はてなキーワード: リリースとは
例えばツイッターでもなんでもいい、ウェブサイトやアプリのデザインが急に変化して、「なんで変わったの?」「これ意味ある?」「前のほうが使いやすかった」と思ったことは無いだろうか。
増田の老人達なら昔mixiがデザインを一新した際に改悪反対署名運動などが起こったのを覚えているかもしれない。ユーザーは使い慣れたものが急に変わったらまず拒否反応から入るのが普通なのだ。
ではなんでこんなことが起こるか。それはデザイナーを社内に雇っているからである。
多くのエンジニアはビジュアルデザインが得意でないから、サービス実装初期はデザイナーの手助けが必要である。しかし一度リリースしたサービスは大体基本のデザインの流用で別のページを作れるし、デザイナーの助けなんていらなくなる。そうなった時、社内で時間を持て余したデザイナーは何をするか。
ウェブページは「ユーザーインタフェース」であって、デザイナーのファッションショーの場じゃない。使い慣れた70点のUIを新しい80点のUIにされても多くのユーザーは喜ぶどころか拒否反応を示すのだ。
点が上がればまだよくて、UIになんら寄与しない「流行りのマテリアルデザインにしました」だけの70点→70点のデザイン更新がされる事すらある。この場合旧デザインに慣れたユーザーから見たら新しい70点は70点未満に映るだろう。
以前大流行したフラットデザインが本当にユーザーを満足させたか?マテリアルデザインはどうか?
ファッションの世界でも定期的に○○年代リバイバルなどが起こるように、デザインなんてものは「飽きたから変える」とか「目新しいかどうか」といった程度の存在で、新しい流行が本質的に良いものかどうかなんて実際は殆ど関係ないのだ。新しいビジュアルが本質的メリットを持っているならリバイバルなんて起こるわけがない。
だが自分達の仕事を増やしたいデザイナー達は「このスタイルはもう古い、流行じゃない」みたいな空気を出して流行に乗らないことへの罪悪感を広め、結果ユーザーにはどうでもいいデザイン変更が実施されるのだ。
なので無意味なデザイン更新をしてユーザーの機嫌を損ねたくなかったら、デザイナーは社内で飼わずに外注して実装が終わったら放逐したほうがいい。
https://anond.hatelabo.jp/20180923171114
上のエントリを書いた者である。DTMはパソコンさえあれば始めるのにお金はそんなにかからないし、頭を使っている感じがして生きている実感が湧くし、作品として形が残るし、趣味として結構優秀なのではないかと思っている。
この話は「素人が自己満足のアルバム3枚を作った話」であり、間違っても「素人がDTMを始めてプロデビューした話」ではない。とにかく楽しんで何らかの形になるものを作ったということ。プロにすればゴミみたいな作品群だと思うけれど、自分としては満足しているし、人に聴いてもらうと「すごい、よく作ったね」くらいの評価はもらえている。お世辞かもしれないし、そもそも音楽を作ることってかなりハードルが高く思われているから「作った事自体がすごい」ということかもしれない。
音楽的素養はない。ピアノを習っていたわけでもないし、学生時代にギターをやっていたわけでもない。完全なる素人。
ただ、学生時代はいろいろな音楽を聴いていた。CDは最終的に1000枚くらい持っていたのではないかと思う(今は全てパソコンに取り込んで売った)。ジャンルは主に洋楽ロック系が好きだけれど、クラシックから民族音楽から流行りの曲まで分け隔てなく聴いていた。
「自分で曲を作ってみたい」とずっと思ってはいたけれど、何をどうすればできるのかがわからなかったので手を付けていなかった。コードとやらを覚えなくてはならないらしいし、パソコンで何らかのソフトを使わなくてはならないらしい。何より、自分の下手くそな歌を録音するのかー。うーん、ハードルが高いな。と思って時が過ぎていった。
■初めての曲
きっかけというきっかけは特にない。社会人4年目くらいで、仕事に絶望していた時だったと思う。
学生時代の友人の中にいじられキャラの人がいたのだが、突然に「そうだ、あいつの歌を作ろう」と思い付いた。まずはアルバムリリースの特設サイトを作った。もちろんそんなサイトは誰も閲覧しない。単なる自己満足であり「おもしろそう」というのが唯一の動機だった。
で、曲を作り始めた。どこからそんな情熱が湧いてきたのか今でも疑問なのだが、とにかくそれっぽい曲を打ち込みで作った。コードなんてわかんないから適当に音を重ねていった。たくさんの曲を聴いていたのでなんとなくの引き出しは豊富だった。作詞作曲編曲全て自分。歌謡曲みたいな2分くらいの曲ができあがった。
Windowsであった。製作工程はdominoでmidiを打ち込み、SoundEngineで波形編集、audacityでミックスと手間のかかる作り方をしていた。全て手探りなのでそのやり方しかわからなかった。その歌謡曲みたいな曲はUTAUでボーカロイドに歌わせた。1曲作っただけだったが達成感があった。ここまでかかったお金、ゼロ円(もともと持ってたパソコン代除く)。
後に引っ越しを期にMacに乗り換えてGarageBandで作るようになる。
■本格的にDTMを始める
