「インターネット」を含む日記 RSS

はてなキーワード: インターネットとは

2024-01-22

日本人政治の話を嫌うみたいなやつ

めちゃくちゃ気持ちわかる

右も左も言い方がかなり悪い人だったり、思想が極端だったり、ちょっとそれは無いんじゃない?な人をインターネットで見すぎて

政治の話をされると「この人はどっちだ……?」の気持ちになる

なんか身構えちゃうんだよな。自分と同じ意見の人であっても

めちゃくちゃ良い人だな〜って人と政治の話をしたとして

政治家に罵詈雑言吐くタイプ人間だったら「こわ……」になるし

言ってる主張が例え間違ってないとしても、そういうの聞くの結構キツいんだよな

こういうの言うとトーンポリシングって言われそうだけどさ

接客とかでも言い方ひとつクレームからありがたいご意見に変わるのを見てるとやっぱそう思う

日本オタクパクリナイーブ過ぎるバカが多い

追記

こうしてすぐ違う考えの相手を敵だとか馬鹿だとか決めつけてしまう態度ってSNSネットが広めたのか人間性質なのか悩む。「見ていてあまり気持ちのいいものではない」ってそれも倫理観モラルの話じゃないですか。

どうしようもない反論が星集めてますが、根拠のないパクリ認定誹謗中傷普通に法に触れる可能性がありますよ。

本文

パルワールド、生成AI叩き、トレパク魔女裁判、他にも最近だと呪術廻戦の演出へのパクリ批判とか、ちょっと古いところだとbuhitterやpixiv BL同人論文無断引用とかもあったな。普段二次創作親告罪からグレーゾーンと主張しておきながら特に著作権に関する知識があるわけでもなく、ただただお気持ちで騒ぐだけで中身がなにもない。

100歩譲って自分が気に入らないと表明するだけであれば好きにすればよいが、製作者やファンまで『倫理観モラルがない』、『パクリ肯定する低俗ファン』と無根拠批判するのは手に負えない。しかもそういったポストをしているオタクアイコン版権モノだったりするので笑えない。他人創作物を参考にした合法表現グレーゾーン(笑)二次創作のどちらがより倫理観モラルに欠ける行為であるかは火を見るよりも明らかだが、そういったことに考えすら至らないのはシンプル頭が悪いしか言いようがない。

更に笑えるのが、日本オタクの多くが表現自由を重視していることだろう。公的空間での女性蔑視的な表現をやめろと要求するフェミニストに対して表現自由を盾に表現を守ろうとする一方で、気に入らないゲーム表現があればお気持ち棒を振りかざすそのダブルスタンダードに気づけない残念な頭の持ち主が日本オタクの大半である

こういった馬鹿オタク放置することは今後日本人が自由創作活動をする上で問題となるし、見ていてあまり気持ちのいいものではないので適切な知識をつけるかさっさとインターネットから消え去って欲しいと願うばかりである

Twitterなんてやらないほうがいいよ

こいつの書き込みはたぶん誰かが有給取ってそれをツイートをしてるのを見たから腹いせに書いてる

見ず知らずの人間個人情報開陳すると、どこで誰の恨みを買うかわからないと肝に銘じておくべきだろう

からTwitterFacebookもインスタもブルスカマストドンもできる限りやらない方が良い

文章を書きたければキャンパスノートにでも書けばいいだろう

インターネットはもはや発信のデメリットしか存在しない

anond:20240122135631

自称中庸ネトウヨの30代男性が、ブルアカ感謝していること

色々と思うことがあったので書きなぐってる。超久しぶりの増田なので、読みにくかったらごめんなさい。



小中の頃からパソコンインターネットに入り浸ってきた。まぁそれなりにサブカルにどっぷりだったほうだと思う。あの頃からパソコンを触っていたおかげで、今ではWebIT企業エンジニアをやっている。

初めてインターネットに触れた頃、2ちゃんねる全盛期、おもしろフラッシュ倉庫全盛期というような感じだった。

いいタイミングインターネットをはじめられたと思う。本当に朝から晩までCeleronのクソPCで「ネットサーフィン」をしていた。あの頃の自分が居たから、今の自分がいると思っている。



話を本題に移すのだが、あの頃のインターネットをやっているやつは、みんなネトウヨだったと思う。

社会的にもややこしい時代だった気がする。中韓ではしょっちゅう反日デモが起こって、その度に国旗が燃やされてたし、その一方で日韓ワールドカップがあったり韓流流行ったりと、何かと「そういった話題」に事足りなかった。

この当時から中韓特に韓国に対する不信感が根強くついた。「みんなビジネス日本と付き合っていて、実は腹の中では日本のことが嫌いなんじゃないか」と。韓流とか言って日本に稼ぎに来ているのに、一方で日本国旗を燃やしている様を見て、ネトウヨ中学生はそのように感じた。

割と反韓感情を持っていたし、表立って日常生活では見せなかったが韓流等は毛嫌いしていた。親は韓流にハマることはなかったので、幸いにも生活に支障は出ることはなかった。全部なにかのパクリだと思っていたし、付け入られると良くないことが起こると思っていた。多分人生の中で一番ネトウヨしていたと思う。


ある程度大きくなって、そんなことは一概には言えないことが分かってきた。中共おかしいが、中国人自体別に全員がおかしいわけではない。おかしくないやつもいる。韓国だって、全員日本が嫌いで国旗を燃やすわけではない。

