はてなキーワード: キャリアパスとは
https://sisidovski.hatenablog.com/entry/2018/12/09/191500 を読んだ。
新聞社はもとより旧来型メディアに特有の人事について理解をしておかないと、この退職エントリに関する事情を深く理解することはできない。メディア業界の置かれている環境とエンジニアの役割を正しく認識し、できるだけフェアな視点を保ち、注意深い筆致で書かれているが、やはりキーとなる一文がこれ。
「人事異動に透明性と納得感があれば、あるいは会社を離れずに済んだかもしれない。」
先日のNTT武蔵野通研の退職エントリとは似て非なるもので、結果としてGAFAに行ってしまったのは一緒だが、給与面から見通せてしまう先々の人生設計に絶望したというわけでもなければ(日経の給与は一般産業界平均で見ても高め)、プアな社内環境に絶望したというわけでもない。
旧来型メディアの人事は、編集局や報道局といった記者中心の組織に行われている。記者出身者を頂点に、会社の組織ピラミッドを構成している。人事部の社員よりも、編集局デスクや部長の方が権限が強いのもしばしばだ。日経の場合でいえば、総務局人事部より、編集局の方が権限が強い。編集局のお偉方の鶴の一声で、人事異動が通ったり通らなかったりする。編集局内にその論理が閉じていればそれでもいいのだが、他の局にも影響力を持っていることすらある。このあたりは『週刊ダイヤモンド』10月27日号の特集「メディアの新序列」に詳しい。
そうした状況の中、紙を中心に考えてきた記者あがりの上長や、上記のような異常な風習を是としてきた組織体制が、エンジニア、デジタル系の人材(特に中途採用)の業績を正しく評価し、キャリアパスを考えていくなどできるはずもない。旧来型メディア企業の、年次至上主義、年功序列人事の中で彼らをどう位置づけるか。日経に関しては電子版がはじまった当時から何も決まっていない。
おそらく彼は、日経の歴史をあまり知らないのだろう。成功事例になりうるビジネスが認識されると、編集局から落下傘的に「偉い人」がやってきて、その手柄をせしめるということが繰り返されてきたのだが、電子版でもそれがあったというだけだ。かつて電子版を立ち上げる準備段階でも、ここままいけば成功というのが見えてきたタイミングで急遽編集から人が降ってきた。また立ち上げ後も、電子版をリードしてきた人たちが急に子会社に飛ばされ、執行役員から外されることもあった。電子版が単月黒字になることが見えてからは、対外的な広報活動に精を出して活躍してきた人に対し、編集にもっと金を出せという圧力をかけると共に、突如なんとか長という謎の中間的上長を上にかぶせて冷や飯を食わせている。
そうした人事に抗う人に対しては、懲罰や解雇も恒常的に行われている。たとえばGoogleのサービスは便利だし、今どきのエンジニアなら必ず使いたがるものだが、いちいち「クラウド利用申請」なるものを出さなければならず、それに違反すると譴責や減給なども行われる。中にはデジタルなのに労働組合に所属していたから目をつけられ職場を追われた人もいる(裁判になっているようだ)。また、退職エントリを書いた彼も席を並べていた時期があると思うが、不正アクセス禁止法などの罪に問われた社員もいた。会社の姿勢に抗議する意味で社員約3千人分の賃金データなどを外部に漏洩させた社員もいた。
双方の言い分を聞かなければ本当のところの事情はわからないが(中には明確に犯罪もある)、彼はそうした組織に身を置き続けるリスクを実感として感じていたのではないか。優秀なエンジニアだから日本企業を捨ててGAFAへ、というのは一面的な見方でしかない。
近年、諸要因に伴う労働プールの枯渇と求人倍率の上昇により、博士課程院生のキャリアパスとして、日本でもようやく民間就職が現実味を帯びつつある。
例えば、この前も数学科?の博士課程修了の方が研究職を諸事情により諦め、民間就職にシフトしたことについての総括エントリをまとめ、バズっていた。
http://wakabame.hatenablog.com/entry/2018/11/04/190441
