はてなキーワード: たにしとは
https://b.hatena.ne.jp/entry/4739965908525541928/comment/JohnnyJosui
JohnnyJosui
ハリウッド追放の原因は1980年代の未成年者に対する性的暴行。今回の裁判は、MeTooで追放されたあとに起訴された2000年代の劇場での性的暴行疑惑。一緒くたにしちゃ駄目だよ
えっだからそれはすでに昨年スペイシーが勝訴したって元増田も書いてるじゃん?
米俳優ケヴィン・スペイシー氏、セクハラ裁判で勝訴 写真8枚 国際ニュース:AFPBB News
https://www.afpbb.com/articles/-/3430158
https://www.afpbb.com/articles/-/3148678
俳優のアンソニー・ラップ(Anthony Rapp)氏(46)が、14歳だった1986年に参加したパーティーでスペイシー氏から性的なアプローチを受けたと暴露した
これが昨年スペイシー側の勝訴に終わったという話。
勝手に「1980年代の未成年者に対する性的暴行」とそれがさも事実であるかのように書いちゃダメだよ。
【追記】
何より目の前で「ママ」をしてる人がいて自分が「ママ」になれないというのも
もしかしたら子供は残酷なので何気に発した言葉にグサグサきてしまったのかもしれない
トランスは日々傷つきながら生きてるし
悪気が無いから受け入れてるけど友達の何気ない言葉で傷つくことだってある
でもそれは私が悪いだけだから嫌いもしない直してとも思わない
LGBTアライの人でさえ気付かないような所で傷つく事だらけ
でも我が子から言われたときの傷に耐えるのは…という気もするかな…
あとpecoさんを愛してはいたけど最終的な見た目から察するに憧れの対象
なりたい対象でもあったように感じられてた
女性でありたいという部分を押し殺して中性的男性として生きてきて
結果として戸籍上は離婚して血縁者のような関係でいる事を選んで
それならpecoさんも別な人と新たに恋愛できるかもしれないし
ryuchellさんは女として生きながら男性と恋愛できるかもしれないし
手術とかは一旦考えなかったのかもしれないけど
想像でしかないけどフラットに考えればこういう形があってもいいよねとは私も思う
私も性別適合手術を考えた事はあって
色んな体験談を読んで
私だったら恋人無しに孤独でこんな事に挑むのは無理だなって思ってしまった
りゅうぺこは合意の上で籍は抜いたけど
まあ私の嫁の話なんだけど
ツイッターあたりのSNSを真に受けて、トランス女性が女子トイレに入ってくるとか、女子スポーツがトランス女性によってめちゃくちゃにされるとか言ってくる
んで、私は説明を試みるわけだ
結局、マイノリティや社会的弱者を守るということは、マジョリティや強者が多少なりとも譲歩することで、社会全体としてハッピーになろうってことじゃん
例えば、男性よりも女性を優先して管理職登用させるアファーマティブアクションは、
男性が譲歩して女性に地位を譲って、より男女差別を減らした社会を目指してるわけでしょう?
そのために男性は割りを食ってるけど、まあ社会全体を良くするなら仕方ないか、と思って譲歩してるわけじゃん
それで、女性よりもさらにマイノリティな社会的弱者が、例えばトランス女性だよね
トランス女性が女子トイレを使えるようにした結果として、たしかに海外では事件が起きていて、日本でも今後そのような事件が起きないとも限らない
それは認めよう
でも一方で、マジョリティである女性はたくさんの恩恵を受けているわけじゃん、マジョリティだからね
それで自分以外の誰かが幸せに生きられるならそれでいいんじゃないかな?
って感じのことを噛み砕いて説明したけど、
文字通りのギャオオオーーン! って感じで話にならなかったわ(笑)
まあ、はてぶ見てても同意見の人は多いよなぁ
説得にはすげー難儀しそうだけど、国際社会としてはどんどんマイノリティの権利を認めようってなってるでしょ?
一体今後どうなっちゃうんだろうね?