この頃からある程度は中庸になってきたと思う。

もう少し大きくなって進学していくと、大学だったり大学院には中国人留学生韓国留学生が居た。彼らは皆良いやつだった。

しかしながら、魂に刻まれた何かがやっぱり心をざわつかせた。そこまで具体的に強い思いは無いがなんとなく障壁を抱いていた。そんなこんなで手放しに心を許せるような関係になることはなかった。


社会人になってからもそうだ。

同僚にはちらほら中韓ルーツを持った人がいる。日本国籍を取った人もいれば、就業ビザで働く人もいる。バックグラウンドは様々なので価値観は色々だが、少なくとも悪い人たちではない。

中にはどっぷりなオタクも居て、私よりもエロゲに詳しいやつもいる。面白い

それでもなお、なんだかちょっとしこりがあるんだ。心の底に疼くネトウヨ精神が壁を作ろうとする。若干コミュニケーションがぎこちなくなってしまうというような感じだ。


大陸系のコンテンツもほぼ消費してこなかった。「たまに良いエロ同人を描く人がいるな」くらいな感じしか触れてこなかった。向こう発のサブカルは若干避けていたところがあった。



そんな中でブルアカ流行りはじめた。

初めは大陸ソシャゲの一つだと思っていた。何なら相変わらずなネトウヨ精神で、大陸ソシャゲに対して良いイメージは持っていなかった。パクりか、品のない(金!女!暴力!的な)日本語の怪しいゲームしか無いと思っていた。

でも思ったより流行った。Twitterには大量に画像が流れてきた。「金ばら撒いて、絵師に描かせるんじゃないか?」…失礼ながらそんな風にも思っていた。


しばらくたった日。そう去年の今頃、ブルアカストーリーが山場を迎えていることを知った。

「最終編」なるものが始まったことと、アニメ化が決定したことを知った。たまに見るVTuber(名取さなさん)のプレイ動画を見て、なかなかしっかりとしたストーリーがあることが垣間見えた。

正直、エロゲもびっくりなえっちキャラデザキャラばかりだったので、エロに全振りしたゲームだと思っていた。実はそうじゃないらしい。

少し調べてみると、ミツキヨさんが音楽担当していることを知った。同人音楽聴く中で、前から知っていたコンポーザーだった。驚くことに彼は韓国人だったらしい。全然知らなかった。


ちょうど仕事が一段落して少し時間ができた時だった。「最近サブカル趣味ができていないし、何かやりたいな」そんな風に思っていた。

自分理性的人間だとは思っていたので、良くわからない魂に刻まれネトウヨ感情食わず嫌いをするのも良くないと思っていた。まぁ自称中庸なわけだし。

なんとなく自分琴線に触れる要素があるかもしれないと思った。そんなこんなでブルアカを始めることにした。



やってみて、正直びっくりした。本当にスタッフがみんな韓国人なのか?と。

日本アニメゲーム(エロゲも含めた)、ラノベ等々に影響された重厚ストーリー。それでいて、どことなく新鮮なストーリー展開。

ミリタリー青春RPGが、絶妙バランスで成り立っていることにびっくりした。このトンチキなキャラデザで。


とりあえずブルアカめちゃ楽しい!!!!!!wwww


ただただ圧巻された。正直猿真似でしょ?と思っていた自分の浅はかさを恥らしく思った。

日本オタク文化を、幼少期から浴びて成長した生粋オタクじゃないと、こんな物作り出せない…と感じた。そしてそういったオタクは1人だけではなく、組織を作れるほどにいるらしく、かつ彼らの価値観は高いレベルで共有されている。ただただ驚きを感じた。日本でも、こんな素晴らしいアウトプットを出せるチームを作ることは難しいだろう。日本と同等かそれ以上に濃いオタクがたくさんいることを強く感じた。

思えばまさに彼らは「海外のおまいら」であり「オタク外人ニキ」なのだネトウヨが大好きな概念じゃないか

そしてそんな彼らは「韓国舞台にしたソシャゲ」ではなく「日本(カルチャー)を舞台にしたソシャゲ」を作ると言う選択をしている。グローバル展開をする上で、それの方が都合が良いからだ。なぜなら日本サブカルコンテキストは、すでに彼ら同士で共有済みなため、それを基盤にした方が受け入れられやすいからだ。

私の世代はまだまだ「オタク」に風当たりが強かった世代だ。中学の頃の嫌な思い出はいくつもある。未だに「オタク」を自称することに抵抗感がある。日本ですらこんなに受け入れられなかったのに、海の向こうにこんなにも仲間が居るということに、ただただ驚きを感じた。


それに気が付き、初めて彼らと打ち解けられた気がした。まぁ私が勝手に打ち解けて勝手自己解決しているだけなのだが。

今ではブルアカ内の「ちょっと臭いキャラクター名」も、「若干日本語がおかしい背景画」も、愛おしく感じる。これが日本サブカル世界に羽ばたいていった証拠なんだと。猿真似などではなく、真に価値観を共有したオタクたちが韓国にもいっぱい居て、そんな彼らが最高のコンテンツを作っているのだと。


