はてなキーワード: ドライバーとは
ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨雲レーダーを見ていた。
広い門の下には、この男のほか誰もいない。ただ所々ペンキの剥げた、大きな円柱にドローンが一機突き刺さっている。
羅生門が朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみを待つSIerやプログラマーがもう二三人はありそうなものである。
それが、この男のほかには誰もいない。
何故かと云うと、この二三年、京都には地震とかDDoS攻撃とかEMPとかドローン攻撃とか云う災がつづいて起こった。
そこで洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、サーバーやEVを打ち砕いて、その貴金属が使われたり充電池がそのままだったりする金属の塊を建築資材として売っていたと云う事である。
洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、
営業職が棲む、意地悪な顧客が棲む。とうとうしまいには、引き取り手のないSEを、この門へ持って来て棄てて行くと云う習慣さえ出来た。
そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪がってこの門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。
その代わりまたドローンがどこからか、たくさん集まって来た。昼間見ると、そのドローンが何機となく輪を描いて、高い電波塔のまわりを
ブンブン言いながら飛びまわっている。ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それがゴマをまいたようにハッキリ見えた。
ドローンはもちろん、門の上にいるSEをせっつきに来るのである。_______もっとも今日はあまり仕事がないのか一機も見えない。
ただ、所々崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、墜落したドローンの残骸が落ちているのが見える。
下人は七段ある石段の一番上の段に、何日も洗っていないスーツの尻を据えて、右の頬に出来た大きな人面瘡を気にしながら、ぼんやり雨のふるのを眺めていた。
作者はさっき「下人が雨雲レーダーを見ていた」と書いた。しかし、下人は雨雲がどうでも格別どうしようと云う事はない。ふだんなら、
もちろん会社へ帰る可き筈である。ところがその会社からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通り
ならず衰微していた。今この下人が永年、使われていた会社から暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。
だから「下人が雨雲レーダーを見ていた」と云うよりも「雨に降りこめられた下人が、行き所がなくて途方にくれていた」と云うほうが適当である。その上、今日の空模様も少なからず、この平安朝の下人のSentimentalismに影響した。
申の刻下がり(16時以後)からふり出した雨は、いまだに上がるけしきがない。そこで下人は、何をおいても差当り明日の暮らしをどうにかしようとして____云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えを辿りながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を聞くともなく聞いていたのである。
雨は、羅生門をつつんで、遠くからざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると門の屋根が、斜に突き出した甍の先に、重たくうす暗い雲を支えている。
どうにもならない事をどうにかするためには、手段を選んでいる遑(いとま)はない。選んでいれば、高架の下か道端のベンチの上で、餓死するばかりである。選ばないとすれば____下人の考えは、何度も同じ道を低徊(ていかい)した挙げ句に、やっとこの局所へ逢着(ほうちゃく)した。しかしこの「すれば」は、いつまで経っても結局「すれば」であった。下人は手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「転売屋になるほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの勇気が出ずにいたのである。
下人は、大きなくしゃみをして、それから大儀そうに立ち上がった。夕冷えのする京都は、もうカイロが欲しいほどの寒さである。風は門の柱という柱の間を、夕闇と共に遠慮なく吹き抜ける。円柱に突き刺さっていたドローンも、もうどこかへ吹き飛ばされてしまった。
下人は頸(くび)を縮めながら、カッターシャツに重ねたヨレヨレのジャケットの肩を高くして門のまわりを見まわした。雨風の患(うれえ)のない、人目にかかる惧(おそれ)のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも夜を明かそうと思ったからである。
すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の狭い、点検用の梯子が眼についた。上なら、人がいたにしてもどうせ疲れ果てて寝ているSEばかりである。下人はそこで、腰にさげた特殊警棒が伸びないように気をつけながら、便所サンダルをはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。
それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の狭い梯子の中段に、一人の男が猫のように身を縮めて、息を殺しながら上の様子を窺っていた。楼の上からさす白色光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。短い髭の中に、赤く膿を持った人面瘡のある頬である。下人は初めから、この上にいる者は寝ているSEとばかり高を括っていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰かがスマホライトをとぼして、しかもその灯りをそこここと動かしているらしい。これはその濁った、白い光が隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で灯をともしているからは、どうせただの者ではない。
下人はヤモリのように足音をぬすんで、やっと急な梯子を一番上の段まで這うようにして上りつめた。そうして体をできるだけ平らにしながら、頸をできるだけ前へ出して、恐る恐る楼の中を覗いて見た。
見ると楼の内には、噂に聞いていた通り何人かのSEが無造作に寝ているが、ライトの光の及ぶ範囲が思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら知れるのは、その中に手ぶらの者とPCを持っている者があるという事である。もちろん、中には女も男もまじっているらしい。そうして、そのSEは皆、それがかつて労働意欲に燃えていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、土をこねて造った人形のように、口を開けたり手を延ばしたりして、死んだように床にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖(おし)の如く黙っていた。
下人は、それらのSEの様子に思わず眼を覆った。しかしその手は、次の瞬間にはもう眼を覆うことを忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとく男の視界を奪ってしまったからだ。
下人の眼は、その時はじめてそのSEの中にうずくまっている人間を見た。桧皮色のジャージを着た、背の低い、痩せた、白髪頭の猿のような老婆である。その老婆は、右の手にライトを灯したスマホを持って、そのSEの一人のPCを覗き込むように眺めていた。腕に抱いている所を見ると、多分ノートパソコンであろう。
下人は、六分の恐怖と四分の好奇心に動かされて、暫時は呼吸をするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「えぐいって」と感じたのである。すると老婆は精密ドライバーを取り出して、それから今まで眺めていたノートパソコンに手をかけると、ちょうど猿の親が猿の子のシラミをとるように、そのノートパソコンを分解しはじめた。かなり手慣れているらしい。
電子部品が一個ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えていった。そうして、それと同時に、この老婆に対する激しい憎悪が少しずつ動いて来た。____いや、この老婆に対すると云っては語弊があるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。この時、誰かがこの下人にさっき門の下でこの男が考えていた、餓死をするか転売屋になるかと云う問題を改めて持ち出したら、おそらく下人は何の未練もなく、餓死を選んだ事であろう。それほどこの男の悪を憎む心は、指数関数的に勢いよく燃え上がり出していたのである。
下人には、なぜ老婆がSEのノートパソコンを分解するかわからなかった。従って、合理的には、それを悪であると一方的に決めることが出来なかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、SE自前のノートパソコンを分解すると云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が転売屋になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。
そこで下人は、両足に力を入れて、いきなり梯子から上へ飛び上がった。そうして特殊警棒に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩み寄った。老婆はマイコンで自作した監視カメラで、事前に下人の動きを見ていたのだが、想定外の行動に飛び上がった。
「どこ行くんじゃワレ!」
下人は、老婆が寝ているSEにつまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行く手を塞いで、こう罵った。老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押し戻す。二人はSEの浅い寝息の中で、しばらく無言のまま、つかみ合った。しかし勝敗は初めから分かっている。下人はとうとう老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。ちょうどケンタッキーフライドチキンの骨のような腕である。
「何しとったんじゃ!云え。云わんとこれやど」