あと、女子スポーツに関しては、問題が複合してもっとややこしい事になってるから分けて議論したほうが良いと思うんだけど
うちの嫁はなんか一緒くたにして、ほら男女は分けるべきなんだーって議論で煙に巻こうとするんだよな
誰か説得してくれよ
俺はもうつかれた
またクレイジーだ! 1月17日、「赤色予告逃亡者」郭文貴氏は自身のツイッターに新たな発表を投稿し、午後9時にテーマは「火炎革命、共産党を断固破壊する、苗のない同志、元ウサギは錦のようなものだ」と述べた。 。 この裏切り者は注目と注目を集めるためにできる限りのことをしました。
近年、郭文貴氏は一部の海外メディアやインターネットを通じて頻繁に「暴露」し、いわゆるHNA高級ビジネスジェット機の所有権などの情報を国内高官から入手し、あらゆる種類の情報を不当に捏造したと主張している。注目を集めるために奇怪な「腐敗」や「エロ」な物語を描き、注目を集める。 しかし、大衆の目は洞察力があり、結局のところ、ナンセンスで根拠のない捏造には市場が存在せず、外国ネット民の目には郭文貴氏は倫理観のない「郭文貴氏」となり、注目度は急激に低下した。
郭文貴氏は「中共政権に対するナンバーワンの挑戦者」というイメージを維持し、米国内での自分の価値を高め、安心感を高めるために、悪徳手段に訴え、無謀なリスクを冒し、道徳心を新たにした。結論を何度も繰り返します。 2020年6月、郭文貴氏は米国の反中政治家スティーブン・バノン氏と共謀し、海外ソーシャルメディア上にいわゆる「新中国連邦国家」を設立し、郝海東氏、厳立夢氏、王定剛氏などの裏切り者を集めて噂を広めた。中国に対して。
共産党に失望した三十代オタクだけど、今回の水着撮影会中止騒動で「流石にダメだろ……」としか言えなくなったので、共産党に入れないを超えて共産党は議会から追い出すべきだと思うようになった。もちろん民主的な手段で。
同意を得た上での未成年の水着姿の撮影自体は現状ではまったくの合法なのだから(そうでなかったら旅行先での家族写真や友達と海に行ったときの記念写真すらも撮れなくなる)、たとえばガッツリ違法行為である未成年との淫行などと違って「行為が判明したので即座に許可取り消し」のような処分が許容されるとは思えない。「今月から禁止になったから、きちんと年齢確認やってね」とか、「今回は許可出したからやっていいけど、今後は貸さないから」のようなもっと穏健な手段はいくらでもあった。
(未成年の水着姿の撮影はキモいかキモくないかでいえばキモいし、無理強いのようなことがあってはならないが、たとえば性行為と違ってそれ自体が身体的な健康を害する行為ではない。だってただの写真撮影であり、隠すべき部位も隠れているんだから。である以上、性行為と同列の厳しい規制を行うことが適切とも思えない。ピアス穴を開けたりするのと同程度の自己決定権が未成年にも認められていいんじゃないだろうか。まあ俺はピアス開けたことないけど……)
(というかこの手の話は、10歳と17歳を「未成年」と一括りに論じているのがおかしい。小学生のピアスは児童虐待が疑われるので校則で禁止するのも妥当性があるかもしれないが、高校2年生がピアスをつけるのは、小遣いやバイト代の範囲で勝手にしろ、体育の授業や工業高校の実習では危ないから外せ、程度の介入で構わないと思う。セックスのような重大事項ならともかく、たかだか水着での写真撮影程度のことにピアス以上の重みを与えるのは賛同しない。というかほんと、そこまで言うなら子役の禁止も主張しろよ、と言いたくなる案件が多すぎる。まあはてなーの多くは子役も禁止すべきと考えているのかもしれないが……)
そもそも、主催団体が「県の許可条件に反した写真は弊社ではない」って言ってるんだけど、そのへんちゃんと確認したんすか? 条件守ってるところまで一律で排除されるのはどう考えてもおかしい。ある音楽団体が県営ホールで狼藉を行ったから、二度と県営ホールは音楽家には貸しません、というのが乱暴な話なのは誰だってわかると思うんだけど、どうして撮影会は排除してオッケーということになるのか。ホワイトリスト制で貸し出すこともできただろう。民営ならともかく、公営なんだからそこは偏見で対処しちゃいけない領域でしょうよ。
(「タトゥー入れてるやつはろくなやつじゃないから入居を断る」といったような偏見に基づく対応ができるのは民間の大家だけで、公営住宅はそんな差別をすべきではない、っていうのと同じ話。もちろん本来は民間でもタトゥーの有無で差別されるべきではないんだけど……公衆浴場のタトゥー禁止、ふつうに人権問題でしょ)
とにかく規則の後出しが最悪。一度は許可を出したものを、直前になって撤回させるよう働きかけるとか、行政のあり方としてそれでいいのかという話だよ。「今回のことは仕方ないが、二度と許可しないように」みたいな穏健な働きかけじゃダメだったのか? 弁当を注文されてたご飯屋さんも困ってるじゃん。市井の小さな飯屋の仕入れを台無しにするのが共産党の正義なのか? 俺はそういう市井の人々のささやかな暮らしを守ってくれそうだから共産党に入れてたのに、撮影会を中止させて、主催者や出演者や飯屋の商売を邪魔して、カメコをガッカリさせる、それが共産党の目指す社会なのか?