そんな感情の変化のおかげで、初めて韓国人の同僚とも腹を割って話せるようになった。

向こうは気がついてないと思うが、私の中でのわだかまりはなくなった。大変喜ばしい。

大陸コンテンツに対しても特に嫌悪感を感じなくなった。一気に楽しめるコンテンツの幅が広がった気分だ。




長話になったが、そんなこんなでブルアカには本当に感謝している。

ブルアカのお陰で、私の楽しめるコンテンツの幅、そして交友関係可能性が一気に広がった。






どうしてこんな話を書こうと思ったかというと、今日少しイベントがあったからだ。

そう、ちょうどブルアカ3周年のリアルイベントがあったのだ。2周年の際に発表された情報きっかけで、私はブルアカを始めたので、初のイベント参加だった。

なかなかにしかった。好きな音楽DJも聴けて最高だった。


そんな中でTwitterにつぶやいた投稿が少しバズった。なんてことはないイベントの様子を伝えるツイートだったのだが、それなりに拡散した。

するとクソリプが飛んできた。自称ネトウヨな人からだった。荒唐無稽言いがかり論理展開をし、ブルアカ貶めるような内容だった。

多分彼からしたら「気がついてほしい!目覚めてほしい!」みたいな気持ちで送ってきたのだろう。多分議論しても無駄だと思ったので、そっとブロックした。

ふとその時に感じたのだ。「逆だったかもしれねェ…」って。


価値観なんて人それぞれだし、正直何が良いかなんてわからない。しかながら見ず知らずの人に突然食って掛かって、その人の好きなコンテンツを貶したうえで啓蒙をするというのは、なかなかに感じが悪いし、それを実行しようと思うのはあまり健全精神状態ではないだろうと思う。彼自信もあんまり楽しくないんじゃないかな?もっと楽しい道があるんじゃないかな?と勝手に感じた。

彼にも、何かきっかけになるようなコンテンツとの出会いがあると良いな…そんな気持ちになったので、こんな増田を書いた。


おしまい

ゲイからみるペドフィリアを殺せ問題

最初に明記しておくが、これは個人の感想である

私自身は性犯罪絶対に許さない。

特にそれが子供という身体思想もおぼつかない相手対象にしたものに対しては一等嫌悪感がある。

けれど、昨今のそういう嗜好や性癖を持っているだけの人を殺せという論調を聞いていると何とも言えない焦燥感がある。

私は今年35歳になる男で同性愛者だ。

今でこそボーイズラブやLGBTQなどという横文字が広がって多少はスルーされることが多くなったかもしれないが、それでも自分同性愛者ということをゲイコミュニティ以外で一切カミングアウトしていない。

それはゲイであるというカミングアウトだけで強烈な迫害がある人生を引いてしまたからだ。

私は男性しか好意を持てないし、性的な興奮ができない。

かといって同意なしに男性を襲うなど言語道断であり、どれだけおだてられても自分が襲われる立場になったらと思うとゾッとする。

しかしそれは世界で大多数を占める異性愛者でも同じことだろう。

異性愛者だろうが同性愛者だろうが、同意なしにセックスをすればそれはただの犯罪だ。(中には金銭目的美人局もあるだろうがそれはまた別の話)

ではペドフィリアはどうだろう。

もちろん、自分欲求のためだけに幼児を襲ったり、そうでなくても追いかけたり盗撮したりは非人間のすることだ。

万が一相手同意が取れたところで、未成年同意大人同意と同じ効力はないし、真に受ける人間社会性を失った猿だと思う。

ではただ黙々とそういったコミュニティに属して空想を繰り広げているペドフィリアはどうなのだろう。

彼らを気持ち悪いと思うのは自由だ。

正直、私も気持ち悪いし怖いと思う。

しかし、「ペドフィリア」という看板を掲げたコミュニティをわざわざ覗いて「こういう思想を持っ人間危険から排除すべきだ」と晒し上げるのは少し横暴だと感じてしまう。

百歩譲って、覗いて気持ち悪いと投げかけるまでは個人の感想だと思う。

ただ「そういった思想を持っている人間すべからく社会から排除すべきだ」とまで飛躍するのは、かつてのゲイコミュニティが受けていた差別と全く同じ構造ではないだろうか。

何も犯罪は犯していないのに、男が好きというだけで迫害される時代場所は確かにあった。

ゲイペドフィリアは違うという人もいるが、ゲイ個性ペドフィリア性癖からという理論は正直意味がない。

どちらもその対象物を性対象にしている時点で同じだし、それは異性愛者もそうだ。

自分の嗜好や指向を満たすために対象物があって、同意がとれないままセックスをすればそれは須く犯罪なのではないか

だったら異性愛者の恋バナや片思いけが合法になりうるのはおかしいのではないだろうか。

書いていて自分でも横暴な論調だとは思うが、内心の自由すら取り締まるというのなら、異性愛者の「あのアイドルとヤりたい」とペドフィリアの「子供セックスがしたい」も、そう思った時点で同じく犯罪になってしまう。