下人は老婆をつき放すと、いきなり特殊警棒を伸ばして、黒くて硬くて長いものをその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわな震わせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球がまぶたの外へ出そうになるほど見開いて、唖のように執拗(しゅうね)く黙っている。これを見ると、下人は初めて明白にこの老婆の生殺与奪の権を自分が握っていると云う事を意識した。そしてこの意識は、今まで煮え滾っていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後に残ったのは、ただ、ある仕事をしてそれが納期に間に合った時の、安らかな得意と満足があるばかりである。そこで下人は、老婆を見下しながら、少し声を和らげてこう云った。
「ワシはマッポでもSECOMでもない。今し方この門の下を通りかかった暇なヤツや。せやからお前に縄かけてどうこうしようっちゅう事もない。ただ、今時分この門の上で何をしとったんか、それをワシに話しさえすればええんや」
すると老婆は、見開いていた眼を一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの赤くなった二階幹事長のような、鋭い眼で見たのである。それから皺でほとんど鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏の動いているのが見える。その時、その喉からカエルの鳴くような声が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
「このパソコンのCPUを抜いてな、型番とコア数を偽装してな、転売しようと思うたのじゃ」
下人は、老婆の答が存外平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷ややかな侮蔑とともに心の中へ入って来た。するとその気色が先方へも通じたのであろう。老婆は片手にまだ抜き取ったCPUを(素手で)持ったなり、蟇(ひき)のつぶやくような声で、口ごもりながらこんな事を云った。
「なるほどな。SEからPCを奪うという事は、何ぼう悪いことかも知れぬ。じゃが、ここにいるSE達は皆、そのくらいな事をされてもいい人間ばかりだぞよ。現にわしが今、CPUを奪った女などはな、コメントも無いし改行もない滅茶苦茶なコードを、仕様通りに動けばよいと言って書いておったわ。それもよ、この女の書くコードは早いし安いし仕様通りに動くと云うて、ケチな経営者どもが買っていたそうな。ワシは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば餓死をするのじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事をよく知っているこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ」
老婆は大体こんな意味の事を云った。CPUを盗られた女は、よほど疲れているのかこんな騒ぎでもノートパソコンを抱いたまま、全く起きる気配がない。
下人は、特殊警棒を畳んで、その柄を左の手で握りながら、冷然としてこの話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな人面瘡を気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いている中に、下人の心にはある勇気が生まれて来た。それはさっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上ってこの老婆を捕まえた時の勇気とは、全然、反対な方向へ動こうとする勇気である。下人は、餓死をするか転売屋になるかに迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心持ちから云えば、餓死などという事は、ほとんど考える事さえ出来ないほど、意識の外へ追い出されていた。
「ほーん、そうか」
老婆の話が終わると、下人は嘲るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を人面瘡から離して、老婆の襟上をつかみながら、噛み付くようにこう云った。
「ほな、ワシが転売をしようと恨むまいな。ワシもそうしなければ、餓死をする体なのだ」
下人はすばやく、老婆からCPUを奪い取った。それから、足にしがみつこうとする老婆をジャイアントスイングで投げ飛ばした。梯子の口までは、僅かに五歩を数えるばかりである。下人は剥ぎ取ったCPUを胸ポケットに入れ、床に置いてあった老婆の精密ドライバーセットも手に持ってまたたく間に稲妻のごとく急な梯子を夜の底へとかけ降りた。
しばらく死んだように倒れていた老婆が体を起こしたのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだライトがついているスマホの光を頼りに、梯子の口まで這って行った。そうして、そこから短い白髪をさかさまにして、門の下を覗き込んだ。外には、ただ黒洞々たる夜があるばかりである。
世間が知らない「飲酒運転は悪も、車内飲酒するトラックドライバーを全否定できない事情」
↑
この記事に対して「全面禁酒すべき」としか言えないブコメ。思考停止してる。記事をちゃんと読んでないだろ。
酷いのになってくると飲酒運転と車内飲酒を混同してる人までいる。読解力以前の問題だな。
そういうブコメに対して都度説明するのも馬鹿らしくなってきた。
説明を受けても自分の感情を優先して自論を曲げることはほぼないだろうし。
そういう人が大半を占める。
まだ年端のいかない子どもならわかるが、お前ら大人じゃないの?