こうした潮流自体はもちろん喜ばしいことであると思う。しかし一方で、一人文社会科学系院生であり、かつ一応数年間民間企業で働いていた人間として、民間企業でのキャリアパスが確保されること=バラ色の未来とはとても思えなかったという経験がある。
これは、①本質的に博士課程院生を日本の民間企業で雇う際の歪み(特に非エンジニア職制の場合)と、②いわゆる「役に立たない」ことを研究している院生は、本質的に民間企業の価値規範にそぐわないメンタリティーを、大学院教育の中で滋養しているという二点に起因していると思う。
というわけで、極めて私的経験かつ、まったくもってエゴイズムの塊のような問題提起をあえてしておきたい。これは、前述したような近年の博士課程院生の民間就職を過度に褒めそやす風潮に対し、挫折し結局研究業界に戻ってきてしまった人間として嫌味を言っておきたいという気持ちによる。
私は修士終了後、まあいろいろあって博士課程進学と同時に民間企業へ就職をした。コレ自体、かなりイレギュラーではある。
仕事内容はまあ、詳しく言うと確実に特定されるので防ぐが、政策調査や地方自治体の計画策定コンサルである。官公庁の調査案件を請負、クソみたいな――時々インターネットで炎上するような――分析と鉛筆なめなめを行い、官僚様と政治家様の願望にそぐう数値をでっち上げる仕事である。
で、これは当然のことながら人文社会科学系の研究者の価値規範と真っ向から相反する。というのも、私たち人文社会科学系の研究者は、扱うデータがどのようなものであれ、そのデータの分析においては仮説を用意したとしても、最初から結論を用意するということはしないからである。ところが、この業界――まあいわゆるシンクタンク業界なんだけど――においては、最初から結論が決まっているので、データ分析はいかに結論をでっち上げるかという方向に労力が注がれる。
これはなんでそうなるかというと、この手の仕事がコンサルから派生しているからである。すなわち、元々コンサル業界の倫理観においては客の求める結論をはじき出すということがある程度正当化されているので(外コンのプレゼン術を名乗る本は多くの場合ただのごまかしである!)、それに基づいて目の前のデータを弄ることに抵抗がないのだ。ただ、そのデータを弄る際に、人文社会科学のスキルセットを援用するというだけなのである。
で、問題はこのスキルセットが活用できるという理由でもって、人文社会科学系の院生がこの業界を志望し、実際雇われているという現実である。サンプルサイズは極めて少ないが、私の周囲を観察するのならば、このギャップにやられて会社を辞める人間は実に多い。特に「優秀」――ここでの「優秀」とはアカデミアでの評価である――な人間ほどである。
事実、私は「優秀」ではないが、こうした現状に辟易して、言い換えるのならばアホなクライアントと上司の妄想に無理やり付き合うことに疲れて退職してしまった。
なぜこうなるのだろうか。それは、人文社会科学系の教育カリキュラムの価値規範が、現代日本企業と致命的にあってないからであると思う。
よく人文社会科学系の先生は、「常識を疑うこと」や、「新しい仮説を立てること」を大学教育の美点として強調する。私ももちろんこれらのことが本質的に良いことであることには同意したい。だが、これが現代日本の新卒就職においてよく働くかといえば、まったくもって嘘である。というのも、少なからぬ日本企業においてこれらのスキルが必要となるポジションは、多くの場合前頭葉が退化した老人によって占められており、我々若手社員がやりうることは、老人が出した意味不明な結論に向けて数字をでっち上げることだからである。この作業は、前述した批判精神と真っ向から相反する者である。私たちは、今まで培ってきたスキルセットをもってクソの世話をするのだ。