ただ「そういった思想がある時点で排除すべきだ」と主張する人の理由もわからなくもない。

だって世間一般、もしくは自分想像から大きく外れた思想を垂れ流している人物がいたら避けたいのは動物としての本能だろう。

ましてや子供を持つ親なんて、例え関係ない架空ペド話でも自分の子供への警鐘から排除したいと思うのは当然だ。

かつてのゲイに対するイメージもそうだ。

若い人には想像もつかないかもしれないが、私がまだ学生の頃はオカマやオネエキャラというピエロにとしてエンタメ昇華されたゲイ以外ほぼ許されなかった。

もっと上の世代ではそれこそ同士でのカミングアウトすら危険を伴い、還暦を過ぎ、妻を看取り、時代がゆるやかになった今やっと言えたという人も珍しくはない。

なんなら最後まで隠し通し、自分に向き合えなかった悔しさと、妻を愛したふりをしたまま騙してしまったという相手への罪悪感のまま天寿を全うした人もいたかもしれない。

少し話がそれる。

今まで友達のように接していた人間から「お前も性別だけで言えば範囲内だ」とカミングアウトされればたじろぐ人が多いと思う。

その気持ちはとてもよくわかる。

信頼の証としてカミングアウトすることはただの自己満足だ。

それはこちらがどれだけ「人間が好きだからといって全人類きじゃないのと一緒だ」と説明しても拭いきれない猜疑心だと思うし、ある意味当然であろう。

ぐるみから男根が生えたという女性記事を読んで、ああいうのが近い感覚なのかもしれないと思った。

自分が性対象範囲内に見られているかもしれないという疑いは、思ったより不快感があり気持ち悪いのだ。

私は長年友人だと思っていた異性愛者の女性から告白を受けたときにこの気持ちを味わった。

と同時に「なぜ彼女片思いは淡い失恋として美化されて、私はその気持ち悪さを口に出すことすら憚られるのだろう」という醜い嫉妬もした。

結局は恐怖心なのだと思う。

ぬいぐるみからペニスが生えていなくとも、全く関係のない遠くの人間から「ロン毛は全員性対象だ」と言われたら気持ち悪いと思うロングヘアの人間がいても何もおかしくない。

ゲイも、ペドフィリアも、その他のマジョリティも、例え世間一般常識であっても、人間自分想像する範疇から少しでも外れれば多少なりともすべて恐怖の対象なのだ

珍しいものを怖がるのは生き物としての本能だ。

では逆に内心の自由保護されたとして、どこまでが内心になるのだろう。

例えば自分脳内で思うことは完全な自由無罪だ。

そもそも第三者に確かめようのないことだし、確認のしようがない。

では同士で語り合ったりするのはどうだろう。

これはインターネットの発達と、そのインターネットに対するイメージの差が大きい部分もないだろうか。

私にとってインターネットは雑踏の中にある架空秘密基地であった。

恋愛相談がしたい」「ねこの話がしたい」「ただ眺めていたい」「死について語り合いたい」

たくさんある部屋の中から私は「ゲイ同士話してみたい」の部屋でずいぶんと救われた。

好きな人結婚して、友達のふりをして泣いた」と、ゲイとして言えるということは現実世界ではあり得なかったからだ。

といってもそれはインターネット内での話なので、それが実話だろうと証明する方法はないし、相手の慰めの言葉も嘘なのかもしれない。

しかしそれは確かめようがない。

逆にその空虚さが居心地の良さを生んでいた部分もあるだろう。

VIPからますたwwwで荒らされても「まぁインターネットだしな」と溜飲が下がる部分も多かったろう。

インターネットは気軽な逃げ場だったのだ。

かつての生き物苦手板を知っている人はどれだけいるだろうか。

面白半分で覗いて後悔するナンバーワンの宝庫であり、いわゆる動物虐待の話をメインにした場所だ。

勘違いされないように改めてここでも言っておくが、私は犯罪は許せないし動物虐待にも強い嫌悪感がある。

ここで写真つきで虐待実況をしたものは明らかな動物虐待だろう。

しかし、ただ猫や犬をいじめるのが好きだと語る場合果たして内心の自由になり得るのだろうか。

もちろん明らかな犯罪予告や一種誹謗中傷にあたるようなものダメだろう。

しかあくま架空妄想という共通認識の集まりで、「もし自由にしていい猫がいたら、こういう酷いことをしてみたい」と書き込んだ場合、それは内心の自由になるだろうか。

嫌なら見るな」の立て看板の先とはいえネットで全世界に見えるように書き込んだ時点で内心ではないので取り締まるべきか?

だったら「あのイケメンアイドルキスしたい」とか「あのキャラでヌイた」とかも内心の自由ではないセクハラとして取り締まるべきか?

そもそも架空妄想と銘打った時点で例え言語化されて出力されたものでも内心の自由ではないか

そうなってくると、第三者が取り締まるのはどこから基準になるのか?

それが個人単位気持ち悪いだった場合、明確な基準もなく個人感情で取り締まられるのではないか

こういったことをぐるぐると考えてしまう。

もっと正直に言えば、私は他のマイノリティペドフィリアなぞどうでもいい。

そもそも妄想のはけ口がないと発散できない時点で人間としてまずい部分は多かれ少なかれあるのでは?という偏見が私にはある。

かといって、それらの妄想が全てそのような危険なはけ口だとも思わない。

私はそれらの嗜好をただ持っているだけの普通の人への取り締まりが始まれば、いつかはそれがゲイコミュニティに回ってくるのではないかという自己中な懸念がある。

私はマイノリティが大ぴらに権利を主張するのにもあまり乗り気ではなく、それは一部の人団体がただ己の自尊心気持ちよくするために、平等ではなく、同情で弾圧優遇を叫ぶからだ。

理解はできないし気持ち悪いけど、別に何もしないなら普通に生きてなよ」という態度がどれだけ救われるか。

ペドフィリアが全員殺されたら、今度は自分が殺されるかもしれないという恐怖が私にはある。

内心の自由はどこまで許されるのだろうか。

森奈津子好きだったんだよなあ

子供の頃、漫画は読んでたけど、文章主体の本ではじめて読んだのは多分森奈津子お嬢様シリーズ

時代を先取りしすぎた悪役令嬢もの

主人公綾小路麗花は、古典的少女漫画を読んで、けなげで清廉な主人公よりも、きらびやかで意地悪で最後には潔く負けを認め「フッあたくしの負けよ」と言うような悪役令嬢に心惹かれて悪役令嬢をロールプレイしている