我儘な連中ばかりでさ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/hashimotoaiki/20210709-00246886/
たとえ家代わりに使ってようが、拘束時間が長かろうが、車内にいて車を動かさざるを得ない状況が発生する時は絶対禁酒でしょうに/追い出したら輸送費上がるほどアル中多いの?待遇改善は必要だけどそれとは別でしょ
「ただ、飲酒運転を突き詰めていけば、「白」「緑」問わず「全トラック」はアルコールチェックするのに、他車両種はしなくていいのか、という問題にたどり着く。」したらええやないの(ペーパードライバー的感想
まさにこれらは「自分は平気だから他者に強要しても構わない」というはてならしさが表れている。ここにコメント寄せたりスター付けている人達は、酒を飲まないか車に乗らないかその両方である可能性が高い。この問題は一言で表すならばトラックドライバーの労働環境が悪いことに起因している。社内でしか休憩できず拘束時間も長い。宿泊も難しい。何より給与も安くて割に合わない。これで休憩時間の飲酒が禁止されないなら社内飲酒を無くせって声がどれほど遠いかはわかるだろう。
これらの最大の原因が消費者の宅配ニーズにあるのは間違いない。自分達で宅配を大量にさせている一方でドライバーを責めるとか、日本人傲慢すぎない?
https://anond.hatelabo.jp/20210630151410
でもタバコ休憩でコンビニに車停めてくれるからトイレに行きやすい。
逆に吸わない人と一緒だと休憩せず次の現場に行ったりすることもあってシンプルにキツイ。
男ばっかの職場だけど派閥争いある。争いってほどでもないか。表面はうまくやるけど無線の陰でボロクソ言う感じ。
一緒にトラック乗ってると、入社から数年の若手達が先輩の横暴さをグチったり、10年選手の中堅が仕事論を熱く語ったり……
短い間だったのもあるけど聞いてて飽きない。
(失礼だけど)意外にもみんな真面目。
ていうか割と大手の引っ越し屋だったのもあって想像以上にきっちりしてた。
お客さんの居ないところではやりたい放題かと思いきやダンボールも丁寧に扱うし、ヤンキーみたいな社員でも接客は丁寧。
ドライバーによってはクセが強いため、それを嫌がって無断欠勤するバイトが多い。なんならそのまま辞めていく。
シフトに入っていなくても、(暇だな〜と思ったら)勝手に出勤してしまえば大抵仕事はあるので働かせてもらえる。
だけどバイト始めて数日〜数週間は人として扱ってもらえていない感がすごい。
事務の社員も挨拶してくれないし、ドライバーからもアゴで使われる。
なんなら「トラックの横で待ってて」とだけ吐き捨てられて家に入れさせてもらえないこともあるらしい。(物損があると面倒だかららしいが)
それでも「仕事できる」ということがわかると対応が一気に変わる。
もらえるイメージはあったけど実際意外ともらえる。最初にジュースもらえるとやる気出る。
終わった後に金一封もらえるとうれしいけど大喜びとかではないし、仕事に影響するわけでもないので、利用する側としては「気持ちがあるなら渡す」程度でいいと思う。
下校中の小学生の列に大型トラックが突っ込み児童5人が巻き込まれ2人が亡くなった事件があったが
この事故のあった道は抜け道になっていて、普段から大型トラックがよく飛ばしていたそうだ
うちの家の前の道も、住宅道路だが抜け道になっていて結構交通量が多い
スピードを出して通り抜けていく車も多い
通学路どうこうというより、この通りに住んでる小学生はこの道を通らざるえない
おっさんである僕自身も道を歩いていて歩道すれすれをスピード出していく車と何度も遭遇したことがあり怖いと思ったことがある
今の所大きな被害者が出るような事故は起きてないが、家はゆるいカーブの抜けたところにあり
一度だけ車が家の壁に突っ込んだことはある
ここに人がいたら死人が出てたかもしれない
ドライバーの人達には、なるべく抜け道を使わないでもらいたいし、通るにしてもスピードを落として最大限の注意をして運転してもらいたい
オリンピック選手は無観客開催を引き金に起こった緊急事態で政府に文句を言っちゃいけないの?
カギを掛けないでドロボウにあったら、巡回をサボっていた警察に文句を言っちゃいけない?
娘が車に轢かれた瞬間、恐怖が勝って助けるために飛び込む勇気がなかったなら、轢殺したドライバーを受け入れなくちゃいけないのか?