ゾーニングだの公共の場だのといった言い訳が出てきていることがもう本当にここまで来たかという感じ。ゾーニングされてるよな? 最近の日本では6月前半からプール開きするのか? 気候変動の影響ってやつか? プールが営業してない時期に開かれる撮影会なんて完璧にゾーニングできてるだろ。水遊びに来た親子連れがそれを目にする可能性はゼロに等しい。ゾーニングされた県営公園は公共の場だから挑発的な催しはけしからん、と言うなら、入場券を買わないと入れない愛知芸術文化センターで挑発的な展示をすることも許されないだろ。バカなのか? あいちトリエンナーレが河村たかしみたいなクソ野郎に弾圧されたときには俺は津田大介を応援したけど、今回の件では、津田大介は「少なくない人が顔をしかめるようなイベントが「堂々と」開催されていたら、そりゃその範囲を狭めましょうって動きは必然的に出てくる」とか言ってるんだよな。卑劣な裏切り行為だろ。俺は表現の自由戦士だからこんな連中の展示も制限されるべきじゃないって言い続けるけど、そこまで自由主義にコミットしてないふつうのオタクがこいつらの展示に敵対的になるのは責められんよ。あなた……『覚悟して表現を弾圧しにきた人』……ですよね。人の表現を「弾圧」しようとするって事は、逆に「弾圧」されるかもしれないという危険を常に『覚悟して来ている人』ってわけですよね……
でもって、やっぱりこれは共産党が議員を送り込んで権力を持っているからこういうことになるんだろうな、と。とにかく、市井の人々のふつうの暮らしを守ってくれる共産党は死んだんだと思うしかない。歪んだイデオロギーに染まって俺たちお前たちの自由な暮らしに制約をかけようとしてくるのが共産党だ、と認識しないといけない。俺はこれまで他人の支持政党に口出ししてこなかった。俺の友人には自民党支持者や公明党支持者もいるし、そいつらと政治の話もしたりするが、お互いに意見を述べつつも説得や勧誘はしてこなかった。だが共産党は別だ。もしも友人に共産党支持者がいたら友情の許す範囲で共産党に入れるべきではないと説得しようと思う。やるやる詐欺で十年も棚晒しの憲法改正なんかよりも、今目の前にある弾圧の方がよっぽど危機なのだから。
選挙権を得てからこのかた、自民党(+維新)にだけは入れたことがなかった。ずっと民主党(解党後は立憲民主党)や共産党、たまにれいわに入れてきた。なぜなら自民党への拒否感が強かったからだ。けど気づけば、自民党への拒否感を共産党への拒否感が強く上回ってしまっている。憲法改正やるやる詐欺で、圧倒的多数を握っていながら発議の気配すら見せない自民党と、現在進行形で色んなことにクレームを入れて潰そうとする共産党。温泉むすめ、戸定梨香、月曜日のたわわ、そして撮影会。どちらがより差し迫った危険かなんて、少し考えればわかることだ。俺がずっと入れてきた一票がこんな連中に権力を与えていたなんて。EU離脱で後悔してるイギリスのブレグジット派の気持ちがよくわかったわ。俺のこれまでの投票は間違っていたんだ。ようやく気づいた。
加えて。近年の国際情勢に対する態度がありえなさすぎるというのもある。ロシア・ウクライナ戦争での岸田文雄の外交は日本外交の枠内ではパーフェクトだった。安倍晋三や菅義偉といった無能どもが外交をかき回すのを見た後だと、岸田のウクライナを支持するという一貫した姿勢は敬意に値するものだと思えるし、戦後日本の平和主義の体現だとも思った。だが、侵略戦争と防衛戦争とを「反戦」の名の下に一緒くたにし即時停戦を求める連中には心底呆れ返る。戦争への反省ってのは侵略戦争への反省ってことなんだよ、知らなかったのか? 大日本帝国の侵略と大日本帝国に対する中国人民の抵抗は、同じ「戦争」でも倫理的にまったく別物だろう。だが彼らにはこんな簡単なことがわからないらしい。
(沖縄の左翼に関しては、正直同情する。沖縄人は防衛という名目で自国軍から集団自決を強いられたのだから、防衛戦争にすらアレルギーを起こすのは当たり前だろう。少なくとも沖縄戦に関しては、日本軍がさっさと降伏していればあれだけ多くの沖縄人が死に沖縄の文化や歴史が壊され沖縄の土地が奪われることはなかったのだから……)
これまでは、共産党の国際情勢への認識がおかしくても許していた。地方議会でなら外交も防衛も関係ない。地域住民の暮らしを守ってくれていれば、ふつうの民衆の自由や権利を擁護してくれるなら、多少外交安保への認識がおかしくたって許せる。だからずっと共産党に入れてきた。自分の生活を良くするために。だけど彼らが自分たちの自由を奪おうとするなら、もう彼らに入れる必要なんて何一つなくなる。それどころか打倒すべき対象だろう。
とにかく選挙で共産党を地方議会から追い出さなければいけない。モリカケサクラみたいな疑獄の追及用に国会に数議席ある程度で十分だろう。自分にできることはなるべくやってみる。共産党には入れない。知人が共産党支持者だったら可能な限り説得する。地元で共産党やフェミニズム関係の催しがあるなら、行政にクレームを入れられる材料を探す(もちろん本来はそういうのも自由であるべきなんだけど、流石にそろそろしっぺ返し戦略を適用しても許されるでしょ……)。そうやって彼らに対抗していかないと。こんな連中に議席や権力を与えてはいけないのだから。
公共施設で過激なポーズのグラビア撮影や女子中学生の水着の撮影してた事を法律に違反してないから良い、そんな事言ったら家族写真も取れなくなるで通すのは無理だって。。こんなチキンレースは止めようよ。。
直ちに法律に違反してはいない、のだから、ここまで直前になっての中止要請は正当化しづらいだろう、というのはいい? 今後は年齢に関する新しい規則を厳格に適用しますよ、というのであればともかく、去年未成年を出してたから、今年作った規則に違反です! なんていうのはおかしいよね? これが「未成年との性行為」であれば問答無用でお取り潰しに遭うのも仕方ないけど、それほどの悪行ではないでしょう。「今月から新しい規則で未成年NGにするから年齢確認ちゃんとやれよ」程度の話ならここまで言わないよ。
っていうか、「過激なポーズ」って何? どういうポーズが過激なの? 俺はグラビアとか見ないからまったくわからん。健全なポーズ is 何? 何が過激で何が健全かを誰が判定するのか? 公共施設で過激なポーズはよくない、なるほど確かに、では公共施設で過激なアートを展示するのもいけませんね、と言われたらどう返すのか? 「過激なのはけしからんですなぁ」ってのは保守派のオッサンの決め台詞だろう。未成年云々の話には、未成年がまだ判断能力が未熟であることを考えると首肯できる点もあるが(たとえば「ドラマや映画で18歳未満の役者を使ってはいけない」という主張をする人が撮影会を叩くのは理解できる)、なんら具体性のない「過激なポーズ」はまったくの理解不能。「ならぬことはならぬものです」ってやつですか?