綾小路麗花はお金持ちのお嬢様なので、悪役令嬢の方が境遇が近くて感情移入して悪役プレイをしているが、根は育ちがよくお人好しなので悪役プレイにボロが出まくる

爽やかイケメン彼氏百合な従者やホモ男の娘が出てきてわいわいやる楽しい学園ラノベ

縦ロール萌えになってしまったのは綾小路花の影響が大きい

不登校になった時期があるため、不登校児が題材の「グースカ夢見る問題児」には救われた

不登校児たちが夜に眠ると、夢の世界架空学校に集められ、北海道沖縄など遠く離れたちに住む子供たちがその学校内で交流を持つという設定が、インターネット普及前の時代に斬新に思えた

今だったらSNSで他県の子とつながるのなんか簡単だが、あの時代雑誌文通相手募集するぐらいしか手段なかったんじゃないか

お嬢様シリーズレモン文庫という学研レーベルから出版されていたが、1996年レモン文庫は突如消滅

森奈津子お嬢様シリーズの連載構想がブツ切れになり、他に拾ってくれるラノベレーベルもなく「ラノベ界に棄てられた」と感じたという

ラノベに見切りをつけ、レズビアン寄りのバイセクシャルであることをカミングアウトし、百合小説執筆するようになった

東京セクシャルマイノリティ事情について語るエッセイなども発売

女性セックスについては語るがオナニーについては秘す。もっとオナニーについて語れ。私は女性オカズにできる本を書く」

官能小説を書き、また百合精神性重視のものが多い中で官能百合を書く

百合SFエロSFなどを手掛け、「SF定義についてうるさい奴がいるが、エロ本はチンコが勃てばエロ本なのであるSFチンコが勃てばそれはSFなのである」と主張

小説業界の中で森奈津子は「おもしれー女」として扱われ、ミステリ作家西澤保彦森奈津子主人公とするナツコシリーズを出した

百合ジャンルやTL小説はその後盛り上がっていくが、森奈津子はそのムーブメント中央はいられなかった

悪役令嬢ものが早すぎたように、ジャンル自体への需要はあってもいまいち世相と噛み合わず第一人者にはなれなかった

森奈津子男性結婚した

バイなのだから異性とも恋ができるのは当たり前なのだが、「ビアン寄りのバイ」としてのキャラ立ちは失った

「女が男と恋愛して男と結婚するなんか普通じゃん、所詮なんちゃってじゃん」という扱いになる

ビアンバイやノンセクとして活動していた女が普通結婚して、経済的安定を得て家庭の中に埋没して表舞台から消えていくのはよくあることだ

それは謗られるべきものではなく、幸せならいいことだ

だが結婚してしばらく、森奈津子の夫は重度身体障害者になってしまった

夫を介護し、夫を養わなければいけない立場になった

そんな身の上になった森奈津子からすれば、「若くて健康だけどセクマイから辛い」「セクマイにも安定した結婚生活を得る権利を」などと言っている、かつての仲間は甘えたクソガキにしか見えなくなったのだろう

かつてはセクマイの集まりの中で生きていたのに、「同性婚不要だ」と言い切り、その手の活動家を批判する側になった

その手の活動家の中に過激で頭がアレな奴がいることは確かではあるが、明らかに矛先は「一部の過激な奴」だけではなく穏健派にも向けられている

小説耽美なわしら」の中でノンセクを肯定的に描いていたのに、今や「異性婚しない独身おじさん」すら叩いている

普通に男と結婚した」ことでフェードアウトしていったかつての支持者への当てつけで、「普通結婚できない同性愛者・独身主義者非モテ」は敵になったのだ

そういう活動によって本を出したり団体活動したりで生計を立て森奈津子は夫との暮らしを送ることができている

あなた発言LGBT差別では?」と言われたら「いえ、私はLGBT当事者です」と森奈津子は答える

作者を嫌いになると作品自動的に嫌になって避けるタイプなのだが、それは作品の方もそれほど深く好きだったわけではないから起こる現象

森奈津子本人は今は明白に嫌いにはなっているが、作品を愛好していた時代のほうが長いので、お嬢様シリーズは今でも好きだ

レモン文庫崩壊前、作家として食っていけるようになり希望を持っていた頃の森奈津子は今の森奈津子とは別人のようだ

今の森奈津子の全てを否定するわけではなく、一理あると感じた発言もないではないが、がっかりすることの方が多いのでブロックしてなるべく見ない

だが最近新しく裁判やってるそうでスクショが流れてきて森奈津子を思い出す

ヘイト界隈って不寛容の極みであるように言われるけど、淫夢界隈と似たようなもんで「合言葉」を一緒に唱えさえすれば誰でも受け入れてくれるというある種の寛容さはある

反ヘイトの集まりなんてのはすぐ正しさを巡り喧嘩するけど、ヘイトの集まりはそうでもない

ラノベセクマイSFやら、あちこち排斥された者でも受け入れてくれる寛容で優しい人達のもとで居心地はいいのかもな

綾小路麗花は結局は優しいお人好しで、誰かと対立しても最終的には和解するいい子で、金網に風船が引っかかったとかで泣いてるガキがいたらエナメルの靴をガビガビにしてでも金網登って風船取ってやるんだよ

うそんなキャラ書けないよな

2024-01-21

anond:20240121204935

ネットではコンテンツを消しちゃあかんのよ。

Pixiv とかで自作の絵をアップした後で消しちゃう人がいるけど、あまり好かない。

はてな匿名ダイアリーでも消したら、日記へのブックマークコメント

「消すくらいなら最初から書くな」

…とか書かれることがある。

まり知られていないが、

ネット文化としてインターネットで共有したものは皆んなの財産から

消してはいけないという、古い暗黙知があるんだ。

読売新聞、なんか恨みを買うような事でもあったんかな🤔

自分が書いた記事を黙って削除しちゃダメなの?

