機下部に付属しているのだが、全方向への通行を許可する場合、青信号にすればいいのに何故か赤信号のままで全方向の矢印3つとも全て点灯させる。
実はまぁ、その場に行けばその理由はすぐに分かるのだけど、それはさておき、ともかく全方向の矢印が点灯しているのに青にならないというのは少々奇妙な光景ではある。
ていうかさ、矢印信号で進行方向制御してて青にならない信号って、青のある意味ないじゃん。ゼーキンの無駄遣いだと思うけど。
追記:
理由は、文章で書くのがめんどくさいんだけど、簡単に書けば、その矢印制御される方向からの進入車両が多く(対向は少ない)、特に右折車両が多い事(ざっと半数以上)。大通りを横切る歩行者用横断歩道もあること。これらの事から、進入車両を矢印信号で制御した方が安全でありかつ交通流制御もやりやすいと判断されたのであろうと思われる。なお補足だが黄色信号も決して点灯する事はなく、24時間365日ずっと赤のままである。また、対向側からの進入制御の信号はちゃんと青(黄)も点灯使用される。
あのとき、当時していたmixi日記でこと詳しく記録していたが退会と同時に消去してしまった。
今あのときのことを少しずつ思い出し記録として残しておきたいと思う。
2:46 震度6弱の揺れ
職場の施設で作業をしていました。揺れ直後、すぐさま1人屋外に逃げました。
共にいたのは、上司を含め社員が2、3人とパートのおばちゃん20人くらい。
社員であるのにも関わらず周囲のことに気を配ることのなかった私は自己中かもしれません。
こpの2日前にあった震度4の揺れでも1人屋外に逃げ周囲からはバカにされました。
揺れがおさまらない。
地面が波打っている。電柱も勢いよく揺れている。近くにあった大きいフォークリフトもガタガタ揺れている。
停電していることが分かった。
何がなんだかわからない。
誰かがラジオを持ってきた。
すぐに無事であるメールがくる、母はあのとき、バイクで夕刊配達をしていた。
電話はつながりづらいし、ラジオで緊急以外での利用を控えるようにと呼びかけていた。
そんなときに、東海地方に暮らす、元同僚から電話が、奇跡的につながった。
無事であることを伝え、「緊急の人がいるはずだから」とすぐに電話を切った。
3:30すぎ 同僚のカーナビで釜石港の津波到達を目の当たりにする。
コンテナは積み木のように、車はミニカーのように簡単に浮かび、流れてゆく。
津波という言葉は知っていました。でも当時の私のイメージは高潮のようなものだと思っていました。
海水が少しずつ、少しずつ、量と勢いを上げて陸に入り込む。
どうにもならないんだ・・・
3:45 このままでは仕事にならないので解散になった。
当初の予定ではこの日の夕方スーパーで食材を買う予定でいたので自宅には食べるものはほとんどない。
コンビニは停電、スクリンプラーが作動したようで床は濡れている。
とりあえず、おにぎり、プリッツサラダ味、ビールを手に取る。とりあえず口に入れておきたいもの。
コンビニを出てから自宅まで6キロ、その間に信号機は3つ、停電しているので、信号機はついていない
でも意外と互いに譲り合い事故一つなく
16:30 自宅に戻る。
また今度思い出すことにする。
1歳の娘をバギーに乗せ、3歳の娘の手をとりながら、私は横断歩道の前で待っていた。
住宅地にあるバス通り、それなりに交通量は多いが、信号機はない。
朝の通学時間帯には、地域の父母が旗を持って立ち、子どもたちの通学の安全を守っている。
結局、スピードを落とすことなく走り去る自家用車やタクシーを十数台ほど見送った後、やってきたバスが横断歩道の手前に停車してくれた。
3歳の娘は危なっかしく傘を肩に預けながらも笑顔でバスの運転手に手を振り、私は軽く会釈をしながら横断歩道をようやく渡り終えた。
自宅への道を急ぎながら、娘は「みんな、なかなか止まってくれないよね」と、ぽつりと呟いた。
つくづく、この国で子どもを産み育てていくのは大変なことだと思う。
出産費用にはじまり、医療費に教育費はもちろん重くのしかかる。
家族が増えれば住居の広さも必要になり、自炊するにも食材が増えた分だけ、食費の増加は避けられない。
年に一度くらいは遠方の祖父母に子どもと会う機会をつくろうと思えば、交通費もかなりのものだ。
子どもを育てるコストを負担しつつ、自分たちの老後に備える必要もある。
問題は、その原資となる収入だが、今や雇用の安定など私たち20代や30代には望むべくもない。
成熟し、縮小していく社会において、高度成長期のような右肩あがりの成長に伴う給与上昇は考えられない。