であるからにして、私は現在のアカデミア教育は、少なくとも人文社会科学系に限るのならば、民間就職に対し逆作用しか生み出していないと考える。ただ、これはアカデミアが悪いとは必ずしも言えない。繰り返すがこれは高スキル社員を作り出せず、無駄に高コストなジェネラリストという名の無能を社内に飼いながらスペシャリストの下請けを買い叩くという、日本大企業の伝統的構造に起因しているからである。鶏が先か卵が先かは言い難いが、そもそも日本企業において、一部理工系エンジニア(計量系の経済・社会・心理なども含めてもよい)以外は、「無能」――ここでの「無能」とはアカデミックにおける「無能」を意味する――でなくては生きていけないのである。
というわけで、現状の日本大企業の構造をそのままにしていては、博士院生をふくむ多様なキャリアを持つ社員の活用なんかできっこないし、実際出来てなかったよ、ということを本エントリは主張するものです。
金はないけどアカデミック最高!好きなことを好きにやれる環境って、結局俺たちには大学しか無いの。俺たちには理研も産総研も産学連携ベンチャーもない。同情するなら金をくれ。役に立たない研究しかしないけどね。
年齢差別|
能力やポテンシャルと関係なく年次や年齢で処遇が決まる。能力があっても若ければダメだったり、ポテンシャルがあっても年食ってたらダメだったりする。また、年金問題に代表されるように世代間の不公平がシャレにならないレベルに達している。寿命が近い老人の延命のために法外な費用を国は肩代わりし続けているが、その一方でこれから生まれる子供、その子供をつくる男女、生まれてきた子供のための費用を出すことには渋る渋る。
どのルートから入ってきたかで、その後のルートの大部分が最初から決まっている。同じ能力の人間でも新卒時に正社員で入社するか、既卒で派遣社員から入社するかで天と地ほどの待遇の差がある。そして、その差を入社後に解消するチャンスは乏しく、基本的に差は一層開いていく。そういうキャリアパスが初めから敷かれている。
身分差別|
解雇規制があるため、無能な正社員がのうのうと茶をすすりながら高給を食んでいる傍らで、有能な非正規社員が馬車馬のように働いていたりする。最近ではこれに外国人差別が加わった。
技能実習生に代表されるが、非熟練労働の外国の人たちを奴隷扱い。彼ら彼女らも人である。まず同一労働同一賃金であるべきだ。それから、外国から来た人も数年日本に住めばコミュニティも作るし子供も作る。一時的な労働力のつもりであっても、いったん受け入れたなら、相応の福祉を提供して融和しなければ必ず将来に禍根を残すのだが。
能力のある人間に相応の報いを与えない。人より成果を出しても給料は同じ。ポジションも変わらない。最近では転職が昔ほど異常視されなくなったので、能力や成果に報いない企業からは人材が流出するようになりつつあるが、それは正社員の話。年齢差別、入口差別、身分差別、外国人差別とのコンボで割を食っている人間が日本にはごまんといる。
男女差別|医学部入試の件が記憶に新しい。あれは男女差別と年齢差別のダブルパンチで、日本の醜さを煮詰めたような事件だ。根本的な問題は医学部の定員を増やさないことにあるが、そこを解決しないまま上っ面かつ非倫理的な解決策に飛びつく怠慢が問題を深刻化させている。
他にも何かある?
Dragoonriders まあ、こうして知見が溜まるのは、素朴な疑問って大事だよな、と言っておく。疲れると思うが存分に書いていただきたい。
単に文系アカデミアでのキャリアパスを聞かれて答えただけならこんなに疲れねえよ!
文系の論文を読みもせずにお気持ち表明学問だと決めつける連中,
文系がどういう資料を使って研究してるかもろくに把握せずにエビデンスがないエビデンスがないとわめく連中,
査読されてる雑誌は今日日たくさんあるよと何度も言ってるのに査読論文がない! って吹き上がる連中,
こんな連中が寄ってたかって文系への偏見に満ちたコメント垂れ流すのは「素朴な疑問」とは呼ばねえよ! 素朴な疑問って大事だよねとか微塵も思わねえよ!
丁寧に水の機序について説明してくれる科学者が現れてくれたから水からの伝言って大事ー>< とか思うか? 思わねえだろ?
現代医療について解説してくれるお医者さまが出てきてくれたからホメオパシーって大事ー>< とか思うか? 思わねえだろ?
