はてなキーワード: 冷凍販売とは
http://anond.hatelabo.jp/20140507012359
えらい昔だが、オススメエントリーにあがっていたので、なんか思ったこともあってこの人のように上手くは書けないが書いてみる
生まれ育ったところは、地方県の電車も通らない山の中で、バスも1日に朝と夕方に2本づつ程度しか出ていない。
スーパーも広大な村に2件しかなく、売れないから新鮮なモノはほとんどなく
冷凍販売じゃないものも冷凍されて売られている(賞味期限が切れる前に冷凍される)
かといって、針葉樹林で紅葉もせず、景色が特別良いわけではない。
噂話が大好きで、隣の夫婦はけんかが多いだとか、あそこの家はしつけをしっかりしていないとか、公民館の会議に出てこないだとかの噂話ばかり。
隣町にいくにも峠を越えていかないとたどり着けない。
そんな村にある中学校は、1学年2クラスで70人くらいしかいなかった。(案外多い?とにかく面積は広大な村だった)
友達というのは都会だったら気の合う人と自然と仲良くなっていくのだと思うが
例えばこんなこともあった
「カネ持ってこないと殺す。明日XX時にXXへ来い」と電話をしてきたこともあった。
(姉はいじめられていたわけでもなく、手当たり次第電話していたのだと思う)
(その不良は僕が25歳くらいの頃に交通事故で亡くなった)
僕が小中学校の頃に一緒に登下校をしていた同級生は、暴走族に入り高校を中退
その後、その彼は19にして某事件を起こし逮捕され,懲役4年となった。
(彼の力を借りたこともあった。18の頃予備校の同級生が街で暴走族に囲まれてリンチされた。
彼に相談すると、その暴走族を特定し、その集団を集め謝罪と今後手を出さないことを誓わせてくれた)
(その事件の半年くらい前に会ったのが最後で、二度と会っていない。消息不明)
そんな村で育った割りにその頃の僕は、中学ではトップクラスで成績も良く普通の人だった。
偽善かも知れないが、どちらかというとクラスのいじめを撲滅することが生きがいだった。
同学年の不良も僕に手出しをしてこれないことを、ここぞとばかりに活用した。
(中学の頃の庇護もなく、クラスの人からは、3年間無視されるという闇にもはまった。
これに運良く耐えられたことがストレス耐性を得ることに繋がったのかもしれない)
(ちなみにいじめられたきっかけは、授業中居眠りしている前の席の人に、先生にあてられそうになっていることを伝えようと、消しゴムのカスを飛ばしたことが発端だった)
それでも1浪して学費のかなり安めの関東の3流私立大学に、返済ありの奨学金で通うことになった。
3流大学あるあるだと思うが、入学するとみんなモチベーションが低い
狙って入ったというより、滑り止めで本当はこんなところに来たくなかったとみんな文句を言う
専門学校のように技術力を高めるような講義が多かったが誰も真面目に講義を受けていないし
飲み会だの、サークルだのが中心となっている。大学院に入るやつなんて全然いない。
そして卒業後の就職も、びっくりするぐらいの3流企業のリストが軒並み勢揃いしていた。
僕の悪いところは、そんな中、大学にも通わず、遊び続け2年も留年した。
クラブに通ったり、ホストをやってみたり、絵に描いたような堕落具合だった。
本当に親に迷惑をかけた。
そんな中、ようやく卒業した。
そこで僕には、変な能力があることに気付いた
(前述:高校の時に培われたモノかも知れない)
僕はバカなのか、これを2年も続けた。(1周すると、部署を変えて何度でも電話をかける)
3ヶ月ほどやると、1日にアポが1件か2件とれるようになった
1年ほどやったら、案件が2本くらい取れた。
精神的にけっこうくるので、後で入社した人はみんな2週間ももたずにやめていったが
こんなことできるの自分しかいないと思い頑張った。それだけがモチベーションだった。
その後のどの会社に行っても、業種・業態の違いから発生する課題やポイントの把握が得意になった。
また、徐々にではあるが、堂々とプレゼンすることができるようになった。
会社としても、使えない新卒をこきつかって潰してやろうくらいの感じだったと思うが
思いのほか戦力になったことで喜んでくれたようだった。
しかし、何の才能も技術もない、期待もされてないで、当然給料も安かった(年収240万程)
その後、冷静に考えた
どうせ今の僕ではどこへ行ってもさしたる技術もなく使えないし、給料は安い
30歳までにいろいろ給料は安くても広告界隈の経験と知識を積み
30歳をスタート地点にしようと
そして、1社でキャリアを作るのではなく、いくつかの仕事をしっかりステップを踏んで総合的なキャリアを作ろうと考えた。
例えば:デザイナー→デザイナー→デザイナーみたいなキャリアではなく
営業→デザイナー→エンジニアみたいな感じでトータルでしかできないキャリア
やはりほとんど給料は上がらないが、専門的な知識と技術が身についた。
過去の友人などはほぼリセットしたといっていいほど会わなかった
というか会えなかった。
まず遊ぶお金をそこまで工面できなかった。
一緒に住んでいる友人はフリーターだったが、自分より給料も良かった。
服も、ルームシェアしている友人からのもらい物で過ごして、服に興味が無いと自分に言い聞かせた。
そんな友人は毎日楽しそうに遊んでいた。
フリーターの方が稼げるという友人を見ても
いつか絶対に自分の学んだことの方が、今後絶対に活きるのだと言い聞かせた。
かろうじて会う人も仕事に活きるような人との接点を深めた
仕事ができる人の考え方や話し方などあらゆるものをマネをした。
上流の広告関係の会社に転職することができた。(年収500万程になった)
それは、僕の出身大学では、新卒では逆立ちしても入れないところだった。
その後3年ほど働き、現在では年収は750万くらいになり、ようやく結婚もした。
地元の人とは違う華やかな世界に身を置きたいという欲求もあったと思う。
しかし、学歴に失敗した僕は20代は死んだが、30歳にゴールを置いたことで今もここにいられるのだと思う。
もうとっくの昔に実家に帰っている。
自分の出身や学歴にコンプレックスがあっても、成功の仕方はあって
学歴の高い人が、新卒入社して勝ち組と誇らしげにしているのは本当に羨ましかった
もちろん失敗してしまう人もいるのかもしれないが
就職の失敗なんてまだまだやり直しできるはずだと思う。
それは自分のツケで苦しんだだけ
どこかで見通しを立てて20代を過ごして
まだまだ英語もできないし、やらなければいけないことは多いので