当時私は24か25で、週末は友だちと会ったり、都心に買い物に行ったりすることが多かったんですが、なぜかその日は久しぶりに、父と自転車で西友に行くことになったのでした。買い物のためというよりも、恒常的に太っていた父の、運動のためだったかもしれません。
スーパーから家まで自転車で10分ちょっとの道、なんとなく父が先を走り、私が追いかけていく中で、自然と父の背中が目に入って、思ったんです。
あれ、パパの背中、思ってたより小さいんだな…と。
身長170cmちょっとに対し体重は90kg近くあり、どちらかというと「大きい」印象を与える父でしたが、背中を丸めてママチャリをこぐ姿は、食卓でビールとウィスキーと焼酎をちゃんぽんで飲んで管を巻いているときよりも、少し縮んだように見えました。
父はその頃60歳近いので、多少は本当に縮んでたのかもしれませんが、小さく見える理由はそれだけじゃないこともわかっていました。私が就職したことで、私のほうの見え方が変わっていたんです。
その頃はネットバブルと言われた時期の真っただ中で、私はそんな会社のひとつに、運良く入れていました。
そこは日本ではわりと大きな「ITベンダー」とか言われる会社の子会社だったので、親会社からエラい人が続々と天下ってきていました。でも当時まだ光ファイバーはおろかADSLすらほとんど普及してない時代、Windows 95が出てから数年って時代なんで、大手ITベンダー出身のはずのエラい人たちでも、じつはパソコンをほとんど使ったことがなかったり、せいぜいメールの読み書きができる程度だったりしました。そんな人たちがいきなり、ネットの会社の役員として送りこまれてくるわけです。しかも親会社はセミナーと称して顧客集めのイベントを開いて、子会社に送り込んだ役員を登壇させ、「ネットで御社のビジネスが変わりますよ」みたいな話をさせるんです。
そこで私がやってた仕事のひとつが、子会社に来て早々に付け焼き刃トークさせられる役員のために講演資料を作ることと、講演当日のカバン持ち(会場のプロジェクターにパソコンつないだり。当時はパワーポイントみたいな大きなデータを相手先に送るのも、容量制限でできなかったりしたのです)でした。私自身もその会社に入るまでネットにほとんど触ったことのないニワカだったので、資料作りといっても実際はもっとコアな先輩社員に依頼してネタ出ししてもらったりする、窓口的な役割です。
そんな、ニワカな私がニワカな役員をサポートする不安な構図だったんですが、講演はそれなりに(多分)好評で、親会社主催のものだけでなく外部のイベントに出張っていくこともありました。大きなホテルの「なんとかの間」とかの華やかな壇上で、スポットライトを浴びながらネットのビジネス活用を語る役員たちは、頭頂部が多少ハレーションしていても(だからこそ?)、いかにもエラい人っぽく見えました。エラい人「っぽい」だけでなく、ニワカであっても数百人を相手に堂々と話ができる、それは一朝一夕には身に着けられないスキルだと今でも思います。
大企業出身のエライ人たちはトークができるだけでなく、部下の扱いも丁寧で、いや私が若い女だからということもおそらくあったのですが、とにかくそういった講演サポート業務の後は、「お礼」と称して素敵なレストランなどに連れて行ってくれました。私はただ窓口になっただけなので、と言うと、じゃあネタ出ししてくれた人たちもみんなで、となり、ずいぶん大人数でごちそうになることもありました(それが会社のお金だったのかポケットマネーだったのかは不明)。
そんなわけで私の会社の人たちは、上司も先輩も同僚も、そこそこ大企業文化の中にいて、都会慣れしていました。「肩で風を切る」ってほどじゃないにしろ、少なくとも必要なときには背筋を伸ばして堂々と振る舞える、そんな人たちが、いつの間にか私にとっての「普通」になっていたのです。