本格的に、と言っても高い機材を買ったりしたわけではない。継続した趣味としてハマったということである。コスパの良い趣味が好きだ。買ったものは下記(Mac除く)。
いまだにこれ以上買っていない。投資額たったの10,000円でかれこれ5年以上遊べている。カラオケ2〜3回分の投資額で数年ものあいだ熱中できるってすごくないか。もちろん、沼にハマるといろいろ欲しくなったりするらしいけど、今のところこれだけでなんとかなっている。
曲作りにおいて苦労した点は特にない。自分が作りたいものを作っているからだ。煮詰まる時とか、アイデアが出てこない時とか、ギターが全然上手に弾けない時とか、歌が下手過ぎてがっかりする時とかあるけれど、全てが楽しくて充実した時間である。
アルバムと言ってもコンセプトがあるわけではないし、誰に頼まれているわけでもない。10曲くらいできたら1枚にまとめる感じ。アートワークとか歌詞カードも作って、自宅のプリンタで印刷する。空のCDケースとブランクのCDを買ってきて、裏ジャケと歌詞カードをはめ込み、CDを焼けば世界でひとつだけのアルバムの出来上がり。
で、再び趣味として曲を淡々と作って、アルバムを作る、というのを3回繰り返していたらアルバムが3枚できていた。
■どんな音楽作ってるの?
もともと洋楽オルタナティブロックが好きということもあってそういうのに寄りがちな作風になってしまう傾向にある。ただ、1曲作り終えると「次は違う感じのを作ろう」と勝手に思っている自分がいる。なので、振り幅は大きいと自分で思っている。最近はEDMみたいなのも作った。
自己満足とは言えど、架空の誰かに聴かせるのを前提に作っている姿勢はある。なので、自分なりにこだわっているつもり。1曲の中で飽きさせないことを最大の目標にしている。まーでも結局は自己満足だな。
■ボーカルの録音
最初のうちはクルマで山奥やイオンの駐車場の端っこに出かけて窓を閉め切った車内で録音したり、自宅で布団をかぶって怯えながら録音したり、カラオケで録音したりしていたが、面倒になって昼間の自宅で堂々と声を張り上げて録音するようになった。特に近隣住民から怒られたことはない。
DTMを始めてから明らかに歌が上手になった実感がある。カラオケでも下手くそだったのが、今では高得点が出る。作っている最中は自分の声を何百回と聴きながら編集するので、知らぬうちに聴こえの良い歌い方みたいなものを会得したのかもしれない。DTMを始めて自己満足以外の良かったことだ。
■ギター
DTMを始めると同時にギターを弾き始めた。と言っても、ライブをするわけではないので、特に練習を積み重ねているわけではない。曲を作っている中で「こんなフレーズが欲しい」というのを下手くそなりに弾いて、あとは編集でなんとかしている感じ。なので、いまだに「コードをなんとか押さえられる程度」である。ただ、良く問題となる「F」のコードは練習して押さえられるようになった。
ベースも買ったが、録音してみると音の粒が全然揃わないし、タイミングが少しでもずれると散々なことになることがわかったので、打ち込みでやっている。
DTMをやる上で必ずしもギターやベースは必要ではない。自分も全ての曲にギターを入れているわけではない。
■曲作りのコツとか
最初は暗中模索。理論も何もない。例えば「ベースとバスドラムはなるべく合わせる」とか「コード」とか「コード進行のルール」とか全くわからずに全て適当にやっていた。最初に作ったものを今聴いてみるととにかくめちゃくちゃ。だけど、そのめちゃくちゃさに味があって、あんなものは今は作れないなとも思う。音楽は自由だ。恐れるな。
プロのミュージシャンのインタビューを読んでいると「◯◯みたいな曲をイメージした」とか「この曲の元ネタは◯◯という曲」と言っているのを結構見かける。なので、私たちも「自分の好きな◯◯みたいな曲を作ろう」というスタート地点でいいと思う。
曲作りにはいろいろなアプローチの仕方があると思うけど、私は「メロディーから作る」派である。メロディーに各パートの伴奏を乗せていく。メロディーを思い付いたはいいけれど、それに合うコード進行がわからないということが結構あって、大変に悔しい。コードにメロディーを乗せていく逆のやり方もチャレンジしてみたことがあるけれど、私には無理だった。向き不向きがあるのだと思う。
1曲の中で「ここは◯◯みたいな感じが欲しい」と思い付いたらYouTubeでその曲のその部分を繰り返し聴いて参考にすることがある。それが自分のオリジナルになる。ウェブで調べればコードも出てくるので、それを参考にすると思った通りの雰囲気になって「すげぇ」とかなり感心する。それがオリジナルになる。音楽はパターンの組み合わせでできたパズルみたいなものだと思う。
そういう経験を重ねていくと「このパターンはこれ」「こう来たら次はこう」とわかってきて捗るようになるし「これじゃありきたりだから別のパターンが欲しい」なんてことも発想できるようになってくる。楽しい。何だこの曲すごいな、という曲に出会うと制作意欲が湧いて楽しい。
なんて偉そうに書いてるけど、いまだにコード進行はよくわかっていないし、よく使うリズムパターンも貧弱である。だけど、最初の頃よりはあらゆる点において格段に進歩している実感がある。それらをほんの少しずつでも習得していく過程が楽しい。