人文学と社会科学か。社会科学のほうが科学なのに怪しさが入り込む余地がある気がしてしまうのも奇妙だが、哲学とかだと論理的な議論はあっても「正しさ」を決めることはできないからかな。
フィールドワークと統計、後者は理系的な手法が通じそうなんで、査読方式とかガンガン理系の様式を取り入れていけば(もうそうなってるかもしれないが)いいと思うんだが。
政治学のキャリアパスの話(昔はこうだったみたいな話のレベルで軽く聞いたことあったけど)勉強になった。
でも彼ら今まさに、一部の一般国民どころか国会議員レベルから軽んじられてるからなあ。御用学者も反政権でメディアで重用されてる人もいるんで発信力は大きいけど、肝心の法改正や憲法改正の試みがひどい低レベルの議論で行われているようとしているように見える。それは法学者の言ってることがどこか信頼に支えられていないところがあるせいで、話は聞いてもらえるけど究極的には信じられてなくて、システム系の専門家がサマータイムの支持率を反転させたような説得力を持たないせいなのではとか思ってしまう。過渡期といわれるが今後変わっていけるのだろうか。それとも政治のことは学問では上手くいかないと諦めるしかないんだろうか。
ジェンダー論でもまともな学者もいるの知ってた。こういう学問の悪用騒ぎの時、高みから呆れた眼差しでみてるのどうなんだろうな。ニセ科学に対する理系の反応も似たようなとこあるし、そっちのほうが実害出てるから問題かもしれないけど。ただ法学政治学社会学教授、話聞くとコネ採用多すぎるよとは思う(優秀な人もいるけどあいつは駄目って話もかなり聞く)。理系でも教授の贔屓やコネはないわけじゃないけど論文数(あるいは引用数)で無能認定する仕組みは馬鹿の排除には有効なんだよ(捏造の動機にもなるけど)。
物理学は2つに分けるなら実験系と理論系だと思う。前者は実験装置があってなんぼで、後者は数学の世界。扱う対象で言えば物性物理学と宇宙・素粒子物理学だろうか。物性物理学は手の届く物質を扱う学問で化学と近接している。
なんか新人は大変そうだなって。
私がその増田で話していたのは「著書」の話です。ふつうの論文ではない。著書を出してる時点で既に何本か業績があるのは前提。
そんなん常識だろって思って文系のキャリアパスを説明しなかった私も悪かったと思うので詳しく説明します。分野によって違うけど、私の分野では、
さて、学術書というのは分厚いですね? 基本的に文系の学術書というのは論文を何本も積み重ねてようやく書けるサイズのものです。というか博士論文の時点で学術書として出版できるくらいのボリュームを要求されたりします(まあここは院によりますが、しかし薄い博論で学位を取れたとしてもそんな論文は本として出版できないかどマイナー出版社から出版するほかないので、評価されるちゃんとした書籍を書こうと思ったらめっちゃ書き足す必要があったりして、要するに「書籍の出版」を業績とみなすのも故なきことではないのです)。なので、実質的に論文を何本も書いたことがないと単著なんて出せません(私の院では、博士論文の提出に際して既発表の論文数などは問われません。なので発表した論文がゼロの状態で博士論文を提出することも理論的には可能なのですが、実質的にそんなの無理です。私の周囲の博士号取得者は何本も論文書いた上で博士号獲ってます)。
つまり、単著出してる時点で論文デビュー済みのことが多いわけです。
(ちなみにこの辺は国によって違ってて、日本だと博論は既発表論文を寄せ集めて書いても問題ないけど、たとえばドイツだと博論に既発表の論文を組み込まずに書き下ろす必要があり、なおかつ博士論文には出版が必須なので、ドイツで最初の単著を出した人のその時点での業績は日本基準では少なかったりします。そのへんの話はこちらのまとめを参照→https://togetter.com/li/9904)