となれば、椅子取りゲームで競争に勝ち、立場と給与を力づくで手に入れるしかない。
勝利しなければ、生き残らなければ給与の上昇を見込めないどころか、今の仕事すら失うかもしれない。
そしてその競争に参加するには、子どもの存在は重たい足かせになる。
家に帰って子どもの世話をするために、そして週末には子どもに時間を使うために、働く親たちは必死の思いで自らの仕事を効率化する。
だがそれでも、突発的なトラブルがあり、夜遅い時間に設定される会議があり、そして就業時間後のコミュニケーションが命運を握る社内政治がある。
子どもを持つ親は、子どものいない同僚たちと対等に競争に参加することは難しい。
この国のビジネス社会は、仕事にすべてを捧げ、集中する覚悟と実践を要求する。
この競争は、ブラック企業だろうと、優良企業だろうと、実はさほどの違いはない。
では、夫婦の内の片方が仕事に全力を注ぎ、もう片方が子育てを一手に引き受ける分担をすればいいのだろうか。
私たちの親世代で一般的だったように、企業戦士と専業主婦という分業により、家庭を経営していけばいいだろうか。
答えはノーだ。
なぜなら、私たちの親世代と私たちでは直面しているリスクの大きさが違いすぎるからだ。
かつて、日本企業は滅私奉公を要求するかわりに、少なくとも正社員として働く男性たちの雇用を守ってきた。
そのしわ寄せは、結婚によって退職する若い女性社員や、パートタイム労働者が負っていたが、彼らは主たる生計者ではなかったから、それでも「雇用の安定」というお題目は守られていた。
今は違う。
主たる生計者が期間限定の雇用に甘んじている状況は珍しくない。
正社員ですら、いつ競争に敗れ、仕事を失うかわからない危機感に常にさらされている。
どちらかが仕事を失っても、次の仕事を見つけるまで、家計を支えるためだ。
競争に勝たなければ所得の上昇が望めない社会で、成長し、お金を必要とする子どもたちに応えるためだ。
そのためには、母親である私は急いで仕事復帰しなければならなかった。
数が足りない認可園に入れないリスクに対処するために、先着順の無認可園を徹底的にあたって予約金も支払った。
秋生まれになるように調整したのは、産休明けにシッターを利用して急いで仕事復帰し、認可保育所選考のポイントを加算するためだ。
11月生まれで1月後半からシッター利用で復職、生後半年を待たず0歳で認可保育所に入園できれば、私たち夫婦の収入でも対処できる。
本当は4月や5月頃生まれの方が、0歳入園でもほぼ1歳に近く、子どもとの時間を持つことができるが、それでは約一年も仕事を離れることになり、復職のハードルが高すぎる。夏から翌4月までをシッターで乗り切るのはあまりに経済的負担が大きかったので、断念せざるを得なかった。
結局私は2人の娘を産んだが、仕事を離れていた期間は通算で一年に満たない。
そこまでして復職しても、いわゆるマミートラックからは逃れられないが、それも甘受するしかない。
「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログが話題になったが、ネットで何を叫ぼうと誰も助けてはくれない。
同情の言葉くらいはもらえるかもしれない。数年先には状況が変わるかもしれない。
それでは目の前の子ども、不運にもレールに乗れなかった家庭には手遅れだ。
誰もが自分の生きる場所を守り、しがみつくことに精一杯の世の中で、他者に手を差し伸べる余裕がある者などほとんどいない。
保育園に入れないのも自己責任だと切って捨てられる、それが現実だ。
ちなみに、そこまでして入った保育園も、子どもが体調を崩せば利用できない。
行政が提供する病児保育のサービスはあまりに貧弱で、フルタイムで働く私たちには使いこなせる余地がなかったから、いざという時には高額な病児ベビーシッターサービスも活用している。
そこまでしてでも、母親が正社員という立場を守って働き続けなければ、子どものいる家庭を守ることはできない。
少なくとも私はそう考えている。
母親は一度仕事をやめ、子どもが手を離れる年にまで育ったら、再び仕事を探して働けばいいという識者がいる。
そういう人は、十分な学歴と意欲があり、健康な体を持ち、自分自身以外に面倒を見るべき存在がいない若者ですら、安定した仕事を得ることが難しい社会の現状を知っていて、そんなことを言っているのだろうか。
誰もがいつ仕事を失うかわからない、そして失業した際のセーフティネットがあまりに貧弱なこの国の仕組みを理解していて、言っているのだろうか。
ひとり、あるいは複数の人間を新生児から社会人まで育て上げる責任の重さを、親になったからには背負わなければならない。
それも親になるという選択をしたのは自分たちなのだから、自己責任の範疇である。
費用も、機会も、制度をいかに利用して乗り切るかも、すべて親の才覚にかかっている。
それでも、私は自分たち家族が驚くほど細い綱渡りをしていることを自覚している。
もし娘たちや私たち夫婦の誰か1人にでも何か不慮の事故や病気があれば、この綱渡りを続けられる保証はない。
ここまでは、物質的な話だ。
子どもを育てるには、物理的金銭的に大変な努力が必要なのはもはや否定できない。
次に、親になる者が直面するのは、精神的な困難だ。
公共交通機関に子どもを乗せるなという論争が、日々至る所で巻き起こっている。
冒頭、娘が呟いたように、横断歩道をゆっくりとしか渡れない幼い子どもを連れた親は、道を渡ることすら容易ではない。
必要なしつけはしているつもりだし、公共の場でのふるまい方を教育するのは当然親の務めだと考えている。
それでも、子ども連れでいることで向けられる世間のまなざしに、どうしようもなく辛い思いをすることはある。
一人だったらとくに気にすることもなく車の間をぬって渡ってしまえる道も、子どもが一緒だから、安全を確認するまで辛抱強く待つ。
走り去る車をじっと見つめる娘の澄んだ瞳と、だんだん冷たくなっていく小さな手のひらに、どうしようもない心の痛みを感じながら、私は待つ。
もちろん、指定席を子どもも含めて人数分取っているが、たまたま私たちの近くに乗り合わせたビジネスマン風の男性は、あからさまなため息をつき、はしゃぐ娘たちを見て舌打ちする。
大きな声はださせない、椅子にはきちんと座らせる、そして食べ散らかすような菓子類は与えない。
飲み物はこぼさないようにストローやマグを準備し、それでも万が一に備えてタオルや着替えは常備する。
万全の準備をしているつもりでも、子どもの機嫌が悪くなることがある。
だが、帰省シーズンともなれば、指定席車両のデッキも自由席券の乗客で溢れ返り、苛立つ彼らは泣きじゃくる子どもを抱えて現れた親を睨み付け、ため息をつく。
一体、子を持つ親はどうふるまえばいいのか。
子が公共の場所で泣かず、疲れたとわがままを言わないようになるまでは、外になど出るべきではないのか。
容赦なく投げつけられる批判のまなざしを、せめて子どもが直接こうむることがないよう、親は細心の注意を持って配慮し、矢面に立つ。
自分で選んだ生き方なのだから仕方がない、これも自己責任だと言い聞かせ、今日もぐっと奥歯をかみしめる。
仕事を持ち、愛するひとと結ばれ、子どもをもうけて家庭を築き、社会に参加する。
本当に幸せなことだ。
川の字に並んで眠る夫と娘たちの寝顔を見る時、私は自分の歩んできた道が間違ってはいなかったことを自覚し、そしてたとえようもないほどの幸福感に満たされるのを感じる。
だが同時に、ひどく不安にもなる。
私はこの先も、この幸せを守り続けていけるのだろうか?
家族の健康を守り、仕事を守り、娘たちの未来を保障し、自己責任をまっとうできるだろうか?
身の丈に合わない幸せを追い求め、手にしてしまったのではないかと悩むことがある。
本当は、私のようなごくありふれた個人がまっとうできる責任など、自分ひとりが生き抜くくらいのことなのかもしれない。
仕事に集中し、結婚も出産もしなければ、私がとるべき自己責任の対象は私1人分でよかったはずだ。
ただ、保育園に子どもをいれられなかった親が怒り、子どもの障害とともに生きる親が絶望してしまうこの世の中で、ありふれているはずの家庭を持つ親が何を考えているのかを伝えたかった。
今、この国で子どもを持つということは「自己責任」の範囲を子ども全員にまで広げるということだ。
それでも子どもが欲しいなら、産み育てる責任をまっとうしてほしい。
…ありふれた幸せに憧れているだけなら、残念ながらお勧めできない。
だが、各論では真逆であり、子どもを持つことはリスクであり、ペナルティでしかない。
私たちは誰もが自分の幸せを自由に追求する権利があるが、子どものいる幸せは非常に高価だ。
子どもを持っても、誰も褒めてはくれないし、助けてもくれない。まして見返りなどないし、批判にさらされることが増えると覚悟してほしい。
それでも子どもを持つのは、子どものいる幸せがそのリスクやペナルティを度外視させ、高価さに見合う以上の精神的な充足をもたらしてくれるからだ。
私は正直、覚悟が甘かったから、今でも時々こんな風に心を痛めたり、迷ってしまう。
まだまだだな、と思うばかりである。