から今回の読売新聞も、この文化を支持する人たちから攻撃を受けた。

anond:20240120155118

夫婦喧嘩はあるだろ。

インターネットでバトルしてくれているおかげで、

結婚したらどれほど理不尽な言い分をぶつけられるか

事前に分かったか結婚せずに済む一因になって助かった。

anond:20240120225418

ほぼ日へのリンクが貼られていないことに愕然とした。不親切だなあ!

しかトラバにもリンクを補う者は現れない。呆れてものも言えない。これでよくITエンジニアはてななんて言えるものだ。

いやあ、インターネットはどんどん劣化していくなあ

河原で殴り合った男には友情が生まれるのに

はてなレスバし合った増田たちには虚しさしか残らない。

やっぱインターネットってクソだわ。

生身と拳しか勝たんのよ。

ひろゆきだって空手やってたからな。

インターネット発達障害多すぎだし文章見ても分かんねーよ

実際会うとヤバい奴なのか?

anond:20240121004717

それは思い上がりだ

俺はインターネット以前のパソコン通信から掲示板に入り浸っている口だが、文系

理系ルールが優先されるってのがお前の押しつけなんだよ

文章の専門は理系か?文系か?文系ルールを優先するのが普通じゃないのか?

ここは理系ルールでかかなければいけない特別事情があるのか?ないだろ?

anond:20240121004453

そういう意味で言うならば、もともとインターネット文字を書いていたのは理系だ。

から入ってきた文系理系の書き方を排除することこそ思い上がりだ。

ただしオレは文系文系の書き方をすることを排除はしない。それはオレがフェアな人間性を持っているからだ。そしてお前はそれを持っていない。

2024-01-20

anond:20240120203256

インターネットが普及して小学校入る頃にはもうなんとなく知ってる奴が大半なのになに言ってんだ?

インターネット以外で男女バトルしてる?

俺はインターネットの使い方が下手なので、SNSを見ているといつのまにか男女バトルの観戦をし始めてしまっていることが多い

はてブもそう、5chもそう、Xもそう、redditはまだマシなような気がするけど、これは攻撃的なコンテンツを板ごとブロックしていってるからだろうな

とにかく、どこを見ても男女バトル、バトル、バトルだ

しかし、現実ではどうかっつうと、全然みんな仲良くやってるか、あるいは互いに興味なし、そんな感じだ

田舎に住んでいて電車じたい通ってねえから痴漢女性専用車両もない

会社には電気ポットなんて気の利いたものはねえから、みんな水道水ペットボトルの水を飲んでて、お茶汲み作業なんてものはない

人間いねからマッチングアプリをやってる人はほとんどいないし、それ故「世の中の男/女はクソだ」みたいな話が出ることもない

「潰れたTSUTAYAの跡地に"ドンキ"ができるらしいよ」「ドンキってなんの事?びっくりドンキードンキホーテ?」「どっちでも割と嬉しいよね」→「結局ドラッグストアだったじゃねえか!」

こういう話しかしてない

日本の男は家事をしないとか、女は下方婚をしないとか、ぶつかりおじさんとか、女ドライバー視野が狭いとか、そういうバトルはインターネットしか見ることができない

あの戦場はなんなんだ?と思う

みんな本当は中身に興味なんかないんじゃないか

ただ二つの陣営に分かれてヤイヤイ言い合いがしたくて、ちょうど大体1:1の比率になれるチーム分けとして「男女」がちょうど良くて、全然どうでもいいことを肴に口喧嘩をして楽しんでいるだけなのでは?

だってどうでもいいもんな ホームステイなんかしたことねえし、一生しねえよ なんの知識もねえから何も言えねえよ

でも確かにインターネットバトルが開催されてると、いっちょかみして、自陣営のために戦いたくなる

人の業だよ人の業

もうちょっといいチーム分けはねえのかなあ

Mixiも終わったんだしTwitterFacebookもいつか終わる

当時みんなmixiをやっていたし、同級生との繋がりもmixiだったし、mixiがあれば一生繋がっていられて一生関係が続いていくと思っていた。

でもmixiは終わってしまった。

TwitterFacebookもいつか終わるのだろう。

ブログサービス終了したら文章は消えるし、すでにかなり消えているし、noteだっていつか消えるだろうし、小説家になろうあんなにいっぱいプロじゃない人の書いた物語が集まっていても運営している会社が潰れたら全部消える。

インターネット文化永遠には残らない。永遠どころか数年も耐えられない。

どんなに素晴らしい文明でも、文明を維持する装置を維持できなくなったら何も残らない。

数百年後に現代研究しようとしても何も残っておらず、空白の時代と言われることだろう。

この増田文章だってはてなが潰れたら全部消えて何も残らない。数百年後の人はアノニマスダイアリーなんてものがあったことすら知れないのではないかな?

