2016-10-25

高学歴の世界垣間見てない人の話

http://anond.hatelabo.jp/20140507012359

えらい昔だが、オススメエントリーにあがっていたので、なんか思ったこともあってこの人のように上手くは書けないが書いてみる


うちの両親は高卒で、両親共働き。いたって平凡な家庭だ。


まれ育ったところは、地方県の電車も通らない山の中で、バスも1日に朝と夕方に2本づつ程度しか出ていない。

そのバス停までも、家から2キロは歩かないとたどり着けない。

もちろんコンビニパチンコ屋もなく本屋も(今は)ない。

土地が肥えているわけでもないので、農業も盛んではない。

スーパーも広大な村に2件しかなく、売れないから新鮮なモノはほとんどなく

冷凍販売じゃないもの冷凍されて売られている(賞味期限が切れる前に冷凍される)

信号機も村中で4機しかない。

かといって、針葉樹林で紅葉もせず、景色特別良いわけではない。

中の人は誰しもが特別裕福な人もおらず、不良が多い。

噂話が大好きで、隣の夫婦はけんかが多いだとか、あそこの家はしつけをしっかりしていないとか、公民館会議に出てこないだとかの噂話ばかり。

隣町にいくにも峠を越えていかないとたどり着けない。

とある台風の時には陸の孤島になった。

そんな村にある中学校は、1学年2クラスで70人くらいしかいなかった。(案外多い?とにかく面積は広大な村だった)

友達というのは都会だったら気の合う人と自然と仲良くなっていくのだと思うが

田舎では、近くにいる人と友達にならなければ友達はできない

早く家を出たい。という気持ちしかなかった。

例えばこんなこともあった

ある日、姉の同級生の不良は家の電話電話をかけてきて

「カネ持ってこないと殺す。明日XX時にXXへ来い」と電話をしてきたこともあった。

(姉はいじめられていたわけでもなく、手当たり次第電話していたのだと思う)

(その不良は僕が25歳くらいの頃に交通事故で亡くなった)

僕が小中学校の頃に一緒に登下校をしていた同級生は、暴走族に入り高校中退

理由同級生の爪をはいだ、というものと本人から聞いた。

その後、その彼は19にして某事件を起こし逮捕され,懲役4年となった。

(彼の力を借りたこともあった。18の頃予備校同級生が街で暴走族に囲まれリンチされた。

彼に相談すると、その暴走族特定し、その集団を集め謝罪と今後手を出さないことを誓わせてくれた)

(その事件半年くらい前に会ったのが最後で、二度と会っていない。消息不明

そんな村で育った割りにその頃の僕は、中学ではトップクラスで成績も良く普通の人だった。

偽善かも知れないが、どちらかというとクラスいじめを撲滅することが生きがいだった。

近所の先輩にボス的な不良がいて小さなからの仲だったため

同学年の不良も僕に手出しをしてこれないことを、ここぞとばかりに活用した。

高校地元では頭の良いとされる高校ではあったが

高学歴の世界垣間見てないというタイトルの通り

思春期の溝のようなものにはまり、とにかく勉強しなくなった。

結果、クラスで成績最下位連続でとるくらいのバカだった。

中学の頃の庇護もなく、クラスの人からは、3年間無視されるという闇にもはまった。

これに運良く耐えられたことがストレス耐性を得ることに繋がったのかもしれない)

(ちなみにいじめられたきっかけは、授業中居眠りしている前の席の人に、先生にあてられそうになっていることを伝えようと、消しゴムカス飛ばしたことが発端だった)

それでも1浪して学費のかなり安めの関東の3流私立大学に、返済ありの奨学金で通うことになった。

3流大学あるあるだと思うが、入学するとみんなモチベーションが低い

狙って入ったというより、滑り止めで本当はこんなところに来たくなかったとみんな文句を言う

専門学校のように技術力を高めるような講義が多かったが誰も真面目に講義を受けていないし

飲み会だの、サークルだのが中心となっている。大学院に入るやつなんて全然いない。

そして卒業後の就職も、びっくりするぐらいの3流企業リストが軒並み勢揃いしていた。

僕の悪いところは、そんな中、大学にも通わず、遊び続け2年も留年した。

クラブに通ったり、ホストをやってみたり、絵に描いたような堕落具合だった。

本当に親に迷惑をかけた。

そんな中、ようやく卒業した。

サラリーマンとして頑張ろうとなんとか就活をして

東京広告関係零細企業就職した。


そこで僕には、変な能力があることに気付いた

ストレスに対して異常なまでに強いという能力だ。

(前述:高校の時に培われたモノかも知れない)