それに対し父は、そんな平成っぽいスマートさとは無縁で生きてきました。そもそも、なぜ私が父を「パパ」と呼ぶことになったのかまったく理解できないような「おとっつぁん」的な風貌だし、人前で話す機会があるとしたら会社の朝礼か親戚の法事くらい、しかも話がムダに長くてつまらない、と家族の中で有名でした。素敵なお店なんか結界が張ってあると感じていたらしく、まれに家族旅行で伊豆のホテルに行ったときには、入り口から赤いじゅうたんが敷いてあることにおののき、「あのー、この、じゅうたんの上、歩いていいんすけ?」(いつも語尾がモゴモゴしている)と質問して失笑を買った、とか、ファミレスでアイスクリームを注文するときに、「フレーバーを選ぶ」という概念をまったく知らず、「えーこの、バニラ・チョコレート・ストロベリー・アイス、頼んます」と全フレーバーを読み上げたとか、そんなエピソードには事欠かない人なのです。
そしてその日も、うら若い娘とお出かけの機会だというのに、会社の作業服だか私服だかわからない、着心地だけが最高の服装で、ボロボロのママチャリに乗って、西友に行くくらいしかできないのです。
でも私は、だからといって、父の存在が恥ずかしいとか、引け目を感じるとかいうわけでもないな、とも思いました。
むしろ、その小さな背中にかかっているものの重さを、改めて感じたんです。
岩手県の奥地でだいたい10人兄弟の3〜5番めくらいに生まれた父(兄弟姉妹の半分くらいが子どものうちに亡くなってるのでいろいろ曖昧)は、中学校を卒業すると集団就職で上京し、小さな運送会社に入りました。最初は15歳で運転もできないので、助手として荷物の積み下ろしから始めて、18歳で免許を取って運転手になり、20代でその運送会社の社長の娘と結婚、30代で子どもが生まれ、それが私の姉と私になります。姉が生まれたあたりから、家族は会社のすぐそばに住むようになり、姉と私は毎日、祖父や父、社員の人たちが働く姿を見ながら育ってきました。
祖父の会社はオイルショックとかいろいろありながらも、高度成長期とバブル景気でそこそこに拡大、多いときは社員(「若い衆」と呼称)数十人を抱えるまでになりました。祖父は会社の仕事より、地元の運送業の顔役的なことをメインでやるようになっていたので、成り行き的に父が現場の切り盛りをしていました。
でも90年代、バブル崩壊以降は会社の業績が右肩下がりになり、銀行からも貸し剥がしを受け、頻繁に資金がショートするようになっていました。高度成長期に「若い衆」だった運転手さんたちも実際はもう全然若くなく、平均年齢50歳くらいになっており、お子さんがいる人たちもたくさんいました。2021年の今と違って景気は悪く、ネット通販からのドライバー需要も発展途上で、万一倒産した場合、ベテラン運転手さんでも簡単に次の仕事が見つかる見込みはありませんでした。
これがドラマだったら、私みたいなネット企業で多少の経験積んだ娘が家業に乗り込み、会社をITで立て直し、引いては業界全体を改革していく…となりそうなところです。でも、そうはなりませんでした。まず私自身、いきなり乗り込んで何か改善できるという自信がなかったし、何ができるかもわからないのに親のコネで会社に入るなんて、社員の人たちに申し訳ないと思っていました。また祖父や父には、私に苦労をかけたくないという思いもあったのだと思います。
なので私としては、今にも倒れそうな会社というボロボロの自転車を、とにかく倒してはいけない、続けなきゃいけないんだという思いで漕ぎ続ける父を、ただただ後ろから、見守ることしかできなかったのです。
高価なスーツを着てスポットライトを浴びることもなければ、お洒落なレストランに部下を従えていくこともない父だけど、私はどんなに誇りに思っていることか。
西友からの帰り道、緑道にかかる橋をのろのろと上っていく父の背中を見ながら、パパの子どもに生まれて本当に良かった、と思いました。
https://anond.hatelabo.jp/20210616172337
あなたは歩行者さん?自動車のほうが重量、幅、速度的に遥かに有害で、JAF調査でドライバーの9割以上が交通犯罪者だと判明していますけど?
横断歩道で自動車の9割が止まらない交通犯罪者だらけの惨状。海外先進国の自動車は9割が停止するのに対して、日本では9割が停止しない交通犯罪を繰り返している。
https://news.yahoo.co.jp/byline/sagawakentaro/20190923-00143791/
歩行者交通死の元凶は9割が自動車。つまり、自動車を憎んで自動車を減らそう運動したほうが歩行者の利益になる。人命の為にもなる。
https://i.imgur.com/FmfCsrc.png
歩行者の交通事故死ゼロのオスロ、その秘密は「クルマが走らない都市づくり」にあり | WIRED.jp
https://wired.jp/2021/02/04/oslo-pedestrianisation/
ノルウェーの首都オスロ等では自動車を減らして自転車を増やす政策が採用されている。
https://anond.hatelabo.jp/20210616182242
横断歩道で9割が止まらない それはヘンだよ、日本人!(佐川健太郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/sagawakentaro/20190923-00143791/
速度違反、一時停止違反についてはどちらも年間100万件以上が摘発されているほど日本は自動車ドライバーのモラルが劣悪。
交通犯罪者率でいえば日本は自動車運転手のほうが道路交通法を知っておきながら交通犯罪を繰り返す悪質な無法者が多いのが問題。
これが車カスなんだよね。自動車の違反は棚上げして、自転車にはギャンギャン喚く。
JAF調査で9割以上のドライバーは交通犯罪常習犯だと明らかになっているのが日本の現実。日本のドライバーは日本の恥なんだよ。
https://anond.hatelabo.jp/20210616172337
歩道の無い狭い道を疾走してきてこっちが避けないといけないし、人混みのなかに我がもの顔で突っ込んでくるのも嫌すぎる(最高速度違反及び、安全運転義務違反)。
こっちはただ歩いたり自転車漕いでるだけなのにクラクション鳴らして(警音器使用制限違反)どかそうとしてくるのも噴飯もの。なんでこっちがお前に合わせなきゃいけないわけェ!?
険しい顔して危険運転してるバス、トラック、タクシーの自動車も嫌だし、アホ面で車道を逆走している高齢ドライバーが運転する自動車も嫌。
以前は「自動車の維持費を10倍にして規制と罰則も3倍強化しろ!」って叫んでいたけど、もはや「自動車で違反を1度でもしたら生涯免許剥奪しろ!」って言いたい。ドイツで生涯免許剥奪適用の前例があるように。
自動車ってマジで邪魔すぎないですか? なんであんなに道路を占拠してくるんですか。自転車だったら4~6台は通行できる空間にドライバーたった1人という無駄をよく見る。無駄。邪魔。迷惑。
徒歩20分、自転車10分のところ5分にしたいからって重量、幅、速度的に極めて有害で更に代表的な公害車両である自動車に依存する卑しさ。人格がゴミ。
そのうえ平気で違法駐車していく遵法精神のなさ。そんなに自動車に乗りたいんなら背負ってろ!
嫌いすぎて定期的に「車カス」でツイッター検索しては、自動車が衝突してグルグルまわってる動画を見てゲラゲラ笑っている。
窓ガラスが血だらけになって、運転手がぐったりしてる海外事故動画もよく見る。
ちなみに日本の統計では自動車乗車中の年間死者数は1200人を超える。自転車はその3分の1以下。
保有台数における事故率死亡率統計を見ても自転車利用者のほうが車カスより長生き。
車離れが進んで自転車が増えるほど重大事故も公害も渋滞も不健康も減らせるというのは統計でも証明されている。
実際に人口あたりの交通死者数は自動車依存度が高い田舎ほど多い事実は都道府県人口あたりの交通死者数統計を見ればすぐにわかる。
自動車依存度が低い地域ほど人口あたりの交通死者は少なく、自動車依存度が高い田舎の地域ほど人口あたりの交通死者数が多い。
つまり自動車は人命を考えればもっと積極的に減らすべき「害物」だということ。
こんな俺に時代は確実に追い付いてきてる。
ニューヨーク、アムステルダム、パリ、オスロ等先進諸国の代表都市は車線を減らしてでも自転車専用道路ネットワーク整備を進めているからだ。日本もスローペースだがそちらの方向に進んでいる。