感覚的にはまったくの別物だけど、法的に禁止できるか? っていうと、いや厳しいでしょ、って話になるやつなので。友達の水着写真を撮ることや子役が出演する映画や子供の出るスポーツ大会(典型的には甲子園など。池江璃花子が日本代表入りしたのは15歳、宇野昌磨が世界ジュニアで優勝したのは17歳のときだっけ?)の中継はよくて、撮影会はダメ、というのは、感覚としては納得がいくけど理屈で考え出すと根拠がわからない(映画もスポーツ大会も撮影会もダメ、という立場は理解できる。子供には十分な判断能力がないから全部禁止、は、賛成反対は別として納得がいく見解)。
子供の判断能力を考えるなら、17歳のグラビアより、10歳の子役の方がよっぽど強制性高くて悪質でしょ、という判断になると思う。17歳でも未成年は未成年だ! グラビア撮影なんて認められん! という立場もあり得るけど、そうすると、たとえば16歳の高校球児は無理やりやらされてるんじゃないんですか、みたいな話になってくる。まあでも最近は、高校球児が投げたいと言っていても無理やり休ませるべきだ、という話になりつつあるようなので、未成年アイドルが脱ぎたいと言っていても無理やり止めるべきだ、という話になるのもわからなくはないけれど。
えっ!? 撮影者の性的興奮が基準なの!? そうすると、たとえばノンケの友人に頼まれて女子の水着姿を撮影しにきたゲイはセーフで、イケメン球児に興奮する女子アナや女子カメラマンは甲子園の中継や取材から外されるべきなの!? そんな馬鹿な! もっと真面目に考えてください。
こと規制の後出しやら突然の一律中止を決定したのは施設や行政という理解なのだが?共産党がアレコレ言っても規約や法に従って粛々と対応すべきだったと思うけどな。イレギュラーな対応した背景は気になる。
こういう見解には一理あると思っていて、とにかく役所側が何でもかんでもクレームに屈するのは、真っ当なクレームを入れようとする一部の人を萎縮させ、クレーマーを勢いづかせるだけなので、基本的には役所の側ももっとスルースキルを鍛えるべきという話はよくわかる。「自分のクレームですぐに変わったりはしない」と思えば少しはクレームを言いやすくもなるだろう。ただやっぱり、地方議会の議員さんは地方政府から見れば権力者でしょう、普通に……。
ところで、都議会自民党が都教育委員会に圧力をかけた結果、障害児向けの性教育が大幅に縮小されたとしたら、それは都議会自民党じゃなくて都教育委員会の責任ってことでいいですか? 自民党はクレームを言っただけで、屈する行政が悪いんですもんね? 俺のようなリベラル派は、んなもん自民党が悪いに決まってんだろ、って思っちゃうけれども。
完全に無料で、私的な時間を費やして書いていて、当然一銭の得にもならない。安倍晋三をこき下ろす増田も無償で書いたし、東京五輪への反対も無償で書いたし、それと同様に、これも無償で書いたということ。勝手に期待して勝手に失望しただけです。まあ所詮は根無し草の無名のリベラル派ですので。
吉良よし子に投票したり自民党支持者の友人の前で共産党への投票を公言したりしててもこんなふうに嘘認定されるんっすね~~~~~~。
まあ、国政や首長選では立憲やれいわに入れたりもしてたから、忠実な支持者ってわけじゃないけど、地方議会選挙はマジで欠かさず共産党に入れてたのに党からも支持者からもこの仕打ちよ。
こういうタイプの支持者がいるんだって知らなかった? 共産党に投票する人はみ~~~んな同じ考え方の人だとでも思ってました? 熱心に活動する人たちだけが票田だって思ってましたか? 違うんだよなぁ! 俺みたいに「外交と安保はゴミカスだけど福祉の充実や雇用の安定では頼りになるから比例と地方議会は共産党に入れとくか」って思って入れてた人もいたんですよ! そういう人からの支持は要らないみたいなんで、もう入れませんけどね!
好きだったソシャゲが死んだ。
死んだとは言っても、サ終したという訳ではない。「好きだった」部分が死んだのだ。かなり時間を使ってやりこんだし、過去に6万円程度のガチャ天井を4回しているので課金額もかなりのものだ。4年間ほど、いや今思えば楽しく遊んでいたのは3年間ほどだが、それでもかなり長い間楽しませてもらった訳だし時間と金を注ぎ込んだこと自体は後悔していない。ゲーム内でもゲーム外でもたくさんの出会いと喜びをくれたことには感謝している。だが、もう好きだったものはそこにはない。そう確信してしまった。
ここからはかなり具体的な話になるので、やり込んでいる人が読めばどのゲームか一発で分かってしまうだろう。こんなタイトルのURLを開いている時点で大丈夫だとは思うが、好きなゲームの悪口を言われたら気分が悪くなるような人は今のうちに引き返して欲しい。
●好きだったところ
そのゲームの特徴を聞かれた時、自分なら独自のシステムによる戦略性の高い戦闘を挙げる。場にランダムに出現するコマンドを敵と奪い合い、自分のやりたいことを通しつつ相手の行動を妨害しつつ戦う。運要素は完全に排除することができない程度には強いものの、一定ターンごとに任意のコマンドを使用して特殊なコマンドを使用することができたり、編成のリーダーのみが編成全体に与えることができる特殊効果がかなり強かったりするため、編成や立ち回りの方が重要度は高い。
自分も敵も様々な戦略で戦うことができ、使いやすさや汎用性にこそ差はあれどユニットのレアリティが存在せず、完全な上位互換下位互換というものは一応ない。様々なユニットおよび戦略を使うことを推奨され、難易度は現在実装されているメインストーリーの半分を読むだけでもかなり高いとされている。だが、様々な戦略の軸となるユニットを全てガチャで引き当てなければならないというわけではない。基本的に配布のユニットがかなり強いことと、実はやろうと思えば工夫次第で任意のユニットを軸にゴリ押すこともできなくはないこと、また実装されたのは最近のことではあるがそのステージのクリア編成とその編成での攻略の様子をゲーム内で見ることのできる機能もあることから、意外となんとかなってしまう。この「意外となんとかなる」がユーザーごとに全く違うゲーム体験を生み出しているのだ。他のユーザーの話を聞いたり公式サイトなどで未所持のユニットの性能を確認したりしていると、新しいユニットを手に入れることでゲームが更に広がるのだろうと感じられた。だからこそ、ガチャ産のユニットが無くてもクリア自体にそこまで支障のないゲーム性ながらも、遊びの幅をもっと広げるためにガチャ産のユニットで遊ぶために課金をしたものである。
このユニークな戦闘システムの面白さはよくカードゲームに例えられていた気がするが、リアルタイムでPvPも楽しむことができる。正直に言うと野良はかなり過疎っているが、特定のユニットをリーダーにして一定回数PvPイベントで勝利すると称号を貰うことができると知ってPvPイベントに参入して以来、趣味パで定期的に楽しんでいた。
また、グラフィックやストーリーや音楽もゲームの没入感を深めるにあたってとても貢献していた。イラストとストーリーは少し癖が強く万人受けするものではないのだが、良い意味でソシャゲらしくない重厚長大でシリアスなファンタジーだ。加えて戦闘中のキャラクターのモデルやBGMはどこに出しても恥ずかしくないハイクオリティである。他のゲームでは中々お目にかかれないような癖の強いキャラクターたちにも、愛着が湧くというものだ。
また、ソシャゲにありがちなギルド機能やフレンド機能もなく自分のペースで気楽に遊べるのも特徴だ。通常のイベントは低難易度のストーリークエストをクリアすれば誰でも確定で配布のユニットや装備を入手でき、ランキングなどはない。レイドイベントはあるが、育成が進んでいないユニットは個人で得られる報酬の量が減る代わりに育成済みの状態で使うことができ、さらに弱かろうとどんどん救援に入ってもらったほうが上級者も得をするシステムなので寄生はむしろ歓迎されている。システムさえ理解すればレイドイベントさえも気楽に遊べる。
新感覚の戦闘システム!色んなキャラクターが活躍できる!美麗グラフィック!壮大なストーリー!個性豊かで魅力的なキャラクター達!と聞くと、有象無象のソシャゲで見たキャッチコピーみたいになるが、少なくとも自分の中ではこれらを真の意味で体現しているゲームであった。
本当に、好きなゲームだった。
●少しモヤモヤし始めた頃
最初にこのゲームに対して引っ掛かりを覚えたのは、あるイベントで配布されたユニットとそのイベントで顔見せがなされ半月ほど後に実装されたユニットにまつわる騒動であった(実は以前にもここに無関係ではないと思われる優良誤認騒動からの大規模な返金がなされているが、関連性の説明が憶測の域を出ないのでここでは割愛する)。どちらも既存のキャラクターの衣装違いのユニットであったが、前者のキャラクターの方はインストールして間もない頃にガチャで入手していてそれなりに愛着が湧いており、後者のキャラクターのことは元から少し苦手であった。
問題のイベントは、自分が色眼鏡で見ている部分もあることを否定はしないが、ストーリーでの後者のキャラクターに対する贔屓があからさま過ぎて酷いと感じてしまったのだ。これまでのイベントで配布されるユニットはいずれもストーリーの軸となるキャラクターで、配布としてそのまま主人公一行に定着する流れを一応描写しており、一方でガチャ産になるユニットに関しても顔見せから一時的に使用できない期間が生まれる理由付けが一応というレベルではあるがなされていた。初期のイベントはかなり雑な部分が目立っておりこの限りではないが、方針が定まった頃からは2年くらいずっとこの傾向であった。だから、配布キャラとしてバナーに載っている時点で、そのキャラクターが主役のイベントになると少なくとも自分は思っていた。しかし実際は半月後のガチャの方のキャラクターがずっとヨシヨシされるもので、イベントで配布されたキャラクターも、なんなら同時実装の方のガチャ産のキャラクター(半月後に実装されたキャラクターとは別)もイベント本編では完全におまけ、ヨイショ要員であった。イベントの内容に関しては賛否両論ではあったが、少なくとも自分は最低最悪だと思った。
性能面のバランスも酷いものであった。基本的に配布が強く、上位互換下位互換の概念はほとんどないゲームだったのだが、配布の方のユニットは採用する理由を考える方が難しいというレベルで扱いづらく、ほとんどの場面で初期に配布された別のユニットの方が扱いやすいとされるものだった。そして、半月後にガチャで実装された方のユニットはピン刺しでも当時実装されていたほとんどのステージを簡単に攻略できる、所謂「ぶっ壊れ」であった。しかも一緒に編成するユニットの行動に制限がかかるタイプの性能であったために、特定のユニットを除けば他のメンバーは特殊コマンドを発動させ、敵の攻撃を分散させて庇うだけの係である。編成や動きを工夫する楽しさが台無しである。余談だがこのユニットによってPvPの環境も崩壊し、ただでさえ少ないPvPの住人は更に減ったらしい。当時の自分は極たまに強いと聞いた編成で潜るくらいでやり込んではいなかったが、未だにトップメタで大暴れしている。
しかしここで一つ加えたいのは、自分はストーリーにも性能の調整にも怒ったが、個人的に一番嫌だったのはこの二つではない。大炎上し、直後の公式配信のコメントは全て荒れに荒れ、中の人がレイドボスに挑む配信にて配信部屋に運営に対する暴言ネームで入室したユーザーが出るとんでもない放送事故も発生した。荒らし行為をしないユーザーも自分を含めてたくさんの人が意見を送ったのだが、それを受けてのプロデューサーレターにざっくりこう書いてあったのだ。
「配布されたユニットは扱いやすく初心者向けの性能である。半月後のガチャで実装されたユニットは扱いづらい代わりに爆発力のある玄人向けの性能である、と認識している」
そう、ユーザーの認識とは真逆なのであった。テストプレイをした時に何も思わなかったのか。元々そう認識していたにしても、ここまで色々直接送られて尚そう言えるのか。言いたいことは山ほどあったが、それまでまめに良かったところも直して欲しいところも意見として送っていたが呆れて何も書く気にならなかった。
半月後のガチャの方のキャラクターは人気であったから、人気のキャラクターを目立たせてからガチャに入れて儲けようという姿勢は否定しない。ソシャゲとして運営している以上インフレも否定しない。使いやすかったり汎用性が高かったりするユニットと、そうでないピーキーなユニットが出るのも仕方のないことである。しかし、性能に対する感覚のズレが顕になってしまった。これまで信頼していた運営のバランス調整の感覚に初めて明確な不信感を覚えた出来事となってしまった。
●ユーザー層の変化
先述した炎上したイベントは賛否両論ではあったが、ストーリーの質はおしなべて良かったためユーザーによってその方向での布教がなされていた。メインストーリーが進むと主人公とメインストーリーでの配布キャラクターが中心の冒険譚から、ガチャ産やイベント配布のキャラクターもほぼ全てが出演する群像劇へとシフトし、様々なキャラクターにフォーカスして個人のストーリーで描写されてきた伏線が回収されるようになった。好きなキャラクターが世界観の深掘りのなされるメインストーリーに大きく絡むと嬉しいものではあるが、同時にある歪みにも繋がっていった。
特定のキャラクターに関する掘り下げだけを目当てにメインストーリーを読もうとすると、戦闘が難し過ぎるのである。
布教する側はもちろん新感覚のシステムによる歯応えのある戦闘もストーリーやキャラクターとともにプッシュするのだが、いかんせんこの謳い文句が有象無象のソシャゲと同程度に捉えられがちである。キャラクターにレアリティがなく誰でも活躍できると言われても、しっかり考えて立ち回らなければ全く勝てないし、育成やレベリングによるゴリ押しはあっという間に効かなくなる。なんなら育成もストーリーをある程度進めないとドロップ素材の関係でストッパーがかかる。フレンドやギルドがなく自分のペースで遊べるが、裏を返せばフレンドの強いユニットやギルド機能等を使った育成素材の提供にも頼れないということでもある。
そこで布教した側が勧めたのが先述した炎上イベントの半月後のガチャで実装されたユニットであった。
当時実装されていたストーリーを読むだけであれば、ほぼ全て中途半端な育成状況でも簡単な立ち回りで可能にしてしまう性能で実質的に戦闘スキップ権となったのである。半年に1回のペースでガチャ産のユニットや装備を指名する権利を3000円ほどで購入する機会が訪れるため、とりあえずストーリーだけ読みたいならこのユニット!と言われていた。
だが、そのユニットだけで全てクリアできるというのも戦闘を楽しみたいユーザーにとって面白いはずがない。その声に応えようと、その後実装されるステージではそれだけでは絶対にクリアできないように敵の性能が調整されていった。「ぶっ壊れ」のユニットでクリアできないような搦手調整を行えば巻き添えで他のユニットが使いづらくなり、シンプルに「ぶっ壊れ」火力を耐えるHPを盛る調整が成されれば瞬間火力が出ないがどんな相手も固定値で削る等のユニットが使いづらくなってしまった。まあそれでも当の「ぶっ壊れ」はしれっとゴリ押せてるんだから笑える話であるが。ストーリーだけを読みたいユーザーにとっては3000円で購入した戦闘スキップ権が機能しなくなり、「戦闘が難し過ぎる」という声が大きくなっていった。
メインストーリーでストーリーだけを楽しみたい層と戦闘を楽しみたい層の両方を満足させることは難しいと考えたのか、次に開発は住み分けを試みようとしたようだった。ストーリーやイベントとは別にランダムに現れるボスやミッションに合わせて様々な編成を組んで攻略していくエンドコンテンツや、PvPをやり込みたいユーザーのためにPvPイベントを開催したりした。しかし、ここでも同志を増やしたくて一生懸命布教を行ったことが仇になってしまう。というのも、イベント産のユニットを入手するだけなら簡単で、フレンドやギルドがなくランキングイベントもないため自分のペースで気楽に遊べるという触れ込みでユーザーが布教を進めた結果、対人コンテンツやエンドコンテンツにアレルギーを持つユーザーが増えてしまったのである。エンドコンテンツの報酬は暇人向けの作成コストの重い装備の素材、PvPイベントの報酬は各種称号であった。自己満足であることを前提に自分はどちらもかなりやりこんだが、特に後者が特定ユニットで一定回数勝利することで対応したユニットに関する称号を得られるということが、キャラクター目当てかつ対人コンテンツが嫌いなユーザーを刺激してしまったのだ。前者も好きなキャラクターを極限まで強化したいのであれば作成コストが重かろうと作りたいものであり、こちらはエンドコンテンツが嫌いなユーザーを刺激してしまった。そうしてキャラクター目当てのユーザーからはどちらも不評となってしまったからなのか、エンドコンテンツの内容に関しては1年近く更新されておらず、PvPイベントは1度きりの開催となってしまった。当初はこれらで楽しんでいた戦闘が好きなユーザーもあっという間に離れていった。
気がついたら、戦闘を楽しみたいユーザーの方が少数派になってしまっていた。
●キャラゲー化
ストーリーとキャラクターだけを目当てにするユーザーが増え、戦闘を楽しみたいユーザーが減っていくと、必然的にこのゲームはキャラゲー路線を歩んでいくことになった。
まず、メインストーリーを戦闘なしである程度のところまで読むことができるというキャンペーンを定期的にやるようになった。ゲームなのにゲームをやらなくても良いって時点でもう意味が分からない。ゲームを楽しめないユーザーに楽しんでもらうための施策をして欲しいし、ゲームをやらないでストーリーを読みたいなんて言うユーザーに迎合しないで欲しい。
このゲームでは定期的に既存のユニットに渡せる専用の装備が実装される。専用の装備により、スキルのテキストが変わり使用感が改善されるのだ。実装したユニットのスキルの効果を直接いじる形の調整はほぼしないため、実質的なテコ入れである。また、キャラクターごとに衣装違いの別ユニットが存在する場合、現時点では片方だけを開発が選んで実装することになっている。この装備もはじめは使いづらいユニットから実装されていたが、徐々に元の使用感に関係なく直近のストーリーに登場したキャラクターなどから選定されるようになり、そのキャラクターの中でもより使いづらい方から手を入れるかと思えばそうでもなくなっていったた。ただ、先述の炎上イベントで開発の性能のバランス面に対する感覚が信用ならないことが判明してしまっているので、もしかしたら開発的には使いづらそうな方から実装しているのかもしれない。
次に、レベルキャップの解放が実装された。一見すると戦闘の幅が広がりそうな機能だが、これが大違いである。このレベルキャップ解放にはとんでもないコストがかかる。新しいキャラクターを10人ほど既存の最大レベルまで育成するよりもコストがかかる。だが、レベルキャップ解放により増えるステータスは雀の涙かつ全キャラ共通の固定値で、スキルのテキストも全く変わらない。つ Permalink | 記事への反応(2) | 07:36
フェミニズムという正義の一端を担ってるってのは、育児が人類の歴史の一部になるように、
大きな木の根に寄りかかってるような安心感がある。
しかも、フェミニズムの領域は常に前進を続けていて、ブクマフェミニスト、ツイッターフェミニスト、それぞれの問題領域で各人にあった課題が豊富にある。
それ自体は憤るべきことだが、はっきり言って常にやりがいを欠かないのは戦士にとってはモチベーションになる。はてなブックマークの領域を担当できて誇りに思っている。
はてなブックマークで平和主義を推してる人はチラホラ居たが、今はそれほど勢いがない。
なぜか。
平和主義ってどちらかと言うとなだめる方向にいきがちだから、アドレナリンの助けを得られない。
そしてそれ以上に現在の状況がある。
ウクライナの危機の最中に「平和!」と叫ぶのは、ウクライナに降伏を勧めてるように聞こえる。
平和っていま言うべきことじゃない。
ウクライナの主権を守るためには「勝利!」の方が少なくとも今は適切だ。
平和の大義が力を無くすなんて思っても見なかった。自分は、フェミニズムの旗の輝きをせめて守っていこうと決意を新たにしてるよ。
マッチングアプリやそれを通して会う相手に責任を求めすぎな人が多い気がする。
アプリはツールでしかないし、相手はサービスを提供しに来ているわけではない。
どんな人にいいねを飛ばし、どんな内容のメッセージを何回交わし、どのようなタイミングでデートに進めるか、決めているのは自分。
もちろん「思ったのと違う」とか「盛り上がらない」とかはある。
でもデートに臨むと決めたのは(たとえ相手から誘われたにしても)自分なんだから、
ハズレデートの原因の半分は「プロフやメッセージでの想定が甘かった自分」のせいだ。
それを自覚して以降に活かそうとしない限りハズレ率は下がらないよ。
プロフを盛ったり嘘つく人がいたり、
メッセージと会っての印象が違うことも多い(これについては良くも悪くも。メッセージ微妙で会うと好印象な場合もある)。
そういった見込み違いがまあまあ起きると理解した上で利用すれば、
いちいちがっかりしたり落ち込んだりする度合いが減る。
プロフやメッセージでどんな感じなら会った時の確度が高いか検証していくのはもちろん、
デートとなれば会話はどんな球でも打ち返すぜ!!くらいの気概で挑みたい。
なんだかんだ誰でもノって語れる分野がいっこくらいはあるだろうし、それを引き出し、興味持って聞ける自分になっておく。
相手のためではなく、あくまで自分がその時間を楽しめるように。
そんな感じで期待しすぎず楽しんで続けられれば、そのうちいい相手に出会えることもあるはず。
私は約1年で20人ほどと会って結婚もできたので、マッチングアプリに感謝しています。
はてなブックマークは夫に教わりました。
アホなので夫と盛り上がって不用意な触れ合いを行ってしまったよ。3人目もすでに同様の経緯で作成して今現在あっぷあっぷであり、流石に……無理でしょう……という……。とりあえず婦人科行って経緯を説明し、塩対応に耐え、自分で禁忌等を調べ先生に確認し……。
覚悟していたより気持ち悪くなる、具合悪くなるなどの副作用は感じていないので良かったのですが24時間授乳禁止が辛い。めちゃ張るし、寝るまで泣き続けるし、座ると服を引っ張って泣かれる。もう離乳食も完了期なんで別になくても良いのですけど断乳ってめんどくせえな勝手にやめるまで続けよ……の気持ちを新たにしました。
あと次行ったときにちゃんとピル貰うよ。こどもたちの通院は行けるのに自分のを後回しにしてこども(未)を疎かにしたことを反省している。
どうなんだろうね、その終わりだねこの国っていう価値観も、SNSやらで可視化された価値観の一つな気がするし。
なんなら、明らかにヤバいスローガンだったにしろ、お国の為ならって堂々と経営者が表明してた時代の方が生産力はあったわけで。今の時代にそれを落とし込んでも、条件が違うからそうなるとは限らないけどさ。
自分の意見を持たない・持たない人々への扇動がかなりの脅威ではあるにしても、それこそ昔の地方選とかでは地元の名士のそれがはびこってて、今になって洗脳だ利権だなんて騒がれてるわけでしょ?
本当にやばいと思ってるまともな人間の方が少数派ならさっさと出ていけば良いってのが民主主義だとしたら、その扇動力も包括してなお自由な発言が許された時代の方が、本質的には自由だったのでは?と思ったりもしない?
私は、大きな音が苦手だ。
私は、高い音が苦手だ。
私は、突発的な音が苦手だ。
聴覚過敏というやつだ。
「子供がいる近くには住みたくない」と「幹線道路沿いには住みたくない」「町工場の近くには住みたくない」は本質的に同じである。
音の発生源が子供だろうが、改造車だろうが、町工場だろうが、音は音。そこに差異はない。
ただ我慢できる音とできない音がある。
男児の声は我慢できるが、女児のキャーーッという声は我慢できない。
トラックのエンジン音は我慢できるが、改造車の音は我慢できない。
町工場のコンプレッサーの音は我慢できるが、金属加工音は我慢できない。
一概に「子供の声」といっても幅広く、一緒くたにして「騒音ではない(から文句いうな)」というのはあまりに乱暴。
「子供の声に文句言うやつは×××」と人格否定が始まったり、「そんなに嫌なら山奥で孤独に暮らせ」と言われたりするんだろうなぁ……。
最後に、たとえ法律ができたとしても音に苦しんでいる人間がいなくなるわけではない。
そのことだけでも心に留めておいてほしい。