最初会社ではオフィスで1人でテレアポをやらされた

上場企業しばりで、1日100~120件くらい。

僕はバカなのか、これを2年も続けた。(1周すると、部署を変えて何度でも電話をかける)

3ヶ月ほどやると、1日にアポが1件か2件とれるようになった

1年ほどやったら、案件が2本くらい取れた。

2年目では10本ほど案件が取れた。

精神的にけっこうくるので、後で入社した人はみんな2週間ももたずにやめていったが

こんなことできるの自分しかいないと思い頑張った。それだけがモチベーションだった。


数百社の課題ヒアリングをずっと行ってきたせいで

つの間にか業界ごとの事情課題が見えるようになり

その後のどの会社に行っても、業種・業態の違いから発生する課題ポイントの把握が得意になった。

また、徐々にではあるが、堂々とプレゼンすることができるようになった。


会社としても、使えない新卒をこきつかって潰してやろうくらいの感じだったと思うが

思いのほか戦力になったことで喜んでくれたようだった。

しかし、何の才能も技術もない、期待もされてないで、当然給料も安かった(年収240万程)


その後、冷静に考えた

どうせ今の僕ではどこへ行ってもさしたる技術もなく使えないし、給料は安い

でも自分にはストレス耐性がある。

30歳までにいろいろ給料は安くても広告界隈の経験知識を積み

30歳をスタート地点にしようと

むやみに全然違う業界に行かずに総合力を高めていこうと

そして、1社でキャリアを作るのではなく、いくつかの仕事をしっかりステップを踏んで総合的なキャリアを作ろうと考えた。

例えば:デザイナーデザイナーデザイナーみたいなキャリアではなく

営業デザイナーエンジニアみたいな感じでトータルでしかできないキャリア

そして転職活動をし

広告関係の違う業態仕事転職した。

給料は上がらないが、専門的な知識技術が身についた。

その後暫くして、また広告関係の違う業態仕事転職した。

やはりほとんど給料は上がらないが、専門的な知識技術が身についた。

就職してからその3社で働いている間

過去の友人などはほぼリセットしたといっていいほど会わなかった

というか会えなかった。

まず遊ぶお金をそこまで工面できなかった。

友人と3人でルームシェアをして家賃を安く抑えた。

一緒に住んでいる友人はフリーターだったが、自分より給料も良かった。

服も、ルームシェアしている友人からのもらい物で過ごして、服に興味が無いと自分に言い聞かせた。

そんな友人は毎日楽しそうに遊んでいた。

フリーターの方が稼げるという友人を見ても

いつか絶対自分の学んだことの方が、今後絶対に活きるのだと言い聞かせた。

かろうじて会う人も仕事に活きるような人との接点を深めた

仕事ができる人の考え方や話し方などあらゆるものマネをした。

30歳になって、ようやく本気で転職活動に動き出した。

その3社のスキル統合して活かせるようなところを選び

上流の広告関係会社転職することができた。(年収500万程になった)

それは、僕の出身大学では、新卒では逆立ちしても入れないところだった。

その後3年ほど働き、現在では年収は750万くらいになり、ようやく結婚もした。

(その程度でとバカにされるかもしれませんが・・・


学歴コンプレックスは多分あったと思う。

地元の人とは違う華やかな世界に身を置きたいという欲求もあったと思う。

しかし、学歴に失敗した僕は20代は死んだが、30歳にゴールを置いたことで今もここにいられるのだと思う。

高学歴大学卒業と同時にどこかに入ることがゴールだったら

もうとっくの昔に実家に帰っている。

自分出身学歴コンプレックスがあっても、成功の仕方はあって

大都市には夢がある。と僕はいまだに思っています

学歴の高い人が、新卒入社して勝ち組と誇らしげにしているのは本当に羨ましかった

もちろん失敗してしまう人もいるのかもしれないが

就職の失敗なんてまだまだやり直しできるはずだと思う。

20代もっと遊びたかったという後悔はあるけど

それは自分のツケで苦しんだだけ

どこかで見通しを立てて20代を過ごして

経験と自信を培えば、学歴コンプレックスのある人でも

ちゃんと可能性があるんだってことを知って欲しいと思う。


まだまだ英語もできないし、やらなければいけないことは多いので

今は40歳をゴールに別の目標を立てている

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