自民党裏金まったく悪くないじゃん。

自民党応援してくれる人がたくさんいて、集まったお金自分のためではなく選挙政治活動に使っている。

からこそ自民党は他の野党とは比べ物にならないほどたくさん日本のためになる活動ができている。

金がなければ何もできない。金のない野党は働いていないのも一緒。

世の中に文句があるならぶつぶつインターネットでクダ巻いてないで自民党お金をたくさん出せよ、貧乏人が。

追記

はてなはやっぱり政治的に偏ってる。

裏金もらっても検察は立件しないし、議員辞職もしないぞ。

自民党は悪くないって結論は出たのに、ブーブー文句ばっかりで現実が見えていないんだな。

差別差別返し

今こそ小学生道徳時間だ。教室子供用の机と椅子を置いて、挙手して当てられた人間けが喋りそれを黒板に書き写す。そして何がダメで何がいいか一言ずつ語らせろ。ガキでも出来るような事すら出来ない影響力を持った馬鹿とそれに群がるインターネット馬鹿を戦わせろ。

2024-01-19

1950年まれ人生テクノロジー変わりすぎ問題

仮定の話、1950年まれだとすると今年74歳

 

変更履歴:皆が体感より遅いと言うので、一般化を普及率50%にしました。都会は-3年、田舎は+3年くらいでちょうどいいかも(2024/01/20 8:41)

 

1960年 10歳 白黒テレビ一般化(一般化=50%)

1962年 12歳 洗濯機一般

1962年 12歳 自宅のお風呂一般

1965年 15歳 冷蔵庫一般

1960年代 10代 年賀状が隆盛

1967年 17歳 掃除機一般

1969年 19歳 大型店舗でのレジスター一般的に

1970年 20歳 プッシュホン、キャッチホンなど始まる

1971年 21歳 カップヌードルが登場

1971年 21歳 カラーテレビ一般

1972年 22歳 電卓が爆発的に売れ始める

1972年 22歳 炊飯器一般

1970年代 20代 アナログレコードが最盛期

1970年代 20代 自家用車一家に一台に

1979年 29歳 スペースインベーダーブーム

1980年 30歳 ウォークマンが登場

1980年代 30代 カセットテープが隆盛

1983年 33歳 ファミコンが登場

1984年 34歳 電子レンジ一般

1985年 35歳 エアコン一般

1986年 36歳 写るんですが登場

1987年 37歳 水洗トイレが当たり前に

1988年 38歳 ビデオデッキが隆盛

1989年 39歳 CDカセットレコードを超える

1991年 41歳 バブル崩壊

1991年 41歳 ポケベルが隆盛(1996年まで)

1994年 44歳 プレイステーションが登場

1995年 45歳 Windows95発売

1995年 45歳 MDが隆盛

1995年 45歳 海外旅行が隆盛(以後横ばい)

1990年代 40代 コンビニ一般

1990年代 40代 カーナビが隆盛

1990年代 40代 ビデオカメラが片手持ちに

1997年 47歳 CDピー

1998年 48歳 携帯電話一般

2000年 50歳 デジタルカメラが当たり前に

2000年 50歳 FAXじわじわ浸透

2000年代 50代 インターネット一般

2002年 52歳 DVDビデオを追い抜く

2005年 55歳 パソコン一般

2008年 56歳 動画投稿サイト流行り始める

2009年 59歳 液晶テレビ一般

2004年 54歳 ウォシュレット一般的に

2011年 61歳 地上デジタル

2012年 62歳 iPodが最盛期

2014年 64歳 スマートフォン一般化、SNS一般

2016年 66歳 GoProアクションカメラ)が最盛期

2018年 68歳 TikTokショート動画)が流行り始める

2019年 69歳 60代のスマートフォン率がガラケーを超える

2010年代 60代 本、新聞CDDVD凋落電子化スマホ化する

2020年 70歳 リモート会議一般

2020年 70歳 ドローンが浸透し始める

2020年 70歳 スマホキャッシュレス決済が隆盛

2021年 71歳 VRAR一般化?

2023年 73歳 AIが隆盛?

2024年 74歳 ?

 

変化が濃すぎる

 

年はザックリ、わかりやすさ重視

全部調べて書いてます

普及率の伸びというのは体感より遅いんですよ、先進的な人は5〜10年早めるくらいで丁度いいか

→ 皆が体感より遅いと言うので、一般化を50%にしました(2024/01/20 8:41)

※隆盛:身近になってきた当たり 

※最盛期:ピー

一般化:大体普及率50%(ピークがそこまで行かない場合ピークの5合目当たり)

 

FAXは非常にゆっくり浸透した、時代遅れになってから一番売れているのが面白い

固定電話の普及は1950年代なのでこ50年生まれ物心つく頃は既にあったと思われる。また電話普及率は良い統計が無い

炊飯器についても良い普及率のデータはなく、推測する論文がある始末

新幹線飛行機を入れたかったが、時代差より個人差が大きそうなので割愛

プリントゴッコ情報が少ない、年賀状データばかり出てくる

※衣類についても言及したいが、何か革命的なことあっただろうか?

anond:20240118205341

「このくらいの差別しょうがない」ならわかるけど「差別じゃない」はドン引きするわ。

引用されてるXで書かれてる「私の知ってる大家さんたちは……年金生活者もいます。そんな人に差別イカンっつって……退去とかのリスクを負えとか言えないんですよね」というのは肌感覚としてわかるし、このくらいの差別しょうがないと思う(たとえば、英語わからんジジババだけでやってる地元民向けの食堂外国人お断りでもしょうがないでしょ)。