もちろん、最初の著書が新書です、みたいな人もいます。院生時代に研究成果をもとにした新書書いて、そのあと博士号取って分厚い単著出しましたみたいな(『パンダ外交』)。むっちゃ分厚い修論書いてそれを単著にしちゃう猛者もいます(小熊英二)。ただそういうのはレアケース。また、博士号取得→別のテーマで単著を出版→その後に博論に基づいた単著を出版という流れもありえます。こっちは割とよく見るかな。講談社選書メチエの『湾岸産油国』とかそうじゃなかったっけ。
んで、良い論文を何本も書いたり、単著出したりしてると、インテリ向け商業誌とか権威のある学術誌とかからお呼びがかかります。「お前、うちの出版社が出してる商業誌に書いてくんね?」とか「お前、うちの学会で今度組む特集号に書いてくんね?」って感じです。これが例のセンセが言ってた「招待論文」。「依頼論文」と呼ぶ業界もありますね。当たり前ですが、程度の低い研究ばっかりしてると呼ばれません。
(査読がなくても良い論文が有り得るってのはそういう意味です。最近だと院生向けの紀要にも査読つきが増えてるけど、そういうマイナー誌の査読論文よりも商業誌に載った論文の方がよく読まれていたりする。当たり前だけど紀要の無査読論文とかよほど内容が良くない限りめったに読まれませんし参照もされません)
要するに、昔はどうだったかは知りませんが、最近では査読誌の論文が新人の登竜門として使われ、ある程度実績が増えると査読なしの論文を書く機会が増える、というのが私の周囲での割とよくあるキャリアパスです。それまでの実績がない若い人にも当然チャンスはあります。
まず、そのイベントが勤務時間内か外か知らんが、上長と調整してるってんなら、勤務時間内かな。
であれば、上長にその人に参加してほしくないことを伝えて相談したうえで、その人に上長への相談を呼びかければヨロシ。
勤務時間外であり、そのイベントの募集要項にその人の参加を拒む条件がないのであれば、それはイベント設計の脆弱性だ、あきらめましょう。
全体的に正社員が有能で、派遣社員は無能というよくわからないプライドがあるようだが
その人を使えない時点で、君自身にも問題があると思った方がよい。
その派遣の人にも問題はあるんだろうけど、その問題を改善しようとしているようにも見えないし。
まっとうなキャリアパスを通るなら、君もいずれマネージャーとなるのだろうし
○朝食:なし
○間食:フライドポテト、ナゲット(夜の0時を回るとカロリーも寝るから実質0キロカロリー)
○調子
はややー。
もし自分がちゃんとキャリアパスとかを詰める会社にいたなら、研修とかやる仕事がしたかったなあ。
海外ドラマを見よう計画の一環で、スーツという海外ドラマを見ている。
知らなかったのだけど、すごい有名な作品らしい。
有名になるだけあって面白い。
面白さの質がこう、キャラクタ同士の関係性というか、二人がイチャイチャしてるというか、
二人がこう濃厚で、こう…… その……
僕が漫画描けるタイプのオタクだったら、主人公二人のエッチな漫画を描きたくなる。
●iOS
なんとなくガチャが回したくて、もともと貯めてた500ダイヤを使ったら、Sデオを引けた。
ずいぶん長い間、圧迫を組んでるのに、Sデオ無しでやってたけど、ようやく引けて嬉しい。
そんなわけで、デッキを考えた。
ゾロアーク、ゾロアーク、ロトム(ヒートロトム)、Sデオキシス、ゲンガー(メガゲンガー)、ニャヒート(ガオガエン)
こんな感じ。
そう思って何回かリーグマッチに潜ったのだけど、連続でオノノクスと当たった。
○グラブル
目標まであと3つ。
○モバマス
どうもこのイベントは一点集中するのがコツのようなので、ここからは自然回復でゆっくり歩き、ガンガン走ると決めた日に頑張ろう。
お笑い芸人の典型的なキャリアパスは、以下の通りであるような気がする。
①M-1やキングオブコントなどの賞レースで結果を出したり、ネタ見せ番組で大きくウケたりする
↓
↓
③MCになる
他にもワイドショーのコメンテーターとか色々あるけど、単純化するとこう。
仮にこうだったとして、①と②と③って、求められる能力が、全部違わない?
面白いことを言う、みたいなレベルでは共通してるかもしれないけどさ。
そこで何が起きるかと言うと、①から②へ、②から③へ上がってきたときに、前の段階で出来ていたほどの成果が上がらない、とか、②や③なら出来るのに①が出来ないから世に出られない、みたいなことになる。
もしそうだとしたら、途中段階すっ飛ばせるようになってた方が良いんじゃないかな。
https://president.jp/articles/-/26144
高卒で入庁して長年勤めあげるとダメでも幹部候補生学校に入校できます。
そして目出度く尉官以上になります。皆勤賞みたいなもんです。だから、幹部の高卒率が高くても、それはしゃーないことです。
また、中卒、高卒で入っても任期付きから特別秀でた分野があると推薦で幹部候補生学校に入れます。上の覚えが良い人とかも。
高卒→レンジャー→幹部候補生学校→部隊→学校→→→レンジャー教官→部隊→上がりで佐官みたいな人います。
だから、単純に自衛隊が知性を軽視しているわけじゃないと思う。
安全保障だとか行政だとか政治だとか法律だとかの学位持ちは知らない。
隊内の各種学校ばっかだね。超優秀だと米軍の学校行く人いるけど。
中学校レベルの根性論とパワハラは、男子高レベルのノリといじりだと中の人たちは思ってる。
おっさんたちが真顔でやるので、糞始末に負えないけど。
小さい頃の夢は何だったのか?思い出そうとしても出てこない。何かの文集に「サラリーマン」と書いたような気もする。
昔から、考えることは挑戦的なのに、実際やることは安牌なことが多かった。挑戦をすると、必ずや誰かに何かを言われる。それがアドバイスであっても、何かを言われることが異常なくらい嫌だった。なぜ嫌なのか?プライドが高いから、完璧主義者だから、潔癖症だから、周りの目が怖いから。理由はいくつかは思いつく。でも、理由などどうでもよい。問題は、私を司るマインド的なものは、その嫌なことから逃げてきた結果であり、本当にやりたいことから絶妙なズレを起こしているかもしれないということ。
仰々しく書いたけど、要は、今日の夜カレーが食べたいのは、本当に食べたいからなのか、妻の作りやすい料理だからなのかが、マジでわからないということ。夕飯レベルなら可愛いもんだけど、今の仕事って本当にしたいの?将来描いてるキャリアパスって、無難な道を選んでるだけじゃないの?って感じで、もうほんとうにわからない。
それはそれでいいんだよね、あまり自分本位過ぎてたら、今みたいに家庭にも仕事にも恵まれてる状況にはならなかったかもしれないし。
医療サービスが買えないということはすなわち「何も悪くないのに苦しんで死ぬ」ことである。また、大昔は宗教がそうであったのかもしれないが、代替サービスも少ない。よってある程度価格が高くても買われるサービスである。一方、人間年をとるとあちこち悪くなるので、価格が一定程度安いと需要が爆発的に増えるサービスでもある。
要は、価格がニーズや需要を反映せず、言い換えれば価格感応度が低く非常にいびつな需要曲線を形成するサービスである。
(更には、供給が滞ると社会不安を招くので採算度外視で供給されがちであるとか、需要者たる患者と供給者たる医師とのサービスに関する情報格差が激しい、等の特徴もある。)
以上から、医療サービスは自由に市場で売り買いするのが難しいサービスである。米国を除く多くの国では、医療サービスは規制され市場の仕組みに寄らない形で供給されている。
人間年をとるとあちこち悪くなるとはいうものの、壮年までは健康な人の方が圧倒的に多い。一方、医療サービスは決して安いサービスではない。よって、「多くの人から少しづつお金を集め不幸にも病気になった人に支払う」という保険の原理に良く馴染む。
医療サービスは市場の仕組みに寄らない形で供給されており、その供給量は保険金の総額で決まる。保険料が十分安ければ上述どおり需要は増えるので、保険金の総額=供給量=需要量となる。
医療サービスは一般的に決して安いサービスではない。供給側も多くの資源を投入する必要がある。専門性が高く、収入が少なくなったからといって別業種に転換するのは難しい。一方で、ニーズの総体ではなく保険金の総額という制約のもと供給が決まるので、国が医療保険を運営している場合、どうしてもサービス価格に下押しの圧力が掛かる。価格がニーズや需要を反映しないことは供給側資源価格でも同じなので、すなわち、何もしなければ「医師が離散しない程度」までサービス価格は下がることになる。実際、冷戦期の東欧諸国では上記の事態に陥った国もある。
医師会が強力な政治力のもと、(医師の品質管理的な意味合いもあって)医師数を抑制気味に保ち、よって個々の医師の収入を高止まりさせることに成功した。
一方で、価格がニーズや需要を反映しないので、供給者サイドでの人や資源の配分に価格情報(≒優秀な人は高い収入の場所へ、そうでない人はそれなりに)は使えない。よって、基本的には厳しい上下関係の下、医局が各所のバランスを取って独善的に決めていた。個々の医師に自由は少ないが、「若い時には医局に居て激務に耐え年を取ったら開業医になって高収入と余裕を得る」というキャリアパスで報いていた面がある。但し、このキャリアパスの仕組みは本質的にヤクザの鉄砲玉と同じである。
また、このキャリアパスでは常に開業医が大学病院勤務医の先輩になるので、医師会は開業医の発言力が圧倒的に高い組織であった。
医師に自由がなく医局が独善的に全て決めるということはさすがに前近代的だということで、この仕組みは弱まった。
そうなると、医療サービスの特殊な需給構造の中で、個々の医師が自らの経済合理性・医師としての信念でものごとを決めていくことになる。価格がニーズや需要を反映しないこととは、供給者サイドでいえば優秀な医師もそうでない医師も一件は一件で受け取りは同じ、ということである。
ここで生じたことは「中庸への集中」であった。保険金総額の制約があり、品質を過度に磨いても固定価格であることから、リスクを抑えながらその中で品質を保ち十分な件数をこなすことが多くの医師の最適行動になる。
最新情報に数年遅れをとる若いうちの僻地勤務はダメ、高収入でも業務はきつく医療訴訟のターゲットにされやすい外科はダメ、必要性は高くても医療訴訟のターゲットにされやすい産婦人科はダメ、等。これらは社会的意義もニーズも大きいが、そもそも自由に市場で売り買いできない医療サービスでは、「リスクに見合う価格」はもとからない。個々の医師がこれらを行う合理性は全くない。
結果として、個々の信念に頼るか、負担は大きくなっても別枠で予算を確保して充てることになる。
女子が外科等を選ばないということは、女子の方がより合理的な選択をしているということである。もしくはリスク許容量が少ない状況であるということである。
お勧めしません。名前には厚かましくも科学なんてカッコいい単語がくっついてますが、生命科学なんて科学でも何でもありません。ちょっとした仮説とただのブルーカラーな単純肉体労働で成り立ってるものにすぎません。
生命科学は一応分類上は理系に含まれますが、工学数学化学等とは違って、理数的な能力を活用できる場面に出会うことは殆どないです。細胞濃度とか溶液濃度みたいなクソ簡単な計算くらいしか出てきません。文系上がりの人間でも生命科学はできます。
理系で優秀な頭脳をお持ちの方が生命科学に進んでしまうと100%後悔します。絶対にやめましょう。
To make matters worse, 生命科学は理数的な要素が極めて少ないだけではなく、学生の将来のキャリアパスも非常に不透明です。学部か修士で出るんだったらまだ何とかなりますが、この分野で博士まで進学してしまうと非常にやばいです。早まってはなりません。
アンサイクロペディアのピペドの記事とか2chとかで生命科学の闇が頻繁に語られているのにもかかわらず、なぜか生命科学に足を踏み入れてしまうものが後を絶ちません。(私もその一人ですが.....) どの分野に進むかは熟考に熟考を重ねたうえで決めましょう。
後悔してからでは遅いです。
一にも二にも社会で応用できるような汎用性の高い専門技術が身につかないからです。生命科学系の研究を一生懸命やっても身につくのはピペット操作、PCR、トランスフェクション、、、、いずれも単純作業でしかありません。こんなの誰でもできます。
工学系で一生懸命やればプログラミングとかネットワーク構築とかができるようになります。めちゃくちゃ需要あります。
化学系で一生懸命やれば有機合成とか高分子合成とかができるようになります。こちらもやはり引く手あまたです。
もうわかりますよね?
生命科学の分野の頂点にいるのは医師です。医学部以外で生命科学をやっても勝ち目はありません。どんなに頑張っても一番最後のおいしいところは全部医師にかっさらわれてしまいます。
つまりどうしても生命科学を研究したいのであれば医学部に行くしかないのです。ピペドを搾取する立場に回りましょう。
また、非医学部出身者だとやはりミクロ(細胞)な視点に陥りやすくなってしまい、その点でも医師にはかないません。解剖学も学ぶべきです。
医学部に行けば医師免許という超強力な資格をゲットできるので、研究者としてやっていけなくなっても路頭に迷うことはありません。
生命科学の研究をやりたいけど医学部に入れる学力はないという状況にある人もいると思います。
はっきり言いますけど、医学部に入れない頭脳しかないのに研究者を目指すこと自体がばかげています。
バカが研究者を目指しても無残に散るだけです。変なプライドは自分の身を亡ぼすことになりかねません。何事にも素養が必要です。現実を認めましょう。
生命科学以外でも活躍できる場所はいくらでもあります。他をあたってください。
生命科学の唯一にして最大のメリットは医学部への学士編入が容易(ただし旧帝&トップ私大非医出身者に限る)であるということです。(私も今年度医学部編入試験を受験する予定です。多分受かります。)
しかし医学部学士編入するんだったら最初から医学部に行けばいいわけであり、やはり非医学部で生命科学をやった時間は大きなロスになると思います。
生命科学系はデメリットに比してメリットが少なすぎます。人によっては上記のメリットも当てはまらない場合もあると思います。この場合はメリットが一つもありません。悪いことは言いません。別の分野を選びましょう。
生命科学に関する良書は無数あります。独学で十分習得できます。生命科学はたしかに面白いですが、専門的に学ぶのはよしましょう。趣味程度にとどめておくのがよいでしょう。
もし既に生命科学の闇に引きずり込まれてしまった人がいましたら、そう急に脱ピペドしなくてはなりません。私のように医学部編入を目指すなり、プログラミングを勉強するなり、株やFXの勉強をするなりして保険をかけるべきです。現状のままずるずる行ってしまうと地獄を見ることになります。早く目をさましてください。時間は有限です。タイムリミットはすぐそこまで来ています。
ぐだぐだになってしまいましたが、やはり生命科学を学ぶなら医学部に行くしかないと思います。医学部に入れない程度の学力しかないのなら別の道に進みましょう。
30代女医です。
私の同期(外科)は後期研修医で子どもを産んだ。夫(外科)が育休を取った。出産は女にしかできない、産んでダメージ受けた身体を休めるのも自分にしかできない、けど育児というか育休を女が取らなきゃいけないっていうのはただの呪いだよ。仕事を優先したい、誰かに迷惑を掛けたくない、とかそういう気持ちはもちろん否定されるべきではないと思うけど、自分の人生何がやりたいかを考えた方がいいよ。仕事をメインで回していきたいなら他を犠牲にするしかないのがわれわれ医師だけど、いいじゃん、9時5時患者のこと全力で考えてあとは自分の人生を生きるのは間違ってない。高校の同級生の2倍給料貰ってたって、それは勤務時間に対して払われてるにすぎない。そんなふうに自分を責めないでほしい。マイナー科だって絶対に必要な科なわけで(うちの大学の病理、残業めっちゃある)、タンス免許にしとくより助かる人は増えるんだし。手の届く範囲より広く誰かを助けようとするのは傲慢だし、そもそもそれは行政の仕事です。子どものいる男性医師は、妻の人生から仕事を遠ざけているんだよ。
あと女が下方婚しないとかいう発言は無視していいです。同じレベルの人と出会うと男の方が給料がいい社会だからです。
医師のキャリアパスは、女性のライフステージに合ってないんじゃなく、人間のライフステージに合っていない。あなたは悪くないし、あなたが医療崩壊の引き金になるというならそれは制度が間違ってるんだよ。
他にも同じようなこと言ってる人いるけど、女「が」仕事を犠牲に人生やらなきゃいけないっていうのは誰かの呪いでしかないよ。ガチで仕事やりたければやったらいい。サポートしてくれる人と婚姻したらいい。今交際してる彼ともよく話し合いなよ。みんなで呪いをといてこうよ。私はこれから妊活だけど、育休は夫が取るよ。そうやって後続の女の子の呪いをといていきたいって、私と夫は思っているよ。
育休とろうがいつでもまた働けるのはこの免許の強みです。せっかく誰かを助ける力を得て、使いたいと思えるなら、自分の好きなように使ったらいいよ。それはここまで勉強して資格を取ったあなたの権利であって、そんなことで誰かに後ろ指さされるならそんな指は折ってしまえ。