■歌詞
伝えたいことなんて何もない。ただ、歌モノにしたいので歌詞を書かざるを得ない。「韻を踏む」「陳腐にならない」「メッセージ色が強くなりすぎない」を心がけている。音楽以上に言葉は自由だ。好きにやるのが一番。
歌詞がどうしても思いつかない時には、歌詞なしのめちゃくちゃ語で押し通すこともある。最近はいよいよ書くことがなくなってきているのでめちゃくちゃ語が多めになっている。だけど、歌詞を考える時間も好きだ。
■まとめ
とりとめのない話になってしまった。まとめるとDTM楽しいってことになると思う。没頭すると1日が余裕で潰れる。1曲が1日で完成することもあるし、半年かかっても納得いかずに悶々とあれこれ試行錯誤することもある。それら全ての時間が愛おしい。沼にハマらない限りコスパも良い。
私はこの判断に心から落胆し、新潮社という出版社そのものに心から失望した。
まず断っておくが、私は杉田水脈氏の記事(論文とは決して呼ばない)を一切支持しない。
一切、完全に、ただの一行たりともだ。
続く号で発表された杉田氏の擁護記事も、仮に部分的に事実があるとしても一切の論旨に賛同しない。
だが、私は『新潮45』が休刊したことについても深い憤りを覚えている。
杉田氏の記事ならびに擁護記事に批判が集まったあと、新潮社代表取締役の佐藤隆信氏は以下のようなリリースを発表した。
https://www.shinchosha.co.jp/sp/news/20180921.html
弊社は出版に携わるものとして、言論の自由、表現の自由、意見の多様性、編集権の独立の重要性などを十分に認識し、尊重してまいりました。……
このリリースで佐藤氏は、『新潮45』が差別的な記事を掲載したとは一切認めていない。
まずはじめに言論の自由をうたい、《今後とも》差別には配慮する=今までも差別には配慮していた、としている。
『新潮45』の問題はあくまで「常識を逸脱した偏見」と「認識不足に満ちた表現」(不足に満ちた?)だ、ということだ。
https://www.shinchosha.co.jp/sp/news/20180925.html
会社として十分な編集体制を整備しないまま「新潮45」の刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて、このたび休刊を決断しました。
これらのリリースから、新潮社が何を問題視して休刊に至ったのか、私にはよく読み取ることができない。
「言論の自由」を重要視するならば、「常識を逸脱した偏見」という言葉は矛盾している。
なぜなら、偏見は時に常識の顔をして生活に根付いているからだ。それに対抗しうるのは言論しかない。
「言論の自由」をうたうなら、常識から逸脱したことを謝罪するのは自殺行為だ。
「認識不足に満ちた表現」というのもよくわからない。誰の、何に対しての認識が不足していたのか不明瞭である。
(筆者の、LGBTに対する)認識が不足していたというならば、それは表現ではなく論旨そのものに直結する問題だ。
二度目のリリースの「編集体制が十分でなかった」ことから無理矢理意訳するなら、言論としての質が低かったことがもっとも重大な問題、と理解すればいいだろうか。
佐藤氏はこの問題に関して、何よりもまずはじめに言論の自由、表現の自由、意見の多様性、編集権の独立に言及した。
『新潮45』は、私の目には差別的・侮辱的で唾棄すべき蒙昧な文字列だったが、
佐藤氏は質が低いことは認めても、差別的であるとは最後まで言わなかった。
杉田氏の記事およびその擁護意見を、新潮社として「自由と多様性」の一部として認めるならそれでもよい、と私は思う。
だが、それが社としての意見だというならば、そして問題は「質の低さ」だというならば、少なくとも新潮社にはこの問題について「質の高い」意見を示す社会的な責任があったのではないか。
そして、「多様性」を庇護したいのならば、杉田氏および擁護意見への反論も意見として熟議し、「多様性のある」議論を展開するべきではなかったのか。
それこそが「言論の自由」を保証した、出版社としてあるべき姿だと思う。
その範を示すことが、長い歴史と信頼のある大手出版社の役割であり、代表取締役が「言論の自由」に言及した意味ではないのだろうか。
質の高い多様な意見を募るには歴史と信頼と知性の集積が必要だ。そんな出版社はそう多くはない。
けれど、新潮社ならできたんじゃないのか。
今回、新潮社は『新潮45』の廃刊という形での幕引きを図った。
批判に応答もせずに。
言論の自由をいちばんはじめにうたったはずなのに、世間の声に反応して言論の場そのものを潰すという、もっともするべきではないことをした。
しかし、新潮社は本当に、この幕引き以外選択肢はなかったのか。
新潮社でさえこんな風に逃げ出すしかないのなら、我々はいよいよ、批判を躊躇わなければならなくなる。
意見を示す出版社側は、「常識から逸脱した」意見を出すときは『新潮45』のように潰されることに怯えなければならず、
批判する消費者側は、自分自身の批判が言論の場を潰し、言論封殺の謗りを受けることに怯えなければならない。
新潮社は「質の高い」反論をすることも批判を受け止めることも投げ出して、結局真っ先に言及した「言論の自由」を蔑ろに踏みにじった。
私にはそう思える。
そして、そんな愚かな選択を、あの新潮社がしたことに心から失望している。
はじめて買った文芸誌はyomyomだった。
100%orangeのかわいい表紙に、めくると広がるとりどりの物語に心をときめかせて創刊から買い続けた。
新潮文庫の背表紙が好きだった。明朝体の文字だけのそっけなさ。
書店に行くたびあの背表紙群を眺めて、次は何を買おうと迷うのが楽しかった。読んでも読んでも読みたい本が尽きない。頼もしかった。
新書の玉石混淆さにはもう十年以上もうんざりしているけれど、それでも新潮新書には基本的に安心感を感じていたし、学生時代の論文でも、参考文献に新潮社の本を何冊も並べた。
今はただ悲しい。
クソゲーとかスマホゲーとかそういう話じゃなく(いやクソゲーだけど)
年間作品部門の対象作品のところに「2017年4月1日から2018年3月31日の間に日本国内でリリースされた全作品」って書いてあるじゃないですか。
(http://awards.cesa.or.jp/overview/division/year.html)
いったいどういうことなんですか。
ちなみにゼルダのブレスオブワイルドも2017年3月3日リリースで受賞してるけどこれは言い訳が書いてあるんですよ。
グローバル賞の対象作品(2017年1月1日から2018年12月31日)って。
(http://awards.cesa.or.jp/prize/year/13.html)
お前は何を言っているんだって内容です。思いついたこと書いてるだけの下書きの無い文なので誤字脱字のあり読み辛くなってると思います。ごめんなさい。前置きが長いです
アイマスと言えばと聞くとデレステ を連想する人がかなりいると思う。島村さんとかが歌って踊るリズムゲームだ。CM等の広告もバンバン出しているのでそういった所に詳しくなくても名前はだけは聞いたことあるって人も多いと思う。もちろんプレイヤー数も多くセルラン上位常連でこの前の3周年ではTwitterのトレンドがデレステ関連一色に染まった程だ。例えるならオタクのインスタグラムである。Twitterと連動した機能も多くあるのも話題になりやすい要因だろう。
話は変わってアイマスと言ってもいろんな派閥がある。上で述べたデレステ (シンデレラガールズ)の他にニコニコ全盛期の頃に大流行したアイドルマスター、イケメンがいっぱいいるsideM、楽曲数が多いミリオンライブ、最近リリースされたシャイニーカラーズなどなど。他にもDSとかKRとかあるけど今回はシンデレラとミリオンの話。
ミリオンライブにもシンデレラと同じようにリズムゲームがある。こちらはデレステに比べてまだ歴史が浅くプレイヤー数もデレステ程多くはない。プレイヤー層は30代の人が多い印象を個人的に持っている。もちろん10、20代のプレイヤーもいると思うし中にはデレステと兼任している人も少なくはないと思う。ここから本題。兼任について思うことがある。
プレイヤー数が多いのでTwitterでは頻繁にシンデレラのアイドルをアイコンに設定しているアカウントを見かける。そのアカウントのプロフィール欄を見る。するとシンデレラの担当は○○みたいなことが書いてある。まあアイコンに設定してるしな。わかる。ただその続きにミリオンの担当は○○って書いてあるのが引っかかる。そっちはアイコンにしないのって。そういうの見るとなんだかついででミリオンやってるように見えてしまう。超人気ゲームのデレステやってる俺様がセルラン下位の過疎過疎不人気ゲーやってやってるぞ。話題にしてやってるぞ。ありがたく思えよって言ってるように感じてしまう。デレステ最高!ミリオンはよく知らないけどなんとなくやってると捉えてしまう。勝手に捉えて腹立ててる。1つ前のイベントの上位報酬SR誰か言えるか?先月の復刻ガシャのピックアップSSR3人言えるか?アイドルの誕生日祝ったら貰えるアイテムの名前言えるか?事務員の出身地言えるか?言えないだろ。だってデレステ最高だもんな。デレステ最優先だもんな。ミリオンはついでだもんな。ミリオンとかどーでもいいもんな。ミリオンが先に出した技術をデレステが出したらスゲースゲーって持ち上げられてるのが何よりの証拠。ミリオンが先に出したの知らないもんな。なぜならついでだから。やる気ないなら担当とか名乗らなくてもいいのに。そいつに担当名乗られるアイドルが可哀想。そういうやつがミリオン話題にする時は無料10連ガシャの結果だけ。そんなにガシャ結果自慢したいなら一生ガシャシミュレータでもやってろばーーーーーーか
お前の業界だけだろって言われるとも思う。
大学から企業に入ると、企業はモノづくりを放棄してるように感じる。
半分は当たりで、半分は誤解だ。
その理由は大学で勉強する学問と、企業で活用する学問の違いにあると思う。
失望する理由の一つは、企業では、物事の理由など考えないことがある。
研究を目的とする大学と、開発、製造、販売を目的とする企業の違いだ。
たとえば、企業では、企画であれ、開発であれ、生産管理であり、経理であり、持っているカードを組み合わせて、最良な組み合わせを探す、それが目的だ。
それだけといっていい。
例えば、家庭で、カレーを作るとする。
ジャガイモは入れるべきか、入れないべきか?
これだけで、3×3×2×3=54通りの選択肢がある。
それを、企業活動の現場で摺る場合、数百、数千、数万の組み合わせから、最良を探す、そういうことになる。
もちろん、商品コンセプトはあるだろう。
一度方向性を決めたら、そこから先は一本道、仮説の検証などは行わない。
所詮は、手持ちのカードで勝負するしかないし、手持ちのカードの組み合わせを試すだけで、精いっぱいなのだ。
この、組み合わせ最適化については、ほとんどの学部で触れることはない。
学生がこれを読んでるかはわからないが、学生が考える組み合わせ最適化とは、違う学問体系で企業での開発は行われている。
最適化する条件を決めて、そして下流にリリース、放りっぱなしとなることが多い。
これについては問題だと思う。
ただ、現状で最適な仕様を決定していても、現実として問題は起きる。
ラボでは理論通りの性能を発揮しても、量産してもそうなるとは限らない。
100万台に1台とんでもない欠陥が発生しないとは限らない。
もちろん、そうならないように設計していても、想定できなかったから想定外なのだから。
法令だけでなく、技術的な要件であっても、国際規格、国内規格、ガイドライン、といった規格や規制がある。
それに擦り合わせることは非常に重要であるが、時にそれに固執しすぎるところがある。
非常に分かりにくく、A4で数枚ほどの短い文章に対して、分厚い解説書やQ&A集が出版されている。
それらに精通している人が強い発言権を有し、誰も理解していないことをいいことに、拡大解釈がまかり通る。
技術的な議論であったはずが、「そんなこと聖書のどこに書いてあるのか?」という律法学者の宗教論争に変わってしまう。
もちろん、上司であったり、経営層がその規格や規制が制定された時代背景や、理論の背景を理解していれば、部下も宗教論争をしないだろうが、そんな上司は滅多にいない。
そしてみな、科学技術を学ぶより、まるで法律家のように解釈論を学ぶようになる。
上記に述べたように、企業活動の本質は、組み合わせ最適化であり、各種規制へのすり合わせだ。
そこには、「なぜなら」も「それゆえに」もない。
現実世界の物事のほとんどが、理由がないように、理由はあっても説明できるほど単純ではないのと同じで、白黒はっきり断じることはできない。
ところが、日常業務はそうであっても、意思決定には稟議がいる。
その場合、「こうである、だからこうする、なぜならば、すなわち」と理路整然と単純化して並べなければならない。
中長期計画に沿って各部門が計画を立て、それぞれの所属員が各部門の目標に沿って計画を立て、その結果を報告する、建前ではそうなってる。
実際のところは、「あらゆる選択肢の組み合わせのうち最良はこれです」以上のことは言えないのだが、そこは目をつぶり小説を執筆しなければいけない。
このリニューアルは失敗すると思う。
Twitter見る限り、既存の読者にそもそものリニューアルの意図がまず伝わってない。
ネガな反応のほうが出やすいし、好意的に受け止めた人もいるかもしれないけど、離れる、という読者も多いはず。
「新しい媒体になります」って言って並んでる記事があれじゃわかんないよ。新しい感全く無いよ。
いままで各媒体ごとに並んでた見出しがまとめてタイムライン化されたようにしか見えないよ。
新しいジャンルの記事?他社のメディアで読んでたし、リリースベースならこれからもそっちで読むよ。
だいたい、新しい読者はどこから来ると思っているんだろう…?
他所でも読めそうな記事じゃ、媒体には定着しないんじゃないかな。
全体のPVも下がる。いままで個別媒体の記事→戻ってまた別媒体の個別記事、みたいな遷移はなくなるだろうし
個別の記事に申し訳程度につけられた、個別媒体に見に行く動線も謎。
このへんのカスタマージャーニーをどう考えてたのかがまったく謎。
ヘッドラインを見に来てる人が、おんなじ話をまた遷移してまで見に行くかね?
個別媒体の切り口を見たい人は最初からそっち行ってると思うんだが……
もちろんそんな見方をしてなかった人もたくさんいるだろうし、これが正解とは限らないだろうけど、
少なくともそこを考えていたのだろうかどんな風に読まれてるのか、本当に考えたのだろうか。
例えば、IT系企業の人が新聞を読むようにざっと目を通して、自分の業界に関わることとか、ちょっと個人的に興味があることとかを覗く。
なんなら後輩にサイトとしておすすめする。そういうメディアだったのでは。
やるんだったらいままでの媒体横断の一覧性は残しつつ、深堀記事とか、独自記事、読ませる記事を週何本かでも作ってく、
それきっかけでスマニューやらNewspicksから媒体全体に新しい人を呼んでくる、そんな話ならわかるけど。
現状各媒体の熱量が薄まった、どこでも読めるようなレベルの記事がビミョーなデザインで並んでるだけ、に見えるけど、どうだろうか。
「スマホファースト」みたいなことを考えてるのかもしれないけど、既存読者は圧倒的にPCからが多そうなサイトで、
かつスマホでメディアのトップページなんて行くかな?なんて時代に、まわりに迎合してPCのデザインまで改悪する必要、あったのかな?
いい加減主義というか、仕事が嫌いで遊びに行くことばかり優先して、
客からバグの連絡が来ても無視しようとか、返金してとっとと終わらせようとか
そんな感じの客の扱い。
特に2つ目の会社がひどく、製品スケジュールも遅延だらけ。3ヶ月リリースが半年とか当たり前。
1年以上経っても売り上げが全然上がらず、初期にvcに投資して貰った金を使い果たしたら
と社長が打ち合わせで発言し、メンバーも「いいっすねソレ!」とゲラゲラ笑う始末。
何で前回の投資から1年以上も赤字が続いて売り上げ上がらないのに、簡単にvcから
金をもらえると思うのか、それよりはまず製品をしっかり出して売り上げを上げる事が大切ではと
言っても「俺はvcの事をよく分かってる」「彼らは過去は気にしない。」
「彼らはとりあえず大きな事を言えば金を出してくれる」と聞く耳を持たない。
その後退職したが、後で聞くと結局vcからは投資を受けられず、今は下請けの仕事ばかりをやっているらしい。
何かやりたいことがあって企業を起こしたのに、下請けばかりでそこに存在価値があるのか。
しかし入ったスタートアップの会社がこうもゴミばかりだと、果たしてまともなスタートアップなんて
あるのだろうかと悩んでいる所。
荒らしや間引きや怖い人などいることもあるけれど、おおむね楽しいしリリースからずっと継続してドはまりしている
村が大きくなってくるとだいたい畑や料理が放置され始めるので、その辺をひたすら補うプレイだけはちょっと飽きてきた
これから犬が実装されるらしいのでそれを励みにやっていきたいと思うしどうせなら猫も実装してほしい
女に生まれると子供(別プレイヤー)が生まれるんだけど、やたらと「いい子」的な子が多くてそれが妙にしんどい
「あ」「り」「が」「と」 ※0歳スタートで年齢+1文字しか喋れない
「まま」「だい」「好き」
もちろんロールプレイしていいしこっちも「ありがとーよしよし可愛いねー」とか返すけども
なんかむずむずするんよー
自分はやらないけど間引きとかあるので、なんか捨てられないように必死にいい子でいるように見えちゃうのがまたしんどいのかも
あとやたらと美味がるのなんなんよ
「母乳」「うま」※母親になれる年齢の女性キャラクターが4歳以下の子供を持ちあげることで子供の体力が全回復する
あと文字数制限あるのはわかるんだけど子供から母乳とか言われるのなんかいやなんよ
ソシャゲ屋さんに転職して6年しか経ってないけどいい加減疲れてきちゃった。
商材(ガチャのカード)担当であれこれしてるけど、まずは金、金、金。
前はそれなりに名前のある大手のIT企業にいたんだけど、ヤバいやつってごく稀だった。
でも今は3人に1人くらいは変なやつ。どこかしら変だし、そもそも遅刻とか欠勤とか大杉ワロタ。頭痛いとかお腹痛いとかわけわからん理由で平気で休む。病院行けよ。
ユーザーも頭おかしい。自分のアカウントだけガチャ確率いじってる!!とか電話してきたり、キッズの問い合わせとか頭痛くなる。直接やり取りはしてないけどさ。
毎日競合の動き探って、課金額に一喜一憂して、考えるのはユーザーから金を巻き上げることばかり。いまやなんで課金してくれるのかもよく分からなくなってきた。
ソシャカスの民度は限りなく低い。社内のソシャカス率は限りなく高い。
ああー疲れたなあ
サービスをリリースして1ヶ月安定したらまたすぐ次のサービスを作るというのを延々繰り返している
社長がリリース後の運用とか保守があることを無視しまくっていて
サービス作りまくってる割には人手語りていないので辛い
ずーっとモヤモヤしているので文章として形に残しておこうと思う。
モヤモヤを吐き出すだけなので、おかしなところがあるかと思うがご容赦いただきたい。
各所で散々まとめられてるのでここでは軽く触れるにとどめるが、シンデレラガールズの以下のWebラジオでCV未実装である「高峯のあ」に対し、五十嵐から以下の発言があった。
THE IDOLM@STER webラジオ~バンプレストスペシャル~カホーは寝て待てっ!(第6回放送より)
http://www.nicovideo.jp/watch/1535954945
一部抜粋:
五十嵐裕美「やろっか?」
そもそもアイドルマスターシンデレラガールズは、リリース開始から多数のキャラクター(アイドル)を追加し、その多くがCV未実装である。
CVは一年ごとに行われる総選挙で上位入賞するか、メディアミックスやCDリリース等の際にサプライズ的に追加される。
アイドル数は総勢183人、このうち半数以上には現時点でCVがついていない。
彼女を担当するプロデューサー(プレイヤー)は彼女にCVがつくことを夢見て、ゲーム内でも、ゲーム外でも日夜活動している。
なぜCVが重要なのかというと、CVがつく=担当アイドルの出番が増える、ということだ。
CDリリース、デレステでのイベント、ライブ、etc...CVありと無しではその露出度は雲泥の差である。
なので、CV無しのアイドルを担当するプロデューサーは、担当にCVを付けようと必死だ。
五十嵐の発言はそんなプロデューサーを馬鹿にしているかのような発言だった。
主に高峯のあを担当する人や、他にもたくさんいるCV未実装のアイドルを担当している人の多くはこの発言に怒っていた。
かくいう私もその一人だ。(のあさんではないが、声なし担当)
そりゃ自分の担当に声つかなそうとか言われて笑われたら、普通に腹が立つというものだ。
「(のあさんはキャラのイメージに合う声を出せる人が中々見つからないので)つかなそう」と読み取れるのでは?という意見もあるが、じゃあ続く「私やろっか?」は何なんだ。
シンデレラガールズのCVってそんな軽いノリでやっていいものなのか?そうは思いたくない。
とにかくこの発言は声なし担当にとっては、声なしアイドルとそのプロデューサーを馬鹿にしているとしか取れないのである。
一方で「炎上するほどじゃない」「元からそういう性格なんだし」とか言ってる人も見かけた。
そういうことを言ってる人の殆どが声付きアイドル担当で、言ってしまえば「自分とは関係ないから」というスタンスの人である。
(声付きPで今回の件に立腹している人がいたらすまない。私は上記のような人を沢山見たので)
自分が担当するアイドルが馬鹿にされたり軽視されたりするような発言をされても、同じことがいえるのだろうか?
また意外な事ではあるが、ごく少数の声なし担当の人も「気にしていない」という人がいた。菩薩の心を持っているのだろうか…。
それと、可哀想だったのがこの件に心を痛めている杏P。
自分の担当アイドルの中の人がこんな心無い発言をしたんだもの、そりゃ心中複雑であろう。
「杏に罪は無い、杏の事を嫌いにならないでほしい」という言葉を見かけた時、胸が痛くなった。
私だったらこんなことがあったら、担当の事を素直に見れなくなってしまうかもしれない。
五十嵐裕美については、前々から「コイツ大丈夫か?」と思ってはいた。
何かのニコ生に出た時、明らかに曲を聴いてないような発言をしたり、色々と危うかったり、コンテンツに対してドライな人だと思っていた。
所詮アイマスも仕事でやってるのであって、自分の役とその周辺くらいにしか愛着はないんだろうな…という認識だった。
それが今回の一件で完全に「嫌い」になった。
散々尊いだのいい曲だの言っていたあんきらもスローライフも、イントロが流れるだけで「あっ…」ってなってしまって、いいと思えなくなってしまった。
楽しみにしていた5thライブSSAのBDも、DAY1を再生して五十嵐が画面に映ったり歌ったりするたび「なんだかなぁ…」という気持ちになり、素直に楽しめなくなってしまった。
幸いなことに、双葉杏については嫌いにはなっていない。キャラクターに罪は無いとどこかで思っているのかもしれない。
色々と嫌な思いもしたが、今後もアイマスPは続けていくと思う。
そして次こそは担当に声をと夢見て、次回の総選挙に臨むのだろう。
その時は、一人でも多くの、今まで注目されにくかったアイドル達にスポットライトが当たって欲しい。
好きなコンテンツが終わりを迎えて悲しいというだけのオタクポエムです。全部読んでも特に人生にプラスになることはありません。
正確にはまだ終わったわけではない。
ああもう終わらせたいんだろうな、そうでなくとも続けるのが厳しい状態なんだろう…と察することができてしまった。
キャラクターが魅力的だった。どのキャラも誰かの心に刺さるであろう造形、キャラ設定、関係性を持っていた。私もキャラクターが大好きでずっとゲームをやっていた。
ストーリーは薄っすらと語られる程度であったが、台詞などを読みこんでゆくと暗く辛いストーリーが展開されるのだろうな…とワクワクするようなものであった。
ゲーム性も万人受けし難いとはいえ、キャラクターを動かすだけで楽しくなるようなものだった。(もっともゲーム性に関しては、上級者から見れば楽しいものではなかったようだが…)
しかし、いつまでもこのゲームはマイナーなゲームの域を出ることはなかった。
アニメの円盤を売るために、絶対にプレイアブルにはしないと明言したキャラをプレイアブルにするコードを特典につけたからだろうか。
キャラの着替えができることも売りの一つだったのに、ろくに衣装をリリースしなくなったからだろうか。
ストーリーが全て投げっぱなしで、一切ストーリーに絡まないキャラクターが6人もいたからだろうか。
シリアスな雰囲気が売りだったのに、復讐者ポジのキャラや薄暗い過去のある大人が急にアホになったりしたからだろうか。
プレイヤーが動物と揶揄されるレベルでやばいの揃いだったからだろうか…
なぜかはわからない。ファンの貢ぎが足りなかったと言われればそれまでである(実際私も好きだ好きだと言いつつ、アニメの出来がひどすぎたため円盤は買っていない…)
しかし、どう考えても大コケするような素材ではなかったはずなのだ。
なんでこのコンテンツが死ななくちゃいけなかったんだ。もっと上手くやれなかったのか。
考えても仕方がないが、ずっと考えてしまう。
こんなことを同じゲームをやっていた人の前で言うと、終わるなんて言うなだの言われてしまうのでこちらで書き散らかした。
なんだかんだ絶望しておいて何だが
https://anond.hatelabo.jp/20180908185845
要約 『そうじゃなくて、KFP本体が、たつき版3Dモデルの買い取りを忘れててヤオヨロズにも二次的著作権が発生しているんだろ。』
私は 著作権もアニメ制作でも完全に素人なので、一種の妄想だと思って読み流しと欲しいが。
この話題、あまりにも原則論と公開情報からの乖離が激しいので 素人ながら前2点を重視して情報を整理する
1,二次的著作物ってのは、原作があって、そこから派生した著作物。
けもフレで言うと吉崎先生のイラストが原著作(原著作権はKFP)。たつき版アニメけものフレンズ本編と その3Dモデルが二次的著作物。
2,二次的著作物に対して原著作物の著作権者(KFP)は二次的著作物の著作者(ヤオヨロズ)が有するものと同一の種類の権利を有する。
(たつき版けもフレ本編+3Dモデルに対してKFPはヤオヨロズが有するものと同一の種類の権利を有する。)
(たつき版けもフレ本編+3Dモデルの利用にはKFPとヤオヨロズの合意が必要。どちらかだけの決定では利用出来ない。)
4,商業アニメなので当然 たつき版けもフレ本編映像の二次的著作権はKFPが買い取っている。(でないと商業展開出来ない。)
5,しかし……、KFPは3Dモデルの二次的著作権も買い取る契約にしていたのか?……
『普通』ならば、それも買い取る契約にしている筈だが。『忘れて』いそうな理由として
b,原著作権は自分達(KFP)が持っている。ヤオヨロズ(二次的著作権者)だけで勝手に利用する事は そもそも出来ない。
c,原著作物である吉崎先生のイラストは自分達(KFP)が持っている。
たつきの3Dモデルは、お世辞にもリッチとは言えない。(当初)商業的価値は低いとしか思えない。
自分達(KFP)なら類似の派生物さえ何時でも作る事が出来る。
(3Dモデルの著作権まで買い上げているのなら、既に人気のあるモノを利用しない手は無く。そもそも騒動にさえならない。)
e,福原pが関連スマホゲームのリリースに際し「自社の著作物」であると明言している。
以上の事から私は
『KFP本体が油断したため、たつき版3Dモデルの買い取り契約を忘れててヤオヨロズにも二次的著作権が発生しちゃってる。』
1つの[契約ミス]から たつき版けもフレに関しては、ヤオヨロズが イキナリKFPと[同等の権利]を持ってしまったが為に
パワーバランスが崩壊し企画が暗礁に乗り上げていると、妄想している。
とは言え、コレってゼニの話なので解決不可能では無いと好意的に考えている。
馴れ合い と 仲良し は別物って事よねー。
見えるというか「復活を待つつもりはない、田中琴葉というアイドルをミリオンライブから消し去るつもり」「琴葉ごと切り捨てようと」との論旨に沿わない多数の事実を意図的としか思えない規模で無視・誤認していることから煽り目的の創作。ミリシタに至ってはサービス開始時の代表者挨拶で触れている。
4thライブ