ただ、それは差別だし、本来は良くないことですよ、っていうコンセンサスがないのはヤバいだろ。

人ひとり雇うかどうかですげえ苦労してる個人商店が「辞められたら困るから女性は雇わない」というのは仕方ない面もあるけど、これは差別だよね? 本来よくないけど、個人商店の店主にそんなこと言ってもなぁ……っていう話だよね? そこで「そうだ、女はすぐ辞めるからそういう扱いを受けても当然なんだ!」とか言い出すやつはヤバいやつだよね? 同様に、偏見先入観に基づいて「日本人男子ホームステイちょっと……」っていうのも、本来はよくないけど、ボランティアホストファミリーにそんなこと言ってもなぁ……っていう話だよね? そこで「そうだ、日本の男は家事をしないからそういう扱いを受けても当然なんだ!」って言い始めるやつはヤバいやつだよね?

もちろん、家事をしないなどの迷惑留学生は追い出せる契約にしておいて、実際に家事をしていなかった場合に追い出すのは問題ない。「中国人お断り」はNGだけど「マナーの悪い客は退店していただきます」はOK。それなら、家事をする日本人男子マナーのいい中国人は何も困らないし、家事をしない女子留学生迷惑日本人の客は容赦なく追い出されることになるわけだから差別にはあたらない。

ブコメに返信

最近差別は良くないことの場合限定して使われてるので、この位はしょうがないと判断されるもの差別と呼ばないということはあり得る。辞書的な意味ではどちらもある。

えっ??? 本文読めてます??? ここでは「仕方ないけど、本来は良くないことだよ」と言ってるんですが??? 大丈夫ですか??? 当然、「これは良くないことなので差別と呼ぶべきだ」と主張しているんですけど???

本人の行動や能力ではなく属性によって区別するのは、良いかいかでいえば悪いでしょ。ただ、「これは社会的に強く非難するに値する」のか、「そこまで強く非難するほどでもないか……」という程度なのか、という違いがあるだけで。でも、後者を「良くないことではない」と判断するのはおかしい。そういう話です。

差別の話じゃないけど、たとえば同じ殺人罪でも、秋葉原ホコ天刃物振り回して何人も殺すのと、長年父親性的虐待受けてた娘がついにキレて父親を絞め殺すのとでは全然量刑が違ってくるじゃん。そういう感じ。それと同じように、大企業社長確信犯的に「◯◯人を追い出せ!」というのは猛烈に叩かれるべきだけど、これまで日本語の通じない客に悩まされてきた小さな飲食店が「Japanese only」って書いてても、まあ情状酌量で内々に取り下げてもらう程度が適切な落とし所なんじゃないの、という感覚

これリベラルの主張では度々ある話だよね。それが差別であることを頑なに認めようとしない。その結果、論点主題から離れて「その行為差別であるか否か」という分が悪い議論することになってしまう。

これオブこれ。「差別だけど、このくらいは仕方ないじゃん……」って言うなら「まあそうだね……」ってなるけど、「これは差別ではない!」って言われたら「いや差別だが??? お前は何を言ってるんだ???」ってなる。インターネット議論でこういうのよくあるよね……(女性専用車両とか、料理教室で女性専用デーが導入された件とか)(あまりに「これは差別ではない!」論法を聞きすぎてもう女性専用車両は廃止すべきだなと思うようになった。しょうがない差別だし、このくらいなら甘受してもいいかと思ってたけど、そもそも差別であることを否定し始めるならもう無理だよね。公共交通機関における差別はなくすべき)。

この件は銭湯入れ墨お断りくらいには差別的だと感じている。

こはちょっと意見が違う。旅館温泉とかならまだしも、公衆浴場って過当競争にならないように法律条例一定規制がされてるんだよね(たとえば東京都では新規の設置は既存公衆浴場から一定距離がないとダメ)。つまり銭湯公権力によって一定保護が与えられている公共的な施設なのであって、そこで入れ墨を弾くというのは普通に人権侵害から一刻も早くなくすべきだと思う(もちろん、旅館とかでも本来差別しちゃダメなので、入れ墨での浴場・プール利用を禁じる措置全面的撤廃すべきなんだけど、仮に優先順位をつけるならまずは銭湯でしょう)。一般家庭に留学生を受け入れる問題とは公共性が違いすぎるので、「仕方ない」のハードルは上がるよなと。

はてなー権力勾配論を偽理論として否認してしまうので、差別定義が混乱している。それでいて差別認定勝利条件だと思い込んで棍棒にする。

なるほどなるほど、異国の地にやって来た留学生ホストファミリーとのあいだに権力勾配はない、という認識なんですね? そうすると、たとえば日本人ホストファミリーやってるお父さんが外国から留学生と性行為をしても、権力勾配はないから完全な自由恋愛ってことですね!

個人的な好悪は差別ではないとおもう。つまり黒人採用しない」は差別だけど「黒人結婚したくない」は差別ではない。線引きは非常に難しいのだが,大家店子を選ぶのは,まあ個人的範囲じゃないかな。

それ言ったら部落差別とかどうなってしまうん……部落差別では就職差別だけじゃなく「結婚差別」も大きな問題だったじゃん……「あのひとは被差別部落出身から結婚したくない」はアウトもアウト、ド直球のアウトでしょうよ……

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん